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494考える名無しさん:2007/06/09(土) 00:04:30 O
理系・文系・哲学系でヨクネ??
495考える名無しさん:2007/06/09(土) 00:12:16 0
あれ

声が

遅れて

来るぞ
496考える名無しさん:2007/06/09(土) 00:20:15 0
糞でも学問ベスト3

1.哲学
2.社会学
3.経済学
497考える名無しさん:2007/06/09(土) 00:46:36 0
俺は哲学が文系である以上に医学が理系に分類されてるのには違和感があるね。
ロバート・メンデルソン(シカゴ大学教授)によると現代医学はカルト宗教
なわけで,医学部は宗教科に分類すべきです。
文学部の哲学科行ってる奴でも学士レベルの数学や物理を勉強することを
知らん奴が多いな。
498考える名無しさん:2007/06/09(土) 01:33:50 0
学問(サイエンス)というのは、世界性の別名であって、世界基準での思考の体系のことである。冷酷な事実からなる組み立てである。
その点、日本の理科系は世界基準で数学ができるから、少なくともテクノロジー(技術)やアプライド・サイエンス(生産技術)の場面
では、世界レベルに到達しているからたいしたものである。数学は、もう一つの世界言語である。彼ら日本の秀才達のことを、英語では
エンジニアとかテクニシャンというのである。彼らはけっしてサイエンティストとは呼ばれない。エンジニアやテクニシャンは理科系の
学者集団の中でも、下層の方に位置づけられている技術職人たちのことである。たとえば、ハーヴァード大学では、「サイエンティスト」
と呼ばれる一流学者達の層以外に、この上に、たった十二人だけ「フィロソファー(哲学者)」と呼ばれる人々がいる。私はこの事実を
以前ハーヴァード大学公衆衛生学準教授であった柳沢幸雄氏(現在、東京大学工学部教授)から、直接聞いた。柳沢氏は、「自分は
テクニシャンのレベルであった」そうだ。日本には「哲学者(フィロソファー)」をどと名乗る文学部哲学科の馬鹿教授が何百人かいる
だろうが、日本には、フィロソファーなど誰一人として、存在しないのである。馬鹿も休み休み言え。そもそもフィロソフィー
(知への愛)は、神学の下女(はしため)の位置にある。そして、大きくは、サイエンス(学問)=「自然界の事実を冷酷に、法則性
として記述すること」の体系と一千年にわたって戦い続けてきたのである。数学も、実はサイエンスの仲間ではなく、フィロソフィー
と出自がよく似ていて、神学の下女の方である。それにたいしてサイエンティストは、ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートン
や、チャールズ・ダーウィンの例に見られるごとく「冷酷な諸事実からなる体系」としてしか世界を理解しない。だから今でも神の体系
(神学)と争い続けているのである。未だに、神学と近代学問(サイエンス)の戦いには、決着がついていない。この神学なるものの
大きさは東アジアの一種族である日本人にはとうてい分からない。別に自ら卑下して言っているのではい。学問の巨大な対立概念は、
実は神学なのだ、とはっきり言っているだけだ。サイエンティスト(科学者という言葉は私は嫌いである)からすれば「確実に事実証明
499考える名無しさん:2007/06/09(土) 01:34:31 0
されないことは分からない。世界が予め神によって造られたという考えを自分は認めない。自分は、はっきりと分かったことだけを、
分かったこととして認めるだけだ」という態度をとる。もとよりサイエンスは、物理学、化学、生物学、などの自然学である。これ以外に
、ソシアル・サイエンス(社会科学?)として経済学、社会学、政治学、サイコロジー(心理学?)がある。しかし、これらが果たして、
サイエンスとして自立したか否か、今でも分からないのである。経済学だけが、かろうじて60%ほど、冷酷なサイエンスとして成功
している。あとは、全て大失敗らしい。だから今でも政治学者と政治評論家の区別や優劣がつかないのだ。これ以外に下等学問としての
人文がある。この人文というのはヒューマニティーズの日本語訳である。ヒューマニティーズとは、「人間、および記録された文学に
関わる事。という意味である。だから人文は、簡単に言えば現在で言う文学(部)の事である。他には歴史学があり、その内容である
古文書解説や石碑の文の解説などを行うことだ。これらは、学問としては下等学問である。これと、サイエンス(学問)の区別を
つけなければならない。これが、日本人にはできていない。すべてごちゃまぜなのが日本の大学制度である。これは国家的学問犯罪と
呼んでもいい。大欠陥学問観と呼んでもよい。このヒューマニティーズとサイエンスの区別がついてる日本知識人自体が、ほとんど
いない。すべてごちゃまぜである。さらには「文学部哲学科」や「文学部心理学科」などという恐るべき学問分類を行って恥だと
思っていない。あるいは「人文科学」などという奇怪な言葉を、すべての教育機関が使っている。人文が科学(サイエンス)のわけが
ないではないか。こういう大きな事実と凍りつくような事実について、もっと明確な本を書いて警報をならしたいのだが、私自身が
きちんとした世界基準の学問を学べなかったせいもあって、もう何年も作業に取りかかれなくて困っている(最近、私のしつこい
主張の影響だろう「人文科学が使われなくなった)。
副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上)」P321〜325
500考える名無しさん:2007/06/09(土) 01:44:36 O
理系じゃないとしても文学部にふりわけられるのは納得いかない
文学ではまったくない
同期を見ても、哲学を文学の亜種だと思ってるヤツが多くて嫌になるよ
501考える名無しさん:2007/06/09(土) 02:06:03 0 BE:1828850898-2BP(31)
物理学なんか日常では全く役に立たないからね。例えばプロ野球で阪神の「金本」が「ホームラン性の当たり」を
打ったとき、物理学は未来の金本の動きをどう記述するか。

