どういう関係なの?
2 :
考える名無しさん:04/04/02 01:42
正しい認識に到る思惟の紆余曲折する運動を表現したものと考えられるが
いまだ充分に定式化されてはいない。
対話的、矛盾、正反合とか否定の否定などで特徴づけられるが、そもそも
定式化されては生きた弁証法とはならないとも云える。
古くはギリシャ哲学にさかのぼるが、ヘーゲルが大成しマルクスが批判的に
継承した。立場により評価は大きく異なる。
( ´∀`) ヘゲール
4 :
考える名無しさん:04/04/02 16:32
まあ、時間がかかる・・・そういうことでしょう。
5 :
考える名無しさん:04/04/03 00:12
弁証法では全てを生成、変化、発展、消滅の運動のうちにあると考える。
このため「矛盾」が、その運動の根本的な原動力とされる。
認識、文化、歴史の発展のみならず客観的と見られる事物でさえも、この弁証法的
運動の内にあり、この点で形式論理学での矛盾に対する考えと決定的に異なる。
カントが理性の限界を示すと考えたアンチノミーをヘーゲルは逆に理性の発展の契機と
捉えたのである。
6 :
美人ニューハーフ たお:04/04/03 00:17
ものごと
全て中庸です。
チンチンシュッシュッ
チンシュッシュッ
8 :
考える名無しさん:04/04/03 00:50
ヘーゲルにあっては、真理、真実在、主体、絶対知、絶対精神などは全て同じものであり
「全体として真に存在する」もの、つまり「神」である。
この存在は「あってあるもの」「他に拠らず自身で存在するもの」であり、
「完全な自己意識」でもある。とされる。即、且、対自的存在とも表現される。
歴史とは、宇宙の始原以来、この「神」が自己生成する運動の「みちゆき」であり
その展開の法則が弁証法ということになるわけである。
9 :
考える名無しさん:04/04/03 01:36
ヘーゲルは多分、「絶対知」や「完成した哲学」から出発し、起点から最終地点まで構想した。
その叙述の方法として「弁証法」が採用されたのである。
「市民社会」「科学技術の進歩」「新旧世界の発展」などから、いずれ完成した自由で平等な
争いの無い豊かな社会の実現も近く、彼の哲学こそ、そのパースペクティブをもたらす思想であると
考えたものと思われる。
10 :
考える名無しさん:04/04/03 02:01
さて、弁証法を考えるにあたり、ヘーゲルから一旦カントの「分析論」
「弁証論」また「現象と仮象」について触れる必要があると思われる。
実現が近い?
山の彼方のそのまた向こうほど遠くに見えるがね
( ゚Д゚)y-~~~
誰かヘーゲルの言う「反照」について端的に説明してくんない?
13 :
考える名無しさん:04/04/03 02:12
>>12 意識が対象と自我の間を往還する運動の有様。Reflexion
特に自己意識の場合に用いられることが多い。
14 :
考える名無しさん:04/04/03 02:26
追加。 反照論理学というのは弁証法論理学のこと。
>>13 サンクス。僕はヘーゲルは「小論理学」しか読んでないのですが、ヘーゲルがカント
哲学を踏まえて、さらに先に進んだというのはおぼろげにわかるんですけど、ヘーゲル
とカントはもともと違う対象をあつかっていただけのような気もするのです。
カントは物自体を残したから不徹底なのではなく、物自体を不可知とした世界、の記述
を目指したがゆえに消極的だが厳密かつ未来に寛容。ヘーゲルは物自体を可知とした世界、
の記述を目指したがゆえに積極的だが歴史に寛容。という気がする。
16 :
考える名無しさん:04/04/03 02:39
カントの分析論と現象は簡単に云えば、知覚の文節と言語による文節が
素朴な統一にあり、形式論理的に現象と推論が一致する。これが「悟性的認識」
に与えられた世界である。
17 :
考える名無しさん:04/04/03 02:43
文節:分節の間違い。スマソ。
18 :
考える名無しさん:04/04/03 02:48
しかし、このような範囲でも、マッハの認識論やフッサール以降の現象学に
より、事態は難しくなって来ている。
19 :
考える名無しさん:04/04/03 02:55
物自体に関していえば、現象の背後にあって現象を規定する物質の「化学構造」
などを引き合いにしてエンゲルスなどが批判し、唯物弁証法では、「物質は(ミクロ的に)無限であり
それに関する認識は弁証法的に深化する」ということになる。
20 :
考える名無しさん:04/04/03 03:03
いかにも、哲学板らしいスレだな。
このスレッドは面白くなるかもしれない。個人的には、
● 神学的形而上学者ヘーゲルというパブリックイメージを越えたヘーゲル像の提出。
● 「資本論」において、具体的にどこが弁証法的思考か?
などに展開してほしいなあ。
22 :
考える名無しさん:04/04/03 03:15
カント的区分では、悟性はほぼ知覚の範囲に相当し、「理性」は「神」
「愛」「真理」「無限」「宇宙」etc を対象とした知の働きと言えます。
前者だけでも大問題ですが、後者の範囲である「先験的仮象」について
検討したい。
23 :
考える名無しさん:04/04/03 03:22
なんでもいいから入門書を順番に読んだ方がいいんじゃない?
めいめいが断片的に知識の切り張りしても論理がないと意味ないよ。
>>23 すみません。2,5,8,9,10,13,16,17.18.19.22 はαでした。
25 :
考える名無しさん:04/04/03 03:35
もう一息!
頑張って!
26 :
考える名無しさん:04/04/03 03:39
入門書は恥ではないです。
いい本はいろいろありますよ。
27 :
考える名無しさん:04/04/03 03:40
よろしかったら、何冊かあげていただけませんか?
28 :
考える名無しさん:04/04/03 03:45
なんでもいいから
29 :
考える名無しさん:04/04/03 03:52
はじめは三浦つとむの弁証法とはどういう科学かがいいでしょう。
仮象と現象の間には多分明瞭な区別は無く、「神」はパウロにとって「知覚的」な
事実であり、「愛」も同様である。
逆に「常温核融合」は「現象」ではなく捏造されたものであった。
さて、「貨幣」、「商品」はどうであろうか?
弁証法は科学とはいえません。
三浦の本は弁証法心得あるいは「あてはめ」的説明でしかなく、おすすめしません。
まだ、中公新書の「弁証法」がマシでしょう。
レーニンの「哲学ノート」(ヘーゲル、小論理学の読書メモみたいな)
悪くは無いが、「ご都合主義的」な感あり。
エンゲルスの「反デューリング論」や「自然弁証法」はマジメな本ですが
弁証法が科学というには無理があることもわかります。
35 :
考える名無しさん:04/04/03 04:46
柄谷って昔2〜3冊読んだけどクダラなかったのでそれ以後読んでいません。
「その中心」とかね。
カントについて何かマシなこと云ってるんですか?
36 :
考える名無しさん:04/04/03 04:55
OFWはまだか?
哲学は全体の説明で、弁証法は、その体系作りの為の方法論
なのでは。
哲学の中に、弁証法が埋め込まれていると理解していいのでしょうか?
39 :
考える名無しさん:04/04/04 00:09
だめ消えろ
弁証法的に現代を肯定する
「つまり直接的なものだけが単純である。というのは、直接的なものの中には、まだ一つのものから他のものへと
前進を経た形態はないからである。従って絶対者とか神とかいうような豊富な観念形式の中に有以上のものが言い
表されており、或いは含まれているといわれるにしても、それは始元においてはただ空な言葉であり、単に有にす
ぎない。それ故に、この何らそれ以上の意味を持たない単純なもの、この空虚なものこそ哲学の始元でなければな
らない」 ヘーゲル「大論理学」序論 始元の本性より
ヘーゲルは「手順を踏めば全員が天才になれる方法」を考えた人だと言えるのでは
ないでしょうか。いくら個々の哲学、存在がおのれの直接性、特権性を主張し、
賛同者を集め、実際それがいかに素晴らしいものだったとしても、それは学たりえ
ない。むしろ「直接性、特権性を主張する哲学、存在」を低次のものと見る。
43 :
考える名無しさん:04/04/05 02:04
ゴテゴテした観念の大伽藍、真理の大聖堂には誰が住むやら。
>>43 「大論理学」は「ゴテゴテした観念の大伽藍、真理の大聖堂」という感じはしないよ。
騙されたと思って読んでみ。俺もまだ途中だけどね。
「大論理学」はものすごくシャープな文体で書いてある。カント「純理」を読んだ人に
とってはなおわかり易い。最初に「精神現象学」「法哲学」を読むより「大小論理学」
を読んだほうがヘーゲルは理解しやすい気がするな。
45 :
考える名無しさん:04/04/05 02:25
例えば、「これは椅子だ」と言うとき、単純、直接に直観に与えられるわけだが
フッサール現象学的テーマでもある。
46 :
考える名無しさん:04/04/05 02:28
「椅子」といっただけの時は、いまだ各部分に「分節」されてもおらず
他との「関係性」においても把握されてはいない。
47 :
考える名無しさん:04/04/05 02:48
ヘーゲル弁証法では、たとえ「椅子」であろうとも対象は自己との間の認識する
意識の反照的運動によって最終的には自己意識の内に回収されてしまう。
具体的な個物は普遍性の内に取り込まれてしまうわけだ。真の実在的性格も「概念」に属する
ことになる。
48 :
考える名無しさん:04/04/05 02:54
>>46 「椅子」という言葉を選びそれを認識の言葉として使用した段階で
すでに「分節」と「関係性」のネットワークのなかに組み込まれる
ことになるはずだが。
>>45 両者の哲学のスタート地点、フッサールのいう事象とヘーゲルのいう始元は明らかに違うと
思うが、俺はフッサールを熟読していないので何とも言えない。概説書レベルの話でいうと
ヘーゲルにおいては「始元」といえどもあくまで「その始元は単に任意のものや一時的に
仮定されたものというようなものでもなければ、また任意の現象であるものをもってきて
勝手に前提として立てておいて、後に過程を吟味してみて、これを始元としたことの正しさ
が証明されるといったようなものでもない」(大論理学)。フッサールのいう「まず単純、
直接に直観に与えられるもの」から始めるという素朴さをヘーゲルは批判する。しかし、
ここでほとんどの人は「なんだ、じゃあヘーゲル哲学は全て絶対者を前提とした後付けの
哲学じゃん」という批判をすると思う。実は俺もその疑いをまだ捨て切れずにいる。
なのでこのへんはまだまだ勉強中。
50 :
考える名無しさん:04/04/05 03:02
>>46 >41の一例として、取り上げただけです。ヘーゲルの論理はこのような
パターンが多いわけで。
>>47 >ヘーゲル弁証法では、たとえ「椅子」であろうとも対象は自己との間の認識する意識の
反照的運動によって最終的には自己意識の内に回収されてしまう。具体的な個物は普遍性
の内に取り込まれてしまうわけだ。
そこらへんのとこがヘーゲルはみんなに誤解されていると思いますね。「活き活きとした
直接性、実存を自己意識の中に回収してしまう他者なきヘーゲル哲学」みたいなイメージ。
しかしそのとき、その自己意識そのものも崩壊するというか、それまでの自己意識とは違う
ものになっている。
52 :
考える名無しさん:04/04/05 03:14
>41を良く見ると、神の観念のうちに「有」をさりげなく含ませていますね。
こういうところがヘーゲルの巧みさでもあります。良かれ悪しかれ・・。
正→反→合、即自→対自→即自且対自、などなどと言われております弁証法の展開過程ですが、
「抽象的側面 あるいは 悟性的側面」
↓
「弁証法的側面 あるいは 否定的理性の側面」
↓
「思弁的側面 あるいは 肯定的理性の側面」
という言い方のほうがやっぱりよろしいね。正→反→合、即自→対自→即自且対自
という言い方だけだとフィヒテの弁証法と変わらないという理解をされることが多い。
哲学史の概論をまじめに習得していないと、
上のような珍説が出る。
概説書はあまたあるから、ちゃんと読んでからにして保すぃ。
>>54 珍説?僕はオーソドックスなことしか言ってないけどね。
>>53は「小論理学」に書かれて
いることだよ。あなたは読んだ?
56 :
考える名無しさん:04/04/06 03:10
概説書の弁証法の説明とヘーゲルが原書で展開している弁証法は
全然別物と考えた方がいいね。
所謂ドイツ観念論哲学は、巷間次のようになっている。
カント→フィヒテ→シェアリング→ヘーゲル
では、カントは<二律背反><物自体>という命題をどのように
提出したのかを考慮して欲しい。
>>56 そうだと思う。
しかしながら、多少マチガイがあっても、
概論の歴史性の習得は必須であるはず。
>>57 >カントは<二律背反><物自体>という命題をどのように提出したのかを考慮して欲しい。
というのはどういうことでしょうか。もう少し詳しく説明してほしい。ヘーゲルはカントの
厳密さを軽軽しく踏み越えてしまった、それはいかん、という主張かな?
60 :
考える名無しさん:04/04/06 03:18
アドルノがヘーゲル弁証法の真の継承者だろ
61 :
考える名無しさん:04/04/06 03:20
×シェアリング ○シェリング
62 :
考える名無しさん:04/04/06 03:22
ワーク・シェリング
プッ!w
64 :
考える名無しさん:04/04/06 03:24
>>59 わかってるじゃないですか?
それで、どうして・・・
66 :
考える名無しさん:04/04/06 03:26
ジジェクですよ
67 :
考える名無しさん:04/04/06 03:28
ヘーゲルカント批判はあまりに見事。
だれのおかげかな?
68 :
考える名無しさん:04/04/06 03:30
ヘーゲルのカント批判はカッコ良すぎ
69 :
考える名無しさん:04/04/06 03:32
ラカンを忘れるな。
70 :
考える名無しさん:04/04/06 03:43
デリダでつね。
>>65 >それで、どうして・・・
それでどうしてヘーゲル哲学を擁護するのか?ということでしょうか?擁護するというか、
僕も最近までカントが厳密にその使用領域を確定し、その越権を諌めた「理性」というもの
をヘーゲルはなぜ復活させてしまったのか?という考えでした。でもヘーゲルを読んでみると
それはちょっと違うんじゃないかと思うようになった。なのでこのスレに書いているんですが、
決定的な答えはまだ先です。勉強中なので。
72 :
考える名無しさん:04/04/06 03:44
脱構築が弁証法の後継な訳ですから・・・。
「かくしてカントによれば、最も高い段階にある思惟にとっては、規定性はあくまで外的な
ものであって、カントが絶えず理性と呼んでいるものは、その実まったく抽象的な思惟にすぎ
ない。したがって理性は(これが批判哲学の結論であるが)、諸経験を単純化し組織するための
形式的統一を与えるにすぎない。理性は真理のカノンであってオルガノンではないのであり、
無限なものに関する学説をもたらすことはできないで、認識の批判を与えうるにすぎない。
そしてこの批判というのが結局、思惟はそれ自身無規定な統一であり、そして無規定な統一の
作用にすぎない、という確言にあるのである」 ヘーゲル 「小論理学」 52章
74 :
考える名無しさん:04/04/07 01:10
弁証法って当たり前のことを偉そうに言ってるだけじゃない?
