ドゥルーズスレでもつれたので作成。
687 :考える名無しさん :04/03/13 01:02
>>683 →確かに、数学は演繹なんだよ。そうじゃないと例外が起こってはまずいわけだ。
おめーは論理学の基礎から学び直せ。
→しかし、数学が不変の真理を導き出す数式を発見できないとしたらそれは、修復可能性を前提にした科学になると言っているのだ。
「修復可能性を「前提にした」科学」とか無知を晒すな。
→数学と言う古典時代の哲学の砦も、無限の組み合わせの問題で
つまずいたって事だ。
古典時代の哲学の砦?何を言ってんだ?哲学史の勉強をしなおせ。
無限の組み合わせの問題でつまずいた?定義抜きの高説=フランス馬鹿
→ポスト・構造主義の求める内在の哲学の前提でもあるんだよ。
はあ?死ねや〜おしゃれぶってんなカス。
数学も論理学、科学史、哲学史を踏まえるコスト払わずに浮き浮きしてんな、ぼけ。
なんとなくな数学とか、なんとなくな分析哲学とかは見るにたえねーんだよ。
「論理的に」とか「形式的に」とかレトリックに頼って自慰してんな。
689 :パレルゴン :04/03/13 01:11
687
質問1)論理学には興味ないな。しかし、基礎ってなんだ言ってみろ。
2)「哲学史を勉強しなおす」所はどこだ言ってみろ。
ただ批判してる。感情的な発言を続けて。
お前こそ何を勉強しているんだ。良く本を読め。
お前の意見の方がなに言ってんだか。もっと論理的に書くんだな。
まだ早いよここに書くのはな。先ず、礼儀を覚える事だな。
お前はガキか?
690 :考える名無しさん :04/03/13 01:16
>>683 >しかし、数学が不変の真理を導き出す数式を発見できないとしたら
大昔はいざ知らず、現代の数学は絶対の真理を導き出そうとはしていない。
しかしある公理系内の演繹の連鎖という「数学における真理」の意味においては、
未来永劫不変の真理を見つけてきたし、これからもそれを目的とするだろう。
>それは、修復可能性を前提にした科学になると言っているのだ。
数学の場合、修復とは別の公理系の創設とそこへの乗り換えということだろうが、
既に書いたように、過去の遺産が意味を成さなくなるような公理系の変更はおこなわれないだろう。
5 :
考える名無しさん:04/03/14 01:10
これじゃ、まあ、もつれて当然でしょうな。(藁
691 :パレルゴン :04/03/13 01:17
喧嘩はやめて、それでは論点を纏めよう。
1)数学は演繹だ。しかし、数式が永遠の真理を表せない。
2)パラダイム・シフトは少しずつ過去の遺産を引き継ぐ
形でしか起こらない。(君の意見)
急激に起こりうる。(私)フーコーの「知の考古学」を参照。
3)それ以外の点については、夫々興味がない。
接点はない。
以上
693 :考える名無しさん :04/03/13 01:19
「数式が永遠の真理を表せない」って何のことだ?
694 :
>>691 :04/03/13 01:25
数学が演繹であるかいなかということと、数学のゲームがどのように
進行しているかということの間に強い相関を見い出すあなたの論拠は何?この論拠を積極的に提出して。
パラダイムをクーンが提起した際に問題にしていたことが、
「真理」の相対化であったのか、「科学」というゲームの社会学的な観察であったのかは議論が分かれる
はずだけど、とりあえず言えることは「パラダイム」の転換がドラスティックであるか否かはクーンは
「パラダイム」という概念を提出した際に問題にしていない。
あなたがドラスティックである「可能性」を否定できないという意見を提出することで
意図することがイマイチわからん。説明して。
695 :パレルゴン :04/03/13 01:28
690さん
やっとまともな答が返ってきたことに感謝するよ。
687って何だいあいつ。言葉のしゃべり方を知らない奴が
哲学なんて出来るとは思えないな。まず、真摯に、人の事を考える
態度。それがないのに、高等な思考もあったもんじゃないだろうな。
まず、そこからやる事だろう。そうじゃないと、あんな奴が、大学の
教授にでもなったら、日本も終わりだろうな。
690さんには感謝しているが、数学からは、簡単に全く公理系を創造できない。
なるほど。私の意見はもう既に発表していますので、お互いに併記と言う事で。
ポスト・モダンやポスト・構造主義には、大きな自由を開こうとしているとだけ
言いたいですね。哲学が、恣意的体系の中にあるとするなら、創造しかない
と言う事です。
697 :考える名無しさん :04/03/13 01:30
>>691 1)永遠の真理とやらが何を意味しているのかわからないが・・・
とにかく、現在では、数学が現実世界の真理を記述しているとは誰も考えていないでしょう。
非ユークリッド幾何が発明(もしくは発見)された今でも、そしてこれからもおそらく永遠に
ユークリッド幾何学で成立する定理の正しさは否定されない。適用範囲が修正される、あるいは正しく認識しなおされるのみ。
定理の数式が成立するような空間が、この宇宙ではなく、Euclid空間というきちんと数学上で定義された空間である
ということが明示的にはっきりしたというだけ。
ピタゴラスの定理が、将来、誤りであったと認識されることは、ほとんど絶対ありえないだろう。
701 :考える名無しさん :04/03/13 01:42
数学は演繹だっていうのは、「すでに構成された公理系の中で延々と
定理を発見・証明し続ける作業」みたいな数学観。つまらん。
702 :パレルゴン :04/03/13 01:42
パラダイムの変換は徐々に起こるとは思えない理由。
1)布置の組替えは夫々の要素間の突然の変異によっておこり
それが、次々と伝染していくと考えられる。
つまり、ある分野(数学・哲学・芸術・医療・学校・軍隊etc)
の要素組替えのあり方が、分野を横断的に超えていくと言う事。
この事は、夫々の分野のみで、変革が起こるのではなく、
変革は全体系の相互布置によって起こされるのだと言う事。
2)こう言う変換は個人的にも起こすとするのが、ドゥルーズ・ガタリ
だと言う事。それが器官なき身体であり、抽象機械なんだという事。
つまり、今、討議している人達は数学・論理学専攻だとすると
こう言う、発言はもっとも分からない事だろうと思うが、
真理、公理、なる言葉は形而上学として、個人に抑圧的に作用する
と言う事を批判するのがポスト・構造主義だと言う事だ。
ここのところが見えないと先ず分からないと言う事だ。
数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事、それは、真理と言う物の
組織による捏造を暴くと言う事でもあったんだ。
704 :考える名無しさん :04/03/13 01:50
もっとも駄目な解答だと思うよ。
>>702 「「真理」や「公理」が抑圧として働く」ということは
個別具体の文脈、事象に即して述べることで意味を持つ
のであって、「数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事」
が「真理と言う物の組織による捏造を暴くと言う事」とい
う謎の発言を「パラダイム」の問題(?)に置き換えるの
もすごいおおざっぱだと思う。パラダイムという概念が明
らかにしようとしたことは、「数学と言う客観主義」という
神話それ自体を問題にしたのだから、「数学と言う客観主義
の砦をもてあそぶ事」という発言自体「パラダイム」という語
をマジックワード化しているとおもいまつ。
707 :パレルゴン :04/03/13 02:03
最後に、数学がゲームだとは言っていません。
ウイドゲンシュタインの「論考」から後期の「探求」に変わるにつれて
意見が180度転換したのは知っているよね。
つまり、前期には言語の能力を信じていた。しかし、後期になると、
語れない事を認めた上で、言語による表現能力にゲーム性を加えたと言う事
だ。つまり、コンスタティブにパフォーマティブが加わったんだね。
このことを言っているんだよ。
2)「真理の掌握可能性」とは数学、論理学、科学、宗教など一般的に
形而上学と言われている学問が前提にしている基礎なんだと言う事。
この前提が疑われていると言う事が言いたかったわけさ。
そこに、ポスト・構造主義、ポスト・モダンの批判の基礎があるって事。
それでは、今日はこれで。
713 :パレルゴン :04/03/13 02:25
確かに、公理系という不問の点を前提にしている点は
面白くない。その考えない前提とは、フロイトの原抑圧
デカルトの我思う、デリダの原暴力、
ラカンの原エクリチューのような物なのよ。
そこを言っているんだけど、理系の人はわかりにくいと言う事
も事実、それはそれで、前提だからね。
715 :考える名無しさん :04/03/13 02:29
あなたはちょっと興奮気味じゃないのかな?フロイトとデリダをつなげて
考えるのはいいが、それとデカルトのコギトとどういう関係があるのか、
その文面では判断のしようもないね。
716 :考える名無しさん :04/03/13 02:34
「理系の人」というラべリングで何を示したいのかはわからない
んだけど。同時に「公理系」は何ら不問ではない。問うことが有
効であれば問うだけ。あるいは反例によって問題とされれば問わ
れるだけ。フロイト、デカルト、デリダ、ラカンの諸概念がどの
ような関係性を持っているのか、あるいはその関係性を述べるこ
とで何を示したいのかがわからん。あと、「パラダイム」という
語の理解は絶対的に間違っているからとりあえず野家の本だけで
も読んでから述べたほうがいいと思われ。あと、パッチワークが
説得的な効果を持たない場合、ただのファッショナブルなナンセ
ンス(分かってると思うけど)。
722 :パレルゴン :04/03/13 07:33
おはよう。
パラダイムについて以下に書きます。
全て引用です。
「科学は究極の真理を目指して、累積的に発展・進歩し続けるのではなく
それまでの模範的な考え方自体が別のものに取って代わり、断続的に
転換する。これが科学革命であり、科学者が通常期に模範とするような
標準的業績のことを、クーンは「パラダイム」と読んだ。科学革命によって
パラダイムは転換し、その前後では、使用される様々な概念は「通訳不可能」
であって、相互翻訳は不確実にとどまる。パラダイムはその後、思考の枠
組みと言う意味で一般的に拡大解釈され、20世紀の大流行語となった。」
講談社 現代思想の冒険者たち「クーンパラダイム」 野家啓一著
と言う事で、上記の定義正しければ、パラダイム変化前後で通訳不可能なまでに
模範的な考え方が激変すると言う事になるね。
よく読むのはどっちの方だろうか?分かるよね。
723 :考える名無しさん :04/03/13 12:54
>722
716じゃないけど。
> パラダイム変化前後で通訳不可能なまでに
> 模範的な考え方が激変すると言う事
その解釈なら、古典力学→量子力学 はパラダイム転換ではないですね。
量子力学は古典論を包摂する基本理論とみなせます:h→0の古典極限。
一般相対論だって、特定の局所系での極大スケールでない現象の記述は、
古典力学と一致します。
すると物理学では、これまでのところパラダイム転換はただの一度も起こっていない?
724 :考える名無しさん :04/03/13 13:08
このスレでそういう話は終わりにして欲しいけど、
最近理系の人間の間では、パラダイム論もなかったことにしたい様子。
科学的探求に対する外野の批判は聞きたくないはず。
だからこの話題で引っ張ると、またソーカル厨がわくと思う。
725 :考える名無しさん :04/03/13 13:20
> このスレでそういう話は終わりにして欲しいけど
はい。
> 最近理系の人間の間では、パラダイム論もなかったことにしたい様子。
最近ではなく、そもそも直後からいかがわしいという声も多かったのですが。
つまり実態を知らずに翻訳不可能だと思うあたりが。
たしかに決定論的な考え方からすれば、量子論はまるで別世界の理論ですが、
今の物理は、極微の世界を含めて語るため決定論的世界観を捨てたのです。
量子力学の側からは、舞台を通常スケールに限定することで、
古典論の世界観を得ることが出来ます。
26 :考える名無しさん :04/03/13 15:40
>>722 最後ね。その大流行となった「パラダイム」語の一人歩きに対して
クーンがその後のポパーとの対決等から「科学革命」に重点をおく
のではなく「通常科学」側に力点を置くようになった、ということ
も野家は書いているはず。邦訳もあるSecond Thoughts on Paradig
ms(1969)の最後でクーンは次のように言っている。
「「パラダイム」という用語を導入したのは、科学者共同体の成員
の帰属関係を調査した際に、そのグループにおいて疑問の余地なく
認められている探求のありかたを十分説明できるだけの規則を彼等
が共有している規則のうちに見い出すことが出来なかったからであ
る。そこで私は、成功した実践事例を彼等が共有していることのな
かに、規則という形ではそのグループに欠ているものを補う何かが
あるに違いないと結論を下した。それらの模範事例がその共同体の
パラダイムなのである。。。模範事例がそのような機能(共有され
た規則が普通持つとされる認識機能)を果たすならば、知識は規則
によって統括された場合とは違ったように発展する。これを理解す
るならば「パラダイム」という用語はいらない。」
→続く
19 :
考える名無しさん:04/03/14 01:17
カリスマあるいは天才がパラダイムを一気に変貌させる。
727 :考える名無しさん :04/03/13 15:49
→続く
つまり、「パラダイム」という用語によってクーンが導入したかった
こととは、「共有されている規則」とは異なる発展を持つ認識機能と
しての「模範事例」の提出をすることで、「真理を追究する科学」「
演繹としての科学」という神話を地面に降ろすための概念であって、
科学革命という語の持つジャーナリスティックな「科学」観ではない。
そのことは野家も「科学の解釈学」や「クーン」の中で何度も述べて
いるはず。恣意的な引用でパッチワークすんなってゆーのはこう言う
こと。あと、(1)数学が演繹であるかいなかということと、数学の
ゲームがどのように進行しているかということの間に強い相関を見い
出すあなたの論拠(2)数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事、そ
れは、真理と言う物の組織による捏造を暴くと言う発言の意味、意図
に対しても解答よろ。この議論に興味が無いのであればそれで終了で
無問題だし、これから勉強するでも無問題。
728 :考える名無しさん :04/03/13 15:52
あと、allへ。スレ違いですまん。とゆーか、無駄なこと
のように見えるが漏れはどうしてもレトリカルにドゥル
ーズを回収しようというパレルゴンたんの態度に苛立って
(釣られて)しまいますた。パレルゴンたんにも謝罪。
729 :考える名無しさん :04/03/13 16:16
あと最後に補完。クーン、ファイヤーアーベント等の基本的な対決相手は
論理実証主義。要は彼等の言いたいことを叱られることを覚悟でまとめれ
ばハンソンの「理論負荷性」の概念、「観察はテスト命題と観察命題間の
対応説によって真/偽を判断する(という合意説)」という文における括
弧内を明示的に示そうとしただけ。それをクーンは「科学史」をいかに扱
うかという問題意識において展開したのであって、その意味では「科学史」
の方法論(といったら叱られんのか?)。その後の野家の「物語り」論も
含めて、何ら通俗的な意味での相対主義を煽るものではない。
「コンテクスト限定的」という言明から「真理の相対化」という
言明の間にはまた別の論証が必要でしょ?あと、「真理の相対化」という
言明によってドゥルーズが生きたり死んだりするの?むしろ死ぬんじゃない?
730 :考える名無しさん :04/03/13 18:48
くーん「くぅーん」どうするアイフル〜
クーンはパラダイムを猛スピードで乗り捨てて、マトリクスとかいうのに乗り換えなかったか?
俺の勘違い?
731 :考える名無しさん :04/03/13 19:14
専門母型→disciplinary matrix
732 :パレルゴン :04/03/13 23:39
いやいやすっかり科学・数学の客観主義的・真理掌握信奉者の論理が花開いていますなぁ〜。
それと、わかりにくい説明。よって、再度以下に質問点を書きましょう。
前段:どのようにして、貴方は、コンテクストによる、「引用性」による
多様な意味の現われを、一元的な意味に還元できると言えるのか、説明すべきですね。
貴方の論理を、明確にするために質問ですが、
1)パラダイムシフトは起こらないのか?
2)起こらないのならば、その理由を述べよ。
3)起こるならば、貴方の真理掌握とは絶対真理ではなく、コンテクスト
の多様性を認めているのか?この場合パラダイムの変換とは、コンテクスト
の変化と同じと言う立場を指している。
4)数学、科学は普遍の真理を掌握できるのか?
5)出来るとするならばその背景はどのように証明できるのか?
所謂メタレヴェルの無限後退(ラッセルの階型論)は避けなければならないが。
私には絶対真理を掌握すると言う数学=科学の前提はもろくも崩れ去ったと見ているが?
最後に、構造主義に対して、貴方はどのように考えているのか?
恣意的体系としの構造を離れて存在出来うるものなどないと言われるのに。
(この恣意的体系には思考パターンも含まれる。)
また、フーコーの言う言説については如何に考えるのか?
これだけ言えば、もう答えられないと思うけどな?
最後に、引用性については、デリダの重要な概念であり、引用を制限する
貴方の態度はまさに形而上学的であると言う事だ。自由に対する制限
をもって唯一の真理(読み)を正当化する。権力による外の排除と言う事が
隠されているんだよ君の考えには。
733 :考える名無しさん :04/03/13 23:43
またやってんのか? 専用スレ作ったら?
734 :パレルゴン :04/03/13 23:46
はいよ。了解。
735 :考える名無しさん :04/03/14 00:20
>私には絶対真理を掌握すると言う数学=科学の前提はもろくも崩れ去ったと見ているが?
数学者でも物理学者でも、
まともな者は「絶対の真理(なんだそりゃw?)」なんぞ求めていない。
自然界から読み取れる構造に関して、
できるだけ広汎で普遍的な像を求めようと努力はしている。
絶対の真理を掌握したつもりでいるというあまりに馬鹿馬鹿しいレッテルを勝手に張り付けて
「もろくも崩れ去った」などとはしゃいでいるのは、
理系コンプレックスを解消したいだけの屑。
物理学者は理論を追求し、実験結果とつき合わせて、矛盾があれば
新しいアイデアを提案している(例 各種の弦理論)
数学者は様々な公理を提案し、具体的な理論を組み立てている。
( 例 Non−standard−anarisys、トポス、モチーフ)
科学者は公理を疑って、その上で代替案を提案する。
現代の哲学者は、全然知識がない領分で、単に批判する(しているつもり)だけ。
要するに最後まで何物も提出しようとしない。
批評家にすぎない。
もしくは、何割かが自らそうのたまっていたように、
日常言語による芸術家きどりなのだろう。
737 :726≠735 :04/03/14 00:46
まず第1に質問に質問をかぶせるな。昨日の電波のうなった貴方の発言
を脇に置いて「科学・数学の客観主義的・真理掌握信奉者」のレッテル
張れば満足っすか?わかりにくい説明?貴方が「パラダイム」1つ理
解せずに定義抜きで使用した挙げ句に被引用の制限性に「権力」発見!
ってか?野家の分かりやすい日本語1つ読めない人間がフランス語理解
できるんすかね(まあ、それはどうでも良いけど)?質問には答えるが、
(1)数学が演繹であるかいなかということと、数学のゲームがどのよ
うに進行しているかということの間に強い相関を見い出すあなたの論拠
(2)数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事、それは、真理と言う物
の組織による捏造を暴くと言う貴方の発言の意味、意図に対しても解答
よろ。
738 :726(スレ違いまくりです) :04/03/14 00:47
1)パラダイムシフトは起こらないのか?
→起らないとはいっていない。起るか否かがクーンの「パラダイム」という
概念において着目された問題ではないと言っている。その説明のために「科
学史」の方法論としての「パラダイム」「物語り」という概念を説明した。
大体、「起った」かどうかという問題と「起るか否か」という問題は枠組み
が違う。以上より2)は却下。
3)起こるならば、貴方の真理掌握とは絶対真理ではなく、コンテクスト
の多様性を認めているのか?この場合パラダイムの変換とは、コンテクスト
の変化と同じと言う立場を指している。
→まず「真理掌握」という語の意味を説明して。何度も言うように、「テスト命題」
と「観察命題」という二階を梃子とした論理実証主義に対する批判こそがクーン
等の試み。「パラダイム」と「コンテクスト」を同義で使いたいという貴方の
意図は理解できたけど、そもそも「パラダイム」と「コンテクスト」を同義で使
うことは少なくともクーン/フーコーの枠組みにおいては無理だろ。
739 :726(スレ違いまくりです) :04/03/14 00:49
4)数学、科学は普遍の真理を掌握できるのか?
→ごめん、問題の意味がわからん。説明よろ。
5)所謂メタレヴェルの無限後退(ラッセルの階型論)は避けなければならないが。
私には絶対真理を掌握すると言う数学=科学の前提はもろくも崩れ去ったと見ているが?
→すごい発言。論理学勉強してる人間にとっては唖然とする発言なんだが。数学=科学
(の=が何を意味しているかわからんが)の前提が崩れさったというレトリックの意味は?
6)構造主義に対して、貴方はどのように考えているのか?
恣意的体系としの構造を離れて存在出来うるものなどないと言われるのに。
→ここでいう「構造主義」という語が示す範囲は?ストロースのボードレール分析?
それともブルバキの権威借り論文?フーコー限定?アルチュセールのLCの序文?
ドゥルーズの論文限定?あと「恣意的体系」という語の意味がわけわかめ。
740 :726(スレ違いまくりです)
740 :726(スレ違いまくりです) :04/03/14 00:52
7)また、フーコーの言う言説については如何に考えるのか?
→系譜学の方法論。
8)引用性については、デリダの重要な概念であり、引用を制限する
貴方の態度はまさに形而上学的であると言う事だ。
→馬鹿かと。デリダが「引用性」を語っている文脈を無視したうえで
勝手に流用することで自身のクーン=野家の「パラダイム」概念の
誤用を正当化してどうする。引用の制限=形而上学的?デリダが何
の文脈でそんな自らの首を絞める発言をしてるの?説明よろ。東と
か言うなよ。
9)自由に対する制限をもって唯一の真理(読み)を正当化する。
→意味がわからん。
10)権力による外の排除と言う事が隠されているんだよ君の考えには。
→馬鹿?
以上。あと、<真理掌握>って超越論的語用論踏まえてるわけではないよね。
スレ立てる?
<真理掌握>「パレルゴンVS誰か」<ナンセンス>みたいな感じで。
乙
自身の論理性の欠如を棚にあげ
対話者に「理系」レッテル張っ
た挙げ句自身の「パラダイム」
概念の誤用をデリダだか東だか
の権威を借りて正当化した挙げ
句に被害者面してるパレルゴン
たんま〜だ〜?それとも既に別
ハンドルになったの??
プププ
イグアノドン逃走
くだらね
>>33 君と私のコンテクストの相違があるのでプププププ
コンテクスト厨房来た〜。
イグアノドンの捨てゼリフのコピペだろw
742 :パレルゴン :04/03/14 07:40
かみ合わない討議はやめましょう。
貴方はそんなに大きく私とは違っていない面もあるが、
姿勢が「自分は知っている。お前は知らない。」と言う
前提で話している。つまり、意見が近いところでも、否定的に
差異を強調すると言う姿勢である。
はっきり言って、相互交流は無理だと言う事だ。
それにしてもその自信はどこからきたのだろうか?
真理とは外の世界を数学=科学で絶対に理解できるとする、
デカルト的な意味です。分かるよね。その事をそれ以上
分解してはいない。貴方は、理系独特の思考かどうかは別として
その事に条件をつけるようだが、全く人の言っている事を
そのまま理解しないな。
まあ。フーコーのエピステーメーの概念も分かっているのかな。
時代がそのコンステラシオンによって変わると言う事。
ドラスチックにかわる。この考えと、パラダイム変換と
コンテクスト的なデリダの「散種」他の考えを総合して
意見を述べたんだよ。単純にパラダイムとは言ってないよ。
それと、再度言うが、ある「引用」はどのような背景にあるかを
示して、それは違うなんていったら、ポスト・構造主義
言っている(書いてある事)を否定すると言うデリダのエクリチュール
論と正面的にぶつかるんだけど、大丈夫?
それでは、これ以上は君と私のコンテクストの相違があるのでーーー
頑張れよ!物理学=数学 真理は(外をそのままの姿で捉える事)でしょう。
400 :パレルゴン :04/02/28 00:04
存在論的、郵便的。「幽霊的反覆可能性=複数性に苛まれるだろう。」
66P参照。
derridaも読んでないかもこの人。
存在論的郵便的うん、東ね、読みたくないな。
ポーの「盗まれた手紙」=ラカンの大文字のA
電波って自己完結しているから何を言いたいのかわからない
>>39 君と私のコンテクストの相違があるのでプププププ
42 :
考える名無しさん:04/03/19 01:58
僕は数学について語っているのではないのだよ。
数学的なものについて語っているのだよ。わかるかい?坊や。
ランシエールも読んだことないのかい?
僕はつまり、数学的なもののリビドーが達成されていないこと、
数学的なものが常に大文字の他者=哲学との差異を捉えきれてないと言っているのだよ。
結局、フッサール的な危機を超えられてないのが数学的なもの。
数学的なものを完全に捉えたのが哲学。
数学的なもののディセミナシオンも限界にきているみたいだし、
そろそろ哲学が本気出して数学的なものの精神=亡霊を厄払いしないとね。
43 :
考える名無しさん:04/03/19 02:02
数学的なものを精神分析すればわかることだけれども、
それはスキゾフレニアそのものだね。つまりパラノイアなんだよ。
デデキント的な切断によっての哲学の超越数的な力強さ。
ゲーデルの不完全性定理によって露呈しそれ以降まったくダメな数学的なもの。
それを回収じてきなのが、数学的な非対称性なエクリチュール。
哲学の対称性エクリチュールのゲージ場が理論的にコンテクストの可能性を広げているのに対して、数学的なものは常に閉じている。
> ランシエールも読んだことないのかい?
これがドキュソたるゆえんなのだ。
行列力学教えてください → 肥前ベルク呼んだことないのかい?
こんな馬鹿げた返答が通用するかい?
まあこうして低能がいつまでも果てしなくしらをきり通すことも
原理上可能なのが哲学の偉大さだよなw
45 :
考える名無しさん:04/03/19 02:07
数学的なものの=閉多様体。哲学的なもの=ヒルベルト空間。
哲学の対称性、超膜性、無限小性=微分性=差異性が完全にトイレの芳香剤のプロトコルだよ。
原始帰納的関数のように、グロタンディエクのモチーフのように・・・
ラララ〜無人くん〜春のエルアイクニスがワンダフルなのさ。
46 :
考える名無しさん:04/03/19 02:10
>>43 あまり無知を晒すと、哲学徒にすら馬鹿にされますよ。
>ゲーデルの不完全性定理によって露呈しそれ以降まったくダメな数学的なもの
基礎論に通じている人もこの板には出入りしているようですから、
不完全性定理の意味するところを、きちんと教えてもらった方がよいです。
47 :
考える名無しさん:04/03/19 02:13
>>45 モチーフについて、具体的に教えてください。
48 :
考える名無しさん:04/03/19 02:18
>>47 モチーフとはコホモロジーを従属させる者の謂だよ。
モチーフの哲学。グロタンディエクの考えたものは限りなく美しい。
そのクリスタル、グロタンディエクのガロア理論。
我々が生きているのは、ユークリッドのような世界。
来るべき世界とは全てがファイバー空間のようなラグランジュ部分多様体なのだよ。
モチビックコホモロジーのおかげでモチーフについての研究も少し進んだよね。
51 :
考える名無しさん:04/03/19 02:23
>>42 貴方はご自身で自覚しているように、
数学ではなく、数学的なものについて語っているのですね。
貴方がなにを「数学的なもの」と感じようが、基本的には自由ですからかまいませんが、
でもひとりよがりの解釈で
>結局、フッサール的な危機を超えられてないのが数学的なもの。
数学的なものを完全に捉えたのが哲学。
数学的なもののディセミナシオンも限界にきているみたいだし、
なんてことを書くのは、哲学に対しても貴方の理解が浅薄であることを露呈するのみならず、
失礼ですらある。
>そろそろ哲学が本気出して数学的なものの精神=亡霊を厄払いしないとね。
ご自身の妄想による亡霊を相手にするのは、貴方の自由です。
52 :
考える名無しさん:04/03/19 02:26
>モチーフとはコホモロジーを従属させる者の謂だよ。
なんだか哲学的(?)な答ですね。
カテゴリー論的に説明してほしかった。
盛り上がってまいりました〜
>>49 また言葉だけをもてあそぶ輩かw
今がユークリッド的?
来るべき世界?
グローバルに時間軸がとりだせるのか?
ファイバー空間のようなラグランジュ部分多様体?
よくわからないのだが、パレルゴンだと皆様信じているの?
なわけないよね。俺のネタに付き合ってくれてるだけだよな。
あっよかった
>>54はパレルゴン以外の馬鹿だと分かってくれているのね。
57 :
考える名無しさん:04/03/19 02:39
高次元の曲がった空間の幾何学とリーマン予想と積分変換と結び目理論を探究せよ。あるいは自然界の四つの力とゼータ関数の関係。
存在の結び目性はやはり疑うとなき事実なのだ。
これを理解しないでトポロジーをやる輩は愚かなのだ。
三歩歩くと忘れる鳥頭君へ。
「ディセミナシオン」という語を以前パレ
たんが使っていたということだけから
仮に
>>42たんがパレルゴンであるとしよう。
>>37で彼はこう言って「対話」が不可能で
あると言った。「姿勢が「自分は知っている
。お前は知らない。」と言う前提で話している」
そして今彼は次のように言う「わかるかい?坊や。
ランシエールも読んだことないのかい?」名前を
出すのは勝手だ。ただ卵子エールがどこで何を述べ
今ここで卵子の名を出すことが対話において持つ
メリットを示さない限り、貴方の発言はただの
卵子エールの名を借りた権威主義であり、貴方の
好きな言葉で言えば「「「真理」や「公理」が抑圧
として働く」ということを実践していることになる。
そして釣りにかかる
>>58。
パレルゴンたんはsageを使わない人。
60 :
考える名無しさん:04/03/19 02:42
例えばバナッハ・タルスキ空間を考えよう。
それはソ連崩壊を予言していたし、紙オムツのメトノミーでソクラテスを復活させた。
つまり非線形なトポロジカルなものを考えると言う事はエロースとアガペーのダブルバンドル。
ZONEのMAIKOが可愛すぎる。ロリコンと呼ぶなよ。ナボコフの政治哲学を理解なき理解によって理解している俺様を。
61 :
考える名無しさん:04/03/19 02:46
>>58 ぷむぷむ。ランシエールを何故持ってきたかって?
それは簡単な事だよ。ランシエールは「政治については語らずに、政治的なものについて語る」と言っていたじゃないか?
だから私も数学については語らずに数学的なものについて語るのだよ。
62 :
考える名無しさん:04/03/19 02:50
それでは寝るとするか、その睡眠はまるで霞ヶ関のエンサイクロペディア。
まさしくエートスのエコノミーなのだ。カリフォリニア巻は私の口に合わないのでな。
赦してくれ。いや括弧いれの『赦し』てくれだ。括弧いれしようね。坊やたち。
我々がダーザインなシニフィエでありノエマなのだから。
63 :
考える名無しさん:04/03/19 02:52
例えばバナッハ・ビガロ空間を考えよう。
それはソひア崩壊を予言していたし、紙オムツのメトノミーでソひアを復活させた。
つまり非蛾露アリスメティックなものを考えると言う事はエロースとアカンベーのダブルマック。
石川が可愛すぎる。勝利宣言と呼ぶなよ。蛾霧の政治哲学を理解なき理解によって理解している俺様を。
64 :
考える名無しさん:04/03/19 02:58
上昇するリゾームな平面を代数的なサイクルによって分類可能系に分類したとしても、
結局それは双有理変換によって同じものにされてしまう。
換言すれば楕円曲線の裏側の楕円積分についての話しだ。
65 :
考える名無しさん:04/03/19 03:05
もうちょっとまじめにイグアノドンを釣ったらどうすか?
言葉をもてあそんでいるばかりでは、哲板の名折れでしょ?
やってるね。数学は君に任せる。おしえてくれ。
リーマン曲線、フラクタル、熱力学第二の法則、
非ユークリッド幾何学、多様態、もう数学壊れそう。パッチワークしなくっちゃ。
早く、数学が人間の自己言及性によって矛盾に満ち溢れている
事は否定しないとね。人間の恣意的体系ではまずい。数学博士宜しく。
階型論による苦しみから開放して!!!
外の物質的な空間は物質的な一貫性のある因果で支配されている。
だから、数学的な解析=説明は、それ=神の原理に触れる事の出来る
唯一の手段である。その神の足跡に触れる時、数学は神の姿となる。
プラトン的妄想。(イディー)
69 :
考える名無しさん:04/03/20 00:34
ぴか〜
パレルゴン
パラノイア
間違いない!
>>66 数学はこの世界の絶対的真理を目指しているという勘違いはまだ収まらないのか?
絶対的真理、そんなものが実際得られるのかどうか、
またなにをもってそれを悟ったと言えるのか、
そのようなことは数学の管轄外。
そのことをもって数学、理論物理等を見くびりたいなら、どうぞご自由に。
言語の芸術だかなんだか知らないが、現実に人間のアクセス可能な知の世界を着実に拡張しているのはどちらか、
その判断は各自に任せるよ。
>>66 > 人間の恣意的体系ではまずい
プッ
人間の脳というフィルターを通してしか、なにごとも表現できないよ。
物理主義と自然主義を混同するな。
クオリア馬鹿は死ね。
>>66 >人間の恣意的体系ではまずい
はあ?数学が恣意的に書き連ねたものだってか?
そういうと今度は
>>68で厭味を言ったつもりか。
両極端にしか考えられないのか。
これだから阿呆は困る。
75 :
考える名無しさん:04/03/20 13:59
数学=科学は亡霊すらいない、お墓でのんびり眠っているというのに、未だに近代科学を信奉してやまないんだね。
それとも数学=科学の亡霊を召喚しようとでも?無理だよ。
すぐ真理を捉えられないのが暴露され、宙吊りにされ、またお墓に逆戻り。
数学が意図的な結合、屈折に充ちたものであることは、カントールの対角線論法でお分かりだろ?
真に重要なのは、不完全性定理ではなくて、連続体仮説なんだよ。
結局、ゲーデルは連続体仮説を証明できないという証明をしてしまった。
つまり数学は数学によって破壊されたんだよ。
いや、違う、ゲーデルは数学者ではない。20世紀の最も偉大な哲学者の一人だ。
これによって、数学の体系はいままで強引に繋ぎ合わせてた理論が崩壊した。
シュウィンガー関数から導かれるポアソン方程式を考えてみたらわかるだろう?
ユークリッド計量がどの程度正確なのか。
それにもかかわらずミンコフスキー計量なんてものが登場する。
この不確定性が正しさを主張できるというのかい?
もう終わってるので
================== 糸冬 了 ==================
>>75 また電波か。
>>数学=科学は亡霊すらいない、お墓でのんびり眠っている
レトリックで自己満足。
>>未だに近代科学を信奉してやまないんだね。
とりあえずてめーが誰よりも「近代科学」に捕われてること
は明らかだな。てめーのいう「近代科学」の定義は良くわか
らんが。一生脳内「近代科学」と遊んでろ。
>>カントールの対角線論法でお分かりだろ?
>>真に重要なのは、不完全性定理ではなくて、連続体仮説なんだよ。
>>結局、ゲーデルは連続体仮説を証明できないという証明をしてしまった。
>>つまり数学は数学によって破壊されたんだよ。
>>いや、違う、ゲーデルは数学者ではない。20世紀の最も偉大な哲学者の一人だ。
新書レベルの知識ですか?ゲーデル論文読まずに運のみ発言
すんなや。こーゆう馬鹿が馬鹿を撒き散らすから「はいはいポモね〜」
って言われてソーカルだの金森修だの馬鹿がのさばるんだろうが。
>>数学の体系はいままで強引に繋ぎ合わせてた理論が崩壊した。
「強引」ってなんだよ。
>>シュウィンガー関数から導かれるポアソン方程式を考えてみたらわかるだろう?
>>ユークリッド計量がどの程度正確なのか。それにもかかわらずミンコフスキー
>>計量なんてものが登場する。
ぷ。
>>この不確定性が正しさを主張できるというのかい?
おめーが勝手に「数学=科学」=真理把握とか言った
挙げ句に自分の作った妄想と対決ですか。おめでてーな
ポモ馬鹿終ってる。
80 :
考える名無しさん:04/03/20 22:42
体系的内真理の絶対価値説が崩壊したことに逆ギレしないで欲しいな。
君たちはジャスティフィケーションしてばかりだな。僕は綿密なテクストクリティークして発言しているんだよ?
それとも僕の濃密な重力を穿つエクリチュールにエロスを感じるのか?
どちらにしても君はメディアというバイオポリティカルなものに、正しいテクネーを奪われている。
正しいテクネーを取り戻すためにリアルタイムなアポカリプス、つまり普遍的定数を従属接続詞的に理解しているということになる。
換言すればこのカラビ・ヤオな空間に連続濃度が0と2の間に積分された形になっている。
そしてそれは、無限加速度系のリミットが無限座標系のカオスに閉じた形の記号ということだよ。
というか、ミニソーカルの釣りだろ。
一瞬「ガメラ対バルゴン」かと思っちった。
83 :
考える名無しさん:04/03/20 22:52
ソーカル?あんな逆説的なアナロジカルメタファーしか使えない奴と一緒にしないで欲しいな。
僕の言っている事はまったく違う。量子的な多重ゼータが1/2という値を常にとるときcholeraは二つの判断性定理を生み出す。
一つはパズルのように収束する道徳的な価値体系が平滑な超平面系の座標を回覧板の如くやすきよの漫才をある一定の強度で証明するのに対して、
もう一方の定理は政治的なπが連環体=フィネガンズ・ウェイクの如く連立与党政権を保持する可能性を最大限に加速して無限準拠の位置でシュトックハウゼンの音楽を奏でることを示す。
つまりcholeraの二つのレズビアンな定理=判断性定理は逆理的なオントロギッシュなパサージュなのだ。
「ネタですた」とかいって回収してるのか
もしれないけど後だしジャンケンカコ悪い。
85 :
考える名無しさん:04/03/20 23:02
ハァ?僕はネタのつもりでやってると思っているの?
だから、亡霊のない亡霊である数学を脱亜構築して逆算してみればわかるだろ?
僕は数学の絶対的真理の一般価値体系を棄却しているんだよ。
もう一度僕のエクリチュールを読み解いてよ。それか括弧いれの誤読かどっちかだ。
マイコプラズマなプラチックな僕のエクリチュールを
もうやめれ
================== 糸冬 了 ==================
================== 糸冬 了 ==================
>>84 パレルゴンの方は天然でしょ。
名無しで馬鹿カキコしてるのは、別人だと思う。
パレルゴンは天然。名無しはネタ臭い。
パレルゴン=イグアノドンの定理:
哲学は
真理を
捉えた
90、捉えてはいないと言ったんだよ。
僕は85さんではないが、彼の考えには賛同している。
彼ほど数学は強くないけど、彼の言っている立場は理解するよ。
数学と言う形而上学の砦が壊れかけている事は、現代数学の方向性
を見れば明らかだと思う。
92 :
考える名無しさん:04/03/21 00:42
数学の強くない香具師に現代数学の方向性を見ることは
とうてい無理だ罠・・・(苦笑
93 :
考える名無しさん:04/03/21 01:21
もうやめれ
================== 糸冬 了 ==================
95 :
考える名無しさん:04/03/21 01:26
パレルゴンって、びかぁ、ソフィア、ききき三巨頭政治体制の
転覆をねらってるの???
名無し=難解バカボン説
97 :
考える名無しさん:04/03/21 03:04
>>82 同意。
「大怪獣決闘 ガメラ対七色虹光線怪獣バルゴン」
――造形も色使いもいいのだが、いかんせん内容がオコチャマ。(1966)
>>91 > 数学と言う形而上学の砦が壊れかけている事は、現代数学の方向性
> を見れば明らかだと思う。
あんたの妄想する「かくあれかし」という姿からは、壊れかけているンでしょうなw
>>92に全く同意。
しかし一体全体、数学に神の姿でも期待しているのかな?
欠点が皆無でないことは、数学、物理を深く学べば自ずと気付くこと。
しかし結局、美しく緻密で壮大な体系で、しかも自然界への人間の働きかけに対して
非専門の一般人にも否定のしようのないほど大いに威力がある、という点で、
これに勝るものはまず作れそうにないね。
できると思うなら、現在人類が手にしている数学・物理を基盤にもつ文明が全くない未開の地で、
その成果を示してくださいな。
とりあえず最低限、パソコンには触れないでね。もう来て欲しくないので。
難解バカボン(・∀・)イイ!
つか懐かしいな
/二二ヽ
||・ω・|| < 知識人ぶって、難しい言葉で煙に巻くなよ
. ノ/ /> 知識人ぶって、難しい言葉で煙に巻くなよ
ノ ̄ゝ
/二二ヽ
||・ω・|| < おまえ、このスレで一人だけ話し言葉だぞ?
. ノ/ /> おまえ、このスレで一人だけ話し言葉だぞ?
ノ ̄ゝ
/二二ヽ
||・ω・|| < おまえのせいでクソスレって言われてるぞ
. ノ/ /> おまえのせいでクソスレって言われてるぞ
ノ ̄ゝ
101 :
考える名無しさん:04/03/22 22:08
十個のオレンジを三人の子供に分ける。みんながもれなく受け取る。何通りの分配が可能か。
そのなかのAという子供が八個のオレンジをとる場合の分配は何通りあるか。
確率は、オレンジの総数とAという子供のもつオレンジの総数との差に比例する。
エントロピーは確率の対数なのだから、選ばれた区別はいかにしてエントロピーの変動を修整することができるのか。
実際、重要なのは確率の分配である。
どこかで見たことがあるな。
バルゴン v.s. ガメラ
立読みだからよくわからんけど、バディウの本にカントールやらゲーデルの名前があった。
105 :
パレルゴン:04/03/23 22:49
バディウの本が出ていたけど、バウディって、如何言う人なの?
たしか、非ヨーロッパ人でヨーロッパで大学に入った人間?
これは、今流行りのポスト・コロニアル系の知識者のでしょうか?
ドゥルーズを批判的に吸収して、ポスト・構造主義を批判し、再度
主体と客観的基準を復活させようとしているって事かな?
コメント・プリーズ
106 :
パレルゴン:04/03/23 23:11
たしかに、ドゥルーズは主体=抑圧的エディプス と考えているフシがある。
そして、一時期全面的に主体化に「ノン」を突きつけた。
つまり、彼は一言で言えば、身体なんだけどね。その点が以後の哲学者
(ポスコロ、サブカル、マイノリティフェミニズム、カルチュラルスタディズ)
に受け入れられていない気がするんだけど、
その点デリダは上手くやった。英米系に上手く受け入れられた。
それは、コミュニケーション の可能性を全面的に否定していないし
夫々のコンテクストから、意味が現われるという、ある意味、社会性を、
ドルーズの身体ほどには否定していないからだろうか?
107 :
パレルゴン:04/03/23 23:21
主体については、それが何なのかを、もっと考えるべきで、
単純に、原抑圧や社会構造に飲み込まれる個の成立と同義語
と捉えるだけで言良いのだろうか。
「主体の後に」ジャン・リュック・ナンシー
読んでない。 「主体とは服従の別名」何に対しての?
構造に対しての、パパに対しての-------?
そして、象徴界への入門の為の、「私の」喪失点としての、
名指しの為の固有名の冠を頂く為の
私探しの旅の出発点。 「私」って何だろう?失われたもの
を求める、「私」の探求の旅は「主体」から始まる?
108 :
考える名無しさん:04/03/23 23:24
なぜ「ひびわれた私」について誰も言及しないんだ???
