ニガンダ派について

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1考える名無しさん
仏教に似た宗教として、ジャイナ教があります。
ジャイナ教の前身は、ニガンダ派だそうです。
ニガンダ派とは、どのような宗教でしょうか?
仏教哲学、バラモン教哲学とはどのように違うのでしょうか?
2考える名無しさん:04/07/16 20:59
ウガンダ難民
3考える名無しさん:04/07/16 21:01
           ,rrr、
           | |.l ト            /つ))). _ _ _
          ⊂ ヽ | __ ☆   __  _/ 巛   / /-LLl
   /\___/ヽ.`ー   \ | |l / \ __つ /_/ |_|
  / 'ヽ,,,)ii(,,,r''''''´'\/|| ,  \.|||/  、 \   ☆     ロ /l
 .|(◎),ン ,<、(◎)、/  __从,  ー、_从__  \ / |||     /__|
 | `⌒,,ノ(、_, )ヽ,,`、/ /  /   | 、  |  ヽ   |l _ _ _
 .|   ,rェエェ、  (/ )  `| | | |ノゝ☆ t| | |l \   / /-LLl
  \  |,r-r-| ./   `// `U ' // | //`U' // l /_/ |_|
   `ー `ニニ´/   /   W W∴ | ∵∴  |   ロ /l
       /    ☆   ____人___ノ     /__|
      /       /
4考える名無しさん :04/07/16 23:52
ニガンダ派は菜食主義
5考える名無しさん :04/07/21 23:21
ナゾの宗教ニガンダ派は、仏教とジャイナ教の源流?
6考える名無しさん:04/07/21 23:29
7考える名無しさん:04/07/22 03:46
test
8考える名無しさん :04/07/22 23:01
【ジャイナ教】
仏教とほぼ同時代にインドに成立した創唱宗教、ジナ教ともいう。仏教と同じ
く、反ヴェーダ、反バラモン的な思想土壌から生まれた。教祖はマガダのヴァ
イシャーリーに生まれたヴァルダマーナーで、マハーヴィーラ(偉大なる勇者
)と尊称される。六師外道の一人。旧来の宗教宗派であるニガンタ派で修行し
たので、仏典では、ニガンタ=タブッタの名で呼ばれている。クシャトリアの
家で生まれたマハーヴィーラは、若くして結婚し、子をもうけたが、30歳でニ
ガンダ派に出家し、苦行ののち42歳で悟りを得てジナ(勝者)になったとい
う。ジナとは、煩悩との戦いに打ち勝った人という意味である。その後、30
年間にわたり教化につとめ...

