952 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 18:59
>>951 極めて弱い懐疑論にせよ 懐疑論を持っていれば二重規則なのです。
理論と現実の誤差を「有るがままに見たとき」あなたの「混沌世界」説は
成立するからです。
>私の説に組み入れて補強するような用い方は一度もしてません。
>誰々の思想に似ているから、その思想を批判しなければと思う必要もありません。
いいですか。
あなたは ぽろぽろと哲学者や理論の「名」をだすことで
批判をすることを 十分にためらわせる、という事を見逃しています。
ところで
あなたは自分が不利な例 たとえば4や5はもうやめてくれというが
少しでも自分に有利なことは 私が 現段階の問題としては取り上げてなくても
しつこくなさる気ですか?
>>949 「科学で実証されたことは正しい」から出発して
「学校の授業で習ったことは正しい」に結ばれる。
上記の2つは正しいことも有り得ますが、主観の問題に入った時点で
怪しいものになるのです。その通り、さっき少し思い違いがあったように
「確率論が現実問題にそのまま当てはまることは実証されていない」
実証されていないというより、無限を可能にしなければ実証できないのです。
また、相対頻度とは言っても、何回に1回現れるという規則を示すものでもありません。
>私は実際に確かめられる方法で例を出した。
>あなたは大数の法則だのなんだのといって 私を批判しようと試みた。
前にも言ったように、大数の法則は「数学上の、理論上のもの」だといいました。
ですから、何も根拠(批判材料)として示していないと再三念を押したはずですが。
これも再三言いますが、「無限」の問題を後に付け加えたことを省略しないでください。
あと実際に確かめられる方法の例とは何でしょう?
>>950 >私にはあなたが実証されていなければダメだと一方で言いながら
>もう一方では 科学の実証を根拠にするなといっているように思えますが。
ここは重要な点ですね。
科学の実証から、主観的な意思決定の問題に至るまでに
様々な紆余曲折があるわけです。それは上で示した通り。
その過程で、思いもしない間違った信念が生まれることも多々あります。
また、「科学で実証された」→「主観による意思決定」までに
誤用なしでたどり着いたとしても、根本の「科学で実証された≠100%」だと
いう認識も重要です。可能性が低いにしろ、有り得ないことではないのです。
ですが、それを疑うようでは”非合理的”であろうというだけです。
過去と未来の連続性を信頼することの上で、科学が成り立っています。
もちろん私たちは科学を否定して、隠遁生活するべきとも言っていません。
今はこの方法が最も、あくまで、”合理的”選択方法なんです。
科学が100%真なのではなく、100%未満ではあるが、私たちはこの勝算の高い賭けに
勝ち続けているだけであるという認識は、私は大切な余地であると思っています。
>>952 >いいですか。
>あなたは ぽろぽろと哲学者や理論の「名」をだすことで
>批判をすることを 十分にためらわせる、という事を見逃しています。
グルみたいな書き出しですね。それはあなたの個人的な主観の問題です。
もし皆がそうであるというのなら、私は反省するべきでしょう。
おちぶれても哲学板ですので、知っている人が多いかと勝手に思ってました。(私の主観)
>あなたは自分が不利な例 たとえば4や5はもうやめてくれというが
>少しでも自分に有利なことは 私が 現段階の問題としては取り上げてなくても
>しつこくなさる気ですか?
有利不利の話じゃない。4や5は何も私の説に対する反論でもなんでもなく
私やこのスレの住人の態度を問題にしているので、無駄だと思ったわけです。
>>955 >無駄だと思ったわけです。
こういうとまた文句つけられそうなので訂正。
それは少々仕方ない面もあったが、私自身反省する面もあると言ったので
これ以上追求しても無駄(何も出てこない)だと思ったわけです。
957 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:27
>>953 >前にも言ったように、大数の法則は「数学上の、理論上のもの」だといいました。
>ですから、何も根拠(批判材料)として示していないと再三念を押したはずですが。
>これも再三言いますが、「無限」の問題を後に付け加えたことを省略しないでください。
ここで言っていることの意味が分かりません。あなたは数学上の、理論上のものを
根拠でないものとして しかし私の意見を批判できるものとして(!)示したのですか?
