132 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/07/04 06:12
>>129-131 以下、推測による修正。(誤りの上に誤りを重ねるだけかもしれないが。)
> 「ピステス」とは、「信仰する」という程度の意味なのだろうか。
>(フィロ・ソフィアーが「知恵を愛する」という意味であることから類推すると。)
愛する(動詞)ではなく、愛(名詞)だということだろうか。
そうだとすれば、ピステス・ソフィアーは『知恵への信仰』、
フィロ・ソフィアーは『知恵への愛』とでもなるだろうか。
(「への(zu)」としてはまずいのかもしれない。)
>なお、「ソフィステス」とは、「知恵のある者」という程度の意味だが、
「知恵を働かせる者」という意味にもなるようだ。
133 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/07/11 23:09
保守を意図してのコピペ。
とりあえずエンディングを見ることができた。
既出かもしれないが、気づいた点について記してみる。
【テスタメントの思想傾向について。】
序盤の「U−TIC機関からの逃走ダンジョン」の後のムービーの、シオンの回想シーンにおいて、
赤テスタメントであると推測されるケビン氏は、次のように語っていた。
コスモスによって、理想の世界が実現される。
その世界とは、あらゆる[価値]の消滅した、《争いのない世界》である。
エピソードTにおいて、青テスタメントであるバージル氏は、次のように語っていた。
誰? 誰だっていいだろう? それとも、[言葉]が欲しいのか?
言葉による定義なんてものは、所詮は自身を欺くための方便。
《真実》の前では無意味なものさ。要は知覚の仕方。
立つ場所がほんの僅かずれるだけで、生も死も消失する。
[価値]や[言葉]の恣意性と、
それに捕らわれない《争いのない世界》や《真実》の絶対性を言っているのだろうか。
白テスタメントとなったと思われるアルベド君は、次のように言っていた。
文明は、修道女の妄念に等しい。簡単に言えば、
文明は、「もしも〜し、間違ってるんじゃないですか〜。」
これらの台詞から想起させられるもののなかで、最も古典的で有名なものは、
『荘子』だろうか。
>>134 限定版はずいぶん魅力が限定されているようですね
136 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/07/18 06:32
137 :
考える名無しさん:04/08/31 00:35
面白いので保守
【アンドリュー(
>>22)とアルベド(
>>26)の類似と差異】
彼らは、変異体という点では似ている。
異なるのは次の点である。
すなわち、アンドリュー中佐は、世間に適応しようと試みたが、
アルベドは、特徴のない人々と世間を、徹底的に嫌悪している。
ところで、「モモの精神世界」の夏と冬の間(「レベル4」対戦後)
のムービーの台詞は、良かったと思う。
ジギーのアルベドに対するコメントが、特に良い。
先日、『CROSS†CHANNEL(クロスチャンネル)』(FlyingShine製作)
という作品のパソコン版を鑑賞した。とても楽しめた。
この作品は、次のような方は楽しめるのではないかと思う。
カレルレン(
>>9-10)やアンドリュー中佐(
>>22)やアルベド(
>>26)に、
興味または親近感を抱くような方は。
このゲームのパソコン版は、性的描写が主な理由で、18歳未満は楽しめないものである。
しかし、KIDという会社が、全年齢が楽しめるように修正して、PS2に移植してくれた(感謝)。
ちなみに、WEB上に体験版があるので、
18歳以上で興味のある方は、「FlyingShine」で検索されたい。
ついでに、この作品の書き手の新作にも体験版がある。
「神樹の館」で検索されたい。
なお、作品中の主人公の冗談において、キルケゴールの言葉として、
「語りえないことについては、沈黙せねばならない。」が引用されていた。
(もちろん、書き手は確信犯であろう。)
>>139 ゲーム一般を語る汎用性のあるスレタイにすればよかったのに
さてちょっとゼノの用語の語源探しでもしますか、哲学じゃなくて雑学だけど
例えば戦艦ユグドラシルとかはよくゲームに出てきますからいいですよね
一応繋がりを確かめるとユグドラシルというのは世界樹なんですが
根はアースガルドやミッドガルドやニブルヘイムへ伸びていきます
