1 :
考える名無しさん:
パート2ということで
2 :
考える名無しさん:04/03/23 02:15
前のスレ999で止まるかも・・なのにぃ
4 :
考える名無しさん:04/03/23 02:29
>>3 人生に「意味」などないよ。「人生の意味」なんて
「いずれ必ずいつか死ぬことを知っている」唯一の生物である
現世人類=クロマニオン人が「あがき苦しんで編み出した自己欺瞞の大系」
=「宗教」が造り出す「脳内幻想の一種」だよ。
「意味」には「快楽」=エピキュロスの「快楽主義」
と「抑制と静謐」=ストア学派の「禁欲主義」の両要素が「適当にブレンド」
されている。
コーヒー等の「ブレンド」と同じで、「それぞれ個体の好みは分かれる」
ということ。「正しいブレンド」は主観的に「存在」するが、客観的には
『存在しない』
5 :
考える名無しさん:04/03/23 02:32
むかし「あなたの人生の目的は何ですか?」と道を歩いている人に突然
声をかけ、勧誘するカルト?宗教団体があったな。
6 :
考える名無しさん:04/03/23 02:34
人生に目的はいりません。目的がないと送れない人生は虚しい人生です。
7 :
考える名無しさん:04/03/23 02:39
>>4 もうすこし真面目に問題に向き合ったらどうなんだ?
倫理社会の教科書の丸暗記みたいな項目の羅列、雑誌の車内広告のよう
なカッコの多用、こんなの書いている奴に言っても無駄か。
8 :
考える名無しさん:04/03/23 02:41
>>6 人生に目的はない(し要らない)というあなたは「正しい」。
目的のない人生を逞しく送っている健常な若者に共感します。
しかし、あなたの人生の「主要行動原理」は、たぶん
『大事な大事な』友達と「携帯電話でメールする」・・ようなことで、
まあ、A君とかbさんとかの異性とのこと、or美味しくてムードの良い店のこと、
雑誌に載ってた「新名所」のこと・・・まあ、それくらいが「頭の中のベスト3」
なんでしょうね。
「万物の霊長」である「偉大なる人類」の「個体」は、まあ「そんなもの」です。
9 :
考える名無しさん:04/03/23 02:45
>>8 あなたが挙げているものは卑近な目的だけです。
10 :
考える名無しさん:04/03/23 02:47
>>8 「そんなもの」までカギカッコつけなくてもいいと思うの
11 :
考える名無しさん:04/03/23 02:48
人生に目的はいりません。
12 :
考える名無しさん:04/03/23 02:52
退屈ならいるでしょ、何言ってるの?
>>11 >いりません
必要か必要でないかが言えるのは、
何らかの目的を前提してるときだけだとおもうの。
「○○のためにはいりません」て。
>>11で前提されている目的は何?
14 :
考える名無しさん:04/03/23 02:53
>>9 卑近でない目的を・・・あなたが持っているのですか?
現代のこの国のまともな若い人が「人生の目的」など
持てるわけないじゃないですか?
それ(人生の目的)を『「持つこと」が(人生の)目的である』
という人達が「オウム」(と似て非なるものでない)「新興宗教」
に殺到している・・・私にはそう見えるのですが。
15 :
考える名無しさん:04/03/23 02:54
16 :
考える名無しさん:04/03/23 03:02
>>13 前提となる目的などはありません。ただいらないのです。
>>14 持てる持てないの問題ではなく、いらないのです。
前提となる目的など無いなら、要るか要らないか言えないと思うの。
ただいらないだと、意味が分からないと思うの。
18 :
考える名無しさん:04/03/23 03:05
退屈ならいるでしょ、何言ってるの?
19 :
考える名無しさん:04/03/23 03:07
>>17 目的がなくてもいらないといえます。
なぜいらないというのに目的が必要なのですか?
20 :
考える名無しさん:04/03/23 03:09
21 :
考える名無しさん:04/03/23 03:11
22 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 03:15
>>16 >持てる持てないの問題ではなく、いらないのです。
なるほど。判りました。
「今日は昨日と同じで良い」「明日や明後日・・や未来」も
「今日とおなじで良い」・・立派な「ヒキコ哲学」です。
ただし、私がそういう「病気」でなかったことには「幸運」だと思います。
23 :
考える名無しさん:04/03/23 03:19
>>22 個人の意志に関わり無く、今日と明日は違います。現在と未来も
違います。今日と同じで良いと思おうが思うまいが、今日と明日
は違います。今日と明日が同じに感じられる人がいるとすれば、
その人は「幸せ」な人でしょう。
24 :
考える名無しさん:04/03/23 03:24
退屈ならいるでしょ、何言ってるの?
25 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 03:25
>>23 ヒキコさん達は「変化をおそれる」という「臆病に取り憑かれた」
一種の(蔑称ではない)病気です。
人生が、せいぜいたかが100年くらいしかないのに
「経験は(全部かほとんどが)怖いから、避けたい」という人生の
「過ごし方」について、正常な(肉体と脳が正常に代謝している)
「人間存在」は「ネガティブ」な感想しか持ち得ません。
自転車は走っているからこそ「倒れない」のですが、「走っていること」
は「目的」ではなく、「目的地を目指しているから走る」ことで、
「倒れないで済む」・・・ということです。
26 :
考える名無しさん:04/03/23 03:28
哲学って否定のためにあるの?諦めの為にあるの?
お前らどっちも病気だよ
酒は飲んでも飲まれるな
27 :
考える名無しさん:04/03/23 03:28
>>25 自転車は走っていなくても倒れません。
目的という病から自由になって下さい。
28 :
考える名無しさん:04/03/23 03:29
>>26 精神の力は否定にあるとヘーゲルが言っています。
29 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 03:37
>>27 あなたには「何の『目的』のない」と言えるのですか?
「目的」には「広大な目的」や「精細な目的」があります。
いずれにしろ、それらの「目的」を見失うとき、人は「死」にます。
物理的に「肉体がガン細胞で占拠される」か「脳細胞が異常な化学反応を起こす」
・・・そのいずれかです。後者は、ほとんど「自殺」します。
自殺者はこの国の死亡原因の2位です。1位は「癌」3位は「交通事故」です。(1位は3位の3倍)
ちなみに「1位と3位に」「2位の要素」が多少入り込んでいることは、間違いありません。
30 :
考える名無しさん:04/03/23 03:39
>>29 自殺は死を目的とします。死を目的とする人が、どうして目的を
見失うことがありましょうか。
31 :
考える名無しさん:04/03/23 03:39
>>28 ヘーゲルが言ってたらどうなんだ?
殴りたいから殴るって奴は病気だろ
32 :
考える名無しさん:04/03/23 03:41
>>31 殴るという行為は常に否定を意味するものではありません。
33 :
考える名無しさん:04/03/23 03:42
34 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 03:43
>>30 「死を目的とする」ならば、なぜ「次の瞬間」に「死を選ぶ」ことを
しないのですか?
「死を目的とする」以上に「死ぬ前に本当に美味しいフランス料理を食いたい」
とか「死ぬ前に最高の美女に札束を渡して『今日は帰った方が良い』」とか
言う「経験」を持ちたいのではないですか?
35 :
考える名無しさん:04/03/23 03:43
>>33 病気ではありません。殴ること自体が病気ならば、病的なまでに
殴りつける、異常なまでに殴るということがなぜあるのでしょうか?
36 :
考える名無しさん:04/03/23 03:46
37 :
考える名無しさん:04/03/23 03:48
38 :
考える名無しさん:04/03/23 03:50
病的じゃないと自覚症状が無いだけか
お大事に
39 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 03:52
>>35>>36 「殴る」という行為に「程度の差」はありません。
全ては刑法2**条「暴行罪」になりますし、
少し傷が付けば「傷害罪」ですから、相手が母親だろうが
命の恩人だろうが、即「刑事告発」すべきです。
たんに警官に「触った」だけで「公務執行妨害」で逮捕され、
20日間『臭いメシ』を食わせる『力』が警察にはあるんですから、
見方にした方が得策です。機先を制して「告訴する』と、
とても、面白いことになります。
40 :
考える名無しさん:04/03/23 03:55
>>39 「傷がつけば」という限定がある以上、あなた自身が「殴る」という
行為に「程度の差」を認めていることになります。
41 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 04:01
>>40 それは「法律の運用の仕方」次第です。
「衣服の端をつかんだ」という事実が「証明」できれば、
警察と検察と裁判所は「完全に合法的に」あなたを「6ヶ月懲役」
の『実刑』に処することができます。
だいたい「やっていないのに痴漢と勘違いされた運の悪い奴」は
20日拘留され、しかたなく「自供』して、懲役1年執行猶予3年。
というのが『相場』です。・・・ただし「俺じゃない!やってない!」
と言い続けると、「1年の実刑」をくらいます。
42 :
考える名無しさん:04/03/23 04:04
>>41 例えば、私が姉の衣服の端をつかんだという事実が証明できれば、
私は半年の懲役刑になるのですか?
43 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 04:13
>>42 可能性として(というより警察と検察の「決定」次第)では、
「全く合法的」にそれができます。
刑法における「暴行罪」の「犯罪構成要件」を満たしているからです。
暴行罪容疑で「逮捕」されると、ろくな食事も与えられず、
「煌々と明るい拘置所で入れ墨の方と身を寄せて寝る」という状況に
なりますから、普通の人は「一日でも早く出たい」と思います。
じゃ「これこれこれなんだな?」と警察官が書いた書類に拇印を押させられ、
「まあ、しかたないが釈放してやる。有り難いと想えよな」と言われ、
「有り難うございました」とぺこぺこしながら、警察署からの開放を味わう
ということです。
一般の市民は「絶対に逆らえない」構造ができているのです。
44 :
考える名無しさん:04/03/23 04:16
>>43 それで、私が姉の衣服の端をつかんだという事実が証明できれば、
私は半年の懲役刑になるのですか?
45 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 04:26
>>44 「なり得る」ということです。なにせ3権分立の「裁判」ですから、
政府(警察や検察や法務省、諸官庁)も国会もだれも「ひっくり返す」
ことはできませんから・・・、
もちろん「姉の衣服をつかんだ」くらいで「実刑」は99.9%ありえませんが、
「特に悪質な(感じがする)」と、その時の裁判官が「判決」(が確定)すれば、
法律の秩序=合法的手続きであなたは「懲役刑」で「刑務所」に送られます。
「異議申し立て」は「確定判決」には事実上完全に「無意味」です。
46 :
考える名無しさん:04/03/23 04:33
>>45 つまり、姉の衣服の端をつかんだ事自体では決定できないということですね。
47 :
考える名無しさん:04/03/23 04:36
法律がそんなに杓子定規に適用されるとは思えません。
憲法にさえパラドクス(9条)があるというのに。。
衣服がどうのこうのって・・セクハラ対象ならともかく・・
それだと、日本企業のほとんどは労働基準法違反でしょ?
公道で制限速度をきっちりと厳守している人は珍しいだろうし、
時と場所によってはそれが危険になるのは一般常識じゃないのですか?
48 :
考える名無しさん:04/03/23 04:37
49 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 04:42
>>46 あの、「社会システム」をまずご理解していただかないと・・・
例えば「違法行為」・・どの車が法定制限速度を守って走っているの?
1台もない。・・・どの車をとっつかまえるか?
ようするに「行政裁量」、言い換えれば「警察の気分」で取り締まり
が行われる・・・と言う状況ですから、「運が悪い」「警察にコネがない」
ということが、この国の(少なくとも)道路交通法の運用なんです。
「罪と罰」は神様が決めるのではなく、その日の「警察署の担当官の気分」
が決めるのです。・・・そういう「真理」と、警察広報の「吐き気のする広報」と
両方見ていなければいけません。
50 :
考える名無しさん:04/03/23 04:47
カミソリさんのレス勉強になるし
面白いよね。どっかの先生かな?
51 :
いつもカミソリの上を走っていた:04/03/23 04:51
>>47 ほとんど「人権問題」ですが、「痴漢」はだいたい50%無実だと思います。
しかし、女性の圧力団体の力で、年間数百人の「スケープゴート」が逮捕
されています。
「手の甲を押し当てた」と女性がわめけば、相手の男は「最低100万円」の
「示談金」を払わなければ、「釈放」や「執行猶予」になりません。
「裁判所」はオタの巣窟となり、「常識以外だったらどんな理屈も通る」世界
になっております。
くれぐれも、「出るところに出たろうじゃないか!」なんて言わないほうが良いです。
「出るところに出たとたん」、「馬鹿なオタの気まぐれ」であなたの人生は決まってしまいますから。
もっとも、「大ばくち」という意味では裁判所はとても大きい「穴」だらけ」ですが。
52 :
考える名無しさん:04/03/23 05:06
>>43 駐車禁止でレッカー移動されたんですよ
うそをついてまで拒否したんですよ。
安全協会のかたがたにも少々すごんでやりましたところ
何とか車も返してもらえました。
ちなみに僕は一般人です。
53 :
考える名無しさん:04/03/23 05:11
じゃ、確信犯の癖に
控訴までした和田勉(72歳?)は真性のギャンブラーということで。
っていうか、72歳で権威の洗脳力でマスコミ志望の女子大生とホテルまで
GOって、ある意味POPではあるなぁー(笑)
あ、73歳でした。
73歳でセクハラする気力があるだけでも才能だったりして。
スレッドなくて探しました。
さて、私の中で興味が尽きないのが「宗教」の捉え方ですが、
「教義」は人生を探求するためのツールの一つに過ぎない。
私は今まで宗教に入信したことがないので今ひとつ的を射てないのかもしれませんけど
「教え」は人がおのずから考えを先に進めるための手助けをする存在に過ぎない。(教義は答えになり得ない)
というのはいかがでしょう?
そうなれば、宗教はゴールでなくなり。
私たち共通の問題を違う道からゴールを目指すことになります。
人生の目的を考えることは誰しもが通り得る道であり
宗教はそのゴールでは無い。
如何なものでしょう?
宗教と一口に言っても色々ありますしね
一神教から多神教、また神の概念ではないものも。
アニミズムやシャーマニズムなんか。
僕が思うに、人智の及ばない範囲を
神の領域とした、ある種の諦念にも似たような
ところがあるんじゃないでしょうか?宗教、哲学問わず。
現代では神の居場所が狭くなった感じではないでしょうか。
科学技術等の発展で人智の及ぶ領域が広くなったというか。
宗教詳しくないんですが
禅では、教義は「悟りへ導くもの」「指し示すもの」であって
答え(悟り)そのものではないですね。
自己の内に見出すものが答えになります。
57 :
考える名無しさん:04/03/23 11:48
>>55 >人生の目的を考えることは誰しもが通り得る道であり
「人生には目的がある」と信じている
>>1の態度それ自体が
すでに宗教的態度だと思うのだが、如何?
宗教的態度というか、「信仰」だな。
59 :
考える名無しさん:04/03/23 15:30
宗教という曖昧な言葉をいくらいじくりまわしても
何の答えも出てこない
宗教とは何を指して言ってるのか
ハッキリさせて考えよ
私は宗教を信じていないものとして宗教というものがこういうものではないのか?という感想を書き綴っただけです。
ですから私が望んでいるのは宗教を理解する立場のものが、どのようにそのことを捉えるか?です。
加えて再三
>>57のように私のしていることを宗教に関連付けて結論にしたい人がいるようですが(全部同じ人ですか?)
何か根拠があるのですか?また宗教的態度とは如何なものでしょう?
あなたは宗教がどういったものかご存知なんですか?
よろしければ、どのような種類の「宗教」をご存知が教えていただけないでしょうか?
>>59 その定義は何に必要でしょう?
「はっきりさせて考えろ」というのは私に宛てて言っているのですか?
61 :
考える名無しさん:04/03/23 15:45
曖昧なままが良ければ、そのまま混乱の道を進むがよい。
逆に言うと、哲学的態度の場合は
「これこれはこういうものである」って前提から出発したんじゃ
ダメだってことですね。だから「人生には目的があるものだ」
という姿勢のことを宗教的態度だと言ってるんだと思います。
63 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/23 15:49
(´゚c_,゚` )プッ
64 :
考える名無しさん:04/03/23 15:54
日本人でカルヴァンの予定説を真に理解している者はごく一握りしかいない。
65 :
考える名無しさん:04/03/23 15:59
>>60 あなたの論の進め方を見ていると
「人生には目的がある」というのを自明の公理として論を進めているのだけど、
「じゃあ、なんでそんなことが言えるの?」って思ってしまう人だって多いわけですよ。
哲学というのは、どんなものをも、時には自分自身をも懐疑の対象とすることが必要なのに
あなたの場合、そこから前に遡って考えることをしていない。
宗教もある意味これに似ている。
「神のこれこれこういう教えは絶対です」と言ってる人に
「じゃあなんでそんなことが言えるの?」と訊いても
「それは絶対だから絶対なのです」と返すことしかしないでしょう。
つまり、その教えの部分から遡って考えることをしないわけです。
この態度とあなたの態度、一体どこに違いがあるのでしょう?
だから、前スレで「もし目的が明確にあったらどうなるか」って
話もちょっとあったと思うんですが。
67 :
考える名無しさん:04/03/23 16:51
>>65 禅とかの場合もう少し違うとは思うけどね。探求は個人まかせ、禅問答とかは
探求を深めていった人からのアドバイスみたいな感じと思ってる
禅やインド思想には哲学に近い部分もあるからな。
69 :
考える名無しさん:04/03/23 17:30
5 名前:考える名無しさん[] 投稿日:04/03/23 02:32
むかし「あなたの人生の目的は何ですか?」と道を歩いている人に突然
声をかけ、勧誘するカルト?宗教団体があったな。
それは今でもあるんじゃ?
高校時代の友人がそんな感じの宗教にハマっちゃって、
私も執拗に誘われて、まあそれで絶交しちゃったけど(藁
まあ、宗教信じてる奴って何だかクダラナイな。
「これこそ真実の御教え」「邪教は無間地獄に落とす」
とかさ、ウゼエんだよ、その毀誉褒貶の乱発がさ。
まあ、あれは「価値」を捨象し純化することなのかな。
よしみっちゃんの「不幸を誤魔化さず直視する」っていうのも好きだね。
ある程度のストレスは必要だとも言うし。
完璧に悩みゼロの状態というのは、実はトテモ不幸なんだって最近気づいたよ。
70 :
考える名無しさん:04/03/23 17:40
>>69 自分の存在のうつろさを、宗教で埋めることで生きてられる人もいるから
クダラナイとも思わないね。
71 :
考える名無しさん:04/03/23 17:59
>>70 ちょっと言いすぎました。申し訳ありません。
しかし「ストレス」という言葉は、良いヒントになると思うが、どうでしょう?
生きることが空しいと感じている人は、きっとストレス欠乏症なんだ。
宗教の信者さんは「教えを守らなきゃ」「教えを広めなきゃ」
というストレスで満たされている。だから年中シアワセ。ポワーン。
すべて宗教に類似したものは、
人為的にストレスを生み出す装置ではないか?と類推してみる。
創価の池田大先生信仰もあれはどうかと思うが・・。
73 :
考える名無しさん:04/03/23 18:17
>>71 まあ私も宗教持ってないからね。禅は割とすきだけど。
バカにしてたときもあったけど、
>>70みたいに考えてからはそうでもなくなった。
生きがいってのは快楽を与えられてれば完結するもんでもないからね
手間隙かかる子育てとか、生きがいはこの上ないと思うし。
ストレスも大事だけど、それの発散によるカタルシスが重要だね
74 :
TUKASA:04/03/23 18:21
そもそも人生の目的をかたり尽くそうとすること自体が愚かであると考える。
75 :
TUKASA:04/03/23 18:25
例えば、人生の目的というものを定式化、定性化,定量化、文字・文章化できたと仮定する。すなわち、命題化できたと仮定する。
76 :
TUKASA:04/03/23 18:26
そうすると、その命題が本当に真なものであり、
普遍的妥当性を有するものであるならば、
其の命題は、時間的にも、空間的にも制約を受けずに成立するはずである。
しかし、これは私達にとって本当によろこばしいことなのだろうか?
>>65 本当にそのように感じますか?
私の論理の進め方という表現をみると今まで見てきた方の発言でしょうか?
人生の目的がなにか?を考えることと「神の教え」をを同義にしてしまうのは何故ですか?
人生には目的があるから有るのです。
そんなことは言っていませんね?
「何故人生に目的があるの?」
これは当然に考察の対象になっていますし、それも知ることにより先に進む答えの一つでしょう?
「何故人生の目的を見つける必要があるのか?」当然これも同じことですね。
私はそれを知りたがってます。
では、私はあなたのいうように物事を決め付けて話していますか?
私は前提に人生の目的が確かに存在すると断定してませんよ。
私たちが生きているのには理由が存在するのではないか?
目的が存在するのではないか?
そういった問いかけを自分にして始まったことです。
あなたの言うところの「自己」を懐疑することにどんな違いがあることでしょう?
78 :
考える名無しさん:04/03/23 19:14
純論理的に正しい命題はトートロジー(無意味な命題)しかないYO。
意味のある命題は「公理」という足場の上に成り立っているYO。
すべての命題を疑い尽くすことは不可能だYO。
「絶対究極の意味はないYO」っていうのは、それを言ってるんだYO。
元1さん、そこまで徹底的に考えたいのなら、数理論理学を学びましょう。
79 :
考える名無しさん:04/03/23 19:30
宗教は自己欺瞞の象徴なんだから
人の差す宗教は信仰しないまでも
己自身の宗教は必ず持ち合わせていると思う
経済はある種のカルト宗教と言えるしさ
80 :
考える名無しさん:04/03/23 19:36
考えたくない人は来なきゃイイのでは?
81 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/23 19:38
バックドロップ
82 :
考える名無しさん:04/03/23 19:39
>>81 キキキさんは、たまに上がったスレに意味ないカキコしてるだけ?内容読んでるんですか?
83 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/23 19:44
>>82 更新に使っていますヽ(゚∀゚)ノ
では、おやすみヽ(゚∀゚)ノ
84 :
考える名無しさん:04/03/23 19:47
女とはなんと視野の狭いことか
85 :
考える名無しさん:04/03/23 20:36
86 :
考える名無しさん:04/03/23 20:38
人生の目的
自分が人生の目的だと思ったこと
87 :
考える名無しさん:04/03/23 20:45
88 :
考える名無しさん:04/03/23 20:48
>>77 おまえの相手は他のヒトじゃない、自分自身だ
89 :
考える名無しさん:04/03/23 20:50
>>77 反論にあまり過敏に反応しなくてよい。もっと勉強しないとここの住人には
対抗できんぞ。他人に聞くより本を読むべし。
91 :
考える名無しさん:04/03/23 21:01
哲学はどれだけ再現が出来るかの勝負しかできない。
趣味でやって80%の再現率だろうと、没頭して99%の再現率だろうと
社会の実利が75%でいいとするならば程々で事足りる。
実利の世界にシフトダウン出来ないとバカと見なされるので気をつけよう。
お兄さんとの約束だよ!
92 :
考える名無しさん:04/03/23 21:07
93 :
考える名無しさん:04/03/23 21:08
アナルアンサー!
94 :
考える名無しさん:04/03/23 21:10
人生の目的を人が決めたら宗教だろが。
95 :
考える名無しさん:04/03/23 21:13
//i! | | |_,,i,,L|ト!ilハ ||:|::::|:::|l::::||:i:| i ゙!゙ト、,i_ 'i,::!::|ii:::::::::i,:|i::::::::|!::::::::::::ヽ:::::
/il i!| ‐''|´! | ハ!| | |i!::i:::|:::||::::|::::| !ヾ!:i`''‐i,,::::||!::::::::::||::::::::|::::::::::::::::ヽ::::
i i!i | | | i/ / | / ii | |ト、i:|!:::!゙!::|::::| ゙i ゙、ヾ'、 ゙、‐|、i:::::::::||:::::::|::::::::::::::::::ヽ:::
/i/|ii!//|!/!i/´i/ .|i |/ノi\i!゙、:iヽ|:::| ヽ 'i ! ヾi |'!ヽ::::||::::::/:::::::::::::::::::::ヽ
i i 川i!ハ/" _! | │川 ヾ:ii ゙'∨ | ゙ヾiヽヽ;||:::::i':::::::::::::::::::::::::
ノ ノ/リ,,,,,,二三テ=''" ヽノル |ノノヽヾ ノ 、,,,ノ,、 iヽ:::||:::::i'::::::::::::::::::::::::::::
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i i \\\\\ヽ 入 ′′′ / /:::::/:::::::::::::::::::|::::
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i! i i! /i/ \ /:::::/:::::/::::::::::::/:::::
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i i ゙! ん、,,ノ,__,,,r'' /:::::::/::::::/::::::::::::/:::://
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96 :
考える名無しさん:04/03/23 21:13
画一的に目的を決めちゃうのはアレだけど
生の意義を見出そうとする人間の思考原理を
追求するんならOKだと思うんだけどね。
97 :
考える名無しさん:04/03/23 21:16
人間の思考原理か。
しかし、その原理そのものが深すぎて、
なんらかの答えを出すと宗教になってしまうと思う。
なぜなら、その答えは人間の全てを包含しているわけではないからだ。
98 :
考える名無しさん:04/03/23 21:18
|\
|\\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
\\\ / 丶
\\\ | ___ ___ |
\\\ | |__| |__| Σ| /\
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\\ ) _し_ ノ / 丶
\\ _ ( (_人_) / _ / /\ 丶
○─\ ̄\_____/ ̄ ̄/_ / | | )
\ \ | | / ○ \_/ /
| | | | | / \ /
| | | | | / \ /
/__| |___| / \/
99 :
考える名無しさん:04/03/23 21:32
∧_∧ アナルアンサー
(⌒*⌒)´゚'ω゚)
ヽ 、ヽ \ 、_、_
とノとノ ヽ_)_)
>>96 「人生の目的は何だろう?」じゃなくて、
「人生に意義を見出そうとするというのは、いったいどういう営為なのか?」とか
「なぜ人生に意義を見出そうとするのだろう?」という問題設定ってこと?
101 :
考える名無しさん:04/03/23 21:41
>>100 そうですね、「なんで人間は人生に限らず、何事も目的を欲しがるんだろう?」
とか、「明確な意味を与えられないものにまで、意味を与えようとするのは何故だろう?」
とかです。
>101の問題が解決しないまま人生の目的を探しても
しょうがないんじゃないかと思うので。
103 :
考える名無しさん:04/03/23 21:45
104 :
考える名無しさん:04/03/23 21:45
>>100-101 そういうのなら哲学板的だね。
今の
>>1さんの問題意識だと、やはり
人生相談板とか心と宗教板に持って行ったほうがいい問題のような気がする。
105 :
考える名無しさん:04/03/23 21:47
人生の目的とまでは言わなくても、
当面の目標がないと、やる気も起きないだろう?
少なくとも、目標があったほうがないよりはあったほが
効率はいい。
106 :
考える名無しさん:04/03/23 21:49
>>104 そういう問題設定が正しいのかどうかの議論も
哲学板的だと思う。
>>1さんの言っていることも哲学板的だと俺は思うからだ。
107 :
考える名無しさん:04/03/23 21:58
とりあえず1さんは説明ちょっと下手で、意図がうまく
伝わらない時もあるけど、彼なりにちゃんと考えてるみたいだよ。
前スレでは薦められた哲学関係書籍を
早速ネットで買っちゃうくらい向学心旺盛なんだし。
金と暇が無いと無理な話だ・・・>107
人生には目指すべき二つの事柄がある。
一つは諸君が欲するものを手に入れること。
もう一つは、手に入れたのち、これを楽しむこと。
ところで、第二のほうに成功する人は人類のうちで最も賢い人だけである。
(ローガン・ピアソール・スミス)
う〜、にゃんだ。
哲学的に、っつうことにゃらば、
‘人生の目的’にゃんぞはあいまいすぎて考えにくいと思うにゃ。
「人とはいかなる存在か」。
「目的を持って生きる」とはどういうことか。
と、順々に片付けてはいかが?
>>1さんは生きる目的がほすぃのかにゃ?
「人生」と提起した瞬間に、「人が生きているということ」が
相対化されちゃうのよ。犬生とか猫生とかと、論理的に
等値になっちゃう。
ほうすっと、あんたはあんたで勝手にやれば、おらはおらで勝手。
烏の勝手でしょ〜♪ってことになっちゃうんだわ。
そういえば、いかりやちょうすけ氏、なくなっちゃったね。
また一人、役者がいなくなった。
アホらし・・・
人生論アホらし。。。
んなのただの言葉遊びだろうが。
奇麗事適当に並べてよ。
人間生きていく中で言葉に還元できないことがたくさんあるだろうよ。
どうせ生きるなら、意欲をもって生きろ。
せめて、意欲を持って生きている人の邪魔をしないように。
113 :
考える名無しさん:04/03/23 22:16
>>111 そんな暇あったら自分のスレを伸ばしてください。
114 :
考える名無しさん:04/03/23 22:23
当面の目標はあるんだ、それに対する意欲もあるし、毎日考え実行し努力してる。けどそんな自分とは別に一度しかない人生を考え、長い歴史を考え、なんで生きるのか?と考えちゃう自分がいるんだよ。
115 :
考える名無しさん:04/03/23 22:32
自己欺瞞の全ては宗教です。
社会的(協調可能な)宗教に人は必然と入信します。
そうでないのがカルト(異端児)なのです。
宗教を必要以上に否定するのは、日本の社会的宗教に染まっているからです。
宗教はDQN、宗教はダサいとする宗教。
>>115 キリスト教とて初めはカルトだった事実をお忘れなく。
例え今はカルトと断罪されていようが未来では受けいられるかもしれない。
それに宗教とは元々「反社会的」なものです。
117 :
考える名無しさん:04/03/23 22:37
触らぬ神に祟り無し。>115
118 :
考える名無しさん:04/03/23 22:41
まあ西欧哲学が「神」の概念と結びついて展開してきたのは事実だからなぁ。
119 :
考える名無しさん:04/03/23 22:51
>>118 構造のトップに仮想として据えるものは必要でしょう。
学問に目次はつき物です。親が居るから子に繋がる。
最上位層が人であろうと神であろうと、いて貰わなきゃ困っちゃう。
120 :
考える名無しさん:04/03/23 22:54
数学で言うところの集合だな
母集合が社会と呼ばれる宗教なんだから
どう切り取ったところで宗教は宗教
122 :
考える名無しさん:04/03/23 22:56
>>119 それが、他スレの「不完全→完全・・・なんで?」の1に対する
答えですね。
123 :
考える名無しさん:04/03/23 22:57
完全→不完全なんで・・・?でしたね。
たまに数学好きの工房が、入り込んでんじゃないかと思う。
125 :
考える名無しさん:04/03/23 23:01
>>121 複雑は人から幸せを奪うよ
無くてもいい複雑は無い方が良い
大雑把にいうと、自分の幸福を”最大化”させるのが
どんな人も人生の大目的としてるのは確か。すべての行動はその手段。
逆に幸福を求めない生き方ってあるかな?
ちょっと考えてみたけど、なかなか難しい・・。
一つの宗教で世界がまとまりそうもない。
このことから、目的はない、といえる。
128 :
考える名無しさん:04/03/23 23:09
>>126 無いと思うな、不幸自慢してるときの人ってホント幸せそう。
届いた本を読んでるところです。
いくつかのすでに述べられてる哲学論にも目を通しました。
人の意見を聞く事位価値のあることですよね。本にはその人の感性がこめられていますから。
さて、気になったんですが前スレからご覧になってる方はどれくらいいらっしゃるのですか?
このスレッドを見て書き込んでる方が殆どですか?
このスレッド、、タイトルだけみれば非常に誤解を受けやすいですよね?
それが人生相談に受け取られる要因ですか?
