>チンポさん
>感情は、個人の持ち物ではありません。
>現に、大森さんが『流れとよどみ』の中で述べておられますように、恐怖の感情は、
>我々自身の中からというよりも、恐怖の対象の側から、立ち現れるものです。
>>562 感情を「私の心」という閉じられた領域に属する性質でなく、世界の側から
やってくる性質とする考え方は、主観と客観という二元論克服のためだと思われます。
そう考えることにより、世界とは独立し、世界と対峙し、「認識」という我々に備わった
機能によってそれらを繋ぐ、閉じられた「心」という領域を排除しようとするわけです。
「コップが見えている」「そのコップを綺麗だと思う」といった具体的経験世界を持たない
「見る」「(綺麗だと)思う」という、機能だけの純粋な「私」など存在しないということから、
この見解に賛同します。
「世界」があり、「私」がいて、それらを「認識作用」が繋ぐといった構図への懐疑です。
しかし二つほど疑問があります。