1 :
考える名無しさん :
04/03/22 03:27 それだけ哲学書読んでりゃいいものが書けるだろうに。 少なくとも創作板・文学板ヒキコより見込みあるぞ。 スレタイは文学板からのパクリだが気にするな。
2 :
考える名無しさん :04/03/22 03:29
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
哲学はフイクションではありません
4 :
考える名無しさん :04/03/22 03:31
,.;‐iillllll|||||||||||||||||lllli‐.、 ,;illl|||||||||||||||||||||||||||||||||||||ヽ、 ,:'lll||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||ll:、 ,i||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||i. ,;l|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||l l||||||||||||lllllllr‐''''''''''''''''''''''、lll||||||||||||lll ||||ll'''"´ _,,-、 ,-、__ ''''''''ll|||l ,:´ヽ/. _ `; / _,,.,,..;:- `lr-、 . lレ^l:!  ̄`=;, : : ;^´ レ^、l l ( 〉 ,,.-、,, ,.-、 ヽヾ| ヽ. l (__,;;´ __,,,;) 'l ノ 'v `ー-‐´ l l ,i´`=´`i、 ,l';、 /l, ノ ´ ̄``-i、_ ノ ヽ、 ,,..====ノ 'i、  ̄..`^^~~^^´  ̄ 丿 )``=;;:、 _,,.;:-‐''"´ l´ `i、 _,;:'" 丿 `ー-、_ -''"´ i. `ー、_ _,.;;::'"´ _.ィ´ ``‐- ヽ、 ヽ` .‐-----‐=''"/ _,,.;: ''"´
5 :
考える名無しさん :04/03/22 03:32
哲学はフィクションだよ。
6 :
考える名無しさん :04/03/22 03:33
| |::::::::::::......:::::::...... :; ,i' | | . | |:::::::::::-===・==‐-i::::: /;;-==・==‐-.. | | | |:::::::::::::::...................ノ;;:::::: i::::::...,,,,,......,,; | | | |:::::::::::/'''''''' {::;;::: ;;;::::::;;;;;;;;;,, | | | |:::::::::::} /;;● ● ):::::::: | |
7 :
考える名無しさん :04/03/22 03:35
くだらね〜絵。馬鹿か。
8 :
考える名無しさん :04/03/22 03:40
ageてくれてありがとう。おばかさん。
9 :
考える名無しさん :04/03/22 03:40
____ /∵∴∵∴\ /∵∴∵∴∵∴\ /∵,<・> <・>| |∵∵/ ○ \| |∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |∵ | __|__ | <うるせー馬鹿! \| \_/ / \_____ \____/
フィクションでも、哲学はできるよ。 カミュやサルトルやドストエフスキーなんかも、哲学であつかわれるしね。
11 :
考える名無しさん :04/03/22 03:41
下手な絵。
12 :
考える名無しさん :04/03/22 03:43
>>10 だから哲学やってるやつが小説書いたらいいと思うのだよ。
13 :
考える名無しさん :04/03/22 03:44
,,r -、,r'"´⌒`゙゙ ヽ、 / '"~ ヽ、 `ゝ / ,r彡'" ミ、ノ彡' ヽミ`\ r、r.r 、 /ノレ'"´"゙`ヾヽ `ゝ ´ r |_,|_,|_,| ノ ノ ⌒ ⌒|`ヾミ、 |_,|_,|_,|/⌒ -="- (-="レノ ぁぁそうでっかそうでっか |_,|_,|_人そ(^i '"" ) ・ ・)""ヽ なるほどね・・・ | ) ヽノ |. ┃`ー-ニ-イ`┃ | `".`´ ノ ┃ ⌒ ┃| 人 入_ノ´ ┃ ┃ノ\ / \_/\\ ┗━━┛/ \\ / \ ト ───イ/ ヽヽ ,,r -、,r'"´⌒`゙゙ ヽ、 / '"~ ヽ、 `ゝ / ,r彡'" ミ、ノ彡' ヽミ`\ r、r.r 、 /ノレ'"´"゙`ヾヽ `ゝ r |_,|_,|_,| ノ ノ /' '\|`ヾミ、 |_,|_,|_,|/⌒ (・ ) (・ )レノ |_,|_,|_人そ(^i ⌒ ) ・・)'⌒ヽ ・・・で? | ) ヽノ |. ┏━━━┓| | `".`´ ノ ┃ ノ ̄i ┃| 人 入_ノ´ ┃ヽニニノ┃ノ\ / \_/\\ ┗━━┛/|\\ / \ ト ───イ/ ヽヽ
14 :
考える名無しさん :04/03/22 03:46
まあいい、お前でも相手にしてやるか。かわいそうなヒキコみたいだからな。
15 :
考える名無しさん :04/03/22 03:47
,,r -、,r'"´⌒`゙゙ ヽ、 / '"~ ヽ、 `ゝ / ,r彡'" ミ、ノ彡' ヽミ`\ r、r.r 、 /ノレ'"´"゙`ヾヽ `ゝ r |_,|_,|_,| ノ ノ /' '\|`ヾミ、 |_,|_,|_,|/⌒ (・ ) (・ )レノ |_,|_,|_人そ(^i ⌒ ) ・・)'⌒ヽ あっ? | ) ヽノ |. ┏━━━┓| | `".`´ ノ ┃ ノ ̄i ┃| 人 入_ノ´ ┃ヽニニノ┃ノ\ / \_/\\ ┗━━┛/|\\ / \ ト ───イ/ ヽヽ
>10 それらって素材として哲学があるってこと? 後から「哲学的」に解釈されているって事? どっちなのかな
17 :
考える名無しさん :04/03/22 03:54
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
18 :
考える名無しさん :04/03/22 03:55
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
19 :
考える名無しさん :04/03/22 03:55
ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ
うーん…、それはすごく微妙な質問かもしれないね。 たとえばカミュは当時まで理性的に判断されていた哲学に対する 批判として「異邦人」を書いたともいえるし、「異邦人」を哲学的に 考察した場合、理性的に判断された哲学に対する批判となったのかもしれないし…。 「素材」として哲学があるということも間違いないよ。 Gideっていうフランスの作家は、ニーチェの本を読んで、 「なんでニーチェは存在したんだ!?」ってうめきながら小説を書いたときいた
22 :
考える名無しさん :04/03/22 14:49
昔は文学と哲学の親和性は高かったかも知れないが 今はだいぶかけ離れてしまっているんじゃないか? 何かしら「事件」が起こらないと小説にならないけど。 哲学者にとっては、あらゆる些細な出来事が「事件」なんだよ。 この違いが分かる?
23 :
考える名無しさん :04/03/22 14:54
追記: 「違い」を知りたい人は中島義道「哲学の教科書」を読んでみるといいよ。
24 :
考える名無しさん :04/03/22 14:58
ごめん、もう一つ追記: 野矢茂樹「哲学の謎」のほうがサラッと読める定番かな。 中島義道さんのは独特の暗〜い人生観が潜んでるから・・・
25 :
考える名無しさん :04/03/22 15:31
笠井潔
ちゅーか、説明しようよ〜。 投げっぱなしジャーマン イク(・A・)ナイ!!
>>23 えと、それを自分で考えないと哲学じゃないよね
29 :
けい ◆iPZ3/IklKM :04/03/23 04:59
それじゃ、話題を変えて、 「今日思った、小説になりそうな哲学的な話題」を あげてみるって言うのはどうかな 登場人物を挙げて、例を出して、どういう展開かとか 考えてみるのもいいんじゃない?
漏れは哲学的な小説書いてるYo。
フーコーとニーチェ、アルチュセールの思想がベースとなっているが、
この後ホッブス、ロック、ルソー、プラトンの思想が出てくる予定。
こいつらの本を読むのに時間がかかって仕方がないYo。
>>29 言い出しっぺだから何かネタ出してくれ
31 :
けい ◆iPZ3/IklKM :04/03/23 08:59
>>30 ホッブス、ロック、ルソーがでてくるなんて、
政治の関係なお話しなの? おもしろそうじゃん
…実は、おれがネタ欲しくて募集したんだけどっていうのは
だめ?
ありゃ、あげちゃった…。
じゃぁ、アゲ反省をこめてひとつ。 神を信じない男を愛してしまった、カソリックの女のお話。 彼女は自分の信仰を誇りに思っていて、彼にもカソリックの 信仰をすすめるが、彼は一向に関心を寄せない。 敬虔な両親をもつ彼女は、なんとか彼に信仰を理解してもらおうとするが…? ↓ この先をシュミレートしてみよう
バチカンの風 でも観てから来いや。
政治系でもあるんだけど、人間とは何か、っていうのがテーマかな。 そうなると、人間の超克を唱えたニーチェ、人間の終焉を告げた フーコーは外さざるをえない。 現代の人間を定義する上で、民主主義、資本主義は重要だから、 ウェーバーも読まないとあかんだろうし、大変ですわ。 やはり最終的には真理だね。西洋に流れる真理への意志、 性の歴史Uを読んでいてプラトンが重要だわ、って気付いて プラトンも読むことにした。愛と真理を最後のほうで結んでいたことは 一回目に読んだ時に覚えているけど、この本が後で重要になるとは その時は思わなかったYo。
外さざる→入れざるかな(w。寝起きで頭痛いっす。
国家を語る上で、リバイアサンを、民主主義を語る上で啓蒙家達の
思想を、そんな感じで必要だと思う本をピックアップして読む予定。
>>31 彼は、神を信じてもいいがその存在を証明しろ、と彼女に迫る。
彼女は神学の知識で彼に神の存在を証明しようとするが、
彼にとってそれは何の証明にもならない。
そして今度は、彼女が彼に神の不在証明を求める。
彼は近代科学を例に取り、神の不在を証明しようと試みるが
やはり神の不在は証明できない。
どうしても最終的には宇宙の始まりが科学には証明できないからだ。
まあ神学と近代科学と現代科学を絡めた感じの対話で進行する
感じでどうでしょう?
>>34 ネタかぶってたんなら、ゴメソ
>>30 かなり読んでるねー。おれも見習わねば。
人間とはなにかがテーマで、ニーチェも読んでいるなら
カミュ「シューシュポスの神話」とかサルトル「存在と無」なんかもあるね。
理性的な哲学だけでは真理に辿り着けないということが書いてあって、
面白いよ。
神の証明の不完全性と、神の不在の証明の不可能さ。
この不毛な対話っていうのは面白いよね。すごくリアリティがあるし、
僕の友達でも、会うたびにクリスチャンの友達と論争して虚脱するのがいる。
ただ、さすがに対話型だと哲学書になってしまうから、
一般的な生活を二人が送る上で生じる、信仰するものの生き方における違いや、
価値観の相違なんかを織り交ぜていくのもありだと思う。
神を信仰する上で、何が必要なのか。あるいは神を信じないという態度というのは
生き方のうえでどういったものなのか。
もちろん、こういった態度の違いを対話の形ではっきりさせていく、という形になるけど。
↑
こんなかんじで、ネタ→構成案→批評
ってなぐあいでやってみよう
>>36 >>37 やっぱり神とか信仰といったものは永遠のテーマだよね。
私は大江健三郎の『信仰なき祈り』という概念を継承したもの、もしくは
モアの思想を発展させたものを書きたい。
(もちろん書けないけどw)
>>38 >大江健三郎の『信仰なき祈り』という概念
よかったら詳細よろ
>>37 これは神を信じるか、神の不在を信じるか、のまさにアイデンティティの
違いだと思うんだよね。つまり、どちらの側に所属するかっていう立場の
違いね。
多分ありがちな展開だと思うんだけど、この後彼が彼女を好きになった
なら、それって科学的なアプローチでちゃんと説明できるものじゃないと
思うのYo。
俺はあまり心理学とか人間を扱った学問を信用しない立場なんだけど、
それなりに説明がつく部分もあるけど、やはり理論は後付けだと思うから。
そういう説明つかない次元をどう捉えるか、それに運命とか神的なものを 感じるか、それとも本当に偶然だと思うか、じゃないかな。 俺はちなみにまったく神を信じないけどね(w。 それよりも、なぜ彼女は彼に惹かれたのか、っていうのはすごい重要な問題 だと思うし、それによって話がまったく変わっちゃいそうだね。 なぜなら、まったく考え方が違う人間を好きになるとは思えないのYo。人間 は他人に理解されたいっていう欲求を誰しも抱えていると思うから。 だから、彼に惹かれたっていうことは、表面に表れる神に対する態度は違って も、両者を繋ぐ何か共通の価値観みたいなものがあると思われ。 そして二人がお互い歩み寄ろうとしながら、それでもその前に立ちはだかる ものとして現れる障害、葛藤とか・・つまり人間を描くっていうことだよね。
やはり人間的な苦悩や欲求といったものをいかに書くか、いかに
神という人間が一時は狂信し、その後殺そうとして、それでも
今まで完全に捨て去ることができなかった神・・これも人間の欲求
だと思うんだけど(絶対的な存在を欲する人間の願望)という
おいしい概念を使って表現するかだと思うYo。
推薦図書は読んでみるので、Thx!