まず金本が一塁方向に秒速8mで走ってることをスピードガンで観測し、xをホームベースから
一塁方向の直線距離、tを秒数として「x=8t」とでもやるのだろう。

この定式化で100秒後の金本の正確な座標が出るというのが物理ドカタの誇り自負する物理学的思考。
計算すると物理学ワールドでの金本は100秒後に一塁方向に800m進んだ位置にいるはずだ。
おそらく外野フェンスにぶつかって金本は壁と非弾性衝突をしているかもしれないが、
少なくとも一塁ベースのはるか向こう側に直線まっすぐで進んでいる、これは物理学的に確実だ。

まあ言うまでもないことだが、上記は現実を分析する力のない低知能向けの妄想であって、
リアルワールドではそうではない。
現実の金本は一塁を踏んだ時点でベクトルを90°修整し、2塁ベースに向かい、
そこからさらに3塁、ホームベースへ向かい30秒後にはナインとハイタッチしベンチで休憩してます。
ベクトルが全く違うし、800mなんて絶対進んでいない。つまり、方向も、距離も全く間違い。

こんなことは金本がバットを振った二秒後には小学生でも予測できるのだが、物理学という
低能学問では全く不可能なのだ。
おっとここで物理ドカタから「計算が間違ったのは金本という系が複雑なままだからだ。
原子レベルまで分解すれば必ず記述できる」という声が聞こえてきそうだ。
いわゆる還元主義というやつですね。ではやってみろ。金本を原子レベルまで分解し、
量子力学における「三体問題」をラクラク解決し、ウルトラハイスペックのカンピュータを
駆使して金本という物理現象を完全にシミュレートしてみろ。さあどうしたどうした。

はやくやれってんだ。できるんだろ?え?おい?できない?え?できんのかね?どうかね?w


これが物理学帝国主義の実体なんです。上記の恥知らずな知の征服運動が悉く挫折したのも頷けるというわけ。
502考える名無しさん:2007/06/09(土) 02:16:34 0
>>501
>物理学なんか日常では全く役に立たないからね。

見えないところで日常を支えているからね。
携帯電話、車、ビル、電車、電子レンジ、テレビ、冷蔵庫、PCといった、
精密機械や構造強度が問題になるものは物理なくては製品として成立しない。
GPSによるカーナビは相対論なしには成立しない。

スポーツで言うなら、より安全性の高い器具、より高機能、高性能な道具の製作には物理は欠かせない。

そういうことを知らない馬鹿が日常生活を快適におくれるのも、
実は物理のおかげなんだよ。
空気みたいなものだ。
503考える名無しさん:2007/06/09(土) 02:26:27 0 BE:304809034-2BP(31)
>見えないところで日常を支えているからね。
>携帯電話、車、ビル、電車、電子レンジ、テレビ、冷蔵庫、PCといった、
>精密機械や構造強度が問題になるものは物理なくては製品として成立しない。
>GPSによるカーナビは相対論なしには成立しない。