 (仏教哲学大辞典 P.762-763)
9考える名無しさん :04/07/24 21:55
ニガンダ派は、バラモン教とジャイナ教・仏教の中間的存在。
10考える名無しさん:04/07/24 22:32
板違いです。
11考える名無しさん :04/07/25 16:27
ジャイナ教の聖典はシッダーンタ (siddhaanta)あるいはアーガマ (aagama)と呼ばれる。
白衣派では、前3世紀ころパータリプトラで開かれた最初の聖典編纂会議で古聖典(14のプッバ (puvva)。
聖典名は俗語形)に関する記憶が集められ12のアンガ (AGga)が編纂されたが、最終的に5世紀ころ
西インドのバラビーにおける編纂会議でまとめられた。
12考える名無しさん:04/07/26 23:47
ニガンダ派は禁欲主義
13考える名無しさん:04/07/27 18:10
>>10
宗教板・ジャイナ教スレ http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1062246066/l50
                                               こっちでつね。
14考える名無しさん :04/07/27 23:32
宗教と哲学はどんな関係でしょうか?
キリスト教哲学、仏教哲学という言葉がありますが。
15三浦 ◆Dshu0PxSp6 :04/07/27 23:39
宗教と哲学は二位一体です。
16考える名無しさん:04/07/28 04:54
インリン?そりゃ、好きですよ。
17考える名無しさん :04/07/28 23:26
コンピュータの技師にはインド人が多い。
18考える名無しさん:04/07/29 08:15
俺はサザビー派
19考える名無しさん :04/07/31 00:35
原始仏教成立の背景に、バラモンを頂点にした思想的、社会的序列の崩壊と、
それに伴う新思想の流行という現象があります。これらは、主に商工業の発
達した都市部を中心として起こった現象です。そして、仏教徒が出家したの
ちも修業を中心にした生活を送れたのは、仏教(および当時の新思想)が豊
かな生活に飽いた新興富裕層の支持と援助を得る事ができたからです。
これは、当時のインドでもごく一部の地域の現象ではあります。しかも、イ
ンドでは結局仏教は衰退してしまいます。が、当時のブルジョアジーたちが
豊かさを越えた価値を求め始めた収束先の一つとして原始仏教があり、これ
は単なる階級制度への否定意識だけでは説明がつかないのではないか、と考
えるのです。
インド思想に多く見られる超越存在への帰依、という点についてです。
20考える名無しさん :04/07/31 12:31
超越存在って何ですか?
21考える名無しさん:04/07/31 14:23
かみさまのこと
22考える名無しさん :04/08/01 10:53
王舎城[おうしゃじょう]に阿闍世[あじゃせ]という王がいた。悪い仲間にしたがい、
この世のさまざまな欲望にとらわれ、その楽しみにふけって、罪もない父の王を非道
にも殺害した。父を殺したことにより、後悔の念にさいなまれ、熱を出し、できもの
が全身にできて苦しむことになった。 このとき、部下の大臣たちは、懺悔することを
勧めず、唯、六師外道の教えに従がうことを勧めたことであった。 このとき部下の大
臣たちが阿闍世王にすすめた六師外道の教えは次のようなものであった。
(『顕浄土真実教行証文類』信文類三(末) 逆謗摂取釈【115】より)
◆ プーラナ・カッサパ(道徳否定論) [不蘭那(不蘭迦葉)]
六師のひとり富蘭那に教えを乞うよう月称大臣は勧めた。「いつも愁え苦しんでいる
と、愁えはだんだん増すものである。人が眠りを好むなら、眠りはますます多くなる。
色を好み酒を好むこともまたこの通りである。《世の中には五種の悪人がいて、その
ものは地獄におちることは免れない》というが、誰か地獄を見てきて王に申しあげた
のか。
富蘭那は『悪い行いというものはないから、悪い行いの報いもない。善い行いもない
から、善い行いの報いもない。すなはち善い行いも悪い行いもないのであるから、善
い行いや悪い行いの報いもないのである。行いにすぐれているとか劣っているとかは
ないのである』といっているとして、王に富蘭那のもとにいくことを勧めた」
富蘭那は善悪の区別は人が仮に決めたもので真実には存在しないものであり、業に対
する応報も否定した「道徳否定論者」である。
http://www2.big.or.jp/~yba/teach/mizutani202.html
23考える名無しさん:04/08/01 12:17
なぜプーラナ・カッサパ? ニガンタも書いておけよ

◆ ニガンタ・ナータプッタ(自己制御説、ジャイナ教開祖) [尼乾陀若提子(尼乾子)]
 無所畏という大臣はジャイナ教の祖ニガンダ・ナータブッタの教えを勧めた。
 このジャイナ教は仏教と同じ時代にうまれともに並んで発展したバラモン教以外の
二大宗教の一つである。色々の面で仏教に通づることが多い。違いは一言で言うことは
難しいがきわめて厳しい修行、一切の世俗を離れ欲望を捨て托鉢・乞食の遊行生活者である。
不殺生・不妄語・不盗・不淫・無所有を絶対的に守る。ことに徹底した不殺生主義を守り、
道を歩いても小虫を踏むのを恐れ掃きながら歩き、空中の虫を吸い込まないためマスクをするなどである。
 断食も徹底した断食行であり、それで死に至ればかえって称賛されるほどのものである。

 阿闍世王に対し無所畏大臣がニガンタ・ナータブッタの教えをどのように勧めたのかは引用れていない。
教行信証には、ただ《いま大師あり。ニケンタニャケンシとなづく》とのみある。(※註:[六師外道の思想について] 参照)

 仏教以外の六師外道と呼ばれる人の教えは、阿闍世王の苦しみ、悩みを解決するものではなかったことを
釈尊は涅槃経に説き示されていることである。
 お釈迦さまは、縁起の法をさとられ、この世に仏の法、真実の法を説かれました。六師の考え方は
因果の法とは相容れないものがあります。

