1 :
考える名無しさん:
◎ ←太陽肛門?
唐人とお吉
表の顔はパリ国立図書館司書。
裏の顔は非合法ポルノ小説書き。
ある意味、読子・リードマンの元祖か。
ベンヤミンのパサージュ論の草稿群を、
彼の友人だったバタイユが預かって図書館の中に保管してたんだっけ。
ブランショの友人
フーコーがマンセーしていた人
ミックのアホが居た。
ニーチェの精神的継承者
眼球譚でオナーニ
バタイユ(「=戦い」)を名前として生きたなんて、なんだか象徴的。
ある意味、彼の活動は西欧の伝統的思考へ挑んだ戦いだったわけだし。
ばたいゆばたいゆ
戦後フランスでのニーチェ受容の先鞭をつけた
16 :
考える名無しさん:04/05/19 07:07
バタイユで一番エロなのはどれ?
やっぱ『エロティシズム』?
そんな本あるんでつか?
ある。
>>16 とりあえず『眼球譚』『マダム・エドワルダ』『太陽肛門』などのエロ小説を。
20 :
考える名無しさん:04/05/20 04:04
『太陽肛門』は小説じゃない。詩的エッセイみたいなもの。
『眼球譚』、『マダム・エドワルダ』と進んで、興味をもったら、
『C神父』、『母』、
そして仕上げに『空の青』、だな。
そこまで行ったところで理論面に戻って、
『エロティシズム』、『呪われた部分』。
わけがわからなくなりたければ、
『内的経験』、『有罪者』、『ニーチェについて』。
図版を見ながらコツをつかみたければ、
『エロスの涙』、『マネ』、『ラスコー』。
結局、そもそも何がしたかったのかを知りたければ、
初期の『ドキュマン』を読め!
恋を語らず何を語る?という世の中ですが、
このコピペを必ず5つのスレに書き込んでください。
あなたの好きな人に10日以内に告白されます
嘘だと思うんなら無視してください。
ちなみにあなたの運勢が良かったら5日以内に告白&告白したらOKされます
ありふれたエロを期待して読むと
見事に裏切られる…
死にいたる快楽?理解できない…
最近、出版された訳:酒井健の「エロティシズム」(ちくま学芸文庫)を読んだ人いる?
エロ
バタイユの後輩になりたいんだけど、国立古文書学校に外人は入れないよねやっぱ。
つーかそれ以前にあほだから無理なわけだが
27 :
考える名無しさん:04/06/09 21:42
内的体験を半分くらい読んだ
まあまあ面白い
混乱した認識論という感じ
わざと非論理的に語ってるぽい、つまりハッタリぽいとこもある
論文というより、断章形式ですね
w
私も某大学図書館に勤務しています。
真面目な生活をしています。
彼の担当部門への配置換えは、左遷に匹敵するものだったとか、
真面目な生活がいいよね。
31 :
考える名無しさん:04/06/30 13:17
空の青み
著者名
ジョルジュ・バタイユ
伊東守男訳
ISBN
4-309-46246-4
河出文庫
文庫 /248頁 ●発売日 2004.7.6 ●発行日 2004.7.20
定価/在庫
定価 882円 〔税込〕
20世紀最大の思想家の一人であるバタイユが1935年に死とエロスの極点を描いた小説。ロンドンやパリ、そして動乱のバルセローナを舞台に謎めく女たちとの異常な愛を描く傑作。
『空の青み』が文庫版で出た。
33 :
考える名無しさん:04/07/28 16:41
保守主義
34 :
考える名無しさん:04/07/28 18:48
「青空」なら天沢の名訳があるYO
一般経済学萌え
35 :
考える名無しさん:04/07/31 22:46
『エロティシズム』読もうと思うんですが
酒井訳か澁澤訳かで迷ってます。
36 :
考える名無しさん:04/07/31 22:49
エロスの涙で四肢を切断されてる中国人の写真はグロですな。
37 :
考える名無しさん:04/07/31 23:51
岡本太郎と友人だったんですね。
思想的にもかなり共通するところがあると思います。
でも、岡本太郎のほうがむしろナチュラルな激しさがあったかも
バタイユはまだ小説しか読んでないけど出てる文庫等は全部買ったんで
読んだらまた何か書きますね
しかしこのスレなんかスローでいいですね
38 :
考える名無しさん:04/08/01 11:42
>>36 あの中国人の表情を恍惚的だと、バタイユは表現していますが
ただ、コカインでハイになってるだけだろってツッコミたいですね。
わざと非論理的に語った「内的体験」について、
自分で「読む人を文学的に満足させてしまう」とか言って叩いてたと記憶する。
_,..-――-:..、 ⌒⌒
/.:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::.\ ^^
/ .::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::..ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
:::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::::
:::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::: 頑張ろうぜ・・・
:::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::::: ∧_∧
:::::::::::::::::::::::::::: ( ::;;;;;;;;:)
:::::::::::: /⌒`'''''''''''^ヽ
/⌒ヾ/ / .,;;;;;;:/.:;|
-―'――ー'''‐'ー'''―‐'―''''\,./ / .::;;;;;;:/‐'| :;|'''ー'-''――'`'
,, '''' `、 `´'、、, '''_ソ / `:;;::::ノ,,, | :;| ''' 、、,
,,, '' ,, ''''' ξ_ノ丶ー'ー< ,ゝ__> ''''' ,,,,
,, ,,,, ''' , ::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::::: ,,
,,,,,,, :::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;::::::::: ''
,, ''''''' ,,,, ,, :::::::::::::;;;;;;;;::::::
41 :
考える名無しさん:04/08/18 18:13
42 :
考える名無しさん:04/08/18 19:46
43 :
考える名無しさん:04/08/19 21:31
空の青み文庫版を立ち読みしたが訳に萎えた。
やっぱ青空の方がいいな。
>>42 おどろおどろしい表紙に惹かれて、澁澤訳にしちゃったんですが…
結構読みやすいですよ。訳語の古さが、若干目に付きますが。
酒井訳と澁澤訳ってどんな感じで違うん?
古書店で澁澤訳が安売りされてたから、ソレ買っちゃったんだけど…
文学板の澁澤スレで散々叩かれていたが
澁澤訳は意訳どころか不正確な訳、誤訳が散見され
場所によっては勝手に付け足したり、無視したりしている
恣意的な訳らしいよ。
澁澤化されちゃってるワケね。
意識的なモノじゃ無いと思いたいけど…
澁澤版読み終えたら酒井版探してきまつ…
クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』が
近いうちにちくま学芸文庫で復刊されるらしい。
今月はマダだ。
>>49 まじでかああ!?
そりゃあ、買いだな!
情報サンクス!
いいねいいねえ
保全あげ
クロソウスキー、出た。
おぅ、買ってきたぞ。
58 :
考える名無しさん:04/10/21 14:43:32
ジョルジュ・バタイユ
, _,................. _
,r::::::::::::::::::::::::::::::::::::-、
,r':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::i.
i'/  ̄''" ´` ー-、:::::::::::::::::::::ヽ、
.l'::  ̄ミ、::::::::::::::::!
l:: ,: ,:ヾ:::::::::::::l
l;:..._ _,._ ヾ;::;;:;;:;;::::::/
l::ir::i:: ':::::ir:、:_:.. ;:: -'、
.!::`´' '..:::`´'"` ;.:' r' ;::i!
l::::;' ;r ,:/
.!:(.__,.. ; .::i /
l::::: ::; ' , `´::ヽ
l::;ー‐--- .:::' !ヽ:::ヽ
ヽ::::::::.. ,.::'´ / .l;i:::::::ヽ、
ゝ:. ,. -;:'´ / ./:::::::::::::::::ヽ.、
,.:r::´::::::::: ̄!i:::::.. / r':::::::::::::::::::::::::::
,r:'::::::::::::::::::::::::::l ,ヽ-r '´ /:::::::::::::::::::::::::::::::
/:::::::::::::::::::::::::::::::l/:::::::::ヽ .,r':::::::::::::::::::::::::::::::::::::
59 :
考える名無しさん:04/10/21 17:30:30
澁澤版でなかったら読む意味なし。以上。
60 :
有太マン:04/10/22 08:31:51
バタイユなんて酒井の入門だけ読んどきゃ十分だよ。
俺?俺はちゃんと全部読んでるよ・・・。
因みに梅ちゃんは一冊も読んじゃいないよ。
61 :
考える名無しさん:04/10/22 17:19:06
バタイユって変態!!
62 :
考える名無しさん:04/10/23 14:19:08
少年よ、angoisseの体験なしに、バタイユ、ブランショを読み語るって、残念
63 :
考える名無しさん:04/10/23 21:34:12
バタイユが図書館の同僚に語った話
キミキミ、大勢でやるセックスほどいいものはないヨ
同僚は真面目なので、ひきまくったそうだ。
64 :
考える名無しさん:04/10/23 21:35:49
澁澤訳は読みにくかった。流麗簡潔ないつもの訳文ではない。
澁澤も読んでてよく分からなかったんじゃないかな。
あまりお得意な分野ではないだろうし。
岡本太郎に訳させればよかったんじゃないだろうか。
_ ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
( ⊂彡
| |
し ⌒J
ジョルジュ長岡
66 :
考える名無しさん:04/10/30 23:24:22
ちょっとage
67 :
名無し募集中。。。:04/11/08 06:09:10
バタイユってこの現代でこそ
めちゃめちゃ重要な思想家だという気がするんだけど
それを表立って言ってる人ってなかなかいないよね
確かに勇気いると思う
佐伯啓思の『新「帝国」アメリカを解剖する』(ちくま新書)という本で、
これは「アメリカニズム」と「ファンダメンタリズム」の双方を(より前者の方を)
近代的なニヒリズムの帰結の両極端として批判してるんだけど
その終わりの方でこういうふうにある
9.11はアメリカを、そして世界を大きく変えたといってよい。しかし、より正確には、これまで
われわれが見ようとしなかったもの、あるいは見えにくかったものを露呈してしまったといった方
がよい。9.11のテロリズムという突出した「野蛮」は、それと対峙した「文明」というもうひとつの
野蛮をあばき出したといってもよかろう。
様々に修飾された「文明」という衣装をはいでみれば、そこにはもうひとつの野蛮が隠されてい
ることを、それは暗に示した。宗教的原理主義の過激な形態であるイスラム・テロリズムは、世
俗的原理主義の世界的形態であるアメリカニズムと対峙したということである。
したがって、9.11によって、「文明」社会が、自由や民主主義という理念や思想よりも、リスク
から生命の安全を確保する「管理社会」へと変化したという見方はまちがいではないが、いくぶ
ん皮相的にすぎる。9.11があぶり出した真の問題は、宗教的原理主義に対する表現を絶した
恐怖であり、世俗的ヒューマニズムの脆弱さを超える思想の空白のいらだちであった。だから、
9.11の衝撃は、「生命の安全確保」の重要性に気付いたなどということではない。その逆に、
原理主義がもたらした「死の政治」のとてつもない「至高性」にこそあった。
68 :
名無し募集中。。。:04/11/08 06:09:52
と、やや唐突に「至高性」という言葉が出てくるんだよ。
バタイユの名は最初から最後まで出てこないんだけど(バタイユへと繋がる問題群を示した
マックス・ウェーバーやニーチェ、ヘーゲルは出てくる)、これは明らかにバタイユを念頭に置い
てのことだと思う。そもそも「アメリカニズム」というのが、バタイユ的な文脈でも非常に重要な論点
であった近現代の合理性だとか有用性あるいはそれに基づく消費形態の支配の極限な訳でも
あるから、よく考えてみなくても何ら不思議ではないんだけどね。
さらに宮台真司の「脱社会的存在」云々、「世界」と「社会」の二重写し的な乖離云々、
そして東浩紀の「動物化するポストモダン」云々にも背後には強烈にバタイユの思想が
控えてるように感じられる。
個人的には、近現代の成立与件である合理性だとか有用性だとかと矛盾しながらも併存できる
ような、神なき宗教的(あるいはウェーバー流に言うなら魔術的)世界観あるいは認識、
感覚の醸成といったものがこれから先求められ必要とされていくと思うんだけど、どうだろう?
ある意味では非常に危険ではあると思うんだけども、つまりはファンダメンタリズムにまでは
行き着かないためのものとしても、ね。
たとえば『呪われた部分』の「素朴な人間が再びみいだした宇宙」をある種、象徴的なものとしてね
自分はこの標題は、「近現代人一人一人の中にもかろうじてあるいは必ずや隠されて存するで
あろう「素朴な人間」が再びみいだした宇宙」というふうに解釈してるんだけども。
でも佐伯の書き方は「やっぱアメリカしかないだろ」
というのが露骨すぎて引くな
「至高性」の使いどころを間違えているというか。
9.11事件に恐怖したか?
俺はたいして衝撃じゃなかったけどね。
70 :
名無し募集中。。。 :04/11/08 07:28:15
あらら、こんなはやく反応が来るとは思いもしなかったw
自分は恐怖はしなかったけど衝撃はデカかったですよ
その佐伯氏の「アメリカしかないだろ」っていうのはむろん批判としてですよね
確かに9.11のそれは
バタイユの最も示唆しておきたかった部分の「至高性」とはまた違う「至高性」だと
思うんだけど、佐伯氏は「アメリカニズム」と共にその
テロにまで至る種の宗教的ファンダメンタリズムの「至高性」を批判してるんですよ
内心では多くの人間が、特にむしろ我々のような高度消費社会の側の人間が
テレビ画面や動画を通じて(あるいはそれと知らずに)魅かれ、ある種の恍惚をもって
感じていたその当のものを。
それはたぶん佐伯氏自身が自らの内で同じものを感じたことによる、
自己批判をも含めてのものでもあると思いますけどね。
少なくとも自分はそうでしたし、あの映像に対する人々の「息を呑むような
熱狂」というのはおそらくそういったものであったんだと思います。
個人的には、「アメリカニズム」に対する「宗教的ファンダメンタリズム」への
ある種の羨望だとかではなしに、もっと抽象的で捉え難い、「世界」そのものに
対する破壊の「宗教的ファンダメンタリズム」とでもいったものに人々は
捉えられていたんだと思ってますけど。
いやだから、それはバタイユとは関係の薄い
天下国家論にすぎない。
佐伯好きならこれ以上言わないけどさ
72 :
名無し募集中。。。:04/11/08 18:21:09
いや決して天下国家論に限るものじゃないんだって
73 :
考える名無しさん:04/11/08 19:14:07
酒井さんの文体ってなんかピンとこないな。
『絵画と現代思想』はダメダメだった。とってつけたバタイユ引用が寒い
75 :
考える名無しさん:04/11/09 07:45:53
童貞を捨てたニーチェ
76 :
考える名無しさん:04/11/09 10:14:33
というよりも、バタイユの言っていることの大枠は、べつだん
当時の言説配置からすれば当然出てくることであって、
バタイユそのものの思想は、わりと把握しがたいわけだ。
で、バタイユの言っていることはわかるが、バタイユがなにを
問題にしているのかはとても分かりにくい。ただ、バタイユ研
究者がどうであれ、バタイユと似たり寄ったりの問題を扱って
いるからといってバタイユ主義とかいうのはないね。
バタイユの経験(むろん思索の経験のことだ)については
すでにフーコーが相対化しているが、フーコー読めば書いてある
ことをわざわざ解説して、これが思想です、って提出し、金
もうけしているだけなんだよ、ポストモダンに掉さしている
言論は。
だが、バタイユのいう存在の連続性は、なまの自然そのもの
のことではないし、そう読んだのは浅田とか中沢とかだろ。
は?
「ポストモダンに棹さす言論」て具体的に誰だよ?
印象操作でおおざっぱな煽りかますのはやめろよ
それこそ
「バブルに対するおおざっぱな反感を頼りにして、これが思想です」
って提出しているだけじゃん。
知の商人批判する香具師って、すぐその身振りで自分が商人化するよな
ほしゅ
太陽肛門
p
81 :
考える名無しさん:04/12/06 15:26:16
あ
82 :
考える名無しさん :04/12/11 02:16:42
なんだかんだ言いながら佐伯啓思は経済思想研究者としてバタイユが好きみたいだね。
講談社現代新書の「「欲望」と資本主義」でもバタイユについて一節を割いて詳述してる。
83 :
考える名無しさん:04/12/11 21:17:55
>>82 あぁ〜やっぱそうなんだ
迷ってたけど購入してみようかな
バタイユって(フロイトと共に?)
いわやるポストモダンで出てきた思想家たちの源流的存在なんだよね?
論理の緻密さや整合性・学究性では「弟子たち」に一歩も二歩も(?)譲るものの
やはり源流だけに彼ら支流の「薄さ」「細さ」もっといえば「貧困さ」とは決定的に異なる
とにかくパースペクティヴのスケール(むろんミクロ/マクロの両極方向に)がデカいし
思いがけないところから論理の言葉を構築してくる
これはおそらくバタイユその人が極めて宗教的な(単にバタイユ的な意味でだけでなく)な感性の
持ち主だったからではないだろうか?
現代の思想にかなり甚大なを影響与えてるはずなのに
同世代の思想家(ポストモダンも含めて)に比べて直接名前が出されにくいのはなぜなのだろう?
それはやはりエロティシズムがその大きなテーマの一つだったり
一見ポルノ小説と見紛う作品をものしてきたから?
いやそれもあると思うけど
『内的体験』とか『有罪者』とかああいうものを書いているからだろうな
サルトルが「新しい神秘家」と呼んだのが象徴的だけどね
学究性とクールさでもって学者的であるためには
バタイユを自分の思想の原基であると告白するには耐え難いのかも知れない
でもバタイユを専門に研究してる学者より
他分野出身で(現代での)バタイユの重要性をわかっている人らの言辞の方が
はるかに刺激的で可能性を感じるのは面白いことだ
84 :
考える名無しさん:04/12/11 21:21:07
>>83 >バタイユを自分の思想の原基であると告白するには耐え難いのかも知れない
↓
バタイユを自分の思想の原基であると告白するのは耐え難いのかも知れない
に訂正
85 :
ケツの穴:04/12/13 09:13:24
そもそも名前がかっこいい 名前からして頭よさげだ 名前からして粋だ 名前からしてユーモアを解しそうだ 今後、ペットを飼うことがあったらジョルジュにしようと思う
>>85 格好良いて馬躰兪の方じゃ無いのか!聖ジョルジュの戦いだと思っていたよ。
87 :
考える名無しさん:04/12/13 12:30:03
88 :
考える名無しさん:04/12/13 15:00:28
競争馬でバタイユという名前はいないかな 単勝買うんだが
えろえろsage
>>83 へえ、それは意外。
クリシンもそうだった
91 :
考える名無しさん:04/12/29 20:09:46
クリシンって何?
92 :
考える名無しさん:04/12/29 23:12:20
>>91 明治大学教授→国会議員→脳梗塞でリハビリ中
そりゃ栗もry
94 :
sage:04/12/30 23:23:07
えろってつまんない
sage
96 :
考える名無しさん:05/01/16 11:12:02
酒井建 著
哲学の現代を読む1
バタイユ 魅惑する思想
230頁
2310円
白水社
やめとけ
クズ本
「歴史と瞬間」、読んだひと、いる?
99 :
考える名無しさん:05/01/16 19:46:41
100 :
98:05/01/16 19:49:54
和田康って人のバタイユ論だよ。いいらしいよ。
101 :
考える名無しさん:05/01/16 22:34:06
ブタ
筋肉マンは1巻でブタのイクエちゃんに王座を奪われていたが、その関連かな?
103 :
考える名無しさん:05/01/16 23:51:44
ピアノを弾くブタ・・・。友沢ミミヨのモデル・・・それが和田。
ああ、そっちか。
105 :
考える名無しさん:05/01/19 20:23:50
「現代における」バタイユの思想の意義
そういうものに焦点を当てて本書けよ<研究者ども
宮台真司の爪の垢でも煎じて飲め
俺に言ってんのかな?
>現代におけるバタイユの思想の意義
『神秘/芸術/科学』というのを読んでる途中なんだが。かなり面白いね。
『ラスコーの壁画』っつーのはどうなんでしょう。その内読もうと思ってます。
107 :
考える名無しさん:05/01/22 21:39:43
渋谷ブックファースト行ってきたが
『歴史と瞬間』売ってねーぞ
108 :
考える名無しさん:05/01/23 01:06:56
109 :
考える名無しさん:05/01/23 14:08:48
いや店頭で中身ある程度確認してから買うかどうか決めたいし・・・。
酒井健の新刊は軽く立ち読みしたけど
単なるバタイユの思想紹介の枠内に思いっきり留まってる怠惰な愚作の予感でした
じゃあロザリンド・クラウスを英語で読め
>>109 じゃ、池袋のジュンク堂にでも行って見てくるか、図書館で閲覧。
>単なるバタイユの思想紹介の枠内に思いっきり留まってる怠惰な愚作
そうでないバタイユ研究って日本語では皆無ないんじゃないの?
ドゥニ・オリエの古典的研究でさえ紹介されてないみたいだし。
西谷修が若干そういう路線
しかもかなり昔のことだね
114 :
考える名無しさん:05/01/23 15:26:09
そういう点で見てこの和田って人の「歴史と瞬間」っていう本は悪くなそさうだよ
それぞれの章題から察するにね
ここ十年くらいかな
保守系知識人を中心に日本で歴史(性)というものの重要性や見直しが行われてきてるじゃん
それはそれで勿論大切だし必要だし良いことなんだけど
ややもするとあまりに絶対化される傾向も無きにしも非ずなわけで。
人間を構成してるものは歴史性と日常性だけはないからね
115 :
考える名無しさん:05/01/23 15:27:05
>人間を構成してるものは歴史性と日常性だけはないからね
人間を構成してるものは歴史性と日常性だけではないからね
に訂正。
116 :
考える名無しさん:05/01/23 15:28:51
117 :
考える名無しさん:05/01/23 23:58:25
バタイユを語るやつよりバタイユ本人のほうが面白いのは当然。
バタイユくらい解説なしで読め。バタイユ・マテリアリストというシリーズは
面白そうだった。
中途半端なブタスノッブがバタイユを語るのは、冒涜。
118 :
考える名無しさん:05/01/24 00:01:14
119 :
考える名無しさん:05/01/24 00:23:05
酒井健ってけっこう期待してたんだけど
新しいバタイユ本見て萎えた
ええと、集団でひとつのスレを荒らすのって「祝祭」かな
一種暴力的な戯れか。高揚陶酔できるのかもね。
聖社会学古本屋でgetオオオオオオオオオオオオオオオ!
123 :
考える名無しさん:05/01/30 19:36:31
124 :
考える名無しさん:05/01/30 20:27:47
定価と同じ4800円。レア物だから高くなってないだけましだと思ってる。
>>119 俺も店頭でその本見たが、あれは萎えるな。
金出してまで読みたくない。
>>122 それって、まだ工作舎に在庫なかったっけ?
>>126 在庫あった。しかも二割引で売り叩かれてるし。
>>124はアボーン
http://www.kousakusha.co.jp/bargen.html 聖社会学
「社会学研究会」の行動/言語のドキュマン
ドゥニ・オリエ=編 G・バタイユ+R・カイヨワ+P・クロソウスキー+M・レリス+A・コジェーヴほか
金子正勝+中沢信一+西谷修=訳 西山孝司=造本
A5判/上製 592頁 1987.4
4800円→3840円 [注文]
「社会はどこだ! 社会はどこだ!」1930年代後半の時代的緊張を
背景に、バタイユの呼び掛けに応えて参集した「社会学研究会」の
全記録。聖と俗、神秘とファシズム、欲望と存在…フランス現代思想
の“失われた環”、あるいはもうひとりのバタイユ。
128 :
考える名無しさん:05/02/02 23:54:33
夜回り先生早く新刊出さないかな…
129 :
考える名無しさん:05/02/04 21:53:47
『歴史と瞬間』の感想キボンヌ
130 :
考える名無しさん:05/02/05 18:56:59
バタイユと親交が深かった岡本太郎の映像が見たい
クイズ番組とか出演してたらしいけど、どんな発言をしてたんだろう
131 :
考える名無しさん:05/02/06 15:17:26
クイズ番組出演がバタイユのことだったら受ける
バタイユさんに全部
133 :
考える名無しさん:05/02/21 16:02:27
バター犬さんに全部
sage
sage
136 :
АБ:2005/03/24(木) 01:31:54
眼球譚読み終わりそうなんだが、やばいね、あれ。
シレーヌがマンコに入れていった卵はいつ出しているのか、
それともコツコツ貯蓄されて胎内で腐っていっているのか、それが気がかりだな。
138 :
АБ:2005/03/24(木) 20:49:42
入ったままとは想いもしなかった。牛の睾丸や眼・・やめとこう。
芥川好きの俺には抵抗あったがまあ、それなりに。収穫は少なし。
空の青みに小期待。
139 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 23:39:56
芥川とバタイユか。
まぁどうなんだろう
芥川は芸術としての洗練に骨を砕いた作家というイメージがあるが
バタイユは洗練とは程遠い至高(嗜好・志向・思考)の持ち主だからな
芥川は猥雑なものをいっさい切り捨てて、ひたすら虚構の
美へと向かいました。
バタイユは「空の青み」「死者」しかまだ読んでいませんが、
およそ対極にあるものではないでしょうか?
猥褻ぎりぎりのものが、勿論「美」であることは認めますが…
141 :
考える名無しさん:2005/03/27(日) 01:46:55
例えば『地獄変』にバタイユはどんな感想を抱くか?
少し興味があるな
満月の夜にバタイユか。。。
バタイユの生涯のテーマは、エロスと死であるそうですが、エロスを描くには
何も猥褻な表現だけとは限らないと思います。
芥川の『地獄変』には狂気と、美と、エロスがあります。
そのエロスとは、隠微でサディスティックで、夜の闇、炎、陰影礼賛のような
ものでしょうか。
決して表立った表現はしていないのに、煙に咽ぶ娘の赤い唇や、細い首筋、
衣から乱れて剥き出しになった白い足などが、ぞくっとするほど艶かしいのです。
バタイユは直截的な表現(かなり際どい言葉)を好みますが、読み手の想像力を
激しく掻き立て、刺激するのは芥川のほうが数段上ではないでしょうか。
144 :
АБ:2005/03/27(日) 06:33:42
バタイユの場合、動物仮面により人間と対し、禁忌・羞恥を抗うかのようだな。
視点(眼球)からの恐怖を克服したがるようだ。すなわち誕生と死の或る露骨
な酷似なのかな。それとも情熱にも似たぎりぎりの境地か快楽か。よくわからん。
空の青み読み始めた。何か良さそうだ。
「太陽肛門」読み終えたところです。
エロスが漂う詩的な文章に、ただ、驚いています…
海の潮の満ち引きが、生命を生み出す原初的な律動、
つまり性行為の運動である、という指摘には唸りました。。。
これはとても短いものですが、他の作品に比べ簡潔で美しい小品です。
今「C神父」読んでいます。
神への冒涜といいますか、反逆といいますか、バタイユは神を
否定しながらも、実はかなり深くとらわれていたのではないでしょうか?