しかもいつも当てはまるとは限らないし。
形式論理学は必須だが、弁証法は別にいらないよ。
>>74 >弁証法って当たり前のことを偉そうに言ってるだけじゃない?
そうですよ、それは正しい。形式論理学は必須、というのも方法論的には正しい。
しかし形式論理学に留まり、それに固着すると、その「当たり前のこと」を取り逃がす。
76 :
考える名無しさん:04/04/07 01:18
弁証法は頭悪すぎ
77 :
考える名無しさん:04/04/07 01:19
確かに弁証法は頭が悪いが、形式論理学はあたりまえのことしか言っていない。
なんでもかんでも「止揚」って言えば済むと思ってるアフォが多いよね。
79 :
考える名無しさん:04/04/07 01:23
弁証法も形式論理学も常識。
今は強度だよ。
弁証法的、止揚等の言葉を頻繁に使う奴は馬鹿だと思った方がいい。
これまで、哲学本気組みが参加していません。
腕に覚えのある方、ぜひとも薀蓄を。
説にお待ちしております。
みなさん、出来ればある程度長文で書いてください。端的すぎて何が言いたいのか
よく解らない。
83 :
考える名無しさん:04/04/07 01:32
性的強度をもてあましている者ですが、早漏のヘタレです。
どうしたらいいでしょう?
>>83 どこから来たの?
ここは軽薄短小(w)の釣師が来るところじゃありませんよ。
ほかで釣堀を探してください増し。(w
>>84 Hegelian in Kyouto さん、何か書いてよ。ヘーゲルについてでもいいし、弁証法に
ついてでもいいから。
86 :
考える名無しさん:04/04/07 01:40
性的強度って一番濃密だと思うぞ。
87 :
考える名無しさん:04/04/07 01:42
だから強度が弁証法を過去のものにしたんじゃないの?
88 :
考える名無しさん:04/04/07 01:43
89 :
考える名無しさん:04/04/07 01:43
弁証法はいるいらないと言う風に扱えるものではない。
弁証法は思考が端的に則ってしまう規則のようなものであって、
選択したりしなかったりすることが可能な方法論などではない、
と了解しておりましたが。
90 :
考える名無しさん:04/04/07 01:46
弁証法なんて、意味の中に埋没すれば当たり前のように増殖
するんだよ。
形式論理学にいたっては「はいそうですね、それで?」で終わり。
強度に生きるしかないんだよ。
「強度」とはドゥルーズあたりの言う強度かな?
>>89さんのいうように弁証法は
主体の選択可能な方法論ではない。「この対象を思考する場合、弁証法を使うのは
的確か?」と問うたり出来るものではない。むしろ人が普通に物事を考える過程を
追っていくと弁証法になる。弁証法か強度か?という問題構成自体がナンセンス。
92 :
考える名無しさん:04/04/07 02:01
ようするに弁証法というのは意味に埋没してハイになってるだけみたいだな
93 :
考える名無しさん:04/04/07 02:02
形式論理学は単純に意味ねーし
94 :
考える名無しさん:04/04/07 02:11
形式論理学は当たり前のことしか言わないんだよね。
95 :
考える名無しさん:04/04/07 04:50
弁証法はオートポイエーシスに止揚される、と
皮本が言っていたとかいないとか・・・
96 :
考える名無しさん:04/04/07 05:00
弁証法は唯物論に堕落して、熱力学第二法則の誤謬的概念になってしまった。
97 :
考える名無しさん:04/04/07 06:01
98 :
考える名無しさん:04/04/07 11:16
唯物論が、正しくないから。
99 :
考える名無しさん:04/04/07 11:18
異論、珍論、Objection!
100 :
考える名無しさん:04/04/07 11:46
>>98 漠然としすぎてるよ。
(唯物論のどこが正しくないから)弁証法が唯物論に堕落したという文になるの?
そして、熱力学第二法則の誤謬的概念がなぜそれに当たるんですか?
101 :
考える名無しさん:04/04/07 11:48
98≠96
102 :
考える名無しさん:04/04/07 13:33
98≒96
98=96
説明できないくせに適当に書き込んだからドロンしただけと見た
104 :
プリン ◆YLH7yuks8k :04/04/07 14:25
>103
自分も出来ないくせに適当に書き込んでみたかっただけと見た
知恵遅れと見た
く((レ゚ -゚ノァ∩<つぼみは花となり 花は果実となる
言いたいことはあるが、ただで教えてやるのは業腹
ていうか、おまいら本気で自分らが物質だけの存在とか信じてないよね?
108 :
考える名無しさん:04/04/08 03:54
E?
魂の実在ですか?
109 :
考える名無しさん:04/04/08 03:58
教えて下さい。お願いします。
つまり・・・物じゃなくてテキストだっていうのが最近の話でしょ。
反復可能なもの、コピー可能なものが真の単位であるという、さ。
111 :
考える名無しさん:04/04/08 04:08
金か・・・・・・・
112 :
考える名無しさん:04/04/08 04:12
。 ∴;i| i ii|i; ∵。
。 ∵∴。;i| i ii|i; 。∴ __ ll
。∵ ;i| i ii|i;∵ 。 / ―――
∴ 。;i| i ii|i ∵; /
/⌒ヽ⌒ヽ
/ ヽ
/ ヽ あぁん?
/ ヽ
/ Y ヽ
/ 八 ヽ
( __//. ヽ ,, , )
丶1,,,,;;::::::::::: 八.,,,,;;::'''''!/
ζ" ,,,,,,,,, , ,,,,, , j
113 :
考える名無しさん:04/04/08 04:14
きみぃ、やりすぎ違う? もう、しょうがねえなあ、厨房は・・・
真の認識
意見に対し確信的テーゼ
認めざる得ない理論的アンチテ−ぜ
統合、全面的真理の認識。
人間は知ったかさんです。他者との向き合い、我に還る動き 要するに
行為、反省の動きで自らの人格を理解するだけではなく、
「弁証法」的に実現をしていくものなのです。人間は知ったかさんです。
単に理解を深める一仕方みではなく、存在する一つの仕方でもあります、
そこから現実的弁証法、若しくは現実性の弁証法の観念に還元出来る訳で
ヘーゲルが語る人類の歴史における、「一切の人間的現実の弁証法」について
語るのは、この意味になります。 ヘーゲルに由る
昔話しをすれば、力への崇拝に基づく奴隷制度は必然的に、その反対物
要は 最も高い価値としての内面性、精神に依存した宗教 キリスト教を
生ませた事になり、
歴史は、矛盾の法則に従い発展するものであり、歴史的現実こそが弁証法な訳で
多くの哲学体系の見解はこの弁証法の本性に関する相違が認められるものです。
調子に乗りマルクスまで書きたい処ですが、知ったかさんカッコワルイ お願いします。
>>114 >歴史は、矛盾の法則に従い発展するものであり、歴史的現実こそが弁証法な訳で
矛盾の法則って何ですか?
ヘーゲルは「理性とは現実的なものであり、現実とは理性的なものである」と言った
その講義を受けた生徒は「先生は現実は理性的であると言いますが、この世界の現実はちっとも理性的じゃないではないですか」と返した
その言葉を受けヘーゲルは「それは現実が理性的になってほしいということだよ」と言った後
「しまった!」という表情をしてばつが悪そうに退室したそうだ
対話としての弁証法の意義は認める
しかし弁証法的に語られたいかなる理論もまったく無意味であるとわたしは主張する
矛盾があるからこそ発展があるというのは正しいとしても
それは矛盾を放置すれば自然と-歴史によって必然的に-発展が導かれるというわけではない
矛盾を矛盾のまま放置することを避けようとすることによって発展が導かれるのだ
ヘーゲルの弁証法はその悪しき遺産として矛盾を許容する態度を産み出した
しかし、矛盾を矛盾のまま放置することは発展ではなく堕落を招く結果となるだけだ
我々は、アンチテーゼと向かい合いながらも、矛盾を拒否し、矛盾を回避することで発展を得ていくのだ
ジンテーゼという題目のもとに神の座に座るも良かろう
しかし、我々人間は神ではない
自らの無力さを知り傲慢さを捨てるならば、我々はジンテーゼなき弁証法に手法を委ね
永遠に続くアンチテーゼとの対話に身を委ねるべきである
「矛盾」は全ての認識および事物、社会の「発展過程」のうちに存在する。
われわれが享受している哲学は、時代を超えて、残ったものである。
人類の歴史は戦争の歴史という事実を、勘案すれば、優れたものを
残そうとした、私たちのご先祖のご苦労がそこに存在したことが、
すぐに了解される。
今、我々は、なにを私ら後輩の人々に残せるのか、残し得るのか?
この反省に立ったとき、<哲学>は、違った相貌を我々の前に
現すはずのものである。
118 :
fur es と fur uns:04/04/13 04:18
大学生になったばかりの青二才です。
ものの本にはよく弁証法というキーワードが出てきます。私もいくつか
入門書を読んでみましたが、はっきり言ってよく分かりません。何だか
「言葉遊び」に近いような胡散臭さを感じてしまいます。
そもそも弁証法とは知的活動のTool或いは方法論として今でもなお
有用or有効なものなのでしょうか?
119 :
考える名無しさん:04/04/13 04:27
ヘーゲル弁証法の凄さが伝わる入門書は多分ないでしょう。
ヘーゲルには深遠な洞察とハッタリが満ち満ちています。
120 :
考える名無しさん:04/04/13 04:31
ジジェクの本あたりを読んだほうが、弁証法が
いかに現代的な意味で実践されるのかがよく分かる鴨。
教科書で弁証法の方法が記述された途端
弁証法は死ぬ。
121 :
考える名無しさん:04/04/13 05:39
おはようございます。
>120さん そうですね。
弁証法は単に言葉遊びとは訳が違いますよね。
実践的 尚且つ身をもって経験・体感できる最高の哲学ですね。やはり
文面でダイレクトに理解したければ
現代的で、経験ある大人の言葉が最も理解し易いのではないでしょうか?
昭和を生きた日本の親父の言葉、柄谷さん辺りがお奨めではないかと思います。
人生感が重要です。
君の哲学は非合理な現実を無視する消極哲学だよ君
事実存在に目を向けなさい君、君
>>118 概説書などでは、弁証法は思弁を積み重ねて「上へ上へ」というイメージがありますが、
このイメージが多くの誤解を生んでいるといえるでしょう。むしろ、硬直化した抽象的
思惟(こっちのほうがまさに「言葉遊び」だ)を自壊させながら「中へ中へ」という思考
こそ弁証法といえると思います。だからこそヘーゲルはこれだけ馬鹿にされながらw、
現在もその価値を失わない。
>>119-123 ご親切にレス有難うございます。
小生が高校時代に読んだのは、岩波新書、講談社現代新書、中公新書等
の書店でよく見かける入門書です。三浦某の御都合主義的、断片的かつ
胡散臭い説明よりも中埜肇氏の説明の方が分かりやすかったのですが、
著者によって捉え方や説明の仕方が違うので、少々頭が混乱しておりました。
(日本の某政治政党の教科書や旧東独共産党の教科書もちらっと目を通し
ましたが、真面目に読む気にはなれませんでした。)
何となく朧気ながら弁証法の輪郭は見えてきたものの、そのエッセンスという
のが"体系的に"つかめないのでイライラしています。今は父親(既に他界)の
本棚にあったローベルト・ハイス、マルクーゼ、加藤尚武、廣松渉の著書を読
み始めましたが、廣松氏の説明は非常に面白いです(勿論、文章自体は難し
いのですが(笑))。これから大学でドイツ語を勉強し、ヘーゲルなども原語で
読んで見たいと思っております。
ただもの弁証法の方がいいよ
>>124 すごいですね。僕はただの高卒のフリーターなのであっという間に追い抜かれそうですw。
個人的な経験からいうと、エッセンスを体系的につかむ、には邦訳でもヘーゲルの著書自体を
読むのがいいと思いますね。文章を楽しむというか、軽薄に言えば小説を読む気分で読むといい
かもしれない。ヘーゲルやハイデガーには「習うより慣れろ」というのが案外有効だと思う。ヘー
ゲルは驚くほど独自の術語の使い方をしています(特に「理性」という言葉に注意)。
それと「カント哲学との差異」「ヘーゲルは本当にカントを論破したのか」みたいに、カント
との関係で考えるとわかりやすいかもしれません。と偉そうなことを書いていますが、僕もまだ
全然勉強中の身です。失礼しました。がんばってください。
今までは形式論理学以外の弁証に関する法則を弁証法と呼んでいたが、
脳科学が発展し、脳が言語を扱う際の脳細胞すべての挙動が解明されれば、
弁証法は形式論理学を含む弁証に関する法則すべてを指す言葉になるのでは
ないでしょうか。
>>127 脳科学にはとても興味があります。ただ、書店で脳科学に関する本を探してみても
なかなかピンとくるものがないのです。脳科学に関するスレッドを読んでも、相変
わらずの「哲学は終わってる」程度の話しかなかったw。もしその手のいい本があっ
たら教えてください。
>>128 脳科学はまだ始まったばかりといえる。脳科学で解明されたことは少ない。
したがっておすすめできる本もないです。
ちなみにどんなことが知りたいのでしょうか。
130 :
考える名無しさん:04/04/16 02:23
ヘーゲル弁証法での労働の「疎外」は人間性の発露や実現であったが、マルクスは
疎外された(よそよそしくなり、生み出した自己と対立するという意味での)
労働ということになった。
131 :
考える名無しさん:04/04/16 20:39
一般に諸過程には内在的な対立しあう契機があるが、それらの矛盾は互いの契機を己の否定として否定しあうだけではない。矛盾自体の量的変化としては、
過程そのものが新たな構造生成的過程として自己自身を質的に変化せざらずんば
矛盾の解消としての他在の自己への回復は実現せられ得ぬものである。それゆえ諸過程の外部がさらに、この過程の対立物として現れるのであり。(以下略)
132 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/04/16 20:40
自己愛性人格障害、を隔離するのを再優先にしたらどうかと。
(脳障害の自己相対性の無さを本人に気づかせるのは無理でしょう)
133 :
考える名無しさん:04/04/16 21:29
生成的過程に対し対立物として外部に出現したものが自己疎外の本質的なものである。
134 :
考える名無しさん:04/04/17 01:14
マロニエの根っこが「吐き気」を催すのは、「存在」の意味を把握しようとして
生成しつつある意識という過程に対し、外部のマロニエの根っこに「新たに」
「無意味さの露呈」という様相で出現した「自己疎外(外化)」としての「対象」
なのである。
135 :
考える名無しさん:04/04/17 01:26
このことは、フロイトの「投影」あるいはマルクスの「物神性」と関連するが
さしあたりおいておく。
136 :
考える名無しさん:04/04/17 01:36
弁証法と言う科学は乗り越え不可能だ。
137 :
考える名無しさん:04/04/17 02:12
弁証法は科学じゃないけどね。
138 :
考える名無しさん:04/04/17 02:14
つーか「乗り越え」の「動的な論理」を明らかにしようとするものでしょう。
139 :
考える名無しさん:04/04/17 02:23
弁証法が科学でなければ意味ないじゃん
140 :
考える名無しさん:04/04/17 02:29
三浦つとむを読んで言ってるわけ?