いっつも決まった切り替えしなんだよね。
ではこちらもいっつも決まった切り替えしで応えると、
それは高卒ドカタが「お前らの住んでいるビルや道路や家は、
俺らトヴィ職人のトヴィ専門知識のおかげ。感謝しろ。凄いと思え」
と言うのと同じことなんだよね。
そんな仕事上のタコツボ知識自慢してどーすんのwと。
この分業化が徹底された現代社会において、ある専門知識をもっている価値などゼロに等しい。
誰でもそれぞれの分野の専門だからね。では知識は何で評価されるかと言ったら
その知識を身につけた人間が「どれだけの資本を稼げるか」。これだけ。

で、私が言うことは、「お前らドカタは『資本家』から給料貰って奴隷の
ように働かされてるだけだろ、バカドカタ」というわけなんですよ。
資本金100億のBNFは、優秀な科学者10人を余裕で一生雇える。
そして科学者10人に仕事をやらせるBNFのほうが、
金のない東大がり勉の科学者1人より遥かに多くの業績を残せるわけです。
歴史上にも、クフ王の大ピラミッドを作ったのはクフ王であって、
名もなきドカタではない。ヒトラーのアウトバーンもヒトラー手柄とされている。

つまり、資本という普遍的な価値基準の前に、理系ドカタ知識なるものに
なんら普遍的な価値はないんですよ。どうかしたんですか?
504考える名無しさん:2007/06/09(土) 07:19:46 0
ここで、突然、話が変わるが、私は「学問」あるいは「科学」とは何か、についてどうしても説明しておかなければならない
と思っている。「科学(サイエンス)」とは、「学問(サイエンス)」である。科学と学問は同じものである。、というと、
「そんなことはない。科学は科学で、学問は学問だ。別のものだ。なぜそんなことを言うのか」と思う人が多いだろう。
日本人は、知識人と自認する人でも、この程度なのだ。これまで説明したとおり、西欧人は、16世紀以降「学問(=科学)
の対象として、科学的(学問的に)に、日本を解部してきたのである。
(中略)
日本人は、「理科系=科学」「文科系=いい加減な、自分勝手な、自分勝手の考えの寄せ集め」だと考えている。もっと言えば、
ある人が「数学」ができるかできないで「理科系」と「文科系」に分ける。この考え方には、大きな欠陥がある。ここに、
西欧人が共有する、世界普遍価値から、日本人が脱落する原因の一つがある。今から五百年前、すなわち十六世紀に西ヨー
ロッパで「科学=近代学問」というものの考え方が興ったのだ。十二〜十三世紀ごろには、修道院の僧侶(モンク)たちが、
神への祈り中心の生活信仰をしていたのだが、そのうち「合理的精神(ラショナルマインド)」に目覚めて、考える」とか
「知る喜び(ちなみにphilo-sophy フィロ「愛する」、ソフィア「知を」の意味から「哲学」が生まれた)とかいう考え方を
手に入れるようになった。彼らは、キリスト教の聖典である「聖書」だけでなく、古く、ギリシア古典学の、とりわけ
アリストテレスの学問体系に巨大な真実が隠されていることに気がつくようになった。このようにして、僧侶の中から、初期の
「科学者」が誕生するようになった。
(中略)
505考える名無しさん:2007/06/09(土) 07:22:47 0
日本人は「科学」というと、「物理学」より「工学」のことを思い浮かべる。「工学部」というのはテクノロジー・デパート
メントのことで、「科学技術」のことだ。あるいは、限定すれば「機械工学」エンジニアリングのことだ。そしてこれらは、
実は、サイエンスが発見した自然法則(ナチュラル・ローズ)を、産業に応用して、人間の生活に役立つ工業製品を作り出す。
それが技術(テクノロジー)なのだ。だから「工学」「機械工学」は、厳しく言えば学問(サイエンス)ではない。
テクノロジーとは「応用科学(アプライド・サイエンス)のことなのである。だから発見することが学問(科学)なのであり、
科学技術は発明であるに過ぎない。そして西欧の知識伝統では、発見がすばらしいことであり、発明は「実用新案」に
すぎないと考えられている。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P167〜169
506考える名無しさん:2007/06/09(土) 07:31:15 0
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。