>>38 大江とかまったく読んでないんだけど、一応、大江=サルトルってい
う図式で合ってるのかな?
あるとき男と女が惹かれあう。 それが一体どうしてなのか、果たしてそれの理由付けというのができるのか。 これって、神の存在を証明するのと同じくらい難しい問いじゃないかな。 たとえば、彼が、彼女と友達になり、一緒に遊ぶようになって、 あるときふと大学の図書館で彼をみつけてふいに顔を上げた彼女の笑顔が 急に愛しく思えたとしたら、それはどうしてだろう? 一緒に遊んでいたときの笑顔と、そのとき大学で見かけた彼女の笑顔が、 どうしてここまでの差を生むのだろうか。 ほかの何種類の笑顔が、今まで彼の心に何の変化も与えてこなかったはずなのに、 彼は図書館の笑顔を見たその瞬間に彼女の魅力に気づいた瞬間は、理論づけできるだろうか?
僕は、たとえ全く考え方が違うからといっても、 やはり時によって人は惹かれあうものだと思うな。 個人的な経験としてもそうだけれど、なぜか彼らは惹かれあってしまって、 惹かれあったからこそ、お互いを理解したいと思うんじゃないかな。 けれども、根本的な意見の違いがお互いの理解を拒む…とか。 たとえば、30さんも書いたけれど、理論というのはやはり後付なもので、 それこそ彼らが惹かれあったことに対する理由も、やっぱり後付な要素があったり するんじゃないかなぁってちょっと思った。 サルトル風にいくと、まず最初に、「惹かれあう」という現象が存在 してしまって、それを自分たちが「理解しようと」するために理由を探す。 ある程度の理由を後付してみて、自分を「納得」させて自己完結をする、自己欺瞞の ような行為で彼と彼女の恋愛を理解しようと試みてしまう。
たしかにその通りで、はっきりした理由とかは説明できないね。 少なくとも、言葉で論理だった説明ができるものではないだろう。 でもね、俺は小説だとそれを言葉である程度のところまで表現し ないといけないと思うのYo。 言葉っていうのはある一定の秩序の総体であり、言葉で表すって いうのは、その秩序の枠に当てはめることだと思うから。 ましてや読者は当事者ではなく、第三者ね。当事者なら理由は よくわからんが、俺はこいつのこと好きだ、でいいと思う。 だけど、読者はそれなりに納得しうる理由みたいなのが必要とする と思うのよ。論理ではなく、それっぽいというか、彼が彼女を好きだと 納得できる何か、みたいなのがね。
たとえば、彼女は「神があなたを好きになるようにしむけた」から 彼に惹かれた、と語る。 彼は、「彼女と自分が共通の趣味をもっていて、とても気が合ったから」といったとする。 二人の理由はまったく違うアプローチで、どちらの理由も 真実を語っていないとも言えないかな。 どうしてかというと、彼女のほうはもちろん神の不在を否定しきれないし、 彼のほうは「趣味があう人間が他にいたのに、なぜ彼女を選んだのか」 という他の議論を生み出してしまう。 >そういう説明つかない次元をどう捉えるか、それに運命とか神的なものを >感じるか、それとも本当に偶然だと思うか、じゃないかな。 >それよりも、なぜ彼女は彼に惹かれたのか、っていうのはすごい重要な問題 >だと思うし、それによって話がまったく変わっちゃいそうだね。 本当に、それはそう思う。 たとえ、それが運命的なものだとしても、偶然だったとしても、お互いの出会いを 証明できてしまうよね。まったく反対の仮定から発展させた理論が、同じ場所に 行き着いてしまう不毛さ…w
トリップつけまするわ。付けたことないので少し時間かかるかもしれないけど。
おけー。 少しずつ普通のスレっぽくなってきたかなぁ
>>45 そうだね、確かに彼と彼女が惹かれあった理由がなんとなくでも
読者にわかるような描写は必須だと思う。
それに、「理由がないんだけどそういうもんだよ」というような態度で
描かれた小説には、小説としての面白さが出ないと思うしね。
基本的に、「お話」としても面白くないと小説になりえないかな
正直、どこがいいんだか分かんない人間同士の恋愛の話を聞くのって
酔っ払ってる時くらいにしてほしいもんね
2ch、トリップでことググッてたら、結構面倒くさそうだ。トリップつける前に レスしときます。 言葉は万能ではない。だけど、小説っていうのは言葉を駆使するもので、 小説家は言葉以外の武器を持たない。 つまり、本来なら言葉で捉えきれないものを、言葉という秩序に強引に押 しはめ、書き手と読み手との間に相互共通理解を創り出す作業だと思う のね。 >僕は、たとえ全く考え方が違うからといっても、 >やはり時によって人は惹かれあうものだと思うな。 タイミングっていうのは重要だね。その時の状況によって、同じ人間の同じ 行動でも周りの受け取り方がまったく別物になると思われ。その何かが生ま れる瞬間っていうのは、誰にもわからないはず。
>言葉は万能ではない。だけど、小説っていうのは言葉を駆使するもので、 >小説家は言葉以外の武器を持たない。 そうだね。カミュなんかは「哲学的な理論の破綻」を理論的に説明するしか なかったために自己矛盾してしまったらしいよ ただ、小説っていう分野は情緒的な表現ができるという点で、哲学には できない分野を探求できるんじゃないかと思うんだ。 彼が彼女を好きになった理由は、理性的な表現では説明できないけれど、 彼の性格や態度の描写は「読み手が彼を好きになる」ようにはできる。
トリップつけた。 >ただ、小説っていう分野は情緒的な表現ができるという点で、哲学には >できない分野を探求できるんじゃないかと思うんだ。 小説家っていうのは一種の神だと思うのよ。それも全知全能の神であり、他 の形態の表現には不可能なことも小説の中では可能。映画のように予算の 制約、キャスティング等の一切の制限はない。 漫画のように視覚という要素がないからこそ、見る人の観念上にキャラクター や風景がそれぞれ異なった形で存在しうる。 文字を通してのコミュニケーションは、書き手と読み手次第。自分の思想を 注ぎ込むことも可能、という意味が小説にはあるだろうね。
トリップ乙 >漫画のように視覚という要素がないからこそ、見る人の観念上にキャラクター >や風景がそれぞれ異なった形で存在しうる。 これは一見、作家が表現によって自由を得ている半面、不自由だということでも あるんじゃないかな。 表現するものを、無制限に作家は書くことができるけれども、 文章というものは「想像力を刺激する媒体」でしかないから、本当に読み手の頭の中で 正確な描写が再現されるとは限らない。 これは、書き手にとって希望でもあって、やっぱり絶望でもあるきがする。 正直、ニーチェとかサルトルとか、理論を扱ったものですら、 他人の理解とを掛け合わせてようやく納得できるようになるくらいだもの。
前に創作文芸板で見たのかな、雨のシーンの話があったのね。 映画だと雨が降っているシーンをただ撮影すればいい(ライティングとか そういう要素は除外して)。だから、ロケの場所や天気といった制限がある。 漫画だと、雨の跳ね返りや水のたまり具合とかをトーンやペンで表現する。 映画より制約は少ないが、それでも視覚を軸としているという強みと同時 に弱みがある。 映画と漫画には視覚という具体的な要素があるから、受け手に送り手の 提示する世界をダイレクトに送り込むことができる。だが、それゆえに受け手 の介在する余地はほとんどないと思われる。
いたの気付かなかったYo。 でも小説家は雨を降らすことは簡単なのYo。ただ「雨が降っていた」と 書けば、誰でも雨を降らせることができる。ただどんな雨が降っていたか、 それを表現するのは書き手次第。読み手の観念上にしか、書き手の創造 した世界が存在できる場所はないのだから、最高の雨を降らしたいよね。 読む人一人一人どこか同じだけれども、それでもどこか違う、その人と一緒 に降らせた雨をね。 自分は、小説家っていうのは観念を操らなければならない、と思っている。 つまりステレオタイプのイメージと、いい意味でそれを裏切るということを使い 分けるということかな。
今、課題やっつけてる最中だから机に張り付き2ch…。 ていうか、あと6時間で提出だヤバー! >自分は、小説家っていうのは観念を操らなければならない、と思っている。 つまりステレオタイプのイメージと、いい意味でそれを裏切るということを使い 分けるということかな。 ↑ 大江健三郎の、「新しい文学のために」がお勧め! 彼が言うには、表現をする上で必要な作業は、「言葉の特化」(だったかな)らしい。 たとえば、「愛」といったときに読者が思い描くたくさんの人が思い描く「愛」を、 この場面の、その登場人物だけの「the 愛」というイメージに洗練させる必要がある〜 みたいなことが書いてあったよ。
課題がんがれ! 「場所の特化」か〜、とりあえず大江読んでみるYo。 最初に読むのは「新しい文学のために」として、他に何がお勧め?