そして「亀裂する自我」について誰も言及しないんだ???
バディウはモロッコ出身だけど、別にポスコロ系ではない。
ポモ左翼だよ。
111 :
考える名無しさん:04/03/23 23:28
それから「?存在」についての言及はどうしたんだ???
112 :
パレルゴン:04/03/23 23:30
はい。分かりました。有難う。
で、専門分野の哲学は、概略でも述べてくださる。
ポスコロをこの国で語るならアイヌと琉球だな。
114 :
パレルゴン:04/03/23 23:31
111それは何でしょう?
115 :
パレルゴン:04/03/23 23:32
113まったくその通りでしょうね。
アイヌと琉球をもちだすと「バック・イン・ザ・縄文」も出てくる。
「?存在」「亀裂セル自我」というのはドゥルーズの重要概念だよ。
118 :
パレルゴン:04/03/23 23:37
ふむ、ふむ。
明日速いので、またお願いします。
>>112 大変申し訳ありません。私、著作は読んでないのでわかりかねます。
小著ですのでご自分で読んでみたらいかがでしょう?
120 :
パレルゴン:04/03/23 23:38
117 その辺のところ大雑把でも良いんで書いておいてくれますか。
僕はもう寝ます。宜しく。
>量子的な多重ゼータが1/2という値を常にとるとき
おーい…
123 :
パレルゴン:04/03/25 23:34
パレルゴンだけど、何か質問ある?
124 :
考える名無しさん:04/03/26 12:18
ない。
平滑空間の等質性は無限に接近する点同士の間にしか存在しないのであり、近傍同士の接合は特定の道筋とは無関係に行なわれる。
それはユークリッド的条里空間のように視覚的な空間であるよりも、むしろ触覚的な、つまり手による接触の空間、微細な接触行為の空間なのだ。
平滑空間は運河も水路ももたない一つの場、非等質な空間であって、非常に特殊な型の多様体、すなわち非計量的で中心をもたないリゾーム的多様体、空間を「数える」ことなく空間を占める多様体、
それを「探険する」には「その上を進んでいく以外にはない」ような多様体に一致するのである。
この型の多様体は外部の一点から観察されうるという視覚的条件を満たしていない。
126 :
パレルゴン:04/03/28 01:11
平滑空間について、
ドゥルーズはこう言っています。
「岸に沿って流れる河、つまり、条理空間に由来する規則正しくリズムは確かに
存在する。しかし、また、流れの流動に由来し、つまり、流体が平滑空間占める
仕方に由来する調子亡なきリズムも存在する。」
つまり、平滑空間はベクトル的、投射的、トポロジー的空間であり、
条理は計量的空間と言っているんですが、勿論前者は大きさ=力 と
方向であり、幾何学的配置の表現であり、位相的に現われる、つまり、位置的に
相違すると言う点を強調しています。
上述の平滑空間と言う概念はまた、次の内在平面と言う概念に共通のものを見出ると思います。
「内在平面の場を作図する事、それは私が感心をもった哲学者全員に共通する
作業です。」つまり、彼の哲学にとって、いや、哲学をすること自体が
内在平面の広がりに於いてなされたと言う事です。
つまり、内在平面とは普遍概念、外在的概念もない、「一なるもの」も、
主体も、客体も、理性もない。あるのはプロセスだけなのです。
そしてこう言うプロセスは「多様態」の中発動する。そして、内在平面
の場とは、構成主義なのであり、局所決定できる、多様体の一つ一つ
が平面上のようなものになる、と彼は考えていると思われます。
どうでもいいが、まったく意味がわからんな。自分は微分幾何専攻なんだがw
129 :
考える名無しさん:04/03/28 01:49
131 :
パレルゴン:04/03/28 06:45
ドゥルーズのが「内在平面」と言う時、何か、ユークリッド幾何学の3次元空間
に対し、2次元的平面を強調している気がします。これは、3次元空間が条理的な
論理・理性的・物質的合理性意味合いがあるとすると、皮膚・大地など、平面の褶曲・襞
の様に、リビドーやエス或いはノマド的な生成変化の面を表している気がします。
この平面と言う2次元への移行は、絵画では遠近法の否定として、印象派を支持している
気がします。いわゆる、2次元のキャンヴァスに3次元を写し取る行為から、
2次元に2次元を描くと言う行為です。表皮に点の連続として、描くと言う事でしょうか?
そこには、因果をこえた襞=意味しか現れない。
132 :
パレルゴン:04/03/28 14:08
パレルゴンだけど、質問しないでね。
以前あったドゥルーズのスレには、数学専門の人が来てて、
> 202 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:02/12/12 01:25
>
>>197 > 少なくとも、「平滑と条理」を本気で読むならば、
> ※複素関数論
> ⇒ 積分は特異点の配置でのみ決まる
> (と聞いて、なるほどとわかる)
> 程度の大学学部初等の数学の教養は必要でしょう。
こんな事を言ってたが。
134 :
パレルゴン:04/03/28 20:59
133さんへ、別に数学的な哲学をやっている訳ではないし、数学的命題を真理としている
のではないので、これくらいで十分だと思うんです。
勿論、知っている事に越した事はないんですが。
関数の変化に応じて従属変数の変化、微分がdifferential
と言うので、ここに差異性を言い表しているとの解釈で十分。
逆に積分はintegral=統合 を意味するので、反・ドゥルーズ的
な意味合いになると思うな。
135 :
パレルゴン:04/03/28 21:02
以前にも、「知の欺瞞」の討論で言ったように、比喩として
数学を使っているだけです。
よって、ポスト・構造主義は真理ではなく、表現を行っている
のです。
136 :
パレルゴン:04/03/28 21:03
パレルゴンだけど何か教えて。
板井が告発していた
大相撲八百長疑惑はどうなった?
板井が告発していた
大相撲八百長疑惑はどうなった?
板井が告発していた
大相撲八百長疑惑はどうなった?
板井が告発していた
大相撲八百長疑惑はどうなった?
板井が告発していた
大相撲八百長疑惑はどうなった?
板井が告発していた
大相撲八百長疑惑はどうなった?
板井が告発していた
大相撲八百長疑惑はどうなった?
パレちゃんへ、
自分も数学に詳しくはないのだけど、今は解析学と言うのが正しいの
かなあ。昔、「微分積分学」といってるのは聞いたことがあって、微分
方程式というものがあるということぐらいは知っているから、比喩にせ
よ、積分のない微分学というのはなかなか考えづらいぞ。ここは素直に
しったかでスミマセンでした、と謝っといた方がいいんではないかな?
なお微分幾何の人への揶揄ではありません、念のため。
139 :
パレルゴン:04/03/31 22:39
エルゴンちゃんアドバイスありがとう。
ただ、数学的に微分があるから積分がないといけないと言う論点では
俺はものを言っていない。ドゥルーズの考えには微分的な差異の視点
が強調されていると言いたいだけだ。数学的には差異・統合は自由に
やってください。ただ、微分に主体の割れ目、定立の非決定性を
比喩しているんだと言う事だす。全体をヒエラルキー的に統合する
と言う事の弊害を説いているのが、ポスト・構造主義なのよね。
逃走・成る事・事件 とは、いかなる統合も許さないってことだと思う。
140 :
パレルゴン:04/03/31 23:03
ドゥルーズがライプニッツのモナドロジーを引用するのは、、モナドは世界
を認識せずに、世界を映し出ことしかしないし、その映し出したものになる事
にドゥルーズは彼の哲学のエッセンスを感じ取ったからだ
その非中心的な、中心のない平面に関係による意味しか現われない事。
この事こそ、形而上学批判の中心点である。
141 :
パレルゴン:04/04/03 17:58
そろそろこのスレッドも消滅かな?
142 :
THE グル:04/04/04 21:46
いいですか、
チンチンシュッシュッ チンシュッシュッ
これが断言できます。
定説なんです。
143 :
パレルゴン:04/04/06 23:25
「私の言語限界が私の私の世界の限界を意味する。
「これ」と言う表現によって、他者に決して伝達できないものが「私」にはある。
「私」が感じているものを「これ」と言うとき、それは他者には伝達不可能である。」
と言う事が独我論の証拠である。そして言語はその共通の意味のコミュニケーション
手段から、離脱し、「私」と「私」とのゲーム論へと向きを変えるのよね。
144 :
ウィトゲンスタイン:04/04/06 23:35
悪いことは言わない。
ブルーバックスでいいから、この本読んできなさい。
「ゲーム」を語るのはそれからにしましょう。
『ゲームの理論入門―チェスから核戦略まで』 ブルーバックス 217
モートン D.デービス (著), 桐谷 維 (翻訳), 森 克美 (翻訳)
¥1,113 (税込)
145 :
パレルゴン:04/04/06 23:44
ウイトゲンシュタインさん。
いや、戦略的なゲーム論には興味がないんですね。
哲学的なものから、数学的なものに、雑学的になるのは
耐えられないのです。あくまで、オースチンのSpeech Act
までが、形而上学批判になるからね。
それ以上は、ただの 知識・雑学なんじゃないのかな。
経済学にもゲーム論みたいなのあったしね?
146 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/04/06 23:45
ゲーム論は数学では?
147 :
ウィトゲンスタイン:04/04/06 23:48
わたしはウィトゲンシュタインではないよ。
148 :
パレルゴン:04/04/06 23:52
146そっか。
147 ゴメン。間違えた。許して。
149 :
パレルゴン:04/04/06 23:54
明日速いので、また、土曜日ね。
ぴかぁさん。
ウィトゲンスタインさん。
今日は有難う。
150 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/04/06 23:55
おやすみ!
151 :
パレルゴン:04/04/08 22:18
人気者のぴかぁ〜さん、元気かぁ〜。
ポストモダンの転回・拡大・進展進んでいるね。
頑張ってけろ。
152 :
パレルゴン:04/04/08 22:24
それにしても、一体どれくらいの人間が、本気で哲学やっているのだろうな?
絵を書く奴、からかっている奴、オリンピックのように、参加だけする奴。
定説・定説とわめいている奴。まだ、評判の哲学者の近況や出版物の情報を提供
したり、あるいは、日本の哲学者の事を話している方々の方が良いな。
問いだけで哲学。
154 :
考える名無しさん:04/04/08 22:37
批判だけで哲学
数学だけで哲学
ポモだけの哲学
157 :
考える名無しさん:04/04/09 02:12
例えばビガロ空間を考えよう。
それはソひア崩壊を予言していたし、紙オムツのメトノミーでソひアを復活させた。
つまり陰毛フッサールの言う事はエロースとアカンベーのダブルマック。
あおたんが可愛すぎる。勝利宣言と呼ぶなよ。
蛾霧の政治哲学を理解なき理解によって理解している俺様を。
158 :
パレルゴン:04/04/26 22:38
誰かに立ててもらった スレッド に戻ってみよう。
そして、何かを書く。何でも良いが、哲学系のものとしたい。
煽動はしない事。純粋に哲学的な問題点を書いてみること。
とはいっても、続かないだりろう。
まあ、適当に。
てことで、とにかく、2ちゃん 哲学はポスト・モダン が多い。
それは、2ちゃん が ポスト・モダンを発展させる 「場」 だからだ。
しかし、確かに、そうではあっても、哲学とは、消費社会の複雑化や
情報の多重化・多様化、個性化(引きこもり) を 社会的に 分析する事
で満足できるものではないからだ。
159 :
THE グル:04/04/26 22:43
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄
160 :
パレルゴン:04/04/26 22:48
とにかく、ポスト・モダン については PK氏にあるいは
しろうと氏にお任せし、ここに 哲学的なテクストを書こう。
もっとも、読み込んではいない俺の読み方に、一定の改善
を計らねばならない事が前提である。
コーラとは、なにか、色々な物が発生する地 なのか?
或いは、母体のように、或いは背景なのか?
答は、一つではない。多面的に述べる事で、意味が多様化することで
意味を認識論に還元しない為に、複数で書く。
これは、ドゥルーズが言った言葉のような気がする。
ガタリと書いた本「アンチ・オイディプス」その本の意味は
精神分析=フロイトの概念である。
それは知ってもらう機会があればね
まあ時々揺さぶりが必要だということだけいっておこう
162 :
THE グル:04/04/26 22:54
>>160 いいですか、
何が言いたいのか判然としませんね。
どうかしましたか?
163 :
パレルゴン:04/04/26 22:58
子供が社会に参入する時に、原抑圧と言われる
強力な「ノン」(否定)を経験すると言う。つまり、赤子は母との密着した
経験をもって、愛憎の関係にある。自他の分離が未完成なので、母の乳房
は自分の一部のようにしか思っていないらしい。
この愛憎関係をラカンは想像界と呼ぶ。しかし、大きくなるにつれて
父は、母を子供から奪い返す。「寝取るんじゃねえ。」って事らしい。
ほんまかいな?この説は。それはともかく、もう少しこの説に耳を
貸そう。そこで、子供の言うのだ「ダメ!」と、そしてこの「ダメ」が
子供をして、自分を、或いはものを対象化させる。つまり、想像界
が、自他の未分離状態で、対象化しえないのに対し、父の「ノン」から
彼は、失った物を回想する事を始めるんだ。この時から彼は、象徴界
に入る。
164 :
パレルゴン:04/04/26 23:05
つまり、言い換えればこうだ。失った母を思う子供は、糸巻き遊びを始める。
そして、糸巻きが現われる時「ダー」と言い、その糸巻きを自分で隠して
「イナイ・イナイ」と言うらしい。このとき彼は明らかに、象徴界に参入した
と言う事である。つまり、このことは、失われる事で 失ったものを
それを、言い表すものを見出したのだ。この事こそが、言語なのである。
言語とは、失った物を表現する為に、その消失点にアテガッタものなのだ
と言う事である。
165 :
THE グル:04/04/26 23:08
いいですか、
それがどうかしましたか?
どうかしましたか?
166 :
パレルゴン:04/04/26 23:10
このことは、皆も子供の頃に母親にやってもらった事があるに違いない。
つまり、「イナイ・イナイ バー」のドイツ バージョンである。
そして、「ダー」と言う言葉の響きに 気づいただろうか?
あの僕らの崇拝する、ハイデガー 先生の仰った 「ダー・ザイン」
と言う言葉に。 現存在と言われる人間存在の始まりなのである事を。
167 :
THE グル:04/04/26 23:12
いいですか、
で、何が言いたいんでしょうかね。
どうかしましたか?
168 :
THE グル :04/04/26 23:13
いいですか、
それはサイババの勝手なんですよ。
どうかしましたか?
169 :
THE グル:04/04/26 23:14
____
/∵∴∵∴\
/∵∴/∴∵\\
/∵∴<◎●◎●◎>.| はあ?
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
\∵ | \◎ノ .|/
/ \|___/\
│ ∴∵━━○━∴│
170 :
パレルゴン:04/04/26 23:15
つまり、子供が言語世界に参入するまさにその行為が
ハイデガー ナチズム派 の言う 人間存在として
「ダー・ザイン」と表現されたものであったと言う事である。
つまり、ダーとは現われる事であり、 人間存在にとって
世界が、道具関連的に開かれると言う事を ハイ・デガー先生は
仰ったのである。
Fort-Da
子供が母不在と再会の繰り返す(象徴界)
失った母親を思い浮かべる(想像界)
対象の本格的獲得(現実界)だっけ?簡単すぎか
172 :
THE グル:04/04/26 23:20
>>168 >>169 いいですか、
真似するなら色を変えるとか何かして欲しいですね。
どうかしましたか?
173 :
パレルゴン:04/04/26 23:22
話を 象徴界に戻しましょう。
そこで、原抑圧と呼ばれるパパの「ノン」によって
私達の 中心に ぽっかりと 「穴」があくと言う事になってしまいます。
つまり、ラカンはこの穴を 「原シニフィアンにより空いたもの」と考えている
ようです。そして、この空いた「空」に次々とシニフィアンが現われては
消えていく、つまり、連鎖すると言うのです。
174 :
パレルゴン:04/04/26 23:26
自然界はまだだす。
このシニフィアン連鎖は決して確実なシニフィエには到達しません。
なぜならば、この空の本当のシニフフィエとは、失われた想像界の
自分だからです。つまり、「鏡像」に映る自分、その自分と一体化する
夢だからです。
175 :
THE グル:04/04/26 23:33
いいですか、
で、その何かの写しを書いていることで何が言いたいんでしょうかね。
どうかしましたか?
176 :
パレルゴン:04/04/26 23:35
ところが、象徴界に突入する、母性的連続性を失った 自我は、
いや、主体(自我)とは パパの「ノン」によって
もたれされたものなのでした。そして、「ノン」とは 社会性を
身に付ける事であり、欲望への去勢であったのです。
その、自我は 「私」を見失うのです。創られた「私」とは
想像界の 連続的な妄想の中の「私」といえないもの を叩きこわして
現われたものです。ですから、「私は」常に、「私以前のもの」
を探す旅に出るのです。連続性の想像界 において 意味しえないもの
がなんだったのか? それは 何でしょうか?
皆さんお答えを?今日はこれにて オヤスミ。
177 :
パレルゴン:04/04/26 23:39
この文章を 何かを写していると如何していえるのでしょうか?
この文章を書いているのは 他でもない「パレルゴン」ですよ。
あの哲学書150冊を論破した。
これが、定説。 とは言いたくないけど。
それでは、宿題をやってください。
オヤスミ。スヤスヤ。
パパにノンなんて言われませんし、パパ自体しりませんが何か?
179 :
THE グル:04/04/26 23:47
>>177 いいですか、
150冊論破(?)ってなんですか?
まあ、そんな写しみたいなことしか書けないのは残念ですね。
どうかしましたか?
180 :
パレルゴン:04/04/27 22:40
今日は、三十分で書くぞ。(自分に言っているだけ)
我々は言語世界である 象徴界に参入した。
しかし、その事で「私」は持続的な生命の流れと言う リビドー的な
想像界を後にする。そして、ぽっかりと開いた穴(空)に、失われた想像界の
「それ」を探すかのように、シニフィアンを連続的に発生させていく。
そして、「私」は他者と言うものを介してしか、私の 想像界での「それ」
を映し出すこと、つまり、「私」を見出しえないと言う事に気づくのだ。
「私」とは何なのかと言う疑問を他者に映し出す事によって、私は「それ」
を知る事になる。つまり、「私」の鏡像を映し出すものとして、我々は
他者を介してしか、「私=それ」を知る事は出来ないのである。
これが 大文字のA(他者)である。
我々は想像界から象徴界へと投げ入れられた。この事を、ラカンはSに/(斜線)
を引いて表す。これは、エスでもあり、また主体でもあると言われている。
私の解釈では、前者の方が理解しやすい。
181 :
パレルゴン:04/04/27 22:55
このところを理解するには、単語ゲームを考えると分かりやすい。
今日丁度テレビ番組でやっていたが、何人かが一組になって、
各自の頭に、一文字だけついた帽子をかぶらせる。
チーム全員が自分の文字だけ分からない状況である。
この一文字をある順序で並べると、決まった単語になる。
ところが、各自は自分の文字、例えば「あ」が分からない。
そこで、各自は、他者の文字を見て、単語を連想し、自分が
何の文字なのかを推測する。他者の文字を見て、自分が何で
あるかを想像すると同時に、他者が自分の文字を見た反応から、
自分の文字を推測すると言う、二層の想像が必要になる。
もうお分かりかな? この「文字」を除いて、「私」にすると
そこに、大文字のAの意味が現われるって事だ。
ほな、オヤスミ すや すや・・・・・
182 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/04/27 23:04
ラカンの勉強会?
183 :
THE グル:04/04/28 12:20
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184 :
パレルゴン:04/04/28 19:31
いえ、ラカンを含む構造主義、ポスト・構造主義について
書いているんでだけど。 どこまで書けるかやっているんですけどね。
これから、読み直しながら やっていこうと思っています。
何が出るか自分でも不明ですね。(笑)
PKさんも頑張って。相乗効果で行きましょう。
185 :
パレルゴン:04/04/28 22:25
浅田はあの有名な「構造と力」の第一章に「はじめにEXC’ESがあった。」
と述べた後、この命題がミスリーディングであるとして、「EXC’ES があった。
」の「あった。」にはXをつける事でしかとらええぬものであると述べている。
つまり、あるものからのズレと言う事を表現したのである。
このズレとは何か?もうお分かりだと思う。つまり、同書の後半で彼が述べていた
過剰のサンスに生れ落ち、原抑圧によって、一定方向に意味付けられた「主体」
が、それでも、何かからズレている事を表現したものである。
つまり、持続するリビドーに生きる動物としての生存=生息 と 理性としての
人間存在の、ズレが人間存在にはいつも備わっていると言う事である。
このことは、丸山圭三郎の「ソシュールを読む」の中で 表されている
ターム 「事分け」 と 「身分け」 という人間存在の 多重性にも
言い表されている。つまり、言語を語る「私」と言語を語らない「エス」
が同時に張り付いていると言う事だろう。
186 :
パレルゴン:04/04/28 22:38
このように、考える時ポスト・構造主義とは、言語世界の規則性と
本能世界の無規則性 とが、齟齬を起こし、常に ずらされ
或いは、ズレる と言う現象の事でもあるのかもしれない。
それが証拠に、以後、差異と反復と言う問題は、ポスト構造主義の
中心的なテーマの一つとなった。
つまり、このズラシの連続として、差異、差延が生まれるのだ。
例えば、デリダはサイン(署名)をテーマに思考を練り上げ、
オリジナリティの消失を唱えている。このオリジナリティの消滅は
私の考える限り、原抑圧で空いた「空=穴」との類似性を持っている様だ。
空とは無とは違うかもしれないが、ハイデガーは「形而上学入門」
で「なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのでないのか」
と自問している。
187 :
パレルゴン:04/04/28 22:46
ところが、ハイデガーはこの「無」の存在を断じて否定してはいない。
現存在といわれる、存在者は意味関連=道具関連的に世界を開示するが
その開示すると言う 人間存在のまさに中心部が「無」なのである。
このことを表現する言葉として、かれは、森の中にある開かれた空間
を守るきこりに喩えている。つまり、無と言う「開けの現場」が
ラカンの原エクリチュールの空である事は間違いないであろう。
この空はまた、フッサールの超越論的主観の中心部なのであろう。
つまり、この「空・無」の中に意味関連を構成すること、この事こそ
構造主義の根幹であると思われる。
188 :
パレルゴン:04/04/28 22:58
浅田はバタイユに傾注していた。(現在は分からない)そして、
彼は常に「呪われた部分」を強調している。
「呪われた部分」とは人間の動物性のことであるあるらしい。
動物的な荒々しさ・性は激しく嫌悪される。つまり、理性的な面
へ欲望が去勢されると言う事だろう。
今日はここまでにしたいが、バタイユが何故浅田の注目を引いたのか
どうだろう?分かるだろうか?そして、今騒がれている東浩紀の言う(確か
に対談で言っていたと思うが?)「動物的」と言う表現が、既にずっと前に、
バタイユによって言われていた事であったことに気づくべきだと言う事だ。
ほんじゃま!
189 :
考える名無しさん:04/04/28 23:08
わけいずる
ふもとの道は
異なれど
行き着く先は
なんでも哲学
190 :
パレルゴン:04/04/29 00:48
「事分け」は「言分け」に訂正だす。
ほんじゃま。オヤスミ。
191 :
パレルゴン:04/04/29 16:23
浅田がバタイユに引かれた最大の理由は、バタイユが西洋の長い哲学の歴史
の中で、隠していたものを暴いているからだろう。
その西洋の歴史とは、永遠の「真理」とはなにかと言う自問により築き上げられた
ものであると同時に、「理性」への信奉でもある。理性とは「永遠」への憧憬と
その永遠の真理を掌握出来る唯一のツールでもあった。
例えば、外的世界は如何にあるか? その事はどのように判明できるのか?
または、その様に証明可能な推論の方法は?
と言う具合に進められるのである。このような「理性」信奉にアンチ・テーゼ
(反論)をぶつけたのが、ニーチェだったのだ。ニーチェは絶対真と言う理性の
目的が、実は人間の生を抑圧した物である事に気づく。そして、そこからの開放
として、彷徨う、気高くある事を選択する。この事は、理性が卑屈であり、
ルサンチマンの温床である事を暴いているのである。
同時に、アポロンと言われる理性的な思考やコスモス(調和)に重点をおく、
西洋思想に対し、彼は、ギリシャ時代に存在したもう一方の思想ディオニソス
(陶酔)を対置させる。
192 :
パレルゴン:04/04/29 16:32
「ニーチェは「力」と言う概念によって、「知覚」「認知」「認識」「客観」
「真理」と言った「認識論」「機械論」の概念を「肉体」「欲望」「快苦」
「力の感情」「自我感情」といった欲望論的 エロス論的概念へと作り変えた。」
と竹田精嗣は述べている。
つまり、これは、全くのドゥルーズなのである。
前世紀から始まる所のフランス哲学とは、全てニーチェを経由した物であり、
構造主義にしても、ニーチェが暴いた「力」と言われる反理性的な視点
がなければならなかったのかもしれない。つまり、真理とは力関係による
構造より紡ぎだされると言う事であり、西洋の言うような絶対真理ではない
と言う事である。
193 :
パレルゴン:04/04/29 16:41
浅田のバタイユ論に戻ろう。
今既に述べたように、西洋の思想を鋭く暴いたのがバタイユであったのだ
バタイユはニーチェの思想を受け継ぎさらに鋭く西洋思想の根幹を
揺るがすような理論を展開する。それは「非知」であり「消尽」
「贈与」「至高」と言う概念によって齎される。
このようなタームの中で、彼は、西洋の思考が何かを求めてなされている事
を摘発する。つまり、給付と反対給付のようになされる事を示している。
この媚びるような理性的人間に対し、全くエコノミーに回収されない
行為を模索する。その結果が上記のような概念となって結晶する。
浅田はここに、バタイユの凄さを見たのだろう。
194 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖 ◆IDULvLzl9Q :04/04/29 17:11
まあ。いい加減にしないと本当に警察がお前の元に行くぞ。
俺は本当にやる男だからな。早々に荒らし終了しないと、
警察に垂れ込むぞ。
まあ刑法上はたいした罪にはならないだろうが、
学生か引きこもっているお前には親に知られるのは痛いだろうし、
永久にアク禁になるかも知れないな。
大好きな2ちゃんねるが出来なくなるぞ。
お利巧さんなら、馬鹿なことはやめるんだな。
今なら警告だけで済ましてやる。
次は無い。
195 :
パレルゴン:04/04/29 18:36
194
あんがとさん。
そんな暇があったら、勉強でもしなはれや。
と同時に、哲学的でない書き込み、脅しは、刑法違反にならないの?
アンサー・プリーズ? 論理的に答えてけろ!!!
196 :
考える名無しさん:04/04/29 18:38
オスメスキスパンツヌゲ
197 :
パレルゴン:04/04/29 18:41
195 の書き込みは訂正。
哲学的でない書き込みも自由だが、表現の自由を阻止する脅し
は刑法違反にあたります。でねえか?
違うならばその理由を書け!!
これに訂正!もっとも、君に僕との論理的な戦いが出来ればの
はなすだす。無理だべさ! とっとと尻尾巻いて逃げだべ。
2チャン哲学ではぴかぁ〜氏・しろうと氏に対抗できるのは
パレルゴンだけだべさ!!!
198 :
考える名無しさん:04/04/29 18:47
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199 :
パレルゴン:04/04/29 19:47
198
荒らし行為を止めてください。
さもないと、2チャンより貴方の2ちゃんへの書き込みは切断される事に
なるかも知れませんよ。
と同時に、貴方が利用するプロバイダー経由のアクセスは不能になりますよ。
私も、私と同じプロバイダーの人が、同文無限複写したので、
何日間も2チャンへの書き込み不能となりました。
私は、2チャンの監視委員ではありませんが、そう言う経験があります。
ルールをまもって、楽しくやりましょう。
200 :
考える名無しさん:04/04/29 19:59
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これがあなたの言論ですか?
そうですか
202 :
考える名無しさん:04/04/29 20:15
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203 :
考える名無しさん:04/04/29 20:17
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204 :
三浦 ◆Dshu0PxSp6 :04/04/29 20:17
なんなんすかこのスレは〜(笑)
脳障害早く氏ねよ
205 :
考える名無しさん:04/04/29 20:18
オスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲ
オスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲ
オスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲ
オスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲ
オスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲ
オスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲ
オスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲオスメスキスパンツヌゲ
206 :
パレルゴン:04/04/29 22:34
はいはい。分かりましたよ。
荒れ狂う5月病と言う ぴかぁ〜さんの分析いただきます。
確かに、5月の勤労者達は、二度目の去勢に合う事で、
その欲望をコントロールできないのでしょう。
そう言うときは、友達にあって愚痴る、彼女にあって楽しくする。
母・兄弟にあって、子供の頃の話をする。好きな趣味に没頭する。
こんな感じかな。その内、飼育された労働二足歩行・無思考・猿真似
集団化・群れる・二枚舌軟体動物に立派になりますよ。
心配無用です。
>>206 確かにこの数日の荒らしは目にあまるけど、ぴかぁ〜やパレルゴンなど、スレを
私物化してるやつに対してなされてる。個人スレを立ててマイ哲学やる奴にも反省
してほしい。特にぴかぁ〜とパレルゴン。ポストモダンの知識なんて本当はないで
しょ。
208 :
パレルゴン:04/04/30 20:34
「ポストモダンの知識がない。」ってどう言う事でしょうか。
俺はホストモダンの専門ではないけども、ポストモダンと言う
概念はあると思うよ。リオタール・ボードリヤール・デリダ
なんかを読めばいいのでは?
また、「お前らはポストモダンの知識がない。」と言う意味ならば
俺が見るには、ぴかぁ〜氏はある一定のレベルのポストモダンの知識はある
と思うな。
俺は、もう何回も言っているように、ポスト・構造主義ですから。
209 :
パレルゴン:04/04/30 20:44
私物化と言うのは、どう言う事を指して言っているのでしょうかね?
1)HNを持っているから。
2)自説を羅列し、コミュニケーションを図らないから。
3)一方的に話しを進めるから。
4)自分は知識がある事をひけらかし、相手を叩きのめすから。
5)1つのスレッドがまさに自分の城であるようにし、
他人が口をはさめないようにするから。
6)その他
以上のどれが該当するでしょうか。
もっとも、以上1)〜5)は2チャンのルールに反していると言えますか?
言えないような気がしますけど。
210 :
パレルゴン:04/04/30 20:46
ほんじゃ、反論を書いてください。
風呂に入りますです。
宜しく。
211 :
THE グル:04/04/30 21:23
いいですか、
どうでもいいことですが、
パレルゴンさんの言っておられることは自説ではなく、
そのまんまですね。
どうかしましたか?
212 :
パレルゴン:04/04/30 22:15
211
反論であるとは言えません。
よって、無視します。
また、209に関係なくコメントしますと、
私は、自説を述べているとどこで言いましたか。
優れた哲学者の説を理解する為に、参照(丸写しではない)
しながら、自分の文章で書いたと言う事です。
ただし、理解していないと書けませんが。
と同時に、どのように優れた・一流の哲学者も
80%以上の部分は先達を学んだもので占められて
残りのわずかが自説なんですよ。
マルクスはヘーゲル・フォイエルバッハ
ハイデガーはフッサール
ラカンはフロイト
ドゥルーズはスピノザ・スコトウス・ソシュール・フロイト他
全ての哲学は系譜学であるのです。
全く影響を受けずに、自説を唱えることは
不可能なのですよ。
213 :
THE グル:04/04/30 22:19
>>212 いいですか、
なぜ反論と受け取ってしまわれたのか解りませんが、
まあ、
率直な感想なんです。
どうかしましたか?
214 :
パレルゴン:04/04/30 22:25
209に対して、貴方が、「私物化だ」と反論していないので、
反論ではないと前段で申しました。つまり、貴方のコメントは
209に対してのものではないという確認で、「反論してはいませんね。」
と言いました。
後半で、私の文章に対し「自説ではない。」と仰ったので、
歴代の哲学者を例にとって、その説明をしたのですが?
何も問題ではありませんよ。
215 :
THE グル:04/04/30 22:27
いいですか、
さらに付け加えるならば、
パレルゴンさんには、
そのあと約20パーセントが足らないってコトなんでしょうね。
どうかしましたか?
216 :
THE グル:04/04/30 22:31
>>214 いいですか、
そもそもグルは、あなたが私物化云々等とは一言も言ってないですよ。
何のことでしょうかね?
まあ、
なんら真新しい「格率」や「提言」の様なモノは、
見受けられませんねということは言っていますがね。
どうかしましたか?
217 :
パレルゴン:04/04/30 22:31
その通りです。
218 :
パレルゴン:04/04/30 22:39
207のコメントに対し、広く意見を伺うと思っていたのですよ。
だから、207さんの返事だけではなく、みんなの意見を待っていたと言う事です。
そこへ、グル殿が、レスしたので、「私物化の問題ではないですね。」と言ったのです。
誤解が誤解を呼んだって事でしょう。
ところで、貴方は人の能力に対して、とやかく言っていますが、
貴方の哲学的な文章を見た事がありませんが、貴方は一体2チャン
で、何をしようとしているのでしょう?
分かりません。「定説 定説」と騒いで、からかっているのでしょうか?
パレルゴンさんはテクストを忠実に読んでいますが、
考察のテーマをはっきり出すと他の人もレスしやすいですね。
自分の場合はアスペクトをテーマにしたわけです。
東浩紀によるとコンビニやファーストフードなどの
大衆消費文化では欲求の回路しかないといいます。
これに対して斎藤環はラカン的見地から反発しています。
主体や無意識や他者や欲望は現代ではどうなってしまうのか?
単なる神経的条件反射、すなわち動物的なレベルなのか。
それともやはり言語的主体があるとしてどういう形をとるのか…
220 :
THE グル:04/04/30 22:53
>>218 いいですか、
グルはあちこちのスレで真面目に定説してたりするんです。
まあ、
そのご様子ですと、それらを見かけたことはないようですね。
定説AAという「本質(概念)」があなたに強いバイアスを与えているんでしょうね。
ちなみに、
グルはあなたの能力について言及はしてはいないんです。
むしろ、
なにか新しいお考えをお持ちでしたら聞かせていただきたいものなんです。
どうやらまだそれは出て来ていない様なのですがね。
どうかしましたか?
221 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/04/30 23:11
>>219 >主体や無意識や他者や欲望は現代ではどうなってしまうのか?
>単なる神経的条件反射、すなわち動物的なレベルなのか。
>それともやはり言語的主体があるとしてどういう形をとるのか…
それをのり越えてしまいました。詳しくははてなで
バレやん、スレ違いかもしれないけど、流れなので。
ここまでポストモダン社会、ネットワーク社会においてテクノロジーおよび社会の変化と
それに順応しようとする力=「溢るる余剰」という構図で主体が自己同一性を
獲得しようという姿を示してきた。
現代記号消費社会では記号化されたものが望まれる。
それはコジェーブのいうところの「動物化」した、またゴフマンのいう「儀礼的無関心」な社会なのである。
だからオタク、コギャル、2ちゃんねる、それらは社会的にあまりよいイメージを持たれていない。
オタク→宮崎勤、コギャル→援助交際、2ちゃんねる→バスジャック等のようなマスメディアから
発信されたイメージは、記号消費社会がこれらの不可思議なものたちを
記号への回収しようとするものである。
すなわち単純化し理解したつもりになろうということである。
そして「溢るる余剰」とはこのような記号に回収されず、唯一性の、
現前の他者として迫ってくる複雑なものである。
これらは誰の中にもあるが、現代社会では隠されるべき「キモい」ものとされる。
そしてオタク、コギャル、2ちゃんねらーも大衆として記号消費社会を行きているがゆえに、
それは社会の中でイビツに溢れ出てくるのである。
しかしこのような「溢るる余剰」は社会の生命的なダイナミズムを生む原動力に
なっているのではないだろうか。
2ちゃんねる、オタク、コギャル、「溢るる余剰」
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/
222 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/04/30 23:14
ようは、オタクのロリ画などの「キモさ」
女子高生のルーズソックスなどの「イビツさ」
2ちゃんねるの「野蛮さ」
は、「動物化」から「溢るる余剰」なのです。
223 :
パレルゴン:04/05/01 00:10
ポストモダン万歳ですね。
私も過剰の中に生きることは賛成です。
ぴかぁ〜さん、しろうとさんの姿勢は評価できる。
お互いに相乗効果で行きましょう。
ご指摘のとおり、もう少し、レスもらえるように
書きますね。
今のところ、もう少し、纏めを書きたい。
それから、絡んでみたい気もするけどね。
とにかく、自然体で行きたいのですが。
主体については、僕もかなり興味を持っています。
精神分析学以降主体とは抑圧により創られたものとの考えが定説なのですが、
では、主体を、脱構築するとそれは何か?
と考えると、それは、非主体的なものなのか?
その延長線上に、「動物化」と言うタームも見えてきますが、
そうではない気がします。ただ主体をなくすだけではどうしようもない。
ここの所を、サイードあたりが代理表象をテーマにしているんだと思うんですね。
224 :
パレルゴン:04/05/01 00:20
主体とは、ある意味で、夫々の、おかれている立場で
発生したり、消滅したりしているんだと言う意見が
多いような気がします。その様な研究は、スピヴァック
だったり、CSなんですね。
フーコーは言語の中に、人間はいるのであり、その外へは
行けないんだと言う感じをもっています。
つまり、脱主体化は不可能だと考えているのかも知れません。
そこの所が、PSなんかには引き継がれているきがします。
以上が主体についてです。
消費社会については、ぴかぁ〜さんの説を見ていますよ。
確かに、記号は消費される。差異化されながら消費され、
それはまさに、その様な多様な時代に生まれた人間
がまさに多様化され・差異化され・消費されている気がします。
225 :
THE グル:04/05/01 00:22
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄ / /
主体(Subjekt)と自我(Ich)は別に考えてるわけ?
227 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 00:26
>では、主体を、脱構築するとそれは何か?
>と考えると、それは、非主体的なものなのか?
>その延長線上に、「動物化」と言うタームも見えてきますが、
>そうではない気がします。ただ主体をなくすだけではどうしようもない。
結局、みな同じようなことを指向しているのですね。
キーワードは主体、同一性ですね。
ポストモダン社会、ネットワーク社会において
ポストモダニストが指摘するように主体は脱構築されるのか。
散乱するのか。
しろうとはそれをアスペクトを絡めて読み解こうとする。
まだまともっていないようですが。
私は、主体は脱構築されないと考える。
なぜなら、主体には同一性を保とうとする強い「生命力」が
あるからです。「動物化」もこのような「生命力」とみます。
ようは、ポストモダン社会では、大量な情報は排除されなければ
ならない。だからコンビニではなるべく情報収集しないようにする。
コンビニの店員は記号として簡略化し、現前の他者として扱わないようにする。
そのかわりに興味のあることは掘り下げる。
それは自己価値を獲得するためです。それがオタク化指向です。
>ここの所を、サイードあたりが代理表象をテーマにしているんだと思うんですね。
どのようなものですか?
228 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 00:27
PSって誰?
229 :
THE グル:04/05/01 00:27
いいですか、
パレルゴンさんはどうしようもないお馬鹿さんですね。
あなたの論は突っ込みどころ満載なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
230 :
パレルゴン:04/05/01 00:30
と同時に、主体の罪悪を強調する余りに、主体のない世界がどう言うものか
その世界は、無秩序に、私達をどのように導くのか?
あるいは、私は何者なのか?と言う答を見出しえません。
ポスト・モダン にしても 消費の多様性、多様化、差異
固有名の消失 といったところで、それでは、「私」って何
と言う答がありません。 一体如何して 僕らは 構造(全ての構造)
に捉えられて、そこをすり抜けても、一体なんだろう?
と言う問題が残る気がします。
構造主義の罪悪は、「私」が構造に捉えられ創られた事を暴いた。
ポスト・構造主義は、その構造と構造が創った「私」から逃れようとした
それが襞・平面だったり、身体だったりするが、一体「私」とは
と言う答がないんです。ここが私のテーマです。
231 :
パレルゴン:04/05/01 00:31
224のPS はPC(ポストコロニアル)に訂正です。
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU 投稿日: 04/03/25 20:31
>>14 くわしいですね。ルーマン好きの方ですか?
「共鳴(Resonanz)」→「自他同期可能性」ですかね。
>くわしいですね。ルーマン好きの方ですか?
>「共鳴(Resonanz)」→「自他同期可能性」ですかね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コピー元リンク
http://socgate.sal.tohoku.ac.jp/takahasi/kopplung1.htm >ルーマンは、これまで「相互浸透(Interpenetration)」や
>「共鳴(Resonanz)」といった概念を提起してきた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
233 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 00:32
たとえば、近代の理性主義、合理主義化というもの
同じように説明できる。
村社会から都市へ、科学の発達によって
世界が複雑化してきた。
そこで自己同一性を保つ方法として、
理性主義、合理主義のような自己同一性を強くもとめる
思想が求められた。
実はこれは現代でも変わらない。
現代においても大衆は、理性主義、合理主義的思考を
保っている。日常とは、理性主義的、合理主義的世界ですね。
234 :
THE グル:04/05/01 00:32
いいですか、
パレルゴンさんの論は全く話にならないんです。
まだまだグルの相手ではありません。
これが定説です。
どうかしましたか?
411 名前: Я 投稿日: 04/04/07 02:41
童貞かどうか、試してみるかい、お嬢ちゃん。
わしの指マンテクで天国にごしょうたい〜
236 :
THE グル:04/05/01 00:36
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
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 ̄ / /
 ̄
237 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 00:37
>>230 それに対する私の答えは、理性的には人は
世界が複雑で、「私」って何と言う答えなどないことを
理解している。
ただ生きるということは、意味をつくることです。
私とはなにかに答えることである。
これは生理的なレベルで強く働く。
答えがなくとも、なんらかの答えを作りながら生きようとする。ということです。
ここで必要なことは、意味を問うのではなく、
意味を求める姿を記述する。分析することだけです。
238 :
パレルゴン:04/05/01 00:38
主体と自我については、概念として余り差異はないような気がしますが
前者は哲学が使用している、後者は精神分析学が使用するターム
でしょう。違ってますか?
439 名前: Я 投稿日: 04/04/07 08:10
440 名前: Я 投稿日: 04/04/07 08:14
441 名前: Я 投稿日: 04/04/07 08:25
443 名前: Я 投稿日: 04/04/07 10:36
454 名前: Я 投稿日: 04/04/07 11:54
457 名前: Я 投稿日: 04/04/07 12:38
459 名前: Я 投稿日: 04/04/07 12:45
461 名前: Я 投稿日: 04/04/07 12:51
468 名前: Я 投稿日: 04/04/07 12:56
473 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:00
475 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:03
480 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:08
484 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:10
487 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:14
492 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:22
509 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:33
522 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:43
525 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:44
531 名前: Я 投稿日: 04/04/07 13:48
551 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:00
240 :
THE グル:04/05/01 00:39
>>237 いいですか、
グルは脱構築の倫理的転回後のデリタが好きです。
脱構築は正義だとお考えですか?
どうかしましたか?