24考える名無しさん :04/08/02 23:30
すべては、幻だとプーラナ・カッサパは言ってるんですか?
25美麗島の名無桑:04/08/03 23:25
◆ マッカリ・ゴーサーラ(宿命論的自然論) [末伽梨拘シャ梨子(末迦梨瞿舎利)]
蔵徳大臣の勧め
阿闍世王は「父や母、仏やその弟子に対して善くない心を起こし、悪い行いをしたこ
とで無間地獄におちる」ことを恐れおののいていた。その王に蔵徳大臣は宿命論者の
ゴーサーラの「人間のみならず一切の生きとし生けるものが輪廻の生活をしているの
は、無因無縁であり、かれらが清らかになり解脱するも無因無縁である。彼らの生存
状態は自分がつくりだしたのでもなく、他のものがつくりだしたのでもない。かれら
には支配力もなく意志の力もなく、ただ運命と出合いと本性に支配されて、いずれか
の状態で苦楽を享受するのであり、人間の意思にもとづく行為は成立しない。」とい
うものに立脚し、「法というものには二通りある。一つには出家の法、二つには王法
である。王法とは自分の父を殺してすなはち国の王となることです。これは逆罪とい
われてもその実は罪ではない。王に罪はない、悩むことはない」とし、ゴーサーラに
師事することを勧めた。
※註(ゴーサーラはアージヴィーカ教の開祖といわれ、托鉢遍歴者の団体とされている。
 釈尊の時代には相当の勢力を持っていたとされるが、後にジャイナ教に吸収された
 という。)
http://www2.big.or.jp/~yba/teach/mizutani202.html




26考える名無しさん :04/08/04 23:24
マッカリ・ゴーサーラは自分は救われると信じるように言っています。
27考える名無しさん :04/08/05 23:58
インドのように日本は凄い。
28考える名無しさん :04/08/07 11:53
◆ サンジャヤ・ベーラッティプッタ(懐疑論、不可知論) [刪闍耶毘羅胝子(散
  若夷毘羅梨沸)]
實徳という大臣は「すべての衆生には、過去になした行いのうち、まだその結果が現
れていないものがあります。それが縁となって生死を繰り返すのです。若し父の王が
過去の世になした行いが元になって死ぬのであれば、いま、王が先王を殺したといっ
ても王に何の罪がありましょうや。」と。
この考え方は、サンジャヤ・ベーラッティブッタに代表される思想で、懐疑論者とか
不可知論などと呼ばれ、かって舎利弗や大目健連はその弟子であったが、のち同門の
二百五十人とともに釈尊の教えにしたがったという。
「この《真理をありのままに認識し叙述することは不可能であるとする不可知論》、
あるいは懐疑論をのりこえ現れ出たのが仏教という新しい思想運動であった」中村元
先生は言及されている。

29考える名無しさん :04/08/08 09:22
原始仏教では、在家のとき所属階級がなんであろうと、出家集団の一員としては、他
の出家とまったく平等に扱われた。釈尊は、同時代に活躍したある教団の指導者サン
ジャヤに似て、経験的事実に基づかない形而上学的な質問には沈黙を守り、また形而
上学的な議論に没頭している当時の多くの思想家達を批判した。ただし、釈尊はサン
ジャヤのような極端な不可知論者ではなく、経験的事実に基づく議論は大いに展開し
た。「四聖諦説」の原型になる議論など、その好例であり、そこで釈尊は、渇愛と苦し
みとの因果関係を明確に説いている。サーリプッタを筆頭に、250人もがサンジャ
ヤのもとを去って釈尊の門下に入ったのは、釈尊がただの不可知論者ではなく、因果
を説くということにもひかれてのことであったという。釈尊の存命中、あるいはその
直後ぐらいまでは、完全な智慧を得て解脱したものは、皆ブッダと呼ばれたことは、
古いジャイナ教の文献からも知られる。
30考える名無しさん :04/08/09 22:59
お釈迦さまは、サンジャヤ派を乗っ取ったわけですね。
31考える名無しさん :04/08/11 23:22
◆ アジタ・ケーサカンバラ(唯物論、快楽論) [阿耆多翅舎欽婆羅]
悉知義大臣の勧め
「その昔、羅摩という王がいた。その王は父を殺して王位についた。たくさんの王が
父王を殺して王位についたが、地獄に堕ちてはいない。
その王たちの誰一人、愁え悩んでいるものはない。地獄や餓鬼や神々の世界などとい
うが誰も見たものがない。この世の生には二つしかない。一つは人間、二つには畜生
である。この二つがあるが、人間・畜生として生まれ死ぬことは因縁によるのではな
い。因縁によるのでなければ、どのように善・悪があるというのか。」と唯物論者ア
ジタ・ケーサンバリンの教を説いて父殺しに悩み苦しむ阿闍世王に邪道を勧めた。仏
教に対し断見・断滅論といわれる邪見がある。アジタはこの断見すなはち道徳否定論
を唯物論で哲学的に補強した人である。