141 :
考える名無しさん:04/04/17 02:33
弁証法は科学というより、やはり哲学の範囲ですね。
142 :
考える名無しさん:04/04/17 02:39
143 :
考える名無しさん:04/04/17 02:46
>>142 昔も今も弁証法は科学ではない。術→論→法みたいな展開はあったが。
144 :
考える名無しさん:04/04/17 02:48
2ちゃんねるすごすぎ
哲学は今も、切実な問題解決に有効でしょうか?
そして、弁証法は、その復権はあるのでしょうか?
私には、分かりません。
混沌とした世界情勢の今こそ、<哲学>と<弁証法>の出番のような気がするのですが。
道は険しいですね。
146 :
考える名無しさん:04/04/17 03:21
そこらを言うと、弁証法はマルキシズムの退潮とともに勢いを失った。
それ以前にスターリニズムによる形骸化で、すでにダメになっていたともいえるが
あとは、サルトルの「弁証法的理性批判」という試みもあったが、やや不発に終わった。
ジジェクなどが言われているようだがどれほどのものか?
147 :
考える名無しさん:04/04/17 03:27
エンゲルスなどが自然科学に弁証法を適用しようとしたのも疑問が多い。
148 :
考える名無しさん:04/04/17 03:33
サルトル自身「現象学」と弁証法を統合すべきだったのだ。
他にもチャン・デュク・タオなどもいたのだが・・・
>>134は、その試みである。
「名無し」は仮象的他者として無規定な抽象としての一般性であるが、
当の他者が固有な本質において把握される時、他者一般から区別され、
個別性を持つ者として現象してくるのであって、これが現前の意味である。
150 :
考える名無しさん:04/04/28 00:52
プッ。
>>149
>>「名無し」は仮象的他者として無規定な抽象としての一般性
「名無し」は21世紀初頭におけるいわゆる先進諸国一般における
大衆現象としての、日本における必然性として出現した2CHにおける
<自由な発言>を保証するところの匿名性であって、この低脳の言う
<仮象的他者>でもなければ、<無規定な抽象としての一般性>
(筆者注:認識論のある段階、ヘーゲルは全ての著述が認識論である)
などではない。
>>当の他者が固有な本質において把握される時、他者一般から区別され、
個別性を持つ者として現象してくる
一見難解にみえる語彙を使用しているが、おそらく低脳は、こう言いたかった。
「それぞれ、発語者には、発語に至るまでの認識の活動過程を内包している。
それは、発語者が、社会的生活を維持している以上共同規範としての性格を持つ
その社会・時代の言語によって規定せざるを得ない。また、それ以上にその
発語者の精神形成に大きく関与した個別的生育環境によっても又、規定される。
つまり、個々人の発現は、任意の自由な発現に見えても、いわば、認識論的
法則性によって規定される。
人をなめるんじゃないよ、低脳君。
153 :
考える名無しさん:04/04/29 08:53
ヘーゲルなど読んだことないけど字面から判断するに(じゃあ言うなって感じでしょうが)、
>「名無し」は仮象的他者として無規定な抽象としての一般性
この場合の他者は、三人称の他者、あらゆる他者のうちの匿名の誰かを指していて、
或る「名無し」を他の「名無し」から区別できる決定的な既定が存在しない(自作自演の可能性があるため)
が故に、固有な「名無し」としてではなく、没個性的な「名無し」として、「名無し」一般として
了解されている事態のことを言っているんじゃないかな。
だから、
>当の他者が固有な本質において把握される時、他者一般から区別され、
>個別性を持つ者として現象してくる
場合における他者とは、二人称の他者、匿名の他者ではなくていわば顔のある他者のことを
言っており、たとえば或る「名無し」が、以前にあのを発言し、後にこの発言をし、現在はその発言をし、といったことが
明確にわかって、それによって他の匿名の「名無し」とは違い、個別的に認知された「名無し」として
了解されるにいたった事態のことを言っているではないですか。
154 :
考える名無しさん:04/04/29 11:31
よくできました。
>>153 >ヘーゲルなど読んだことないけど字面から判断するに
ヘーゲル読んでないやつが哲板来るなよw。
もちろんヘーゲルを読まなくても、哲学は入門可能である。
ただし、大海にこぎ出したなら、ヘーゲルはやがて、大陸として
その真摯な視界に入ってくるはずの物である。
これがわかるなら、弁証法と哲学の関係も自ずと見え始める
ものなのだが。
攻略本じゃないのだから、それ相応の根気と学究心がいる。
本当に哲学を志す物には、常識なのだが、ハッタリだけのおまえに
あえて、忠告をしておく。
157 :
考える名無しさん:04/05/08 12:38
156 名前:考える名無しさん 本日のレス 投稿日:04/05/08 04:32
~~~~~~
こんな時間まで2ちゃんねるですかw
挙げてみよう。
159 :
考える名無しさん:04/05/16 02:30
ラッセルを嫁、ポパーを嫁、こんなものにかかわってる時間があればちゃんと勉強しろ。
哲学とは、世界の事実・事象から演繹された、世界を丸ごと
捉えようとする人類の歴史的知的営為である。
弁証法とは、世界の事実・事象を解明しようとして人類が気づいた
世界そのものに存在する、人類から見られた法則性である。
・・・・・・
そして、その歴史を忘れて、哲学不毛の現在を迎えているのである。
お分かりか?
>>159 藻前え、抜けてるだろ。
ヘラクレイトス、アリストテレス、ガレーヌス、
クザーヌス、カント、シェリング、ヘーゲルが。
そのあとだな。
おまえのいう<ラッセルを嫁、ポパーを嫁>。
吉野家の牛丼を食って、神戸牛を食ったつもりなら、
何も言わないが。(w
やっぱり、誰も答えられないか。
それでは、沈黙しかないな。(w
本当に哲学を志す物には、常識なのだが、ハッタリだけのおまえに
あえて、忠告をしておく。 (プッ!
165 :
考える名無しさん:04/05/16 03:35
ヘーゲルの弁証法とは、
対立するテーゼとアンチテーゼがあって、
両方の良いとこを保存して、高次の合(ジンテーゼ)に高める。
(これを止揚といいます。)
これが弁証法です。
定立(テーゼ)⇔ 反定立(アンチテーゼ)
↓
合(ジンテーゼ)
>>164 哲学の定義を言ってみろ。
もし、いえたらで良いのだが。(w
>>165 世間一般にそういう誤解が流布している。
だが、それは、日本では明治時代の古いとらえ方であり、
大正時代には、乗り越えられている。
>>165 このほうが解りやすいよ。
「抽象的側面 あるいは 悟性的側面」
↓
「弁証法的側面 あるいは 否定的理性の側面」
↓
「思弁的側面 あるいは 肯定的理性の側面」
「一方では悟性は現象しか認識しないことを認めながら、他方では『認識はそれ以上に
進むことはできない、そこに人間の知識の自然的な、絶対的な制限がある』と言うこと
によって、この認識が絶対的なものであることを主張するのは、この上もない不整合で
ある」ヘーゲル「小論理学」第60章
上記のヘーゲルによるカント批判を「言葉遊び」「禅問答」と取るか、「カントの乗り
越え」と取るか、は大きな試金石となると思います。もちろんラッセル、ポパーは前者
の見解。
173 :
考える名無しさん:04/05/16 06:20
>>172 わかりやすい分水嶺だ。
ポパーだと、なぜ科学が反証主義を取ることが有効なのかとか、
なぜ科学が反証主義を取るのかということで、かかわってきそうなもんだが。
「抑圧」ですか?w
分析哲学のせいでヘーゲルに、構造主義のせいで現象学に、偏見を持ってる人がけっこういそう。
174 :
考える名無しさん:04/05/16 21:16
ラッセルとポパーはヘーゲル弁証法批判で有名だからあげてるんだろが。それを読めば目がさめる・・・かな。
>>159
なにもわかっとらんなこの低脳は。
弁証法は真剣に意味わかりません。
哲学辞典とか読んでも、さっぱりわかりません。書いている人が
わかっているとも思えません。
カントのカテゴリーみたいなものなんでしょうか。つまり
「人間が世界を認識しようとするとき必然的に従う枠組み」のような。
あるいは
「いろいろな科学的発見や理論の積み重ねの結果、そのすべてに共通する
弁証法という法則が発見された」という意味なのでしょうか。
あるいは端的に
「神様が世界を弁証法に基いて創ったから世界は弁証法的だ」
というニュアンスでしょうか。
>>175 >カントのカテゴリーみたいなものなんでしょうか
「人の思考形式を束縛する枠組み」ということならば一面で合っていると思います。
例えば人が「Aというこのもの」を直接的に認識するという場合、
Aを認識する→A以外のものではないものとしてAを認識する→Aを認識する
という過程を必ず取るということです。最初と最後は同じ「Aを認識する」ですが、
中身は違っています。例えば、今は昼である→今は夜や朝でなく昼である→今は昼である
ぶっ続けで昼間から深夜まで議論をしていた人達から「君はさっき『今は昼である』と言った
じゃないか、矛盾してる!」などというバカげた論点が出ないことは自明です。つまり
「今は昼である」という、通常では直接的認識と言われているものが、実は上記の思考過程
により媒介されているということがわかります。
177 :
考える名無しさん:04/05/17 19:02
>>176 暑さや寒さを感じる時も媒介されているのですか?
178 :
考える名無しさん:04/05/17 19:16
マルクスが、「微分は矛盾である。何故なら0÷0は矛盾だからだ。
よって微分は矛盾から止揚した弁証法の典型例である」
とかいったみたいだけど、まさかこのスレの方もそう思っているの?
暑さは寒さによって暑さである。
Aは非AによってAである。
180 :
THE グル:04/05/17 21:56
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
181 :
考える名無しさん:04/05/17 21:59
弁証法って酒井の読解法じゃないの?
182 :
考える名無しさん:04/05/17 22:04
マル・エンの言う「科学的」は噴飯物なのが多いよね・・・
量的変化の質的変化への転化の法則
の例として、
「水は標準気圧のもとでは、摂氏零度で液体状態から固体状態に移行し、
摂氏100度では液体状態から気体状態に移行するのであって、
従ってこの場合にはこれら 2つの転換点では、温度の単なる量的変化
が水の質的に変化した状態をひき起こすのである。」
トホホだね・・・
弁証法を主張する人は、微分は矛盾していると主張するのか…?
>>183 その辺の記述で○・縁から距離をとるようになった人は結構いるよね。
そういえば、エンゲルスが電気かなんかの働きを弁証法で解説していたのがあったが、
(確か反デューリング論だっけかな?本の題名失念)
あれもトホホだな。
185 :
考える名無しさん:04/05/18 04:24
ヘーゲル的には自然科学そのものは成ったものとしては悟性レベルにある学であるが、その真理を見出す
理性の運動や対象およびその概念の変化は弁証法的なものだ。
ということになるのだろう。
186 :
考える名無しさん:04/05/18 11:05
>>183-184 「自然の弁証法」でしょう。
それと、「弁証法の三大法則」や、「自然科学に見られる弁証法」を主張したのは
エンゲルスであり、マルクスではない。
そのへんのところは、最近ご無沙汰のかのOFW氏もマルクス・スレで、
上記のような「弁証法解釈」を一笑に付してますた。
187 :
考える名無しさん:04/05/19 00:40
マルクスの微分はどう説明するわけ?
190 :
考える名無しさん:04/05/19 01:26
>>187 187じゃないけど「数学手稿」かマルクスが微分積分の研究したノート。
MEGAになら入っていると思うけど。
191 :
考える名無しさん:04/05/19 02:36
192 :
考える名無しさん:04/05/20 16:19
>>186 坂田昌一、武谷三男(素粒子論)はエンゲルスの自然弁証法に一目置いていた。
マルクス・エンゲルスにかかれば運動するだけで矛盾なんだから、
今さら何が矛盾と言われようと驚くことはないと思うんだが。
一番わからないのは、弁証法というのは
1.観察や実験の結果から帰納的に導き出された法則性
2.直感によって捉えられた「世界の原理」みたいなもの
どちらなのでしょうか。
「実証的な検証」の対象になり得るものかどうか、ということですが。
194 :
考える名無しさん:04/05/20 18:35
原理と言うより、特定の場合に威力を発揮する考え方。
何でもかんでも適用できる訳じゃない。
195 :
考える名無しさん:04/05/20 23:44
武谷は物理学者としてはまったくの三流で駄目
坂田はクオークモデルの原型を作った。その際に武谷の三段階論がヒントになっている。
しかし、アイデアの源泉とアイデアそのものは区別すべき(夢がヒントになる場合を考えてくれ)という常識を押さえれば
弁証法の正しさの傍証にもならない。
弁証法批判はポパーのものが徹底的だけど、形式論理学からの定式化もあるので
http://plato.stanford.edu/entries/dialetheism/ 一概にバカにできない。
196 :
考える名無しさん:04/05/21 07:40
「弁証法」って言いたいだけちゃうかと
197 :
考える名無しさん:04/05/21 19:13
自然演繹か
198 :
考える名無しさん:04/05/21 19:36
abduction
199 :
考える名無しさん:04/05/28 01:19
age
200 :
考える名無しさん:04/05/28 01:43
201 :
考える名無しさん:04/05/28 07:28
>>200 中身は読んだ?