554 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:01
570 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:18
576 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:21
577 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:22
586 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:31
594 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:43
595 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:44
596 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:45
598 名前: Я 投稿日: 04/04/07 14:47
605 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:10
607 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:15
609 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:25
612 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:26
613 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:28
615 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:33
617 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:41
621 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:50
624 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:53
626 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:56
627 名前: Я 投稿日: 04/04/07 15:58
630 名前: Я 投稿日: 04/04/07 16:02
633 名前: Я 投稿日: 04/04/07 16:05
636 名前: Я 投稿日: 04/04/07 16:07
639 名前: Я 投稿日: 04/04/07 16:13
642 名前: Я 投稿日: 04/04/07 20:02
一つの見方をいえば主体は脱自的で自我は反省に与えられたものだ。
243 :
パレルゴン:04/05/01 00:46
確かに、ボンちゃんの言う事も分かる気がします。
ただ、そう考えると、構造と言うものが全く見えてこない
気がします。歴史的に・或いは力関係で相対的に
創られた構造=階層 が 何もないものであり、
後は差異と消費と情報の多様化で、創造する、戯れる
と言う面しか見えてこないのじゃないかと言う事です。
つまり、脱構築があるからには、脱構築する構造がいる。
その構造の中で、人はどうなっているんだと言う事
これが、ポストモダンにはないという気がするんだ。
244 :
考える名無しさん:04/05/01 00:47
_,,,,,,,,,,,,,,,,,_
/;;;::::.... . . ...::;;;\
/;;::... . . . ....::;;\
l::::.... . . . .....:::lそうかな?
i::.. . . . . ..::i
l::::.... . . . .....:::l
|;;;;;:::::.... . . . . ....::::;;;;;|
|;;;;;;:::::..... . . . ......:::::;;;;;|
|;;;;;::::::.... . . . . ....::::::;;;;;;|
l;;;;;;;:::::..... .. . . . ......:::::;;;;;;;|ヽ.
:人;;;;;;;::::::..... ... . .. ... ..:::::;;;;;;/ ヽ
_/ `ー-、;;;;:::::.. .. . . ...::::;;;;-'" \ー-、
,.-'" \: \;; :... . ...:::;;;;;-''" |
/. \ ~>、,.-''" |
,,..-‐'''"" ヾ ,.-''"| /――――、/
245 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 00:48
ただ「生命力」と行ってしまうと、否定神学化するので、
それを分析するのです。
システム論、複雑性、精神分析でなく心理学、
さらにはシェリング、ベルクソンあたりが良いといわれていますが。
246 :
パレルゴン:04/05/01 00:51
そして、構造が脱構築されても、そこでも構造がなくならないと言う事です。
この点こそ、ポスト・コロニアル、ジェンダー、クイア、マイノリティ
の問題点があるんだと思います。
>さらにはシェリング、ベルクソンあたりが良いといわれていますが。
もはや、古参並です。
248 :
考える名無しさん:04/05/01 00:53
ツマルトコロナンデモテツガクナンダロ
プププニバンジメ
249 :
パレルゴン:04/05/01 00:55
否定神学の捉えかたがチョット不明ですが。
否定神学とは、「それは違う。真理はない。」と言う否定が、実は
真理がないという真理を唱えている=形而上学であるという
批判的な意味で捉える方が良いのでは?
250 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 00:56
>そう考えると、構造と言うものが全く見えてこない
>気がします。
え?なぜ、生命力は構造化する力でしょ。
だから生きるということは、必ず
ポスト・コロニアル、ジェンダー、クイア、マイノリティなどの問題を生む。
問題と自己同一性は、同じものに表と裏ですよ。
そして問題を0に考えることが、ニヒリズムなんでしょ。
それがポストモダニストの限界なんでしょう。
脱構築されるのは言説であって社会じゃない。
>問題と自己同一性は、同じものに表と裏ですよ。
253 :
パレルゴン:04/05/01 00:57
245
ビッグ・ネームの羅列では、言っている事が分かりにくいなぁ〜。
もっと、ゆっくり、丁寧に説明してよ。(笑)
254 :
考える名無しさん:04/05/01 00:59
/\___/ヽ
/'''''' '''''':::::::\
. |( ), 、( )、.:|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::| <そうかな
. | `-=ニ=- ' .:::::::|
\ `ニニ´ .:::::/
/`ー‐--‐‐―´\
255 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:00
>>249 真理がないけど「対象a」があると、
理解の彼方にある超越論的な「対象a」を「信仰」したとして、
デリダはラカンを否定神学と批判しましたよね。
だから真理がないけど、「生命力」があるとなってしまわないように、
「生命力」を分析しなければならないということですよ。
256 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:03
生命、または心のメカニズムは、科学的なシステム論、複雑性として
分析され始めていますよね。
このときに、シェリング、ベルクソンの考え方が良く取り入れられている。
ということです。
>このときに、シェリング、ベルクソンの考え方が良く取り入れられている。
258 :
胡頽子 ◆Yrg04PRYDU :04/05/01 01:06
>>249 違う。
否定神学とは中世神学においてしっかりとした伝統を持った一神学傾向だ。
偽ディオニシウス・アレオパギタなどが有名。
「神とは〜である」という定言の形では神の本質は捉えられないとする立場。
259 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:08
>>258 違うといわれても、デリダ的にはそうなんだから・・・
デリダの批判対象
・原エクリチュールの暴力
・形而上学的二項対立の暴力
・否定神学的暴力
>デリダ的にはそうなんだから・・・
261 :
パレルゴン:04/05/01 01:10
ぴかぁ〜さん。
まってけろ。
1)全ての思考は、「主体化」の後にしかやってこない。
主体化によって「私」と言う自分を対象化すると同時に
全てのものを対象化しうるようになる。
2)差異化を述べる事、脱構築を述べる事は、脱構築した「私」ではなく
主体化した「私」である。
3)よって、ポストモダンを述べる事は、ポスト・モダンではなく
古典主義的主体性=ヒュマニズム がある。
262 :
胡頽子 ◆Yrg04PRYDU :04/05/01 01:11
>>259 おいおい・・・
デリダは当然知ってる。キリスト教文化圏ではかなりメジャーなんだから。
東がちゃんと勉強してるかどうかは微妙だが・・・
ハイデガー哲学に「無の神学」「死の神学」などのレッテルが貼られ
そのうち「否定神学」のレッテルまで貼られた。本来の意味ではなかった
わけだが。
264 :
胡頽子 ◆Yrg04PRYDU :04/05/01 01:15
否定神学ってのは、肯定命題で明確に述べることでは本質には至らないとし、
「〜ではなく、〜ではなく、」という否定命題を積み重ねるしか真理について語れない
という立場。
もちろん「真理はない」などと主張しているわけではいささかもない。
265 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:15
>ん?これがなに?
267 :
パレルゴン:04/05/01 01:17
258
そこから、否定神学とは
脱形而上学的な 「〜は〜でない。」は否定を肯定している
形而上学だと言っているのですよ。
デリダはそこを指摘し、だから、「形而上学は間違いだ」と言わずに
サールとの対談で、コンテクストの多様化から からかったまでですよ。
あるいは、比喩的にしか語れない事を悟ったのでしょう。
268 :
胡頽子 ◆Yrg04PRYDU :04/05/01 01:21
>>267 >あるいは、比喩的にしか語れない事を悟ったのでしょう。
デリダがアナロギアに逃げ込んでよしとしするわけでもないでしょ。
教条的カトリシズムと変わらなくなる道をとるわけがない。
269 :
パレルゴン:04/05/01 01:21
264
やはり、ポスト構造主義の捕らえ方が甘いので、
そう言う説明になるのかなぁ〜。
否定神学批判は「何々ではない。」と言う事も
「何々である」と言う肯定になると言う事を
形而上学批判として述べたんですよ。誤解ですよ。
270 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:21
話を戻すと、
生命力は構造化する力である。
だから生きるということは、必ず
ポスト・コロニアル、ジェンダー、クイア、マイノリティなどの問題を生む。
問題と自己同一性は、同じものの表と裏である。
そして問題を0に考えることが、ニヒリズムである。
それがポストモダニストの限界である。
>ポスト・コロニアル、ジェンダー、クイア、マイノリティなどの問題を生む。
272 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:22
パレルゴンとグミはなんかいいコンビだね。
でもグミはポールではないよね。
273 :
パレルゴン:04/05/01 01:23
268
それではデリダは否定神学をどのように考えたのだと仰るのでしょうか?
274 :
パレルゴン:04/05/01 01:26
ポールじゃないな。
もっと鋭い大学の講師かな?
でも、読みが一方からだけだから、
読み違っている。否定神学を肯定してる?
あるいは、当時の発言をそのまま読んでいるので、
ちょっとおかしいなぁ〜。
275 :
パレルゴン:04/05/01 01:29
東はハイデガーを否定神学と言っていたよな。
「存在論的郵便的で」
276 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:30
>もっと鋭い大学の講師かな?
そこまではないよ。本質は哲学好きの厨房だよ。
それにポスモダ知識ではバレやんの方が上かな。
277 :
パレルゴン:04/05/01 01:31
278 :
パレルゴン:04/05/01 01:35
ボンちゃん
構造と自己組織化とは別物よ。
構造は外的な社会構造を指し、自己組織化(オートポイエシス)
は自己自身でしょう。
だから、外の構造が階級化・階層化されるという構造に
いるから、主従問題が残っているのよ。
279 :
パレルゴン:04/05/01 01:36
277は僕ではないよ。
とうとう出てきたか。
パレルゴンさんは、しろうとさんですか?
281 :
パレルゴン:04/05/01 01:39
そうでもないよ。
ぴかぁ〜ちゃんの方が 上だよ。
おれは、ポスト・構造主義だから。
とにかく、乱読(笑)
ゴールデンウイークだから、お世話になります。
また、明日にすっか。ボンちゃん。
282 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:40
>>278 違うよ。
システム論は、生物学から始まっているから
自己組織化も、オートポイエーシスそれが専攻するけど、
それらは、社会学、法学、経済学に展開されてるわけ。
たとえばルーマンはオートポイエーシスを社会学に展開したわけ。
「構造」というと何か?ということになるけど、
構造と、システムは近い概念だよね。
だから生物構造主義はシステム論の範疇。
283 :
じゆん ◆frWQnIVNrg :04/05/01 01:41
<そうかな
>それらは、社会学、法学、経済学に展開されてるわけ。
>たとえばルーマンはオートポイエーシスを社会学に展開したわけ。
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU 投稿日: 04/03/25 20:31
>>14 くわしいですね。ルーマン好きの方ですか?
「共鳴(Resonanz)」→「自他同期可能性」ですかね。
>くわしいですね。ルーマン好きの方ですか?
>「共鳴(Resonanz)」→「自他同期可能性」ですかね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コピー元リンク
http://socgate.sal.tohoku.ac.jp/takahasi/kopplung1.htm >ルーマンは、これまで「相互浸透(Interpenetration)」や
>「共鳴(Resonanz)」といった概念を提起してきた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
285 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/01 01:43
バレやん、今日は落ちます。またね!
>>284=ぴかぁ〜のみぞおちにヒットした、ボディーブロー
287 :
パレルゴン:04/05/01 01:48
ほんじゃま。
俺も落ちる。
288 :
THE グル:04/05/01 08:53
いいですか、
>>225や
>>229、
>>234、
>>236、
>>240 はグルの書き込みじゃないんです。
誰かさんがグルを騙って書き込んだものなんです。
なぜなら、
グルはこうした意味のない誹謗中傷は絶対にしないんです。
まあ、
他人を批判するならご自分のHNなり、
名無しさんなりで書き込んでほしいものですね。
こういった行為は卑怯以外の何モノでもないんです。
残念なことですね。
他スレでも申しましたが、
真似なさるのは結構ですが、
何か見分けのつくように名前に変化をつけていただきたいものですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
あっははは。ぴかぁ〜さん、もうやめなよ。シェリング、ベルクソンって、あっははは。
もうネタキャラ一直線じゃないですか。
290 :
パレルゴン:04/05/01 18:04
構造主義は、如何なる社会にあっても、ある構造がその存立前提の基盤として
存在する事を主張する。その構造によって、社会は成り立ち、機能している
と考えているのだろう。しかし、だからと言って、構造が唯一無二の物として
真理を帯びているとは考えない所がみそである。
つまり、古典主義(ルネッサンス期)にあっては、合理的・真理的に
社会はかくあるべきだと言った主張・視点にたって、国家の構造
を理想的に組み立て様とした。
それでは、構造主義と古典的・合理的組織体である国家組織
と所謂、フーコー、ソシュール、アルチュセール、ラカンの言う
「構造」とは、どこが違うのか?
291 :
パレルゴン:04/05/01 18:12
つまり、一言で言えば、前世紀に一世風靡した構造主義とはなにか?と言う事である。
ある人から、「マルクス主義は構造主義でしょう。」と言われた事がある。
「そうでしょうか?」と答えたら、
だって、「下部構造、上部構造 と言う概念で資本主義の構造を分析していますよね。」
と言う理由だった
皆さんはどう思いますか?
292 :
パレルゴン:04/05/01 18:20
構造主義を語る前に、芸術の旅をしましょう。
19世紀末に、印象派絵画がヨーロッパに生まれる。そのタッチは線描画
と言われ、太陽光線により刻々と変わる風景を描写する。
そこには、客観的な「物」が光により移ろい、それ自身が持っている
ものが相対的なものに過ぎないことを暴いているようでもある。
ある意味、絵画の構造と言われるものは光によって散逸したかのようである。
290「下から三行目は(それでは、古典的ーーー)へ訂正です。
293 :
パレルゴン:04/05/01 18:29
絵画において、「構造」と言うものが脚光を浴びるのは、セザンヌを
代表するキュビズムからだと思います。つまり、あのセザンヌによって
有名になった立体のサントビクトワール山が二次元のカンバスに描かれ、
または、果物の静物画によって、彼は、実際の目では決して見えない
構造を創りだしたのです。この「構造」は哲学の「構造主義」とは全く
関連がないようにも思われますが、時代背景等を考えると、
全く無視は出来ない気もします。
ような気がします。
294 :
パレルゴン:04/05/01 18:34
話を戻すと、構造主義とはなにか?
それは、通常の構造とは全く違う点が1つだけあると言う事です。
それは、ソシュールの言う「恣意的体系」と言う事です。
構造は、恣意的に出来ていると言う事です。
(食事に行くので中断)
295 :
パレルゴン:04/05/01 19:28
つまり、西洋が基盤としている構造が、絶対唯一の真理体系である
と言う事のうそを暴いたのが、構造主義的な視点による分析であった
と言う事です。レヴィ=ストロースは他民族の構造を分析します。
その中で、どのような民族もある構造を有している事を証明します。
そして、振り返って自国西欧を見るとき、そこにもある恣意的構造を
見出したのです。
第二に構造主義とは、ヒュマニズムの否定です。
ヒューマニズムとは、人間の可能性に重点を置いていました。
サルトルはアンガージュマンと言う概念のもとに、人間の力による
社会の変革可能性(運動)を信じていました。つまり、この事が
彼をして最後の哲学者と言われる所以です。
つまり、構造主義とは、ある恣意的な構造(言語=相対的真理構造)
があり、その構造が人間を支配しているのであり、決して人間が構造を
自由に操っているのではなく、その構造から逃れるのは困難であると言う
主張であったのです。
以降、この構造から如何に逃れうるのかを問うたのが
ポスト・構造主義なわけです。
パッチワークの限界なんて、とっくの昔に来てるんだよ。
問題なのは、如何にしてこの自作自演が終わるのかと言う事だ。
素人が何の意味もない事に巻き込まれるのを阻止するのは、哲学板を利用する者の倫理だよ。
297 :
パレルゴン:04/05/01 19:35
前段の不十分な説明はこれくらいにして、
構造主義について、どのように考えているか?
適当に言ってくれない?
298 :
パレルゴン:04/05/01 19:39
296
どう言う意味でしょう。
299 :
THE グル:04/05/01 19:41
いいですか、
何でセザンヌがキュビズムなんでしょうかね?
ピカソとブラックが創始のはずですよ。
どうかしましたか?
セザンヌがキュビスムに影響を与えたのは事実だけど、
普通は「後期印象派」って呼ばれるよな。
301 :
パレルゴン:04/05/01 19:50
こんばんわ。
私は、セザンヌだと思っています。
あの静物画、サントビクトワーエル山の絵こそ
キュビズムの原型ですよ。ピカソやブラックでは
抽象的な形で絵を描くと言う事が完成されて、キュビズムの
発生過程が見えてこないのです。
勿論、ピカソでもブラックでも良いのですが、
私の自説はセザンヌによって、キュビスムは先鞭をつけたと考えています。
302 :
パレルゴン:04/05/01 19:54
あの裏面を二次元に表現すると言う事は、
勿論ピカソ・ブラックによって完成しますが。
ジャポニズムの影響を受けた、印象派の大胆な構図
それを、立体に利用したのは、セザンヌが最初のような
気がします。
303 :
パレルゴン:04/05/01 19:57
そして、絵画が抽象画となっていく過程で、そのテクニックが
設計図(建築・飛行機など)へ汎用されていく
と言うのはどうでしょうか?
304 :
THE グル:04/05/01 19:59
>>301 いいですか、
それは大きな間違いなんです。
あなたは、
>>293において、
サントビクトワール山(立体)を二次元のキャンバスに書いたとしておられますが、
ダ・ビンチの時代やヴァン・エイクの時代には、
すでに人間などの立体をキャンバスに描いているんです。
また、
ピカソやブラックは最初からキュビズムだったわけではないんです。
ですから、発生過程が見えてこないというのは、
ただあなたが知らないだけなんです。
キュビズムは絵画表現実験の一つとして行なわれ、
カルラ等に受け継がれてゆくんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
305 :
パレルゴン:04/05/01 19:59
つまり、ジャポニズムがキュビズム・抽象画・構図・設計図・アールヌーボー
アールデコを齎したってのは?
306 :
パレルゴン:04/05/01 20:03
ダビンチについては、それは、構造を抽象したのではなく
見えるもの(立体)を見える様に見える角度から精密に描いたんでしょう。
それと、キュビズムの裏面を表面に含んで描くと言う
ものとは全く違うでしょう。
307 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/01 20:03
>>303 設計図? レオナルドの時代だって設計図はあっただろう?
308 :
THE グル:04/05/01 20:10
>>306 いいですか、
それはおっしゃる通りなんです、
ではなぜそれを例に出したかと申しますと、
あなたが
>>293で言われるご説明の補遺としてまたは指摘として書いたんです。
なぜなら、
キュビズムは三次元を二次元へ書くといった単純なことではないからなんです。
つまり、
キュビズムは単に裏面を表面に含んで書くというようなものではなく、
事物の分解と再構成による展開絵画なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
309 :
パレルゴン:04/05/01 20:11
あったでしょうが、それは、類似性(例えば鳥をまねて、飛行機のようなものを
設計する)を中心にして、開発されたものが中心でしょう。
現代のように、全く無から強度計算などを基礎に、構造設計はしていない気がするけどね。
310 :
パレルゴン:04/05/01 20:17
308
それに同意します。
しかし、最初は、裏面も含んで、表面に描いた。
このときに、実際は、被写体を実際にはありえないものに
変更する必要があった、よって、分解し、再構成したと言う事
でしょうね。
このへんは、ベンヤミンが、「破戒・収集・再配置」と言っていますよ。
同時代の間テクスト的 思考の類似性でしょう。
311 :
THE グル:04/05/01 20:26
>>310 いいですか、
ベンヤミンのいうそうした再構築概念は、
カンディンスキーなどに代表される抽象絵画のことだと思いますがね。
また、
キュビズムは構造主義とは無縁ですがね。
これが定説です。
どうかしましたか?
312 :
パレルゴン:04/05/01 20:32
絵画も哲学も人間の営みの全ては、同時代のエピステーメーの中で、
類似する。これが結論でしょうね。
構造の中で、諸要素の布置により、全ての要素は他の全ての要素
に影響を受け、思考パーターンの類似性を齎す。
(´Д`;)は〜? このおっさん、何言ってるの?
314 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/01 20:38
>絵画も哲学も人間の営みの全ては、同時代のエピステーメーの中で、
>類似する。
これには異論はないけど、
レヴィ=ストロースの『野性の思考』って、'60年ぐらいだっけ?
いずれにしろ、キュビスムの時代とはズレてるよ。
むしろ、現象学等との関連で取り上げるべきじゃないのか?
315 :
パレルゴン:04/05/01 20:39
たしかに、ベンヤミンとカンディンスキーは近い気がしますね。
カンディンスキーはバウハウスであったわけで、クレーもそうでしたか?
そして、ベンヤミンはクレーが大好きだった。
たしかに、キュビズム=物体の構造の構成力 と考えると
構造主義=恣意的抑圧的真理体系
とは違いますね。
ただ、それでも、強引に類似点を見出そうとすると、
共に 「構造」に注目している点ですよ。
これは、偶然ではないでしょう。
316 :
THE グル:04/05/01 20:45
>>312 いいですか、
いえいえ、
キュビズムと構造主義は類似していませんよ。
なぜなら、
ピカソやセザンヌ等の改革的芸術家は、
自己完結、乃至事物の新しき展開を模索していたからなんです。
まあ、
デ・キリコはニーチェを読んでいましたがね。
さて、
話を構造主義に戻しますと、
ソシュールが共時言語学などで示したように、
構造主義は静態に依り過ぎたと言えるでしょうね。
まあ、
グルは人間に依り過ぎてはいるものの、実存主義のほうが好きですがね。
これが定説です。
どうかしましたか?
317 :
パレルゴン:04/05/01 20:48
時代的には、キュビズムが1920、セザンヌはその前
レヴィ=ストロース「野生の思考」1962年
だから、確かに、同時代とは言えないかもしれないね。
しかし、系譜学的に捉えると、同時代の影響下と言えなくもない。
現象学との関連って どう言う風に考えるの?
318 :
THE グル:04/05/01 20:52
いいですか、
そろそろグルはそら豆でも食べに行ってくるんです。
そら豆オンリーなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
319 :
パレルゴン:04/05/01 20:52
デ・キリコはシュール・リアリズムでしょう。
むしろ、無意識を示そうとしているとするならば
フロイトって事では?
320 :
パレルゴン:04/05/01 20:55
318はい了解
でも、グルさんは その物の言い方を変えたほうが
印象が良くなるよ。
「いいですか」と「どうかしましたか?」を止める。
頭が良いんだから損するよ。
321 :
パレルゴン:04/05/01 21:00
確かに、このように考えると、哲学と芸術とは、類似性がある。
それは、マルクスの言うような、下部構造上部構造に影響を
与えると言う単純な物ではない気がするけど。
僕は門外漢で分からないけど、音楽にも類似性があるかも知れんな。
勿論、物理学なんか、相対性理論 と 相対主義なんかは完全でしょう。
322 :
パレルゴン:04/05/01 21:03
俺も チョット外すね。314様
323 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/01 21:04
>現象学との関連って どう言う風に考えるの?
浅薄な例で恐縮だけれども、
現象学もキュビスムも、どちらも意識の外、カンヴァスの外にあるような、
事物的世界を括弧に入れてしまった……みたいな感じ。
324 :
パレルゴン:04/05/01 22:19
キュビズムが写実的な物体を抽象する、或いは 部分部分を分離した
後に、再度構成するように、現象学も、客観と言われる 外部の存在を
一旦エポケー(判断停止)し、後で、超越論的主観的領野において
色々な角度から集めた(志向性・ノエシス)、その物体の像(ノエマ)
を意味関連として再構築する。
こんな感じですかね。
325 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/01 22:28
326 :
パレルゴン:04/05/01 22:39
いいかも。
問題ないですよ。
有ってると思う。
327 :
パレルゴン:04/05/01 22:40
「合っている。」に訂正。
328 :
パレルゴン:04/05/01 22:42
久蔵さんは、どう言う哲学系なんですか?
また、ぴかぁ〜さんと確執あるの?
329 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/02 00:53
>久蔵さんは、どう言う哲学系なんですか?
どちらかといえば大陸系。英米系は詳しくない。
しかし、最近『デザインと記号の魔力』勁草書房をパラパラ眺めてみて、
パースの記号論も面白そうだと思いました。
>また、ぴかぁ〜さんと確執あるの?
ここに何を書こうが構わないけど、板荒らしが許せない。
百歩譲って荒らしがよいとしても(よいわきゃないか)、
何か、あれには「清潔さ」が感じられない。
330 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 00:15
>>329 やっとポスモダ勉強する気持ちになったか。
面白いぞ。
おまえに「清潔さ」という言葉はじゆんらしいが、
ほんとわしの影響をうけてるな。
昔は「清潔さ」なんてことを、ネタ的にはいえなかった糞真面目人が。
カウンセリングももう少しか。
これも常連コテの仕事の一つと割り切っているが・・・
331 :
考える名無しさん:04/05/03 00:53
↑不潔過ぎる
ねえ、ボンちゃん。パースってポスモダだとかって思ってんの?
333 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 01:03
334 :
考える名無しさん:04/05/03 01:04
何語ですか?
335 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 01:11
じゆん、コテ変えるのめんどくさがるな。
久蔵キャラで返答しろ!
ぴかぁ〜も自演やめな。
337 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/03 01:13
「まだまだだま」。なに動揺してるんだ、馬鹿?
ところで、パースはポスモダじゃないからね。
338 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 01:13
339 :
考える名無しさん:04/05/03 01:14
340 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/03 01:17
341 :
パレルゴン:04/05/03 10:16
まあまあ、喧嘩はやめて、勉強しようよ。
仲良く。激論なら良いんじゃない。
昨日は、読書で、書き込みしなかったのですが、
皆どう言うテーマが好きなの。
ぴかぁ〜さんは、大体分かるけどね?
とにかく「知ってる。」「知らない。」と言う、
競争は止めて、分からん所はお互いに質問「それはどう言う意味?」
とか「俺はこう思っているんだけど、君の意見は?」
と言う聞き方をすれば、相互を傷つけずに知識は増えていくのではないのかな。
つまり、こう言う良い方向に向けて、相乗効果を発揮できる
様に、2チャンを使っていこうよ。
342 :
パレルゴン:04/05/03 10:17
ほんじゃまた。
343 :
考える名無しさん:04/05/03 12:25
>>341 >良い方向に向けて、相乗効果を発揮できる様に、2チャンを使っていこうよ。
賛成です。パレルゴンさんもローカルルール議論に参加していただけると嬉しいです。
残念ながら今ローカルルール議論板自体が荒れています。個人的にはトリップをつけて
いただいて参加していただけると助かります。よろしくお願いします。
わかったからいい加減age荒らし止めれ うざい
347 :
パレルゴン:04/05/03 22:25
俺って、2チャン素人だから、「ローカル ルール」の討議
に如何に参加するかよく分からないのですが、
教えていただければ、参加しますけど、ミイラ取りがミイラ
にならないようにしないといけませんね。
とにかく、顔が見えないので、ついつい感情的になるんですね。
俺も、最初の頃の書き込みを見ているとかなり相手を罵倒している
自己反省しています。
どのようにするとお互いの意見を尊重できるのか?
難しいでしょうが、
第一に 本当に哲学を愛し、本気で知りたのならば、相手の罵倒に
耐えても、聞こうとする姿勢は変わらない気がするんだ。
第二に こう言う顔が見えない状況では お互いに 丁寧に話さないと
いけない気がするんだ。 だから、罵倒しているレスは冷たいようだけど
無視すると言う共通ルールを決めたらどうだろうか?
今のところはこんな意見しかないけど?
348 :
パレルゴン:04/05/03 22:33
同時に、レスを書き込むのに、知識の優劣は関係ないと言う
雰囲気をつくらないと、何時までも、「書きたいけど、答えられない。
ので、書けない。」と言う不安を持っている人たちが沢山いて、
イラついていんではないのだろうか。
そう言う人たちにも、どんどん書いても良いような雰囲気が必要かも
知れない。ただ、そう言う人たちは、軽い知的チャットをしたいだけで
純粋に哲学的なテーマを討議しようと思っていないのかも知れない。
そう言う人は、スレッドに何か印をつけるとかして、断定的な哲学的
知識の書き込みをお断りするようにしたら良いし、
349 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 22:35
バレやん自治議論は自治スレでやった方がいいよ。
350 :
パレルゴン:04/05/03 22:45
時々、「それは違う」と言ってレスしては、去っていく人
は、もう少し、コメントが欲しい気がする。ただ、ゲリラ的に指摘し
去っていくのは、色んな意味があるのかもしれない。
例えば、「指摘はしたいが、指摘されたくない。」
このような態度は、人間の本能のような気がします。
人の欠点は指摘したいが、指摘されたくない。
でも、こう言う人はもう少し考えていただければ良いのではと思うのです。
つまり、こう言うゲリラ的態度が相手に悪影響を与え、
相手も、身構えるようになり、罵倒するような態度になると言う事を。
瞬間に現われ批判し去っていく人がいると、瞬間に自論だけを述べて
罵倒されずに、去って行こうとする人が増え、或いは、罵倒されない為に、
自論を頑固に守ると言う風潮を創っているのは、実は、ゲリラ的な批判者が原因かも
しれないと言う事を自覚するべきです。
351 :
パレルゴン:04/05/03 22:46
349
ボンちゃん「分かったよ。」
でも、今日は止めとく、入り方が分からんのよ。
でも、以上で十分言ったから。
有難う。
352 :
パレルゴン:04/05/03 23:39
ラカンの対象aについて、福原泰平氏の現代思想の冒険者達を
参照しよう。この概念が非常に捉えにくいのは、「象徴界に語れば語るほど
そこに生み出される語りえぬ不可能な余剰物によって、語ることで奪われていく
欠けた凹みとしての世界ーーー」と言っている。
つまり、(原)最初のシニフィアンにて空いた無と言うへこみが対象aと言う事
になる。つまり、私の解釈では、想像界にいた時の充実した自己?
この自己が抑圧によって中心部が空無化され、この空無にシニフィアン連鎖する
のだが、この連鎖によっては表現されない、想像界のなかの連続的・リビードー
的な「私」とは言えない「それ」の残骸を指示しているのではないだろうか?
それだから対象aは、血塗られた死体、血、など、 見つめると目を背けられない
ようなものでもある。想像界にて「私=それ」は持続する欲望の流れであったがゆえに
それ(対象a)は、魅了し、象徴界の「私」はそれに引き付けられると同時に、
対象aは対象化しえぬものでり、語りえぬものでもある。
と言う事だろうか?
353 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/03 23:42
>>352 対象aは他者の差異として現れた「私」ゆえに
「私とはなにか?」語れないという言語上の穴では?
354 :
パレルゴン:04/05/03 23:49
よくわからない説明ですが、ラカンの思想は難解ですので、
学習したい方は上記の本を参照してね。
355 :
パレルゴン:04/05/04 00:03
私の解釈は第1シニフィアンが原抑圧であり、そこに空いた穴
を対象aと考えているんですね。
つまり、想像界にいた時の持続的な存在が
去勢で、対象化=言語化する 世界に住むようになる
この時に、象徴界から見たときの想像界の余剰が
対象aとも考えているんだけど。
ボンちゃんの説明場合 同じ事を言っているのかもしれない
けど、「他者との差」の意味が分からない?
356 :
パレルゴン:04/05/04 00:16
今日はスローだから、落ちます。
それでは、また明日です。
すやすや〜
357 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/04 00:18
ラカンの場合には、言語論的に理解しなければいけないのでは?
他者というのは、動物でもできますね。
人が言語を手に入れたときに、他者の差異として、「他者でないもの」=私が
生まれた。すなわち自意識。
しかし私がなにかは言語上答えることでできない。それは穴です。
そしてそれを埋めるために他者を鏡像とする必要がある。
というようなことですね。
あいかわらず
おめでてーな
359 :
パレルゴン:04/05/04 07:57
ボンちゃんへ
対象aを理解するには、
[大文字(他者)のA」との違いを比較し、理解した方が早い気がするんだけど。
[大文字のA]とは、S1(最初のシニフィアン)で想像界から象徴界へ投げ落とされた
主体(S)は、自らの姿を映し出す(対象化)事が出来ない。
だから、他者の中に自分の鏡像を映し出そうとする。この鏡の位置にあるのが
「大文字のA」ですね。しかし、実際はこの「大文字のA」を対象化すること
はできない。なぜならば、それは、福原の言う様に「見えざるもの」であると
言う事です。
一方対象aはS1で空いた「空無」そのものを指しているのです。
つまり、想像界(対象化しない連続体としての「私」と言えない私)
を、失った「私」が、抑圧以前の想像界の残滓を対象化する
そのものを対象aと言っていると思います。
つまり、象徴界の充溢した連続体の世界を取り戻そうとして
シニフィアン連鎖を繰り広げるが、主体はそれを、対象aとしてしか
見出せないと言う事のようですね。(福原参照)
[大文字のA]は象徴界での自分の姿であり、対象aは象徴界から見た
想像界の残滓(キレハシ)のようなもの。
360 :
パレルゴン:04/05/04 07:59
ほんじゃま。また、夜にでも。
361 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/04 11:01
362 :
パレルゴン:04/05/04 12:07
264
の仰る「否定神学」について、一言。
双方誤解による会話であった気がしますので、再度確認の為の考察。
貴殿は「否定神学とは 一神教である。そして神を示すには、(〜は〜である。)
と言う断定的な肯定文 では 捉えきれない。 だから(〜は〜でない。)と言う
否定文の連続によってしか 言い表せない。」と仰っている。
そうだとすると、我々 ポスト・構造主義(ポスト・モダン)的視点からは、
(〜は〜である。)も(〜は〜ではない。)も同じく、真理の探求
を目指す 形而上学足りうるとして、批判していると言う事です。
だから、否定神学とは何かと言う事に対しては同じ解釈であったが、
評価の仕方が180°反対であったと言う事かな。
貴殿は神学的な点から、デリダを読んでいると言う気がします。
361
ボンサンへ。
疑問点の「言語論的」について、少し意味不明ですが、第1シニフィアンによって
象徴界(言語世界)に参入する(強制的にさせられる。)わけで、その後は、
言語による指示しをもって、意味の世界に生きるしかないと言う事でしょうか?
そう言う点が質問点ですか?
363 :
ボン中山 ◆PKPKs4sF8s :04/05/04 12:24
>>362 いや、単純にラカンはソシュールから影響をうけて
思考を進めたわけて、言語論的に
自説を考察してますよね。
その当たりのことを聞きたかったのですよ。
364 :
パレルゴン:04/05/04 17:18
>>363 いえ、勿論ボンさんがラカンもソシュールも知らないのは、
衆知の事ですが、自分で調べるということを覚えてはいかがですか?
365 :
パレルゴン:04/05/04 19:26
364
君は偽者です。そう言うことはやめましょうね。
363 ボンちゃんへ。偽者が出ましたね。私では有りません。
ところで、質問についてですが、ソシュールからの引用は
シニフィアン(所記)・シニフィエ(能記)と言う、タームを利用して、
精神分析に使ったと言う事では。
既に、私が説明に使っている「第1シニフィアン」もソシュールの影響ですよね。
シニフィアンの恣意性とその他のシニフィアンに対する差異の体系の中でのみ機能する
と言う所を、ラカンは主体と言う原シニフィアンも自分で自分を定立出来ない
として、他のシニフィアン(大文字のA)によって初めてその位置を知る事が出来るとしている
このところがソシュールを最大限に利用しているところだと思うね。(福原泰平参照)
366 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/04 20:10
367 :
パレルゴン:04/05/04 22:01
>>366 ボン中山さんは理解していませんね。
本物の私は、あなたに教えてもらっているのでなく、
本物の私が、むしろボン中山を啓蒙しているんですよ。
その点に気付かずに、浮かれている貴方が馬鹿以外の何物でもありません。
368 :
パレルゴン:04/05/04 22:53
367はホンモノではありません。
ボンサンと呼びますが、「ボン中山さん」とは
呼びませんよね。
私がホンモノです。
もうどうでも良いですけども。中傷の為に「パレルゴン」のHN
を使って欲しくないなぁ〜。
自分名前で言ってよね。
369 :
パレルゴン:04/05/04 23:44
失礼ですが、あなたがトリップつければいいのではないでしょうか?
これは警告です。
370 :
パレルゴン:04/05/05 09:00
逆切れってやつか。
なぜ、自分のHNで堂々と批判しないのかな?
隠れて批判するならば、批判はしない方が良いよ。
しかも、「警告」ってなんですかね。
君が他人のHNを使用して、第三者を批判する事こそ
「警告」です。
パレルゴンさんへ 全く無礼な横レス
僕はぴかぁさんのはてなを全て読んでいますが、どうしてもパレルゴンさんがぴかぁさん
(ボン中山さん他、無数の名前)の主張を評価しているのが不可思議なことにしか見えない
のです。ぴかぁさんとの問題意識の違い、タームの使用法の違いはいうまでもなく、ぴかぁ
さんの現段階での結論である、安直な反形而上学としての、いわば生命論主義(実はこれこ
そがハイデガーのいう完成された形而上学!)などには、パレルゴンさんは(今までのあなた
の書き込みを見る限り)最も反対なのではないでしょうか。それともパレルゴンさんはぴかぁ
さんの書き込みに現れている「ポストモダン(ポスト構造主義)的表現」を評価していらっしゃ
るだけなのでしょうか。
372 :
パレルゴン:04/05/05 13:51
ばかぁ〜さんへ。どうも。
僕は、ぴかぁ〜さんのポスト・モダンを全面的に賛成しているわけでは、
勿論、ありませんよ。
貴方の言う様に、私の書き込みを読めば、ポストモダンに全面的に賛成ではない
のはお分かりかと思います。ご理解に感謝。
しかし、彼、ぴかぁ〜氏の自説は、理解できない面もあるけど、了解できる
範囲だと思っています。つまり、色々なタームを繋いで、差延化しようとしている。
勿論、皆さんのご指摘の点、彼自身理解不十分の点、もあるかもしれません。
私も、「生命論主義」と言うところは、率直に言って、理解できないのですが、
それは、彼独自の自論の範囲ではないかと思うんです。
自説がでたらめか、そうでないかは、討論すれば良い事ですよね。
それよりも、よって集って、彼を叩く事、しかも、HNなしで叩く事
の方が問題でしょう。だから、先ず、自説・反論できないのに、からかう
、叩くという行為の方が現状では問題だと言う事です。
ぴかぁ〜氏の説に問題ありと思うのならば、要点を質問すべきで、
からかうのは、最低だと思うんだ。
373 :
パレルゴン:04/05/05 13:59
勿論、ばかぁ〜さんの発言には、上記に該当する発言はないと思います。
374 :
考える名無しさん:04/05/05 14:05
カス山死ね!!
375 :
考える名無しさん:04/05/05 14:22
>>372 >自説がでたらめか、そうでないかは、討論すれば良い事ですよね。
用語すらデタラメに用いる相手の主張の何を一体議論出来るのでしょうか?
差延化と言っても、デリダはタームをデタラメに用いてるわけではまったくありません。
哲学の議論をしたい者ならば、タームの正確な把握、記述を目指すのは基礎の基礎であり
礼儀ですらあります。それをもしない相手と議論をするとは一体何を議論するのですか?その主張は単に修辞的であるばかりか、安易な居直りでしかないと考えます。
>>372 お返事どうもです。>ぴかぁ〜氏の説に問題ありと思うのならば、要点を質問すべきで、
からかうのは、最低だと思うんだ。というのには完全に同意です。
僕も過去にぴかぁ〜氏の説に問題ありと思って、要点を質問したことがありまして、会話
中の名無しのからかいにはイライラしました。これは討論のルール以前の低次元の話です。
それを踏まえたうえでお聞きしたいのですが、やはりポストモダンとはまずモダンありき
のものではないかということです。時代の雰囲気や趨勢を表現しただけの「ポストモダン」
を語るのは簡単です。それこそ、色々なタームを繋いで戯れていればよいのですから。しか
し、やはり哲学としてポストモダンを語る際には同一性−再現前化の突き詰めとしての、
差異−反復、という狭義の哲学タームを使って語るべきであると僕は思います。なので、
そこを通過していないぴかぁさんの主張は単にナンセンスと考えます。パレルゴンさんは
モダンの突き詰めを通過せずにポストモダンを語りうる言葉は存在可能と考えますか?
377 :
パレルゴン:04/05/05 14:38
そうでしょうかね。
僕は、彼(ぴかぁ〜氏)が、概念を説明しているのではなく、
概念を創作・実践しているのではないかと考えたのです。
また、創作した概念を既存の哲学者の概念と混ぜ合わせたと思うんですね。
観察するに、彼は、1)自分で解っている概念 2)自分で考えた概念
3)解っていないが一流の哲学者の言う概念、この3つを混ぜ合わせながら、
自説を編んでいっている(実践している。)と思われるんです。
ですから、細かな点の不十分さと言う見方よりも、差異・差延・脱構築の
実践なんだと考えると、概念の理解の不十分さは、許されると思うんですね。
ただ、彼が形而上学への復帰と言った時には、私は彼を批判しましたよね。
これは、創作だから許された彼の、パッチワーク的(寄せ集めて的)思想も、
形而上学では許されないと思ったからです。
>色々なタームを繋いで戯れていればよい
>時代の雰囲気や趨勢を表現しただけの
というのは違うと思います。それはポストモダンをある形で需要した、ポストモダンの
模倣者がよくやることですよね?基本的にばかぁ〜さんの言う通りだと思います。
単にぴあぁ〜さんの書き込みは、その手のポストモダン風の雰囲気を、色々なタームを
繋いでさもなんらかの主張を持っているように見せかけた文章以上の何物でもありません。
パレさんの主張は、差延化という主張がまずありきで、だからこそぴかぁ〜さんの文章を
認めるという構造になっていませんか?それは視点が逆だと考えます。
379 :
パレルゴン:04/05/05 14:53
376
仰るとおりですね。モダンに対する考えをもっていないと、
ポスト・モダンは捉えられないと私も思います。
また、アゲインスト・ポストモダニズムと言う本も出ていますように、
モダンとポスト・モダン は同根である、或いは、同じ運動に過ぎない
と仰る先生もいるわけです。
例えば、モダンとはなんだと考える時、近代理性主義的 現前主義的
生産主義的なのか良くわかりませんよね。
全体を部分に切り分けて、そこから全体を再度組み合わせると言う
行為をもってモダンとするならば、ポスト・モダンも部分をより強調した
だけで、モダンとの差異は少なくなります。
だから、話を戻しますと、モダンと言う対立する概念の定義づけを先にやって
からでないと、モダン以降というものは、はっきりと見えてこないと言う事
でしょうね。
380 :
パレルゴン:04/05/05 15:07
380
確かに、私は、彼が2チャンでやっている事は、「差延化」の実践だと
思っています。ですから、彼が、モダンとは何かを定義づけたかどうか
は知りません。また、討論によって、タームを正確に把握しようと
しているのかどうかも解りませんが。実践なのだろうと思っています。
理解と言うものではなく、良く言えば存在論的脱構築を2ちゃんで
実践していると思うのです。だから、彼には、議論による
正確な解釈・理解よりも、彼にとっての、2ちゃんが開かれてある
と言う事ではないかと思うんです。そうであるならば、僕らは、
彼に対して、正確な概念の説明を依頼できないわけです。
ですから、彼に対しては、こちらの反応を非論理的な素振りとして
見せれば十分と言う事になりますね。
381 :
パレルゴン:04/05/05 15:16
誤解のないように付け加えると、
非論理的な素振りとは、比喩的な表現であり、「それってこう言う事でも
あるんだな。」って言う様に、それが何かと言う事を直接には示さないと
言う反応です。例えば彼が「それはAだ。」といったら、「俺はBの様な
ものだと思う。」と言うように、まるで禅問答でもするように答えると言う事
でしょうか。ちょっと極論ですかね。(笑)
382 :
パレルゴン:04/05/05 15:17
それじゃまた。夜にでも。
>>380 うーん・・・
何も正確な概念把握も説明も依頼しなけど、よそのスレに来て適当な用語を
並べて、相手にされないと切れて荒らすというのは止めて欲しいよね。
俺は簡単にコミュニケーションというものが出来ることだと思わないし、
だからこそ文章は相手に伝わるように書くべきだと考えるけど、脱構築や差延化
なんて言葉を何にでも適用すると、なんでもありになると思うんだけどね。
そもそもデリダの脱構築は西洋形而上学の、この最も困難な問題に対して
苦闘した結果として要請された方法論であって、なんでも脱構築といって通用させて
しまうのはとても疑問だと思うね。
「戯れ」っていうのも問題を保持する態度であって、簡単に問題に解答を与えない、
だからこそ、ノマドロジーなんて考えが浮かんでくると思うんだよね。タコ壷に落ち入
らず、かつ問題を保持する態度。
>>381 そこはわかるよ。
>>377 >差異・差延・脱構築の実践なんだと考えると、概念の理解の不十分さは、許されると思うんですね。
これには明確に反対させていただきたいと思います。遠近法を通過せずにピカソ、デュシャンに凄み
はあるか?演芸の基礎テクニックなしでモンティ・パイソンは面白いか?というようなもので、哲学
において、概念の理解の不十分な実践にはほとんど価値はないと思う。
浅田 単に壊してぐぢゃぐぢゃに並べるというのは、(略)、いわゆるルーズな相対主義みたいな
もんで、そんなの誰にだってできるわけですよ。それでは作品にも何もならない。
坂本 ネコがピアノを弾くのと同じで面白くない。
(「EV.cafe」 浅田彰と坂本龍一の対話より)
俺はポストモダンには通じていないがパレルゴンに聞きたい。
概念とその概念が持つ歴史的議論の背景を理解した上でそれを差異・差延・脱構築するなら意味のある行為だが、
誰かさんのやっているように、その概念が本来持つ意味や問題性を全く理解せず、勝手に語のイメージから自己解釈した
概念を乱用し、それを指摘されると「私の論は哲学学ではなくオリジナルの思想だから」といって逃げたり、
君が言うように「概念を創作・実践」しているとのたまうことがポストモダンでは認められているのか?
