69 :
考える名無しさん:05/01/07 08:08:32
超越論的観念論としてのコギト
最近この人の本読み始めたんだけど、中島さんの言ってる事って
加藤諦三とか美智子交合に似てるんだけど。。。。
中島氏自体が、なんか嘘くさくて欺瞞的で、自伝的自己分析的
記述もかなり脚色されてる感じがする。
うーん、ピューン!------Eだ!
加藤諦三とは全然違うだろ
72 :
考える名無しさん:05/02/23 01:11:55
age
73 :
考える名無しさん:05/02/23 01:39:32
加藤諦三とか、なつかしいな。
高校の時、ちょっとハマったよ。
実際はうるさいおっさんだよ。
75 :
考える名無しさん:2005/03/28(月) 01:57:47
倫理は超越論的である。
ならば論理も数学も超越論的でなければならない。
76 :
考える名無しさん:2005/03/28(月) 21:34:03
論理も数学も超越論的なの??
何一点のかさppありわかんえ。
78 :
考える名無しさん:2005/05/09(月) 07:01:38
良く無くなんないねこのスレ
79 :
考える名無しさん:2005/06/01(水) 14:53:37
よくなーれ
80 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:18:50
sdfh
81 :
考える名無しさん:2005/06/30(木) 03:15:06
82 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 00:57:38
83 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:43:27
9l;
84 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:34:34
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050831 ちなみに私が書評(酷評、『文藝春秋』2001年11月号)した『僕は偏食人間』に出てくる、電車内の携帯電話使用を注意したら「あなたは誰にでもそうやって注意するんですか」と言われて「そうです」と言った、という箇所、
私は、もしそうなら屈強な男に中島はボコボコにされているはずだ、と書いたのだが、中島から手紙が来て、「その時の気分に応じて誰にでも注意する」のだとあった。
嘘つき。
あげくその女子高生が「面白そうな人なので連絡先教えてください」と言ったなどというのは実に嫌らしい自慢話で、私はこの本を読んだ時から、中島をペテン師だと思っていたのである。
中島よ、某社の某編集者はあなたのおかげで本当に困っていたぞ。もっともあなたはそういうトラブルも書いて、自分はその後で仲直りするのがうまい、などとしゃあしゃあと書く御仁である。
私と仲直りするのは不可能だよ。 (小谷野敦)
你是愛人嗎?
86 :
考える名無しさん:2005/10/14(金) 09:42:18
『働く事がイヤな・・・』はもう4年も前に出版された本だが、
今でも読めるな。
一般論ではあるが、ヒントを得る事はできた。
結局、自分の情けなさを認め、とにかくどんな仕事でもやらなきゃ、
貨幣経済の社会では餓死してしまうという事なんだよな。
プライドが高すぎる、と。
合わなきゃ辞めればいい。俺の人生だ。
87 :
考える名無しさん:2005/10/14(金) 09:51:24
「カントの人間学」それなりに面白い
88 :
考える名無しさん:2005/10/14(金) 10:19:02
中島はヤスパースについて言及しているのかい?
俺はハイデガー以上にヤスパースを評価しているのだが。
この人は現象学には興味がないだろう。
>>89 ランベルトについて論文書いてるくらいだし、興味はかなりあるでしょう。
91 :
考える名無しさん:2005/10/18(火) 23:33:57
博報堂大学・教授。
92 :
考える名無しさん:2005/10/22(土) 23:05:57
野口悠紀雄より、はるかに共感できるな
93 :
考える名無しさん:2005/10/23(日) 20:35:11
『カイン』が新潮文庫に収められましたよ。
明日、買おっと。
既出の話題で単なる自分の近況報告はsageでやれ。
どうせ死んでしまう・・・は
まだですか?
96 :
考える名無しさん:2005/10/28(金) 23:54:23
Coming soon.
Just around the corner.
そう、死ぬの.....
98 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 23:43:25
age
99 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 20:35:51
今日の夜12時から81.3FM J-WAVEで一時間喋るよ
よしみっちゃんにさわられたい・・・
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|| ( 人____) | ( )
|| |ミ/ ー◎-◎-)| (ヽミ |
|| (6 ゜(_ _) )|. ( 6) |
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|| / ( )) ))ヽ| ( )) |三| ヾ
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(_)\|三三三三三
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( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) ) 生きろ・・・キミは美しい
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[]___.| | 義道命 ヽ
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よしみっちゃんにさわられたい
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( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) )
__| ∴ ノ 3 ノ
(__/\_____ノ
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[]___.| | 義道命 ヽ
|[] .|_|______)
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よ し み っ ち ゃ ん に
お 姫 様 だ っ こ さ れ た い
ア ン ナ コ ト や コ ン ナ コ ト さ れ た い
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( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) )
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[]___.| | 義道命 ヽ
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中島義道 年表 --- 『孤独について』(中島義道,文春新書)から作成した.