副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
507考える名無しさん:2007/06/09(土) 07:38:50 0
アメリカでは、学問(サイエンス)というのは、「自分の打ち立てた仮説(理論)を、実際の、現実の社会の中でみずから、
ポリシーメイカー(政策立案実行者)として実験してみて、その結果を冷酷に検査すること」なのである。
これを、positivism (人為的実験証明主義とでも訳すか)と言う。このポジティビズムを、「実証主義」などと、訳して、
分かった気になるな。この世で、実証できるのは、自然学問(代表、物理学)系の実験だけだ。こえは厳密に同じ条件で
誰がやってみても同じ結果になるものだから、これは本当に学問(サイエンス)なのだ。
ところが、人間社会を対象にする学問、すなわち、ソシアル・サイエンス(私は、社会学者という訳語が嫌いだ)は、本当に
サイエンスとして成立しているか、ものすごく、今でも怪しいのだ。なぜなら、現実の人間社会を使って実験証明(ポジティ
ビズム)するというようなことは、できないからだ。ソシアル・サイエンスとは、それでも、一応、次のようなものだ。
人間社会を刺し貫く諸法則を発見すること。かつそれは、個々の人為や願望から独立した客観であり、同一条件でなら、
世界中どこにでも存在するものでなければならない。そしてそれらを、冷酷に記述することである。
だから、これは、文学即ち、=下等学問=夢の世界との混合=人文(じんぶん)=今の北朝鮮の人間たちと同じ
=カルトの世界=幼児の並みの人々=なのに自分を知識人だと勘違いしている日本の文芸愛好的読書人階級。
これらの、一切を排除したものの考え方のことである。ところが、このソシアル・サイエンス(政治学、経済学、社会学、
サイコロジーの4つ)がアメリカでも、1980年代に、どうも、うまく行かない、ということが、判明し始めて、それで、
世界的に困った事になったのである。アメリカ行動科学(ビヘイビアラル・サイエンス)という、壮大な学問体系は、
50年代にアメリカで起こり、そして80年代には崩れ去ったのだ。

副島隆彦「属国日本論を超えて」P37〜38
508考える名無しさん:2007/06/10(日) 00:38:38 0
副島は言うことがきついが面白いな。
509考える名無しさん:2007/06/12(火) 19:15:57 0
俺もそう思うw
510考える名無しさん:2007/06/13(水) 01:50:51 0
>>503へwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

自分が「資本金100億のBNF」と「優秀な科学者」どちらになるかと聞かれたら迷う

しかし、もし俺が世界人類代表者であってどちらの人材が必要かと聞かれたら「優秀な科学者」と答えるだろうな
なぜなら「優秀な科学者」というものは各々が「その人」でなければ発見し得ない新事実を発見する可能性を秘めているからで
(例えば、アインシュタインがいなければ、その代わりとなる人材は長らくいなかっただろうし
アインシュタインがいなければ確実に世界人類には不利益であることが簡単に想像できる)

一方「資本金100億のBNF」なんていうものはその人がいなくても代わりは誰でもいる
誰でもいるというよりは「資本金100億の人間」なんていうものは同時にいくらでも存在するわけで
その人である必要性はあまりない

もっと言えば科学的発見というのは「資本という普遍的な価値基準」外にあるものでだし
アインシュタインだってそんなに稼いでいないだろう、だからといって「価値がない」とは全くいえない
むしろ「資本金100億のBNFの方が価値がある」と言うもんなら一般的価値判断ととてもかけ離れた
こじ付けの価値判断にしか聞えない。

もし、神が科学的発見を売っていたならば(科学的発見が「資本金100億のBNF」と同じ「資本という普遍的な価値基準」の下にある状態を想像する)
世界の国々は100億なんて簡単に出すだろう。「相対性理論」が売ってようものならそれどころではないだろう。
事実、世界の先進国は毎年何百億以上の金を国民の教育に費やしている。
世界の先進国は「優秀な科学者」手に入れるために相当な金を費やしてるってことだ

もっと言おう
「BNF」と「優秀な科学者」の2人が溺れていてなおかつ一人しか助けられないならば
世界の先進国のトップはきっと「優秀な科学者」を助けるだろう

わかったか?カス

「資本金100億のBNF」に全く価値がないとは当然言わないがなwwwww
511考える名無しさん:2007/06/13(水) 06:37:16 0
>>510
まあまあ、そう決め付けちゃかわいそうだよ