386 :
THE グル:04/05/05 20:18
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
387 :
パレルゴン:04/05/05 20:20
ポストモダンとは何か?私も正確に定義づけているわけではないのですが、
仮に、モダンと言う、人間主義、真理主義(真理があると考える。)
進歩主義、現前主義(現在目の前にあるものが最優先する。)
科学主義 (人間の真理発見能力信奉) であるとするならば、
そのアンチ・テーゼがポスト・モダンなのでしょうね。
ところが、この事をポストモダンと考えるならば、一つ大変厄介な
問題を抱え込む事になるんです。
つまり、真理はない、人間個々人は個別的多様性に開かれる、既存の価値に捕らわれない、
個々の創作である、個別世界への開放 と言う事がポスト・モダンになるんですね。
ところが、そう言うことを実践して行くと、議論する事が無意味な次元が開かれる
と言う事です。つまり、単純に言えば、議論とは同じ地平に於いてしか成り立ちません。
つまり、同じ前提が必要になると言う事です。しかも、議論とは一つの正解を求めると言う
プロセスなのです。つまり、ポスト・モダンの論議は、モダン的な真理探究前提にする事なのだと言う事です。
つまり、モダンに捕らわれてしまうのです。
だから、デリダはサールとの論議で、姿勢を次々と変えていったんです。
388 :
考える名無しさん:04/05/05 20:27
私はポストモダニストですって
宣言した人って誰?
389 :
パレルゴン:04/05/05 20:28
こう言う意味から見ると、ぴかぁ〜氏の行為はポスト・モダンの
実践であると言えるんですね。但し、真偽の討議をしないと言う前提が
あります。仮に、真偽の討議をしたならば、彼は、ポスト・モダンの
実践ではなく、ポスト・モダンをモダンの中で、ポストモダンは
こう言うものだと説いた事になりますから意味を訊ねて、間違いを指摘
してもいいわけです。
ところが、彼が、自分の世界を、呟くのならば、それは、差延の実践と言う
ポストモダン実践と言う事で、批判は出来ないと思います。
390 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 20:34
>>389 ポストモダンの実践ですか・・・
それほどたいそうなものではないと思いますけど。
「哲学」ではないということではないですか。
そうなると、ポストモダン以降、「哲学」は消失したということですかね。
391 :
パレルゴン:04/05/05 20:34
つまり、私は、ポストモダンの中で、こう言う風に多様さに生き
脱構築していると言う姿を見せている。それ以上に、だから、俺の言っている事
は正しいとは言っていないとするならば、それは彼の世界であり、それは間違いだと
は言えない。これが、ポスモだと。しかも、ポスモといわずに、実践する
素振りを見せているのだと。そうであるならば、真偽もんだいではないのだから
指摘は不可能の次元になると言う事です。
392 :
パレルゴン:04/05/05 20:38
哲学ではないと言う事は、真理探究ではないと言う事でしょうか?
だから?
はっきり言うと、この中に本当に永き付き合いをしたことがある人間がいないと思う。だから断片的な論議に終始してきたのだと思う。顔をみ続けているということは重要なことだ。だから手前味噌で恐縮だがおまえら何にも解っちゃいないと言わせてもらおう
デリダとサールの論争は知らないが、某人物のように、勝手に相手の概念を自己解釈し居もしない亡霊をつくり上げ、
その亡霊に対して攻撃する論法をポストモダンの実践ということはよくわかった。
ポストモダンが衒学と言われる理由が良くわかったよ。
>ポストモダンが衒学と言われる理由が良くわかったよ。
ピカとホスモダの評価を混同する馬鹿登場。
是非に及ばず
>396
ピカの論法がポスモダのそれと一致するかをパレルゴンに聞いたんだろ。馬鹿?
399 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 21:37
わしのテクストは、哲学でなく、社会学なのかな。
哲学よりも、社会学(メディア論)の本の方が良く読んでるし。
文章の「ノリ」が、ボードリアールとか、ボルツに似てるなーとか
自分でも思う。
兄、しろうと、ばかぁ〜とかに批判されるのは、
たぶん分析哲学を経てないからじゃないかな。
でも、分析哲学系の批判って、もはや難癖化しているよね。
言ってることはわかるが、なら社会分析はだれもできないことに
なるからね。
この当たりはルーマンも苦労しているよね。
400 :
考える名無しさん:04/05/05 21:39
パレルゴンって有限責任会社しか読んだことないんじゃねーの プッ
385もカスだが
401 :
考える名無しさん:04/05/05 21:40
>兄、しろうと、ばかぁ〜とかに批判されるのは、
あのさ、ぴかぁ〜ってポール?
誰にも相手されずに独り言いってんのが
「ポストモダン的実践」なんだそーなんだから
おまいらもほっとけよ
403 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 21:44
しかしポスモダ批判の知的コンプレックスを感じるな。
404 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 21:45
>>402 はてな読者に失礼だぞ。
おまえが理解できないだけだろう。
405 :
考える名無しさん:04/05/05 21:46
>はてな読者に失礼だぞ。
>おまえが理解できないだけだろう。
????
406 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 21:47
>????
????
407 :
考える名無しさん:04/05/05 21:48
>>406 ぴかぁ〜、ポストモダンの対義語を言って御覧。
408 :
パレルゴン:04/05/05 21:48
かなり一致していると考えてもいいと思うよ。
ただ、彼は、前述のような、形而上学的な問題点(真理追究とその批判)
が前提としてあるとは全く考えていない。多様化をもてあそぶって事ではないだろうか?
俺もよく知らんけど、多分、ボードリヤール・リオタール・デリダ
からの発想ではないかと考えられるわけで、実際はデリダを忠実に実践している
のではなく、むしろ、情報化社会論・消費の多様化・から論旨を進めている
気がするなぁ〜。どの社会思想家に影響を受けたのかーーー 少なくとも
哲学からは多くを学んではいない気がする。
409 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 21:48
バレやん、ちょっとここ荒れたね。
気にせず、がんばってつづけてください。
410 :
考える名無しさん:04/05/05 21:49
逃げられた。。。
しゃあない、また追求させてもらうわ。
ぴかぁ〜は「はてな」ですっかりシカトされちゃってるからな
412 :
考える名無しさん:04/05/05 21:50
ぴかぁ〜が東大(かろうじてその他国立大)出てるならここのみんなの目もかわると思うよ
東大にも入れない香具師の頭じゃなにやっても駄目だし
あと原書読むことだね
413 :
パレルゴン:04/05/05 21:54
ぴかぁ〜さん。やっと出てきたね。待ってたのですよ。
そこで、どう言う本を読んで来たのか、みんなに言ってくれませんか?
ぴかぁ〜さんの発言の背景を知りたがっているのです。
414 :
パレルゴン:04/05/05 21:56
ぴかぁ〜さんの知識が、無様な醜態を晒すのを見届けてあげるのが、
弟子としての、最後のつとめになるでしょう。
さあ、醜態を晒す為に、その貧弱な学識を披露してください。
415 :
パレルゴン:04/05/05 21:57
哲学の方から見て、みんなが批判する以上に、合っている点も
見られるし、全く合っていない点も見られると言う不思議な
発言が散見されますね。だから、皆が、批判するのではと思うんですが?
416 :
考える名無しさん:04/05/05 21:57
ぴかぁ〜の本棚
・現代思想の50人
・日本人の書いたくだらない解説本
これだけあればなんでもできるwwwwwwwwwww
417 :
考える名無しさん:04/05/05 21:58
ビガロ?
418 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 21:58
久蔵コテは捨てたのか?偽バレ(w
419 :
パレルゴン:04/05/05 21:59
414は偽者です。
416よく知らないで批判は止めましょう。
ここは本人に意見を聞きましょう。
420 :
パレルゴン:04/05/05 22:00
元から、ぴかぁ〜さんが真面目に学習しているなどとは
誰も思っていないので安心してください。
私達にできることは、ぴかぁ〜さんを部屋から一歩外に出す補助をすること
以外にはないのですから。
421 :
考える名無しさん:04/05/05 22:01
>>419 ハァ?
オナニーショウそのものであるはてなで自分で書いてたぞ
引用元・参照元のリスト
原典からの引用はまったくなかったがな
422 :
パレルゴン:04/05/05 22:03
420も私ではありません。
今夜は無理ですね。止めましょう。
思想とは限界を伴う。つまりパラダイムとは貨幣であり個人の思想とは個人に準拠している。貨幣は妥協だ。もちろん貨幣に関わる人間はその枠で考え通さないとそれはまったくナンセンスだとは思う。しかし、パラダイムの範囲で批判が食い違い仲違いするように、最期に真実は折り合わない。
まだいたのかねワラゲロブヒワラ
また発狂させてあげようか?ププゲラゲロゲロブヒィィップップ
425 :
考える名無しさん:04/05/05 22:04
逃げるなクズが 創価か?
それが他者の情動との関係が生じるならそれこそ真実の哲学だと思う。逆にパラダイムに則して用語の意味がわからなければならないものはそれはごく少数の優秀な人間のみが発展させていくそういう高い次元の世界のものだろう。
それは崇高ではあるがその世界の言語を知らないものを劣っていると考えるのは完全な自民族主義だといえる。まあ個人的にはパラダイムに叩かれるのは言語を知るものとして当然でまだ追い付かないもの劣っていると見られることも当然だと考えているが
♪ワケ・ワカ・ラン♪
では話そう。パラダイムからの批判は当然だ。質問を受ける。今まで読んだ本も包み隠さずに揚げることを約束する。
431 :
パレルゴン:04/05/05 22:09
423はぴかぁ〜さんです。
とすれば、説明をもっと丁寧にしていただければ、解りやすいのです。
「思想・限界」「パラダイム・貨幣」「貨幣・妥協」
「真理・折り合わない」 以上の点の説明が足りないので、誤解される。
つまり、適当にタームを並べて、本人も解っていないと誤解される
のでは?
432 :
パレルゴン:04/05/05 22:14
私の解釈では、ぴかぁ〜氏は自分の言っている事を自分では知っている。
でたらめに見えるのは、文中に使われる文言が、自作したものが多いから
で、もっと、丁寧に説明をすれば、理解される。
433 :
パレルゴン:04/05/05 22:16
逆に言えば、説明する為の語彙がないのに、
それを説明しようとするから、ボロがでるんです。
434 :
パレルゴン:04/05/05 22:16
つまり、理解されようとした文章を書けば良いのです。
理解される文章をかいたら内容の稚拙さがわかってしまうからじゃない?
436 :
パレルゴン:04/05/05 22:17
433は偽者です。
437 :
パレルゴン:04/05/05 22:19
435
と言う君の文章はどうなの?
人の事を言う前に、自分手並みを見せてから言いましょうね。
わかりましたパレルゴンさんが周りで何言っても気にしないことにします>436
では用語の説明から
439 :
パレルゴン:04/05/05 22:20
本物は私です
というか、シミュラークルでポスト構造主義なノマドです。
440 :
パレルゴン:04/05/05 22:21
ぴかぁ〜さんの語彙の稚拙さには、ほとほと呆れていたところです。
私も自分の説の探究に戻らせていただけないかと思っております。
441 :
斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 22:22
バレやん、できたらトリップつけた方がいいよ。
442 :
パレルゴン:04/05/05 22:22
パラダイムとはミクロの権力を再生産するイデオロギー装置です
443 :
パレルゴン:04/05/05 22:24
トリップは死せる同一性の罠です
444 :
パレルゴン:04/05/05 22:24
>>441 ぴかぁ〜さんは、名無しに戻られたほうがよろしいのでは?
今のままでコテを続けても、概算ムダに終わる確率が高いですよ。
ムダな努力はやめて、働く準備を私とともにしませんか?
445 :
パレルゴン:04/05/05 22:28
441つけ方が解らんのよ。
どうするの。
因みに439以後は偽者です。
今日は寝るね。
明日早いから。後は任せる。
トリップの附け方書いておいてくれますか?
それでは。スヤスヤ。
446 :
考える名無しさん:04/05/05 22:29
と、眠るぴかぁ〜の自演キャラ(w
447 :
パレルゴン:04/05/05 22:32
445は偽者です。
私も偽者です。
本当の世界が黄昏を迎えるとき
シミュラークルたちが乱舞します。
448 :
バレルゴン ◆TJ9qoWuqvA :04/05/05 22:33
>>445 例 名前欄に
バレルゴン#123
といれる。こうなります。
ここの123を任意も文字を入れる。
449 :
考える名無しさん:04/05/05 22:34
>441 :斉藤兄さん ◆PKPKs4sF8s :04/05/05 22:22
>バレやん、できたらトリップつけた方がいいよ。
パレさんさ〜、パレじゃなくてバレって書いてこいつが実はパレさんのこと
おちょくってるのにいい加減に気づいてよ。
450 :
パレルゴン:04/05/05 22:35
ぴかぁ〜さんは、嫉妬によって自分が粘着されていると思っている。
それゆえ、他の人の嫉妬まで嫌うのです。
しかし、あなたに嫉妬する人間なんているでしょうか?
答えはノーです。それを自覚してください。
451 :
パレルゴン:04/05/05 22:35
分裂病的批評空間、あるいは2ちゃんねるというハイパーリアル
452 :
考える名無しさん:04/05/05 22:37
740 :考える名無しさん :04/05/05 21:50
ぴかぁーの戦略は基本的に、学コテに敬意を表す振りをして彼らに近づき
得意の挑発・煽りで彼らを「2ちゃん議論」に巻き込み、打ち負かすことで、
自らの知的コンプレックスを満たそうとする。
ただしポールはおそらくそれを知ってるためぴかぁーには近づかない。
だからぴかぁーは絡みたくとも絡めない。
742 :考える名無しさん :04/05/05 21:52
>ぴかぁーの戦略は基本的に、学コテに敬意を表す振りをして彼らに近づき
ふむふむ、じゃあ次の標的はポールとパレルゴン(しろうと)なんだな。
744 :考える名無しさん :04/05/05 21:56
パレルゴンは危ないが、ポールは無視されるだけだろう。
453 :
パレルゴン:04/05/05 22:38
ぴかぁ〜さんもポールさんも、自分に向けられる批判は
すべて嫉妬と解釈する点では同じです。
しかし、それは小物のする解釈なのです。
その点を自覚してください。
ぴかぁ〜ってやつはそうやってコテハンを精神的におちょくって、結局2chから
追い出すことのみを目標としてここに居座ってるだけなんだからさ。今にパレさんの
個人攻撃、特に人格攻撃なんかが始まるから。やつのスレが上がる時間と、パレさんの人格
攻撃が始まる時間と一致するから、そういう時があったら試しにアホスレが上がってるか調べて
ごらんよ。ポールやじゅんへの個人攻撃の時も、分析系のスレのAA荒らしの時も決まって
上がってるから。あいつは一応自分のスレに書き込むのが、まずここに来たらすることだから、分かりやすいよ。ちなみにキキキにも個人攻撃があったけど、キキキもそれに気づいていたよ。
ぴかーがいなければ本当にここは議論しやすい場になるんだが。
コテを名乗るなら名乗るなりの責任があることにいつまでたっても理解できず
煽りにかまうどころか、自分から煽っている。ソヒアと全く同じ精神構造。
いい加減自分がどれだけ嫌われているか気づいて欲しい
説明は時間をかけてできるけど論の本題に答えるのが重要だから
もっと簡潔に答える。質問よろしく
457 :
THE グル:04/05/05 22:58
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
嫌われているのはそうかもと思っていたが
では責任はどうとればいい?それに従おう。
ここに書き込むべきでないのならそれで問題解決だ。
ぴかぁ〜が質問に答えようが、どのような文章を書こうともまったく興味が無いし
はっきり言ってどうでもいい。始めから読む価値のあるような文章ではないし、
そんなもの読むなくらいなら、髪の毛の数が全部で何本あるか数えた方がよっぽど
有意義な時間がすごせる。
問題はコミュニケーションの不和にあると思う。
冷静になろうや。いいかげん
461 :
考える名無しさん:04/05/05 23:28
ぴかぁ〜は荒らしなどしていませんよ。
あなた達の妄想ですね。
462 :
考える名無しさん:04/05/05 23:40
今までコテでロールースレ荒らしてたじゃねーか >461=ぴかー
今は名無しで荒らしてますよ。
464 :
考える名無しさん:04/05/05 23:41
久蔵が、煽ったからに決まってんだろ(w
465 :
考える名無しさん:04/05/05 23:42
>パレさんさ〜、パレじゃなくてバレって書いてこいつが実はパレさんのこと
>おちょくってるのにいい加減に気づいてよ。
いやいや、違う。
パレルゴンがこっちを騙してるだけだろ(w
466 :
考える名無しさん:04/05/05 23:43
とりあえずぴかーは癌だというのは事実らしいですね
467 :
考える名無しさん:04/05/05 23:44
↑馬鹿
468 :
考える名無しさん:04/05/05 23:44
とりあえずぴかーは癌だというのは事実らしいですね
469 :
考える名無しさん:04/05/05 23:46
とりあえずぴかーは癌だというのは事実らしいですね
470 :
考える名無しさん:04/05/05 23:48
↑真性馬鹿×2
471 :
考える名無しさん:04/05/05 23:50
とりあえずぴかーは癌だというのは事実らしいですね
472 :
考える名無しさん:04/05/05 23:54
↑インペリアル・ザ・馬鹿
473 :
パレルゴン:04/05/06 01:08
「パレルゴン」は固有名ではない。
「パレルゴン」は固有化されない。
「パレルゴン」は同一性を宙吊りされている。
「パレルゴン」は多様化し多数化する。
「パレルゴン」は合わせ鏡の作り出す虚空間に散乱する。
今日から君も最後から2番目の「パレルゴン」だ。
474 :
考える名無しさん:04/05/06 01:42
この名無しの荒らしって分かり易いほどぴかぁ〜だよね。
ホントアホだよね。
成長しないよね。
カワイソそうだよね。
475 :
考える名無しさん:04/05/06 01:43
↑真性アホ登場
476 :
考える名無しさん:04/05/06 01:54
ぴかぁ〜そろそろ寝ろよ。お前って文字通りの厨房だよなw。
477 :
考える名無しさん:04/05/06 01:54
↑リア厨
478 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/06 20:47
書き込みの練習です。
479 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/06 20:53
なるほど。これならいけるな。
それにしても、かなりの、軋轢。
長い間の怨念が蠢いていると言う事か。
いずれにしても、ぴかぁ〜氏も、質問に答える必要はありそうだね。
言いっぱなしでは、聞く方も、ストレスになっちゃうしなぁ。
私は、つぶされることはないでしょうね。
読書に磨きをかけているのですから。
どのような攻めにも対応できます。
480 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/06 20:58
と言っても自慢話ではありません。
私は自分が無知である事を知っています。
哲学を本当に究めようとすればするほど、真摯になり、無知である事
が解るものです。解らないのならば、それは一定のレベルに達していない
事を自らが証明しているようなものですね。
481 :
考える名無しさん:04/05/06 20:58
今、板で暴れてるのって、
ぴかぁ〜なんじゃないの?
ちがうよ、あいつは、あんなに教養はない。
483 :
考える名無しさん:04/05/06 21:13
今暴れてるやつも、教養がなさそうに見えるが・・・
484 :
THE グル:04/05/06 21:17
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
485 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/07 21:20
>>290 >構造主義は、如何なる社会にあっても
>ある構造がその存立前提の基盤として存在する事を主張する
>その構造によって、社会は成り立ち、機能していると考えているのだろう
構造主義系の本によく書いてある注釈が当てはまりますね
あくまでも痕跡から事後的・遡及的に抽出したものが構造で
現象の原因となる実在物の存在を主張している訳ではないのです
構造を現象の原因と考えてしまうと
例えば「心の深層の無意識に人は操られている」
というような俗流精神分析になってしまいます
>>291 批評空間系の人なら多分、マルクスはポスト構造主義の方でしょう
大体『構造と力』でのクラインの壺=貨幣の扱いを考えればそうです
また『探求』では、そもそも単一システムでは剰余利益が発生しないと
486 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/07 21:20
>>293 キュビスムは自分も注目しています
大雑把には「遠近法の解体」が
(ポスト)構造主義的意識と言えます
>>352 >>355 大体同意しますけど、ジジェク派の自分としては
ラカンの「対象a」は「象徴界における現実界の残余」と捉えたいです
システムの形式化不可能な特異点でもあり、例えば貨幣とか…
>>359 大文字の他者が直接把握できないという話は「シェーマL」ですね
あと「四つの語らい」の図式でS1と対象aの関係が分かると思う
>>371 >>376 >>378 >>383-385 全く同意しますね。
思わせ振りなだけで内容が無い
ナンセンスな文章を好意的に読み杉
487 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 22:18
建設的な意見に感謝します。
不十分な点も多々ありますが、私から見た、フランス哲学
(構造主義、ポスト・構造主義)を強引に纏めたってところです。
途中で、荒れ出したので、止めましたが、是非、皆で、議論を
進めればと思います。
ところで、対象aは「現実界の残余」ですか。そうかもしれませんね。
例えば、具体的には、死体・血とかを指すのでしょうか?
一方、現実界とはカントの言う「物自体」と言う解釈を福原泰平は
していますよね。私自身も哲学的な試行錯誤をしていた時に
「自己言及性」=自分が決めたように決まるのであり、決して
客観的な回答(真理)は見出せないと言う壁を実体験し
その時、精神病的な境地になった事があります。これぞ
物自体的な経験でまさにラカンの現実界ではないかと自分では
思っていました。たしか、ラカンの現実界とは、精神病の理論化
をめぐって概念化したんですよね。
488 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 22:24
そうですね。遠近法の解体という過程をへて、色んな捕らえ方があり、
そこから、実は、遠近法は西洋独特の空間認識である事が分かった。
そして、いろんな遠近法(リーマン曲線)構造が開かれる。
つまり、客観ではなく、恣意的に世界は開かれると言う事になっていく。
ただし、数学者はこの事を認めにくい。(笑)
何故なら、外世界は数式に於いて捉えうるのでないと、数学とはなんだ?
と言う事になっちゃう(笑)
489 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 22:35
僕は恥ずかしながら、いまだにジジェクを余り読んでいないのです。
笑ってやってください。たしか、柄谷が傾注しているし、ジジェクは
マルキストですよね。ところで、マルクスは構造主義か?という質問に対する私の
意見ですが、マルクス自身は「ノン」でしょうね。
何故かというと、1)歴史的必然性が強調されており、通時的な動き
を中心にしているからです。と同時に、必然と言う捉えかたが構造主義
的ではありません。2)革命の可能性を示唆しています。これはヒュー
マニズム(人間主義的・実存主義的)であり、可能性に開かれすぎています。
以上から、彼、マルクスは構造主義者ではないと思います。
それでは、構造主義をへて、多くの哲学者(精神分析学者)になおも
マルクス信奉者が多いのはなぜか?それは多分ルイ・アルチュセール
がマルクスを構造主義的に書き直したからでしょう。
しろうとさんの参加で一気に面白くなりましたね。
>>487>ところで、対象aは「現実界の残余」ですか。そうかもしれませんね。
例えば、具体的には、死体・血とかを指すのでしょうか?
批評空間系の人なら多分(笑)、「死体・血」という日常の「異者」(ストレンジャー)
ではなく、日常にありふれた他者(相対的絶対者)というでしょう。「私は無意識的な
ものの中に意識を見、意識的なものの中に意識を見ている」(フロイト・引用不正確)。
他者、対象aとは表象化されたとたんに消え失せる影踏みの影みたいなものではない
でしょうか。
491 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 22:43
アルチュセールの解説本を読みましたが、彼の論旨を追うと頭が痛くなる
んですね。(笑)本人を批判中傷してはいけませんが、彼は自分の妻を
絞殺したんですね。とりあえず本のタイトルから引用すれば、認識論的
切断と書いてあります。つまり、歴史的必然と言う流れを断ち切ったのでしょうか。
すると、共時性の平面が開かれます。つまり、構造主義的になります。
と同時に、おそらく、下部構造の上部構造に対する優位性と言う事
も切断したんです。だから、部分部分の諸要素が繋がったり切断したりする
と言う、構造主義の視点が見えてきます。
>>489 マルキシズムが構造主義か人間主義かという問題は、スターリニズム問題や「経哲草稿」の
発表、サルトルの影響、などのあった時代の時事的問題のような気がします。
493 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 22:47
490 それは大文字のAに近い概念ですかね?
494 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 22:52
492 そこで、マルクスを構造主義化したのが、アルチュセールではないか
と考えたのですが?でないと、歴史的必然と構造主義の言う構造(ソシュール
の言う恣意的言語体系)と言う意味が合わない。(笑)
だから、切断(歴史の終焉)が必要。
495 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 22:56
構造主義とは、あくまで、必然性ではなく、むしろ各要素のせめぎあいのなかで
慣習的にルールが出来上がる。このルールには「真理基準」も含まれている
と考えている。しかし、長い西洋の歴史の中では、真理=客観的な世界を
人間は掌握できると考えていた。この対比で見ると、構造主義が解りやすい
気がしますね。
496 :
考える名無しさん:04/05/07 22:58
155 名前:ぴかぁ〜◆PKPKs4sF8s :04/05/07 22:48
本来、創価学会は世界でも有数なカルト宗教であるが、肥大しつづける創価学会において、
「創価学会」という折伏コミュニティそのものに高い帰属意識を感じ、
「創価学会」へ参加することが目的化する人々は増えているのかもしれない。
彼らは、創価学会スタイルそのものに価値を見いだし、毎日、布教活動を楽しんでいる。
無論、私も布教活動を楽しんでいるにすぎない。
>>495 正直、よくわからなくなってきたのでこれ以上は書けませんが、「構造主義」の定義
づけ(というのはオーバーで、僕もそんなに厳密には把握してませんが)はかなり僕と
違いますね。自分なりに整理してまた出直してきます。では。
498 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/07 23:07
ばかぁ〜さん。了解です。
499 :
THE グル:04/05/08 03:38
いいですか、
いまさら構造主義という気もしますがね。
どうかしましたか?
500 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 09:17
「構造と力」で浅田はクラインの壺に言及して、資本主義的だと言っていますよね。
つまり、資本は所有する貨幣を投資し、商品を生産し、それをまた貨幣に回収する
と言う回路を経るからだと考えています。そしてこれをモダンとイ位置付けている。
つまり、封建時代のメタレベルに君臨する神・王という役割が貨幣になる。(マルクスでは金は交換価値を表すもの)
ところが、封建時代の王・神とは違い、この生産段階に投資した貨幣は
命懸けの飛躍によって、回収されるが、再度投資にまわされる。
つまり、この事を、浅田は、超コードから脱コード化社会の現われ
と見ている。つまり、言い換えるとメタ・レベル(神・王・金)と
オブジェクト・レベルとの階型化が崩れ去ると考えているようです。
絶対の化身=金 は 封建時代の王・神 のように 不動の存在
ではなく、再度 オブジェクト・レベル (現世界とでも言いますか)
へ舞い戻ることによって、絶対の位置を相対化せざるをえなくなる
と言う事でしょうか。ここから、多様性に開かれる世界=ドゥルーズ
の視点を垣間見せようとしているのです。
501 :
THE グル:04/05/08 11:55
>>500 いいですか、
価値体系からいきますと、
「神・王・金」において、
「神」以外は価値がかなり流動的ですね。
価値変動の程度は、
「神」→「王」→「金」の順でありまして、
「神」はインフレやデフレにならないんであります。
なぜならば、
価値介入の余地が上記の順で広がっているからでありまして、
「金」は実に世界政治経済を伴って多様に変容するんです。
また、
昨今、「王」や「金」特に後者は多様な構造を持つようになりまして、
一概に定義が古典のものとはだいぶ変わってきた様にも思うんです。
というのも、
現在長者番付け2位のウォーレン・バフェットなどの言説に見られます通り、
戦略としての「金」つまり、株によって一株あたりの利益(EPS)や、
株主資本利益率(ROE)重視の価値がキャッシュ・フローについて回ることもあるんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
502 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 13:08
501
キャッシュ・フローについて語っているのでは全く有りません。
ちょっと、話の筋が違っている気がします。
メタレベル=金 と言っても、経済論を述べているのでは全くありません。
ある社会での価値基準が何であるかと言う問題に置いて、
封建主義=神・王 であり、これが絶対基準足りうるとし、(超コード)
それに対比して、資本主義を脱コードと捉えると言う 構造主義 ポスト・構造主義
の説明をしているのでして、ちょっと違っている気がします。
とはいっても、全面的に異なるとはいえません。多分、グルさんの視点から見ると
上記のようになるのでしょう。
503 :
THE グル:04/05/08 13:18
>>502 いいですか、
構造主義はいつだかにも申しました通り、
「静態」であることを否めないんでありまして、
コードの多様化乃至、
価値基準またそれに伴う価値体系を生むものであるんです。
まあ、
封建主義そのものが希薄になった現在において、
「王」が超コード足りえるのかは大いに疑問なんですがね。
此処にも価値の多様化が及んでいることは、
昨今の格好王政事情をみましても、
形骸化の念を拭えませんね。
これが定説です。
どうかしましたか?
504 :
THE グル:04/05/08 13:33
いいですか、
上の文で、
本文上から四行目
>コードの多様化乃至、〜
の最初に「現在の社会情勢では、これらとは異なり」というのが抜けたんです。
付け加えとくんです。
どうかしましたか?
505 :
THE グル:04/05/08 13:37
いいですか、
これが修正稿なんです。
構造主義はいつだかにも申しました通り、
「静態」であることを否めないんでありまして、
現在の社会情勢では、
これらとは異なりコードの多様化乃至、
価値基準またそれに伴う新たな価値体系を生むものであるんです。
まあ、
封建主義そのものが希薄になった現在において、
「王」が超コード足りえるのかは大いに疑問なんですがね。
此処にも価値の多様化が及んでいることは、
昨今の各国の王政事情をみましても、
形骸化が進んでいるという念を拭えませんね。
これが定説です。
どうかしましたか?
506 :
考える名無しさん:04/05/08 13:58
これは新説ではなく親切です。。
法律ができたから政治と宗教が分離されたのであります。
そんなに最近のことではないのではでは。
507 :
(*゜Д゜):04/05/08 14:36
やっと、わしについてこれるぐらいのレベルに、成長したみたいやな。
508 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/08 18:42
>>487 自分はラカンの対象aをテーマにして
ポスト構造主義を整理したいと思います
対象aが象徴界における現実界の残余というとき
自分が具体的に念頭に置いているのは貨幣です
貨幣が原理的にはどんな材質でも構わないように
対象aはどんな物でも対象になりえます
ただ金や銀が欲望の対象になるように
特定の形態を取り易いのも事実です
死体や血が対象aとして機能する典型的な例は
推理小説ではないでしょうか
貨幣が様々な商品との交換可能性であるように
死体は様々な犯人との交換可能性なのです
ただし資本主義と異なり探偵が犯人を見つけることで
交換・クラインの壺は閉じてしまいますが
もちろん異者と他者の区別というのがあり
これの扱いには自分も未だに悩んでいます
たぶん、「崇高な対象」と「不気味なもの」という
モダニズムとポストモダニズムの方法に関係あると思う
509 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/08 18:42
>現実界とはカントの言う「物自体」と言う解釈
自分も同じように考えます
そしてラカンの幻想の公式(欠如した主体が対象aに直面する)は
カントの超越論的図式だとジジェクはそう考えます
>「自己言及性」=自分が決めたように決まるのであり、
>決して客観的な回答(真理)は見出せないと言う壁を実体験し
>その時、精神病的な境地になった事があります。
>これぞ物自体的な経験でまさにラカンの現実界ではないか
それは精神病じゃなくて神経症じゃないでしょうか
その壁を乗り越えて真理(被害妄想)を発見するのがパラノイアです
>>488 そこで、対象aを遠近法の消失点というより
フラクタル図形におけるストレンジ・アトラクターと解釈したいのです
それは普遍における自己を目撃する不可能な視線でもあります
510 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/08 18:43
>>489 いやラカンの原典(英訳・邦訳でも)を当たらない時点で
自分も本物のラカニアンには笑われると思いますから同じですよ
確かにマルクスには歴史や実存の意識があり
単なる均衡システム(構造?)とは見なさなかった
労働というような言葉を使うのも数字よりも
人間の欲望を中心に据えているからでしょう
つまり例えば、空気などは有用だが商品価値がない
労働=苦受という身体性が価値の根源だと
もちろんこれも理系の人なら
限界効用とかリスクとかで説明するでしょうが
511 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/08 18:43
>>490 >対象aとは表象化されたとたんに消え失せる影踏みの影
これは貨幣を使って商品を買った時の喪失感が当てはまりますね
>>493 小文字の対象aが貨幣で
大文字の他者Aは(市場の)神の見えざる手と
自分は理解しています
>>494-495 >>497 構造主義の恣意的体系の平面に
亀裂を生じさせるのが貨幣ですが、
それが対象a(物自体)だとするとやはり
マルクスをポスト構造主義的意識で読む
浅田-柄谷と同じ路線で考えたいですね
更に言えばヘーゲル〜マルクス〜ラカンを
繋げて読むジジェクの方向です
512 :
考える名無しさん:04/05/08 18:50
貨幣がカント的な物自体ですか・・・
513 :
考える名無しさん:04/05/08 19:03
どぴゅ
514 :
THE グル:04/05/08 19:06
>>510 いいですか、
普通は、
ラカニストっていうんです。
どうかしましたか?
対象aと貨幣の決定的な違いは交換だろう
貨幣の交換可能性をかたらずに貨幣を単に象徴的なものだけで語るのは
無理がある
貨幣は人間が発明した道具のうちでも特殊なもので、商品交換を仲立ちする
ためのものかと思いますが。
517 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 22:24
ラカンもいろんな読みがあるって事ですね。
確かにクラインの壺と言うのは、円錐の先からノズルがあって、メタ・レベル
からオブジェクトレベルに戻るんですが、閉じているんですね。ここが、
ポスト・構造主義とは違う気がします。やはり、内と外とが流通しないといけないんですね。
たしか記憶が正しければ、そう言う変形のクラインの壺を誰か表現していた
記憶がありますね。内と外とが入れ替わると言う状況ですけど、この辺は
メルロ=ポンティのキアスムと言うタームと共通点がある気がします。
518 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 22:36
つまり、組織内で、二項定立的にヒエラルキーを構築する事
を多面的な価値に開くと言う事でしょうね。
たしかに、対象a=貨幣 大文字のA=インビジブル・ハンド(アダム・スミス)
と見ると解りやすいですね。貨幣は商品の価値(本当の自分)を
映し出し、市場は全てのゲーム参加者の意図をコントロールするもの
で、誰にもわからない。こんな感じですかね。
しかし、私の場合、どうしてもポスト・構造主義を経済的なターム
で読みづらいんですけどね。ジジェクなんか、どう言う風にマルクス
をラカン的に(バース・バーサ)読むのでしょうか。
私も、「偶発性・ヘゲモニー・普遍性」と言う本は読みましたが
どうも解りにくい(笑)。
519 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 22:46
構造主義が暴いた恣意的構造、そこからの逃走として、多面的価値
を創造しようとした(デリダ、ドゥルーズ)、しかし、よく見ると
夫々の立場(環境)で、既存の構造は、抑圧的・権力的に作用する。
つまり、マイノリティにとって、構造は抑圧的であり、メジャーにとっては
権力として現われていると思うんです。この点から見ると、前世紀に
吹き荒れたマルクス主義の復活の可能性が残されたと、私は解釈しているんです。
つまり、構造上権力の側にいる者と被抑圧者との問題はいまだ残されている
とジジェクあたりは解釈しているのでしょうか?
520 :
(*゜Д゜):04/05/08 22:51
マルクスですか、しかしもうそんな時代は終わりました。
これからはキャピタリズムがものを言う時代です。
マルクスは忘れ、未来を考えていきましょう。
521 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 22:54
「批評空間」に於いて、柄谷・浅田 を中心に 東も引き込みながら
日本の哲学界を引っ張ったわけですが、私は、柄谷については
以前読んだっきりで今ひとつ理解していないのですが、彼は、ポスト・構造主義者
なのでしょうか?それとも、その他の何かですかね。
いまいち、解りにくい。確かに野心的に英語で論文を発表したりしていますが。
浅田にしても、柄谷にくっ付き過ぎていた。同時に余り本を書きませんよね。
この辺が寂しい。東は「存在論的 郵便的」以降 対談は残していますが、
宮台系に流れようとしている。ちょっと寂しい。今後日本の哲学界をリード
するのは誰なのでしょう?
なんかスゴイ状況認識だな
523 :
(*゜Д゜):04/05/08 22:55
北田に決まってるじゃないですか。
524 :
(*゜Д゜):04/05/08 23:00
525 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:01
オマエモナー、ワラ、厨房などの2ちゃんねる的蔑視言葉は、すでに様式化されている。
これは今行われていることが、マジではなく、フレーミングというゲームである
ということを互いに確認しあう記号であり、
互いに2ちゃんねるコミュニティに帰属しているということの確認行為である。
このためにこのようなフレーミングゲームは、
発言をたえずマジからネタ的レベルに持ち上げているのである。
いまやこのようなフレーミングゲームにおけるネタ的な行為は、
2ちゃんねるを代表するようなスタイルとなり、様式化され、価値化されている。
2ちゃんねるスタイルを体現しているか?、2ちゃねらー的発言をしているか?
ということが、「2ちゃんねる」記号コミュニティへの帰属意識を高め、
差異化運動を生んでいるのである。
526 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:02
本来、2ちゃんねるは総合的な掲示板であるが、肥大しつづける2ちゃんねるにおいて、
「2ちゃんねる」という記号コミュニティそのものに高い帰属意識を感じ、
「2ちゃんねる」へ参加することが目的化する人々は増えているのかもしれない。
彼らは、2ちゃんねるスタイルそのものに価値を見いだし、毎日、フレーミング戦を楽しんでいる。
527 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 23:04
520
いや、私もそう思いたいのですが、欧米多数の哲学者の中には、今だ
マルキストも多いのですよ。例えば、スピヴァク(デリダのグラマトロジー
についてを英訳した才女)、ガタリ、ネグリ(帝国を描いた左翼)、
柄谷なんかもそうです。
つまり、ポスト・モダン的に読むと、時代は、差異・戯れで 個別化・複雑化
多様化する事で、階級・イデオローギーはなくなると考えています。
つまり、大きな物語の終焉てなわけです。
しかし、差異化・逃走・戯れ をする対象が 既存の価値であるのですから
マルクス的階級の脱構築もせねばならない事になります。
それは、情報の多様化 商品の多様化 とうい ポストモダン的な
運動では無理だろうと考えているのが 彼らなのだと思います。
528 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:14
>>527 これは返答どうも。
>欧米多数の哲学者の中には、今だ
>マルキストも多いのですよ。例えば、スピヴァク(デリダのグラマトロジー
>についてを英訳した才女)、ガタリ、ネグリ(帝国を描いた左翼)、
>柄谷なんかもそうです。
そうなんですか、わしは全然知りませんでしたよ。
スピヴァクは名前も聞いたことありません。
>しかし、差異化・逃走・戯れ をする対象が 既存の価値であるのですから
>マルクス的階級の脱構築もせねばならない事になります。
>それは、情報の多様化 商品の多様化 とうい ポストモダン的な
>運動では無理だろうと考えているのが 彼らなのだと思います。
何度か読み返したら、何となく意味が理解できました。
対象Aとかいうのに、しきりにこだわるのは、そういうコンテキストな訳ですな。
529 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:14
さらにはネット上での体験は、2ちゃんねらーに報告され、ネタにされている。
どこどこの掲示板のだれだれはDQNであると。
そしてこれはもはやネット上に留まらず、社会コミュニティ上でも体験もネタにされている。
最近ではイラク人質事件で人質が解放されたときにTV映像の後ろに「ぬるぽ」という紙がうちし出されていたが、
(マスメディア側の隠れ2ちゃねらーが意図的に撮影していた?)
