443 :
考える名無しさん :2009/01/20(火) 21:42:23 0
>432 ドゥルーズという若い人がいてね、とか何とか言ったんでしたっけ。 この人の『ベルクソニスム』はいい云々。
444 :
考える名無しさん :2009/03/11(水) 23:42:25 O
小林の文章ってどこがいいのかさっぱりわからん
ユリ・ゲラーに関してメチャクチャな事言ってたよなあ。 不思議を不思議と受け止めないのはいかん、とか。 あんなの常識的にインチキだろうが。
446 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 06:22:22 O
若い時代に講演会やったら、聴きに来た学生が一升瓶を渡して 来たんで、相好を崩して受け取って持ち帰ったらそれがイタズラで、 って話あったな。 何をやったもんだか。
447 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 09:17:06 0
そう、重要な問題だが、小林の物理学観は相対性理論の世界だな。 ベルクソンがそうだった。小林は科学を非実在の世界を扱うものだと 考えていたらしい。これはカントの物自体についての考え方と一緒だ。 ベルクソンも小林も生物学的政治思想の有害性に関する問題意識は なかったわけだが。
生きてるときはずいぶんと持ち上げられたんだよこの人も 死んだら忘れられたけど
花の美しさはない。美しい花がある。 古典主義は現代では流行らんだろうねー
450 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 02:14:58 0
NHKの『マイブック』のコーナーにて。 石原慎太郎「斉藤(友子)さん、あなた自分が天才だと思う?え、思わない。 僕は若い頃、自分は天才だと思ってた。ランボーを読むと、天才って本当に いるだと分かる。この間、小林さんと電車で一緒になったんだ。ランボーの 話になって、僕が何でランボーは詩作を止めたんでしょうか、って訊いたん だ。そしたら、小林さんが言うには、ランボーは偉いから労働の尊さが分かっ ていたんだって。」
451 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 02:28:27 O
rendezvous
452 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 15:02:00 O
近代日本文学史において、はじめて、「芸術としての批評」を定立した人。 批評を、真に自分の言葉、自分の文体、自分の肉感を以て創造した人。 もつとも繊細な事柄をもつとも雄々しく語り、もつとも強烈な行為をもつとも微妙に描いた人。 美を少しも信用しない美の最高の目きき。獲物のをののきを知悉した狩人。 あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗部へ、づかづかと素足で踏み込むことのできた人物。 行為の精髄を言葉に、言葉の精髄を行動に転化できる接点に立ちつづけた人。 認識における魔的なものと、感覚における無垢なものとを兼ねそなへた人。 知性の向う側に肉感を発見し、肉感の向う側に精神を発見するX光線。 遅疑のない世界、後悔のない世界、もつとも感じ易く、しかも感じ易さから生ずるあらゆる病気を免かれた世界。 一個の野蛮人としての知性。 一人の大常識人としての天才。 三島由紀夫 「小林秀雄氏頌」より
453 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 15:47:48 0
しぜんはこうかいしても待ってくれない。
454 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 18:47:48 0
宮下さんどうしたらいいか言ってくれ
455 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 22:16:11 0
下
456 :
考える名無しさん :2009/08/07(金) 13:10:29 O
457 :
考える名無しさん :2009/08/08(土) 21:47:15 0
>>456 茂木健一郎の「脳と仮想」に唆されて買った。
458 :
考える名無しさん :2009/08/11(火) 01:12:59 O
ほす
459 :
マルメラードフ :2009/08/16(日) 09:46:51 0
