その場その場で、あてはめられそうな一般論を、あてはめが妥当かどうか
考えずに、ただあてはめて批判とする発想は、2ちゃんねるで広まった
発想のなかでも、最悪のものの一つだ。
953 :
考える名無しさん:04/04/23 21:14
>>950 言葉の使用法が間違っていても糾弾しないのは、
その言葉の使用がたいした意味も弊害も持たないからだろ。
問題は「自己責任」みたいなあいまいな言葉が、文脈に応じてある「力」を発揮する点でしょう。
その「力」に迫らずに、結論とか何とかはおめでたいと言いたいわけさ。
956 :
考える名無しさん:04/04/23 21:17
>>954 なら、あいまいな言葉一般が文脈に応じてある力が発揮する点について
論ずるスレを立てるべきだろ。お前本当に哲学知ってるのか。
957 :
考える名無しさん:04/04/23 21:17
958 :
考える名無しさん:04/04/23 21:18
>>955 今こそ、心おきなく使おう。
オ マ エ ガ ナ ー 。
959 :
考える名無しさん:04/04/23 21:18
自己責任の乱用により本来義務であることが責任に置き換えられてしまって、個人の権利が搾取されているのが権力による現行法の上手な運用。
俺が何を呆れてるか、お前らほんとに分らないのか・・・・。いやはや。
962 :
考える名無しさん:04/04/23 21:21
>>961 言外に意味をこめるのは最低で、それ自体が呆れられる対象ですが。
963 :
考える名無しさん:04/04/23 21:22
476が、今、責任を論ずるのに全くふさわしくない対応をとっているのは、
間違いないな。
964 :
考える名無しさん:04/04/23 21:23
965 :
考える名無しさん:04/04/23 21:23
>>959例
国民年金は国民の義務である。
未払いは責任。
加入しない権利はどこにいったのか。
はいはい分ったよ。このスレも終わるから教えてやるよ。
あのな、
>>947の後半は俺が書いたことと同じなんだよ。
>>956 「自己責任」という言葉が「力」をもつのは、非常に日本的な現象だと、僕は思っている。
「自己責任」をめぐっては、まだまだ語られるべき点があると僕は考える。そしてきみは考えない。それだけのことだよ。
週刊SPA(4/27)
「アルジェリアのイスラム原理主義武装グループにサハラ砂漠
で拉致された14人の旅行者が、その半年後の昨年の8月に
解放された事件がありました。この時にドイツ政府は武装グループ
に身代金7億円払っているんです。その仲介役になったのは
リビアのカダフィ大佐ですが、ここで忘れてはならないのは、
ド イ ツ の テ ロ 対 策 マ ニ ュ ア ル
に従い、人質の家族は
身 代 金 の 一 部 負 担
をしたことです」
>>967 自己責任に限定する理由がないし、
仮にあるとしても、自己責任の論理がおかしいことを証明する
スレでそれを論じるのは、混乱のもとだ。
970 :
考える名無しさん:04/04/23 21:28
>>966 896 :476 :04/04/23 19:42
近年「自己責任」という言葉がよく言われるようになった理由は、自分の行為に
責任を持たない人に対する警告という意味だった。責任の所在はとうぜん場合
により様々だが、企業などの団体とちがって個人には責任意識の無い人が多く、
色々トラブル発生の元になったからだ。
したがって当然だが「自己責任」という言葉が使われるケースは、最初から責任の
所在が個人にある場合に限られた。「これは自己責任でおながいします」とは、
「この件の責任の所在はあなた個人ですよ。そこんとこちゃんと自覚よろ」ということだ。
ここで求められているのは「責任の所在がどこにあるかを正しく認識すること」
であって、「全ての責任が個人に還元されること」ではないことは言うまでもない。
要するに本来「自己責任」における「自己」とは、場合により様々であって、「個人
の場合もある」ということにすぎない。仮に「自己責任」を「個人の責任」と定義した
ところで、それは様々な責任の所在の仕方の内の一つでしかないのだ。
ところが冒頭で述べたような事情があって使われだした「自己責任」という言葉は、
いつのまにか何でも個人に押し付けるための方便として使われるようになってしまった。
まるで水戸黄門の印籠のように、「ジコセキニン」と一言唱えれば相手は「ははぁー」と
ひれ伏してしまう魔法の言葉として。
流行語とは怖いものである。「責任」=「個人責任」であるかのような社会の雰囲気が
醸成されてしまったのだ。
今我々に本当に求められているのは、声高に「自己責任」を語ることではなく、
むしろそこから捻じ曲げの元凶である「自己」をとっぱらい、「責任」の本来の意味と
その所在する場所を、各事例ごとに正しく認識することではないだろうか。
またまたあんまり流れと関係ないかな・・・
---------------------------------------------------------------
どこが?