Priestはleading logicianですよ
外見に惑わされずによく読んでみてください
Stanfordの辞典も英語圏にいくつかミラーがあって、
参照されることも多いweb resourceです
202 :
考える名無しさん:04/05/29 02:39
>>200 弁証法は西洋生まれなんだが。
だといって、現代においてもそこで優位がどうか、精査してみては。
204 :
ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/08 21:53
あげとこうっと。
弁証法を無視して、浴哲学が語れるね、竹田君。プッ!
あとで読みたい保守
207 :
考える名無しさん:04/06/13 02:20
age
結局、哲学なんてイメージだけでしか分かってない。
そんな脳内中が、あるときは、マスターベーションで、
あるときは、夜郎自大で何かを語る。
所詮2CHだもんな。
おまえらには、弁証法と哲学なんて、100年早いわ。
209 :
考える名無しさん:04/06/16 16:26
210 :
考える名無しさん:04/07/02 13:02
>>209 「科学」という概念を「自然科学」と同じだと考えていると、
>>183みたいな恥ずかしい見解を述べることになる。
ということは、科学の定義が重要と言うことだな。
科学は歴史性を帯びている、もちろんのことだが。
それで、現在の人類の到達地平ではどうなるのか?
ヘーゲルハウス
/|
|/__
ヽ| l l│<ハーイ
┷┷┷
ハーイ!
ところで、「睥睨するヘーゲル」ってオヤジギャグみたいな本があったと
思うけど、読んだ香具師いる?
Graham Priest
来日中
215 :
考える名無しさん:04/07/11 04:08
だから、なに?
216 :
考える名無しさん:04/07/20 22:29
ところで、
Dialetheism ←これ、どう訳すものなんでしょうか?
theism=有神論、一神教、にカケてるんですよね?
dialetheia=true contradictionというのも、よく分からない。
唯弁論???
ところで、やっぱヘーゲルて偉いっしょ。
やっぱり、だろ?
218 :
考える名無しさん:04/08/14 22:01
スレ読んで考えて思ったことは
「純粋理性批判」 → 「弁証法」
解釈して
という感じに思えました
「純粋理性批判」は概念を捉える方法論、
「弁証法」は概念を捉えた後に他の概念と結びつけたときに
どのような変化が起こるのかを一部て意義付けているモノのように思えます。
つまり、定義なので「弁証法」自体にきっちりとした枠が無い
んで、もひとつ思ったことが
「弁証法」って、物語とかのネタ考えるのに使えそう(ぉ
>>218 全然はずれ。残念でした。
>「弁証法」って、物語とかのネタ考えるのに使えそう
というのはある意味正解。弁証法を意識していれば物語が単線的にならない。
220 :
考える名無しさん:04/08/14 22:25
>>219 ということは、「弁証法」ってのは単なる言葉遊び?
>>218 まず、>「純粋理性批判」は概念を捉える方法論
という文章がどういう意味かわかりませんが。
222 :
考える名無しさん:04/08/14 22:48
>>221 「純粋理性批判」は、純粋(先天的)理性があるかどうかを確認したものでした
ただ、理性というものを得るには、概念が必要であったり、その概念が
どこからどのようにしてくるものなのかということも述べられています(証明に必要なので)
横レス
カントは物自体世界と現象世界を考え、物自体は人間には不可知であるとし、
確実な認識を現象世界に限った。このことによってカント以前の合理論のもつ
独断論、経験論のもつ独我論を論破し、いいところを統一したわけですが、
すぐにそのカントに文句がついた。例えば、カントは因果関係の確実性は現象界
に限り妥当するとしたが、それ以前に、物自体からの触発と悟性が結合して認識
が生まれる(つまり物自体→現象、という因果関係を認める)と言っている。ならば、
「因果関係の確実性は現象界に限り妥当する」という主張と矛盾する。
ここらへんからドイツ観念論が始まる。
224 :
考える名無しさん:04/08/14 23:19
>>223 「物自体→現象、という因果関係を認める」
と
「因果関係の確実性は現象界に限り妥当する」
という主張がどのタイミングで出ているかは私はしりませんが、
後者が前者より前に出ている主張だとすれば、撤回している(と私は考えた)ので
矛盾しているとはいえないと思います
むしろ、哲学を自分で歩んでいくとその上でいくつも今までの考えを否定せざる終えないことというのは多々あります
それが矛盾であり、その撤回なんだけど・・・・
>>224 えっ?撤回もなにもないよ。
「純理」を普通に読めば「物自体→現象、という因果関係を認める」
と「因果関係の確実性は現象界に限り妥当する」の両者がないと論自体
が成り立たないじゃん。間違っているかどうかは別にして。
226 :
考える名無しさん:04/08/14 23:32
>>225 ( Д) ゜ ゜
そ、そうなんですか・・・?
っていうか、「純理」読んでて「因果関係の確実性は現象界に限り"妥当する"」なんて無かった覚えが・・・・
「物自体→現象、という因果関係を認める」
↑こちらに近いものはあったと記憶してるんですが。。。。
訳ちがい?
>>226 それは「純理」からの引用じゃないっす。「純粋理性批判」→「弁証法」が話題に
なってたのでカント後のドイツ観念論がカントに対してした批判を書いただけ。
今手許に「純理」がないのでテキスト読解レベルの話は出来ませんが、カントから
その後のドイツ観念論へ、という流れのスタートは
>>223で大筋合っていると思い
ますよ。
228 :
考える名無しさん:04/08/14 23:52
>>227 となると、「純理」後にでた「弁証論」を考えた上でなにか考えが浮かんだのか変わったのかな。。。
けど、この考えも「弁証論」。。。。
何がなんだか・・・・ ○| ̄|_
>>228 だからさあ、カントの「弁証論」とヘーゲルの「弁証法」は「弁証」という言葉が
同じなだけで、内容は真逆なわけ。カントの場合、理性は分別を知らずに「弁証論」
まで行ってしまう性質を持つが、それはアンチノミーを生むだけの理性の越権とした。
ヘーゲルはそれは越権どころか、そのアンチノミーを止揚して進むところがまさに
理性という能力の核心とした。
230 :
考える名無しさん:04/08/15 00:09
>>229 なるほど、二律背反かぁ。。。
そうなると確かにヘーゲルの説が正しく思えてきます
>>230 たぶん俺の説明はかなり雑だよw。ドイツ観念論に焦点を当てた哲学史を読んで
いただいたほうがわかりやすいと思います。では。
232 :
考える名無しさん:04/08/15 00:16
>>231 どうもありがとうございました。
m(_ _)m ペコリ
>>232 いえいえ、こちらこそ失礼いたしました。
哲板に珍しくまともなやり取りが書き込まれていて
ちょと嬉しい。
235 :
考える名無しさん:04/08/17 11:12
↑ほんとに。
236 :
考える名無しさん:04/08/17 20:11
やっぱ、三浦君のあの講談社の弁証法の教科書ダメかな?スッゲー読み
やすくって、判りやすいんだけど。
237 :
考える名無しさん:04/08/17 23:08
238 :
考える名無しさん:04/08/18 23:29
三浦つとむの本も"中学生・高校生向けの入門書"としては悪くはないかも
知れないが、所詮は「寺子屋の教科書」のようなレベル。 ヘーゲル、マルクス、
レーニン、スターリン、毛沢東の断片的・独善的な解釈の寄せ集めに過ぎない。
哲学スレで語るにはあまりにもレベルが低すぎる。
いやしくも弁証法を真面目に勉強しようと思うなら、直接ヘーゲルやマルクス
と格闘すべきであるし近道はないと心得るべきだが、敢えて参考書として
挙げるならこれだ。
廣松渉 『弁証法の論理』
文体はとっつきにくいし、難渋な表現も多いが、現在の日本でこれ以上の
参考図書はないと思う。特に、ヘーゲル弁証法の舞台裏(舞台回し)の解明
は圧巻であるし、非常にわかりやすい。
>>238 >廣松渉 『弁証法の論理』
そーかあ?あれはかなり廣松的バイアスがかかってる(廣松の本はほとんどそうだがw)
気がするな。
俺は船山信一の「ヘーゲル哲学の体系と方法」がおすすめ。
ちょっと左寄りなら見田石介、岩崎允胤が面白かった。武市建人の解説はイマイチ
だった。
240 :
考える名無しさん:04/08/18 23:48
広松なんて、「本は難しく書かなければならん。自分で分からなくても、難しければ難しいほどいい」といってた人物だぞ。
>>238 >いやしくも弁証法を真面目に勉強しようと思うなら
あなたは何のために弁証法をまじめに勉強してるの?
趣味? 娯楽? それとも別の目的?
廣松はどんなものを書くにもさりげなく(人口に膾炙してない)持論を混ぜるとこに
いやらしさを感じる。そのいやらしさが無駄に叙述を難しくしてるんだよ。
ハイデッガーやヘーゲルの表現・言い回しに比べたら広松なんてかわいいもんだろう。漢字は多いけど。
俺は「存在と意味」はぶっちゃけ1ページも読めなかったよ。全くわからなかった。
これが本当に「マルクス主義の地平」と同じ著者の本かよ、と思った。
ハイデッガーやヘーゲルの表現・言い回しのほうがまだ全然わかりやすくないか?
そういやぁ、エロ松先生が死んでから今年でちょうど10年目だべさ。
いけねぇ、「存在と意味」まだ読み終わってねぇよ。つーか、内容忘れちまった。また最初からか・・・・。
広松は無意味に難しくしてるだけ(これは本人が自白している)。
ほとんど内容はないよ。
・・・即自的な直接性におけるフェノメノンが"原始函数"的構造性において被媒介性を対自化され、
「四肢的構造成態としてのフェノメノン」という相で即且対自的に統一されたもの、そして"原始函数"
的規定性において能媒介性を有つもの、これがわれわれの体系構成における「端初」たるべきもの・・・・・
何のこっちゃ????
要は、廣松特有の言葉遣いに慣れればいいだけであってさ。
内容はむしろ平素だし説明はくどいぐらいだよ。
>廣松特有の言葉遣い
だからこれがくせ者、というより、これが広松の売り。
言葉の難しさで独自性を出す、これしかできなかったのが広松。
がんばって読むだけ無駄、がんばるに価しない内容。
結局、廣松の『弁証法の論理』は弁証法の解説書としては使えないってことだな。
俺はヘーゲルの「哲学入門」岩波文庫 のほうがオススメ。
あれは今で言うチャート式だよw
いわゆる廣松哲学というのはまあ確かに
評価は境界線上だが、
文献学まで踏み込んだマルクス論と
「近代の超克」論のような歴史家的な仕事は
本当に一流だと思うよ。そこはちゃんと見るべき。
俺も廣松の情熱のようなものと、散りばめられたトリビアは好きだな。
本によるけどね。
>本当に一流
笑わすな。
これ以上の廣松論争はスレ違いだよ。やめて弁証法の話に戻るか、スレ移動するかしてね。
257 :
考える名無しさん:04/08/19 01:04
儂は廣松が好きじゃがのぉ。あのコテコテのヘビーメタル・ハードロック
のような文体じゃないと脳細胞が反応しなくなったわい。Terminologyに
慣れれば、内容は比較的理解し易いぜよ。
まぁ、賛否両論あるが、それにしても骨太の哲学者じゃったのぉ・・・・。
258 :
考える名無しさん:04/08/19 01:15
もうは廣松いいだろ。
廣松について、何を議論することがあるんだ。
259 :
考える名無しさん:04/08/19 21:09
238さん、こう理解していいのかしら?
つとむ君のあの本は断定的で独善的かつガキんちょ向けレベルだが、
間違ったことは書かれていない。
>>259 あの本は比喩が古いから読みにくいというのはある。
でもああいうスタンスで書かれた本は今では殆どないから(逆に70年代までに
書かれた弁証法入門はあんな感じのばかり)、弁証法の入門書としてはユニーク
でいい。ただし、純粋にヘーゲル弁証法の解説としては読めない。やはり、マル
クス、エンゲルス、レーニンの弁証法の通俗的解説書と割り切って読むべし。
261 :
考える名無しさん:04/08/20 09:16
260さん、すっごく明快なレスありがとうございました。
あっと、259です。
実はもう学校の図書館で同書を借りてあるんで、10時か
らの補習で読み始めます。
>>259 遅レスすまん。
本屋に行くと「90分でわかる○○の本」とか「図説△△」というノウハウ入門書をよく目にする。
誤解を恐れずに乱暴に言ってしまえば、今となっては"つとむ君の本"もこれらと大同小異と
いうこと。
1950年代〜1960年代の時代状況に於いて、あのような入門書を以って世の中の読書人や
多少なりとも問題意識をもって物を考えようとする人々に対して、弁証法の手ほどきをする
必要性があったのは確かである。また、それは時代の要請でもあったと思うし、事実あの本
はその役目を果たしたのだと思う。市井の学者としてのつとむ君の学者的姿勢も十分伺える
本ではあるし、当時あまた出版された同類の有象無象の入門書を尻目に今日までsurvive
しているのは大したものだと思う。
しかし、所詮は"手ほどき入門書"である。この本をたとえ百回読んだところで弁証法を自己の
方法論として鍛え上げるのは無理というもの。直接、ヘーゲル、マルクス等と知的格闘を
されたし。 その後で、フランクフルト学派のアドルノ、マルクーゼ、ホルクハイマーや実存主義派
のメルロ=ポンティやサルトルなどに手を伸ばしてもいい。勿論、日本の西田幾多郎や田辺元
は言わずもがなである。廣松渉、加藤尚武、高橋洋児、中埜肇、舩山信一なども然り。
>>263 言葉が足りずにすまん。
「言わずもがな」というのは「手を伸ばして読んでみるべきであるのは言うまでもない」
という意味。
265 :
考える名無しさん:04/08/20 17:53
259です。学校の補習授業からもどってきたところです。
"238じゃないけど"さんのレスを読んで、「いただきー」と思っ
たんですが、いま238さんのレスを読んでいっぺんに落ち込んで
しまいました。
でもよく読んでみると、"238じゃないけど"さんの言っているこ
とと238さんの言っていることは基本的には一緒ですよね。
つとむ君のあの本では奥まではいけないということ。
だから、生意気な言い方をしてしまうと、わたしが何を求めている
のかということだと思いました。
弁証法のぼんやりとした形みたいなものでいいのか、ちゃんとした
弁証法を勉強したいのか。
トホホのわたしですから、もう結論は出てるんですけどね。
"238じゃないけど"さん、238さん、ありがとうございました。
>>259=265
随分と突き放したような言い方をして申し訳なし。
でも、貴殿の勉学心と向上心を大切にしてくだされ。三浦つとむや中埜肇
を入り口として、この知的世界に遊ぶ(苦しむ?)仲間が増えるのは大歓迎!!