話を彼と彼女のに戻すと、 あらゆる風景に哲学の問いを吹き込むことができるわけだよね。 たとえば、神を信じている彼女のほうは「絶対的な善悪」の基準を 持っているのに対して、彼のほうは「善悪の基準は時と場合による」 と考えているわけで。 彼女のほうは、物事に対してすごくはっきりと、即座に意見をいうことが できるけれど、理由を説明するのが下手。 彼のほうは、理由を説明することがすごく得意だけれど、 即座に意見をいうことが苦手…になってしまったり。 ただ、こうした人物の微かな違いを表現するときに、どのくらい この微妙な違いが宗教感覚にくるものだと連想させるかで、 表現の幅がきまってくるんじゃないかな
またかぶった…w 課題がんばるよー、さんくす。 ごめん、実は「新しい〜」しか大江さんは読んでないのよ…。 神と人間の対峙なら、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」の第3章がいいかも。 カラマゾフの兄弟は、長いから手を出しにくいんだけれど、面白いよ。(まだ全部読んでないけど) キリスト教徒として生きる三男と、次男との会話がステキ。 次男「大事なのは、神の存在を議論することじゃないんだ。 私は、ただ彼の作り出したというこの世界を認めることができない。 神が行っていることは、罪の犯した人間の子供にまで償いを求めていること。 私は、実際に彼らの罪もない子供が苦しんでいるこの世界にいきているし、 仮に、今神が現れて、これからあなたを完全に幸福な世界へと連れて行く、と言ったとしても、 私はそれを認めない。そのときは、天国への切符を神に返して私はこの世界でいきるよ」 (英語で呼んだから要約+ヘタレ訳:もっと小説は表現力豊かだよ!) もし読んでいなかったら、ちょっと第3章だけでも立ち読みしてみて。
「カラマゾフの兄弟」は読んでないから、読むリストに入れておくYo。 俺は神に対してはニーチェ寄りの意見かな。もし「反キリスト者」読ん でないなら、是非読んでみてYo。 で、やはり神を信じている人間は、すべての行動においてそれが出ると 思うのね(戒律、規則正しい生活等)。ある意味、彼と彼女の対比、 両者の絶対的な差は神に対する態度じゃないかな。だから、その両者 の間の溝、ちょっとした隙間が積み重なって、その間に存在する断絶が 浮き上がるのではないか、と。 まあキリスト教の神のことを言っていると思うけど、キリスト教でもカソリック とプロテスタントは違うし、もしかしたらユダヤ教の神を言っているのなら、 正当派、保守派色々ある。そういう設定によって彼女の行動もそれなりに 縛られてくるはず。
ニーチェ、実はおれもすごく興味があって、買い込んでいたりする… うんとね、「悲劇の誕生」「善悪の彼岸」「偶像の黄昏」「反キリスト者」「〜はかくかたりき」 「力への意志」…って、うわほとんど持ってるし…(一冊も読み通してない) なんか、勢いで買っちゃって、どれから手をつけていいのか分かんなくなってる…。 もちろん、安置キリストは読んでみるよ。 おれは、本買いだめ→満足 というダメ駄目タイプ…。 実はクリスチャンさんは嫌いじゃなかったりするんだよね。個人的に。 僕の意見では、世界の意識の仕方の違い、程度の認識かな。結局は僕もクリスチャンじゃない のだけれど。彼らの生活態度や生き方は(もちろん敬虔な信者に限るけれど)とても好感が もてるよ。知り合いでは、キリスト教徒だけど「反キリスト者」を読んでる人もいて、 自分の信じるものを疑うことができること、というのは大変なことだと思った。 彼女の設定を、「疑える人」とするのか「疑わない人」とするのかで、 人物描写が全く違ったものになるよね。
漏れは最初に読んだのが「〜かく語りき」で『汝なすべしより我欲す』っていう 文章があって、フーコーのパノプティコンやディシプリンという概念を知っていた から、すごい衝撃を受けた。その後実際に「監獄の誕生」を読んで同じくらい の衝撃を受けたけどねw。 あとは「この人を見よ」「偶像の黄昏」「反キリスト者」を読んだぐらいで、 これから「善悪彼岸」「道徳の系譜学」を読む予定。 解説書としては講談社メチエ(だっけ?)知の教科書とかいうシリーズだった と思うけど、清水真木「ニーチェ」がニーチェとは何者か、という面白い視点 で読んでて面白かった。あとは理想社「ヨーロッパの仏陀ーニーチェの問いー」 新田章という人が書いた本で永劫回帰を軸に解釈が展開されてて、まあ その人の解釈なんだけど(そのほんの後書きでニーチェを「新田」に置き換え てください)って書いてあるぐらいで、永劫回帰を面白い切り口から解釈して いる。
前者は正当派で、後者は異端だけど、見つけたら読んでみる価値はあると 思うYo。 「反キリスト」を読んでいるクリスチャンていうのは何か意外な感じがする。 宗教色が強い地域か、あとは貧困と宗教ってかなり密接な関係にあると 思うし、どこを舞台に物語を展開するか。あとは彼女が神を疑えるか、疑え ないか、様々な要素が絡むね。 でもね、彼女が神を疑えたら駄目だと思うんだよね。そこは対立の図式を創 り出して、彼に自分の言っていることを理解してもらおう、とする欲求が見えた りするほうが個人的には好きかな。あとは自分の神に対する困惑みたいなもの が垣間見えたり(wやはりこれはドラマであり、主役は人間、神は二人を阻む 障害として存在するのが一般的だと思う。 これは個人的な意見だから、適当に読んでください。
面白そうだね、ありがとう。 それにしても読書家だねー。やるっ とりあえず、日本書籍を今買えないから、今度探してみることにするね。 さっき言った「疑う」「疑わない」というのは、方法論としての聖書の解釈 の違いによって生まれる論争について「議論できるかどうか」という感じかな。 たとえば、JSミルが、「真実というのは繰り返し批判され、それでも残ってきたもの」 がもっとも真実に近いといったときに、女の人からこんな手紙を受け取ったらしい。 「わたしには神がついている。だから、真実はわたしとともにある」(がくっAA略 妄信しているかどうかで、やはり彼女の魅力がとわれるよね。 (課題提出まで2時間…もうすぐ逝きます
どうやら日本じゃなくて海外にいるみたいだね。 「疑う」「疑わない」っていうのは聖書の言葉を鵜呑みにするか、しないかって いうことみたいだね、Thx。俺を気にせずに逝ってらっしゃ〜い
僕の友達(A)で、最近クリスチャンになった友達を持つ人(B)がいるんだ。 Aはキリスト教が好きじゃなくて、いつもBを理論的に説得しようとするんだけど、 Bは最近神学をはじめたらしく、なかなかに手強いらしくて。 キリスト教の人でも、神学をきちんとやっている人はそれなりに 自己完結した彼らなりの理論で話せるみたいだよ。 まぁ、ニーチェによってぶち壊されたらしいんだけれど… そういえば、ニーチェの父親は敬虔な信者だったらしいね。
ニーチェの家は牧師(プロテスタント)の家柄で、親父は敬虔な信者のはず。 それで35歳くらいで親父が病死するんだけど、ニーチェも35歳の時に生死の 境を彷徨って、生活保護を受けて流浪生活を送るようになったと思ふ。 ところで、Bがやっている神学というと、中世の神学(スピノザとか)かな?それと も比較的最近の(ホワイトヘッドとかですかね)かな?自分自身、神学は全然 わからんので、エロい人↓解説してください(w。 今日は学校帰りに古本屋で本買ってきたので、腕が痛いっす。
学校帰りに古本屋っていいね。学生さんだ こっちの古本は100円くらいしか新品とかわらないからむかつく… Bさんの詳細についてはよくわからないんだよね。まだ1年くらいしか やってないみたいだけれども。それほど専門的だとは思ってないけれど、 ある程度の知識がないと討論ができないみたい。 結局のところ、哲学者が最後まで理解できない領域、 つまり、哲学の問いが新たな問いを生み、永遠に真理にたどりつけないという ジレンマを、神という概念をつくって納得してるだけなんだと思うんだけど…。 「世界をつくったのは神なんだよ」 「地球はただの惑星で、宇宙っていうものがあるんだけど…」 「じゃ、宇宙を作ったのが神」 …_| ̄|○
神がいるかいないか、そういう議題が無限ループを生むということを 踏まえて、そのあとに出てくる問題は、 「神とともに生きる生き方」 「自分の心に従う生き方」 この二つのチョイスになるのではないかと思う。 「聖書」という客観的な記述を繰り返し紐解いて、自分を確認することと、 それによらずに生きていく人、その二人がいると、一体なにが違うのか。 一つはっきりした違いがあるとすると、「彼女」のほうは、「こういう生き方が望ましい」 という、絶対的な基準を持っているという違い。これは前にも書いたかな。
↑のあたりは、サルトルの「存在と虚無」というのを読んで しばらく考えていたら面白いと思った。 「人間とはなにか」という究極的な問いにたいし、彼女のほうは「これ」といった 答えを持って人生にむかう。 たとえば、ホモセクシャルは間違った生き方だ、とか。なぜなら、人間というのは、 男女が恋しあって生きるものだから、という基準が彼女にはある。 けれど、彼のほうにはそれがない。 たとえば、彼は最初それを嫌っていたとしても、 彼は、ホモセクシャルという状態が人間に稀に発生することを知りし、それを 差別する理由がないと判断すれば、「客観的な生き方の基準を示す本」がないために、 それを認めることができる。 「人間とは」、という問いに対し、「こういうもの」という定義は、 彼女にとっては不変的で、 彼にとっては変りえるもの。
もちろんイギリスでもそういう人たちは認められているわけなんだけどね。 まぁ、たとえばの話。
これから、また明日締め切りの課題…(欝 あ、学生は終わりですか。乙 もしかしたら、同い年くらいさね。その読書量で高校生だったらすごいけど… 「エロティシズム」こっちのアマゾンだとストックになかったよ…。残念。 でもこの人、かなり本だしてるみたいだね。心理学なのかな。 聖書の勉強は、興味を引くのだけれど、どうしてもアレを一人で読む気になれないのが 痛いところだね。解釈の講義を受けようにも、信者と討論すると精神的につかれるし…。 ただ、聖堂なんかの建築や絵画を見る限りでは、影響力は計り知れないね。 もちろん、教会が、あるイメージを画家や建築家にオーダーしたという形もあるんだけれども。 そういう点にだけ言ってみると、パトロンと同じように資金繰りができたんだろうね。(なまぐさい…) 「神」の概念はあまりに便利なために、思考停止を生んでしまうときがある。 人間が神から生まれたとしか考えられなかった時代に、進化論が生まれ得たのは、 ダーウィンが「人間の固定概念」を捨て切れたからだと思う。
げ、ちょくりんしちゃった…。
やはり重要なターニングポイントは、「神は死んだ」で代表される神離れが表面化した 時代(ニーチェが鬼の首を取ったように言うよりも前からそれは進行していたが)から、今 日まで続く一つの時代の枠組みではないかな。多分、これをフーコーはエピステーメーと 「言葉と物」で言っていると思うのだが、まだ読んでないのでわかりません(w。 また、真理とは闘争の結果、勝利したモノの呼称であるとするなら、ダーウィンの進化 論は一つの新たな流れの源流に当たるだろうね。 「神は死んだ。その後に人間の時代が到来した」っていうのがサルトルとかなのかな? サルトルはスルーしてしまったもので、アンガジェマンとか用語しか知りませぬ(W もし神が死に、神によって規定された人間が死に、新たな人間が生まれたなら、新た な人間を規定するのは今や人間諸科学であり、生物学と経済学と言語学によって規 定される人間像ではないか、と。まあ解説書で読んだ知識だから、もう少ししたら「言葉 と物」を読みますYo。 それからは徹底的に近代社会に適合した主体を創り上げる技術(ディシプリン)によって 「自ら(社会や国家に)服従する主体」が形成されるようになり、それが近代の人間像で はないか、と個人的には思います。
81年式けいですー。これから徹夜で課題やります。 戯曲はあんまり手を出したことないけれど、「ゴドー」はちょっと面白そうだね。 大分本が増えそうでうれしいやら恐ろしいやら…。 サルトルは「存在と無」の自己欺瞞の章を読んだのと、「existentialism and humanism」という本 (日本語だと「実存主義とは何か」というのがあるけど無意味に高い)を読んだよ。 「existentialism and humanism」は薄い本で、サルトルの意見が端的に示されてるのでお勧め なんだけど、公開講義を収録したやつみたいで、わかりやすい…わりに高いから微妙。 個人的な解釈だと、理性で真理を探ろうとする人間の愚かしさを述べている、といった印象。 フーコーって、おれは古典ばかり参照してたからわからないや。どんな感じなの?簡単でもいいからおね 神離れについては、サルトルはドストエフスキーとキルケゴールもいたね。とくにキルはニーチェ以前だし。 ただ、聖書に関する知識がないとさすがにキルケゴールはつらそう…。
政治関係の話の流れになるのなら、 今だしたけど、カントの「永久平和のために」と、「道徳形而上学言論」はセットでおすすめ。 二つとも、カントの中ではそうとう薄い本だから、全部読むというより、興味あるところを かじる程度でも、カントの道徳感や政治感を読むのに便利だと思うよ。 とくに、道徳>平和かな、読んでなかったらどうぞ。 ニーチェの道徳批判は、もともとカントの批判ではないかと思う。
本当にフーコーを一言で言うと「当り前はまったく当り前ではない」ということを それなりに明らかにした(漏れにはそのように思える)かな。 フーコーも人間だから、すべての資料に目を通せたわけではないが、それでも 時間割や狂気、人間といった我々が「当り前」のように思っているものが、まっ たくもって「当り前」ではなく、その起源はある一つの戦略的意図をもって提唱 されたということを明らかにしたと思われ。 我々が「当り前」だと思っていることを「真理」とするなら、時代時代の「真理」 の生成過程を、そしてなぜそれを我々が「真理」だと思うのか、そして「権力」 とは何かを、「真理」と「権力」の関係を、フーコーなりの解釈を提示してくれた ことは意義があると思う。
課題提出まであと3時間、春休みまで3時間半! ポストモダンって、おれのほうはさっぱり。 哲学専攻じゃないから、最初のさわりの古典と実存主義しかやってないんだよね。 もうちょっと手を出してみたいところだけど、ちょっと迷い気味だね。可もらえないと死ぬんで。 メディア批判、って聞いたことあるかも。これは最近の本なのかな。 けど、「純粋理性批判」は、一回デカルトの神の証明とかのあたりで必要で、手を出してみた んだけれど、吐きそうになった記憶が…(トラウマ)ヨイドメノンドケ 日本語で読むとどうなんだろう。英語苦手だったからなのかな(高校のとき英語赤点) 課題終わらせたらまたくるわ…(すでに吐きそう)
ちょっと見てみたけど、日本語でもきついや…「純粋理性批判」 通らねばならぬみちなんだけど、読むの厳しくない?