名前の由来はオーディンと馬の合成語らしいです、彼が吊られていたんです
樹の根元にニーズヘッグという蛇がいます、みんなどこかで聞きますよね
ところで最終戦争ラグナロクにも登場するオーディンは
バルハラ宮殿に住んでワルキューレを使って戦士を集めています
槍は御馴染みグングニルで乗馬がスレイプニールです、ブラウザの名前でありますね
そしてなんと水曜日ウェンズデイはオーディンから来ているらしい…ほんとかな
あ、ゼノ以外の話になっちゃいました
イドとかラカンとかアニマとかの心理学関係はいいですよね
ちなみにイドは心の奥底のもう一つの人格…「ではない」です
定義上表面に出てこない原初に想定される主体です、長い話になるからいいや
ニサン、アヴェ、エルル、キスレブ、シェバトなどの地名はユダヤ暦から来てます
人名は聖書関係が凄い多いですね、エレメンツは
熾天使セラフィム、智天使ケルビム、座天使トロウンズ、主天使ドミニオンズ
これには中世の神学者があれこれ議論して違う階級付けとかもあるでしょうね
あとメタトロンとかも天使なんですがグノーシス派では悪魔なんですね、そんでゾハルと関係があります
バロックというゲームがありましたが神経塔はセフィロトの木ですね
マルクトを象徴するセフィラーの天使がメタトロンです
あとエヴァとかぶってきますがサンダルフォンとかも聖書の天使関係ですね
『動物化するポストモダン』で紹介されたゲームということで
EVEシリーズなんですが
総当りのADVなんだけど、視点が変わるところが面白いですね
背景の植え込みなんかを調べて、小次郎とまりなで記述が違うだけでも面白い
だけどシリーズが進むにつれて練り餡の絵とかはいいとして破綻してますね
推理もので言えば御神楽、クロス、すべてがFとかありますけど
純粋にゲームレビューになっちゃいますからやめときます
それより昔のファミコンの話でもします
例えば有名どころマリオで言うと環のスレでも少し話したんですが
工夫が一杯あるんですね
例えば1-1にすぐ入れる土管がありますよね
あれはジャンプが上手くできない人が一面はクリアできるようにしてるんです
他にもブロックの上から穴を避けて通れたりします
あとブロックの配置は無闇にブロックを壊したらアイテムが取れないようになってます
上級者(今のほとんどのゲーマー)なら簡単なんですけどね
あ、基本的なところでキノコは動くけどフラワーは動かないのはいいですよね
キノコは勝手に動くのでジャンプしなくても取れるんです、スターは跳ねます
みんなファミコン、というかコンピュータゲーム初心者のための工夫です
これまた有名どころでドラクエの話。
ドラクエの勇者像というのは実は複雑なんです
「多くの」勇者が町から遠くに旅に出てそして死んだ〜(DQ1)
「これまで数多の勇者が魔王を倒さんと旅に出た〜(DQ3)
勇者は複数存在するんですね、
予定調和で勇者が悪者を倒すという話ではないんです
あ、ドラクエ1でレベル2に上がる経験値7の議論とかは知ってますよね
あとインタフェースも稚拙なようでそれなりに考えられています
例えば「かいだん」というコマンドがわざわざあるのは無意味に思えますが
1では通路が一人しか通れない幅なので階段コマンドがないと
一回上下しないと通り抜けられません、
その場合たいまつで照らされた暗い洞窟ではすぐ迷います
また「とびら」というコマンドも無駄っぽいのですが
1ではすべての扉が鍵付きのため「どうぐ」→「かぎ」より早いのです
ドラゴンクエストのクエストは探求という意味で
ドラクエは「竜退治」ではないんですね
そこと前述の勇者像を踏まえると
ぐっとドラクエの奥が深く見えます
ドラクエ1の竜王はいいとして
2の竜王のひ孫と3の竜の女王が意外と大切なんです
前者は紋章の存在を教えますし、後者は光の玉を授けますから
4以降でマスタードラゴンが出てきますね
竜から依頼されたクエストを名ばかりの勇者がこなしている内に
本当の勇者としての伝説が生まれるというのがドラクエのコンセプトでしょう
特に4や5は勇者探し(青い鳥のよう)の傾向が強いです
ちょっと自分が6以降やってないのでそこら辺は分からないですけど
なんだかSaGaシリーズについても言いたくなってきましたが
長文の連投し杉なのでまた今度にしましょう
>>146 ドラクエ1についてもう少ししつこく述べておきます
ローラ姫の探索救出隊は全滅してるんですね
主人公というのは「その後」に出発するんですよ
ドムドーラ(あれメルキドだっけ)が滅んでるところも
単なるメルヘンの話ではないんですね、(あの時代で!)