267 :
考える名無しさん:04/08/20 20:58
三浦さんの本を読んで、なにかに役立てようとするなら、
なにかしの専門を持って、直接に弁証法を適用させてみないとダメだよ。
268 :
考える名無しさん:04/08/21 08:31
>>267 その通り。三浦つとむは弁証法を、「問題解決のための武器」と捉えている。
三浦自身もその武器を使って、言語論や組織論などで成果を出している。
自分の問題を解決したい!と願う人だけが、三浦つとむの弁証法の威力が分かる。
逆に、アカデミックに、ヘーゲルやマルクスのことを知りたいだけなら、
三浦つとむの『弁証法はどういう科学か』はあまり役立たない。
それこそ「90分でわかる○○の本」とか「図説△△」というノウハウ入門書
と同じといわれても、そんなにおかしくない気がする。
弁償砲の威力・・?
270 :
考える名無しさん:04/08/21 09:48
ついでに、ミューラー便詳報は「病気解決のための武器」と捉えなおすべし。
その色・香り・形状・硬軟度・出具合等の便詳報をお待ち致します。
271 :
考える名無しさん:04/08/21 10:39
上のほうで弁証法理解したけりゃコレを読めみたいな
おかしくねえ?
直接ヘーゲル読まないとヤバクねえ?
毛沢東みたいな奴が量産されねえ?
馬鹿弁証法
272 :
考える名無しさん:04/08/21 14:22
↑
うん、判るけんど相手をみて説けっつーか、上の場合には相手が多分
未だ高校生?でせうが。
そんでもしょっぱなから、敵はヘーゲルにありって、しちまうかい?
それに、上の場合ではどんな入門書でもOKってな具合にはなってない
んで、トホホな高校生らしいが、後は彼or彼女にオ・マ・カ・セで手を
打とうや。
273 :
考える名無しさん:04/08/21 21:44
直接ヘーゲル読んで分かるんだったら、誰も苦労しないよ。
能力ないくせに努力が大嫌い、だから安直大好き、泣き言も多い・・・・・・・・w
ニヤリ
>>274 そういうこというなよ。ヘーゲルの勉強には解りやすい取っかかりみたいなのは
絶対に必要だと思うぞ。ヘーゲルみたいに巨大な思想家を相手にするには、間口は
広いほうがいい。
>>275 確かにそうだね。「取っ掛かり」は必要だよね。その後は努力次第・・・・・ということかな。
三浦つとむなんかも取っ掛かりとしてはいいかもね。
ヘーゲルの考え方を知るためには「小論理学」所収の予備概念を読むのが一番いい。
しかしあれは、カント以前の哲学の流れとカント思想の登場の必然性をある程度理解
していなかったら絶対に読めないように書いてあるので、読んでわからなかったら、
ヘーゲルを読むのは時期尚早と諦め、まずはカントを読んだほうがよい。これ真実。
278 :
考える名無しさん:04/08/28 20:29
↑
"ヘーゲルの考え方"じゃなくって、"ヘーゲルの弁証法"を知るにも奸徒を
読めってっか?
279 :
考える名無しさん:04/09/01 11:24
↑277はそう読めるな。
"ヘーゲルの考え方"ってのはそれまでの哲学史の総括でもあるから277は正しいだろ。
予備知識として必須なのは特にカントとスピノザじゃねーか?
281 :
考える名無しさん:04/09/02 19:37
スピノザはあれば役にたつ程度さ。
282 :
考える名無しさん:04/09/03 20:57
カントの悟性の部分(カテゴリーと原則、図式論)など必修と思う。
283 :
考える名無しさん:04/09/04 11:52
それは言えてるぞよ。
284 :
考える名無しさん:04/09/04 17:24
ヘーゲルを勉強するため「精神現象学序言および序論」「歴史哲学概説」「精神哲学」を収録した本を買ったんだが・・。まずカントを知ることが必要だなんて・・。不覚
285 :
考える名無しさん:04/09/04 18:28
>>284 「純理」読まないと、「精神現象学」や「エンチュ」や「大論理学」は、
正しく理解できないよ。
286 :
考える名無しさん:04/09/04 19:04
というか「純理」を読まないと、「純理」以降の哲学書読むのきついでしょ。
287 :
考える名無しさん:04/09/04 19:56
284さん、精々気張りなさい。
みんなが通って来た道ですからね、きっとチミにも通過できますって。
288 :
考える名無しさん:04/09/05 11:48
「純理」の精読とまで行かなくても、カントの簡単な解説書を、>282の部分に注目して読む程度でよいんではない?
どっちにしろ、ヘーゲル理解においてカントの三批判書ほど議論の叩き台に適した書物はない。
290 :
考える名無しさん:04/09/06 07:40
>>288
それだな
んなん
カントからマジめに付き合ってられっかよ
なんちゃって哲学だな
291 :
考える名無しさん:04/09/06 09:48
だから、Hegelの理解には、Hegel後の理解も不可欠? Hegel読みのHegel知らずにならないために?
Hegel after Husserl. After Hegel after Derrida
292 :
考える名無しさん:04/09/06 10:07
ヘーゲル理解の為のカントですか。
では、そのカントの三批判書理解の為には誰が適してるんでしょうか。
293 :
考える名無しさん:04/09/06 10:11
ニュートン、ヒューム。
294 :
考える名無しさん:04/09/06 11:05
大陸から島国への移動ですか。
やっぱ秋は人事異動が多いですね。
295 :
考える名無しさん:04/09/06 11:16
>>292 >では、そのカントの三批判書理解の為には誰が適してるんでしょうか。
これはズバリ、ヘーゲル。
「純理」の前に「哲学史講義」を読んでおくと、
カント哲学の概要、およびそこに至る哲学の道程がよく解る。
しかも、「哲学史講義」は、「歴史哲学」の通読と基本的な歴史の教養があれば読める。
「純理」の後はヘーゲル「法哲学」→「実践理」、ヘーゲル「美学講義」→「判断力」
と進んでいけば、無理なく理解可能。
296 :
考える名無しさん:04/09/06 11:54
295さんレス有り難うございました。
翻訳者についてはヘーゲル関連スレでいろいろ言われていますが、
ご助言があればお願い致します。
あ、292です。
296さん。
>翻訳者についてはヘーゲル関連スレでいろいろ言われていますが、
>ご助言があればお願い致します。
申し訳ありませんが、このご質問には、答えかねます 。
ヘーゲルの翻訳本について、全ての著作を読んだわけではないし、
それぞれを読み比べても、どれも一長一短だからです。
というのは、たとえば武市訳はあまりにガチガチで、
箇所により、奇妙な日本語になっているところもあります。
それに対し、長谷川訳は、たしかにわかり易さではダントツですが、
やはりテキストの概念の高みを貶めているところがあるのは否めません。
身もフタもない言い方をしてしまえば、どれも原書で読むのがいいのでしょうが、
一般の人たちには、少し厳しいでしょう。
そこでお勧めするのが、独和、和独辞典をかたわらに置いて、
長谷川訳をスラスラ読みながら、重要と思われる語が出てきたとき、
言葉ののドイツ語でのもとの概念をテェックする、というやり方です。
とりあえず、いまの時点では翻訳の不備を補いながら、
かつ正確に無理なく読み進めていくには、
この方法がベストだと思います。
298 :
考える名無しさん:04/09/06 12:41
296です。
297さん、了解しました。有り難うございます。
299 :
考える名無しさん:04/09/06 14:57
>>295 >>297 親切だね。
俺も歴史を勉強しつつ、「歴史哲学」→「哲学史」と読んでみることにするよ。
俺は岩波のヘーゲル全集で、だけど。
300 :
考える名無しさん:04/09/06 17:55
ヘゲ全持ってるなんて羨ましいです。
301 :
考える名無しさん:04/09/07 01:23
>>300 全部じゃないよ。
「歴史哲学」と「哲学史」、それに「大論理学」だけ。
「哲学史」は、中巻の二のみ、旧バージョンと新バージョンを持っている。
というか、なぜ中巻の二のみ、新版が出たのか謎。
「大論理学」は、たまたま大学生協の在庫セールで全部買えた。
あまり読む予定はないけどね。
302 :
これが弁証法だ!!!:04/09/07 01:46
44 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/07 00:20 ID:Fdwee/JK
そこがきっと問題なんだと思う。
経済学者も、エコノミストも誰も経済を理解できないから、日本経済が
抱える問題も解決できないわけ。それはアメリカだって同じでしょ。
結局、経済を正しく理解できる人がいない。学問のための学問だから。
権威付けとか正確そうに見せるために数式を使ったりしてるだけでしょ。
実際は資本論一つ理解するにも一生かかるほど高度なもの。
ようするに、経済だけでは理解できないっていうこと。歴史の発展法則
とか、人間疎外についての正しい理解がないから、資本主義体制を
維持するためだけの間に合わせの理論だけしかないから、有効でない。
結局は、革命以外に本質的な経済政策はないのに、それをいうことは出来ない。
過去の社会主義の批判でなく、マルクスを読んで、現在の社会の革命を
考えることが本当は一番の近道なのに、それをしないから、学者も
エコノミストも役に立たないということなのでは?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/economics/1093834197/
303 :
考える名無しさん:04/09/07 10:04
単位のため、世過ぎの為、箔をつけるため、ドイツ観念論
の理解のみを純粋の最終目的として読む姿勢が日本に多すぎる。
最終的には自分の問題解決に役立てようとして読む姿勢も欲しい。
304 :
考える名無しさん:04/09/07 10:59
何かの「理解」のためにだけ一生かけるというのもどうか?
やはり、偉そうに言うようだが、何か自分なりの問題「解決」、意図「達成」
を目指して読む「姿勢」(単に姿勢に過ぎないが)が欲しいものだ。
305 :
考える名無しさん:04/09/07 11:07
まあ、302〜304と考えるジイサンもいると。
298&299の両氏がたとえ趣味者であってもなくっても、頑張れよ。
>>305 オマイはアフォですか?
哲学はどのようにして生まれ、何のために、あったのですか?
それが全く理解されてない。
いわば、囲炉裏端の老人の知恵が、結晶して<哲学>になった。
・・・
これが分からなければ、<哲学>を築いてきた人類の<必死の情熱>
は、無縁となる。
307 :
考える名無しさん:04/09/15 12:09:41
無縁でもウンチでも何でもいいじゃん。
もうろくジジーは早く死ねよ。資源の浪費だぜ。
308 :
考える名無しさん:04/09/16 01:45:43
>>307 馬鹿なくせに虚勢を張るな。
おまえは、なんの役に立ちそうもないから、切に自殺を薦める。
・・・
悔しかったら、何かまともな反論でもしてみろ、この馬鹿が。
あほのくせに哲学板なんか覗くな、このボケが。
309 :
考える名無しさん:04/09/16 10:58:34
↑早朝からすさまじいですね。
310 :
考える名無しさん:04/09/16 11:02:47
相当ストレスが溜まってんでねーの。
もしかすっと、欲求不満だべな。
311 :
考える名無しさん:04/09/16 19:48:58
でもあれくらい2ちゃんではフツーなのでは。
表立っては言えないので2ちゃんで吐き出してるって感じでしょ。
ということは、やっぱり欲求不満ですね。フッフッフ。
312 :
考える名無しさん:04/09/17 14:23:07
何か面白くないことがあったんじゃないの。
例えば会社をリストラされたとか、カミサンに浮気されたとかさ。
まー、能力のない連中ほど吠えるってことで、おあとが宜しいようで。
313 :
↑:04/09/18 07:23:46
おまえのことだろ?あぁん?
そもそも『理解』とはなんでしょうか?
それは主観的なものでしょうか?客観的なものでしょうか?
自分で考えろよ。
>>314 両方があるだろ。
主観的に<理解>したと思っても、
<客観的>には、誤謬の場合もある。
317 :
考える名無しさん:04/09/19 08:20:34
両方とも誤謬っつーか、トンチンカンだったりね。
あげ。
ふむ
320 :
考える名無しさん:04/11/13 03:17:34
あげ。
321 :
考える名無しさん:04/11/14 03:32:35
経済学が役に立たないのは、30〜40%の人は経済合理性を欠いていて、経済合理的行動を取る人間という
大前提が間違ってるからだよ。
322 :
考える名無しさん:04/11/16 19:53:11
だから?
323 :
考える名無しさん:04/11/16 20:00:13
宝?
だから、対象があれば、
それを貫く法則が存在する。
それを見つけるのが、<弁証法>の役割なのだが。
・・・
古人曰く。
「すべては疑いうる。」
だからこその弁証法だろうが?
対象の本質や法則性を見出すことによって対象は変化する。これは対象自体の持つ否定性による。
また、これを見出す悟性も変化する。このような認識の運動が弁証法的といわれる。
326 :
考える名無しさん:04/11/21 20:54:32
詭弁法の間違えじゃろが。
327 :
考える名無しさん:04/11/23 17:15:04
まあ詭弁法なんて呼んじゃーあれだが、ご都合主義と言うか、
いいとこ取りの論法ではあるな。
328 :
考える名無しさん:04/12/01 19:47:49
おい、弁証法ってほんとーに詭弁なのかい?
擁護派の意見くれないかい?
329 :
哲子:04/12/01 19:55:39
詭弁かどうかも疑い得る、だから弁証法でしょう。
330 :
考える名無しさん:04/12/02 10:09:43
詭弁どころか、大便程度じゃねーの、と無知な門外漢は糞スレで参加したつもり。
331 :
考える名無しさん:04/12/05 18:40:26
おいおい、糞スレはやめんかい、と糞を撒く。
332 :
考える名無しさん:04/12/08 01:54:46
笠信太郎「ものの見方・考え方」
から、
三浦つとむ「弁証法はどういう科学か」
まで、真実を究明しようという情熱が社会的な潜熱としてあった。
弁証法というものを、高等教育でカリキュラムに乗せるべきだろ?
欧米では今でもやってるしな。
最低限、ソクラテスの対話法とヘーゲルの観念論体系の区別だけはしれ。
334 :
考える名無しさん:04/12/08 02:00:32
>>332 大学で弁証法を教えているところが、日本に一つだけありますよ。
マルクスとヘーゲルの関係、昔、いろいろ言ったっけな・・・。
フォイエルバッハの転倒とかいろいろ絡んで来るんだよな。
「フォイエルバッハの転倒」?