>>88 いえ、「自己」のみで物事は解決しません。
>>89 最近の考えでは、、いえ、今の考えでは私にレスの中身に必要不必要を決定する気はありません。
というよりも、今の私がそれを決めるのはおこがましいというものです。
ので、くだらないかどうかに関わらず先ず、意見に耳を傾けていきたいと思います。お気遣いありがとうございます。
それでもかなりの意見はレスをつけずにいます。
それはもうすでに語られたないようだったり、答えにくい上に質問しづらい内容であったり、、です。
130 :
考える名無しさん:04/03/23 23:17
人に最も必要なスキルはピントの合わせ方だろうな
お固くない秀才を育てるにはこれしか思いつかない
131 :
考える名無しさん:04/03/23 23:19
>>129 本届いたか。読み終わったあとどうなるか楽しみ。
133 :
考える名無しさん:04/03/23 23:28
>>126 生きてるからには幸せを望んでしまうな、望んでも手に入らないと死にたくなるもんな。そのことから人は幸せになりたくて生きてると言ってもいいのかも。
そういえば某ディーキューエヌが、僕達は幸せになるため この旅路をゆくんだ とか歌ってたけどなかなかあたってるのかも。
>>126 >逆に幸福を求めない生き方ってあるかな?
>ちょっと考えてみたけど、なかなか難しい・・。
自分から望んで世間的な「苦労」を味わう人生を歩んでるような人がいたとしたら、
その苦労もやっぱり自分で望んだものであるわけだから、
その人の人生は「幸福」な人生ということになってしまうのかな。
135 :
考える名無しさん:04/03/23 23:39
日本語の「幸福」という言葉の意味は本当は違うかもしれないけれど、
哲学で「幸福」という言葉を使うときには、他のものの手段としてでは
なく、それ自身に価値があるもの、人生の目的、というような意味だか
ら・・・。
136 :
考える名無しさん:04/03/23 23:41
煩悩が有る限り、人は幸せを求める。否定が力だとか、性欲が力だとか。
この力を、進まなきゃいけないと考えると不幸になる。引っ張られていると思うと幸福になる。
バカ女が運命を求めるのは、バカだからじゃなくて、幸福になりたいから。つまり賢いんだな。
>>135 その「それ自身に価値があるもの」ってところがどうもいかがわしいんだな。
「それ自身に価値がある」っていう部分が、どうしても疑わしいというか騙されてるというか、
そんな感じの不信感を払拭できない。
>>134 そうそう。結局、「幸福のため」に帰結してしまう。
浜崎あゆみの「幸せになるために生まれてきたんだよ」ってのは
オレは個人的になんか違うと思うんだよな。
「幸せを願うから生きてられる」んじゃないかと。
オレはこう思う。
前スレでの話題のまとめです。
快楽こそが人生の本質
心に湧き起こる欲求をみたいしていくことでしか、人は幸せを感じることができない。
心に湧き起こる「欲求」を満たそうとするベクトルはすべて快楽に向けられているのだ。
だからこそ人は快楽を求めなくてはならない。
それが人のあるべき姿である。
おなかが減って何かを食べれば満たされる。
あまりにも眠い中で休憩をもらえれば満たされる。
多くの人の賞賛がほしくて苦労を背負い込む
相手に勝つ喜びを味わいたくて苦しい練習を繰り返す。
明日の不安を取り除きたくて「地位」や「名誉」や「お金」がほしくなる。
じゃあ私は何を悩んでいるのだろう?
人類はどこにたどり着くかを考える学問
答えを待ち望んでいて与えられた答えが「快楽を求めなさい」
これからの人生の目的を快楽のために捧げる、、、そんな決断が私にできるだろうか?
答えを知ろうとすることは
単純に湧き起こる「欲求」と同じことだったのだろうか?
もしそうならそれでかまわない。
私の欲求は満たされていないのだから
すべての欲求を振り払ってからでてきた欲求が「それ」
私の人生の目的は何?
なるほど苦しい減量や練習仕事も
その先のご褒美のためにしている。
考え続けることは実は苦しい、、、、
「この世に「存在していない」のではなく「存在して(生きて)いる」ということ、それ自体がすでに奇跡」
って考え方もあるな。
そう考えるなら、この世に存在しているというだけでもう幸福というふうにも考えられる。
143 :
考える名無しさん:04/03/23 23:55
>>137 幸福の定義としてはそれでいいのではないか? いかがわしくなるのは
具体的に「幸福とは・・・だ」と主張しはじめるときだと思う。
144 :
考える名無しさん:04/03/23 23:56
つまり、アリストテレスの倫理学に帰結するわけだな。
145 :
考える名無しさん:04/03/23 23:57
幸せを願うから生きてられる、か…今一つ名言が生まれたな。
ムーランルージュで「最高の幸せとは、誰かを愛し愛されることだ」ってあったけど、それはそいつの思う最高の幸せがそうだからだよな。
結局死ぬとき自分は幸せだったと思えるか、だよな人生。人から見て不幸でも、幸せだと思えるようになりてーな
146 :
考える名無しさん:04/03/23 23:57
>>140 快楽は、もうすでに化学物質で作り出せるだろ。お前、本気でそう思って
るんなら、引きこもって麻薬に浸ってたらどうだ?
147 :
考える名無しさん:04/03/23 23:58
>>144 「幸福」という言葉の定義はだいたいそうじゃないか?
幸福の具体的内容については、いろいろ考えが分かれるだろうけど。
148 :
考える名無しさん:04/03/24 00:00
>>146 それは幸福の最大化に繋がらんな。まあとっとと死んだ方が幸福としたら
麻薬味わうだけ味わって死ねばいいのだが。
>>144 アリストテレスの倫理学にしても、
「いかなる技術・研究・実践・選択も、すべて何か善を求めていると考えられる」
って「公理」をどーんと示しちゃってるんだよなぁ。
それを受け入れられる人はいいんだろうけど、
受け入れられない人、それに疑いを抱く人はどうなるんだろ。
150 :
考える名無しさん:04/03/24 00:02
>>142 相対的ですね。だからこそ生きてるだけじゃ満足できない人がほとんど。
何か、自分が「奇跡的に生かされている!」という体験をした”直後”でないと
幸福に浸れないですねそれは。
宇宙空間で、星に生命が誕生する確率を知っても
さらにそこで人類が誕生する確率を知っても。(ほとんど0に近いくらいらしい)
「へぇー、すごいんだね。奇跡だね。」くらいしか感じませんよね。
151 :
考える名無しさん:04/03/24 00:05
相対的に移動する世界をどう見なすかで個人個人の世界観が変わる。
152 :
考える名無しさん:04/03/24 00:05
>>149 受け入れられない人は普通、客観的な善という考えは放棄して、何でも
いいからともかくその人が望んでいることがかなうこと=その人の快楽
と考えるようだね。
>>150 つまり、何らかの意味で「非=存在」(大病とか)に接近した経験がないと
「存在」の重みや奇跡には気づかないってわけか。ふむ。
ルターやハイデガーはちょうどそんな感じだったな。
154 :
考える名無しさん:04/03/24 00:06
>>148 それだったら、あなたも幸福=快楽とは考えていないんだよ。
155 :
考える名無しさん:04/03/24 00:10
>>154 死にたくないっていう欲求を満たすため、麻薬にひたるのはよろしくないと
思う。麻薬は死期を早める。
だからやっぱり
幸福を強く求める人間ほど、平坦な道(人生)をあえてデコボコにする。(したがる)
その起伏が激しいほど、「ああ、いい人生だった」と思うんじゃないかな。
まあ、マッチポンプ精神といいますか・・。
>>152 普通の人というか、日常的に生活している人はそう思う人の方が多いんじゃないか? >客観的な善は放棄
あるいは、時と場合とによって功利主義と使い分けているか。
って、統計とってないから説得力ゼロかもしれんが。
158 :
考える名無しさん:04/03/24 00:13
脳を快楽で埋め尽くすと人は死んでしまう。その際不快は認知しない。
不快が無い=幸せだとは思うが、快楽=幸せとはどうも思えない。
159 :
考える名無しさん:04/03/24 00:15
>>158 >脳を快楽で埋め尽くすと人は死んでしまう。
なぜ?
160 :
考える名無しさん:04/03/24 00:15
>>157 現代の功利主義は、客観的な善や幸福の定義は放棄しているのが普通だ
ろう。普通の人は・・・どうだろう? 人間というのはやはり「何をし
たとしても、自分がそうしたかったというだけ」というでは満足できず、
客観的に価値のあることを探すものなんじゃないだろうか?
>麻薬
前スレでも言ってたけど、
「快を求める」というコード(命令)は生物のプログラムを
単純化するためのアルゴリズムであって
その欠点が、目的を忘れて快だけを求めるようになることですね。
求めるべき価値対象(目的)とそれに付属する”快”の倒錯。
162 :
考える名無しさん:04/03/24 00:17
水槽の中で脳だけ生かしておいて、電気刺激などで快楽だけ感じるように
できるとしたら、そうなることを人は望むか? 望まないだろ、っていう
議論がどこかにあったね。
163 :
考える名無しさん:04/03/24 00:17
>>160 なんというか、謙虚という意味で、結局利己的というのはいいのだが
自分の行為を正当化したり、罪悪感を打ち消したりするのに使うのは
周りから見て良くない印象を受ける。
何か卑怯なことをして、「人間みんな利己的だし」というのはそう言うことで
救われたいから。そう言うだけならいいが、心の中では、利己なんて言葉で
打ち消さず、卑怯な行為に否定的な思いを残して欲しいと他人は思うだろう。
164 :
考える名無しさん:04/03/24 00:19
>>161 私も、そちらのほうに賛成だ。すべての人間の行動を、快楽を求める
欲求だけから説明しようとするのは、その倒錯を普遍的事実と取り違
えた哲学説だと思う。
>>160 >人間というのはやはり「何をしたとしても、自分がそうしたかったというだけ」
>というでは満足できず、客観的に価値のあることを探すものなんじゃないだろうか
そうかなぁ…そうは思えないんだよなぁ…
166 :
考える名無しさん:04/03/24 00:19
>>162 それは可能なのかな?脳が快楽を感じるシステム的に。マヒしそうじゃないか?
普段辛いところで、普通の環境に戻ると幸せを感じる。その山あり谷ありが
自然な状態だから、登っていくだけの状態は脳にとって良いのだろうか。
前スレでは欲求を満たすことが「快楽」で、人生の行動はすべて「快楽」に向けられている。
「欲求」はその「快楽」のために存在して
それを満たす行為を連続させることが「人生」である。と、こんな感じでしたね。
で、それらの先に何かがあるとしてもそれも「欲求」に帰結してしまうので結局
人生の目的を考えることも「欲求」の一部であったと。
(答えを求めること自体がすでに欲求だったと)
しかし、その欲求を満たした先には何が見えるのか?という疑問が生まれ
やはり、快楽と欲求だけで語るには不十分なんじゃないか?
という形で意見が割れていました。
>>146 まとめですから。私見ではないのですが共鳴する部分もあります。
で。そうするとどうなるのですか?何故それが私に向けられた提案になるのですか?
あなたに薬物依存者の快楽と苦痛が理解できるのですか?
それともあなたは何かしかの薬物を経験もしくは現在も継続して服薬しているのですか?
気になって横槍を入れただけですか?答える気はありますか?
薬物を軽はずみに捉えないでくれませんか?
168 :
考える名無しさん:04/03/24 00:20
哲学する際いちいち統計とる奴っていないよ。そしてお前は間違ってないと少なくともモレは思う。人生の目的=幸せとしたら、今度は幸せが何かを考えたくなる。
でも思う、こう深く考えられることが幸せだよ。小さなことを幸せだと感じられるようになったら、より幸せになれる。
心を研いた人は幸せになれる。哲学は幸福への近道かもな。
169 :
考える名無しさん:04/03/24 00:21
>>159 動機の無い能は、情報を送らない。
廃人間といったほうがいいか。
170 :
考える名無しさん:04/03/24 00:23
>>169 つまり、餓死しそうなのに食欲が満たされてたりするから、ということか。納得。
171 :
考える名無しさん:04/03/24 00:24
>>163 ん、何か話が通じているかどうか不安だ。私が言いたかったのは、どち
らかというと、利己だけじゃない、ということなのだが。人の幸福を望
むのも結局それをみて自分が幸福になるためだろ、という奴がいるけれ
ど、「人の幸福を見ると幸福になる」という性質を人間が持っているこ
とを認めるのは、人間の性質の中に利己以外のものがあることを最初か
ら認めているに等しいと思う。
172 :
考える名無しさん:04/03/24 00:25
>>161 しかし、物理学もただの仮説でしかないが、「人間の行動は全て快楽主義」という
理屈もまた、仮説にすぎないが、現状をうまく説明しているように思う。
何か、説明できない事例があるかな?
173 :
考える名無しさん:04/03/24 00:27
>>171 他人の幸福を見ると幸福を感じるように、社会道徳によって洗脳されているから
=そういう二次的欲求になってしまっているから。というのはダメかな?
コーヒー、紅茶、アルコール類、タバコも一応ドラッグですね。
>>172 快楽主義は生物全般に言えることではないのかな・・?
むしろ快楽主義を逸脱してるのは人間のような気もする。
176 :
考える名無しさん:04/03/24 00:30
不幸:パズルの額縁
快楽:パズルのピース
不快:ピースが見つからない
幸福:パズルの完成度
停止:パズルの完成
>>171 >人の幸福を望むのも結局それをみて自分が幸福になるためだろ、という奴がいるけれど、
>「人の幸福を見ると幸福になる」という性質を人間が持っていることを認めるのは、
>人間の性質の中に利己以外のものがあることを最初から認めているに等しいと思う。
ここが難しい点だな。
なんか具体的な状況挙げられないかな?
それについて考えてみたい。
178 :
考える名無しさん:04/03/24 00:31
>>175 二次的欲求によって逸脱していますね。しかしあくまで二次的欲求なので、
それをすることによって(二次的)欲求が満たされます。
相手を幸福にすることによって、それそのものによって自分が幸福になったり
することがあります。しかしそれは「相手を幸福にしたい欲」という欲ですね。
人間社会では、そういうのが、望ましい欲の形ですけども。
179 :
考える名無しさん:04/03/24 00:33
>>172 不思議だな。私は、その仮説で説明できる行動の方が少ないようにしか
思えないのだが。
たとえば、家族を殺された人が犯人を恨み続ける、というのをその仮説
で説明できる?
180 :
考える名無しさん:04/03/24 00:35
人間の行動派全て快楽主義だとしたら、親に虐待されてて親を殺しちゃったのは苦しみから逃れるための快楽主義の行動だよな。けど虐待を受けてるのに毎日泣きながら我慢するのも快楽主義の行動?
貧しい国で子供に食べさす物がなくて、どの子供かを見捨てるのも快楽主義からの行動かな?
そうじゃない、そうは行動出来ない人もいっぱいいると思う。
それを救いたいと思ってするモレの行動も快楽主義にチガイナイが。
ずーっと昔から、人間が知性を持ったときから人間の二次的欲求というもの
(条件付けによって、一次的欲求の上に成り立つ欲求)というものは
模索を繰り返してきたと思います。人間はコミュニティを作り、その仕組みを理解する。
その上で理想的な性質として求められたのが、出来るだけ利他的な人間。
(社会の仕組みとしては、全員が究極の利己であったとしても、成り立つ社会の仕組みが
現実的とされますが。共産主義が否定される理由)
特にコミュニティにおける責任が高くなればなるほど、そういった人間が
責任を持つほうがコミュニティに利する結果となった。
ゆえに、利他は道徳として、一般的な宗教として根付いた。というのが俺の考えです。
利他=善いこととずっと幼い頃から教えられるので、利他=快となる二次的欲求が
生まれやすくなる。
「他人の幸せそうな姿を見て、何故自分にも幸福を感じるのか」
って問いは今回のキーポイントになりそうですね。
184 :
考える名無しさん:04/03/24 00:40
>>181 それを言うなら、利己性だって「二次的欲求」だろう。
>>179 生物の能力である「生殖、防衛、捕食」のうち防衛本能がはたらいてると思われますね。
恨みはただ恨みでなく、目の前にしたら何か攻撃を加えたい欲求にかられるでしょう。
いわば恨みは「復讐したい欲」では?その相手に復讐を果たしたときに得られるのは快では?
いちおう、俺は快楽主義の前提に立ちますが、自分自身信じきっているわけではありません。
恨みか、、微妙かな。どうかな。
>>180 快を望むのと、実際果たせるかどうかは別なのでは。
>>180 >けど虐待を受けてるのに毎日泣きながら我慢するのも快楽主義の行動?
逃げ出そうと思ったが、それが失敗して
これまでよりひどい虐待が加えられるのではないかと恐れ、
逃げ出すことによって生じる不利益と我慢することによる不利益とを比較し
後者の方がよりマシだと判断した、とか。
あるいは殺そうかとも思ったが、それによって警察に捕まり
法的・社会的制裁を受けることを予測し
その不利益とそれを我慢することによる不利益を比較し
後者の方がよりマシだと判断したとか。
赤ちゃんは初め、母親と自分を同一視しているが
父親の存在によって母親と自分が引き離される。
父親(=他者)とうまくやっていかなければ
自分は母親(快)を得られない。居場所もない。
それが社会参加の第一歩だってのがありましたね。
オイディプス・コンプレックスだっけ?
188 :
考える名無しさん:04/03/24 00:44
>>185 しかし、復讐は不可能であり、したがって復讐の欲求を放棄した方がより
苦痛が少なくなると言うことが分かっていても、復讐欲は消えないでしょ?
復讐欲ね、それはあるな。
>快楽主義
これには不快を避けたい衝動も含まれますよね?
だったら「〜よりマシ」理論で色々説明つきそうですが。
191 :
考える名無しさん:04/03/24 00:48
面白いところなんだけど、そろそろ寝なければ・・・。またね。
倫理・道徳の根本問題だけに、面白いけど難しいね。
194 :
考える名無しさん:04/03/24 00:51
>>185 178ぱ、人の行動=快楽主義によるもの の反対例として考えたものだから。ただ快楽のために行動、を出来てない人もいるんじゃないかと思って。
>>186 そんなのかもな。
191は睡眠欲求を満たそうとしたのか、もしくは
「面白いところだけど、このまま明日寝坊して
怒られるより、今寝たほうがマシ」か・・。
ただ、この「快楽主義」的な説明はかなりの行動を後付けで説明できそうではあるんだけど、
じゃあその場その場で決断をせまられる日常的な場で
自分たちがいつもそんなこと考えて行動しているかというと、違うような気もするな。
やはり「そう行動することが習慣化していたから」ってことになるのかな。
見た目が利他かどうかは関係なくて、結局「したいと思ったことをする」のが人間である
から、、、というのが問題ですね。もちろん、二次的欲求は利己性に根ざしているだろうし
一次的欲求から出る行為でも、傍目から見れば利他になってることもあるかもしれない。
しかし欲求から出た行動である以上、満たされれば快であるし果たされなければ不快である
という原理からは逃れられないのでは?
利己的欲求なら、自分が利すれば快であるし、利他的欲求なら、他人が利すれば快である。
>>196 習慣も大事な要素ですね。快とか不快とか考えなくても、反射でしてしまう行為。
ヤカンに触ると、熱いから不快だからパッと手を離すのではなくて、あくまで反射。
自覚的にする行為=欲求に基づく行為だけが問題になる。
198 :
考える名無しさん:04/03/24 01:27
人には大切なものがある。
それは
凛の幸せだ
最終回見逃しました。
200 :
考える名無しさん:04/03/24 01:32
淡々と終わった
201 :
考える名無しさん:04/03/24 01:34
如何にして童貞を捨てるかの命題に比べれば、
人生の意味を探す事など、2ちゃんねるのレスひとつの価値しかない
詠み人知らず
202 :
考える名無しさん:04/03/24 01:34
んげっ哲板見てて、見忘れた!
203 :
考える名無しさん:04/03/24 01:40
おいおいほっといてくれよ。つーかそんなわけねーだろ。
204 :
考える名無しさん:04/03/24 02:02
>>201 そんな命題、腰巻姿のバァさん一人で吹っ飛ぶだろw
人生の目的を考える事は深いですね〜。
尊敬します。
Selfactualizaton!!
この言葉以上に否定できない説明できる言葉は無いと思います。
207 :
考える名無しさん:04/03/24 02:35
そだね
「ソフィアの日記」
私はいろんな事を考えるのが好き。
でも、一つ思いついた事があるとそこからはもう他の事は
考えられない性質も内在しています。一方、絶えず変化を繰り返したり
もします。これは私の心という掴み所のない意味と現実への力量とその感情が、
宇宙の星星のようにコンセプトの形として存在し、その中に様々なコンセプトが散りばめられ
その一つ一つの欠片が同じ方向をもった時に集まってコンセプトの星が誕生したり、
同じ所で静止したままの信念であったり、集まった星が銀河系のように
渦上に流転してリズミカルな心境の変化のサイクルになったり、
コンセプトが深く煮詰まり矛盾して爆発して消滅したり
感情的な力の作用によってブラックホールのように虚無感の中へ
消え去ったり、新しいコンセプトが生まれて新しい星の光を発散させたりする、
事象の様々な出来事のほんの一つでしかないのです。
まるで私の心の外の世界のように全ての事象が現実に起こるくらい
限りなく多彩な事象があるみたい。だからこそ私は自分の行いに
反省はするものの、後悔はしたくないのです。
そして、自分の現実への表現に全ての可能性があると信じたいのです。
この事すら、私の心の宇宙の中の出来事として在るのです。
だから、最終的に自分の人生、心について結論を下すのはあたかも
宇宙の終わりを特定する事のように難しく感じます。
ここで一つ問題がおきます。現実に行動として過去、結果をつくっていく
のはその過去結果に変わる私の心の宇宙にある星星全てのコンセプトの
全体の総意であるとは言い難いのです。どうも私の心にある一つの焦点に
一定のカテゴリーにあるコンセプトを集中させる感情の力が急に暴走して
歯止めが利かない事が起こるのです。 これは私の心の外の事象も互いに
影響しているらしいのです。この事について私が自分の心に説明できるのは
「確実にその意味を特定する事は不可能」だという事です。
恐らく、この問いは「絶対に否定できなくて、しかも考えられる全て
の意味を同時に含む」内容の言葉が言葉で定義できる
内容なんだろうと思います。
だから、答えにならない答えですが、「生まれて生きて死ぬ」事が
不正解と決定できない回答だと思います。
210 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 03:25
>>208 ホントに考えるだけが好きみたいだね。
文章に目的が無いんで、すぐわかるよ。
きみは考えるために考える。
行動を選ぶために考えるんじゃなくね。
だから迫力もないし、感動もない。
ましてや美しさなど出て来ようがない。
しかたがないので・・日記?
少しさびしい。
211 :
家沼 判断 that's。:04/03/24 03:47
合目的性
お父さん お母さんの愛。
これから、あなた自身の愛。
未来の愛
212 :
?AE?A`?@?》?f?@that's?B:04/03/24 03:49
失敗した
macはダメ
あったまきた
213 :
?AE?A`?@??t?f?@that's?B:04/03/24 03:51
もうしらない
ぼくじゃないよ
214 :
Sophia ◆g3Af67/LIs :04/03/24 03:58
>>210 どんな文章にも目的があります。
何故なら、文章の中には必ず「あるレベル」で思考が含まれているからです。
その文章に目的が無いと受け止められた時、論理的にはそれは読み手が
その文章の目的に対し、盲目になったか興味がないかのどちらかになります。
ちなみにあの文章は私の想像の世界とその時の感情を組み合わせて
心境を描写するという目的で書かれています。
たとえその文章が稚拙であれ矛盾であれ、人が書いた以上必ず
その心境や感情の全部でなく一部が自動的に含まれます。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
224 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 04:16
>>214 目的とは、物理的すべてを言わない。
価値あるものを指す。
自己の肯定はいいが
正当化、過大評価はヤメとけ。
225 :
Sophia ◆vYp/Aj50dQ :04/03/24 04:18
エリックフロムによれば 人は自意識の為に
人は集団の中で自律性を失い、自立性へ逃避し、
個人主義の中で集団意識を失い そしてまた集団へと帰っていく。
そして、自立性、集団性へ帰属する事に失敗した人は
物質主義、権威主義へ傾倒し、精神生活に支障をきたすそうです。
ヘーゲルの理論から彼はこれを主張したのですが、
この彼の思想の中のヘーゲルは何の理論なのでしょうか
226 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 04:22
>>225 ヒトのクチを借りるのもヤメといたほうが良い。
自分がドンドン無くなってくぞ。
自分の頭とクチを使え。
きみの文章のほとんどが、意味を成してないのは
その所為かも・・。
あぼーん
228 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 04:29
>>225 頭は悪くなさそうだから、
余計なヨロイをつけなければ、
自分らしさが出てくるはずだが・・・
もう寝る。 (⌒0⌒)/~~ 「自分の言葉を捜せ、楽するな♪」
229 :
Sophia ◆3QQMcUXOHo :04/03/24 04:47
>貴方達はすこし引用について勘違いがあります。
私は人の口を借りている訳では勿論なく、
ある学者のアイデアの一部について他に詳しい人がいれば
その人の解釈を読んで見たいのです。
間違っても 引用=えらい という意図ではありえません。
望まないし快も何もない、したいとも思わない、ってことを進んでする状況は
どういう状況だろう・・・
例えば、「あ〜、ハラ減ったな。飯くいに行くか」
と思いながら机に頭ゴンゴンぶつけてたりするわけですよ。
「おいおい、俺はそんなことしたくないんだよ。痛いよ。なんでだよ」とか
思いながらゴンゴン。
それ、精神病じゃ・・・
快もないし全くもってしたいともなんとも思わないことをする、ってのは
行動基準が定まらない。何してもいいことになる。そういう精神病患者が
自分のうんこ看護士さんに投げたりとかするんじゃ・・・
へぇー
したいことをする、となるともうそれは結果が快になってしまう。
したくないことをする、としても、未来に快を見ているとそれは長期的に見て
快を求めている行為。
それでは、短期的にも長期的に見てもまったく快にならない行為。
その場の感情を満たすでもなければ未来のための苦労でもない。
そういう行為が、ある程度普遍的な人間の行動としてあるならば
快だけを求めているのではない、とすることも出来るが・・・
病気
トートロジーに現実逃避
分裂症。
234 :
Sophia ◆VmQ3CYVa1U :04/03/24 05:12
あんまり学者のセオリーとかはみんな興味ないんですね。
カレンとかアンナフロイドとかカーテルとかチョムスキーとか
エリスとか数え切れないくらいいろんな学者達が
セオリーをだして心理、人の在り様について意見を述べているのに。。。
呼吸をする、まばたきをする、爪がのびる、その辺の意識せずとも行ってる
行為は除く。
そういう行動があるとしたら、種族保存の本能によるものか。
生命の危機を感じると、己の身を守るのもそうだが、なぜか種の保存行為を
行いたくなるとか。いやでも、それに関しても「したいと思う」のだしな。
何より種の繁栄・保存をモットーとしてきた生物だけが数億年の時を越えて
淘汰され残っているのだから、可能性としてはありえないこともないかも
全然したくないのだが、種の保存本能に引っ張られてしてしまう。結果は不快。
しかし肉体は言うことをきかない。
タイピングへたくそです。
時間掛かり過ぎちゃいますよ。
ギャルゲ−しようぜ。
完
あぼーん
239 :
考える名無しさん:04/03/24 08:57
( ´д)ヒソ(´д‘)ヒソ(д‘ )
つか、元1が知りたいのは
「人生の目的」っつーより「人類の存在意義」なのか。
さすがにそこまで考えたことは無いけどね。
今流行りはエコロジーだね。
つまり「人間だけではない何か」への貢献ってわけだね。
240 :
考える名無しさん:04/03/24 10:28
>>232 欲求が満たされれば快を感じるだろうし、満たされなければ苦痛を感じるだろう。
しかし、これは<すべての欲求は快への欲求である>ということではない。
>>sophiaさん
日記の中に理解が難しく私の感じた内容があなたの書きたい内容と同じか分かりませんが
引用の点に関しては全く同じことを感じます。
せっかく偉大な先人たちが残してくれた理論を学ばないのは実にもったいないことです。
読めば他者の感性をより早く吸収し、もう話すことができない人の考えを学ぶことができます。
引用は自分の考えを収縮させることにつながりません。
それをもって先に進むことがより重要だからです。
>>239 人生の目的と、人類の存在意義は同義です。
いえ、人生の目的に人類の存在意義が内在しているともいえます。
>>178 提案というかなんというか、、、
人の感じる快不快は後天的なものか先天的なものか?
多くは1次的欲求と2次的欲求で片付くかもしれませんが、、いかがでしょう?
242 :
考える名無しさん:04/03/24 11:27
>人生の目的と、人類の存在意義は同義です。
(゚Д゚)ハァ?違うだろーが。
あるいは、アンタの頭の中ではこの二つを同じものだと考えていたということなら、
最初から「人類の存在意義」と言っておけば良かっただろうが。
その辺のあんたの意図が不明瞭だったがゆえに、
これまであんたの意図を今の今までず〜っと誤解してきたんだろうが。
言葉の使い方が下手すぎ。
>>242 そうですか?
仮に人生の目的であれば答えはすぐに出たのですか?
皆とはだれのことですか?
今まではいつからのことですか?
初めから読んでいたあなたに今何を話しているかが本当に理解できないでいるのですか?
それとも言葉尻を何とか捕まえたいのですか?
それから1文だけ抜き出すのもやめてくれませんか?
全体で一つの文章であることもありますよね?
244 :
考える名無しさん:04/03/24 11:38
>>243 自分の失態を指摘されて逆ギレするのはやめろよな。
245 :
考える名無しさん:04/03/24 11:41
>>242 まあそんなに目くじら立てなさんな。
>>1さんは、日本語が不自由なだけなんだから。
>>244 そういうことではありません。
今まで読んできたのであれば、それくらいは分かっていてほしかっただけです。
今さっきチラッと読んだだけであるのなら、それはそれでそう言ってもらいたかったんです。
加えて人生の目的という表現が私の失態であったとすると今までの議論がすべて意味のないものになりますよね?
それは、今まで真摯にスレに参加いただいた方に対して失礼です。
繰り返しますが今まで読んできた方で、上記のような誤解をしている方がいるとは思えません。
たまたま今読んだだけですよね?
247 :
考える名無しさん:04/03/24 11:48
誤解かどうかはともかく、
>>1の言葉が下手なせいで、
参加者がテーマを掴みきれずに議論が四方に散りまくっていたのは確かだな。
これはうまく説明をしてスレを思った方向にリードし切れなかった
>>1の責任と言われても仕方あるまい。
248 :
考える名無しさん:04/03/24 11:54
そもそも、人生は実体なのか名前なのか、外延的に定義づけていくのか、
内包的に定義づけていくのか、それくらいは
>>1が整理してもよさそうなのだが。
249 :
考える名無しさん:04/03/24 11:57
>>248 同意。
それなのに
>>1はその辺の定義をなんらしようとしないまま、
「そんなの自明だから、みんなわかってるでしょ?」
という感じで議論を進めようとしている。
これでは哲学的態度とはいえまい。
250 :
考える名無しさん:04/03/24 12:01
哲学は言葉で語り続け相手に自分の意思を伝えていくものなのに、
その言葉(日本語)をうまく使えてないのはちょっとなぁ…
人生の意義だとかどうだとか大きなことを言う前に
まず現代文や小論文の勉強からやり直してみてはどうだろうか。
>>247 思った方向にスレは動いています。
いえ、動いていました、動いていたこともありました。
ただ、タイトル以外は何も継承されなかったので前スレを読んでいた方以外は中身を感じ取れないスレになっているのではないでしょうか?
