【Ontological】 神の存在証明 2 【Argument】
だったらウンチマンが存在しないことを証明しろよ!
235 :
考える名無しさん:04/08/28 02:39
「ウンチマン」という言葉に特別な意味を持たせている人もいるみたいだけど、
一般的には
ウンチマン=小学校の時、教室でウンコもらした友達
程度の認識じゃない?
ウンチマン=神
が成り立つ物の考え方は、天才バカボン位じゃない?^^
>231
音のみで判断するなってのはわかる。鳩はベトナム語でチンポコだっけか?
けれども、だったらウンチマンというのは何語の単語なのかい?
そういった語はどんな概念を指し、その言語の中でどのように
使用されているか説明できるの?
少なくとも日本語ではその語に対する概念は定まっていないし、
そういった歴史も見当たらない。俗語やウンチとマンの複合語と
考えるのが妥当じゃないのかい?
いくら不在証明ができなくとも使用に耐えられる概念を持ち、
尚かつ歴史にも耐えてきた「神」という語と比較することには無理があるよ。
えーとそろそろ解釈論か主観論に帰着しそうとは懐疑主義者の意見。
我々は神という概念の周りをいつまでも一定距離を保ちながら回りつづける
のではあるまいか?円を描くことでその中心が生じるように。
ところでウンチマンは受けたなw
238 :
考える名無しさん:04/08/28 15:12
このように、誰もウンチマンを完全に否定できないことが
ウンチマンが存在することの証明である
>>235-236 ウンチマンとウンチを混同してる時点で己の無知をひけらかしてるようなもの。
もっと宗教的・哲学的な見地からウンチマンについて勉強して出直して来い。
240 :
考える名無しさん:04/08/28 18:34
宇宙や自然の美しさ、その秩序と法則を見ると、
それらが勝手に、偶然にできたと考えるには、
余りにもよくできすぎているとお感じになったことはありませんか。
これはウンチマンが創造したとしか考えられません。
糞でも食らってろw
243 :
考える名無しさん:04/08/28 21:13
本読んでないけど、詭弁を展開して存在証明をしようとしてるわけだろ。
証明できるはずないものを、証明したっていってるわけだから。
俺も読んでないけど、面白そうな本ではある。バベルの塔の
ガレキの山。
まー、なんと言うか、神とウンチマンは違うんだよ。
神のアナロジーで説明した方が分かり易いかなーってだけで。
だから糞は糞でも食らってろってw
247 :
考える名無しさん:04/08/28 22:02
デカルトによる神の存在証明:
方法的懐疑によって、絶対に疑いえない「我思う、故に我有り」…@ を見いだす。
→自分の思考は不完全である。もし完全なら、@の真理を即座に見いだせたはず。
→自分の思考という不完全なものから、@の様な完全な真理は創り出せない。
→@の真理は、完全なる存在が不完全なる自分に予め与えていたものと考えるしかない。
→故に、完全なる存在=神は存在する。
こんな感じかな?
デカルトによるウンチマンの存在証明:
方法的懐疑によって、絶対に疑いえない「我思う、故に我有り」…@ を見いだす。
→自分の思考は不完全である。もし完全なら、@の真理を即座に見いだせたはず。
→自分の思考という不完全なものから、@の様な完全な真理は創り出せない。
→@の真理は、完全なる存在が不完全なる自分に予め与えていたものと考えるしかない。
→故に、完全なる存在=ウンチマンは存在する。
こんな感じかな?