昨日から「感想」を読み始めて3分の1のところです。小林秀雄の文章はまねをするとひどいものに なると思う。客観的に記述して分析していく部分が少なく、かんじんのところにくるとスパッと断言 する。それは講演集を聞いても同じであるようです。それが一部の人には魅力的に映るのかもしれな いが、もっともっと後の時代に読まれるであろうときに、はたして説得力を持ち続けることができる であろうか、疑問です。例えば彼の尊敬する本居宣長の文章は、(彼の思想に共感するかどうかは別 にして)意外にも論理的で原因と記述がしっかりされたものですし、ベルグソンの文章についてはい うまでもありません。小林秀雄にしてみれば、その先にあるものを語るのが批評である、のかもしれ ません。ただし「感想」を読み進めながらわかってきたのは、彼の方法が非常にベルグソンの思想に 共鳴したもので、いわゆる科学論文の対極をめざして書かれてたものだということです。彼の文章は よくできた感想文といったものではなく方法的に煮詰めてできたものである。逆にいうと、彼のスタ イルに影響されてものを書いている人にはべルグソンの思想に基づく方法論がすっぽり抜けているた めに、断言だけが残り、分析記述もないひどいものが(全てではない)多いと考えます。ひどいのに なると、好きか嫌いかだけで断言して、本物を見る眼とか言い出してしまう。
460 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 02:10:46 0
461 :
考える名無しさん :2009/12/14(月) 10:16:19 0
>452 加地 伸行氏の「沈黙の宗教―儒教」を読んだら 小林秀雄氏を思い出してならなかった。 「一人の大常識人としての天才。」 常識=日本人がなんとなく身につけてしまっている死生観 という意味で、非常に上手い言い方と思う。
462 :
考える名無しさん :2010/02/12(金) 14:21:07 0
>>459 自分の文章は散文じゃなくて詩だとご自身で言っておられたようですが。
実はお化けを信じるやつはリアリストじゃない。
464 :
考える名無しさん :2010/02/12(金) 23:26:44 0
精神的なものこそが真に実在するのであって、科学的な実在論は影みたいなものと 考えていたフシはある。観念実在論とは違うんだが。
ベルグソンは生物学的哲学で、ナチズムの露骨な優生思想の反省で、 戦後は急速に評価を落とした。『感想』の中断理由もそこにある。 本居は実証主義的文献学者で、思想的には仏教に近いんじゃないか? 焼け野原から来る無常観が戦後の小林の背景にあるように思う。
「無の哲学」とか、そいういうのが当たり前だった時代の人だ。
悠然として渾然たるネヴァ河 安岡章太郎 一九六三年、小林秀雄、佐々木基一の二氏に、私を加えた三人は三週間ほどのソ連旅行に出た。 何の目的もない旅だが、それが甚だ愉快であった。 エルミタージュ美術館に出掛ける前夜、通訳のリヴォーヴァさんが、「いよいよエルミタージュですよ、 ようく休んで疲れを取って置いてね」という。「わかりました」と佐々木さんが謹厳にこたえる。そんな ヤリトリを奥の部屋で聞いていた小林さんは、「なに、エルミタージュ? どうせペテルブルグあたりに来ているのは、大したものじゃなかろうよ」と、甚だ素気ない様子であった。 翌朝、その小林さんの姿がホテルの中に見えない。われわれが狼狽気味に部屋を探していると、 「やあ失敬」と先生があらわれた。「朝起きぬけに一人でネヴァ河を見てきた」とおっしゃる。「ネヴァ河 ですか」私たちは唖然とした。小林先生の地理勘は甚だ弱くて簡単な道にも直ぐ迷われるからだ。 「しかしネヴァは、じつに好い河だ、悠然としていて、あれこそロシアそのものだ」だが私には、その 悠然渾然たるものは、河の流れよりも、寧ろ先生自身の人生態度にあるように思われた。 エルミタージュでは気の狂ったように絵を見回って、終わった時には虚脱して脂の抜けた干物みたいに なってたんだと。
468 :
マルメラードフ :2010/02/16(火) 22:17:55 0
>>465 『感想』の中断は、相対性理論及び最新科学理論との対決に小林秀雄の準備が充分ではなかったこと
が原因である。たしか『人間の建設』の岡潔との対談のなかでいっていた。(手元に本がないので引
用できず。)大体の見当はついているのだがそれだけではものは書けない、と。しかし小林はあきら
めたわけではない。ある意味で『本居宣長』はべルグソン論の続きなのである。『「本居宣長」をめ
ぐって』江藤淳との対談のなかで本居宣長の「「古事記伝」とベルグソンの哲学の革新との間には本
質的なアナロジー(類似)があるのを、私(小林)は悟った。」引用終)とある。さらに「本居宣長
補記1」では、暦がなかった古代の大和を通して時間の本質について鋭い分析を行い相対性理論にふ
れている。(短いが非常に面白いので未読の人は是非読んでください)この文章は1979年に発表