あなたが再三何かを主張しているように 私も再三 科学的実証については言及していないと
言っています。
私が言っていること 強調していること 何らかの根拠(法則的存在者)がいると主張している裏づけは
「やるたびに」「近づいていく」という点です。ここから「何らかの根拠」(法則的存在者)の存在が
おしはかられて しかるべきだろう、という主張です。
哲学者の名前を出すのは哲板なのでこれはしょうがないですね。
例えば、懐疑論を持ち出した場合にヒュームやデカルト等々、例を
挙げながら説明するのは、出典を示すと言う点でもその人は誠実であると
いうことが出来ると思います。
959 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:33
>>954 >科学が100%真なのではなく、100%未満ではあるが、私たちはこの勝算の高い賭けに
>勝ち続けているだけであるという認識は、私は大切な余地であると思っています。
言っていることは ごもっともですが あなたが二重規則に基づいているという事には
一切言及されていません。
あなたはいつもこのような方法で「無かったこと」にしている
ようにおもいます。
私がこういった視点であるように
この余地、100%言い当て得ないというのは
誤差があるからであり、猶予であり、自由ではないか
(あくまで推測)という展望を持っているだけです。
これが真の世界(実在)を置かない理由です。
だからまた、あなたが私の説を「真の姿は混沌である」と説いていると
見なすような、真の〜という使い方をしてほしくないわけです。
100%(真)を置かない配慮というのが、信頼度という表現に現れます。
ですが、真の実在の想定を回避しようとはしていますが
どこかしら矛盾している点(神の想定)があることは、試論なので仕方ない。
といっているのですが、これはもちろん言い訳でしかありません。
弁解するなら、真の実在を想定しないような世界解釈を模索中である
というだけです。
それを537氏のように、私と折り合いを見つけながら一緒に
模索してくれるような態度でありがたいと思っていたわけですが
あなたは私の意図を読まずに「絶望的」「生の隠匿」と
言われているので、私には暴言としか捉えようがありません。
>>957 >「やるたびに」「近づいていく」という点です。ここから「何らかの根拠」(法則的存在者)の存在が
>おしはかられて しかるべきだろう、という主張です。
ですから、これは大数の法則等で述べられている数学的証明のことですが
これはあくまで理論上の話であって、現実には「やるたびに」ではない。
現実に「近づいたり、遠ざかったり」するわけです。なんら規則的ではありません。
あなたが、理論の中に神がいるというのなら、それは反論のしようがありませんが
私は現実への対応問題を扱いました。これはちゃんとした反論だと思ってます。
>あなたが再三何かを主張しているように 私も再三
>科学的実証については言及していないと言っています。
科学的実証(現実との対応)ではなく何を扱ったのですか?
962 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:46
>>960 あなたのやり方は いつも軌道修正して異なる主張を始める
ということに収束しますね。
私は今問題にしているのは「絶望的」や「生」の隠匿ではありません。
あなたの論理性の欠如、二重規則について言及しています。
963 :
考える名無しさん:04/04/26 19:50
自分の考えだけを語れ 相手の考えでなく
大事な点 それだけに絞れ
964 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:51
>>961 >現実に「近づいたり、遠ざかったり」するわけです。なんら規則的ではありません。
あげ足取りみたいで申し訳ないが 私は規則がある、とは言っていません。
「近づいたり、遠ざかったり」するが 決して 今日は表あるいは裏しかでなかった、とか
8:2の割合にしかならなかったとか いう事が無いのはなぜかという事をいっています。
あなたの例はむしろ私が出してしかるべきもので 根拠が無いというのなら
「近づいたり、遠ざかったり」するが「遠ざかり続けないのはなぜか」という問いに
答えなければなりません。
>>959 何の用語であるのかわかりませんが
「二重規則」についての説明を詳しくお願いします。
懐疑論を持ち出しておきながら、信頼する
というのが矛盾していると言うのでしょうか?
966 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:58
>>961 >科学的実証(現実との対応)ではなく何を扱ったのですか?