971 :
考える名無しさん:04/04/23 21:33
>>965 そして年金制度の破綻は
加入者の自己責任。
担ってしまう可能性がある。
一応ちゃんと指摘しますか。
896の文章の、
---------------------------------------------------------------
要するに本来「自己責任」における「自己」とは、場合により様々であって、「個人
の場合もある」ということにすぎない。仮に「自己責任」を「個人の責任」と定義した
ところで、それは様々な責任の所在の仕方の内の一つでしかないのだ。
---------------------------------------------------------------
ここ。「自己責任は、責任の所在の仕方の内の一つではない」んですが。
>>947 どこが同じ意見なんですか?
973 :
考える名無しさん:04/04/23 21:39
>>968に釣られてもいいけど、日本にはそういう法律は無いよ。
やっぱり、続ければ続けるほど害が大きいと思いますよ。
誤解の可能性が増すだけだと思います。
そもそも1000レスの流れの中で、良レスが離れ離れになる状態で、
論点を分けないで混交して論じようというスタイルに
(機会にではなくて)疑問を感じず、それに対して
>>956さんが言うように、スレの立てわけで
論点を明確にしておこうという考えを起こさないこと自体、
センス悪すぎですよ。
ある人や本について語るスレとかならいいですけど、
今回はそういう混乱は、できるだけ避けたいところなはずじゃないですか。
真面目に考えてるなら。
>>972 あえて違うといえばここ。
>あらゆる主体に公平にあてはめるべきなのです。
責任がどこかに所属するという考えも否定して、それこそ文字通りあらゆる
主体に公平に分配されると言ってるなら、俺とは違うが。そうなの?
>>975 それでは
>>972に答えたことになりません。
それに
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責任の大切さは、「自己の責任の引き受けの大切さ」を一般的に
語るという責任の押し付けの原則化(476の論はまさにそれです)
文脈で語られるべきではなく、ストレートに責任を語り、あらゆる
主体に公平にあてはめるべきなのです。
---------------------------------------------------------------
と引用しないのは、なぜですか。
このように引用すれば、975の解釈は成り立ちませんよね。
「責任を語り」であって「責任を」ではないのですから。
なんというか、見苦しいです。
次スレは立てない方がいい。
このままどうでも良い話題を引きずったまま、3スレ目に突入の予感。
979 :
考える名無しさん:04/04/23 21:54
476さん、ちょっと恥ずかしすぎなんですが。
ああ、ごめんごめん。分らなきゃいいよ。
君とは反りが合わん。じゃね。
981 :
考える名無しさん:04/04/23 22:00
最悪だよ、476・・・
今度こそ決着がついたな。
そろそろ埋める?
984 :
考える名無しさん:04/04/23 22:04
埋めていいよ。
またなんか変な書き込みきたら
>>978の予感が当たってしまう。
それじゃ
埋め
ますか
989 :
考える名無しさん:04/04/23 22:10
っと
産め
10
992
993
994
995
996
997 :
考える名無しさん:04/04/23 22:15
1は当分
テレビみんなよ。
わかったな
1は次スレを立てないように
終了
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。