32考える名無しさん :04/08/12 23:37
仏教 サンジャヤ派吸収
ジャイナ教 アージヴィーカ教吸収
33考える名無しさん :04/08/15 14:34
◆ パクダ・カッチャーヤナ(無因論的感覚論、七要素説) [迦羅鳩駄迦旃
  延(婆浮陀迦旃那)]
吉徳大臣はこのように勧めた。
「地獄とはどういうものか、《地》とは大地のことであり、《獄》とは破るこ
とです。地獄を破っても罪の報いはありません。また、《地》とは人間、《獄》
とは神々のこと。父を殺すことによって人間や神々の世界に生まれます。婆蘇
仙人は『羊を殺して人間や神々の楽しみを得る』といっています。また、《地》
とは命のことであり、《獄》とは長いということ。生き物を殺すことで長い寿
命を得るのです。このようなことであるから、地獄というものは実際にはあり
ません。地獄を殺せば地獄に生まれ、人を殺せば人に生まれる。そもそも殺す
ということはないのです。もし不滅の実体というものがあるなら、それを殺す
ことはできない。
もし不滅の実体がないなら、それが殺されることもない。不滅の実体というも
のがあればそれは常に変わらない。変わらない永久の存在であるから殺害する
ことはできない。 破られても壊されず、つながれても縛られず怒りも喜びもな
いのはちょうど虚空のようである。また不滅の実体というものがなければ、す
べてのものは無常であり、一瞬一瞬に滅びる。すべては一瞬一瞬に滅び去るの
であるから、殺したものも殺されたものも一瞬一瞬にほろびさる。もし一瞬一
瞬に滅び去るなら誰に罪が在ろうか。」
この考え方は、パグタ・カッチャーヤナの唱えたもので、「すべてのものは七
つの集合要素から構成され、創造されたものでもなく、堅固に安定し、これら
は動揺せず、変化もせず、人間各個人はおのような要素の集合体であり、一人
の個人が他の個人を苦しめ、あるいは楽しませることもない」というものであ
る。 ついには『殺すものも殺されるものもない聞くものも聞かしめるものもな
く、識別する者も識別される者もない。利剣をもって頭を絶つともこれによっ
て何人も何人の生命を奪うことはできない。ただ剣の刃が七つの要素の間を通
過しただけである.』という奇妙な論理が導かれることになったという。

34考える名無しさん:04/08/15 14:47
s
35考える名無しさん :04/08/16 23:33
紀元前一二〇〇年頃に成立したと考えられるインド最古の聖典『リグ・ヴェー
ダ』の第十巻に含まれる、数篇の宇宙開闢の讃歌では、宇宙の創造に関する様
々な考えが提示された後に、神々すらも創造の所産であると明言され、最後に
、神に対する懐疑的な述懐が述べられている。この讃歌に、多くのインド哲学
史家は、インドにおける神話から哲学への移行の端緒を見いだすのである。
紀元前六世紀頃、ウパニシャッド時代になると、「梵我一如」という、宇宙原
理ブラフマン(梵)と個体原理アートマン(我)の等置、神秘的同一化の知を
追求する神秘主義的哲学が成立した。だが、その一方では、「業報・輪廻」と
いう新たな神話が登場し、これよりの解脱がこれから後インドのすべての宗教
・哲学に共通の課題となった。紀元前六〜前五世紀頃になると、仏教・ジャイ
ナ教などの非正統的な沙門教団が、バラモン教に勝るとも劣らない支持を受け
、影響力を及ぼすようになるのであった。