つまり最後の希望としてロトの伝説に賭けてみようという事です
そしてローラ姫から貰うアイテムがないと攻略できないようになっているんです
さらに最後の竜王の提案、依頼(ドラゴンクエスト?)によって
世界の半分を貰うかというのはクソゲーっぽく見えるかもしれませんが重要です
王の希望とかローラ姫の愛(w)とかあと色々な試練を経て
最後の最後で本当の勇者になるという訳です
竜王が変身するのもそれと関係があります
>ゲーム一般を語る汎用性のあるスレタイにすればよかったのに(
>>140)
エピソードUに、もう少し印象に残る台詞があればよかったのですが……。
このスレッドがどのようなきっかけで立てられたかを述べます。
あるとき、ゼノサーガのサブタイトルと絡めれば、このようなスレを哲板に立てることを、
>>1のように正当化できる《かもしれない》、と思いついたから、というのがそれです。
ところで、私は、スレタイは単なる看板だ、と考えます。
我々は、そのスレタイに興味を持つような方々に向けて書き込めばよい、と思います。
具体的には、哲学にもTVゲームにも興味があるような方に、ですね。
>ちなみにイドは心の奥底のもう一つの人格…「ではない」です
>定義上表面に出てこない原初に想定される主体です、長い話になるからいいや(
>>141)
フロイトの理論では、イドから自我や超自我が分化してくるのでしたっけ。
その意味では、イドは、「主体」の歴史的起源であるとされる
「ヒュポ(基に)ケイメノン(置かれたもの)」そのものですね。
(「さまざまな属性を担う基体」ではないですけど。)
また、人格は、上の三つの組で説明されるものであって、
イドはその部分に過ぎなかったはず。
そうだとすれば、イドは人格ではないですね。
>EVEシリーズなんですが(
>>143)
菅野ひろゆき氏の作品、特に『DESIRE(デザイア)』などは、
ギリシャ悲劇の系譜の末端に位置づけられそうです(やや妄想)。
>推理もので言えば御神楽、クロス、すべてがFとかありますけど(143)
『すべてがFになる』(またしてもKID製作)の真賀田四季博士って、
なんかソクラテスに似ていません?(すごい妄想)
「私の精神がそんな矛盾を許すと思われますの?」
(信念群に整合性を要求する全体主義的態度)
「たぶん、他の方に殺されたいのね……」
「自分が死ぬ日をカレンダーに書き込むの。
こんな贅沢なスケジュールって、他にあるかしら?」
(自殺はしないが、死ぬことを善いことだと捉えている。)
ところで、、ゲームオリジナル(ですよね?)のミチル篇において、
虚数はどのような存在か、というような問いが発せられていました。
虚数は概念だけの存在だが、虚数を除く数は日常的に馴染んでいるから実在《的》だ、
というような表現は、哲学や数学の愛好者からは、色々と諭されそうな言い方ですが。
虚数(にたとえられた者)は、存在と非存在の両生類だ、
という詩的表現?も引用されていたと思います。
>勇者は複数存在するんですね、(
>>145)
Wの武道大会は、それを強く印象づける出来事でした。
また、Wでは、実際に別の勇者達と遭遇するイベントもありました。
>>146 憶測なんですが、当時『ドラゴンボール』を連載していた鳥山明が
キャラクターデザインを担当しているということで、
ドラゴンをタイトルに含ませたのではないかと。
「龍(を)探索(する)」とも「龍(から依頼された)探索」とも
とれるタイトルだと思います。
>>148 ドラクエに廃墟は付き物です(苦笑)。Uのムーンブルクなども印象深いです。
>竜王が変身するのもそれと関係があります(
>>148)
竜王とイドは似た役割を演じている?
153 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/09/17 22:28:17
ついに自分も買いましたXenoSagaII!
