1 :
考える名無しさん:
サブタイトルに、
ニーチェの著作として出回っている書物のタイトルを用いるなど、
哲学に興味を持つ者にアピールしようとしていることが推察される
TVゲーム『ゼノサーガ』。
その物語は忘れても、哲学《的》要素は、印象に残ることもある。
虚無の浜辺における、軍人の、ヒロインに対するつぶやきは、
遥かパルメニデスの断片をそのイデアとするものであろうか。
その前作、『ゼノギアス』のエピローグにおける
優しい虚無主義者と主人公の対話は、
真剣に生きようとする者が誰でもが抱えるジレンマを示してはいないか。
「お前たちが羨ましいよ……。」
しかし残念なことに、
そのゲームは相当に暇な方でなければ味わいにくい。
そこで、ここでゲーム内の哲学《的》台詞と、
それに対する解釈を、
ゲームをやってない方にもわかるように示して欲しい。
したがって、物語の内容に関わる解釈は、最小限にして欲しい。
参考文献『ゼノギアス・メモリアルアルバム』(デジキューブ)
ゲームの話題は他でやってよ。あくまでもゲームなんだから
それに糞スレばっかなんだからさぁ・・・
おれはゼノギアスしかやったことないけど
あれはたしかフロイトだったっけ。
厭世的な神秘主義者と主人公との対話1
〜『ゼノサーガ』エピローグより〜
厭世君:全てが始まったあの刻。全てが一つだったあの場所へと還るのだ。
主人公:あの場所?
厭世君:宇宙の始まり以前、高次元の波動の場において、全ては一つだった。
そこから波動がこぼれ落ちることによってこの四次元宇宙が造られたのだ。
そこから生まれたヒトもヒトの魂も、こぼれ落ちた波動の残りかすなのだ。
だから……
主人公:そこへ還ると言うのか? それがお前の望んでいたことなのか?
【コメント:ここで厭世君が主張していることは、
波動の場とか四次元宇宙とか「科学的」な表現を用いているが、
本質的には、万物を絶対者からの流出とみる神秘主義と言ってよいと思われる。
だが、こぼれ落ちた宇宙に対する価値判断は、彼の厭世主義に基づいているものであって、
神秘主義から導出できるものではないことに注意しよう。
また、絶対者を、「あの刻、あの場所」と言う、
結局、「四次元宇宙」内部的表現を用いて指示していることに
(瑣末なことだが)けちをつけておこう(苦笑)。】
まんまビックバンじゃんw
哲学じゃなくて科学です
ゼノギアスのラスボスはウロボロスだったっけ。永劫回帰ってやつかな。
でも、ただの“哲学エッセンス”であって哲学的ではない気もする。
>>7 自我とか超自我とか言ってなかったっけ?
うろおぼえだけど。。
厭世的な神秘主義者と主人公との対話2
〜『ゼノサーガ』エピローグより〜
厭世君:主人公……。何故そうまで頑なに神との合一を拒む。
くだらん現世に何の未練がある?
他人を傷つけ、自分を傷つけ、
互いを削りあいながら短い生を全うして土に還ることに何の意味がある?
ここには全てがある。愛に思い悩むこともない。ここには神の愛が満ちている。
主人公:俺は、お前ほど人に対して絶望してはいない! 人にはいつか解り合える時が来る!
俺はそう信じている!
厭世君:何故そう言いきれる? ヒトとヒトとは、決して分かり合うことはない。
お前は彼女を愛していると言った。だがそれは本当に解り合っていると言えるのか?
所詮ヒトは、お互いにとって都合のいいように距離を置き、
仮初のそれを、相互理解、精神の合一、真実の愛と偽っているにすぎない。
ヒトは自らをあざむく事によってしか、他人と交わることができないのだよ。
そう創られているのだから……
【コメント:本当の愛と偽の愛とを、または、本当の理解と偽の理解とを区別するものは何か、
そもそも、そんなことは出来るのか、という問いである。
このような問いは、《根源的解釈》とか、《他人の<顔>》とかいう術語に関わる問いであろうか。】
>>4 >>9 訂正です。ごめんなさい。
『ゼノサーガ』 → 『ゼノギアス』
厭世的な神秘主義者と主人公との対話3
〜『ゼノギアス』エピローグより〜
主人公:だからといって、たった一人のエゴが、全ての人の運命を決めていいはずがない!
人には自分の運命を自分で決める権利がある! 自由な意志があるんだ!
厭世君:その意志すらも、事前にとり決められたものであったとしたらどうする?
創られた始原生物であるヒトに自由意志などというものはない……。
ただ「そのように」「そうなるように」不完全な状態のまま、生かされているだけなのだ……。
それ故に、なまじ意志などというものがあるが故に、
ヒトは悲しみと喪失を経験しなければならない。
《誰かが何かを得るということは別の誰かが何かを失うことなのだ……
限られた「モノ」と「想い」は共有することはかなわない……》
だから私は、全てを最初の時点に戻そうと結論した。
波動という、それ以外何もない、一つの存在であったあの刻に……。
これは私<ヒト>のエゴではない。波動<神>の意志なのだ……。
【コメント:厭世君が主張するには、ヒトには、自由意志はないが、
悲しみと喪失を経験する意志はある、らしい。
むしろこう言ってみたらどうだろうか。
人が自由であろうが自由でなかろうがそんなことはどうでもいい。
《 》内の主張が成り立たないような世界にするにはどうすればいいか。
そう問うたとき、厭世君のような結論に至らざるを得ない。
その結論は、厭世君のエゴというよりは、
苦痛を味わっている方への共感から主張されているのではないか。】
1よ、もういいんだ。君はよく頑張った
12 :
考える名無しさん:04/05/16 22:48
1って、高1君でしょ?
ばかだよねぇ、きみ。
13 :
考える名無しさん:04/05/16 22:50
スレタイ見て噴出しちゃったよ
高1、高1うるせえよ
図星のようですw
あんた、人を見る目がないよ、、
高校中退だボケ
そうですか
これって3部作なんでしょ?
第3部は「曙光」か「悲劇の誕生」なんだろうな。
私は「曙光」だと思うな。
関係ないけど「ぜのぎあす」って主人公=A=B=C・・・・・って感じで滅茶苦茶だったな。
>>2 ゲームの話題は他でやってよ。あくまでもゲームなんだから
確かに、既に哲学に親しんだ者には、
>>4 >>9-10 で示したようなやりとりは、
厳密さを欠いた、単なる思い付きを述べたものにしか見えないかもしれない。
(だからこそ、哲学《的》と言うに止めたのである。)
ところで、哲学の本を読む小中学生は、それほど多くないと思われるが、
TVゲームをやる小中学生は、かなりいる、と思われる。
そのような小中学生が、TVゲームにたびたび現れる、上で示したような雰囲気の台詞に、
「驚き(タウマゼイン)」を覚えることは多々あるのではないか、と推測される。
(かく語る私もそうであった。)
そういうわけで、
上の対話に心を打たれるような小中学生(というよりは過去の自分を念頭に置いて)が
興味を抱きそうな文献を掲げておく。
《根源的解釈》について。
野矢茂樹『哲学・航海日誌』春秋社 ¥2,625(税込)
《他人の<顔>》について。
岩田靖夫『神なき時代の神』岩波書店 ¥2,310(税込)
小中学生の小遣いで、上のようなやや高価な本を手元に置くのは難しいかもしれない。
比較的安価なものを下に示す。
野矢茂樹『哲学の謎』講談社現代新書 ¥714(税込)
岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』岩波ジュニア新書 ¥819(税込)
『ゼノサーガ エピソードT 力への意志 シナリオブック』(206-7頁)より、
〜虚無の浜辺における、軍人の、ヒロインへのつぶやき〜
眼鏡娘:軍人殿……あなたは……何を求めていたの……?
軍人殿……。
軍人殿:最初から存在しなかったのさ。俺は……。
俺は、戦争の道具としてこの世界に生まれた……。
よくある話さ。他者を破壊することが俺……いや俺たちの存在意義だった。
戦場で死ねた奴は、もっと幸せだったろう。だが俺にそれは訪れなかった。
自分という存在に、なんら意義を見いだせないまま、やがて戦争は終わり、
俺は世界から取り残された。
適応しようとはしたさ。
だが、俺の言葉と、世界の言葉は違った。世界が俺を拒絶していると思った。
司令は……そんな俺を必要としてくれた。
俺は司令の中に、未来の自分を見た……。いや、見たかったんだ……。
だからなんだろう、俺が世界の言葉を話すには、常に薬の力が必要だった。
俺は、いつまでも<俺のまま>だったから……今ならそれが解る。
俺が世界を拒絶していたんだ。
眼鏡娘……<ここ>はいい。
《ここには俺だけが存在している。他はない。怒りも、悲しみも、喜びも、未来もない……
ただ……<自分がある>だけだ。
その自分も、やがては溶けていく……心地よい感じだ……。》
俺は……この感じを……求めていたんだ……。
眼鏡娘……やがてお前も……ここに来る……。
近い内に……きっと……。俺には……それが……解る……。
>>22 【コメント:戦争を「この世界」の隠喩と見ることは、的外れであろうか。
かつて、《 》内の表現から、パルメニデスを連想したものであったが、
それは思い過ごしだっただろうか。
「自分も、やがては溶けてい」き(端的に存在する?)、
「未来もない」(不生不滅?)