いいですか。あなたは科学的実証を理論と実践の乖離として批判しているのです。
だから現実との対応というそのカッコ内の訳はおかしいのです。
現実との対応という言葉は あなたに言わせれば そのような「差異」をそのまま受け止めること
という意味にならなければなりません。
967 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:03
>>965 矛盾する二つの規則を用いる事を言っています。
あなたは
>>910でも (その後も何度も)示したとおり
二つの規則を都合よく用いて 私を批判し私の批判をかわしているのです。
>>962 >あなたの論理性の欠如、二重規則について言及しています。
了解です。ですが、他にたくさんツッコミ入れておいて
私が聞いているのはこれだと、自己中心的に言われても困ります。
私もなるべくすべてのレスに答えようと努力しています。
また私も、私の反論が空虚なものに終わっているという印象を拭えません。
哲学者の名前を挙げることについて私を養護するようなレス(
>>958)がありましたが
それについては無視されるべきものなのでしょうか。勝手に問題を解決済みとされては困ります。
何もあなたに味方がいないことがどうこうした問題ではなく
>>958のように感じる人もいるということを頭に置いておいてください。
前にもあったように、こういう展望だとか、これについて説明するとか
言った時点で、「宣言のみ」だと見なす早とちりはやめてほしい。
だからそれは「宣言」であって当然です。
>>964 急に問題を拡大しすぎです。
>>964 「近づいたり遠ざかったりする」というだけで十分
法則なんたら存在者の不在の”可能性が高い”ことを示します。
なんら、収束するための影響を及ぼしていない証拠です。
では逆に、100万回投げて100万回表が出たとすると
それは何かの存在者の不在となるのか?存在証明となるのか?
しかしもし、無限が実在が証明されるのであれば、
法則なんたら存在者の存在証明であろうと言っているのです。
また、論理性の欠如=二重規則という見解でよろしいでしょうか?
970 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:14
>>965 あなたは「有るがままの世界」に秩序は無いといった。
あるのは混沌だ(それも このような混沌 とはいえないという非決定の混沌)といった。
あるがままの世界とは たとえば人間の顔に 表情というものを認めない。
それはわたしが形に意味を見出したに過ぎないからです。「有るがままに」物質の形として捉えなければなりません。
あなたは「あるがままに世界を考える」という前提に立ちながら 疑ってしまっています。
それは 疑えないはずだという主張と 偏向(あなたの考えによる偏り)を加えているという点で
変わりない。
だから二重規則なのです。あなたの考えは端的に言って破綻しています。
971 :
THE グル:04/04/26 20:29
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄ / /
 ̄
972 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:33
>>968 たくさん反論がかけるのは あなたが矛盾しているからと言えます。
>>969 あなたの例はむしろ私が出してしかるべきもので 根拠が無いというのなら
「近づいたり、遠ざかったり」するが「遠ざかり続けないのはなぜか」という問いに
答えなければなりません。
という私の意見には答えていません。
>>969であなたが 端的にそのような主張がなされるのは
あなたが占いと同じものとして考えている(それゆえ科学が例にふさわしければ占いも例にふさわしい)
科学的 理論的根拠があるか、結論の先取りをしているとしか思えません。
>>968 958さんはあなたの擁護をしていません。懐疑論の説明をするうえでなら哲学者の名を出すのはもっともだ、
といっています。
あなたは自分の意見が自説としての試案段階なのだと言う。その上でぽろぽろと哲学者の名を出す。
そして何かの理論の「名」を出すだけではなく論証すべきといっても、ウェブ検索をしろという。
あなたは958さんの言う誠実な人ではない。
>>969 つまり、現実に1万回表が出続けることと、現実に極限で一致する確率は
どちらが現実問題として低い確率になるのかというと実は後者です。
確率というと誤解が生じますが、”実現できる可能性”という意味では
前者は実現可能で、後者は実現不可能なものなのです。
有限と無限とはそれだけ隔たりがあります。
