1 :
考える名無しさん:04/07/21 23:22
皆様、お待たせいたしました。
私何哲の誕生でございます。
これはすべての哲学を凌駕するインペリアルな哲学となります。
いいかげん飽きた
3 :
考える名無しさん:04/07/21 23:24
俺も。
4 :
考える名無しさん:04/07/21 23:25
>>2 希望さえ、あれば面白くします。
なければ、ネタスレ。
チンポ太郎レベルの寝たスレやれ
できないなら死ね >4
>>5 そのレベルなら、下ネタをやるだけでできます。
もっと高レベルなのでよろしく。
じゃあやってみろ
8 :
考える名無しさん:04/07/21 23:29
9 :
考える名無しさん:04/07/21 23:37
では私何哲の真髄から
哲学好きとの会話で注意すべきは
真理がどこかにあり、すべては不完全であるという
狂信的なパラノイア性で迫ってくることである
10 :
考える名無しさん:04/07/21 23:39
それは多くにおいて、臨機応変へのコンプレックスである
哲学好きは、志高く哲学を志向するのでなく
向かうしかないのである
11 :
考える名無しさん:04/07/21 23:39
ロシナンテは死んだらしいね。
なんだ。
何でもの正体はぴかぁ〜だったんか
13 :
考える名無しさん:04/07/21 23:42
環境がアフォードする価値のことは、
アフォードする価値といっても、主体にとっての価値なので、
価値は、表象としてあらわれる。
14 :
考える名無しさん:04/07/21 23:44
コミュニケーションにおいて、コンスタティブ以上に
コンスタティブとパフォーマティブがあると言うことに対して、
コンスタティブとパフォーマティブの意味が含まれる。
15 :
考える名無しさん:04/07/21 23:47
バルトはモードの体系以後に関して、以前とか違ってまた違う
記号論化の探索をはじめるまでにいったけいいというものが、
再び、我等のものとなりはじめる。
もっと分かりやすく言ってくれ。
17 :
考える名無しさん:04/07/21 23:48
日本人というコミュニティへの繋がりとして、
捏造された内在的な他者も存在し、
この常識的な価値は、一般的に当たり前すぎて
意識され、私たちが日常、日本人であると意識しないようになってしまう。
しかしわたしたちは日本人として強い帰属意識を持ち得ているのです。
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終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了
訂正
なんだ。
何でもの正体はぴかぁ〜信者だったんか
相変わらずできるのはコピペだけか。
チンポの次はぴかぁ〜か?
一度死んで来い、pika9。
21 :
考える名無しさん:04/07/21 23:52
これはあくまでコミュニケーション上の主観的なものですから、他者は私に内在しています。
このようにコミュニケーションとは、私の内在した他者をとおして、私自身が形成されていくことです。
これは私が、コミュニティに帰属していることを現します。
22 :
考える名無しさん:04/07/21 23:53
このようなコミュニケーションの経験が多くのコミュニティに
多重に帰属し、私は形成されます。
それは、私がコミュニティの中でだれでもいい位置から、
私でなければならない位置を獲得することです。
これが私の根元的な目的です。
23 :
考える名無しさん:04/07/21 23:54
コミュニティの一部になるという従属性がと、
私が私であるという自律性が両義的にともに満たされています。
これはシステム論の階層構造の関係に現れるもので、
「ヤヌスの双面」と呼ばれます。
九代目なの?