うまく説明することがどういうことか分かりませんが
私の考えは思ったように伝わり、私の知りたいレスがつき、私の望むような議論は行われていましたよ。
「人生の目的を考えませんか?」勘ぐることなくこのままこれに答えればいいだけでもあります。
それが人により「快楽」に置き換えられたり、「死」に置き換えられたりしてるわけですよね?
前スレではこう続きました。
何故生きているのか?
何故死ぬのか?
私たちはどこへ向かうのか?といった感じで。
>>248 繰り返しますが、これまでの過程、私が思い立った時の出来事
それらを読んでいただけている上で書き込んでいるんですよね?
252 :
考える名無しさん:04/03/24 12:03
253 :
考える名無しさん:04/03/24 12:05
そもそも、人生は実体なのか名前なのか、外延的に定義づけていくのか、
内包的に定義づけていくのか、それくらいは
>>1が整理してもよさそうなのだが。
定義まだあ〜?
254 :
考える名無しさん:04/03/24 12:13
>>1さん、定義をお願いいたします。
その辺の定義が曖昧なままでは、まともに哲学的な議論を続けることなどできません。
「そんなのはする必要はない。私はこのままの状況でいいのだから」
というのなら、
>>1さんのやっていることは「哲学」ではありません。
どうぞこのスレは
>>1さん以外の人に任せ、
>>252にある板にでも行ってください。
そのほうがずっと
>>1さんが求める「答え」が手に入りますよ。
これは茶化して言っているのではありませんよ。
>>254 えーと。
人生を定義すればいいのですか?
私(あなた)がこの世(そう感じられる現実)に生まれて、その生命を終了(現段階で終了するであろうと思われるまでの時間)するまでの事。
256 :
考える名無しさん:04/03/24 12:27
>>255 曖昧です。
なによりも「〜の事」が指し示すものがなんなのかよく分かりません。
空間的に表象された時間をさしているのですか?
その時空内における諸事象をさしているのですか?
>>254 この様に定義したとしてもですよ?
それでは死ぬこととはどのような状態でしょうか?
生まれているとはどういった状況でしょうか?
生きているとはどういった状態でしょうか?
と、疑問は尽きないですよね?
答えと問題は同じものですよね?
(りんごを1つ、そこに新たにりんごを1つあわせていくつか?
りんごが1つありそこに新たにりんごが一つある状態です)
それを私たちでなるべく答えに近づけようとしている行為が私の望んでいることなのです。
そして詳しいその理由や理論はすでに書き綴ってあり
私はその先を考えてみたいのです。(存在するのであれば)
私のしていることが哲学ではないとすると哲学とはどのようなものですか?
そしてあなたの言うようにすれば本当に答えが見つかりますか?
そういえる根拠はどのようなものですか?
私も茶化していません。
>>256 目の前に捉えられるものが現実であるという認識ができて
またそれが続く範囲がおそらくはこれからも続くであろう時間の流れ。
また、それがおそらく「自分」と思われる意識と、それ以外の意識を完全に消失してしまうことが予想されるまでの時間
259 :
考える名無しさん:04/03/24 12:34
>>258 要するに、「空間的に表象された時間」それ自体ということですね。
回りくどい言い換えはしなくて結構ですよ。
260 :
考える名無しさん:04/03/24 12:36
261 :
考える名無しさん:04/03/24 12:37
で、そうのような時間そのものに何か目的が内在するとは思えません。
もし、目的が内在するというのなら、証明をお願いします>元1
>>259 「空間的に表象された時間」
意味がわかりません。
空間的にというのは?
何を表象したじかんですか?
あ、いやでも、それで理解してるようであれば私のほうで考えますね。
>>262 時間とはどういうものか、頭の中で思い浮かべてみてください、イメージしましょう。
ほら、それが「空間的に表象された時間」 です
>>261 あなたが目的が存在すると思わないので私が存在する理由を提示する必要があるのではなく
私が目的が存在すると思うから私に目的を証明する必要が生じているのです。
そしてそれは私個人が「自己」で完結できる問題ではないのでこの様に問題として提起しているのです。
もし、あなたがご自分の人生に、目的が内在(あなたの言葉を借りれば)しないと思うのであれば、何のことは無いここに来る理由がないのです。(つまりここで話す内容はあなたにとって興味があるないようではないということです)
それでも、何故書き込みをするのか?
それは私が聞きたいことです。
文章からは先ず「人生」「目的」を個別に定義してその上で人生の目的を捉えようという事なのかもしれませんが,それに答えることこそがすでに人生の目的に答えることに同義であると思いますよ。
265 :
考える名無しさん:04/03/24 12:50
>>264 >それでも、何故書き込みをするのか?
>それは私が聞きたいことです。
あなたの人生論は哲学の議論にはなりえないことを知らしめるためです。
>>261 私なりにその行動を考えると
ただのおせっかいか、実は興味深いか、目的があるのだと考えているか
言葉遊びがすきなのか、討論することがすきなのか、自分の理論を展開させたいのか
興味は尽きませんが
「人生」という時間の中に「目的」が存在しないのが答えであれば
それがあなたの意見になりますよね?
お気持ちあればその線で、今後も参加いただければ光栄です。
>>264 ああ、、そういうことでしたか。
真に残念です。
これから愚見を聞いていただき、またあなたの意見を伺いところでしたが
ただただ、このスレの存在が気に入らないだけでしたか。(いえ、私の存在が気に入らないともいえますね)
ただただ非常に残念ですが目障りであっても気にしないようにしてください。
削除依頼を出すなどの行為に及んでいただいても結構です。
真に申し訳ありませんでした。
それでも私はこれがここで論じられるべき内容であり
それがひいては自分に帰る内容であると信じていますけどね。
268 :
考える名無しさん:04/03/24 12:55
>>266 感情的になりすぎると議論は破綻します。
さあ、私と討論しましょう。 再度要請します。
↓
で、そうのような時間そのものに何か目的が内在するとは思えません。
もし、目的が内在するというのなら、証明をお願いします>元1
269 :
考える名無しさん:04/03/24 12:56
>>257 >この様に定義したとしてもですよ?
>それでは死ぬこととはどのような状態でしょうか?
>生まれているとはどういった状況でしょうか?
>生きているとはどういった状態でしょうか?
>と、疑問は尽きないですよね?
そういう問いかけをひたすらに続けていくのが「哲学」というものだと思いますが。
>答えと問題は同じものですよね?
>それを私たちでなるべく答えに近づけようとしている行為が私の望んでいることなのです。
>そして詳しいその理由や理論はすでに書き綴ってあり
>私はその先を考えてみたいのです。(存在するのであれば)
この部分、何を言っているか意味が分かりません。
>そしてあなたの言うようにすれば本当に答えが見つかりますか?
答えが見つかるかなんて、そんなこと誰にも分かりません。
哲学がすることは、「真理」に向けて各人がひたすら思索の道を作っていくことだけです。
森の中で、奥のほうで光を見つける。しかしあなたの周りはやぶで囲まれ道がない。
シャベルやブルドーザーなど道具はもちろんない。それでもあなたは光の方に向かって行きたい。
やむを得ずあなたは、やぶを自分の足で踏みしめ道を作りつつ、一歩一歩光の方に向かう。
一歩一歩そうやって光の方へ近づいていくが、光へは全然たどり着けない。
光への距離は縮まったのかどうか、それすら分からない。
もしかしたらどんどん遠くなってすらいるのかもしれない。
それでもあなたは、光の方に向けて一歩一歩道を踏みしめて作りつつ、
進んでいくことを続けるしかない。
哲学とはこういう営みかもしれません。
>>268 ええ、そう言っていただけると信じていましたよ。
あなたとの話も興味がつきませんが
私もいい加減仕事をしなくてはならなくて、昼から見入っているんですけど
困ったものですね。
夜にまた来ますから
時間があればこちらをみてあげてください。
手前の愚見を並べてあります。
また、先のスレで出た意見のまとめらしきものもありますので。
私はまた参りますので、その時またお話させてください。
http://www55.tok2.com/home2/tao/
>>270 ああ、本当にごめんなさい
またきますから、またお話させてください。
できれば、だれだかわかるようにしてくれると助かります。
数字でも結構ですから。
273 :
考える名無しさん:04/03/24 13:02
真理というのは科学とか数学の世界の話だよ。
それ以外で真理があるとなんて知っているんだ?
先入観だから「知っている」んだよ。
274 :
考える名無しさん:04/03/24 13:04
>>270 >哲学がすることは、「真理」に向けて各人がひたすら思索の道を作っていくことだけです。
異議あり!
なんであなたはまだ真理を知らないのに真理に向かっているとわかるのか?
275 :
考える名無しさん:04/03/24 13:04
>>264 >あなたが目的が存在すると思わないので私が存在する理由を提示する必要があるのではなく
おおありなんじゃない?
>私が目的が存在すると思うから私に目的を証明する必要が生じているのです。
ご自分の直感を信じられないということかな?何のために証明が必要なのでしょう?
もう少し明解な言葉でお願いしますね。
>それに答えることこそがすでに人生の目的に答えることに同義であると思いますよ。
さらに意味不明なのであります。
276 :
考える名無しさん:04/03/24 13:08
「1(元」のサイトでこんな文章を見つけた。
↓
このサイトは私が「人生の目的」を手に入れるためのサイトです。
訪れたあなたにもし興味があれば是非一緒に考えてみてください。
1は乞食趣味でもあるらしい。
>>273-274 まあそうですね。私も「真理」という言葉を使ったらそうツッコまれると思ってました。
反省。
278 :
考える名無しさん:04/03/24 13:09
>>1 真理を知らないのに真理に向かっているとわかるということは実は真理
をあらかじめ知っているということだね。
あらかじめ知っている真理をなんていうか知っている?
ドクサっていうんだよ。
279 :
考える名無しさん:04/03/24 13:10
280 :
考える名無しさん:04/03/24 13:17
結局、
>>1は徹底的に議論をぶつけ合って意見を展開させていきたいんじゃなくて、
ここに出てる意見から自分に都合のいい部分だけを拾い上げ継ぎはぎして
自分の欲しいものを作り上げたいだけなんじゃないのか?
それじゃ哲学じゃないだろ。
281 :
考える名無しさん:04/03/24 15:07
まあ1氏は哲学書を読み漁っているようなので、そのうち議論に値するテーマを
考え付くことでしょう。
1氏の反論を見ていると、それこそ相手の言葉尻をつかまえているだけのような
感じも受ける。とりあえずは、書を読み知識と見識を深める事。
282 :
天地 薫 ◆gAgMIQIX.w :04/03/24 15:10
>>1 自分の真理、自分の正義に向かって生きるべきでしょう。
共通の目的は無いと思います。
283 :
考える名無しさん:04/03/24 15:10
>>240 欲求は満たされることを欲して欲求。その先に快を必ず求めている以上、
快楽のための行為であるから、欲求は快楽を求めるものである。
結果苦痛になってしまうのは、欲求を果たせなかったのだからそれは、快以外の
結果が出るのは自明。
では<すべての欲求は快への欲求である>ではない、<快への欲求でない欲求>とは?
284 :
考える名無しさん:04/03/24 15:11
本を読んだって哲学を知る事しか出来ないけどな
哲学をするってのは大した精度を要求しない
哲学に置ける疑問と着想は生活の中から汲み取れる
285 :
考える名無しさん:04/03/24 15:13
>>284 まあ、誰しも義務教育では、教科書をベースに思考を学ぶものです。
あるのと無いのとでは学習効率に差が出るでしょう。
哲学書を読んでも、その中にある意味を汲み取ろうとしなければ無意味ですが
というか、あまり難解な哲学書なんか読んでしまうと どういう意味なのか
考えてるだけで日が暮れそうだ
286 :
考える名無しさん:04/03/24 15:23
>>283 欲求が満たされたとき快を感じ、満たされなかったとき苦痛を感じると
いうだけでは、その欲求が快楽を求める/苦痛を回避する欲求だという
ことになりませんよ。
287 :
考える名無しさん:04/03/24 15:53
『真面目に人類の存在意義を考えませんか?』
初めから、こういうスレタイにすりゃ混乱も無かったような。
>>287 ついでに心と宗教板に立てるべきだったな。
>>288 元1はそうやすやすと宗教に染まるタイプとは思えないが。
まあ、案外そういうタイプなのか。
バリバリの物理オタクだった高校生が
大学で宗教目覚めちゃった人知ってるし。
290 :
考える名無しさん:04/03/24 16:19
哲学は思考力トレーニング学だって事に気づけ。
人類の存在意義なんちゅーテーマになるとさ、
人類の上に立つ何かを設定しなきゃいけない。
その設定の違いが宗教に現れると思うのね。
292 :
考える名無しさん:04/03/24 16:41
自分を考えることは、人類を考えることにほかならない
294 :
考える名無しさん:04/03/24 16:56
age
295 :
考える名無しさん:04/03/24 16:58
オラオラァ!! 膣で出してやるぜ!!
/ 人 。 ミミミ/川川川\ミミミ
/ /| ミミ〇川|||/ ヽ|||||〇ミミ
/ / | /干\| |川メ 卅川
\ \ | | (|| > < ||) _ 違う穴だから
\ V_⌒v⌒\〉 ゝ U?U ノ 赤ちゃんができないのれす!!
\__ξ 丶/⌒ - - ヽ
/ \ | | / |
/ ノ\__| |___,_ノ |
ビュクッ…ビュル | | ゜ ゜ | |
ドクッドクッ
296 :
考える名無しさん:04/03/24 17:04
「人類の存在理由なんて考えるのマンドクセから後の時代に委ねるわ」
ってゆうのをずーっと繰り返してきたわけだ。
目的が果たされたら人類要らなくなるのか?
キキ+キ理論に拠ればそうなるが(w
297 :
考える名無しさん:04/03/24 17:04
298 :
考える名無しさん:04/03/24 17:06
結果論だから証明にならない、というのなら、およそこの世の理論のすべては
結果論かと思うが・・・物理学しかり。
その理論で説明できない状況が出来たときに改変の必要が出てくるのであって
<快への欲求でない欲求>←これが見つからないと。
299 :
考える名無しさん:04/03/24 17:06
「人類の存在意義なんて考えるのマンドクセから後の時代に委ねるわ」
ってゆーのをずーっと繰り返してきたわけだ。
もし、その目的が果たされたら、極端な話、人類は用済みになるのか?
キキ+キ理論を敷衍すれば、そういう結論に達するが(w
300 :
考える名無しさん:04/03/24 17:35
>>299 快楽を満たされたら死(廃)に至るんだから、あってると思うよ。
301 :
考える名無しさん:04/03/24 17:35
みんなセックスを事大視してるよ。
やっぱセックスのリアリティーがないせいだと思う。
ふぇらもあなるも特別な行為でないし。
302 :
考える名無しさん:04/03/24 17:36
オラオラァ!! 膣で出してやるぜ!!
/ 人 。 ミミミ/川川川\ミミミ
/ /| ミミ〇川|||/ ヽ|||||〇ミミ
/ / | /干\| |川メ 卅川
\ \ | | (|| > < ||) _ 違う穴だから
\ V_⌒v⌒\〉 ゝ U?U ノ 赤ちゃんができないのれす!!
\__ξ 丶/⌒ - - ヽ
/ \ | | / |
/ ノ\__| |___,_ノ |
ビュクッ…ビュル | | ゜ ゜ | |
ドクッドクッ
303 :
考える名無しさん:04/03/24 17:39
/ \
/● ● \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ Y Y| <せめて童貞卒業してから氏ねよw
| ▼ //// | | | \_______
|_人_ \/" \
\/ ” \
,.. -──- 、, |" ”” \
,/ `''-、 \
., ' ``ヽ;‐‐-, _ |
/ ゙i'ヾ、| | ドピュッ ドク…
,! 、 i | / |
l ┬-,.、, ヽ !. | / / |
| , |/ ヾ、|' | | | |
| | ! ,、 、 l ! l | | | |
| |/ト, / ヽ lヽ l、i. ! ! _| | | |
| | `lヽ/////!| l |二_l ,.゙r-‐'! | |
ア…アア…! | `''=ニ三ヨ'"| |三二三l | (((___| !| | _/ ̄ ̄/
゙、 ! | | ,! !"T'''''T" |. ! ! | \___/
ヽ、l. | | | / | ! l. ',. | /
| ! | / ,|. |`''} (( ̄l,,__,i、_ /
,.:ェ''" l ´ `| !''" / ノ
"''='-‐'゙ / ', 'ー''"
'イji,j、j,i
快楽=セックスという短絡思考もどうかと思いますが
305 :
考える名無しさん:04/03/24 17:51
快楽=セックスは短絡じゃないよ
306 :
考える名無しさん:04/03/24 17:52
セックスは人間が開発した快楽だと思うな。
307 :
考える名無しさん:04/03/24 17:55
>>1 真理を知らないのに真理に向かっているとわかるということは実は真理
をあらかじめ知っているということだね。
あらかじめ知っている真理をなんていうか知っている?
ドクサっていうんだよ
一応ここでいう快楽は、快を得られるもの全般ですよ。ドラッグは例外として。
309 :
考える名無しさん:04/03/24 17:58
>>293 誰でも自分以外の者には、なれない
だから、他人や人類のことは
自分という鏡を通して見るしかないのだ
310 :
考える名無しさん:04/03/24 17:59
改行は控えめでお願いします
311 :
考える名無しさん:04/03/24 18:28
セックスの快楽はやはり別格だな。
312 :
考える名無しさん:04/03/24 20:44
セックスにも飽きた。
313 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 20:45
人生の目的を考えることと、まじめに生きることがここでは(問題の提起者には)
同一視されているように思いました。
しかし私は多くの人が考えるように(まったく逆のことも多くの人が考えるようですが)
人生に目的は無いように思います。
イチローは野球をやるために生まれてきたような人と思いますが彼は別段バットとボールを
持って生まれてきたわけではない。もし彼のお父さんが彼をバッティングセンターに
連れて行かなければ彼は野球をしていなかったかもしれない。
人は何かの目的を持って生まれてきたわけではない、私はそう思うのです。
ですから、私はまじめに生きるということを強引にでも何かと等しいと言う場合、
それは人間の無目的性と向き合っていくことと等しいのだ、というべきだと思うのです。
314 :
考える名無しさん:04/03/24 20:46
ルバイヤートをよめ。
おまえらよりも格段に当時世界1頭の良かった先輩は
人生は 酒と女だ と 仰っておられる。
さぁ 飲め飲め。
316 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/24 20:50
人生に目的があるのならどんなに生きるのが楽になるか考えてみろ。
目的に向かって生きるだけなんてさぞ楽だろうよ。
317 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/24 20:52
そもそも目的を達成した後はどうなる?
そこから死ぬまでの間また代わりの目的探すんかい?
318 :
考える名無しさん:04/03/24 20:53
>>317 君はストレスを何とかして解消しようという目的があるじゃないか。
大いに幸せな目的だ。
319 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 20:55
>>316 あなたのいう事ごもっともだと思います。
でも例えば、医者が息子に「医者を継げ」って言って
皆が皆、楽なわけじゃないでしょう。
目的を与えられるのは不自由ですやっぱり。
321 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 21:19
>>313 人生の目的を具体的事例に特定してしまうと、そういった問題がおこる。
もともと一般的な問いなのだから、その問いに対する答えも、一般性
のある答えにしたほうがいいだろ。そうすれば、その問題は避けられる。
>>317 目的の奥に在る本質が、簡単に達せられるとは思えない。
多くの人は目的達成手段を目的と勘違いしている。
例えば、金メダルを取る←これは最高位の象徴であり、その奥は
「誰よりも強くありたい」というのが目的の本質かもしれしれない。
その場合、挑戦者は次々と現れるワケだから、目的を達成してしまった
と完了させることはできないだろ。
好きなヒトと結ばれる、良い酒を飲むetc. ・・なども、同様と思うが。
表面上の目的に潜む本質’を把握し、それを目的としなければ、
三浦の言うとおりとなるw
むずかしいのは、自分の満足の本質を把握することだ。
322 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 21:29
>>320 あなたのいう事も、ごもっともです。
私は目的が与えられる、あるいはもともと備えられてるとすれば
それに沿うことや沿わないことが可能になると思っています。
つまりその目的に従うにしても従わないにしてもそこに行動の一つの
指針が生まれるように思うのです。
323 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 21:37
>>321 私に対する反論に非常に興味があります。
たとえばイチローのような具体的な例は好ましくない、
人間全般といった一般論で語れば我々には目的がありうると言う主張でしょうか。
もしそうであったなら、私にはこのような議論展開には少し問題があるように思います。
それは、人間全般では目的は語られうるけれどもいざ個人個人に目を向けるとその目的は
とたんに無力になる、と言う事態が(地球人さんの主張が正しければ)そこに起こるように思うからです。
324 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 21:41
325 :
考える名無しさん:04/03/24 21:43
ごもっともさんの論調の趣旨が分からない。
326 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 21:43
>>321 「ここにあるすべてのジュースはコカ・コーラ製という共通点がある。
一方でここにあるこのジュースはコカ・コーラ製でない。」
と言う主張のような矛盾を私は感じるのです。
ただあなたの主張を私があやまって解釈しているかもしれませんが。
327 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 21:46
>>326 ○○の人生の目的←誰の人生の目的を語ってるんだ?
きみ自身か、人か、人類か?どれについて語ってるんだ?
または語りたいんだ?
きっと
>>321さんは、目的は達成するものとは限らないないんじゃないかって
ことを主張してるんだとオレはそう思ったな。オレはそれにかなり賛成。
やはり人類共通の何かはあると思うな。原理的なものが。
329 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 21:47
>>324 (個々の)人間の(生まれてきた)目的、と言う意味で私は目的と言う言葉を
使っています。こういう答えでいいでしょうか。
たとえば一人の人を愛し続けたいとか。まあクサいけど、これも
人生の目的でもいいんじゃないかな。
「人生」って所有格をつけると目的は達成させるものにならないのかも。
お邪魔します。
スポーツ選手は見られることを前提としている。もちろん、それを
普通の人に当てはめる立場もあるだろうけれど。
極論すれば、隠遁生活している人間は、目的がないのか、人の視線を
どう考えるのか。
332 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 21:57
>>329 「ある人の、人生の目的は何か?」←これでいいのか?
ちなみに、おれの場合は↑これだ。一般化して考えてる。
もちろん、自分はおのずと、この一般の中に含まれる。
「私の人生の目的は何か?」となると、もっと具体的に
なるが、イチロー/医者といった具体的な特定は避け、
その奥に在る満足の本質を目的と定義する。
例えば、世界中で賞賛されるスポーツ選手でありたい’
とか、一人でも多くの人の命を救いたい’とかいう具合だ。
333 :
考える名無しさん:04/03/24 21:58
>>329 生まれてくることは物理的あるいは社会関係の中での因果の系列の
結果であるはずで、そこに目的などあるはずはないんですがね。
目的を人為的に設定したいという気持ちは分からないでもないが、
元1のように、原理的に目的があると言われるとなんだかむず痒くなります。
334 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 21:58
>>325 私の主張は(個々の)人間の(生まれてきた)目的は存在しないのではないか、と言うものです。
その理由はイチローのような野球をする為に生まれてきた(と私は言ってもいいと思います)人が
野球をしていなかったかもしれないという事からも語られるのではないか、という主張をしたつもりです。
であるならば、ここの場所で語られるべき内容は人間の無目的性を前提にそのような現実をどのように生きるのか
と言うもので無ければならないのではないか、とも考えています。
>>334 前回はリアルタイムでお会いできなかったので、こうして意見が再び読めることを嬉しく思いますちうびぎゅーんさん(HN,,,)
昼にいた方(見てた方)
お昼に夜に来ると約束したものの今夜は都合が悪いのでお詫びの文章です。
またお会いできることを祈っています。
結果野球選手だろうが医者だろうが隠遁生活だろうが何でも
生きてる限りは何か成し遂げたいって人はたくさんいると思うけど
逆に、ただ生きてればいいって人はいるかな?
そういう人がいたとしたら、ここで1の言う
人類共通の<目的>の意味もかなり変わると思うけど。
338 :
考える名無しさん:04/03/24 22:07
>>337 <人類共通>などど極度に高次の類を考えてしまうと
<満足感を得るため>といった極度に抽象的な回答しか
得られなくなると思う。
>>336 いるでしょう。テレビには出なくても雑誌には取り挙げられなくても
70、80過ぎて必死で生きている人はいますよ。あ、そういう人は
ダメ人間という定義としているわけでもないのでしょう。
340 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 22:11
>>335 それでは前回の私の主張は一応目を通してもらえたようですね。
うれしいです。
直接の意見の交換が今日はできないとの事は残念です。
あなたとは意見が違う所もあるけれどもあなたの考えていることに
共感しないわけではないです。明日の夜にでもあえたらいいですね。
341 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 22:15
>>333 目的’の指す意味を物理的対象という意味に解釈するのは、
自由だが、一般に「人の生きる目的は何か?」という設問の場合、
「もし人の人生に価値ある目的があるとしたら、それは何?」
と採るのが普通だ。
このへんの解釈の仕方次第で、答えはおのずと違ってくる。
もちろん、違ってていいんだが、ずれたままの論議は意味がない。
調整してから話すべきだろうね。
342 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 22:16
>>332 ところで満足の本質を地球人さんはどのようにお考えですか。
343 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 22:22
私の質問は取り下げます。
>>341 「人生の価値ある目的とは何なのか」という論点に非常に興味があります。
続きをできれば聞かせていただきたい。
たとえば「価値」はどのように決められるのか、とか。
別に他のところから議論を始められてもいいですが。
344 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 22:23
>>342 「人生の目的」・・人は何のために生きているか?の答えは次だ。
「人は限りある自分の人生を幸せなものとするために生きている」
幸せとは何か?
それは、喜びに溢れた時を過ごすということだ。
喜びとは何だろう?
それは、気分が良い’ということ。
「良い気分を味わうこと」
これこそ人の、生きる第一の目的としているものだ。
人の生きる第一の目的は幸せになることであり、
他の目標は、すべてそのための手段にすぎないということだ。
>>338 うん。それは抽象的になるとは思えるんだけど
例えば「出身国、性別、家族構成 ・・・」
といった具合の要素で、人生を構造として何かしら
捉えられないないかなと。
昨晩は、人生の大目的は「幸福の最大化」
ってことで異論なかったはず。すべてはその手段。
347 :
考える名無しさん:04/03/24 22:28
幸せということについて、さまざまな意見があるが、その中でも重要な
のは、<幸せ=本人が幸せだと思っていること>という等式を認めるか
否かだろうと思う。このあたり、どう思う?
348 :
考える名無しさん:04/03/24 22:30
>>339 やはり、「幸福、人生の目的」なんてこと考えられるのは
生きることに余裕のある人間だけなんでしょうね。
これを考えられる余裕があるだけでも幸せなのかもしれない。
350 :
考える名無しさん:04/03/24 22:31
>>346 それは目的というよりも、原因なのではないかと思うのだが。
もちろん、その場合の「幸福」は身体の維持・保存まで含むよ。
351 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 22:32
>>343 価値は、自分が見い出すところに発生するもの。
「ヒトが、これが価値だよ」と示せるよなモノじゃない。
自分の発見した価値の値を決めるのは、自分自身だ。
それが、どれぐらいの価値が有るかは、
自分の知る他の価値と比較して決まる。
価値は相対的存在だということだ。
352 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 22:34
>>347 そのような等式は認めるしかないように思います。
(アリストテレスは人間の究極目的は幸福である、といっています
そして幸福の中身についてはほとんど限定はしていないように思います)
353 :
考える名無しさん:04/03/24 22:34
>>351 そうか?
価値とは、他人にとって価値であるから自分にとっても価値となるのでは?
言語と一緒。
>>350 原因というと、生きる動機ということですか?
355 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 22:36
>>347 きみは自分の幸せが何かを、
他人や社会に任せるつもりか?
>>353 そうですね。価値は相関的なものだと僕も思います。
357 :
考える名無しさん:04/03/24 22:39
>>354 動機というのとも違うでしょ。
「幸福な状態である」からこそ「生を維持できる」。
だから幸福な状態であることは生きている原因。
そして、より多く生を維持できるように活動する。
そういうこと。
358 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 22:39
>>353 自分が価値を感じないものに、
他人が価値を感じてるケースはない?
けっこう、たくさんあるだろ?
価値と幸福と動機が混ざってきてわかんなくなってきた。
”思い入れ”とかそんな要素が入るとまた別ですけど
価値観そのものは、他者との相関から成り立つものでしょう。
360° = 2 π
362 :
考える名無しさん:04/03/24 22:43
>>358 もちろんたくさんあるが、自分にとって価値がないと感じたところで
社会的現実として、価値はなくならない。
自分にとって価値がなくても、他人に譲渡した際に価値が発生すれば
それはやはり価値物となる。
自分の満足感などという閉じた系で価値を考察することは出来ない。
363 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 22:45
>>351 価値は相対的だという主張には私もおおむね共感します。
しかし自己内に閉塞する価値に私は少し疑問を感じます。
(なぜなら私は自己の明確な存在そのものを疑問視しているからですが)
端的に言って自己は変容するものだと思うのです。
私は以前ある人を私以上に大切な存在と思っていたけれども、今は少しも大切には思っていない、
というような事態は日常的に起こっているように思います。
もし価値が自己内に閉塞するとしたら価値は相対的というよりもむしろ非決定的(あるいは仮決定的)なものになって
しまうようにおもうのです。
364 :
なんつったりして:04/03/24 22:45
価値とは守るべきモノだと思ふ。
自分だったり好きな人、コレクトしてるモノだったり、
譲れない事だったり。
これは他人から見た場合、どーーーーでもいい。w
共感できる人はいるかもしれないが、
例えば特定の人を好きな人が多数いても、
その人のどの部分が好きなのかは別だったりなんつって。
>>357 すみません。よくわからなかったんですが。
でも、「自分ができうる限りの幸福の具現化」
というのは、誰しもが目指す対象として差し支えない
んじゃないですか?
社会的価値と、個人的価値は別で考えないと混乱しますね。
かといって無関係でもないと思いますよ
>>362 ほぼわかります。でも、自爆テロの危険性もありますし、自分が
犠牲になっても社会を変える、という自虐に走る危険もある。
自分が死ぬ事が自分にとって価値がありますか。
社会的価値を基盤として、そこに個人の”記憶”や”環境”が作用して
個々人の価値観が作られるということでいいんじゃないでしょうか。
369 :
なんつったりして:04/03/24 22:54
>>357 幸福な状態であることは生きている原因という事は
結果、生きてることが幸せなんだよってことで
よろしいか?
370 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 22:55
>>362 自分が価値を感じないもを、自分の人生の目的と呼べるの?
371 :
ちくびぎゅーん:04/03/24 22:56
>>346 幸福の最大化というものが何を意味するかにもよりますが、
快とは(幸福の)非連続の合間に置かれる句読点のようなものである、という主旨のことを
フロイトは言っていたように思います。(快と幸福の同一視という問題を新たに生むように思いますが
今議論されている内容からは差し支えないように思います)
つまり句読点ばかりの文で句読点が句読点としての本来の働きを十分果たさないように
快の連続は快を奪うという主張だと思うのです。
議論は全然途中なのですが私は帰らなければなりません、それでは。
372 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 22:58
>>359 人は自分の幸福と感じる事柄に向かって生きてる。
幸福はいろんな言葉で言い表すことができる。
「満足」と言っても良いし、「価値在る目標」という言い方もできる。
どちらにしても、自分を良い気分にさせてくれる。
「動機」は幸福だけでなく、すべての行動の目的を指して言う。
373 :
考える名無しさん:04/03/24 22:58
>>365 差し支えないけど、「目的として幸福を目指す」風の言い方だと、今現在は
幸福ではないニュアンスがあるでしょ。
しかも、「目的」といってしまうと、目指すことも目指さないことも出来る自由意志の
管轄下に入ってしまう。
さらに、この種の議論の際に気になるのは、今現在生を営んでいられるのは何故か?と
いった問いがすっぽり抜け落ちがちな点。
これらのことも考慮すべきじゃないかなあ、と。
374 :
考える名無しさん:04/03/24 22:58
きっかけは刺激の大きさだよ
その刺激を求め迷い彷徨い続ける
理由なんてそれで十分じゃないか
俺の生きる目的?
