「哲学」について哲学者たちが遺した言葉

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1考える名無しさん
哲学はいったいどういう営為なのか?哲学はいったいどう学べばいいのか?
哲学を学ぶ人は、哲学を続ける限りこの問いから逃れることは出来ないでしょう。

そこで、参考とするために、
哲学とはどういうものなのか、哲学はどう学べばいいか、などなど
古今の哲学者たちが「哲学」について書き残したor語った言葉を
このスレに集めてみましょう。

※基本的に哲学者の著作、あるいはそれに準ずる口述の記録から
 引用するかたちで進行させていってください。
 その際、引用の出典を(簡略でいいので)記すようにしてください。
2考える名無しさん:04/03/11 12:40

散歩の時間だな
3考える名無しさん:04/03/11 12:41
「道 ― 著作ではない」

(ハイデガー、『ハイデガー全集』巻頭言)
4考える名無しさん:04/03/11 12:41

オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき
5考える名無しさん:04/03/11 12:48
「現象学が一つの学説ないしは一つの体系であるよりもまえに
 一つの運動であったとしても、それは何も偶然でもなければ詐欺でもない。
 現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品と同じように、
 不断の辛苦である――おなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって
 世界や歴史の意味をその生れ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。
 こうした状態のもとで、現象学は現代思想の努力と合流するのである。」

(メルロ=ポンティ、『知覚の現象学』序文より、末尾)
6考える名無しさん:04/03/11 12:52
「哲学が何であるかは、誰もすでに何等か知っている。
 もし全く知らないならば、ひとは哲学を求めることもしないであろう。
 或る意味においてすべての人間は哲学者である。
 言い換えると、哲学は現実の中から生まれる。
 そしてそこが哲学の元来の出発点であり、哲学は現実から出立するのである。」

(三木清『哲学入門』より)
7考える名無しさん:04/03/11 19:24
「中島君、いい勉強法を教えてあげます。
 フッサールを読むのです。朝から晩まで読むのです。
 9時から始めて、お昼までで1ページ。
 ご飯を食べて晩まででまた2ページ。これをずっと続けるのです。」

(故・大森荘蔵の言葉。 中島義道『哲学の道場』(ちくま新書)より)
8考える名無しさん:04/03/12 02:33
「哲学というものはひとに見てもらうためにするものではありません。
 ひとからほめて貰うためにするものでもありません。
 いい成績を取るために哲学を勉強したり、他人から認められるために論文を書いたり、
 知らぬことを知った振りするために哲学するほど、哲学にとって外道はありません。
 一言にして言えば、「衒う」ということが哲学の最大の敵なのです。
 哲学はただ自分ひとりのためにするものです。」

(澤瀉久敬『哲学と科学』(NHKブックス)より)
9考える名無しさん:04/03/13 15:51
>1さん

ネタ切れですか?
10ポール:04/03/13 16:03
>>7
一日2ページか・・・
11ポール:04/03/13 16:07
いや、3ページか・・・
12考える名無しさん:04/03/13 16:20
関連スレ(?)

哲学者による『哲学の定義』
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1060453002/
13ポール:04/03/13 16:21
14考える名無しさん:04/03/13 22:42
末期ハイデガー「ワシが『存在』なのだよ、キミ!」
15考える名無しさん:04/03/14 00:44
ポールの現象学は死角がたっぷりあるのだが、なぜか指摘する人はいない。
16考える名無しさん:04/03/15 03:01
>1さん

物色中でしか?
17考える名無しさん:04/03/15 03:08
漏れは「存在と時間」の序論だけ50回位読んでる。
その先は、まだ未知の世界。
18考える名無しさん:04/03/15 03:18
「神は死んだと!」もう100回位叫んだよ
19考える名無しさん:04/03/16 10:53

オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき


20考える名無しさん:04/03/16 10:56
ハッキリ言うがwwwwwwww

党員の妄想なんかに興味ないんだよ
21考える名無しさん:04/03/16 10:56
.       _________
      /━━━━━━━━━ \
     |┃| ̄ ̄|. 〇 〇 [大月]┃|
     |┃| ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|┃| プオーン!!!
     |┃|__||______|┃|
     |┃               JR ┃|
     |┗━━━━━━━━━┛| \('A`)/ ミ     イキルノ マンドクセ
     |   ━━ ━━ ━━.  |   ( )  ミ
     |     [中央.特快]    |   └└ミ 
     |      \_/      .|
     |  〇     ━━━   〇  |
     |___________|
      │     │[=.=]|     | 
      └─────────┘
22考える名無しさん:04/03/16 16:00
「 私の意図は、形而上学にたずさわることを価値があると思う人たちすべてに、
 彼らの仕事をしばらく中止し、これまでに起こったことをすべて起こらなかったと見なして、
 何よりもまず「そもそも一般に形而上学のようなものは可能なのかどうか」という問いを
 提起するのがどうしても必要であることを納得させることにある。
  形而上学が学問であるなら、形而上学が他の諸学問のようには
 全般的持続的な承認を得られないといったことがどうして起こるのだろうか。
 また、形而上学が学問でないのなら、形而上学が学問であるかのようなふりをして、
 たえず気取った様子を示し、人間の悟性を欺いてけっして消えることのない、
 それでいて満たされることのない希望をいだかせるといったことがどうして生じるのか。
 そこで、われわれにとっては、自分の知を論証することになるにせよ、ともかく一度、
 この学問と自称しているものの本性について何か確かなことが見定められねばならない。
 それというのも、形而上学はもはやこれ以上同じ状態に止まるのは不可能だからある。
 ほかのどの学問もたえず進歩しているのに、知恵そのものでありたいと望み
 人間だれもがそのお告げをたずねるこの形而上学では一歩も前進せず、
 いつになっても同じ場所を廻っているのは笑われても仕方がないように思える。
 実際また、形而上学はその傾倒者のきわめて多くを失っているのである。
 そして、他の学問で異彩を放つだけの十分の力量があると感じている人々が
 あえてこの形而上学で名声を得ようとするのをわれわれは見かけない。
 ところが、この形而上学では、ほかのすべてのことには無知な人が
 だれでもはばからず決定的な判断なるものを下している。
 それは、この(形而上学という)国には実際のところ、根本にまでさかのぼる思考を
 浅薄な雑談から区別する確かな度量衡がまだないからである。
2322(続き):04/03/16 16:02
 (中略)
  ひとつの学問がそもそも可能かどうか問うことは、その学問の実在を疑うことを前提している。
 ところが、そういう疑いは、全所有物がおそらくこの宝物と思い込んでいるものであるかもしれないような
 すべての人たちの気持を損なわせる。だから、こうした疑いを口にもらす人は
 あらゆる方面からの反対をしっかり覚悟しておくほうがよい。
 或る人たちは、自分たちの古いまさにそのために正当と見なされる所有を誇らしげに意識して、
 彼らの形而上学の摘要を手に持ち、疑いをもらす人を軽蔑して見下すであろう。
 またほかの人たちは、何にしても、すでにどこかで見たものと同じものしか見ないので、彼の疑いを理解しないであろう。
 こうして、しばらくは近い将来の変化を気づかわせるか、
 あるいは期待させるような何ごとも起こらないかのように、万事があり続けるであろう。
  それにもかかわらず、あえて私はこう予言しておく。自分で考えるこの『序説』の読者は、
 彼のこれまでの学問を疑うだけではなく、やがては、そのような学問は、ここで述べられる要求が満たされなければ、
 学問の可能性がこの要求をもとにしているのだから、まったくあり得ないこと、
 そして、この要求の充足はまだけっしてなされていないので、
 まだいかなる形而上学もないことを十分納得させられるであろうと。」

 (カント『プロレゴーメナ』 序言より)
24考える名無しさん:04/03/18 13:52

ああっ、もうダメッ!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!