あれは2ちゃねらーによる2ちゃねらーへのメッセージであり、2ちゃねらーとしての自己顕示である。
このような2ちゃんねるの帰属意識は競争化され、社会コミュニティ的に不道徳的な、過激な発言を生み出し、
社会コミュニティと摩擦を生んでいることは承知の事実である。
今後もこのような2ちゃんねるスタイルは、2ちゃんねる外に広がり、
2ちゃんねる外との摩擦を生み出していくのではないだろうか。
530 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 23:14
その考えの背景には、植民地と言う領域があるのでしょうね。
先進国では、確かに、情報・ファッション・豊かさを背景に 個別化が
進み、逃走・多様化・脱イデオロギー化は進んだかもしれません。
しかし、途上国への資本の進出、は 発展国の先進国への隷属と言う状況を隠し持っています。
この事を彼らは感じ取っているのではないでしょうか。
私も、マルキスト的な読みには長けていませんし、賛成でもないのですが。
531 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:20
>>530 >先進国では、確かに、情報・ファッション・豊かさを背景に 個別化が
>進み、逃走・多様化・脱イデオロギー化は進んだかもしれません。
>しかし、途上国への資本の進出、は 発展国の先進国への隷属と言う状況を隠し持っています。
>この事を彼らは感じ取っているのではないでしょうか。
テロも、その線を主題にして考えておられるのですな。
今回のイラクでの虐待問題に関しては、常々そういう構造が見え隠れすると実感しました。
報道で見た、そういった蛮行の実態の他にも、気になる事件は色々あるのですが。
532 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:21
また2ちゃんねるの人口の増加は、バスジャック事件など、マスメディアで取り上げられることによって膨らんできたのではないだろうか。
最近では、人質事件でマスメディアに「モラルのない無法集団」として取り上げられたように、
マスメディアが「2ちゃんねる」という記号意味(シニフィエ)を「悪意のある集団」というようなイメージで報道することによって、
「2ちゃねらー」は社会コミュニティとの差異化によって「2ちゃんねる」という記号コミュニティへの帰属意識を深めていったのではないだろうか。
「2ちゃんねる」という記号コミュニティは、「2ちゃんねる」というシステムではない。
「2ちゃんねる」という記号コミュニティが存在し、「2ちゃんねる」という記号コミュニティに帰属している
という「2ちゃねらー」の意識によって支えられているのである。
533 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:22
このような差異化の運動によりさらにコミュニティ内部の細部へ向かい自己価値を見出だそうと
することはオタク思考である。
情報化社会ではこのような記号コミュニティへの帰属によって自己価値は見いだされている。
そしてそれは社会的なコミュニティ(家庭、地域、国家など)への帰属意識を希薄にし、
また社会的コミュニティの中の現前の他者への興味を希薄にしているのである。
そしてゴフマンのいう「儀礼的無関心」のように現前の他者に無関心であることが
礼儀とされる社会につながる。
街や、電車内などで、現前する他者は重要な相手ではなく、
「儀礼的無関心」により必要以上にコミュニケーションしあわないことが望まれるのである。
534 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:22
シャネルを買うということは、「一般大衆よりも少しリッチな人々」のコミュニティへの参加を意味する。
現代の情報社会における消費は、このような虚像的な記号コミュニティへ参加するための
パスを手に入れることを意味する。
たとえば「家電の三種神器」などの記号は、中流家庭というコミュニティに
参加するパスを手に入れることを意味するのである。
また現代の「恋愛」という記号は、80年代からのTVドラマから提供された
シニフィエの影響を多く受けており、ドラマのような恋愛を、
あるいはデートスポットを楽しむという「恋愛」コミュニティへ参加することであり、
彼氏、または彼女というパスが必要とされるのである。
このために「恋人」さえ記号化されている。
>>527 僕は単に、狭義のポストモダニズムというか戯れの戦略(大きな物語は終わった)は冷戦時の
二極化した世界構造の中でのぎりぎりの行為だったのだと思う。それはまさに柄谷氏がいう
「批評」で、状況が変わった(というか1930年代に戻った感のある)現代においては「大きな
物語は再開した」というほうが批評的であると思います。階級は主観的な価値が多様になった
くらいではなくならない。むしろ主観的な価値に関係なく存在するのが階級です。冷戦時の
「二極化から多様性を奪い返す批評」から、現在の「多様性という仮象に隠蔽された階級を
暴き出す批評」へ。
536 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 23:37
「物語は再開した。」と言う事は、新たな目的・道のりが見つかったと言う事ですか?
その為には、万人共通の価値基準が必要になる気がするんだけど?
消費・情報の多様化が進み、画一的なものは消えうせているとの前提は今や
常識のように思いますけどね。
537 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/08 23:42
同時に、戯れと言うのは戦略ではなく、物質の豊かさを背景に、
或いは、情報の個人化とでも言いますか(自由に情報を入手できる)
と言う事を背景にして、国家による統率力が弱体化し、個々人の
世界が開かれたと言う事ではないかと思うんですが。
538 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:56
電子メディアによるコミュニケーションを考える場合、重要なのは「身体的な接触による生き生きと
したコミュニケーション」と「身体性を欠いた病的で失語症的なコミュニケーション」というような
対立が虚構にすぎないということだろう。
すなわち、そうした対立は情報の流れがまだ固定されていた過渡的状況においてのみ意味を
持ち得たものにすぎず、いったんこのようなマルチメディア的なコミュニケーションの空間が開かれた後には
ほとんど無意味となるような対立である。
実際のところ、こうしたマルチチャンネル・ネットワークを通したコミュニケーションは
実質的には身体的なコミュニケーションであり、それ自体リアリティーを持つのである。
539 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/08 23:57
社会的地位や威信をめぐって、より高い価値への志向を含むものとしてディスタンクシオンという概念を提出した。
この概念は、他者との違いを強調することによって、自己を引き立たせることであり、しばしば卓越化、差別化と訳される。
人々は他者との間に地位や名声などに関する差異を見いだし、その差異の体系=社会的空間の中に自らを位置付けつつ、
より優越した立場へと抜きんでる闘争を繰り返している、と捉える。
そして単に周囲の人々に差を付けるだけでなく、他者よりも上品で卓越した存在として自らを提示する行為でもある。
こうした象徴的闘争のなかから、趣味や言葉遣いについての文化的正当性が生まれ、ある時点での支配的な階層秩序が維持されることになる。
541 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/09 00:04
>>540 なんや、
そう言うんやったら、これ以上の文章書いてみい。
542 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/09 00:12
「2ちゃんねるスタイル」こうしーん!(*゜Д゜)
2ちゃんねるはポストモダンを越えていく@はてなD
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/ 溢れる余剰 その5 2ちゃんねるスタイル
溢れる余剰 その4 ネットコミュニティの差異化運動
溢れる余剰 その3 オタクの自己制作性
溢れる余剰 その2 社会的コミュニティから記号コミュニティへ
溢るる余剰 その1 生命力という力
>>536-537 僕はそうは思わない。「消費・情報の多様化が進み、画一的なものは消えうせている」
というのは仮象だと思う。例えば「フリーター」を「廉価な労働力」と規定したり、
「個性第一」を「学力低下」と表現したりすることからの逃避のように思えるのだが。
それと「大きな物語は再開した」というのは「新たな目的・道のりが見つかったと言う事」
ではないです。仮象を暴く手法(批評)が「多様性を強調することから、多様の中の画一に
敏感であること」にシフトしたとでもいうべきか。
544 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/09 00:31
目のつけどころはいいが、そこからの展開が見えへんな。
545 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 00:38
>意味不明に自分の主張だけ垂れ流すなや、ゴミみたいな文章書きやがって。
これシャレで張った某教授の文章のコピペやで・・・
>>544 お前の文章は≪何も≫見えない。ってか最初から読まないから≪見ない≫と
言ってもいいけどねw
>>545 いやお前の名前が入ってる文章は読まないからw
ってか何でトリップ付けたのw
ビガロと一緒ジャンw?あれもお前w?
548 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 00:45
>例えば「フリーター」を「廉価な労働力」と規定したり、
>「個性第一」を「学力低下」と表現したりすることからの逃避のように思えるのだが。
「フリーター」→「廉価な労働力」、「個性第一」→「学力低下」
こんな単純化で、現代社会を描写できるか、ちゅうことやな。
どや?
549 :
考える名無しさん:04/05/09 00:50
>>548 「現実の社会を描写」とは具体的にどういう意味ですか?例えでいいので
説明して下さい。抽象的すぎで意味不明です。
>>548 >「フリーター」→「廉価な労働力」、「個性第一」→「学力低下」
こんな単純化で、現代社会を描写できるか、ちゅうことやな。
また例によって我田引水的な解釈ですねw。逆ですよ。
「廉価な労働力」」→「フリーター」、「学力低下」→「個性第一」などという
単純化を多様化などとのたまう輩こそ単純だと言っているのです。
551 :
考える名無しさん:04/05/09 00:54
ぴかぁ〜ってやつは折角議論が盛り上がってくると、いちいちそのスレに出向いて
自分の文章をコピぺで埋め尽くすということをいつもしますね。
553 :
考える名無しさん:04/05/09 00:58
ぴかぁ〜には、既にポール・ばかぁ〜・パレルゴンという影響を与えた弟子達がいる。
555 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 00:59
>>550 逆だよ。自分の文章が理解できない?
ってか、どっちでもいいが、それで現代社会を
描けるの?ってことだよ。
では「ひきこもり」→「いじめられっこ」
「オタク」→「マニア」
世界は、こんな感じですか。
556 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:00
>>555 >逆だよ。自分の文章が理解できない?
>ってか、どっちでもいいが、それで現代社会を
>描けるの?ってことだよ。
いつ君が現実社会を描けたの?ってか逃げてばかりいないで
>>549に答えてみたら?
>>553 影響されてないってw。ぴかぁ〜さんの2ch滞在時間数には驚愕を受けましたが。
僕が影響を受けたコテはOFWさんです。
559 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:02
そもそもリオタールの「大きな物語の凋落」は、
真理について語っているわけで。
すでに真理を信じられない世の中で、
様々な真理が存在する世界になるってことでしょう。
560 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:04
ばかぁ〜?って、どっかににたようなコテ名なかった?
561 :
考える名無しさん:04/05/09 01:06
もうすぐ、ポールとしろうともぴかぁ〜の配下として知られるようになるのだ。
>>559 >すでに真理を信じられない世の中で、
>様々な真理が存在する世界になるってことでしょう。
リオタールがそのようなことを言ってるとは初耳。典拠は?
>>555 >「ひきこもり」→「いじめられっこ」「オタク」→「マニア」
世界は、こんな感じですか。
その通りです。ネガティブなことにはムダに理屈を付けないほうがいいと思うんですよ。
そのほうが健康的というか、スカッとしてていいでしょ?
564 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:07
565 :
考える名無しさん:04/05/09 01:09
>>564 それもぴかぁ〜が、ポールとしろうとと話さない間だけの話だ。
ばかぁ〜・パレルゴン・久蔵と同じ運命になるのも時間の問題。
566 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:09
>そのほうが健康的というか、スカッとしてていいでしょ?
確かに。ではなんで哲学なんかややこしーこと
好きなの?
東京ウォーカーの方がよくねぇ?
567 :
考える名無しさん:04/05/09 01:11
現在のぴかぁ〜脳内ランク
最上級 ぴかぁ〜
二番手 ボール しろうと
三番手 久蔵 ぱかぁ〜 パレルゴン
568 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:11
ってか、わしはポストモダニストではないので、
なんでもいいのだか・・・
>>566 僕は「純粋理性批判」のほうが東京ウォーカーよりスカッとしていると思うんだけど。
そういう意味なら誰も「関係ない」と思うよ。言葉として通じてないから
影響も何もないでしょ?
で、リオタールの典拠は?また孫引きか→独創のシッタカ?
571 :
考える名無しさん:04/05/09 01:12
二番手以降は、すべてぴかぁ〜の配下(予定含む)です。
572 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:15
>>560 そうか。趣味の問題だからね。
東スポの見出しより、カントの言説がスカッとしている人が
いても悪くはないよ。多様な時代だからね。
573 :
考える名無しさん:04/05/09 01:19
572 名前: (*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s 投稿日: 04/05/09 01:15
>>560 そうか。趣味の問題だからね。
誰に向かって言ってんの?
>>572 違うな。天才の百語は凡人の百万語よりも多様なんですよ。「純粋理性批判」の数
ページのほうが東スポの見出し十年分よりもずっとセンセーショナルで破壊的です。
つまり、しゃべればいいってもんじゃない。「しゃべり場」という番組もありますがw。
ぴかぁ〜が、ポールやしろうとより優れているかどうかは疑念を持たざるをえない、
むしろ、見方によっては、ぱかぁ〜やパレルゴンを超えているのかもしれない!!
578 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル!? ◆PKPKs4sF8s :04/05/09 01:27
>>547 多様じゃだめじゃん。スカッといかないと、スカッと。
エロ記事にスカッと!デマ記事にワラっと!
って、ひとっぷろ浴びて、ビールのんで、寝る。
これでしょ!
579 :
考える名無しさん:04/05/09 01:29
ぴかぁ〜全く駄目じゃん・・・
しかしリオタールの典拠も示せないとは、今更ながらぴかぁ〜さんには
恐れ入りますねw
ばかぁ〜もパレルゴンもよく勉強してるよ。ばかぁ〜これからも頑張ってな。
名無しで俺もばかぁ〜とたまに対話するの好きだからね。
582 :
考える名無しさん:04/05/09 01:33
583 :
考える名無しさん:04/05/09 01:39
ぴかぁ〜
ぴかぁ〜はもうちょっと、原典をしっかり読まないとな。
そうなんだけどね・・・
僕は自演しないです。そんなの面倒くさいし。2chにそんなに期待はしていない
タイプなので、そこまでして何かをやろうとは思わない。
588 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/09 07:20
>>512 確かに飛躍はあります
これはトラクリにおける柄谷の読みです
物自体を認識不可能な超越論的対象というよりも
主体の側のダブルバインド(視差)として捉えると…
>>515 >>516 レヴィ・ストロースの構造主義的発想は
経済は貨幣の交換、婚姻は人の交換、文化は言葉の交換
と同じようなシステムとして捉えたことにあります
>>517 内と外が繋がって流通するからクラインの壺ですよ
ただやはりポスト構造主義の本領はリゾーム的なものでしょう
589 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/09 07:20
>>518 >貨幣は商品の価値(本当の自分)を映し出し、
そうですね。商品を見る買い手の視線は買い手を見る市場の視線でもあると
>市場は全てのゲーム参加者の意図をコントロールするもので、誰にもわからない。
コントロールはどうかな。事後的・遡及的にのみ見出される主体です
>ジジェク
ラカンの剰余享楽はマルクスの剰余利益の翻案だとか何とか
>「偶発性・ヘゲモニー・普遍性」
ええジジェクの本では分かりにくい方です
学者同士の議論だから仕方ないけれども
大雑把に言うと、バトラーの構築主義(偶発性)と
ジジェクの形式主義(普遍性)を
ラクラウ(ヘゲモニー)が調整するような話
>>519 >>527 >>530 そうですね。「偶発性・ヘゲモニー・普遍性」でも
その問題意識で衝突しますが、ジジェクは
階級闘争もポストモダニズム(の個別的運動)も
両方「いただきます」という立場ですね
590 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/09 07:20
>>521 哲学界というより思想界かな
確かに東のサブカル批評への転向は少し寂しいですね
宮台→コギャル 斎藤→ヒキコモリ 東→オタク 北田→2ch
と分かりやすく棲み分けて仕事はたくさん回ってきそうですけど…
>>523 確かにそれは有力かもしれません
東大というポストで、社会学という勢いがある学問で
しかも東や宮台など人脈もあると…
個人的にもジジェクに言及するとか注目の人です
>>535 >階級は主観的な価値が多様になったくらいではなくならない。
>むしろ主観的な価値に関係なく存在するのが階級です。
>冷戦時の「二極化から多様性を奪い返す批評」から、
>現在の「多様性という仮象に隠蔽された階級を暴き出す批評」へ。
とてもいいですね。東ならシミュラークルで片付けてしまうでしょうが…
>>543 >「大きな物語は再開した」というのは
>「新たな目的・道のりが見つかったと言う事」ではないです。
>仮象を暴く手法(批評)が
>「多様性を強調することから、多様の中の画一に敏感であること」にシフトした
これもとてもいい。ただやはり東なら
「多様性」→「多様の中の画一」をシミュラークル→データベースと読むでしょう
しろうと氏へ
おはようございます。はやいですね。しろうとさんのドイツ観念論に関するお考えも
いつかお聞きしたいですね。では、僕はローカルルール議論で徹夜するという暴挙を
おかしてしまったので寝ます。お休みなさい。
しろうとは、キャラも東に似てきたのが笑う(w
マルクスの解析によって克服されたものは正(まさ)しく経済学における物自体概念であらう。
与へられた商品といふ物は、社会関係を鮮明することに依って正当に経済学上の意味を獲得した。
商品といふ物の実体概念を・・(ry
小林秀雄「文芸評論」より
594 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/09 16:35
「多様性」を画一性を基礎にして見直すというところについて、
単純に「多様性=脱構造」から「多様性の中の画一=構造化」と
言えるのかと言う点が疑問です。確かに、「偶発性・ヘゲモニー・普遍性」
の中で、ラクラウはそう言う普遍性を研究しているようですが?
例えそうだとしても、一方多くの研究では、如何に、個は全体に回収されないで
「ある」かと言うテーマを中心にしている、例えばCS,PC,ジェンダー
マイノリティの問題は全て、局所的な問題として、構造全体の力による布置の
有り方そこからの開放を唱えているのです。例えばサイードのオリエンタリズム
等、代理=表象の問題なのですが、こう言う状況中で、「多様体中の画一」とは
具体的にどう言う事なのでしょうかね?
むしろ、大きな言語ネットワーク=構造 から の独立 は如何になされるか
と言うテーマ が スピヴァクの「サバルタンは語る事が出来るか?」のテーマ
だったのですよね?この辺の180°転換が私にはわからないのですが?
コメント プリーズ
595 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/09 16:42
593
よく解ります。つまり、カントの物自体と言う 客観的な外(物)
は何なのか解らないが、一方の商品と言う資本主義的生産下での
「物」は商品と言う形態をとり、その商品は労働価値によって
説明されうると言う事でしょうかね。それは、一般的等価形態
交換価値によって表される。こんな感じだったかなぁ〜。
596 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/09 16:56
因みに、大きな言語とは例えば英語(植民地支配言語)の言語による構造化
を表しています。私の解釈では構造は全て言語による分節化により、
文化ごとに成り立っていると解しています。
だから、従属者(サバルタン)は植民地支配、とその開放以後において、
先進国言語を語る事が要求され、既に、大きな文化の中に回収されてあると
言う事を示しています。だから、如何なる世界への、従属者の発言も
語る事が出来ないと言う事だと思います。ここからの開放は如何になされるか
が、現在の中心的テーマであり、「多様性の中の画一」を見出す事
ではない気がしますが。
597 :
THE グル:04/05/09 17:00
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
598 :
パレルゴン ◆mL2ZRk1cK. :04/05/09 20:02
しろうとさんへ
質問です。
1)欠如した主体が対象aに直面するのをカントの超越論的図式と言うところ
を具体的に。
2)対象aを遠近法の消失点というよりも、フラクタル図形におけるストレンジ
アトラクターとは?
3)物自体とは精神病の研究中に、ラカンが見出したものと福原は言っていますけどね。
4)東の言うシミュラークル・データベースとは。
5)クラインの壺について、浅田は超越点(円錐のトップ)が壺のボトムに
繋がっているものをクラインの壺と言っているんですが、この場合トップがボトム
とは繋がっていますが、外とは繋がっていない。この点は同じ解釈ですね。(確認のため)
6)バトラー、ジジェク、ラクラウとは具体的にどう言う事をしようとしている
のか?柄谷とからめて。
以上です。
599 :
考える名無しさん:04/05/09 21:30
>>598 クラインの壺はメビウスの帯の3次元板ですよ。本当は図示できません。
>>594 パレルゴンさんの言うマイノリティの問題に関しては同意です。さらにいえば、いまだ
「世間というパラノ」に縛られている人達に対しては、僕はそれがどんなに軽薄で無責
任な逃走を促すことになるとしても「流行り廃りがどうあろうとも、少なくともあんた
にとって『スキゾキッズ』は死語じゃない」ということを言いたいと考えてます。
僕が言った「多様性に隠蔽された画一性に敏感であること」が重要であるのは、簡単
に言ってしまえば、高度資本主義社会、もしくは情報化社会におけるマジョリティ
(と思い込んでいる人達も含めて)に関してだけのことであるといってもよい。これだ
け価値観が多様になったと言われているのに、「多様な価値観が追い求められるよう
になったのは、商品が多様になっただけのこと、つまり労働者の生産物買戻し差額に
よる搾取手段が多様化、細分化されたというだけのことなのだ」という価値観だけは
徹底的に抑圧されていると感じるのは僕だけでしょうか。
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おかしなおかしな「創価学会哲学」展開中!
哲学板の「漢」たちよ!ふざけた屁理屈に鉄槌をくだして
やってください。
↓
大切な想いをあなたに伝えたい/創価・公明@2ちゃんねる
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1083426009/ 名前:希水 ◆O5iHeCraTI 投稿日:04/05/09 12:28 ???
これまでの近代の歴史は、総じて「理性の勝利こそ人間の勝利」
との信念で進んできました。理性を至上とし、また知識の獲得を
第一とした歩みでした。その一方で知識を使いこなし、いわゆる
合理的理性を一歩深くリードする「知恵」の開発は十分ではあり
ませんでした……。
>深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように
>人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば
>つながりは無限に広がってゆくでしょう。
>小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは……
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602 :
パレルゴン ◆JOmd.f6urU :04/05/10 09:21
600
言葉を整理します。
パラノイア=偏執 構築形 (積分・統合)
スキゾ =分裂 逃走形 (微分・差異化)
と言う事になります。
文章が解りにくいのですが、つまり、言いたい事は
こう言う「多様化する中でも、搾取と言う構造・状況は変わらない。」
だからマルクスの理論は差異化の運動中でも、消滅していない。
これが、「多様化の中の画一」である。
こう言う事でしょうか。
603 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/10 21:13
>>598 >1 欠如した主体が対象aに直面するのを
> カントの超越論的図式と言うところ
すいませんジジェクの受け売りであんまり深い発言じゃなかったのです
ただカントは柄谷も研究しているし、その内整理したいとは思ってます
>2 対象aを遠近法の消失点というよりも、
> フラクタル図形におけるストレンジアトラクターとは
先ほど対象aを貨幣、大文字の他者Aを市場に喩えました
カオス理論は株式市場の変動などにも適応されますね
そこで対象aをアトラクター、大文字の他者Aをフラクタル(図形)と見ます
自己相似形は普遍と個別の一致でこれも対象aの特徴でしょう
604 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/10 21:14
>3 物自体とは精神病の研究中に、ラカンが見出したもの
そうでしょう。でも「物自体 das Ding」はフロイトでも出てきたような
対象aにしてもメラニー・クラインの「部分対象」とか影響元があるようです
>4 東の言うシミュラークル・データベースとは
『動物化するポストモダン』の概念です。定義の記述は無いのですが…
ツリー・モデルがモダンを図式化しているのに対して、
データベース・モデルはポストモダンを図式化しています
シミュラークル(リゾーム)の流れを制御しているのがデータベースです
データベースは確定記述による規則の集積です
>5 クラインの壺について〜外とは繋がっていない
いや繋がってますよ、ここは山形浩生が間違えたところですね
単にトップとボトムが繋がっているだけならただのドーナツですね
内と外は繋がっていますが、実現するのは四次元です
605 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/10 21:14
>6 バトラー、ジジェク、ラクラウ
大雑把な話ですけど…
偶発性→ポストモダンの様々な運動(環境運動・フェミニズム・マイノリティなど)
普遍性→モダン的な統一理論(階級闘争など)
二つの葛藤(ヘゲモニー争い)が議論の焦点ですが
例えば(ジェンダー論の)バトラーはジジェク(ラカン)の精神分析に対して
性差を無批判に肯定してないかとか批判したいのかもしれません
しかしラカンの理論は形式化されており実体的な性じゃないから
その批判は当たらないとジジェクは言いたいようです
それからバトラーはヘーゲルも研究してますからその理論(弁証法とか)を
アルチュセールの「構造的因果性」に引きつけて構築主義的に解釈します
ジジェクは偶発性と普遍性の両立不可能性こそ
ヘゲモニー争いの条件だとか何とかいつものジジェク節です。
柄谷に関してはトラクリに対してジジェクが批評を書いてますね
ジジェクスレの有志が翻訳していました
606 :
THE グル:04/05/10 22:01
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
607 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/10 22:17
>>600 >「多様な価値観が追い求められるようになったのは、
>商品が多様になっただけのこと、
>つまり労働者の生産物買戻し差額による搾取手段が多様化、
>細分化されたというだけのことなのだ」
>という価値観だけは徹底的に抑圧されている
目が覚めるような物凄く良い主張ですね
自分はあくまで資本主義の中に止まり
内在的に批判する立場ですが、しかし
「多様な価値観なんて言っても商品が多様なだけだろう」
これは噛み締めないといけないと思います
我々は未だクラインの壺(資本)の中に居て
『構造と力』は少しも乗り越えられていない
608 :
THE グル:04/05/10 23:00
いいですか、
意識の対象となるものが即ち「物」なんです。
どうかしましたか?
>>602 >言いたい事は こう言う「多様化する中でも、搾取と言う構造・状況は変わらない。」
>だからマルクスの理論は差異化の運動中でも、消滅していない。
>これが、「多様化の中の画一」である。 こう言う事でしょうか。
マルクスの言う、資本の「鉄の論理」が「多様化したとされる現代」においても貫徹されている、
ということを言いたかったというのもあるのですが、本題は、「多様性」「差異化の運動」なる
ものが「現在の中心的テーマ」というようにポンッと言明されることに対しての僕の「違和感」
のようなものです。それらは適用されるべき人やものや状況に対してだけ意味がある、というあ
たりまえのことが言いたかった。「コンテクストのない人間の定義などありえません」(デリダ・
引用不正確)みたいなことですね。「多様性」「差異化の運動」なども、コンテクストなしで言
明されれば、小林秀雄のいう単なる「様々なる意匠」に過ぎない。サバルタンには「画一の中の
多様」に敏感である視点(批評)が必要であり、僕らには「多様の中の画一」に敏感である視点
(批評)が必要である。両者に共通の「現在の中心的テーマは何か」という問いは非常に抽象的な
まさに「観念的な」問いだと思うのです。
>>607 そうですね。ドゥルーズは「資本主義の外部に出られるのは分裂病だけだ」と言ったとか言わない
とかw。どっちにしろ簡単な問題ではないと思いますね。僕はポストモダンのいう「大きな物語の
終焉」こそが逆に「大きな物語の完成」であると思うのです。
611 :
パレルゴン ◆JOmd.f6urU :04/05/11 19:12
609
「差異化の問題がポントと出される。」と言う解釈自体が
どう答えてよいか混乱します。貴方はデリダ、クリステバ、ソシュール
ドゥルーズ、フーコーの本を読みましたか。
マルクス復活と言って、ダス・キャピタルを本当に理解していますか?
スピヴァクの「サバルタンは語る事が出来るか。」を、あの難解な本を読みましたか?
ラッセルの階型論を知っていますか。
批評空間の著者の言っている事を部分的に理解しているだけはなく、上記の本を
自分でお読みになったのならば、少なくとも、突然差異化が問題として現われたような
雰囲気ではないでしょうね。
再度説明はしませんが、「多様化の中の画一に敏感」と言う表現自体が
哲学的では有りません。敏感と言う用語をそのまま使用すると問題が起こります。
敏感とはなんだ?と言う事になります。それにもまして、貴方の文章には
画一を捉えうるものと解釈しているのではないでしょうか?
差異とは、主体が能動的におこなうものとでも考えているのでしょうか?
もう一度全体の哲学の流れを学習して下さい。
612 :
パレルゴン ◆JOmd.f6urU :04/05/11 19:22
「差異化」「ズラシ」は能動的でも受動的でも有りません。
それは、ズラされ・ズラス 相互運動であり、それを言語で正確には
捉ええないものなのです。だから、比喩的に表現するのです。
つまり、コンテクストの多様化により、全ての発話者・聞き手共に
ずれているのです。それがどのようにズレているか不明なのだと思います。
以上のように、「差異化」と言う言葉には、これほどの多重な、論議
の後に、現われたタームなのですよ。お分かりですか。
バラモスって誰?
差異についてはつまりもともと画一化であるものがズレによって世界が分かれていく。質が分化し量が増える。という理解です。かなり簡潔なので批判があれば言葉への否定とともに聞かせてもらいます
差異が再度結合に向かうということへの批判なのでしょうか?
616 :
パレルゴン ◆JOmd.f6urU :04/05/11 20:29
デリダを読みましょう。と同時にラカンのS1を理解しましょう。
差異は何故起こるのか。差異は反復に回収されるのか?
ドゥルーズはどのように解したのか?
逃走とは何なのか? 単純には言えないでしょうね?
少なくとも、現前はなぜ否定されたのかがヒントでしょう。
とにかく、一冊の本、それも、対談風の本からの引用は
ここの討議を混乱に陥れます。解っているタームを慎重に繋ぐ
様にしないと、不当に混乱します。
615の質問は、前提として、差異という意味を勘違いしているのです。
差異は概念として作られたものではないと理解しています。
我々個は差異の中にいると言うべきです。
そうであるからこそ、差異を対象化できないのです。
「差異」「反復」と言うピストン運動を観察する「私」がその外にいる
と言う、対象化しえると考える事自体、解っていないのですね。
なにか、古典主義時代のデカルトを無意識の内に信奉している気がします。
哲学は知識では有りません。哲学とは哲学する「私」をも含んで
蠢いている。この点が理解できて初めて哲学をしていると言えるのです。
再度「哲学は知識ではない。それは、大文字の他者のように、私の知らない
私を絡めながら、蠢くものなのですよ。」私はこう思う。
617 :
パレルゴン ◆JOmd.f6urU :04/05/11 20:37
少なくとも「差異・反復」の概念には ニーチェの永劫回帰の
思想からの影響もある気がします。理性的な思考を否定することによって
前進 発展 歴史 の認識があやふやになり、そんな中で
永遠に同じ物が回帰する事の苦悩しながらも「然り」と言う
このところの理解も関連があると思われる。
つまり、哲学とは系譜学である。いろんな流れから、概念は時代の中で
紡がれるのだと言う事。一人の人間が無から創り出すと思っているならば
それは間違いであり、もっと読書をすべきですね。
618 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 20:43
パレルゴンさんの知識が豊富なのは認めるけれども
今の「多様の中の画一」問題に関して言えば
ばかぁ〜さんの素朴な問題意識が魅力に感じます
どんなに商品が多様でも資本に回収されるだろうという、これは
東スポの見出しよりカントの純理の方が衝撃的だということと同じです
あるいはワイドショーやバラエティーで(出来事が)何も起こらないのと同じ
「多様の中の画一」に敏感である視点(批評)だけでなく
自分は「画一の中の多様」を見出す視点(批評)を提案します
どういうことか? それは一つの言葉が既に複数の文脈を持つこと
619 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 20:44
議論の焦点を明確にするためここで補助線を引きます
東浩紀は『存在論的、郵便的』でデリダの
「散種」と「多義性」の違いに関して考察しています
>概念(郵便物)が哲学者(郵便局)のあいだを配達されていく、
>これが哲学に対するデリダのイメージである。
>新たな概念を提出し新たな哲学的固有名になること、
>それは新たな郵便物を新たな郵便局から発送することを意味する。
>しかし「かも知れない」の記憶に憑かれたデリダの思考は、
>そこではむしろ配達の不確定性、つまり行方不明の郵便物に向かう。
620 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 20:44
文学のポリフォニーに関しても東は同様の見解です
それは語彙や文体や修辞が豊富なのではなくて
一つの言葉の意味が複数に分裂していることです
柄谷行人の単独性と特殊性、他者と異者の区別もそうです
これは教える−学ぶ関係を通じてウィトゲンシュタインに接続されます
ちなみにその辺りを自分は「アスペクト」という問題系として考えています
そして柄谷の地域通貨の運動意識(成功していなくても)は
多様な商品が一つの貨幣に回収されるのではなくて
一つの商品が多様な貨幣として分散されるということかもしれない
さらにここから東の動物化論を批判するならば
多様なシミュラークルが一つのデータベースに制御されるだけではなく
一つのシミュラークルから多様なデータベースが発見(アスペクト)できると
621 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/11 20:55
>どんなに商品が多様でも資本に回収されるだろうという、これは
>東スポの見出しよりカントの純理の方が衝撃的だということと同じです
>あるいはワイドショーやバラエティーで(出来事が)何も起こらないのと同じ
>「多様の中の画一」に敏感である視点(批評)だけでなく
>自分は「画一の中の多様」を見出す視点(批評)を提案します
>どういうことか? それは一つの言葉が既に複数の文脈を持つこと
ポスモダ勉強会からやっと話がもどってきたな。
「多様の中の画一」/「画一の中の多様」
これはとても面白い。
「画一の中の多様」はまさにデリダの脱構築に繋がるわけだが、
わしはあえてデリダ批判としてあえて「多様の中の画一」の意味を問うとる。
それはなにか、お父さんたちは日々の電車の中でカントなど読めんという
とても普通のことでだ。
なにがいいたいか、毎日一生懸命働くお父さんは疲れてるというコンテクストを
無視して、ただ「画一の中の多様」と唱える、カントを読めということは
だたの理想論だろうということだ。
もともと読書苦手だったから。それから刺激がないところでは趣味に走るのはあまり前ですよパラルゴン。読むべきときに読むのです
623 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/11 21:03
さらに仕方がないので、とうとう「自由を考える」を読んでやっとる。
で、東氏の環境管理についての同じような疑問を考え取る。
環境管理の「多様の中の画一」に繋がると考える。
それは現代の「大きな物語」の終焉後には、生理しか人々に共通するものが
残らないから、生理を管理する。「多様な人々の中の画一な生理システム」を
管理するということがおこっとるということだ。
しかししかしだ、わしはここで問うのは、環境管理の問題があることは
否定しないにしてもだ、お父さんたちは日々の電車の中でカントなど読めんのだ。
生きると言うことは、環境への関係性を無視することはできない。
そして人は「多様の中の画一な環境」に依存して生きるものなのだ。
だからマクドナルドでは「動物化」したいのだ。
これらをすべて危機感で煽るのは、ものの本質を単純化しすぎだ。
日本人は、日本語というデーターベースを選択することなく
与えられるのだ。これまでを環境管理と言ってしまうと単なるパラノイアだ。
ここで重要なのは環境というコンテクストと生理の問題なのだよ。
「画一の中の多用」というフレーズがそもそもメタファーであってそれをまじめに哲学として理解しろなんていってないしもっと非哲学的なありうべき当たり前の倫理のことですよ。わかりませんか?そもそも何をしっているかということです
貴方も少し難しいことから離れて自分の言葉を身に付けた方が良いと思います
626 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 21:27
「多様の中の画一」を単純な言葉で再整理します
知識(トリビア)をどれだけ知っていても
それは雑学であって哲学ではありません
むしろ一つの言葉(「存在」とか「認識」とか…)を
変容させていく過程こそが哲学なのです
メル友が何百人いても対話が無ければ
RPGのようなゲーム内の新キャラに過ぎません
むしろ誰か一人に対して見方や接し方が
変化していくということが人間的だと言えます
商品がいくら豊富でも消費文化の枠内です
資本主義という言語の装飾・修辞が多様なだけです
むしろ一つの物が様々な使い方をされるのが
多様な価値観だと言えます…ここは少し説明が必要ですね
例えばブランド物を買い漁るのが豊かなんじゃなくて
ジーンズを着る(はく)人に対しても「ブランドかな?」と思えるとか
また高スペックPCと大容量回線で動画を見るだけじゃなくて
(2ちゃんとか)文字によって(AAとか)様々なコミュニケーションが出来るとか
「散種の多義性化」とか「アスペクト」とかで
自分が考えているのはここら辺の事ですね
あのねぇ。わかるよ。確にまだまだしらなければならないことは山ほどある。しかし、何が発話に向かわせているのか?それはわからないわけでしょ他人には。それをある枠に当てはめて解釈し無理矢理にもっていくって逆批判になりうるじゃん
あのねぇ。わかるよ。確にまだまだしらなければならないことは山ほどある。しかし、何が発話に向かわせているのか?それはわからないわけでしょ他人には。それをある枠に当てはめて解釈し無理矢理にもっていくって逆批判になりうるじゃん
>しろうとさん
復帰おめでとうございます。
しろうとさんのレスは時々読ませていただいていますが、
ポストモダンに全く無知なせいか、さっぱりわかりません。
で、ズバリ聞きます。
ポストモダン(誰でもいいですが)は心身問題について
どのような回答を与えているのでしょうか。
それとポストモダンは現代思想と言われますが、
哲学ではなく思想なのですか?
つまり哲学が問うような根源的な問題は
飛び越えてしまっているのでしょうか?
630 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/11 21:57
ほ・・・ほーちされた・・・
631 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/11 22:03
もう・・・昔のしろうとではないんだな・・・
常に今を・・・このときを見つめようと賢明だった・・・
さようなら・・・しろうと・・・勉強がんばれよ・・・
632 :
パレルゴン ◆JOmd.f6urU :04/05/11 22:09
しろうとさんの意見拝聴しましたが、「批評空間」の著者の意見が中心ですね。
それでも、郵便の誤配のところを正確に捉えているのに、
画一化の方を差異よりも重視するのかわかりません。
誤配とは貴方もおっしゃるとおりに、ポーの「盗まれた手紙」の引用だと思います。
つまり、手紙の位置が大文字のAにあたるんですね。このところを貴方が理解している
のならば、我々は原抑圧(S1)によって、差異化の連続としてしか生きていないのです。
差異化とは、言語の意味の分裂と同時に我々主体の分裂と言う二重の多様化を言います。
だから、単純に記号論的な点だけではなく、精神分析学的な点で分散化している
と言う事です。この辺の理解がなされれば、画一化は理性的な認識論を根本としている、
一方差異化(多様化)は存在論的な視点である事は明白です。
なんかスレ違いっぽいのでお邪魔なら
>>629はスルーしてください・・
>>629はパレルゴンさんにも聞きたいところですが・・。
634 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/11 22:19
ポールさん久しぶりです。
ポスト・モダンについては疎いのですが、
皆さんが言っているように、ポストモダンは高度消費社会と
コンピューター・ネット の発達による情報化時代、情報の個人所有化とでも
言いましょうか、そう言う時代を背景に、オリジナルの消失、固有名の
不可能性が叫ばれる中で、概念化されたのだと個人的には思います。
例えば、初めてポスト・モダンと言う概念を使ったのは、リオタール
でしょうか?あとは、ボードリヤール、建築などにも波及していますね。
だから、ポスト・モダンは哲学ではありませんね。むしろ社会学と言うか
「情報化時代の社会」学 といったものでしょう。
類似している点もありますが、哲学ではポスト・構造主義があります。
これは、構造からの脱出を目指したものであり、ポスト・モダンとは異なる
と思います。
僕のイメージするところで言えばやはり世界観の介入は可能なのではないかというところであり画一化は想像としての同一性です。例えば演劇です。音楽も絵画もセックスもです。何が結合なのかは今は分かりません。理性は差異でなり立ちますが
636 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/11 22:28
ポスト・モダンと心身の問題と言う場合の「心・身」とは
メルロ=ポンティ を意識しているのでしょうか?
或いは、心とは精神の事でしょうか?
いずれにしても、ポストモダンには精神の問題は関心ないでしょうね。
同時に身とはある意味で欲望の関数のようなものと考えているのでは
ないでしょうか。もっとも、そう言う概念にも感心はないかもしれません。
すべては、シミュラークル(オリジナルのない反復)と考えているのでは。
アンディ ワォーフォル のシルクスクリーンの絵のように
オリジナリティの消失 と その反復 がポストモダンの思想を象徴的に
表していると思いますね。
637 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/11 22:41
しろうとさんへ
リゾームを統括する視点なんかないのですよ。有るとするならばそれは既に
リゾームではないのです。と同時に、仮にそのような視点があるならば
その視点は正しく総括していると言う自己証明をせねばならないでしょう。
デカルトのように、総括している「私」のこの総括はまさに総括であると言う
証明です。
ポストモダンという言葉は建築分野が最初です。
しろうとしろうとってそんなにしろうとがすきか
|∵∵/ | | \| <要するにリゾーム化だってことだろ?
|∵ / (・・) | \_______
|∵ | ∈∋ | /∴.-=・=- -=・=-|
/∴.-=・=- -=・=-| /∴.-=・=- -=・=-|
|∵ |\_|_/| ∵|
\ | \__ノ |/
\___/:、
641 :
考える名無しさん:04/05/11 22:51
つまり、なんでも哲学なんだろ?
>パレルゴンさん
>だから、ポスト・モダンは哲学ではありませんね。むしろ社会学と言うか
>「情報化時代の社会」学 といったものでしょう。
なるほど。簡潔な説明ありがとうございます。おかげで胸のつかえが取れました(笑
僕は建築畑の人間ですが、建築でも昔(80年代?)ポストモダンが流行りました。
ですが、一流の理論派建築家の論文を読んでもさっぱりわかりませんでしたし、
記号論もやたら流行ったのですが、
「(ギリシア建築(=伝統)の記号としての)三角屋根をつければポストモダンだ」
と揶揄された挙句、廃れる時はあっという間で、
現在ではポストモダンは建築界の汚点みたいに語られます。
それで、どうしてもポストモダンに負の印象があるのです。
(「情報化時代の社会学」なら凄く面白そうですが)
ただ、例えばデリダはフッサール研究から入った人らしいですし、
ポストモダンの哲学者(思想家)は伝統的な哲学問題との
格闘から彼らの思想を生み出したのではないのかと考えました。
それとも伝統的哲学問題と格闘した結果、哲学は時間の無駄と悟り、思想へと向ったのでしょうか?
僕がここで考えている心身問題とは、「私と世界との関係」ですね。
客観主義的に「客観世界の一部としての私」と考えたり、
主観主義的に「世界は私にとっての世界しかありえない」と考えたり。
>>636を読むとこういった問題自体に関心が無いのかな?とも感じますが。
643 :
考える名無しさん:04/05/11 23:01
伝統的様式を否定し新しいスタイルを生み出したのがモダンでポストモダンは
そのあと。
余談ですが、環八沿い(確か世田谷区)にM2というギリシア建築の柱を
かたどったウンコみたいな建築があります。
ポストモダン建築です。
建築家は色々理屈を捏ねてましたが、今となっては施主は泣いているでしょう。
建築史的には意味のある建築でしょうが。(もう解体されたかも)
スレ汚し失礼しました・・。
訂正
>余談ですが、環八沿い(確か世田谷区)にM2というギリシア建築の柱を
>かたどった「ウンコ建築」があります。 (形はウンコではなく柱です)
646 :
考える名無しさん:04/05/11 23:11
>645
橋のそばの金色のやつ?
647 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 23:11
>>621 >>623 世俗(反哲学)的な意見の代表だと思って回答しておきます
サラリーマンも一人一人見れば違う、それを見落としてはいけない
サラリーマンといえども、カントじゃなくて何でもいいけど
外見から想像もつかない本を読むこともあるでしょう
それは数学でも古典でも絵画でも楽譜でも童話でも漫画でも何でもいい
大事なのは一人の中の少数者を社会に出現させるということ
「毎日一生懸命働くお父さん」という類型から
勝手に「〜は読めん」と決め付けることは全然良識的ではない
これはマイノリティ的なもの一般に言えます
誰もが弱者である部分を抱えている
それが画一の中の多様ですね
>>630 >>631 よく考えないで即レスしたら分かりにくい文になります
レスを考えたり推敲したりすることもあります
648 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 23:12
>>629 ポールさんどうもです
ポスモダは文化批評の面もあるのが魅力的です
語彙を共有できないと
理解されないのが問題ですが…
心身問題はどちらかというと
行為とか意図とかと絡めた
分析哲学の領域のような気がします
これは難しいので即答せずに考えておきます
649 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 23:12
>ポストモダンは現代思想と言われますが
>哲学ではなく思想なのですか
「ポストモダン」は時代区分です
「ポストモダニズム」は思想の総体を指します
「ポスト構造主義」などが哲学です
「思弁」より「運動」色が強いものが思想です
(イエスとかマルクスは思想家と呼ばれる)
ポストモダニズムは哲学のみならず
美学・文学・法学・政治学・社会学・歴史学に渡り
(一例としてデリダの『法の力』の影響を受けたポストモダン法学とか)
しかもフェミニズム運動や芸術や建築の作品にも影響しています
だからポストモダニズムは現代思想と呼ばれます
650 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 23:12
>哲学が問うような根源的な問題は
>飛び越えてしまっているのでしょうか
これは私見ですがポストモダニズムのポイントは二つあります
一つは英米系の分析哲学に対する存在論の主張
もう一つは構造主義・ポスト構造主義の流れの継承
分析哲学の源流にはウィトの論考があるし
構造主義はソシュールの言語学・記号論があるでしょう
だから言語の謎を追っている点では昔と変わりません
ポスモダのバイブル『構造と力』にしても
観念論(構造)と実在論(力)という構図は
大昔から受け継いでいます
ただし例えば、「私」とは何かという問いがよくありますが
構造主義的意識では「私」をフィクションと考えたりします
(「非人称的な超越論的領野」(ドゥルーズ))
だから問題意識の場所が変わったとは言えます
651 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 23:14
きちんとしたレスを返そうと推敲してて
スレの流れに乗り遅れてすいません。
でもじっくり考えながらやりたいですね
>>646 >橋のそばの金色のやつ?