からパルメニデスを想起するのは不当だったかも知れない。】
24 :
考える名無しさん:04/05/24 17:42
何かのゲームでパスカルのパクリの台詞があったな
>>22-23 に関して、同じく、TVゲームから引用しておこう。
『輝く季節へ』
〜12/1〜
どこまでもつづく海を見たことがある。
どうしてあれは、あんなにも心に触れてくるのだろう。
そのまっただ中に放り出された自分を想像してみる。
手をのばそうとも掴めるものはない。
あがこうとも、触れるものもない。
四肢をのばしても、何にも届かない。
水平線しかない、世界。
そう、そこは確かにもうひとつの世界だった。
《そしてその世界には、迎える場所もなく、訪れる時間もない。》
でもそれは絶望ではなかった。
あれこそが永遠を知った、最初の瞬間だった。
大海原に投げ出されたとき、ぼくは永遠を感じる。
だからぼくは、小さな浜辺から見える、遠く水平線に思いを馳せたものだった。
虚無……。
《意志を閉ざして、永遠に大海原に浮かぶぼくは、虚無のそんざいだった。》
あって、ない。
でもそこへ、いつしかぼくは旅だっていたのだ。
【コメント:上の《 》内から、パルメニデスを連想するのは許されるような気がする。
パルメニデスの《存在》は、日常的な存在者と比して、
無規定性という規定をもつという意味で、《虚無のそんざい》なのかもしれない。】
26 :
単なる愚か者(1) ◆B5j0Fhef0w :04/06/05 22:54
『ゼノサーガ エピソードT 力への意志 シナリオブック』(333頁)より。
超人?:なんとも素敵な傷みじゃないか……。
己の存在を知覚するには、痛みは不可欠だからなぁ……。
【コメント:健康な人なら、「挫折は成長の原動力」というような意味にとるかもしれない。
(己の存在を知覚している)⇒(痛みがあった)と試しに記してみる。
学習性の無気力についての実験の被験体となった犬は、
痛みによって、己の存在を知覚するどころか、
己の存在が失われた、と解釈されうる行動を示すようになった例だと言える。
(学習性の無気力:避ける方法のない苦痛を味わい続けた者は、
避ける方法のある苦痛をも避けなくなる。)
何であれ、避ける方法のあるを苦痛を味わった者は、
苦痛を避ける方法を自覚する、
というような瑣末なことを言おうとしているのではないよな……。】
27 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/12 05:48
『ゼノサーガ エピソードT 力への意志 シナリオブック』(343頁)より、
眼鏡娘:誰なの……あなた?
仮面男:誰?
誰だっていいだろう?
それとも、言葉が欲しいのか?
言葉による定義なんてものは、所詮は自身を欺くための方便。
真実の前では無意味なものさ。
要は知覚の仕方。
立つ場所がほんの僅かずれるだけで、生も死も消失する。
【コメント:『荘子』斉物論篇を想起させる台詞である。】
ゼノギアスとゼノサーガは非常に面白い
田中久仁彦のキャラや光田康典の音楽が良い
今度zenosagaのIIが出ますね、しかしRPGは時間掛かるんで
本を読む時間が取られてしまいやるかどうか悩みます
あの二作品は心理学関連の用語などを借りていますが
哲学自体とは少し違うんじゃないかな
物語の装飾に哲学のエッセンスを用いる手法が
エヴァ以降よく見られるようになったという事でしょう
要するにゲーム界のデータベースに哲学語が輸入されると
それなら直接参照していない作品を論じる方が
まだ面白いような気がします
永井均や斎藤環が吉田戦車を取り上げるみたいな
自分の知っている単語が引用されていると
その出会いに立ち会えるのが嬉しいんだけども、
それが哲学かどうかは微妙な面もあります
もちろん哲学との関連なしでも面白い事に変わりは無い
来たついでだから内容にも触れておきましょう
やはりゼノサーガの目玉はCOS-MOSです
斎藤の言う戦闘美少女の系譜で、しかも
綾波の直系の子孫です(青い髪の神秘的な少女)
綾波的なキャラ造形はエヴァ以後普及しましたが
それを一言で言えば「欲動の存在」と形容できます
物質的な欲求と精神的な欲望の間を擦り抜ける
絶対的要求を主張します(それ以外には無関心)
ポストエヴァの作品だけに問題がより純化されています
コスモスは「機械的」ではなく(崇高な)「機械」そのものではないか
射撃線上の者は物も同然という場面にそれが典型的に現れる
「私は人間では有りません、唯の兵器です」
そしてターミネーター2の様な主体化の道を辿る事になります
死を賭して仲間を救う(ラストのデタッチ)事によって、
「あなたの痛みを私に」転移する事で、欲望の主体として再生します
だからラストのシオンの台詞は「お帰りなさい」になるのです
赤ちゃんと同じなのよ
2フェイズもですぉ
32 :
考える名無しさん:04/06/12 17:33
ニーチェ語るのにバタイユ、クロソウスキーを介して無さそうですね。
33 :
考える名無しさん:04/06/13 00:32
厭世君は「カレルレン」で、主人公が「フェイ」だな。
34 :
考える名無しさん:04/06/13 00:38
第一作の「ゼノギアス」がエピソード5であり、
第二作の「ゼノサーガ」はエピソード1である。
今度発売する第三作「ゼノサーガ2」はエピソード2らしい。
ゼノサーガはそうでもなかったが、ゼノギアスは不朽の名作であると断言できる。
35 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/13 01:28
>>28-29 >今度zenosagaのIIが出ますね、しかしRPGは時間掛かるんで
>本を読む時間が取られてしまいやるかどうか悩みます
全く同感です。(苦笑)
ただし、予約特典として、Tの物語を纏めたDVDがつくそうなので、とりあえず購入はしますが。
>あの二作品は心理学関連の用語などを借りていますが/哲学自体とは少し違うんじゃないかな
>>21で述べたように、確かに、ハードコアな哲学に関係するとは言えないかもしれません。
ただし、ゼノサーガが、実存的な香り(悪く言えば死臭)を漂わせている作品であることは、
たとえば、
>>22のやりとりなどにも示されていると思われます。
そして、実存的な思想は、倫理学およびその実践に関係していると言えると思います。
要するに、私は、次の主張に同意します。
《だれかがある完全な哲学をもつとすれば、それは倫理学を含むべきだというのは本当です。
もし意味されているのが倫理学が[哲学の]全分野の冠であるということなら、
私はその意見に賛成ではありません。》
マイケル・ダメット『分析哲学の起源』頸草書房 275-6頁
>自分の知っている単語が引用されていると/その出会いに立ち会えるのが嬉しいんだけども、
>それが哲学かどうかは微妙な面もあります
同意します。個人的には、用語を反芻して、少しづつ覚えることには効力感を覚えますが、
用語を憶えることが哲学であるはずがないと思いますので。
>やはりゼノサーガの目玉はCOS-MOSです
私の趣味を白状すると、
22における、軍人殿(アンドリュー中佐)と眼鏡娘(シオン)が、特によいですね。
>>34 ゼノギアスとゼノサーガが繋がってるとしても少し違う
ゼノサーガ全部(EP1も2もnも全部)合わせてゼノギアスEP1
あ、説明書読み返したら
「KOS-MOS」という綴りなんですね
>>35 リローデッドとか色々なアペンドがありますね
初回特典版も豪華ですが高杉です
「文学的」という形容はよく見ますが
「ゲーム学的」という形容は見ません
ゲームというジャンル、形式に
固有な問題を発見しないといけないと思います
というのも、もし台詞が文学的・哲学的だという点を
評価するならば、それは小説や映画や漫画やアニメや…
他のジャンルでやっても一向に構わないという事になります
といってゲームに固有の問題というのが
単にハードのスペックなどを比較する事だけならつまらない
ここら辺の事情をもう少し理論的に展開してみましょう
それは内容と形式の(鏡像的)な関係と整理できるでしょう
簡単な所から始めましょう
例えばPSのメモリが足りず、読み込みでよく待たされる
しかし単にスペックを高くすればいいという話だけなら非常につまらない
『バイオハザード』ではドアを開ける際に緊張感があり
初回プレイに限れば読み込みは演出と同じ効果があります
これはPSの形式とホラーという内容が生産的に関係しています
さてRPGに3Dを大々的に導入した例は『FF7』です
そこでは映像だけでなく、物語もファンタジー色が薄まり
現代風の複雑で「立体的な」物語になっています
稲葉振一郎によると
一般にRPGではラスボスでクライマックスにするために
物語の最終的な解決を先送りしなければならず、
「インタラクティブ」というお題目に反してプレイヤーは
ページを送るだけの無力な存在になりがちだと言います
しかし、FF7においては形式が抱えるその問題が
主人公の無力感という内容と直結し
プレイヤーにそれを実感させていると
自分が見るところでは『ゼノサーガ』も
(準)主人公、すなわちコスモスの造形によって、
三部作の一作目なので謎な状況の中を
ひたすらお使いしなければならないという
進行に耐えられるようになっていると思う
スクウェアの広告に『ゼノギアス』は『FF7』の裏だという話がありました
『FF7』…キャラ3D背景2D 『ゼノギ』…キャラ2D背景3D
ゼノギアスでは物語の背景、文脈に関心がありまして
ミァンの継承という設定もそこまで関連させて見る必要があるでしょう
41 :
考える名無しさん:04/06/13 20:44
↑
何だこの暴論は?たいがいにしてほしいよ。
42 :
考える名無しさん:04/06/13 23:50
えう゛ぁをパクりすぎ
43 :
考える名無しさん:04/06/13 23:53
エヴァって哲学的かな。あんま哲学的エッセンスは無かったような
あんまゲームとか詳しくないんでゼノギアス・サーガくらいしか知らんな、
哲学的な用語用いてる作品。
44 :
考える名無しさん:04/06/13 23:53
イタがちがうんじぇねえの?