秋葉で\3.5k位で入手しました
やる時間ないんだけどな…寝不足になりそうです
RPGは戦闘の音楽はかなり重要な要素だと思うんですが
Iが良かっただけにイマイチはまれないですね
あえて言えばキャラバトルでラッパ鳴る前のシンセが変な風に流れるところはちょっと萌えました
音楽の人変わっちゃいました…
光田は聖剣2やロマサガ2(コンポーザーじゃないけど)の頃から好きですよ
>>149 >ゼノサーガのサブタイトル
三部作という事で、やっぱり最後は「永劫回帰」にしてほしいな
>イド
イドが直接認識できないというのはラカンのシェーマLですね
ごく簡単に言うと大人は世間のしがらみの中で生きていまして
どんな行為も社会的な評価に汚染されている訳です
それがどんなに個性的で突飛で天然に見えてもです
そんな中で自分が何者か知らないような主体がイドです
それは定義上直接認識できないのですが
他者の上に対象aを通じて…やっぱ別のスレでやりましょう
中古で買っちゃったのか
>>150 >真賀田四季博士って、なんかソクラテスに似て
彼女の思考は思弁的であっても哲学的ではないように思われます
また天才ではあっても超人ではないような気がします
でも森博嗣はある種の理系(工学)の雰囲気を伝えるのがさすがに上手いですね
事件が起こる前に、ロボットがコップを運んで来るシーンがありますが、
あれなんか自分は味気ないなあ、と思いますけどね
>虚数はどのような存在か
ラカンが虚数iを主体の比喩で使ってますけど、何となく分かる気がします
>虚数は概念だけの存在
ところが数学だけでなく物理でも出てきます、電気電波系統ですね
>虚数を除く数は日常的に馴染んでいるから実在《的》だ
それがアリストテレスに始まる可能無限的な立場だと
実数は実在しないというんですね
>>151 >ドラクエに廃墟は付き物
ドラクエに限らずRPGのストーリーは必ず手遅れの状態でスタートするんですね
いや、ハリウッド映画とか他にも共通する物語の古典的なパターンですが
RPGの本質はレベル上げにありますが、その形式上後の方の敵を強くして
クライマックスのラスボスを強大にしないといけません
そこで主人公たちの行動は後手後手に回ります
(中ボスは倒してローカルな地域は救ったが重要なアイテムは取り逃がすとか)
>>152 ファミコン世代なんでよく知らないんですけど、
ウィザードリィとかウルティマとかなんかそれ以前のRPGに対して
「パクってるけど、もっと簡単親切にするぞ」という意気込みの表れが経験値7です
今の標準は、ダンジョンの途中でエンカウントした雑魚敵を逃げないで倒せば、
別にレベル上げしなくても自然とボスを倒せるのが相場になってます
>>155 もちろん新品ですが
>>153 私は四日前に、『星空ぷらねっと〜夢箱〜』を買いました。
保存状態のよい中古で約5,000円。
『クロスチャンネル(
>>139)』と同じ書き手らしいので。
音楽は不思議です。
最初は気に入らなかった曲も、
何度も聞いているうちに良い曲だと感じるようになってくることもあります。
初めて聞いたときに良い曲だと感じるのは、
既に似たような曲を何度も聴いて馴染んでいるからなのかもしれません。
って、これは感覚一般に言えるかな。
>>154 154の後半に触発されてラカンについて少し調べてみました。
恥ずかしながら、ラカンについての知識は無きに等しいので。
次の文が面白かったです。
坂部恵「面」in『事典哲学の木』講談社(924-6頁)
そういえばこの方は、次の本の終盤で、
ラカンの用いる概念の伝統負荷性?とかいうようなことを言っていた気がします。
坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』岩波書店
>>156前半
>彼女の思考は思弁的であっても哲学的ではないように思われます
確かに、劇中の会話から推測される彼女の会話の格律は、
「機知」は重視するが「吟味検討」は重視しない類のものだと思われます。
ここは決定的にソクラテスと異なりますね。
似ている所の方が少ないですけど……。
こんな本が出てました……。
土屋 賢二 森 博嗣『人間は考えるFになる』講談社
>>156後半 これとこの次のレスは、著しく信憑性の乏しいものなので注意!
>ところが〔虚数は〕数学だけでなく物理でも出てきます、電気電波系統ですね
借金が負数で記述されるから負数が「現実的」だというのなら、
物理学の対象を記述する虚数が「現実的」だと言ってもよいではないか、
となりますね。
一般的に、数学によって自然現象が記述されている、と言えます。
(そして、なぜそんなことができるのだろうか、と問うらしいです。)
H・フィールド『数のいらない科学』という有名な本があるらしいですが。
>それがアリストテレスに始まる可能無限的な立場だと
>実数は実在しないというんですね
恐らく、ミチル篇の書き手は、
存在のありかたを、次のように分類していると思われます。
@実在 A概念だけの存在 B非存在
上記引用文をミチル篇の書き手風に言い換えれば次のようになるでしょうか。
「実数は概念としてすら存在しない。それゆえ、実在しない。」
形式的には、それを仮定すると矛盾するものは、
概念として存在しないと言ってよいと思います。
しかし実数は、ボルツァーノやらコーシーやらが、
自然数から定義していたという記憶があります。
上で実数が実在しないとされる理由は非形式的なもので、
具体的には反実在論でしょうか。
>>156後半
例えば竹内外史氏ならば、ミチル篇の書き手を次のように諭すかもしれません。
(かつて『証明論入門』を、その最後にあるエッセイだけ読んだのですが、
以下はそれに基づくものです。
誤解や記憶違いがあったらごめんなさい。)
君は虚数には現実に対応するものがないと言うけれど、
そもそも現実ってなんだ?