なんだそれ?
「いや、神が人を作ったのではない、人が神を作ったのだ!」って
よくある独断。宗教の起源について、深く考慮してないだけで。
338 :
考える名無しさん:04/12/09 00:02:59
いや認識論的な見地からの神の否定なのだが。
ヘーゲルの運動規定「存在すると同時に存在しないこと」を論理的に理解できるように教えてください。
340 :
考える名無しさん:04/12/09 18:31:53
>>339 私は、ヘーゲルをあまり読んでないのだけれど、よく四次元を出してきて説明する人
がいるので、私の解釈を書きます。
真の状態を存在と考えることが否定で、それをさらに存在しないと考えることで
真の状態に戻る、「否定の否定」の事を言っていると思うのだけれど・・・。
弁証法の立場で考えると、ゼノンのパラドックスの「飛んでいる矢は、その瞬間静止
している」と言うのは正しいと思うのです。何故なら、運動している矢の真の状態は、
矢を取り巻く世界や、観察している人間(達)が、矢を弁証法によって止揚すること
で初めて得ることができます。ですから、一人の人間が考察した結果としての「静止
している矢」は、一つの悟性であるといえると思います。ですから、真の状態は、微分
した瞬間の速度であり、静止であり、無限の速度でもある。つまり「存在すると同時に
存在しないこと」であると思うのです。
うーん、なんとなくわかるような気もするのですが。
わかるようなわからないような。
難解です。
342 :
哲子:04/12/10 09:21:36
>「いや、神が人を作ったのではない、人が神を作ったのだ!」
宗教学では常識的な見解でしょう。独断とはいえない。
「火の飼いならしが宗教の起源だ」という説もある。
組織宗教(教会)が論理を嫌うのはなぜか?
論理には普遍強制力があるからでしょう。
教会の権威(聖教量)で人を洗脳することが困難と
なるから。
343 :
考える名無しさん:04/12/10 09:39:14
さいな、またくの常識的見解でっせ。
ついでに、紙を作ったのもヒトですがな。
344 :
考える名無しさん:04/12/10 10:32:00
>>342 なるほど。
普遍強制力が、特殊強制力を凌駕するということだな。
生活実感を考えれば、納得だ。
346 :
考える名無しさん:05/01/20 21:40:26
数理論理学を義務教育課程で必修にすれば左翼を一掃できるのになあ
347 :
考える名無しさん:05/01/20 22:28:48
> 組織宗教(教会)が論理を嫌うのはなぜか?
歴史的に見て、これは事実に反すると思うのですが。
348 :
考える名無しさん:05/01/20 22:29:45
> 数理論理学を義務教育課程で必修にすれば左翼を一掃できるのになあ
どうして? まったく理解できないんですが。
349 :
考える名無しさん:05/01/20 23:14:48
むしろ右翼を一掃できるとおもふ
350 :
考える名無しさん:05/01/20 23:16:38
むしろ右翼を一掃できるだろう。
351 :
考える名無しさん:05/01/20 23:17:50
右翼も左翼もカルトも一掃できないとおもふ。
一掃出来るのは「ゲーデルおたく」ぐらいだろう。
とにかく情緒的で非論理的な人間を一掃できるだろう
353 :
考える名無しさん:05/01/26 11:10:46
つーことは、日本人全てと。
354 :
考える名無しさん:05/01/26 11:12:47
そんなわけね〜だろ。義務教育課程で分数の計算を教えても、まったく
わからないままの香具師がどれだけいるか知らね〜のか?
そもそも「情緒」と「論理」は関係ないだろ
356 :
考える名無しさん:05/01/26 11:31:10
手込めでも何でもして、無理矢理関係しちゃえよ。
357 :
考える名無しさん:05/01/26 11:35:15
アズマンがよく
「それは弁証法的ですね」とか言うときの弁証法って、
必ずしもヘーゲルとかマルクスが言った弁証法じゃない気がするんだよね。
なんか「俗流弁証法」って感じがする。
まああくまでも「感じ」なんだけどね。
358 :
考える名無しさん:05/02/27 15:25:24
ま、弁証法ってのもイロイロあるらしいから。
つまり、誰の弁証法が正しいなんてのは無いんだろ?
359 :
考える名無しさん:05/02/28 20:45:20
だったらわざわざ「弁証法」っていう必要あるんですか?
360 :
考える名無しさん:05/03/01 14:31:04
そうとも、359にとっては弁証法は必要ナーシ。
361 :
考える名無しさん:05/03/01 19:04:28
つまり宗教。
362 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 19:12:05
あって当たり前って意味じゃ、空気ってとこかな?
363 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 19:15:20
弁証法の起源は、対話(ソクラテス)なので、一目瞭然である
364 :
考える名無しさん:2005/03/25(金) 18:48:13
しかして、五目不明となる。
365 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 16:15:27
?
366 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 10:03:44
再活性化きぼんぬ
367 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 21:46:32
弁証法論理、一つの方法に過ぎない?
368 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 22:05:24
言わずもがな。
369 :
Dialetheism:2005/07/16(土) 11:56:58
保全
真実とは何か?
百人百葉の<真理>には、うんざりした。誰もが異論なく真実と認めうる事実を基にした
真実、それがいわゆる<弁証法>である。つまり、わたしたちの自然的な対象凝視力が、
弁証法そのものの萌芽なのである。
372 :
考える名無しさん:2005/08/25(木) 10:42:08
そんな真実なんざぁありゃしねぇ、ってことで、
<弁証法>たやらも眉唾もんと。
373 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:07:32
>>372 もともとヘーゲルによれば、体系は「推理」である。
カントは真なるものの決定点を「判断」において、
この真なる判断に立たない、それ自身なる「推理」を
先験的仮象という名のもとに斥けた。が、ヘーゲルは
「推理」こそは真実であると考えた。
ヘーゲル『エンチュクロぺディー』
解説・解題 樫山欽四郎(河出書房新社)より
樫山の解釈を援用すればヘーゲル的弁証法は「推理」と
言い換える事が出来るし「推理」を絶対視し過ぎたと思う。
ある意味、ヘーゲルはあらゆる推理モノの哲学的基盤を
創造したとも言えるだろうね。邪推や先入観、偏見という
人間的要素を捨象した弁証法への絶対的信頼がなければ
あれだけ強固な哲学体系を築く事は出来なかったと思う。
「否定の否定」という考えで全て解決されてしまうからね。
374 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:05:07
素人ですが、存在論ではあり得ないとして、認識論的には、一つの叙述の整理法
として有効のように思えますが、否定の否定(止揚)でちょうど帳尻があうときはいいですが、合わないことは起こりえないのですか。
過剰分、不足分のどうするのですか。そういう適用は最初からしない、というより、そうなる場合は適用の誤りとするのですか。
具体な例、一寸思いつきませんが。
375 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 23:25:25
たとえば、「差延」はこの余剰分の扱いを云ってるのかな。
376 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 12:44:17
整理法、分類法とするなら、
>>374の場合は、適用の誤りとなるわけか。
377 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 16:04:33
378 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 00:24:09
1)なるほど、整理・分類法とみると、ある対象についての正・反・合・余りの、それぞれ各1個の要素を、多くの対象について正
反合余りにまとめて、空間的並存的(非時間的)なベン図表現とするということ? 形式的扱いが必須なことに気かつきました。
2)分類結果の表現は1)として、一方、動的側面、正から反が生成し、(正ー反)から合が生成するという、
「「分類の生成」の原理」としてはどうなるのでしょう。 また、この各段での余りは?
弁証法ってのは何らかの外的対象を取り扱う方法じゃなくて、事物そのものが持つ原理のことだよ。
存在における「移行」、本質における「反照」、概念における「自己展開」。
これらを遡及的に見ると正→反→合の軌跡を描いているということ。
380 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 12:31:03
1)事物、たとえば複雑の極致である分子的発生機構を備えた癌、などの存在原理(存在論的弁償法)とはどうしても思えないものだから。
2)でも、ご指摘の、存在・本質・概念など思考的展開(カテゴリー体系での移行・反照・自己展開)は、客観的存在の運動変化を思考・記述する(認識論的弁証法)のにとても有効だと思う。
3)ただ「実際」の思考で、「否定」にしても「否定の否定」にしても、恣意的に余分(意味領野で)をカットしてうまく話に乗せているように思えて。
4)論理性を完全にするための試みは?
381 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 12:41:15
追加;
>>380本文2)の、(カテゴリー体系〜)に(、思考の分類体系、での)を挿入。
382 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 13:20:48
>>380 正・反・合・あまりを最も素朴に整理するベン図は、ブール代数に発展しました。
またブール代数における論理演算は、のちに公理的的集合論で基礎付けられるようになりました。
しかし公理的集合論による代数には、排中律や選択公理など、自明であるかどうかが不明であるような
要素が付け加えられる事になりました。差延とは、そういう公理によって押し出されてしまった
要素を再び拾おうという試みなのでしょう。
383 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:27:03
>>382 素人考えで、静的・空間的な論理学、動的・時間的な弁証法、の両方で補完しあえるように思っている?のですが、それにしても、弁証法の曖昧さがネック?
384 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:30:13
ないものねだり? 何か取っ掛かりは?
385 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:47:54
>>383 論理学自体は空間的かもしれませんが、それを時間軸にそって実行するアルゴリズムという考え方もあります。
ヘーゲルの時代には論理学はそれほど発展していませんでしたが、フレーゲ以降、論理学は発達すると共に哲学の
道具として位置づけられ、また(分析哲学などの)狩猟場と化しています。ヘーゲルが当事の幼稚な論理学(弁証法)の
全体を哲学の道具として使ったように、現代の哲学者であるドゥルーズが論理学の全体を人間のある種の認識の方法(反復)の
限界を示す一例として同じくその外から扱った事に、哲学としての一貫性があります。論理学の内部からの問題提起としては、
先に挙げた排中律や、選択公理を採用する是非について議論があるようです。
386 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 16:13:50
1)すごい、時間軸に沿って実行するアルゴリズム!
まさに、そんな考え方について知りたかったのです。
2)それは、大体、「ドゥルーズ」に尽きますのでしょうか。読んだことがありませんので。
3)それと、そこでの、弁証法論理学の位置。
4)なお、論理学での選択公理の検討など内からの問題提起、どんな類の議論なのでしょうか?
387 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 16:29:28
>>386です。「差異と反復」でしょうか、早速アタックしてみますが。
388 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 17:50:24
389 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 17:56:35
>バナッハ=タルスキーのパラドックスというものがあるそうで
海外で集合論の研究している人のブログでバナッハ=タルスキーのパラドックスは
パラドックスではない、そう感じる人間は唯の勉強不足と書いていたけど、どうなの?
390 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 18:11:58
>>389 勉強不足と言うか、確かにパラドックスをパラドックスと感じるのは数学の勉強不足なんですが、
これはルベーグ測度を確率と同一視する物理学的数学観と、数学的内容の豊かさにから公理系を
評価する数学との立場の違いから来るように思われます。とはいえ私は物理的なイメージからしか
数学を考えられない、いわゆる数覚のない人間ですので、結論だけ聞くと、上記のパラドックスは
パラドックスだと思えてしまうのです。今後、数学や数学と物理学を巻き込んだ内部での論争が
あれば、その成果を哲学者が掬い出し、当事者以外にも分かりやすい形で整理してくれる事も
あるかと思われます。
391 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 19:04:46
いや、自分で書いてて
>ルベーグ測度を確率と同一視する物理学的数学観
が、物理側の勝手な思い込みで、そもそもルベーグ測度いぜんにも
さまざまな測度があったのを、ルベーグが整理したもので、それを
物理側が道具の解釈にこだわり数学本来の意味を見落としたという
のが、このパラドックスの本質かもしれません。物体をルベーグ可測で
ない、つまり存在するかどうかの確率がわからない、切片に分解する
なんて、ちょっと想像しづらいですからね。
しかしカントールの言うとおり、「数学は自由」であり物理学は
その成果の一部をありがたく使わせていただく存在なのかも知れません。
しかしますます多様化する数学の全体に秩序を与える役割を、物理学が
持っているという幻想も捨てきれず、これに関しては哲学者の裁断を
待つより他にないのかも知れませんね。
392 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 19:10:39
まあこういう専門的な話に哲学者が首突っ込んでも火傷しそうだから専門家に任せるのが一番。
393 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 19:18:37
>>392 いや、この民主主義の世の中で数学や物理に予算が付くのも、
哲学者が啓蒙書を書くからだと思われますよ。哲学者はドシドシ頑張って、
数学内や物理学内にもシンパを作っていって欲しい。対談とかもして欲しい。
>>393 いや、それはないだろ。
哲学者が話す数学って基礎論ばっかじゃん。
「日本で人気のある代数幾何」について論じている哲学者なんて知らないぞ。
395 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 20:55:36
>>394 物理学やコンピュータサイエンスばかりに多くの予算が付いて
数学の予算がいまいちなのは、数学者が哲学者にアピールする
度合いがイマイチなせいだと思われますよ。
396 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 20:56:47
弁証法論理学は、無限回のloopの収束の形で与えられる可能性があるのかな?