なぜなら、人は無関心なものに対しては冷淡であり、一瞥もくれないはずです。
それが、こんなにも神を汚すような作品を書くということは、
バタイユは神を生涯に亘って、離反できなかったのではないでしょうか?
否定すればするほど、強くとらわれていることの証です。
147 :
ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 17:03:39
同感です。
逆にいえば、バタイユにとって、神とは汚すためにある。
まるでサドの如く…
映画監督で言うと、
ブニュエルとかパゾリーニのようなものですか?
>>147 >>148 …そうですね、西洋哲学、西欧文学、西洋文化などを学ぶときに
真っ先に理解しなければならないのは、彼らにとっての「神」の
概念ではないでしょうか。
わたしたちには馴染みの薄い「神」という存在。
彼らが「神」というものに対して、信頼するにしろ否定するにしろ
そこには「神」そのものが深く強くはたらいていることは確かだと思います。
「神」を己に内在しているからこそ、禁忌を破るときに強い快楽がはたらきます。
逆説的ですが、神がいなかったら、悪徳の文学など生まれようがなかったのでは
ないでしょうか?
また、ニーチェがあれほど躍起になって「神の死」を唱えたということは
彼もやはり生涯「神」から逃れることが不可能だったのではないでしょうか…。
わたしは未読ですが、和辻哲郎あたりを読めば、日本人の宗教観がわかるかもしれませんね。
(内村鑑三は読みました)
とはいえ今の欧米ではだいぶ宗教が稀薄になっている。
「日本は神道と仏教の国」と言われても、
普段ピンと来ないだろ?
それと大差ない。
アメリカ人とフランス人の知人がそれぞれ言ってた。
もしかしたらインテリ限定かもしれんが、
二十世紀後半の社会では、
先進国の文化的共通性は相当大きなものがあるよ。
カルチャーギャップばかりを強調するのには無理がある。
ベースは違うけどさ。
151 :
149:2005/04/21(木) 14:53:14
確かにひと頃と比べますと、欧米人のキリスト教に対する意識は
かなり薄いと思われます。
ちょうど、欧米人が日本文化を理解するには侘び・寂び・もののあはれ
を知らなければならないと、思い込んでいると同じように…
わたしたちは、そうしたものからかなり遠く隔たってしまいました。。。
バタイユやサド、マゾッホなどの時代は確実に神への反逆がありました。
「神」が文学の核となっていた時代は、もう過ぎてしまったということでしょうか…?
152 :
考える名無しさん:2005/04/30(土) 05:16:40
バタイユの小説ってアンチ・ロマンのはしりだって言われてるけど違うと思う
いかにも、それっぽく評されそうな『マダム・エドワルダ』も。
153 :
サイゼリヤスレより:2005/05/01(日) 01:47:24
427 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2005/05/01(日) 01:41:56 ID:ugOzid+9
今日はデカンタ小とポテチだけにしとこうと思ったが、
ついつい調子にのって、グラスワインを追加し、
もう少し食べてみよかと、わかめサラダを注文し、
ああいい気分と、思って、最後にまたグラスワインを追加。
428 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2005/05/01(日) 01:43:07 ID:ugOzid+9
↑
ちなみに、奈良のサイゼの前にブックオフがあるので、そこで文庫を買ってサイゼに持ち込みます。
429 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2005/05/01(日) 01:45:30 ID:ugOzid+9
またまた、ちなみに、今日はバタイユの「エロティシズム」文庫版が新品同様で105円だったのでそれを買いました。
定価は1500円ちくま学芸文庫。
すっごくうれしい1日でした。
154 :
考える名無しさん:2005/05/09(月) 03:49:03
ほっしゅ
155 :
飯島さやか@セックス週に4回:2005/05/09(月) 05:03:04
私のボロ雑巾もびらびら。マダム・エロワルダ
156 :
人力飛行機:2005/05/09(月) 05:25:43
白水社から出てた『生田耕作コレクション@眼球たん,マダム・エドワルダ』は愛読した。ハンス・ベルメールのエッチングが数点挿絵で入っているのがミソ。それが素晴らしい。古書店にはまだ出回ってると思うが、あの一冊は入手する価値あり、と思う。
157 :
人力飛行機:2005/05/09(月) 06:03:02
或る価値に向けて予定調和的に存在を収聯させることへのバタイユの否定性・憎悪は凄い。フーコー同様に、主体化やそれによる排除の力学には早くから自覚的だったと思う。戦後の彼の仕事は理性を担う主体性へのアンチの領域の発掘にあった気がする。
158 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 09:54:21
>>156 装丁・挿絵で選ぶなら、バタイユ本は奢覇都館でしょう。
山本六三の銅版画が挿絵になってる「初稿眼球譚」とか。
古書価は高いけど。
ager
160 :
考える名無しさん:2005/05/11(水) 21:59:11
内的体験、何度読み始めても最後まで行かない・・。
でも、この人のテクストって美しいことだけは確かだと思う。
161 :
考える名無しさん:2005/05/11(水) 22:01:44
死を考えた時、なんだかんだ言って気になるのはバタイユとベルグソンかなと思っている。
(他にあったら教えて。〜ナーガールジュナ等はなしね。)
162 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 22:57:16
ageage
>>161 なんだかんだいってその二人かも知れんが、真っ先に思い浮かぶのはアンチ・クリマクス(キェルケゴール)だな。
164 :
考える名無しさん:2005/05/21(土) 08:10:29
>>163 読んだことないけど、ニヒリズムで終わってるっぽい印象がある。
そこから跳躍するっていうか、打って出るような展開があるのは、そうそうないね。
165 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 10:55:27
ハイデガーっていやバタイユは厳しく批判してたな。
サルトルはバタイユを批判しハイデガーはサルトルを批判しここに三すくみの関係が……
167 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 15:06:51
>>165 ハイデガーも最後は善行だったっけ?変に普通にまとまっていたような。
(それも凄みではあるが)
バタイユとは合わなかったろうね。
168 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:22:21
目玉子age
169 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 22:01:18
酒井なんとかっ、お坊ちゃま君が偉そうにバタイユの専門家面してるのって
やだ。お前なんかにバタイユとブランショのアミティエがいかにして可能だったか
か、一切の逸話もない水準でありえたのか、わかるんか?
>>166 ハイデガーもバタイユもニーチェから影響受けてたと記憶するが
その二人がいがみ合ってたのねー思想って複雑だねえ
東大教師って、
ある種の安心できるキャラクターがないと採用されないから、
面白いバタイユ研究者を期待するのが間違っている。
172 :
166:2005/05/23(月) 23:30:42
>>170 いがみ合ってない。
ハイデガー「バタイユはフランスの思考する最良の頭脳だ」
バタイユ「ハイデッガーの作品は一杯のアルコールであるよりはむしろ一つの製造法である。それは教授殿の仕事であって……」
166の三すくみは逆にするとべた褒めになるのでおもろい。
173 :
人力飛行機:2005/05/23(月) 23:59:18
172氏よ、ハイデガーのそのバタイユ評ってどこで読んだの?俺もそれ、どっかで読んだと思ったけど場所忘れた。ハイデガーがバタイユを知ってて評価してたって話。俺、好きなエピソードの一つなんだな。
174 :
170:2005/05/24(火) 22:30:12
>>172 バタイユは批判しててハイデガーは賞賛してたわけか。なるh
175 :
166:2005/05/24(火) 22:33:24
>>173 忘れた……バタイユ読む前に入門書を片っ端から読んだから。
でも、最初の頃読んだ記憶がある。ということはちくまのバタイユ入門か!
あれは知り合いにあげちゃった。立ち読みに行ってくる!
……行ってきた。やっぱそうだった。
でもバタイユシンパの聞き書きっぽい書き方だった。そもそも公式な場の発言じゃないし。
……ところでそのハンドルは寺山か。バタイユと寺山は読者層が似ているかもな。
176 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 23:04:26
学生時代にノイローゼになったくらいでバタイユやるんじゃねえ。
177 :
人力飛行機:2005/05/24(火) 23:57:40
そう寺山から取った(無断で寺山よ、赦せ)あったよあった。“『社会批評』時代からバタイユの同志であったパトリック・ヴァルドベルグによれば”てことだね。ありがとん感謝しますバタイユは俺にSEXの意味を教えた恩人なのである
178 :
166:2005/05/25(水) 00:26:38
そうそうヴァルドベルグだ……って誰やねん。ググってみたら1件のみ。
まさか……と思ってワルドベルグでググるとたくさんヒット。ドイツ人め……
ところで何年前からか手元にほっぽりぱなしのl'experience interieureがあるんだが
満テル手モテ百合花ヲ与エヨにあたる章がない。あれラテン語(だよね?)でなんていうかわかる人いる?
179 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 21:28:00
エトワールage
180 :
考える名無しさん:2005/05/26(木) 22:19:53
手元の「内的体験」に出会うためには内的体験が不可欠だ。
181 :
166:2005/05/26(木) 23:33:27
>>180 ちょっと傘さして出かけてくる。道で笑ってるやつがいたら俺だと思ってくれ。
182 :
考える名無しさん:2005/05/27(金) 06:50:59
たまに見掛けるけどね。そーゆー人。
183 :
考える名無しさん:2005/05/27(金) 23:23:24
>満テル手モテ百合花ヲ与エヨ
こういうのがいいんだよね。バタイユは。
本物であってほしいな(願い)。
最近、バタイユとスピノザの思想的な関係性/非-関係性について興味持ってるんだ
一見すると全く対立的に見えるんだけどもね
185 :
166:2005/06/06(月) 00:42:32
>>183 本物って? 一応八重洲で店員に言って倉庫から持ってきてもらったやつだ。
八重洲ブックセンターのフランス語コーナーにはKenshin le vagabondが置いてあった。
>>184 なぜスピノザ? というか、バタイユってにわか勉強だと
思想史の中に浮かぶ離島みたいに見えるんだよね。そんなわけはないんだけど。
166にも書いたけど、俺が興味あるのは何でサルトルを評価していたか、だな。
バタイユの考え方からなら、まだハイデガーの方がマシに見える。
>>185 「嘔吐」にみられるマテリアルな志向でしょう。
187 :
166:2005/06/11(土) 01:12:40
実はサルトルあんまり詳しくない。今度読んでみる。
188 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 17:59:29
マイケル・ジャクソンも傘差してたな。
189 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 23:54:53
バタイユはとても論理的な思想家ですよ。
なんかブンガクの面ばかりが強調されているような。
きっと東大教授の某氏の紹介が屑なんだろうね。
ひたすらウェットな。
191 :
166:2005/06/12(日) 12:28:48
じゃあ、何から話そうか?
ファシズムの心理構造だったら文学から離れてていい感じだと思うけど。
192 :
166:2005/06/16(木) 23:11:16
ファシスムだった……フランス語はにごらない……
194 :
考える名無しさん:2005/06/17(金) 21:08:37
「ファシスムの心理構造」は力作だよな。初出の『社会批評』に二度にわたって
連載されているし。同時期にライヒの『ファシスムの大衆心理』が書かれている
同時代性も興味深い。なによりもマルクス主義の下部構造中心的な経済史観と
は異質な見地から、マルクス主義雑誌に投稿しているところがユニークだ。
195 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 23:07:40
196 :
166:2005/06/20(月) 01:22:32
自分でふっといてあんまりよく覚えてないけど、ファシスムの心理構造って、
「社会的同質性は特有の絆を通して生産手段の所有者につながれている」ってあったと思う。
これは深い社会分析だと思う。どういう文脈かすら覚えてないけど。
197 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 00:32:27
>>157 私は、人間とは否定を行う存在であるということ、
人間とは <否定作用> の情け容赦のない形態であり、
さもなければなにものでもないということを知っている。
ジョルジュ・バタイユ
『純然たる幸福』 ヘーゲル論 P220より(人文書院)
199 :
考える名無しさん:2005/07/10(日) 21:41:39
バタイユの思想とは何か書いてください。できるだけ長文でお願いします!
200 :
考える名無しさん:2005/07/10(日) 21:50:06
レポート厨がでましたな
カエレ
201 :
考える名無しさん:2005/07/10(日) 22:40:09
レポートは自分でやれ!!でもバタイユの思想は何かと聞かれると答えずらいような・・・。
境界侵犯
203 :
考える名無しさん:2005/07/14(木) 13:22:46
>>199 『Lignes』誌のバタイユ特集でも読むといい。
エロ?
エロス!
207 :
考える名無しさん:2005/08/18(木) 09:06:28
>>201 いつも周辺部とか印象は語られるんだ。背教者とか罪人とか(195紹介の論評とかもそう)。
例えば「内的体験」とかって結局何なんだ?
瞑想の経緯、状況はいいけど、その結果は?内容は?。
208 :
考える名無しさん:2005/08/18(木) 23:37:34
理性が支配する西欧的な自我の日常から、聖なる非日常的な自我の(というか、何かに交流して
それは確固たるものではなくなるのだが)状態に移行する、ということではないですか。
内容としては、呆けた状態というか。巫女に神がついたみたいな感じなのかな
でもそれは、一時的な体験なので、また日常に戻ってしまう
しかし、内的経験があったという記憶はある
だから、結果は人それぞれので、その内的体験が自分にあったことに対する姿勢だと思う
わかりやすい解釈は、プラトン以来の西欧哲学のような完全体指向でなく、それに対する
「裂け目」みたいな体験としてとらえる、というパターンじゃないですかね。
それで、その後バタイユはその裂け目の研究として「呪われた部分」「エロティシズム」
とかを書いたんじゃないかと思いました。
かなり強引に自分の言葉で書いてますが、一応読んだんですよ。
2章の「刑苦」がクライマックスだと思う。
バタイユの詩も読めるし
209 :
166:2005/08/19(金) 00:27:26
何かに交流する何かって何?
ってことにもなりそうだ。もしこれが超自然的なとか言い出しちゃうと単なるオカルト。
決してそうなってないのがバタイユなんだが。
210 :
考える名無しさん:2005/08/19(金) 00:40:22
いや、私が読んだところ「超自然な」ものでしたよ。
彼はマテリアリストだから「神」とは言わなかったけど、「聖なるもの」
とは言っていた。
交流というのは、聖なるものでも他者でも契機はなんでもいいんだけど
とにかくこの確固とした自我が消え去る、一人称がなくなることですね
多分性交中の「恍惚」なんかもそれに入ると思う
211 :
166:2005/08/19(金) 00:49:41
うーん、書き方が悪かったかも知れないが……
超自然的といっても「これは浄霊といって血液がきれいになるんですよ」
とかじゃ無いでしょ。
聖なるものって実は社会的に神聖とされているものだったりもするし。
210の後半に関してはよくわかる話だと思う。
実はプラトンも「裂け目」指向だったりして。文脈次第だけどね。
213 :
考える名無しさん:2005/08/20(土) 09:14:55
208〜212 よくわかりましたありがとうございます。207です。
しかし、具体的にどうやってこういう交流を行ったのだろう?
内的体験とかには書いてないですよね。太陽肛門とかにはあるんでしょうか。
「聖なるもの」「不可能なもの」ってエドワルダのボロ雑巾のことじゃないのかな?
215 :
考える名無しさん:2005/09/05(月) 01:55:50
シュミラークルとしての「禁忌」、「罪」
パロディとしての「侵犯」、「磔刑」―シュミラークルとの戯れ
喜劇的神性
216 :
考える名無しさん:2005/10/05(水) 02:18:04
ちくま学芸文庫近刊
11/11ランスの大聖堂
G.バタイユ著 酒井健訳
217 :
考える名無しさん:2005/10/05(水) 12:22:44
バタイユといえば、〈交感〉〈聖なるもの〉といった一連のタームが広く流通もしてるけど、根底にあるのは存在を予定調和的に価値に同一化させる思考への憎悪に思えるんだけどね。「外の思考」はフーコーだけどバタイユの仕事はまさにそれだと思える。
218 :
208:2005/10/05(水) 23:00:08
昔は「交感」と訳されてたんですねえ。
私は近年の読者なんで全部「交流」になってました。
ま、同じ出口の訳なのであろうが。
バタイユの思想は「憎悪」というより、もっと肯定的な表現が似合う気がするなー。
「呪われた部分」とは言っているけど、「蕩尽」は盛大で、豪快で、なんかお祭りみたいな、喜ばしい感じ。
近代に帰結する西欧的な合理主義に対する強烈なアンチですね。
219 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 16:05:02
酒井健 分かった振りすんなって。
お前のリミットはノイローゼだろ。
220 :
考える名無しさん:2005/10/11(火) 22:48:22
バタイユ実はすげえええええええええええええええええええええええええええええ
岡本太郎と交友あり
221 :
考える名無しさん:2005/10/11(火) 23:24:42
そうですね。「天体」というエッセイ中でバタイユは無意味な爆発と燃焼を繰り返す太陽を称揚していますよね。“無意味な爆発と燃焼”というのは岡本のパフォーマンスそのものだと思います。バタイユもあの世から岡本を見て苦笑していたかもしれません。
>バタイユもあの世から岡本を見て苦笑していたかもしれません。
知り合い同士だったりしたんじゃなかったっけ?
いや、全然知り合い同士。
岡本は「アセファル」にも参加してる。
岡本と親交があったら偉いのか……
それじゃあオタ向けゴスロリアニメの脚本書いてる花田は清輝の孫だし……
ベクトルが逆だおー
226 :
考える名無しさん:2005/10/17(月) 22:33:01
すみません。バタイユが、小死、について語ってるのってどの本ですか?
「ニーチェについて」???
小さな死でググった。『エロティシズム』
*小さな死とは、性行為における高まりの極みという意味。プティ・モール。
何のことはない。「死ぬ、死ぬ」のことである。
「エロティシズムの問題は、非連続性(個体的)を基とする世界の内部に、
その世界が受容可能な連続性(小さな死)*をとり入れ、連続性の感情を与えることにある。
エロティシズムが、非連続の秩序の基礎をなす規則的社会生活の破壊、日常性の否定、
相手の存在の死にも等しい侵犯を伴い、暴力と戦慄と死と結びつくのはそのためである。
エロティシズムがこのような宗教的意味を、神聖さを失うとき、それはけがらわしいものとなる」B
228 :
考える名無しさん:2005/10/18(火) 06:13:31
焼死のことだと思った・・・
229 :
考える名無しさん:2005/10/18(火) 07:23:20
焼死とバタイユでぐぐってみた。結構面白い。
230 :
226:2005/10/18(火) 18:30:38
231 :
考える名無しさん:2005/10/27(木) 22:33:04
『エロティシズム』を読みました。
面白かったので『エロスの涙』と『開球眼』を読みたいのですが
角川の『マダム・エドワルダ バタイユ作品集』には「開球眼」も収録されているのですか?
収録されてたら『マダム』買ったほうがいいなと思うのですが、目次が調べられなくて。。
開球眼を知ってるのはこのスレでお前だけだ。
俺は知らん。聞いたこともない。
233 :
考える名無しさん:2005/10/28(金) 00:01:57
「開球眼」ではなく「眼球たん」の間違いです。角川文庫『マダム・エドワルダ』に収録されています。ただ、白水社『生田耕作コレクション@眼球たん・マダム・エドワルダ』にはハンス・ベルメールのエッチングが挿絵として収録され、これを古書店で見つけるのがお勧めです
234 :
231:2005/10/28(金) 00:33:03
>>233 眼ではなく「譚」ですね…ご指摘ありがとうございます。
角川買おうかと思ってましたが白水社探してみようかなと思います。
角川でいいよ。
ベルメールのエッチングは、
原書で手に入れた方が安いし。
236 :
考える名無しさん:2005/10/28(金) 09:10:48
白水社版は装丁も、美麗で中々なものです。荻窪の古書店で5年前に1'500円で入手出来ましたよ。今は解りませんが…。角川文庫は安いので経済的には手軽ですけども。ちなみに私は先に白水社版を入手。その後角川文庫版も「角川クラシックス」で入手しました。
237 :
考える名無しさん:2005/10/29(土) 10:48:35
牛タンにすればー。
238 :
考える名無しさん:2005/10/29(土) 10:49:19
【ちくま学芸文庫】
11/1108939-Xc0110ハ-12-6ランスの大聖堂G.バタイユ著 酒井健訳900208文庫
バタイユは1000円以下で無いな。
バタイユの理論書はたいてい1000円以上だな。
理論書以外ならある。しかし哲学者の書く理論書以外の本がアレって……
バタイユを哲学者として括ってしまうとホントつまらんよ
哲学者ではない、狂人か聖者だって
自分で言ってる人間とその書いたものを
哲学の言説で囲ったりしたら面白みがなくなる
242 :
考える名無しさん:2005/11/05(土) 10:35:03
確かに1000円以下はないが、ブランショやマラルメと比べればマシ。
変にマニアックな本がどんどんちくま学芸文庫に入ってるのに、なんで無神学大全は放置してるの?
内的体験だけ平凡社ライブラリに入ってるけど。
タイトルが売れなそうだからだろ
ニーチェとかめっさ売れそうだけど。
それに、一応主著じゃないの?
246 :
244:2005/11/05(土) 18:59:48
サブタイの幸運への意志がださくて売れなさそう。
研究者以外で哲学書読むのはドイツ趣味の奴と相場が決まっているので
ファッションとしてドイツ哲学読んで来た奴に訴求するようなタイトルが欲しい。
だからやるならタイトルはフランス語カタカナ書きの方がいいかもな。
有罪者というのも暗いし。
>
研究者以外で哲学書読むのはドイツ趣味の奴と相場が決まっているので
>
だからやるならタイトルはフランス語カタカナ書きの方がいいかもな。
なんだこりゃ。
こんな意味不明なことを言うお前がダサイんだよ。
バタイユに限らず思想書なんて何も読んだことがないだろう?
248 :
244:2005/11/05(土) 22:51:28
>>247 それこそ何が言いたいのか分からんが。
世の中まじめに哲学を学んでる人ばかりじゃないんだよ。文庫出だすからには
まじめに学んでる人ばかりじゃなくてファッションとしてやってる人も相手にせにゃならん。
だからなかなか文庫化されないし、ファッションとしてやってる人にはフランス語カタカナ書きで
ちょっとわかりにくい感じを出した方が良いと言っておるのだ。
まあこの板来る奴は専門研究者で無かったとしてもファッションでやってる奴はいないだろうが。
249 :
考える名無しさん:2005/11/06(日) 23:09:36
文庫とはいえ安くないから、それなりに人目をひく戦略は経済活動して
重要なことだよ。「濡れました。by上戸彩」くらいの帯は欲しいね。
250 :
考える名無しさん:2005/11/14(月) 19:08:16
「全米が抜いた」
251 :
考える名無しさん:2005/11/14(月) 21:08:25
「ラスコーの大聖堂」ゲット!!
ランス!でしょ
254 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 23:49:59
ニーチェとバタイユってどっちが強いの?
255 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 00:06:28
バタイユ!!
バタイユスレだから
256 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 04:00:38
このど変態どもが!!!!!!!
257 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 08:29:15
>254
ニーチェの方が強いな
258 :
考える名無しさん:2005/11/23(水) 01:14:58
バタイユは女にモテた
ニーチェは全くモテなかった
よってバタイユの方が強い!
じゃぁラカンはお下がりだし確実にバタイユには負けるな
うわー、最後の人々だらけ。
262 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 18:21:53
いやー、前に買った本まだ読みきってないけどまた買っちゃった。
「アセファル」
ちょっと読んだけど、「死を前にした歓喜の実践」だって。
かっこいいぜ!
263 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 08:15:28
今『エロティシズム』を読んでいる。
バタイユは生死を巡る考察が読んでいて超気持ちイイんだけど。
バタイユにはまりきるのもアリだけど、おれドゥルーズ好きなんだよね。
このスレ的にはドゥルーズってどうですか?
ドゥルーズにも生死を巡る刺激的な論考がありますか?
「なあジャン、こう言ったら君にも分かってもらえると思うけれども、二人の
間での性交と何人もの間での性交とでは、風呂に浸るのと海水浴ほどの違いが
あるのさ」
オレも「海水浴」した〜い!
ヒント:5万円
266 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 02:47:49
ドゥルーズ、デリダ、フーコーなどは
いいですか、
ホ モ セ ク シ ュ ア ル の 人 た ち の 存 在 論 ・ 認 識 論 と し て 読 ん で く だ さ い
しっくりきます
フーコーは当然だと思うけど、ドゥルーズ、デリダもですか?
268 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 14:41:39
ドゥルーズ、デリダ(哲学者)>>>>>>>>>>フーコー、バタイユ(思想家)
デリダのお師匠であり盗作元であるレヴィナススレでは「何故ブランショはレヴィナスごときを評価したのか」と
いってる名無しがいたが、どうも、そのスレでは自虐的になる傾向があるようだな
文学板にもバタイユのスレがたちました
哲学徒たる哲学板の皆さん、がんばってください♪
271 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 14:39:33
age
272 :
考える名無しさん:2005/12/26(月) 12:55:37
バタイユ最高
エロティシズムちょっとだけ読んだ
273 :
考える名無しさん:2006/01/02(月) 15:00:14
『エロティシズム』は酒井健さんの訳で
ひじょうに読みやすくなった。彼の訳はいい。
今度はできれば『内的体験』の新訳を出してほしいな。
訳者はもちろん酒井さんで。出口さんの訳は苦手だ。
フランス語版少し読んだ限りでは誰の訳でもあれはダメ、という気もする。
でも満テル手モテ百合花ヲ与エヨは変えないで欲しい。
275 :
99:2006/01/03(火) 22:32:55
今 エロスの涙よんでます。 謎が解けていく感じだけれど、わからないところもある。
だからそういうところを話したいとか思って参加してみたけれど 今手元日本がないから
できないけど、 泣けるなーとおもう。
276 :
99:2006/01/03(火) 22:40:12
上記英語でよんでいます。日本語よりもある意味先入観がなくて読みやすいのかもとかおもいながら。
エロスと笑いの関係とか興味深かった。自分で理解できなかったもんね。そういうことが回答みたくかかれていると安心する。とかいて子供じみているか知れないけど。
277 :
考える名無しさん:2006/01/30(月) 23:32:19
ドゥルーズがホモだってこと意外にみんな知らないんだなあ
278 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 03:03:52
279 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 03:53:22
「哲学入門」のところにとどまったまま、
そのまま「入門でいることのプロ」
になったのがバタイユという感じ。
思想は全然違うけど林達夫みたい。
280 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:53:53
>>277 バタイユは明確にラカンに嫁さんを取られて風俗通いに勤しんだという
意味においてフランス思想家でも別格か?