荒らすな!>ウンチ粘着厨
250 :
考える名無しさん:04/08/29 01:05
>>247 そんなものは主観の塊で、証明などとは言えない。「我思う故に我あり」の命題から
して誤りである。肝心の「我の身体」が抜けている。
251 :
考える名無しさん:04/08/29 01:07
あほ
私は自分が無知であることを知っている。
なので、ここの掲示板に書いてある事は、全て自分の心の声として
拝見しています。
私がウンチマンという言葉を考える時、私にとっては
ウンチマン=ウンコ漏らした人
これ以上、何の意味もありません。
ウンチマンという言葉に、神と同等の意味を与えられるほど
賢くないので、ある意味、ウンチマン=神と考えられる事が素晴らしいですね。
ただし、上記の発言にあるように
>たとえば「ウンチ」という呼称はGODなど言う
>違う言語とかんがえれば。
との発言疑問を感じます。
まず、考える必要がない。時間の無駄、と私は思うからです。
ウンチマンという言葉が無かったとしても、私自身、何の問題もない。
同様に、ウンチマン=悪魔とも、ウンチマン=電車とも、ウンチマン=チン●マン
とも考えません。
>このように似てる音をそのまま表記すると別の意味になるものもあります。
ウンチマン=神 の発想から、この結論が出せたのであれば、すごいと思います。
但し、
>「掘ったいもいずるな」は英語の
>「What time is it now」
>を日本人が音としてとらえたものです。
これは私自身、中学生の時習いました。
私はウンチマン=神と考えなくても、中学生の時に知っていました。
似てる音をそのまま表記すると別の意味になるものがある事を
神という人類共通の存在を考えるとき、必要の無い考え方を処理してゆくこと
も必要だと考えます。
254 :
考える名無しさん:04/08/29 01:15
またウンコたれちゃったよ…
255 :
考える名無しさん:04/08/29 01:16
自分が何をしてるか分かってないんだろ
256 :
考える名無しさん:04/08/29 11:59
デカルトは、神や三角形は(心の中で)はっきり認識できるから存在する、と言って
るようだが、教会や小学校で神や三角形について情報を得ていたからそう認識できる
だけではないのか。彼は経験ということについてはどう考えているのか。
また彼は、他人も彼と同じように認識しているのかどうかについては、疑わなかった
のか。
まあ、主観(コギト)もこれだけ徹底すれば大したものだが、あくまで彼の主観に過
ぎない。
まあ、神について語ろうって時点で
主観にならざるをえないわけだから、このスレ的には
デカルトを批判できないでしょ。
神と生の目的とに関してわたしは何を知るか。
わたしは知る、この世界があることを。
わたしの眼が視野の中にあるように、わたしが世界の中にいることを。
世界について疑問となるものがあり、われわれはそれを世界の意味と呼ぶことも。
世界の意味が世界の中になく、その外にあることを。
生が世界であることを。
わたしの意志が世界を満たしていることを。
わたしの意志が善か悪かであることを。
ゆえに、善悪が世界の意味となんらかの形で関係していることを。
生の意味、すなわち世界の意味をわれわれは神と呼ぶことができる。
そして父としての神という比喩をこのことと結びつけることができる。
258 :
考える名無しさん:04/08/29 23:39
>>257 人間界において「善悪」の基準は何か?少なくとも架空の神ではあるまい。
>>257はウィトゲンシュタインが戦時に書いた文章。
神の証明というより神の定義って感じだね。
260 :
考える名無しさん:04/08/30 14:23
>>259 ヴィトゲンシュタインも既にキリスト教の影響を受けているのではないですか。
>>257も何だかよく判らん文章。
デカルトを初めとして、一般に西洋哲学は、「人間は共同体としてしか存在でき
ない」という自明の事実を忘却しているから、あまり論じるに値しない。
>>257補足
>神について語ろうって時点で主観にならざるをえない
もしあるものが客観で語れるとしたら、それは普遍的に観測可能なものだということ。
だが、神は観測不可能(超越的)なものだから、客観では語れない。
すなわち、語る場合は主観によって語ることになる。
>だからこのスレ的にはデカルトを批判できない
このスレは、神について語ろう(=主観で語る)というスタンス。
だから「コギトはデカルトの主観に過ぎないから」という理由では
お互い様だし、デカルトを批判できないんじゃないかってこと。
でも今考えたら「神」の定義次第で話は変わってくることに気づいた。
>>257は忘れていい。
>>260 キリスト教の影響はかなり受けていたようだから
確かに神について語ってる部分はそれを考慮する必要があるね。
ただ、デカルトはニュートン以前な時代なわけだし、本人が論証のために
神概念を完全性にあてたのも無理はないよ。
つーか、デカルトの言う神は完全性のこと(比喩)なだけだから
このスレで挙がってる彼の批判は
勘違いに由来するまったく意味の無い物ばっかり。
もし認識者の全てが認識できるものがあるとすれば、それは認識する行為そのものである。
神をそういうものだと定義するなら、認識者は神と一体でないかという疑問がわく。
しかし、認識者は不完全である。もし完全なら、あらかじめ全ての真理を見出せるはず。
何かを認識しうる存在である認識体は、完全なる何か=神に認識させられているのだ。
ゆえに、普遍的なもの=神は認識者とは別個のものとして存在する。
263 :
考える名無しさん:04/08/31 19:20
>>262 言ってることが矛盾している。認識者が不完全ならば、完全なる何か即ち神を
どうして認識できるのか。
不完全だから完全なる「神」を生み出したたたたたた
デカルトの「我思う故に我あり」について一言。
自分について考えている自分が何故自分であると言い切れるのか。
266 :
THE グル :04/09/01 13:34
>>265 いいですか、
もし仮に自分が誰かに巧妙に操られているとしても、
操られる対象になっている自分が存在することになるからなんです。
どうかしましたか?