弁証法は変化、生成、展開、発展などにおける論理(つーか)を扱うので、形式論理とは始めから
そもそも別物。
398 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:00:24
>>396 追加;本文の「弁証法論理学」の前に、「矛盾律を否認する」を追加
400 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:09:41
お教え頂いた
>>388(専門すぎて掴みかねていますが)から、弁証法論理が、なんとなく、
>>397,
>>398のようなアルゴリズムになって欲しいという希望的観測にすぎません。
401 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:13:24
弁証法論理は高次化していくんでしょうね。
403 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:22:49
>>400 無限の繰り返しで答えに収束する計算法としては、古くはニュートン法があります。
新しくは、不動点定理による解の存在証明というのがあり、これは経済学に応用され
さまざまな均衡状態、つまり社会における理想的な状態が存在することの証明に使われています。
先に紹介した、形式論理(数理論理学)を基礎付けた公理集合論はフォン・ノイマンにより
提唱されましたが、そのフォン・ノイマンが経済学におけるワルラス均衡の解が存在する条件を
証明したり、フォン・ノイマンが創始したゲーム理論でナッシュ均衡、あるいは摂動均衡と言った
新しい均衡概念が近年考案されており、これらはヘーゲルが弁証法的に絶対意思が構築されるとした
アイデアの子孫、あるいは思想的な影響下における産物であると言えると思います。
ヘーゲルの遺した問題のうち、重要でないものは物理学(不動点定理)や経済学(摂動均衡)に
引き継がれ、より重要な現象学などが現代の哲学に引き継がれ住み分けが出来ているものと、
個人的には考えます。
不動点定理はブラウアーが最初に証明して、
経済学に使うには一般化しなきゃいけないとフォンノイマンが呼びかけて(経済成長論の論文で)
その後角谷さんが証明したのものだから、ヘーゲルとはまったく関係ないと思うぞ。
405 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:37:56
先に出た、思考の弁証法論理「移行、反照、自己展開」に興味を持っています。
1)「差異と反復」と、2)数学は苦手なのですが、是非「摂動均衡」なる均衡概念を勉強したいと思います。
論理はlonely
>社会における理想的な状態が存在することの証明に使われています。
まずこれが間違い。
一般均衡の解の「存在」を保障するだけで、複数均衡なのか、それとも一つなのかは不定。
しかも取引費用の存在と不完全情報を組み込めば、上記の証明は成り立たない。
そもそも理想的な社会なんて曖昧なものについて応用されてはいない。
408 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:47:28
>>404 ヘーゲルがとらえた問題のうち、素朴な論理学であった弁証法が現代の数理論理学に、
おなじく弁証法により絶対意志が求められるというアイデアが経済学やゲーム理論における
均衡概念に、逐次的に計算がおこなわれるというアイデアが現代的な解の存在証明とそこから
書き下したアルゴリズムに、それぞれ分化、発展して言ったという考えです。それぞれの解法の
元のアイデアをヘーゲルが出したというのではなく、ヘーゲルがそれらの問題を共有していてた
という意見です。
>>405 下の資料のTrembling Hand Equilibriumというのが、摂動均衡です。
http://cruel.org/econthought/schools/game.html
409 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:50:51
>>407 いや、パレート配分というのは、経済学が目指す理想の状態を指していると思われますよ。
また、均衡が必ずしも一つでないというのも事実ですが、条件を整えて均衡が一つだけ存在するように
社会を改造するべきだという意図も、均衡概念には含まれていると思われます。
410 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:52:36
ご親切に、ほんとうに有難う御座います!
理想(理念)型はモデルには必要かと。
ギ、ギ、ギギギギシギシギシ♪
\ アンアアアアンアンアン /
♪ ('A`) ♪
_ ノ )>_ キュッキュ♪
/.◎。/◎。/|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
>>409 >パレート配分というのは、経済学が目指す理想の状態を指していると思われますよ
パレート最適のこと?あくまでこれは価値判断を事前にカットするときの手法。もちろん便利だから多用されるけど。
経済学者でパレート最適が理想的な社会なんていう人はかなり極端な人でもいわないと思うぞ。
特に基数的効用を前面に出す風潮が最近あるし。
まあロールズ型の効用関数を出すまでも無く、価値判断を前面に出した(パレート最適を放棄した)状態で論争する人もいる。
ロールズ型の関数を使えばパレート最適は成り立たないしね。
そもそも
>条件を整えて均衡が一つだけ存在するように
>社会を改造するべきだという意図も、均衡概念には含まれていると思われます。
なんてことも、取引費用と不完全情報の存在のおかげで人々がインセンティブに反応するって発想が先。
まあファーストベストをおこせるメカニズムをデザインできてもそれが「理想的」とは思えないね。
大体ミクロ(例えばオークションや公共財の供給)ではメカニズムをデザインできる
(実際海外では、経済学者やゲーム理論家が制度をデザインしていたりする)けど
マクロの複数均衡には、社会を改造するなんて意図はないと思うけど。
というか数理経済学の理論やゲームをヘーゲルと結び付けても激しくつまらないと思うなあ。
さて経済学の話はやめにして、皆に聴きたいんだが。
ここの人はヘーゲル読み?それともマルクス?または他の人?
415 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 22:22:47
>>413 >取引費用と不完全情報
取引費用は企業家精神の育成と法制度の整備でクリア。不完全情報は情報公開を法律で義務付けてクリア。
>マクロの複数均衡には、社会を改造するなんて意図はないと思うけど。
ちゃうちゃう。マクロでも介入すれば均衡を一つにできるし、それを目指すべきだという事よ。
>数理経済学の理論やゲームをヘーゲルと結び付けても激しくつまらないと思うなあ。
そりゃ、ヘーゲルの扱った問題で数理経済学に引き継がれていない部分を見ないからだと思うよ。
現象学なんてのは、人がどういう効用関数を持つべきかと言う事を問うているとも言える。
>>415 …。なんつーか貴方は取引費用と不完全情報を理解しているのですか?
会社で情報収集するだけとかそんな瑣末なものから、専門家に依頼することまで含んでいるんだけど。
そもそも企業家精神の育成は関係なさ杉。スーパーコンピューター内蔵型のサイボーグでも無理。
>不完全情報は情報公開を法律で義務付けてクリア。
一例をあげれば過去、現在、未来の財の価格を同時に知るなんて不可能。仮にできるとして調べようとしたらまた取引費用がかかる。
未来の予測には不確定性(経済主体にとっては整合的、つまり合理的な期待だが)が伴う。というか不確定だから誰かが儲けられる。
…て一々説明するのも面倒くさい。適宜ミクロの本でも読んで著。
>現象学なんてのは、人がどういう効用関数を持つべきかと言う事を問うているとも言える。
ロボトミー乙。そんな人の価値判断を改造する社会なんていやぽ。というか誰も問わないぽ。
ここは経済学板ではないので、つまらん話はやめます。
早くガダマー翻訳出してくれ…。
高次化というのは、大和が二次元的戦術だったが三次元的な航空戦術に
敗れたというようなことです。零戦の実績にも関わらず、反照が欠けていた。
418 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 22:47:02
>>416 いや、なるべく完全情報下でかつ取引費用の全体が法制度で最小限に抑えられて、
均衡が一つしかなくてそれがミクロの取引の過程で揺れ動く、という社会がいい社会なんじゃないの?
それに現象学は洗脳じゃないし。現代の現象学は自明だと思われるような価値判断でもそれを一旦置いて
考え続けろという主張だから、限定合理性の限りに合理性を尽くせという以上の意味はないし。
>>418 それはイノベーションや競争、発展に欠けた「冷たい社会」(ストロース)
420 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 23:13:15
>>419 こらこら。成長してないと均衡がないというモデルの話をさっき引用してたじゃん。
イノベーションがあるから成長するのであって、イノベーションを禁じたら均衡もないさ。
さっきとは別の人?
>>419は俺じゃないよ。まあでも
「なるべく」な完全情報なんて存在しえない。
取引費用の存在自体がビジネスになる可能性がある。
>現象学なんてのは、人がどういう効用関数を持つべきかと言う事を問うているとも言える
と>現代の現象学は自明だと思われるような価値判断でもそれを一旦置いて考え続けろという主張
ガ矛盾。
限定合理性は最適化の基準。効用関数の型(嗜好・価値観)には関係なし。
>均衡が一つしかなくてそれがミクロの取引の過程で揺れ動く、という社会
RBC?!。良い社会の定義なし。イミ無し。
>イノベーションを禁じたら均衡もないさ。
反例:ISLM。
弁証法と関係なし。
ようするに経済学の理論の話は経済学板でどうぞ。
422 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 23:43:57
>>421 こらこら。ISLMなんて瞬間のスナップショットで、長期に均衡が持続する条件でもなんでもないだろ。
よい社会とはパレート最適が実現された社会でその条件がワルラス均衡でその条件が経済成長で、
そのためには投資がそれ以上になって帰ってくる、つまりイノベーションが必要で、それは情報
サービス業のようなものも含まれる、という程度の話でしょうよ。そうじゃなくて、そのための
法整備などが必要で、その権力は国家に帰属し、それは国家の絶対意志に由来し、それは弁証法的
過程により導かれるというヘーゲルの主張を尊重しているので、それに関連する経済学のトピックは
枝葉でしかないでしょうよ。
>。ISLMなんて瞬間のスナップショット
貴方の目指す社会のように完全情報を仮定するのなら瞬間も長期も糞もなくなる。
>、長期に均衡が持続する条件でもなんでもないだろ。
均衡が持続するっていう表現がわからない。
>よい社会とはパレート最適が実現された社会でその条件がワルラス均衡で
違う。どうでもいいけどパレート最適の条件はワルラス均衡ではない。
そのよい社会は少数の金持ちと多数の貧乏人の世界を容認することになる。
パレート最適では「格差」の問題には定義上切り込めない。
>イノベーションが必要で、それは情報サービス業のようなものも含まれる、
日本語としておかしい。
アル産業にイノベーションが発生する必要がある程度じゃないとイミワカラン。
ようするにつまんね。
完全情報を仮定なんかしてないって。目指すって言ってるだけじゃん。
手段が法整備だったり情報サービス業?の育成だったりするので。
まあ、日本語がおかしい、内容がつまらん、ヘーゲルの部分は無視じゃあ
返事のしようもないけどさ。
国家意志って官僚制みたいなもの?
>よい社会とはパレート最適が実現された社会でその条件がワルラス均衡で
違う。どうでもいいけどパレート最適の条件はワルラス均衡ではない。
そのよい社会は少数の金持ちと多数の貧乏人の世界を容認することになる。
パレート最適では「格差」の問題には定義上切り込めない。
これは致命傷に思えるんだけど。
>完全情報を仮定なんかしてないって。目指すって言ってるだけじゃん。
>手段が法整備だったり情報サービス業?の育成だったりするので。
いやだから、不完全情報、完全情報と法整備はあんまり関係ない。
ある人間の素質、やる気等…。変えようがない、予測するしかない人と人との駆け引きなんざ腐るほどアル。
428 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 01:13:39
>>425 弁証法的に決まるものだから、議会制民主主義における
地方議員に対する陳情(ロビイング)と党内、議会での調整
みたいなものを考えると一番近いと思われるよ。
>>426 その意見は、取引費用の全体が法律にかなりの部分、支配されているという
単純な事実を見落としてる事から来るものと思われるよ。経済学者は法律に
関してその一部を提案することはできるが、法律の全体を把握したり、その
経済的な位置について計算するのには不向きだろ。しかし財政や税制について
提案する事はできるので、その範囲で弁証法的に頑張って、残りの部分が
自ずとパレート最適になるように努力するしかないんじゃないかね。
>>427 突然、視点をミクロに移すなって。マクロでもう少しお付き合い下さいよ。
といってもこれを書くのは連投規制明けなので、もう誰も返事せんか。。。
寝なきゃな。
429 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 01:31:15
>>394 >「日本で人気のある代数幾何」について論じている哲学者なんて知らないぞ。
「代数幾何の哲学」なんて本を出すとよい。そして帯と解説は池田晶子さんに書いてもらえば最高。
気が付けば数学科の予算は倍増しているであろう。まちがいない。
430 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 12:47:20
ヘーゲルは愛されてないな。
プラトン読もうぜ。
432 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 19:40:11
弁証法とネガティブフィードバックて、どうよ。
433 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 19:44:19
>>432 弁証法とは国家に対して個人がするネガティブフィードバック、
国家意識なきアナーキストは氏ねですよ。
434 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 20:24:50
国家はなくとも個人はある。
個人の自由・権利を担保するのは国家
436 :
考える名無しさん:2005/09/25(日) 19:19:08
↑
というのは理念=掛け声だけよ。
周りの世界を見てみろや。
437 :
考える名無しさん:2005/09/25(日) 19:22:14
警察が無きゃ北斗の拳状態だよ。すこしは想像を働かせてみろや。
438 :
考える名無しさん:2005/09/26(月) 15:49:22
>>433 アナ―キスト・バクーニンはヘーゲル主義から何を学んだんだろ。
ヘーゲルの「否定の否定」は無限の肯定(真無限)として
純粋に精神労働の絶対性を主張しただけなのに、バクーニンは
単純な「否定」しか信じてない。現状否定だけで個人の解放が
実現されると思ってた。革命家の使命を現在秩序の否定・破壊だ
と宣言して、建設の方は未来のエリートの仕事に先送りしてしまった。
国家と個人の共存という発想が難しい時代だったからなのか…
439 :
考える名無しさん:2005/09/26(月) 15:56:21
肯定的理性と否定的理性の違いはどこにあるの?
440 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 12:57:38
保守アゲ
441 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:23:14
精神現象学ほどわかりやすい文章は無いな
442 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 16:35:42
原文or訳文、どっち?
443 :
考える名無しさん:2005/10/14(金) 15:56:48
弁証法の存在論的、認識論的な解釈は、余り納得できない。どうしても無理が伴う。
「自己意識」sich の一つの運動形態としてしか納得できません。
444 :
考える名無しさん:2005/10/15(土) 23:45:51
大論理学の叙述は大体3分肢系で通してあるようです。しかし、重要と思われる「分析的認識−総合的認識」(真の理念の)の統一カテゴリー(分析と総合の止揚?)は特に明示されていません。その意味するところは?
445 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:37:00
哲学を、役立たずの権威主義的学問に落としめた主要因、弁証法。
真理崇拝の教祖プラトンと、その信者であり自称天才、ヘーゲルとレーニン。
>>445 ソクラテス→プラトンの弁証法を、精神の否定的自由を帰結としてキープするイロニー
として継承したのはキルケゴールでしょう。
ヘーゲルはイロニーの段階を一過程と認めつつもそこにはとどまらず、
否定の否定としての肯定的なものを帰結とする。
とバカレスにマジレス。
447 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:10:14
マジレスありがとう、役立たず。
弁証法が導くイロニーを認めたってことが、信者の証なんですよ。肯定とか否定とかの表現もね。
>>447 哲学を権威主義的学問に落としめない、役に立つ非弁証法的哲学の例をあげてください。
分析哲学などですか?
449 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:13:47
>>443,
>>444ですが、弁証法を批判する人、Hegel流のレトリックを十分承知の上での批判と思う。
>>444の分析ー総合の止揚についてexplicitな論理が示されていない理由は?
>>449 「大論理学」概念論の第三篇 第二章 認識の理念
あたりの論理が明確でないということですか?どのへんが明確でないとお考えですか?
定義とかじゃん?
452 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:14:01
>>450,
>>451 はい、そのあたりです。勿論、「分析・総合の弁証法」は明瞭に書かれています。「explicitな論理」なる表現は行き過ぎでした。
ただ、ないものねだりかもしれませんが、明確なtermが欲しいと思ったものですから(ひとえに自分が分析・総合を明確に把握・保持するため)。
単に、適当な語が無かったということでしょうか?