36考える名無しさん :04/08/17 23:32
バラモン教とヒンズー教はどう違うのでしょうか?
37考える名無しさん :04/08/18 23:44
バラモン教が仏教などを取り入れて、ヒンズー教になった。
38考える名無しさん :04/08/19 23:24
自己とは何か、本当の自分とは何か、という疑問を持つところにインド哲学
のはじめがあると思います。このふだん何気なく、意識することも稀な自分と
いう問題、しかしこの自分とは別に、この一人称の自分、あなたや彼、あるい
はその複数形と並べて存在する一人称の私、決して複数形にはならない私、と
は別に自己の深層心理、最奥に真実の自己が存在するとインド哲学は教えてい
ると思います。この最奥の自己は大宇宙と等しいといわれます。その自己の大
きさは無限大といわれます。このことは日常的思考をはるかに超越した、日常
的には全く考えられないことです。そんなバカな、寝ぼけたことを言うな!と
怒鳴る人もあるかもしれません。しかし、日本の密教という仏教ではこのこと
を「梵我一如と呼び」仏道修行の最高目標にしているのです。密教という仏教
が日本では一番インド色の強い宗教になると思います。
 この最奥の自己をインド哲学ではアートマンと呼び習わしています。ですか
ら、インド哲学とはアートマンの思想とも位置づけられたりしていると思いま
す。
39考える名無しさん :04/08/21 01:30
アートマンとは何ですか?
40考える名無しさん:04/08/21 01:52
アートマンって小宇宙だったっけ?
41考える名無しさん :04/08/22 15:11
ブラフマン(梵)は神なのでしょうか?
42考える名無しさん :04/08/25 00:05
仏教の土台にインド哲学がある。
43考える名無しさん :04/08/25 21:33
ジャイナ教は、仏教のような大乗仏教という改革運動やヒンズー化=密教と
いうものがなかった。ずっとそのままの教えを守った。


44考える名無しさん :04/08/26 23:55
ニガンダ派というからには、どこかの分派のはずですが。
45考える名無しさん :04/08/28 01:02
バラモン教でしょうか。
46考える名無しさん :04/08/28 22:18
輪廻転生、解脱、不殺生など、インド宗教特有の世界観がある。
われわれが認識する世界は幻影(マーヤー)にすぎない。
なぜなら、あらゆる事物は唯一の真実であるブラフマン(宇宙の最高原理)が
さまざまに姿を変えたものだからである。
ひとびとは不幸から逃れるために、ブラフマンと一体化することを願う。
ヒンドゥー教の基本的な考え方によれば、人生は一回限りではなく、
生死は永遠に繰り返されている。
相反する性質を持つ3種類のグナ(純質・激質・闇質)の均衡が破れると、
再生が開始される。
逆にその3つが完璧なバランスを保っていれば、永遠の休息が約束される。
47考える名無しさん :04/08/29 21:13
ブラフマン(宇宙の最高原理)とは何でしょうか?
48考える名無しさん :04/08/30 23:15
バラモン教は、ゾロアスター教の影響を受けていますか?
49考える名無しさん:04/08/31 23:16
反ヴェーダ、反バラモンがニガンダ派
50考える名無しさん :04/09/01 23:17
お釈迦さまの説いた教えは、「不平等への反発から生まれた社会運動」などで
はない。もっと根本的な、人間の心の奥底にあるものをとことんまで追究する
ダイナミックな教えだ。そして、バラモン教に反対するというようなチンケな
ものではない。お釈迦さまはバラモン教のすべてを修め、当時最高の行者たち
の境地を体得し、そしてそれを超える境地に至ったのである。つまり、ブッダ
の教えとバラモン教は本来、矛盾したり敵対したりする教えではない。
お釈迦さまは、「解脱」と「悟り」を説いた。教科書的な解説(あるいは日本
仏教解説書)ではなぜか「悟り」ばかり強調されて「解脱」は無視されがちで
あるが、お釈迦さまはこの二つの教えを説いた。それは、この現世における幸
福、欲望を超越していく教えである。
宗教といえば現世御利益、弱い者がすがるもの、苦しいときの神頼み、といっ
たイメージがあったが、本来の仏教、ブッダが説いたそのものの教えは、それ
とはまるで逆のものだった。現世の幸福は本当の幸福ではない。欲望を満たす
のではなく、欲望を超越していくことが本当の幸福につながる――まさに「幸
福」の定義そのものの逆転だ。