いあ、まだ漏れも頁すら開いてないYo。一応手元にはあるが、ガチガチのコチコチの 堅そうなタイトルが、漏れを躊躇させる。おまけに、まだ他の本を読んでいる最中だしね。 漏れも哲学科とかではまったくないYo。哲学史の流れの解説本から入り、自分にとって 必要そうな人物をピックアップ、哲学と言われる本を読むようになったのは去年の夏あたり からかな。まあ留年して時間には余裕があったので、一日10時間以上毎日のように本 読んでたけど(w。 課題ガンガレ!メディア批判は結構最近の本だと思う。ブルデューの他の本は読んで ないが、メディア(主にテレビ)という独自の規範を持った、その「(メディア)界」における、 その内部の人間達の行動様式や、彼等はどのような価値体系を信奉し、彼等は無自 覚的に取る行動の傾向、テレビに出演する知識人・文化人の体質、その「界」の中で 自動的に作用する力、とかについて触れられている。 漏れはメディアの人間が見るのは勿論、テレビを見る人がメディア批判を読んでくれたら いいな、と思うんだけどね。まあ、わかりやすくて、面白くて、愛に溢れている本だと思うYo
課題おわったーw(あらゆるいみで…だめだこりゃ
これから出しに逝きます。
メディアには興味があったから、探してみるよ。
やっぱりユダヤさんとかが出てくるのかなぁ。
愛にあふれているというのはポイント高いねw
あとは今月のお金と相談しないといけないけど…。
ようやく、春休みで、本を読む時間がとれそうだよ。
なんか、おれも創作してみようかなぁって思ってたところ。
とりあえず、今月はゴドーをチェックしてみようかな。
漫画読む人だったら、「銃夢」なんかもお勧めしてみたい。知ってたりして…
昔のが1−9あって、新しいのが1−5くらいまででてるんだけどね。
ttp://yukito.com/ 結構少年漫画っぽいノリなんだけど、サイボーグの肉体と脳の
狭間でゆれる人間をうまく描いてると思う。まぁ、趣味なんだけどね。
メディア批判にはユダヤ資本とかの話は出てこないよ。ブルデューはフランス人だから
フランスのメディアの話。だけど、これは日本にも当てはまることだから、読んでいてわから
ない、ということは全然ないと思う。日本のメディアのこと話しているかのように、思えるし。
いいねー、春休み。本読むのには時間かかるからね。だけどゴドーは読んでみるだけの
価値はあると思うYo。
「銃夢」は漫喫で読んだなー、かなり昔で今は内容覚えていないけど(w。今度満喫
行ったら読んでみるよ。
お勧めの漫画は樹なつみの「OZ」かな。↓
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4592134117/ref=ase_zakikobrand-22/250-5967780-6104208 登場するアンドロイドは完璧なアンドロイド(人間に近づきたい)と思っているんだけど、
これには人間とは何か、という問いを含んでいると思う。ストーリーも好きだし、ある意味で
映画的な漫画だと思うんだけど、読む機会があったら是非お勧めしますYo。
課題お疲れ様。春休みには本を読んで創作をしよう(w
ゴドーをオーダーしてみますた。今週中にはとどくかな?
どうやら、全体の動きとしてのメディアのことなんだね。
ちょっと調べてみるよ、面白そう。
おず、今度日本に帰ったときにでもチェックしてみるよ。
最近、少女漫画とかも面白いんだなって気づいたばっかりだけど。
あ、これは少女漫画か微妙だけど…。
さて、とりあえずアマゾンから本がくるまで、何を読もうかな…
そういえば、政治関係も範囲にはいってるなら
かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」とかは最高の漫画だよ。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-2776915-5022742 一介の潜水艦艦長が、原潜を「独立国家やまと」と名づけ、世界を一つの国家と
するために戦う漫画。90年代の漫画なのだけど、メディアの限界、情報の力、
核兵器の狂気や世界の首脳のパワーゲーム、あらゆる要素が盛り込まれていて
これは秀逸だよ。へたな評論読むよりお勧め。
読んでなかったら、チェックしてみてー。
漏れが問題としているのは、今の枠組みを規定している理論的枠組みなんだが、 それとは別に読んでみる価値ありそうだね。少し勘違いしてますた、スマソ。 海江田とかいう名前のやつとか、たしか出てくる漫画だよね?国家とは何か、というのを 考える上で結構刺激になりそうな気がしてきたYo!Thx
ちと待った〜!「独立国家やまと」って冷静に考えるとありえないんだが。 まず、近代国家の条件としては、主権、領土、人民だが、「やまと」には領土がない。 実際に漫画の中で、「やまと」は国際社会的にはどういう扱いされているの? そう考えると、「沈黙の艦隊」を滅茶苦茶読みたくなってきたYo!
領土は、やまと艦内、国民はやまとの乗員、で、主権は艦長がもってますね。 移動可能な、しかも生産性のない、先頭のみに特化した国家を、 世界平和のために築き上げた、という所から始まります。 たしかに、沈黙の艦隊の前半は戦闘描写が多いし、ちょっと政治と関係あるのか 微妙な印象があるかもしれないのだけれど。 後半は、ナショナリズム、超国家主義、アナーキズム、自由主義の限界、 一体どのような枠組みで海江田が世界を想定しているのか、というテーマが現れてきて、 しかも、その枠組みを壊すことが海江田の目的でもあったり、 じっくり読んでみると面白いよ。 後半になるにつれて、(まぁ十年位前なんだけど)現在の政治理論を越えた 海江田の政治的理論が展開されているから、たぶんそれほど的外れではないはず。
ブルデューの情報をみたけれど、なんか興味わいてきた! 反グローバリゼーションとかの運動をしていたりするんだね、 この人の本は勉強としても読む価値がすごくありそう。 「芸術の規則」、「自由‐交換」、「ハイデガーの政治的存在論」 のあたりも面白そう…(ハイデカーはあまり知らないけれどね。 筒井康隆「エディプスの恋人」は、レビューをみたけれど、 刺激的な作品みたいだね。 日本に帰ったときの本リストに追加しておいたよwサンクスコ
96 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/03/29 22:09
|∀・)ミテルヨ
98 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/03/30 01:05
い、いたー。他にもひとがいたYo。 ところで、最近「性の歴史〜知への意志」を買ったのだが、昔図書館で 借りた時には背表紙に1600円と書かれていたのが、今のは2400円 なのね。何か手でも加えられたのだろうか・・・・ふと疑問に思いますた。
99 :
考える名無しさん :04/03/30 01:43
作家になる野心があるなら、そもそもこんなとこで熱く哲学語って ないっしょ。時間の無駄で。
100 :
考える名無しさん :04/03/30 02:31
俺、物語の筋書きを思いつかないんだ。どうしたらいい?
101 :
考える名無しさん :04/03/30 02:33
>>100 それは、作家になろうとなんてしなければいいと思う。
そうか。作家になりたかったんだけど、あきらめることにする。
103 :
考える名無しさん :04/03/30 02:40
>>102 どうでもいいけど、諦めるの早いね(笑)
あっ、思いついた。作家になりたかったが、物語の筋書きを思いつかな いので、あきらめた男の話……でもそんな本、だれが読むんだ?
やっぱり、あきらめることにする。(終)
106 :
考える名無しさん :04/03/30 02:44
>>104 (笑)妙にアッサリ夢を諦める姿勢に今の若者から共感を
集めるかもよ。それ、書いてみなよ。
107 :
考える名無しさん :04/03/30 02:51
>>104 ことこまかな描写で作家になりたいと思いついた瞬間から
それを諦めるまでの一日、いや一時間を、100枚ぐらいに
まとめて文学界に応募するんだ。
108 :
考える名無しさん :04/03/30 02:55
>>107 どっちにしても退屈な本になりそうだね(笑)
夢を追えではなくて、いかにして人生諦めるか、自分の能力の
限界を知りなさいってな感じ?
109 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/03/30 02:59
>>99 2chは息抜きだYo!
>>100 物語のイデアを追うんだYo!
物語を書こうとして、それでも書けなくて、それでも書こうとして、書けなくて・・
その思索を哲学の域にまで高めるんだYo!
「私は何を書いているのだろうか」→「我書くゆえに我あり」だYo!
110 :
考える名無しさん :04/03/30 03:03
111 :
考える名無しさん :04/03/30 03:04
哲学と文学は一応べつものではないのか?
112 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/03/30 03:15
>>110 ごめん、漏れもよくわかってない。何となく言ってみたかっただけなの、スマソ。
(物語を)書きたいけど、書けないとしたら→私はなぜ書けないのだろうか
という問いが発生すると思うのYo。
それでも書こうと思うのなら→なぜ私は書けないにも関わらず書こうとするのか
にならない?
それでも私は書きたいと思うのなら、何が私をそこまで駆り立てるのだろうか・・
という問いを積み重ねていけば、面白そうだと思うが。
>>111 おそらく別物だが、漏れは「ツァラトゥストラ」を読むとそうは思えないんだよね。
リョサの本を読むと、文学者は「職人」としか思えなくなった。 無論深い哲学がなければ文学という構築物を創れないのだが。
俺は面白いものを書きたいという気はあるが、作家になりたい (書くことによって認められたい)とまでは思えないよ。
朝の9時に大学にいきながら、ぼんやりと考え事をしていた。 天気のよい日で、空気は冷たく、しかし風は穏やかな最高の朝だった。 丘の上の大学が見えてきて、そこから10数分上らなければならないのだが、 その日は苦にならなかった。 すこし考え事をしながら歩いていたから。 過去のこと、未来のこと、それから今のこと。でもただ漠然と考えていたのではなく、 一つ軸を絞って、ある事柄について自分の記憶をまとめようとしてみた。 たとえば、哲学の定義みたいなものを軸に。 少しずつ記憶に創作が入り、その軸のまわりにはフィクションがある一定の 法則で動き出し始める。まったく知らない「自分」と、「他人」についての軸。 んで、文章にまとめてみようかな、といたった。それだけ。
>>115 外国が無頼なら、その空気を注ぎ込めるといいね。
音楽でもLAでレコーディングすると、カラッとした音になるというし(w
なんか私小説っぽい感じもするけど、どうなの?
ゴドーを待ちながら、今日届いたよ。
なんか、中古で買ったら田舎の図書館のやつみたいな古臭い本が届いたよ…。
戯曲って初めてだけど、対話型のお話として考えれば、
他の小説よりある意味読みやすいかも。
ほかのと連動してになりそうだけれど、じっくり読んでみるよー。
>>116 今日、なにかの拍子でテキストファイルが消えていた゚(ノД`)゚
8000字くらい書いてたのの半分くらいがパーに。
30さんも他のメディアにこまめに記録するのを忘れない様にねー。
おれが住んでるのはイギリスの田舎だけれど、
今の段階では舞台は日本です。雰囲気としての影響はでるかも
しれないけれどね。フレンチのカフェで書いたりするし。
書いているのはすごく個人的な話だと思う。
本当は、神とか宗教とかはほとんど関係なくて、
普通の男の子と女の子の関わり合いのお話。
漏れはね、メディアにバックアップするのと同時に、Yahooのブリーフケースも 使っている。Yahooのアカウント持っていると30Mまで使えるし、無料ですので 是非お試しを。 一行や二行ならまだしも、その分量の同じ文章は二度書けないと思うから、 後悔しないためにも、バックアップはリスク分散とこまめにしたほうがいいと思う。 逆にもっといい文章書けるかもしれないから、前向きに考えよう(w。 最近は「エロティシズム」と「饗宴」を読み終え、今は「性の歴史」を読み返し ているところ・・改めて凄い本だと思ったYo。
課題やっている最中に友達にメールで送った添付が 今の頼みの綱でつ…。(その友達は旅行中) そういえば、やほージオシティのアカウントをもっているから、 ただ置いておくというのも手かもしれないね。 友達が帰ってくるまでは、その続きをかくことに。 エロティシズム、読んでみたくなったけど金がない ので大学の図書館の検索にかけてみた 「L'erotismo / Francesco Alberoni. 」 激しくイタリア語っぽい… 今度買うしかないかなぁ 今机においてあるのは、ドストエフスキーの「地下室からの手記」 ニーチェの「善悪の彼岸」と組み合わせると絶妙…
フーコーの本を読んで疲れて休憩しているところなんだけど、なぜか頭が 二日酔いのようにガンガンしているYo。「汎愛派」についてググるつもりで ネット繋いだんだけど、なぜか2ch見てたら書き込みあったから、今は息 抜きで書いてます。 「エロティシズム」はね、最終的には「饗宴」と同じようにエロス賛歌なんだけ ど(w、女が寝たい男、男が寝たい女について面白い意見が述べられている。 まあ、男は無名でも美人と寝たいが、女は地位や社会的評価に相当影響 される、ということとか書いてあったけど、それに精神分析を絡めながら書かれ ているので説得力がある感じ。 ちなみに書いているのはイタリア人ね。漏れはブックオフで百円で買った(w。 全然期待していなかったから、いい意味で期待を裏切られたよ。 ドストエフスキーもニーチェも両方神が絡んでいる感じだね。「善悪の彼岸」は 手元にあるが、まだ読んでない。次にでも読もうかな・・と思って読んでない本 が何冊あることやら。
そういえば、何かの番組で夜の10時から2時は脳の回復 が行われる時間帯だからこの間だけは寝たほうがいいよ、 というのがあった。 もしかしたら、徹夜が頭痛をおこしているのかも。 エロスについてはクラシックだとフロイトとかもあるみたいだね。 結局、小説は人間観察が大きなポイントだから、心理学の分野 もある程度読んでみたいね。 「地下室の手記」と「善悪の彼岸」については、おれはどちらかというと 神というよりは、「人間の定義」のテーマについて読んでいるよ。 人間の定義の不毛さだったり、あるいは定義された人間が真の人間なのか、 そしてそれに沿って生きることが、人間の真の道なのか。 そういう観点で最初のほうを読んでる。なにぶん英語だからだらだら読んでるけどね… ツァラトゥストラは読んでいないけれど、この「定義された人間像」を 打ち破って生きている、あるいは生きていくことが「超人」という脳内保管なのだけど、はてさて。
生活が滅茶苦茶だから、これからは夜十時に寝ようかしら(w。 フロイトもエロスについて何か言っているのか、THX。 ギリシャ時代のエロス賛美はどうも笑ってしまう。今と違う価値観だから、 それは当り前なんだが、大の大人、それも当時一流のインテリが言って いると考えるとね、やはり笑いが止まらんYo。 超人は一言で言うと、「汝なすべしより我欲す」かな。やはりニーチェは 文章の美しさも含めてニーチェだと思うので、自分で読んでください(w。
課題とかで徹夜する覚悟をしたときは、逆に効率を考えて 10時から1時くらいまで寝たりすることがあるんだけど、 そうするとまったく寝ないよりは作業効率があるきがする。 とくに、次の日の朝の作業がはかどるんだけど、もしかしたら おれだけかも。 日本語の本だと、そういった表現になるんだ、ちょっと新鮮。 いつも記号のような表現力のイングレーゼで読んでるから とくに文章の美しさを意識しないんだよね。 たしかに、ニーチェは他のどの哲学者よりも熱っぽく語るから 読んでいて楽しいのだけれど。 だいたいのところで、理解は一致している感じなのかな。 本はいつも同じものとして存在するけれど、人の理解は、おれの理解 を含めていつも違うかもしれないから、人の解釈を聞くのが好きなのさ。 ギリシャのエロスの賛美というと、どの方のあたり?