ああ、
>
>>443,
>>444ですが、弁証法を批判する人、Hegel流のレトリックを十分承知の上での批判と思う。
と
>
>>444の分析ー総合の止揚についてexplicitな論理が示されていない理由は?
は別の文章なのね。
あなたが大論理学の「分析的認識−総合的認識」の部分をどのように読み、また
どのように明確に把握・保持したいのかわからないので、話をもっと具体的に
展開してもらわないと俺に答えられる能力があるかどうかすらわかりません。
たぶん俺にそんな能力はないと思う。
454 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:52:42
申し訳ない、ひとえに、ないものねだり、1語に拘っています。たとえば、有・無・成、質・量・限度(Das Mass),
反省・現象・現実性、のように。分析的認識・総合的認識・??
実は明日早いので寝なければなりません。もしお答えいただけるようでしたら明日返事いたします。
455 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 15:42:01
>>453 承前、よろしくお願いします。この分析―総合という対立2項は今日的に重要と思われるものですから。
大論理の該当箇所で、彼は、(分析―総合)の2項の悟性的分離・対置の状態は、ちょうど(有―無)の場合と同じように、それぞれが不完全であることを、解析学や幾何学などの例をとって縷々述べています。
次の順序として、本来なら、両概念がabsolute(自立)するには、(成)の概念のように両者が同時に成立する、「分析的であると同時に総合的でもある(小論理学)」哲学的方法(必然性)が重要だというHegel特有
のレトリックが顔を出すはずと思います。目次立てにも独立に、c項があってもよいように思います(3篇 理念、2章 認識の理念、A 真の理念、b総合的認識、3 定理、3 推移)。
でも、叙述はすぐに、善(意思)の理念に移ります。この辺の疑問です。
なお申し訳ないですが克明に読んだわけではありません。簡単な解説で結構です。
ヘーゲルに文句言う奴=分析哲学って偏見をどうにかして欲しい。
>>455 >分析―総合という対立2項は今日的に重要と思われるものですから。
ここはもうちょっと具体的に言ってもらわないとわからないです。
今日的に重要な問題とは何か。
>でも、叙述はすぐに、善(意思)の理念に移ります。この辺の疑問です。
あとはつまり目次項目(叙述形式)だけの問題ですよね。
>両概念がabsolute(自立)するには、(成)の概念のように両者が同時に成立する、
>「分析的であると同時に総合的でもある(小論理学)」哲学的方法(必然性)が重要だと
>いうHegel特有のレトリックが顔を出すはず
すいません、文意がいまいちよくわからないのですが、3.定理 の最後の[3.推移]から
B善の理念、へと移るところの叙述内容自体には唐突さは特にないと思うので、
別にHegel特有のレトリックが顔を出さなくてもいいんじゃないですか。
458 :
考える名無しさん:2005/10/17(月) 17:32:57
>>457 空けており失礼のほどお許しを。以下、一寸長くなり恐縮です。
1)今日的〜;内外情勢は、アングロサクソン主義と大陸主義の2元によって整理しやすいように思える。
ア主義は、その海洋国(アメリカも大きな島)ゆえに、自己の経験のみに基づき行動。すなわち現実重視。自由競争、市場原理、小さい政府、法的にも現実に行われるもの重視(先制攻撃容認)、
先例主義、などなど。周辺を気にしなくてよい。
後者は、近隣国と国境を接する大陸国(フランス、EU)がゆえに、普遍sollen理念重視、平等博愛福祉尊重、大きな政府、立法も学説・普遍根拠重視。周辺を気にしなければ生きていけない。
世界的国内的(2大政党)に現状では前者が強力。
たとえば止揚などの道がないかと思うわけです。
2)両主義の対立は、この「島か、大陸か」からくる、「個別・経験主義か、普遍主義か」の認識法の違いにあると見たい。哲学的には、2項対立的な、分析的認識と総合的認識、の違いに関係していないか。
3)分析―総合なる対立の弁証法ならHegelかと思って、該当箇所を調べましたら、私の求めていたものがないと思えたわけです。実はこの私の誤解?を糾していただきたいのです。
4)どういうことかと申しますと、該当箇所では、個→普、普(定義)→個(定理としての)の循環的に思える記述はありますが、⇔としての独立の新概念がexplicitに示されていないように思えるのです。
どういいましょうか、たとえば、有→無、無→有なる消滅・生起のモメントに相当するものは独立的に語られていても、相互にexcessなしの両モメントの合成・化合(止揚)によって与えられる新概念、有/無の場合なら「成」、これに相当するものが語られてないという印象なのです。
本来 c項として登場すべきものです。
換言すれば、質問の要点は、「生起」と「消滅」さえ与えれば、何等かの+αなしに、自動的に「成」が生成するのかといってもよいかと思います。
この辺について、是非、是非、御教示を頂きたのです。
>>458 まず、御教示という言い方はやめてください。一緒に考えましょう。
1)2)3)超巨視的にきましたね。思想が現実政治を規定するまでには無数の要素
(あなたが言われているような地政学的条件、他にも歴史、経済etcなど)が絡むので、
ちょっと単純化しすぎで危ないような気もします。現実の全てを認識方法や世界観の
違いに還元してしまい思考停止するのは避けたいです。(冷戦時のイデオロギー論争から
ハンチントンの文明の対立史観、はては2ちゃんねるのウヨサヨ論争がその究極でしょうね(笑)。
特に全てを変化・生成の過程としてとらえるヘーゲルからは最も遠いと思います。
とりあえずの話の取っ掛かりとしてはいいと思いますが。
そのテーマでヘーゲルなら「論理学」よりも「歴史哲学」や「法哲学」という気がします。
周知のようにヘーゲルはその内に戦争や階級対立すら内包し、発展のモメントとする
家族-市民社会-人倫国家というトリアーデ(政体としては立憲君主制)を示し、歴史の終焉すら
自負したのですが、今やマルキストならずともこのような見方はナイーヴすぎて使い物にならない
と考えるでしょう。
4)そこの部分は有限な認識(経験が所与のものとしてある認識)の理念としての二様、分析的認識、総合的認識
を考察する(抽象的悟性的段階)と、総合的認識の最終段階においては、真理が主観にとって必然的なもので
あるということがはからずも要請され(弁証法的否定的理性の段階)、当初の有限な認識(経験が所与のものとして
ある認識)という前提を廃棄・止揚して実践的意思の理念に移行してしまう(思弁的肯定的理性の段階)ということ
ではないでしょうか。このへんはもっと専門家に聞かれたほうが・・・汗
460 :
考える名無しさん:2005/10/19(水) 11:41:13
(1)
>>459でご指摘の、>>ちょっと単純化しすぎで危ないような気もします。現実の全てを認識方法や世界観の 違いに還元してしまい思考停止するのは避けたいです>。
近代合理精神の罠につい嵌ってしまう理系の厨房への貴重な批判。
(2)
>>458の4)の+αについて;その後に進展あり。生起・消滅の両モメントを、「同時に把握」する、という意識上の操作(
>>443)であろうことにあらためて気が付きました。別々にそれまで独立して把握していた両モメントを。
当然、両モメントは、有、無という共通成分を介して、新しい一つの結合状態を生成する。そして、この状態に相当する概念に、名前が既存であればそれをつければよいし、簡潔な名前が無ければ、その説明だけで十分で(
>>457)、
次に移る必要のあることに気が付けばよい(成の止揚)。
なお、
>>459 での該当部分の、簡潔で極めて解りやすい説明、多謝です。
(3)したがって、該当部分で、 a 分析的認識 b 総合的認識 で十分。c項は省略。了解しました。
461 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 21:35:21
age
正:書き込み
反:書き込みが途絶えてスレが下がること
合:age
『使える弁証法』(田坂 広志)って面白いですか?
464 :
考える名無しさん:2005/12/30(金) 07:01:19
物凄くくだらなくて申し訳ないんだが
1.私は学生服のスカート丈を短くしたい。
2.しかしパンツが見えるのは嫌だ。
3.下にブルマを履く事にした。
これって弁証法?
>>464 違う。
真の弁証法は>パンツが見えるのは嫌だ。
ということの誤りを知ることだ。
つまり、結論は
「パンツ」を見せることは嫌なことではない。
ので、スカート丈を短くし、堂々と「パンツ」を見せた。
が正しい。
466 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 05:23:34
三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』
内容が古いにも関わらずいまだに売れていることに驚愕
467 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 07:48:03
つかフランクフルト学派あたりの時代でもう弁証法なんて言葉は使わない。
現代哲学で使うには、いいかげん古い。
同様に「社会科学」なんて言葉まだ使ってる奴って終わってるね。
468 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 20:50:16
弁証法十講 柳田謙十郎 角川文庫。これって、
哲学者の皆さんの視点から見るとどうなんでしょうか?
469 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 00:15:54
自分ちで農業従事者に社会主義を教えてた人だよ
勉強会とかしてマルクスとか読んでたの
もちろん本の内容は古いよ
470 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 07:53:23
言ってんじゃん
弁証法なんて言葉を使ってんのはもはや一部の「主義者」だけだって
471 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 10:21:34
論法の一種だから、その意味で使っていいんでない?
使うな、なんて、左翼お花畑 と変わらんじゃない?
472 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 10:32:42
お釈迦様の立場からはヘーゲルもマルクスも
誤まっています。
473 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 10:34:07
主義者かよ。w
けっきょく論理そのものの性格が弁証法の根拠なんだよ。
それ以上でもそれ以下でもない。
1. 俺は童貞で女が怖い
2. でも性欲はある、彼女が欲しい
3.を答えてください
475 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:55:08
3. リアルドールを購入
476 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 23:15:23
>>470 例えばジジェクも「主義者」?
いや、まあ確かに主義者かも知らんけどね(w ジジェクは。
いずれにせよ、もしジジェクとかが「主義者」で自分は「主義者」でない、と思っているのなら
あなたはたぶん、分析哲学系の人か、ヘーゲル以前の哲学者の専門家か、
何か「現代思想」というものそのものに敵意を燃やす種類の人なんだろうな。
477 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 12:02:47
>>476 〜主義や、お花畑に敵意を燃やすと言う点でかな? 単に分析対象に過ぎないのに。
478 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 17:07:19
知識の整理法(3分法)としても秀逸。
479 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 20:27:00
>>477 そんなに単純じゃないでしょう。
すくなくとも弁証法は
ヘーゲルに還元されるのですし。
480 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 11:24:00
>弁証法により絶対意志が求められるというアイデアが経済学やゲーム理論における
均衡概念に
となりますと、主流派経済学は弁証法によって基礎付けられるわけですね。どうなるマルクス経済学ww
481 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 19:18:40
ジジェクが現代の弁証法家であるのは同意
482 :
母性:2006/08/17(木) 12:09:02
みんなご飯よ〜!
483 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:13:35
語りえぬものを語る愚
その典型としての弁証法
484 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:19:40
自分が語りえぬものと思ってるものは人類がみな語りえぬだろうと妄想する馬鹿
自分って普遍的だと勘違いする香具師のおおいの何の
485 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:25:53
語れていないのに語っている気になっている厨坊
486 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 08:25:31
といい気になっているヴォケ爺。
487 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 10:36:02
最近の流行は量子弁証法ですが、国内の大学で研究しているところはありますか?
488 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 11:28:45
おまいその「最近の流行」ってのをどっかで聞きかじったんだろ?
そこで聞きゃいいんじゃね?
489 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 11:37:01
聞いたことないなら黙っていればいいのに・・・
490 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 11:53:19
当たり前のことも分からない阿呆のようだから教えてやっただけなんだが、
おせっかいだったかな?
491 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 14:05:15
量子弁証法ってなによw
492 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 14:13:35
西洋思想が今いる場所は仏教・儒教が2000年前に通過した場所だ。
仏教・儒教の伝統を捨てて西洋思想に傾倒した軽佻浮薄な連中は
バカにされて当然。
日本の自然科学者の中には仏教・儒教などの東洋思想への造詣が
深い者が少なくない。また、欧米の哲学者・科学者が東洋思想に注目し始めて
既に100年以上たつというのに、未だに西洋思想の受け売りをする人は
学問の大きな流れを見る目が無い。東洋思想を学ぶ企業経営者は多いが、
西洋思想は完全に無視されている。東洋思想よりも格段に劣っていることが
素人の目にも明らかだからだ。
数学や理論物理は教科書を読めば誰だってロジックを理解できる。でも、直観が
働くレベルまでイメージを膨らませて理解するには、並外れた修練が必要だし、
そのレベルまで理解しないと研究を始められない。高校から大学、修士までは
大天才と呼ばれていても、研究レベルでは雑魚扱いされるし、その多くが
崩れ去っていくのが数学と理論物理。
量子弁証法は少なくともこれらを赤子の手をひねるように扱える人間だけが
正しく理解し運用できるもの。
493 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 19:22:30
エンゲルスも仏教を称えてるね
494 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 12:53:24
ハーツホーンも読まずに哲学を語る奴は痛いなぁ
ハーツホーンを読むというからには、文字の一つ一つがなければなるまい。
一つ一つの文字を読み進めるうちに、その行間を読むことになる。すると、
もはや読むとはいえないことになる。しかし、行間なんて彼の著書のどこに
もないのだから、ハーツホーンをどこを読んだとも言えず、自分の意見を確
認しただけなのである。
496 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 17:25:20
494はハハーツホーンをみんなに読んでほしいんだね。
俺にはそう言ってるように感じる.
497 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 18:24:24
/,,,, - ヽ.
(´ 6 、 i
/{ 〉 、 6 ,ノ
{ `>' -‐ァ、__`__ノ
〉´ -‐ ' !
. ,ノ // ,ノ ;
/// / ∠
. / ' / ノ / ヽ
.′ / / /
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` T ー- 、_/ 〈
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 ̄ ` ̄
498 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 20:08:15
数学書を読む=演習問題を全部解く
ハーツホーンの演習問題は結構むずい orz
哲学科向きの教科書ではないように思える・・・
待ってますよ
500 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 18:33:42
ハーツホーンより上野健爾のほうがいい。
ハーツホーンは練習問題に重要項目を回しすぎ、かつ本文も粗雑。
ところでハーツホーンを読んで哲学畑相手に威張っているという事実によって、
かなりのパープリーンであることを自ら証明している恥ずかしいやつがひとりいるみたいね。
501 :
考える名無しさん:2006/08/24(木) 14:28:47
だから量子弁証法ってなんなのよ?
幻