25考える名無しさん:04/03/21 20:42
哲学者の言葉ではないが、面白いたとえだと思ったので転載。


まじめに人生の目的を考えませんか?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1079496777/518

 518 名前:考える名無しさん[] 投稿日:04/03/19 21:53
 子供たちがみんなで空き地に野球をしに行くことになった。
 行く途中、ある一人の子が道端にアリたちがぞろぞろと巣穴にものを運んでいくところを見つけた。
 その子はそのアリたちの生態に心を掴まれて、
 他の子たちをほっぽらかしてずーっと見守ってその場から動こうとしない。
 「そんなのどうでもいいから、早く空き地に行こうぜ」と他の子は言うが、
 その子はそんな声も耳に入らず、アリたちに見とれてその場から動こうとしない。
 結局他の子はその子をその場に置いて、空き地に野球をしに向かう。

 その子がアリたちがすっかり巣に入るのを見届け、
 「見て見て!このアリたちすっごく面白いんだよ!」と
 他の子たちにその面白さを教えようと声を上げるも、
 その時にはすっかり日は暮れ、当然のことながら周りにはもう誰もいなかった。


 哲学にとり憑かれた人って、このアリを見守ってた子供のようなもんだと思うんだな。
26考える名無しさん:04/03/26 11:27
信じることについて

自分を信じるのはむずかしい。少なくとも宗教を信じるよりもよっぽど難しい。
誰かから与えられ、すでに言葉によって一通り体系化された思想の集まりである宗教を信じるのはたやすいものだ。
本を開けばそこに教えが書かれていて、答えを見つけることが可能だからだ。少なくとも答えを見つける行為を行える。
 
それと比べて自分を信じることは難しい。たぶん自分を信じる最初の頃は本当に小さな確信しかないことに気づく。
いや今それに気づいた。あることについての文章を書いてからそのような気持ちになれた。本当に小さな確信。
その小さな確信が積み重なってようやく、それが信じることの大きさの度合いになるのだとわかった。
まず自分が0地点にいることに気づき、プラスの方向へ歩こうとする。
自分をよく知ろうとする。
一つ一つ、生き方を検証する。
あらゆる可能性を試す。
そして、未来に絶対はない。未来はわからない。
そういったことを、ひとつひとつ踏まえて、僕はなにかを信じられるのだと気づいた。
思い出を大切にする。それがどういうことなのかというと、思い出から逃げないこと、そのときの気持ちを思い出すこと、
そのときの僕と今の僕の違いを知ること。そのようなことの、やはりつみかさね。思い出を大切にして、
それから得ることのできる「信じる」は小さいけれど、それは冬の夜空の星のように、小さくまたたいている。
それはポケットに入れられるくらい小さいけれど、あたたかさを感じる。そのあたたかさはきっと勇気、なのだろう。
僕は自分を信じることができた。その証みたいなものを今日手に入れた。心が闇であるとしたら、それは星なのだ。
たぶん手に届かないほど遠くにある星。その星をきょう僕は見つけた。
少なくとも僕は信じることができる。それを知ることができた。ありがとう。僕はただ感謝する。きっと神さまにだ。
それと自分を信じるその確信は、本当に小さなかたちをしている。しかしそれは決して壊れやすいものではないと思う。
ただ遠くにあるだけなのだ。その星の光のあたたかさが、ぼくを生かすことができる。
 
ぼくは、すくなくとも生きているあいだは、何かを信じていたい。 心にたくさんの星を
ホシニネガイヲこめて。
27考える名無しさん:04/03/26 12:21
「自由」について   [ハイデカー入門 竹田青嗣著 講談社メチエ p182]より

では人間の自由が、存在を正しく「真理」の姿において露わにしうる
その根拠はどこにあるのか。ここが特に重要な点だが、ハイデカーの
答えはこうである。

   現存在が単に脱自的に実存するのみならず、同時に執自的に実存する
   −換言すれば、恰もそれ自身において開いている如き存在するものが
   呈示するものを執拗に固持する−という事態である。
   脱自的に実存する現存在は執自的に実存する。執自的な実存においても
   秘密は支配するが、しかしそれは真理の忘却された本質、従って「非本質的」
   になった本質として支配する。(選集11巻 木場深定訳p.31)

手っとり早く言うと、ハイデカーは"ほんとう"の自由と"うそ"の自由がある、と言って
いる。「執自的な実存」、自己中心性にこだわる実存はうその「自由」だが、この
「自由」はさまざまな存在者に向き合って、その存在の本質を「ほんとう」の形で露
わにすることができない。そして脱自的な自由こそが存在の「ほんとう」を露わにする、
というわけである。
28考える名無しさん:04/03/29 23:33
保守
29考える名無しさん:04/03/30 06:54

早朝から車でJラップ流してるドキュンは皆殺しにしてよい

これが断言できます。

定説なんです。
30考える名無しさん:04/04/01 18:14
「存在が一定の性質をもつのは、一見すると、他のものと関係するからこそで、
その運動も外から押しつけられるかに見えるが、実は、他との関係は、
その存在のもとに生じる自己運動であって、存在が単一の思考だというのはまさにそのことなのである。」

(ヘーゲル『精神現象学』より)
31考える名無しさん:04/04/02 19:48
哲学とは人間が出来る最高の贅沢です

ヘーゲル
32考える名無しさん:04/04/03 11:54
「脱自」できてるかどうか、誰が、どうやって判断するんだろう。
自覚に頼るのかな。

「脱自」を自覚したとして、その自覚自体が“「執自的な実存」、自己中心性にこだわる実存はうその「自由」”ではないと、誰が、どうやって判断するんだろう。
それも自覚に頼るのかな。
33考える名無しさん:04/04/13 08:09
 
34考える名無しさん:04/04/15 19:00

物置小屋に一晩泊めてもらう事に。しかし、その娘のあまりの美しさに目がくらんだ3兄弟は、
夜中にトイレに起きてきた娘に襲いかかった。
だが3兄弟は土下座して必死に謝った。父親は、「ここは山奥で食料も少ない。
山から食料を持ってきたら、山のふもとへ抜ける裏道を教えてやろう」と、条件を出した。
3人はすぐに小屋の近辺を探した。
はじめに戻ってきたのは次男だった。次男は、山ブドウを持ってきた。
それを見た父親は、「それをケツの穴にいれて見ろ」と言った。
次男は言われるまま、1粒のブドウを自分のケツの穴に入れた。
そして次男は裏道を教えてもらい、無事山を降りた。
次に、三男が大きく実った栗を沢山抱えて戻ってきた。
父親は同じようにケツの穴に入れることを命じた。
三男は必死に頑張って、栗をケツの穴に入れ始めた。
もう少しで入るという所で、三男は何故か笑ってしまい、栗はケツの穴からいきおい良く飛び出した。
三男は、そのまま父親に殺された。
三男は見てしまったのだ。
嬉しそうに、スイカを抱えてこちらに走ってくる長男の姿を・・・
35考える名無しさん:04/04/22 20:29
保守
36考える名無しさん:04/04/23 13:47
>>32
>自己中心性にこだわる実存はうその「自由」”ではないと、誰が、どうやって判断するんだろう。
>それも自覚に頼るのかな。

哲学がそれを判断するのではないでしょうか?
37考える名無しさん:04/04/23 14:27
「自然は飛躍しない」 チャールズ・ダーウィン

 哲学板は飛躍の嵐だが。
38考える名無しさん:04/04/24 02:34
>>36
>哲学がそれを判断するのではないでしょうか?

