終わらない学園祭。ネヴァー・ネヴァー・ランドの子どもたち。
「もしも〜だったら」ゲームとして参加してちょ。
「うる星やつら」の、(希望としてどっちかというとアニメ版の)登場人物の少年少女のその後こうなるであろう歳の取り方や生きざまについて、あなたの憶測・想像・ねつ造でお話お寄せ下さい。
アニメ板でなく、哲学板でスレやるこの意義とは一体…。そのことも含めて考えてケロ。(←ネガティブ発言として捉える必要はないでつよ)
2 :
考える名無しさん:04/04/09 00:41
ラムちゃん
はいお客さん、ラムさんがどうしたって?
5 :
みるく ◆Nw5OH6tdPM :04/04/09 06:48
ラムちゃん可愛ぃv
あっはw
永遠に学園祭の前日。
バリケードの中の幸福な。
炊き出し、ファーストフード、隠れる場所、ライバル、メカ、口達者な友人たち大勢、
ネヴァー・ランドには何でもあるだから戦争し掛ける子どもたち。
社会学板にもたってたよ
なんなのこのスレ?
要するにネヴァー・ランドについてがテーマだな。
ネヴァー・ランドはなして美しいのか切ないのか恋しいのか男前ではないのか。
11 :
考える名無しさん:04/04/09 13:31
諸星あたるは、まんまエロ爺い。
すげえ、現代日本の人文知の最悪部分が集結してる。
社会学板ではそこそこ盛り上がってきているのになあ。
あずまんはこれがキッカケで思想・哲学の世界に
入ってきたんだよ
「劇画オバQ」みたいなスレだな
16 :
考える名無しさん:04/04/10 12:28
フツウエモンのアニメない?
これをリアルタイムで見てた人って三十代くらい?
18 :
考える名無しさん:04/04/10 19:23
>>17 80年代、アニメは当時の30代前半にまで拡がっていた。アラレちゃん、ドラゴンボール、北斗の拳しかり。
何故かフジTV系ばかりだな。。。
俺は二十歳に近づいて、学生時代の終わりが見えて来たら、
アニメは割りとアッサリと吹っ切ったっけが。いつまでも
子供のままじゃいられないと思って。これは現実逃避だって。
20 :
考える名無しさん:04/04/10 20:17
どうやら社会学での方が熱心の様子でようす。
…これは世代論の問題じゃないんだよね。
めくるめく夢のあと。自分の中に抱え込めないくらいの「夢」を観た後。
ビューティフル・ドリーマーのメガネの左翼アジ、
大受けだったっけw
22 :
考える名無しさん:04/04/10 20:25
>>20 っというようなタイプのアニメか、「うる星」?
>>21 ビューティフル・ドリーマーは80年代を代表する完成度の高い作品であった。
劇場版うる星「ビューティフル・ドリーマー」(押井守監督)は、
いつまでも終わらない「学園祭前日」を描いた。
資材組み立て、炊き出しのおにぎりに夢中の子どもたち。学園祭に向けて!!
しかしさて、「学園祭当日」が周到に先延ばし先延ばしされ、
彼らはいつまでも夢をみ続けてしまうことになるのだった。
しかし、最後は現実への帰還(落下)で終わるわけだろ。
考えて見ると随分、遠い昔の話で俺も相当、トシになっ
ちまったはずなのに、俺は相変わらずガキみたいなままw
結局、着地すべき断固とした現実なんてものは、どこにも
見つからなかったような(ゲラ
28 :
考える名無しさん:04/04/11 02:10
我思う故に我ありと言うが我は本当にいるのか?
29 :
考える名無しさん:04/04/11 02:13
>>28 理性を疑っていない。
だから、まだ疑いうる。
デカルトは"神の誠実"で逃げたけどな。
我思う故に我ありと思う胡蝶の夢
ビューティフル・ドリーマーのオチは「現実に着地」ではない。
学園祭当日夜明けというあくまで「本番前」のまま、
連中はまだ醒めきらないまま、映画は終わったのだ。
32 :
考える名無しさん:04/04/11 12:46
……★★おまいら野暮の極み★★……
35 :
考える名無しさん:04/04/13 14:48
リアルタイムで「2」も見たし、オールナイトで「1、2、3、3」と見た
ことあるけど・・・・どう考えても、20年も引っ張るほどの内容のある
マンガではなかったよ>うる星。俺はあれからケッコンもしてないし子供
もいないし、ヤクザな(の、ではない)仕事してるからアニメも見てたり
するけど、今だに「うる星」にこだわるヤシの「逃避行動」はもう論じる
気もしないくらいに興味が失せてしまった。
ただ、ノスタルジーくらいはあるのでちょっと書かせてもらう。
あの話の構造自体は、諸星あたるという特異点から精神的エントロピーが
捨てられていく過程を描いたものだったと思う。何の「闘争」もなく、今
ほど性的な鬱屈(自由になって故にプロセスが省かれることで起こる悦楽
のポンテンシャルの低下)もなく、本来はあんなに元気に「おねーちゃーん」
と追っかけるほどの情熱のあり得なかった時代に、あたるは登場人物のすべ
てを引っ張るだけのボルテージを保ち続けていた。
加えてあの作品には「日常」「SF」「オカルト」といった、世界設定を
可能な限り自由に往還できる舞台装置が用意されていた。「オウム事件」
と一連の若者のカルト行動はあの自由な往還を現実に持ち込んだものだっ
たと(無理やりなら)言えなくもない。もっともグロテスクなのは、メガネ
のキャラに代表される押井守のような「他者と交流できない」タイプの人間
が技術力があるというだけで社会的に生き延びてしまったこと(これが先の
鬱屈を加速させているとも言える。「他者と交われる」まっとうな人間の方
が評価されなかったりするのだから、社会秩序そのものの危機なのに・・・)。
彼らの年の取り方? そもそも彼らは年を取れるほどに重層的な描かれ方は
されていない。メガメに関しては延べた通り。あたるは「神」のようなもの
だからすでに鬼籍に入っているだろう。女性キャラは年を取るようには描か
れていず、記号化されたあたるの両親もあのままだろう。
ああ、書いてて自分まで下らなくなってきた。
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サザエさん、クレシンetc.
>>35 そうか…辛い体験を聞かせてくれて、どうもありがとう。
君のような無数の屍を超えて、優秀な映像人が今後の日本に育っていくことだろう
ウォシャウスキ兄弟も押井程度しか日本に学ぶものがなくてごめんね。
>>38 おお、君が謝る筋合いのことではないんだからね、
早く所帯を持って家のローンなど抱えてみて、これからも幸せに生きてくれ給え
季節は移り変わっても時間が進まない世界なのに、
歳をとるわけないじゃん。