51考える名無しさん :04/09/02 23:21
バラモンと共存ですか。
52考える名無しさん:04/09/02 23:24
自然科学に依存しない仏教哲学って凄い。
53考える名無しさん:04/09/02 23:39
西洋哲学は進歩史観という強迫観念に取り憑かれてるから
54考える名無しさん :04/09/04 00:54
インドのゼロの概念は、ヨーロッパにはなかった。
55考える名無しさん :04/09/05 11:35
ジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、それまで伝統のティルタンカラの最後の
24人目として認定された。ティルタンカラ自身はヴェーダの宗教の一部であっ
たと思われる。マハーヴィーラが24人目のティルタンカラの生まれ変わりであ
ると認定された後は、ジャイナはバラモン教から独立したと思われる。
56考える名無しさん :04/09/06 23:42
インドは神秘的ですね。
57考える名無しさん :04/09/07 22:59
マハーヴィーラは、パーサの「4戒」を不殺生・真実語・不盗・不淫・無所有
の五つの制戒に改め、これに懺悔を伴わせてニガンタ派の教義を改革した。
58考える名無しさん :04/09/08 23:00
ニガンタ派というのはバラモン教よりも禁欲的な宗教なのでしょうか?
59考える名無しさん :04/09/12 08:53:47
チベット仏教以前に生まれ変わりという信仰があったのですね。
60考える名無しさん :04/09/15 23:00:13
神戸にジャイナ寺院があるよ。いいとこ。
多分、あまりに厳しい教えだから、現世利益に慣れていて特に生まれ変わりを
苦と考えない日本人になじまなかったのでしょう。あれは、生まれ変わることが
大変な苦であり、地獄だと感じていないと従えないから。日本は阿弥陀信仰が
強いから、死んだらさっさと極楽に迎え入れられる感覚がある。だから、自分で
業を消滅させていく必要を感じなかったんだろう。
61考える名無しさん :04/09/16 23:48:09
神戸に合ってる感じがしますね。
62考える名無しさん :04/09/17 23:49:49
マハーヴィーラの改革で完成したのでしょうか?
63考える名無しさん :04/09/18 22:16:03
厳しい戒律を守っていたのですから、人間の本性を悪と考えていたのでしょう。
64考える名無しさん :04/09/19 22:07:12
仏教とジャイナ教の関係、興味深いですね。
65考える名無しさん :04/09/20 20:34:53
インドの宗教は、自分の限界に挑戦するといった感じですね。
66考える名無しさん :04/09/23 00:00:10
ジャイナ教の修行法と仏教の修行法も似ているのでしょうか?
座禅、滝行は共通のようですが。
67考える名無しさん:04/09/23 01:22:05
面白くて、ためになるね、このスレ。

見つけてよかった…。
68考える名無しさん :04/09/25 11:34:19
ジャイナ教(Jainism)

前447年に72才で没したマハーヴィーラ(Mahavira)によって開かれた宗教。既
にインドで起こっていた出家主義の宗教が後世に発達したもの。マハーヴィーラは煩
悩に打ち勝った者の意であるジナ(Jina)とも呼ばれた。ジャイナ教の名称はこのジ
ナから来たもの。

教理:宇宙を構成する基本的実在体(atthikaya)を5種あるとする
1)運動の条件(dhamma)
2)静止の条件(adhamma)
3)虚空(agasa)
4)物質(poggala)
5)霊魂(jiva)

霊魂は無数に存在し、生命のごときもので、感覚器官を有し活動性を持つ永遠の実体。

輪廻を繰り返すが、解脱の状態で死んだ時には霊魂は本来有する上昇性によって上昇
し、最高の世界に赴き再び、輪廻することはない。行為の果報に応じて霊魂に業が付
着し輪廻は起こる。従って輪廻から解脱するためには霊魂に業が付着しないように、
またすでに着いている業を取り除かなければならない。そのために禁戒を守り苦行を
実践しなければならないとされる。