ニーチェは色々な人が訳しているから(世界で一番翻訳されているのが日本 らすぃYo)、本屋で読み比べする機会があったらやってみてください。 漏れは「ツアラトゥストラ」だと「市場」の所とかを読み比べるな。あとは「千一の 目標(?)」とか、自分の好きな項をね。 人によって訳が違うのは当然だとして、まったく印象が異なるのが面白い。 プラトンの「饗宴」しか読んでないから、ソクラテスとかアガトンとかそこらへん のエロス賛美だね。少年愛がいかに素晴らしいか、をみんなで語り合ってい るが、やはりソクラテスは真打ちだったYo。 実際にこんな爺が身近にいたらウザいけどね(w。あとは極めて戦略的に書 かれたであろう本という印象を受けたね。議論をある方向に持って行こうとい う節が見て取れた。あとは「無知の知」とか「知の産婆術」とかが出てきて飽 きなかった。次にプラトンの本で読むとしたら「国家」かな。
「友よ、孤独のもとへ走れ!! 君は毒虫に刺されてしまった」 「友よ、孤独のもとへ走れ!! 矮小な人間が君のまわりには多すぎる」 本棚の小脇に、1961年出版の「ツアラトゥストラ」を発見。 大学図書館で50ペンスくらいで売っていた、ぼろぼろの本。 開いてみたら、もうページが抹茶色。ところどころ赤いくらい。 メモがあったり、ノートがはさんであったり、アンダーラインが たくさん引いてある。 これは、面白い本だね。哲学書なのに読んでいて熱くなる。 哲学の出発点というと、 「What do you mean by〜」、「あなたにとって〜とは何か?」 これはやっぱり、ソクラテスさんが始まりなのだろうね。 誤解や幻想を紐解いて、本当の意味を洗練していく感じ。 プラトンの、「国家」もしかしたら、隣の部屋の友人がもってるかも…。 あとでちょっと読んでみようかな。
そうそう、「市場」はそんな感じ。何かね、ニーチェは現代的に訳してあると つまらなくなっちゃうと思う。少し大袈裟な感じぐらいで訳すのがいいね(w。 図書館の本にさ、線を引く奴とか書き込みする奴とかいてむかつく。自分の 本でないのに線を引くなっていうの。昔図書館で借りた「ゴドーを待ちな がら」にも書き込みがあったけど、それは書いてあることが面白かったから許 せたけど(w。 哲学の出発点は何なんだろうね。 まあ、ギリシアの自由人は暇だったんだと思うYo。
前の書き込みの日にアマゾンで注文したツアラトゥストラ、なかなか来ません。 しょうがないから、サーチかけてみたら「まだ発送されてません」…ておい!三日経ってるよ? 日本のアマゾンって、早いときには次の日くるよねぇ…゚(ノД`)゚モウイヤ、コンナクニ そういや、哲学本読み始めたのこっちきてからだから、古文体のイメージ湧かないのです。 ぶっきらぼうな英語だと、古くてもスペリングがちょっと古いくらいの違いしかないから、 表現の違いって感じないんだよね。 図書館のアンダーラインは、場合によってはありがたいよね。 親父が旅行か何かでアメリカの大学に寄ったときは、古本のほうが高い場合もあるらしいよ。 アンダーラインがついているほうが、学生にはありがたがられるらすい。 最近は曇りばかりだから、あんまり作業がはかどっていないっす。 朝7時起きして、いい天気でもサンドイッチを作ってるうちに曇ってきて、早くも鬱。 創作するときの集中力って天気に左右されませんかそうですか。
128 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/04/08 07:52
日本はそういうのしっかりしてるね、電車とかちゃんと時間通りに来るし。 ヨーロッパでも、日本に比べたら時間にルーズと聞きましたが、そこらへん はどうなんでそ? 日本語だと、平仮名で書くか、書かないかとかだけでも、だいぶ印象 違うね。例えば「〜にすぎない」か「〜に過ぎない」とか、「それにも関 わらず」を平仮名だけで書くかとかね。堅い感じにも柔らかい感じにも どちらにもなる。まあ翻訳には、訳す人の漢字の使い方も多分に関わ ってくるだろうということを言いたかっただけです(w。 自分にとって天気はあまり関係ないなー。雨降っていると外逝く気が失 せるというのはあるけどね(w。 アンダーラインは個人的にはいらないなー。レポートとか書く時とか便利 かもしれないけど。結局は自分の前に善を引いた奴次第かな(w。
今朝アマゾン見たら「オーダーした商品はすぐに発送されます」 まだかよ…(´・ω・`) 正直なところ、日本は未来の国です。この一言しかいえない…。 ひらがなか漢字かにするかは、たまに迷うときがあるよね。 なんか不自然に難しい漢字を羅列してある文章も読みにくいし堅苦しいし。 そういえば、ウヨの人たちは難しい漢字を覚える試験があるらしいけど、 昔の古い漢字を覚えることと、本来の革新派とは別のベクトルだと思う。 日本では右も左も別の意味合いや性格があってやっかいだ。 書くときはどうしても環境に左右されてしまうから、曇っていたりうるさかったりで パソコン開けずに本を読んだり買い物に行ったりをしてしまうよ。 でも歩いているほうがネタは浮かぶんだけど。 最近ニーチェを読んでいて気づいたのは、サルトルの本(存在と無)の、少なくとも 最初のほうはニーチェの要約とか解釈みたいだった。 ニーチェも、本の最初は既存の哲学の否定から入っている感じではあるけどね。
ニーチェ解釈は多くの哲学者がやっているね。 やはり一つの重要な転換点だったからじゃないかな。 ニーチェは良くも悪くも突き抜けているからね。あんな人間が存在した とは今でも信じられないYo。 ある意味で、愛国心と漢字は関係があることになっているんだろうね(W。 保守か革新は相対的なものじゃないかな、どっちか(保守)があって、その 逆(革新)もある、みたいな。 そう言えば、イギリスって天気あまり良くない国だよね?違ったっけ? モチベーションと気候はおそらく関係あるね。南国とかだと、一日中ダラダラ してしまいそう。国の発展ともそれなりに関係あるだろう、と友達とこの前話 をした時の結論です。
ニーチェは、なんか学生時代には音楽や戯曲にも手を出していた らしいんだけれど、やはり表現力に幅がある感じがする。 解釈する人たちもやりがいがあるんだろうね。 existentialismの本なんかには、「an end or a begining」と書かれた ニーチェ、ドストエフスキーなんかを紹介した本があるんだけれど、 やはり、彼らが新しい時代を作ったと言えると思うし、ある意味では 哲学を終わらせたと解釈することも出来ると思う。 従来の理性的な判断や、そこから構築された「真理」を語る「哲学」 に強烈な打撃を与えたことによって、それまでの哲学の手法にすら 疑いを持たなければならなくなった、という点で、存在感はやはり大きい と思う。
革新か保守かというのは、確かに相対的なものだと思う。 どちらかが行動を起こして(革新)、それを監視する(保守)、そいういった システム、あるいは役割というのはいつも入れ替わり得るものだと思う。 けれども、愛国心というものにすがって、いつも「日本は〜あるべきだ」と 「日本人としての自覚」というものを、たとえば「愛国心を持つ人間というのは 旧字体を愛する者だ」と作り出し、それを常に繰り返し意識するという行為は 「人間の本質」が「人を愛すること」と定義して、聖書を繰り返し読み続ける行為と それほど代わりがないような気がする。 教えられたことを繰り返し反復するという点で、それは「従順する態度」だと思うし、 そこに、「革新」という態度があるとは思えないのです。あんまり彼らを批判すると 後が怖いのですが…。 なんとなく、最近ニーチェ読み始めた一人の馬鹿としてはそこに矛盾を感じてしまいます。 ここ2,3日は天気がよい日が続いています。 イギリスも、全体的にいって天気のよい国とはいえないでしょうね。 春先からは、ある意味では天気が安定していて、日中は晴れていることが多いです。 ある意味では不安定なのは、早朝に雨が降り、昼にはカラッと晴れて、夕方に曇りだす…、 と全種類の天気が一日に凝縮されるところでしょうか。
国の発展に関しては、…どうなのかちょっと分からないですね。 たしかにこの忙しい天気は、「晴れているうちにあそこにいって〜しなきゃ」という 危機感みたいなものを生むので活動的になると思います。 ただ、この国が今も「発展し続けている」国だとは思えないのです。 今年になってようやくカラー携帯が主流に「なりそうな」感じがし始めたところだし、 こっちでの電化製品の大手サムソンが韓国のメーカーともしらずに、友人の韓国人に 「韓国ってコンピューターあるの?」って聞いたイギリス人がいたり。 発展することに敏感なのなら、自分たちよりも優れた技術をもっている国の発展に 無頓着だとは思えないです。 そもそも、電気屋さんや服屋さんが5時に閉まる国に、商売する気があると思えない…。 カイモノデキネーヨ。 たしかに、「傘持ってなくてもすぐに雨は止む」国、という点では「発展したから、もういいや」 くらいの気分になっているのかもしれません。
ニーチェは戯曲に手を出してたのは初耳だけど、ピアノは好きだったみたい。 漏れはどっかのサイトからニーチェの曲のMIDIを拾ったし、戦後にニーチェの 曲のコンサートが行われたとも聞いたことがあるから、楽譜も出てるはずなん だよね。 ニーチェはそれまでの哲学を、特に形而上的なものを扱ったプラトニズムから キリスト教まで徹底的に否定したからね。ニーチェ以前の哲学はほとんど否 定したし、ニーチェ自身に大きな影響を与えたショーペンハウアーも最終的 には乗り越えたと言っていいと思う。ニヒリズムをペシミズムと混同しがちだが ペシミズムが「生は無意味だ」だとすると、ニーチェの場合は「一切は同じだ。 何をしても無駄だ」というのと、「一切は同じだ。どうでもよいことは何もない。 一切の事物、一切の瞬間が重要だ」という二つの側面を含んでいる。
そして永劫回帰は運命愛に至る。 「私が生き抜いてきているような実験哲学は、試みに根本的なニヒリズ ムの諸可能性を先取りする。とはいえ、それは一つの否に、否定に、否 への意志に留まるということではない。むしろその逆のものにまで突き抜 けること――あるがままで、差引勘定も、例外も、選択も無い世界に対 するデュオニソス的肯定への到達を欲する、――それは永劫の循環を 欲する、――同一の事物を、幾多の結び目の同一の論英と非論理を とを。哲学者たる者の到達しうる最高の境地、すなわち生存に対して デュオニソス的に立ち向かうこと――、これを表す私の定式は運命愛で ある」 ニーチェも形而上的なところ結構あるけど(w、一瞬一瞬が選択の瞬間 となり、まさに生に対する意志の強さこそが超人の試金石ということだと思う。 キリスト教が約束した彼岸ではなく、「地上的」なもの=現実、この瞬間こ そが生きるに値するということね。
つまり、これから起こることの一切の事柄が予め決定しているとしたら、
生きるのは結構苦痛だと思うのYo。自分が選択したと思っても、予め
決定済みのことだったりするとね。それでも生きようとする意志を欲するか?