って、ゼノギアスもFF7もやったけどさ。
ちょっと、ちがうっす。
45 :
考える名無しさん:04/06/13 23:55
FF7とかエヴァレベルで哲学的っていっちまうとかなり枠が広がっちまう気がするよ
あれくらいメンタルな話ってたくさんありそ。
46 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/14 00:18
>>37-40 >リローデッドとか色々なアペンドがありますね
>初回特典版も豪華ですが高杉です(37)
念のために。
発売日: 2004年06月24日(木)
通常版:税別価格6,980円(税込価格7,329円)
プレミアムボックス:税別価格17,800円(税込価格18,690円)
店によっては、このどちらにも、予約をすれば、次のものがついてきます。
『ゼノサーガ エピソードI [力への意志]』ダイジェストストーリー(収録時間:約4時間46分)
>スクウェアの広告に『ゼノギアス』は『FF7』の裏だという話がありました(40)
『FFZ』には、過去がどういうありかたをしているか、
について反省を迫るような点が、物語の核心にありました。
『FFZ』のシナリオを書いた方は、『ヘラクレスの栄光VW』の方だという噂がありました。
無理してゲームに古典的文化を盛り込む必要はないかもしれませんが、
『ヘラクレス』のように、ゲーム《において》古典的文化に親しめることはよいことだと思います。
その背後に、人類の知的遺産が控えているのですから。
47 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/14 00:19
>>37-40 >ゲームというジャンル、形式に
>固有な問題を発見しないといけないと思います(37)
興味深い指摘です。私なりに思いつくことを述べてみましょう。
よく言われることですが、RPGの特徴の一つに、経験値稼ぎという行為があります。
時間に余裕があるときには、この行為には喜びがあります。
それは、どれだけ努力すればどれだけ成長できるか、ということが明確だからでしょうか。
また、現実における学習や発達は、忘却や退行の脅威に常に晒されています。
しかし、「冒険の書」が消え去ることは、現在では、滅多にありません。
『ゼノサーガT』に限って言うならば、
私にとって、コスモスの特徴は、戦闘システムにおける駒としての圧倒的な強さにあります。
『ティアリングサーガ』というゲームでは、ジークというキャラクターが、
その駒としての圧倒的な強さによって、その物語における位置を強烈に印象付けています。
また、戦闘における、人格的特徴?のある敵ユニットについて言えば、
次の二体がその強さにおいて際立っていたように感じました。
(ボス敵のような一回しか対戦できないユニットの強さとは、
その当時のプレイヤーユニットの強さとの相対的な距離だと言えると思います。)
怪物(グノーシス)化した軍人殿(アンドリュー中佐)すなわち「ガーゴイル」
と、眼鏡娘(シオン)の心に潜む闇の一端すなわち「ティアマット」がです。
『ファイアーエムブレムトラキア776』における、
ラインハルト将軍とサイアス司祭のペアの凶悪さは、ゲームであるがゆえに表現できるものの例ですね。
(『FE』では、エンディングにおいて、キャラクターの駒としての強さ以外の一面が記されています。
駒としてはとても強力なユニットが、任された地方の経営に失敗していたりする点が興味深いです。)
ラスボスはデウスとウロボロスなわけだが
デウス戦は神からの肉体的な解放、ウロボロス戦は神からの精神的な独立を意味するらしい。
あとタシーロ(片翼の天使)像は比翼の鳥のパクリ
49 :
考える名無しさん:04/06/14 20:36
mms://wm2.streaming.ne.jp/namco/xeno_cm_30_a-1.wmv
>>43 ていうかエヴァは庵野は哲学のことなんてさっぱり分からなくて
適当に哲学的なタームをぶち込んだけらしいよ
だから真面目に見てる奴はアホだなとw
ちんぽ
ge-nu sure?
53 :
考える名無しさん:04/06/15 20:56
ヒキーゲーヲタウザイ
働け
働け
親不孝者共
/_, ,_ !
/@u@、 <なんだと!?
55 :
考える名無しさん:04/06/15 21:51
↑はじめてみた!すごいAAだな
>>46 >『ゼノギアス』は『FF7』の裏
FF7は主人公のアイデンティティが物語の主題ですが
ゼノギアスはコミニュケーションが主題になる
それはヒロインとの関係で如実に示されます
FF7は回想、ゼノギアスでは行為になっています
>>47 >RPGの特徴の一つに、経験値稼ぎという行為があります
経験値稼ぎはむしろRPGの定義ですね
レベル(階層)を導入すればなんでもRPGにできる
例えばレースゲームでレースを繰り返して
マシンをチューンナップしていくというのはレーシングRPGでしょう
>コスモスの特徴は、戦闘システムにおける駒としての圧倒的な強さ
自分は逆の事を思いました
ムービーでは無敵なのに戦闘では意外と普通だと
A.G.W.Sに乗れないというのもあります
まあゲームバランスがあるから仕方ないけど
それを言うなら、おまけ要素である
エルデカイザーが最強の技というのは…
強さによって印象付けるのが容易なのは敵の方ですね
FFにはラスボスより強い隠しボスがいるでしょう
Vのオメガ&神龍とか
ゼノサーガではミンティアかな
ところでRPGにおけるラスボスというのは
パラノイアにおいて象徴秩序の矛盾を
体現している他者の他者なので
その姿は現実界的な造形になります
それを見て取るには
FFVのエクスデス/ネオエクスデスを
振り返ってもらえば一目瞭然です
真のラスボス(ネオ)は欲動する機械(モンスター)の
非整合的な寄せ集めに他ならなかった
ラスボスにおいてもFF7とゼノギアスは対照的です
主人公の幻想の投影、影がFF7のセフィロスで
これは内在的ラスボスと言えます
主人公の語りの次元に還元出来ない(何せ昆虫的ですから)
存在がゼノギアスのデウスで、これは外在的なラスボスです
それからFF7のジェノバ、ゼノギアスのデウス
両者とも「異物の侵入」が物語の起源になっています
クソスレ
60 :
考える名無しさん:04/06/18 00:58
しろうとは仕事何しているの?
61 :
考える名無しさん:04/06/18 01:06
>>58 クロノの「ラヴォス」「時を喰らうもの」もね。
62 :
考える名無しさん:04/06/18 01:14
し
ろ
う
と
キモイ
63 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/18 06:58
>>56-58(特に58)
今回のレスは、普段にも増して、自由連想法的かつフリーハンドなものですが、ご容赦を……。
FFXは、確か、「LV5デス」のような攻撃が初めて導入された作品でしたっけ。
TVゲームでは、「万物は数からなる」ことを再確認させられます。
FFXの最終ボスの絵は、世界で最も深い洞窟に出現する、
「正体不明」という厄介な雑魚敵の絵を含むものだったと思います。
この絵は、世界の根底の把握不可能性とでもいうべきこと(無底の底)を、
隠喩的に示したものかと考えていました。
それを、ラカンの術語を用いて言えば、「(真の?)現実界的」というのでしょうか。
(「現実界的」という術語は、「質料」とか「物自体」とかの系譜を引く概念だろうか。
物自体が、「道徳的世界」や「意志の世界」であるという主張は、
「生活世界」の概念に連なっているのだろうか(妄想)。)
ゼノギアスの最終ボスの一柱「デウス」は、その材料が、
共食いし続けるアメーバのような《ヒト》である、という血生臭い設定でしたっけ(
>>9-10)。
そのようなものが材料なのに、その形態には、幾何学的な印象を受けます。
(子供のころ、甲虫の写真を眺めるのが好きでした。)
>
>>58/クロノの「ラヴォス」「時を喰らうもの」もね。(61)
「時を喰らうもの」は、「冒険の書」を食べるんですよ、きっとw。
クロノ・クロスの物語の一つのクライマックスは、「運命」という名の「機械」との対決ですね。
削除まだー?
>>63 >FFX
ファイナルファンタジーは(7位まで)
偶数作(ストーリー)と奇数作(システム)というように
作りがはっきり分かれていますが
Vの「ジョブ」&「アビリティ」システムはVIIの
「マテリア」に継承されていて、そちらの方は
キャラ(固有名)からコマンド(技のデータベース)を
完全に切断して更に自由度が高くなっています
最近は大気圏での着せ替えが
加わって奇妙な事になっています
>「現実界的」
「現実界」は「物自体」と同じく
定義上把握不可能なのですが
その存在が要請されます
(超越的と超越論的の区別の様に)
現実界そのものではなくても
現実界的な表象はあります
RPGの「レベル上げ」は享楽の先送りの論理、
すなわち無限階梯の構造をしていますが
それは物語においても同様です
この弁証法的運動の最終審級が
ラスボスなのですがスクウェアにおいては
このクライマックス感の優先順位が異様に高い
>「運命」という名の「機械」
SaGa2では文字通りの運命の機械、
「最終防衛システム」と戦う事になります
スクウェアのRPGはSaGaや聖剣とか
基本ラインから派生していくパタンが多いので
系譜を辿りたくなりますが…
残念な事にゼノサーガは(「SaGa」の名はあるけど)
(スタッフは重なるが)ナムコに移ったせいか
その系譜が途切れているんですね
友達に「アンリミテッドSaGa」を少し見せて貰って、
本家の血筋があまり面白そうな流れになっていなかったので残念です
(細かい話をすればエルデカイザーの各パーツ名で
ゼノギアスのあの四人を思い出すとかそういうのはあるが)
GBのSaGa三部作とかもそうだったけど
段々個性が薄れていくというか洗練されていきます
例えばIIではキャラの造形がフィギュア的なものから
リアル的なものになっていてあまり魅了されません
それでもKOS-MOSとあのバイクのセットは良さげですが
それで東浩紀的なデータベースの横断的活用が
あんまり有効になされていない印象です
例えば田中が「ホイホイさん」描くのとか…
(ゲームだからシナリオは別の人が書くし
コスはメカ担のCHOCOとか入ってたから
仕方ないけど…まあ一応機械繋がりですね)
あと光田も抜けるし…
それにエニックス辺りのアンソロはイマイチだし
有効利用してるのがTEX-MEXだけとかじゃちょっと…
しかし例えばCRIEDで上野洋子と交差したりとか
RPGの系図の話に戻ると
ゼノサーガの立ち位置が面白いんですね
スクウェアエニックスになって、
エニックスの旧作、例えば5が3D化され
すごろくのオマケが付いたりFF化していく中で
FF7(FF6の魔導アーマー)から分家した
「ゼノ」がナムコの3D界に溶け込んで
(ゆめりあ以前にそもそもPSはリッジのポリゴンで始まったし
永瀬麗子という様なフィギュアが既に存在していた)
独自のRPG路線を切り開くかもしれない
聖剣的A・RPGが武蔵伝〜デュープリズム
(〜バウンサー(これはむしろエアガイツか)?)辺りで、
サガ的技育成RPGがアンリミで、あるいはフロントミッション的機械物RPGが、
それぞれ打ち止め感があるので、ゼノに期待したいところです
70 :
考える名無しさん:04/06/19 00:11
たかがゲーム如きに意味づけする馬鹿ども
71 :
考える名無しさん:04/06/19 00:32
なんだったらギアス-サーガで用いられてる哲学用語をとりあえず並べてみてyo。
人名ではバルト・ラカンがそーか?