そうだな、アナルダーツだったよ
今思い出したよ
あの快感を求めて今まで生きてきたんだ
そしてこれからも真のアナルダーツを求めてイキ続けるだろう
あぁ、あの刺激をもう一度。。
『プー』は『ブー』に、さらに『ビィー』へと
あぁ快感・・
それは一度やったらやめられない・・・・・・不思議
<価値観(個人的価値)>
―記憶、個体差
↑
社会的価値(小基盤)
―貨幣、知識
↑
生物的価値(大基盤)
―食物、異性
こんな感じですかね?
>>374 要するに刺激の量と質というわけだ。
量だけが増え、質が下がる。クダラン取り巻きがあなたの周りに増えるわけだ。
>>371 それ前スレにも同じこと書いてましたね。
>>373 なるほど。ちょっと幸福の定義が曖昧すぎました。
ある程度幸福を感じつつも、まだ目指しうる限り
”より大きな”幸福を求めるとかどうでしょう。
でも来るべき幸福(快)のために今は(不快を)我慢して
せっせと働いているって人も多いんじゃ?マイホームのためとか。
資本主義のシステムがそうでしょう。負債返済投資。
378 :
考える名無しさん:04/03/24 23:14
>>370 価値は一人の人間の閉じた系では決まらないと述べただけ。
個物の身体と精神は極めて多くのものとの相互作用の中にある。
379 :
考える名無しさん:04/03/24 23:17
>>377 >でも来るべき幸福(快)のために今は(不快を)我慢して
>せっせと働いているって人も多いんじゃ?マイホームのためとか。
>資本主義のシステムがそうでしょう。負債返済投資。
来るべき快を表象することこそが現在の快でありうるという
人間精神の複雑さですね。
380 :
考える名無しさん:04/03/24 23:20
量を求めてるような厨はこんな板にはこないでしょ
あなた方も思い出すがよい
あの日受けた刺激を
それを求めて哲学を学んでいるのではないかい?
『覚えたことは自分を知ろうとすること
事のはじまりは例えばそれは俺なら
アナルダーツ』
381 :
考える名無しさん:04/03/24 23:21
「アナルダーツ」って何だ?
382 :
考える名無しさん:04/03/24 23:23
尻にマトをペイントした女性のアナルを狙い、ダーツを投げる! エロい! 素晴らしい!
ググッたら↑だそうです
未来に対する不安こそが、富の蓄積を個人に迫り、最悪の場合戦争
というわけか。
しかしその場合、セックスに明け暮れ、麻薬漬けの人間は、どういう
位置付けになるのだろう。動物的な欲求こそが平和となるのか。
384 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 23:27
>セックスに明け暮れて麻薬漬け
実際これが社会に悪影響及ぼさなかったら
みんなセックスとドラッグとアナルダーツで幸せかもしれない。
386 :
考える名無しさん:04/03/24 23:29
『覚えたことは自由であろうとすること
事のはじまりは例えばそれは俺ならシロシべクべンシス』
徹底した平等、平和志向は人類滅亡を早めると思いますけどね。
388 :
考える名無しさん:04/03/24 23:34
>>385 俺が言っているのはあくまで極論。こういう人間ばかりだったら、
そのときの幸福ばかりを追えば良いのだから、テロの恐怖は軽減
されるのでは?
390 :
なんつったりして:04/03/24 23:37
自由は不自由があって成立するもんじゃん。
って言うか、自由って自分の存在事態、
見た目も思考もない状態こそが究極で
殻がある時点で、卵の黄身だよね。
溶けてなくなれば自由だ!!!
なっちまえよぉーーー卵の黄身に。
殻は歪になっとるよ。
391 :
考える名無しさん:04/03/24 23:37
もし、あんたらが葛飾にきたら江戸川へ来てみるといいよ
ニーチェもマルクスもいないかわりに
アナルダーツの一回も経験できるかも
しれないからってさ
392 :
なんつったりして:04/03/24 23:37
俺、篠崎だけど、
アナルダーツしらないな。
393 :
考える名無しさん:04/03/24 23:40
>>389 アナルダーツに快楽を見出すのは、結構高等な知性だと思うけど。
もし人類が自分しとりを残して死滅してしまったら、
何を目的にして生きたらいいでちか?
395 :
考える名無しさん:04/03/24 23:41
アナルダーツは糞噴出でお開きになるの?
396 :
なんつったりして:04/03/24 23:42
397 :
考える名無しさん:04/03/24 23:43
>>394 本当はまだ生き残りがいるかもしれないと考えて探して生きる。
>>394 真面目な話、地面に穴を掘ってそれから、、、、
たしかに快楽も一筋縄じゃいかないですね。
SMなんかもなかなか複雑なもんですし。
401 :
なんつったりして:04/03/24 23:46
死滅したことが確定で、
思い知った後なら希望がないな。
死ぬか生きるか。
食って寝ろ。生き抜け。
402 :
考える名無しさん:04/03/24 23:48
>>401 希望はあるよ。
動物さんと友達になれるかもしれないし、
残された書物を読み漁ってもいい。
全然退屈しないと思う。
403 :
なんつったりして:04/03/24 23:49
日本ほどモーテルが鏡張りの国はない。自分のエロイ格好に興奮する
という(相手の女ではなくてね)人に見られないとダメというのは
世界的な気もするのだが。
俺が言いたいのは自分がいかに満足するか、が問題になると思う
のだが、なんでいまさら本を読むのか。
>>348 このヒュームのスレなかなか面白いですね。
僕はヒューム読んだことないですけど、興味沸きます。
このスレのヒントになりそうですね。
407 :
あのぅ、地球人ですが・・♪:04/03/24 23:53
>>388 人の類推に依存して終わったのかよw
あはははは♪ 楽しいヤツだw
408 :
考える名無しさん:04/03/24 23:53
>>404 都市部の小洒落たホテルは鏡張りではありませんよ。
たまに田舎のホテルに行くとギョッとする。
409 :
考える名無しさん:04/03/24 23:54
略奪やそれに対する防衛、抑制、報復がなにを生み出してきただろうか?
僅かばかりの利便性と中身のない薄っぺらな物質至上社会。
医学や科学の発展に伴い人の寿命は延びたかもしれない。
神が与えたもうた時間以上に苦しまなければならなくなってしまったのかもしれない。
希薄な時間を生きる人々が溢れ、無駄に消費される資源。
そんな時代を継続、改悪させるのはいかがなものかと考える。
後世に素敵な時代を謳歌したと自慢しようではないか!
意義ある世界を残そうじゃないか!
そのために私は今ここに訴えたい。
アナルダーツには時代を、世界を変え得る可能性があると。
>>404 日本には恥の”文化”がやっぱり根強くて、
逆にその恥をあえて晒す行為(羞恥心)が
快楽に結びつきやすい性質なのかもしんないですね。
411 :
考える名無しさん:04/03/24 23:56
だからアナルダーツは浣腸儀式も含むのかときいてるだろうが!どうなんだ?
412 :
なんつったりして:04/03/24 23:58
文章や言葉が伝達の一つに過ぎないことを
考えると、哲学の本や言葉は、
誰かに何かを伝えたいだけということになる。
自分の中の哲学は信念となるかもしれないが
それが真だとしたら、現状、伝えることはエゴの塊かも。
自分以外の人類が滅亡して、正気を保つなら
狩をして、食べて寝る。明日に繋げ生き抜き
新しい風景を模索するほうが、誰かに頼るより
よっぽど充実すのでは?
自然を感じ、四季の変わりに驚愕する。何故何故も生まれ
自問自答の繰り返し。
本を読むよりよっぽど哲学的だと思う。
だから、食って寝る。
アナルダーツって何でちか?
江戸川区出身でち。
>>409 そう思いますが、自分がそういう趣味だとカミングアウトを
職場なり、学校でしていただけると説得力が増すかと思います。
>>408 そうかもしれません。田舎の人が視線に飢えている証拠でないこと
を祈りましょう。
415 :
考える名無しさん:04/03/25 00:00
417 :
考える名無しさん:04/03/25 00:05
はっきり言おう
アナルダーツに主たる定義はない
アナルダーツに何を求めるかだけだ
投げる側と的側に等価な関係がある場合もあるだろうし、そうでない場合もある。
そこには1つないし複数の理想がある。
彼はアナルダーツとともに生きた。
そこに私は音楽を感じずにはいられない。
>>412 そうですね。哲学的かもしれない。現代は知識の集積が大きくなりすぎて
それらを頭に入れることで精一杯、そうしてるうち一生が終わってしまう。
インターネットもそうだし、情報媒体が発達してさらに情報量は多くなる。
頭の方が受け止められずに、情報は簡略化して頭に入れるようになる。
どう考えても現代の人間は忙しすぎて、自由な思索の暇がある人はごく僅か。
なんだかニーチェ的ですね。破壊と忘却が最も創造的なものだって。
419 :
考える名無しさん:04/03/25 00:08
どうでもいいことながら、アナルダーツの矢って普通のやつなの?
先に吸盤がついてるのだったりすると、また違う趣があるが。
420 :
考える名無しさん:04/03/25 00:10
絶対的な孤独に耐え得る精神力があるのか?
421 :
考える名無しさん:04/03/25 00:10
>>412 >自然を感じ、四季の変わりに驚愕する。何故何故も生まれ
>自問自答の繰り返し。
>本を読むよりよっぽど哲学的だと思う。
知ったことを他者に伝えられなければ哲学の営みとは言えないでしょ。
「哲学的」という言葉に妙に甘美なニュアンスを含ませてない?
あの、誰かわ、わたしとモーテルに、、、
>>421 俺に言わせれば、一人になって自分の満足の仕方、生きる目的をしりたいと
いうことではあるまいか?人に伝えるのはその後の話で。
424 :
考える名無しさん:04/03/25 00:18
>>422 だからこの場合、自分がそういう行為をしているのを見たいからで
相手が誰かは関係ないわけです。なぜ、こんな危険な誘いに乗る人
がいるのでしょうか?たとえあなたがどんなに美人でも、です。
426 :
考える名無しさん:04/03/25 00:23
>>423 知の営みは個人では行えない。
人に伝えるのは「その後の話」ではなく「前提」。
不在の他者宛であってもちゃんと伝えるべきことを残してこそ知の営み。
427 :
考える名無しさん:04/03/25 00:26
↑ ワラエル
>>426 その前提が、とてつもなく理想だったりするのではないか。
観念的というのかな。誰にもできないことを、理想として掲げ
無責任で済まされる時代は終わっていると思う。
前提が、生きる目的だというのは、とんでもない話だ。
429 :
考える名無しさん:04/03/25 00:32
>>428 理想?観念的?
ものを考えるときには誰でも実践している極めて現実的なことでしょ。
しかも、唐突に生きる目的と等値したりして、わけが分かりません。
430 :
考える名無しさん:04/03/25 00:39
大部分の人間は、自分の人生の目的を知らないまま、そしてそもそも目
的があるかどうかも知らないまま、生きていると思う。(私もその一人
だが。)
このスレッドの滑稽さは、明らかに知らないことを知っているつもりに
なって断言する奴が多いというところにある。
前提というのは、もし、何々ならば、ということです。これが
観念的ということだ。そうではなく最後の人間であれば、人間の
過ちについて背負う覚悟があればそれでいい。そう思いませんか?
432 :
考える名無しさん:04/03/25 00:45
アナルダーツを知りたければ丘咲賢作をしらべろ。
近代日本を担う有望な哲学者だ。
まだ注目を集めるには至ってないが、いづれ日本を牽引してゆくことは間違いない。
ちなみに私は会社ではとうに自らの嗜好をカミングアウトしているが
一部から後押しを頂いている。
ちなみに賛同を得られない方々は、何も考えてないような人が多いね。
利己主義的な印象を感じていた方々に多い。
ここでは少しなりとも理解頂けるだろうか?
433 :
考える名無しさん:04/03/25 00:47
>>431 「もし、何々ならば〜」は仮定と言いません?普通。
「他人にも理解可能なように」でなければ、自分にも理解できるわけがない。
そういう意味で「前提」という言葉を使った。理想なんぞではなく、現実。
知の営みってそういうもんでしょ。
人間の過ちを背負う云々は、これまた唐突で、どう思うかと聞かれても
はて?という感じ。
残すとか残さないではなくて、その過去の人間が、自分が満足していたという
思いが人類をつないで来た。極端に言えば、3歳で人に殺されたとしても
そのことからかわいそうと言う事以上に何かを感じる事ができるのではないか。
435 :
考える名無しさん:04/03/25 00:52
>>434 ちょっと文章の各部の主述関係がよく分かりません。
436 :
考える名無しさん:04/03/25 00:53
なるほろ ここがオナニー・スレと呼ばれるワケが
やっとわかったでゲス
>>433 つまり、あなたには人に何か伝える事がある、というのが前提なのだと
思う。別にそれはそれでいいと思う。
だからといって、他の人間がでたらめに生きているわけでもない、
と思っているという感じもするし。
438 :
考える名無しさん:04/03/25 01:01
ここは「人生の目的を考えませんか?」っていうスレだから、そこにわざわざ
やってきて「人生の目的は、考えるもんじゃないだろ」って言う香具師は相当
の困ったチャンだと思う。
>>436 オナニーそのものではなくてな、人に安心してオナニーをしてもらえる環境
を作るのが大切なのよ。わかる?
>>438 だから、人生の目的を考えなくてもいい環境を考えている、わけです。
そんなのはないのだけどね、無駄じゃないと思うよ。
441 :
考える名無しさん:04/03/25 01:04
それがいちばん大事なスレってことならわかってるYO
442 :
考える名無しさん:04/03/25 01:06
>>440 考えるのは結構だが、書くんなら、人にわかるように書けよ。
443 :
考える名無しさん:04/03/25 01:06
>>440 答え出すのこわいから周りグルグルすことでSHO?
444 :
考える名無しさん:04/03/25 01:07
グルグルする
445 :
考える名無しさん:04/03/25 01:08
>>438 そういう困ったチャンが嫌なら、この板にスレを立てるべきではなかったな。
446 :
考える名無しさん:04/03/25 01:10
>>443 そうじゃないよ。
まちがった思い込みで満足してメデタシメデタシで終わるのが
怖いんだよ。
>>442 そういう言い方は止めてくれよ。お互い人生相談しているわけじゃ
ないだろ。俺葉あなたが書いた言葉を忘れず吟味するぜ。
そういうこというなら、あなたにとっては俺はただの電波だったわけだ。
>>443 おもしろい表現だと思います。ぐるぐる回るうち目も回るし、スピード
も早くなったり、遅くなったりして、景色が変わってくる。同じ場所でも
ひとの認識は変わってくると言うのか。それを意識していればいいのですよ。
449 :
考える名無しさん:04/03/25 01:18
>>448 回ってるうちに遠心力で吹っ飛ばされる人もいるNE
450 :
考える名無しさん:04/03/25 01:20
>>446 こわがりさんなんだNE たかが哲学じゃないNO
451 :
考える名無しさん:04/03/25 01:26
哲学というのは真っ直ぐ中心に向かって切り込んでいくものじゃないNO?
452 :
考える名無しさん:04/03/25 01:30
>>451 哲学は、むしろ中心がどこだか手探りで探すようなものじゃないか?
453 :
考える名無しさん:04/03/25 01:33
>>452 手探りで探すのはなんでもいっしょでSHO?
454 :
考える名無しさん:04/03/25 01:35
>>451 中心がどこだか先に分かっているわけじゃないから、「真っ直ぐ中心に向かって
切り込む」のは不可能だと言いたいのだが。
455 :
考える名無しさん:04/03/25 01:37
>>450 そうね。 安心することを怖がるんだから、ひどいこわがりさん
なのかもね。
456 :
考える名無しさん:04/03/25 01:38
>>454 勘が悪いほうかも、哲学に向いてないタイプNE。 OYASUMINASAI
457 :
考える名無しさん:04/03/25 01:42
勘とは、経験により培われる直感的な判断力である。
経験以前の勘は、「あてずっぽう」と呼ばれるべきである。
458 :
考える名無しさん:04/03/25 01:45
>>457 あら、まだグルグルしてたのNE MOUNEMASHO
どうでもいいが、
>>1が考えたいのは
「人生の目的」じゃなくて
「人類の存在意義」だそうだぞ。
主題を取り違えないように >>all
460 :
考える名無しさん:04/03/25 09:13
主題はアナルダーツ
これを忘れないように。
461 :
考える名無しさん:04/03/25 09:59
>>459 1ノ シュシ ハ カンケイ ナイダロ
462 :
考える名無しさん:04/03/25 10:21
日本人は、何を目的に生きてきたか?
大昔:人生を豊かにする
過去:人生を便利にする
現在:人生を楽しむ
未来:人生をヒキこもる?
ニヒル
464 :
考える名無しさん:04/03/25 13:19
主題、オマンダーツじゃだめなのか?
465 :
考える名無しさん:04/03/25 16:00
哲学は他板のほうが、はるかに進んでるね。
哲学板がいちばん幼稚なのは、なんでだろう?
466 :
考える名無しさん:04/03/25 16:03
21 :考える名無しさん :04/03/25 12:15
社会性と倫理観を備え持った大人には背徳の行為と認識されるように
なってしまったが、よく幼児期の何者にも染まっていない頃のことを
思い出していただきたい。
あの頃の僕たち私達は、同じ年頃の友達の便所での排便行為を便所の
下の隙間から覗き見て、歓喜の声を上げてよく騒ぎ立てたものでは
なかっただろうか?それは男女問わず、すべての人間が持ち合わせる
うんこ欲を顕著に示しているのである。
そして人は成長し大人になるに従って、特に男は女の排便シーンを
見てみたい、女はこの姿を男に見られたいとういう、新たなうんこ欲に
変化を遂げるのである。
動物のそれにも見られるように、うんこ欲とは生物が生きて行くのに
かかせない、男女を引き寄せる強力なエネルギーなのである。
すべての生物は共通にうんこエネルギーが根底に流れているのである。
467 :
考える名無しさん:04/03/25 16:07
哲学がよくわからず、せめて哲学的であろうとすることで
自分を満たそうとしてるんじゃない?
こういう疑問は、60年安保以降なのでしょう。若かりし青年が大人に対して
半分皮肉交じりに問うような。
しかし今の若者(若者の定義は自分で生計をたてていないとして)は大人に失望
しきっている。大人に聞いても答えは帰ってこない。
自分で自分に存在意義を聞いているのだから、答えがあるわけもない。
だからこそ、60年代に戻れないか。権力者に突きつける問いとして
存在意義や生きている理由を問い続ける。権力を監視する必要という視点。
まあ、その「権力」みたいなものが、
人生の意味も目的も一方的に裁断していたんだろう。
権力を打破したは良いが、
いまだに権力依存体質を引きずっている嫌いはある。
宗教なんてその典型。
仮に個人的に生きる目的があってそれを実現する為には、快楽(俺の昨日の言葉では
安心)が前提になるのだろう。ただ快楽で、世界の事象が分析できるとしても
個々人の生きる目的は、個々人で決めるしかない、という限界を感じました。
472 :
考える名無しさん:04/03/25 20:52
オマンダーツじゃワシが的になれんがな。
雌雄ともに有する穴っぽこじゃなきゃ意味がないじゃない。
性別も年令も地位も財産も人種もひとかけらの隔たりもなく
ただ狩るか狩られるか。
私はそんな恐怖感の中に極上の刺激を覚えずにはいられないのです。
>>470 宗教でも実社会でも、まとめ役は必要なわけだし、それが権力(一方的な押し付け)
に変貌する事があるのでしょう。その変貌を見極める必要はあるのではないだろうか。
偉そうな教祖とフレンドリーな教祖がいるとすれば、魅力的なのは偉そうな教祖だと
思う。ただその教祖にいつでも質問ができる状況がないといけないわけです。
474 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 20:59
個々人が個々人の目的を決めることには限界があるように思います。
「快楽」一つ手に入れるのに苦労した時代もあろう。
いまや「快楽」なんて、そこいら中に転がってる。
「快楽」の価値そのものが、かなり低いわけ。
>>69-73あたりで議論されてるが、
ストレスの対価としてのカタルシスは気持ちが良い。
わざと小難しい本読んで意味をつかもうと苦心する、
なんてのは、カタルシスを求めているわけだ。
>>474 consciousという単語は自覚している、とか、意識を有しているという
形容詞で、その名詞形conscienceとなると、道徳という価値意味が発生
してくる。conという接頭辞には共有する意味があるらしく、意識すること
自体が目的といえそうだとは思うのです。抽象的なレベルでの共有についてです。
>>475 自分が本当にほしい物がわからないわけだし、欲望がありふれているから
欠乏感も多いわけです。快楽の位置が低いとは思えないのですが。
カタルシスというか自意識の小部屋みたいな。鏡だけの部屋にいるような
気が俺もたまにする。
478 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 21:37
>>47こっくりさんの表現は難解で十全に理解できる自信がないのですが
意識すること自体が目的である、という主張なのでしょうか。
>>475 ストレスとカタルシスの二項関係はわかりやすくてよい図式だと思います。
私はそのような「快」観に率直に賛成です。
479 :
考える名無しさん:04/03/25 21:46
>>478 本人が理解してないことは、他人には伝えられない。
>>478 そのとおりだと思います。意識をする、その流れの中で、良心が生まれる
という感じです。これは現実的な生活の中で自分と相手が接触するなかで
広げたい感じです。もし、お互い悪意が芽生えるとすれば、意識の偏向が
あると思う。(お互いに)
ストレスとカタルシスは、世界を説明はするかもしれませんが、そこから
何か力を持った論理が生まれればいいと思うのですよね。
>>477 快楽の価値が低いっていうのは、こう言いたかった。
たとえば、CDやDVDを買って、それをボンヤリ受動的に鑑賞するのも
快楽だろうけど、それは、まあ二級品の快楽だと思うのね。
自分の手で掴んだ快楽じゃないから。
やっぱりそれは「生きる目的」にはなりにくいんだよ。
どこかで飽きちゃうんだよ。
482 :
考える名無しさん:04/03/25 22:08
伝わって来ない場合、本人もわかってないことが多い。
>>481 そうですね。二級品の快楽にやがて飽きる。ただ、一級品の快楽で
あったとしても、それはスタート地点であって、それが生きる目的と
するのは虚しい気もする。
というかこの疑問自体、権力者やら、金持ちに突きつけるべきな
だけの気もするのだが。
484 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 22:13
ところで昨晩は人生の価値ある目標(あるいは目的)は何でありうるか、
というところに論点があったように思います。そしてその文脈で幸福論が論じられた
と思うのです。しかし私はここでは幸福論は(おそらく常に)棚上げされなければならない問題の
ように思うのです。なぜなら幸福はカタルシス(浄化作用)の一種としての特徴があるからです。
カタルシスが暗に前提しているのは浄化し得ないことです、
つまり幸福を感じられない可能性が幸福を幸福たらしめている、と私は思うのです。
だとしたら生きることの(大)目的を幸福にすえるということは、幸福を得るために
生きるということと、幸福になるとは限らないという相反する二つの問題を
抱え込むことになるように思うからです。
>>482 俺の場合はまるっきりそうだと思う。哲学書一つとっても
諸説読み方で解釈が違ってくるのだから、掲示板でそんなこと
いっても生産性がないぞー。
486 :
考える名無しさん:04/03/25 22:20
>>484 深すぎてよく意味が掴めないのですが。
生きることに目的があるとすれば、
それは必ず達成されるものでなくてはならないということ?
>>484 単に幸福を感じる為には不幸も知らなければならない、ということでは?
幸福主義とか安心主義というのは、認識力を甘くするという偏見?
がある。ハイデガーは不安という概念をよく使ったようだが、
幸福はただのゴールに過ぎないというのは偏見であろう。
489 :
なんつったりして:04/03/25 22:28
>>481 快楽は俺の場合、18歳の時にたてた目標設定が
7年間その通りにきてる、留学、テレビ局就職、講師業、
そしてデザイナー。それが鳥肌立つほど快楽。
経験と目標の設定がうまくいってる。
彼女が一昨日妊娠して、これから結婚だが、
予定にしては1,2年早いだけで
遊びも設定の通り、しまくってきたので
自分の遊びには執着ない。
すぐに自己満足し、他人を下に見る自分を分かり、
そうならないよう目標を立て、設定し、
新たな刺激を求めつつ軌道修正しながら
生きてる俺としては、季節にも感動するし
周りにも感謝できる。 すべてが愛に満ちている事を
感じて快感を覚えてるよ。 人妻とか専門学生、OLとも
縁をきらなければ。w
デキ婚だが、それほど焦る気持ちもない。恥じる気持ちもないんだ。
馬鹿だなぁとか言われるのはそうだと思うが、
本質は素晴らしいことだと胸を張っているんだが。。。
490 :
なんつったりして:04/03/25 22:32
ちなみに俺の最終目標は
死に方になるので、参考にはならないと思う。
よく読んでないが、人生の目的なんて人の主観によってさまざまだろう。
それを離れた「客観的な正しい」目的、というのが外部のどこかにある、と
思っているなら、それは宗教としか言いようがないのではないか。
別に宗教だからいけないというのではなく、どんな宗教を信じるかもまた
人それぞれの自由だろう。
492 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 22:35
>>486 目的は必ず達成されなければならない、というニュアンスをどう打ち消すか
書く上で念頭においていたことです。しかしそれは失敗しているようですね。
ただ私が思うのは幸福になるという目的が幸福になりえないということを
暗に前提するように、幸福になるために生きるということが幸福にならなければ
生きなくてもよい、ということを暗に前提しているのではないかと思うのです。
たとえば安楽死の場合などは生きなくてもよいということになるでしょう。
生きる目的であるのに生きることを一方で拒絶してしまうような作用をするのは
生きる目的として不適当なのではないか、と思うのです。
493 :
殊羅研 ◆1EowoMn0b2 :04/03/25 22:36
愛だ! 愛があってそして愛を確かめ合い続ける為に
人は歴史を紡ぐんだよっ!!!!
>>485 >哲学書一つとっても諸説読み方で解釈が違ってくるのだから、
>掲示板でそんなこといっても生産性がないぞー。
ほう、それでは、誰のどの文章がどのように違った解釈で読まれているか
例を挙げて説明してみてくださいよ。
495 :
考える名無しさん:04/03/25 22:39
他人と比べてるうちは真の幸福はつかめない。
>>491 そうですね。でも、権力者であるとか指導者になりたい人間は、ある程度
客観的な正しい目的ということを考えなければならない。489が本当であっても
指導者になるとすれば、少々まずいとしかいいようがない。
自分で考えなければならない、からこそ、客観的な見方も普通の人間
も欲している。自分でこれでいい、からこれでいい、という自身過剰
の人はそれでもいい。
498 :
殊羅研 ◆1EowoMn0b2 :04/03/25 22:43
愛する人を見つけることだっ!
全ては人の主観の中に存在するのだっ!
こんばんは。
今日は私が今回のテーマの元スレ主として,申し上げたいことがあります。
それは、このスレは十分に前スレの内容を継承してはいないのではないか?という点です。
ふと思い立ったのですが単純にそのスレのタイトルを見て前スレで論じられていたような内容を即座に理解できるだろうか?という問題が頭から離れません。
先のレスで「もともと選んだ単語に問題がある」「1の文才に問題がある」などいわれてきましたが、少なくとも前スレそしてこのスレでも数人は十分に私の伝えたいことを理解してくれそれに対してレスをつけてくれていました。
しかし、このスレは途中参加しづらい、もしくは途中参加者においては排他的っているのではないか?ということです。
問題を提起したものとして今後のスレのあり方を考えると、いささか不安を覚えています。
それは、人生を定義したりもともとの個々人間の理解の溝を埋めるといったことではなく、もっと前提の「スレの意味」に非常に誤解が生まれやすい状態ではないか?
ということです。
レスにレスをつける形で進行しているにもかかわらず、だれに話しをしているか分からない。
あまりに一方的な問いかけが多く、結果読んでないから以前のことは知らないで終わる。
もともと、最初の問いかけに対するレスをつけるのであれば「人生の目的を考えませんか?」といういかようにも受け取れる主題「のみ」で進めていくのはいかがなものでしょうか?
特に前スレからお付き合いいただいている方はどのようにお考えでしょうか?
いいね、若いって、無知で、世間知らずで。。。
501 :
なんつったりして:04/03/25 22:46
>>492、
>>496 超越するんだよ。
成功と失敗、希望と絶望は表裏一体。
ポジティブな時はいいがネガティブな時はどうしたら
ポジティブにするかをよく理解して、モチベーションを
保ち目的に達するか。 目的を達すると言うのは
そういうこと。 達成しないのであれば諦める人生を。
稼げるときも稼げないときも、山も谷も。
繰り返しで、山のときは谷を下る準備を、
谷の時は飛躍する山登りの準備を、そして転機だと言うことを。
そして、理解してるのは他人の話はよく考慮して聞くと言うこと。
此処にいて、哲学を探求したいのも、自己の目標と理想の人間を目指し
それが目的である死に方に必要要素だと思うから、
あなたの意見に感謝する。
せいかつおわれてればそんなことかんげてないよ
しょたいてきしんり
ひま
505 :
なんつったりして:04/03/25 22:55
若いときに、「少年よ大志をいだけ」と言うのと
「早くに目標を持て」と言うのを聞いたことがあって
只管に考え付くだけ考えると、目標設定は楽になる。
人生は面白い。
金持ちや出世を目指すなら、手段選ばず。
世界平和なら、何が必要で、どう行動すべきかの項目を
出すだけだす。 それに対して一個ずつまた、何が必要でと
繰り返す。少なくとも100個ぐらいはでる。
それを一個ずつ、スケジューリングすると、
何年にはどうなるかが出て、後は軌道修正。
目的は何年かかるかは別として達せられる。
ちなみに心の持ち方や自分の弱さにも、とことん向き合って
設定すると、より身近なものになると思うよ。
506 :
なんつったりして:04/03/25 22:58
最後に、
いずれ全ての情報を消し去り、存在を亡くすのであれば
何か果たして、笑顔で死を迎えよう。
そのためには、何があなたに必要か?
どうせ死ぬなら、どこで、どんな状況で、どう消え去りたい?
そのためには・・・?
507 :
なんつったりして:04/03/25 23:00
俺の場合、無知と馬鹿が必要なのだ。w
また、明日。 おやすみ
しゅ
509 :
考える名無しさん:04/03/25 23:01
>>499 2ちゃんでは誰もが話したい事を話す。
おまえが今、そうしてるように。
>>499 特に情報もないのにだらだら長文を書くな
>>507 他人との連関が全くないようなかんじがします。妄想でない事を祈る。
512 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 23:04
>>495 真の幸福は他人の中にあるのではなく自己の中にあるという主張でしょうか。
もしそのような考えであれば私には問題があるように思うのです。
>>489でできちゃった結婚をするという内容の記述がありますが私には
このような結婚の仕方は結婚とは両人の希望のみによって決定されるべきである
という価値観からの逃避が見られると思います。逃避というよりむしろ現実不可能性(実現不可能性)
というほうがいいかもしれません。
両人の希望による結婚はたくさんの人と付き合って
そのなかから最高の相手を見つけるという価値観とセットになっているように思います。
しかしそのような二つの価値観はうまく機能せずにできちゃった結婚の隆盛を招いたように思うのです。
私はできちゃった結婚に自分自身に関する決定には合理的な判断(最上の判断)はしえない、
という潜在的自覚を感じるのです。つまりたくさん付き合った相手から最高の相手を選び出す
そのような行為は不可能だという無意識的な気づきがあると私には思うのです。
とすれば自分の中に真の幸福が眠っているという考え方は、たくさんの人と付き合って
その中から最上の相手を見つけるというような現実不可能性を抱いているように思うのです。
513 :
考える名無しさん:04/03/25 23:07
100パーセント自分のために生きているか?