君は現実は感覚的経験に基づくと考えているようだが、
感覚的経験も習慣によって形成されるものではないだろうか。
我々数学者は習慣によって数学的経験を形成するのである。
数学的経験に基づくような現実があって何か問題があるだろうか。
次の文は、上の話と関係があり、すぐに読み終えることができて、
更に、楽しめるものだと思います。
飯田隆「第V部への道案内」 in 飯田隆編『リーディングス数学の哲学』勁草書房
岡本賢吾「無限」 in 『事典哲学の木』講談社(901-8頁)
「討論―超準解析とは何か」 in 斎藤雅彦『超積と超準解析(増補新版)』東京図書
>>158 私もファミコン世代なのだと思います。
『WizardryTUV』はファミコンで(そしてそれのみで)遊びました。
懐かしい……。
夏休みに、プール教室から帰ってから、
ドラクエとかウィズとかやってたことを思い出しました。
(クロスチャンネルの、フラワーズがプールで遊んでいるのを
黒須が眺めているときのような気分です……。)
165 :
電波おやじくん ◆B5j0Fhef0w :04/09/26 18:30:43
>>156 少し思いを巡らせてみたので……
>ラカンが虚数iを主体の比喩で使ってますけど、何となく分かる気がします
虚数の歴史的起源に限って考えてみると、
虚数は、方程式を解くために「仮設」されたものだったはず。
一方、人格とか主体とかいう類の概念には、
社会生活を送るために「要請」された、
という側面もあるように思われます。
「仮設」とか「要請」とかいう行為に依存する点で、
それらの概念には、重なる所があるということでしょうか。
「ヒュポケイメノン」、「主体」、「基体」、「仮設」、「先言措定」、「実体」……
概念史と翻訳の錯綜が、混乱を惹き起こします……(自嘲)
166 :
考える名無しさん:04/09/27 09:39:37
ホントニ スコシ ダナw
>>159 あと中古で300エソでアンリミテッドサガを買いました
音楽とか良い雰囲気のゲームだけどシステムが凄い分かりにくいです
しかし…PSIIのコントローラーがいかれてゲームが出来なくなりました
ゼノサーガIIの戦闘音楽はIに比べてメロディアスではない
つまり覚えにくくて口ずさみにくいのが不満ですね
特に昔のゲーム音楽は電子音なので印象に残りますが
CDに媒体が変わってから普通の音楽になった気がする
定番だけどZUNTATAとかが好きです
>>160 どんな事言ってるのか分からないとコメントできないですね
>>161 すべてがFになるもそうだけどかまいたち2監獄島とか、
ああいう大掛かりなトリックはすぐに分かりますね
Fの魅力は工学空間と理系女性にあるでしょう
>土屋 賢二 森 博嗣
文系と理系の典型みたいな人の対談ですね
>>162 >数学によって自然現象が記述されている
人間の論理的構築物である数学がなぜ
外界の自然を記述できるのかは謎で
それを考えた代表的な哲学者がカントです
カントは数学をアプリオリで総合的な認識と捉えました
可能無限的には数や無限集合を規則して捉えます
これを構成主義といい、反実在論だと言えます
平方根やπを作る規則はあるので個々の実数は認められますが
そうした規則が集まった実数の集合は
自然数と違って体系的な規則はないので(規則の規則はない)
実数の無限集合というのは実在しないという事になります
とはいえ数学界ではマイナーな考えでしょう
>>163 ゲームの話を大きく超えるから深く追求しませんけど
無限は現実に対応しないと思う
しかし一方で無限に基づく現実というのは体験します
>>164 例えばバイオハザードの元ネタはアローン・イン・ザ・ダークなんですが
(もちろんカプコンは自社のスイートホームが元とか寝ぼけた事を言っています)
元ネタの洋ゲーをやるとつまらない事が多いです
ゲーム業界は加工が上手いと思う、これは日本的な才能かもしれない
ただ今は移植・続編・廉価版など加工が多すぎて逆にだめだと思います