いえ、そちらのウンコは”僕は”大好きです。
フィリップ・スタルクという超有名デザイナー兼建築家の作品であり、
日本人には真似の出来ないデザインです。もちろん「ウンコ」の方ではなく、
台座の方ですが・・。中も凄いですよ。
>しろうとさん
丁寧にありがとうございます。
>これは私見ですがポストモダニズムのポイントは二つあります
>一つは英米系の分析哲学に対する存在論の主張
>もう一つは構造主義・ポスト構造主義の流れの継承
なるほど。意味するところはよくわかりませんが、
分析と構造主義が深い関わりをもっていることはわかりました。
僕にはまだポストモダンは早そうですね。
まず分析や科哲から少しずつ勉強していきます。
>語彙を共有できないと
>理解されないのが問題ですが…
そのようです。
そのおかげで、しろうとさんやパレルゴンさんに絡みたくとも
絡めないのですが。
もう邪魔しないので(笑、がんばってください。
野矢さんのアスペクト論は絡めるように議論を追っておきます。
653 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/11 23:32
>世俗(反哲学)的な意見の代表だと思って回答しておきます
なんかカリカリしてるなあ。
>「毎日一生懸命働くお父さん」という類型から
>勝手に「〜は読めん」と決め付けることは全然良識的ではない
単に帰りの電車にみれば、明らかに
カントより東スポ読んでる人が多いだろうって、ふつーのこと。
コンテクストだよ、コンテクスト。
疲れてたら人はわかりやすいものよく読むよって普通のこと
だからよめんとかではなく、マイノリティとか関係ないから(w
つかれとるね。仕事がんばれよ!返信もういうよ!
654 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 23:41
>>632 >画一化の方を差異よりも重視する
いや、差異化(商品の多様化)は見かけだけで
画一化(資本の支配)が全く変わらないことを直視せよという訳です
ただし、ここでの画一化はクラインの壺の一定方向への流れの事です
>我々は原抑圧(S1)によって、差異化の連続としてしか生きていない
そうですが対象a=貨幣によって強力に制御されているという事です
それは存在論的な差異化なのですが、それはまだクラインの壺の内部
>>637 >リゾームを統括する視点なんかない
統括する視点が無いということはすべてが統括点だということと同じです
一つの単子が全体を反映するライプニッツ的なモナドの概念に似ている
655 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/11 23:42
>>642 >それとも伝統的哲学問題と格闘した結果、
>哲学は時間の無駄と悟り、思想へと向ったのでしょうか?
はいデリダは多くの古典を読んでますが
伝統的かつ革新的なスタイルなんです
彼のアイディアは継承しているものが多い
(ハイデガーの解体構築→脱構築とか)
だから無駄なんじゃなくて、むしろ大胆に思想に応用していると
>僕がここで考えている心身問題とは、「私と世界との関係」ですね。
>客観主義的に「客観世界の一部としての私」と考えたり、
>主観主義的に「世界は私にとっての世界しかありえない」と考えたり。
哲学における「私と世界との関係」を見ていくと
デカルトのコギトのような独我論があって
それは前期ウィトゲンシュタインで完成します
しかしポストモダニズムでは「他者」との関係に移ります
不可能な外部の他者がどう現れるのかが問題になります
例えばラカンでは無意識、デリダではエクリチュールとか…
>しろうとさん
>しかしポストモダニズムでは「他者」との関係に移ります
>不可能な外部の他者がどう現れるのかが問題になります
他我問題ですか?
(もしそうならば)なぜ他我問題だけが問題となるのかわかりません。
「不可能な外部の”何物”かが(孤立しているはずの意識に)どう現れるのか」
に関していえば、他我だけでなく、目の前のコップでもそうです。
>例えばラカンでは無意識、デリダではエクリチュールとか…
興味があるのですが、少し説明してもらっていいでしょうか。
657 :
考える名無しさん:04/05/11 23:58
>>654 >貨幣によって強力に制御されているという
全てのものの商品化という疎外状況と大体同じ意味ですか?
すみません。睡魔に負けそうなのでお先に・・。
659 :
考える名無しさん:04/05/12 00:12
>>653 労働力を商品として売って、そのための労働で疲れて、自由な人間的活動のための
余力も無く・・・という「仕事で疲れたお父さん」なわけですね。
>>611 デリダ、、ドゥルーズ、フーコー、は正直言って主なものしか読んでないです。ソシュール
は丸山の解説書、クリステヴァは概説くらいです。「資本論」は読んだが、ここのマルクス
スレのOFW氏などのレスを読むと、僕のは全然甘い読みです。スピヴァクの「サバルタン〜」
ははっきり言って半分もわからなかった。ラッセルの階型論は一応知っています。
僕は「批評空間の著者の言っている事を部分的に理解」してるつもりはないのですが、
たしかに
>>609の文章はその程度のやつでも書ける文章にも見えるかもw。まあ、それは僕
の力不足だから仕方ないのですが。誤解を解くために言いますが、「全体の哲学の流れ」
から現代の思潮を見るという視点から言えば、ハイデガーのようにディストラクティヴに
「哲学史」を見る必要があると考えます。時系列的に並べられたいわゆる「哲学史」には
「哲学を便宜的に時系列で並べてみた」以上の意味はないと思う。つまり、その最後の
時代に「ポスト構造主義」と書かれていても、「ポスト構造主義」に「哲学史」をすべて
踏まえたなんらかの結論があるとは思わない。「終わった」と言われる哲学や思想でも、
「まだ終わってない状況や人」には何度でも回帰してくるのだと考えます。
パレルゴンさんが言うように「差異化」というのは「対象(〜とは何か、という形で問える
もの)」ではない。僕は逆に、だからこそデリダは、安直に「終わった」と言われている哲
学者や思想にこだわり、>「多様化の中の画一に敏感」である、という一見哲学的表現に見
えない変な文章を延々と書くのではないだろうか、と思っています。
661 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/12 00:16
>>659 お父さんを馬鹿にするなよ。
だいたい「自由な人間的活動」ってなんだよ。ってことだよ。
人はコンテクスト=環境との関係で生きるんだよ。
だから疲れてるときは、東スポのエロ写真に萌える。
単純だなと思っても、そういうときもある。
でもおとうさんだって、難しい本を読むことだってある。ってことさ。
>>661 >人はコンテクスト=環境との関係で生きるんだよ。
そうだよ。だから「ポストモダンを越えていく2ちゃんねる」とか「システム論」なんて
いう時代の雰囲気や一般論、抽象論だけで時代を切っちゃダメなんじゃないか?
663 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/12 00:40
>>662 説教かい。えらなったな。
ってか、もうちょい中身あるレスせーよ。
反論しようにもどうしようもない。
たぶんわしの考えをつらぬく、
「人はコンテクスト=環境との関係で生きるんだよ。」
の意味わかってないだろう。
ポストモダン批判で、システム論と繋がってるんだが。
わかやんやつや、目を背けたい奴は別にそれはそれでええけど。
664 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/12 00:43
ばかぁ〜は人のことより、自分の方向性かためろ。
わしの情報社会論や、バレやんのポスト構造主義、しろうとの東みたいに、
マルキシズムやろ。ガツーンといったれ。
それからわしがつぶし足るから。
>>663-664 ぴかぁ〜さん、相変わらずだなあw。もともと、僕は君よりも偉いよw。少し甘い顔をされた
くらいであまり図に乗らないように。それに「様々なる意匠」競争や「議論」のための議論
なんてもうどうでもいいんだよ。ぴかぁ〜さんもそろそろ2chのシステムに甘えるのから
卒業して、ちゃんと勉強してみたら?
今回のパレとばかぁ〜のやり取りはどっちかっていうとパレの誤読だと思うぞ。
何々読めは読めようよ。何を読むと参考になるってならいいけどね。
>何々読めは読めようよ。何を読むと参考になるってならいいけどね。
その割には「わしのはてなは読め」とか言うんだよなぁ、
人のは散々誤読しておいて、自分のは誤読されるのは嫌がるんだね、、ね、ぴかぁー君w
668 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/12 22:35
ばかぁ〜さん 少し誤解していたかもしれません。
それだけ読んでいるのならば、哲学討議には十分ですね。
それにしても、ポスト構造主義は終わった思想と言うのはどうでしょうかね。
どう言う哲学も終わる事はありません。それも特に流行のように、流行って、終わり
また、新たなものに変わる、と言う流転するのではないのです。
哲学にも歴史がありました。大陸合理論ーイギリス経験論ードイツ観念論
現象学ー精神分析学ー記号論ー構造主義 歴史の流れの解釈は色々有るでしょうが、
ざっと見てもこんな風に流れています。
しかし、構造主義−ポスト・構造主義 以降哲学は歴史を失ったのです。
歴史は終焉した。なぜか、それは、歴史と言われる真理構造が消失し、
差異に取って代わったからです。
それは1)認識する主体が抑圧された人間を表していた事が解ったからです。
古典主義以来 人間の能力は理性的な可能性として開かれていました。
ところが、精神分析学の発展と共に、実は、抑圧され、主体化(組織に従属された)
人間である事が叫ばれるようになったのです。
こう言う中で、定立(現前のものを確実に認識する事)とは、隠されたこの抑圧によって
物が再現前することを強制的に保証させると言う強制であったと言えるんですね。
そこで、こう言う前提を認めたときに、これ以降、哲学は、単純に、ポスト構造主義の
相対主義は終わり、今度は、「画一」が重要なタームである。
とはい得ない状況になるんです。つまり、真理は絶対に証明不可能となったと言えます。
669 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/12 22:44
つまり、ポスト・構造主義以降、発言は発言内容において真偽の証明は出来ない。
この事から、「差異から同一性へ」と言う論議が、この概念内の論議で
決定不可能だと言う事が言いたいのです。だから、私は、しろうとさん と
ばかぁ〜 さんを 批判したのでした。
2)この2)は1)に続いて同じことを他の視点から述べようとはしていないので
本当は2)とはい得ないが、言いたい事は、ところが、柄谷・東・ジジェク
はこう言う1)の前提を知っている。そして尚も、画一性(真理)を求めようとしている
のならば、それは、どのように1)の問題点を超えたのかを君達に聞きたい
のですが?
今夜はこの辺で おやすみ
すやすや
このスレも駄目だ・・・。
同じような人間しか集まっていない。
671 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/12 23:00
この場合の私の批判する「真理」とは、「絶対に〜は正しい。」と言う表現のみを示すのではなく。
「〜は重要。〜になるのでは。」も全て肯定的な文章をも含んでいます。
肯定文は全て、真理の表現を示しているからです。
それでは、本当に おやすみ。
グーグー。
どうしちゃったのやら。。。
やっぱりこのメンバーが集まると、中弛みにしかならない訳だ。
ぴかぁ邪魔だよ
まあまあまあ、まだ勉強スレってことでいいんでないの。
ぴかぁ〜じゃないってのw
676 :
考える名無しさん:04/05/12 23:05
ポールが現れた時点で、内輪話にしかならないのは目に見えてたよ。
その通りになって、ガッカリ。
672 名前:考える名無しさん :04/05/12 23:01
どうしちゃったのやら。。。
やっぱりこのメンバーが集まると、中弛みにしかならない訳だ。
673 名前:考える名無しさん :04/05/12 23:03
ぴかぁ邪魔だよ
674 名前:(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/12 23:04
まあまあまあ、まだ勉強スレってことでいいんでないの。
679 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/12 23:07
バレやん、しろうと、ばかぁ〜、ポール
いいメンバーだと思うが、トリックスターのわしを
排除したのが失敗だね。
680 :
考える名無しさん:04/05/12 23:09
>バレやん、しろうと、ばかぁ〜、ポール
>いいメンバーだと思うが、トリックスターのわしを
>排除したのが失敗だね。
トリックスター?
おいおい、何言ってんだよ・・・。
>>679 いいんじゃないの、ぴかぁ〜も言うことも
今回に限っては一理あるし。
駄目だねぇ、対抗していた頃とすっかり人が変わっちゃって、
パレルゴン。
コミュニティ論
まず生命の欲動をコミュニティに帰属することと自己同一性を見出だすことにおく。
この二つは個体内、集団内という階層の違いがあっても秩序へ向かう力である。
そしてコミュニティはもともと虚像的である。なぜなら個体からその全体像がみえないからである。
だから個体のそのようなコミュニティがあり、そこに帰属しているという意識によるものである。
だから帰属はたえず確認されなければならない。
さらに自己同一性はコミュニティ内の差異化運動によって確認される。
コミュニティの帰属が自己の存在を保障するが、さらに他者とは違う自分になることにより
自己は同一性を確立されてゆく。
このような帰属も差異化もかつては社会システムがおこなっていた。
生まれながらに階級が、地域が決まる。農民の宮本村のたけぞうということである。
さらにそれは小さな村に所属することにより、コミュニティ内の差異化は容易である。
684 :
考える名無しさん:04/05/12 23:15
現代、真理が崩壊し、価値が多様化するなかで、マスメディが政治体制にかわって、
コミュニティを提供する役割を果たす。
コミュニティを演出し、それが消費にむすびつけたものをコミュニティ帰属へのパスとした。
マスメディアによる提出では満足できないものたちは、自己制作しはじめた。
それはマニアでありオタクである。ロックミージック、コンヒュータオタク、マンカ、
アニメ、ゲーム…これらの特長は、出来過ぎていないこと、自分でもつくれそうなこと、
これらはそのような不完全性を売りにするのである。
これらはサブ-カルチャーと呼ばれる。大衆との摩擦を生みながら発生する。
なぜならマスメディアが与えるメインストリームである大衆コミュニティに
帰属することを拒むものとして現れるからである。
本質的にこれらは反体制ではなく、反大衆なのだ。
これらはやがて成功者を生み、大衆と解け合っていく。
2ちゃんねるも同じである・・・つづく
685 :
考える名無しさん:04/05/12 23:15
超越論的生命力
現代社会、みなが共有でき信じられるものは消失した。
それがリオタールのいう大きな物語の消失であり、ポストモダンの始まりである。
しかし最後の大きな物語は残っている。
それは生命である。
われわれはみなが生きている。
そして同じ生理システムを共有している。
これは我々を支える根源的物語であり、超越論的視点である。
686 :
考える名無しさん:04/05/12 23:16
しかし生命は生理としてわたしたちそのものでありなから、
環境(自然)としてわたしたちの外部にあり、コントロールできないものであり、
わたしたちはそれをコントロールしようとして失敗したのである。
だから生命と言う物語は我々でありながら危険な実である。
結局そこに回帰したのである。
そして現代において人を支えているのは生命力である。
そして生命力の前には理性/野蛮の対立はなりたたない。
おたく思考という記号コミュニティ内の差異化運動として、
にちゃんねるという野蛮の暴露として、このドラスティクな変化は理性を解体したのである。
それでもわれわれは生きつづけるのである。
それでもわれわれはコミュニティに所属し価値観を手に入れ、自己を見出だそうとするのである。
コピペやめれよ。
またわしのけもんにされるやん!
ってか、自分でやっといてこれだもん。。。
このスレはクソスレになった。
ある程度哲学書を読んでる奴はぴかぁーには興味がないと思われ
691 :
考える名無しさん:04/05/12 23:20
ぴかぁ〜
いやいや、ぴかぁ〜を無視するとはマナーがなっていないやつばかりだ。
しかし、なぜ、
ポールが加わるとこんなにスレが嫌味ったらしくなるのか?
ぴかぁと何でも君、邪魔だよ。
>>693 マイ哲学の締め出し、学識のない人間は近けないように雰囲気づくりをするから。
従って、彼の学識の無さも、その言い回しで誤魔化して、知識の無さを隠すって手だ。
おや、ポールのお出ましだよ(プッw
相手してあげようか。
鋳ない間に少しは、かわるかと思ってきてみれば、
相変わらずの階級づくり、ご苦労さんだ。
どうしても、また粛正が必要になりそうでんなw
>>668-669 どうもです。ちょっと整理します。まず僕は「ポスト構造主義は終わった思想」とは書いていない。
それと、僕もしろうとさんも「差異から同一性へ」という問題意識を出しているのではないと考え
ます。そのため話が食い違っているのだと思います。ここのところは僕の言い方にも問題があったか
も知れません。なのでパレルゴンさんの書かれたことを使って改めて言い直すと、1)という前提は
ポストモダンかプレモダンかはコンテクストなしでは決定できないということです。柄谷氏も東氏も
「超越論的なものは差異である」(つまりパレさんのいう1))は端的にそう言明されたとき、それは
差異を超越化しあらたな神秘主義を呼び込むことにしかなり得ないと言っていて、僕はその神秘主義
を「単なる商品の多様化を価値の多様化と見る」視点に見出す。しろうとさんなら「『単一な不可能
なもの』の周りをぐるぐる回るだけで『複数の不可能なもの』を取り逃がす」視点、というかもしれ
ない。僕もしろうとさんもその「神秘主義」(否定神学、もしくはクラインの壷)に抵抗しているのだ
と思います。「差異から同一性へ」ではなく、「『同一か差異か』から『同一も差異も/同一でも差
異でもなく』へ」と言ったら、キャッチコピー的すぎるかなあw。
>>698 ごめん、ちょっと文章がおかしいな。
「1)という前提はポストモダンかプレモダンかはコンテクストなしでは決定できない
ということです。」の後に次の文章を挿入してください。
「まず、これが一つ。この問題は『モダンなくしてポストモダンなし』。これはみなさん
の共通理解となっていると考えます。その次の段階として、新たな問題構成が出てくる。
『超越化された差異は果たして差異か?』」
700 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/13 22:57
きょうは時間がないので多くは語れませんが、
1)「動物化」と言ったのは人間(東氏)であり、人間が自分で自分を「動物」である
と言った時に、都合よく動物になるって どう言うことだろうか?
証明の出来ないままに、神のごとく、言った事が言ったようになるとでも
思っているのだろうか?と考えているんです。と言うのも証明しようとすると
形而上学になると言う事で、彼は決して証明は出来ないでしょう。
2)同時に彼は木田元先生の本をパクッテいるのではないかと思われるのです。
先生のハイデガー論の中でユクスキュルに言及され「生物体は、それがおのれに固有な
環境世界とのあいだに取り結んでいる機能的円環関係のうちで捉えられねばならないと主張し
環境世界論を提唱した。」とあります。勿論これは、ハイデガーの存在論はこのユクスキュル
を学んだのではないかと仰っているわけです。
3)「超越化された差異」について 今一歩詳細な説明をお願いします。
そして、それが差異ではないと言いたいのならば、それは、超越論的
なものが絶対的なもの=視点になる=古典主義復活 てなことかい?
4)全体的にみて、余りにも、「批評空間」系 の展開。
「mr.East」さんへの思い入れが大きすぎる気がするなぁ〜。
マスコミ煽動されている気がするけど。もう少し自分で哲学する、冷静に
見てみることも重要かなと思うけどなぁ。
NAMの運動にしても、解散だった。地域通貨はエンデのパクリ。
代表者をくじ引きで決めようが、それは、わざとらしい集団化であり、
規則化による強制のもとに人間が集団化する事であり、逃走・多様化
と相容れるものではない。よって、失敗したと考える。
読みが甘いのよ。
701 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/13 23:04
全文を読んで答える時間がなくてすまない。
ポール氏の問題提起も面白い点があるし、本当は書きたいけど
もう少し待って下さい。明日・明後日には何とかかけるかも。
ポストモダン サブカル系に流れる議論は軽薄な気がする。
もう一度哲学ってな方向へ引っ張りたいな。
ぴかぁ〜氏排除を意図的にやってはいませんよ。
彼は独特のスタイルで、元気ですよ。もう少し絡めるように
書いて欲しいけど。(笑)
ほんじゃま。おやすみ。
グーグー。
702 :
考える名無しさん:04/05/13 23:14
>ぴかぁ〜氏排除を意図的にやってはいませんよ。
嘘をつくようになったパレやん。
703 :
考える名無しさん:04/05/13 23:21
パレルゴンも慢心したら終わり。
この様。
>>700 >証明しようとすると形而上学になると言う事で、彼は決して証明は出来ないでしょう
「形而上学アレルギー」かと。便宜的かつ一方的に反形而上学から仮想敵として規定された
「形而上学」のステレオタイプ・イメージに振り回されるのはいかがなものか。
>「超越化された差異」について 今一歩詳細な説明をお願いします。
単純なことですよ。パレさんのいう「歴史と言われる真理構造が消失し、差異に取って
代わった」は絶対になにものにも取って代わられないということ、つまり「真理構造は
消失した」という形での真理(というか同一性、単一性の)の密かな復活。僕はそれを批判
します。
>全体的にみて、余りにも、「批評空間」系 の展開。
パレさんの誤解(構造主義−ポスト・構造主義以降哲学は歴史を失った)を批判するには
「批評空間」系の論議で十分なので使っただけです。僕ももっと大きな範囲の議論がした
いと思ってます。
705 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/13 23:55
日本ポスモダ派 しろうと、ばかぁ〜
西洋ポスモダ派 バレやん
単なるコミュニケーション不全やな。
哲学にはとてもよくあることですな。
>>705 違うよ、僕はドイツ観念論派だよ。強いて言えば。そっちのほうにつなげたいんだよ
ねー、実は。
707 :
考える名無しさん:04/05/14 00:00
全然ドイツ観念論じゃない。
708 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 00:01
それとばかぁ〜はさすがわしの弟子だけあって、感覚的やな。
これで理解できるやつはまずいないな。
超越的された差異????
>その次の段階として、新たな問題構成が出てくる。
>『超越化された差異は果たして差異か?』」
709 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 00:02
>>706 ポスモダ知識は誰からきとるか、ちゅうことやな。
710 :
考える名無しさん:04/05/14 00:02
>それとばかぁ〜はさすがわしの弟子だけあって、感覚的やな。
おいおい、弟子はポール・しろうとだろ?
711 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/14 00:08
>>656 ラカンの「現実界」は「物自体」同様に認識不可能で
もちろん多我問題などをクリアしてしまった訳では無いです
デカルト−フッサール(−ハイデガー)と違う点は
自己の一番中心に他者がいるという主張でしょう
これはあのウィト−クリプキの規則のパラドクスと
同じ問題意識かもしれません
目の前のコップにしても何にしても
意味の変化として他者が現れるのでしょう
ここら辺まだ整理が付いていませんが…
>>657 >全てのものの商品化という疎外状況
まさにそうですね。推理小説でどんな差異も
殺人事件の手掛かり=暗号と化すのに似ている
これは全てのものの暗号化という疎外状況ですね
712 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/14 00:09
>>668 >歴史と言われる真理構造が消失し、差異に取って代わった
>真理は絶対に証明不可能となった
議論の本筋から外れますが、この言明はやや強すぎる
あくまでも、(自然界の法則の如き)実在物としての
真理構造(歴史)が出現・消失したりするのではなく
我々の認識(エピステーメー)が変わったということです
>>669 >「差異から同一性へ」と言う論議
>画一性(真理)を求めようとしている
だから、それはごく単純な誤解ですよ
「差異から同一性へ」と画一性を求めている訳ではありません
むしろ逆に、差異を求める時にこそ、画一性に敏感でないといけない
デリダは境界侵犯という場所に安住することは出来ないと言います
侵犯や脱構築は絶えざる移動で、どこかに実在する訳ではないのです
だから単に「差異化」というテーゼを言うだけなら、少なくともデリダ的じゃない
713 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/14 00:09
>>671 >肯定文は全て、真理の表現を示している
これは違和感を感じるな
「差別に敏感であれ」という言葉は、別に差別を肯定してない
「(多様性の中の)画一化に敏感であれ」も同様です。
自分もばかぁ〜さんも画一化を肯定しているんじゃなくて逆です
>>698 >「超越論的なものは差異である」(つまりパレさんのいう1))は
>端的にそう言明されたとき、それは差異を超越化し
>あらたな神秘主義を呼び込むことにしかなり得ない
そう、その通りですね
>「『同一か差異か』から
>『同一も差異も/同一でも差異でもなく』へ」
流石に、ここは解説してくれないと分からないですね
デリダの「差延」が「差異の差異」と説明されるように
難しい部分があるんで即座には認められないな
714 :
考える名無しさん:04/05/14 00:11
連投来た。
>>713 >「『同一か差異か』から『同一も差異も/同一でも差異でもなく』へ」
>流石に、ここは解説してくれないと分からないですね
>デリダの「差延」が「差異の差異」と説明されるように
>難しい部分があるんで即座には認められないな
ああ、はいはい。それはパレさんとの会話の絡みでして。会話が「同一か差異か」という
偽の問題に凝り固まってしまった観があったので、「古典形而上学VSポスト構造主義な
んていう教科書的な区別に立った議論じゃない議論しようぜっ!」という以上の意味はな
いです。
716 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/14 00:33
>>700 >1)
>…人間(東氏)であり〜
いや「動物化」の主張が正しければ、彼も動物だということで
パラドクスは起こさないのです。(動物と動物化も本当は違う)
>2)
パクっているというより『存在論的、郵便的』(p238)で既に踏まえていますね
>例えば木田元によると、「存在了解」の発想は当時の生物学が提出した
>「環界」の概念に深い影響を受けている。しかし転回後、この状況は大きく変わる
ハイデガーは転回後は環界から言語に向かいます。
それで元々デリダはハイデガー(〜ラカン)の存在論(否定神学)に
抵抗していた訳ですから、「動物化(環境化)」の東も当然理解の範疇という訳
>3)
形而上学は脱出したけれども否定神学に囚われるということ
否定神学は存在論とかクラインの壺とか貨幣とか対象aとか…
>4)
何だかここは急に文章の強度が落ちたようですよ
確かに引用が多いけれども別に権威に頼ってる訳じゃない
ここでは難解な思想家の解説者以上に扱ってないですよ
717 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 00:34
東読まないと、しろうととはコミュニケーションできないぞ。>バレやん。
718 :
考える名無しさん:04/05/14 00:36
このスレも駄目だよ、全員段々と知ったかになりつつある。
過去の古参のように。
719 :
考える名無しさん:04/05/14 00:36
そうかな?
/\___/ヽ
/'''''' '''''':::::::\
| ,(●)、 、.::|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::|
| `-=ニ=- ' .::::::::|
\ `ニニ´ .:::::/
/`ー‐--‐‐―´\
720 :
考える名無しさん:04/05/14 00:38
そうです。
721 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 00:40
722 :
考える名無しさん:04/05/14 00:43
>>721 知ったかまでは、いいとしても、もうちょっとぴかぁ〜もそうだけど、
用語を噛み砕くべき。
723 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 01:01
用語は、コミュニティへの帰属を表すからな。
致し方ないね。
724 :
考える名無しさん:04/05/14 01:02
それを努力の放棄を言わず、何というか。
722や724みたいな奴って、高校までの受身教育の弊害だな
大学では「自分で勉強せー」で終わり
726 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 22:52
今日も、皆のレスを見ずに書き込むという暴挙に出そうです。
ところで
1)ハイデガーについて、私の解釈では、ケーレ以降は
「存在と時間」の実存主義的傾向から、より存在に従属的に「現存在が与えられる。」
と言う解釈です。つまり、前期では、企投性を重視して、可能性のある人間存在
を強調していたが、ケーレ以降、存在に被投された人間存在という点を強調している
と考えています。この後期の点こそ、構造主義が見出した、構造から逃れられない
「主体」に引き継がれているのだと思います。
2)形而上学・否定神学を超える為に討議を進める中で、討議をする事自体、
出来るのだろうかと言う疑問を皆持っていると言う事が解ってきた。
つまり、討議には、一時的に、否定神学的な、または、形而上学的な発言
スタイルも容認される必要がある。そうではないと、「差異も画一も、あるいは、差異を求める時にこそ画一を」
と言う、なんだか分けのわからぬ発言に終始すると言う事だろう。
言いたい事は解るが、差異も画一もならば何も二項を持ち出すことはないのである。
話さない方が良いのではないかと言う気がするが。
或は、サール・デリダ論争のように、からかう・はぐらかすしか道はないだろう。
727 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:07
3)ポスト・モダンと心身の問題について
私も考えた事はありませんが、ポールさんの言う様に
世界は私の欲望充足の場としてあるとでも考えてはどうでしょうか?
728 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:24
4)ポストモダンと「不可能な他者」のテーマについて述べたのは、
多分デリダとレヴィナスではないだろうか?
他者の顔に無限の責任を求めるのは後者であり、前者は法よりも正義(他者性)
との賜っている。つまり両者にとっての共通点は、形而上学による
真偽の基準が消失した後に、それでは何を信じるんだと言う事が気になった
そこで、デリダは正義とやらを持ち出した。レビナスは他者の顔への
無限・無償の責任と言う事のような気がする。そして実は、この無限
の責任と正義は、ある意味で、形而上学的なスタイルを隠し持っている
と私は考えています。一旦否定した形而上学的視点を他者の無限の中に
定立していると言う気がするんです。無限の問題は数学上の問題点
ともなっているんですが、この点を乗り越えようとしたのではないか?
私にはそんな気がします。つまり、ゲーデルの不完全性定理です。
729 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:27
もっとも両者はポスト・モダンではないよ。
730 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:34
しろうと氏の博学さ。ばかぁ〜さんの情熱。ぴかぁ〜ちゃんの回転のはやさ。
皆素晴らしい。ここにはいい友でいっぱい。
そこでお願い。
しろうとさんは知識豊富だから、コメントが短いので、出来たら貴方の自説
を長めに書いて欲しい。他人へのレスが項目毎で、短くて理解しにくいので、
なるべく長めのレスを宜しく。
ばかぁ〜さん
もう少しゆっくり書いて欲しい。
ぴかぁ〜ちゃん
絡めるように書いて欲しい。
731 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:38
ぴかぁ〜ちゃん
東の本も読もう。といっても、「存在論的、郵便的」「郵便的不安たち」
は出て直ぐに速読した。それ以外の「動物化」?でも読むか。
スピノザの「エチカ」読書中だけど、中断して・・・・
でも、軽そうね。
ほんじゃま。
ねるね。ゴーゴー。グーグー。ガーガー。
732 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 23:39
絡めるようにってのは、なんというか・・・
733 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:45
自説の時は今の口調でOK。
質問があれば、答える。そうすれば会話が出来るという事だよ。
それ以上はない。
734 :
考える名無しさん:04/05/14 23:46
パレルゴンさん
もう少し具体的な事象を交えて「に接続して…」色々と書いて欲しい。
哲学内部に閉じた議論に終始するのは、哲学の可能性を狭めるから。(主観)
735 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:49
「自由を考える」を買ってきたから、読んでみるよ。
多分、ぴかぁ〜ちゃんは読んでるよね。データベース層・動物化・シミュラークル層
こう言う感じでしょう?
736 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/14 23:53
734
俺は教えるの下手だし、むしろ、しろうとさんの方が詳しいかも知れませんが、
私でよければ、何をどう言う風に語れと仰るのか?より具体的に述べてけれ。
>>730 >ばかぁ〜さん もう少しゆっくり書いて欲しい。
了解です。議論が少々とげとげしくなった観があり、些か反省しておりますw。
まずは「形而上学」の定義付けから厳密にやったほうがいいかもしれないですね。
では。
738 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/14 23:59
>>735 今日、読み終えたけど。わし的にかなりつぼだね。
それはポスモダではなく、実はシス論だということがわかった。
でもバレやん的にはちょっとついていけないかもな。
739 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 00:05
737いやその辺は十分に理解していると思うよ。もっと、ゆっくり論旨を
転回して欲しかっただけで・・・
738そこの所を心配しているのよ。
俺って、直ぐに疑問点が先になって、以後、その点が気になり
進まなくなるのよね。
皆仲良くやろう。
ところで、ばかぁ〜さん、ぴかぁ〜さん今何を読んでるの?
740 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:08
>俺って、直ぐに疑問点が先になって、以後、その点が気になり
>進まなくなるのよね。
それはわかんないけど、興味ある内容でないと思うってこと。
しかしある意味かなり深くて、東氏とわしの問題点が
実はとても近いことがわかった。哲学で語られなかった余剰なんだよな。
東氏なかなかやるやん。
741 :
考える名無しさん:04/05/15 00:08
>>736 うんと、だから現代思想・テキストを単に
自分なりにパッチワークしたり分析することに耽溺(満足)するんではなくって、
そこで獲得したモノを自分が興味ある外的事象(pで言えばネット環境について…)
などへ敷衍したり、それを汲み入れた話や思考回路を持った方が、
あなたの哲学的な領土をさらに豊潤にすると思えたからなのです。
つまり、あなたを応援しているのです。
>>741 無理に使い慣れない言葉を用いるのは、いかがでしょう ?
>>739 僕は、梯明秀「ヘーゲル哲学と資本論」を今日買ってきて読んでます。前から欲しかった
ので古本屋で1,800円で即ゲットするも、その後に行った違う古本屋で600円だったという
悲劇を味わいましたw。
744 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:19
>>741 人ごとやから簡単にいうな。
自分で考えて提示するすることは、
自分を乗り越えるぐらいに大変なんやぞ。
745 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 00:21
740 それはよかったね。ぴかぁ〜ちゃん。幸せだね。自分と共通点を持つ
哲学者を又一人見つけたと言う事だね。そんなに簡単にはいないものだよ。
大事に読んでいってちょうだいよ。その内東の信奉者となるわけですね。
ご披露してちょうだい。
741 自分が学んだ哲学を外の世界に広げると言う事ですね。
まだそこまで達していないのかなぁ〜。(笑)
その内やってみますけどね。時期が来れば自然とそうなるかと思ってもいます。
日本文化論・日本組織論など 面白そうだけど。
746 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:23
>>745 東信奉者か、ってか東氏がもつ哲学の限界を共有してるわけで、
東氏はそれを乗り越えられないが、わしは乗り越えかけてるちゅうこと。
でもその問題点に気がつく輩はそうそうおらんちゅうことやね。
747 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 00:29
743
ばかぁ〜さんへ
ヘーゲルかぁ。読んだら教えてけろ。
やはり、資本論と言うのは、大事なんだろうね。
俺もざっと読んだけど。俺のテーマからは離れてるんで、
でも、レスで言ったように、アルチュセールは大事だよ。
構造主義的にマルクスを読むってのが、浅田はマルクス「資本論」は
寝て読む本だって言ってて、京都じゃ今でも、「寝て読む。」が
理想。
748 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 00:31
746
解った。ぴかぁ〜ちゃん は凄い。だから、自慢しなくてもいいよ。
自慢しない方が、より凄いと思われるんじゃないの。
ポスモの大御所なんだから。
749 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 00:34
それとグラムシも注目されているんじゃないの?
750 :
(*゜Д゜)2ちゃんスタイル ◆PKPKs4sF8s :04/05/15 00:36
>>748 ポスモじゃないって、現代語るからポスモを
通しているだけ。自然主義、システム論だって
751 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 00:40
それでは本当に寝るよ。
又明日。ズーズー。むにゃむにゃ。
752 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 00:41
750
解った。ほんじゃ明日また。
ぐっすり。
>パレルゴンさん
>つまり、真理は絶対に証明不可能となったと言えます。
>>668 ポストモダンでなくとも、カントの時代から(?)、人間の認識を超えた客観真理の存在は
証明できないと考えるのが哲学の歴史の一つの流れではないですか?
もともとこの言説は、「世界から独立した我々の主観が、如何にして主観の外の
客観世界に到達できるか」という主客二元論の思考を基盤としています。
そして精神分析もその二元論を基盤に構築されています。
そして(一部の)哲学は、その二元論自体を疑っているのですから、
この言説自体が擬似命題なのではないでしょうか?
デリダも、真理の存在よりむしろ、この二元論という思考の枠組み自体を批判
しているのではないですか?
僕は、我々の認識を離れた客観的真理の存在を積極的に肯定できないが、
我々に現象する世界の内には、互いに共有できる知(共同主観的な客観知)
は事実存在すると考えます。
その意味で、「〜は正しい」という表現は適切であるし、「ある発言は
発言内容において真偽の証明は出来る」とも言えます。
>しろうとさん
>ただし例えば、「私」とは何かという問いがよくありますが
>構造主義的意識では「私」をフィクションと考えたりします
>(「非人称的な超越論的領野」(ドゥルーズ))
>だから問題意識の場所が変わったとは言えます
>>650 「私」を、客観主義的に、私の認識される対象と同じ在り方をする
存在者のレベルで考えるのではなく、それらの存在者を現出させる場
(超越論的領野)として考える方が僕にはしっくり来ますね。それによれば、
「私が存在するとすれば、それは(私の)世界そのものである」と。
認知心理学的に、他者、もしくは私の脳と世界との関係を描くことによっては
「私と世界の関係」を解明することは出来ない。なぜなら、「他者」も「私の脳」も、
私の認識の場に現れた一つの対象物でしかないのですから。
ドゥルーズも基本的にはその流れでしょうか?
しろうとさんは、「私」についてどう考えていますか?
755 :
考える名無しさん:04/05/15 21:31
あーあ、ポールが出てきちゃったか。。。
>>725 >722や724みたいな奴って、高校までの受身教育の弊害だな
>大学では「自分で勉強せー」で終わり
ぴかぁ〜とか、他の人も同じなんだが、明らかにそういうレベルまでいってない。
難解な用語を覚えることイコールレベルの高さではない。
756 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/15 22:03
>>717-725 自分のスタイルはそんなには変わってない気がするけどな
この板に来た当初から東とか野矢とかジジェクとか言ってたし
>>726 >1)ハイデガーについて
ハイデガーは実在主義から存在論へ転回したと言えます
そして存在論では言語との関係が主題化します
何かと因縁深いウィトゲンシュタインは、ハイデガーについて
言語の限界に突き進む態度に共感しつつも無意味だと
これは英米・分析哲学vs大陸・存在哲学における
言語観の対立を象徴しています
それはメタとオブジェクトの分割を認めるかどうかですね
これはカルナップvsハイデガーやサールvsデリダでも同じ
757 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/15 22:04
>2)形而上学・否定神学を超える為に
>「差異を求める時にこそ画一を」
>〜分けのわからぬ発言
「安全を求める時にこそ危険に対して敏感であれ」
「平等を求める時にこそ差別に対して敏感であれ」
「多様を求める時にこそ画一に対して敏感であれ」
全く普通のロジックだと思うけど…
>サール・デリダ論争のように、からかう・はぐらかす
向こうが真面目ならこっちはふざけてやる、
デリダがやったのはその程度のことじゃない
逆に真面目と不真面目の境界を崩したんです
更にコンスタティブとパフォーマティブの違いという
理論的問題をテクスト上で鏡像的に実践した
コンスタティブなレベルで「真理はない」と語りながら
パフォーマティブなレベルで真理を示してしまう…
これは典型的な否定神学の一側面です
758 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/15 22:04
>>728 >4)ポストモダンと「不可能な他者」のテーマ
>形而上学による真偽の基準が消失した後に、
>それでは何を信じるんだと言う事が気になった
>そこで、デリダは正義とやらを持ち出した。
形而上学の後には正義という基準を信じろと、
「法よりも正義」だと、それじゃ変わらないじゃんかと
確かに否定神学への回帰に見えると東も見ているけど
このレスの記述には微妙に違和感を感じるな…
法の上に正義という決定審級があるということを示した訳じゃないですよ
法が脱構築(変化する位の意味)されるときの残余として正義が残ると
やはり構造主義系の「遡及的 retroactively」の論理です
759 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/15 22:05
>>730 パレルゴンさんのスレなんでなるべくレス返しに徹しようかと思ったけど
今まで出た話題を使って、多少長めの自説をまとめてみようかな…
>>746 >わしは乗り越えかけてる
哲学の限界=壁を乗り越える前に
壁に辿りついていないと思われ
>>753 >「世界から独立した我々の主観が、如何にして主観の外の
>客観世界に到達できるか」という主客二元論の思考
外部世界の実在(物自体)は到達不可能な存在(だが要請される)
というタイプの議論ですね、外部の抹消の最も洗練された形が『論考』
>デリダも、真理の存在よりむしろ、
>この二元論という思考の枠組み自体を批判
そうだと思う、向こうがパロールならこっちはエクリチュールとか
対抗するんじゃなくて決定不可能性がポイントですね、いつも
>互いに共有できる知(共同主観的な客観知)は事実存在する
真理が無いというより真理の複数性を言いたいですね
球面幾何の公理系も平面幾何の公理系も共に真なのだと
760 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/15 22:05
>>754 >「私が存在するとすれば、それは(私の)世界そのものである」
>しろうとさんは、「私」についてどう考えていますか?
今まで解説に徹してたけど「私」の話を私の視点で語りましょう
私は、「私の世界」を「世界の私」に反転できないかと思います
この世界は私の意識内部でありその外部に他者が現れる…
と普通は考える。「他者」の感覚(痛み等)は理解不能だから
しかし、「彼の身体に痛みを<私が>感じる」状況を想定すると
分割は経験的(内容)か文法的(形式)かという問いが生じます
この発想(もし他の場所が私なら…)を反転します
(もしこの場所が他者なら…)すると、どうなるのか
この場所に来れば私の眺めがあなたにも見えるように
この場所(身体)に来れば私の痛みもあなたに分かる
761 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/15 22:05
私の世界において私は固有的なものの視点としてありますが
世界の私において私は普遍的なものの視座としてあります
例えば、遠くで蛇に見えて驚いたが、近寄ると縄だった
これは蛇が錯覚なのではなくて遠くでは蛇だとも言える
同様に、遠くで彼が〜に見えたが、近寄ると〜だった…
同様に、遠くで私が〜に見られたが、近寄ると〜だった…
だから私は客観的で普遍的な世界に置かれた点ではなくて
私自体が普遍、即ち世界全体の一つの表れだと言えます
そして他者は外部ではなくむしろ私の最も中心にあります
(平面と違い)球体上で最も遠い場所が自分の位置です
厳密な独我論が実在論に一致するという図式を反転させて
観念論(言語一元論)から他者論を出現させる方法です、これは
762 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 22:30
753 ポールさん。こんばんわ。
僕なりに整理してみますと。
確かに、デカルト以降 客観的な世界の認識は段段と遠のいてきた
歴史ですね。仰るとおりですね。デカルトにしても、「考える自分の存在
は否定しえない。」ところから、外の世界の客観的な存在と解明を神の存在証明と
からめて、保証している。しかも、直感によってです。
つまり、最後の一点では直感(思い込み)しかない。(笑)
以後、イギリス経験論では、全てが疑問となり、観念連合によって、世界は
理屈付けられるしかないと言う事になる。
続いて、この対立を乗り越える意味で、カントは、客観世界は掌握できない
むしろ、認識する為の基準(悟性のアプリオリな範疇)は人間の側にあると
したんです。以後、ヘーゲルは内部に外部を持ち込みこの矛盾を超えて
最後には絶対知と言う、内外を越えた真理を見出そうとした。
763 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 22:41
次に、フッサールは、人間は、現象としてしか現われないものしか解らない
と同時に、それは、何かについての意識であり、その意識(志向性)を
通して、像となるが、それは、その人にとっての、意味としてしか
現われえない。つまり、外の世界はそのまま現われるのではなく、
意味として現われるとした。しかし、それは、その人にとって真理である
と考えている。(形而上学です。)
以上、イギリス経験論を除くと、客観的な外の真理はないか捉えられない
としていますが、客観的な真理基準を捨てていません。この点を批判した
のが、構造主義、ポスト・構造主義だと思います。
勿論イギリス経験論は内外ともに真理を否定しています。
764 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 22:48
しろうとさん こんばんんわ。
どんどん書いてください。
このスレッドは私が開いたのではありませんから。
皆でどんどんやりましょう。
よろしく。
765 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 22:54
それでは、法に対して正義はどう言う位置付けになるのでしょうかね?