それをいうならフランス思想家の多くはホモになるぜよ。フーコーは勿論の
こと、ドゥルーズ、バルト…結構いないか?
無頭人、て発想は好きだなあ。不可能性そのものかもしれんが、にも拘らず非常に重要で。あれは確実に理性批判の先鞭をつけてるね。2006年にますます重要に想える。現代日本の若者からも共感うむんじゃないかな。
『純然たる幸福』に所収されている断章などを見れば分かるけど
知的なもの(悟性)を切り捨ててないんだよね、バタイユ
「非‐知」という境位は、明証性に還元されない悟性
つまり使いみちのない否定性の発露のことだしね
バタイユが行ったことは考えられているよりも単純ではないよ
レヴィナスへの批判『実存主義から経済の優位性へ』なんか読むと
ブランショ・バタイユが戦後のフランス現象学の文脈で度々登場する意味が分かる
それに、「共感」というのが「バタイユの××がいいよね〜」みたいな感じだと
「communication」(交流)を叫んだバタイユを裏切ることになるけどね
高貴なるものの悲劇的な没落を見て「笑う」(嘲笑ではないよ)ことが「共感」なんだぜ
そう言って分かる人って、まぁそんなにいないけど
283 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 01:59:10
さすが!しかし“無頭人”て発想に限ればもっと単純に取って良いんではないか。頭部の欠けた人間の絵は最高だよ♪
「禁止を知らない一つの存在」(無頭人第一号よりG・バタイユ『聖なる陰謀』)
自らの頭を抜け出した人間が見出したのはこれであって
「罪を禁じる神」ではないって言っているんだよね
安易な神秘主義じゃないんだよね、「意識的神秘主義」と自称することがあるけどさ
(「交流」や「無頭」の存在論的な境位って、結構面白いトピックなんだよね
後のフランス現代思想で出てくる「強度」やら「パトス」と比べてみるといいよ)
『エロティシズム』で語られるタブーと侵犯の関係もそこらへんが考慮されてないと
セックスを通した平凡な神秘主義と解される恐れがある
285 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 02:45:14
悟性を捨てきってない?
言ってるじゃんバタイユは
「死は欺瞞である」と
>>285 「<理性>がなかったのなら私ははたして笑うことができるだろうか。
自分を至高だと信じた<理性>なくして私は神を笑うことができるだろうか。
だが笑いの領域は死に向かって開かれているし、神がこの領域に出没している!
けれども<理性>こそが笑いの鍵なのだ。<理性>がなければ
われわれは笑うことことはないのだ
(たしかに笑いは<理性>を軽蔑しているけれども)」
(G・バタイユ『純然たる幸福』 酒井健訳 人文書院P303)
上に挙げた『純然たる幸福』に所収されている断章の他には
『有罪者』の所収の補遺にコジェーブに宛てたと思われる書簡―
『ヘーゲルに関する講義の担当者Xへの手紙』―があるからそれを読むといいよ
(「使いみちのない否定性」の話はなかなか面白い)
えっと、「死は欺瞞である」って『内的体験』の一節かな
そこだけ抜き出されても解答に困るよね
具体的なページが分かると嬉しいんだけど
287 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:06:33
いろんなとこで書いてあるよ
前口
288 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:24:32
《人間の生は、宇宙の頭部と理性の役目を努めることで精根尽き果てている。人間の生はこの頭部となり理性となる限りで、そしてそれが宇宙に必要となる限りで、奴隷状態を受け入れている。》(『聖なる陰謀』より)やっぱ、この辺でしょ♪
289 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:25:59
感動したの?それに
290 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:30:12
したした。こいつは正しい!とね。しかし君は冷静だねー
バタイユの「死」は明証的ではない
意識に現前するものではないし、まして静態的なものではない
また、ヘーゲルがしたように全体によって回収できるものでもない
んー、簡単に言うとだなぁ
ミシェル・レリスの『闘牛鑑』で書かれているように
「死」は人間の知の突進を紙一重で避けるわけ
人間の知は紛い物を食わせられてんだよね、「死」じゃないものをさ
バタイユに「欺瞞だ」と言われている「死」ってのは
言説上の「死」つまりシミュラークルとしての「死」であったり
またはファンタスムとしての「死」のことだと思うんだけどね
「眼球」や「理性」といった見ること・見えることを強迫的に前面に押し出しつつも
「夜」とか「贋の陽光」などの語句から分かるように
見えないものを、見ることからは類推できないものを執拗に追っている
まぁそんなところかな
292 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:37:27
288と290は別人物な気ガス。
ところで
おぢさん持っていたたくさんの本も手放しちゃったし
もう哲学わけわからんようになってしもたわ。
最近は法律の本と電卓しかつこうてません。
みんなちゃんとべんきょうしてるね。えらいね。
293 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:45:35
同感。偉いよな。この調子でバタイユのスレが続けばおじさんも嬉しいな♭
294 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:47:09
291も293も実は知人の気ガス
295 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:51:26
いやあ、単に二人ともオッサンなだけでしょW
とオッサン片割れの弁W
296 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:59:21
やはり288と290は別人物
297 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 04:04:12
正直そのシュミラークルって言葉を使った
ボードリヤールを読んだことないんだよ、おれ
>>297 クロソフスキーが使った意味で使ったつもり
『ニーチェと「悪循環」』(ちくまから文庫で出ているので是非)に詳しく書いてあります
『ニーチェは、今日』(クロソフスキーの他にもデリダやドゥルーズ、リオタール
なんかの論文も入っています。同じくちくまから文庫で)などでも読むことができます
(用語の説明が入っているので便利ですよ)
衝動→ファンタスム→シミュラークルの関係の説明は
簡単そうに見えて実は結構めんどいです
たとえば、ファンタスムは精神分析学の用語なんだけど
精神分析学の使い方そのままだとちょい理解が難しくなるとかね
なので頑張って上の本を読んでください、説明するつもりは今のところないです
299 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 04:18:37
>>299 女子高生です
すいません、嘘です
名乗るほどのものではないので、黙秘します
301 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 04:27:05
ははーん
302 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 04:28:22
さては
303 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 14:01:44
あいつだな
304 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 15:36:25
あいつって、どいつ!
305 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 16:01:56
勝手に書いただけなんだけど、以前の書き込みの文体から判断するに
「じゅんいち」なる人物。
まあ俺もちょっと真剣に読みゃあんくらいすぐここに書けるよ。
あんなの今読んでる最中で、どっかレポート書くために抜書きしたのを
ここに持ってきてるだけじゃん。
俺の場合印象深い部分があったら結構長いセリフや一文でもまるまる記憶してるけどね。
まあ何だかんだいいながらおれもバタイユは宗教の理論と他の小説の類しか真剣に読んでないし。
なにしろ一番最初に入手したのが神秘/芸術/科学 社会学論集2というやつで
内容的にあんまし重要じゃない。
それが「何ページの言葉か」なんて根本的にどうでもいいと思いませんかね?
厳密な討論の場でもあるまいしww
おフランス現代思想は俺が一番嫌いな分野。携わっている奴らもゴミみたいのばっかじゃん。
一言で言うとあれらは
「同性愛者(ホモ)の存在論」になってんのww
マジで。 いやほんとww
>>305 ちがうよ
バタイユで論文書いてるしね
だけどバタイユを美学以外で専門でやってる人少ないから
ばれる可能性もなきにしもあらずなんだよね
困るよね
女の子をおとそうとして誕生日にバタイユを一冊贈ったが
目論みは失敗だった
いまではこちらを見ようともせず
書類を渡してくるときも背中越しにイナバウアーだ
308 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 16:17:02
江澤健一郎さん?wwwwwwww
309 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 16:19:43
それとも上田哲平くん?
俺、立命の哲学科中退したモンなんだけどpwww
そう 誰ともクチきかずに中退した「あたまのおかしいアイツ」です
両方とも違うけど、これ以上はいいじゃん
詮索はなーしーでー、お願いしたいです
311 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 16:26:32
和田?小林?
312 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 16:29:05
はいはい図星だったのね
哲学は、ホモの学問?
んー、まーどーでもいいよ
バタイユの使う用語や彼の書いた文章で
これぜんぜん分っかんねーというのを挙げていただければ
私めの小さな頭と拙い知識でもって
できるかぎり答えたいと思っておりますので、どーぞよろしく
仕事あるからなかなかレスできんかもしれんがなー
315 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 17:37:25
いーようそつかなくてもwwwwww
どーせ上田か小林だからwww
仕事あるとか嘘つかなくてもいいよ。
あと単語と概念の質問は俺は基本的にそういう作業を必要としない。
優れた読解力の持つことを自認してるし、また本当に優れているから
必要ない。
316 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 19:10:05
上田哲平てクリームシチューの人?
どーぞいーよどーぞいーよ
318 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 22:38:13
へえー専門家がいるんだ
ナンシーとかアガンベンとか先に読んだんですけど、バタイユにすごく興味があります
今度質問してみよー
ナンシーのバタイユ論は『無為の共同体』で
アガンペンっていうとバタイユの供犠論を扱った論文のことかな
他にはデリダのバタイユ論(副題が『ある無際限のヘーゲル主義』だったと思う)
フーコーのバタイユ論(『侵犯行為への序言』だったかな)なんかが有名どころか
バタイユスレが今週これだけ伸びてることが信じられん。
バタイユスレを伸ばす事は可能事の極限のように思えていたが。
321 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 07:16:29
丹生谷貴志によると
ドゥルーズはバタイユを嫌ってたんだってね
両者ともニーチェという大河から流れ出て独自の宇宙を形成したという点で実に興味深い
322 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 07:57:08
毒書案内―人生を狂わせる読んではいけない本
を読んで、このスレに来ますた。
323 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 08:40:47
バタイユと団鬼六の違うはなーーんだ?
324 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 08:51:39
パンにバターをバタイユ、バタイユつけてね食べるのよ。
そーするとギンギンになるのよ。オシャマンベ!
―由利徹ー
325 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 08:55:17
メタフィジックス→(プルバック)→フィジックス→生命→
意味→メタフィジックス[宇宙]
326 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 08:59:28
バタイユでストリップ劇場の売り上げは何パーセント増えるかな?
踊り子さんのギャラは?
327 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 09:02:21
ポクポクポックンポクポックン!
悩んどるな〜〜悩んどるな〜〜悩んどるな〜〜〜〜人として
−厳格和尚−
328 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 09:16:38
バタイユはねコトバで身体性を語ったの。
君たち老若男女はバタイユ飲んでギンギンビンビンになってる?
329 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 09:19:59
でね、これはやっぱり意味論なのよ。セルフリフレクションのね。
-ウソつかないインディアン‐
>>321 嫌ってたのか……?
確かにやってることは似てるようにも思えるのに全然バタイユに触れてないしな。
それも解らんでもないが……?
「ヘーゲルとニーチェのあいだに妥協は不可能である。
ニーチェの哲学は広大な論戦の射程を持つ。
それは絶対的な反弁証法を形成し、弁証法の中に最期の隠れ家を
見出す一切のまやかしの告発を企てる。」
(G・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』 足立和浩訳 P277−278)
「ニーチェがファシストたちによって利用され、曲解され
完全にねじまげられていたことを示すことが重要であった時期もありました。
ジャン・バール、バタイユ、クロソウスキーとともに、
雑誌『アセファル』でそのことがなされました。
しかし今日では、そのことはおそらくもはや問題ではありません。
闘わなくてはならないのは、テクストの水準ではありません。
その水準で闘うことができないのではなく、そのような闘いが有効ではないからです。
ニーチェのしかじかの文章にその解放的な意味、
外部の意味を与える外的なもろもろの力を見つけ、割り当て、合流することが問題です」
(G・ドゥルーズ『ノマドの思考』 本間邦雄訳)
上の引用文はバタイユの試みのことを暗に指していると思うんだが、どうだろう?
下の引用文から推測されることは、ドゥルーズは恐らくこの時点(1972年)では
バタイユの『ニーチェについて』を読んでないということ
『アセファル』でのバタイユの仕事は間違いなく知っていただろうけどね
なぜなら、もし読んでいたなら、バタイユのニーチェ受容を
「テクストの水準」という言葉で括ることは避けただろうから
下のヤツについては「アセファルでの」仕事に括ってるようにも読める。
ドゥルーズも結構好きなんだけどさ、バタイユと比較すると、
「ドイツ語ろくに読めなかったくせに何いってんだか」
などと悪態ついてみたくなったりする。
上はヘーゲルか……ドゥルーズはヘーゲル嫌いだよね。
嫌いって簡単な言葉で言って良いのか知らないけど。
333 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 13:08:46
ドゥルーズのバタイユ批判について、浅田彰「構造と力」p121で紹介がある。参照先が書いて無いんだが、これは「アンチエディプス」でのバタイユの扱いだろうか。
334 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 13:15:49
>>333 浅田バタイユが若いころヘーゲルを読んでいたからヘーゲルを脱出
できてないって言い方をしていたが、これは間違いでしょ。バタイユは間違
いなく反ヘーゲルでニーチェより徹底したニーチェだったと思いますよ。
ヘーゲルは「絶対的な反弁証法を形成し、弁証法の中に最期の隠れ家を
見出す一切のまやかし」と思っていたし、バタイユをきちんと読めば明白で
はないか?
335 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 13:30:52
>>334 浅田も書いているが、その辺のアンビヴァレンスはデリダのバタイユ論が一番良く見てたんだと思う。バタイユが自分で言う程、ヘーゲルの呪縛は抜け出せていない、と。逆にデリダは、ヘーゲルそのものにヘーゲル主義から抜け出るヒントを探り、バタイユに突き返した。
336 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 13:53:34
>>335 デリダの批判はよく聞くけど、若いころヘーゲルを読んでいたから
=ヘーゲル主義という実体論的批判でしょ。デリダはエクリチュールに潜む
距離を問題にして徹底的に意味を解体しようとするけれどもそれは、意味を
解体するというより意味を読み取ることを拒否する態度と同義語ではないだ
ろうか。外部を突き詰めようとした視点はラディカルではあるが、その方法
論が一点突破論過ぎるとバタイユを批判するならわかるがヘーゲルの呪縛は
抜け出せていないとするのはおかしいと思う
「しばしば次のように言われてきた。
ヘーゲルは予めすべてを自らに付与している、彼はすべてを予め
前提(先行措定=presupposer)しており、それ故<全体>を前提としながらも、
それを自分の体系が発見するかのように見せかけた、
ヘーゲルは喜劇――分離という悲劇の喜劇――を自分に対して演じ、
我々にも演じて見せたのだ、と」(J・L・ナンシー『ヘーゲル 否定的なものの不安』)
『ヘーゲル 死と供犠』などに見られる、デリダやナンシーからすれば不当とも思えるような
ヘーゲルに対するバタイユの批判的な態度及び見解は
バタイユのヘーゲル理解があくまでコジェーブ経由でしかないことを考えれば
というよりも当時の知的状況により、仕方のないものだったと言えなくはない
しかし、バタイユが「不十分な」ヘーゲルを批判することで行き着いた帰結を見てみると
そこには驚くべきものがないだろうか
『ニーチェについて』で行なわれた不可能な企て―「待機」―
これは否定性が覆いうる領域ではないのではないか
「時間と欲望は同じものである。
欲望の目的、それは時間が存在しなくなるようにすることなのである。
時間とは、時間が存在しなくなることを欲する欲望のことなのである。
欲望の目的は、個人を(他者を)消滅させることである。そしてこのことは
各個人にとっては、すなわち欲望の主体各々にとっては、
他者を自己に還元すること(全一者になること)を意味する。」
(G・バタイユ『ニーチェについて』 酒井健訳 現代思想社P236-237)
そうなのだが、バタイユは「使いみちのない否定性」を
≪全一者≫に対しても異議を申し立てる否定性の力を肯定する
つまり時間=欲望=否定性への回帰を、否定性のその極限を肯定する
「全一者に――あるいは神に――なろうとすること
これは時間を消滅させようとすること、好運(偶然)を消滅させようとすることである。
こうしたことを欲しないこと、これは時間を欲すること、好運を欲することである。
好運を欲することは≪運命愛≫である。
≪運命愛≫は、好運を欲すること、以前あったものと異なろうとすることを意味している。」
(同上)
これは、差異の境位を、否定に絡め取られぬ肯定を指していないだろうか
否定的なものの元に留まりつつも、「否定の否定」ではないところにあるのではないだろうか
339 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 16:58:38
ヘーゲル批判になってね〜www
>>339 ナンシーやジジェクなんかのヘーゲル観を見た後だと
特にそう感じるだろうね
そう感じたのであるならば、ドゥルーズが語った
「ヘーゲルとニーチェのあいだには妥協が不可能だ」ということを
もう一度考え直さなけりゃならんだろうとは思わないかい?
341 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 17:31:11
何がなにやら・・・。
カントやヘーゲルを読みましょう。
342 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 17:43:27
古代ギリシア宗教・哲学
│ キリスト教──┯──ユダヤ教
│ │
┌─────‐│────────────────+────────┓
デカルト │ │ │
│ ├─── (汎神論的自然哲学)─────────── スピノザ
│ │ │ │
カント │ ┌─────────────────┤
│ ┗───────┤ │ │
│ │ │ │
ヘーゲル ニーチェ キェルケゴール │
│ │ │ │ │
├──────────┯──┛ │ │ │
│ │ │ │ │
│ フロイト───+───────────‐‐┛ │
│ │ │ │ │
ハイデガー……+………バタイユ……アルトー │
│ │ │ │
│ │ ┗───────┯───────┛
┌────+────────‐┤ │
│ │ │ │
ラカン デリダ フーコー……………ドゥルーズ
>>341 一応、そういう世界にいるんでね。 君より情報持ってるよ
344 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 18:25:20
なんなの釣りって
345 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 18:26:50
情報っておフランス現代思想だけでしょ?
347 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 18:31:29
あれから一生懸命勉強したんだね小林君
14 名前: 番組の途中ですが名無しです 投稿日: 2006/02/25(土) 12:44:35.79 ID:nUi5uZHM0
>>10 小林か
どうみても病気です
ありがとうございました
349 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:10:38
つまり好運とは予定調和に回収されることを逃れる、また主体的企てを逃れる概念だ。それは瞬間の充溢であり、持続による主体の物化をも免れる概念だ。そういった意味で肯定されるわけだよね。この辺りのモチーフはかなり理解できる。
350 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:36:11
スピノザは肯定神学の極点
バタイユは否定神学の極点
両者は互いに逆の方向を向きながら彼岸で出会ってる可能性がある
まあ単に俺の個人的な予感でちゃんと説明できないけどね
351 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:36:31
>>343 バタイユはねコトバで身体性を語ったの。
君たち老若男女はバタイユ飲んでギンギンビンビンになってる?
でね、これはやっぱり意味論なのよ。セルフリフレクションのね。
-ウソつかないインディアソ‐
352 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:38:18
わたしゃ知識をひけらかすのおでなく研究をやっちまったい!
353 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:41:59
うん。“言葉で身体性に迫ってみせた”てのには同意。
それも単に意識や知の対としてでなく、それらを呑み込む底無しとしてね。
354 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:44:32
逆説めくがバタイユほど宗教的な思想家っていないよね
皮肉でもなんでもなく
>>349 「予定調和」というか、デリダはそれを「論弁」とか「体系」とか言うけどね
「とはいえ、内的体験は企てだ、何をどう按配しようとも。」
(G・バタイユ『内的体験』 出口裕弘訳 p66)
あくまで「否定的」な「企て」(project)に依るんだけどね、「内的体験」でさえも
けれど、「好運」の境位、「内的体験」の境位は、「企て」や言説とは
「他なるもの」(主客・言説から見て、まったく他なるもの)の境位なんだよな
「肯定」のもつニュアンスがうまく伝わればいいんだけど
なぜ「供犠」に価値あるものが用いられるのかといえば
それに記載されている労働を、「・・・のための・・・」という否定性を
その道具的連関を、「贈与」及び「廃棄」(ドネ・アバドネ)することで
非連続の世界(言語―否定性によって分節―延期された)から連続の世界へと
つまり超越(現象学の意味でね)なき世界へと人を導くから
こうした点を踏まえてみても、やっぱ「否定性」が根底にある
とはいえ、そこから出てくるものは「肯定」
まぁおかしいといえば、おかしいよね
だからこそバタイユには「笑い」があるんだと思うよ
356 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 21:00:27
>>バタイユほど宗教的な思想家っていないよね
そうだね。でもここでの「宗教的」ってコトバ
はほんとかっこいいね。
超越無き世界って言ってヒキコを想像した俺。
……違うのは分かるんだけどね。なんとなくさ。
358 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 21:41:00
きんもー
359 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 21:45:09
アホ女
>>357 「超越」がないからこそ「無‐神学」
だけど、それはヒッキ-的世界とは違って、「交流」の世界なんだ
開けた=悪(badの語源は空間的に「開いた」という意味)の世界
ただメルヴィルの『書記バートルビ』的なヒッキーの扱いは難しいけどね
361 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 21:50:41
山本さん?wwwww
362 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 21:57:11
なんか屈託の無いバタイユ読者が多いな・・・
バタイユ・レヴィナスが1・2飾っているのに、ブランショは遥か下方
364 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 22:04:33
>>362 パンにバターをバタイユ、バタイユつけてね食べるのよ〜
そーするとギンギンになるのよ。オシャマンベ〜〜〜
― 由利徹 ―
キモい師弟コンビがいる
師弟コンビというとガチャピン&ムックをが思い当たるな。このスレにいるのか?
367 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 22:12:31
言っていることが解ってもらえるでしょうか?
文献学でなく、ましてやフランス語のお勉強でなく、
結局、バタイユとは、脳の無意識の上に情報論的効率から出来上がった
記号で脳の下部構造を解明しようと。
しかし、これは「シーシュポスの神話」、「天才バカボンのパパ」では
ないかと。
368 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 22:40:56
人工知能という研究分野があります。
結局、今までの人工知能のアプローチとは、記号で人間の
知能に迫ろうとしました。しかし、人間を考えてみると
人間の脳は非記号でずーーーーとやってきて、効率から記号を
生み出しました。「逆ではないの?」出来っこないじゃ〜〜〜ん。
ということです。ましてや記号でエロスなどの人間の根源にせまれるの?
バタイユを語るには「ぶりっ子」しないでしっかりと考えないと。
団鬼六の小説を読んで「ギンギンだぜ」と言えるか言えないかが
本物と偽物の試金石かもね。
369 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 22:59:20
>>365 「ギンギンだぜガチャポン」と言ってごらん。
370 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 23:19:57
追加。
「おれのポコチ○ギンギンだゼイ」
の方が良さそうですね。
より多くを知るために、より正確に知るために
そのために、その「目的」を達するために
「効率」のよい認識の道具として記号が生み出されたとしましょう
ですが、より多くを知る・より正確に知るという「目的」はどこからやってきたのですか?
自然に「目的」はありません、「目的」―それは一個の「超過」つまり無駄です
また、絶対的な「目的」―より多くを知るため、正確に知るため―を置くということ
それは情報科学を形而上学化すること、言い換えれば情報神学を構築することでしょう
そして、仮に、非意識的・非現前の層に情報処理の「効率」を認めることにしたとします
しかし、すでに語っており、記号を使っており、意識的であり
それらのことは語られた「効率」に反しているように見えます
論理的には非意識的な層に全部まかせればよいのですから
それでもなお、人は意識的であり、記号を使用しています
より多くを正確に「効率」よく知るために
なにより記号=否定性なしで済ますことができると「語る」ことは
それ自体自己撞着なのですが
372 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 23:22:47
何いってんの?
373 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 23:29:55
>>371 > なにより記号=否定性なしで済ますことができると「語る」ことは
>それ自体自己撞着なのですが
レスありがとうございます。
そう、それが、バタイユをはじめとした人間の]根源に迫る思想家の
問題だと思いますし、私が言う意味論の問題なのだと思います。
分析哲学では高階の述語論理に解決を見出そうとしているようですよ。
でも、 「おれのポコチ○ギンギンだゼイ」 といえないと本物でないね。
>>373 「おれのポコチ○ギンギンだゼイ」という言述は
一見するとポジティブに見えますが、そこには暗いニヒリズムの匂いがします
それは意味がないことを侵犯しないのです
エロティシズムの意味のなさの手前で退却しているように思われます
あくまで否定性に守られ区切られた自己(ipse)を保持しているかのようであり
自己の死、否定性の極限を通過するだけの「力」はまったくなさそうです
においだけで診断されてもなぁ……と言っても俺は373じゃないけど。
ただそういうのも分かるよ。気取った上品さに対して下品を気取ることはないし。
アナーキストには怒りすら覚える、だっけ? 正確な文言は覚えてないけどさ。
団鬼六の小説を読んで「ギンギンだぜ」と言うくらいなら
歴史の終わりを、ヘーゲルを語りながらファックします
377 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 00:03:07
>>374(レスありがとうございます),375
いや、そういうのではなくて。
「ケッ、気取ってやがるぜ」というのではなくて。
論理学では対象言語とメタ言語と区別するのですが、
よーするに「覚悟」の問題ではないかと。
「おれのポコチ○ギンギンだゼイ」をメタに語ってもしょうがないと。
「語りえぬものにいては沈黙しなければならない」
(ウィトゲンシュタイン)
とね。
>>377 沈黙も一つの手です
ですが、「味覚や嗅覚は劣等感覚だ」というヘーゲルの一節を暗誦しながら
女の足へ靴下越しに舌を這わせ、鼻を擦りつけながら匂いを嗅ぐこともまた
沈黙に等しいと思います
379 :
375:2006/02/26(日) 00:32:27
>>377 そうなの? 「おれのポコチ○ギンギンだゼイ」なんて
論理学で何の問題にもならないような気もする。
ギンギンだからどうしたの? ってこと?
380 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 00:41:31
>>378 ふーむ。こーゆー意見を聞けるのが、
インターネットの良いところなのでしょうね。
>>379 ラッセルははじめ、typeを入れようとしたんだけどね。
上の文章とは違うけど、たとえば土人が電信柱に乗っかっていて
槍が刺さっている。土人は痛いでしょーーか?