判断の主体が「哲学」じゃちょっと‥‥。
それだと「哲学」っていうブラックボックスを用意しておけば、どんな質問でも「その答は哲学が出す」で、なんでも片付けられてしまうよ。

誰が判断してるんだろう? 結局自分じゃないの? その是非はともかく、事実として。
~~~~
39考える名無しさん:04/04/24 04:06
>>38
哲学的思索の結果、誰もそのような判断しないというのが正解ではないでしょうか?
事実として申し上げましたが。。。

少なくとも私はそういった案件に解答を出したことなどはありませんよ。
また哲学そのものは答えを出すためにあるわけではないです。

詭弁に聞こえますかね? まあ良いけど。
40考える名無しさん:04/04/24 04:12
じゆん
41考える名無しさん:04/04/24 09:15
詭弁とまでは言いませんよ。

>哲学的思索の結果、誰もそのような判断しないというのが正解ではないでしょうか?
その答はその答で可だと思います。
ただ、判断してるのは自分である事もまた、事実でしょう。
42考える名無しさん:04/04/24 10:58
>>41
そうですね。
そこまで問い詰められてしまうなら、きっと自分なんでしょうね。しかし、脱自
を要請したのは自分なのでしょうか? それを判断させたのは自分なのか?
そう考えてみると、自分にその判断を促したその人というのは、哲学書、その
他の本、小説、哲学者、または友人、家族、仕事仲間、恋人と言うことになり
ます。どれも肌で触れられ、じっと見つめられる存在です。そういったリアリテ
ィのある他者です。(この2ちゃんねるでの出会いも当然含まれます) 決して
自分一人の力で判断するとまでは思いませんね。

どうも、こう言った議論は空想じみていて嫌なのですが、たぶんあなたもこう言
ったことを聞きたい訳じゃないでしょう。なんで、これも機会ですので、お答えし
ておきますね。

脱自について言えば、うそ、ほんとの定義は竹田青嗣氏の分かりやすい解説
ぐらいに理解しておくのがよいのかなあと思いました。自分は原文を読んでい
るわけではないので、それ以上の解釈は避けたいかなと思います。なぜなら
解釈についてはいかようにも反論は可能でしょうから。

あとどうも思われるのは、脱自しているか、それとも執自しているかどうかと言う
のは、そもそも自覚的な内面洞察のような類ではなく、他者や社会を評価する
ための指標としての意味ではないかと思いました。客観的だということです。自
分が自分を判断するのではなく、自分が他者(もしくは、他者性)を評価する。
あの文は、そのように捉えるのが自然ではないかな〜と思われるんですよね。

それでも自分は、自分が脱自しているかどうか判断しているとして、それが傲慢
な精神とまでは思いません。その志向性そのものは、他者との関わりのなかで
育まれる限り、尊いものだと理解したいですね。価値基準をころころ変えられる
ほど人生は長いわけでもないですよね。私の考えはこんな感じです。
43考える名無しさん:04/04/24 11:40
「まずアリストテレスの中に入って厳密に読んでいくのです。
 そして、そこにおもしろい問題が発見できなければ、
 アリストテレスなど捨ててしまうのです。」

(大森荘蔵がアリストテレスを学んでいる学生に向かって言った言葉。
 中島義道『哲学の道場』(ちくま新書)より)
44考える名無しさん:04/04/24 12:52
>>43
ふーん(w

了解しましたよ。
それで本棚が軽くなればいいんだけど、とてもとても
恐れ多くてできませんね(単にもったいないだけですが)
でも『アリストテレスの中に入る』という表現はとても
いいですね。いつもそういう風に本に向き合いたいとは
思いますが、なかなか難しそうです。
45考える名無しさん:04/05/02 22:05
 
46考える名無しさん:04/05/10 21:02
「哲学の基本的知識をえたいと思う学生は、入門書から概観をえようとするよりも
 偉大な哲学者たちのある著作を読む方が容易で役立つことを見出すでしょう。
 つぎの著作はとくに推奨されます。

 プラトン『国家』 とくに第6巻、第7巻
 デカルト『省察』
 スピノザ『エチカ』
 ライプニッツ『単子論』
 バークリー『ハイラスとフィロナウスの間の3つの対話』
 ヒューム『人間悟性論』
 カント『プロレゴーメナ』                                 」

(バートランド・ラッセル『哲学の諸問題(哲学入門)』より 巻末に載っている文献ノート)
47考える名無しさん:04/05/13 10:08
「哲学の競走で勝つ者は、一番ゆっくり走れる者、つまりゴールに一番最後に到達する者だ。」

(ウィトゲンシュタイン 『反哲学的断章』より)
48考える名無しさん:04/05/13 10:28
「哲学とは、いつも同じところを掘り返している道路工事のようなものです。
 それは、しかし、年度末に予算を消却するためにではありませんが。」

 (ハイデガー)
49考える名無しさん:04/05/13 19:51
>>48
ハイデガーじゃないだろ。
自分の言葉だろ。
50考える名無しさん:04/05/14 20:43
「哲学という概念のもとに集められるひとかたまりの思想へ近づくために一つの入口が求められる時、
すなわち哲学的領域にはそれ自体属していない他の精神的な世界の位置から哲学の概念を規定しようとする時、
このような要求はわれわれの既与の認識の構造によっては満たされないであろう。
なぜなら、「哲学とはなにか」という問題は実際にはただ哲学の内部において、
すなわち哲学の諸概念とその方法とによってのみ解決されるからだ。哲学自体がいわば哲学の第一の問題なのである。
恐らくいかなる他の科学もこのような仕方で自己自らの本質を問い返すことはあるまい。
物理学の対象は物理的科学そのものではなくして、例えば光学現象や電気現象などである。
言語学はプラウトゥスの原手記やアングロサクソン語の格の発展を問題にする。しかし言語学そのものを問題にすることはない。
哲学は ―そして恐らくは哲学のみが― それ自身の思考方法ならびにそれ自身の意図の中で
これら思考方法と意図の前提を規定しなければならないという、独特の循環の中を運動する。
「哲学とはなにか」、いやそれのみでなく、「哲学は一般に存在するのか」
あるいは「哲学とは要するに意味なき幻想の別名にほかならないのだろうか」ということの解決は
ただ哲学自体だけができるのであるから、外部から哲学の概念への通路は存在しないのである。」

(ジンメル 『哲学の根本問題』より )
51考える名無しさん:04/05/26 11:37
「哲学は何の役に立つのかと問われたとき、答えは攻撃的でなければならない。
 なぜなら、そのような問いは皮肉で辛らつたらんとしているからである。
 哲学は国家や教会の役には立たない。国家や教会には別の関心事がある。
 哲学はいかなる既成の権力にも役立たない。それは悲しませるのに役立つ。
 誰も悲しませず、誰も不愉快にしないような哲学は哲学ではない。
 哲学は愚劣をやっつけるのに役立ち、愚劣を恥ずべきものとみなす。
 それは次のような使用法以外のものをもたない。
 つまり、あらゆる形態における思惟の低俗さを告発すること」

(G.ドゥルーズ 『ニーチェと哲学』 より)
52考える名無しさん:04/06/08 05:38
.  
53考える名無しさん:04/06/09 07:05
「ひとはよく、偉大な学者である先生(=河野与一)を、哲学の鬼才だとか、語学の達人だとか、その超人ぶりを口にする。
 それは確かにその通りであろう。(中略)古代、中世、近世のの哲学における造詣の広さと深さ、
 (中略)十数ヶ国語を自在に操る卓抜な語学力を見れば、誰しもそう思うのが普通である。
 しかし普段に先生を見慣れた者からすれば、先生は何よりも努力精進の人である。
 あの明晰な理解力と抜群の記憶力もさることながら、常人の絶対に真似のできないことは、
 すさまじいばかりの集中力と持続力である。それを一番よく知っていたのは夫人の河野多麻さんである。
