だからにちゃんねるは生理的レベルでの共有にむかい
だれが理性的発言があっても必ずそれに対立する理性的発言がなされ
フレーミング戦となり最後は生理的、ネタ的議論に発散していくのである
だからブログはにちゃん周辺に様々な理性的言説として確保されるのである
>>950 経済界は大変だったんですよ〜、ぴかぁ〜さん。
飛行機ひとつで末端の子会社がいくつ潰れたか
日本でアルカイダ大規模テロがおきる
北朝鮮が原爆落とす
このときにちゃんねらーは怒りを共有し
反撃集団と化すか?
これはたいへん興味があり
いまかいまかとこころまちにしています
アーソーデスカッ
たとえば東氏のいう環境管理権力にわれわれは陥るだろうか
生理的コミュニティは管理されるだろうか
このように考えると
テクノロジーとコミュニティの関係は密接である
なぜ民主主義に向かったのかは
理性的主体の人口がある程度達すれば
価値は多様化し
理性的言説により帰属意識を保つかとは困難にならざるおえない
このために主体各自の理性に判断を委ねる形となる
そしてコミュニティの帰属は消費にもとめられたのである
それははじめ科学的言説にゆだねられたのかもしれない
その頂点が帝国主義にある
その後消費にもとめられていく
その意味ではマルキシズムとは
充分理性化されていない市民と
資本家による搾取、劣悪な労働条件への不満の共有が
マルキシズムという理性的言説のもとに
コミュニティの成立を可能にしたといえるかもしれない
ネット社会ではより生理的なキーワードかコミュニティの帰属意識を高めるだろう
イラクの人質事件では
みじかになったテロへの不安感であったし
またにちゅんバッシングのマスメディアへの不満であったり
キムタクドラマへの期待感などである
これはネットという心象交換が可能と
ひとびとが理性的なったためである
理性的主体と生理的コミュニティ
キムタク??
965 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 23:06
はてな重すぎやねん!つながれへんがな。昔の2ちゃんを思い出すなあ
966 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 23:07
最近、2ちゃんが飛ぶ夢をみない・・・
>>961 さあ、批判するかw。
>マルキシズムとは充分理性化されていない市民と資本家による搾取、劣悪な労働条件への
>不満の共有がマルキシズムという理性的言説のもとにコミュニティの成立を可能にしたとい
>えるかもしれない
まさに「ブルジョア的に硬直化(悟性化、単純化)した視点」以外のなにものでもない。それこそ、
ぴかぁ〜さんの批判する、単純化であったはずなのに。「学(理性)からの遁走」の理由付けのた
めだけの「感覚主義」がさらに劣悪な単純化を生むという好例。
968 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:05
>>967 それでは答えようがないぞ。単なる感想だろう。
だからパロールちゃんって言われるんだよ。
969 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:10
はてな、完璧死んでますな。
最近のブロガーの爆発増加によるものですな。
970 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:16
>>967 しかしこの議論は無理かもしれんな。
哲学ちゅう理性主義は、わしが考える自然主義を語る言説はないからな。
自然主義的誤謬であぼーん。
わしはそこをつい取るわけや。普通のこと普通に語るちゅうことや。
>>970 ぴかぁ〜さんはまず、理性と悟性の語義の区別をちゃんとしないと。「理性」を単に
「感覚、感性の対義語」と捉えているから自分で自分を混乱させているのです。
972 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:32
973 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:33
ってか、ばかぁ〜はわしの視点を理解できるのか?
>>972 「悟性主義的哲学」と「理性主義的哲学」があるからです。この区別は、観念論、
唯物論、現象学、構造主義、実存主義、ポスト構造主義、などの区別よりも深く
広い、根源的な区別です。
ぴかぁ〜さんの理論はうまくいけば(あと5年くらい哲学を勉強すれば)「悟性主
義的哲学」くらいは批判できるかもしれない。しかし「理性主義的哲学」を切る
にはぴかぁ〜理論では絶対に無理です。根本的な転回が必要。
975 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:54
はてなも潮時かもしれんな。
この書き入れ時につながらんって終わってるよ・・・
976 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:57
>>974 >「悟性主義的哲学」と「理性主義的哲学」があるからです。この区別は、観念論、
>唯物論、現象学、構造主義、実存主義、ポスト構造主義、などの区別よりも深く
>広い、根源的な区別です。
単なる知ってること?を語ってるだけ。
>ぴかぁ〜さんの理論はうまくいけば(あと5年くらい哲学を勉強すれば)「悟性主
>義的哲学」くらいは批判できるかもしれない。しかし「理性主義的哲学」を切る
>にはぴかぁ〜理論では絶対に無理です。根本的な転回が必要。
感想。
なぜぴかぁ〜理論には無理なのか?
これを書く必要がないが、いつもこの核がないのよ。チミのれすは。
知識+感想でしかできてないさ。
>>975 金曜の夜だから?はてなが有名になって読まれるのはいいけど、同時に重くなるから
読まれにくくなるというパラドックスですか?
978 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:58
これしか書く必要がないのに、
979 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 01:01
>>977 ただだからインフラに金かけないのよ。
ある設備でやっとけってこと。
そうやって人が流れていく。いつものネットの法則ね。
>>976 僕のレスが「知識+感想」というのはぴかぁ〜さんの感想でしょ?まあいいやw。
誰か森本和夫の『「正法眼蔵」読解』読んだ人、いませんかね?