おそらくニーチェが病弱だったことが関係するんだろうね。常に生と死が隣り
合わせの瞬間を生きていたニーチェだからこそ、考えられたことだと思う。
ニーチェもそうだけど、フーコーとか疑いの眼差しが徹底している人間を見る
と、やはり彼等は反社会的な存在なのだろうね。↓ここにも書いてあるように
ttp://www18.big.or.jp/~novels/works99/reviews/literate.htm 12,本物の書き手は、勤め人とは正反対の生き方をしなければならない。
安定ではなく、不安定、、秩序ではなく混乱、集団ではなく個人、協調で
はなく独行、妥協ではなく反抗、つまり反社会的存在であること。その立場
に立ってこそ普通では目に見えぬものが見え、葛藤生じ、書くに値する、
読ませるに値する火花が飛ぶからだ。
この人の言うこと、極端だし、あまり鵜呑みにはしてないけど(w、それでも 反社会的な存在の視点からは、あらゆることがずれて見えるんだと思うYo。 愛国心も一種の宗教だと思う。まさに時代の変化と、それに対する保守的 な反動という形式ということだね。まあここらへんは、利害関係や快不快で 漏れは捉えてるよ。ある意味、日本人の本質=真理を振りかざすことで、 それを道具にして自分の力を維持しよう、増大させようという意志だとね。 でも、別に何でも革新的なことがいいというわけでもないと思うし、今までの 枠組みで満足できなかったら、自分で新しい道具を創らざるを得なかった人 が現れるだろうし、その人が後に革新的と言われるんじゃないかな。 携帯やサムソンの話を聞く限り、イギリスは日本に比べると遅れてる(?)の かな(w。勤勉な国民性とは無縁ぽいし、やはりヨーロッパで世界は完結し ている人がおおいのかもね。アジア、韓国とかどこにあるか知らない人とかい っぱいいそうな感じがするYo。
国際政治の講義のときに、conflict(闘争)をテーマとした授業 があったのを思い出したよ。 この場合の闘争というのは、戦争や宗教の反発、国同士の利害関係といった あらゆるものをさすのだけれど、このときに教授が定義した「闘争」というのは、 「新しい概念や世界観、あるいは状態を作り出すプロセス」というものだった。 たとえば、自由主義的な政治思想と社会主義的な政治思想の対立というものがあって、 お互いが別々の未来像を描いて活動して、その結果二つは衝突するわけだけれど。 現実的な政策としては 自由主義は、「税金を安くして、自分たちの世話は自分自身でする。資本主義マンセー」 社会主義は、「税金を高くして、社会保障を重視する。資本主義イク(・A・)ナイ!」 とすると、これらは衝突するわけだけれど。 この議論の結果、お互いのいいとこどりをして、新しく、 「税金を高めにして、社会保障もするけど資本主義もアリよん」 という政策が生むことができる。 自由主義、資本主義という既成の概念を否定する形として生まれたマルクス主義。 それの批判からまた新たな概念が生まれてくる。 こうした繰り返しが哲学なのかなぁ、と少し思った。
漫画「銃夢」の1シーンで、ある脇役が 「俺は自由なんか欲しくねぇ! 犬の鎖が欲しいんだよ!!」 と嘆くシーンがあったんだけれど、あれは印象的だった。 たぶん、あらゆること、たとえば運命だったり善悪の基準だったり、が あらかじめ決められてたとして、そこに対する反応は一つじゃないかもしれない、 そんなシーンだった。 ある人は、「おれは自分で自分の舵を取りたい」という。 ある人は、「おれは誰かに自分の舵を取って欲しい」と願う。 世界が混沌としていて、そこから何を選んで自分の人生に取り込んでいくのか 分からないとしたら、そこにはそれを祝福する人と嘆く人と二通りいると思う。 同じように、世界が整然としていて、そこから何を選んで生きていけばいいのか 決まっていたとしたら、やはり同じようにそこにはそれを祝福する人と呪う人の 二通りがいるんじゃないかなぁ。 結局のところ、二つの選択は「好き嫌い」なのかも。そう思い始めてきてしまった…_| ̄|○ 今朝寝ていたら宗教の人が攻めてきますた。 AntiChristでも、一応カントを尊敬しているのでどんな人でも丁寧に受け答えしますw で、「神を信じますか」論争を丁寧にするハメに…。うぅ。 きちんと神学をやってる人(っぽい)方々のようで、おれのほうは英語も駄目な寝起き坊主。 あきらかに分が悪いっぽいので、ちょっと興味を持ったフリして一冊本をもらって帰ってもらいますた。 「だれが世界を創造したのか?」という本で、科学を批判しながらソフトに神の存在をアピールしようと たくらむ本のようです。 まぁ、ニーチェや科学の進歩のなかで、彼らがどういう理論付けでクリスチャンをしているのか、 それくらいは分かるのかもしれません。
140 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/04/20 09:43
その教授がいう闘争に近い感じだね。 既得権を手放そうとしない人間にありがちと思われ(w。 まさに「真理」とは、闘争の産物であり、勝利した側が 「真理」になる。「真理」とは何ら絶対的なものではなく、 時代時代の変化、それに伴う要請との間における緊張状態 とその結果……と漏れは捉えているYo。 その自由主義と社会主義の喩えは弁証法だね。 漏れはシステムの弁証法は停止したと思っているんだよね。 システムとは資本主義と民主主義によって、もう達成すべき ものは達成されてしまったということね。まだまだ弁証法的 なことを続けなければいけない、と個人的には思うが。 イラク戦争みたいな民主化のための戦争とかいう題目を見る と、つくづくそう思うYo。 今ヴェーバーの解説書読んでて、ニーチェとマルクスの存在 の大きさを見直そうとしてるところです。
自由は難しいよね。多分ね、人間は自由と束縛の両方を 必要とする生き物だと思うのYo。つまり、両方を時と場合 によって使い分けられるのが理想じゃないかな。 真の自由(自然状態)は、人間には重すぎると思うし、逆に がんじ絡めの状態だと息が詰まってしまうだろうし。 やはりイギリスだと、キリスト教は今でもそれなりに影響力 あるのかな?日本じゃあまり想像できない状況だ。 まあ「誰が地球を想像したのか」は、今のところは誰にも答 えられないからね、それを「神」と言われたら何も言えません。 だけど、やはりそれなりに論理武装してると思うから、読んだ らそれを教えてください(w。
去年、政治の講義を聞いたとき、こんなことを言っていた先生がいたよ。 「政治とは集団のスケールの対立(disagreement)のことをいう」 お互いの利害関係を、唾を飛ばしながら言い合う政治は、 幸福追求を肯定する資本主義と同じベクトル上にあることは確かだし、 それが強力なシステムであることは間違いないと思う。 ただ、第二次大戦中のドイツや、パレスチナ-イスラエル、それから今のイラクでの 民族の対立、少数民族への迫害や極端なナショナリズムが発生する危険があるという、 民主主義への批判も見逃せないと思う。 今の日本は、あまり民族がごちゃ混ぜになっていないので、政治のレベルで民主主義の 問題点は感じないけれど、たとえば将来、他民族の移民が日本にきて、その人たちが 発言力を持ち始めたらと考えると、こうした危険がないとは言い切れないと思うな。 僕も、弁証的な方法によるシステムの修正はこれからも必要にイッピョー
自由主義の確立者といわれるジョン・ロックの本なんか開いてみると、 最初の行に、「My Load(主よ)」なんて書かれていたり。 たぶん、「神のもとに、人間は自由」なのだというようなニュアンスなのかなと 脳内保管しているんだけれど…。 たとえば自然権なんかの、 「人間の存在の絶対性というのは生まれながらに尊重されるべき」 という考え方も、 「神が人間に与えた、生きるということへの権利」というニュアンスを含んでいるの ではないかと思うのです。こうした思想の根底にもキリスト教の影響があると考えるのは 穿ちすぎなのかなぁ…、とも思いつつ。 どこか、始まりの一点、あるいは出発点において、ぼくたちは「理屈ではなくそう思う」 というところから始めていたりするんじゃないかなぁ、と最近思わざるを得ないことがあります。 「人間の存在が尊重されるべき」なのはどうしてか? と問われたときに、「大事なのだと考えているから」というトートロジーを使う以上に、 うまい説明の仕方ってあるのでしょうか?うーん…。
政治家は基本的に二種類、ある特定の団体の利益を代弁する者と もしくは選挙で当選することを目指す者がほとんどだと思う。 もっと大きな視点で物事を考えている政治家は希少なんだろうね。 財政学という授業で景気循環論とか覚えたのね、選挙前には景気 が回復し、選挙が終わると景気が悪くなるみたいな(w。 ナショナリズムはどうしてもなくならないと思うんだよね。 同一の民族というものを基盤とする近代国家においては、 この危険は常に潜在していると思う。EUでも、極右の政党がある 一定の支持を得ているところを見るとね、そう思うYo。 まあ、日本は徹底的に移民を受け入れない国だからね、 良くも悪くもそれが今の日本の統一性に貢献してると思われ。 おそらく、これから少子高齢化が進むのなら、労働力の確保と いう点からも、移民を受け入れなければならないだろうね。
My Lordは、個人的には王権神授説と関わってそうだね。 というのも、漏れはロックは余り知らないので、今の浅はかな 知識でもの申すと、ロックとホッブスは自然状態から話しを 始め、なぜ社会状態に入らねばならないのか、に進むはず。 つまりロックの理論は、社会状態に入る(王に従う)ための 理論正当化であるのと同時に、その王が個人の生命と私有財産 を保護してくれない場合は革命と抵抗をする権利がある、という ことであったと思う。 王は、神の法、自然の法に従った統治をすべきで、その限りに おいては神≒王であるから、それに従えというニュアンスじゃ ないと思う。
147 :
考える名無しさん :04/04/23 12:33
おれ哲学から小説の転向組みなんだけど。 やっぱり論文書くより小説書くほうがずっと難しい。 論文はある程度枠組みができてるから、 極力その枠組みにのっとっていけば出来上がるんだけど。 小説はまったくフリーな状態で出発しなきゃなんないからね。 ある意味では恐ろしいよ。なんでもゆるされるってのは。
何を言っているのかね君達は!? まさか脱構築を行っていないのではないのかね! いますぐ脱構築をしたまえ! 脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!
149 :
考える名無しさん :04/04/23 13:03
脱構築自体がもう紋切り型になっちゃてる。 南妙法蓮華経といっしょ。
>>149 だから君は脱構築を行っていないのじゃないのかね!?
まず脱構築せずしてこの板にいる資格などあるものか!
脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!
151 :
考える名無しさん :04/04/23 13:35
>>150 脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!
脱構築してみました。
小説を書くのなら、まず、国文法から復習すべし
>>147 キャラクターや設定で制限を付け加えていき、
それを打ち破ろうとする小説内の人物の動きと、
神たる自分の葛藤こそが醍醐味ではないでそうか?
よほど現実離れした世界の物語でない限り、
登場人物と物語が展開する舞台、その世界の秩序の
中で自ずと制限は生まれてくると思いますYo。
>>145 おれもあんまりロックに関して勉強しているわけじゃないのだけれど、
ちらっと調べたあたりだと王権神授説に関してのある種の批判的な立場から
彼の政治への論考があるみたいだね。
The Load(神)と、Kingの立場が対等ではないことと、プロテスタントとカソリックの
対立とかを考えると、「直接的な神との対峙」という個人的な神との繋がり
の構図が関わってくるのではないかなぁ、と思う。
このまえ「パッション」(キリストの最後を描いた映画)を見に行ったり、 クリスチャンが攻めてきたりで、おれも理論武装の必要に迫られて、聖書を買ってみたよ。 うちのまちには「Christian Bookshop」なるものがあって、キリスト教以外の宗教書もあったり ちょっと便利なものがあるのね。 そこで、6,5ポンド(1200円くらい)で、ケンブリッジが出版してる現代英語訳の聖書があった から、それをげと。新旧一緒のやつです。 部分部分を読んでみると、たしかに哲学の理論の中にはキリスト教の影響を強くうけている ものがあるような気がした。たとえば↑のロックや、それからカントの倫理学もそうだと思う。 もちろん、ヒュームやニーチェのように無宗教の哲学もあるわけだけどね。 そうしてみると、まぁ悪くない買い物したかなとちょっと思ったよ。 そういえば、ウェーバーとニーチェも宗教関係で対立したんだっけ?