381 :
375:2006/02/26(日) 00:55:03
なんか話が行き違ってるような気がするので当面だまって話の流れを見守ることにする。
でもちょっと前までみたいに沈黙続いたらやだなぁ……またよろしく。
382 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 01:11:47
バタイユの中には人間が卑小な存在でしかない、例えば倹約、計算、道徳、規律を遵守、未来のために今この時の高揚を抑圧する、生の亀裂や破裂を避ける、への憎悪に近い感情が見える。それに惹かれる。
正直、バタイユ読んでも意味わからん。解説本を読んではじめて
そういう事が言いたかったのかあ、と思った。
384 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 01:36:52
《G.バタイユが性的に変態であることを私は確かに知ってはいた》《あの病的な嘘つきの書き綴る狂った文章…》《だが、こんな肛門が、太陽だろうと、月だろうと、はたまた星であろうと、私にはどうでもよいことなのだ。》byボリス・スヴァーリン←なんか、憎めないんだなあW
>>383 理論書は結構分かる事が書いてある。ファシスムの心理構造とかは。
また、フランス語をかじってから内的体験あたりをを読むと訳者には何の罪も無いことが分かる。
386 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 05:14:30
消費の経済学ってのは、今のニート、フリーター全盛の日本でこそ重要な意味を有しているのでは?
387 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 08:10:06
ラディカルなバタイユ批判と言えば、白夜書房の末井昭がかつてエロ本
の【革命】をもたらしたことで有名であるが、エロ本に必要なのは、思
想ではなく「哲学」だと言い切った。これは常に考えさせられるもので
なくてはいけないということでバタイユを知ってしまったらヌケなくな
るじゃないか!といってたのは非常に記憶に残っている。
388 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 08:26:55
>>387 「エロティシズムは人間の意識のなかで、人間における存在とは何かを
問題とするところのものである」
というならほぼ「哲学」と同義語じゃねえか
389 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 09:10:10
童貞すててウハウハの法政大学政治学科三年が書き込んでる(笑)
バタイユはヘーゲルなんて読んでねえよ
390 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 09:13:01
こーゆー
ふつー
いーよ
どーも(笑)
391 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 10:40:52
“バタイユを知ったらヌケなくなる”てのはないなあ、俺には。『眼球潭』では相当ヌカせてもらったし。
392 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 11:55:46
>>391 なんだ!! みんな変態なんじゃん 仲良くやろうよ!!
輪になってオドロ!!
>>387 サルトル(そしてニーチェも)がエロティックなものを嫌った
(『嘔吐』や『存在と無』、ニーチェならば『ツァラトゥストラ』)ことを考えてください
バタイユの「哲学」とサルトルの「哲学」の違いを考えてみて下さい
バタイユの「哲学」においては知ってしまったことは問題になりません
彼の「哲学」は、好運=不運に、偶然に、歓待=晒されているからです
サルトルの自己(ipse)=「自己意識」の「哲学」とは違います
(ただ、デリダがインタヴュー(『言葉にのせて』)で述べたように
サルトルの倫理学にはサルトルのそうした「哲学」を裏切るもの
エロティックなものがもたらすような、「自己意識」への裏切りの可能性があります)
また、日本でのバタイユ受容に決定的な役割を果たしたのが
サルトルの『新たなる神秘家』だったことを思い出して下さい
(三島由紀夫のバタイユ理解にさえ、サルトルのこの論文の影響が大いにあると
まったく正確にも述べたのは生田耕作氏でした)
まー、ここまで書いて分からなかったらしょうがないよね
394 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 16:17:14
>>393 >サルトルの倫理学にはサルトルのそうした「哲学」を裏切るもの
>エロティックなものがもたらすような、「自己意識」への裏切りの可能性があります)
「おめーの思想では胡散臭いとこがあって命あずけられねんだよ。」
とゆーことで〜〜〜〜すか。
395 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 16:28:23
>>389 そんな貴公はバタイユを「読めてない」と思われ
396 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 16:31:41
>>393 「・・・そして私はただ一つしかなすべき返事をもたなかった。
「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ」と。
いかなる一般道徳も、何をなすべきか指示することはできない。
この世界に指標はないのである。」
(J・P・サルトル『実存主義とはなにか』 伊吹武彦訳 人文書院p37)
「指示」、そして「指標」なしで「創る」こと
恐らくこれは対自―即自では語ることのできない領域に踏み込んでいます
なぜなら、否定性が働きかける「指示」や「指標」がないからです
(否定性が働いているとしても、それはどの領域において働いているのでしょうか)
と、まーこんな感じですかね
397 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 05:25:26
青土社からでてる『バタイユの世界』、あれ、装丁は一世代前のが絶対カッコイイね。カバーが白地で表紙と背表紙の真ん中に楕円形の穴が空いてて、中から本体の黒地に金色の文字で“バタイユの世界”て書いてあったヤツ。あれは目を惹いたよねー
398 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 23:30:42
ホントにバタイユが読めたらこんなところで用途無き否定性を永劫回帰させて
ないだろ。
>>398 「すべてが帰ってくるが意味するのが
「すべては帰ってくるだろう、すでにそして永久に帰ってきたすべては、
ただしそれが現在ではなく、かつてなかった、というじょうけんで」である以上、
それは「すべてが帰ってくる」を排除する、たとえ「何ものも帰ってこないだろう」
という形のもとにであろうと。」
(モーリス・ブランショ『彼方へ一歩も』 ユリイカ1985 4月号 豊崎光一訳)
「永遠(永劫)回帰」をもう一度考え直した方がいい
>>399 ブランショとやら、病院逝け。ジャン=リュック・ナンシーも連れてな。
>>400 「小さいもの」(ニーチェ)まで含めたすべてが帰ってくること―永遠回帰―が
どうしてニーチェにとって歓喜であるのか
どうして望まれるものなのか、その理由なんですけど・・・
ブランショタソ、『無限との対話』さえ訳出されていない(´・ω・)カワイソス
>>401 永劫回帰なんて読む人によって解釈違うじゃん。
ハイデガー以降ある程度方向性は合ってきてるけどさ。
ここはバタイユスレだからバタイユについて語ろうぜ。
バタイユのニーチェ論でもいいけどだったらバタイユの独自性についてとかさ。
403 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 11:45:20
バタイユと永劫回帰について語ろうじゃないか。湯浅博雄も聖なるものと
永遠回帰という本を書いているし、ニーチェ教会のパウロたるバタイユとて
この概念は無縁のものではない。クロソウスキーのほうが影響を受けたかも
しれんけれども。おそらくバタイユ的好運と関係づけることになるのだろうね。
404 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:15:40
>湯浅博雄も聖なるものと永遠回帰という本を書いているし
バタイユの思想の理解しやすい部分をそのままなぞるだけで
そこから先へ逝くことも深淵の原初的基底に遡及することもない酒井健よりずっとマシだけど
あの本、なんか自分の「発見」した「痕跡」とやらにやたら固執してるのがなんだかなぁ・・・という感じ
405 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:47:39
>>402 バタイユの「供犠」とニーチェの「永遠回帰」は切り離せない
まずは「供犠」に関して――
獣などの価値あるものを火にくべることを例にとる
火にくべられるのは、その事物的な側面だけではなく
意義連関(「・・・のための××」)やそれに記載された労働も共に
(「供犠」やポトラッチが表面上、「神に捧げる」または「富を競う」という「目的」を有しながらも
「供犠」やポトラッチにはそうした「目的」が、延期が、意味が不可能であることが分かる)
406 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:48:41
>>405の続き
また一方で、「供犠」は人間的存在―動物的存在とは異なり「所与」に決して満足しない―
が動物的ではない死を、「抽象的否定性」(ヘーゲル)として与えられた死でもない死を
「所与」であらざるかぎりの死を死のうとする「企て」である
では、その死はいかにして訪れるのか。「所与」として訪れない限りで、である。
そして、「供犠」を企てる者は、イケニエの死と同一化しようとする。
つまり、意義連関をもたざるものに同一化しようとする。
いや、否定性の延期を、意義連関をすでに失いつつあるものと同一化してしまう。
けれども、同一化ははなされない、決して。
なぜなら殺された動物、死んだ動物と同一化することは
すなわち「所与」として死を受け取ってしまうことだから。
一言で言えばこうなる。「供犠は不可能な企て」だ、と。
しかし、人間が動物と異なる存在、所与に満足しない存在である以上は
人間は人間的に死ぬ必要がある。そう、つまり「供犠」を必要とする。
言い換えれば、不可能な死を死のうとする(その限りで人間は動物ではない)。
人間的死を、非-所与たる死なしでは体系(ヘーゲル)は成立しない
つまり、意義連関や労働、意味はそうした非-所与―非-知―の境位なしでは成立しない
論弁に回帰しない(含まれない)境位なしには、回帰構造は存在しない
(こうして非-知を語ることは、その境位を台無しにする。
非‐知をあたかも「支配」するもののように扱ってしまっている
非‐知は所与ではなく、回帰するものでないにも関わらずに)
こうした背景から、ブランショのニーチェ解釈を敢えて引いた
>>405,406の補足として
「友人たちに対する私の振る舞いには根拠がある。
私の考えでは、各存在は自分ひとりでは存在の涯てまで行くことはできないのである。
行こうとすれば「特殊」の中に溺れてしまう。そしてそれは彼個人にとってしか意味をもたない。
ところで、ただひとりの人間にとっての意味など存在しない。
ひとりだけの存在は、もしその事態を知れば「特殊」などは
おのれの外に投げ捨ててしまうだろう」
(G・バタイユ『内的体験』)
あー、それから非-知は「複数」の境位であるということも付け加えておく
そして、ブランショが『明かしえぬ共同体』(1983年!)までしつこく語りつづけた
世間のバタイユに対する無理解に対する反論を見て欲しい
「ジョルジュ・バタイユの名は、なじみのない読者の多くにとっては
恍惚の神秘学、あるいは恍惚体験の世俗的探究を意味するものと受け取られているが
そのバタイユが、「何らかの集合的位格における融合」(ジャン=リュック・ナンシー)
の実現を排除している(いくらかの曖昧な文章を除いては)ということは
きわめて印象深いことである。彼はそれに深い嫌悪さえ抱いている」
(モーリス・ブランショ『明かしえぬ共同体』 筑摩書房 西谷修訳 p22)
ブランショが「交流」と「不充足の原理」の人としてバタイユを位置付けようする努力を!
408 :
402:2006/02/28(火) 20:34:57
>>405,406
405-407のような前提なしにブランショのニーチェ論について語るのは、
バタイユスレでは不適切だと思うよ。
ただでさえ永劫回帰は解釈論争になりやすいんだから。
ブランショのバタイユに対する情熱をここまで熱く語る人がいるのに、
岡本に関しては誰も語ろうとしないなぁ……
日本でバタイユのダチって言ったら奴の事なのに。
409 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 21:32:27
410 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 22:31:21
バタイユの『天体』(1938年)にこうある。《要するに、我々が属している宇宙の深い本質は、やはり、物質のほぼ爆発性の運動からなる回転運動にあるということなのだ。》太陽の示す爆発という浪費性にバタイユは人間の貪欲さに対立する存在を見いだしていたことがわかる。
>>408 「顔を刻み、神格化したのち、それをことごとく地面に埋めてしまう。
これはいったいどういうことなのだろう。大地に対する呪術なのか。
それにしても、現象的には無になってしまうのだ。
ただ無存在である、なる、ということよりもさらに激しい、積極的な還元である。なんたる謎。」
(岡本太郎 『美の呪力』 新潮文庫p50)
「苦悩-法悦は「もの」そのものとして把握することはできない。
それはわれわれが把握する限りではひとつのもの[事象]だが
それはある至高の「もの」、というよりもむしろ至高の「もの」そのもの
神的ないし聖なる「もの」、つまりそこで「もの」の破壊が起こる「もの」である
苦悩-法悦は規則に従属していないという意味で至高である。
したがって、もし人が規則に従属しているのなら、
それを把握しようとすることは問題にならない。
それは何よりまず、対象の破壊それ自体を対象とする見込みのない意志である。
しかしこの対象を、破壊するために求めることはできない。
対象の破壊は一種の恵みとして生ずるのだ。」
(G・バタイユ 『非-知』 平凡社ライブラリー 西谷修訳p143)
「爆発」の形容で語られる岡本太郎のもう一つの側面
「爆発」よりも激しい静謐なる「無」の側面
書かれた後、外套の裏に隠されたパスカルの『覚え書』、そして埋められた神像
不安には還元しえない「歓喜」の「無」、「無」に還元しえない不安としての歓喜
>>411の続き
「歓喜」と四つ綴って隠された手紙(パスカル『覚え書』)のことを考えます
郵便(手紙)、像、形象、言説がなぜいつも「不安」と共に語られるのか
それらはなぜ「歓喜」と共に語られることがないのかを考えます
そしてヘーゲルの体系になぜ「笑い」がないのかを考えます
隠された=埋められた形象(手紙、像)が何に似ているかを考えます
何にも似ていないように、いえ考えることができません
パスカルは『覚え書』を自ら読み返すことがあったのでしょうか(それを疑問に思います)
忘れえぬが故に、忘れてしまいそうだった1654年の11月23日の出来事
外套の裏に縫い付けられ「見えなくなった」その『Memorial』(『覚え書』であり、思い出)
バタイユの哲学に、岡本の芸術に、パスカルの宗教に
「見えない」が故に、模倣するように隠された「見えるもの」を見ます
「歓喜」であるが故に、それを模倣するような「不安」を見ます
>>411,412の補足
「精神の中の、全体のまっただなかでの、
なんとも理解しえぬ、直立した、一種の停止状態」
(アントナン・アルトー 『精神の秤』 粟津則雄訳 ちくま学芸文庫p99)
隠された手紙が、埋められた像が模倣する、この「停止状態」のその「滞留」(延期)
「私は知っている―このことを私は知っているのか。
もう最後の命令を待つばかりだったドイツ人たちに狙われていた者が、
このとき、尋常ならざる軽さの感情、一種の至福(それでも幸福なところは少しも無かった)
を感じたということを。それは、至高なる歓喜?死と死との出会い?」
(モーリス・ブランショ 『私の死の瞬間』)
帰らずに留まりつづける(一回性)その故に
あたかも死んだような、死と死が出会ったような「尋常ならざる軽さの感情」、その「爆発」。
「私は死を前にした歓喜である」(バタイユ)―このことを私は知っているのか。
隠された手紙、埋められた像、少しばかりタガのはずれた言説
誰もがそれらを見ることができ、語ることができ、理解することができながら
その誰もが途方にくれる
なんだユリイカと現代思想読んだだけジャンw
これから俺も落ち着いてバタイユ読も(@wぷ
まずは手放した分の本をまた買わなきゃww
415 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 21:57:10
416 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 22:18:41
ミシェル・シュリヤの『バタイユ伝』を読んでて知ったんだけど、バタイユって
1952年にレジョン・ドヌール勲章を受章してるんだねぇ。
「シュバリエ」っていう、5階級あるうちの一番下のやつらしいけどね。
でも、よく考えたら、これって作家・思想家としてではなく、あくまでもエリート
図書館員ということで貰ったのかな?
シュリヤの本には、この点については、何にも書いてないんだけど。
417 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 00:22:43
『クリティック』誌の活動も評価されたんじゃないのか。あの雑誌は賞もとっ
てるし。
あんまり語られることはないけれど
ドゥマゴ賞の設立メンバーの一人でもあるんだよな、バタイユって
関心を持ったところで
>>62-65のような有様なんだからむしろ持たない方がマシなんじゃないの。
420 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 05:35:54
地下鉄網棚に忘れたリュックから『バタイユの世界』初版第一刷が盗まれていた。あの装丁が好きだったので同じ装丁のを買おうと高円寺〜早稲田古書店回ったが中々見つからず、焦った。4軒目でやっと発見。初版ではない。が、あってホッとした。
421 :
我輩は考えても答えが出ないのである:2006/03/23(木) 22:17:06
422 :
考える名無しさん:2006/03/23(木) 23:02:49
こんなところで宣伝スンナ
423 :
反省:2006/03/24(金) 00:04:55
すいません。今まで研究機関にいたもんで、発表癖がついてました。自粛します。
発表癖ワロタ。
痛い目にあう前に、匿名掲示板のマナーについても勉強したまえ。
425 :
ん・・・?え・・・?:2006/03/24(金) 19:27:39
マナー、言論の自由、ルール、規範、ああ・・・バタイユでも駄目なのか?
426 :
ごめん、愚痴だった:2006/03/24(金) 19:54:36
僕がわるかったね。話題をかえてください。しばらく冬眠してまーす。
427 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 20:07:00
>>426 キミ、君! バタイユのスペルが間違っているよ。
バタイユはスペルマだよ。
428 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 20:12:39
全てに肯定がバタイユなんだから自説やHP宣伝なぞ何でもない。また、それに対する「やめろ!」もあり。つまりは皆、好きにやればいい。
429 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 20:20:18
>>428 そうだ!
みんな〜〜〜〜。ポコチ○元気かい〜〜〜〜〜。
430 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 20:27:31
>>424 テメー、えらそうにいうんじゃねえ。
おいらはドラマーだぞ〜〜〜〜。
431 :
やっぱりいいね、バタイユ:2006/03/24(金) 20:54:36
ありがとう、皆様に迷惑かからない程度に生き返りました。
432 :
考える名無さん:2006/03/24(金) 22:58:04
つまるところ、エロティシズムというものは、人間の動物的本能を否定的に
肯定するということですよね。ということは、俺は本当はエロだけど、社会的
に振る舞っているんだ。ざまあみろ、という感じになって、エロティシズムと
いう名のルサンチマン(テーゼ)に陥りかねないというのが落とし穴か?
>>432 禁止の定立自体が「使いみちのない否定性」のロジックに含みこまれている
禁止を侵犯するだけではなく、侵犯から再び禁止の定立に至る
「好運」の境位もまた、例外なしに異議申し立てがなされる
これと同様のこと
また、「エロティシズム」は性的なもののことではない
なぜなら、性的なものというのは、あくまで静的な認識の一形態にすぎないから
「エロティシズム」は死に至るまで称揚された生であり
それは差異化(特異性の発露)の運動であって、静的な認識を指すのではない
バタイユは性の解放運動家たちにとんでもない保守野郎だと罵られたが
性の解放というせせっこましい小市民的運動よりも
性に死に至るまでの高みを見たバタイユの方が一層ラディカルだと考える
434 :
いいねえ、君:2006/03/24(金) 23:50:10
ということはエロスの極みはキリストか?
>>434 「キリスト」という名詞で何を指そうとしているのかが
現時点でははっきりしないのでなんとも言い難いのですが
磔刑のキリスト、「エロイ・ラマ・サバクタニ」(わが神、我を見捨てたまいしか)のキリストは
バタイユと大きな関係があるとは言えます(例えば、『内的体験』平凡社ライブラリーのp377)
話は変わりますが、カトリックの三位一体の教義が正しいならば
キリストの殺害は神の殺害であり、神をイケニエにした供犠であって
キリスト教とは、キリストが殺害されることで罪が贖われたと信じる人々の
そのキリストの殺害によって、槍の傷口によって、開かれた共同体でしょう
絶対的な隔たり、裂傷、つまり「死」がこの共同体の根幹にあります
ここにバタイユの構想した共同体と似通った部分があると言うことはできます
ナンシーのバタイユ論、そのバタイユ論に対するブランショの論文が見事に描いているように
バタイユの共同体もまた、「死」の、無為の、明かしえぬ共同体です
バタイユがヨーロッパにおいてエクスタシーが小死と呼ばれているという事実を
繰り返し述べているということは、これと無関係ではありません
「エロティシズム」が「死」と分かち難く結び付けられているのもそうです
436 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 18:18:08
ところで、バタイユとドストエフスキーとの関係についてご存知の方いらっしゃったら教えてください。文献等ももしあったら教えてください。
437 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 23:26:39
バタイユをリベラルっつーのはかなり違和感あるな
438 :
我輩は名無しである:2006/03/25(土) 23:34:11
それぞれの考え方次第ですよね。ある人から見たらリベラルな話題もある人から見たら保守主義的だったっていうのは、よくある話ですね。
439 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 23:38:47
いやそういう相対主義的な意味でなくてさ
うまく言える自信はないのだが
440 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 06:46:49
リベラル、保守主義、という枠組みに納まるものなのか、という問いをバタイユが放射する、て感じはあるね。議会制民主主義や多数決や人権とかさ。バタイユを近代的な政治概念に収斂させられるのか?はみ出すのでないか?てことでしょ。
最近知ったんだが、竹田青嗣氏もバタイユの思想を取り入れてるみたいだね。
哲学・思想を勉強し始めたのが去年のことなんで、知らなかったよ。
442 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 10:17:59
バタイユにはそんな気は毛頭なかったと思うんだけど、彼の本を読んでると癒されるんだな。不思議と。ありのままの俺でいいのだ、と云ってくれてるようなね。親近感を持つ。
バタイユ的にはリベラルさえも狭い思想だということか
444 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 15:07:34
リベラルって薄っぺらい印象しかない
俺は保守思想の真髄に尊敬の念を抱きつつ
抗いようもバタイユに惹かれそして引き裂かれる
445 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 15:29:56
↑カッコイイ!
446 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 20:50:44
『羊たちの沈黙』久しぶりに見たんだけど。レクター博士ってただの人食い狂人ではないね。あれは賢者であり、のみならず人間の暗闇にまた異常な執着を持っている。不可能なものへの執着をもつ賢者、という意味でバタイユとの類似性を痛感した。
447 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 22:05:16
そうかぁ〜?
全然感じないが
448 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 22:27:10
バタイユは実家が確か牧師さんで、そっからグレタというのが彼の思想の大きな背景になっている。彼の否定神学は親への反発であって、日本でも親が大学教授でぐれる息子みたいなのと同じようなところがあるから、ちょっとレクターと比べるのは違う気がするねえ。
449 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 20:31:13
禁忌を侵犯する瞬間こそ人間性の極みだ、とする思想がバタイユにはある。そこがレクターと共通しているのではないか。
ちなみに《バタイユは、父親が無信仰で生き、無信仰のまま死んだと強調している》(『G.バタイユ伝』上巻41頁)
450 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 21:16:43
バタイユリレッロリレラレロ。
バタイユユンケリラルラレロ。
451 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 21:58:11
ここで止まっちゃうのもなんだから上げときます。
「交接行為およびそれに用いられる器官はあまりにも醜悪なので、もし容貌の美しさとか、それに関わる者たちが装おう装身具、そして抑え難く迸る勢いがないとすれば、人間は自然界から失われることであろう。」
レオナルド・ダヴィンチ
これ、『エロティシズムの歴史』のエピグラフです。アゲます。
452 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 01:12:48
フロイトもそうだが、バタイユもレオナルド・ダヴィンチ論を書いているね
バタイユが「ダヴィンチコード」を読んだらなんと言っただろうか
全集の「レオナル・ド・ダヴィンチ論」は訳が一行目から意味不明
読むなら二見書房の全集は回避した方がいい
「人間の運命について考えるのなら、私は選ばれなければならない」(全集)
「人間の運命について考えるとなると、私は、人間を選り分けねばならなくなる」
(『純然たる幸福』 酒井健訳)
こうして並べて見るとよく分かる
454 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 12:13:44
1990年代後半に講談社から出版された「現代思想の冒険者たち」っていう
シリーズがあって、このシリーズで出た本のいくつかが「現代思想の冒険者たち
Select」っていう名前で、ソフトカバーの廉価版になって出版されてるよね。
で、我らがバタイユは、1997年にハードカバーで出たものの、廉価版のほうは
いまだに出てないし、ハードカバー版も入手不可能になってるんだよね。
やっぱり、いまいち読者が少ないんだろうなぁ。
455 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 13:05:17
>>455 版元の筑摩書房のサイトによると、4月12日発売です。
458 :
考える名無さん:2006/04/11(火) 22:53:23
>>454 「現代思想の冒険者たち」のバタイユは名著ですね。廉価版が出てないのが不
思議なくらいですね。あのシリーズは大体読みましたが、湯浅教授のバタイユ
講義が白眉だったような気がします。実は私の修士論文もそこからかなりイン
スピレーションを受けてますしね。現在大学機構では生まれづらい創造的な
著作という点でとても素晴らしい一著だと思いますよ(僕はバタイユの専門家
ではありませんが)。
459 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 00:18:58
>>454 二見書房のは、すべて改訳するべきだな。いたずらに難解にしてるよ。
460 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 00:36:54
二見書房の主な訳者は誰?
1 『眼球譚』 生田耕作 (訳)
2 『不可能なもの』 生田耕作 (訳)
3 『C神父』 若林真 (訳)
4 『死者/空の青み』 伊東守男 (訳)
5 『聖なる神』 生田耕作 (訳)
6 『呪われた部分』 生田耕作 (訳)
7 『エロティシズム』 澁澤龍彦 (訳)
8 『ジル・ド・レ論』 伊東守男 (訳)
9 『ラスコーの壁画』 出口裕弘 (訳)
10 『沈黙の絵画』 宮川淳 (訳)
11 『ドキュマン』 片山正樹 (訳)
12 『言葉とエロス』 山本功・古屋健三 (訳)
13 『詩と聖性』 山本功・古屋健三 (訳)
14 『戦争/政治/実存』 山本功 (訳)
15 『神秘/美術/科学』 山本功 (訳)
>>455 現代思潮社のアセファル全訳持ってれば買わなくてもいいような本。
463 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 18:11:57
解説が新しいだけ
464 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 19:34:57
講談社学術文庫
5月の新刊予定に
湯浅博雄『バタイユ』とあります、
おそらく「現代思想の冒険者たち」の文庫化ではないかと。
465 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 22:15:30
良かったですね。ニュータイプのための教養書になるんじゃないかと思いますよ…ところで慶応大学で今月研究会があると小耳に挟んだのですが…
466 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 23:54:59
ちくま文庫の『聖なる陰謀』は現代思潮社の『無頭人』と違い、アセファルをめぐる書簡が中心。よって現代思潮社版とは重複しない。
アセファルはどうでもいいので、書簡集を翻訳してください
マーケティング的に「アセファル」という冠詞は大きいんだろうけど
>>466 とりあえず買ったけど1ページも開いてない。
重複しないの? やったぁ。
469 :
考える名無しさん:2006/04/13(木) 15:26:20
雑誌『アセファル』と結社アセファルはイコールではないということだな
俺はトレヴィルから出ていたエロスの涙に
収録されている書簡集も参考になった。
いぜん一時的に河出書房がトレヴィルの本を復刊したが
売れなかったのかすぐになくなってしまった。
471 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 21:31:45
バタイユはしっかり研究史とかないとヤバイ気はしますね…直感的に。なにしろ名前が戦争だからね…よろしく!