多重人格か何かしらんがフェイのもいっこの人格の名「イド」と
「よる辺なき存在」はフロイトだな。
フロイトといえばジグムントってやつもいたような気がする
サーガは「力への意志」と「善悪の彼岸」つーことでニーチェか。
しかし
>>67-69はいくらなんでも哲学と関係なくないか・・
72 :
考える名無しさん:04/06/19 00:49
しろうとキモオタじゃん ただの
びっくり曝しage
>>70 「ストーリー」から「ゲーム」へというテーゼを前から考えているので
何か意味付けしたいところですね、
>>67-69は雑学だけど
>>71 脱線しました
哲学かゲームのどちらかに偏らないのが難しいですね
芋づる式に言いたくなってしまう
>>72 ここのスレタイが「ゼノサーガ」だから関連した話になるけど
ゲーム総合スレならもっと広範囲な話ができます
RPGに限らずゲーム全般、それもTVゲームに限らず
例えば保坂和志の羽生善治の将棋論とか古典的ゲームの話や
アスペクト指向プログラミングやインタラクティブやアフォーダンス…
もっと思弁的な話ならカイヨワの「遊び」とどう違うかとか
ノイマンの戦略的ゲーム理論とウィトゲンシュタインの言語ゲームとの違いとか
自分は古典を逐語的に読むより(ジジェク的な)文化批評の方に行きたくて
東浩紀がライトノベルを評する様にゲームを評してみたいと思ってます
74 :
考える名無しさん:04/06/19 01:50
ゲームに批評性は成立しないだろ
75 :
考える名無しさん:04/06/19 01:53
ゲームで哲学。そういえばとあるスレで、ゲームしてる間の精神は神になっているのではないか
とお花畑から書き込んでるやつがいたな
76 :
考える名無しさん:04/06/19 01:54
77 :
考える名無しさん:04/06/19 01:55
>>75 あながち間違いとは言い切れんと思うな。
ただ神違いかも、ゴッドでなくクリエイター。
78 :
考える名無しさん:04/06/19 02:03
>>77 厨丸出しw
>>75 RPGは「神」の視点が重要となる
フィールド移動時は俯瞰視点が神性をよく表している
主人公のプログラミングされた自我を超越的な立場で
介入できるプレイヤーは非常に特殊な立場にあるといえる
最近のRPGは俯瞰視点の移動がないのは
主人公がファルスと同一化しようという傾向の現れではありますまいか
2Dから3Dに移行するにしたがって俯瞰視点がなくなってきた。
というか、技術的に同一化が可能となったわけであるよね。
80 :
考える名無しさん:04/06/19 02:21
クソスレ
81 :
考える名無しさん:04/06/19 02:22
そこがポイントで技術のネクストレヴェルが
同一化を誘発しているわけだけれど
必ずしもその企てが成功しているとはいいきれない
2D→3D移行は進化とは言い切れない
それは制作者サイドとしてもわかっているにもかかわらず
それに固執するのは何故か?
ゲームにファイン的な恣意性は感じられない
流行に従わなければならないのは
利潤を追求する企業として当然ではある
しかし2D→3Dの移行はそれだけでは割り切れない
去勢された日常からの逃避といえるゲームに
ファルスとの同一化を求めるのは自然の成り行きかも知れない
神に絶望した私たちは単独性に答えを見いだすことにしたのかもしれない
これは昨今のセカイ系ブームにも帰結する
82 :
考える名無しさん:04/06/19 02:24
神性の放棄 ←→ 単独性の証明
2 D ←→ 3 D
83 :
考える名無しさん:04/06/19 02:31
寝ぼけててスマソ
神の見えざる手 ←→ 神性の放棄
自我への介入 ←→ 単独性の証明
2 D ←→ 3 D
ジョージ・W・ブッシュが地方演説中にある小学校へと立ち寄った。
教室の教壇の前に立った大統領は、子供達に向かって言った。
「何か質問はあるかな?」
するとジミーがすかさず手を挙げて言った。
「大統領に三つの質問があります。
@劣化ウラン弾は人体に多大な被害を与えるのではないですか。
Aイラク攻撃も目的は、本当は石油だったのではなんですか。
B大量破壊兵器がいまだに見つかりませんが、最初からなかったのではないですか」
大統領はしばらく立ち尽くしていたが、やがてチャイムが鳴ったので休憩となった。
子供達は教室から出て行った。
休憩が終わり、再び大統領への質問が開始された。今度はジャックがすかさず手を挙げて言った。
「大統領に五つの質問があります。
@劣化ウラン弾は人体に多大な被害を与えるのではないですか。
Aイラク攻撃も目的は、本当は石油だったのではなんですか。
B大量破壊兵器がいまだに見つかりませんが、最初からなかったのではないですか。
Cどうしてさっき、いつもより三十分も早く突然チャイムが鳴ったのですか。
Dジミーはどこに行ったのですか。」
85 :
考える名無しさん:04/06/19 17:21
良スレ<丶`∀´>
86 :
考える名無しさん:04/06/19 20:47
神聖ソラリス帝国 護民官
カレルレン閣下万歳!
87 :
考える名無しさん:04/06/19 21:09
ゼノギアスにおける勢力
●アバル(天上人)
「神聖ソラリス帝国」
●ラムズ(地上人)
「教会(神聖ソラリス帝国情報機関」
「ゲブラー(神聖ソラリス帝国特務機関)」
「シェバト王国」
「アヴェ王国」
「ニサン共和国」
「キスレブ帝国」
他に雑多の村や町。
88 :
考える名無しさん:04/06/19 21:10
ゼノギアスはどうでもいい
俺は神の視点やらなんやらの方が気になる
89 :
考える名無しさん:04/06/19 21:15
各勢力の力関係(弱1〜10強)
神聖ソラリス帝国(10)
教会(6)
ゲブラー(6.5)
シェバト王国(6)
アヴェ王国(4)
ニサン共和国(2)
キスレブ帝国(4)
90 :
考える名無しさん:04/06/19 21:27
終了厨マダー?
91 :
考える名無しさん:04/06/19 21:38
対立関係の推移
アヴェ、キスレブ間において国境問題に起因する戦争勃発。
アヴェ、ニサンと同盟を結び、優勢となる。
ゲブラー、キスレブに助力し、戦争終結が遠のく。
教会、ニサン正教会と対立。
教会、ゲブラー、キスレブVSアヴェ、ニサンという構図になる。
アヴェ滅亡。ニサン衰退。ニサン正教は邪教となる。
ゲブラー・教会、キスレブを滅ぼす。
シェバト動く。
シェバトVSゲブラー。ゲブラー崩壊。
シェバト、ニサン連合VS教会。教会崩壊。
覇者ソラリス、ついに起つ。
シェバトVSソラリス最終戦争。ソラリス崩壊。
92 :
考える名無しさん:04/06/19 21:50
続き
戦争終結。世界崩壊。
ソラリス天帝カインとガゼル法院のメンバー、
ソラリス護民官カレルレンによって殺害される。
カレルレン、神の復活と人類の神との合一、人の世の「終焉」を宣言。
M計画によって、人類の大多数、神の部品としての人類「ウェルス」となる。
同時に兵器アイオーン(天使)を大量生産。
カレルレン、作られた神VSシェバト、人類連合最終戦争。
主人公チーム、作られた神(デウス)を倒す。
主人公(フェイ)とカレルレンの哲学問答。
応酬の末、フェイはカレルレンを理解し、カレルレンはフェイを理解する。
フェイは地上へ戻り人間として生きることを選び、
カレルレンは天使となり、本当の神のもとへと旅立つ。
end
93 :
考える名無しさん:04/06/19 21:56
厭世君:全てが始まったあの刻。全てが一つだったあの場所へと還るのだ。
主人公:あの場所?
厭世君:宇宙の始まり以前、高次元の波動の場において、全ては一つだった。
そこから波動がこぼれ落ちることによってこの四次元宇宙が造られたのだ。
そこから生まれたヒトもヒトの魂も、こぼれ落ちた波動の残りかすなのだ。
だから……
主人公:そこへ還ると言うのか? それがお前の望んでいたことなのか?
94 :
考える名無しさん:04/06/19 21:57
ゼノ厨うざい
95 :
考える名無しさん:04/06/19 21:57
厭世君(カレルレン):主人公(フェイ)……。何故そうまで頑なに神との合一を拒む。
くだらん現世に何の未練がある?
他人を傷つけ、自分を傷つけ、
互いを削りあいながら短い生を全うして土に還ることに何の意味がある?
ここには全てがある。愛に思い悩むこともない。ここには神の愛が満ちている。
主人公:俺は、お前ほど人に対して絶望してはいない! 人にはいつか解り合える時が来る!
俺はそう信じている!
厭世君:何故そう言いきれる? ヒトとヒトとは、決して分かり合うことはない。
お前は彼女を愛していると言った。だがそれは本当に解り合っていると言えるのか?
所詮ヒトは、お互いにとって都合のいいように距離を置き、
仮初のそれを、相互理解、精神の合一、真実の愛と偽っているにすぎない。
ヒトは自らをあざむく事によってしか、他人と交わることができないのだよ。
そう創られているのだから……
96 :
考える名無しさん:04/06/19 21:58
主人公:だからといって、たった一人のエゴが、全ての人の運命を決めていいはずがない!
人には自分の運命を自分で決める権利がある! 自由な意志があるんだ!
厭世君:その意志すらも、事前にとり決められたものであったとしたらどうする?