>>165 虚数iの比喩を用いられるラカン的主体は要請されるものですよ
「あなたは私の主人(妻・恋人・先生…)です」という創始する言葉によって
仮設される関係の中で始めて主体というものは意味を持ちます
それは現実の属性に関係なく設置できるので、
「なぜあなたが言うような私なのか」というヒステリー的な疑問が起こります
哲学とゲームの接点を見つけるのが難しいですね、どっちかに偏りがちになる
哲学とゲームに共通するのは
社会から逃避してることだけだね。
それは趣味的なもの一般に言えるんじゃないかな
言えるね。
しまった。
>>168一段目
>>170三段目
170三段目と関連させて、168一段目に応えてみます。
「170で示された限りでのラカン」が継承したと思われる見解(伝統負荷性?)を挙げた後に、
坂部氏の見解を劣化コピーして述べます。
レーヴィットやディルタイは大体次のようなことを述べます。
人格には、「文化の諸連関や社会の外的組織の交差点」やら
「社会的役割」やらという側面がある。
しかし、もちろん「実存的(ヒステリー的?)」側面もある。
後者の重要性を忘れてはならない。
レーヴィットは、「ペルソナ(仮面、性格)」と「役割」という言葉を、
ほぼ同じ意味で用いているようです。和辻もそれを継承しているのかな。
で、『仮面の解釈学』『ペルソナの詩学』という著書のある坂部氏の見解を、
乱暴に三言で述べてみます。
「ペルソナ(仮面、性格)」と「真の自己」という構図は虚構的である。
「現象」と「物自体」という構図も同様である。
しかし、虚構的であるからこそ現実性を帯びるということを否定することはできない。
>>162 やはり間違いがありました。
ボルツァーノやコーシーは、「実級数が収束するための必要条件」を
把握していただけだそうです。
その十分条件を示すには、実数の厳密な定義がなければならないそうですが、
それを示したのが次の二つの方法らしいです。
@デデキントの有理数の切断を用いる方法
Aカントールの有理数列を同値類に類別する方法
>>169後半
潜在(可能)無限の立場では、自然数全体の集合も認めないのでしたっけ。
で、個々の実数が有理数列の同値類、ってことは、
個々の実数が無限集合の無限集合である、ってことですかね……。
>>170一段目
哲学愛好者の符丁を用いて言い換えれば、
「現実」は、無限の実体の様態である?
170二段目
『スイートホーム』は、小中学生のときに愛読していた
宝島社(JICC出版局)のゲーム雑誌で、傑作だとされていたのを覚えてます。
廉価版は有難いし良いと思います。ゼノギアスの本が高い(
>>142)理由のひとつは、
未だに廉価版が売れ続けているのに、本を増刷しないからでしょう。
本を増刷しない理由は、CDと本の原価には雲泥の差があるからかな。
>>167一段目
なんか新しいSaGaが出るみたいですね。
TVCMのあの人は実写版の光明神でしょうか……。
>>171 では、ネタ振りとして、子供を弁神論へと向かわせそうなゲームの台詞を、
不確かな記憶に基づいて記してみましょう。
『ロマンシング・サガ』の最終ボス「邪神サルーイン」の台詞。
「所詮人間は神の作った道具に過ぎん。」
『真・女神転生』の終盤の固定敵「魔王スルト」の台詞。
「人間よ、神に作られた出来損ないの人形よ。
お前たちは所詮滅び行く定め、ここで引導を渡してやろう。」
更に『ペルソナ罪と罰』の最終ボス「ニャルラトホテプ」は、
人間は実験動物だとか言ってました。
で、最後の言葉が、
「覚えておくがよい。
世界の中心で蠢く白痴の塊とは貴様ら自身のことだということを。」
デルフォイの柱の銘っぽい……。
なお、最終ダンジョンの名は「モナドマンダラ」です。
ペルソナは、
>>175と関連することをゲームシステムに盛り込んでいました。
敵に合わせてペルソナを付け替えるという戦闘システムは示唆的です。
179 :
考える名無しさん:04/10/05 01:59:03
ドーモ ハイリコメンw
180 :
考える名無しさん:
量スレあげ