472 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 21:34:56
陽郎しく!
473 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 00:09:51
日本語に訳すと、戦田密男ですかね
那覇那覇
475 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 17:17:13
>>464 この本、税込みで1313円だそうです。
476 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 17:20:13
バタイユ批判には、どんなものがあるんでしょうか?
著者と書名を教えてくださいませ。
477 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 22:23:46
>>476 ジャン・クロード・ルナール、『バタイユの内的体験』。邦訳なし。
ナンシーの「供犠できないもの」もバタイユ批判の書といえるかもしれない。
論集『有限の思考』。邦訳なし。
>>477 カキコしてくださって、ありがとうございます。
「邦訳なし」ってのは、つらいですね。
浅田彰氏の『20世紀文化の臨界』って本に、浅田彰氏と中沢新一氏がバタイユを
論じた対談が載ってますね。
この対談では、2人とも「バタイユなんて大したことないよ」ってなことを言って
るんですが、中沢氏のほうは「カイエ・ソバージュ」の5巻でバタイユを評価して
るんですよね。
480 :
我輩は名無しである:2006/05/08(月) 21:48:03
僕は今のところ大学修士まで文学一筋でやってきたものだから、自分がいい文章書けるかどうかはわからないけどいい文章の選別には自身がある。バタイユは素晴らしい思想家だと思う。バタイユの研究者の質を見ていればそれがわかる。
481 :
考える名無しさん:2006/05/08(月) 23:42:22
>>479 裸でぶらぶら歩いているような人だよな、と盛り上がってましたね。
浅田氏のようなディレッタントからすれば、粗野の極みだったのでしょう。
中沢氏としては、浅田氏に引きずられる形で同意してた感じですね。
>>481 そもそも浅田氏に、エロスが論じられるわけがないわなw
バタイユに関して言えばバタイユの時代の科学的知識で哲学を作り上げたわけで、
たとえばドゥルーズの方が優れてたりするだろうけど今の誰々の方が凄い、
バタイユは古い、っていうのも歴史的すぎる見方なんじゃないかなぁ。
今の時代バタイユだけで足りるかといえばノーだけど、バタイユが重要な事には変わりない。
で、浅田のバタイユ批判ってキリスト教の枠内に留まってる、っていうのだったと思うけど、
浅田はキリスト教をどういう風に理解しているのかよく分からん。
バタイユのアモク論の中にキリスト教的性格を見いだしたのか?
>>483 浅田のバタイユ批判なんてドゥルーズとフーコーの受け売り。
あの当時はたいして読んじゃいないのに、立ち位置を気にして
安易に批判してたように思う。今はどうか知らないが。
http://www.sanspo.com/sokuho/0512sokuho035.html 本業では稼げず児童ポルノ販売、芸人を逮捕
警視庁調布署は12日までに、児童買春・ポルノ禁止法違反の現行犯で東京都
新宿区下落合、芸人森一樹容疑者(37)を逮捕した。
調べでは、森容疑者は4月26日、自宅に児童ポルノのDVD1枚を販売目的で
所持していた疑い。インターネットのオークションで森容疑者が販売しているのが
分かり、家宅捜索してDVDを見つけた。
昨年6月から販売を始め、これまでに約630万円を売り上げていた。「本業の
芸人では収入が少なかった」と供述している。
森容疑者は「目白バタイユ」の芸名で浪曲や落語、アダルトDVDの作成などを
してきたという。
バタイユの訳書に浅田が絶賛のコメントの帯ついてたの見かけたけど?
487 :
考える名無しさん:2006/05/14(日) 11:29:30
朝令暮改は世の常です
>>486 二見書房のジョルジュ・バタイユ著作集についてるんだよね。
講談社学術文庫からバタイユ本出てたけどどう?
湯浅博雄の
490 :
考える名無しさん:2006/05/14(日) 16:37:14
湯浅博雄のはハード・カバー版で読んだが中々手堅く纏めてある、という印象。伝記タイプでなく思想について幾つか柱を見立て、それらに沿って読解してゆくタイプの本だと初めに著者の断り書きがしてある。
湯浅博雄って、東大の先生なんだよね。
やっぱり、エロエロな講義をなさっておられるのでしょうか?
東大生が羨ましいですね。
492 :
考える名無しさん:2006/05/14(日) 20:23:11
エロエロなら最高面白いね♭
湯浅は顔だけみるとえらい堅物のようだ。しかしそんな先生がとんでもない趣味を持っているのも悪くはない。
493 :
考える名無しさん:2006/05/14(日) 21:50:36
目白バタイユならぬ本郷バタイユ。
494 :
考える名無しさん:2006/05/16(火) 17:40:14
湯浅博雄(著)『バタイユ』を get しました!
>>494 それって「現代思想の冒険者たち」シリーズの1冊の文庫落ち?
加筆部分とかあるのかな。
496 :
考える名無しさん:2006/05/17(水) 13:36:42
>>495 基本的には、「現代思想の冒険者たち」シリーズの同名の本を文庫化したものです。
ただし、あとがきに
> 今回、講談社学術文庫の一冊として再刊するにあたっては、全体を見直し、不足
> しているところを補い、文章や語句、言い回しを書き変えて、全面的に改訂した。
(同書401ページ)
って書いてありますね。
そっか〜だからソフトカバー版で出なかったんだ、バタイユだけ。
私はまだきちんと読んでないけどハードカバー版持ってます。
できるだけバタイユの文学臭を排除した構成になっているのが新しいし、正当な姿勢だと思うな
文学臭を排除した、といえば
りぶるどるしおるバタイユ・マテリアリストだな
ファシスムの心理構造はお気に入り。
499 :
考える名無しさん:2006/05/27(土) 15:46:38
…あたしは快楽を愛しているの。
いいえ、愛しているというだけではたりないわ。
自分のうちに宿っている真理を明らかにせず片時でも生きるようなことになればあたしは窒息してしまうでしょう。
快楽があたしの全生命なの。…
かんどうした。
500 :
考える名無しさん:2006/05/27(土) 16:10:03
バタイユの、図書館職員として側面が知りたい
>>499 男性という鏡が無ければ自分の理(ことわり)がわからない
性と愛の内面的未分離
それが女性クオリティ
502 :
考える名無しさん:2006/06/11(日) 16:15:55
>>479 中沢新一氏の『芸術人類学』を読んだけど、レヴィ=ストロースとバタイユを支柱に
据えてるみたいだぞ。
カイエ・ソバージュでバタイユに言及してるのは知ってたけど、中沢氏が、これほど
までにバタイユを評価してるとは知らなかった。
でも、エロエロな部分については、あまり言及してないような気がするな。
503 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 21:41:00
湯浅博雄(著)『バタイユ』を半分くらい読んだんだけど、かなり詳しく書いてあるね。
序章がむやみやたらと長いのが難点だけど、勉強になるわ。
504 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 23:06:13
湯浅は「バタイユ」読むぐらいだったら、「聖なるものと永遠回帰」の方がいい。
505 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 22:06:43
『有罪者』と『ニーチェについて』を読みたいんだが、かなり高いな…。
古本屋にいっぱいあるよ
507 :
考える名無しさん:2006/06/18(日) 06:32:08
映画でブランコに乗ってた人が奥さんかな
栗本慎一郎氏は、「意識へのレクイエム」っていうバタイユ論を書いてるよね。
これは「現代思想」1982年2月号に掲載されて、その後『経済人類学の眼』や『反
文学論』に再録されたんだけど、これや『パンツをはいたサル』を受けて、浅田彰氏
が『構造と力』において、バタイユ批判を展開したりした。
いま読むと、栗本氏のバタイユ論はかなり単純化されてるとは思うけど、でも、その
わりには、そこそこマトを射ていると思うな。
510 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 17:18:39
読んでないから知らんけど
浅田彰のバタイユ読みって
要するにポストモダンチックに再構築を偽装した換骨奪胎ってやつか?
511 :
考える名無しさん:2006/06/20(火) 20:29:24
そういや、岡本太郎が、バタイユと知り合いだったんだよな。
1957年(昭和32年)に『蠱惑の夜』というタイトルで『C神父』の邦訳が
出版されたんだけど、この本に岡本氏の回想記が載ってるらしいね。
このほかには岡本氏には、バタイユについて書いた文章(あるいは、バタイユの
論じたテーマに関する文章)って無いんだろうか?
岡本が書いた本でバタイユの生年間違ってたな。
題名は忘れたが。
513 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 22:57:39
文学板と同じ質問すみません
『聖なる陰謀―アセファル資料集』(ちくま)どうでした?
509ページもあるらしいけど現代思潮社のとどう違うんでしょう?
全然違うんじゃない?
読み途中で俺がダレてきて挫けそうだけど、今のところ重複する内容すらないよ。
>>513 前者(『聖なる陰謀―アセファル資料集』)は書簡集
後者(『無頭人』)は同名の雑誌の全訳
簡単に言うとこんな感じ
516 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 23:22:18
517 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 08:41:18
もうすぐ映画が公開になるな
518 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 10:46:37
『わが母』が映画化されたんですか!
521 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 22:07:11
岡本太郎!!!!!!!!!
522 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 22:13:38
さらば、インド!
523 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 22:14:39
さらば、橋龍!
525 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 17:24:19
講談社文庫「バタイユ」湯浅博雄を読みました。
全体はおもしろく読んだのですが、
後半部のキリスト教などの共同体の関係に対立する「愛の関係」って
おかしくないですか?
イエスへの愛をもとに共同体を形成し閉じるのでなく、
決して同一化できない他者へむけて消尽するような開かれ、
未知を産み続ける関係とのことですが、
これがフロイトのエロスであるならば、あまりに都合が良すぎる。
なぜなら一方が他者へ向けて消尽するなら、他者は恐れおののくでしょう。
それがともに同じように、捧げる愛って、嘘くさいですね。
完全に認識論を逸脱したロマン主義だと思うのですが。
伝統的な認識論が前提としているものに「主体」がある
バタイユの思索はこの「主体」に疑問を投げかけている
(『非‐知』(西谷修訳 平凡社ライブラリ−)の「草稿」あたりをご参照あれ)
だから、バタイユが語ったことは
そのことを考えに入れて考えないといけない
527 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 18:43:18
>>526 認識論と「主体」の射程の大きさは全然違いますね。
「主体」は様々に解体されていますが、認識論(結局、独我論)は
そう簡単に解体しえません。
問題は「愛の関係」が認識論(独我論)を限りなく乗り越え可能なように
書かれていることです。
古代祝祭の「消尽」が可能なのは、それが祭りという身体的な興奮の場
だからですね。みながともに祭りの場でトランス状態に入ることで、
言語を乗り越えギリギリまで到達する。
言語は「返礼」を求めるよこしまな思いを進入させますから。
「愛の関係」も認識論(独我論)を乗り越えられない。他者との間に、
絶えず分かり合えない未知が開くとありますが、
自分は他者へ興奮することができても、他者が同じように期待することは
難しいのではないでしょうか。
この認識論(独我論)的断絶に対して、一人のみ興奮するのは
ストーカーです。
現に精神分析ではこのような「愛の関係」は転移であり、
過激な転移はまさにパラノイアです。
528 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 18:47:45
ググるとこのようなものを見つけました。
これはボクと同じような批判ではないでしょうか。
これによると「愛の関係」はバタイユでなく、湯浅氏の超理解のようですね。
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/6142/sartre/bulle/ajes05.html さらにこの問題と関連して、湯浅博雄氏のバタイユ解釈が検討された。バタイユの思想には、
社会・政治的次元とは異なる、「愛の関係」に根ざす共同性が見られることを湯浅氏は評価
しているが、このような解釈は、バタイユの思想をレヴィナス的な〈対面の共同性〉の関係へと、
いわば「解毒」しているというのが、清氏の反論である。バタイユ的エロティシズムに見いだ
される暴力的な侵犯の快楽は、結局我有化の関係を出るものではなく、倫理的視点に基いて
他者との関係を論じるレヴィナスの立場とは根本的な相違があると、清氏は主張する。
529 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 18:59:35
さらに、古代祝祭の「消尽」が可能なのは、相手が「自然」だからではないかと
思いました。「自然」へいくら過激に転移しても、おののきません。
相手が他者だとさすがにビビるでしょう。
「キミのために全財産を消尽する」と言われた日には、
逃げるしかありません。
>>526 いや、認識論=独我論ってのは短絡
(君は恐らくアレの中の人なんだろうけどさ)
説明がかなり面倒なんだけど、例えばだ
「主体」が解体したということが述べられるとしてだよ
そうしたことが説明できるのは
「主体」が確保された視座から「主体」が見られ、論じられているからだよね
これって客体-主体の認識論の構図のうちにあるよね
解体した「主体」というのを客体として
それとは隔たった「主体」が論じているんだからさ
つまるところ、「主体」の解体は語られているけど
主体-客体の構図はこれじゃあ解体してないよね
バタイユの「内的体験」、「至高性」や「笑い」なんかはこれとはちょっと違うよ
いろいろな著作に当たってみれば分かることだけどね
531 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 19:17:37
>>530 なるほど「主体」の意味が違うようですね。
ボクが言っているのは、ポストモダンで目の敵にされている「主体」です。
キミがいうのうは認識論的?「主体」ですね。
とすると、
>バタイユの「内的体験」、「至高性」や「笑い」なんかはこれとはちょっと違うよ
>いろいろな著作に当たってみれば分かることだけどね
著作嫁ってことだけですね。
できれば、ボクへの反論をいただければありがたのですが
>(君は恐らくアレの中の人なんだろうけどさ)
???
533 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 19:21:59
簡単にいえば、
バタイユ的?湯浅的「愛の関係」は、
精神分析的悪い転移(イマジネールな闘争)を
いかように乗り越えるのか。
ってことなのです。
534 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 19:23:40
>>532 ポトラッチは相手というよりも自然への贈与(消尽)を前提としていますね。
535 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 19:31:12
続けさせてもらうと、バタイユの思想はフロイト、ラカンと同じ構図を持っています。
ラカンとはフロイト、コジェーブに師事したお友達ですから当然なのですが、
消尽とは、精神分析では死への欲動であり、享楽です。
だから他者への消尽は、精神分析的悪い転移(イマジネールな闘争)、
あるいはパラノイアに向かうと理解されます。
>>528の湯浅批判も同じ意味だと思います。
他者への消尽を「愛の関係」という倫理的なものへ繋がるのは、
やはりおかしい。安易な理想主義ではないかと思うのですね。
536 :
532:2006/07/11(火) 19:53:03
>>534 そういう返答をされたら議論が成立しないんだが。
まあ、些末なことだからいいか。
537 :
考える名無しさん:2006/07/12(水) 01:13:52
聖なる陰謀半分以上読んだがあんま面白くないな
いや十分興味深くはあるんだが・・・
バタイユの正式な著作群と比べちゃイカンね
538 :
似非フィロソファ:2006/07/12(水) 03:25:28
バタイユの〈消尽〉は総て性と死と密接に結びついている。
消尽と贈与が意味として哲学(本質)的に切り離せない所以は、ここにある。
カール・マルクスはそれを見逃した。『空の青み』で、マルクスが話題に出てくる。
〈至高性〉とは、供犠による事物の破壊との文脈で語られる。
539 :
似非フィロソファ:2006/07/12(水) 03:34:23
贈与と消尽、これはSとMみたいなもんだな。
相互補完的であるという意味。一つでは成り立たない。
バタイユが何度も取り上げているメキシコの神話においては、神は二人で一組。
>>539 ナナワツィンとテクシステカトルがそういう関係とはおもえん。
SMとかそういうのじゃなくて、相互補完的に見えない、ということ。
素直に考えればナナワツィンを補完するのは
生け贄となる神々だと思うが、どうか?
フツーに澁澤やそれ系のやつらから経由してバタイユ読もうとするやつはぜひともやめていただきたい
ママンを見てからバタイユ読もうとする奴……居なそうだな。
543 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:49:44
澁澤って結局、せいぜい魔術趣味(正しく趣味!)の人でしかないんだよね
なんつーか全ては負の方向に自らを煌びやかに見せるための装飾、みたいな感じ
バタイユの思想をどれだけ理解してたか甚だ疑問だ
俺は絵画に対する興味から
ダリ→シュルレアリスム→(雑誌『夜想』)→バタイユと知るに至ったけど
まぁその際の入り口として澁澤さんは大いに役立ったんで感謝はしてるけどね
栗本慎一郎経由でバタイユを読むようになったオレは?
もっともオレも今では、バタイユ自身の著作をいろいろと読むようになって、
栗本先生の解釈と、バタイユ自身の思想とを分けて考えてるけどね。
酒井経由の俺は負け組でしょうか……
フランスのニーチェ受容に興味があって、入門書を手に取ったのですが……
546 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 02:43:36
酒井はバタイユ研究者としては比較的新しい方だね
訳者としては好きだけど解説者としてはあんまり、かな
>>546 酒井健氏の解釈は、現代のフランスにおけるバタイユ理解の影響を受けてるのかな?
548 :
545:2006/07/23(日) 10:32:45
むしろ入門書を出したのは酒井が一番早かった希ガス。
湯浅はバタイユ=ドゥルーズって感じだろう。
あんがい岡本太郎経由なんてのが一番確実なんじゃないのけ?
550 :
考える名無しさん:2006/07/26(水) 09:25:23
ありえなす
551 :
考える名無しさん:2006/07/26(水) 17:46:56
岡本太郎は西洋でしかもカトリックの文脈上にあるものを
日本でやっちゃって、しかも縄文時代の美術をエロティシズムの契機にしちゃうからな・・。
それなりにやろうとしたことはわかるけどイマイチ。
余談ですが、
>>485 で言及された「目白バタイユ」は、懲役1年6ヶ月、執行猶予
3年、罰金50万円だったそうです。
mixi で本人がそう書いてました。
>>551 バタイユにしたってアルタミラがどうとかハァ? って感じの論考もあった気が。
岡本は原始にこだわりすぎたってのはわかるが。
うさんくさいからね。陶酔や脱我なんて概念は。
フツー覚めるもんすぐ。
これがブランショの言う「エロティシズムに対する異議申し立て」なんだけど。
こんなもん思想だよねやっぱ。哲学じゃないよ。
日本で澁澤タツヒコがある種の女にウケてるように、バタイユもなんかそうだったみたい。
伝記読むと講演会に聞きにきてたのは女ばっかだった。
555 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/26(水) 23:44:25
>>554 ・・・・なにか嫌なことがあったのかい・・・
556 :
考える名無しさん:2006/07/27(木) 00:58:48
なんで女って下ネタ嫌いなくせにバタイユ好きなんだろう
自分が本当は変態だって言ってくれるバタイユが好きなのか
バタイユ好きな女って、どういう感じの人間なんだろう?
オレはそもそも、バタイユ好きな人間に会ったことがないな。
話題にしにくいからな。
558 :
考える名無しさん:2006/07/29(土) 06:49:35
バタイユ好きならおれに手コキしてみろって感じ
>>558 手コキしながら死なれたら一生トラウマになるぞ
560 :
考える名無しさん:2006/07/31(月) 09:02:55
バタイユについて性に限定?したエロティシズム好きってやっぱり多いんだなあ
個人的にはそこから外れる
(それも決して性的なものと無関係ではありえないだろうが)
バタイユが好きなんだが
561 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 19:32:17
バタイユ好きの女がどんな女か知りたいの?
だったら「ママン」より「ピアニスト」が参考になるよ
562 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 02:57:34
手コキしろメスブタ
563 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 17:38:48
>>563 その程度ならググればすぐ出てくると思うが、確認のため回答する。
岡本のフランス留学時代にバタイユの秘密結社に入っていたという。
また、バタイユが影響を受けたA.コジェーブのヘーゲル講義の出席者にオカモトという名前があり、
これは太郎のことだと思われる。
太郎は帰国後、花田清輝らとともに夜の会という秘密結社を設立するが、
バタイユの秘密結社がモデルになっているといわれている。
バタイユの秘密結社は宗教的、といっているが、メンバーは作家や画家が主だった。
太郎の著作(回顧録?)の中にはバタイユについて書いた部分もある。
……どうでもいいが太郎はバタイユの年を間違えて覚えていたようだ。
>>564 岡本太郎も、コジェーヴの講義に出席したんだ。
知らなかったよ。
566 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 20:07:37
伝説のコジェーヴの講義言ったのか、すげっ!
日テレ大作見に行ったけどタロウ凄いね。
初心者です。哲学ジョ−ク、よく判らないのですが一様
涙ほど美しい、笑いほど楽しい
怒りほど愚かな、憎しみより醜い、ものはない。
>>567 スレ違いでしたすみませんw
569 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 00:07:07
コジェーヴの講義にも出たし、モースの弟子だったというのもスゴイよなあ。
で、日本に帰ってきてからそれなりに自分の仕事として体現できてるし。
脱−日本としての沖縄・東北とかね。ポスト構造主義と並進しているようにも見える。
浅田彰あたりは、岡本太郎のバタイユ理解のレベルを、馬鹿にしてたみたいだな。
まぁ、あんまり気にすることもないとは思うが。
571 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 00:54:13
理論家じゃなくて芸術家だもん。理解よりセンスじゃん
572 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/05(土) 00:55:15
たしかに浅田の「構造と力」とタロウの作品は繋がるところがあるね。
タロウは芸術家なんだから理解は良いだろう。
あこがれの人ではないのかね。
573 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 01:19:17
いかにも陳腐な対比だが
浅田彰はバタイユを知性で理解し
岡本太郎はバタイユを感性で理解する
って感じじゃなかろうか
俺はどっちもあんまり好きじゃないんだけどな
574 :
564:2006/08/05(土) 02:18:37
コジェーヴ、だったな。表記が違っていた。
名簿にはタオオ・オカモトと読める名前が載っていたらしい。
浅田は理論家だから、バタイユと話させたら浅田の方が話が広がるかもしれん。
じゃあ何ができるの? っていったらただの理論家には何もできないんだが。
575 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 02:57:45
浅田は一生口頭解説だけで終わる
576 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 00:07:58
気になることがあるんだが、ジミヘンの曲で「Voodoo Child(ヴォードゥーの子供)」て曲がありますね。ヴォードゥーといえば『エロティシズム』の口絵で生け贄の儀式が紹介されています。この曲や、モンタレーポップフェスでギターにガソリンをかけ、火をつけ→
│ _、_
│ ヽ( ,_ノ`)ノ 残念 それは私の呪われた部分だ
│ へノ /
└→ ω ノ
>
578 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 00:15:48
→破壊した、例の場面かある。これはギターに火をつける前に横たえ口づけする、まさにギターを生け贄にした場面といえる。ジミヘンの演奏もそうして聞き直すと、バタイユの『エロティシズム』の鍵概念である、〈存在の連続性〉を現出させることを狙っていたのでは?→
579 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 00:23:31
→と思えてくる。個体の壁に仕切られた、その壁を破壊する、扉を開けるその媒介ですね。ジミヘンとバタイユとの共通項で面白いのが、ジミヘンの作ったバンドの名前です。“experience(体験)”なのね。これもバタイユの著書『内的体験』を連想させる。→
580 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 00:27:50
→考えるほどにジミヘンとバタイユについて、共通項が発見されてゆく。ジミヘンの音楽とは何だったのか、バタイユを読みながら考えると色んなことが見えてくるんじゃないかな。
ジミヘンに絡めて語るのは初めて見たが、
今度は矢印なしで詳しく語ってくれ。曲名出してくれるなら聞いてみるから。
582 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 12:16:31
バタイユとの関連で聴くなら、やはり先に提示した、モンタレーポップフェス'67で最後に演奏された曲「WILD THING」をDVDで見るといいんじゃないかな。ギターを生け贄にしたシーンが見れるよ。「Voodoo Child」はライブの定番だったから殆どのライブ盤で聴ける。
583 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:46:04
ジミヘンの体験は麻薬覚醒剤による高揚感をAre you experienced?ということです
584 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 15:20:01
麻薬覚醒剤の使用による高揚、てのも体験に含めることができる。一応言っておくがジミヘンがバタイユを読んで影響された、とは俺は一言も書いてはいない。そうではなく、偶然の一致にしても、共通項‐知性や理性の彼岸に重きをおく姿勢がある、と言っているのだ。
585 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 15:28:37
そうしてジミヘンは自分の演奏を、その彼岸との、懸け橋にしたかったのではないか、というのが俺の想定だ。ジミヘンは美的感覚において卓越していた。例の歪んだアメリカ国家演奏を自分で「あれは美しいだろ」と発言している。凡百のロッカーと一緒ではない。
586 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 16:47:11
つまんねー
587 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 17:53:41
いや、面白いよ笑
ロックやジャズ、の本質的な何かと、ジミヘンの中のバタイユ的部分はクロスする、て気はする。
つまり、彼岸性、世界の彼岸性ですね。(この辺の言葉遣いは難しいが)それとの交感を現出させる効果の意味合いが、あれらの→
588 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 17:57:45
→音楽にはあるのではないか。つまり、基本になるのは音楽だし、楽器演奏だったり、リズムだったりするんだが、実はその根本的動機、音楽へ人を引き込むものとは、超越論的動機、超越的世界を生きることへの引き付けではないか。
ジミヘンほど露骨ではない→
>>587-588 キチガイの言う意味は分からなくもないが、正直キチガイはバタイユを読んだことないだろう。
590 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 18:06:31
→が、例えばツェッペリンの'79ネブワースの映像をみて、やはりこの演奏を促す力、ていうのは単に音楽的衝動ではないのではないか、との感想をもった。
ただ、全てのロックがジミヘンやツェッペリン的だとは言えませんね。だけどロックの本質は指示してると。
呪術的、非文明的→バタイユ
通俗的なイメージってこういうのだろうな。話にならん。
592 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 18:24:21
セックス、ドッラグ、ロックンロール
70年代の合言葉と思うが
60年、70年代は反戦、反核とかなり熱い「時代精神」
を感じるのだが、その根底の一部分にバタイユの精神
があるなんて、驚きだ!
593 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/08(火) 18:32:23
>60年、70年代は反戦、反核とかなり熱い「時代精神」
>を感じるのだが、その根底の一部分にバタイユの精神
>があるなんて、驚きだ!
ネタにマジレスすると、バタイユはどこまでも超越論的なのだけど、
容易に信仰(超越的)されちゃう。
それはラカンなどにも見られることだけど、致し方ない。
594 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 18:34:01
先のジミヘン、ツェッペリン等とバタイユ的思考の類似性から、次にそれら以降のロックの状況を腑分けすることも出来るでしょう。
ジミヘンやツェッペリン等以降、超越的世界との交感という体験はロックの中で喪われていったと思われます→
595 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 18:39:19
→そのことは翻って、ロックが時代の変遷の中で無くしていったものとは何だったかを追想することでもあると思います。
かつてロックが象徴していた何ものか、今は喪われていった何ものか、ジミヘンやツェッペリンとバタイユの円環に、それがあるんでは(?)