どうして、正義と言う一つ間違えると、形而上学の表現にもなりうる
ような概念をデリダはわざわざ持ち出したのでしょう?
世界を「世の中」とすると人により、立場により、経験により見え方は様々なことは
当然なんだが、そこを、誰しも「世の中」を知り尽くしてはいないとも自覚しているわけで・・・
というように「世の中」という言葉を使うとして、これを客観的にというか神の目から
見えるが如くに知りつくすということなどありえないとも誰もが思うのではないだろうか。
(世界=世の中なのだと言ってるわけじゃないですよ)
767 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 23:21
766
仰るとおりだと思います。
だだ、文学的に見たら、それで十分なわけです。世界に住む人全員が
同じ様にしか「世の中」を見ないとしたら問題でしょうし、ありえない。
生まれた環境も違うし、性格も異なるのですから。
しかし、西洋哲学とは、その様な個々の差を統一的な真理に還元する事
を目的としています。いや、西洋哲学のみではなく、西洋と言う物自体が、
そう言う真理を探究し、絶対真に到達することを目的としているのです。
この点が、崩壊・綻びて来たと言う事ですね。
768 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 23:32
しろうとさん ポールさん の発言から、私は今だ二項的な認識論に終始している
のではないかと自覚しました。(例えば真理・否真理、形而上学・脱構築etc)
しかし、前述の二項の内、後方の否定の側を強調する事が、否定神学としても、
この形而上学的な肯定文(二項の前側)と否定文を乗り越えたとして
すぐさま色んな事を言える力、表現できる力を言語に回復させる事
がで来たと、どう言う風にして言えるのかとう言う疑問が私には残るのですが。
しろうとさんにお聞きしたいのですけど、ヘーゲルをどう考えますか?ヘーゲルはカント
の図式をいわば「内容なき形式」と批判した。また、そこから必然的に出てくる不可知な
「物自体」も当然、抽象的で空虚なものでしかありえないと。とすると「抽象的で空虚な
「物自体」をめぐってどうこう言っている現代思想(まさに「不可能なもの」をめぐる戦い。
そしてまさに、しろうとさんがテーマにしている問題群)もこの「ヘーゲルのカント批判」
の総括なしでは、それこそ「内容なき形式」の単に洗練、変奏でしかないのではないだろ
うか、という思いが僕にはあるのです。ヘーゲルが本当に「死んだ犬」ならば話は簡単だし、
僕も「ポスト構造主義以降」を雄弁に語ることに何の異存もないのだが、どうも、実際に
「死亡診断書」を見るまでは信用できないたちというか。なので、しろうとさんのヘーゲル
論が聞きたいのです。「思惟と存在の一致という特権を持つ『人間』」は本当にナンセンス
なのか?
770 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 23:48
概念Aに対し概念非Aを対置させ、全く新たに概念Bによって、
この差異を抹消したとして、我々の脳裏には この対立する概念は
消えるのだろうか。
仮に消えるとしても、その地点から私は 何を語れるのだろうか?
また、新たに語った事は、概念Aのように、何かについての 肯定文
であり、このことは 同時に 最初のように 概念非A を前提とし
また、同時に、その二項関係を再構築するだけではないか?
このように考える時、言語とはなんだろうかと言う疑問が残ってしまう。
それでも、言語的な差異は新たな差異の上書きによって、真理の表現と
言う影は消失していると言うのならば、ますます、言語とは何かを再度問
う必要があるのではないか?
こんな疑問を感じていますが。
771 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/15 23:59
ばかぁ〜さん こんばんわ。
いい質問点ですね。ここは しろうとさんに聞きたい。
「物自体」と言う問題点は確かに、西洋形而上学に開いた
風穴=破れです。この点を突破口にして、ラカンなんんか書いている
わけです。無限の問題も同じ点でしょう。そこの所を直感でわかった
としたのがデカルト。フッサールは超越論的領野 と言っているもの
だと思いますよ。つまり、物自体とは人間の絶対視点の定立点
なわけだと思います。その点が証明=定立可能か?と言う問題だと思います。
答は証明不可能。 公理にしちまえって感じかな。
>>771 どうも。確かに現代思想は色々なバリエーションはあるけれど「公理にしちまえ」って
感じでその問題を扱ってますよね。パレさんのいうようにバリエーション違いなだけで
「無限の問題」も全く同じですね。ただ僕はヘーゲルを読んで、「それは西洋形而上学
に開いた風穴=破れ」というカント、ウィト、などの考えから「それは単に悟性に開い
た風穴=破れなんだ、悟性的、抽象的な思惟の段階で問題にあるだけのものなんだ」と
いうヘーゲルの考えの前で一旦立ち止まってもう一度考えてみようと思ったのです。
「公理にしちまう前にもう一度考えてみるか」という感じですかね。ヘーゲルは言葉が
難しいっすよーw。
>>755さん
他の人は知りませんが、僕は己のレベルを自覚しているつもりです。
専門課程の学生が一年もしないうちに簡単に超えられるレベルであることを・・。
僕のスタンスは昔から変わっていません。
1. 自分よりレベルが高く 2. 誠実に答えてくれる
コテと議論する(教えを請う)ことです。
たまたま現在の哲板では、のなめさん、しろうとさん、パレルゴンさん、ばかぁ〜さんらが
それに当たるので、彼らのいるスレに現れるだけです。
相手が名無しでなくコテが多いのは、議論の継続がしやすいから、ただそれだけです。
僕は読書スレ以外では、普通の言葉で、相手に伝わるような明晰な文章で語るように
心がけています。内容の稚拙さも自覚した上で、笑われることを怖れず書き込んでいます。
チンポ太郎さんや稲さん、OFWさんのような初心者に親切な専門家を定着させるには、
僕のような素人が積極的にこの場を作っていかねばと信じているからです。
そして彼らを定着させることは、哲学に関心を持ってここにきた非専門家、つまり、
この板に来た当初の僕のような者に「哲学はおもしろいんだ」と感じてもらえるからです。
それが大森スレその他で僕がお世話になった専門家や、その場を提供してくれた哲板、
そして哲学への僕なりの感謝のささやかなお返しなのです。
僕は、あなたのような専門家からの誤謬の指摘を常に求めています。よろしくお願いします。
スレ違い失礼しました。
>しろうとさん
ポストモダン用語がなくてわかりやすい説明です。感謝します。
誤読があれば訂正お願いします。
>>互いに共有できる知(共同主観的な客観知)は事実存在する
>真理が無いというより真理の複数性を言いたいですね
>球面幾何の公理系も平面幾何の公理系も共に真なのだと
>>759 そうですね。
人間の認識の外部にある唯一客観的な真理を認めることは出来ませんが、
かといって、「全ては真理である」とする相対主義も間違っていると考えます。
その根拠が、我々には互いに共有できる、むしろ共有せざるをえない知や知覚が
事実存在することです。
目の前の物体が誰が見ても立方体ならば、それは実際には悪魔が仕掛けた幻
かもしれませんが、「それは立方体である」という言説は真であると言えます。
真理とは、このような、それ以上疑っても意味がない経験世界の限界ギリギリに
存在するものであり、限界を超えて存在するものではないと考えます。
>私の世界において私は固有的なものの視点としてありますが
>世界の私において私は普遍的なものの視座としてあります
私が経験する世界とは必ず、「ここ、今」というある決まった位置から
知覚された世界で、客観世界とはこの「ここ、今」の総体としての世界ですね。
具体的な物も同様で、「ここ、今」の視点で現れる”平行四辺形”の集まりの
無数の総体が(物自体としての)立方体です。我々は立方体自体を体験する
ことは出来ません。
このように物自体(普遍の世界)は、我々の、ある視点を持った経験世界
の総体です。このような、視点の変化を想像によって可能とする我々の能力が、
客観世界や他者の存在を可能とする前提でしょう。
>だから私は客観的で普遍的な世界に置かれた点ではなくて
>私自体が普遍、即ち世界全体の一つの表れだと言えます
>>761 うまい言い方ですね。
ただ、この考え方でも、「ここ、今」の総体として理念化された唯一の客観世界
から、私の「ここ、今」の世界を説明しているように感じます。
「「私の世界」を「世界の私」に反転できないか」
>>760とは、この逆転現象
であると感じます。
(今の僕には、その逆転現象が間違っているのか判断できませんが)
僕のもっかの関心は、「我々の十人十色の経験世界は、唯一の世界を我々が
ある視点から切り取っている」というしろうとさんのような主張を、実践的要請を
根拠とせずに正しいと言えるのか、ということです。
以下、この逆転現象を避けた大森さんの主張について参考までに。
>例えば、遠くで蛇に見えて驚いたが、近寄ると縄だった
>これは蛇が錯覚なのではなくて遠くでは蛇だとも言える
>>761 大森さんも同様のことを述べていますね。
遠くから見れば、物は小さく見え、近くに寄れば大きく見える。
人の顔を正面から見れば顔全体が見えるが、左側から見れば
右目は見えない。このような、見る場所によって変化して現れる知覚風景に
真偽の区別をすることはできない。(近くから見るより遠くから見る方が、物が
小さく見える現象を我々は見誤りだと考えないし、正面から見た顔が真の顔で、
横顔が見誤った偽の顔であるとは誰も思わない)
同様に、遠くから見れば蛇に見える縄も、そのような性質を持って立ち現れる
存在者なのだ、と。そこに客観的に真偽の区別はない。
このように彼は、様々な形で立ち現れる知覚風景に真偽の分類は出来るのか?
と問います。彼によれば、我々がその知覚風景に真偽をつける基準は
「実践的要請によって」であると述べます。
遠くから見える風景より、近く、触れることが出来る距離に存在する風景が
我々の生命に直接関係するゆえそれが真であると我々は分類している。
つまり「触覚」優先の真偽判断です。だからといって、遠くから見える「蛇」は、
唯一客観的な世界に属する縄が、脳の誤った作用によって作り出した幻
と考える必要はない。世界はそのように「場所、時」によって変化する
ものなのだと。
彼の影響によって僕は、「私」とはある視点を持った世界そのものであり、
(今までの主張と矛盾するかもしれませんが)「世界が現れる場」といった、
ある空間的な実体、場ではないと考えます。(比喩としては素晴らしいのですが)
私の世界抜きに、私は存在しないと考えます。
>>775訂正
>かといって、「全ては真理である」とする相対主義も間違っていると考えます。
→かといって、「真理は存在しない」とする相対主義も間違っていると考えます。
従来の経験世界を越えた所に存在した真理概念を、我々の経験世界のうちに
引き戻すという、真理概念の定義の変更を求めます。
それにより相対主義を避けることが出来ます。
>そして他者は外部ではなくむしろ私の最も中心にあります
>(平面と違い)球体上で最も遠い場所が自分の位置です
>厳密な独我論が実在論に一致するという図式を反転させて
>観念論(言語一元論)から他者論を出現させる方法です、これは
>>761 ここはよくわかりませんでした。
782 :
考える名無しさん:04/05/16 03:21
従来の真理概念で何を言ってるの?
「他者は私の中心にある」というのは、最早期の「自我」が「他者」により作られたというような
意味なのかな。たとえば「あいちゃん」と呼ばれることにより自分は「あいちゃん」なのだという
自我意識が形成されるとか・・・
783 :
考える名無しさん:04/05/16 03:22
つまり、今眠いからかなり適当に言うと、
ベッドの隣にいる女の子を抱きしめるのは簡単だけど、
自分をそのように端的に抱きしめる(認知)することは
不可能であるということ。自分自身にキスできないよね?
一番近く見えて、実は一番遠い存在が自分ってこと。
ランボーは、「私は一人の他者である」と言ったのも、
たぶんそれと似たような感覚。
無意識も自分の中に住む他人みたいなもの。
他者とか超越とか色々な訳の分からないツールを経由・迂回して、
やっとおぼろげな自己感覚が得られる。
という意味だと勝手に自己解釈した。
>>782さん
>「他者は私の中心にある」というのは、最早期の「自我」が「他者」により作られたというような
>意味なのかな。
なるほど。その意味ならわかります。
ただし、ここで述べられた他者とは自我のことであり、自我とは「私」と
対置される意味での「他者」と同値ではないと考えます。
そして哲学的な他我問題における「他我」と、精神分析で使用される自我
(「私」の性質)と対置される他我(「他者」の性質)とは別物であり、
哲学的な「他者」と精神分析的な他我を変換することは難しいと感じます。
つまり哲学的に「私」「他者」を語るとき、精神分析的な自我、他我は
あまり当てにならないのでは?と思います。
>一番近く見えて、実は一番遠い存在が自分ってこと。
>ランボーは、「私は一人の他者である」と言ったのも、
>たぶんそれと似たような感覚。
>>783 ランボーの「私は一人の他者である」とは、私すらも「私」にとって
「私」の認識の内に現れる対象として認識されるという意味ではないかと
勝手に考えております。いわゆる自己意識ですね。
僕は、この「対象化された私」こそが客観主義が生じる源泉の一つであり、
「対象化された私」を対象化している「私」こそが、哲学的に語るべき
「私」ではないかと考えます。
786 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 08:35
外の世界の客観的な判断基準の存在否定は納得出来ますが、
現象学的に現われるものに対して、客観的な基準がある
と考えるのはどうでしょうか? (間主観性の問題)
例えば、ポールさん しろうとさん が仰るように、確かに世界は
我々の前に先に存在するとは、さすがに、現象学を経験した後では
言えない。つまり、しろうとさんの仰った「超越論的領野」に世界は現われるが、
個々人に、夫々の意味としてしか現われない。
個々人の世界が客観的な共通を持っているか?と考えるのは どうだろうか?
現象学が、あるいは、ウィトゲンシュタインはともに独我論者と言われている
理由はここにあるんです。他人の痛みは 自分の経験によってしか想像できない。
ましてや、自分に経験のない事を他者に対して どのように理解すると言うのでしょうかね。
視点を変えます。現象学を経験して、尚も批判するべき点は、記号論的な視点
によるものです。つまり、人間の認識は、記号(言語)により 分節機能に依存する
と言う視点です。判断・認識以前に すでに ある唯一の言語構造に投げ込まれている
個人が 思考判断する為の 共通のツール(道具)として、ある言語を身につけて
それを持ってしか、世界を表現できない。この事が、最低の間主観性を保証している
のです。間主観性が先にあり、後に言語で述べるのではないと思います。
787 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 08:47
ここから、全ての共通性とは、言語規則を前提としてしか成り立ちえない
と言う事が言えるでしょう。
第二点として、言語構造は 組織構造をももたらすと言う事です。
我々は、どのような討議・議論も既に言語による分節機能に依存し
この分節機能に依存した 使用言語の分節結果に準じて 世界構造は
開かれる。 ただし、この場合、開かれた世界は、共通のものかどうか
786で述べた事に変更を加える必要もあるかもしれません。
つまり、間主観とは、ある言語分節にのっとって、同組織に帰属する
同言語習得者にとって、同じ物として開かれると言う事ですね。
ただし、この場合の間主観とは、言語世界への 象徴界への
参入と言う、強制的な原抑圧を経てと言う事になります。
788 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 08:52
この点が構造主義・記号論が 現象学を批判した点であり、
画一的な認識を批判した所です。
この点の論議を省いて、共通認識の存在を問うのは問題を残します。
だから、デリダは二項対立=言語規則を脱構築しようとした
と言うのが本当にところです。つまり、ソシュールのアナグラム
デリダの「パレルゴン」もそう言う狙いなわけです。
789 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 09:01
そして、既存の言語構造 からの 脱出=創造を図ったのが
ポスト・構造主義と言う事ですね。既製服の窮屈さを絶対のもの
と考えるのではなく、その言語の外へ向かったのだと言う事です。
既存構造からの開放を求めた運動なのです。
790 :
考える名無しさん:04/05/16 09:10
>>787 >つまり、間主観とは、ある言語分節にのっとって、同組織に帰属する
同言語習得者にとって、同じ物として開かれると言う事ですね。
口を挟んで悪いけど、これ言語圏の異なる人間とは間主観性が成立しないってこと?
791 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 09:25
あともう一つ ポールさんの仰る「真理の証明について擬似命題」と言う発言に
ついてですが、もうお分かりになったと思いますが、
西洋とは、客観的な外の世界を認識できないとしても、それでは、内的な世界の
客観的な(唯一の)判断基準はあるのではないか?と考えて来たと言う事です。
この点を解明しようとしたのが、現象学・精神分析学なのであり、
構造主義・記号論 に至るまでの長い西洋哲学の歴史は
世界を解明すると言う、つまり、言葉を変えれば、世界を対象化しよう
とする、形而上学=真理探究 であったと言う事ですね。
792 :
考える名無しさん:04/05/16 10:19
>>791 精神分析は真理追究の学でもなんでもなく
精神病治療のための道具立てだよ。
793 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 12:43
79精神病理の客観的基準の学問であり、人間精神の状況の
正確な掌握とその治療方法であるので、同じ事です。
真理探究ですよ。真理探求とは、絶対的な唯一基準を
探求することを示しています。あるいみで、相対主義の反対を
指していると言う事です。
790
仰るとおりです。ただし、現代のように翻訳が盛んになり、
海外旅行による外国での経験、インターネットによる交流
が盛んになると、先進国間での言語分節の差異は縮小してきていると思います。
しかし、大国ではない国、少数民族、と先進国とでは、開かれた世界は
全く異なると思います。以前カルチュラル・スタディズ系の本を読んだんですが
その時に、現地の道先案内人の地理的特長の捉え方が、先進国側の
見方と全く違うと言う事を分析していました。
山・河・丘 という共通の文字があっても、それは、我々の言う山・河
丘ではなく、通訳を解した会話でも全く山・河・丘も見えないところを
そう言う風に識別すると言う事です。こう言う異なる言語分節に
間主観なんてありえないでしょうね。つまり、人は習得言語の分節構造
に則ってしか、世界を認識し得ないと言う事です。
>パレルゴンさん
>現象学的に現われるものに対して、客観的な基準がある
>と考えるのはどうでしょうか?
>>786 現象学の専門的細部に疎いので何とも言いがたいのですが、
僕も同様の疑問を感じています。
「還元によって得られたデータに、どうやって客観的な基準を設けるのか」と。
>この点が構造主義・記号論が 現象学を批判した点であり、
>画一的な認識を批判した所です。 >> 786-788
「現象学的還元は純粋な経験を取り出す」という触れ込みですが、
構造主義は、純粋な経験の取り出しは不可能であると批判しますね。
人は、言語や社会文化といった構造によって予め規定されていると。
僕も同様に思います。
確か以前、チンポ太郎さんがこの批判に対して反論していたように覚えています。
僕も是非現象学専門家の反論を聞きたいと思っています。
>使用言語の分節結果に準じて 世界構造は開かれる。
>>787 一応の留保をつけて同意します。
これについてはまた、考え(疑問)がまとまり次第レスさせてもらいます。
>現象学が、あるいは、ウィトゲンシュタインはともに独我論者と言われている
>理由はここにあるんです。
>>786 「○○は独我論である。だから間違っている」という批判は、
批判に当たらないと僕は考えています。
なぜなら世界は事実独我的に成り立っているからです。
他者の痛み(心)を僕は事実体験できません。
ただ独我論を認めると、他者と共存することが出来ず、
我々の生にとって不利益になるという実践上の理由から、
独我論が社会では認められていないだけです。
それは、「人を殺してはいけない」が実践上の理由から真であり、
哲学的にはそうは言えないというのと同じです。
僕には実践以外の根拠で、独我論が否定される理由がさっぱりわかりません。
その意味で他者との共同世界は、あくまで私の信念(信仰)でしかありません。
「どうも他人と僕は同じ世界を共有しているらしい」という素朴で絶対的な確信です。
「論理的に」それを証明することは出来ません。他我もそうです。
独我論は決して間違った世界解釈ではない(しかし役に立たない)と主張します。
(反論求めます)
司馬遼太郎がモンゴルを旅行したとき、見渡す限りの大草原なんだけど
現地の人が「車が来た」と言うが車らしいものは何も見えず、音も聞こえなかった。
それから30分くらい経って、はるか彼方に芥子粒のように小さく車が見えたという話だ。
そのあたりの人の視力は2.5位だったとかいう話だ。
797 :
考える名無しさん:04/05/16 14:12
>>795 あなた自身独我論なんて信じてないじゃない。
それなのに、口先だけで独我論を唱えるのが矛盾でないの?
現象学とかウィトゲンシュタインとかそれ以前のくだらねー
話に、現象学とかウィトゲンシュタインなんて名前を出さない
でほしい。
799 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 15:41
795
ポールさんへ
私は独我論が悪いと言ってはいないのですよ。
独我論からいきなり間主観性を求めるのがおかしいと言ったまでです。
むしろ、差異化する「私」を探求するのが、哲学史的に見て一般だ
と言いたかったのです。つまり、構造主義(ソシュール・レヴィ=ストロース
フーコー)を経て、脱構造を見ると言う過程を経ないで現象学=共通性=同一
を探るのは問題だと言ったまでです。つまり、構造主義の背景、そこからの
逃走・離脱と言う運動の真意を見た後で、それでも共通性を模索する事
なら意義はあるでしょうね。
800 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 15:44
796さん
私の言った事とは全く違います。
私の言った事は視力・臭覚力の差ではありません。
言語による分節の差です。
言語の分節は勿論ありますが、視力は知覚の分節ですね。
802 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/16 16:54
>>762 デカルトのコギトでは思考の存在は疑い得ないが
その思考が主体に帰属するかは分からないのです
またスピノザによると神の存在論的証明ではないと
>>765 形而上学的な言明ではないんですよ
「これが正義だ」とは指せないんですね
移動という現象が境界侵犯=脱構築で
それがどこにも位置を持たないのと同じ
法律の改変を決定する法の法/メタ法律が
正義では「なく」、むしろその不在を示します
法が正義によって決められているということではなく
法の起源には法体系外部の暴力の痕跡が残ると
>>766 >人により、立場により、経験により見え方は様々
>>760-761の反論にはならないですよ
その様々な見え方が普遍・客観の表れという主張だから
803 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/16 16:54
>>768 「現代社会の価値観の多様性は商品の多様性だけで
貨幣の画一的制度の支配は全く変わらない」(適当に改変)
という発端の主張に対してパレルゴンさんが
いや差異化の時代だからそんなことはないと言う
男女を均等に雇用すべしという男女平等の題目が
単に面接「だけ」は受けさせて(落とされ)実質変わらない状況のとき
「いや法律で決まってるから男女平等のはずだ、そんなことはない」
という発言は単なる現状無視&肯定以上のものがないでしょう
「差異化の時代」というテーゼは自然法則じゃなくて言説だから
「リンゴは<必ず>落ちる」のように現実に先立っては決められない
<必ず>差異化されているはずだ(だから画一化は間違い)はだめ
(もちろん本当は物理学も現実に従って理論を修正する)
>>769-772 ヘーゲルですか…ジジェクもラカン的チャートの下に
カント〜ヘーゲル〜マルクスという流れがあります
そろそろ全レスは止めて一つのテーマでレスしたい
普遍と個別とか二項対立とか今してる話も含まれるし
後でヘーゲル論を整理してレスしたいと思います
>>770 デリダの脱構築は解体ではないのです
Aに対してB(非A)をぶつけるのではない
むしろAの内部につねに・すでにB(非A)が
含まれておりそれを暴露するのが脱構築
804 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/16 16:54
>>775 ここら辺の話では公理系も含めた
言語ゲーム一元論を展開してみたいところです
>>776 >私が経験する世界とは必ず、「ここ、今」というある決まった位置から
>知覚された世界で、客観世界とはこの「ここ、今」の総体としての世界
それは真っ当な思考だけども少し違う角度から考えてみます
例えば動物には「今、ここ」というものも無いのではないか
なぜか。過度に単純化すれば言語が無いからと言えます
カントの研究者である中島義道は
「私」について簡潔な定義を出しています
過去の私を統合するのが「私」だと
ここでデカルトのコギトの注釈を参照しましょう
コギトは事実問題ではなく権利問題として関るといいます
睡眠したり酩酊したり夢を見たりして「動物的」な状態に
あることが多々ありますが、それを事後的に「私」と回収できる
「今、ここ」というのはカント的にはカテゴリーでしょうが
それが出現するのは超越的な物自体が認識不可能だという
認識論ではなくて言語的な問題ではないかとずっと思ってます
805 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/16 16:55
>>777 >「我々の十人十色の経験世界は、
>唯一の世界を我々がある視点から切り取っている」
それだと「客観的世界に置かれた(視)点」に近いですね
認識不可能な<一>の世界(物自体界・客観・普遍…)の
不完全な視界が「私」だという考え方を「不完全性」解釈、
認識可能な<多>の世界の非整合的な相が
「他者」だという考え方を「非整合性」解釈と分けましょう
そして自分は後者の方に立つ訳です
これはカントのアンチノミー、あるいは平面と球面にも似て
どちらか一方が正しいというものではないと思います
ただ後者の方は馴染みにくい思考ではあります
>>778 >>779 >彼の影響によって
自分は野矢の影響を受けていますが
(大森を経由して)結局はウィトゲンシュタインの
独我論の葛藤を再現しているのかもしれません
>「私」とはある視点を持った世界そのものであり、
独我論と実在論のカップリングですね
>「世界が現れる場」といった、ある空間的な実体、場ではない
現前化した無とでもいうか、やはり実体はないのです
>比喩としては
自分的には、理解可能なように経験を構造化するという
哲学の営みは、まさに「比喩」そのものだと考える訳です
>私の世界抜きに、私は存在しないと考えます。
世界の私抜きに、世界は存在しないと考えます…
806 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/16 16:56
>>781 確かに説明不足ですね。本来もっと記述量が必要な部分でしょう
まあここは今のところスローガン程度に聞いて頂ければ
>>782-783 >ランボーは、「私は一人の他者である」
その言葉はラカンが論文に引用してますね
言語という他者の問題だと思います
具体的には$とS1の間の裂け目です
>>784 精神分析にも自我と主体の区別がありますが
哲学の他者との違いが入ってくると混乱しますね
>>785 >「対象化された私」
やはりコギトですね
>「対象化された私」を対象化している「私」
その「対象化している「私」」も対象化されますから
無限後退になるとラカンは指摘した訳です
その無限後退を先取りしたのが対象aとか幻想の公式
807 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 20:25
なるほどね。ふむふむ。
808 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 20:38
ってか、そろそろメタ哲学でなく、なんか主題を絞り込んで
哲学するって展開はないのかな・・・
809 :
考える名無しさん:04/05/16 21:03
しろうとさん
返事感謝。と同時に相変わらず短いコメントですね。
もう少し詳細にコメント願います。哲学ですからタームの羅列では貴方の理解
が分かりません。
そこで、分からない中で分かる範囲の質問意見を述べます。
1)デカルトについて、「思考の存在は疑いえないが、思考が主体に・・・」
とは思考する「私」の存在を否定も肯定もしていないとでも。
しかも、神の存在証明と外的認識の客観性とをデカルトは絡めていると思いますが。
驚きです。貴方のような解釈は出来ないでしょう。「コギト・エルゴ・スム」
から。ちょっと無理。「我思うゆえに我あり」ですよ。
勿論スピノザから見ると、彼は徹底した汎神論者ではない。こう言う理由から
貴方は、神の存在証明をしたのではないと言いたいのでしょう。
言葉が足りないよ、しろうとサン。
2)法・正義について、正義は示せない。これは同意できますが、
私の質問点である 何故脱構築・差延と言う事で、形而上学批判だった
彼が、正義と言う (勿論最終真理基準ではないですが)誤解されるような
タームを持ち出す必要があったのかと言う点が質問です。
この点に対する答になっていない気がします。
高橋哲哉によると、彼は「正義は、法創設の暴力が排除し、抑圧し、沈黙させた
特異な他者たちへの関係である。」と言っています。このように、他者への配慮
として、正義を持ち出した。この辺の背景はどうなのかと問うたのですよ。
3)脱構築について。
あるテクストの読みを、多様化し、本来のコンテクストから開放・解体することが
脱構築であるならば、Aと言う表現 に Bと言う意味を編み出す行為も脱構築
だと考えています。これは、私見かもしれませんが。
Aの中に非Aがあるとは、弁証法的な解釈過ぎると言う気がします。
と同時に、エクリチュールに中に解釈の多重性があると言う解釈になり、
コンテクスト性 やパフォーマティヴに重点がなくなるという欠陥がありますね。
810 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 21:17
なかなかいいレスですね。
811 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 21:21
809
はパレルゴンです。PCの調子が悪くて、名前が消えていたんです。
ぴかぁ〜さん ゴメン。操作ミスでした。
812 :
考える名無しさん:04/05/16 21:26
ちゃんとした論文をきぼんぬ
813 :
考える名無しさん:04/05/16 21:36
論文とは言わないが、論証は必要だろ。
論証がないからただのタームの羅列になるんだよ。
814 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 21:39
論証とまでは言わないが、データベース的ですな。
815 :
考える名無しさん:04/05/16 21:40
論証なくして哲学なし
816 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 22:04
しろうとは、東氏を信仰しすぎて
動物化されたデータベース人間になっているのか?
東氏自身は、結構欲望的な人間くさい人間ですけどね。
お前に言われたくはないだろうなw
818 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 22:50
813・814
仰るとおりでおます。
彼は突然タームの羅列をレスして、去っていく。
ポールさんのように、もっと丁寧に書いて欲しいよね。
哲学者と言われる連中でも、もっと、いや、俺ら以上に
丁寧に書きますよ。なぜなら、哲学とはある意味では
言葉の概念の定義を主とするのだからね。
同じターム(言葉)が時代や流派によって
大きく異なるわけで、タームの羅列はむしろ混乱に
落とし入れるだけである。違うかぁ〜。
819 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 22:52
しろうとは、わからないなら読め、
データベースは疑うべきでなくものでなく、
すでにあるべきものというスタンスだからね。
820 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 23:00
と同時に、どうして彼は時間をかけてレスするのか?
よほど調べ物が多いと言う事も考えられる。
簡単にレスしないで、調べまくって、後に今読んで書いたかのように
タームを羅列している。そんな気もするね。
つまり、時間をかけている。熟読して、返事を下書きして、
一気に書いている。違うかな?
ちょっと失礼だったかな?いずれにしても、タームの羅列はやめて
もっと、少ない項目にレスでいいので、分かりやすく丁寧に返事を求む。
>パレルゴン
せっかくの良スレなんだから穏やかにやってよ。煽りなしでさ。
822 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 23:02
819ぴかぁ〜ちゃん。
データ・ベースってのは、どう言う事なのよ?
823 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 23:03
調べまくるのは悪くないよ。
時間をかけるもの悪くない。
論理的な議論は、「書簡的」で行われるのが理想。
しかし、データーベース的なタームの羅列はいかがなものか。
メタ哲学議論では、しょうがないといえば、しょうがないか。
824 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 23:04
821
俺は切れたらこうなるんだよ。
これが俺の欠点。(笑)
でも、俺の指摘は間違ってる?
間違ってる云々でなく煽りなしでやってよ。
でないとぴかぁースレみたいになってもったいないよ。
まあ、君のスレだから外野がいうべきではないことかもしれないけど。
826 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 23:05
いや、818の提言は間違っている?
827 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 23:07
データベース 【database】
コンピューターで、関連し合うデータを収集・整理して、検索や更新を効率化したファイル。
タームが並列に収集され、提示される様。
828 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 23:07
825 いやご指摘感謝。カーム・ダウン(冷静に)なります。
反省。ここって良スレですかね?
829 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/16 23:09
827なるほど。ぴかぁ〜ちゃん ありがとう。
明日早いので、寝ます。
同時に、しろうと氏の丁寧なレスを期待しています。
今後とも宜しく。
830 :
ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/16 23:10
しろうとはほんとにいそがしいんだろ。
でも参加はしたい。そのイライラ感が伝わってくる。
時間がかかっても熟読、熟考してレスするのが何が悪いんだろう…
しろうと氏は説明が足りないのは感じるけども。
832 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/17 19:44
>>809 >1)デカルトについて
>驚きです。貴方のような解釈は出来ないでしょう。
>「コギト・エルゴ・スム」から。ちょっと無理。
>「我思うゆえに我あり」ですよ。
「cogito ergo sum」は「考える ゆえに 存在する」
コギトによって私の実在の存在証明にする哲学者はいません
「<私の>思考が存在する、ゆえに、私が存在する」という推論は
認められるけれど無意味で、私の存在を証明する力はないのです
デカルトの主張の隠れたポイントは「思考は私に帰属する」
というところでしょう。これが近代的な個の確立というやつです
しかし必ずしも思考が私に帰属するとは限らない
構造主義なら社会・言語・無意識などの構造に束縛されると考える
そこを押さえなければコギトの哲学(史)的意味も分からないでしょう
よく流通している翻訳&解釈を鵜呑みにしていますね、詰めが甘い
自スレも放ったらかしなんでレスはこれでそろそろ打ち止め
次スレはパレルゴンさんが思考を展開してみてはいかが
あるテーマに沿って知識を統合する方向性を勧めます
833 :
THE グル:04/05/17 20:38
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
834 :
考える名無しさん:04/05/17 20:59
>>832 ちょと補足
デカルトのは「明証」の主張で「証明」ではないこと。
835 :
THE グル:04/05/17 22:01
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< 今度は、何処のサイトを!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 今度は何処の板やスレを!
ていせつしよかな! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
836 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/17 22:43
835
余りにも変形しすぎですね。
私は あそこで、デカルトを持ち出したのは、哲学史を説明する為で。
よって、現在の哲学(精神分析学)から、強引に自説的にコギトを捉えなおそうと
したのではありません。
単純にデカルトのコギトを教科書どうりに述べたまでです。
よって、ここ簡単な参照先を示しましょう。
小坂修平「西洋哲学史」149P
「デカルトはあらゆるものは疑いうると言った後で、たとえ、誤った
考えを私たちがいだいたとしても、そう考えている私が存在している
という事実は疑う事が出来ないと、考えた」とありますが、
この理解から貴方の変形に行くのは、夫々の見解・哲学に対するスタイル
の違いでしょう。一般論を強引に変形し、悦に言っているのは
傲慢と言う事でしょう。貴方は、つめが強引。独善的って事でしょうか。
だから、皆がついていけないのでは。
837 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/17 22:55
哲学者の自説を、私も出来てはいませんが、丁寧に辿り、そこから
間テクスト的に読み込むと言うのが私のスタイルです。
飛躍はしません。それは、時として何か分けの分からないジャーゴン
で、人の目をくらますようになり、自分の優越性を自慢しているかの
ように見えるだけだからです。本当に知識のある人は、決して
そう言う態度にはならないものです。むしろ思考の深みを知り
謙虚になるものですよ。
書き逃げはやめて、このスレッドに書いた貴方のレスに対し
今から、当分の間、質問をしますので、返事を書いてくださいね。
書いた事にたいして、説明なく逃げるのは、問題でしょうから。
デカルトにしても、極端な自説から、一般的な理解を批判的に
揚げ足を取っていると言う事が明晰判明しましたね。
だから、他の人の質問も出てくると思いますが、どうでしょうか?
答えますよね。ヘーゲルについて何か書くんじゃないの?
838 :
THE グル:04/05/17 23:00
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄
お気の召すまま
840 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/17 23:08
再度、コギトについて述べてみましょうか?
私の言うコギトとは言葉の直訳ではなく、一般に言われる
「我思うゆえに我あり」=コギト と言っているのですよ。
揚げ足を取る様に、言葉を直訳し、批判するのが貴方の姿勢でしょうか?
デカルトの神の証明と客観的な外に世界に認識については
所雄章のデカルトUの135Pを参照。
これを否定できますか?
返事待ってるよ。しろうとさん。
841 :
THE グル:04/05/17 23:11
>>840 いいですか、
デカルトの「方法」の方がいいと思いますがね。
どうかしましたか?
842 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/17 23:11
ポールさん、ばかぁ〜さん 質問しましょう。
言われっぱなしではどうし様もありませんから、言った事が
分かるまで聞きましょう。
843 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/17 23:13
と言う事で、それでは オヤスミ。
グーグー・・・・
841グルさん その通りですよ。
デカルト今文献ないのですが、取り合えず
845 :
考える名無しさん:04/05/17 23:17
パレルゴンならゴムフェラまでオーケー
悪いとは何か?
847 :
THE グル:04/05/17 23:33
いいですか、
その存在を疑い得ないものが考える私自身であるとは、
実に堅固な論ですね。
これを崩すのは容易ではないかもしれませんね。
なぜならば、
あのデカルトが真理と評するくらいですからね。
これが定説です。
どうかしましたか?
何を答えるべきか詳細にしてくれ。自分勝手な散文は控えるから
このスレで邪魔なのは、パレ、しろうと、それにポール。
逃げているのは君達も同じだろ。ある程度論が進むとはぐらかすのは明快さが自分を痛めつける可能性があるからだ。
まあ、パレさんも、しろうとさんのレスの仕方に少し不満なのかもしれませんが、
もうちょっと冷静になってください。Cogit,ergo sumについては、しろうとさん
は別に「余りにも変形」させているわけでもなく、「揚げ足を取る様に、言葉を直
訳し、批判」しているわけでもなく、ただ「我思うゆえに我あり」は推論ではない、
というもう一つの論を言ってるだけだと思う。ここまでは問題なしと考える。問題
はその先で、しろうとさんはなぜ「Cogit,ergo sum」が推論ではないかを内在的に
説明しないで「単にそうなのだ」とも読めてしまう言明だけで次の話に接続してしま
う書き方にパレさんが不満だということでは?僕は、またヘーゲルか?と言われてし
まいそうですが、「Cogit,ergo sum」は直接的言明ではありえない、思惟(思う)と
存在(在り)という異った二つの規定のものは媒概念という一層本質的な推理で繋がれ
るべきであると考えます。もっともヘーゲルは「小論理学」の中で、デカルトそれは
ちゃんと解っていて、別の所でそう書いていると言っていますが。
852 :
THE グル:04/05/18 00:02
いいですか、
これは果たして三段論法なんでしょうかね。
どうかしましたか?
853 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/18 00:17
「<私の>思考が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>身体が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>名前が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>住所が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>椅子が存在する、ゆえに、私が存在する」
疑いが疑いえない(思考は存在する)というところまでは認めます
「私は言葉を用いていない」と言葉で言えないのと同じです
私の思考が<私の>ものならば私は存在しますが
それは前提であって私の存在を証明したものではない
なぜ<私の>ものなのかという所有の不可能性がある
本来はここが争点になるべきなのです
思考は私のものではなく非人称の働き(無意識!?)に
よるものかもしれないではないですか
ちなみにスピノザは「我は思いつつ在る」というように読みます
デリダ的というのはこのような読み替えのことです
854 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/18 00:17
855 :
THE グル:04/05/18 00:23
>>854 いいですか、
いえ、
ばかぁ〜さんが媒概念なんておっしゃっておられるものですから、
それは果たして三段論法であるのかなと思ったまでなんでして、
スピノザには言及していないんです。
どうかしましたか?
>>855 ああ、僕への質問?「媒概念という一層本質的な推理」はもちろん
「A=C」「B=C」ゆえに「A=C」ではないです。これ以上説明するほど暇
ではないので、あとは自分でヘーゲルを読んでください。
857 :
THE グル:04/05/18 00:37
>>856 いいですか、
グルはヘーゲルなんて読まなくとも、
「ぐりとぐら」で充分なんです。
まあ、
ご説明されるまでもなく、
そこで媒概念云々は意味をなさないのはお解かりのはずですがね。
なぜならば、
方法的懐疑において、
それを遡及することは循環論法だからなんです。
そうですね、
あなたにはヘーゲルを読むことをオススメするんです。
どうかしましたか?
859 :
THE グル:04/05/18 00:42
>>858 いいですか、
いえ、
ヘーゲルを読めというのは、
グルのウィットな冗談ですよ。
「ぐりとぐら」を読みましょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
860 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/18 00:51
>>853 >私の思考が<私の>ものならば私は存在しますが
>それは前提であって私の存在を証明したものではない
>なぜ<私の>ものなのかという所有の不可能性がある
>本来はここが争点になるべきなのです
>思考は私のものではなく非人称の働き(無意識!?)に
>よるものかもしれないではないですか
これは大変おもしろいね。
でも明らかにおかしいでしょう。
思う私はないか?なぜ思えるのか、と疑えますが、
私の思考が私のものではなく非人称の働き(無意識!?)ならば、
それが私ということだけのことですね。
861 :
THE グル:04/05/18 00:57
いいですか、
デカルトは自分の身体すら懐疑しているんですがね、
そして、
その上で自己の精神の存在は疑い得ないとしているんです。
ですから、
>>853の意見はおかしいですね。
どうかしましたか?
それがオカシイんだよ。
863 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/18 01:09
>>853の意見がおかしいというか、
バレやんのいうように場違いってことかな。
解釈は色々できるが、スレの流れから、読み込みのタイミングを
見ることは必要。
最近のしろうとは、あせりすぎ。
今回の話にびかぁ〜さんのその意見は関係なし。
865 :
考える名無しさん:04/05/18 04:10
例えばフロイト的には心的構造としての「自我」は無意識ではないわけですが、これは反省的に
構築されたモデルなのですよ。
私の胃袋は私の一部なのかというと自明あるいは明証的にそうだとも言えますが、
心、あるいは主観としての「私」と考えると少し疑問になってくる。
人は常に「全的に私」では無いが絶えず「再構築」しつつ乗り越え、統合しようとしている
「運動」あるいは「働き」でもあるわけですよ。
866 :
考える名無しさん:04/05/18 07:36
847 :THE グル :04/05/17 23:33
いいですか、
その存在を疑い得ないものが考える私自身であるとは、
実に堅固な論ですね。
これを崩すのは容易ではないかもしれませんね。
なぜならば、
あのデカルトが真理と評するくらいですからね。
これが定説です。
どうかしましたか?
まだ、デカルト的主体の話なんかしてるの?
我は全然、自明ではないし・・
生まれた時から、無人島のような場所に捨てられたり、あるいは狼に育てられた
娘でもいい、そうした人間に我なんて概念はでてきません。
赤ちゃんや胎児、植物人間に明確な我があると果たして言えるのでしょうか?
どういう条件の元で決して自明ではないという条件付きの我の概念がでてくるのか
少しは考えてみてください。
867 :
考える名無しさん:04/05/18 08:17
何十人以上もの交代人格を持つ
多重人格者の我などの場合は、どう解釈すればいいの?