されたものだから『感想』1958年から21年経過している。小林秀雄しぶとい。(笑)
ふんふん、同時期に出版されたラッセルの『哲学史』で展開された ベルグソン批判に通じるような側面を捨てて、時間論で立て直した のな。 宣長は、蘭学の影響と危機感で国学を始めたのだろうが、生物学 より文献学だからな。
日本書紀の影に隠れていた古事記を引っ張り出したり、 邪馬台国九州説を唱えたのも宣長だ。戦後の良識的な 知識層の流れに沿ってはいる。
471 :
マルメラードフ :2010/02/18(木) 00:06:41 0
さらに1948年まで遡れば、『人間の進歩について』ノーベル賞受賞1年前の湯川秀樹との対談で 「こっちがあんまり無学過ぎるんで」と謙遜してはいるものの、いわゆる文学者のレベルを超えてい ろいろな物理学の書物を読んでいるのが伺えるし、いうまでもなくアインシュタインとベルグソンの 名前も出てくる。唐突に思われるかもしれないが、私には同じくベルグソンの影響を受けた哲学者西 田幾多郎を思い出させる。西田幾多郎には1944年に『物理の世界』と『空間』という論文があり 、ベルグソン哲学にふれつつ物理学の時空理論との対決をはかったスリリングなものである。いわゆ る京都学派の晦渋な観念哲学には批判的だった小林であるが、同時代性を感じざるをえない。
まあ、表現方法に批判的だけだった話しで、アインシュタイン来日に湧いたあの頃の雰囲気は共通したものがあるでしょ。 一方で科学主義への危機という側面も共通しているし。
世界の名著『ベルクソン』の最初は「形而上学入門」だ。読む気にならんけども。 カミュが哲学エッセイ『シジフォスの神話』で断固と飛躍を拒否しているのは、 ベルクソンの「エラン・ヴィタール(生の跳躍)」が下敷きになっているか知らん。
巻頭のベルクソンに関する解説をめくると、すぐ以下の文章が目に入る。 一九〇三年、フランスの哲学雑誌Revue de mrtaphysique et de moraleに 発表した「形而上学入門」において「知的直観」intuition intellectuelleという 語を用いた彼が、その論文を後に論文集『思想と動いているもの』に転載 するに当たって「心的直観」intuition spirituelleと書き換えていることは意味 深いことである。 ・・・第一次大戦後の主知主義批判にベルクソンも配慮してのことだろうが、 60年代の終わり頃の日本の知的水準も、当たり前にこの程度のことは指摘 したわけだな。
475 :
マルメラードフ :2010/02/19(金) 00:47:32 0
ノーベル賞受賞前のアインシュタインを招いたのは当時の京都帝国大学系の人達であった。もちろん西 田幾多郎もその圏内にいた。湯川秀樹はそもそも青年時代西田哲学の熱心な読者であったから、単に優れ た物理学者の一人なのではない。小林との対談後にアインシュタインのいるプリンストン研究所に行く。 周知のとおり西田の論文と小林湯川対談の間には原子爆弾がある。 世界の名著『ベルクソン』とは澤潟久敬編集版のことだと思うが、彼は1904年生まれの京都帝国大学 系の人である。昔青空古本市で偶然彼の『ベルクソンの科学論』を数百円で買って読んだが非常に面白 かった。小林秀雄が1902年生まれだからほぼ同年齢の人である。ベルクソンの知人でもあった九鬼周造 の弟子で、『偶然性の問題』の仏訳者でもある。 以上からわかるとおり戦前日本の知的水準も決して低くはない。
西田もベルグソンの影響はあるか知らんが禅やってるから、 進化論の丸呑みはさすがにしてないな。ベルグソンの方がこちらの 影響受けたのではないか知らん顔。
「心的直観」は禅で言う「直指人心」だが、これを フィヒテ風の主観主義と取ると大迷走を始める。
主知主義批判は反合理主義を惹起する危険もある。燃えている油に焦って水を注ぐと 爆発する。第二次大戦にはそういった側面もあるか知らん。
科学の時代は理性的であることと科学的であることを混同しがちになる。 科学的でありさえすれば理性的だということになって、ダーウィン学説が 動物的な本能を強調するとケダモノみたいに生きるのが科学的で理性的だ という本末転倒した話になってしまう。
適者生存の原理で人類が進歩するのが素晴らしいと思えるのは、 自分がその進歩した世界に居場所があるという前提でのことだ。 ヨーロッパは第一次大戦で淘汰される側に立たされているのに 気づいて幻想から覚めたわけだな。
19世紀半ば以後のダーウィン学説の勝利はヨーロッパ・カトリックに 対するアングロサクソン・プロテスタンティズムの優位をも意味して いた。このイギリスが起点になって形成された世界観が第一次大戦まで 続いた。