596 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/08(火) 18:39:28
ネタにマジレス2
ロックの起源が黒人の霊歌(ゴスペル)にあるのだから、
バタイユにつなげるのは安易な誤謬です。
597 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 18:49:29
反社会性、反逆精神からの観点はどうよ
ロックの源泉は別にして
ロックの起源がゴスペルってのが安易
599 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/08(火) 18:56:11
ロックの「反社会性、反逆精神」は一つのイデオロギーでしょ。
ジミヘンもパフォーマンスとしてとらえないと。
ある意味、バタイユはこれらの思弁の彼岸を指摘したわけで、逆ですね。
バタイユ的というなら、ロック、「ヴードゥー」などの形式でなく、
音楽そのもののもつ高揚感を指摘すべきでは。
600 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 19:01:48
高揚感〓エクスタシーでいいのかな?
601 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 19:01:48
バタイユと先の話題の連関について、バタイユ本人の言葉を引いてみることもできます。彼岸性についてです。
以下、引用…わたしが《虚無》という言葉を使う場合には、常に存在論の立場に立ってであって、わたしはこの言葉で、→
602 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 19:08:09
→存在の限界の彼岸に位置するもの、を指しているのだ。
イポリット(討論者) 存在はわれわれ自身なのか、それとも、それはわれわれの外にあるものなのか?
バタイユ わたしが「ある存在」というとき、それは一つの個的存在の謂であり、→
603 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 19:15:41
→それは個別的な意味ではわたし自身であるし、一般的な意味では他の人間の自我を指しているのである。この自我に対して、自我の不在というものがある。これを指して虚無と呼ぶこともできる。(討論 罪について『バタイユの世界』青土社所収)
604 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 22:16:12
>599
ロックの「反社会性、反逆精神」は一つのイデオロギーでしょ。
んんな単純ではないでしょ。ロックだっていろいろある。確かにジミヘンやツェッペリンは「イデオロギー」と言われてもしょうがないような気もするが、例えばイギー・ポップの音楽なんてバタイユの思想は響き合うものがあると思う。
そういうロックの反逆性は、イデオロギーといった理知的なものではなく、ニーチェが「肉体の侮蔑者」で言ったような意味での「肉体」が源泉で、バタイユの「低い唯物論」とかコントラ=アタックの思想と響き合う、と俺は思う。
605 :
でカルト:2006/08/08(火) 22:31:14
イデオロギーはもう死んでいる
606 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:22:08
先の討論「罪について」の冒頭でクロソウスキーはバタイユについて興味深い解釈を示している。以下に引用してみよう。
…罪深いということは、それ(存在の倦怠)に対して、神に逆らって生の興趣をかちとることなのだ。
罪を負うということは、→
607 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:26:41
→存在という隷属からの解放、停滞した存在の重圧からの自由を獲得することであって、人間を運動のための運動―それは常に神に逆らう涜神の運動に他ならないが―に誘い込むことである。(『バタイユの世界』より)
クロソウスキーの指摘は→
608 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:30:23
→バタイユにおける罪観念の重要性を指示して余りある。バタイユにとって、存在の制約を超脱するのに罪が存在に風穴をあける役割をするものだ、ということに、バタイユとキリスト教との両義的な関係を指摘することは少なくない。これを西欧のロック文化にも→
609 :
純一:2006/08/08(火) 23:32:51
また、ぴかぁ〜が知ったかしてますね。
610 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:36:25
→適用可能ではないか、と俺には思える。つまり、頽廃decadanceの称揚である。薬の使用を含めた頽廃を通じて甦る暗黒の超越者(超越世界)、という主題はロック文化の中枢にある。実はこの主題は西欧のキリスト教と深い関係があり、日本でジミヘンやツェッペリン→
611 :
純一:2006/08/08(火) 23:37:42
ぴかぁ〜の場合、三十代のオタク的感覚から見たバタイユ、
という限定付きなら、それなりに需要があるのかもしれないね。
勿論、それはバタイユでは全然ないわけだけど。
612 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:38:13
「罪についての討論」は、みんなかみあってないからなあ。論じるのは
難しい。バタイユも右往左往してるし。
バタイユというとロックよりも、コルトレーンのイメージがあるね。
無骨で愚直で極限目指すあたりがw
613 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:38:47
→のようなロックのカリスマが現れなかった要因ではないかと思う。また、日本人のロック文化が西欧のロック文化とどこが違うか、の回答でもあるのではないか。
バタイユ=ロックっていっているのはこの板でも有名な電波だから放置で。
レス見ればわかると思うが
615 :
純一:2006/08/08(火) 23:51:18
ぴかぁ〜だね。
616 :
純一:2006/08/08(火) 23:56:44
>>593 >ネタにマジレスすると、バタイユはどこまでも超越論的なのだけど、
>容易に信仰(超越的)されちゃう。
>それはラカンなどにも見られることだけど、致し方ない。
なんでもかんでも超越論的/超越的という用語を使えば、
哲学語ったことになるって思考回路なんだよね。
617 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:57:05
>614
へへ
自分じゃ何も論駁できないアタマ悪いひとなんだろうな
618 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 23:59:33
いや、ぴかぁ〜て方は途中何度か書き込みしてらしたけど、俺は違いますよ、残念ながら笑
レス?したければする、したくなければしない。当然でしょう。
619 :
純一:2006/08/09(水) 00:02:21
>>618 いや、本物の電波はぴかぁ〜だという意味合いでした。
620 :
純一:2006/08/09(水) 00:05:09
>>596 >ロックの起源が黒人の霊歌(ゴスペル)にあるのだから、
>バタイユにつなげるのは安易な誤謬です。
ロックとバタイユと繋げるのは別に安易な誤謬ではない。
本当の安易な誤謬というのは、↓のようなものを言うのだ。
>86 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 2006/04/18(火) 09:30:14
>長澤まさみの魅力は消費がすすんだロリからの差異であり、消費をうながす無垢です。
>つぎつぎにうまれる無垢という情報社会で、愛はいかに可能なのか
>時代に作られる無垢でも、無垢を求めることに支えられているし、その意味で無垢は性的なものでありつづけます。
なぜ急に電波だらけ?
622 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 00:07:13
そうだったか苦笑
623 :
純一:2006/08/09(水) 00:07:38
ぴかぁ〜ですよ。
バタイユは電波を呼びます。
625 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 00:12:18
いや、バタイユが電波なんです。勿論最良の意味でね。
痴呆の私に、神が唇を押し当てて語る。火のような声が、闇の中から聞こえてきて……
冷たい炎、燃え上がる悲嘆として雨傘の男に向かって語る。
明らかに電波だな。
627 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 17:45:05
詰らん問いでスマンが、バタイユは東洋的イニシエーションに参加
したと、どこかで読んだがズバリ、タントラ系のヨガではないか?
的はずれなら、誰か指摘してくれないか?
>>627 『内的体験』の第一部なんかにヨーガへの言及が幾つかあるよ
当のタントラについてもちょこっと述べているよ(平凡社ライブラリー版でP54)
バタイユがヨーガの儀式に参加したかどうかという伝記的なことは
資料が手元にないので、はっきりとしたことは何とも言えないけど
バタイユの書いたものを読めば、ヨーガに興味があっただろうし
ヨーガをいくらか勉強していたと考えるのが妥当だろうね
629 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 18:11:35
バタイユの基幹、バックボーンは一言で言えば
何と、言い表せるのでしょうか?
初歩的で何故か興味深いです。
多分、玄人から言わせれば、ナンセンスで一蹴されると思いますが...........
>>629 それは新鮮な視点だな。バタイユは棄教以前何をやっていたんだ?
もともとの志望学部は神学部だっけ?
631 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 18:46:18
>>630 バタイユはグランド・ゼコールの一つである古文書学校に進学したが
バカロレアを取得した当初は、医学部か哲学科に進もうと考えていたという
633 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 21:28:59
自分の好きな(信仰する)ものを
安易に結びつけたが性向というものもまったく困ったものだ
634 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 14:20:07
まぁとにかく女は手コキしろってことだ
そしてママンの亡骸をまえにオナニー。
636 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 22:15:33
バタイユは中世のロマン溢れる世界に憧れる神学生だった。
だが、手ひどい幻滅を受けたことが彼の思想の背景をなしている。
ワーグナーに失望したニーチェとも重なるね。
637 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 22:45:36
真面目すぎたんですねー。少年期が。
こういう人は本当にかわいそう。
作家・思想家・批評家。
哲学までわざと踏み入れない永遠の素人。
638 :
考える名無しさん:2006/08/11(金) 01:34:16
>>637のような高邁なる哲学の徒然とした御仁には
あえて「哲学は神学の何とやら」とでも言っておくべきでしょうか。
肯定神学にしても否定神学にしても?とまでいったら行き過ぎかな?
それはともかくとして。
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/059.html >フーコーはバタイユ論で、
>「弁証法と人間学の絡みあったまどろみ」から覚醒するためには、
>そして無言の状態に追い込まれた表現に言葉を与えるためには、
>「バタイユ、ブランショ、クロソウスキーがさしあたり住処とし、思考の極」
>としていた文学的な表現に赴かざるをえないと指摘していた。
>フーコーにとってこの三人の文学者は、哲学とは異なる場所で、
>哲学の向かうべき方向を指さすようなテクストを生み出す作家たちだったのである
バタイユが数々の哲学を援用しながらも
いわゆる哲学者に対して哀れみや哄笑を禁じ得なかった理由とは?
それを知るにはもう少しバタイユの著作に深く且つ注意深く触れてみる必要がありますな
そうですなあ
最近出た文庫本に書いてありますたなあ
640 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 07:00:47
age
641 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 01:48:37
バタイユにいちばん相応しい板ってどこだろ?
文学板でも哲学板でもいまいち違和感あるんだよな
643 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 04:46:46
それもまた・・・w
644 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 14:41:27
645 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 22:15:41
ノヴァーリスに興味持って
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/sinpigaku/Novalis1.html とか読んでみたんだけど
いわゆるドイツ・ロマン主義の立場ってバタイユからしてみると
「逆に、もはや全一者でありたいと望まないことは、すべての事物を訴訟に
巻き込むことにほかならない。苦痛を免れようというので、腹黒くも宇宙の
全体とおのれ自身とを混同してしまう人間は、誰も彼も、まるで自分が宇宙
の全体であるかのようにして一つ一つの事物を判断する。これは、腹の底で
自分を不死の人間と見立てているのと同じやりくちである。こうした不明瞭な
幻影は、生を享けると同時に、この生を耐え忍ぶのに不可欠な麻薬として
私たちが手に入れるものなのだ。…(後略)」 (『内的体験』)
として批判さるべきものなんだろうかね。
646 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 22:23:09
『ヘーゲル・死と供犠』の冒頭部分で
ヘーゲルとロマン主義に関して述べているけど
ありゃ、専ブラの調子が悪いなぁ
「この現実世界を自分の恣意的な空想に従属させている」と考えるような
現実を蔑視するロマン主義者に対しては、バタイユはかなり批判的であり
彼はこうしたロマン主義者とヘーゲルを対置する
ただ、その対置の仕方というのも
なんというか解釈が難しい表現になっていて
バタイユはヘーゲルにロマン主義的な側面を認めつつも
「ヘーゲルがロマン主義者であったというのは
それはおそらく、根本的な仕方でロマン主義者だったということなのだろう」
と述べるているんだよね
だから、バタイユがある種のロマン主義に対して
とても批判的であるのは確かだろうけど
ロマン主義を全面的に否定しているかというとそうでもないと思う
なかなか難しいカキコですね。
649 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/08/27(日) 23:25:55
神社仏閣板は知ってたけど、冠婚葬祭板なんて最近まで知らなかった。
そこでいいじゃん。バタイユ。
哲学板からは逸脱しているし、文学板もイマイチ。
やはりバタイユは社会学板だろう。
社会学ですかぁ?
ふつうの社会学者はバタイユなんて知らんだろうし、知ってても、社会学者だとは
思ってないだろうし。
聖社会学か。
いっそのこと経済関係の板に普遍経済学スレッドでも立てるか。
まあロマン派の作家をつうじてヘーゲルはスピノザを知ったんだけどね。
特にレッシングからだけどそのノヴァーリス、ゲーテなどももちろん
655 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 01:16:26
シュタイナー幼稚園の子どもってアタマおかしいね。
656 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 03:01:17
やっぱバタイユは基本グノーシスでしょ。シモーヌ・ヴェイユもそうだし。
おい、鬼太郎!
このラインナップでバタイユ入ってくるってすごいよねw
それって、眼球譚のことですか?
目玉の話とはひどいタイトルつけたもんだw
違う出版社から新訳を出すのはむしろ喜ばしいことかもしれん。
だけど、社会的に認知されたタイトルを改変しないで欲しい。
>だけど、社会的に認知されたタイトルを改変しないで欲しい。
サン・テグジュペリの「ちいさな王子」はどうなるんだ?
原題直訳だけど別の名前で認知されてる作品なんだが……
ところで次回刊行分にレーニンが入ってるような気がする。
ラインナップを決めた人間は常識人ではないことが俺の中で確定。
新訳を読んだバタイユに詳しい人、新訳がどうなのか教えてください。
飛ぶ教室が読みたかったんだが結局両方買ってしまった。
まだ読んでないけど。
666 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 19:56:28
エドワルダはまあいけるが目玉はダメダメ
バタイユはやっぱり酒井健氏みたいな専門家が訳さにゃダメだよw
667 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:31:11
品切れになって久しいラスコーが読みたい。
新訳(できれば酒井訳)で出してくれないかな。
668 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:32:12
解決策の不在は想像を絶している
669 :
考える名無しさん:2006/10/07(土) 00:53:51
光文社文庫の古典新訳、『リア王』や『カラマーゾフの兄弟』、
『ちいさな王子』など、誰でも聞いたことのある名作に交じって
バタイユの『マダム・エドワルダ』を初回のラインナップに
加えるという見識に拍手を送りたい感じ。何も知らずに買って
何となく読んでびっくりするような人もいるんじゃないか。
いっそぜんぶ平仮名表記にすればよかったんじゃないの?
>目玉の話
幼稚園児や小学生でも「読める」、形而上的ポルノ小説。
671 :
考える名無しさん:2006/10/23(月) 23:22:20
眼球譚のラストは喝采に値する(全編通して描写はあっさりしてたけど)
でもむしろ第二部のバタイユの人生についての告白のほうが凄まじかった
672 :
考える名無しさん:2006/10/23(月) 23:23:56
生命力は濫費されるものだという思想は
「言ってはいけない真実」を告発した感じだな
ほほう
674 :
考える名無しさん:2006/12/03(日) 13:19:16
昨今の”ブッカケ”世界的ブームを見れば解りますねw
無駄にするからエロイんだよね
675 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 22:52:21
俺バタイユとシオランがフランスの思想家では好きだな。いつも言ってることの
底辺が全然変わらんのに飽きが来ないw
676 :
我輩は名無しである:2006/12/05(火) 02:38:26
ぶっちゃけると、バタイユが凄いと言うよりは、
日本のバタイユ研究者が凄いというのが真実。
>>676 はぁ?
夜中に調子ぶっいてんじゃねーョ
678 :
孝える名無しさん :2006/12/05(火) 02:58:22
喧嘩売ってんのか?
日本のバタイユ研究者になどたいした奴はおらん
たいした奴ではなくても優秀な人がそろってると思う。
篠原の叩かれっぷりを見てるとベルグソンが可哀想だ。
>>680 例えば誰?
バタイユ研究者といえば、
湯浅博雄と酒井健ぐらいしか思いつかないな。
682 :
名無し募集中。。。:2006/12/05(火) 14:57:19
ニーチェを巡るバタイユとドゥルーズの分岐及び交錯する閾或いは点に興味がある
>>681 あと吉田裕はバタイユ研究者って位置づけでいいかな?
まあ下を見ればきりがない、という事で。
>>682 不思議なほどにドゥルーズはバタイユをスルーしてる。
だからなんだという事はないが、もっと言及しててもいい気はするね。
684 :
考える名無しさん:2006/12/07(木) 07:07:06
バタイユは大したことないよ
好きだけどもね
685 :
考える名無しさん:2006/12/07(木) 21:40:45
686 :
考える名無しさん:2006/12/09(土) 12:03:04
>>685 海外のAVトレンド気にかけない方ですか?
欧米、特にドイツなんかじゃ”BUKAKKE”ってジャンルできてますよ
ウィキにも載ってるしw
ドゥルーズはバタイユには否定的だったはず
>>687 詳しく。
ドゥルーズがバタイユ否定でも全然不思議じゃないけど、
どのテクストにそれが書かれているか知りたい。
689 :
考える名無しさん:2006/12/13(水) 14:38:04
ミタムネスケの『現代社会の理論』が
バタイユの消費(consumation)とボードリヤールの消費(consommation)を
消費の原義(生産に先立つ消費)と消費の転義(生産に要請された消費)って整理してて
わかりやすかったお
690 :
考える名無しさん:2006/12/15(金) 23:03:05
バタイユの共同体についての見方について調べたいんですけど、「聖社会学」にはそういった話題は含まれてますか?
他の本と違って店で売ってないから確認できない
宮台真司がやってるのは「性社会学」です。
692 :
考える名無しさん:2006/12/16(土) 22:16:55
バタイユとそう遠くはないな
社会学ならファシスムの心理構造が一般人にわかりやすい内容だな。
690の学びたい内容が含まれるかは別としてバタイユ入門にいいと思う。
……エロくないから嫌がられないし。
694 :
690:2006/12/18(月) 00:05:07
>>693 バタイユ・ブランショ・ナンシーの共同体論を比較しようとしてます
696 :
考える名無しさん:2007/02/07(水) 22:53:32
サルは死際に臭う
社会的同質性は特有の絆を通じて生産手段の所有者につながれている。
日経資本がアメリカ企業を買ったり、アメリカで日本企業が活動することにより、
アメリカで日本文化ブームが起きる。
698 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 09:19:31
こんな本が出るらしい。
ソースは、本やタウンの書籍近刊情報です。
【TOTALITE´;EN EXCE`S Georges Bataille, l’accor】
細貝健司(著) 慶應義塾大学出版会 3月下旬 税込価格8,400円
フランスの思想家ジョルジュ・バタイユの思想基盤を、ヘーゲルの影響、さらにはヘーゲ
ル思想の源流にまで遡り跡づけようとする試み。
>>698 を送信してから、さらにググってて判ったんだけど、この本、ぜんぶフランス語で
書いてあるらしい。
我々にはチト(あるいは、だいぶ)つらいが、しかし、フランス人に読んでもらおうって考え
てるのは素晴らしいな。
もっと安ければ辞書を引き引き読んでみるんだがなぁ
ユーロ高に従ってフランス語の本が高く……ってアホな。
701 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 10:52:02
>少年期を敬虔なクリスチャンとして過ごす。
>その後ニーチェの読書体験を通して徹底的な無神論者となる。
>「死」と「エロス」を根源的なテーマとして(by Wikipedia)
折れにとってはどーでもいいというか、今のところ大した興味も無いんだが、
友人が熱を上げてるからな。少しは勉強しないとな。
俗に言う「無神論者」というのは、正確には「否定的有神論者」とでも読んだ方が
分かりやすそうだな。神観念に脳みそを支配された結果の否定・道徳的反動だからな。
「神?何それ?」とかいって無自覚のまま意に介せず、肯定も否定も無く、
普通に粛々と生きてるのが本当の無神論者だなw
>>701 で、本当の無神論者が偉いと思っているのかね?
……この問いに思い至らないことにはバタイユはわからんよ。
703 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 11:41:57
>>702 ここで「偉いと思っているのかね?」という貴賎の判断を
求められるというのが、折れにとっては意外で新鮮だw
偉いかどうかを判断するのは、神観念の有無とは関係ないと思うよ、普通にw
折れはこの人の本を全く読んでないので単なる推測だが、
その問いから察するに、バタイユって、神観念も無く漫然と生きるよりは、
神をバネにしてこの世界を力強く生きろ、とか言った人なのか?
もしかしてw
>>703 703=701だよな?
偉いかどうか関係ないというなら701の本当の無神論者云々は何だ?
まあ、これはどうでもいいが。
>神をバネにしてこの世界を力強く生きろ、とか言った人なのか?
この点に関しては誤解を与えてしまったようなので悪いと思う。
神の観念の有無は関係ないというなら社会学の観点から
バタイユに接近する方がいいと思う。
手近なところでは「物質の政治学」という解説本が出ている。
それに収録されている「ファシスムの心理構造」から読むことをお勧めする。
まあ、図書館の蔵書を調べる程度の興味すらないなら俺には何も言えんが。
705 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 12:52:43
>>704 神の観念の有無の話でファシスムの心理構造か。
神観念持たない奴は野蛮でファシズムに走るみたいな、
何やら暴論の臭いがw
でもバタイユは徹底的な無神論者らしから、そうでもないかw
どういうロジックが展開されてるのか面白そうだね。
706 :
704:2007/03/11(日) 12:58:13
>>705 >神観念持たない奴は野蛮でファシズムに走るみたいな、
>何やら暴論の臭いがw
……何書いても誤解するなら悪びれて損した気すらする。
まあ興味を持ったなら読んでみてくれ。
上に挙げた書籍はバタイユの中心命題ではないが
常識人にとって一番わかりやすい。
707 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 13:09:56
>>706 結局、バタイユって何を伝えたかったんだろうか?
Wikipediaを見る限りでは、神とか死とかエロスとかがキーワードみたいだが。
君はかなり詳しそうなので、できればその辺のキーワードを絡めて
教えて欲しいんだけど。
折れの友達はポストモダン系で卒論書いた奴で、
今はバタイユに一番興味を持ってるらしい。
時々その話題を振られるんだけど、正直よく分かんなくてw
君の考えを受け売りでぶつければ、一目置かれそうな気がするw
「私の文章を読んでくれている君、君が誰であろうとかまわない。君の好運を賭けたまえ。
私がしているように慌てずに賭けるのだ。
今これを書いている瞬間に私が君を賭けているのと同様に君も賭けるのだ。」
(G・バタイユ 『ニーチェについて 好運への意志』)
哲学を笑うことなく、そして無際限に賭けることなく
哲学用語のなかに絡めとってバタイユを読むことは
バタイユを読まないことになる
そう述べたのジャック・デリダだった
「・・・≪意味を持った論弁≫の内部でバタイユを判断しつづけるのだとすれば
それはおそらく、何かを理解しようとすることなのであり
つまりはバタイユを読まざることになるだろう」
(J・デリダ 『制約的経済学から一般経済学へ ある無際限のヘーゲル主義』)
バタイユが読者に求めているのは、「賭け」であり
「交流」であって、語ったことをなんらかの知の体系に隷属させることではない
709 :
707:2007/03/11(日) 16:43:42
近くの本屋に行ってちくまのバタイユ入門探したけど
在庫無かったので、ネットで注文した。
>>708 おおサンクス。さっそくコピペして保存したw
「賭け」と「交流」か。
何というか、不安定で動的な所がバタイユの本質なのかな。
昨日飲みながら話したんだが、折れの友達は、
知の体系に対する嫌悪感みたいなのがある。
その辺がバタイユに共感する所なのかもな。
折れは理系だから、君の嫌う知の体系(物理学など)が無かったら、
この携帯電話も無かったんだぞと言ってやったw
710 :
704:2007/03/11(日) 21:48:30
>>707,709
そら君よりは詳しいだろうけど俺はそれほどではない。
バタイユ入門はいい入門書なので価格以上の価値はあるだろう(安いが)
708氏の言うようにバタイユは交流の思想家である。
705では神とファシスムの組みあわせに違和感が提示されていたが、
神との交流、総統との交流と言えば違和感も払拭されるのではないか。
あとはもっと詳しい人タノム。
>>708 バタイユ(とデリダ)は
体系化された知それ自体というよりむしろ
ある体系化された知を自明の前提としてしまうとき
その存立基盤が見えなくなったり疑えなくなったりすることを問題にしてるって理解しておk?
社会学的にいうと
観察が用いる観察図式を観察しろっていうか
712 :
707:2007/03/11(日) 22:08:42
>>710 神=総統ということか。確かにそれは普通にキモいなw
そもそも、折れの友達はバタイユに何を求めているのかを考えてみたんだが、
彼は以前、ニーチェは精神を奮い立たせたい時に読むといいな、みたいな事を言ってた。
折れは哲学というと真理の探究という先入観があったが、
彼は哲学に「真理」を求めてるんではなくて、思想的な「刺激」、非日常的なもの、
退屈な日常のケガレを払拭するような、
心の栄養ドリンク的な効用を求めてるんではないかと思った。
次に飲むときは、折れもバタイユに成り切ってバカ騒ぎするかw
それが友情というものかもなw
sage
714 :
考える名無しさん:2007/05/12(土) 00:00:09 0
死においてさえ生を讃えること
715 :
考える名無しさん:2007/05/16(水) 19:59:50 0
あたしのぼろぞうきんを見てというおまんこの表現は的確なのか?
ぼろ雑巾というのはひどすぎるし俺は見たくもないのだが、
ぼろ雑巾という比喩になにか意味があるのでしょうか?
教えてほしい。
716 :
考える名無しさん:2007/05/16(水) 20:27:46 0
>>715 ピンクのキレイなおまんこしか見たことないの?
ぼろ雑巾、まんまじゃん
717 :
考える名無しさん:2007/05/16(水) 23:56:48 0
ぼろ雑巾では立たないのでエロスにならんのでは?
美しい顔をした女の下半身に醜いグロテスクなものがあるのに意味がある。
だからこそバタイユは醜さを過剰に表現している。
……というのが通り一遍の解釈と考えていいと思うが、どうか。
>>718 「美しさ」と「醜さ」とが共存しているような状態ってのに、こだわってますよね。
『眼球譚』にも、車に轢かれて死んでいる美女ってのが出てきたよね。
この場合、ブスが轢かれても、意味はないんだよねw
ひどい話だがw
720 :
考える名無しさん:2007/05/23(水) 16:55:36 0
フォルスとピュイサンスを明確に分け、前者を肯定
しているところに共感させられる。
あの岡本太郎が戦前フランスでバタイユとかなり
濃密に付き合っている。岡本はバタイユに決定的な
影響をうけている。ワタシも決定的な影響を受けている。
721 :
考える名無しさん:2007/05/24(木) 21:01:08 0
フォルスとピュイサンスを明確に分けたというのは、酒井氏の解釈でもあるね。
果たして本当にそうなのかは異論の余地があるところかと思います。
「ロリコン」とか「萌え」とかっていうのは、バタイユの世界とは違うものなんだろうか?