とか
重度の痴呆症や記憶障害で
「自分が誰なのかさえ、はっきり認識できない」
場合の我は、デカルトの我概念では、
「私は考えられない、ゆえに私はない」になって、
あー脳死に繋がる問題になってきた(すごいね、デカルト)
でも実際は、私が思うことができなくても、私がある場合もあるよね。
ところで、人間が睡眠をとっている時や全身麻酔や催眠を掛けられてしまって
いる状態の我でさえ、その主体は我としては少しも自明ではないよね、
868 :
THE グル:04/05/18 09:34
>>865 いいですか、
前半はフロイトの主観(解釈)でありまして、
後半はまさに、
ブロイラーの、
主張するそれではありますが、
デカルトに依るならば、
自分の身体も、世界も、場所もないことを仮想できるが、
だからといって、
自分が存在しないとは仮想できないとしているんです。
つまり、
「わたし」は実体でありまして、
本性が考えることであると言っているんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
869 :
THE グル:04/05/18 09:46
>>866 いいですか、
あなたのおっしゃりたいことは解りますが、
そうしたことは、
第一の格率の中で申しますところの、
極端意見でありまして、
そこに重心を持ってくること自体がおかしいんです。
なぜならば、
彼らが主になって人間社会を構成していたりはしませんし、
まして、
成人ではない、赤ん坊や胎児を持ち出したり、
その状態こそが異常である植物人間を持ち出すことは、
論外なんです。
サルトルに依るならば、
人は成長過程の中で人になるとしているんでして、
それが始まる以前や喪失したものを論じても仕方がないのはお解かりのはずなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
870 :
THE グル:04/05/18 09:49
>>867 いいですか、
もう上記の文からお解かりのはずですよね。
解釈云々以前に、
他のものの真理性を疑う自分自身は、
極めて明証的に存在しているということなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
871 :
考える名無しさん:04/05/18 10:01
言語においてのみ自己言及的に「われ」を問うことができるわけですが、
胃の痛みを感じる「われ」も同様に明証的でしょう。ただ、胃痛がやめば
その「われ」は背景に後退する。つまり「可能的われ」となるということです。
872 :
考える名無しさん:04/05/18 10:50
>>869 少し文脈を変えますが、そっちへ重心に置けという話ではなくって、
そうした「我思うゆえに我あり」でない我の立場にいる人たちの存在を
軽視することはよくないということです。
頻発している乳幼児の虐待、または以前、痴呆の高齢者を扱っている施設が
ベッドに彼らを紐でグルグルにしばりつけ、ずっと監禁状態にしていた事件
などがあったようですが、そうした事件を引き起こす人達の暗黙の前提となる
思考の一部にデカルト的な我思うしか考えられないゆえに、もはやそれを
想起させぬ他者は、人間として見ることができない、モノだ、廃棄物だという
人権無視が日常茶飯的に行われていると思いますよ。
そして、これから特に超高齢化社会を迎える日本では、こうした事件が
増えてもおかしくはないから、このデカルト的な我の概念が果たして、
有意味であり続けるのかということに、端的な疑問を感じますね。
873 :
THE グル:04/05/18 11:04
>>872 いいですか、
あなたの語っておられる例示、
それはデカルトの言いますところの、
「我思うゆえに我あり」の本質ではないんです。
>我の立場にいる人たちの存在〜
と言う言葉は実に意味が不明瞭ですね。
また、
>思考の一部にデカルト的な我思うしか考えられないゆえに、もはやそれを
>想起させぬ他者は、人間として見ることができない
と言われていますが、
これは暴論憶測の域でしかないんです。
そして、
>デカルト的な我の概念が果たして、
>有意味であり続けるのかということに、端的な疑問を感じますね。
とおっしゃられていますが、
グルはむしろそうした、
意味のない根拠をデカルトのコギトと結びつけてしまわれる、
あなたに疑問を感じますがね。
どうかしましたか?
874 :
考える名無しさん:04/05/18 11:31
>>873 あなたは以前、たしかサルトルをそのまま引用して、
「実存は本質に先立つ」と言ってませんでしたか?
これは、我が思えなくても(何も考えることができなくても)
現実的に存在できる・・思考に先立ってある我になりませんか?
>そうした「我思うゆえに我あり」ではない我の立場にいる人たちの存在を
軽視することはよくないということです。
つまり思考できない状態にある人間のことです。
これで分かりますか?
875 :
THE グル:04/05/18 11:49
>>874 いいですか、
簡単に申しますと、
サルトルの言う、
「実存は本質に先立つ」と言うことの真意は、
それと決める以前に既に自分の中では決まっているということなんです。
また、
それを選択しているということなんです。
ですから、
>我が思えなくても(何も考えることができなくても)
>現実的に存在できる・・思考に先立ってある我になりませんか?
というのは、誤った認識なんでして、
何も考えなくても決定されると言うことではないんです。
なぜならば、
実存する我々の選択決定はアンガジェ(積極的に関わる)されるものでありまして、
無意識に行われるものではないからなんであります。
サルトルはまた、
無意識を否定するのもこのことにあたるわけなんです。
ちなみに、
思考できない状態の人間は、
人間足り得ないんでありまして、
それを人間として留めているのは、
他の人間に依るものでしかないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
876 :
考える名無しさん:04/05/18 12:07
>>875 まったく意味が逆だと思います。
たとえば、人間ではないモノの場合は、まず製作者の意図・考えが
先にまずあって、そのあとから具体的な机、コップ、などのモノが
この世界に存在できるのです。
それに反して、人間存在は、自分が意図する前、意思する前に
思惟に先立ってあらかじめこの世界に実存してしまうのです。
当人の自由意志に基づくアンガージュマンは、まず最初に実存したあとの話
であって、これは、すなわち自由に思考できな者には適用することが論理的
に不可能な哲学なのです。
>それと決める以前に既に自分の中では決まっているということなんです
これは一種の決定論(あなたの言う、人それぞれが生まれつき持っている
唯一のビジョン)になってしない、人間の自由意思に基づく自由な投企を
称揚するサルトルの哲学とはまったくの正反対の考え方です。
877 :
THE グル:04/05/18 12:44
>>876 いいですか、
そもそも、
>自由に思考できな者には適用することが論理的
>に不可能な哲学なのです。
ということを、
前提条件として固執いる時点であなたは偏りすぎているんです。
道具論云々はいいとしまして、
サルトルが言うところの「実存」の意味を、
あなたがお解かりでないようなのでご説明するんです。
人間が実存的であるとは、
即ち、
刻一刻自らを再定義していく存在であるからでありまして、
そこに、
未来選択に投企(プロジェ)していく存在者である我々があるんです。
ですから、
すべての行動決定に対して、
我々は責任を持たなければならないのと同時に、
何かしようとする時点で既に心は決まっていると言うことなんです。
また、
ビジョンはその方が生きるプログラム(目的)でもありますが、
それを生きられない方がおられることはざらにあるわけでして、
「エゴ」によってビジョンを見失い、
踏み外してしまう方が多くいるということなんです。
これは自己の決定がビジョンではなく「エゴ」を選んだ結果なワケなんです。
つまり、、
ビジョンに強制力はないんでして、選ぶのは常に自分なんであります。
これはサルトルの自己意思に基づく自由な投企となんら対立することでははないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
グルさんが来て更におもしろくなりそうですね。
「我思う、ゆえに我あり」の深い意味合いはわかりませんが、僕も思うことを・・・。
>私の思考が<私の>ものならば私は存在しますが
>それは前提であって私の存在を証明したものではない
>なぜ<私の>ものなのかという所有の不可能性がある
>本来はここが争点になるべきなのです
>>853 僕は、しろうとさんのこの指摘は的確なのではないかと考えます。
デカルトは、「私が見ている風景は悪魔に操作されているのかもしれない」
と知覚は疑っているにもかかわらず、「私が疑っていることは疑えない」と
「疑い」だけは悪魔ではなく<私>が行っているものと考えています。
「身体」や「知覚」は悪魔の仕業かもしれないとしながら、「思考(疑い)」だけが
なぜ<私>に帰属するのか? それを証明する必要があると思います。
>デカルトの主張の隠れたポイントは「思考は私に帰属する」
>というところでしょう。これが近代的な個の確立というやつです
>>832 同意します。
知覚や身体でなく、思考こそが<私>の本質であると考えたのでしょう。
「我思う、ゆえに我あり」について一言。
デカルトは、「(思考する)我」といった、行為(思考、知覚、意志等)から独立した<私>
という実体を設定しています。
しかし僕は、そのような実体は存在しないと考えます。
僕は、「我思う、それがすなわち我である」ではないかと思います。
同様に
「我知覚す、それがすなわち我である」「我意志す、それがすなわち我である」
と、思考のみならず、知覚、意志等にも言い換えられます。
「『遠くに山が見えている』その事態がすなわち<私>であり、
『知人の面影を想いだしている』その事態がすなわち<私>である」
つまり、私が経験している世界が存在していることが<私>が存在
していることです。経験世界こそが<私>、「経験世界=<私>」です。
経験世界を経験する主体を想定すべきではありません。
行為(見る、想いだす)から独立して存在する、行為を為す主体(<私>)を
想定する必要はありません。
たとえそこに、悪魔や(水槽脳を操る)邪悪な科学者が私の経験世界に
影響を与えていようとも、そこで変換された経験世界が<私>です。
そもそも悪魔や科学者でなくとも、他者や経験世界自体が私の経験世界に
影響を与えています。そこに本質的な区別は存在しないと考えます。
経験世界を言語で表現する時、「私−(コップを)見る」というように、
「行為主体(主語)−行為作用(述語)」と分節して表します。
「言語が世界を分節する」といいますが、まさに言語のこの機能により、
「私−世界」の分節という、本来は一体であるべきものが分離してみえる
錯覚が生じるのではないでしょうか?
もともとはこの両者に区別はできないはずです。
反論求めます。
>>880 補足
>経験世界を経験する主体を想定すべきではありません。
つまり、主客二元論批判であり、主客二元論をベースに構築されている
科学の基礎への疑惑です。
883 :
THE グル:04/05/19 22:55
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ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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884 :
THE グル:04/05/19 22:58
>>878 いいですか、
>「身体」や「知覚」は悪魔の仕業かもしれないとしながら、「思考(疑い)」だけが
>なぜ<私>に帰属するのか?
とおっしゃていますが、
簡単に申しますと、
その<私>のみが他のものの真理性を疑いえるからなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
885 :
THE グル:04/05/19 23:19
>>880 いいですか、
デカルトは、
その存在に他を必要とせず、
それ自身において存在しえるものが実体であり、
無限的実体即ち、
神の外に精神と物体を神によって創造された二実体としているんです。
スピノザはこれを進めて、
その概念そのものに他の概念をはさまぬモノとしていまして、
ご存知の通り、
ライプニッツは実体を非物体的、精神的個体としてモナドを説いているんです。
デカルトの、
「我思う、ゆえに我あり」は、
方法的懐疑におきまして、
「我が疑う」乃至「疑う我がある」と言うことのみは疑い得ないと言うことなんです。
ですから、
あなたがおっしゃている、
「我思う、それがすなわち我である」はその範疇なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
はぁ・・・ポールかよ
887 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/20 00:22
>>589 一番簡単に言うとコードとは辞書と文法のセットですね
>具体的な現実の発話が言語学の研究に基づいてるとでも
構造主義系はそういう素朴な思考はしないのです
それから言葉を用いた思考では必ず捨象は行われるでしょう
>>590-591 >>593 なるほど…
>>592 ジジェクの解説の上手さは世界レベルで
映画なり戯曲なりの要約を書かせるとやたら面白い
ああいう流麗な文章は
慎重な環センセイは書かないですね
888 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/20 00:23
889 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/20 00:25
>>880 ウィトの絡みで言うと
私の手を上げるという行為から
私の手が上がるという事実を引くと何が残るか
という所ですね、もちろん何も残らない
行為の意図は行為に先立つ原因として実在している訳ではない
それは行為がそのようなアスペクトの元に見られるということです
これはクリプキがウィトから読んだクワス関数と同じ問題です
プラスがプラスなのは何か実在物が保証しているのではなくて
共同体における実践であって…
ウィト〜大森〜野矢という流れで
ポールさんと解釈が重なる部分もあるけど
やはり微妙な違いがあると思います
890 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/20 00:25
ポールさん、ばかぁ〜さん、グルさんのコギトの解説が
すべて違った角度で面白い展開になってますね
パレルゴンさんは知識があるのは認めるけれど
解説書に書いて「ない」ようなことこそ聞きたいな
前人未踏とは言わなくても大通りから一歩踏み出した場所で
議論が起きた方が哲学としては面白いですね
もちろん「我思う、ゆえに、我有り」はデカルトが曖昧にした部分を
明確化した(「思う、ゆえに、有り」じゃ意味分からない)だけで誤訳じゃない
それにデカルトとデカルト主義は違うとか柄谷も言っていたり
明証とかそういう微妙な言葉も含めて難しい部分はありますけどね
ただし、思考の展開を整理して理解するために
ラカンから見たコギトについて少し強引に解説します
891 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/20 00:25
ラカンは「我思う、ゆえに、我無し」というようなことを考えている
私の存在のしないところで思考し、思考の存在しないところに私がいる…
これは(自我と区別される)無意識の主体について語ったと言えます
私的言語が通用しない以上言語は大いなる他者であり
その言語、すなわち無意識の方に主体があると…
存在と思惟の解離は$とS1の関係とも言えます
主人のシニフィアンが主体を表象するとき不可能性を抱えてしまう
だから主人の語らいでは不可能性を隠蔽する対象aが剰余されます
それからヒステリーとは主人のシニフィアンに向けられる存在の問いですね
やはり近代形而上学の流れにおいてラカンの図式は最も洗練されてますね
むろん無いわけだ。主体なんてものは対象との戯れ。
主体的ということはもちろん統合されたものであるわけだが
そこにあるのはもともとある自分ではなく対象・過去・潮の満ち引き・
カオスだ。つまり失われた時を求めるところに現われるのが主体・無
893 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/20 00:39
>パレルゴンさんは知識があるのは認めるけれど
>解説書に書いて「ない」ようなことこそ聞きたいな
ふふふ、お互いの読んだ本の差しかないから、
溝が埋まらないわけだろう。
しかしバレやんに歩み寄りの姿勢があるのに対して
しろうとは教えてやろう的閉じてるから、
切れられるわけで。
本質的に、しろうとはコミュニケーションを
怖がっているわけだろう。
>>893 ぴかぁ〜さんはその言葉を鏡に向かっていうべきだ。いま面白いとこなんだから
どいててくんない?わりぃね。
895 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/20 00:43
>ただし、思考の展開を整理して理解するために
>ラカンから見たコギトについて少し強引に解説します
君のレスはいつも一方的な解説なんだよ。
人の話を聞くことを心がけなさい。
896 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/20 00:44
897 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/20 00:45
ばかぁ〜は基本的にはいい奴なんだろうな。
でも天然なんだよな。
898 :
THE グル:04/05/20 00:47
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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無いはずの主体があるということはもちろん対象が関与している。
そして他者は「無意識の主体」を見ることでそこに他者自身が
映し出される。他者自身の結合はそこにある。そして映し出された主体
の結合も時間差ではあるがそこにあるのである。時間にズレがある
びかぁ〜さんが「俺は本当は哲板の中でしろうと的な位置を得たい、しろうとのような扱い
を受けたい」という願望を強烈に持っているのは知っていますよ。でもね、しろうとさんは
それなりに勉強して「しろうと」という位置を持っているのだから、それは単に時間を無駄
にするだけのジェラシーですよ。びかぁ〜さんはしろうとさんになることなど出来ないのだ
から。あなたに本当に必要なのは、勉強して「しろうとと同じレベルのびかぁ〜」になるこ
とです。パレルゴンさんのいささか荒い性格を利用して、しろうとさんを貶めることではな
いのです。
>でもね、しろうとさんはそれなりに勉強して「しろうと」という位置を持っているのだから、
東派の中でだけ、かいかぶり過ぎ。
902 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/20 19:13
「<私の>思考が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>身体が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>名前が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>住所が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>椅子が存在する、ゆえに、私が存在する」
所有の不可能性についてもう少し解説しましょう
ちなみに固有名の確定記述への還元不能性
の議論(クリプキ)とこれは同じ構造をしています
単独的な「私」の存在を証明するのに
どんな特殊なものを持ってきても
「だから、どうしてそれが<私の>ものなのか」と
しかし、御馴染みの「不可能性は可能性の条件」です
他者が承認してくれさえすればどんなものでも
私の存在証明になりえる訳です
ある朝会社に出勤したサラリーマンが、
<私の>机・椅子が無くなっていたらどうなるか
それは私の生き死にに関わる訳です
もちろん机の材質は何でもいい
人と人の関係を物と物の関係に置き換えた(物象化!?)訳ですから
住所不定のホームレスや結婚して名前が変わった人など
他にいくらでもこうした例は見つけられます
デカルトのコギトなんてとっくに知り尽くされてるようだけど
結構面白いところがまだあると思う訳です
903 :
考える名無しさん:04/05/20 19:15
頼む
ぴかぁ〜死ね
904 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 19:19
忙しくて、久しぶりに帰ってきました。
賑やかですね。
と同時に、色んな人が自分の意見を書いている。これは、面白いですね。
私も、後になにか書こうと思うんですが、
東派が掌握している気がしますね。
鵜呑みではないとは思いますが。
ぴかぁ〜さんの推薦により、彼と大澤氏の対談「自由を考える」を
読んでいる所ですが、107Pに「2チャンネルの会話はたいていはそのレベル
でしかない。」と馬鹿にしているんですね。それでどうとは言いませんが
ひどい仕打ちですね。これだけ東氏を持ち上げている人がいるのに。
ちょっとした感想ですが。私は東派ではありません。(笑)
それではまた。
ばかぁ〜さすがやなあ
わしになりたいだけのことはある
って昔のしろうとにもどってほしいねん
最近いってるの野矢か大澤そのままやろ
むかしのしろうとはもっと探求に貪欲やった
906 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 20:14
人は常に「全的に私」では無いが絶えず「再構築」しつつ乗り越え、統合しようとしている
「運動」あるいは「働き」でもあるわけですよ。
うむ。これって脱自って事でしょうか?
確かに、私は経験とともに変わっていく。そして、Aとしての私はBを経験する
事によって A´になる。この時に、AからA´への変化(変態)が成長なのか
変化に過ぎないのかで、弁証法か脱構築と言う事じゃないかな?
弁証法は通時態であり、脱構造は共時的な差異の戯れと言う事でしょうか。
907 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 20:20
902しろうとさん
「単独者」と言うタームは柄谷もドゥルーズも、あるいはレヴィナスも(他者)
同様の意味で使用している気がしますが、実際「単独者」とはどう言う背景で出てきたのでしょうか?
と同時に、それは、どう言う意味を言い表そうとしているのでしょうか?
ご意見をどうぞ。背景と意味を問いたい。
変わっていくというのは弁証法的ですね
脱構築ならみんなにやさしいといわれてるひとに
残忍な面もあるみたいなことかな
909 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 20:27
871 :考える名無しさん :04/05/18 10:01
言語においてのみ自己言及的に「われ」を問うことができるわけですが、
胃の痛みを感じる「われ」も同様に明証的でしょう。ただ、胃痛がやめば
その「われ」は背景に後退する。つまり「可能的われ」となるということです
どうなのでしょう?
例えば、言語に於いてのみ「われ」を問う事が出来る。
同意。
ただし、その前段として、主体化されていなければなりません。
フロイトの「原抑圧」ラカンの「原エクリチュール」デリダの「原暴力」
が前提として必要でしょう。
そこから、痛みをかんじる「われ」とは、言語的な認識=象徴界
での出来事でないと、非言語状況で、痛みは「われ」として、「われ」を定立出来ない
そんな気がしますが?どうでしょうか?
910 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 20:33
908 ぴかぁちゃん こんばんわ。
そうですね。弁証法は自分が主体として、自分として変化し行く気がしますが、
差異化とは主体としてではなく、非主体として、分裂するって事でしょう?
後者が残忍性を持っているのは、多分、大きな物語・規範(道徳)を喪失
したからではないでしょうか。つまり、キライですが、東の「動物化」
と言うタームになっちゃうのでしょうかね?
911 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 20:44
「我思うゆえに我あり」と言うテーマでの論議は
「我思わぬところに我あり」と言うアンチテーゼが、精神分析学
からなされて複雑化したのであるが、つまり、主体の問題とは、
個人が自主的に、(個=自由) を齎すとする、古典主義的な捉え方 を
精神分析学が超越し、個は主体化されたと言う事で、我とは主体化される前の、
想像界に居たときの「われ」と言えぬものであるとしたことで、
問題が複雑化しただけである。
大切な事は、デカルト と 精神分析学の「われ」 以降 その概念
をどのように敷衍したかであり、概念を比較し、正否を討議するのは
形而上学的視座を招くのみである。ってのはどうよ?
まさに、主体の後に誰が来るのか? だな
913 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 21:53
912 名前:考える名無しさん :04/05/20 21:23
まさに、主体の後に誰が来るのか? だな
その通りです。
ただ、東・柄谷なんかは、主体の問題は無視しているような気がしますが、
誰か意見ありませんか?
堂々と語っている。つまり、主体は問題となりえないと考えている気がします。
その辺の所を、批評空間派の方に聞きたいですね。
しろうと氏にしても、そう言う問題設定では全くないきがします。
多分、批評空間から哲学を始めたんで、柄谷が超えてきた問題点
が飛んじゃってるんじゃないかな?だから、ラカンからなのだろう
そして、構造主義的な視点がない気がする。
パレやんは何の仕事してる人なの?
915 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 22:01
デカルトは、「(思考する)我」といった、行為(思考、知覚、意志等)から独立した<私>
という実体を設定しています。
しかし僕は、そのような実体は存在しないと考えます。
僕は、「我思う、それがすなわち我である」ではないかと思います。
仰る通り。
ただし、そう言う貴方は、そう言う対象化しうる「われ」であるのでは
ないでしょうか?
つまり、この問題は否定神学的な要素を隠し持っているのではないでしょうか?
貴方の意見から 「我思う=ある」 とするならば、そう言う貴方は、「ある」と言う
証明が出来ないだろうと思うのですが?
916 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 22:02
915
何でしょう?
ただのサラリーマンよ。
917 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 22:34
仕事はうそ。
何もしてないぞ。
変幻自在ですね。
俺は・・・・誰だ?
てな事で、誰もいないなぁ〜。
ひきこもりの一種だよ
919 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/20 22:36
ちがう。
まだコギトやんの
ようは、我@思う、我Aの関係性をどうおくかだろ
構造主義以降は@とAの間に差異をおいて、ラカンみたく他者の中に見た
しろうとがいう分析的には
論理的に@とAの同一性は証明できない
だいたいこんなところだろ
そのさき自力考えられるやついんのか
わしはコミュニティ論で考えているが
しろうとのアスペクト論はつきつめれば差異になるのかな
>>920 引篭もりはまず外に出ることから始めませう
922 :
考える名無しさん:04/05/21 19:05
つーか間抜けばっかだな。
〜といってみたが、どうよ?
924 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/21 22:22
あいよ。
静かだなぁ。
コギトは止め。
次は「単独者」ってのは?
俺も聞きたい。「批評空間」系の諸君
「Singularity」とはなんだ?
答えてちょうだいよ。
925 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/21 22:31
なぜ、単独者や特異性と言う概念が重要だったのか。
それは、全体化に対する、部分の謀反であり、
ヒエラルキーからの脱出であったと言うべきだろうか?
部分である事とは、還元主義であり、本質主義を批判的に捉える
事が求められたのである。しかし、「我」は如何にして
コギトから逃れられるのだろうか。この反復するものをいかに
超えうると言うのか?たとえ差異に逃れようとしても、
差異は常に反復するのである。この時に、「我」は永遠に主体化
されるしかないのだろうか?
この苦悩が、フーコーにはあった。例え、ある言説を超えうる、
自力ではなく、時代が換えうるとしても、次に来るのは、
新たな言説に閉じ込められた主体ではないのか?
こう言う問題点が構造主義にはあるような気がしますが?
926 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/21 22:37
ディスクール、って何でしょう?
927 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/21 22:40
ぴかぁ〜ちゃん。引きが早いな何処いちゃったの、エリート
哲学者達は?
928 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/21 22:51
「本質主義」とは自然的・非歴史的に「男」「女」「同性愛者」と言う
範疇が決まると考える。これに対し、構造主義は歴史・文化によって
こう言う概念が創られ、ラべりングされると言う事だと考える。
こう言う観点から見ると、東の「動物化」とは本質主義になるのかな?
929 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/21 22:53
後少しで1000回。長かった。また続けるかなぁ〜。
930 :
パレルゴン ◆ZuhtJ8B6fg :04/05/21 23:26
「一番簡単に言うとコードとは辞書と文法のセットですね」
一体何が言いたいの?それは言葉の意味を言っているだけで、いやよくわからん?
「コード」と言う概念がどの様に使われ、重要になったか
と言う背景・視点が欠落しているので、意味がないのよね。
コード・超コード・脱コード化 って概念を説明しないから、何だかわからないのよ。
私がしろうと氏に「単独者」を質問したのもその辺のところが知りたかったのです?
概念の羅列。アウラの欠落。アウラとは使用背景を言っているのですが。
だから、ぴかぁ〜氏の言うよに、データベース化しちまったって事でしょうか?
でも、言いたい事がさっぱり分からん。哲学ではなく、詩的言語研究なんじゃないの?
それならそれでもいいが。逆によく理解していないで、適当に繋いじゃっている
疑いが残るのよね。だから、しろうと氏の発言は質問と言う形で確認する
必要があると言う気がするんだよ。奇抜すぎる。あるいは天才?
コード(規範、言語、価値観など)が共有される共同体(割と原始的・平等的)
王、神が超法規的つーかコードを超えた権力である社会(超コード)
資本主義になってコードは解体するというか雑多化するというか、つまり
脱コード化に見えるが実は貨幣ー資本が超コードなのだという・・・
ではないかな〜
932 :
考える名無しさん:04/05/21 23:53
正解。そう言う風に背景を説明しながら、概念も説明すると
よく分かるよね。そこの所を飛ばして、語の意味のみを、自己解釈で
説明するから、余計に分からなくなる。そう言うテクニックを使って、
自分を大きく見せるって事やっているのよね。
いやだね。
話をもどそう。その辺は浅田の「構造と力」に載ってますよ。
なんか締まらないね
>>930 俺はしろうとの発言はよくわかるけどなぁ。パレの最近の言い掛かりは
ちょっと見てて酷いよ。自分ルール適用しまくりで。
935 :
THE グル:04/05/22 07:06
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そろそろSophia帰ってくるかな
だめだこりゃ
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‐ー'`‐' ゙-'`ー-' 何か用かね?
939 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/22 10:34
>俺はしろうとの発言はよくわかるけどなぁ。パレの最近の言い掛かりは
>ちょっと見てて酷いよ。自分ルール適用しまくりで。
意味不明。わからないもの。読んだ本に閉じた話には、
それなりの説明が必要だろうということ。
ホントに議論したいなら。
940 :
パレルゴン ◆9w2/f7uWoA :04/05/22 12:12
ぴかぁ〜さんが、現在進めている、ベンヤミンの「アウラ」と言う概念
は大切。多分、「複製技術時代の芸術作品」を読んだんだろう。
ベンヤミンは、古典的な「唯一の背景=唯一の物」と言う 物のオリジナリティ
が、大量生産の進展とともに、薄れ、シュミラークルの時代に突入する
時代をまさに説明した、優れた哲学者って所かな。
941 :
パレルゴン ◆9w2/f7uWoA :04/05/22 12:15
同時に、「アレゴリー」と言う概念は、コード化する言語体系が
崩壊する、宙吊りにされる。シニフィアンがシニフィエとの結び付き
が薄れてくる、このまさに時代に、彼は、時代を先取りするような
文章を紡いだんです。
942 :
パレルゴン ◆9w2/f7uWoA :04/05/22 12:29
そして、あの有名な「パサージュ」を異次元空間への、通路として見出す。
つまり、物と物との関係が、内在的に「私」の中での、関係として開かれる
と言う、発見をしたのだと言う事でしょうかね。
通路=アーケードとは 私と世界の開き方によって 世界は開かれる
という事だと思いますね。
だとすると、ある意味では、ハイデガー的な存在論を、文学的
芸術的に表現したと言う事でしょうか?
「破壊・収集・記憶」記憶はプルーストのように、根源を失いつつ
布の切れ端のように、分散化する。しかし、ベンヤミンの場合には
その部分は再度収集・組み合わせされ、アウラを消失させ、
構成と言う人間の構成力とその破壊を肯定しているのではないだろうか?
ある意味で、大量生産時代=シミュラークル時代の到来を分析したのでしょう。
本当に読みやすく、分かりやすく、大量生産時代を分析していると思う。
943 :
THE グル:04/05/22 13:45
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944 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/22 16:30
>ベンヤミンの場合には
>その部分は再度収集・組み合わせされ、アウラを消失させ、
>構成と言う人間の構成力とその破壊を肯定しているのではないだろうか?
しかしベンヤミンのアウラはとても不明確なんですよね。
唯一性、礼拝価値。結局、なんなのか、というところから
わしの思考は始まります。
人はなぜ上から二冊目の本を買うのか・・・
945 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/22 17:21
まあ、たまにわしのはてなよめば、
わしのアウラ論の意味がわかります。
現在、その3まで掲載中。
わしがいうアウラが何であるか、構造主義を経たバレやんならわかるかも。
946 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/22 20:00
>>907 >>924 >>925 クリプキの固有名の確定記述への還元不可能性の議論と同型です
単独者とはその性質に関らず固有であるものです、例えば「私」とか
>>909 痛みの一人称特権は身体の位置付けが問題になると思う
他者との非対称性が露わになるから
>>911 想像界の鏡像的関係(ルアー)で
エスが垣間見えるというのはその通りです
>>926 「言説」、社会的な場での語りの型
>>928 >構造主義は歴史・文化によって
男女の問題は構築主義がより近いかな
947 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/22 20:00
>東の「動物化」とは本質主義になるのか
いや、東の動物という概念は環境との関係で
捉えられていてその環境は人工的・歴史的です
やはりポスト構造主義でしょう
>>930 >コード・超コード・脱コード化 って概念
いやそれはドゥルーズ〜浅田の応用でしょう
コードは意味論と構文論
しかもコード=辞書・文法という捉え方でも
十分コード・超コード・脱コード化という概念の意味は分かる
>>931 構造と力からするとそれは
超コードじゃなくて
むしろ多方向の脱コード化でしょう
>>944 >人はなぜ上から二冊目の本を買うのか
新品が好きだということ自体はアウラとは関係ない
しろうと来襲か。少し復活するのが早すぎたのでは?
949 :
考える名無しさん:04/05/22 21:19
947 名前:しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/22 20:00
>東の「動物化」とは本質主義になるのか
いや、東の動物という概念は環境との関係で
捉えられていてその環境は人工的・歴史的です
やはりポスト構造主義でしょう
そうですかね。
でも、「自由を考える」の中で
大きな物語の終焉、そこから、個々人の自由な振る舞いが生まれ
規範の欠落=動物的な振る舞い=快感原則
見たいになるんじゃないのかと思うけど・・・・
好き嫌い=気持ちいい・悪い という価値観と言えない本能的な
反応が現われる。一方 規範訓練の時代が、価値規範の欠落とともに
管理型の社会になると言っている。つまり、悪い奴はいくらでもいる
なぜならば、大きな物語(道徳的な規範)がなくなるからで、
だから、悪を排除するには監視が重要になると言っている。
結論、この東の動物化とは、絶対価値の欠落から、快感原則が顕になる。
つまり、動物として生まれた人間の本質が顕になるってのはどうよ?
950 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 21:24
949はパレルゴン
クリプキの固有名の確定記述への還元不可能性の議論と同型です
単独者とはその性質に関らず固有であるものです、例えば「私」とか
俺も近いね。
なぜ単独者という概念だったか。
それは、社会に還元されない、私と言えないものを表現したかった。
それは、勿論、主体ではない。むしろ、表層にあるもの。
欲望関数的なもの。器官亡き身体として、インターメッゾー(中間点)
のようなものを表そうとしたんだろうと思うが。
反還元主義の表現。
どうでもいいが、東派のアウラから離れて思考する気はないのか?
952 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 21:31
構造と力からするとそれは
超コードじゃなくて
むしろ多方向の脱コード化でしょう
そのとおりですね。
資本主義はドゥルーズ・浅田は脱コードと言っていますよね。
おれも、この考えには賛成できない。
資本主義は、貨幣によって再コード化されるわけで、
本当の脱コードとは分裂しかない。永遠の分裂・永遠の差異化の
プロセスを生きると言う事でしょう?
953 :
THE グル:04/05/22 21:32
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954 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 21:36
951 あいよ。
それでも、こんなにアズマニアン(東派)がうようよしている
んだから、何とかしないといけないんじゃないの。
彼の言っている事が正しいかどうか?
正しくなくても、信奉者を減少される。一人の人間が大きな影響を
与えるのはいけないと思うのよ。差延・逃走って事で・・・
955 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 21:37
グルさん こんばんわ。
956 :
THE グル:04/05/22 21:40
>>955 \ │ /
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957 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 21:42
ただ、俺の中でまとまっていないものがあるんだけど・・・
主体とは一体何よ?そして、構造主義以降 人間って
構造の中で創られたと考えているけど、そうすると、「俺」
ってなんだろう。ただ、抑圧=構造 によって 作られ
ラベリングされて、「俺」と呼ばれているものなのだろうか。
つまり、構造に位置付けられ、生かされているなにか。
こんな事でいいのかな・・・
知識と思考の差異が大きいスレだな
>>957 大陸系なんで、パレの話がよくわからない。
しろうとやパレは、構造主義とかのキーワードを使う場合にも、
俺の使い方とは、かなり異なるみたいな。
960 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 21:51
例えば、凄い意見を考え、述べたとしても、それはこの構造の中での
私の位置から、私と呼ばれ、創られた「私」が構造の中で、既存の概念
を学び・組み合わせたに過ぎないではないのか。
決して、独創的なものを創れない。既存言語を学び、そこから
既存の哲学を学び、それを、ちっちゃな部分を変更する。
組み合わせを変えるに過ぎない事が、どうして俺を自由に思考し
想像できる絶対的に俺だと言いうるのか?
構造主義的な問題点はこの事だったのだけれども。
フーコーの問題でもあるけどね。この点が、俺にはどうしても
超えられない点としてあるのだけどね?
意見を求む。
>>959 読んだものでしか理解していないとそういうことが
よく起こる。自分で考えてない典型みたいなスレだ。
962 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 21:57
960追加
と言う事で、構造主義を超えようとて、逃走・分裂・脱構築
を進めても、結局「俺」を定立しない方向へ向かう運動
なわけで、それでは何時までたっても「俺」は生まれない。
快感原則に陥るのがせいぜいなんだよなぁ〜?
「俺」を再度認めるとき、それは、作られたものではマズイ
わけで、そうすると、どうするのってのが問題なのよね。
自分で自分を作る方法を考えるしかないのよ。
「超越論的経験論」ってのがそれなのかなぁ?
>>962 ポスモダの典型的な穴に落ちてる。
デリダも結局、正義論でこけたし。
その流れでは、超人でも目指すしかないよ。
>パレルゴンさん
このスレdat落ちさせると議論の継続に支障をきたすので、
1000行く前に新スレ立ててこのスレ残しませんか?
もし立てられなかったら、1の文面を考えてくれれば僕が立てますよ。
それともhtml化するか。
>>963 >2004-05-15-Saturday
>■ [soc]分類
>940 :考える名無しさん :04/05/15 16:26
>社会学者の系列分類
>北田・・・立ち位置系
>稲場・・・後出し系
>宮台・・・中出し系
>立岩真也・・・ガマン汁系(文体が汁っぽい)
>【責任】北田暁大スレッド【正義】
>じゃあぼくは「外出し系」で。
どーも、この板に来てる人っぽい。
2チャンネラーだわな。
来てるよ。なんか問題あんの?
>>965 そういわれると、結局このスレはなんなんだってことになるね。
ここまで知ったか大会みたいになってるし、
主題を決めないとね。
ポールも好きそうなページだろ。
行ってきなよ。
970 :
THE グル:04/05/22 22:26
いいですか、
やはり、
パレルゴンさんは構造主義にやたら固執していらっしゃいますね。
まあ、
言語からの世界へのアプローチは確かに興味深いですし、
ソシュールやラカン、ストロースなども実に興味深いんです。
しかしながら、
どうもそれに依り過ぎている感が否めませんね。
人間的視点も大事なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
北田系でしょ。
といいつつレスする・・。
>グルさん
>その<私>のみが他のものの真理性を疑いえるからなんです。
>>884 「思考」こそが<私>の本質であり、その思考という<私>が、外部から強制的に
やってくる知覚世界を疑ったり、判断する二元論的認識モデルですね。
しかし、<私>が疑う他のもの、例えば知覚世界と切り離された思考というものは
考えられるのですか?
茂木さんのクオリア論「脳内ニューロン原理」(我々の現象世界は、外部世界の状態を
一切考慮することなく、脳内ニューロンの発火状況それのみによって決まる)ではありませんが、
同じ経験世界でありながら、なぜ他を疑う思考だけが<私>に属し、目の前に見えているコップが
<私>ではないのですか?
「遠くに車が走っている」という知覚風景のない<私>や、「初恋の彼女の面影が脳裏によぎった」
という想起場面から切り離された<私>など存在するのでしょうか?
「私が−コップを−見る」と分節される言語規則と同様に、経験世界も「主体−対象−行為」の
三項図式で成り立っているのでしょうか?
(その意味で、現象学の認識モデルは、科学の主客二元論と同様に誤っているといえます)
>その存在に他を必要とせず、
>それ自身において存在しえるものが実体であり、
>>885 これまで述べたように、経験世界から独立し、経験世界を対象化する実体は
存在するのか?というのが僕の疑問です。
グルさんは、この二元論の出発点となるデカルトの実体論をどう思いますか?
>ですから、
>あなたがおっしゃている、
>「我思う、それがすなわち我である」はその範疇なんです。
>>885 全く違うのではないでしょうか?
というのは、デカルトは、私の経験世界を認識し、対象化する実体としての<私>は
存在すると考えますが、僕は、今僕に与えられている経験世界抜きの<私>など
ありえない主張しているのですから。
>>884-885は、グルさん自身の意見というよりデカルト解釈だといえそうですね。
よろしければ、グルさんの考える「私と世界の関係」をお聞きしたいと思います。
なんか避難所みたいになっているな。
結局、みんなの自分の話ばっか(w
一応正直に吐露しておきますと、僕も世界を認識する<私>というものが存在する
のではないか、と考えてしまいます。しろうとさんが
>>889で述べた
>私の手を上げるという行為から
>私の手が上がるという事実を引くと何が残るか
>という所ですね、もちろん何も残らない
>行為の意図は行為に先立つ原因として実在している訳ではない
を受け入れるのに抵抗があります。このウィトの言説は大森にも受け継がれ、
ある行為から、行為する主体、行為された事態は分離できないとされ、それを
根拠に、「私」と「世界」の分離は間違っていると結論付けていたと思います。
(そして僕は”あえて”この考えを元にこのスレでの主張を展開しています)
”常識的な”僕はやはり、「手を上げる」行為はそれ以前に「<私>が意志したからだ」
と考えたくなります。
「私」と「世界」の分離に関して、参考までに大森の説を述べておきます。
例えば「歯が痛む」事態が起こる。その時我々は「私は歯痛を感じる」と言語表現する。
その「私は−歯痛を−感じる」と「主語−目的語−動詞」と分節されて表現される
言語規則は正しく世界を表現しているのか?と彼は問います。
(もちろん大森は、「その分離は間違いだ」と言う)
言語規則と同様に、世界も「私(主語)」「世界(目的語)」「行為(動詞)」と分節されるのか?
『論考』で「言語は世界の像である」と述べ、後に『論考』を否定したウィトゲンシュタインなどは
この指摘に気づいたということでしょうか。
>>794で僕が
>>使用言語の分節結果に準じて 世界構造は開かれる。
>>787 >一応の留保をつけて同意します。
と述べたのは以上のことを念頭においてです。
グルさん、最近見なかったな。
>しろうとさん
>認識不可能な<一>の世界(物自体界・客観・普遍…)の
>不完全な視界が「私」だという考え方を「不完全性」解釈、
>認識可能な<多>の世界の非整合的な相が
>「他者」だという考え方を「非整合性」解釈と分けましょう
>そして自分は後者の方に立つ訳です
>>805 なるほど。
少しだけしろうとさんの言う「アスペクト」「他者」の重要性が
わかってきました。この意味をしばらく考えてみます。
>カントの研究者である中島義道は
>「私」について簡潔な定義を出しています
>過去の私を統合するのが「私」だと
>>804 なるほど。
中島さんにとって「世界」とは、「私」とどういう関係をもっているのですかね?
ところで、ある個人が見回している世界はラカン的には何界?
理由が分かったような・・・。
しろうととか、パレも、哲学とは何か異質なものが混じってるような・・・。
983 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 22:50
と言う事で、ポールさん指摘の、スレッドを立てました。
タイトルは「構造主義・ポスト構造主義を検証する」
です。
乙だけども、関係者以外はやっぱスルーのね。
パレちゃんは。
986 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 23:04
つまり、俺は大森を読んだ事がないのだけれど、
世界は言語分節によって、開かれるのが全てなのか、
いや、言語分節以前に、すでに、開かれてあると言う問題なのかな?
だから、ウィトゲンシュタインの論考で「世界は言語表現の範囲内」
と言う考えと論考以降の「ゲーム論」との対比が問題になる。
こう言う点が問題なのかな?
そこに主体論「われ」として、言語分節世界以降にしか「われ」はないのか
主体の前に「われ」と言われる分野があり、それは何かを言い表せない
世界があるとするのか?こんなかんじかい?
パレやんが、帰ってきた。
私はは修羅研なんかよりもずっとかっこいいし容姿もスマートで
足も長い、鼻も高いし、肌も白いし、好青年で、髪も遺伝で少し赤みがかってる
オレのような人がこの世にいることをしった女を
自分の彼氏を見て嘆き後悔させることが
私の目的
ブスじゃない2人の子に告白されたことがあるもん pooh
あはははは
※たぶんこの板のほどんどの人が不細工、低い身長、4頭身(私は8頭身だけど)
※髪は堅い(私はストレートでさらさらだけど)、
※今まで生きてきて分かったけど、私とつりが会わない人はキモイ人が多い
あはは
いやあ 、レスからはその人の性格や人間味は少しはわかるけど、顔、容姿、ルックス
はまったくわからないでしょ。 なんだかなぁ
私はたぶん神の子たぶんそんな気がする
私を大切にしないからだよ または放置してるからだよ
だから神様は怒って君たち社会をみはなしてるんだよ
もし人が子供達が自ら苦しむ世界を作っていっても
それはそれで自業自得ってことで
ただ善人がその被害をこうむるのはなんとも悲しい限りです
わしは、ここで卒業やな・・・
※たぶんこの板のほどんどの人が不細工、低い身長、4頭身(私は8頭身だけど)
これは合ってそうだ。
もはぁ〜も、どないしたん?
>私を大切にしないからだよ または放置してるからだよ
話そうや、暇だし。
1000でもとってみるか。
結果的に、ポールが一番埋めたなぁ。
四
さて。1000鳥レース
夜中に、夢の中に、鳥が・・
U
よっこらしょ!
ここで1000取った人は
蝶幸せになります。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。