漏れは、今ロックについて少し勉強しているが、 ロックは徹底的に自然法をベースにしているね。 王権神授説は勿論、父権、トマス・アクィナスの言った自然の 秩序をも退けている。だから、徹底的に社会関係を解体し、 自然状態から出発しているのは非常に重要だと思われる。 ホッブスは自然法のための君主政体をプッシュしているが、 ロックは自然状態から設立された社会体をも人民のコントロール の元に置こうとしている。 やはり宗教革命後のイギリスというのもポイントだと思われる。 プロテスタンティズムの影響で、個人的な神との繋がりの前に、 今までの地縁的な関係が解体し、孤立した個人が形成されていった んだろうね。 フーコーやヴェーバー、アダム・スミス、今までの知識の断片が 少しづつ繋がっていっているような気がする今日この頃ですYo。
パッションてあれでそ?見た人がショックのあまり死んじゃうほど 凄い映画(w。漏れも見に行こうと思っているのだが、一応遺書とか 書いて懐に入れていったほうがいいのか、教えてほすぃー。 やはり哲学の理論とキリスト教は切っても切り離せない関係でそ。 本当に神と離れて物事を考えられるようになったのは、結構最近 ではないでせうか。 多分ね、ヴェーバーとニーチェは対立してないんじゃないかな。 漏れはこれからプロ倫を読もうかと思っているが、解説書を読んだ 限りにおいては、大筋はニーチェの思想の系譜に連なる者という ヴェーバーの自覚が伺えると思われ。どこか一カ所、ニーチェと 相容れない部分があったとも書かれていたのは記憶に残っている が、それはどこか忘れマスタ。
パッションは、キリストが捕まって十字架刑になるまでの過程を 忠実に再現した映画だったよ。 ただ、残虐な拷問シーンが大半をしめていて、確かに心臓の弱い割に ヒステリックなアメリカのおばあちゃんとかは危険かも。 あと最初に、突然の大音量にビックリさせるのとか。まぁ普通の人は大丈夫だと…。 ただ、拷問シーンが結構えげつなくて、見ていて鬱になるかも。 棘付の鞭で何十回と裸のキリストを打って、鉤付の鞭に取り替えてさらに何十回…。 十字架刑の描写も見ていて痛ひ…。 内容自体は、その映画の中で「キリストは神の子」になってしまっていて、 彼の「言葉が神足り得る」というわけでなく、「奇跡を起こせる人」として描かれていた点が おれにはイマーイチ。 奇跡がなきゃキリストを信じないのかよヽ(`Д´)ノ と小一時間…ry 信者でもなければ、あの映画のなかで「なぜキリストが慕われているのか」が 分かりにくいと思った。聖書の全体的な知識がある人専用映画で、エンターテイメントの要素は0。 キリストが傷ついた体で「私は…すべてを新しくしよう」と十字架を背負い立ち上がるシーンで゚チョト(・∀・)イイ と思ったが、最後の地震で( ゚д゚)ポカーン 「忠実な再現」としてはうまくまとまっているし、聖書に興味を抱かせるきっかけくらいにはなるかも。 あれを見た後だと、新旧含めて聖書が読みやすく感じたかな。 でも、日本で宗教とか真剣に興味がある人以外は、全く面白くないと思われ。 あと、グロな拷問が延々と繰り返される映画なので注意。かな。
159 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/05/01 11:47
パッションのレビューTHX。 心臓弱くないと思うから、空いた頃を見計らって見に逝こう と思ってるYo。 漏れは、今まで隠されていたキリストの真実が明るみに出て、 そのショックで死人が出たと思ったが、ただ単にグロいのね(w。 ヴェーバーとニーチェが対立している点は、ニーチェは宗教を弱者 のルサンチマンと説明している所だと思われ。どうやら「世界宗教 の経済倫理」という本の「序論」でニーチェ批判をしているらしい。 しかし、プロテスタンティズムがここまで近代に関わっているとは キリスト教と縁がない自分には想像できなかったYo。 初期プロテスタントの純粋に宗教的な言説が、このような結果(現代 のような状況)に至る、と誰が想像できただろうか、と思っている 今日この頃。そう考えると、人間の歴史って面白いね。後から分析 することはいくらでもできるが、当時の人間にとっては「予期せざる 結果」以外の何者でもないのだから。
パッションは、おれも「今まで隠されていたキリストの解釈」か何かがあるのかと 思っていたんだけど、そういう意味では凡庸な作品だった気がする。 ユダヤさんたちには批判の的だったみたいだけれど、キリスト教にとっては 忠実な映画だったと思う。 ニーチェがキリスト教を「弱者の奴隷道徳」と指摘した点は、 最近読んだ、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」でも描写されていたよ。 「反逆」と「大審問官」の章でも触れられているみたいで、これがまた難しいので もうちょっと読み込まないと説明できないのだけれどね…orz ちょっと気をつけて読み始めると、キリスト教と縁の無いものがないんじゃないかと 思うくらい、その影響力に気づくねぇ。 とはいえ、今のところ、「自由主義」というものは魅力的だしこれに対する強力な 反抗は想像できないと思う。何をソースにしたところで、うまく理論立てて 理論的に発展させれば哲学になる、ということかな。 とはいえ、「信教の自由」を憲法で大々的に保障しながらも 大統領就任演説で聖書に手を当てて行う国もあるのでなんともね。
161 :
30 ◆oGQ4QcR7RQ :04/05/09 10:40
パッションはキリスト教の世界観をそのまま映像化したものと 捉えてよさそうだね。 今、キリスト教の本を読んでいるが、アメリカの独立宣言には 「我々は、すべての人は平等に作られ、造物主によって一定の 奪い難い権利を付与され、その中には生命、自由、および幸福の 追求が、含まれていることを自明の真理であることを、信じる」 のような文章があるね。まさにプロテスタンティズムだと おもたYo。 >とはいえ、「信教の自由」を憲法で大々的に保障しながらも >大統領就任演説で聖書に手を当てて行う国もあるのでなんともね。 これはどこの国なの?
大統領演説で聖書を左手に、右手の掌を見せて行うのは、アメリカ合衆国。 白人のプロテスタントしか大統領になれない、と言われることも。 >外国だと「無宗教」というのはいろいろと誤解を招く このまえクリスチャンが攻めてきたとき、「無神論者」と自称しました 「日本人はだいたい無神論者で、仏教とか神道とか言ってるやつも、ほとんどは 慣習にしたがっているだけで、信仰しているとはいえないよ」と暴言も吐きました(w すごく驚かれたけど、「無信仰」の人間だって普通なのだと 知って欲しいので、いつもそう言っていますw (無宗教くらいで軽蔑するような人はクリスチャンなんかじゃないとも思ってますし) 大学では国際政治がメインなので、大学内では「そうなんだ〜」くらいの反応。 可愛いフレンチの子がカソリックだったけど、無信仰ってことで引かれたりとははないかな?(可愛いかは関係ない) イメージとしては、ヨーロッパよりアメリカのほうがそういうの多そう…
まあ、漏れが本で読んだ範囲で説明すると、 「宗教は阿片である」と言ったのが(本当に言ったかどうか 怪しいらしいが)マルクス。なぜ阿片なのかというと、使用 すれば一瞬の天国を味わうことができるが、地獄の始まりだと。 だから結局は身を滅ぼす毒薬である。宗教が麻薬であるなら、 布教は麻薬を広めることであり、教会は阿片窟で、牧師や神父 は麻薬の密売人である。勿論、そのようなものは潰していいと いう結論になる。で、スターリンは実際にそれを実行に移し、 教会を潰しまくった。 共産主義は徹底的な無神論で、そこが神の下の平等を前提とする アメリカなどの自由主義と対立する。キリスト教徒から見て、仏教 やイスラム教の信者であるのはまだ許される。一応神を信じる心が あるのだから。しかし無神論者というのは神を信じる心もない 恐ろしい人間である。自由主義というのは、その前提に神がいるの だが、無神論者はそういう前提を認めない人間のように思われる。
神が絶対的に存在するから人間の間の不平等はなくなる、という
のが欧米人の考え方らしい。ここで初めて、平等な人間は何をし
ても自由という、本当の意味での自由が出てくる、と。
また、神様がいると、この人間の命、あるいは生きるという権利は
神様が与えてくれたものだから、他の人間が勝手に奪ったり、奴隷
にしたりすることはできない、という考え方が出てくる、というこ
とらしい。奴隷問題を考えると、皮肉な話だが、一応そういう前提
として欧米人(信仰心が薄いと言われる人でさえも)の心の中に、
それも無意識に近い領域で神は生き続けているということらしい。
漏れが実際に体験した話ではないので、よくわかりませぬが、そう
いうことらしいです(w。
昨日は↓の映画を見たYo。キリストの遺体を巡るストーリーで、
主役のバンデラスがカソリックの神父という設定。キリスト教の
知識が増えている最中なので、面白く見ることができたYo。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000896PE/ref=sr_aps_d_3/250-8540039-7879434
なるほど、確かに理屈としてはそういう誤解を生むかもしれませんね。
でも、おれは「もののあはれをしる」人間であるつもりだから、無信仰でもいいかな…w
たとえ自由主義というものが、現代社会にとって尊重されるべきものであったとしても、
それが「神の元に保障された権利」だと考えることは、現代においては否定される
べきものだと思います。
自由主義の始まりにプロテスタントがあったとしても、そこは理論の後付で(おい)、
功利主義のもとに正当化することもできるんじゃないでしょうかw 神がいなくても。
日本人の倫理感を意識したときに、「もののあはれ」というものは仏教とも関わっていると
思うのだけれど、いわゆる「仏教」というものと、おれが意識する「仏教的な考え方」
は、必ずしも一致するものじゃないと思うのです。
「自然や、物事を畏れ敬う心」、
「自分を入れたすべての存在は平等である」という考え方は、
「何かを特別扱いする」ような信仰という動作とは対極にあると思うのです。
むしろ、「無信仰だからこそ」、
「人間も動物も植物も地球も、宇宙の観点からすればちっぽけな存在でしかない」
からこそ、今こうして生きているものたちが、果てしない偶然の産物として生きていることに
価値があると思う。そして、それを尊重したいと思う。
だから、やっぱり無信仰かなぁ…。
…うーん、西洋哲学から離れてしまったかなぁ。
そういえば、梅原猛さんの、「地獄の思想」 というのも面白かったよ。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121001346/qid=1084234899/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-8461886-2961820 かつての文学者たちの現世との苦闘から、日本人の精神と文学の係わり合いを述べている
のだけど、面白かった。
いあさ、究極の話、社会契約論とかも完璧後付だからね(w。 誰も自然状態になど戻れるはずがないし、理性の側(社会状態) から一方的に論じたものであり、なぜ人間は平等であるのかを 啓蒙思想家達は理論武装した。 だから、神の下の平等の理論も完璧に後付(w。だけど、ある一定 の合理性の下における解釈として絶対無視できるものではないとも 思われ。 まあ、欧米人は神から離れることはできても、完全に殺すことには どうしてもためらいがあると思われ。 ホッブスやロックの思想的な意義というのは、社会状態を徹底的に 解体したところから話を進めたことにあると思うYo。 梅原猛は親が全部本もっている。漏れは全然読んでないけどね(w。 ニーチェから入ってハイデガー、そして仏教に傾倒していったらし い。ニーチェから仏教に行く人はどうやら多いらしい、というのが 漏れの感想ね。
前々から本の量すごいと思ったけど、 梅原猛さん全部読んでるとは、相当好きな人だね。 くわしく仏教について知っているわけではないけれど、 自己の探求という流れを持っている類の仏教は、確かに実存主義の 方向性をもっているのだろうか。 自分の持つ狂気を受け入れ、それと対峙して生きていくという方向性は、 「カラマゾフの兄弟」の「反逆」のシーンでも出てきたけれど。 でも仏教っていろいろあるよね。(大乗小乗だっけ? 東南アジアとかに流れていった宗派(小乗)と、 中国を経て日本へ渡ってきた宗派(大乗)。 個人的には南のほうが好みかな。