724 :
考える名無しさん:2007/05/25(金) 10:24:12 0
お、さすがだねえ。721さん、実は御指摘のように、このことは
酒井氏の本で知らされました。
小生、現代絵画を自己の表現としている限りで、研究者でも勿論なく、
一読者の立場で自分の体質にあった思想家、哲学者の著作を集めて時々
手にしております。
ニーチェ、フーコー、ドゥルーズ、アドルノ、ハイデガーなどが小生
にとっての<気になる思想家>です。
バタイユはもう30年位以前に岡本太郎の著作で知りました。岡本は
あのエルンストとともにバタイユの夜の集会に参加などしています。
迫り来る戦火の為、いよいよパリを発つにあたりバタイユに会いに行って
もいます。岡本はソルボンヌ大学でレヴィ・ストロースの先生にあたる
マルセル・モース(贈与論)のゼミにおり、ヘーゲル研究で名高いアレ
クサンドル・コジェーヴの講義にも出ていたらしい。
俗に<芸術は爆発だ>の爆発はバタイユのフォルスからきています。
りもしているんですよ。
>>723 バタイユを哲学者と見なすなら違うと言っていいのだろうか?
ヘーゲルも哲学は一般論として語られると言っていたハズ。
萌えるものと萌えオタの関係も普遍経済的に説明付けられなければならんと思う。
726 :
考える名無しさん:2007/05/25(金) 15:15:24 0
ニーチェもルー・ザロメに萌えたのだろけれども。
オタクが萌えるのは自己のイイを知っている限りでわるくない。
けれどもバタイユのエロスの萌えは<死にいたるまでの生の称揚>
である。ロリコンに抱きついて彼がお前はスバラシイと言っている
のは傍から見ればさぞ滑稽だろうが・・・。ニーチェも馬に抱きついたな。
ここにはアニメの安っぽさとワグナーのオペラの質の差異があるのではないか。
wwwww
「ロリコン」や「萌え」については、日本人が考えるべきだろうな。
バタイユの時代には、ロリはあったかもしれないが、さすがに「二次元萌え」はなかったと
思う。
729 :
考える名無しさん:2007/06/13(水) 13:19:20 0
しかし何でバタイユが哲学板なんだ?文学だろ?
730 :
考える名無しさん:2007/06/13(水) 13:23:12 0
そんなワケでサルトル×ボーヴォワール↓やってみよう♪
「ボーヴォワール×サルトルでしょ」
「アメリカ映画は好かん」
「見てんじゃん」
「×××××」
>>729 いちおう「現代思想」には入るんじゃね?
宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、
もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。
東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。
はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。
「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、
とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。
これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。
室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、
何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。
これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。
じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、
フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは
アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。
日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、
考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。
(副島隆彦「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)
キリスト教がどこで誕生したのかを考えることは大切なことです。キリスト教がユダヤ民族から
生まれた宗教であることは、皆さんご存知だと思います。たしかにイエスはユダヤ教の諸制度には
反対しましたが、キリスト教は、ユダヤ民族の持っている本能に反発したわけではなく、むしろ
その性質を徹底させているのです。
(中略)
現在のキリスト教徒は、自分たちがユダヤ的なるものの最終形態な姿であるのに気づかず、
「自分たちは反ユダヤ的だ」だどと思っているのですから始末におえません。
F・W・ニーチェ「キリスト教は邪教です」アンチクリスト現代語訳
734 :
考える名無しさん:2007/06/13(水) 19:56:56 0
735 :
考える名無しさん:2007/06/16(土) 20:42:35 0
バタイユは、フランスの哲学史の本で取り上げられることもありますよ。
ニーチェ的なポジションですね。
736 :
考える名無しさん:2007/06/16(土) 21:52:14 O
バタイユもそうだが、理性的存在としての人間に疑問符を投げ掛け、人間の姿を多様化した功績はポストモダンの功績として消えないと思うけどね。
フランスの国家戦略研究が何をやっているのかは知らないが、国家の存在を前提として考えていることは名前からして明らかだと思われる。それだけでもラディカルな思考に一つの足かせを付加していると思える。それが決して無意味とは言わないが。
知識の課題として国家を越える思考というのはあった方が良いと俺などは捉える。
副島さんの言うようなアメリカの日本への陰謀が実際どれくらい行われているかも知らないが、ただ“陰謀”がキーワード化するのはかつての新左翼の常套手段だった。それはオウム真理教まで受け継がれている。
彼らは国家の陰謀や対立党派の陰謀をとにかく唱え続けた。そのような思考パターンからの脱却を副島さんも目指した方が良いのではないか。
あと、宮台や東を全的に擁護する気も起きないが、彼らがいたずらに「理解不能な言説」を生産している、というのも違うと思う
宮台に全て同意する気はさらさらないが、副島のような仕方での批判はそれらに対してさほど有効ではない。
竹田青嗣などもポストモダンはひたすら否定性に終始し、あとには何も残せなかった、的な批判をしているが、人間の内部に覆蔵される理性的人間ならざるものに目を開かせた業績は未だ消えないまま残っている。
>>736 心身並行論なんかは理性一辺倒とは言えないわけで、
ヘーゲルなんかもそれをふまえた上で議論しているからには
理性以外のものが顧みられないということはない。
それを更に一歩進めたというかもしれないが、
そのやり方に問題があったから批判されるわけで。
まああ俺はポストモダン批判論者ではないが。
738 :
考える名無しさん:2007/06/17(日) 07:46:17 O
>>737 >
>>736 > 心身並行論なんかは理性一辺倒とは言えないわけで、
> ヘーゲルなんかもそれをふまえた上で議論しているからには
> 理性以外のものが顧みられないということはない。
ええ。ヘーゲルの中には非理性的存在としての人間、というのも実はありますね。そこが良いところだと僕も思います。
ただ、人間という存在が究極何者なのか、という問いにおいて、ヘーゲルを持ち上げる竹田青嗣なども、人間の中には一般的に人間と考えられているものを食い破る何者かがあるのではないか、という地点までは行かない。
で、その結果、人間への洞察として僕などからすると不徹底な、近代的な自由や自律の担い手としての人間に終始する。そこが彼らがいかにポストモダンをやっつけようと、かなわない点に見えるんです。
>>144 -ejsx- と -ert- を使った例文をあげていただけると、判りやすくなって有難いと思います。
それから主格語尾 -r ですが、たしかにエスペラントは語順が自由なので、どっちが主語
で、どっちが補語なのか判らなくなることも有りえるんですよね。
Ido では、そういう場合には、補語のほうに前置詞 ye をつけるか、あるいは補語のほうを
対格にするんだったと思います。
機械翻訳をする際などには、こういった点を区別したほうが好都合かもしれませんね。
>>739 申しわけありません。
誤爆でございます。
>>738 A「理性的人間に疑問符を投げつける!」
B「でもポストモダンって哲学じゃないよね? 嫌う人は嫌うんじゃない?」
A「いかにやっつけようとしても理性的人間ではかなわない!」
……これが議論と呼べるのか? 会話になっているのかすら怪しい。
神秘主義者呼ばわりされたバタイユですらサルトルにまじめに回答してる。
ドゥルーズも意味の論理学あたりは哲学者達からも評価されている。
単にポストモダンをやっつけようとしている、というのは被害妄想だよ。
742 :
考える名無しさん:2007/06/22(金) 22:59:19 O
>>741 >
>>738 > A「理性的人間に疑問符を投げつける!」
> B「でもポストモダンって哲学じゃないよね? 嫌う人は嫌うんじゃない?」
> A「いかにやっつけようとしても理性的人間ではかなわない!」
> ……これが議論と呼べるのか? 会話になっているのかすら怪しい。
理性的存在では何故だめか、てのは昨年度の東京大学でのハイデガー・フォーラムでも講演後の質疑応答で問題になったことで、問いに値することでしょう。
具体的に、その時に講演者が引用したのはハイデガー『ニーチェの言葉「神は死せり」』最後のセンテンス。
《幾世紀も前から称揚されてきた理性が、思索の最も執拗な敵対者であるということを、我々が経験してしまったとき、そのとき初めて思索が始まるのである。》
1960年代以降の現代思想において、このセンテンスを含む上記のハイデガーが与えた影響ということも恐らくあるだろう。ただ、ハイデガー理解として、その辺りの思索の重要性が理解出来ない人もいる。
竹田青嗣はそうなわけで。ハイデガーにおける最も問題になる点に触れないことを身上とする。つまり、人間のなかにどのような要素が歴史的に覆蔵されているか、その歴史性というのは一大問題なわけだけども。
そこを触れないとすると、ハイデガー基礎存在論における情態性の読み方としても、心理的な要素としてのみに考察は限定されるしかない。甚だ不徹底になるしかない。それではハイデガーの孕む問題は閑暇されるしかない。
で、この時の質疑応答を受けて、同日この後に出てきたデリダ研究者は、《狂気の遍在》ということをたしか喋っている。
何故人間への規定として理性的存在では駄目か。人間存在において狂気は遍在している。しかし、理性的存在という規定において、その事実は隠蔽される。
『エロティシズム』で、供儀における生命の充溢が旧人類の壁面に表れている、とバタイユは指摘する。
このような感覚は近代的な人間像から見れば異常という他はない。しかし、バタイユはこれを普遍的な人間像としている。バタイユの理論によれば、我々の中にも動物や人間への殺戮による聖なるものへの一体化の渇望はあるということになる。
人間が究極何者か、という問いが未決着だ、ということ。
743 :
741:2007/06/23(土) 04:08:56 0
>>742 その話はだいたい分かるがね、俺が言いたいのは
ポストモダン批判者の無理解を非難するのは筋違い、ということだから。
でもそれなりに興味深い方向に進みそうなので続けてくれ。
744 :
考える名無しさん:2007/06/23(土) 09:44:49 0
さとう珠緒がバタイユを愛読していると小耳にはさんだんだが・・・
本当かね?
745 :
考える名無しさん:2007/06/24(日) 12:46:24 0
さとう珠緒の愛読書は『死者』でしょ。そんなイメージがあるね。
「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。
私が原著は12年前に書いた本である「決然たる政治学への道」(弓立社=ゆだちしゃ=刊、2002年)の
P.174に、「本当は学問の体系はこのようになっているの表」で、私は、はっきりと、「フィロソフィー
(×哲学と訳すのは嫌いだ。知恵の学)と数学は、神学(セオロジー、テオロジー)の下女、はしためである」
そして、「サイエンス(ヨーロッパ近代学問)と、この神学が、大きく闘うのである」と書いた。
神学(セオロジー)は日本人には分からない。「神学論争」なる言葉は、日本語になっているが、その中身を
日本人で分かる者はいないだろう。そして、その下に、初級学問=下等学問としての、ヒューマニティーズ
(人文、じんぶん、人間の文字による記録、石碑、古文書の解読、文学部の世界)があるのだ、と書いている。
「数学は、神学の下女」なのだ。これは、ヨーロッパの学問の体系の中では、はっきりしていることだ。
数学は、決して自然科学(しぜんかかく、ナチュラル・サイエンス)には、所属しないのだ。
ただ道具として多用される。私、副島隆彦がこのように書いて、まだ反論したり、何か異論を唱えることの
出来る、日本人は、誰でもいいから、名乗りを挙げて出来てください
747 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 10:22:09 O
>>746 > 「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。
> 私が原著は12年前に書いた本である「決然たる政治学への道」(弓立社=ゆだちしゃ=刊、2002年)の
> P.174に、「本当は学問の体系はこのようになっているの表」で、私は、はっきりと、「フィロソフィー
> (×哲学と訳すのは嫌いだ。知恵の学)と数学は、神学(セオロジー、テオロジー)の下女、はしためである」
何だか知らないけど、副島氏が指摘するまでもなく、哲学の止揚は19世紀の思考のなかに既に実行に移されている。
哲学を止揚する思考は様々に実践され、1960年代に最高潮に達したと云えるでしょう。今さら副島某に指摘されるまでもない既成の事柄に属している。新鮮味に欠ける話ですね。
748 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 11:48:32 0
自分がいままでにない凄いことを言っていると言いつづけないと
継続できない商売をやっている人なんでしょ?
それを信じてしまうような人相手の娯楽なんだろうから、
目くじらを立てることもありませんよ。
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの古色蒼然たる百年前、
二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。 全くヒドいものだの一語につきる。 日本の
八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代ものでも、かなり癖のある思想・
哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。
政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。 現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、
自分たちが、アメリカの支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。
副島隆彦「日本の秘密」
(副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)
宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、
もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。
東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。
はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。
「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、
とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。
これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。
室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、
何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。
これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。
じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、
フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは
アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。
日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、
考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。
(引用おわり)
アメリカでは、学問(サイエンス)というのは、「自分の打ち立てた仮説(理論)を、実際の、現実の社会の中でみずから、
ポリシーメイカー(政策立案実行者)として実験してみて、その結果を冷酷に検査すること」なのである。
これを、positivism (人為的実験証明主義とでも訳すか)と言う。このポジティビズムを、「実証主義」などと、訳して、
分かった気になるな。この世で、実証できるのは、自然学問(代表、物理学)系の実験だけだ。こえは厳密に同じ条件で
誰がやってみても同じ結果になるものだから、これは本当に学問(サイエンス)なのだ。
ところが、人間社会を対象にする学問、すなわち、ソシアル・サイエンス(私は、社会学者という訳語が嫌いだ)は、本当に
サイエンスとして成立しているか、ものすごく、今でも怪しいのだ。なぜなら、現実の人間社会を使って実験証明(ポジティ
ビズム)するというようなことは、できないからだ。ソシアル・サイエンスとは、それでも、一応、次のようなものだ。
人間社会を刺し貫く諸法則を発見すること。かつそれは、個々の人為や願望から独立した客観であり、同一条件でなら、
世界中どこにでも存在するものでなければならない。そしてそれらを、冷酷に記述することである。
だから、これは、文学即ち、=下等学問=夢の世界との混合=人文(じんぶん)=今の北朝鮮の人間たちと同じ
=カルトの世界=幼児の並みの人々=なのに自分を知識人だと勘違いしている日本の文芸愛好的読書人階級。
これらの、一切を排除したものの考え方のことである。ところが、このソシアル・サイエンス(政治学、経済学、社会学、
サイコロジーの4つ)がアメリカでも、1980年代に、どうも、うまく行かない、ということが、判明し始めて、それで、
世界的に困った事になったのである。アメリカ行動科学(ビヘイビアラル・サイエンス)という、壮大な学問体系は、
50年代にアメリカで起こり、そして80年代には崩れ去ったのだ。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P37〜38
最近副島フェチ大活躍だねww
以降NGワード「副島隆彦」ってことで。
こんなもんかよ
De l'erotisme, il est possible de dire qu'il est l'approbation de la vie jusque dans la mort.
756 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 19:49:34 0
バタイユってどうやって死んだの??
「晩年のバタイユは、全身不随の病におかされ(病因はおそらく彼が敬愛した
ニーチェの場合と同じものであろう)、寝椅子にくぎづけにされたまま、そして
最後は目をそむけるほどの酷たらしい苦痛のうちに息をひきとったという。」
――生田耕作訳『マダム・エドワルダ』(角川文庫)の解説(訳者)より。
759 :
考える名無しさん:2007/09/17(月) 08:39:15 0
祭祀は遊びの罪悪感から生まれたものなんでしょうか?
761 :
考える名無しさん:2007/09/25(火) 00:41:08 0
近々バタイユを初めて読もうと思っています。
バタイユのお勧めの小説を3つ教えてください。
参考にしたいです。
762 :
考える名無しさん:2007/10/07(日) 08:14:57 0
ごめん小説家って最近知った
764 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 06:17:39 0
そういう人哲学板に多いよ、スレ立ってるけどプロフィールは哲学者とかじゃないっての
こういう時代だしね
765 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 11:52:16 0
バタイユは小説家とは言えないでしょう
哲学者でもなくやはり思想家
『青空』は素で面白かったお
767 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 19:34:13 0
角川文庫のマダムエドワルダは天井がギザギザですか?
武道家(ジャッキー・チェン)は本を読まないらしい
友達が本の変わりで勉強になると言っていた
本を読まなくてならない人と読まなくてもいい人がいる
少林寺の人は北京オリンピックをボイコットしたらしい
因みに私は本を余り読まない、2chで勉強になる
ジャッキー・チェンは自分が文盲であることを告白しているよ。
本を「読まない」のではなくて「読めない」んだろ。
しかし、本が読めなくても立派になれることの生き証人だな。
ラーマクリシュナというインドの聖者も文盲でした。
しばらく読んでなかったけど、また読みたくなってきました。
文学・芸術に関するものもいいけど、今はバタイユの社会科学系の著作をじっくり読んでみたいなと。
というわけで、「呪われた部分」あたりをゆっくり理解しながら読んでみようかな。
いちおう「経済」の本ですよね。
ヘーゲルは体系に逃げた、という主張は得心できる。
バタイユは体系から逃げたけどな
773 :
考える名無しさん:2007/12/09(日) 18:03:37 0
精神につきあたるもろもろの矛盾、それらだけが実在の諸相である。
それらは実在的なものを見分ける基準である。想像上のもののなかには矛盾はない。
矛盾の有無によって必然性の有無が確かめられる。
いい文章だな!
バタイユの著作の引用かい?
775 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 16:01:49 0
シモーヌヴェイユの『重力の恩寵』からだお
776 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 18:10:10 0
影同士は衝突しない
777 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 01:21:05 O
バタイユ読んだ後の経済学は悲しい。
そお?むしろ比較の対象ができて、かえって面白くない?
779 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 02:17:25 O
>>778 だってバタイユ知った後だと、今現在運用されてる経済学が必ず破局するなんて当たり前に解るじゃないですか。
今の経済学なんて錬金術の類ですよ。
>>779 君の考える意味とは違うかもしれないけど、
バタイユ読まなくても経験上経済学が破綻することなんてわかるんだよ。
経済学者達も破綻しにくくなるように新しく理論構築してるんだろうし。
それに経済学を読まなくても経済は厳然と存在し続けている。
>>758 「それはもう書かれてしまったこと」なんだが
「すでに書かれた文字群になんの意味があるか」書いてみ?
(判ってるだろうが「コピペをする意味」じゃないぞ)
すでに書かれてしまった文言はオマエの落書き以下だと言ってるわけだが
この意味判るかな?
782 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 13:45:13 O
>>780 だから悲しいんすよ。
補修すればするほど倒壊する規模や被害もハンパない。
ポトラッチ性と必滅。
「わらわの後に大洪水」ってんでで開き直る奴だけがよく眠るって奴ですよ。
資産全部純金に変えて持っとけば?
あほめ
マクロ経済における呪われた部分、投機マネーが不動産に流れ込んでサブプライム問題発生。
結局人類は進歩しないのか……
786 :
考える名無しさん:2008/05/18(日) 11:15:56 0
ふふふ
787 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 00:14:40 0
バタイユの弱点ってどこなんでしょう?
おれ読んでないから分からんけど、なんか後年フーコーもデリダも有効性を認めつつバタイユを批判したそうですよ。
789 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 01:30:49 0
>>787 キリスト教神学の体系に組み込まれてるとこじゃねw
つーかパロディだからな。パロディで体系から脱出しようという試みが後世の人から「脱出できてないよ」と。
まあ、いろいろ意見はあると思うが。
791 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 16:17:59 0
792 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 17:08:35 0
エンタツアチャコのパロディなんだよ
パロディか…。確かにバタイユの言う「内的体験」がキリスト教の信仰体験に似ていることは確かだ。
バタイユはそれを絶対化してはならず、素に戻ってから異議申し立てを受けるべきだというわけだが。
「神無き共同体」が結局一神教のパロディに見える?ということなのかな?
「死者」を読んで好きになったが
「空の青み」を途中挫折したもれに
次に読めそうなばたいゆ作品を
もしえてくだされ。
C神父
おk。読む。さんくす。
797 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 17:18:39 0
>>794 「空の青み」挫折した?それは作品と言うよりは訳文のせいだと思うね。
晶文社版の「青空」なら一気に読めると思いますよ。
>>787 「無意味」の「有用性」を考察しちゃったりしてるあたりとかな。
ここら辺の矛盾にはバタイユ自身気付いていたようだ。
まあ、そうゆう倒錯的な感じもバタイユらしいが。
800 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 18:52:44 0
加藤智大みたいな無差別殺人者が増えれば結果的にジェノサイドが実現しかねない。
無名の他者の蕩尽が全体を脅かす点について。
801 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:29:00 0
>>800 無理権力なめ過ぎ。
つうかいい加減もうちょっと脳使えw
802 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:30:28 0
36 :考える名無しさん :2008/06/13(金) 19:42:48 0
杜玖椀とは要するにバタイユの別名なのですよ。
ウソだとお思いでしょうが真実です。
そしておまいっちょおまんじゃ内部問題の解決こそ彼が引き受けた究極の哲学的課題だったのです。
803 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:31:08 0
勉強が足りないのは思い知ったろう?
実は蕩尽されたがってるのはあいつなんだからさ、がんばって立ち向かってみたらいいんだよ。
バタイユが蕩尽されたがっていたとは思うが、加藤が蕩尽されたがっているとは思えない。
奴は何の覚悟もないまま行動に移ってしまった。
805 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 20:37:33 0
>>804 加藤が蕩尽したのは己のそれではなくて他人。
>>805 そういう事ならこのスレで語るべき事があるとは思えん。アモクがどうのとかそっち系ならまだしも。
807 :
考える名無しさん:2008/08/02(土) 12:00:07 0
一流だから知りたい、好きになりたいなんていう、さもしい根性をもたずに、
自分のほんとうに感動する人間を探し、つかまえるんだね。
その発見をポイントに世の中全体にその価値を認めさせるように、
君自身、力を尽くせばいい。そうすると世界が変わってくるよ。
もっともっと悪条件の中で闘ってみることだね。
810 :
考える名無しさん:2008/08/16(土) 02:17:27 0
加藤の場合、攻撃性がリミットを越えて禁止の侵犯という点で蕩尽はしている。
非生産的な行為だからね。だが、それはむしろシュルレアリスムに近い。ブルトンは、
シュルレアリスムのてっとりばやい実践は街中で一発ぶっぱなすことだと方言
していたからね。バタイユは、攻撃性を悲劇性という自己毀損へと転化させよう
とした人。彼の蕩尽は「用途なき否定性」をただの破壊行為ではないポトラッチ
的なイメージにつながるものだよ。
811 :
◆TANPanX3xc :2008/08/16(土) 02:23:16 0
なにコノスレw
812 :
考える名無しさん:2008/09/11(木) 02:20:36 0
しかしブルトンは「自動筆記」とか言いながら推敲してたらしいね。
また、扱う題材もこぎれいなものに限ったようだ。
まったくのヒューマニスト。
その態度をバタイユは軽蔑していた。
813 :
考える名無しさん:2008/09/17(水) 14:17:23 0
アメリカ経済の破綻=有用性の限界
814 :
考える名無しさん:2008/09/17(水) 21:42:22 O
バタイユよりシェリング。
815 :
考える名無しさん:2008/09/18(木) 21:03:44 0
何かこの人って、哲学家なの?どういうポジション?
当たり前の様に「ヒトの中の神と悪魔が・・・」とか微妙な事を書くんだけど、
神とか悪魔とか言われても、哲学では、概念の表現としてありえなくないか?
816 :
考える名無しさん:2008/09/18(木) 21:06:15 0
欲求は神か悪魔かってしたらどお?
817 :
考える名無しさん:2008/09/18(木) 21:15:14 0
うんそれはあるんだけど、
表現が大仰というか・・・変。
でも好きな感じ。読んでると、かせが外れていく。
818 :
考える名無しさん:2008/09/20(土) 20:04:46 O
819 :
考える名無しさん:2008/09/20(土) 20:08:51 O
自分で「私は哲学者ではない。狂人か聖人だ。」
って書いてるよ。
820 :
考える名無しさん:2008/09/20(土) 20:09:44 O
>>815 神≒理性・知性・良識,
悪魔≒本能・狂気・無秩序.
821 :
考える名無しさん:2008/09/21(日) 03:08:16 0
稀代の経済学者バタイユが生きてたら小池・中川の「上げ潮路線」に哄笑するだろうな
822 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 09:00:45 0
age
>>815 人間の生活だけがエロティシズムの名にふさわしい悪魔的な相を表す活動を示している、
というのは、エロティシズムが本質的に、常に死と密接にかかわっているからだそうな。
動物性のもつ自然の目的としてある生殖や子どもへの配慮にも、秩序によって維持されている人間の社会的活動にも反する、破壊的な錯乱への欲望それ自体をひたすら目指すのがエロティシズム。
バタイユがエロティシズムの意味として伝えている「死にまで至る生の称揚」とあわせて考えればいいと思う。
ちなみに参考は澁澤訳だけどね。
824 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 22:20:50 0
>>823 う〜ん、それまだ読んでないけど、澁澤訳は魅力だね。
さらっと要約してもらったの読むと、
そんなにエロと死は隣接しているのかと聞きたくなる。
どうかな。。。
それは男性の原始的欲求を混ぜこぜにしてるだけなんじゃないのか。
そうだ、脳を調べよう。破壊衝動を意識しているとき、エロを感じているときの部位。
とりあえずさんきゅー
>>824 >それは男性の原始的欲求を混ぜこぜにしてるだけなんじゃないのか。
残念ながらバタイユの論には女性もまたそれに含まれているよ。
図版がたくさん載っている「エロスの涙」の中で「恋の行き過ぎ」なんて絵があるが、その絵は女が包丁でもって男の身体を切り刻んでるものだった。
これがアルカイックな欲求でなくてなんだというのかというような感じ。
バタイユの場合、エロティシズムといっても、俗語のようなエロと同じと考えるわけにはいかない。
バタイユが考え抜いたそれは人間の極限状態、乱痴気騒ぎやオルギア、神秘主義などに共通する「忘我」「恍惚」「狂気」「錯乱」などに説明が施されている。
消尽とか蕩尽とかとあわせて考えるといいと思う。
「サド的宇宙」=「死と慣れ親しむためには淫蕩な概念と死とを結びつけることより以上に良策はない」
要するに死への恐怖の単なる誤魔化しの体験でしかないってわけ。
それに、
>>820がバタイユの用いる神の意味を「理性・知性・良識」と規定してしまっているが、彼の意を汲むなら、彼はそういったいわゆる「神」の概念を認めようとはしない。
神とは本来、それ自体が暴力的で驚異的な、規定できない空無な存在。
だから、もし神が
>>820が言うように「理性・知性・良識」であると規定されてしまうものならば、彼の言う神は、神それ自体を超えるものである、ということになる。
「聖なる神-三部作-」なんかを見ればいいが、ご存知、娼婦「マダム・エドワルダ」は自分を神だと称する。
少なくともそこで神はとてもではないが理性的な存在として描き出されはしない。
生田耕作の新版はバタイユが自ら記した序文と、最後に付録としてついていた「エロティシズムの逆説」がなくなってしまったのが残念。
昔はあったんだけどね。今はその代わり「シャルロット・ダンジェルヴィル」がついてるが。
マダム・エドワルダを読むには「序文」を読んだほうがいいよ。
序文だけは、「エロティシズム」にも最後に収録されているからまだ読めるけど。
827 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 20:25:09 O
>>826 読みが浅いよ。
人の中には神と悪魔がある。
バタイユのエロティシズムは、自分の中の悪魔によって、神を汚し破壊する瞬間のエクスタシーにある。
それが『恐怖の侵犯』たる所以。
829 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 20:51:26 O
お金があるのに店員の目を盗んで万引きする人がいる。
国宝の白壁に落書きをする人がいる。
捕まれば割に合わないのに痴漢をする人がいる。
人は汚してはいけないものを汚したくなる。
絶対にやってはいけないことをやってみたくなる。
通常は理性と良識によってそれをすることに嫌悪(または恐怖)するが
機会が訪れれば、人はその一線を侵犯してエクスタシーを得る。
人は時として悪魔によって神を傷つける。
>>827-829 誤読しているというのはそちらの文を、ということ?