514 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/25 23:08
いいですか人類共通の目的とは神へ近づくことです。
人類が生まれ文明を築き宇宙へとフロンティアを求めていくことは必然なのです。
そして我々は宇宙で地球以外の知的生命体と遭遇することでしょう。
そしてその遭遇によって人類に大変革が起こります。
新たな「進化」の始まりです。
無目的な遊びを極めたい気もするでち。
神は空間的存在ではないので、近づくことはできない
517 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 23:15
>>499 私の意見も
>>509の人と同じようなものです。
あなたはここに現れる人たちに一定の共通性を持ってほしいと強く思っている
ように思います。私はそれは無理だと思うのです。無理だからこそ私はここにいる(ことができる)
と思います。
だからあまり議論の一貫性にはこだわりすぎないほうがいいと思います。
人は目的がある「が故に」生きているわけではない、という見解は棚上げか?
>>517 自由に議論が展開するのは私も望んでいるところですが
スレッドのタイトルを見ただけではここで何を話しているのか分からないのではないですか?ということです。
私はいつだれがみてもこのスレッドで何を話しているのか?分かることが最低限の前提だと思います。
2ちゃんねるでだれもが好きなことを話し、このスレでもだれも好きなことを話していては何のためにスレッドを分けているのでしょうか?
520 :
考える名無しさん:04/03/25 23:22
そして問題は途中から見た人に対し排他的でないか?ということです。
何の問題もなければそれに越したことはないのですが。
ドリフの長さんは、目標など持たずにずっとやって来たと言ってたね。
これからもずっとそうだと・・
それでも、あんなに充実した人生を全うできた。
まだ自分は一芸さえ極めてないとの近年のコメントもあった。
ここで分かったようなことを言っている人とは反対の生き方を
そこに感じてしまうんだよね。
>>519 そんなにテーマを限定したきゃ、1を書く時点で強力な
自説を展開しなきゃ駄目。
他力本願の低脳が贅沢ぬかすな。
>>520 例えばあなたはここで何の話をしているか分かりますか?
525 :
考える名無しさん:04/03/25 23:24
>>521 ほかの人には、なれない。
自分になれ。
526 :
考える名無しさん:04/03/25 23:25
>>524 それを一番わかってないように見えるのが、おまえだ。
>>523 ま逆です。
だれもがあなたのように「勝手」に理解してくれればこんなことは考えませんよ。
>>525 あなたを理解したいけれど私には難しすぎるようです。
どうかもう少し程度を下げて表現してくれませんか?
>>526 それでは教えていただけませんか?
それだけの余裕はありませんか?
530 :
考える名無しさん:04/03/25 23:30
今、話したいテーマをカキコしてみろ。
>>519 その上げっぷりチョッと尊敬。嫌いだけど書かずにはいられない。
>>528 ?いいからとは?せめて主語述語だけでもはっきりさせていただけませんか?
私はあなたほど理解力がないのだと思います。
お気持ちあればもう少し分かりやすく教えていただけませんか?
>>532 命令形の文章だから主語は二人称だ。述語は「戻せよ」だ。
わかったか?
534 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 23:34
>>519 あなたのおっしゃることはそのとおりだと思います。
ただここに書き込んでいく人たちには完全にではなくとも少しは共通性があると
思います。たとえば前回の議論で地球連邦の可能性とそれから来る希望を
書き連ねている人がいましたが、そこには私個人の無目的性という空白を地球という全体に
埋めようという意図があったように思います。
また多くの情報の中から有意味であるものを抜き出すのは哲学を学ぶ際にも必要(有益)なことと
思います。
>>530 これが一方的だと言っているんです。
私はあなたに説明して同様な人が現れないようにしたほうがいいのではないか?といいたいだけですよ。
レスが530もきてからあなたはここで何を話しているか私に聞いているのですね?
つまり現段階でレスは進んでいるけれどつまるところ何を話しているか分からないで書き込んでいる人も多くいるということですよね?
536 :
考える名無しさん:04/03/25 23:37
>1(元
要するに、自分中心で話がまわらないからすねちゃったの?
>>534 私が見ている限り数人の、実に数人の思慮ある方が私に意見を下さり、また考える道を与えてくれました。
私はすべての意見が無駄ではないと考えています。(一見無駄に見えてもそれを私が決めるのはおこがましいと考えているからです。)
今のこのスレに見える問題は
「卵と鶏を考える」というスレがあったとして
それに対して、親子丼の話を延々繰り返しているようなものに感じられてしょうがないのです。
それは後から参加するものに決定的に誤解を与えるのではないですか?という話です。
>>533 それの意味がわからないと申し上げているのです。
それ以上は説明できませんか?
>>536 あなたは私の聞いたことに答えることがないのに私は何を思いあなたに説明するのでしょう?
あなたは私からサーヴィスを受けたいのですか?
コミュニケーションを図ってくださいとまで申し上げませんが、思い通りにならないことがそんなに腹立たしいですか?
>>537 それはレスを見込んで書き込まれたものですか?
それとも書き込んだ段階で満足されたのでしょうか?
540 :
考える名無しさん:04/03/25 23:50
1ハ ホン ヨンデ マスマス オカシク ナッテクゾ
サービス受けたいです。
\ 馬 / \ 鹿 /
∩ ∩
| つ 「,"|
ヾ∧ !,'っ_ ⊂_,!
/ ・ |ミ / ・ ヽつ
(_'... |ミ ▼,__ |
(゚Д゚; )..|ミ (゚Д゚ ,)・|
(| .、)| (| 、)|
| | | ・・|
ヽ.._人 ヽ._・ν
U"U U"U
こういう話って、結局、ループするだけで
究極的な解は絶対に得られないのがお決まりのパターンです。
切り上げ時を忘れないようにしようね。
>「卵と鶏を考える」というスレがあったとして
それに対して、親子丼の話を延々繰り返しているようなものに感じられて
しょうがないのです。
この表現面白いね。でも、そこまでみんな愚鈍ではないでしょう。
おーい。1はこの↑の名前を覚えているかい?
>>543 おそらくそれは、話をまとめることなく場当たり的にレスにレスを繰り返すからだと思います。
加えて、その周期は実に短期間のものではないですか?
私もいずれ飽きると思います。
それでも思い起こし、先を目指し考え続けてからあなたのいう問題を再度思い起こします。
考え続けることをやってもいないうちからあきらめていて、何が見えるのでしょうか?
少なくとも、意思が向いているうちは考え続けるつもりです。
切り上げるのではなく、先に進むことでしょう。
このスレッドはループするかもしれません。
でも、私にそのつもりはありません。
547 :
ちくびぎゅーん:04/03/25 23:58
>>538 1(元さんは非常に几帳面で実直な人なのでしょう。
私はあなたがここの問題の提起者だとしてもここの場所の責任者として
ふるまわなくてもいいのではないかと思います。
本と作者の関係でも、本の解釈にその本の作者がその本の主人然として関与することに
否定的な意見や 本は作者と読者の双方に開かれているという主旨の意見があります。
(私は後者の意見が好きです)このような点から言って、あなたはこの場所が開かれて
いることを望むなら問題の提起者としてのこの場所に対する責任と権限を
その肩から下ろすべきだと思います。
>>545 覚えていますとも!
粋な登場をされた方でしたよね?
>>544 そう思っております。
そして、ここの多くの人の本気の反応を得るのにいくらかの言葉が必要なのも感じております。
>>546 一番まとまってないのが君だと思うのだが・・・
その気と能力があるなら、まとめを実践しろや。
>>547 何度と無く救われるご意見、真にありがとうございます。
(文章を読む限りこれから真正面から異論を唱えることになるのに少々気が引けます。)
時間はあります。十分にぶつけ合いましょう。
そして、必要であればまたスレッドを立てることにする。と意見を収め
今はせっかくの機会です。
議論に当てることにしましょう。
551 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 00:04
ところで私は
>>518の方の意見が気になっています。
よければ続きをお聞かせ願いたい。
552 :
考える名無しさん:04/03/26 00:09
話というのは、コンテンツ(話の中身)とプロセス(話の進め方)、
二つの側面から成り立っている。
1の話は後者が多い。それが悪いこととは言わないが、
あまり興味を誘わないのも事実だ。
でもそれが好きなら、続ければよい。
君の自由だ。
そして、ほかの人にも、どちらに興じたいかの自由が有ることを
理解せよ。
>>551 人間を意思の帝国に閉じ込めることなど出来ないでしょ。
しかも、意思とは原因ではなくて結果だ。
>>551 読み返しましたが、漠然として分かりませんね。
書き込んだ本人で無ければ説明のしようがないようです。
人生の目的は、とりあえず死なないことです。
切り上げるという意味は、思索の結果を不十分ながらも受け止めて
行動へ移るということ。つまり、なんらかの決断。
で、またその行動結果からフィードバッグして思索をするという
意味です。1元さんは、思索のための思索になっていて、職業哲学者に
でもなるつもりなのでしょうか?
556 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 00:17
>>550 私は自分の意見が間違っているのではないかと不安です。よければ反論を
聞かせてもらいたいです。
>>555 私が現段階で思うに哲学という分野において哲学者というのは厳密には存在しないんではないでしょうか?
いえ、私個人の意見で哲学はだれにでも考えうる問題であると思っていますので、それ(考える行為)が正しいとか、そういうことではなくもちろん哲学者になるつもりという問題でもありません。
気になる。一言でいればこれです。
行動へ移ることも必要でしょう。
織り交ぜながら詰まるとこ、私は人生の目的を考えているのだと思います。
何故生きているのか?
何のために生きているのか?
私の人生に目的があるのか?
どうして死ぬのか?
何故私は私を感じるのか?
結論が私の中で不十分であれば私は納得することがないので、おそらくはまた考えることでしょう。
それが死ぬまでの話か、今の話かだけのことです。
身障系〜♪身障系〜♪ま〜さお式♪・・・
人生の目的に絶対的な真理はあるのか?ないだろうな・・・
男と女・身障者に宗教・国・・・・……一人一人違うのが当然♪
受け入れられない答えもあるだろうね♪
皆もっと悪意を持って反論しようww
>>556 それは当然に私も感じていることです。
私は自分が何も知らないうちにここに来て話を始めていますが、他方でだからこそ疑問をもてたとも考えています。
私が先日考えて、いまだサイトに反映させていない問題に死ぬことの捉え方があります。
死ぬことを定義すること、、これは私の中で最早不毛なことに感じました。
私たちは遅かれ早かれそこに行くことは感じている。
しかし、そこがどんなとこなのかだれも知らないでいる。
なればそれを考えることは想像の範疇を超えないのではないか?
死を理解することはどういうことなのか?
私はまた考えなくてはならない。
560 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 00:26
>>553 非常に遅れての反応ですが、553は518の説明ですか。意思の帝国や
意思が結果だというあたり前提を理解していないと理解できない議論のようですね。
私には少し難解すぎるようです。
561 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 00:31
>>559 私には(あまり)死の定義の必要性は(あなたの好奇心によってしか)無いように
感じます。
ところで私と意見を異にしているのはどのようなところでしょうか。
たとえば人間の無目的性という現実を生きるという点でしょうか。
私たちは死に漠然と不安を抱きながら、それでいて生き続けることにも不安を覚えている。
たとえ話です。
右手を失いました。昨日まであった右手でした。
動かす感覚は覚えていました。でも、今はもう手の先は何も動きませんし、指先を動かそうとしても実際には何も反映されませんでした。
それから何年か経つと「右手を動かす」という感覚がどのようなものだったか思い出せませんでした。
右手の動かし方を忘れたのです。
ある日突然「生きている」という感覚を忘れてしまいました。
確かに昨日までは覚えていたのですが、いったい生きているというのはどのような感覚だったでしょうか?
死の私の感じるイメージの描写です。
>>559 本人が話をそらしてどーすんの?
言行不一致の極み。
「人生の目的」をズバッと言ってみなよ。
>>548 あぁよかった。
相変わらず性急な流れだ。ちょっと返事を考えるだけでこれだ。
疾駆、狂奔、迫真、青年に特有の感情に満ち満ちている。
俺が参加するには向かない性急さだ。
でも、俺は老人ではない。死を迎えるのに、どう吟味してもやっぱり勇気が要る。
25だもの。明日に何か訴えがある。変化を求めている。
君は、たくさん本を読んでいるか。言葉を離れて沈思しているか。自然を観察しているか。
無理して返事をくれなくていい。
>>561 そうですそうです。
私がいなかったときにあなたが論じていた内容がそれですね。
私は人生には(人が生きるうえで、、それを含め、また生命には)目的が存在すると思っています。
それは生きる意味だったり。
生命のたどり着く果てだったり
進化の先だったり
そしてそれには答えがあると思っています。
いまだ、たどり着けないのはいまだ、私たちが不十分なせいです。
それ(答え)は突然気がつくものだと思っています。
566 :
考える名無しさん:04/03/26 00:38
ヨゲン ノ スレハ ココデ イインデスヨネ?
>>564 実に思いますよ。
私もいまだ足りない知識を埋めようと努力しています。
ひとえに気がかりなのは自分が本を読み続けることができない点でしょうか?
これも才能だとしたら、自分の非才を恨むばかりです。
それでも私には私のペースがあります。
幸い人生はまだ残りがあるので、いけるとこまで行くつもりです。
568 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 00:39
人生に目的なんてありはしないのに、そのことに納得のできんものどもが一生懸命喚いているな。
どうしても人生に意味を見出したいか?
君たちに必要なのは信仰だ。
宗教なら答えをくれる。
哲学では答えは出ない。
569 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 00:40
>>562 忘却と喪失を同一的に捉えているような印象を受けました。
(だからといって間違えているとは思いませんが)
死のイメージについて議論を重ねることは不毛だと思いますが、
あえて言及するならば私は死は「生きた」ということと区別されなければ
なら無いように思うのです。現実を生きた、ということと単に死んだということの
違いがあるのではないかという(何の根拠もない)イメージを持ちます。
>>565 >私は人生には(人が生きるうえで、、それを含め、また生命には)目的が存在すると思っています。
「思ってます」で同意するほど他人は馬鹿ではありません。
あまり舐めてかからないように。
571 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 00:45
誰か教えてくれ!
どうやったら人生に目的があるなんて思えるようになれるのかを!
俺には余りにもアホらしく思えてしまう。
万人を100%納得させるにたるような生きる目的などあるのだろうか?
そしてその答えを求めるには他者の存在が不可欠であると考えています。
私たちは生まれながらにたくさんの経験をしています。
そして生まれた後にまた、たくさんの経験をします。
それが、一つの答えに向かっていると思うのです。
それこそ気がつけば単純明快な答えがそこにあると思うのです。
そして答えはいったいどのようなものでしょうか?
私(私達)は何故生まれ、何のために生きているのか?
体に与えられた感覚は何故存在し何に必要なのか?
知るべき答えが何か?まだ気がつきません。
答えがある証明が必要では無く
ただそこに存在するために生きている。では、多くの人生のあり方を説明できないように感じるのです。
どれだけの可能性の中でわたしたちが生まれたのか興味がつきません。
「有るのだから有る」
それは何故でしょう?いや、有るのだから有る
なぜか?有るのだから有る、、、、、、、、
後付に目的をつけてるようにも感じます。
それでも私は人生に目的を感じるのです。
573 :
考える名無しさん:04/03/26 00:48
オクソク VS ダンテイ デスカ?
574 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 00:50
>>572 はいはいw
青臭いお前の話は分かったから生きる目的とは何なのか言ってみろ。
>>572 「思うのです」と「感じます」をやめなさい。
あかの他人に証明することを心がけなさい。
お悩み相談なら別の板がありますよ。
576 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 00:51
>>565 私もそのようなものがあればいいなと思うものです。しかしそのような意見に対して
痛烈な批判があるように思います。そしてそのような批判にあなたは答える必要があると私は思います。
進化の先(あるいは答え)という(永遠普遍の)理想郷を想定してしまうのは
現実(の変化や残酷さ)に適応できないものの怨念感情のようなものがあるからだ、
という主旨の批判に答えなければならないように思います。
>>569 死の捉え方ではおおむね同じ意見ですね。
それ(死)の議論はあえて何も生まないと。
「ただそこに存在するために生きている」
つい先ごろまで私はこう考えていました。
そして人生の目的なんていうものが存在するとは思っていませんでした。
しかしそれが結論のでない答えに対する言い訳に感じたのです。
考え続けることができなかった自分が自分に出した甘い留保
それが「ただそこに存在するために生きている」でした。
578 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 00:56
579 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 00:56
あっそ。
あんたがニーチェのいう弱者なんだってこはよくわかった。
580 :
考える名無しさん:04/03/26 01:00
1ト チクビハ フタリシテ ジサツコース マッシグラカ?
A:わたし、幽霊っていると思うの。
B:幽霊って何?どんなもの?
A:それはまだ分からないわ。でも、とにかくいると感じるの。
B:( ´_ゝ`)フーン
582 :
THE グル:04/03/26 01:00
いいですか、
生きる目的とはビジョンですね。
それがあればそら豆オンリーで生きていられるんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
583 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 01:01
人生相談板逝け
>>576 さてここで問いただしたいのが、進化の先に「自己」がなりえないか?という事です。
いささか飛躍であると思われるかもしれませんが、自分がもし人生の目的という答えを手に入れることができるとすれば、おそらく自分はそれが与えられるだけの条件を十分に満たしている事になります。
つまり現在が思われるところの進化の先である可能性です。
つまり、答えを知ることができるのが「十分な条件を満たした」存在であるとするならば
自分がそれになれるかどうか?という問題です。
当然に「条件」がなにか?ということになるのですが、答えを与えられるに十分な条件を満たせば答えを知ることができる以上
私たちはそれが何かを知ることなく満たそうとしていることになります。
ですが、問題を提起する前にいまだ考え続けた結果を知らないのでこれ自体が憶測の域を越えられないことに深いジレンマを感じることになるのです。
585 :
考える名無しさん:04/03/26 01:08
悩みのない人間は、悩んでいると思ってもらいたいものだ。
586 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 01:08
>>584 そうですね。
人類はまだ進化の発展途上です。
人類が人間以上の存在になるために必要な条件は地球外知的生命体とコンタクトをとることです。
彼らと出会うまで人類は進化しません。
なぜなら意識改革が成されないからです。
地球以外にも知的生命体が存在する証拠が見つかったら人類全体に大規模な意識改革が起こります。
それが新たな進化への始まりです。
人生を棒に振っても考え続ける価値の有る問題であると考えています。
それもなるべく早く答えを知りたいのです。
ですが私は私の考えにより答えを知ることができる条件というものが
それ(答え)に気がつくだけなので、最早自分がそれを知りうるものであると願うほかないのことがジレンマなのです。
そして、ほかに手法がないかを探した場合
条件を満たす可能性が「他者」の意見を聞き「過去」の事例を知ることで経験し得る幅を広げれば「条件を満たす可能性」が上がるものだと思っています。
一言で言えば「足掻く」という事です。
結論を知ることができるものは無条件に知ることができる。
ただ、それに自分がなれるかはいまだわかっていない。
よって残されている道選択せざるをえない道はそれを探して考え続けることだけなのです。
588 :
考える名無しさん:04/03/26 01:10
レイ ト ウチュジン ドッチガ ツヨインダ?
589 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 01:11
>>587 ただ貴方はその答えを知る前に亡くなってしまうでしょう。
つまり貴方が生きている間は答えなど見つかりません。
590 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 01:11
>>580 人間の根本的欲求には生(性)への欲求と死への欲求があるとフロイトは
いっていたように思います。
私はフロイトのこの主張は特に奇想天外なものではないと思います。
ある局面では人はいきたいと思うし、別の局面ではそう思わないで死にたいと思う、
私は別段自然のように思います。
であるので、自殺しそうな考え方だから駄目というのは私の考え方にはとは少し違います。
私はもしそのような答えが出たとしたらそのような答えと正面から向き合っていくべきだと思うのです。
それが人間に唯一許された「現実を生きる」という生だと思うからです。
591 :
三浦さんの大ファン:04/03/26 01:14
三浦氏は天才で、神の啓示を受けたこの国の宝です。
あなたがクソ「国会」や、クソ「霞ヶ関」で記念撮影した写真は
歴史に残ると思います。
もう少しルックスが良いと予想していた16歳の子女にでもやはり、
あったっまいいひとふぇーなとおもいます。今晩抱いて欲しいです。
以上が何故考えるか?現段階での私の意見です。
以上の理由をもって考えいているのです。
人生の目的を。
そしてそれを知るためには先ずあなたの目的がないという考えを掘り下げてみたいのです。
いえ、ただ単にその意見を知りたいのです。
私自身が人生の目的に対し懐疑的です。
ですが、仮に目的がないとすれば何故生きているのか?
「そこに存在するためだけに生きている」
これを受け入れなくてはいけなくなります。
それでいいのか?この答えでは、存在する状況ならびに存在しない状況
このどちらもいい得て「無」であることになってしまいます。
あってもなくてもいい事になる。
それでよしとする考え自体が考えることを放棄するための甘美な誘いなのではないか?
と疑っているのです。
593 :
考える名無しさん:04/03/26 01:17
ミウラ カコイイ オレノ シリモ ヨカッタラ ツカッテイイド・・・
594 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 01:18
>>591 あのね、俺は前田じゃないよ。
奴のキャラぱくってたのは事実だけど。
社会学板にある前田隔離スレいけば分かると思うけどw
595 :
考える名無しさん:04/03/26 01:22
マエダ ト ミウラ ドッチガ イイオトコナンダ?
ここまで説明すれば単純に「考える事」が人生の目的であるとも言えてしまいそうですが、考えることが人生の目的ではないと考えるとするならば、それは最早答えが存在するしかないとも思うのです。
繰り返しますが幸いにして私にはまだ時間があります。
先人の意見に耳を傾けあなたのいうことを知り、答えを探すためにこのスレをたて答えを探しているのです。
あなたの気に入る答えではないかもしれませんが、それは私が答えがあると信じることができないには答えがない人生の姿が虚ろすぎるためです。
597 :
三浦さんの大ファン:04/03/26 01:24
>>593 三浦さんの核心は自分の(たいしてかっこよくないかお)を
国会議事堂に重ね合わせた写真を見せてくれるところです。
三浦さんは必ず国会議事堂で主導権を握り、このバカ国家を
正しい道に導きます。三浦さんの『狂気のような行動』は
じつは、アドルフヒットラーを学んでいるからです。
いまだかつてあんなに「民主的な憲法」がなかったドイツで
「完全多数」で「首相」に選ばれたのですから・・・
三浦氏を大統領にすれば、世界は日本の言いなりになる・・のです。
それ以外、日本の誇りを保つほうほうは全くありません。
598 :
THE グル:04/03/26 01:25
>>704 いいですか、
やはり「リビドー」がその正体だったようですね。
あなたの言っていることは、フロイトの肛門期の延長なんです。
だからそれは未発達段階であるといえます。
どうかしましたか?
599 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 01:26
600 :
THE グル:04/03/26 01:28
>>598 いいですか、
誤爆です。
どうかしましたか?
>>580 欲求の話が出たのでついでですが、このスレでは何度か欲求の話題が出ました。
それは1次的欲求や2次的欲求、快と不快、それに関わる欲求などでしたが私の意見では欲求に種類は無く、また分ける必要もないと思います。
寝たい欲求と食べたい欲求は同じではなく独立するものです。
生きたい欲求と死にたい欲求も別々に独立するものでそれらは1次的だとか2次的という形で分類されるべきものではないと考えています。
その上でこういった表現を使うのは便宜上の問題に思えます。
602 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/26 01:31
↓こいつが前田です。
608 :siroyagi ◆atZ.pcoeH. :04/03/15 11:01
なんか俺が2001年8月に宮台をストーカーしたとか何と言ってるよ。
603 :
考える名無しさん:04/03/26 01:31
>>600 オマエナァ、 オモシロスギルンダヨ コラッ!
604 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 01:32
>>587 答えを知りたいけれども答えを知らない以上答えを知る条件も知りえない
(そして答えは必ずあるはずだ)という主張、神秘主義的な傾向があるように感じました。
>>592 このような書き込みを待っていました。話がかみ合っていけばいいと思います。
人間は(生まれてきたことには)目的がない、これは私にとっては揺るがない前提です。
だから、たとえばどれだけ自分探しをしても自分に目的が見つかるとは思えません。
であるならば私たちは無目的性を引き受けて生きることしかできないように思うのです。
605 :
考える名無しさん:04/03/26 01:36
ダレカ トメナイト チクビ ジサツスレ イッチャウゾ!
>>604 生まれてきてしまった。ということですね?
私も「自己」に答えがあるとは終ぞ思わないのです。
無論自己に答えがあると思っていれば何も周りの意見を聞くまでも無く読書という行為も必要ないことでしょう。
>>587 答えを知りたいけれども答えを知らない以上答えを知る条件も知りえない
(そして答えは必ずあるはずだ)という主張、神秘主義的な傾向があるように感じました。
答えがないという主張に頷けないからこそ答えを盲目的に信じているともいえます。
答えがないという主張は今から伺いたいところです。
>>604 「さて生まれてきてしまったから生きている」(そこに存在するために生きている。同義でしょうか?)の場合。
それは先の論理からすれば「考えることをやめるきっかけ」ということになります。
(答えを知れば自ずからそれが答えであると気がつくことができるとするならば気がついていない状態である以上それは答えではない。)
しかし、その議論はあくまで答えがあることを前提としているために成り立たない。
608 :
考える名無しさん:04/03/26 01:42
アホクサ
少々困りました。
目的があるとする前提も無いとする前提も実証が難しい(現段階で不可能)な問題であるため比べることができません。
別の切り口から探るか、理解する点をずらさなければ「それはそうお互いに思い込んでいるので仕方がない」で終わってしまいます。
610 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 01:54
私は無目的性を引き受けるときに現実と虚構の二項対立を想定します。
私はかねがね現実を生きることが人間に許された唯一の生ではないか、と主張してきました。
そこでは暗に虚構を生きる人間が批判的に想定されています。
以前に援助交際をしている女の子たちの話をしたのもこの無目的性を真正面から
受け止めているのは彼女たちのほうで、彼女たちのことを海を漂うクラゲのように
ふらふらと快楽という海をさまよっている存在と考えている人たちのほうが
むしろ無目的性を引き受けていないと(つまり虚構を生きていると)批判したかったからです。
また現実を生きることが人間に許された唯一の生という表現は、虚構を生きる人間を想定している時点で誤りですが
少し詩的な表現として受け取ってもらいたいです。(唯一という言葉によって正当性を主張したいのです)
>>610 勘違いがあっては意味もないので繰り返しますが私のいうところの「ただそこに存在するために生きている」とは同義でしょうか?
先の場合存在するというもの自体が目的に含まれるのでしょうか?
また無目的性というものを理解する場合それら(無目的性という概念)はあってもなくてもいいものなのでしょうか?
生まれてしまった以上生きている。
その中で現実(いま自分が触れている感覚の中)を生きていくことこそが人生のあり方であると?
612 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 02:06
>>609 目的があるという考えに対する説得的な批判がある以上
(ちなみに私は目的があればどんなに楽だろうかと思います)目的はないと考えてもいいと
思っています。しかしそれもあなたには説得的でないという問題を生むだけのようですが。
私は以前あなたがこのような問題に突き当たったのは空を見ていたときだ、といったことに
不満を表明しました。私は現実を生きることを重視します。だから徹底的に(空ではなく)
地上の現実を見てこのような問題にぶち当たるべきであった、といいました。
そのような観点からしてあなたは現実の問題、たとえば援助交際の問題
(これは私の関心領域に過ぎませんからほかの話題でも結構です)について
どのように考えているかを聞かせてもらいたいと思います。それがあなたの言う別の切り口に近いように思いますので。
今よ〜く考えましたよ。
「知性」「社会性」その位しか思い付かないけども、
人生には確かに属性で持つ目標めいたものはありますね、一万歩譲って。
人類の進歩には相対的な価値はあるかな?少なくとも文明社会では 十万歩譲って。
1つ言えるのは、「個人」の観点では有り得ない。ない
結論
「明るい社会」
615 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 02:15
>>611 そうです、無目的性を引き受けるとは(目的について)考えることをやめるということそのものなのです。
こういう目的があれば自分の存在の必要性の空白が補われるのに
という虚構を生きるような行為をやめて「今ここ」にある無目的という現実を
生きることが無目的性を引き受けることであると思います。
616 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 02:41
1(元さんは無目的性を引き受けるということと安直な真理に満足する
(今ここに存在するだけで十分なんだと思うこと)ということを同一視されているように思います。
そんなことはないのです。むしろ私たちは無目的であるけれども目的を欲しているということを
認めることそれが現実を生きるということにほかなりません。
目的を想定するという行為は目的があったほうが都合がいいので
(無目的性を認めることがいやなので)目的を想定しているのではないか、
という主張を論破しない限り説得的にはなりえないように思います。
私は朝の6:30から夜の7:30分ぐらいまで働いているので正直ここに来る余裕は
そんなにありません。明日は幸い休みなので昼間に来ようと思いますが。
会えたらいいですね。
617 :
考える名無しさん:04/03/26 03:15
教えてウイト兄さん
618 :
考える名無しさん:04/03/26 03:20
はい。
619 :
ウイト兄さん:04/03/26 03:20
>617
「目的が無い」こと自体も人生の目的に含まれるのである
620 :
考える名無しさん:04/03/26 03:22
さてソクラテスのいう「善く生きよ」とはどのように解釈する
>all
621 :
池ちゃん代弁者:04/03/26 03:24
>1自分で考えよ
死ぬために生きる。
623 :
考える名無しさん:04/03/26 04:16
あるがままを受けとめる
とりあえず死ぬ直前に楽しかったと思いたい
625 :
THE グル:04/03/26 10:59
>>620 いいですか、
ベネッセ
どうかしましたか?