創られた始原生物であるヒトに自由意志などというものはない……。
ただ「そのように」「そうなるように」不完全な状態のまま、生かされているだけなのだ……。
それ故に、なまじ意志などというものがあるが故に、
ヒトは悲しみと喪失を経験しなければならない。
《誰かが何かを得るということは別の誰かが何かを失うことなのだ……
限られた「モノ」と「想い」は共有することはかなわない……》
だから私は、全てを最初の時点に戻そうと結論した。
波動という、それ以外何もない、一つの存在であったあの刻に……。
これは私<ヒト>のエゴではない。波動<神>の意志なのだ……。
97 :
考える名無しさん:04/06/19 22:03
はっきり言って、カレルレンは正しい。
フェイは偽善者。
98 :
考える名無しさん:04/06/19 22:10
神聖ソラリス帝国(帝政)
元首:天帝カイン
シェバト王国(帝政)
元首:女王ぜファー
アヴェ王国(立憲君主制)
元首:国王バルトロメウ・ファティマ
キスレブ帝国(立憲君主制)
元首:総統ジークムント
99 :
考える名無しさん:04/06/19 22:10
しつこいよ
100 :
THE END and ALL:04/06/19 22:13
しばらく様子を見てましたが、
やはり、完全に板違いです。
→ゲーム板
→お花畑板
へどうぞ。
101 :
考える名無しさん:04/06/19 22:16
>>100 ねらい澄ました100get
ワロタ
でもイラネ
102 :
考える名無しさん:04/06/19 22:23
もうちょっと哲学とからませてくれよ。
今まで出てきたキーワードでなんか哲学に絡んだものってどれだけあるんだよ。
103 :
考える名無しさん:04/06/19 22:26
昨日のしろうとから神性の流れは哲学だろ
104 :
考える名無しさん:04/06/19 22:30
なんだ、ぴかぁ〜か・・・
>>74 理由は?
>>75 ゲームに熱中して没頭、没我している状態は
「動物化」ではないと自分も思うけど「神」は言い杉
>>78 ついに視点の話が来ましたね
東も指摘してるけど他のメディアとの違いが出ます
しかし「ファルスと同一化」はよく分からない
>>79 同一化といっているのは
自分の姿が映らない完全な主観視点の事ですか
ノベルゲームなんかは2Dで主観視点ですね
>>81 よく分からない、主観視点のゲームは
「私」を重視しているという事で
それが「単独性」とか「セカイ系」に連なると?
>>82>>83 これもよく分からない
RPGにおける視点の違いについて考えます
先の稲葉振一郎によると
ドラクエ→主観 FF→客観
という視点を採択しているとの事です
ドラクエでは主人公は(ほぼ)喋らない
それは主人公=プレイヤーだからです
凡百なADVゲームは主人公の内面を
描き込み過ぎてプレイヤーに距離感を感じさせます
一方、FFでのプレイヤーの視点は鳥瞰的です
主人公は普通に喋るしパーティから外せたりします
ところがFF7は始めて自覚的に一人称を採用して
しかも(稲葉によると)形式との齟齬を逆手に取って
プレイヤーとの一体感を出す事に成功していると
この時点で幾つか述べたい事があります
一つはこの視点はゲーム全体の構成に関るという事です
例えばドラクエはIV(ファミコン時代)から早くも
AI(という程のものでもない、クリフトがボスにザラキを使う程度)を
採択していますが、これも一人称と関連します
主人公=プレイヤーであるならば
当然、その他のキャラ≠プレイヤーでしょう
他のキャラを自由に操作出来ない事で
視界を一人称に限定している訳です
更に言えばシステムもそういう風に出来ています
「このアイテムをすててもいいですか」とか何とか
対話風に聞いてくるのがそうですね
二つめは名前入力の事ですね
最近のRPGでは名前欄はデフォルトにする事が多いと思います
これはいわゆるRPGの「キャラが立ってきた」という事でしょう
昔のゲームではキャラは無個性で交換可能な駒でしたから
名前を入力する事に意味があった訳ですが
PS以後は映像音声を使用しているため
そういう感情移入は成り立ちにくくなっています
ここで特に「声」に注目したいと思います
PS以降でCDという大容量媒体を使う事で
ボイスが可能になった訳ですが
主人公に声を入れてしまえば、声は主体のものですから
主人公=プレイヤーの図式はとても成立しそうにない
だから主人公に声を入れないゲームは多いのです
視線と声は主体の現前の論理を体現しますから
主人公の声を出さないのと視線(目)を隠すのは自然な流れです
名前、声、視線と主体の問題が出てきましたから
後もう少しで哲学的な路線に乗りそうですね
110 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/20 01:27
また、クラウド君の記憶並みに、あやふやなレスをしてしまいます。
>>66-69,
>>73 ゼノギアスの核心であるカレルレン(厭世君)と波動存在(絶対無?)の系譜について。
スクウェアの作品では、FFVの「魔王ザンデ(元人間)」と「暗闇の雲」がその原型ではないかと。
ただし、FFVでは、それは狂気に過ぎませんでしたが、
ゼノギアスでは、それなりに理路整然と語っています。
FFVは、基本的には、悲愴かつ静寂な雰囲気を漂わせた作品でしたが、
カントなら、《目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ。》
とでも記しそうな場面をも含んでいました。
FFXの敵役は、人の恨み辛みの感情が澱んで固まったものだとか説明されてましたっけ。
そのような者が、世界を支配するために、
「無の力」なるものを利用しようとして、逆に、それに取り込まれたと。
で、《全てを無に還し、そして私も消えよう。》と呟く訳ですが、なんだかよく分かりません。
アンリミテッドSaGaはとても安く売っていたのですが、買い逃してしまいました。
「美しい運命連鎖」ってコピーは、甘い香りを漂わせていますが、
なるほど、路線を変更してしまったのですか。
かつてのスクウェア作品における「運命」は、ギリシャ悲劇の詩人の霊感に基づくものだったはず。
カイヨワ『遊びと人間』面白そうです。文庫版なら手元に置いておけますし。
アスペクト指向プログラミングですか。初耳です。参考になります。
なにしろ、基本情報処理技術者の試験内容ですら、身についているとは言い難い程度なもので……。
111 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/20 01:27
>たかがゲーム如きに意味づけする馬鹿ども(70)
しばらく前に没頭したTVゲームにおいて、やや自己言及的な台詞があったので掲げておきましょう。
《遊戯など、無限の静寂の前には、ただの無意味で無駄なものに過ぎぬ。》
真・女神転生VNOCTURNE シジマの守護の台詞より
>なんだったらギアス-サーガで用いられてる哲学用語をとりあえず並べてみてyo。(71)
どうしようもない駄洒落をひとつ。
ゼノンとゴルギアス、略して、ゼノギアス(自嘲)。
(パルメニデスの弟子にゼノンという方がいたそうです。
一方、ゴルギアスは、パルメニデスを批判したそうです。)
>はっきり言って、カレルレン(厭世君)は正しい。/フェイ(主人公)は偽善者。(97)(
>>9-10)
これは難しい。確かに、フェイが語ると、綺麗事に聞こえますが、
例えば、永野のりこ『電波オデッセイ』の主人公の少女が語れば、心に響きます。
もしかしたら、眼鏡娘(シオン)なら、軍人殿(アンドリュー中佐)の《気持》を理解したうえで、
綺麗事ではなく語れるかもしれません。(
>>22-25)
>>91-92 を見て思ったのですが、
ケイオス君ってカレルレン(厭世君)の関係者なのだろうか。
あ〜、はぁはぁなるほどね。>ゼノン+ゴルギアス=ゼノギアス
まあ名前は知ってるが、両方。ってほんとかね。
>>110 >FFXの敵役は、人の恨み辛みの感情が澱んで固まったもの
RPGではよくある擬人化ですが
「システムが自律的に作動する」とか
「権力の非人称化」という事態ならば
現実にもそのような現象はあるでしょう
>「無の力」なるものを利用しようとして、逆に、それに取り込まれた
例えば金の亡者が金に利用されるとか、酒飲みが酒に呑まれるとか
そういう欲動の機械性における主体の反転、即ち倒錯性の象徴ですね
欲動の存在では手段は自己目的化していて、それが悪の根源として描かれます
>アンリミテッドSaGa
確かにイラストと音楽が美しい様ですが
読み込みが多いのが気になりました
PS2の寿命が短くなりそうで…
買うなら秋葉とかでいつでも売ってそうです
>かつてのスクウェア作品
FFは7を境にガラッと変わりました
一言で言うとファンタジーではないような…
>カイヨワ『遊びと人間』
遊びを運、競争、模擬、眩暈の四要素で説明しています
そして近代は運から(計量的)競争に移行した時代だと
ちなみに自分は「遊び」と「ゲーム」を区別します
>アスペクト指向プログラミング
いや詳しい事は自分もよく分からないのですが
オブジェクト指向プログラミングと関係あります
そこでのカプセル化、継承、多態性というのが
「萌え」文化をうまく説明できる様な気がします
あと興味があるのは遺伝的アルゴリズムとか…
>>111 開発者によるとタイトルは語呂で決めたという事ですが
終盤で「ゼノギアス」というギアが出てきますね
「グノーシス」というのはグノーシス主義でしょうから
かなり基本的なところに思想用語が入ってますね
しかし表層の背後に深層を発見するのではなく
自分は「表層自体」を批評したいところですね
KOS-MOSのXバスターは
自らの生命エネルギーそのもので攻撃している
イメージですが(SF的理屈が何かあった気がするけど)
これが意外と新鮮な感じがしました
ナウシカみたいに「強大なエネルギーを持つ者」を
召喚・操縦するタイプのヒロインが割りと多いので
自分自身の内部にエネルギーを抱えてるのが印象的ですね
116 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/21 19:26
良いウェブサイトを見つけました。かなり有名なものかもしれませんが。
セリフ集は、スクウェアゲームの思想の系譜を把握するために、とても参考になります。
http://mypage.naver.co.jp/cecht/data.htm >>113 FFXの敵役は、恨み辛みだけではなく、
より一般に、負の感情なるものが集まったもののようでした。
http://village.infoweb.ne.jp/~ent/darklord/c-game/exdes.htm なるほど確かに、全てを自らの思い通りにしようという支配欲(という負の感情?)は、
他者だけではなく、自らをも苦悩へと誘うものでしょう。それは正に、諸悪の根源だと言えます。
(プラトン『ゴルギアス』(493b)辺りに、「穴のあいた甕」という喩えがあります。)
エクスデスはそのような者であったと見ることが出来るでしょう。
一方、ネオエクスデスは、語弊があるかもしれませんが、「涅槃寂静」と唱えているように見えます。
もちろん、単なる「死の本能(タナトス)」に過ぎないのかもしれませんが。
いずれにせよ、《全てを無に還し、そして私も消えよう。》というセリフは、唐突だと感じます。
それに比べれば、カレルレンの主張には、迫力と説得力がある。
彼は、それまでのスクウェアゲームの敵役の主張を継承しつつ、腑に落ちる説明を与えた点で、
画期的な《人格》だったと言ってもよさそうです。
117 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/21 19:27
>>115 >カプセル化、継承、多態性というのが/「萌え」文化をうまく説明できる様な気がします
例えば、「スーパークラス」綾波レイを継承して「サブクラス」コスモスを定義する、
ということでしょうか。
萌え:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%8C%E3%81%88 上の解説に「類型的特長への固執」とありますが、
分類については分割法(『ソフィステース』)が、固執(愛?)については『パイドロス』が、
関係ありそうです。(と言うことによって、哲板らしさをアピールしてみる。)
「萌え《る》」については、山内志朗『天使の記号学』にある
「己有化」という言葉にも関わりそうですね。
山内氏の本は、グノーシス主義や、神秘主義(
>>4)も、主題的に扱われています。
>>106-109 >ドラクエ→主観 FF→客観/という視点を採択している
これは、製作者の意図としては、そうだと思います。
実は、私は、その点についてはあまり意識しないかな。
あえて言えば、両方、距離をおいて鑑賞している気がする。
118 :
考える名無しさん:04/06/21 21:30
アピールしたって無駄だよ。
鼬外は明白なんだし。
削除しる
120 :
考える名無しさん:04/06/21 21:42
朝鮮人は謝罪しる
121 :
考える名無しさん:04/06/21 21:48
クソスレか
あげちゃえ
sage
123 :
考える名無しさん:04/06/22 02:06
あげ〜
124 :
考える名無しさん:04/06/22 02:32
私物化はんたい
125 :
考える名無しさん:04/06/22 02:49
ああ こんなにも痛々しいスレ‥
126 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/27 11:52
またしても、下らない駄洒落を言ってしまおう。
ゼノサーガエピソードTの最終ボスは、「ソフィ・ピステス」
という名である。
それを略して、『ソフィステス』
(プラトンの著作とされているものに、
そう呼ばれているものがある。
なお、「ソフィステス」とは、「知恵のある者」という程度の意味だが、
揶揄するために、「詭弁論者」という意味で用いられることも多い。
その点では、「形而上学」という言葉の用いられ方と似ている。)
127 :
考える名無しさん:04/06/27 11:56
スマンをスマソというのは、
「ドラゴソ」が来ているのではないだろうか?