ちくびさんはちょっとせっかちだよ。自分の議論をする上でのフレームを
共有させたいなら、せめて相手を非難する前に、説明したらいいと思う。
これじゃ、相手は面倒でやる気がなくなると思う。議論をしてもらっている
(相手をしてもらっている)っていう気持ちもないとね。
975 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:46
>>163さん
>>960や
>>954でも 自ら示されているようにあなたは さも関係ありそうな
別の話題にすりかえて私の批判を「無かったこと」にしてきました。
次の返答ではきちんと答えてください。
>>968で「急に問題を拡大しすぎ」と書いています。
だから何なのですか。間違いなのですか。
何を持って急に問題を拡大しすぎとあなたは 考えているのですか。
私は一貫して 「遠ざからないこと」が問題であり、何らかの根拠が無い
という主張では この問題を説明するのは不十分だといってきました。
976 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:49
>>通りすがりさん
800番台のやり取りを見てください。(もっと前からだったでしょうか)
977 :
考える名無しさん:04/04/26 20:58
人生とはすなわち暇つぶし
他人に迷惑をかけない程度の努力はするべきだが、
それ以上は好きに生きればよい、
生きることはゲームである
楽しめばよい
神は存在する、それはネタとして我々の中に
弄られる為に神は存在する
978 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:59
>>973 何度言ったら分かるのですか。前提を意図的に無視すればいくらでも批判は可能です。
私は一致を理由に挙げたことは無い!
「やるたびに」「近づく」事を理由に挙げました。
そしてあなたは ふたたび理論的 科学的根拠を持ち出すという
事をした。これはあなたの考えでは「占い」に根拠を見出すことに等しい。
ところで通りすがりさん
>>910 >>911 >>912 >>913 >>914に私が163さんに対して
批判的な理由を書いています。
979 :
THE グル:04/04/26 20:59
いいですか、
つまらん議論をしてますね。
要は簡単な統計の問題ではないですか。
有意か有意でないか帰無仮説を立ててみて、
その上で検定してみる。
あるいは、
有意水準を超えるか越えないかってことですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
980 :
考える名無しさん:04/04/26 21:02
宗教はこう有るべきだ
幼少期はイスラム教的な戒律、しつけを身に付ける
青年、壮年期はプロテスタント的な、努力をしないと救われないように身に付ける
老年期は仏教的な、すべてが無になるような諦めを身につけるべきだ
一つの宗教だから良くない
>>972 ウェブで検索しろといったのは経験的確率と
理論的確率についてのみです。
哲学者の名前をぽろぽろと出すなと言っておきながらあなたは
一度も私が名前すら出していない、デリダの差延が裏付けとしてあると
言いがかりをつけています。そしてデリダについて反論しなければと。
私が哲学者の名前を例として挙げることは、私の説が完成された
ものでなければならないという主張でしょうか?
私はもちろん善意で名前を挙げているつもりなのですが。(逆効果だったのかもしれません)
そして、逐次その言葉について確証を与えていかなければならないのでしょうか?
どういう場合に名前を出すのがよくて、どういう場合が悪いのかを説明してください。
私が科学と占いと同じものとして考えているのは
それを信用(信頼)され得るものだと捉える点での本質についてです。
未来を託す点でも同じです。
ここにおいて、占いを信じないのは科学的根拠がないという
結局科学的根拠を根拠としているような矛盾を指摘しているわけですよね。
科学(真)と占い(偽)という対立で考えるからそう思えるわけで、事物の関連
「星/運命、統計/予測」を信頼するという意味では同じ地平にあります。
科学という枠組みに限って言っているのではありません。過去と未来の対応です。
何を信頼するか。それは何が繰り返されてきたか(帰納)。 です。
>>978 >>973で前者が実現可能なことと、後者が実現可能なことは
何も科学的根拠の話ではなくて、実践においての話。
科学的知識を持っていなくても誰でも理解できる話。
それはいいとして、「やるたびに」「近づく」という表現をやめませんか?