69考える名無しさん :04/09/28 14:31:14
最高の世界は、天国ですか?
70考える名無しさん :04/10/02 01:01:36
『岩波仏教辞典』(岩波書店)の「六師外道」の項には、
「仏陀(釈尊)とほぼ同時期の紀元前5−6世紀頃、ガンジス河中流地域のマガダ
地方を中心に活躍した6人の自由思想家を総称した呼び名」とあり、その6人とは、
プーラナ・カッサパ(道徳否定論) [不蘭迦葉]
マッカリ・ゴーサーラ(宿命論的自然論) [末迦梨瞿舎利]
アジタ・ケーサカンバラ(唯物論、快楽論) [阿耆多翅舎欽婆羅]
パクダ・カッチャーヤナ(無因論的感覚論、七要素説) [婆浮陀迦旃那]
サンジャヤ・ベーラッティプッタ(懐疑論、不可知論) [散若夷毘羅梨沸]
ニガンタ・ナータプッタ(自己制御説、ジャイナ教開祖) [尼乾子]
だとし、「かれらは、その時代に先立つバラモン教の祭祀・供犠の宗教を批判し、
ヴェーダ聖典の権威を否認し、否正統的で自由奔放な考え方をしたので、自由
思想家群と呼ばれる。
 なお、六師の配列やその思想内容は資料によって錯綜するが、その第一資料
『沙門果経』(長部1−2)は、仏陀時代の思想家たちを知る上で重要である」
71考える名無しさん :04/10/03 21:26:45
宗教家でもあり、自由思想家でもあったんですね。
72考える名無しさん :04/10/05 23:18:54
インド哲学は難解ですか?
73考える名無しさん :04/10/06 22:57:24
岩波仏教辞典では、尼乾子(ニガンタ・ナータプッタ)をジャイナ教
の開祖としているが、ジャイナ教教徒は中興の祖と考えている。
これがややこっしい。
74考える名無しさん:04/10/07 23:03:40
ニガンダ派はいつから存在したのでしょうか?
75考える名無しさん :04/10/10 07:45:14
ニガンダ派は謎の集団?
76考える名無しさん :04/10/12 22:47:20
謎は謎のまま
77考える名無しさん :04/10/13 22:54:02
ニガンダ派はジャイナ教以外に影響を与えた。
78考える名無しさん :04/10/16 19:16:50
仏教の開祖仏陀(釈尊)と粗同時期の紀元前六〜5世紀のかけて活躍したマハー
ヴィーラ(大勇)本名ヴァルダマーナを開祖とするインドの宗教で、仏教とは異
なり、インドから外に広まることはなかった。マハーヴィーラはガンジス川中
流域に位置するヴァイシャーリ市郊外の村で、王族階級の子として生まれ結婚
もしたが、30歳で出家し、12年間の苦行の末に窮極の知慧を得て「すべてに打ち
勝ったもの」(ジナ、勝者)となった。ジャイナ教の名称は「ジナの教えに従うも
の」の意味である。マハーヴィーラは、それまでニガンダ派に属していたので、
古い仏典には仏教誕生当時の有力な教団の指導者として登場する。マハヴィー
ラはニガンダ派の教えからジャイナ教を創ったと考えられる。
http://www.page.sannet.ne.jp/m-kensuke/rel15.htm
79考える名無しさん:04/10/17 09:43:43
ニガンダ派は、禁欲を説く。
80考える名無しさん :04/10/23 13:23:13
インド哲学における霊魂の生まれ変わりの中心的な概念として輪廻転生があ
ります。ヒンドゥー教やジャイナ教においては、魂の軌跡と言われる。魂は
自己意識と至福の本来の状態から落下すると、その魂が過去の行為の束縛
(karman)からの解放(moksa)を成し遂げるまで、さまざまな生物に生ま
れ変わり続けるというものです。仏教は、永遠不変の魂の存在を認めないが、
生まれ変わりの過程を経験する準永遠の自己の核というものは認めている。
81考える名無しさん :04/10/24 21:15:08
難しい。
82考える名無しさん:04/10/25 03:51:51
日本にジャイナ教徒って居るの?
83考える名無しさん :04/10/25 21:30:43
神戸にいるらしい。
84考える名無しさん :04/10/30 10:26:47
魂と精神は、共通?
85考える名無しさん :04/10/31 09:43:29
古代インドの正統宗教ですが、紀元前6世紀ころからヴェーダ聖典の権威に拠
らない新しい自由な思想が興ってきます。唯物論、懐疑論、運命論などさまざ
まですが、この中に仏教やジャイナ教があります。また、古代インドでは哲学
は宗教と不可分の関係にあり、ダルシャナと呼ばれています。主要な哲学学派
に六派哲学と総称されるサーンキヤ、ヨーガ、ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ、
ミーマーンサー、ヴェーダーンタなどがあって、それらの思想研究も大きなテ
ーマです。またバラモン教の後に発達したヒンドゥー教と総称される宗教には
ヴィシュヌ教、シヴァ教などの区別があり、中世以後さらにそれぞれに多くの
派が成立し、またタントリズムも興起して来ます。これらがすべてインド哲学
と総称され、広くインド学とも称されて、研究対象とされています。
86考える名無しさん:04/11/01 00:10:13
age
87考える名無しさん :04/11/03 14:48:19
輪廻転生を認めるインド人は、生き物すべてを平等に見るとよくいわれるが、それは
、宗教的感覚としてのことであり、哲学ではそのようなことはない。インド哲学では
、絶対最高神すら押しのけて、人間だけが自由であり、よって輪廻から解脱できるの
も人間だけだとする。それはもう強烈なまでの人間主義なのである。
88考える名無しさん :04/11/06 21:39:59
ニガンダ派はジャイナ教に発展。
89考える名無しさん :04/11/09 23:46:10
インド哲学と西洋哲学では、自由の捉え方が違いますね。
90考える名無しさん :04/11/10 23:09:11
生きることの意味も違ってきます。
91考える名無しさん :04/11/14 13:31:59
インドでは古来、解脱を求めてきました。学問もヨーガも修行も、解脱のため
のものとして規定されます。
解脱とは何でしょうか。一説には「この世の苦しみの全くない状態」とされ、
また一説では「至上の歓喜」とされます。
前者では苦しみがない代わり楽もない、無感覚な状態。要するに、石ころにな
るということです。それでも、幸せが不幸と結びついたこの世にうんざりした
人はこれを求めるといいます。
後者では、この世で経験したこともないような素晴らしい状態。そしてそうい
う解脱を希求する気持ちは世俗的でよこしまな欲望と区別され、高尚なものと
して肯定されます。