いや、逆か・・・
>>126 言うまでもないが、ソフィ・ピステスはグノーシス主義のピステス・ソフィアーが元ネタなんだろうが。
なぜ順番を逆にしたのかはわからん。
129 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/06/27 23:41
>>128 勉強になる。
「ピステス」とは、「信仰する」という程度の意味なのだろうか。
(フィロ・ソフィアーが「知恵を愛する」という意味であることから類推すると。)
「知恵を信仰する」とは、グノーシス主義を一言で説明したものだろうか。
>>126 むしろ、こう記すべきであった。
またしても、下らない駄洒落を言ってしまおう。
ゼノサーガエピソードTの最終ボスは、「ソフィ・ピステス」
という名である。
プラトンの著作とされているものに、
『ソフィステス』とか『ソピステス』とかと呼ばれているものがある。
(どちらも、同じ著作に対する呼び名である。)
この二つの呼び名の、微妙に異なる部分のみを2回読めば、
「ソフィ・ピステス」となる。
なお、「ソフィステス」とは、「知恵のある者」という程度の意味だが、
揶揄するために、「詭弁論者」という意味で用いられることも多い。
その点では、「形而上学」という言葉の用いられ方と似ている。
130 :
考える名無しさん:04/06/28 00:28
くだらね
132 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/07/04 06:12
>>129-131 以下、推測による修正。(誤りの上に誤りを重ねるだけかもしれないが。)
> 「ピステス」とは、「信仰する」という程度の意味なのだろうか。
>(フィロ・ソフィアーが「知恵を愛する」という意味であることから類推すると。)
愛する(動詞)ではなく、愛(名詞)だということだろうか。
そうだとすれば、ピステス・ソフィアーは『知恵への信仰』、
フィロ・ソフィアーは『知恵への愛』とでもなるだろうか。
(「への(zu)」としてはまずいのかもしれない。)
>なお、「ソフィステス」とは、「知恵のある者」という程度の意味だが、
「知恵を働かせる者」という意味にもなるようだ。
133 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/07/11 23:09
保守を意図してのコピペ。
とりあえずエンディングを見ることができた。
既出かもしれないが、気づいた点について記してみる。
【テスタメントの思想傾向について。】
序盤の「U−TIC機関からの逃走ダンジョン」の後のムービーの、シオンの回想シーンにおいて、
赤テスタメントであると推測されるケビン氏は、次のように語っていた。
コスモスによって、理想の世界が実現される。
その世界とは、あらゆる[価値]の消滅した、《争いのない世界》である。
エピソードTにおいて、青テスタメントであるバージル氏は、次のように語っていた。
誰? 誰だっていいだろう? それとも、[言葉]が欲しいのか?
言葉による定義なんてものは、所詮は自身を欺くための方便。
《真実》の前では無意味なものさ。要は知覚の仕方。
立つ場所がほんの僅かずれるだけで、生も死も消失する。
[価値]や[言葉]の恣意性と、
それに捕らわれない《争いのない世界》や《真実》の絶対性を言っているのだろうか。
白テスタメントとなったと思われるアルベド君は、次のように言っていた。
文明は、修道女の妄念に等しい。簡単に言えば、
文明は、「もしも〜し、間違ってるんじゃないですか〜。」
これらの台詞から想起させられるもののなかで、最も古典的で有名なものは、
『荘子』だろうか。
>>134 限定版はずいぶん魅力が限定されているようですね
136 :
単なる愚か者 ◆B5j0Fhef0w :04/07/18 06:32
137 :
考える名無しさん:04/08/31 00:35
面白いので保守
【アンドリュー(
>>22)とアルベド(
>>26)の類似と差異】
彼らは、変異体という点では似ている。
異なるのは次の点である。
すなわち、アンドリュー中佐は、世間に適応しようと試みたが、
アルベドは、特徴のない人々と世間を、徹底的に嫌悪している。
ところで、「モモの精神世界」の夏と冬の間(「レベル4」対戦後)
のムービーの台詞は、良かったと思う。
ジギーのアルベドに対するコメントが、特に良い。
先日、『CROSS†CHANNEL(クロスチャンネル)』(FlyingShine製作)
という作品のパソコン版を鑑賞した。とても楽しめた。
この作品は、次のような方は楽しめるのではないかと思う。
カレルレン(
>>9-10)やアンドリュー中佐(
>>22)やアルベド(
>>26)に、
興味または親近感を抱くような方は。
このゲームのパソコン版は、性的描写が主な理由で、18歳未満は楽しめないものである。
しかし、KIDという会社が、全年齢が楽しめるように修正して、PS2に移植してくれた(感謝)。
ちなみに、WEB上に体験版があるので、
18歳以上で興味のある方は、「FlyingShine」で検索されたい。
ついでに、この作品の書き手の新作にも体験版がある。
「神樹の館」で検索されたい。
なお、作品中の主人公の冗談において、キルケゴールの言葉として、
「語りえないことについては、沈黙せねばならない。」が引用されていた。
(もちろん、書き手は確信犯であろう。)
>>139 ゲーム一般を語る汎用性のあるスレタイにすればよかったのに
さてちょっとゼノの用語の語源探しでもしますか、哲学じゃなくて雑学だけど
例えば戦艦ユグドラシルとかはよくゲームに出てきますからいいですよね
一応繋がりを確かめるとユグドラシルというのは世界樹なんですが
根はアースガルドやミッドガルドやニブルヘイムへ伸びていきます
名前の由来はオーディンと馬の合成語らしいです、彼が吊られていたんです
樹の根元にニーズヘッグという蛇がいます、みんなどこかで聞きますよね
ところで最終戦争ラグナロクにも登場するオーディンは
バルハラ宮殿に住んでワルキューレを使って戦士を集めています
槍は御馴染みグングニルで乗馬がスレイプニールです、ブラウザの名前でありますね
そしてなんと水曜日ウェンズデイはオーディンから来ているらしい…ほんとかな
あ、ゼノ以外の話になっちゃいました
イドとかラカンとかアニマとかの心理学関係はいいですよね
ちなみにイドは心の奥底のもう一つの人格…「ではない」です
定義上表面に出てこない原初に想定される主体です、長い話になるからいいや
ニサン、アヴェ、エルル、キスレブ、シェバトなどの地名はユダヤ暦から来てます
人名は聖書関係が凄い多いですね、エレメンツは
熾天使セラフィム、智天使ケルビム、座天使トロウンズ、主天使ドミニオンズ
これには中世の神学者があれこれ議論して違う階級付けとかもあるでしょうね
あとメタトロンとかも天使なんですがグノーシス派では悪魔なんですね、そんでゾハルと関係があります
バロックというゲームがありましたが神経塔はセフィロトの木ですね
マルクトを象徴するセフィラーの天使がメタトロンです
あとエヴァとかぶってきますがサンダルフォンとかも聖書の天使関係ですね
『動物化するポストモダン』で紹介されたゲームということで
EVEシリーズなんですが
総当りのADVなんだけど、視点が変わるところが面白いですね
背景の植え込みなんかを調べて、小次郎とまりなで記述が違うだけでも面白い
だけどシリーズが進むにつれて練り餡の絵とかはいいとして破綻してますね
推理もので言えば御神楽、クロス、すべてがFとかありますけど
純粋にゲームレビューになっちゃいますからやめときます
それより昔のファミコンの話でもします
例えば有名どころマリオで言うと環のスレでも少し話したんですが
工夫が一杯あるんですね
例えば1-1にすぐ入れる土管がありますよね
あれはジャンプが上手くできない人が一面はクリアできるようにしてるんです
他にもブロックの上から穴を避けて通れたりします
あとブロックの配置は無闇にブロックを壊したらアイテムが取れないようになってます
上級者(今のほとんどのゲーマー)なら簡単なんですけどね
あ、基本的なところでキノコは動くけどフラワーは動かないのはいいですよね
キノコは勝手に動くのでジャンプしなくても取れるんです、スターは跳ねます
みんなファミコン、というかコンピュータゲーム初心者のための工夫です
これまた有名どころでドラクエの話。
ドラクエの勇者像というのは実は複雑なんです
「多くの」勇者が町から遠くに旅に出てそして死んだ〜(DQ1)
「これまで数多の勇者が魔王を倒さんと旅に出た〜(DQ3)
勇者は複数存在するんですね、
予定調和で勇者が悪者を倒すという話ではないんです
あ、ドラクエ1でレベル2に上がる経験値7の議論とかは知ってますよね
あとインタフェースも稚拙なようでそれなりに考えられています
例えば「かいだん」というコマンドがわざわざあるのは無意味に思えますが
1では通路が一人しか通れない幅なので階段コマンドがないと
一回上下しないと通り抜けられません、
その場合たいまつで照らされた暗い洞窟ではすぐ迷います
また「とびら」というコマンドも無駄っぽいのですが
1ではすべての扉が鍵付きのため「どうぐ」→「かぎ」より早いのです
ドラゴンクエストのクエストは探求という意味で
ドラクエは「竜退治」ではないんですね
そこと前述の勇者像を踏まえると
ぐっとドラクエの奥が深く見えます
ドラクエ1の竜王はいいとして
2の竜王のひ孫と3の竜の女王が意外と大切なんです
前者は紋章の存在を教えますし、後者は光の玉を授けますから
4以降でマスタードラゴンが出てきますね
竜から依頼されたクエストを名ばかりの勇者がこなしている内に
本当の勇者としての伝説が生まれるというのがドラクエのコンセプトでしょう
特に4や5は勇者探し(青い鳥のよう)の傾向が強いです
ちょっと自分が6以降やってないのでそこら辺は分からないですけど
なんだかSaGaシリーズについても言いたくなってきましたが
長文の連投し杉なのでまた今度にしましょう
>>146 ドラクエ1についてもう少ししつこく述べておきます
ローラ姫の探索救出隊は全滅してるんですね
主人公というのは「その後」に出発するんですよ
ドムドーラ(あれメルキドだっけ)が滅んでるところも
単なるメルヘンの話ではないんですね、(あの時代で!)