あれだけ誤解を生む表現だと言っているのに・・。
良心的に解釈したとして、「全く偏った結果が出ないのは何故か?」
ですよね、言っていることは。それは”そうなる可能性が高い”としか言ってません。
だから、これによって何らかの(確定的な)影響の存在を見ることは無理があります。
983 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 21:16
>>981 だからあなたが 科学を根拠としている限りは 占いも根拠としていいという事に
なるはずです。
あなたは私の論点を まず哲学者の話から入ることでぼやかしている。
あなたは
>>816ものすごいことを言っています。これこそもし私や老子さんが言ったら
袋叩きでしょう。
あなたの考え方には 現代思想の考え方が色濃くうかがえるのに あえてその名だけは出さないように
私には見えた。それが問題だというのです。
「知」の問題にすりかわる場合は 悪くて すりかわらない範囲で妥当ならば良いと
私は考えていますし そういっています。
一応スレはざっと眺めたんだけどさ、それでもそう思ったんだよね。
有意義に議論を展開していきたいなら、批判するだけではなくて、
議論が上手く進むことも一方で考えながらレスしていかないとと
思うんだよね。
今の感じのやりとりだと、頭の固いフェミニスト(主張ではなくて、態度
としての〉的で、相手が辟易するだろうってのが正直な実感。
ちなみに自分はちくびさんの議論に対する情熱ってのが好きなんだよね。
だから、上手く進めんでいけばと思っておせっかいなアドバイスを
してみたってわけ。余計なお世話ってことは十分承知しているんだけ
どね・・・
こうやって書きこみしてるとよく思うんだけど、自分の考えをすべて
書くことは出来ないし、ましてそれが100%伝わることはありえない。
そう考えると、ある書きこみはそれが十分でなくても、その裏にはもっと
そのことについて考えられた思考された跡があって、あまり否定的に読んで
しまうと、その思考された跡ってのを見ようとする視点が大きく失われると
思うんだ。
まあ、そんな感じです。
人生とは
死ぬことを目標に生きている
それまでの人生はいかに死をかっこよく
完遂できるか とゆう薄っぺらい内容である
986 :
考える名無しさん:04/04/26 21:22
>>979 ゴルァ !! グル、 オマイガ ホントニ グルナラ オサメテ ミロ !!
987 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 21:27
>>982 無限があればいいはずでは?
そしてあなたは無限が無いという考え(おそらく科学的理論的根拠)を
持っている。
「そうなる可能性が高いのはなぜか」という問いとしてもなんら問題ないと思います。
実践を離れて可能性だけを考えることは 「触れてもやけどをしない火炎」を考えるのと
同じ空虚さを持っています。
しかもそのような可能性を考えること(純理論的な考え方)を 科学が占いと同じものであるとして
あなたは 退けようとしているはずです。
988 :
考える名無しさん:04/04/26 21:27
>>985 マタ ヒトリ アホガ キタ トホホホ (o_ _)o ドテ
989 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 21:32
>>984 通りすがりさんのいう事はもっともですね。
曲がりなりにも 私のことを認めてくれる方にあえてよかったです。
今はかなり頭に来ているから あなたのアドバイスも
>>986のような意見にも
対応できそうには有りません。
ですからもう帰ることにします。
>>970 >あなたは「有るがままの世界」に秩序は無いといった。
>あるのは混沌だ(それも このような混沌 とはいえないという非決定の混沌)といった。
とりあえず、これはたぶん正しい解釈だと思います。
ここについては、私の説の核心があると思うのでもう少し待ってください。
ただ、偶然の連なりに勝手に意味を見いだしただけ、ということが
絶望であるのかが私には分からないだけです。
>>983 >あなたは私の論点を まず哲学者の話から入ることでぼやかしている。
哲学者を例示している問題に必要以上にこだわるのはあなたの方です。
これを私は被害妄想と言っているのです。(デリダの件も同じ)
現代思想についての影響が伺えるとはいいますが
私は前にも言った通り大学生であって、いろんな講義を受講してます。
大学のいくらかの講義では、直接的でなくとも現代思想の影響はあるでしょう。
また、いくつか本を読むこともありますので、影響がないとは言ってませんが
あくまで統計学という視点から現実と理論の対応を見た自説であると言っています。
自分なりに考えたわけですが、これが現代思想の誰それに似通っていたとしても
似通っていること自体を批判することはおかしい。同じ結論にたどり着いたというだけです。
あと、科学も占いも未来を予測する点では全く同じで
それは事後的に真であったか、偽であったかということが分かるだけです。
未来について100%言い得ない点では同じです。
過去の事例についてまですべて疑えとは言っていません。
991 :
THE グル:04/04/26 21:38
いいですか、
簡単に申しますと。
事象Aの起こる確率pと、
起こらない確率qそれをn回繰り返し、
Aが起こる回数の確率変数Xの二項分布を出して見ればよく解るんです。
まあ、帰無仮説を立てるなら、
「コインは偏りがない」となるわけなんです。
n回連続して表が出る確率は、
1/2のn乗でありまして、
これが偏っていないであろう確率としますと、
例えば、危険率5%を目安に考えてみたときにどうか考えれば、
それが「有意」かどうかわかりますよね。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>987 >無限があればいいはずでは?