感想をお聞かせいただけませんか? 良さげなら読みたいので。
10巻も続くかと思うと、ちょっと買うのに気合いが要るもんで。
982 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/15 02:27
あげ忘れた。
あんぬちゅう love
NHKの深夜ラジオで昔「正法眼蔵を読む」ってのを朗読してたな、
あれは良かったな。
985 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/15 03:33
>>984 森本和夫が? レス、ありがとう。
この人、同じちくま学芸文庫で『デリダから道元へ』なんて出している。
いま調べてみたら、バタイユの『エロスの涙』も訳してるんだな。ヘェ〜。
で、既刊の3巻まで読んでから(これだけでも、けっこう値がはる)
実は森本はDQNでしたなんていわれても、泣くしかないしね。
たぶん森本和夫だったと思う。
朗読は心に沁みて感動したが、
いざ、図書館で借りて読もうとしたら、
文字のほうは頭に沁みてこず挫折したよ。
988 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 17:09
@生命は秩序を維持する。環境という発散に対抗する形で、それはエントロピーの増大。
秩序は階層構造である。
・細胞の秩序・・・個体性(人というシステム)、個体の秩序・・・集団性(コミュニティというシステム)
・個体を主に考えた場合に、個体性と集団性は反する力として働く。
たとえば、個体性を高めるということは、主体の自律した理性的な主体になることを意味する。
集団性を高めることは、主体は主体で完結しない集団の一部として機能する。
・個体は個体性と集団性のバランスと取ろうとする。
・人には、コミュニティへの帰属意識と、自己同一性という生理的な力が働く。
989 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 17:11
A近代以前は、教育など不十分で主体の個体性はまだ弱い。そのために集団性は高くなる。
このために権力者において個体性が高く、そのたは集団性が高い。
人々がコミュニティを形成しようとする場合に、そのコミュニティ内の価値を権力者の
理性的な言説によって、コミュニティの帰属意識を高めて、コミュニティを管理する。
それが規律訓練型社会である。「ひとりひとりの内面にイデオロギーや理念といった
規範=規律を植えつけ、価値観の共有を基礎原理にしている人々を管理するのである。」
それははじめは宗教であった。そして近代それは科学に変わっていく。
その中で主体は市民革命を経て徐々に個体性を高めていき、集団性が低下する。
990 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 17:11
Bポストモダンにおいては、価値の多様化によって、もはや「大きな物語」は崩壊していく。
この中で集団性は消費へむかう。現前の他者たちから離れて、いく中で
コミュニティはマスメディアが作るようになる。それは様々な記号を共有することにより記号コミュニティが形成される。
さらにそれはネット上へと移る。ここでは人々は、理論主義がコミュニティの帰属意識を高めることが
困難である。さらにマスメディア的な言説もさらにパロール的コミュニケーションが復活する。
そしてここではパロールにおいて、コミュニティを共有することが感情的、感性的なものに
求められるようになる。人々は生理的な部分で共有を試みる。
このような状況の中では生理的なコミュニティ化していく。そして管理は環境管理型社会へ移る。
アーキテクチャにより管理に進むのである。
991 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 23:08
新シリーズカイシーん!
<b><FONT size="+1">コミュニティ論 その1 偶有性と単独性</FONT></b>
<b>有機構成</b>
生命とはなにか?生物学において生命を示す概念として<b>「有機構成」</b>があります。
有機構成とは「物質的要素が複合体をなすさい、要素の特定の配置が維持されているような、
同一性を保つ構成化の水準」を示します。
これは要素が配置をなし、その配置が維持されることにより機能が保もたれることを表しています。
992 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 23:08
たとえば機械製品は、要素が配置をなし機能を保っていますが、
一部が破壊された場合には配置が再生され、機能を保つことはありません。
しかし生命は、自己再生し、機能を維持しようとします。
この場合、要素は細胞であり、有機構成が生命です。
しかし有機構成の概念は、要素を生命とし、コミュニティを有機構成として考えることができる。
ここに細胞と生命とコミュニティという階層構造を見いだすことができます。
993 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 23:09
<b>偶有性と単独性</b>
人においても同様なことが言えます。細胞を要素として人は機能を維持しています。
これは<b>生理システム</b>です。
生理システムとしての私には強い<b>単独性</b>を見いだすことができます。
それは私の内的な力として、私を私として維持しようとすることです。
このような延長線上に「私は私である」という自己は見いだされると考えられます。
自己とは生理的な人内部の力ということになります。
994 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 23:09
しかし「私は私である」という内的な力があるとして、人を要素としたコミュニティの場合には、
人は<b>偶有的</b>な存在でしかありません。
人の生理システムは限りなく同じであり、もしコミュニティの一部が破壊された場合、
それは要素としての人が欠落した場合に、コミュニティは再生される、
すなわち要素としての人は代替されるからです。
人は、偶有的なコミュニティの配置において、単独性を見いだすことになります。
私の意味は、私の代わりはいくらでもいるわけではなく、コミュニティにおける私の配置は
私でしかあり得ないという単独性に見いだされる必要があります。
ここでは私の意味とは、コミュニティにとっての私の意味、
または他者にとっての私の意味が重要となります。
よって自己の意味は、偶有的なコミュニティ内の配置から、内的な力として勝ち取るものです。
人は、このような単独性と偶有性のパラドキシカルな状況において、
そのバランスをとり生きています。
995 :
(*゜Д゜)差異化運動会 ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 23:16
ん?
「次スレを立てない」ことこそ革命的だ。
997 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 00:14
ぴかぁ〜さん こんばんわ。
もう直ぐ1000だね。凄いね。
頑張ってけろ。
ほんじゃま。
1000!
1000 :
考える名無しさん:04/05/16 00:31
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。