つまり最後の希望としてロトの伝説に賭けてみようという事です
そしてローラ姫から貰うアイテムがないと攻略できないようになっているんです
さらに最後の竜王の提案、依頼(ドラゴンクエスト?)によって
世界の半分を貰うかというのはクソゲーっぽく見えるかもしれませんが重要です
王の希望とかローラ姫の愛(w)とかあと色々な試練を経て
最後の最後で本当の勇者になるという訳です
竜王が変身するのもそれと関係があります
>ゲーム一般を語る汎用性のあるスレタイにすればよかったのに(
>>140)
エピソードUに、もう少し印象に残る台詞があればよかったのですが……。
このスレッドがどのようなきっかけで立てられたかを述べます。
あるとき、ゼノサーガのサブタイトルと絡めれば、このようなスレを哲板に立てることを、
>>1のように正当化できる《かもしれない》、と思いついたから、というのがそれです。
ところで、私は、スレタイは単なる看板だ、と考えます。
我々は、そのスレタイに興味を持つような方々に向けて書き込めばよい、と思います。
具体的には、哲学にもTVゲームにも興味があるような方に、ですね。
>ちなみにイドは心の奥底のもう一つの人格…「ではない」です
>定義上表面に出てこない原初に想定される主体です、長い話になるからいいや(
>>141)
フロイトの理論では、イドから自我や超自我が分化してくるのでしたっけ。
その意味では、イドは、「主体」の歴史的起源であるとされる
「ヒュポ(基に)ケイメノン(置かれたもの)」そのものですね。
(「さまざまな属性を担う基体」ではないですけど。)
また、人格は、上の三つの組で説明されるものであって、
イドはその部分に過ぎなかったはず。
そうだとすれば、イドは人格ではないですね。
>EVEシリーズなんですが(
>>143)
菅野ひろゆき氏の作品、特に『DESIRE(デザイア)』などは、
ギリシャ悲劇の系譜の末端に位置づけられそうです(やや妄想)。
>推理もので言えば御神楽、クロス、すべてがFとかありますけど(143)
『すべてがFになる』(またしてもKID製作)の真賀田四季博士って、
なんかソクラテスに似ていません?(すごい妄想)
「私の精神がそんな矛盾を許すと思われますの?」
(信念群に整合性を要求する全体主義的態度)
「たぶん、他の方に殺されたいのね……」
「自分が死ぬ日をカレンダーに書き込むの。
こんな贅沢なスケジュールって、他にあるかしら?」
(自殺はしないが、死ぬことを善いことだと捉えている。)
ところで、、ゲームオリジナル(ですよね?)のミチル篇において、
虚数はどのような存在か、というような問いが発せられていました。
虚数は概念だけの存在だが、虚数を除く数は日常的に馴染んでいるから実在《的》だ、
というような表現は、哲学や数学の愛好者からは、色々と諭されそうな言い方ですが。
虚数(にたとえられた者)は、存在と非存在の両生類だ、
という詩的表現?も引用されていたと思います。
>勇者は複数存在するんですね、(
>>145)
Wの武道大会は、それを強く印象づける出来事でした。
また、Wでは、実際に別の勇者達と遭遇するイベントもありました。
>>146 憶測なんですが、当時『ドラゴンボール』を連載していた鳥山明が
キャラクターデザインを担当しているということで、
ドラゴンをタイトルに含ませたのではないかと。
「龍(を)探索(する)」とも「龍(から依頼された)探索」とも
とれるタイトルだと思います。
>>148 ドラクエに廃墟は付き物です(苦笑)。Uのムーンブルクなども印象深いです。
>竜王が変身するのもそれと関係があります(
>>148)
竜王とイドは似た役割を演じている?
153 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/09/17 22:28:17
ついに自分も買いましたXenoSagaII!
秋葉で\3.5k位で入手しました
やる時間ないんだけどな…寝不足になりそうです
RPGは戦闘の音楽はかなり重要な要素だと思うんですが
Iが良かっただけにイマイチはまれないですね
あえて言えばキャラバトルでラッパ鳴る前のシンセが変な風に流れるところはちょっと萌えました
音楽の人変わっちゃいました…
光田は聖剣2やロマサガ2(コンポーザーじゃないけど)の頃から好きですよ
>>149 >ゼノサーガのサブタイトル
三部作という事で、やっぱり最後は「永劫回帰」にしてほしいな
>イド
イドが直接認識できないというのはラカンのシェーマLですね
ごく簡単に言うと大人は世間のしがらみの中で生きていまして
どんな行為も社会的な評価に汚染されている訳です
それがどんなに個性的で突飛で天然に見えてもです
そんな中で自分が何者か知らないような主体がイドです
それは定義上直接認識できないのですが
他者の上に対象aを通じて…やっぱ別のスレでやりましょう
中古で買っちゃったのか
>>150 >真賀田四季博士って、なんかソクラテスに似て
彼女の思考は思弁的であっても哲学的ではないように思われます
また天才ではあっても超人ではないような気がします
でも森博嗣はある種の理系(工学)の雰囲気を伝えるのがさすがに上手いですね
事件が起こる前に、ロボットがコップを運んで来るシーンがありますが、
あれなんか自分は味気ないなあ、と思いますけどね
>虚数はどのような存在か
ラカンが虚数iを主体の比喩で使ってますけど、何となく分かる気がします
>虚数は概念だけの存在
ところが数学だけでなく物理でも出てきます、電気電波系統ですね
>虚数を除く数は日常的に馴染んでいるから実在《的》だ
それがアリストテレスに始まる可能無限的な立場だと
実数は実在しないというんですね
>>151 >ドラクエに廃墟は付き物
ドラクエに限らずRPGのストーリーは必ず手遅れの状態でスタートするんですね
いや、ハリウッド映画とか他にも共通する物語の古典的なパターンですが
RPGの本質はレベル上げにありますが、その形式上後の方の敵を強くして
クライマックスのラスボスを強大にしないといけません
そこで主人公たちの行動は後手後手に回ります
(中ボスは倒してローカルな地域は救ったが重要なアイテムは取り逃がすとか)
>>152 ファミコン世代なんでよく知らないんですけど、
ウィザードリィとかウルティマとかなんかそれ以前のRPGに対して
「パクってるけど、もっと簡単親切にするぞ」という意気込みの表れが経験値7です
今の標準は、ダンジョンの途中でエンカウントした雑魚敵を逃げないで倒せば、
別にレベル上げしなくても自然とボスを倒せるのが相場になってます
>>155 もちろん新品ですが
>>153 私は四日前に、『星空ぷらねっと〜夢箱〜』を買いました。
保存状態のよい中古で約5,000円。
『クロスチャンネル(
>>139)』と同じ書き手らしいので。
音楽は不思議です。
最初は気に入らなかった曲も、
何度も聞いているうちに良い曲だと感じるようになってくることもあります。
初めて聞いたときに良い曲だと感じるのは、
既に似たような曲を何度も聴いて馴染んでいるからなのかもしれません。
って、これは感覚一般に言えるかな。
>>154 154の後半に触発されてラカンについて少し調べてみました。
恥ずかしながら、ラカンについての知識は無きに等しいので。
次の文が面白かったです。
坂部恵「面」in『事典哲学の木』講談社(924-6頁)
そういえばこの方は、次の本の終盤で、
ラカンの用いる概念の伝統負荷性?とかいうようなことを言っていた気がします。
坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』岩波書店
>>156前半
>彼女の思考は思弁的であっても哲学的ではないように思われます
確かに、劇中の会話から推測される彼女の会話の格律は、
「機知」は重視するが「吟味検討」は重視しない類のものだと思われます。
ここは決定的にソクラテスと異なりますね。
似ている所の方が少ないですけど……。
こんな本が出てました……。
土屋 賢二 森 博嗣『人間は考えるFになる』講談社
>>156後半 これとこの次のレスは、著しく信憑性の乏しいものなので注意!