>そしてあなたは無限が無いという考え(おそらく科学的理論的根拠)を
>持っている。
この意見は頭にきてる故の軽率な発言でしょうか。
だから、無限を「実無限か可能無限か」どちらにするのか
そういう問題に最終的に落ち着くのだと言いました。(科学的根拠云々ではありません)
また、「可能性が高いのは何故か。」と言いますが
これは可能性がいくら高くても、事後的に検証しなければ
真であるとも偽であるとも言い得ません。
未確定の事象について、ありうる可能性の話をすることと
過去に実証されたことを話すことの間には大きく隔たりがあります。
必要とあらば、確率についての定義をしっかり説明します。
無限がないと言うのは、例えば無限の実在を想定してしまうと、理想状態が生まれるために
すべて秩序か混沌どちらかの完全な世界に飲み込まれてしまうと前に言いました。
だから、私の説を基礎付ける上での方針としかいいようがありません。
あなたは、私の言っている説のオリジナル性を排除(あえて無視)して
すべて科学的知識や現代思想の焼き直しであると見ている所が不愉快です。
自分ではよくわかりませんが、それほど誰かに酷似しているのでしょうね。
私はとりあえず、「パクり」と見られたとしか思えない。
無限なんてクソですよ
限られているからこそ人生楽しい
みじめな人生の目的を考えませんか?
>>987 無限の実体性を現実に適用することがどれだけ変なのか
についての説明も入れないといけないのでしょうか。
ちくびに「無限をどういうものと考えるか?」と前に聞きましたが
「そんなものは考えたことがない」という返事しかもらっていません。
それならば、議論はここでストップするしかないでしょう。
>しかもそのような可能性を考えること(純理論的な考え方)を 科学が占いと同じものであるとして
>あなたは 退けようとしているはずです。
考え方が同じだとは言ってません。未来を託している点と
対応の構図が同じだと言っているわけで、実際に対応させるものは全く違います。
確率の話を境にしてちくびが私に必要以上に
私に固執するようになったのはどうしてでしょうか。
過去にちくびと対立した他の人と比べても、ここまで
人の意見を否定的にとらえたちくびを見たことがありません。
論理が矛盾しているという指摘はごもっともかもしれませんが
権威主義的だというのは明らかに被害妄想としか思えない。
これは統計的にみて、何か特別な要因が今回に限り絡んで
いる”であろう”と伺えます。
ちくびは私の論理の矛盾と、権威主義的であることを指摘している。
今はそうであるけども、事の始まりは以下のことでしょう。
「私はちくびが確率などという”数学や統計にのっとった”話をするから
それは間違いであると、もちろん”数学や統計の話にのっとって”指摘した。」
これは当然でしょう。しかし、ただこれだけが原因なんでしょうか。
>>996 哲板には権威主義的に哲学者を持ち出して相手を黙らせる奴も実際いるから
ちくびがそれに反発感を持ったとしてもそれは普通だと思う。
それがたまたま今回163に回ってきただけだろう。
でも
>>996の最後の方の書きこみはいらないよ。
999 :
THE グル:04/04/26 22:28
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄
千 利休〜
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。