低脳なりの考えというものも世の中にはあるんだ
512考える名無しさん:2007/06/13(水) 06:43:57 0
>>501の馬鹿さ加減と口調に
勝利宣言ビガロ閣下を思い出させるものがあるなw
513考える名無しさん:2007/07/11(水) 12:05:26 0
age
514考える名無しさん:2007/07/11(水) 19:48:25 0
科学の起源は測量。
すなわち哲学の起源は測量。
515考える名無しさん:2007/07/11(水) 21:38:59 0
そういえば
ヒトラーも理系(建築志望)だったなあ
516考える名無しさん:2007/07/12(木) 20:06:10 0
どう見ても具が出ていた
ビラディゾン
517考える名無しさん:2007/07/17(火) 04:52:53 0
ビラディゾン好きだな。
518考える名無しさん:2007/07/17(火) 09:20:18 0
俺も好き!

ほしのあき>>びらでぃぞん>ながさわ>あやせはるか>>>>>>>>>>>>わかつき>>>>>さわじり
519考える名無しさん:2007/07/17(火) 12:20:34 0
哲学はどう見ても文系wwwwww
520考える名無しさん:2007/07/19(木) 02:31:50 0
哲学って物理学も心理学も科学、宗教学、形而上学等々含んでいてもらいたい。
数学だって点や線で考えているうちは理系。
立体的な考えが入ると文系。
理系と文系が相関する次元になれば哲学って域に近づくと思う。
一方向だけの考え方には偏りがあると思うのだが。
西洋哲学にある真善美の追及がある意味哲学に近いのかもと思う。
ただそれはすごく狭い範囲のなかでだけの話。
宇宙がいかにしてできたのか。
究極な数字が42であったとしても、5という数字が非常識であるにしても、
多くの人々の生活にはさほどの変化も与えない。
真実ってのは人を救う力はないって思うからね。
「何のため」「誰のため」と思えるようになったとき、低い学問も哲学に変化して
いくのではないでしょうか。
似非って言われれば似非だろうと思う。
自分でもできてないからね。
結局の答えとして「哲学」=文系でも理系でもなく「哲学」=文系でも理系でもある。
哲学ってもんに形式は存在しない。
心のおきどころ、意識のおきどころに哲学ってあるんじゃないかな。
唯物論者には納得できないだろうけど。

521考える名無しさん:2007/07/21(土) 02:28:38 0
>>520

>>482
>>498~499
>>504~507

を読んでください。
なぜ少し上のレスも読めないのですか?
書き込むのはそれを読んでからだ。
522おれなら:2007/07/23(月) 06:18:39 0

きたのきい>>ほしのあき=びらでぃぞん=ながさわ>あやせはるか>>>>>>>>>>>>わかつき>>>>>さわじり


だな
523考える名無しさん:2007/07/23(月) 18:48:40 0
agetoko
524考える名無しさん:2007/07/24(火) 02:33:36 0
きたのきいの演じる椎葉歩かわいす
525考える名無しさん:2007/07/24(火) 16:20:11 0

「歴史学者たちは、大部分が朝鮮半島と中国出身の
少なくとも20万人の女性が第二次世界大戦中に日本軍の売春宿で
強制的に奉仕をさせられたと考えている」
(BBC)

「すべてのいわゆる従軍慰安婦と呼ばれる女性たちが奴隷化されていたわけではない。
売春婦だった者もいたし、家族によって売られた者もいた。
しかし大多数は、誘拐され、奴隷化されレイプされたのだと主張している。」
「安倍首相は、『強制性があったことは歴史的に証明されてない』と主張している。
これは言い換えれば、『彼女たちは嘘つきだ』ということを主張しているのと同義だ」
(エコノミスト誌)

「歴史学者たちは、大多数の中国や朝鮮半島からの
20万人の女性が2000箇所の慰安所で強制的に働かされたことを信じている」
(ガーディアン)

「われわれフィリピン人は米国の議員らと同じく日本帝国軍隊がフィリピンなど
アジア諸国の女性を慰安婦にしたという残虐行為に対し真の謝罪を求める。
(フィリピン マニラ・タイムズ)

