重複スレという非難は覚悟ですが、あえて立ててみたいと思います。
なお、私は「<核を含む武装中立論者>」のようです。
はっきりいって、もう人類に「戦争をする理由はない」と考えます。
「戦争」というのは「犯罪ではない人殺し」ということでしょう?
人を殺すのに「自分が殺される(死ぬ)から」以外の理由は認められない
と思います。少なくとも「正当防衛」以外で犯罪にならない人殺しは原則
的にないでしょう?(少なくとも近代国家では)
人類の食料の生産総量が人類全体の生存不可欠な量よりも低い時代には
「生きるための戦争」も認めざるを得ませんでしたが、現在はあり得ません。
よって「反戦」は理性的に当然の結論です。
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他スレに上のような書込みをしました。けっこう議論が続きましたが、結局は
「現在の自衛隊の状況は・・・・」「イラク派兵に賛成か反対か」という、原理を
追求するとは思えない議論になってきましので、遠慮しました。
そのスレでは「戦争は殺人を目的としていない」という議論をいたしました。
私は真っ向から意義を唱えました。
なぜ他者の人格を抹殺する、それも結果としては「必ず、無差別に」抹殺
することになる戦争が、未だに地球上で合法とされているか、どうしても
わからないのです。あらゆる政治的な議論の場で「戦争を無くそう」という
議論は完全に無効の状態です。
なぜなのか、わかりません。
原理からの演繹的な議論ができればと思っております。
>>1 そもそも核を含む武装中立論なんて成り立つんですか。
軍事力は物理的に行使するときにだけ力を持つわけではないのだから、
武装中立を謳うなら、世界中に核を拡散しなければならなくなりますよ。
反戦とは全く逆行した考えでしょう。
>わからないのです。あらゆる政治的な議論の場で「戦争を無くそう」という
>議論は完全に無効の状態です。
別に無効ではないですよ。
紛争の原因を無くそうという議論は有効かつ、重要な問題として扱われています。
国際会議で、それがテーマにならないことはほとんどありません。
ただ、今日軍備を全て廃棄すれば、明日からいきなり「戦争が無い平和な世界」が
始まるといった、短絡的な幻想を持っていないだけです。
>>4 「政治思想板」の方が適当なのでしょうか?
原理的に、と言った場合、哲学的に、というのと同義だと思ったのですが。
>>5 前のスレで話していたのですが、もちろん核廃絶は当然の理想ですが、
「現状として」核武装も止むなしと考えている、と表明したのです。
ですから、こちらのスレではもちろん「殺人のためにしか使えない
兵器」など無くすことが原則です。わざわざ1に書いたのは「夢想で
しかない反戦平和論」と一線を画したい、画したものとして議論した
いという気持ちの表れからです。
>>6 そうなのですか? しかし、たとえばパレスチナ問題など、どう
して「人を殺さないためにはどうすればいいか」を議論したとは
思えないし、考えてもみないようにしか見えないのですが。
「目には目を」の原則があるからですか? あまり大きなことは
言いたくないのですが、「汝殺すなかれ」の原理から平和を
導こうとしているのは、憲法九条と私だけのようにすら思えます。
もちろん、先に述べてある通り、「現状と憲法九条は乖離している」
と考えている訳ですが。
この板に乱立する「俺は悟りを得たから何でも聞いてよ」のテーマ
限定版と考えていただいて差し支えありません。『純理』あたりを
読んで、すべてのことは論理的に答えを出せる気になる時期が
(哲学科の学生なら)誰にもあるものと思いますが、やはり「戦争
を合法と考えてはいけない」という原理から平和を導き出せるよ
うな気になっているのです。
9 :
三浦 ◆Dshu0PxSp6 :04/04/26 17:39
理想論のようには現実はいかない。
10 :
三浦 ◆Dshu0PxSp6 :04/04/26 17:47
アメリカは定期的に戦争をしないと経済が成り立たないからな。
もうシステムとしてそれが完成されているからね。
そこらへんはどう考える?
もうこうなったらレイシオの思想しかないんじゃないかね?
アメリカ人一人の命価値はイラク人1000人の命の価値と同じだってやつ。
>>10 「レイシオ」という名前、覚えておきます。
問題は「市場で命の値段がつけられている」という現状に何故
倫理的な「絶対悪」の評価をつけられないか、ということなのです。
「命は地球より重い」という、後々に多大な悪影響を残した日本の
宰相の理想論は原理的には正しいのです。
「私は市場を守るためなら命を捧げられる」という人間が増えて
ゆけば、恐らくアメリカ中心の「システム」は完成してゆくでしょう。
最近発表された「星条旗に包まれた柩の群れ」の中に横たわる
「かつて人格であったもの」は、「市場のために命を捧げた」訳
ですが、彼らは「市場のために命を捧げるつもりで」イラクに行っ
た訳ではないと思います。恐らくは「9.11で死んだ同胞のため、
そして、自分たちの家族の命を守るため」に「命を捧げた」のです。
貨幣に「パン屋のお金」と「カジノのお金」があるようには、命には
「市場に捧げる命」と「愛する者のために捧げる命」との間の違い
はないはずです。この欺瞞を露にするのが哲学をするものの使命
ではないのでしょうか?
一定の法律に関する解釈であり、他の事件への適用の可能性のある
もののみを判例と呼ぶ。判決の一部を取り出して、先例としての価値
(レイシオ・デシデンダイ)のある部分のみが判例であるとする考え方もある。
レイシオ、とはこれのことでしょうか。
レイシオ、を人名と思い込んでしまったことは恥ずかしいです
が、議論を進めるのに問題はないと面っすいます。
スレタイの思想は原理であるからこそ力を持つのであって、
その説得力に知識が反映する必要はないからです。
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>>7 >そうなのですか? しかし、たとえばパレスチナ問題など、どう
>して「人を殺さないためにはどうすればいいか」を議論したとは
よくわかりませんね。
パレスチナ問題、というのは、パレスチナにおける、
イスラエルと、他のイスラム系原住市民との紛争のことでしょう?
紛争問題について当事者間、あるいは第三者が議論する場合には、
最終的には、「紛争を終結、あるいは緩和させる」事が目的に
ならざるを得ないし、現になっていると思うのですか。
あなたのいう、「「人を殺さないためにはどうすればいいか」を議論」する、
というのは、今まで何度も行われ、今も行われている、紛争解決のための
議論と、具体的にどういった点で異なるのですか?
>>14 なるほど。
しょせん「汝殺すなかれ」で紛争を止めようというのは、「交通事故で
人が死なないために、車をすべて無くそう」といってるのと同じなので
しょうか・・・・。
イスラエル人もパレスチナの人も「俺たちだって殺したいと思っている
訳ではない、だが、自分の命を守るためには仕方ない」と思っている
から紛争が続いているのですね。
「殺すな」を実践するためには「殺されても殺すな」と言うしかない訳か・・・・。
「殺す」人々が、毎日毎日、罪の意識に苛まれ、一刻も耐えられなくなる、
「殺すことに手を貸す」人々が、地獄に落ちる悪夢を見て眠れなくなる、
そういう倫理感を持つしか、真剣に「殺す」ことを辞める日は来ないのか・・・・。
かつてブッシュ大統領が18歳の少女の自爆テロによせて「お互いの未来が消
えてゆく」と悲痛なコメントをしていました。しかし、9.11の後にはすべてが正当
化できると考えるようになったようです。
結局程度問題なのか・・・・・・・。類似スレを立てたという負い目から、しばらく
サゲ進行にします。