権力、これ面白そう。(専攻科目にもちょっとかぶってるし) あんまり勤勉なほうではないのだけれど、 権力の図式は日に日に複雑になってきているよね。 政府→国民だったものが、 国際組織←→政府 ↓↑ ↓↑ → 国民 → …みたいな感じになってきているし。(つきつめると、民間組織やらなにやら、いくらでも増えるし) EUなんかみたいに、国際政府が出現し出し、政府の力も国内で希薄になりつつ、 国民と国際政府や国際機関とのコネクションも現れてきてるし、 ちょっと目が回ってしまう感じ。 でも、結局、今のところアメリカのPower Politicsに世界が突き合わされている 現状もあるから、権力の図式を明確にすることは、権力に対しての自分のアプローチを 意識していく上で便利だね。 抹殺者のほうは、カソリックがメインなのかな。 確かに、キリストの遺体が発見されてしまったらキリスト教の根幹を揺るがす大事件だよね。 うんちくが結構多いのなら確かに勉強になりそう。
いあ、梅原孟は親が好きで家に全部本があるだけ(w。「哲学の創造」という 本は昔読んだことがあって、次は「癒しとルサンチマン」を読むつもり。 梅原孟というと、朝日新聞で一ヶ月に一回ぐらい連載みたいなのやってるんだ けど、一番新しい回で「神は二回死んだ」って言っているのね。 一回目は明治時代の廃仏毀釈運動、二回目が人間宣言(現人神)ね。 それによって日本の神は二回殺されたと。 今、カンサンジュンの思考のフロンティアシリーズの「ナショナリズム」を読んでいて かなりかぶっているかな。特に一回目の神殺しと新たに神を創ったところとね。 ナチズムの本とか最近読んだんだけど、なんかやはりナショナリズムは「ルーツ回帰」 の部分を強調するところはどの国でも変わらないんだなと。
ところで、ケイタソの専攻は何なんですか? 権力はね、フーコーは今までの権力観(A→B)に対して、つまり権力は抑圧的 であるとか、搾取や支配という一方的な関係だけに帰せられるものではない、と いうことを言っている。これは、おそらく他にもフーコーの前に言っていた人間は いるが、やはりフーコーはそれを体系化し、我々にもわかるように示してくれた功績 は大きいと思う。 なぜ我々は「権力」という言葉を聞くと、すぐに「国家」や「王」という言葉を頭に 浮かべてしまうのだろうか、と。そのような否定的な、抑圧的な、「Nonを言う権力」 ではなく、もっとポジティブな側面を持った権力がある、ということを「性の歴史T 知への意志」で言っているんだよね。 我々がそのように考えてしまうのは、おそらく歴史的なものによるところが大きいだろう とも言っている。王の時代、権力の言葉は法として、いわば「禁止」の形で現れていた。 また自分達の権力の正当性を主張するためにも、そのようなイメージを作り上げる ことに腐心してきたともね。
まあ極めて簡略化して言うなら「福祉国家」と言われるようなモデルで、国民の 健康とか公衆衛生とかに気を遣ってくれるような権力だね。 今までの権力モデルは「死の権力」という、君主が臣下の生殺与奪の権を握る ような権力であったが、近代以降「生の権力」という新たな権力が出現し、 最終的には死を行使するが、「国民の生を増大」するような権力のほうに重心が シフトしていったと。だから近代以降、死刑の数はますます減っていく傾向にある。 たしかに年々、権力の姿は捉えにくくなっていると思うのね。 でもやはり一個の共同体に最終的に向かうような方向付けは俺はあると思っている。 そこらへんはまさに力関係で、アメリカの行動に対して最終的に制裁を加えることが できる組織がいないのと同様にね。 でもグローバリズムの影響によって、国境や国民の概念がますます希薄化していく ような気がする一方で、それを拠り所に遠心的にナショナリズムが高まっていく傾向 は凄いあると思うんだよね。いくらヨーロッパが一体になったところで、4年に一回 否応なしにナショナリズムが盛り上がるイベントが二回(WCとオリンピック)あるし(w。
Nationalism、これも結構好きな話題w 専攻は国際政治なのよ。否が応でもでてくる内容ですよ。 Nationalimというと、根本的な問題は「その人の民族感覚」 たとえば、アメリカ移住した日本人の子供がいたとして、 親は「自分は日本人」だと考えていても、 子供は「自分はアメリカ人」だと考えていることもある。 ナショナリズムはすごく感覚的な問題だと思うのよ。 一般的な政治の本とかでは、ナショナリズムを大きく2つに分けていて、 「Civic Nationalism」と「Ethnic Nationalism」 たとえば、Civicの観点で言えば、「朝鮮半島にいる人」は、 「北朝鮮人」だと自分の民族を語る人と 「韓国人」だと語る人と二つに分けられる。 これは、フランス革命から現れた「ある国家の市民としての自覚」としての 民族感覚。 Ethnicのほうは、「韓国人も北朝鮮人」も、「同じ言語、生活習慣、文化、歴史」を 共有する「朝鮮人」として一つの民族、という感覚。 おそらく、「神」という存在を生み出すというのは、後者の民族感覚を生み出すために 使われるんだろうね。
「自分たちのルーツ」という感覚を生み出すことに成功すれば、 政治家たちは自分たちの政策を効率よく行うことができるんだろうね。 一番良い例はイスラエルとかそうだと思うのだけれど。 宗教を信じて、自分たちのルーツと、その民族の目的が聖書に明確に 記されているから、客観的にみれば馬鹿げた暗殺作戦や抗争なんかも 政治的に正当化されてしまうし、国内では文句がでない。 「日本人は日本人らしく生きるべきだ」 この一言で、一体どのようなことを感じるのかを想像すれば、 この一文がもつ力というものが分かるような気がする。 客観的に見たら「そもそも日本人て何よ」って言いたくなるものだけれど、 普通に何も考えなければ、「そうだよね」って思ってしまう人もいるんじゃないかな。 こうした心理的に簡略な要請って、道具として使うと人を動かすのはたやすいのでは? 「民族的な感覚」からくる、「愛国心」というのは、理屈を超えて行動を起こさせてしまう 時があるから、有効なんじゃないかなと。
ぽじてぶな権力というのは面白いね。 市民化によって、力の方向性が「国民主権」(市民←→国家)になったこと からくるのだろうね。 人間は生きるうえでの最低限度の生活をおくることが「できる」 確かに、こうした感覚は一般的に感じる「権力」という言葉からちょっと遠い気がするね。 「権利」というのは、「市民が持つ権力」と考えられるね。面白い。 一人一人が「権利→権力」を持って、それを有効に使い始めたら 一体どこに権力があるのかまったく分からなくなる。 「革命」なんかは、市民がそれを究極的に行使した姿なのかもしれないね。 ナショナリズムを利用すれば、一人一人が持つ権力を、一つの方向へ促すことができる。
グローバリズムが激しく動き出した中でEUがどうなっていくのか、 これはナショナリズムとグローバリズムの対立を図る上ですごく興味深いサンプルだよね。 EUほど早く、効率的にグローバリズムが広がる地域は他にはないような気もするけれど (アラブ国家ってどうなんだろうね)、遠い将来を見据えるとEUの今後は要チェックや!だね。 ただ、ヨーロッパでは広く「同じ歴史を歩んだ」という感覚が少なからずあるらしく、 (たとえば、猛威を振るったドイツ領だった国々とか。あいまいで須磨祖)。 小さな国々なんかも、フランスやドイツと歴史的に協調関係をもって生きてきたから、 ほんのちょっとだけ「ヨーロッパ人」という感覚を持っているんじゃないかな? ヨーロッパでは、2択が残されていると思う。 ナショナリズムが高まり、反EUの方向へ動くか、 「the United States of Europe」としての意識が新たに生まれるか。(問題なのは言語の壁かな…) ただ、EUの政策の利便性を考えると、おれは後者よりなきがする。 イギリスは、サッカーWCではEngland Scotland Wales と分かれるし、スコットランド人の ナショナリズムやレイシズムは酷いと聞くけれど、独立するにはいたってないし…。 日本食ばっかり食べるよりも、イタメシやフレンチやベルギービールやスコッチを 楽しむほうを選ぶ方向に…ならないかなぁw 時を見ないことにはわからないけれど、 人間の本質=「花より団子」におれは( ゚∀゚)ノ イッピョー 明日テストでナショナリズム出る(と思う)から、勉強にナターヨ!!
あげ。
ナショナリズムはね、社会不安の増大との関係性かな、漏れが注目しているのは。 ナチと戦前の日本というサンプルから考えるならばね。よく言われることだが、 ナショナリズム宗教に近いと思うのね。自己の放棄と救済と強烈に結びついている 点も含めて。そしてこれはうまくいっている社会ではなく、何かしらの問題を 抱えている国、また都会よりも外国人と触れ合う機会が比較的少ない田舎のほうで、 高等教育を受けている人間よりも受けていないと言われる人間のほうが、 ナショナリズムに傾倒しがちではないかとね。
「自分達のルーツ」に関して言うなら、というか「近代」という時代を語る上で 「アイデンティティ」を抜きにしては語れないと思うのね。政治家達が自分達の 政策を効率よく行うという面も含めて、社会に有用な人間形成という面でも これはとりわけ重要な問題だと思うYo。社会とはまさに自分達が所属する「共同体」 のことであり、近代社会を生きる我々は徹底的な「ディシプリン=規律・訓練」が 施されている。日本人なら誰もが逃れられないのが「義務教育」だね。 これによってまさに「日本人のアイデンティティ」が植え付けられる。普段は 顕在化しないだろうが、これは「外部」という存在=鏡をもってして強烈に自己 (=「内部」)を照らし出すと思われ。
EUはね、俺も後者のほうに行くと思うのだが、これは相当時間がかかると思われ。 なぜなら「歴史的なしがらみを超えて」というものではまったくなく、 ただ単に「必要に迫られて」というのがポイントだと思う。EUの国々は、もう一つの アメリカ、すなわち「近代におけるもう一つの超大国」になろうとしているんだと 思うのYo。 EU内部における人的資源の流動性、経済の内部完結(EU内における「ブロック経済圏」 的なものの確立)を目指しているのは明らかだが、それは「ナショナリズム」勢力の 台頭が双子のように常につきまとう問題だともね。 もう終わっているかもしれないけど、テスト頑張ってね、であ!
テストも架橋に入ってまいりました。 来週まで2ch休みます。 もう吐きそう…。 これが終われば一時帰国だー。がんがりまつ
今は新約聖書物語という犬養道子の本を読んでいます。 これは「見る」という言葉の神学的解釈(「認識する」)とかの解説があって すごいわかりやすいね。 パッション見たけど、たしかにキリスト教の知識があると楽しめるね。 神殿を三日で立て直すという話や、そういう小ネタが所々にやっとさせる。 マリアと一緒にいるのはヨハネかな、とかそういうこと考えながら見てたYo。 しかし、イエスは神の子だわ。俺はあんなに飲み込みの悪い使徒に対してすぐ 見放してしまうだろうから。「肉」と「霊」、「光」と「闇」の二項対立関係、 聖書は本当に面白いね。旧約の知識がないと新約のほうは楽しめないというのも わかったかな。徹底的に自分達の教えのほうが「優れている」というプロパガンダ 的なところは大いにあるだろうから。 体に気をつけて試験頑張ってね〜!であ!
テスト終わった〜。 今日から夏休み(早っ)! なんか、この前は春休みじゃなかったかとか突っ込まれそうだけど。 中旬には、念願の一時帰国ができるからちょっとテンション高いですw パッション、見に行ったんだね。 おれは聖書の知識ほとんどなしのときに見に行ったから、 今聖書の解説書とかで後手にまわってしまったよ。 最近「偶像の黄昏」を読み始めたのだけど、 キリストっていわゆる「超人」なのではないかなと思い始めています。 たとえ、ニーチェにとって彼の「愛」が人間の真実ではないのだとしても、 一度、既存の道徳観(律法)を打ち壊して、自らの道徳観を 打ち出したキリストは、僕にとっても確かに尊敬に値する人なのだと思います。 キリスト教肯定派とニーチェの関係で、一番親密なのは どうやらドストエフスキーらしいです。面識はないらしいのだけど、 ニーチェ自身が、 「何週間か前まで、ドストエフスキーという人物を知らなかったのだが、 先日本屋でその機会にめぐまれたとき、本能的な親密感におそわれた」と語ってるみたい。 こうした視点で見てみると、ニーチェとドストエフスキーの考えというのが本当に近い感じがする。 驚きなのは、ニーチェはドストエフスキーの本に出会う前に 「ツアラトゥストラ」「善悪の河岸」などを出版していて、 いかに自然にこの二人の思想が重なったかということ…っておまけページに書いてあったよ。