267 :
考える名無しさん:04/09/01 13:42
自縛霊の自爆テロ
>>266 すまん、言葉を間違えた。
考えている対象が何故自分だと言い切れるのかってことを聞きたいんだよ。
中島義道の本にも同じようなことが書かれてあって、確かに何でだろうと。
269 :
THE グル :04/09/01 17:24
>>268 いいですか、
あなたが、
他人に対して、
自分に対する様に同じようには認識したり思惟できないからなんです。
どうかしましたか?
考えられてる自分の方なのか、考えてる自分の方なのか
ややこしいな。言語の不完全性を改めて知った。
どっちにしろ、デカルト自身は
「そのように考えている必然的に存在しなければならい何者か」を
「わたし」と定義してるだけで、詳しくは触れてない。
>>271 そうなんだよ。だから「我思う〜」をデカルトは
完全に説明しきれていないと思うんだよな。
273 :
考える名無しさん:04/09/02 02:39
>>264 だから、不完全なデカルトがどうして完全な神を生み出したり、認識出来るのかを
聞いているのです。そのような「完全」自体も矢張り「不完全」に止まるのでは。
「完全」「不完全」の判断基準は、一体何なのですか。
逆に、完全な神を生み出したり、認識出来る人間は、不完全などではなく、完全
とは思いませんか。そもそも、完全・不完全の概念自体、人間が作ったものに過
ぎず、神などとは関係ないものです。
>>273 >「完全」「不完全」の判断基準は、一体何なのですか。
デカルトの言ってる「完全」「不完全」は神との対比ね。
「完全」は「全知全能」みたいな意味で、そうじゃないのが「不完全」。
>不完全なデカルトがどうして完全な神を生み出したり、認識出来るのか
彼は神について考えることと神を生み出すことは別のことにしている。
(=神について考えることは神を生み出すことを意味しない)
だから最初から認識云々は関係ない。
不完全から完全は生まれない、
だから完全が独立して存在しなければならないってだけ。
彼の行った論証↓
1:考える私は存在する。
2:従って、私の考え自体、即ち概念も存在する。
3:次に、私は完全な存在者、即ち神を考えることができる。
4:ところが、私は全てを知っているとは言えない不完全な存在であることは明らかである。
5:不完全なものから完全なものが生み出されるわけはないから、私は神の根拠(神の存在の原因)となることはできない。
6:すると、神は私の存在とは独立自存すると考えざるを得ない。
もちろんこれは、要するに神が存在することを前提としているようなわけだから
突っ込まれてもしょうがない。
>そもそも、完全・不完全の概念自体、人間が作ったものに過
>ぎず、神などとは関係ないものです。
完全・不完全の概念と同様に
神も無形で人間の考え出したに過ぎないものじゃない?
(結局神の定義によるかもしれないけど)
276 :
考える名無しさん:04/09/08 23:37
神は科学的には存在しません。
なぜならば、その存在が立証責任のある肯定側によって未だ証明されていないからです。
277 :
考える名無しさん:04/09/08 23:42
>>276 >神は科学的には存在しません。
存在論的には存在するかもしれないよ。
ハイデガーも言うように一般にいう「科学」は存在者しかとりあつかうことができず
存在者の存在を取り逃がしてしまうからね
278 :
考える名無しさん:04/09/08 23:43
ontological は正しくは「存在論的」なので
このスレでは「神の存在論的証明」について議論すべきのはずだ
279 :
考える名無しさん:04/09/26 20:56:07
ウンチマンは存在します。
主は人間・ウンチを超越しているので
私たちには見えません。
童貞特有のしつこさだね。>ラウンジャー
存在論はインチキです
282 :
考える名無しさん:04/10/09 04:22:00
283 :
考える名無しさん:
Yahoo!掲示板科学哲学カテのウンチマントピックが消えてた