482 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 22:35:12 O
善悪、正邪、つまりは良心の問題は人間が生きる上で最も基本的な問題だ。 それは子供のしつけを考えたら分かるだろう。 近代合理主義は人間がそういう問題に向き合うことが困難であるような世界に 我々を連れ去ってしまった。 とうに生命を失った象徴をけばけばしく飾り立てて、それらが今でも価値が あるかのような欺瞞で覆い隠してはいても。
483 :
マルメラードフ :2010/02/19(金) 22:58:43 0
>>462 昔雑誌『批評空間』のシンポジウムのなかでそのようなことを誰かが発言しているのを私も読んだ覚え
がある。しかしどの書物での小林秀雄の発言かは不明である。本居宣長(小林)に即していえば、天地
のありかた(実在)にそっていない理論(散文)はどうとでもいえるが単なる説得術にすぎず、漢ごこ
ろで書かれた文章なんか俺は書きたくない。(漢字文化が入る前の)大和ごころを知るこころでもって
(万葉の詩心をもって)俺は(文章で)実在にふれたい。それは詩に近いものになるかもしれない。
おおよそこのような意味でいったのではないか、と思う。しかし今でも原因分析=記述は必要であると
いう私の考えは変わっていない。
「良心」は英語では"con-science"、原義は「共通認識」だと思うんだが、 確かに善悪の観念は他者と共有しないと意味がないような 面はある。 人はともすると道徳などというのは子供向けのものだ。それを自由に変更するのが 大人であることだと考えたりするが。 しかし大人であるということは個別の問題について善悪の判断を自分で下せることは 意味しても、善悪そのものを好き勝手に変更するということには必ずしもならない だろう。
前にも言ったが、万葉集の編纂されたと考えられている七世紀の終わり頃と言ったら 聖徳太子が仏教隆盛をさせて百年も経ってんのな。
486 :
マルメラードフ :2010/02/20(土) 09:55:02 0
>>485 そのとおりだと思うが、本居宣長のいっているのは、文字(漢字)が入る前にも人は生活していたし
言葉をつかっていた。ただ文字がなかった。文字が入ってきた時に「コヨミ」という言葉は「暦」に
該当するであろう、とあてた。「ツイタチ」という言葉には「一日」に該当するだろう、と。その時
人々の生活は大きく変化したであろうと想像されるが、なにかを得てなにかを失った。その悪いとこ
ろを漢ごころとして批判しているのである。だから、たしかに万葉集は文字でかかれているが、逆に
そこから大和ごころにふれることもできるはずである。そのためにはもののあわれを知るということ
が方法論として非常に重要になってくるし、万葉集や源氏物語という作品が重要になる。以上ちょっ
と図式的すぎるかもしれない。もっと本居宣長に詳しい人の解説を待つ。
漢心(唐心)ってのは論理的思考な。蘭学はヨーロッパ大航海時代以後、 アリストテレスの普及と並行して日本に流れ込んだことになるか知らん。
宣長は杉田玄白と同時代人で国学は蘭学と並べて見られるべきものらしいな。 南蛮渡来が始まって日本を相対化する視点が増えて、中国大陸文化の影響も距離を 保って評価出来るようになったと見ることも出来るんでないか?
豊田の社長の涙も、宣長にしてみたらもののあはれとは感じないかもしれないな。
490 :
マルメラードフ :2010/02/27(土) 13:56:51 0
私の理解の浅さ=説明のまづさから誤解を招く恐れがあるので書いておく。本居宣長の漢ごころ批判の 漢は別に支那のことを指しているわけではない。本が手元にないので引用できないが、西洋でも漢ごこ ろでありえるし、大和でも漢ごころでもありえる、といっている。だから漢学はだめで蘭学はよいとい っているのではない。ましてAという思想はだめだがBという思想はよい、といっているのではない。例 えば、ヘーゲル哲学はだめだがカント哲学はいいといった程度のこととは違う。彼の批判の射程はもっ と広く深くて、その思想がよりどころにしているlogicの根幹に関わるものだ。彼の言葉に「大御国ハ 道アルガユエニ道ナカリキ、道ナカリシカドモ道アリキ」とある。ちょっと意味がわかりにくいが、古 代大和の国には人の道があたりまえに行われていたから「道」という言葉はなかったし、必要もなかっ た、「道」という言葉はなっかたが人の道は行われていた。大体こんな意味だと思う。道とは道理の ようなものだがもっと広い意味をもっているに違いない。いずれにせよ、概念規定せざるをえないlo gicに対する本質に批判をくわえているのが感じられるだろう。
保守
492 :
考える名無しさん :
2010/08/28(土) 19:45:41 0 哲学者というよりは、説教者としての小林秀雄だな