626 :
考える名無しさん:04/03/26 11:00
美のために生きるんだよ。
真理に近づくためには、芸術の道を歩むしか方法は無いんだ。
627 :
考える名無しさん:04/03/26 11:38
さっき、公園の便所に絵を描いてきた
アートフルな生活
628 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 15:00
1(元さん、どうやら今日の昼には会えないみたいですね。
あなたの進化論解釈少し読ましてもらいました。少なくとも進化の先に目的がある
という立場なのはわかりました。
昨日あれから少し考えたのですが あなたの(あるはずだと)考える人生(人間普遍)の目的というものが
たとえばうんこをすることであったなら人間の何らかの空白は埋められるのでしょうか。
これはあなたを冷やかしているのではありません。人間の目的が何かを食べてうんこにすることにあるとしたら
率直にあなたはどう思うのでしょう。わたしはあなたはそのような目的を認めないのではないか、と疑っています。
もしそうなのだとしたら、それはあなたが答えを知らない以上知るべき方向すら
わからないと考えることに矛盾するように思いますし、なによりあなたは「目的」というものに
美しいもの、善いもの、真なるものを想定してしまっているのではないか、と思うのです。
そのような想定こそが現実に対する怨念感情に由来する現実の歪曲(これはいやだこうであって欲しいというような)
つまり虚構なのではないかと思うのです。
>>628 そんなところがあるから、前スレで私も1にニーチェを読むことを薦めたわけですが
1はまだ永井の『ルサンチマンの哲学』を読了していないと思われます。しばし待ちましょう。
630 :
考える名無しさん:04/03/26 15:10
ソースとか論理とか言うけどさ、結局「俺はこれだけ知ってるんだぜ」
とか「俺はこれだけ頭良いんだぜ」って言ってるだけなんだよな。
哲学板にはソースも論理も必要ねーよ。
空気を汚すだけだ。
生身の人間の深い叫びが重要だろ。
一、高卒を馬鹿にしない。
おいらはこれに一票入れるぜ。
631 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 15:26
>>629 多くの人がそこを注意して彼の意見を聞いているというのは感じていました。
>>630 突然の主張ですが、生身の人間の深い叫びを重要視するのは私も同じです。
高卒を馬鹿にしないという意見もごもっともだと思います。
ただここではそれは論じていないと思いますが。
>>631 630は「哲学板の過疎化を解消するための処方箋」スレからのコピペです。
あんまり気にしなくてもいいと思いますよ。
633 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 15:57
それと昨晩、1(元さんの質問に十分答えられていなかった所があったと思うので
ここで(できるだけ)答えておきたいと思います。
1(元さんは無目的性が全てのこと(あなたの考えるネガティブなことを含む)を
許容してしまうのではないかということを心配しておられるように思います。
たとえば考えるというつらい行為をしないための「甘い留保」(この表現は卓越していると思います)を
無目的性は許容してしまうのではないか、ということを問題視しているように思うのです。
この問題について私なりに答えるとするとそれにはいくつかの段階をおかねばなりません。
大雑把にあげるとすれば、ほかの何事を疑えたとしても(考える)私は疑うことができないというような
自己明証性(私は疑いようなくはっきりと存在しているというような)の問題、そこから派生する
自己完結性の問題、そして目的性の不在を補うことの問題などが挙げられます。
今日はあなたがいないので時間と能力の許す限りこの段階を追っていきたいと思っています。
しかし昨晩も言いましたが私は自分の考えが間違っているかもしれない、と思っています。また、
自分の考えがうまくまとまっていないのではないかと考えてもいます。稚拙な所もあるとは思うので
あしからず。
『ルサンチマンの哲学』を読んだ
>>1さんの感想レスきぼんぬ。
635 :
考える名無しさん:04/03/26 16:05
悩んだり、迷ったりするような行為を、「考える」とは言わない
636 :
考える名無しさん:04/03/26 16:16
人生の目的、それは神のみぞ知るとしか言い様が無いんじゃないか。
すっごく、ものすっごく抽象的な答えしか無いような気がする。
具体的に「何をするため」っていう答えは全部アウトな気がする。
どう頑張っても、人間の有様は、そんなに変わらないはずだし。
つまりさ、世界中60億人すべてが、常に「何か」をしてるわけだよ。
24時間365日、寝ても覚めても、常に「何か」をしてるんだよ。
その「何か」が何なのかっていうことなんだよ。
そういう答えしか出来ないと思う。
637 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 16:30
>>633 まず自己の問題から始めたいと思います。これは以前にも少しふれたことがあります。
ですからまた同じことを言っていると思われるかもしれませんが段階として踏まえる
必要を感じますので書いておきたいと思います。
端的に言って私は自己の明確な存在というものに批判的です。いろいろな人による権威付けも
可能なのかもしれませんがそれはしたくありません。
私が自己の明確さに批判的なのは具体的には人生の構造化(構造化された人生)の問題があります。
たとえば何歳までに就職して何歳くらいで結婚して子供をもうけて何歳くらいでマイホームを買う、
といった人生における構造は現在結果として、多くの家庭にも職場にも居場所をもてない人を生み出して
しまっているように思うのです。私は彼らを見ていると彼らが憎くなってきます。なぜ彼らはほかの誰でもない
当の彼ら自身の生の「このもの性(当事者性でもいいです)」を無視して自らの生をそのような構造に
あてはめてしまったのか、私はここに自己の明確な存在への否定的な根拠が隠されているように思うのです。
もし明確な自己があったなら彼らはそれによって「このもの性」とは相容れないような構造に身を
ゆだねなくてもすんだのではないか、と思うからです。
638 :
考える名無しさん:04/03/26 16:32
各人が自分の人生観−−生き方の指針となるような信念−−を求めると
きに参考にするものと言ったら、身近な人たとえば親の生き方や、本な
どで知ったいろいろの人の生き方、さまざまの宗教の教え、とかかな。
そういう関心で哲学を勉強する人って、あまりいないような気がする。
理屈として整合的に組み立てられていても、実感できなければあまり意
味なさそうだしね。
639 :
考える名無しさん:04/03/26 16:35
物凄い遅レスになってしまうが
>>492 つまり幸福になるために生きるっていうのは「弱い理由」「消極的な理由」
であって、1(元の求めるものではない、と。
そもそも1(元の幸福は、現時点で、すでに満たされている。
ここが大問題なわけで。
幸福になることが最終到達点では無かった、と気づいたわけだ。
あと一歩、何かがあれば良いのだが。
「なぜ私は幸福なのか?」が分からなくなっているのかも知れない。
それは、ちと不幸だ。いや、かなーり不幸だ。
640 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 16:39
また自己の明確さを考えるときに自己の変容の問題も考える必要があるように思います。
変容してしまうものが明確な輪郭を持ちうるでしょうか。
自分よりも大切な存在と感じていた人がちっとも大切でなくなってしまうこと、
これは明確な自己(の輪郭)を考えるときに私が重視する事態です。ここには自己の変容という問題と
自己内に閉塞する価値に対する問題も含まれているように思います。
641 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 16:51
>>640 明確な自己(の輪郭)をこのように疑う私は必然、自己内に完結するような価値観を
疑います。たとえば自己実現、この価値観は各人が各人の望むことを達成せよという
美しい均整のとれたものだと思います。しかし各人の望むところの不在、不明確性を
私は考えます。勉強をすること、遊ぶこと、がんばること、休むことこれらはいずれも
私のしたいことに属しえるように思いますし、さらにはいずれも私のためになることと
いえるように思います。
642 :
考える名無しさん:04/03/26 16:52
自己実現、いいね。自己実現について語ろう。
643 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 17:03
>>641 このように「わたし」という存在からは無数の「わたし」のしたいことや為になることが
描き出せるように思うのです。それゆえ私はこのような状態を一個の点から無数の直線が
描き出せることにたとえます。そして私たちはこのような一個の点から描き出せる無数の
直線の中の一本を選び出さなければなりません(人間は常にひとつの可能性しか選べないゆえに)。
それは一個の点しかない状態ではきわめて困難な作業であると思うのです。
しかし点が一個ではなくもうひとつあったなら話は変わるように思います。
そのもうひとつの点こそが他者であるのではないか、と私は思うのです。
644 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 17:13
>>642 今1(元さんに向けて書いていますので少し待っていただきたいです。
>>643 ちなみに一個の点から描き出せる無数の直線をもうひとつの点なしに選び出すと
なると、そこにはアイドルになる自由やボランティアに人生をささげる自由が生まれる
ように思いますが同時にシャブ中や無差別大量殺人犯になる自由も発生するように思います。
私はこのような事態は開放ではなく、崩壊であると考えています。
>>637、
>>640、
>>641、
>>643の以上のようなことを踏まえると
私には他者の問題が「わたし」の問題に直接的にかかわってくるように思います。
645 :
考える名無しさん:04/03/26 17:16
人生の目的は「他者に出会うこと」というのはどう?
646 :
考える名無しさん:04/03/26 17:18
不幸な人にしか見えない景色がある。
幸福になるっていうことは、
多くの現実から目を背けること、
狭い視野にのみ生きること。
と、俺は最近思う。
>>644 >ちなみに一個の点から描き出せる無数の直線をもうひとつの点なしに選び出すと
>なると、
「点」とは、頭の中だけでの実在、理性の有ですよ。
648 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 17:25
>>644 もうひとつの点としての他者は無数の直線の中からひとつを選び出せなかった
(わたしにとって)根源的な点つまりわたしよりも無数の直線を(二つの点を通る)
一つの直線に変えてくれたということから「わたし」よりも尊重されるべき点だと
思います。
私は「わたし」のなかの望むところの不在、不明確さ(不確定さ)は
「わたし」の目的の不在、不明確さに通じると思っています。
しかしその目的の不在はわたしをわたしたらしめるもうひとつの点によって
補いうるのではないか、と思うのです。
649 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 17:36
>>647 たとえ話は厳禁という主張でしょうか。もっと現実に即した例を
出すべきだという主張でしょうか。前者はともかく、後者は私の
思いつく限界なので容赦してもらいたいと思います。
>>648 わたしをわたしたらしめるものはそれを「わたし」として取り込むことや
わたしの勝手に振舞うことを拒絶するように思います。
そしてわたしと他者の間にひとつのつながり(尊重のような)を要請するようにも思うのです
(自分勝手に他者をわたしに取り込むことを拒絶するので)。
わたしはそのつながりとは倫理ではないか、またそうあるべきではないかと思うのです。
650 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 17:44
>>649 1(元さん、だから 倫理というつながりをもって無目的性を引き受けること
それによって私は無目的即無軌道性ということにはならない、と思っています。
最後のほうは疲れて少し論理的不備もあるように思いますが、おいおい補えたら
と思っています。その意味で質問や糾弾が胸のうちにある人はお聞かせ願いたいです
(私は自分の考えが間違っているのではないかと疑っていますので)。
651 :
考える名無しさん:04/03/26 17:44
「自己」とか「他者」とかいう言葉が不明確に使われ過ぎている。
悪い人同士が結託することだって、他者との繋がりと言えるだろう。
どうして「他者との繋がり=善」って断定できるの?
それはあまりに無神経な考え方だと思う。
652 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 17:48
>>645 「他者に出会うこと」という言葉にはたくさんの人と付き合うというニュアンスが
感じられますが、そうではないのでしょうか。それは私は自己の空白を埋めるための
モラトリアム(あるいは先延ばし)ではないかと考えています。
653 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/26 17:50
HP更新したからな(´゚∀゚`)
ヽ(゚∀゚)ノ
>>649 >たとえ話は厳禁という主張でしょうか。もっと現実に即した例を
>出すべきだという主張でしょうか。
いや、ほんとに素直に考えて欲しい。
点と線とどちらが実在か、どちらがヨリ先なるものか。
あるいは、どちらとも何らかのもっと根本的なものからの派生物なのではないか。
だから
>>649の後段の主張はいい線いってると思うんだ。
えらそーな言い方ですまんけど。
655 :
考える名無しさん:04/03/26 17:51
他者とつながることは、「力を増す」ことにつながる。
でもその「力」が良い方向にのみ働くとは限らないじゃん。
「オレたちは世間に悪さするけど、根は良い奴らなんだ」
という集団の思い込みを生むことになりはしないか?
こんなに危険なことってないよ。
656 :
考える名無しさん:04/03/26 17:51
>>652 そうではありません。<他者に出会うことなしには、人間は自分を自分
と認識することもできない>という意味の<他者との出会い>。
657 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 18:00
>>651 私は「自己」というものが不明確なものだと思っていますし「他者」という
言葉は意図的に不明確に使いました。その意味であなたの主張は的を得ていると思います。
しかし「他者とのつながりはすなわち善」という構図は念頭においていません。
ひとつの可能性を選び取るためには他者が必要である、他者は必要なので尊重しなければ
ならない、そのような尊重のようなつながりとは倫理のようなものなのではないか、と考えています。
ちなみに他者という言葉にはたった一人の(愛している)人あるいはごく少数の人という想定を一応しています。
>>657 他者とのつながりによって共同に力を増すこと、それ自体は「善い」と
言ってしまっていいんじゃない?
その力を誤って用いて、結果として自他に悪影響を及ぼしたら、その時点で
そのような力の行使は「悪い」ことであった、というだけのことじゃ。
659 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 18:12
>>654 非常に(純)哲学的な問いという印象です。率直に言ってたとえなので完全に
自己と他者という構図に対応しているとは思っていません。ただ、あなたの問いに
しいて答えるなら点は線より(点から線が描き出されるゆえに)根源的だと思います。
またその意味で点はわたしや他者といった実在的なものに対応して置いたたとえですが、
線は可能性や生きるということに対応させて置いたので現象的(自ら存在しえないといような意味で)
だといえるかもしれません。
660 :
考える名無しさん:04/03/26 18:24
今度は「他者とのつながり」っていうのが漠然としてきたね。
つながりのルールというか、とりあえずの決定事項があるだけで、
それじゃ結局、世の中が規定する「幸せ」に沿うほかに
選択枝が無いようにも思える。1(元はすでにその境地に達してる。
目的は何?っていう疑問は、初めから無かったことになるのか?
>>659 どうなんでしょ。
わたしや他者は、物理的な実在として考えたら、点などではなく
空間的広がりを持った延長として存在しますよ。
点から線が描き出されるというのも怪しい。
線を任意で区切った所が点である、という考え方だってできるし。
662 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 18:39
>>661 たとえばある人が「われわれはみな郵便配達人である、しかしその配達先を知らない。」
と主張したとき、そんな郵便配達人はいない、と配達人は荷物を持つときにその配達先を
了解して持つはずだ、と主張することができると思います。その主張はまったく論理的だと思います。
私が言えるのはそのようなことぐらいでしょうか。
>>660 その指摘には興味がありますがもう少し具体的に指示してもらえるとわかりやすいです。
私は他者というものをより大勢の他者ではなくより身近で必要なたった一人のような極少数の存在と
想定しています。その他者を尊重することが「神」のような絶対的普遍的価値が喪失してしまった
(神も相対的に知られるように思うからです)現在には唯一可能な倫理(共通の価値)なのではないか、と考えているのです。
663 :
考える名無しさん:04/03/26 18:49
幸福な人は、
円を描くように単調なリズムで過ごしていると思う。
惑星の重力に捕らわれた小惑星のように。
同じところをグルグル回っている
重力に捕らわれず、ある一つの目標に向かって
まっすぐ飛んでゆく生き方は無いものか?
幸福状態はただのエポケーでしかないと思うな。
>>662 メタファーは情動に訴え人を突き動かす力を持ちますが、
論理にそのような力はありませんね。
しかし、メタファーは「話の分かる」仲間内にしか通じないのに対し、
論理はその「外」への広がりをもてます。
>>663 物が2つあればそこには引力が働くそうですから、実際には無理ではないでしょうか。
666 :
考える名無しさん:04/03/26 18:59
667 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 19:00
>>656 ずいぶん遅れての反応ですが、そのような他者との出会いが必要だとは思いますが、そこに人生の目的を
かぶせるのは少し疑問に思えます。ちなみに私は人間に(生まれながらの)目的はない、と思っています。
668 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 19:03
>>665 私が言っているのは倫理です。ところでメタファーという言葉聞いたことは
ありますが、勉強不足で意味を知りません、だから教えてほしいのですが。
669 :
考える名無しさん:04/03/26 19:16
>>662 大切な人のために生きる。もちろん、
そういう生き方を決して否定はしませんが。
あのー何ていうのかなー。
どうしても「互いに向き合う」っていう図式から離れられない?
こういう諺がある。
仲の良い夫婦はお互いを見てるのではなく、同じ方角を見ているのだと。
何を見ているのかは、色々あるだろうけど、対象は人間でなくても良いと思う。
どんなに仲の良い間柄でも、お互いばかり見ていては、遠からず息が詰まる。
どの「方角」を向けばいいのか、それを知りたいのだと思う。
670 :
考える名無しさん:04/03/26 19:17
>>665 ええええええええ? 論理がこのスレと何の関係が有るんですか?
いままで、なかったのに・・・
>>668 私も倫理にのっとって話しています。
それと、辞書をひけば事足りることは辞書で済ませてください。
2ちゃんでのルールでしょ?
672 :
考える名無しさん:04/03/26 19:24
673 :
考える名無しさん:04/03/26 19:29
ヒユ ッテ ナンダ?
メタファー(暗喩)⇔シミリ(直喩)
われわれはみな郵便配達人である→メタファー
われわれはみな郵便配達人のようなものである→シミリ
676 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 19:55
>>665 >>671 相変わらず私のことが嫌いなようで残念です。
私はあなたは頭のいい人だとは思ってその点では尊敬しています。
ただここの問題の提起者は知識欲よりもどう生きるかに問題意識の
方向性が向いているようですので、あなたとは趣向があわないように思います。
メトリックっなんだ?
サグジャスチョンってなんだ?
679 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 20:04
メタファーや比ゆについての説明ありがとうございます。
>>669 あなたの持つような問題意識は私も共感する所が多いです。
しかし向き合っているとお互いに息が詰まるような相手、時には違う誰かに
その代わりをしてもらいたい(できるのは前提です)ような相手、
そしてそのような(上記のような)相手を欲している自分、そこには
向き合っていく必要があるように思います。
その意味では向き合っていく対象とはしいて言えば現実という事になります。
修辞学はどこで学べますか?
示唆はどこで学べますか?
ここですか?
ちくびは、文章下手だなあ。
>>676 >ただここの問題の提起者は知識欲よりもどう生きるかに問題意識の
>方向性が向いているようですので、あなたとは趣向があわないように思います。
正直言って、「どう生きるか」など、“自分で勝手に決めてください”としか言えない。
会った事もないあかの他人にとやかく言えることではない。
哲学は文学や宗教ではない。
オレもそう思ってた。毎回ちょっと意味が分りにくい。
小難しい(勝手にオレがそう思ってるだけかもしれないが)
言葉とか言い回し使う必要がない内容だと思う。
684 :
考える名無しさん:04/03/26 20:18
哲学できぬ者にとって残された道は、
せめて、哲学的でありたい’との願い。
685 :
考える名無しさん:04/03/26 20:20
ソースとか論理とか言うけどさ、結局「俺はこれだけ知ってるんだぜ」
とか「俺はこれだけ頭良いんだぜ」って言ってるだけなんだよな。
哲学板にはソースも論理も必要ねーよ。
空気を汚すだけだ。
生身の人間の深い叫びが重要だろ。
一、高卒を馬鹿にしない。
おいらはこれに一票入れるぜ。
686 :
考える名無しさん:04/03/26 20:24
トウヒョウニ ハイッタノカ?
687 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 20:41
ところで1(元さんは来ないのでしょうか。
私も今日は夜遅くまでいるわけには行かないのですが。
漢語の使い方もおかしい。
689 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 20:43
>>681あるいは
>>683 すみません。できるだけ誤解の無いように書こうとしているからかもしれません。
683は681への同意ね。
あと自己と他者が何なのかを定義していないまま話が
進んでるけど、いいのかな?他者との関わりと言ってるけど。
前スレで、こんな意見がありましたが
(現前する世界は意味に溢れるものと定義した上で)
他に徹底して固執することで、私を相対的に明確化し
同様に生に徹底して固執することで、死に相対的に意味を与える。
「掴めないものを把握しておきたい」という欲求のために
その掴めないものを、すでに明確であるもの(現前する世界)の
対極位置に置くことで意味を測ろうとする。 ・・・という感じの。
こういうことから考えると、根源には”もっと大きな括り”が
あると思うんだよね、生と死、自と他をひとつに飲み込むような。
なんだか最後は恣意的すぎて申し訳ないけど。
>ちくび
簡単な言葉で良いからさ、頑張りなよ。
692 :
考える名無しさん:04/03/26 20:56
勝手に世界を解釈しているからこの板はつまらないと思う。
勝手な定義で解釈するならなんでもできるから、それやっておもろいの
は当の本人だけちゅー話なので?
>>692 正しい世界解釈があるとでも?あるのは正しさではないはずですよ。
>>693 なんらかの正しさを目指さないならば、それは哲学の放棄でしかない。
そして正しさは単独では決定できない。
695 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 21:09
>>690 683さんの指摘は甘受します。自己やあるいは他者を定義することを正直留保していました。
それは1(元さんが来るまでは決めてかかるとまた話がかみ合わないかもしれないと考えていたからでもあります。
率直に言って私は自己とは「わたし」にとっての世界の中心といっていいものではないか、と思うのです。
わたしの明確な存在(輪郭)を私は疑っていますが、わたしの存在そのものを疑っているわけではありません。
他者については私の想定を何度か書いたと思うのですが、それでも納得できないと言うのならしいて言えば
私に自同化(同一化)することに抗うもの、というような(純)哲学的答えがお望みでしょうか。
>>693 だれが正しい世界解釈のこといったんだタコ
勝手な解釈といったから、その反対が「正しい解釈」だとおもったのかw
タコらしいな
>>694 たしかに「ある面に置いての正しさ」を目指すことは大切です。
そして、正しいと判断するためには間違ったものが必要です。
ではこれはどうでしょう
世界を語るときに「機械論的世界観」と「目的論的世界観」が
あったとして、これはどちらが正しいと言えますか?
>>697 タコだったみたいです。この話、流してください。
勝手な解釈はつまらないですね
701 :
考える名無しさん:04/03/26 21:19
要するに勝手な解釈のヘゲモニー争いだからつまらない以前に
意味ない。
702 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 21:24
>>690 以前に書き込まれていたというテクストはかなり難解ですが、
物事が相対的に推しはかられているのは認めるけれどもそれらの物事に
一応に横たわっているような普遍的な存在があるはずだ、と言う主張なので
しょうか。
意味を求めるから、意味のない意味が生まれる。
よって、矛盾と云える。
>>698 「私は〜だと考える」ということそのものに、真も偽もない。
しかし、それをその他の言説や事象と照らし合わせた際に、整合性を
保てないならば、「それは間違った考えである」となる。
ただそれだけのこと。
欲望の扱いが正当であれば、目的が何であれ、その人は
幸せであろう。意識(脳?)というのは知識欲の塊のようなものだ。
意識自我というものは、あると思えばある、ないと思えばない。
そのような曖昧なる自我に対して、明確な目的はいかにして
定義できるのであろうか?
706 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 21:47
>>704 >>698の目的論的世界観とは物事の真偽を事実に即しているかではなく
役に立つか立たないかによって判断しようと言う姿勢を意味しているのだと
思います。
ただそのような論争をすることを1(元さんはあまり望んでいないようですが。
>>704 私がさっき言ったのは、外部で対立したそれぞれが正しい解釈同士の
正誤判断のことを言ってました。
>>702 そうですね、相対的な認識以前の大きな括りというのは
意味の源泉というか出発点というか。うまく言葉にできないのですが・・。
世界観に真偽を問題にするのであれば、金の為に生きる人、女の為に
生きる人、私益のためにだけ生きる人、ボランティアばかりする人、
それぞれの人の生きがいを逐一否定できる根拠を提示していけばいいことです。
それもできないようでは、自我とは何かを語っていないわけで、空論といわれて
も仕方ない。
709 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 22:07
>>709 読ましていただきまして、大体同意できるとおもいます。
一つ思うのは、大量殺人などの犯人は、自分の肉体を他者と
感じていないのでは、と思います。麻薬中毒、セックス中毒
などもそう思います。自分の肉体を他者と感じられなくなったとき
ひとは目的を喪失するのではないかとおもうのです。
自分の肉体すら自分のものではない、というのは宗教的発想と感じるかも
知れませんが、人間は自分の肉体を思っているほど操作できないのです。
711 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 22:34
>>710 正直言って私には少し理解しにくい発想と感じました。
あなたの主張でいくと「わたし」は精神としてしか存在しないことになるように思います。
私は肉体と精神の分割しての存在を認めませんし、そこから来るような二世界論にも
賛成できません。
ただあなたがこの先何を言わんとしているのかによっては話も変わるのかもしれませんが。
712 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 22:38
話の途中ですが私はそろそろ帰らなければなりません。後10分ほどはいますが
もし1(元さんが見ておられるのなら何らかの反応をお聞かせ願いたいと思います。
>>712 遅くなりました。
仕事が今日は遅くて、すいません。
時間もないようですし、レスはたまってますし。
ざっとみただけでも昼の段階で意見をまとめていただいているようなんで今日はそれをゆっくり読ませていただくようにします。
正直誤解無く理解するには少々私には難しい内容でして。
>>711 精神としての「わたし」も存在していないのではないですか?
一般的に、自分の脳を見ることは不可能ですから。脳の作用が
わたし、と仮定すれば。
目的を定めるとすれば、欲望を定める事に他ならない。
欲望が他者によって規定されてくる、他者を肉体にどう取り込むか
という発想を考えているのですが。
715 :
ちくびぎゅーん:04/03/26 22:56
>>714 しっかりしたお考えがあるようですね。ただ私は(不明確であっても)「わたし」の存在は疑っていません。
こっくりさんの他者の取り込みという考えは自己に閉塞しようという、自己で完結しようという意思を感じます。
私はそのようなことに反対して倫理を重視しています。
>>713 お仕事大変なようですね。私も今の時期は大変ですが。
できるだけ誤解の無いように気をつけて書きましたが
それがかえって読みづらくしているという主旨の指摘をいくらか受けました。
そんなにたいしたものではないので気楽に読んでくださっていいです。
ではまたきます。
716 :
考える名無しさん:04/03/26 22:57
「話が混迷に陥るときは、設問が間違っているケースがほとんどだ」
哲学は考える事らしいが、1(元さんの求める物は、感じるとか経験する
とかした方が見つかるかもしれない。。。。
718 :
考える名無しさん:04/03/26 23:08
>>716 設問が間違っている、という感じは私も受けますし、
その上でこうしてお付き合いしてるわけですが。
例えばですね、ゼノンのパラドクスは論理的に否定できないけど、
かと言って肯定もしにくいですよね?
「目的がないと分かってるのに何故生きるの?」
こう聞かれたら答えようが無いと思うんです。
かと言って、設問が論理的でないとも言えません。
それはパラドクスだよ、と証明できれば良いのですが。
>>706 >
>>698の目的論的世界観とは物事の真偽を事実に即しているかではなく
>役に立つか立たないかによって判断しようと言う姿勢を意味しているのだと
>思います。
ある机を指して、「質料たる木材が、形相たる机を合目的的に実現している」と
すれば、なんとなくその通りな気がするね。 そして、その形相たるものは設計図=
目的として机に内在している。 だから、机が現実のものとなったんだ、と。
これが目的論だね。 この考えは、君と発言とはいささか違って、事実を役立って
いることによって説明する試みと捉えるべきだ。
だから、目的論的世界観だって、事実に即しているかどうかで考えなければならない。
さらに、「世界観」という以上は、世界乃至世界内の全ての諸事象をそれによって説明
しようとしているわけだ。
目的論というのは、人為的な制作物を対象にすると相性がいい。 しかし、世界は必ずしも
意思によって構成されるものばかりではないはずだ。 いや、一人の人間の生涯をとってみても
そこにどれだけ成功裡に意思が介在できたであろうか・・・
「私は〜のために生きる」と“思う”ことは勝手だが、実際に“どう生きているか”は全く別次元の問題。
まして、人類共通の生きる目的など・・・
>>719 そうですね、自ら意識的に行えているものが
本当にあるのかすら疑わしい。すべてが反射行動かもしれない。
721 :
THE グル:04/03/27 20:29
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< 今度は、何処のサイトを!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 今度は何処の板やスレを!
ていせつしよかな! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
722 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 14:09
>>719 私はあなたのいう目的論的世界観であっても事実に即して考えなければならないと言う点に
強く同意します。そしてあなたが非常に論理的思考をなさる方だという事は分かりました。
ところで私は(人間普遍の)目的の存在を明確に否定してきました。
>>694さんと
>>698さんの論争に首を突っ込んだぶしつけさは反省しています。
ただここで言う目的論的世界観とは役に立つから真であると言う考え方をさすという私の主張の真意は
(おそらく私の能力の問題から)あなたに伝わっていないようです。
目的論的世界観の中には、例えば神がいるということを信じることが実際において
何らかの(良い)効能をもたらすのなら事実とは関係なく神の存在を否定するべきでは無いという
(だからと言って神の存在が証明されたわけではないのですが)そういう考え方がある、という主張であったのです。
このような考え方は1(元さんが人間普遍の目的の存在を肯定的に考え続けるのであれば
有用なように思います(おそらく694さんはそのような意図の元に目的論的世界に言及したのだと思って
私も思わず反応してしまいました)。
ただ私はこのような目的論的世界観に批判的で(役に立つ虚構の存在を許容するので)
そこから現実を生きるという考えを抱いたという経緯があります。
723 :
考える名無しさん:04/03/28 14:31
>>722 普通の日本語で書けよ。
だらだら文章だと、読む気が3行ともたない。
読んでもらえないと、せっかく書いても意味ないだろ?
書いてる中味のひどさについては、書くのを控える。
725 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 14:38
>>723 ええ、そうですね。
>>681、
>>683あたりでも私の書き方の問題が
取り上げられています。
私もあれから反省はしたのですが、まだ反映はできていないようです。
内容が未熟なのは・・・・・もっと反省が必要なようです。
ところで1(元さんは来ていないのでしょうか。
この間聞けなかった反論、反応を聞かしてもらいたいです。
726 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 15:09
>>724 ありがとうございます。私はあまり悪意や敵意を率直に向けられるのには
慣れていないので誰かに擁護してもらえるのはうれしく思います。
ただ変な自信をつけないように心がけたいとも思います。
ところであなたがもし退屈なら
>>637 >>640 >>641 >>643 >>644で展開した
私の意見をどう思うか、率直に聞かして頂きたいと思います(他の人でも結構ですが)。
このなかで私は「他者」という言葉をある特定の一人の人物(愛しているような対象)もしくは
ごく少数の物理的に近い人物を想定しています(どちらかといえば前者ですが)。
また「自己」という言葉は(「わたし」という)当事者にとっての世界の中心という意味を想定しています。
そして「点、線、もう一つの点」というたとえ話のくだりは、一個の点を通る直線は無数に引けるけれども
二つの点を通る線は一本しか引けないという数学あるいは算数の基礎知識の話を念頭にしてもらえると
分かりやすいと思います。
もし退屈でない、暇ではないのなら結構です。(私が退屈なだけなのですから)
727 :
考える名無しさん:04/03/28 15:15
728 :
考える名無しさん:04/03/28 15:17
>>726 悪意や敵意を向けるほどの内容か?
間違えるなよw
729 :
考える名無しさん:04/03/28 15:22
リカイッテ ナニカ コタエレナイノニ リカイリョク?
730 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 15:28
>>727 理解(力)とは伝えようとすることに対し伝わろうとすること(とその強度)、と考えたら
問題ありますか。
>>728 申し訳ないです。理解力不足です。
731 :
考える名無しさん:04/03/28 15:36
732 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 15:51
>>724 私の擁護に立った(そのつもりは無かったのかもしれませんが)ばかりに
不快な思いをさせてしまって申し訳なく思います。
どうやら私を批判している人には矛先が向かないことから私は相当嫌われているようですね。
もしそうなのだとしたら私の駄文のせいで
そのような方にも不快な思いをさせたことを申し訳なく思います。
ただ勝手ですがこのようなやり取りは凄く不毛だとおもうのでもうやめて欲しいと思うのです。
733 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 16:03
>>732 ここがなにか、もしここのテーマに沿わないにしても、議論をする所であったなら
このようなやり取りは不毛のように思います。
おそらくどちらかが(あえてこのような表現をしますが)一方的に何かを定義したり
証明したりし続けなければなら無いようなやり取りは議論というよりは
どちらかの攻撃性の発散というべきだと思うからです。
734 :
考える名無しさん:04/03/28 16:35
オワタ
735 :
考える名無しさん:04/03/28 16:49
736 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 17:17
>>726 「
>>637 >>640 >>641 >>643 >>644 >>648 >>649で展開した」のあやまりですが
表現力に難があるようなので読みやすくは無いようですね。
ところである種の人が私に反感を抱くのは長文を書いてこの場の簡潔性を損なうような事を
私がするからでしょうか。以後注意します。
しかし私は誰かに私の意見を批判(同意でもかまいませんが)してもらいたいです。
退屈なので(このような長文が問題でしょうか)。
>>715 確かに自己に閉鎖しがちな考えだと思います。
しかし、生きる目的の有無や愛している人の有無に関係のない概念をつかむ
ことから始めたい。それが俺にとっての目的です。
738 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 20:07
今日は何を書いてもだめな日のようです(自己反省の意味です)。
私は自分の意見がほかの人にどう思われるのだろうということにとりつかれて少し冷静さを欠いてしまっているようです。
私が自分の意見を書いたのは多少の自己顕示欲が入り込んでいたにせよ、あくまで1(元さんがそのまま無目的性の闇に
呑み込まれないようにと思ってのことであったのですが、いつの間にか私が自己顕示欲に呑み込まれていたようです。
>>736 簡潔にまとめると「自己存在の不安(不明確)を、他者との関わりによって解消する」
「そのように組み立てた自己によって、初めて自己実現が成される」
ということでいいんですかね?