「日本が第二次世界大戦中にアジアの女性に慰安婦になるよう強要したのは歴史的事実だ」
(マレーシア)

「安倍氏は、日本が戦争中に性の奴隷の問題に関与したことを認めて
謝罪するよう求める米下院での決議案にいらだっている。
第二次世界大戦後六十二年にもなるのに、日本がなぜ戦争中の歴史的事実を
正直に受け入れずこうした子どもじみた態度を維持し続けるのか、世界中の人々にとっては理解し難い」
(インドネシア ジャカルタ・ポスト)
526考える名無しさん:2007/07/26(木) 18:30:05 0
ただの理系主義を装ったネタだとは思うけど
>>1
線型的思考しかできない、ただの馬鹿。歴史を通じて世界の知も変わっていくのです。
527考える名無しさん:2007/07/26(木) 18:39:20 0
>>1
正論w
528考える名無しさん:2007/07/26(木) 18:43:57 0
廣松も言ってたなw
529考える名無しさん:2007/07/26(木) 18:48:20 0
>>526
うるせーお(`Д´#)
何を根拠に「馬鹿」とか使ってるんだよ・・
ムカつくんだよ
死ねよ(#`皿´)凸
530考える名無しさん:2007/07/27(金) 17:54:11 0
漏れは理系から文転して大学で哲学とであったけど、全然面白い
すぐに哲学の世界に引き込まれたね
哲学書読んでる時は、数学の整数問題を解いてる感覚と似ている爽快感がある、数学嫌いの文系にはわからねーだろうけど
理系の人であれば少しの読解力つければすぐ哲学に引き込まれると思う
俺は哲学と出会えてよかったと思っている

ついでに典型的な感情論で物を言う>>526みたいな文系はバカ。さっさと死ね
531考える名無しさん:2007/07/27(金) 18:52:40 0
内容はいいんだが、「全然面白い」、「・・・と似ている爽快感」などの
日本語を母国語とする話者とは思えない表現は、何とかならないものか?
532考える名無しさん:2007/07/27(金) 19:34:27 0
>>530
2chでそんなこといっても全然説得力ないねーー
533訂正:2007/07/27(金) 19:35:33 0
>>531
2chでそんなこといっても全然説得力ないねーー
534佃煮マニア:2007/07/27(金) 22:17:04 0
ゆとりの酷さから理系人材の貴重さが浮かび上がってきたのは
確かに分かるんだけど
2ちゃんでこんだけリケイリケイ言ってるのをみると全然同意出来ないし
不快な煽りとしてしか見れないんだよね
535考える名無しさん:2007/09/30(日) 00:48:58 0
>>534
いかさまくさい「思想」を排除する方便というわな
536考える名無しさん:2007/09/30(日) 15:58:43 0
独仏英羅希はできないと、例えば哲学で知ったか以上の事を語るのは難しい。
よく文系理系の話で出てくる文系は文系というより単に勉強しない人。
537考える名無しさん:2007/09/30(日) 22:54:36 0
>>536
同意。
538考える名無しさん:2007/10/01(月) 04:56:22 O
>>501
こんなところにスパがwww
539考える名無しさん:2007/10/01(月) 22:46:55 0
どう見てもどう見ても具が出ていた
ビラディゾン


具が出ていた
ビラディゾン


540考える名無しさん:2007/10/05(金) 04:28:02 0
>>510
まあまあ、そう決め付けちゃかわいそうだよ

低脳なりの考えというものも世の中にはあるんだ

つまるところ
どう見てもどう見ても具が出ていた
ビラディゾン

ってこった
541考える名無しさん:2007/10/28(日) 04:22:28 0
芸大に入ると、ピアノだのヴァイオリンだの、油絵だの日本画だのを学ぶよね?
才能と努力が必要な立派な技能だが…あれを「学問」とはいいにくいだろう。

ま、そういう事だ。
542考える名無しさん:2007/11/26(月) 16:06:36 0
中国ではフォロソフィを「理学」とか智学と称していたこともあったそうで、
しかし結局は日本語の哲学という訳語が中国に輸入されて定着したようだが。
ちなみに社会学は群学、経済学は算計学などと訳していたらしい。
543考える名無しさん
日本の初等教育でscienceが分類上
「科学」でなく「理科」と名付けられているのにはちょっと違和感を覚える。