 夫人も高名な国文学者として人の何倍もの努力家であるが、
  「河野の努力にはとても敵わない。どうしてあんなに勉強するのだろうか。
   私も勉強はするが苦しくて仕方がないときがある。それでも自分にできることはこれしかないと思うから
   無理を押してもせざるを得ない。それがいつの間にか習い性となってしまったのだ。
   しかし河野を見ていると少しも苦しそうでないばかりか、
   いかにも楽しくて仕方がないようにさえ見える。その謎は何だろう」
 と言うのを聞いたことがある。私は思い切ってその謎についてじかに先生に訊ねてみた。先生は笑いながら
  「人生百戦場という言葉があるが、人間の遊びにもいろいろなものがある。
   そのうち楽しさの強いものほどそれだけ後味の悪さが大きい。
   そこへ行くと学問にはどきどきするような楽しさはないが、その代り後味の悪さも少ない。
   だからやっているだけで、要するに死ぬまでの間の遊びだよ」
 と事もなげに答えられた。言われてみればなるほどと納得したが、
 そこには先生のすべてを達観した無常観のようなものが感じられてならなかった。」

 (河野与一『新編 学問の曲り角』より、原二郎によるあとがき)
54考える名無しさん:04/06/12 04:27
w
55考える名無しさん:04/06/13 05:16
           
56考える名無しさん:04/06/17 18:08

 .
57考える名無しさん:04/07/02 10:16
  
 
58考える名無しさん:04/07/09 16:34
お前らがどんな言葉を残すかが大事なんだよ。
59考える名無しさん:04/07/09 16:54
>>53
やっぱり遊びということなんだね。
名声とか、成果とか、有効性とかでなく、
やってる本人が、やってる時に楽しい、ということが一番大切で、
やってるときに楽しくないものには価値がないということだろうね。

>>50
日本人は哲学というと、一般に、ゼロから何かを考え出すようなこと
を連想するけど、それは「思想」であって、哲学ではないのかも知れ
ないね。哲学というのは西洋文化に固有の学芸の分野なのかも。
すでにある膨大な「哲学」という名前の知的遺産について、あれこれ
論評したり批判したりするのが哲学的営為というもので、批評され
ることによってその対象の異物が、その批評を呑み込んでさらに
肥え太っていくようなものが哲学というもので、対象が肥え太る
ような働きかけを業績というのか。
やっぱり背後に、有無を言わせない、理屈抜きの権力が控えてるん
だろうね。哲学自体を殺してしまわないと、欧米の政治支配は揺らがない
のかもしれない。
60考える名無しさん:04/07/09 17:44
>>59
うるさいけど、なんか憎めないな。
61考える名無しさん:04/07/09 23:49

あやや

っちょ
62考える名無しさん:04/08/03 12:05
「私どもの教室に進学してくる学生も御多分にもれない。(…)文科系の出身者でさえ哲学の素養が決定的に不足している。
 余りのひどさに癇癪を起こして、「哲学とピアノは小さい時から始めていなければモノになりません。
諸君はゲート・ボールでも専攻するほかなさそうですね」と厭味を言うことになる。(…)
 哲学を専攻しようなどという変り種は、(…)中学・高校時代から、それなりに哲学書を読んできている。
その彼らでさえ、晩学の私などからみても、素養が足りなさ過ぎるのである。(…)
 思えば、しかし、哲学的素養に欠けるというのは、哲学書の読書量が少ないとか、
読み方が浅いとかいうことではない。すくなくとも、それだけではない。
基礎的教養が全般的に不足している。文科系からの進学者には、概して物理・化学の知識が欠落しており、
理科系からの進学者には世界史・文化史の知識が貧弱である。これでは、人生哲学のたぐいならいざしらず、
学理的な哲学書を深く読み解くことは、とうていおぼつかない。」

(小林昌人(編)『廣松渉 哲学小品集』 より、廣松渉の言葉)
63考える名無しさん:04/08/08 13:48
>>53

>そこへ行くと学問にはどきどきするような楽しさはないが

なんか悲しいねぇ。どきどきするような楽しさを感じない学者がいたとは。。。
64考える名無しさん:04/08/08 20:12
楽しくないとは書いてないように読めるが、文章をちゃんと読めない方が悲しくないか?
65考える名無しさん:04/08/20 19:19
ホント、なんか悲しいやねー、あと半月で夏休みも終わりと思うとな。
66考える名無しさん:04/09/07 11:21
 
67考える名無しさん:04/09/11 01:39:10
「哲学とは鍛鉄に似ている
 熱し柔めて叩いて曲げる

 哲学とは市街を歩くのに似ている
 次から次へと尽きぬ雑踏の中を駆け抜ける

 哲学は水筒に似ている
 内包することそのものが意味を持つ」
68考える名無しさん:04/10/08 09:50:52
 
69考える名無しさん:04/10/12 22:42:07
てすと
70考える名無しさん:04/10/21 14:36:39
ほしゅる
71考える名無しさん:04/10/22 14:52:54
いいスレだからもっとがんばれ
72考える名無しさん:04/10/22 15:17:57

哲学は人を堕落させる。― ニーチェ
73考える名無しさん:04/10/22 17:15:40
哲学する者はリレーの最後でよい−W.

哲学者になってはならない−W.
74考える名無しさん:04/10/26 19:00:02
「「神に酔える哲学者」という通り名に慣れてはじめてこの哲学者の主著『エティカ』に接した人は、
 おそらく意外な印象をうけたことであろう。定義・公理・証明という数学的構成をもった
 「幾何学的秩序によって証明された倫理学」に接して冷たく硬い重厚な大伽藍に入った感じをうけたであろう。
 そこには暖かく柔らかく人を慰めるような甘美な趣はまったくない。この全巻を通読することは
 はじめての読者には難業であろう。しかし、最後までこれにたえたとき、こんどは逆に、
 いつまでもとらえてはなさない深く強い感動を経験するであろう。まことに『エティカ』は哲学書の典型である。
 安易に近づく読者をこばむ。強靭で真摯な思索を決意した者のみこの門にはいれ ― の趣がある。
 そしてこの試練を通した人々にのみ限りなき歓喜を約束する。これは真の哲学書のみの与えるよろこびである。」

(下村寅太郎『世界の名著 スピノザ・ライプニッツ』(中央公論社)の解説より)
75考える名無しさん:04/11/09 01:19:10
愚痴やボヤキなどは無駄なこと.
76考える名無しさん:04/11/16 17:53:20

   〃∩ ∧__,,∧
   ⊂⌒( 。・ω・)  アー、タイクツタイクツ
     `ヽ_っ⌒/⌒c  
       ⌒ ⌒ ζ
        ■   旦
77考える名無しさん:04/11/24 20:57:43
保守
78考える名無しさん:04/12/04 22:45:40
79考える名無しさん:04/12/08 08:14:56
「 大森荘蔵はどこかで、哲学の勉強を街の観光にたとえていたように思う。
 どこから見始めてもよく、同じところへ別のルートからくり返し立ち寄ることもできる。
 どこにも特権的始源もなければ、目標(テロス)もないのである。
 哲学史の殿堂にも、これと同じおもむきがある。
 ギリシアから中世、近世へと順々にたどる路のみが、正規のルートというわけではないのだ。
 むしろ己れの現在の生きた関心と相関的に、
 さまざまの哲学がわれわれに示唆を投げかけてくれるであろうし、
 そこにまたさまざまの問題、系譜などが見えてくるのである。」

(田島正樹『哲学史のよみ方』(ちくま新書)、「序」より)
80考える名無しさん:04/12/09 00:51:43
嘘嘘。分析の連中が今や一番手続きにうるさい。
81考える名無しさん:05/01/15 19:05:02
保守ります
82考える名無しさん:05/01/15 19:11:37