自分がいったのは「本来の神それ自身」が「理性・知性・良識」と限定されるものではないということで、
別に人間の理性が規定した「道徳」を侵犯によって超えるということについて反発しているわけじゃない。
もともと理性は人間のものであって「本来の神(神自身そのもの)」は理性の範疇を超えている。
キリスト教の神は人間の理性によって限定付けられてしまった。
でもバタイユは最初に、神は存在の連続性を含んだ混合物だといっている。
旧約聖書の神が見せる諸様相は位格にすぎず、それ自身そのものは人間の理性で限定付けられるものではない。
存在の連続性を含んだ混合物=神は、自我によって認識し得るものではないとある。
だから人間の理性が規定した位格に過ぎない神は侵犯によってのり超えられるものであり、破壊によってその神もそれ自身の本来の姿である「無」へとつれ戻される。
831 :
考える名無しさん:2008/10/13(月) 21:52:50 0
>>825 >残念ながらバタイユの論には女性もまたそれに含まれているよ。
どうかな。。。ホラ君には潜在的にこういう欲望があるんだろう?
と言われれば、元々ない人でもそっちの方を見るでしょ?
それで、作られた欲望を意識しつつ体験を重ねれば、
当人のエピソードはそっちに引っぱられていく気がする。
侵犯と言っても、ピンポンダッシュをして喜ぶのは男子、マジ引きするのは女子
と相場が決まっているんだよ。そこで「ほんとはやりたいんだろ?」は
ちょっとあんまりなんじゃないかな。バタイユにはそういう下品さがある。
>>831 女性像というのも幻想に過ぎませんから、どっぷりつかってるって自覚ありますか?
>>831 それはもはやバタイユの思想がどういうものか、を問いただしているのではなく、
「自分の見識からしてバタイユの論は受け付けられない」というところに終始しているだけじゃないの?
少なくとも、女性にエロティシズムがないというのは、逆に男性側からの偏見から来る女性美化論に過ぎない。
それに「バタイユにとっての真理」がいかなるものなのかを話すのと、それに同調できるかどうかを語るかは別問題だと思うが?
そもそも、バタイユが論じる「エロティシズム」は、下品さで終始していないし。
834 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 20:00:50 0
>>832 普段、自分の存在って性的にはあんまり意識してないけど、人と触れた時に自分の性を識別できる感じ。
虫の羽とってピンバッジ?男子きも〜い。きもいよね、女子ナカ〜マ♪・・・
こんな感じの識別法。例外はある。
>>833 読んではみたんだけど実際あんまピンと来ない。(でも文学論は大好き。)
激し過ぎてちょっとダメ。ブランショ+バタイユ=バタンショでおkかもw
エロティシズムは女性にもあるんだけど、もっとセンシティブで温かいものなんだよね。
バタイユのエロは、社会に虐げられた女性がさらに不条理へと惹き付けられるパターンのみに固執してる。
なんか時代を感じるわ。西洋的とも思う。
835 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 20:06:57 O
一応断りを入れておくがバタイユもブランショも
イケメン
836 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 20:14:09 0
>>835 ほう。どれどれ・・・かっこいいかも。ウィト大公よりは・・・
バタイユって結構普通の人だね。
アラーキーとか獏山みたいな顔してるのかと思った。図書館の館長さんだもんね。
女性の何々は〜、ってすげえ本質主義的発想なんじゃね?
バタイユもそうかもしれないけど。
昼間は真面目に図書館長やってるから、夜は放蕩に耽ってなければやってられないバタイユ
>>838 それは日本人だから言えることなんですよ。
西方キリスト教社会(西欧ってことですが)ではこれはできないんです。
日本人はお天道さまが見ているからという禁忌が働きますが、夜にはお天道様いませんからw
>>833 純潔に基づく聖女の美を汚し侵犯するところにエロティシズムがある。
男にもとめられる実存主義的な力とは対照的な女性性。
つまり神聖性が求められないところにエロティシズムは無い。
>>839 「主はいつも見ている」からね。
逆に言えば日本人は、世間(つまり人の目)が無ければ何しても平気。
バタイユから逸れてごめん
>>841 ハァ?そこでなぜ日本人が出てくるんだ?
比較文化論(笑)
844 :
考える名無しさん:2008/10/23(木) 00:52:59 0
三島由紀夫はバタイユを高く評価してたね。
やっぱ天才は天才を知るってやつか
>>842 ルース・ベネディクト『菊と刀』を読め
これは名著。僕はこれ以上の日本人論を知らない
846 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 07:53:12 O
848 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 22:54:21 0
バタイユファンはドゥルーズをどう評価してんのかな?
気になる…
850 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 22:16:04 0
のぞけ!
851 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 23:15:18 O
今の金融危機とか、
まんま普遍経済学におけるポトラッチだよねww
確信犯的に御用学者らは煽ってたんだろうけどww
予想通りの糞展開ぶりに笑いが止まらんwwww
マダム・エドワルダ、眼球、エロティシズムを読んだら他は何がおすすめ?
聖なる神
>>852 「文学と悪」なんかは面白いね。わかりやすいし。
あとは「エロスの涙」とかで確認しなおすとか。
ただ「エロスの涙」は間違ってる知識があるから要注意。
>>839 誰だったか忘れたが、西欧人が言ってたことを、澁澤が流用してバタイユの説明でしてたよ。
ってことは日本人の感覚以前に向こうでもそういう揶揄が存在してるってこったね。
>>855 「中国の処刑」についてだよ。
百刻みの刑(凌遅刑)が満州王朝から始まったものと言ってるが、これはバタイユのミスか調べそこないだと考えられる。
こういう残酷刑は百刻みの刑に限らず中国においては大昔からある。
百刻みの刑の場合、これは五代十国時代あたりからみせしめの処刑として存在している。
水滸伝とかにも登場してるし。
あと、光緒帝は1905年には変法改革に失敗して西太后に幽閉されていたから、
火刑よりも凌遅刑によって緩慢な死を与える、これを尊べといったのが光緒帝本人かどうかは怪しい。
まあこれはエロティシズム論そのものにはさして問題は無いことだけどね。
857 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 20:10:14 0
ようするに中身は、汚いエロもりだくさんってこと?
エロスの涙をよむど〜
誰か無神学大全シリーズ読んだ人いる?
859 :
考える名無しさん:2008/11/17(月) 02:37:36 0
ポトラッチ的な儀式って日本にもあったの?
860 :
考える名無しさん:2008/11/17(月) 21:54:39 0
お中元、お歳暮、香典返し、ご祝儀…
861 :
考える名無しさん:2008/11/17(月) 23:02:54 0
ショボイなあ・・・
大東亜戦争自体が巨大なるポトラッチじゃないか?
バタイユとも信仰のあった岡本太郎の最近修復展示させられた絵を見てそう感じたよ。
>>860 あとお年玉とかwでもそういう結構最近じゃね
弥生時代とか大和朝廷、飛鳥朝廷のころに何かなかったのかな
>>862 確かにそれならナナワツィンみたいかな、ポトラッチと違う話だけど
864 :
考える名無しさん:2008/11/19(水) 07:28:57 O
865 :
考える名無しさん:2008/11/22(土) 22:16:27 0
エロスの涙の最後がヒドス。
拷問百科事典みたいな本もってるけどこれはなかったわ。
>>856 >凌遅刑によって緩慢な死を与える、これを尊べ
なんで?
866 :
考える名無しさん:2008/12/22(月) 16:29:29 0
バタイユの小説のどれかに、
海岸に女たちがいて、船か何かで男たちが来てひどい陵辱をするけど、女たちはそれを喜び受け入れる、
という感じの神話の描写があったように思うのですが
どの小説だったかわかる方いましたら教えてください。
マンディアルグの小説かもしれないですが…バタイユではなかったらそのスレ行きます。
>>865 答えは「分からない」。つまり思考の限界を超えていて「意味が不在=ノンセンス」。
「およそ語られうることは明晰に語られうる。論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」(ウィトゲンシュタイン)
バタイユがそれを出したのは、自身の戦慄した体験としてだ。
明瞭な知の循環では計り知れない暴力的なもの、言語化不可能な戦慄の体験。
ウィトが言ってるような沈黙を何とか脱して語ろうとしているのがバタイユ。
しいて口に出すとすれば「なんだこれは!?」でいいんじゃね?
「非-知」とか参照してみたら?バタイユの思考が言述不可能なものを何とかして語ろうと努力していることを踏まえて。
868 :
考える名無しさん:2009/01/08(木) 15:58:16 O
テクシステカトル乙、とでも書けばいいのだろうか。
870 :
考える名無しさん:2009/01/10(土) 07:44:28 0
>>867 フランスの一部の人にとって、残酷さの極みは芸術でもあるんだよね。
倫理からぬけだして、いかに人肉を加工するか、その職人ワザがある域に達すると、
そこから生臭み、いかがわしさが消えて、心地よいものに見えて来る。
この官能は、たしかに、言語化するのに容易じゃない面はあるかもなあ。
ちょっと思い出した。
昔、小さい頃おじいさんの家で飼ってた黒犬が、迷い込んできたノラ犬と盛ってたんだよ。
で、ケンカしてるんだと思って止めに入ったら、黒犬に噛まれて。
泣き叫んでたら、おじさんとおじいさんが駆けつけてきて、助けてくれたんだけど、
そのあと、黒犬はリンチになった。
黒犬は、裏庭で足の骨を全部折られて、大きな箱に入れられて、川に流された。
これも、緩慢な死を促すワザだったんだけど、おじさん達を怖いと思いながら、
なぜか、かっこいいとも感じてしまったんだよね。
その時起こったのが、バタイユ的でエロティックな感情だったのかはともかく。
>フランスの一部の人にとって
フランスに限定する必要ないだろ
872 :
考える名無しさん:2009/02/19(木) 00:33:33 0
残虐な映像が氾濫してきたな。TSUTAYAから星島被告の裁判まで。
バタイユ的な時代になってきた。
873 :
考える名無しさん:2009/02/22(日) 13:43:05 0
もう一回焼いちゃおうかな
バタイユよりも、「街中で鉄砲ぶっぱなすぞ」
のブルトンの方が今風でね?
875 :
考える名無しさん:2009/03/02(月) 01:43:22 0
ブルトンはレトリックで言っただけだろ。バタイユはロシアンローレットやってた
モノホンの危険すぎる男だったからなあ。
876 :
考える名無しさん:2009/04/08(水) 00:40:19 0
酒井健「バタイユ」刊行あげ
どうなんだろ酒井さんの新刊
また表層的な部分すくって終わりなんだろうか
注文しちゃったけど
878 :
考える名無しさん:2009/04/22(水) 01:11:20 0
金魚すくいってのはクール・ジャパンだよな。
世界中需要不足の大不況なんだからバタイユ的な時代だといえるんじゃないだろうか。
だが、バタイユの考えた解決法は何一つ採用できないな。
>>879 気持ちいいんだろうが後始末を考えてしまうとなあ…
こんな考え方自体 -非知-的ではないのだろうなw
881 :
考える名無しさん:2009/05/22(金) 18:30:27 0
バタイユはマーシャルプランを高く評価した。まさにオバマ政権やそれに追従する麻生政権
の政治判断と合致する。
>>880 879を書き込んだ者だが、
経済がグローバル化して経済援助された国が経済援助した国と競合してしまうから
マーシャルプラン賛成、インド経済援助主張のバタイユの解決法は
「何一つ採用できないな」と書いたわけだが、付いたレスがそれか。
そっちが正解だな。
884 :
考える名無しさん:2009/08/19(水) 09:02:51 0
885 :
考える名無しさん:2009/08/20(木) 01:54:52 0
雑誌でバタイユ特集って97年の『ユリイカ』以来?
886 :
考える名無しさん:2009/08/20(木) 08:28:48 0
かもね。
それにしても
>>884の目次が知りたい。
887 :
考える名無しさん:2009/08/24(月) 01:53:55 0
888 :
考える名無しさん:2009/09/11(金) 17:30:43 0
純然たる幸福
ジョルジュ・バタイユ 著 酒井 健 編訳
ちくま学芸文庫 文庫判 512頁 刊行 10/07 ISBN 9784480092489 JANコード 9784480092489
定価1,575 円(税込)
889 :
ばたいゆゆゆ:2009/09/11(金) 22:23:10 O
バタイユ読んで頭少し変になった。皆変な目で俺を見る。いや、確かにバタイユ読んでからだと思われる。
>>889 バタイユ読んでやっと周りからの目に気づいたんじゃね?
891 :
考える名無しさん:2009/09/13(日) 21:31:52 0
「普通」の人はバタイユは読まないからね
893 :
考える名無しさん:2009/09/23(水) 05:59:28 O
むかし読んで、すごく面白いと思ったけど
今は面倒くさくて(バタイユが悪いのではなく
単に私の怠慢、というか忙しい)読めません
新書レベルの読みやすさで、なおかつ奥深さを感じさせる
バタイユ紹介本があったら教えて下さい
バタイユってマルクス嫌いなんですよね
唯物論に対してどういう立場なんですか?
897 :
考える名無しさん:2009/10/07(水) 13:33:28 0
観念論的な唯物論には批判的だね。低劣な唯物論を説いている。
898 :
考える名無しさん:2009/10/26(月) 12:00:18 O
HGST500Gプラッタついに発売
著作集買おうかなあ……
といっても、ニーチェ全集が先だけど
900 :
考える名無しさん:2010/03/25(木) 20:38:38 0
もっと書き込みがあってもいいくらい重要な思想家だと思うのですが
901 :
考える名無しさん:2010/03/25(木) 23:39:10 0
たしかに重要な思想家だ。バタイユを読み込まずして現代哲学の理解はありえない。
902 :
考える名無しさん:2010/03/25(木) 23:51:52 0
>>896 スターリニズムが嫌で共産党に距離置いただけらしいぞ。
903 :
考える名無しさん:2010/03/25(木) 23:56:35 0
最晩年の三島がシンパシーを抱いてたってらしいけど、
片思いなんじゃねえかな。
904 :
考える名無しさん:2010/03/25(木) 23:59:29 0
岡本太郎を引き込んで、反ナチの秘密結社やってたろ。
905 :
考える名無しさん:2010/03/26(金) 00:07:56 0
片思いなんですか?素人ですが三島とバタイユは思考が似ていると思いました
三島由紀夫とGバタイユという本もありますね
906 :
考える名無しさん:2010/03/26(金) 00:15:04 0
バタイユは切腹するようなタイプではないように思うぞ。
それよりも、96年の正月に、部屋でボーっとしてたら、
不吉な破裂音が窓の外から聞こえたのが隕石の破裂
だったんだが、それが岡本の死んだ日だと後で知って、
只者ではなかったと思った。
さすが爆発する人と思って感心した・・・。
908 :
考える名無しさん:2010/03/26(金) 00:43:18 0
ニーチェだって、『ツァラトストラ』みたいに、結局は
中途半端に宗教的メタファに接近して狂ったろ。
ニーチェの偶像化なんてやめた方が良いぞ。
909 :
考える名無しさん:2010/03/26(金) 17:13:11 0
バタイユ『ドキュン』
>>907 おっと!
それに気付いた輩がおったか
あの時は、全く同じ感想を持ったな。
「岡本太郎凄すぎだろw」と。
いぁ、だからなんだってツッコミは無しの方向で。^^;
奇っ怪なオジサンだったが、戦後の良心の一翼を
担ってたのかも知らん。
912 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 03:35:43 0
ハイデガーがフランス最高の頭脳だって言ったとよく聞くけど、ハイデガーの著作でバタイユについて書かれてるものってあるの?
それとバタイユってciniiとかで論文検索したら結構引っかかるよね、最近の論文もあってアクチュアルなんだと感じさせられるよ。
結構、ネグラそうな奴だけどな。
おれは社会学専攻だけどバタイユの哲学・理論って
いまもっともアクチュアルなテーマである資本主義批判に使えそうだもんな。
916 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 01:44:01 0
>>912 ハイデガーはバタイユに言及していない。バタイユは何度かハイデガーを
名指しで批判しているが。ハイデガーは伝統的な大学人なので在野の思想家
は歯牙にもかけなかった。そこがハイデガーの思考の限界であり、バタイユの
可能性でもあるわけだ。
三島とバタイユが似ているってのはわかる。
どちらも俗に聖を見出していた点、
端的に述べると変態趣味において両者は共通している。
政治的な志向は知らないけど。
918 :
考える名無しさん:2010/03/31(水) 22:29:29 0
三島はバタイユの「我が母」を高く評価していたね
919 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 22:57:27 0
世田谷区を仕事柄廻ることが多いんだが、他の区域と比べて、何が原因から分からないが、存在
の適切な速度の忘却を感じるときがある。通俗的にいえば余裕のなさってことになるが、それだけ
でなく、たえずどこか煽られているような、存在速度のなさを感じる。存在速度とは、人が生きる
のに最も支障にならない行為や思考の速度だとする。それがこの町では他の区域に比べ、喪失され
、そのために誤った主体意識、フーコーが指摘したような、〈正常者―病者〉〈常識―非常識〉〈価値―非
価値〉といったような排他的市民意識に陥ってるのではないかと思われる。バタイユはかつて、閉
じた主体を開いて、裂傷を穿ち、絶頂へ向かわせ、解体することを〈好運〉とし、それを渇望する思想
を解いた。世田谷区という町は、バタイユ的な渇望が隠された町だと思う。世田谷一家惨殺事件と
いう事件があり、いまだ未解決だが、真犯人が誰かはともかく、あの事件が他ならぬ世田谷区で起こ
ったことに象徴的な意味を感ずる。あの事件が世田谷区で起こったのは当然なような気がするので
ある。 あそこは、侵犯行為に駈られやすい町だ。町の空気が閉じた主体や排他性を増幅させている
からだ。何故そうかはわからないが、そういう町だ。つまり、〈供犠〉を現実化すことで、人間の全体
性を回復することが促される。あの事件を思い返すと、〈供犠 sacrifice〉としての意味を感じて
しまう。あれがなければ回復されない〈困窮〉があるということ。
920 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 23:32:34 0
昔、村上龍が『共生虫』で小説で、引きこもり少年の連続殺戮を描いたことがあった。あの小説の背
景にあったのは、やはり〈殺戮=悪〉による虚無の現出、そのための〈供犠〉だったと思うのです。殺し
が描かれてはいたけれど、それによる、機能的存在と化した人間に全体を、回復させたいという。
小説の後半で描かれるIT企業の社員とか、仕事の関連でのみ少年と関わろうとする、それがまさに
機能的存在への合一なわけで、それを惨たらしく偶々手に入れた毒ガスで惨殺するわけですね。あ
くまで機能的にのみ関わろうとしてきた彼らに、そのように虚無=死を贈与する。〈供犠〉を執り行う
。やはりそこで、社会の要求する機能主義への反命題として、〈悪=価値に回収されぬもの〉が贈与され
る。されなければならない。〈悪〉の現れ方というのが、投げられ方というのが、手段のようで、手段
ではない。〈悪〉自体が目的なわけです。それによる理性や市民性の突き抜け方である。それは惨たら
しくもあるが、一方それにより主体化が破壊されてもいる、という二面性がある。犯罪だけれど、
そこでのみ総体的人間が回復されている。
どうやったらそんな永田らしい文章を書けるのだ?
922 :
考える名無しさん:2010/05/09(日) 17:32:23 0
デリダのバタイユ論を読んでみたが、相変わらず回りくどい言い回しのオンパレードで、
正しいことを書こうとしているのは分かるが、あの凝り尽くす修辞はバタイユをひたすら読者の
視界から見えなくするだけではないかとの感想を抱いた。エロテイシズムというのは、また、侵犯
行為というのは、それ自体として無の感染を惹き起こすもので、かつ、言語化を逃れ去るものだ。
そのことはなにも批評家が言葉を尽くして説明しなくとも、体験として入ってくる。批評家が難解
な用語を駆使して説明するほどにバタイユの真骨頂―非‐知―から逸れてしまう憾がのこる。デリダ
の細心さを媒介してしまうと、バタイユの思想がアカデミズムの塔に閉じ込められる気がするのだ
。それはハイデガーをデリダが論じているときにも感じたことだが、彼らの思想の根幹にある、
機能的作用に存在が絡めとられることへの拒絶や、生が卑小さに収斂することへの拒絶が素通り
されてしまう。至高性について、たしかにバタイユは言説を費やしているが、その言説はさほど
晦渋ではない。ヘーゲル哲学との関係も述べられているが、重心は<不可能なもの>に到達でき
ない、言い換えれば死に到達しない限り、生産や蓄積に、現在を犠牲に供することに入っていく
しかない、ということにある。デリダはその辺を抉ろうとしたのだろうが、晦渋である。バタイユ
には、思想を物語ることへの空しさがある。人間が頽落する不可避から逃れられないことへの
空しさ。あの狂暴な欲求はそれと表裏にある。だから無へ開かれることを称揚する。バタイユ論が
バタイユ論であることで閉じていくとしたら皮肉である。バタイユが結局壱知識人でしかないなら。
923 :
考える名無しさん:2010/05/22(土) 02:16:11 0
今年はバタイユ論が刊行ラッシュだね。
最近コジェーヴを少しずつ読んでるだけど、
この人もバタイユの社会学研究のメンバーだったんだね
知らなかったよ
バタイユ、レリス、クロソウスキー、カイヨワ、コジェーヴ
この5人組って凄いなw
っていうか悪そうな人ばかり…
肉体のエロティシズム、精神のエロティシズムは意志によらない偶然的なことだと書いてありますが、はたして恋人とは偶然的な存在でしょうか?バタイユ研究者のかたお願いします
926 :
考える名無しさん:2010/05/30(日) 21:07:39 0
バタイユにおいては予定調和への否定性が激しい。エロテイシズムへの嗜好もそれが意識
による統制をはみ出る力をもつからでしょう。恋愛もまた、意識で制御しがたい力をもつ。なんで
あんな奴、と思いながら牽かれていく、というのが恋愛の不可思議さでもある。恋愛が必然である
としても、当人には意識しがたい、というのも事実でしょう。<偶然‐必然>よりも、バタイユだと
<好運 chance>というのが重要な意味だと思います。自分では意識しがたい力が訪れ、翻弄さ
れてしまう、しかし、それがあるから、むしろ人間である、社会的機能に還元されない存在たりえ
るのだ、ということになる。バタイユの場合、徒に偶然が重視されるのではなく、意識の対自性へ
の反命題、それが統制しがたい、ということで、重視される。恋愛が運命的であるとすれば、そこに
も意識の予定調和をこえたものがあるのだから、それもまた肯定されると思いますね。
恋人という必然への幻想を否定しているの。
そういう意味ではヘーゲルが「法哲学」でもごもご言っている
「愛」の発生についてバシッといってるし。
これをニーチェ的ディオニュソス論で補強しているわけだ。
しかし聖なるエロティシズムは必然だと言えるでしょうか?
意志によらないような偶然にはたよらないとありますが、神秘体験は対象が物質としてないのだからそれを感じれるか感じれないかという偶発的な要素がないですか
それと一番聞きたいのは、聖なるエロティシズムとは心情と肉体のエロティシズムの快楽を越えるのでしょうか、私にはどうも恋愛が出来なかったから聖なるもので満足するのではないかと思えてしまいます
たぶん深いことを言っているのにくみ取れていないだけだとは思いますがどうですか
929 :
考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:48:01 0
まず、聖なるerotismeと心情的・肉体的erotismeとか別ではないと思います。erotisme
についてもっと言えば、やはりそれは好運 chance のように訪れるもので、いつどう訪れるかは
未知で、つまり、全然好みでないのに、何故かエロテイックな気分になったりもする。何故そんな
気分になったか、自分でも分からなかったりする。バタイユの場合、erotismeは他の至高なもの
と同じく、現在を未来の犠牲にすることなく、制御をはずれて、力を消尽してしまう領野で、そこで
主体が感染し、燃え上がることを聖性としてると思うんです。で、また、その聖性は恋愛が不可能
だから、でもなく、というのも恋愛とerotismeは別物ではないですね。また、別物だと考えない
ほうがいい。エロテイシズムが好運だとすれば、それは偶然的だといえる。しかし、一言いえば、
偶然‐必然のタームで何をバタイユが言いたがっているかが大事なんで、偶然‐必然のタームに
のみこだわるのはおそらく不毛だと思いますね。
バタイユはアルトーに言及してる?
アルトーは常に苦痛と共に生きた人だけど、体験の思想家としてニーチェバタイユと通じるところがあると思う。アルトーにはとても親近感を感じる。バタイユ以上に
931 :
考える名無しさん:2010/06/28(月) 13:00:50 0
バタイユは詩人としての腕はあったの?
932 :
考える名無しさん:2010/08/09(月) 01:28:14 0
バタイユの詩といえば卵を壁にたたきつける村上春樹チックなのがあったなあ
「沈黙の絵画」を読んでからすっかりマネ好きになってしまったんだけど、
バタイユのマネ論ってアカデミック的な評価はどんなもんなんでしょう