740 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 20:17
>>738 ただこんな私が今1(元さんに言いたいと考えているのは「人間は所詮は自分が一番かわいいもの」という自己閉塞の欺瞞を暴くことについてです。
もし自分が一番かわいいのであれば「わたし」は「わたし」を愛していれば「一番愛すべき対象を一番愛すべきものが愛する」
という幸福な構図が描き出されるはずなのですが、それは現状ではとても困難だと思います。
なぜなら先にも述べた「わたし」の不明確さも理由ですが、「わたし」を愛するということが
A∨〜A(AまたはノットA)をもふくむからということも理由に挙げられます。
「わたし」をいたわってやること、「わたし」を叱咤激励してやること、「わたし」を厳しい環境に
おいてやること、これらすべてが「わたし」を愛することになりうるからです。ここでは「わたし」という言葉の空白が
おおいかぶさってくるように思います。「わたし」を愛することでは無目的という無基準の闇を振り払うことはできない、
いやむしろ「わたし」を愛することには無基準の闇に自らを放り出しているという側面すらあるように思います。
なぜなら私は「わたし」というものに倫理を持つ必要がないからです。このような「わたしが一番大事」説の否定は
肯定的側面がある、とわたしはあなたに言っておきたい。それは倫理の要請です。
すなわちそれは他者の要請ということになります。私は他者の要請とは他者を愛するという具体的行為を想定しています。
「わたし」という枠組みを抜けられない「わたし」が他者を愛するという困難は倫理を再び要請するのです。
そこで倫理は多くの他者に対するものから非常に限られた他者に対するものへ昇華されるべきだと思っています。
なお倫理に対する考え方には「倫理とは生存の美学である」という考え方などもありますが私はそのような考えはとっていません。
他者に対する責任、とか一般的な了解に近い意味でしかしその範囲は非常に限定されるべきだと考えています。
741 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 20:27
>>739 私の読みにくい文章を簡潔にまとめてくださってありがとうございます。
あなたの読みは非常に正確です。ただ一点私が考えていることとは異なっているような印象を受けるが
あります。私は自己の自律的存在というものを信じません。自己は他者の存在があっても
不確定であり続け、それゆえに他者を要請し続けるのではないか、と考えています。
だから自己実現という言葉も少し私は好みません。
742 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 20:34
>>737 こっくりさんの目的は非常に(純)哲学的ですね。
そのような目的を持つならばイデア論的な存在が要請されるように思います。
私も他者と私の間を結びつけるものとして「わたし」や愛している「他者」が
おのおの勝手に倫理を抱いているという状態は不都合なのでイデア論的存在を
わたしと愛する他者の結び目としての倫理を裏付けるのに少し念頭においています。
743 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/28 20:41
(´゚c_,゚` )プッ
744 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 20:42
>>742 相当の乱文ですので訂正させてください。
「わたし」と愛する「他者」がおのおの勝手に違う倫理を抱いているという
状態は不都合なのでイデア論的存在を「わたし」と愛する「他者」の
結び目としての倫理を根拠付けるものとして少し考えたいと思っています。
>>740 あなたはどちらかというと、禁欲的な方ではないでしょうか?
そして将来的に、愛する人が現れてほしい、これが人生の目的で
あっていいわけです。
ただわたしがこだわっているのは、家族だけを大切にする人と
孤独に自分だけを大切にする人がいる事実です。他者がいるから
正しい生き方ができるわけではない。家族だけを大事にして、
他人に冷たい人はいくらでもいると思います。
>>741 では、価値を置くのは現存する他者ですか?例えば、未来の自分や
未来の社会(他者)。そういった現存しない想定されたものとの関わりはどうお思いですか?
自己は不確定であり続けるというのは分かりましたが、
私が思うに、他者にあまり価値を置きすぎるとそれは自己欺瞞に
つながるのではと思うのですが。つまり他者を「自己の証人」的存在
に置いてしまう。常に他者によって自己を規定させようという行為は
他者の自分に対する評価に拠っているわけですから。
747 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 20:56
>>745 私はそれでもいいと思っています。ただイデア論的倫理を考える以上
家族だけ(私はもっと先鋭的にパートナーだけを本来想定しているのですが)
にとどまっていることは未熟だと考えるべきなのだろう、とも思っています。
それと私には愛する人がいます。それが私の考え方に莫大な影響を与えているのです。
>>740 わたしという個人性は他者との愛のある関係によって、
ある程度は開かれた存在として実存変容をもたらすとは思いますが、
以前としてそれは愛とは程遠い存在だと思います。
なぜなら、それは自己愛が拡大されたものとして想定できてしまう
からなのです。恋人や友人との関係、そして家族との関係
または自分の属する国家へまでと愛が高められた場合でも、
そこには自分の『・・』だから大切にする、あるいは守り続ける
というエゴイズムからは完全に脱却されてはいないのです。
だから、自分とは全く関係のない他者の問題について、
私たちはあまりにも鈍感になってしまうのです。
人々や国家間の終わりなき争いも、このエゴイズムに起因していると
思います。
そこに気付ける人が、
749 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 21:14
>>746 少し難解なところもあるので意味を把握しきれたかどうかに問題がありますが
すばらしい洞察だと思いました。
「他者」が自己よりも大切なものであるのではないか、さまざまな問題を解決するのに
「わたし」は「他者」を求めていると思いましたが、それはやはり「わたし」が「わたし」のために
問題を解決しようとするという点で「わたし」の枠組みの範囲内にある。
もしも何らかの脱自(脱わたし)を求めるとしたらそれは薬や儀式などによる一時的脱自か、
「死」という恒久的脱自にいたるのではないかとわたしは思いました。
しかしそれは私の掲げる現実を生きるということからの逃避に等しい行為であるので
私は抜けられない枠組みとしての「わたし」を認めなければならないと思っています。
つまりときとして大切な「他者」よりも「わたし」のほうが優先されるかもしれない、
それゆえに「わたし」には大切な他者に向けての倫理が(再び)要求される、と私は考えています。
>>747 愛する人がいるというベクトルを持つ愛、○○に対する愛から
愛そのものは何か、をかんがえているのですね。
751 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 21:27
>>746 このテクストはむしろ他者の不在の場合を想定しているのでしょうか。
この場合は率直に言って自己の規定はなされえない、と考えます。
わたしは自己がそこにあるだけでは自己の不確定は補えないと考えていますので。
だから、僕は自己を徹底的に不明瞭に置くことに少々不満がありますね。
<私>というのは記憶の蓄積として"今ここにいる私"を確信するわけです。
"今ここにいる私"が、過去(今までの私)を評価し、価値を与え、そして未来(これからの私)の
理想像と照らし合わせ私の行動を決定する。だからそこに必然として目的が生じます。
ここで他人(社会)は価値の共有者達であって、また自己の明確化(価値観生成)の
あくまで"プロセス"に過ぎないわけで、最後まで他者に価値を求めすぎると
それによって最後まで自己を欺き続けてしまうのではと思います。
他者の壁によって、自分の存在する空間が閉塞してゆくのではないでしょうか。
753 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 21:46
>>752 どちらにせよ、鋭い指摘ということのようです。
ただ記憶に蓄積による「わたし」の規定には根源的な困難が付きまとう
というのが私の立場です。
確かに739さんの「今ここにいる私」と「今までの私」、「これからの私」の図式は
美しい均整の取れたもののように思います。しかし一方で私は「わたし」誕生時(周辺)の記憶の喪失が
その図式に大きな影を落としているように思うのです。私はこういうものでありその結果として
こういうものであるという自己の明確性を根源的に不可能とするような、恐るべき忘却が
その図式を現実に投影することを阻んでいるのではないかと思うのです。
「他者と関わるプロセスの内で自己を確立し、次はそこから新たな価値を創造する。」
つまり、"次のステップ"が「自己の確立」であるというのが私の主張で
特にちくびさんの主張を真っ向から否定しているわけではありませんが。
755 :
考える名無しさん:04/03/28 21:52
>>722 719を書いた者だが、・・・要するに、君は「目的論的世界観」という言葉の使い方を
間違えて使ってた、ということだね?
しかも、間違いだとは認めつつも、今後も「目的論的世界観」という言葉を
使い続けるぞ、と言いたいのかな?
いつの間にか話題が「自己」についてになっていて、どういう展開だかよく分からんな。
756 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 21:53
>>750 愛の意味についても考えていますが、それ以上に倫理についても考えています。
>>753 752であえて”確信”と書きましたが、客観的な自己存在の明確性ではなくて
あくまで主観的な自己存在の確信です。たしかに記憶の変容や不正確さは
自己の存在を不明瞭なものにしますが、どのような記憶であっても
”今ここにいる私”はその記憶の蓄積によって成立することになります。
758 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 22:00
>>755 ええ、何が正解かわからない以上間違っていたといっても過言ではないでしょう。
ただ私は「目的論的世界観」をプラグマティズムとニアイコールで考えていました。
私のあの時点での目的は1(元さんに(人間普遍の)目的があるという立場を必ずしも捨てなくとも
よいのではないか、という意見を届けることにありましたので、間違いであれば率直に謝ります。
759 :
考える名無しさん:04/03/28 22:05
目的?
自分で決めろよ
760 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 22:07
>>757 持論がおありのようですね。ただ私が言っていることは記憶の喪失です。
私たちは記憶を基に考えればある日突然存在していたことになってしまう
のではないか、と思えるのです。そしてある日突然存在していたことになったなら
自己の明確性あるいは一貫性は脅威にさらされるように思います。
761 :
ちくびぎゅーん:04/03/28 22:23
議論の途中ですが私は朝が早いのでもう帰らなければなりません。
何か批判のあった方聞く時間がなくて申し訳ありませんでした。
1(元さん、今はむしろ私の問題意識がここで論じられていますが
今度はあなたの問題意識を聞きたいと思います。
それでは。
762 :
考える名無しさん:04/03/28 22:29
ヤッテロ
国家を一種の法人と考えると、
国家にも目的があると言えるらしいですね。
国家や民族や生物全体としては確たる目的があるけど
それが「個人の人間にとって」の目的となると分からなくなる。
”殺人”は社会の運営に悪影響だからやってはいけないと説明できても
個人の問題になると社会がどうだからという説明が無意味なように。
765 :
考える名無しさん:04/03/28 23:09
768 :
考える名無しさん:04/03/28 23:35
(o_ _)o ドト
(o_ _)o ドテっ
(o_ _)o ドタっ
769 :
考える名無しさん:04/03/28 23:36
>>765 人類補完計画という終焉(ハッピーエンド)
770 :
考える名無しさん:04/03/28 23:37
いきてんからしょーがね〜だろはげ!!!
771 :
考える名無しさん:04/03/28 23:38
オマイラ ミンナ ハチャメチャスギ
773 :
考える名無しさん:04/03/28 23:46
人類補完計画の実現こそ人類の究極の目標であり、ゴールである。
全ての知識はそのためにある。
>>773 それは肉体に対する嫌悪感が根底にあると思われ、賛同しかねます。
プラトン ―肉体は精神の牢獄である
ニーチェ ―精神は肉体の牢獄である
?
ふふふ ではない。
7 7 7
778 :
考える名無しさん:04/03/29 01:10
>>767 共産主義じゃないんだから。共同で自警団を作って皆を外敵から守るとか。
内に対しても警察力をもって秩序を維持するとか。老後とか障害者の生活のために
福祉を充実させるとか。または国際社会に貢献するとか。色々目的がある。
>>ちくびぎゅーんさんお疲れ様です。
あなたの書いた文章はすべてコピペしてまとめてあります。
私には少々難しい内容ですし、誤解無く理解したいからです。
加えて私は今いくつかのそれ以外の問題も抱えています。
まっすぐ考えようとしても気になったが最後考えずにはいられないのですから困ったものですよね。
その気になったことというのがくだらないのですけど、、
「私は頭の中で足が8本あるカブトムシをイメージできます。わたしは生まれてから足が8本あるカブトムシを見たことがないのに何故イメージできるのか?」
笑ってしまいますね。
レスにレスをつけるのと違い考えることはいつでも出来るわけではないですね。
なんにしてもレスはありがたく拝見させていただいています。
意見をまとめましたらお知らせします。少々時間がかかるかもしれません。
それは私の中で十分に考える事ができる環境が整っていないからだと思います。
780 :
考える名無しさん:04/03/29 01:25
>>779 >「私は頭の中で足が8本あるカブトムシをイメージできます。わたしは生まれてから足が8本あるカブトムシを見たことがないのに何故イメージできるのか?」
>
>笑ってしまいますね。
それなら簡単。
あなたの考える「カブトムシの本質」には「足の本数」が含まれてないから。
「四角い三角形」は考えられなかったり、「200角形」は考えられたり、
いろいろな例で試してみて。
781 :
考える名無しさん:04/03/29 02:04
頭の中でイメージするだけなら、本質に矛盾する想定だってできるよ。
782 :
考える名無しさん:04/03/29 02:15
>>781 例えば? どんなものをイメージできる?
783 :
考える名無しさん:04/03/29 02:19
そうだな。たとえば<もしアリストテレスとプラトンが実は同一人だっ
たら・・・>とか。
784 :
考える名無しさん:04/03/29 02:38
>>783 それは「事実に反する想定」。
そんなのだったらいくらでも出来る。
「ケンタウロス」の本質だってイメージできるでしょ。
あと、俺の挙げたのは「文章」ではなくて、「概念」だよ。
785 :
考える名無しさん:04/03/29 02:40
786 :
考える名無しさん:04/03/29 02:43
俺なんか「ケポパ」をイメージできるぞ
見たことないのに
787 :
考える名無しさん:04/03/29 02:43
他者、他者って、何が他者か考えたことあるんかい・・・
言語だって、他者性そのものだぜ
自分でない無いものは、どうやって分別されるんだろ?
自分ってなんだろ?
こんな素朴なところをすっ飛ばして哲学は語りえない
788 :
考える名無しさん:04/03/29 02:44
このスレと
>>735の対比がすさまじい。。。
恐らく元1さんの問題意識は「実存主義」と呼ばれる
哲学の範疇に入ると思うんですけど。
その実存主義の頂点に立つ(と見える)
晩年のハイデガーが親鸞を称えたそうです。
宗教に染まるタイプとは思えないけど、一応記しておきます。
789 :
考える名無しさん:04/03/29 02:58
>>785 「概念」を単独で問題とすることは(つまり概念の対象や表象だけで思考を考察することは)
出来ないと言いたいの?
でもそれだったらフレーゲだよなあ・・
クリプキという名前で何が言いたいの?
790 :
ちくびぎゅーん:04/03/29 21:11
>>779 久しぶりに反応が聞けてうれしく思います。
あなたがただ単純にそういう着想を抱いたのか、どうかわかりませんが
「倫理」の背後にそれ(倫理)を根拠づけるような法則的存在者を想定しようと
考えている私にとってその問いは重要な問題といえます。ただし私は
そのような言論的展開のもとに現れた哲学には非常にうといので
そこはまったくの空白地でもあるのですが。
いくつのかのほかの問題も抱えている、という発言は意味深ですね。
そういう状態ではあなたの考えているとおり、私もまず状態の整理を優先させる必要が
あると思います。あなたの意見はあなたがあせらないのであれば無理してまとめることも
無いように思います。
791 :
ちくびぎゅーん:04/03/29 21:26
>>787 私に向けられたコメントなのでしょうか。もしそうであれば
「他者」とは「わたし」の理解が完全に理解しつくすことのできない
(完全に理解し尽くすことによって「わたし」の中に取り込むことのできない)、
くみ尽くし得ない対象なのではないかと素朴に考えています。
ただ私の問題意識が「わたし」の不明確性から発しているので
「他者」の問題にはあまり誠実に対応していないような印象は私自身も感じるところで
そこが私の文章の分かりにくさの一因なのだとしたら今後改めていきたいと思います。
792 :
ちくびぎゅーん:04/03/29 21:40
>>791 『「わたし」の理解が完全に理解しつくすことのできない』
ではなく
「わたし」の理解が完全に及びつくすことのできない
に訂正させてください。
記憶が突然現れる、ということから、記憶以前の自分こそは、「本当の自分」
です。自我がある、という発見は端的に言って他者の発見なのです。
ただしそこに他者性はない。他者性なき他者は自己であるわけですが、
生きる目的との連関では、自己否定と自己愛のあいだの激しい振幅を
自分にも他人にも感じます。
794 :
ちくびぎゅーん:04/03/29 22:03
>>793 非常にハイレベルな指摘だと思います。自己の中に他者があるという指摘は
その通りだと思います。代表的な例で言えば「わたし」の記憶、もっと言えば「わたし」自身にも
「言語」という「他者」(こうゆう指摘もありました)が入り込んでいると考えることができると思います。
しかしこれは「わたし」の純粋性すなわち「本当の自分」を汚すようなものだとは、私は考えていません。
それは「わたし」が「他者」に向かって開かれているという事に他ならないと思うのです。
「わたし」がわたしの個人的な経験や意見によって普遍的なもの(例えば真)にたどり着こうと考えている時
それを支えているのは、支えられるのは「わたし」の純粋性ではない。
それは「わたし」が開かれているという事によって支えられている、いやそれによってしか支えられない
と私は思うのです。
795 :
考える名無しさん:04/03/29 22:07
>ちくび
「そのとおり」だと思うのが早すぎだよ。
相手が本当はどのような意味で述べているかと、自分の理解とを
すり合わせる作業をしてから会話を進めないと後で絶対に混乱する。
796 :
ちくびぎゅーん:04/03/29 22:10
>>794 「他者」に侵食されたような「わたし」でも純粋な「わたし」と
言っていいのではないか、と思っています。
797 :
ちくびぎゅーん:04/03/29 22:13
>>795 ここで「その通り」と思ってはいけないわけですね。
しかし言っていることは的を得ているという印象を受けます。
実際昨晩も意図を取り違えていましたから。
的はgetするもんじゃなくshootするもんだ。
しかも2行から3行目への論理展開が意味不明。
餅ツケ
799 :
ちくびぎゅーん:04/03/29 22:27
では795さんの助言に従って
>>793 私はこっくりさんの意見にその通りと思っていないところがあります。
まず「本当の自分」の存在です。私はそのようなものは今の自分に対する不満が生んだ
理想郷のように思います。
他者と他者性の区分というのは面白そうですが理解は難しいというのが感想です。
まだまだ話したいのですが私はもう帰らなければなりません。
すみません。
俺は本当の自分はあるだろうと思う。
ただ、それは他者性に侵食されて
はじめて、あった、といえるにすぎない。
抽象的にはちくびさんと同じような考えだと思うが、
具体的な人間の生活として考えの違いがあるのかも。
801 :
考える名無しさん:04/03/29 23:09
アホ博ハ ココテ ゙スカ?
802 :
考える名無しさん:04/03/29 23:48
>>800 あなたの発言は総じて意味が取りにくい。とりあえず
>俺は本当の自分はあるだろうと思う。
この「本当の自分」ていうのは何?
803 :
考える名無しさん:04/03/30 04:40
「他者と分かり合う」って、具体的にどのレヴェルまで想定してるわけ?
例えばある人物を特定して、その人物との理解を深め合う(1)のか
それとも「1+1=2」みたいな、だれでも理解できることを通して、
広く浅く、不特定多数からの理解を得る(2)のか。
ここで追求している理想像は、どちらかと言えば(1)なのだろうけど、
たとえば科学者の目指すものは(2)にあるわけだよね。
いや、どちらでも構わないんだろうけどさ。
こうして誰でも閲覧できる場所なのに、
なんか「閉じてる」なって印象を受けるの。気のせい?
自分でも何が言いたいのかよく分からないけど、一応投稿しときます。
804 :
考える名無しさん:04/03/30 05:39
不特定多数からの理解を得る
のが
広く浅い
と同じになっちゃうわけかいw
805 :
考える名無しさん:04/03/30 14:58
ギロン ノ タメノ ギロンスレ ハ ココテ ゙イインデスヨネ?
806 :
考える名無しさん:04/03/30 17:19
807 :
考える名無しさん:04/03/30 17:30
>>806 ドモ アリガト ココガ ギロン ノ タメノ ギロンスレ ダッテコト ワカリマシタ
808 :
考える名無しさん:04/03/30 17:44
809 :
考える名無しさん:04/03/30 17:48
>>808 サキホドハ テイネイニ ドウモ アリガト
>>809 踊る阿呆に見る阿呆ってやつだよ。
2chでいうなら「語る阿呆に煽る阿呆。」
811 :
考える名無しさん:04/03/30 18:54
>>810 ココ アオル スレ ナンデスネ オシエテクレテ アリガト
オンドゥルルラギッタンディスカー!
813 :
考える名無しさん:04/03/30 20:24
814 :
考える名無しさん:04/03/30 20:25
物凄い粘着ぶりだなw 暇あったらこのスレ見てるんだろうな。書き込みに対する
レスポンスが凄い。ご苦労様です('∀`;)
815 :
考える名無しさん:04/03/30 20:43
>>814 ナンチャクサン ニ ホメラレテモ・・・(w
816 :
考える名無しさん:04/03/30 20:45
難しい哲学的議論は僕には解らないけど、
生まれてすぐ死に至る人生、
大きな障害を持って生きる人生、
100歳を超え天寿を全うする人生、
不公平だが様々な人生がある。
論理的には全く筋は通らないけど、
これらの多様な人生に、共通の目的を見出すことのほうが、
不自然だと思うのは、僕だけだろうか。
817 :
考える名無しさん:04/03/30 20:47
818 :
考える名無しさん:04/03/30 20:52
どこ見たら褒めてるように読めるんだよ('д`)
819 :
考える名無しさん:04/03/30 20:59
>>818 ゴクロウサマデス ナンチャッテ ソンケイ シテルクセニ コノ ネンチャクサンッ(w
>>802 本当の自分は属性を剥ぎ取ったその人自身にすぎない。しかし、それだけでは実際に
生きてはいけない。
ただ、その人に身分に関らず、恋人になったり、親友になれたりするじゃない。
それはお互い本当の自分はあるからです。
本当の自分というより、本当の人間(わたし達)の姿、はどこかにある、
といったほうがいい。
自分探し、とか自己実現は個人的な理想なのだろうが、本当の自分とは
関係ないと思います。
821 :
考える名無しさん:04/03/30 21:43
>>820 もう少し言葉の説明を加えて欲しい。一行目の「属性」とは社会的地位とか、
そういうものを指すのですか?
>>821 そう思いますが、肉体までも属性と考えたいです。別に魂の不滅を信じている
訳ではありません。
本当の自分=本当のあなたという、人間としての共通の土台みたいな物です。
823 :
考える名無しさん:04/03/30 22:04
>>822 人と人が通じ合えるのは、そういった肉体や社会的地位などの、属性に
しばられない「本当の自分」というものが、あるからだということですか?
かなり宗教的ですね。
>>823 そうかもしれません。
ただ、「本当の自分」があるからだ、ではなくて、結果的に「あったから」
他人と関係性が結べて理解しあえたと判るのです。いつのまにか、この世に
存在していた、と気づく人間の自我のあり方と同じ理解です。
825 :
考える名無しさん:04/03/30 22:26
>>820 自己の男女という属性を否定してるの?
もしそうなら、「恋人になったり」という具合に
自分を男女という属性によって位置づけるのは変でしょ?
>>825 いや、どうも俺は、銭湯に行くと男湯に行きますし、ヌード写真を
見ると勃起するので今のところ男らしい。それも結果論であって、
男性側に自分がいつのまにかいたにすぎないです。
最初から「俺はモテル男だぞ」という人はあなたの言うとおりだと思う。
827 :
考える名無しさん:04/03/30 22:37
>こっくり
実体と属性の関係という、とてつもなくややこしい哲学概念を
おさらいする必要がありますな。
とりあえず、哲学辞典でも参照してみれば?
普段何気なく口にしたり考えたりしてしまう事柄が、
よくよく考えてみると尋常じゃなく複雑な事態であること
に気づく・・・これこそが哲学の第一歩ですよ。
828 :
考える名無しさん:04/03/30 22:44
>>826>>820 ひとは属性と呼ばれる大雑把な特徴と、
属性として分類しにくい特異な特性からできてると思うんだけど、
どっちも否定してるの?
>>827 ああ、そうですか、としか言うしかないな、とりあえず。
生きる目的が哲学辞典に書いてあるのか?
辞典に?まあ来週あたり、探してみる。ありがとうな。
>>828 特異な特性=個性ということでしょうか?
831 :
考える名無しさん:04/03/30 22:54
>>830 属性に分類できない細かな部分のことだけど。
832 :
考える名無しさん:04/03/30 23:02
>>829 ああ、書いてある。
正確に言うと「生きる目的を哲学的に考え表現するにはどのような
言葉使いをするべきか」が書いてある。
どの本よりもまず先にこれを買え。
833 :
考える名無しさん:04/03/30 23:03
社会的な属性であれ、個人的なものであれ否定はできません。
孤独になった時に必要な物です。
属性は必要ですよ。当たり前だ。俺は天才だから、孤独でいい、というのは
ただのばかだろうが。
>>832 これってなんじゃ?哲学的な言い方があるというわけだ。
するべきな言葉使いで書いてあるとすれば、哲学的な
言葉遣いも勉強できるというわけで、一石二鳥なんでしょうね。
半分皮肉だが確かにそうなんだろう。
836 :
考える名無しさん:04/03/30 23:15
>>834 その「社会的な属性」と「個人的なもの」は、
孤独でないときには必要ないのですか?
837 :
考える名無しさん:04/03/30 23:20
・わたしは男前である
・わたしは学生である
・わたしの名は太郎である
・わたしは日本人である
・わたしは手足が2本ずつある
・わたしはAということを思考している
といった諸属性を全て剥ぎ取った「純粋な私」とは一体何なのだ?
>>836 あったほうがいいに決まっている。でも本質的には孤独で人の助けが
得られそうもないから、出世したり、個人的なホームページ作って
せめて人生を楽しむのではないの?それ自体、悪いなんて思っていない。
俺は人と人との共通公約数みたいのをかんがえているのであって
さしあたって属性は重要視していない。
839 :
考える名無しさん:04/03/30 23:26
>>838 老婆心ながら、もう少し普遍的な言葉を使わないと、他人に意図を伝えられない
と思います。「属性」という言葉をいきなり用いられても、解釈に困ってしまいます。
その属性という言葉を、明確に定義できますか?
840 :
考える名無しさん:04/03/30 23:28
>>835 哲学的な言葉遣いとは、哲学的な思考そのものだ。
そんなアホな、と思うかもしれないが、本当のことなのだ。
>>816 共通の目的を見出すのでは無く
個々の目的のなかに共通の部分があるとしたらいかがでしょう?
こんばんは。
毎夜増えるレスを追っていくのが大変です。
考えながら読むので遅々として進みませんが、哲学の教科書、、読んでますよ。
始めのほうで思ったんですけど哲学は学問ではないとかかれていました。
科学は学問で医学も学問、、でも哲学は違うと。
その是非はここでは問いませんが、書かれていることに共感を覚えながら、ただの便宜上の問題であり哲学も学問とも捉えられるのでは?と感じました。
問題も答えもイコールでくくれますよね?
(数学の問題で問題をそのまま答えの欄に写してこれはこれで間違ってはいないと言い張るのを哲学とするなら。なるべく簡潔に最小の共通項を見出すのが学問でしょうか?哲学も十分に最小の共通項を探す学問だと思うんですが。)
むしろこの問題は何故おきているのか?を考えるのが哲学ですね。
となれば人生の目的は何か?と考え始め人生の目的を考えるとはいかなることか?人生の目的を考える事に疑問を持つとはどういうことか?となっていきます。
それらが自分だけでは収拾のつかない状況になり、「仮定」を交えおおよその納得いく答えを出して妥協します。
それさえも拒みひたすらに探求をする行為それが哲学ですか。
人は空を説明することさえ出来るようになったのにいまだ自分を説明することはできていない。
勉強を続けます。
842 :
考える名無しさん:04/03/30 23:32
ちなみに、国語辞典の意味を貼っておきます
------------------------
ぞくせい 0 【属性】
(1)そのものに備わっている固有の性質・特徴。
(2)〔哲〕〔attribute〕それを否定すれば事物の存在そのものも否定されてしまうような性質。
偶然的性質とは区別される。特に、デカルト・スピノザでは、実体のもつ本質的な性質
(例えばデカルトでは、物体と精神という二実体の属性をそれぞれ広がりと意識とする)をいう。
-------------------------
属性の反義語は↓これのようです
-------------------------
じったい 0 【実体】
(1)本体。実質。正体。
「―のない幽霊会社」
(2)〔哲〕〔(ラテン) substantia; (ギリシヤ) ousia〕変化しやすい多様なものの根底にある持続的・
自己同一的なもの。アリストテレスでは具体的個物(主語となって述語とならないもの)が、
またデカルトではそれ自身で存在し他物を必要としないものが実体とされた。
-------------------------
辞書の意味を見るだけでも、混乱してしまいます。実体のあるものなら、あるモノサシを
当てれば必ず何らかの「属性」は与えられるハズで、そういう意味で属性の無いものなど
この世に無いとも思えるのですが。
>>839 精神的、肉体的に生後身に付けた特性と特徴、習慣でしょうか。
もちろん、社会的に有利な属性だけではなくて、不利な属性が多い人もいます。
まあ、俺のことですが。
844 :
考える名無しさん:04/03/30 23:41
>>843 「生後身につけた性質」ということですか。生後とは、受精直後からでしょうか?
それとも、出産直後でしょうか?
>>840 その哲学的な言葉自体、定義できないのも実情な訳で、みんな勝手と
言えば勝手ですよ。神という言葉一つで哲学者によって意味が違ってくる
とすれば。
846 :
考える名無しさん:04/03/30 23:46
>>845 「用語をしっかり身につけなさい」という指摘にどうしてそこまで
反抗するのか・・・勉強苦手なの?
>>844 厳密には受精直後から固有な生命は始まっています。しかし、父親の精子
が豚肉によって生成されたか、牛肉によってかで属性自体の定義は
歴史的に変わるでしょう。
848 :
考える名無しさん:04/03/30 23:48
>>843 生まれる前に決定していたであろう特徴と、生まれた後に生成してきた
特徴とをどのように区別しますか?
>>846 小説も映画にも触れたいが、哲学としての答えもあると思う。
そしてそれが、哲学言語?を体系的に勉強しても・・という感じです。
まあ、哲学が好きなのでなく、哲学的なのが好きなだけです。
生きる目的は哲学を本格的に勉強してる人は、実際どう考えるわけですか?