「うっとりしながら哲学をすることはできない。」

(野矢茂樹、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫)の訳者あとがきより)
83考える名無しさん:05/01/15 19:38:29
手続きにうるさい奴もいれば、うるさくない奴もいるってだけじゃないか?
84考える名無しさん:05/01/17 01:40:36


 《 ヤスパース著 『哲学』 世界の名著(171〜172n)より 》


真の哲学的討論は、それによって事物に関する内容を媒介にして各々の
実存が相互に触れ合い開示し合うところの共に哲学することである。
しかしわれわれは人間として現在の愛や思慮深い理性によるよりもむしろ
熱情や空虚な悟性によって、多く動かされるから、哲学者たちは古来から
正当にも哲学的了解を個々人の根源的に倫理的なる本質に(例えば特殊な
天賦の才能や個別的な技能ではなく)依存させた。彼ら哲学者は、哲学的
形態をとった真理は各人に単純に接近し得ないものであることを確信した。
彼らにとって哲学的討論は種種の逸脱から出て"開示性に至るための自己
獲得"である。

85考える名無しさん:05/01/17 01:41:15

    +      +      +      +      +      +


哲学的真理は私自身と他者の交わりの機能である。哲学的真理は私が
それでもって生きるところの真理であって、単に思惟するのみのものでは
ない。それは私が確信して実現する真理であって、単に知るのみのもの
ではない。私はその真理について思想の可能性のみによってではなく、
さらにその実現によっても確信するのである。哲学的真理は、この真理を
提示して展開する交わりにおける連帯性の意識である。それ故真の哲学
は"共同"体においてのみ現存しうることになる。哲学者が交わりを喪失し
ていることは彼の思惟が不真実で在ることの標識となる。偉大なる哲学者
の畏敬の念を起こさせる孤独は彼らが自ら欲した孤独ではないのであり、
彼らの思想は交わりに対する一つの異常なる努力であり、彼らは交わりを
当てにならない予想や代用物におけるものではなく本来的な交わりとして
意欲している。
86考える名無しさん:05/01/17 01:42:03

    +      +      +      +      +      +


哲学的真理が交わりのうちに根源と現実をもつかぎり、独断的な論述に
反対して"対話"を哲学することの適当な伝達形式と見なすことは明白で
ある。哲学が客観的形像としては永続せず、哲学が再び交わりにおける
根源となる場合にのみ真実であるならば、哲学の伝達は単にその内容の
事実に即した了解を必要とするのみならず、出迎えることと答えること、
それと同時に獲得することと転換することとを必要とする。


87考える名無しさん:05/01/17 04:23:49
>>84-86
いいね。
88考える名無しさん:05/01/17 04:34:26
>>84-86
じゆんさん?
89考える名無しさん:05/01/25 13:26:23
ほしゅ
90考える名無しさん:05/01/29 01:47:30
《野矢茂樹著「『論理哲学論考』を読む」の最後を締めるコトバ》


 語りきれぬものは、語り続けねばならない


まだ死んじゃいないけど、正当な論駁(「論考」に対する)だとわたしは思った。
91考える名無しさん:05/01/29 07:56:32

《 論理哲学論考 ウィトゲンシュタイン著 》


4-12

 哲学の活動は思考の論理的明晰化である。
 哲学は学説ではなく、活動である。
 哲学の仕事の本質は解明することにある。
 哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
 思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。
 哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。

92考える名無しさん:05/01/29 07:57:20

 哲学は学説ではなく、活動である。

93考える名無しさん:05/02/12 16:26:11
哲学は学説でも活動でもなく、漢字であるってか。
94考える名無しさん:05/02/12 16:29:57
>>90
野矢って、羞恥心がない香具師だったんだ。w
95考える名無しさん:05/02/12 16:30:40
>>93
間違っている。言うとすれば、「哲学は・・・・・・でもなく、熟語だ」だろう。
96考える名無しさん:05/02/12 21:56:17
>>95
それを言うなら、哲学は操作だ。
97考える名無しさん:05/02/12 22:15:33
そうさっ
98考える名無しさん:05/02/19 17:52:14
「やれ、いたわしや。因果な病にかかったものじゃ。
この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨めな一生を送らねばなりませぬぞ。
元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々(=妖怪)が人間を咋(く)うようになってから、
我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。
この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受け取ることができぬ。
何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。
究極の・正真正銘の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。
そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。
そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。
ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いを持つことじゃ。
俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候じゃ。
どうじゃ。当たりましたろうがの。
お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治すよりほかはないのじゃ。
よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」

(中島敦『悟浄出世』より、実存の悩みにとらわれた悟浄を診断した医者の台詞)
99考える名無しさん:05/02/20 23:10:12
哲学的な問いに答えはない。哲学とは問いにたいして、さらに高度な問いかけをすることである。
と、ウィトゲンシュタインが言っていた気がする。
100考える名無しさん:05/02/27 07:47:27
・ハイデガー >>3 >>48
・メルロ=ポンティ >>5
・三木清 >>6
・大森荘蔵 >>7 >>43 >>79
・澤瀉久敬 >>8
・カント >>22-23
・竹田青嗣 >>27
101考える名無しさん:05/02/27 07:48:05
・ヘーゲル >>30 >>31
・ダーウィン >>37
・ラッセル >>46
・ウィトゲンシュタイン >>47 >>73 >>91 >>99
・ジンメル >>50
・ドゥルーズ >>51
102考える名無しさん:05/02/27 07:48:38
・河野与一 >>53
・廣松渉 >>62
・下村寅太郎 >>74
・野矢茂樹 >>82 >>90
・ヤスパース >>84-86
・中島敦 >>98

その他出典不明 >>25 >>26 >>67
103考える名無しさん:05/02/27 08:03:27
哲学者は無敵のキメゼリフばかり考えてんだろうか。