西暦 年齢 できごと 出典
1946 0 福岡県門司市に生まれる. p.23
終戦後 ? 住居が世田谷区尾山台,品川区大井町,大田区馬込と移る. p.27
1952 6 大田区立馬込第三小学校入学. p.28
1952 6 川崎市中原区に転居. p.29
1956 10 宇宙の写真を見て,世界観が固まった.
1961 15 東京教育大学附属駒場高校を受けて,落ちた.神奈川県立川崎高校に入学. p.34
1965 18 東京大学文科I類入学.深刻なノイローゼに陥った. p.36
1966 19 法学をやりたくないことに気付いた.哲学をしたくなった.それを遠回しに父親に相談した. pp.36-7
1966 19 留年するために,ドイツ語の試験を回避した.すぐに後悔して担当教官に相談したが,結局留年した. p.39
1967 20 教養学部教養学科科学史科学哲学専攻に進学した. p.40
1968 21 大学の講義についてゆけなくなった.大学に行かずに家で眠り続けた. p.42
1968 21 駒場の保健センターで鬱病の診断を受けた. p.48
1968 21 勉強を再開した.物理学を習得した. p.50
1969 22 理学部で物理学の講義を受けたが,理解できなかった.再び留年した. p.94
1971 24 本郷の哲学科の大学院に進学した. p.94
1973 26 三修社でアルバイトした. p.97
1973 26 Dリサーチ入社. p.98
1973 26 再び引きこもって,寝てばかりいた. p.99
1973 26 自殺未遂. p.101
1973 26 大学院自主退学. p.103
1974 27 東大法学部学士入学. p.106
1976 29 哲学科修士課程復学. p.108
1977 30 哲学科修士課程修了. p.108
1977 30 予備校の英語講師になった.
1977 30 東海大学海洋学部に,ドイツ語の非常勤講師として採用された. p.109
1978 31 東海大学から解雇された. p.109
1978 31 ウィーン大学基礎総合科学部入学. p110
1979 32 ウィーンの日本人学校中学部の英語教師に採用された. p.116
1980 33 結婚. p.117
1983 36 ウィーン大学博士課程修了. 裏表紙
文系の人間は、99%以上が脳が腐っていて論理的な考え方ができない。
数学的な思考も出来ないし、物理学、自然科学も全くの無知。(例:中沢新一、上野千鶴子、小谷野敦)
そういう糞と接しても「馬鹿な日本人はこういう考え方をするのか」という事しか得るものがない。
物事を考える(哲学する)点から見ると、理系の学生の方が はるかに中島にとって面白いのでは?
「脳が腐ってい」ない文系が1%しかいないような
異常な大学にいる奴は理系でも「脳が腐ってい」るんだろうね
107 :
考える名無しさん:2006/03/23(木) 21:01:01
自我論age
108 :
107:2006/03/27(月) 04:36:23
自我論sage
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) )
__| ∴ ノ 3 ノ
(__/\_____ノ
/ ( )) )))
[]___.| | 義道命 ヽ
|[] .|_|______)
\_(__)三三三[□]三)
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109 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 20:25:15
中島さんはテレビとかにでないのかな?
出ないよ
よしみっちゃん60歳突入オメ(n‘∀‘)η
112 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 17:57:45
1人が好きなのに、なぜ結婚したのだろう?
113 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 03:54:51
本を読め
114 :
考える名無しさん:2006/10/13(金) 21:28:28
せっかくだから、もっと論じ合おうじゃないか。
カントの「純粋理性批判」の手引書としての、中島
の「カントの自我論」理由もなくこの世の生を受け、
どうせそのうちに死んでしまう。この「私」とはなん
なのか。ごまかさずにこの手引書をもとに考えよう。
まず、この手引書の用語解説から行くかい。
目次
序章「世界は私の表象である」
(超越論的観念論とはなにか)
1章私は思惟する
(「統覚」とはなにか)
2章私は存在する
(「私の身体」=「この身体」とこころ)
3章私は自己を知る
(「直観の形式」、自己触発、想起作用)
4章私は個人史をもつ
(内的経験=私の固有の過去)
終章私の表象の限界とその「そと」
(私は私の存在を私の存在で支えている。存在の底はない。
ここから「存在と時間」へ、つまりはハイデガーか?)