25 :
考える名無しさん:04/07/21 23:56
このような価値観の形成は、ある意味で「正しさ」の捏造であり、
それは他者による承認という形で現れます。
これがクリプキの規則のパラドクスに対して、人が行為を行える
理由です。
そしてこの「正しさ」の捏造は、見方によっては狂気の捏造でもあります。
26 :
考える名無しさん:04/07/21 23:58
ジジェクが、イデオロギーの力は、人々がイデオロギーを信じているのではなく、
信じているようにふるまってしまうことであるということは
これをよく現しています。
これはたとえば、宗教としてのオウムであるとか、
イデオロギーとしての共産主義というようなことではなく、
ある女の子を好きになってしまうとかいう、レベルでもあらわれる、
人にアプリオリな、私が私になるために、志向性なのです。
目次を作ってほしい。
28 :
考える名無しさん:04/07/22 00:00
人は自分自身にも見つからないように、ひそかに神を信仰している時代ということ
でしょうか。それは宗教のように具現化した神でなく、内在的な神性をです。
たとえば、先ほど上げたクリプキの規則のパラドクス、人工知能のフレーム問題、
ゴフマンの儀礼的な共在の世界、ブルデューのハビトゥスなどなど
間主観的世界は、このように成り立っているいえます。
そしてそのような中で余剰は、間主観的世界が、静的な世界にならないように、
動的な駆動力として働いている。私は私でありたいと志向することによって、
世界はダイナミックに変化し続けているということです。
狂気を孕みながらもですが。
しかも、私の意見では、この静的記号化論は異種のものであり、
論文でも度々取り上げられる稀な論です。
29 :
考える名無しさん:04/07/22 00:05
おやすみなさい・・・
30 :
考える名無しさん:04/07/22 00:06
おもしろかったです。
31 :
考える名無しさん:04/07/22 00:08
コミュニティがゲゼルシャフト化を強めるほど、外面的規格化が進み、
どのように順応しようとも自分自身とのギャップは埋めがたいものとなる。
イエスが「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」と言ったのは
ここに関わるものだ。
32 :
考える名無しさん:04/07/22 00:40
33 :
考える名無しさん:04/07/22 00:42
>>31 ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトの二項対立は
コミュニティ/個人に対応するのでしょうが、
コミュニティの本質とはそのようなものではないような気がします。
特に現代社会において。
34 :
考える名無しさん:04/07/22 00:43
>>33 > コミュニティの本質とはそのようなものではないような気がします。
> 特に現代社会において。
じゃあ、どういうもの?
その二項対立が成立しないというのならば、
個人のなかにコミュニティがあり、社会があるということ?
個人=社会?
とすれば、社会化という概念はもはや意味がない?
35 :
考える名無しさん:04/07/22 00:44
>>34 ゲマインシャフトは、生活的な自然なコミュニティで、ゲゼルシャフトは、利害などの目的をもった
コミュニティということです。これは非利益/利益、真実/疑似、などの二項対立に想定されています。
そして、村落社会から国家社会への移行で描かれます。
ここにあるのは、かつてには愛のある幸福な社会であったが、事務的な冷たい社会に
なっているということが想定(捏造)されています。
本来、コミュニティはそのような二項対立ではない。村社会にも国家にも、契約があり、
愛があるということです。現代はさらに、コミュニティが流動性が高く、ゲマインシャフト性、
ゲゼルシャフト性が混沌としていますね。
じっとりひかいと
37 :
考える名無しさん:04/07/22 01:12
>>35 >
>>34 > ゲマインシャフトは、生活的な自然なコミュニティで、ゲゼルシャフトは、利害などの目的をもった
> コミュニティということです。これは非利益/利益、真実/疑似、などの二項対立に想定されています。
> そして、村落社会から国家社会への移行で描かれます。
もちろんそれは存じています。
一般社会でもそうした二項対立図式にもとづく認識はありますよね。
例えば、
男=ゲゼルシャフト(家庭外)の役割
女=ゲマインシャフト(家庭内)の役割
のような。
家族集団から出ることを社会に出ると言ったりもします。
ということは家庭内は社会ではないということですね。
> ここにあるのは、かつてには愛のある幸福な社会であったが、事務的な冷たい社会に
> なっているということが想定(捏造)されています。
そこに価値判断をどう入れるかは個人の読み方次第になるでしょう。
> 本来、コミュニティはそのような二項対立ではない。村社会にも国家にも、契約があり、
> 愛があるということです。現代はさらに、コミュニティが流動性が高く、ゲマインシャフト性、
> ゲゼルシャフト性が混沌としていますね。
現代社会のように機能分化が進んだ社会では、家族のゲゼルシャフト化ということが
言われていますね。家族が会社や学校などの他の社会集団と同じ利益集団の一つに
過ぎないとするならば、それは家族が社会の多様な集団単位のなかに吸収され解体
される必然性を意味しているように思われます。いわば家族の社会への消滅ですね。
38 :
考える名無しさん:04/07/22 01:13
>>37 〜ならないのように
ゲゼ/ゲマという単純な図式はいかがなものかと
私はコミュニティをもっと多様に考えてます
たとえば、ゴフマンの儀礼的共在のレベルから
エレベータの乗り合わた人々からということですが
39 :
考える名無しさん:04/07/22 01:20
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