92考える名無しさん :04/11/17 23:17:33
インドは、禁欲的なんですね。
93考える名無しさん :04/11/20 20:59:31
インド哲学は深い。
94考える名無しさん :04/11/21 14:16:46
在家者は五つの小誓戒(アヌブラタ、aNuvrata)を守る。他宗教と比べて特徴的
なのは(5)の無所有(アパリグラハ、aparigraha)であり、とくに裸行派の伝統
に強く生きている。
(1)の誓戒、アヒンサーの厳守はもっとも重要である。ジャイナ教はあらゆる
ものに生命を見いだし、動・植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気
にまで霊魂(ジーバ)の存在を認めた。したがってアヒンサーの誓戒のために
、あらゆる機会に細心の注意を払う。空気中の小さな生物も殺さぬように白
い小さな布きれで口をおおい、路上の生物を踏まぬようにほうきを手にした
僧尼の姿は、アヒンサーの徹底ぶりを象徴している。食生活はジャイナ教の
生物の分類学上、できる限り下等なものを摂取すべきであり、球根類、はち
みつなども厳格なジャイナ教徒は口にしない。
95考える名無しさん :04/11/23 00:42:53
ニガンダ派は、インド哲学の正統派ですか?
96考える名無しさん :04/11/23 17:55:55
何のため人は生きるのか。
97考える名無しさん :04/11/25 23:49:36
インド哲学では、社会を苦しみを捉える?
98考える名無しさん :04/11/27 01:08:08
何のために生きるか。 死ぬため。
99考える名無しさん :04/11/27 15:55:28
ジャイナ教の名称は「ジナの教えに従うもの」の意味である。マハーヴィーラは、
それまでニガンダ派に属していたので、古い仏典には仏教誕生当時の有力な教
団の指導者として登場する。マハヴィーラはニガンダ派の教えからジャイナ教
を創ったと考えられる。マハーヴィーラは不定説を主張した。すなわち、いか
なる事柄についても一方的、断定的な判断を下すべきではなく、必ず「ある点
からすれば」(スィヤート)という限定をつけて、ものごとを多面的に見ていか
なければ真実にはいたらないとした。
100考える名無しさん:04/11/27 17:00:59
何気に100いただきますた
これは偶然でしょうか、必然でしょうか?