[332] 宇根康裕(うねやすひろ)君とのやりとりの文を載せます。私の「ヨーロッパの近代と、近代思想について」論です。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2006/09/02(Sat) 07:35:50
http://snsi-j.jp/boards/sample1/89.html 1776年に創設した、神学者(宗教学者)のアダム・ヴァイスハウプトは、「カントに反対して、ジョン・
ロックの思想に賛成した神学者である」と説明されている。この一行の重さを分かる人は、ヨーロッパ近代
というものの重みが分かります。それが分からない人が、何を言っても無効です。
ですから、日本人として、はじめて、私は、ついに、カントを読み解いた(読解した)のだろうと、思います。
どんな日本人を相手にしても、全て私が説明し尽くすでしょう。
ですから、理性と合理のユダヤ思想に、新教徒(プロテスタント)思想が、敗北したので、そのことを指して、
マックス・ヴェーバーが、『プロテスタンティズムの倫理と近代資本主義の精神』(1904年)を書いて、
このことを説明したのです。
それで、キリストの愛の思想を裏切って棄てた、ヨーロッパの「理性と合理」の知識人たちは、もはや、「愛」
は問題ではなく、「倫理」と「道徳」(すなわち、社会秩序、支配の正統性、体制の擁護)こそは大事だと、
思考(思想)の駒を進めたのです。
このとき、ヨーロッパ知識人たちは、「真理の探究と信仰(宗教)の研究」を諦(あきら)めて、ユダヤ思想
の本態である理性(リーズン)と合理(ラチオ)に総敗北したものだから、それで、お茶を濁すかのように、
「倫理と道徳」(これをカントは実践理性と呼んだ)の研究の方に逃れ出ていったのです。
ですから、スピノザは、「倫理学(エチカ)」を書き、カントは、倫理学の本である、『実践理性批判』を書
いたのです。 こういう大きなことが、ようやく私に分かるようになりました。私は、自分の人生の40年間
をかけて(15歳の頃から岩波文庫の青帯をずっと読んでいました)、この日本語と言う東アジアの一雑種
言語で、この大きな読解に成功しつつあります。
116 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:59:45
「イマヌエル・カントは、この理性と合理を追究して、自分も遂にはユダヤ思想に屈服し
た。それで、彼は、あの『純粋理性批判』という、何を書いているのか、意味不明に近い、
どうしようもない大著を書いた。」「日本人として、はじめて、私は、ついに、カントを
読み解いた(読解した)のだろうと、思います。どんな日本人を相手にしても、全て私が
説明し尽くすでしょう。」
読み解いた結論が「ユダヤ思想への屈服」か?カントがあの本を書いた動機は彼の本の
序言に書いてあるが、当時の「霊魂の不滅」を論じる心理学者らへの批判だ。カントが目論
んだ「超越論的(先験的)観念論」は「私」と「世界」を考える原論なのだ。「意味不明」
とか「難解」とけなすのでなく、中島の助けを借りて、きちんとカントの真意を汲むような
解読が大切ではないか。
「理性と合理のユダヤ思想に、新教徒(プロテスタント)思想が、敗北したので、そのことを
指して、マックス・ヴェーバーが、『プロテスタンティズムの倫理と近代資本主義の精神』
(1904年)を書いて、このことを説明したのです。」
ウエーバーは「金儲け」=資本主義と定義すれば、紀元前から存在したと書いた。「近代」
資本主義の精神(その最も純粋な体現者はフランクリン。「時間は貨幣である」)は禁欲的プ
ロテスタンティズムの倫理から生まれたと書いた。「理性と合理のユダヤ思想に、新教徒(プ
ロテスタント)思想が、敗北した」とは初耳だね。
117 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 21:09:16
>>105 糞みたいな分析力に万歳。 www
その味噌腐ってるよ、w。
118 :
考える名無しさん:
このスレももう終わりか。
ただ、言いたいのは、この「カントの自我論」はあくまで、カントの「純粋理性批判」
の解説書だということ。
カントを手がかりに、私の存在について考えることがテーマだ。
その私の存在についての議論はカントの観念論では不可能というのが結論ではないのか。