粘着質の教えたがり屋さんで内面的二枚目のナルシスト
が哲学者になるのかな。
(と書くと哲学者が格好悪い人みたいだけど馬鹿にして
るつもりはありません)
104考える名無しさん:05/02/27 12:28:49
>>103
単に「キメぜりふ」ばかり選んでるからこうなるのだと思うが?
それがイヤなら、哲学書をちゃんと読めばよい。

俺も一つ。
西田幾多郎「哲学とは最も深い常識でなくてはならない」
105考える名無しさん:05/03/06 22:56:34

真の哲学者は命令者であり、かつ立法者である。彼らは「かくあるべし」と言う。
           
                       ニーチェ『善悪の彼岸』(岩波文庫) P184
106ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 11:29:40
あらゆる文章にキメセリフは付きものなので、
哲学者の場合、それが哲学関連になるだけ。
107ローカルルール審議中:2005/04/19(火) 23:27:30
そうかな?
108考える名無しさん:2005/04/29(金) 03:04:00
出典不明で哲学者が言ったかどうか分からんけど、

 自分で作った幽霊と格闘する。

 埃をたてておいて「良く見えない」と文句を言う。
109考える名無しさん:2005/04/29(金) 04:37:48
人間の体は、自然にしていると水面に浮かび上がる傾向がある。[略]
でも、ひょっとしたら、人間の中には、自然にしていると、どうしても水中に沈んでしまうような特異体質のやつがいるんじゃないか、[略]
水面に浮かびがちな人にとって、哲学の価値は、言ってみれば、水面下のようすを知ることによって水面生活を豊かにすることにあるだろうし、それしかないだろう。[略]
でも、水中に沈みがちな人にとっての哲学とは、実は、水面にはいあがるための唯一の方法なのだ。
ところが水面から水中をのぞき見る人には、どうしてもそうは見えない。
水中探索者には、なにか人生や世界に関する深い知恵があるように見えてしまうし、
ときには逆に、そんな深いところに沈むことが、水面でのふつうの生活にとってどんな役に立つのか、なんて、水中にいる人が聞いたら笑いたくなるような(あるいは泣きたくなるような)問いが、まじめに発せられたりもする。[略]
入門書や教科書で紹介される哲学者という人種は、ほぼ例外なくもともと水中に沈みがちな(場合によっては水面に浮かべない)連中なのだ。
そういう連中はたいてい、ときに(自己正当化のためだと思うけど)水中生活の意義を説いたりもするが、ほんとうは単に浮かび上がることができなかっただけなのだ。

永井均 「<子ども>のための哲学」
110考える名無しさん:2005/05/08(日) 09:57:51
「人生は無駄である」
ムーミンより
111考える名無しさん:2005/07/06(水) 02:51:19
哲学とは考えること自体を愛することである。(ギリシャ人)
考えること自体を考えること自体を考える・・・・・・・・・永遠に回帰するので考えること自体は
                                永遠に無くならない。乙!
112考える名無しさん:2005/07/06(水) 16:51:33
正直こんなの並べても無意味だよな。何がしたいのか分からない。

>>哲学とはどういうものなのか、哲学はどう学べばいいか、などなど

幾ら素晴らしくても、こんなスローガンみたいな短さの言葉でな何か得るものがあるのだろうか?
理解するなら本を読むべきだし、このスローガンを読まされた所で何も分かりはせずに混乱するだけだ。
分かるのはどいつも本を書くにあたって、他人に何かを伝えることに関しては3流だって事くらいだな。
お前の考えた事を、考えた順序で、考えた言葉そのままに本にして何になるというの?
彼方の思惟を本にするという行為に変換したのだから、彼方の言葉も彼方だけの言葉ではなく他人に向けた言葉に変換するべきだ。
113考える名無しさん:2005/07/06(水) 16:57:24
>>111
こういうのって手に負えない。
幾ら見下されようとも、彼等の世界内ではその者達を神の傍らの視点から見下ろしているから。

そして、自分を過去の偉大といわれる哲学者と同じ区分けをする。
彼等はもっとも惨めだが彼等自身に救助の意思は無く、井戸を覗き込み“何をしているのか”を問う我々を井戸の底から見下ろしている。
114考える名無しさん:2005/07/06(水) 22:05:34
それでは何事もなかったかのように次の方どうぞ。
115考える名無しさん:2005/07/09(土) 21:51:29
沈下す文学とそれをくらうちんかsづとおれとくそ
116考える名無しさん:2005/07/09(土) 22:14:21
科学の哲学を科学哲学と言い、
生物学の哲学を生物学哲学と言い、
社会学の哲学を社会学哲学と言う。
じゃあ、哲学はもしかしたら、哲学の哲学なのかもなー
要するに思考それ自体、意味ないよなー
117考える名無しさん:2005/07/09(土) 22:44:44
>>116
誰の遺した言葉?
118考える名無しさん:2005/07/10(日) 02:46:58
>>4ってモーツァルトだよな?
119考える名無しさん:2005/08/06(土) 13:49:33
 
120凡人:2005/08/06(土) 15:02:55
哲学?哲学は蒙昧意識の中で人の心の仕組みを知り得る可能性の無い者
達がそれぞれに自分の思い込みを他人に知らせる為に長々と書き綴る事
に意義を感ずる学問では無いでしょうか。
最近は他人の書き記した書を自分の考えとする盗心が流行で誰々がこう
言った、何々にこう書いてあると自分の心で探究した結果の発表は有り
ません。他者の考えを記憶で覚えそれを吹聴するほど昨今は自分で考える
人がいないのですかね。
他人の考えを盗心しないで自己の良心の中から人の生きる道を見いだす
事、誰でも分かる事が哲学では無いでしょうか。
トップに有るロダンが何を考えているか知っていますか?
それが分かる方は哲学の真意が分かります。分からない方は考える人の
組まれているロダンの地獄門を見てロダンが未来に何を伝えようとした
か真意をの真意を探りだして下さい。

121ハンゾー:2005/08/11(木) 23:37:50
今では「アマチュア」という言葉の価値は落ちてしまったが、かつては「愛好する人」という
意味だった。今でも哲学者は知恵の愛好者なのであり、たゆむことなく、力を注ぎ、熱中して、
その道を志すのだが、必ずしもそれを職業とはしていない。
哲学者は哲学のために生きるのであり、哲学によって生きるのではない。

フレデリック・パジェス著『哲学者は午後五時に外出する』 第一章の5より抜粋
122考える名無しさん:2005/09/28(水) 09:13:35
 
123考える名無しさん:2005/12/05(月) 14:03:39
age
124考える名無しさん:2005/12/06(火) 05:00:39
「哲学は学ぶことができない。人は哲学‘する’ことを学ぶだろう」カント
125考える名無しさん:2006/01/26(木) 07:55:04
「…だから形而上学は、「べつのところ」「べつのしかた」「他なるもの」へと向かっていることになる。
…形而上学はじっさい(中略)私たちになじみ深い世界から旅だち、私たちが住まっている「わが家」をはなれて、
見しらぬ自己の外部、向こう側へとおもむく運動としてあらわれるのである。」

(レヴィナス『全体性と無限』より)
126考える名無しさん:2006/01/26(木) 16:59:50
私は綾瀬はるかが好きだ
入不二基義より
127考える名無しさん:2006/03/08(水) 13:04:50
age
128考える名無しさん:2006/06/07(水) 02:32:36
国がなぜ私にお金をくれるのかわかりません


             大森荘蔵