850 :
考える名無しさん:04/03/30 23:58
>>849 “本気で哲学をやりたいわけではなく、横からちょっかい出す程度にやれればいい。
なんとなくかっこよさげだし・・・でも本格的にやるのは面倒だよな・・・”
これが本音なんだろ? とっとと帰れよ。
少なくともしゃべるな。 見てるだけにしろ。
>>848 その具体的な特徴によるでしょうが、その特徴を超えられるような
関係性を考えた方がよろしいでしょう。
852 :
考える名無しさん:04/03/31 00:01
>>849 哲学を本格的に勉強している人は、通常「探求」を生きる目的にして
います。探求の対象は、人によって違うでしょうが。
>>850 残念だね。哲学を志す人間の言葉とは思えない。
かっこいい?それはお前が思っていることだ。
哲学に対してな。
お前みたいな無効人間がまだいるとはお笑いだ。
854 :
考える名無しさん:04/03/31 00:04
>>847 豚肉も牛肉も、胃酸によって分解されてもう少し一様の性質になると思いますよ。
「豚肉から得られたアミノ酸」と「牛肉から得られたアミノ酸」で何か違いがあるのでしょうか?
その豚と牛で違うのであれば、その豚と牛の親の豚と牛が牧草を食べて生成した
精子にもまた違う属性がありますね。
この調子で宇宙開闢の当初まで、意味づけを求めてしまうと大変なことになります。
>>850 大体、本気で哲学だと?お前はなんか本気でやったことあるのか?
哲学だけか?
>>854 そうですね。父親の嗜好において、好きな物をばかり食べる男の精子と
バランスよく食べる男の精子では大分遺伝子が違ってくるのじゃないか
ともおもいますが。
ともかく、気が付いたらこの世界にいた、ということから生きる目的は
でてこないかと、思ったものですが、非難が多いようで。
857 :
考える名無しさん:04/03/31 00:17
「地方を、辛抱強く育てるかイジメるかといえば、
人は後者に走るもんだ」・・寅の格言
858 :
考える名無しさん:04/03/31 00:20
肉体的な属性を、歴史的な要素で分別してしまうと、そこには同一性が得られない
と思います。同じ純度100%の水素であっても、作られた過程が電気分解なのか
どうなのかで違う、作られた場所が違う、となってしまうと、ということですが。
859 :
考える名無しさん:04/03/31 00:22
>>856 >父親の嗜好において、好きな物をばかり食べる男の精子と
>バランスよく食べる男の精子では大分遺伝子が違ってくるのじゃないか
>ともおもいますが。
???違ってきたらDNA鑑定で犯人つかまんないでしょ???
>>850 失礼な事を言ってしまいました。呆れていらっしゃるとは思いますが、
まあ、俺もこれから哲学書を読むかもしれないし、そのときはよろしく
おねがいします。
861 :
考える名無しさん:04/03/31 00:25
>>853 アホ丸出しだな。
俺は純粋な哲学徒ではないが、哲学の話をするときには「素人だから」とか
「初心者だから」という言い訳は一切しない。
専門家がきちんと存在しているようなある分野にのこのこ押しかけていって
その分野の土俵で話をするんだ。こちらもそれなりの心構えで行かなきゃならん。
「馬鹿のレベルにまで落として付き合ってくれよ」などと、よく恥ずかしくもなく
言えたものだ。
862 :
考える名無しさん:04/03/31 00:27
>>859 確かに、受精によるDNAの配合以外に、DNAが書き換わる要素は、いわゆる
偶発的に起こるコピーミスとか、ウイルスによるDNA書き換えしかありえませんね。
それも、身体全体に影響をおよぼした場合は死ぬことになりますが。
>>859 はい、だからDNAとかの話ではなくて、精子の製作能力です。
もちろん年齢もあるでしょうが、数、質の問題です。
沢山作れる状況を考えてみてくださいよ。
864 :
考える名無しさん:04/03/31 00:34
>>863 精子の製作能力の活性化と
>>847での主張に何の関係があるの?
(そういえば豚肉を食べると精子が多くなるんだっけか)
865 :
考える名無しさん:04/03/31 00:34
>>863 精子の中にも競争があるので、量=質に繋がることはありますね・・・
精子ごとに違う遺伝子を持っていたんでしたっけ?ちょっと覚えがありませんが
>>861 てめえ、ふざけたこと言ってんな、俺は自分のレベルに落とせなんて
いってない。無効が勝手に俺の存在自体を迷惑だといってきやがった。
わかったかばか、わかんねえならしねシネ氏ね!!
867 :
考える名無しさん:04/03/31 00:36
なんだ? いっぱい精子を作れると優秀な受精卵ができるのか?
ほんとか?
868 :
考える名無しさん:04/03/31 00:39
>>866 >>849での言明はまさに「低脳のレベルでお願いします」ということだろが。
議論の場でそのようなことを口にする奴にはご退場願いたいもんだ。
>>867 いや、君の場合はもともとのDNAが貧弱だからそうでもないかも、
なんてうそ、そうですよドバーて出せば良いんですよたぶん。
870 :
考える名無しさん:04/03/31 00:41
>>867 精子って競争しながら卵子にたどりつくのですよね?競争するからには、
量が多いほうがいいような気も・・・すんませんぐぐってきます
>>868 だからよ、最後に849にお前の哲学徒なりの答えを書けばいいの。
最後まで読めよ。お前は849なのか?
872 :
考える名無しさん:04/03/31 00:43
ミタクナカッタナァ・・・ ッテノハ ウソ マッテタ (w
873 :
考える名無しさん:04/03/31 00:43
先走り液でも十分妊娠させられることくらいは、みんな知ってるよな?
874 :
考える名無しさん:04/03/31 00:45
こっくりは二人いたッ!!
875 :
考える名無しさん:04/03/31 00:46
>>873 それ知ってる。だから外出ししても妊娠すんだよね
876 :
考える名無しさん:04/03/31 00:46
>>873 ケイケン デハ ソウイウ コトハ オコラナカッタガ
属性は関係ないというか、それを超えるのが人生の目的である可能性
は高いのではないだろうか?まあこれだけでは、中学生レベルの
結論ではあるが。
878 :
考える名無しさん:04/03/31 00:48
ドバッと出しても出来ないときは出来ないしな
879 :
考える名無しさん:04/03/31 00:49
880 :
考える名無しさん:04/03/31 00:49
>>861 >>867 大変汚い言葉遣い、後悔しております。もし許されるのであれば、もう一度
チャンスをいただけないでしょうか?
精子談義のところ話を戻してすみません。
要するに、自我が芽生える以前の「本当の自分が存在する状態」という話ですよね。
人間の自我というのはやはり理性であって、欲望を制御する能力でしょう。
生まれたての赤ん坊にとって母親と自分は同一であって、世界に隔たりがない。
そこに父親が現れ、母親を奪っていく。そこで完全同一の世界が崩壊する。
母親を手に入れるには、父親とうまくやっていくしかないわけです。
父親を他者として受け入れる。これが社会に適応するための能力(=自我)。
つまりお互いの望む世界(欲望)の不一致が自己と他者の隔たりになるわけですが、
時には世界が一致することもある。共感ってやつでしょうか。
これがこっくりの言う本当の自分?
世界を共有できるから、共通公約数がある、本当の私の存在領域がある。
883 :
考える名無しさん:04/03/31 00:50
>>879 ツケル キモチ イクナイ ソレ ヨクナイッ
885 :
考える名無しさん:04/03/31 00:53
>>882 ずいぶん、悲惨な幼少期だったみたいだね?
886 :
考える名無しさん:04/03/31 00:53
やっぱアナル最高
887 :
考える名無しさん:04/03/31 00:55
謝るちゃんねらは始めて見た。こういう場合、罵倒し合ってスレが死んでいくのだが
888 :
考える名無しさん:04/03/31 00:55
>>885 ええ・・涙なしでは・・・。
外だしで妊娠させちゃったこともあります・・。
890 :
考える名無しさん:04/03/31 00:56
891 :
考える名無しさん:04/03/31 00:58
>>888 アナルふぁッ区は 女性に排泄感を何回も感じさせるとこに醍醐味があるらしい
と 知り合いの経験者が言ってた
892 :
考える名無しさん:04/03/31 00:58
>>889 ソレ ヘタクソ ナ ダケ ジャン コノ オロカモノッ !!
893 :
考える名無しさん:04/03/31 00:59
なんでセックス談義になってるんだw
894 :
考える名無しさん:04/03/31 01:00
正式AFは浣腸洗浄してからやるぞ
895 :
考える名無しさん:04/03/31 01:01
>>894 何でも括約筋でち○こを出させるらしい それを繰り返すらしい
896 :
考える名無しさん:04/03/31 01:03
括約筋ナラ、前ノホウガ ハルカニ 強いガ(w
>>892 人生最大の失敗です。たぶん先走りでも妊娠するのは
女の方の着床能力が高いためだと思われます。つまり相手による。
ちなみに、AF好きの女は骨盤が歪むらしいです。
見る人が見ればそれと見抜けるそうで。
898 :
考える名無しさん:04/03/31 01:05
ベテランになると自由自在に脱腸できるようだ。
899 :
考える名無しさん:04/03/31 01:06
ワロタ
900 :
考える名無しさん:04/03/31 01:08
そいつらの人生の目的って、それか?
901 :
考える名無しさん:04/03/31 01:08
男と違って女のAFって 性感帯ないからぜんぜん気持ちイクナイと聞くが 好きな女もいるのか(・A・)
902 :
考える名無しさん:04/03/31 01:10
女はうまくリードすれば背中さすっただけでもイクもんだぜ
903 :
考える名無しさん:04/03/31 01:12
基本的に女性の性感帯は 思い込みによるモノが強いとも聞くしな。
そういや前はアナルダーツの話題で盛り上がってましたね。
アナル遊びってやつは至極の人間的営為なのかもしれません。
905 :
考える名無しさん:04/03/31 01:32
漏れは普通のセクースで十分だわ AFは最初が物凄い痛そうだから
強いる気になれんぽ
906 :
考える名無しさん:04/03/31 01:35
イタガル ンダヨナァ モゥ
907 :
考える名無しさん:04/03/31 01:37
>>905 そんなこと言ってると、女は刺激を他所に求めにいくもんだぞw
908 :
考える名無しさん:04/03/31 01:42
そいつの彼女だと思うんだけど、おれんとこ来たぁ、
で、おれ急いでバター買いに行った(w
909 :
考える名無しさん:04/03/31 01:44
>>905 いきなしイチモツ入れるんじゃなくって、手間ひまかけて
長いタームで徐々に拡張させていくもんだよ。
910 :
考える名無しさん:04/03/31 01:50
>>907 よりによって性欲に負けて浮気するような女だったら、それまでと思うw
でもいるよな、成り行きで男友達に押し倒される女
>>909 お通じよくなったりすんのかな?
>>910 お通じはよくなると思うけど、痔になりますよ。
でも体のどの部分をどういじるかってのは結局どうでもよくて、
究極的には脳でイクことこそが最も重要ですね。
私は、私である。(孤独が怖くないということ、可哀想な人)
私は、本当の私である。(自己実現が達成されたとき)
上の二つはたいてい、心に思い浮かべ、口にされる事もある。
しかし、
「本当の私は、私である。」
とは口にしないだろう。
なぜなら、本当の私が(主語として)成立しているとき、
私=あなたが成立してしまっているからで、問題は解消されているのだ。
他者性が排除されてしまっている。
結局過去形で
「本当の私は、私であった」
と受容されるとき倫理が要請されるのだと思う。
914 :
ちくびぎゅーん:04/03/31 21:48
>>841 1(元さんの問題意識は大体理解したつもりです。
ただ数学と哲学の対比は私には少しわかりにくかったという印象があります。
哲学とは何かという問題ですが、私が想定している哲学というものは
別に学問でもいいと思っています。哲学の英語訳はフィロソフィですが
この言葉は語源を探っていくと「愛する」という意味のフィロ(フィル)と「知」という意味のソフィ(ソフィア)に
分解されるそうです。よって哲学とは愛知の学問である(あった)ということもできると思います。
またあなたは「過程を交えおおよそ納得のできる答えを探して妥協する」ことを
拒むことが哲学なのか、という主旨の問いも発していましたが それはかならずしも
拒むことが哲学であるとは言い切れないように思います。
なぜなら現代思想の考え方や現代物理学などの考え方を特殊な考え方とみなし、
むしろ「私たちの生きていく実生活の中からそのような考え方を問い直していく」ことを
哲学(すること)とみなすこともできるだろうからです。
915 :
ちくびぎゅーん:04/03/31 21:50
>>914 「過程を交え」ではなく「仮定を交え」に訂正させてください。
916 :
ちくびぎゅーん:04/03/31 22:02
>>913 こっくりさんの考えを完全には理解できてはいませんがこっくりさんは
「本当の私」の存在から「人間に共通する本性」を見出し
そこから「人間普遍の目的」の存在を見出そうと考えているのでしょうか。
それとこの間私の言葉遣いの誤りについて指摘してくださった方、
どうもありがとうございます。私も「的を得る」という言葉について疑問を
持っていました。的の中心を射抜くことを本来の目的を「得る」ということと
考えてそのように表現するのかな、と漠然と考えていました。
勉強になりました。
917 :
考える名無しさん:04/03/31 22:26
キヅカセテヤッタモノヤラ
918 :
考える名無しさん:04/03/31 22:31
何か、人生の目的を考えるなんて言うけれど、それじゃあまるで自分が生まれることを意識して生まれてきたみたいじゃないですか。
気付かぬうちに、自分はここに存在していて、自分が存在しないということはあり得なかったわけでしょう?
生きる目的って言うのは、何のために生きるかってことですよねえ?
でも結局、そんなのはっきり言葉にして自覚できていなくても、生きているではないですか。
自分は存在し、存在しないことはない。だとしたら、目的も何も、ないと思いませぬか。
919 :
ちくびぎゅーん:04/03/31 22:39
>>918 私の主張は一貫して目的がない、というものです。
ただ目的がなかったとしても何をしてもいいということにはならないのでは
ないか、という主張もあります。
>>917 やはり何か問題がありますか。ぜひ教えてください。
920 :
考える名無しさん:04/03/31 22:52
本当の私はあっても過去としてあって、相対的なものでしかないと思う。
ただ単に不思議な物として現れる。
例えば、昨日というか今日の早朝にこのスレで書かれていた、セックスがどうこう
という書き込み。本人達はお互い求められている事がわかっていたように
本当の自分=本当の相手という関係性が書かれている。
なぜ彼らは理解しあえたのだろうか?
>>920 質問ですが、その「自分」とは「今の自分」でしょうか、「過去の自分」
でしょうか、「未来の自分」でしょうか?
923 :
考える名無しさん:04/03/31 23:03
>>922 コントロールできるのは 「今」 だけだ
924 :
考える名無しさん:04/03/31 23:06
920ではありませんが、ちょっと質問させてください。
今の自分に「10年前に○○をした」とか「10年後に○○するだろう」
というような述語付けができるのだから、今の自分=過去の自分=未来の
自分ではありませんか?
925 :
考える名無しさん:04/03/31 23:11
過去、未来は、誰もコントロールできない
言語論理的にそうだ、というだけでは?
10年前にしたことを全て記憶しているわけではないだろうから。
>>925 個人でも国家でも歴史を捏造する事はあるのではないですか?
未来の自分についてとんでもない妄想を抱いている人もいると思います。
928 :
考える名無しさん:04/03/31 23:19
>>928 それをしているというのは過去の為であったり、未来の為の今では
あり得るのですか?
930 :
考える名無しさん:04/03/31 23:26
>>929 今してることが 過去、未来に基づくのは普通だ
931 :
考える名無しさん:04/03/31 23:28
人生に目的を知りたければ
まず自分が今、何をし
何故’そうしているかを知る必要がある
932 :
考える名無しさん:04/03/31 23:29
933 :
考える名無しさん:04/03/31 23:32
言語論理的でない同一性というのは何のことかよく分かりません。
それに、忘れたといえるのは、十年前に私が経験したことだから
こそではありませんか? つまり、十年前の私=今の私であるこ
とを前提にしているからこそ、「忘れた」と言えるのでは?
934 :
ちくびぎゅーん:04/03/31 23:39
今日も私の読みは鋭くないようです。
>>841の結びで1(元さんが「空」について言及していたのは、以前私があなたに
「空を見るのではなくこの地上の現実を見てこのような問題にぶつかるべきであった」
という批判あるいは苦言をていしたことへの(一応の)解答がこの文章であるという
ことを示しているのですね。
つまり
>>841で触れている「妥協」の許容のようなものを考えているように見受けられます。
だとしたらそれは私の「現実を生きる」という考え方に対する批判のように感じました。
ちなみに私は「妥協」に対して否定的ですがそのような態度が哲学的ではないとは思って
いません。
>>921 こっくりさんのいう「本当の私」は他者の浸食を受けて(私の純粋性が失われて)初めて
そこに「本当の私」があったことがわかるけれども、わかった時点ですでにそれは
失われてしまっているという主張だと理解しています。
ただ私は「本当のわたし」の存在に否定的です。しいて言うならば「わたし」は
常に「本当のわたし」であるといえると思います。具体的には結婚式のスピーチの
場面での「わたし」は友達の前で話している「わたし」とはちがう「わたし」を演じている
といえなくもないですがそれは異なった場面で異なった役割を求められそれを果たしているに
すぎない、と私は思います。
>>933 忘れたことを「覚えている」のだとすれば、そうかもしれませんが、
忘れた事すら「忘れている」状況がある以上、過去の私とは切断が
あると思う。
936 :
考える名無しさん:04/03/31 23:44
>>935 それでは、覚えている場合はどうですか? 私が十年前に○○したのを
覚えているとき、十年前に○○した私と今の私は同一ですか?
>>935 とにかく、人間が都合のいいことだけを覚える傾向はあるのですから、
同一ということはできないと思います。
938 :
考える名無しさん:04/03/31 23:51
そうすると、現在の私、昨日の私、一昨日の私……という無数の私
がいるということ?
939 :
ちくびぎゅーん:04/03/31 23:54
>>936 こっくりさんがどう考えているかはよくわかりませんが、
十年前のわたしと十年後のわたしが「わたし」にとっての世界の中心である
という事態そのものは揺らがないように思います。
しかしいっぽうで十年前のわたしと十年後のわたし(今のわたしでもいいですが)が
それ以外の一貫性を持ちうるのかという問題はあるのではないかと思うのですが。
>>938 現在の私と現在をつけるのはふだんないだろうから、ただの私(いま)
と未来、過去の私という形容のついた私がむすうにいるということではないだ
ろうか。
941 :
考える名無しさん:04/03/31 23:56
人生の目的というようなことを考えるとき、変化しながらも存続する
「私」を考えざるを得ないと思うのですが。現在の瞬間だけ存在して
明日にはいなくなる「今の私」の目的を問うているわけではないでし
ょうから。
942 :
考える名無しさん:04/03/31 23:59
あるいは、そうした無数の瞬間的な「私」ではなく、それらの「私」の
集合体として「私の人生」こそが問題というか・・・。
今の自分というのが人とそれなりに分かり合えるのはなぜなのか?
それが不思議で「本当の自分」を設定しないと謎が解けないのです。
もちろん、俺が死んだとき、本当の自分になる事は当たり前なのですが、
死にたくないですし。
エロ話でもなんでも話があったフリを出来るのはその人の能力でなぜ
その余裕は本当の自分を引きずっているからだ。これは、ちくびさんも
同意できるのではないでしょうか。
>>942 真面目な人は本当の自分を知れば、目的も解ると思ってしまうのですね。
しかし本当の自分は、つねに今の自分に遅れてくる。本当の自分というのは
ただの重荷であるとともに、人と付き合うときに必要な物になってしまう。
945 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 00:40
>>943 こっくりさんのいう「本当の自分」という言葉の理解が次第に深まってきたようにおもいます。
どうやらあなたの言う「本当の」という言葉の意味はイデア論的な
法則的存在者とでもいうべきものをさしていると思います。
つまり「わたし」を「わたし」たらしめているような存在をあなたは「本当のわたし」
と呼んでいるのだと思いました。
ただもしそうだとしたら問題が二つあるように思うのです。一つは「わたし」を
「わたし」たらしめているような法則的存在者は言語によって指し示されなければ
私達には理解不能である(言語によって開かれていなければ私達には接近不可能ではないか)という問題、
もうひとつはすべてのものに法則的存在者を想定するのはさまざまな困難に直面するという問題
(私は「わたし」の存在はわたしにとっての世界の中心性を根拠に考えるべきだと思っています
それゆえ今のところ法則的存在者は想定していません)。
946 :
考える名無しさん:04/04/01 00:43
イデア論的な法則的存在者???
947 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 00:48
>>941 ところでこっくりさんの論争相手の941さんの言っている問題意識は私と重なり合うところも多いと
思います。941さんは無目的である(集合的な)「わたし」の
何が問題だと考えているのでしょう。
もういないのでしょうか。
948 :
考える名無しさん:04/04/01 00:54
「私・自分」という言葉が二重の意味で使われているので、
とりあえず別々の語を用意しませんか?
「私」と「自己」をキチンと区別するとか。
>>945 確かにそのとおりだと思います。仲間とうまくいっているとき、
本当の私「は」私である、と感じていたわけですが、その助詞
の「は」こそが本当の自分なのです。いわば私と私の蝶つがい
であって、それを取り外してしまうとわたし自身が成り立たないのです。
確かにそこにあると思われるのだが、とりだそうとすると(認識しようとすると)
消えてなくなるイデアなのかもしれません。
今日は失礼したいと思います。どうもありがとう。
950 :
考える名無しさん:04/04/01 00:58
>>948の付け足しだけど、ここで語ってる人たち、
今キーボードを打っている「自分」と
自意識一般としての「自分」をあたかも別物のように扱ってるけど、
それは正しい態度なの?区別しちゃマズイんじゃないの?
>>947 私は、「私」が指し示しているのは過去から未来まで継続している一つ
持続する「私」だと思っていますし、それとは別の「本当の自分」とい
うようなものを想定する必要性はよく分かりません。死んだときその本
当の自分になる、というような話も。
952 :
考える名無しさん:04/04/01 01:06
「本当の自分」っていう言葉が、また二重の意味に取れるから面倒なんだけど。
1)「自分の本来あるべき姿」としての意味に取ってるんだろうけど、
2)「今パソコンに向かってる自分」こそ「本当の自分」だとも言えるよね?
2)の「自分」がいつまでも置き去りになってる気がするんだけど?大丈夫?
工房がくだらない言葉遊びを真剣にやってるようでイタイタしいよ。
本格的に哲学書を読むきっかけになるのかもしれないが、
やっぱりイタイタしいよ。
ちくびとこっくりでメアド交換し合って二人だけでやってくんない?
「自己実現」というような目的を考えると、「本当の自分」というよう
な概念が必要になってくるらしい、という程度の理解ですね。
955 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 01:10
>>948 どのように区分することがよいとお考えでしょうか。
私は「自己」という言葉を(わたしと言う)当事者にとっての世界の中心である
と考えていました。しかしこの答えでは「自己」と「わたし」の区分は不十分だと
自分でも感じます。
>>950 私には少し難しい表現です。私は自覚的にそのような区別をしたことはないように思います。
しかしないということは自覚的にしたということよりも問題なのでもし
私を含めた人に言っているのならもう少し詳しく教えてもらいたいと思います。
957 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 01:17
>>952 どちらかというと私の意見はあなたの意見に近いものに思います。
それは一応
>>934の後段に書きました。
958 :
考える名無しさん:04/04/01 01:21
あくまで言葉による解決を目指すんなら、
言葉の使い方にデリケートになりなよ。
(敬語使えって意味じゃないよ、分かるね?)
ここで、あーだこーだ揉めてるのは、
結局言葉の定義の問題でしかないんじゃないの?
「わたしはこう定義する」「俺は違う定義をする」
・・・で、いつまでも平行線じゃん。何これ。
959 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 01:27
>>958 958さんの指摘は的を射たものであると思います。しかし一方であなたは
私とこっくりさんのこれまでの議論の経過をご存じないようにも感じます。
言葉の定義の問題に閉塞しつつあるという現状はこれまでの議論があったからあるのだと思います。
>>959 だから二人だけでメールでやって頂戴。
二人にしか分からない文脈で話するならね。
961 :
考える名無しさん:04/04/01 01:32
こっくり氏は定義を明らかにしないまま、自分なりの定義づけで言葉を使う
傾向にあるので 話題がどうも混乱しがちだ。
本当の自分だって?w
あんた見えないものへの懸念をしていないか?
本当に生身の対峙した物事と向き合っていっているのか?
見えないものへの怖れや懸念はすべて禁忌だ。それが偏見であり
差別に繋がっている。
共同体に入ったときの自分もすでに確立
されている。みていた人間だったらわかるだろうが態度はどこへ
言っても変わらないぞ。どこにいても同じ。それに不確定性について
はいつでもその苦しみを享受する覚悟は出来ている。思い上がって
なんかない。勝手な推測してくれるな
963 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 01:38
>>960 それはそうですね。
このような批判はある程度説得的であると私自身思います。
ですから941さんと意見を交換したい、あなたは具体的に何を問題視しているのですか。
ここの問題の提起者である1(元さんは人間の無目的性から来る空白を
問題視しているように思います。あなたはどうでしょう。
>人間の無目的性から来る空白
言葉の定義で文句言われてるときに
こういう「かっこいい」言い方を控えろ。
まだ分からんのか?馬鹿か?
言葉の混乱で話が進まないというのは、困るね。コンテクストの共有
のために、何か共通の基盤になるものがあるといいのだが。テイラー
の『<ほんもの>という倫理』という本を今読んでいるだが、これ結
構お勧めできます。こういう話題に興味がある人には。
>>961 そういう傲慢な態度はいけませんね。(笑)
968 :
考える名無しさん:04/04/01 01:52
道具には目的がある。必要が先にあって、道具は後から作られた。
人間はどうか?人間も使い方次第で色々な「道具」に変わる。
人間に目的があるとすれば、こんな事しか思いつかない。
強いて言えば、人間を、道具的存在から解放してゆくこと。
969 :
考える名無しさん:04/04/01 01:56
>>968 人間が道具というか、歯車的存在になることを求められたのは、
しっかりしたコミュニティが出来て以後のことだろうと思う。
クロマニヨン以前のネアンデルタール人は家族単位でしか行動
しなかったらしいが、そういった人間は道具的(=他人に使われる)
な目的は持ってなかっただろう。母性本能と父性本能によって
子育てをするのみ。
コミュニティがある以上は、ある程度道具的というか、歯車的
役割は担わなければならん。それを禁忌するとアナーキストになってしまう
970 :
考える名無しさん:04/04/01 01:58
キタワ*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*!!!!』
971 :
考える名無しさん:04/04/01 01:58
>>964そうそう、そうやって、
いつの間にか新しいテツガク用語を「発明」しちゃってるんだ。
それが問題なのよね。
禁忌すると?
973 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 01:59
>>965 正直言って閉口します。あなたは私のことが嫌いなようですね。だからといって
私に悪意を向けられても困ります。私はあまり悪意や敵意をそらすすべを心得ていないからです。
>>967 コンテクストの共有も少しはあったのです。それは1(元さんの人間の無目的性はすなわち「ここに存在するだけでよい」
というような自分に対する甘い言い訳を許容するのではないか、という意見です。
この意見は無目的であるという主張の私の意見を述べる基となったものですし、その私の意見にこっくりさんが
また意見を述べてきたという経緯があります。だから根本的には甘い言い訳を許容するのか否か、というコンテクストが
一応前提されていたといえると思います。
974 :
考える名無しさん:04/04/01 02:02
>>972 すまん。動詞を発明してしまった。 否定すると、のが正しいか
975 :
考える名無しさん:04/04/01 02:03
そりゃ、そうですね。コンビニはとても便利ですが、買い物をするたび
に店員さんを「単なる手段としてではなく目的として」扱わなければな
らないんじゃ、やってられませんしね。しかし、一方ですべての人間関
係が、互いに道具として利用しあうだけの関係になるというのも、わび
しすぎ。(笑)
>>974 「忌避すると」ならば通じる。
そう書きたかったんだろ?w
977 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 02:05
「人間の無目的性から来る空白」っていうのは、若干漠然としてはいるが、
意味は通じるけどねえ。
979 :
考える名無しさん:04/04/01 02:07
>>976 なるほど忌避する、か。もしくは禁忌「と」すると、なら通じるのかな。
日本語ムズカシイ
980 :
考える名無しさん:04/04/01 02:08
w
「本当の私」というものは「反省」によって捉えられるものじゃ無いのじゃないかね?
無心に物事に取り組んでいるときの「私」は多分それに近いが・・・
>>979 「禁忌」は宗教的なニュアンスがある場合に使う言葉だから
「と」を入れてもおかしい。
まあ忌避にも宗教的ニュアンスがないでもないがな。
「忌」という言葉がそういう言葉だからな。
984 :
考える名無しさん:04/04/01 02:13
人間という存在が何らかの目的をもって作られた可能性は否定できないけど、
それこそ地球外生命体が生命を植えつけて経過観察してるのだとか
神がおつくりになったのだとか 宗教的になってしまう。
自然発生して以後 ありのままに物理法則にしたがって、ここまで進化して
きているだけのことと捉えるのが現実的な考え方かと思う
>>982 なるほど。国語辞典で調べたら、なんか、望ましくない薬や治療法を避ける
場合にも使うらしい。
985 :
考える名無しさん:04/04/01 02:15
宗教的になることをそんなに嫌う必要もないのでは?
986 :
考える名無しさん:04/04/01 02:15
人間が、道具以上の何かであって欲しいとは私も思いますが、
ぢゃあ、何?っていうと判然としないわけ。
たとえばさ、昔は実際に道具として使われたものでも、
いつの間にか博物館の骨董品になって、「それ自体」の価値を帯びたりする。
本題とは関係ないかな?
人間の価値を、どこまで「人間そのもの」に求めることが出来るのだろうね?
パート3で議論を続けたいのなら「本当のわたし」をテーマにした
スレタイに変えてくれ。
988 :
考える名無しさん:04/04/01 02:18
テーマは「自己実現」?
989 :
考える名無しさん:04/04/01 02:19
人間とは価値的創造の産物でありすごいことなんだよ。
990 :
考える名無しさん:04/04/01 02:19
漏れとしては、1氏が立てるに任せますが・・・もう見てないかな?脱線しまくってるし
それより1(元の掲示板が、相変わらず人少な杉なんだがwww
992 :
考える名無しさん:04/04/01 02:20
ギコナビとかの専用ブラウザーを使ったら?
中学生の詩みたいなもんだからねw
こっくりの言ってた「本当の私」ってのはニーチェの言う
「おのれ」と「わたし」みたいなもんかな。
別の言い方をするとそれはきっと「無意識」であって
人間が生存上必要とする、目的や手段から形成した道具関連(言語も含む)
の幻想を取り払った状態かな。無意識から表象化された「意識=私」。
恣意的すぎて申し訳ない。
996 :
考える名無しさん:04/04/01 02:23
>>994 いささか、考えるにハードルの高いテーマですな。
997 :
ちくびぎゅーん:04/04/01 02:23
>>986 人間を道具のように「役に立つ、立たない」という基準で判断するのは
(既存の価値観を粉々にしそうなので)非常に強力な破壊力を持つように思いますが、
その考えでいくと「役に立つか、立たないかわからない」人間を
どう扱うかという問題が生じるように思います。加えて言わしてもらうなら
むしろ「わからない」人間が圧倒的に多いと思うのです。
998 :
考える名無しさん:04/04/01 02:24
余裕の998げと
>>994 ニーチェ・フロイド・ハイデガーか・・・
折衷すればいい議論ができるというもんでもないぜ
1000 :
1000:04/04/01 02:25
せん!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。