>ところが〔虚数は〕数学だけでなく物理でも出てきます、電気電波系統ですね
借金が負数で記述されるから負数が「現実的」だというのなら、
物理学の対象を記述する虚数が「現実的」だと言ってもよいではないか、
となりますね。
一般的に、数学によって自然現象が記述されている、と言えます。
(そして、なぜそんなことができるのだろうか、と問うらしいです。)
H・フィールド『数のいらない科学』という有名な本があるらしいですが。
>それがアリストテレスに始まる可能無限的な立場だと
>実数は実在しないというんですね
恐らく、ミチル篇の書き手は、
存在のありかたを、次のように分類していると思われます。
@実在 A概念だけの存在 B非存在
上記引用文をミチル篇の書き手風に言い換えれば次のようになるでしょうか。
「実数は概念としてすら存在しない。それゆえ、実在しない。」
形式的には、それを仮定すると矛盾するものは、
概念として存在しないと言ってよいと思います。
しかし実数は、ボルツァーノやらコーシーやらが、
自然数から定義していたという記憶があります。
上で実数が実在しないとされる理由は非形式的なもので、
具体的には反実在論でしょうか。
>>156後半
例えば竹内外史氏ならば、ミチル篇の書き手を次のように諭すかもしれません。
(かつて『証明論入門』を、その最後にあるエッセイだけ読んだのですが、
以下はそれに基づくものです。
誤解や記憶違いがあったらごめんなさい。)
君は虚数には現実に対応するものがないと言うけれど、
そもそも現実ってなんだ?
君は現実は感覚的経験に基づくと考えているようだが、
感覚的経験も習慣によって形成されるものではないだろうか。
我々数学者は習慣によって数学的経験を形成するのである。
数学的経験に基づくような現実があって何か問題があるだろうか。
次の文は、上の話と関係があり、すぐに読み終えることができて、
更に、楽しめるものだと思います。
飯田隆「第V部への道案内」 in 飯田隆編『リーディングス数学の哲学』勁草書房
岡本賢吾「無限」 in 『事典哲学の木』講談社(901-8頁)
「討論―超準解析とは何か」 in 斎藤雅彦『超積と超準解析(増補新版)』東京図書
>>158 私もファミコン世代なのだと思います。
『WizardryTUV』はファミコンで(そしてそれのみで)遊びました。
懐かしい……。
夏休みに、プール教室から帰ってから、
ドラクエとかウィズとかやってたことを思い出しました。
(クロスチャンネルの、フラワーズがプールで遊んでいるのを
黒須が眺めているときのような気分です……。)
165 :
電波おやじくん ◆B5j0Fhef0w :04/09/26 18:30:43
>>156 少し思いを巡らせてみたので……
>ラカンが虚数iを主体の比喩で使ってますけど、何となく分かる気がします
虚数の歴史的起源に限って考えてみると、
虚数は、方程式を解くために「仮設」されたものだったはず。
一方、人格とか主体とかいう類の概念には、
社会生活を送るために「要請」された、
という側面もあるように思われます。
「仮設」とか「要請」とかいう行為に依存する点で、
それらの概念には、重なる所があるということでしょうか。
「ヒュポケイメノン」、「主体」、「基体」、「仮設」、「先言措定」、「実体」……
概念史と翻訳の錯綜が、混乱を惹き起こします……(自嘲)
166 :
考える名無しさん:04/09/27 09:39:37
ホントニ スコシ ダナw
>>159 あと中古で300エソでアンリミテッドサガを買いました
音楽とか良い雰囲気のゲームだけどシステムが凄い分かりにくいです
しかし…PSIIのコントローラーがいかれてゲームが出来なくなりました
ゼノサーガIIの戦闘音楽はIに比べてメロディアスではない
つまり覚えにくくて口ずさみにくいのが不満ですね
特に昔のゲーム音楽は電子音なので印象に残りますが
CDに媒体が変わってから普通の音楽になった気がする
定番だけどZUNTATAとかが好きです
>>160 どんな事言ってるのか分からないとコメントできないですね
>>161 すべてがFになるもそうだけどかまいたち2監獄島とか、
ああいう大掛かりなトリックはすぐに分かりますね
Fの魅力は工学空間と理系女性にあるでしょう
>土屋 賢二 森 博嗣
文系と理系の典型みたいな人の対談ですね
>>162 >数学によって自然現象が記述されている
人間の論理的構築物である数学がなぜ
外界の自然を記述できるのかは謎で
それを考えた代表的な哲学者がカントです
カントは数学をアプリオリで総合的な認識と捉えました
可能無限的には数や無限集合を規則して捉えます
これを構成主義といい、反実在論だと言えます
平方根やπを作る規則はあるので個々の実数は認められますが
そうした規則が集まった実数の集合は
自然数と違って体系的な規則はないので(規則の規則はない)
実数の無限集合というのは実在しないという事になります
とはいえ数学界ではマイナーな考えでしょう
>>163 ゲームの話を大きく超えるから深く追求しませんけど
無限は現実に対応しないと思う
しかし一方で無限に基づく現実というのは体験します
>>164 例えばバイオハザードの元ネタはアローン・イン・ザ・ダークなんですが
(もちろんカプコンは自社のスイートホームが元とか寝ぼけた事を言っています)
元ネタの洋ゲーをやるとつまらない事が多いです
ゲーム業界は加工が上手いと思う、これは日本的な才能かもしれない
ただ今は移植・続編・廉価版など加工が多すぎて逆にだめだと思います
>>165 虚数iの比喩を用いられるラカン的主体は要請されるものですよ
「あなたは私の主人(妻・恋人・先生…)です」という創始する言葉によって
仮設される関係の中で始めて主体というものは意味を持ちます
それは現実の属性に関係なく設置できるので、
「なぜあなたが言うような私なのか」というヒステリー的な疑問が起こります
哲学とゲームの接点を見つけるのが難しいですね、どっちかに偏りがちになる
哲学とゲームに共通するのは
社会から逃避してることだけだね。
それは趣味的なもの一般に言えるんじゃないかな
言えるね。
しまった。
>>168一段目
>>170三段目
170三段目と関連させて、168一段目に応えてみます。
「170で示された限りでのラカン」が継承したと思われる見解(伝統負荷性?)を挙げた後に、
坂部氏の見解を劣化コピーして述べます。
レーヴィットやディルタイは大体次のようなことを述べます。
人格には、「文化の諸連関や社会の外的組織の交差点」やら
「社会的役割」やらという側面がある。
しかし、もちろん「実存的(ヒステリー的?)」側面もある。
後者の重要性を忘れてはならない。
レーヴィットは、「ペルソナ(仮面、性格)」と「役割」という言葉を、
ほぼ同じ意味で用いているようです。和辻もそれを継承しているのかな。
で、『仮面の解釈学』『ペルソナの詩学』という著書のある坂部氏の見解を、
乱暴に三言で述べてみます。
「ペルソナ(仮面、性格)」と「真の自己」という構図は虚構的である。
「現象」と「物自体」という構図も同様である。
しかし、虚構的であるからこそ現実性を帯びるということを否定することはできない。
>>162 やはり間違いがありました。
ボルツァーノやコーシーは、「実級数が収束するための必要条件」を
把握していただけだそうです。
その十分条件を示すには、実数の厳密な定義がなければならないそうですが、
それを示したのが次の二つの方法らしいです。
@デデキントの有理数の切断を用いる方法
Aカントールの有理数列を同値類に類別する方法
>>169後半
潜在(可能)無限の立場では、自然数全体の集合も認めないのでしたっけ。
で、個々の実数が有理数列の同値類、ってことは、
個々の実数が無限集合の無限集合である、ってことですかね……。
>>170一段目
哲学愛好者の符丁を用いて言い換えれば、
「現実」は、無限の実体の様態である?
170二段目
『スイートホーム』は、小中学生のときに愛読していた
宝島社(JICC出版局)のゲーム雑誌で、傑作だとされていたのを覚えてます。
廉価版は有難いし良いと思います。ゼノギアスの本が高い(
>>142)理由のひとつは、
未だに廉価版が売れ続けているのに、本を増刷しないからでしょう。
本を増刷しない理由は、CDと本の原価には雲泥の差があるからかな。
>>167一段目
なんか新しいSaGaが出るみたいですね。
TVCMのあの人は実写版の光明神でしょうか……。
>>171 では、ネタ振りとして、子供を弁神論へと向かわせそうなゲームの台詞を、
不確かな記憶に基づいて記してみましょう。
『ロマンシング・サガ』の最終ボス「邪神サルーイン」の台詞。
「所詮人間は神の作った道具に過ぎん。」
『真・女神転生』の終盤の固定敵「魔王スルト」の台詞。
「人間よ、神に作られた出来損ないの人形よ。
お前たちは所詮滅び行く定め、ここで引導を渡してやろう。」
更に『ペルソナ罪と罰』の最終ボス「ニャルラトホテプ」は、
人間は実験動物だとか言ってました。
で、最後の言葉が、
「覚えておくがよい。
世界の中心で蠢く白痴の塊とは貴様ら自身のことだということを。」
デルフォイの柱の銘っぽい……。
なお、最終ダンジョンの名は「モナドマンダラ」です。
ペルソナは、
>>175と関連することをゲームシステムに盛り込んでいました。
敵に合わせてペルソナを付け替えるという戦闘システムは示唆的です。
179 :
考える名無しさん:04/10/05 01:59:03
ドーモ ハイリコメンw
180 :
考える名無しさん:
量スレあげ