129権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2006/06/07(水) 06:14:36
哲学は自然科学の一つではない。
「哲学」という語は
自然科学と
同レベルのものを意味するのではなく
自然科学の上にある
または下にあるものを
意味するのでなければならない。
byウィトゲンシュタイン

哲学はアプローチにおいてすべてを対象とするのでは
ないだろうか?他の学問が限定的であるのにたいして
哲学は
「哲学は何の学問?と聞かれたらすべての学問」
と答えられるのではなかろうか?
130考える名無しさん:2006/06/08(木) 02:38:44
国がなぜ私にお金をくれるのかわかりません


             大森荘蔵
131考える名無しさん:2006/06/09(金) 08:19:40
哲学とは退屈をまぎらわす
最高の道具である

ヘーゲル
132考える名無しさん:2006/06/09(金) 09:14:09
You、どうよ?

ジャニー喜多川
133考える名無しさん:2006/06/09(金) 17:01:39
一部も三部も金貸しにかわりはねぇーんだよ!

   アイフル社員
134考える名無しさん:2006/06/09(金) 17:10:55
哲学とは偏屈を静かにさせる
最高の道具である

ヘーデル
135考える名無しさん:2006/06/09(金) 17:11:39
哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する、しかし現在の不幸は哲学を克服する。
136考える名無しさん:2006/06/09(金) 17:14:19
女に哲学者はいない
137考える名無しさん:2006/06/09(金) 17:43:33
野球の監督だろが金融監督だろが呼んでこいや

  アイフル社員
138考える名無しさん:2006/06/09(金) 18:33:08
女にぽこちんはない
139考える名無しさん:2006/08/12(土) 02:04:44
男には満満が無い
140考える名無しさん:2006/08/12(土) 02:05:54
哲学とは神学の肉便器である

by ヤプー
141おっさんの愛弟子キボンヌ ◆Fmd2B6wtag :2006/08/12(土) 02:10:17
神もサイコロ遊びが大好き。

by 俺様。
142考える名無しさん:2006/09/10(日) 21:35:31
★今日の言葉★
「笑いは覚醒の大きなてこです。」ラエル
143ちんぴら:2006/09/10(日) 21:40:32
哲学は哲学によって否定される
144ちんぴら:2006/09/10(日) 21:41:44
それでもなお哲学は生き生きと産声を上げる

by 俺様
145考える名無しさん:2006/09/11(月) 09:38:40
哲学者は常に無視されてきたし、現在も(無視)されれているし、
これからも(無視)され続けるであろう、自らの行為により。
(クワイン)





146考える名無しさん:2006/09/11(月) 09:44:37

★今日の言葉★
「覚醒は思考の対極にあります。覚醒とは自分自身で在ること
です。幸福で在ることは思考を止めることを意味します。」ラエル
147考える名無しさん:2006/09/12(火) 00:46:44

★今日の言葉★
「調和以外に宇宙で完全なものはありません。」
148考える名無しさん:2006/09/14(木) 13:40:33
★今日の言葉★
「あなたが愛している人たちが生きている間に、その人たちを愛しなさい。」
149考える名無しさん:2006/09/15(金) 00:08:44
★今日の言葉★
「自分自身を最も愛したとき、あなたはこの宇宙で一番素晴らしい人になります。」ラエル
150考える名無しさん:2006/09/16(土) 02:07:03
★今日の言葉★
「すべての人は、たとえどんな形でも、誰かの命令に従っただけでも、
その行動に責任があります。引き金を引いた者は、命令した者と同罪なの
です。これはあらゆる状況に当てはまります。」ラエル
151考える名無しさん:2006/09/17(日) 00:25:24
★今日の言葉★
「墓場にいる人たちは「明日こそ幸せになろう!」と思っていた人たち
です。明日ではなく、「今」幸せになってください。」ラエル
152考える名無しさん:2006/09/17(日) 05:42:40
ここはいつからくだらん自己啓発スレになったのだ?
153考える名無しさん:2006/09/18(月) 02:25:30
★今日の言葉★
「たとえある権力者が「その人を殺せば人類全体を救うことができる」と
信じ込ませたとしても、その人を殺してはなりません。一人の非暴力的な人の
命は、人類全体よりも貴重なのです。」ラエル
154考える名無しさん:2006/09/19(火) 10:32:14
★今日の言葉★
「私たちが信じるものや思い描いているものが、未来を創り出しています。
私たち一人一人が建設中のエロハです。いつかエロヒムになることができます。
「できる」(I can do it )と毎日口に出してイメージを強くするのです。」ラエル
155考える名無しさん:2006/09/20(水) 00:21:43
★今日の言葉★
「暴力に訴えるという脅迫は、暴力を振るったのと同様に厳しく罰せられるべき
です。なぜならその脅迫者は、自分の目的達成のためなら暴力を用いることができる
と考えているからです。」ラエル
156考える名無しさん:2006/09/20(水) 02:32:58
それで世の中納得するのか?
食うか食われるかやってんだぞ
157考える名無しさん:2006/09/20(水) 13:10:23
>>156
ガンジーを見習え!
158考える名無しさん:2006/09/20(水) 13:24:03
>>155
「罰せられるべき」って、暴力を使わないでどうやって罰するんだ。
159考える名無しさん:2006/09/20(水) 15:17:57
陰毛ぼうぼう。
160考える名無しさん:2006/09/20(水) 22:49:23
>>158
罰金w
161考える名無しさん:2006/09/21(木) 01:24:43
★今日の言葉★
「美しいものに喜び、感謝することができるのは、あなたの脳に美があるから
です。エロヒムがそう創ってくれたのです。」ラエル
162考える名無しさん:2006/09/22(金) 00:56:11
★今日の言葉★
「人類すべてが同じだったら、世界はとても退屈な場所になっていたでしょう。
他人が私と違えば違うほど、私は彼らによって豊かになります。豊かな人類とは、
違いに満ちた人類です。」ラエル
163考える名無しさん:2006/09/22(金) 21:15:18
ここはいつからトンデモ電波野郎のメッセージ集になったんだ?
ちゃんと哲学者の言葉を挙げろよ。
164考える名無しさん:2006/09/23(土) 01:13:21

★今日の言葉★
「愛するとは、与えること、尽くすこと、見返りを期待しないことです。」ラエル
165考える名無しさん:2006/09/23(土) 15:22:24
>>163
ラエルさんはマイトレーヤですよ。
本を読みましたがこれ以上素晴らしい人はいないと思いました。
166考える名無しさん:2006/09/24(日) 08:06:30
>>165
じゃあ宗教じゃん。
ここは哲学板。「哲学」の言葉じゃなければスレ違い。
167考える名無しさん:2006/09/24(日) 14:27:07
★今日の言葉★
「所有しなければしないほど、より「ありのままでいる」ことができます。所有
すればするほど、「ありのままでいる」ことができなくなります。」ラエル
168考える名無しさん:2006/09/25(月) 10:01:46
★今日の言葉★
「孤独は、重荷や辛いことではありません。それどころか豊かさなのです。
人は一人で生まれ、一人で生き、一人で死にます。孤独なときにこそ、最も偉大
な創造物が創られます。」ラエル
169考える名無しさん:2006/09/26(火) 00:40:06
★今日の言葉★
「すべての国の軍隊は、真の地球平和の守護者となる、統一された世界政府軍の
結成のために解散しなければなりません。各政府は、軍事予算を世界中の飢餓と戦
うために差し出す必要があります。」ラエル
170考える名無しさん:2006/09/26(火) 01:13:59
やっぱフィヒテのあの文章が一番有名じゃないか?
171考える名無しさん:2006/09/27(水) 00:42:18
★今日の言葉★
「科学は、人類に仕え、人類を解放するために使用されるべきであり、人類を
滅ぼし、不和にするために使用されてはならない。」ラエル
172宇宙人:2006/09/27(水) 00:54:54
私たちが地球上のすべての生命を設計しました。
あなたたちは私たちを神と間違えました。
173宇宙人:2006/09/27(水) 00:57:04
私たちはあなたたちの主な宗教の源です。
現在あなたたちはこのことを理解できるほどに成長したので、
大使館を通して公式に接触したいと思っています。
174考える名無しさん:2006/09/27(水) 13:39:21
http://www.rael.jp/ の言葉ですね!
175考える名無しさん:2006/09/28(木) 00:57:29

★今日の言葉★
「他人を高めようとする行動はすべて素晴らしいです。」ラエル
176考える名無しさん:2006/09/29(金) 00:33:40
★今日の言葉★
「何も知らないと言う時、私たちは謙虚の中にあり、塵の中にいます。自分が
とても小さく感じ、発見することが無限にあり、愛をももたらします。」ラエル
177考える名無しさん:2006/09/29(金) 06:50:12

哲学は死んだ ―エバートン
178考える名無しさん:2006/09/30(土) 00:30:07
★今日の言葉★
「すべての人は、たとえ働いていなくても、生涯を通じて必要な食べ物、住居、
人並みの服と教育を受ける権利があります。人類の進歩のための動機付けとして、
働いた人が贅沢を楽しむ権利を持つべきです。この贅沢は、なされた仕事と社会へ
の貢献度に応じて受けられるようにするのです。」ラエル
179考える名無しさん:2006/10/01(日) 00:24:36
★今日の言葉★
「最も美しい表現は愛です。」ラエル
180考える名無しさん:2006/10/02(月) 10:16:37
★今日の言葉★
「真の幸福は内側からやってくる。」ラエル
181考える名無しさん:2006/10/03(火) 01:53:22
★今日の言葉★
「人間は基本的に善いです。苦しみのせいで悪意を持つようになるのです。」ラエル
182考える名無しさん:2006/10/03(火) 02:18:16
★今日の言葉★
「哲学で得られた唯一の真実は、哲学は不要だということでした」ワラエル
183考える名無しさん:2006/10/04(水) 14:36:56
★今日の言葉★
「人生にイエスと言いましょう。イエスの振動、イエスの考えがあなたの
人生を愛と幸せと達成の人生にするのを助けるのです。」ラエル
184考える名無しさん:2006/10/06(金) 00:25:24
★今日の言葉★
「死を意識すればするほど、より充実したせいを生きることができるのです。」ラエル
185考える名無しさん:2006/10/06(金) 23:42:19
一日忘れたみたいですね
186考える名無しさん:2006/10/08(日) 18:23:33
★今日の言葉★
「超然たる態度とは、自分の苦難は忘れ、他者が苦難に打ち勝つのを助ける
ことを意味する。」ラエル
187考える名無しさん:2006/10/09(月) 21:58:53
★今日の言葉★
「人生を変えるには細かいところから。」ラエル
188考える名無しさん:2006/10/13(金) 21:37:23
★今日の言葉★
「夢見ることは、脳に新しいつながりをもたらします。」ラエル
189考える名無しさん:2006/10/13(金) 21:42:55
ワラエルマダー
190考える名無しさん:2006/10/20(金) 01:17:31
良い言葉ですね
191考える名無しさん:2006/10/20(金) 03:28:10
★今日の言葉★
「人間は基本的に悪いです。快楽のせいで善意を持てなくなっているのです。」デラエル
192考える名無しさん:2006/10/21(土) 01:10:00
★今日の言葉★
「自分自身を最も愛したとき、あなたはこの宇宙で一番おめでたい人になります。」デラエル
193考える名無しさん:2006/10/21(土) 21:16:34
こらw
194考える名無しさん:2006/10/23(月) 11:45:39
「人は考える葦である」

中身は空っぽで、 (葦の茎は中空)
完全を目指すでもなく、 (葦は材として竹に劣る)
他者同士の架け橋となることをその存在意義とする (葦の使い道代表は木管楽器のリード)

それをあえて目指すのが、人間の思考なんだろうな
195考える名無しさん:2006/11/24(金) 00:03:43
ラエルの言葉は深いね
196考える名無しさん:2006/11/25(土) 03:32:18
いや全然。
197考える名無しさん:2006/12/04(月) 23:48:05
良い言葉だと思う
198534:2006/12/05(火) 20:43:39
哲学は就活には役に立たなかったけど、
2ちゃんの哲スレに書き込むには役にたってます。
死ねばいいのに。              
by俺様
199考える名無しさん:2006/12/13(水) 14:23:47
マイトレーヤ・ラエルのコメント:各新聞の死を祝いましょう! 彼らは、
日々地球を汚染して何百万本もの木々を伐採しているだけではなく、人々を
操作するために、保守的な権力や原始的な宗教と手を組んだ多国籍複合企業
体にも属しているのです。私たちラエリアンは他の誰にもまして、彼らがい
かに大嘘つきであるかということを知っています。若い世代は、汚れた悪意
のある新聞を毎朝その手に持ちたいとはもはや思っていません。彼らはクリー
ンなインターネットでニュースをチェックする方を好んでおり、ニュースを
直接たどれるようになっています。操られたジャーナリストたちから発せら
れる嘘は何も信じれないのです。忘れずに各新聞の死を祝ってください!

Rael's comment: Let's celebrate the death of each newspaper! Not
only are they polluting the Earth and killing millions of trees
everyday, but they also belong to multinational conglomerates allied
with conservative powers and primitive religions in order to
manipulate the people. We, Raelians know more than anybody else how
terrible liars they are. Young generation don't want any more dirty
and poisonous papers in their hands every morning, they prefer to
check the news on a clean internet, where they can go directly to
the news and not believe any lie from manipulated journalists.
Remember to celebrate the death of each newspaper!"
200考える名無しさん:2006/12/13(水) 14:48:34
「哲学を極めるとは挿入の仕方が上手くなる事である」ニーチェ
201考える名無しさん
ドイツ語は挿入句が複雑だからな。