1 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :
認識とは世界とのコミュニケーション行為である。そしてコミュニケーションとは、他者を自己とし、
世界を自己とし、そして自己を自己とする自己化行為である。
@複写
コミュニケーションとは、主体が主体の内部に起こった心象を客体の内面(心象構造)に
再現させようとし、客体が主体の内部に起こった心象を、客体の内面(心象構造)に再現しようと
すること、すなわち心象構造の同期行為である。
心象構造とは記憶である。記憶とは@先天的記憶、A後天的文化記憶、B後天的個体記憶で
できている。そしてその記憶形成の時間から考えても、B後天的個体記憶はわずかであり、
私と他者の心象構造は限りなく近く、すなわち他者とは限りなく私である。
A差異
コミュニケ−ションは主体と客体の間にたえず以下の二種類の差異を生み出す。それをコンスタティブ
あるいはデノテーション的な記号(言語)意味差異と、パフォーマティブあるいはコノテーション的な
心象的意味差異と呼ぶ。差異により、私でない世界は実体化され、私でない他者は実体化され、
私でない私が実体化される。
C消費
コミュニケーションは差異を駆動力として、差異を解体し、解消しようとして、反復される。
記号意味差異を解消する行為を記号消費と呼び、心象的意味差異を解消する行為を人格消費と呼ぶ。
これらは独立したものでなく、コミュニケーションにより相補的に解消される。
D循環
コミュニケーションとは、他者を自己とし、世界を自己とし、そして自己を自己とする自己化行為である。
すべてを自己化しようとする行為は、生命が生命である本質的な「欲望」(自己複写、自己維持)である。
このために循環において始まりと、終わりを問うのは意味がない。
溢るる余剰@はてなD
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/
2 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 14:34
コミュニケーションという自己化認識
3 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 14:39
相互自己化・・・お互いに他者を自己化する行為は、
心象行為の同期であり、分かり合う行為である。
4 :
考える名無しさん:04/03/02 14:40
>>1 最初の2行しか読んでませんが、最初から矛盾してますよ。
>コミュニケーションとは、他者を自己とし、世界を自己とし、
>そして自己を自己とする自己化行為である
ならば、
>世界とのコミュニケーション行為
は不可能ということになりますよね。
5 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 14:43
通常分かり合うとは、お互いの差異を人格消費し
心象同期させることであるが、
現代では、共に記号差異を記号消費することにより、
心象同期を試みる。
たとえばそれはファッションアイテムであったり、
アニメであったり、タレントであったりする。
これにより疑似共同体、疑似自己増殖を行い、自己化欲を解消する。
6 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 14:45
>>4 自己としようとする。ですね。
残り読んでもらえれば、差異を消費続ける(循環)であり、
どこまでいっても他者はなくなりません。
7 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 14:50
恋愛とは、少年から成長していく中で
突然、現れてくる大いなる他者=異性との間に生まれる
大いなる差異を消費しようとする行為であるかも知れない。
8 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 15:02
たとえば、大きな本屋にいく。大量の本があり、各分類でコーナーがある。
歩き回る中で自分の興味にある本に囲まれた空間
自分の知らない本に囲まれた空間での差を考えて見ればわかる。
自分の興味にある本に囲まれた空間とは自己化された空間である。
親しみ、安心、楽しいという気持ちとともに認識するが、
見たことも聞いたことのない本に囲まれると
他者の砦である。認識不可能に陥る。
そのとき多量の本は、ただの壁である。
9 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/02 15:30
私とは自己化した、された総体である
10 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 19:24
<ネットコミュニケーション(2ちゃんねる)というゲーム>
現前の相手とのパロールでは、相手についての情報は大量にあり、経験的に記号内容(心象)を
推測することは容易になる。このために相手への適切なコミュニケーションが可能となる
と考えられる。しかし相手に対する大量の情報は、逆に伝えたい内容が、
その他の過剰な情報に抑圧される面がある。相手が誰でなどの様々なことを考慮して伝える
ということは、逆に言いたいことがいえない(コミュニケーション不全)に陥る危険性がある。
すなわち相手を目の前にするとなかなか言いたいことが言えないものである。
さらに社会的な立場による規定もある。
ある程度の心象差異が解消された(人格消費)された他者は限りなく、自己である。
このために意味的差異の解消(記号消費)は「意をくむ、くんでほしい」のであり、
「察する、してほしい」である。
11 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 19:24
ネット上のコミュニケーション(特にテキストベースのコミュニケーション)では、
相手に対する情報はテキストのみという限られた状態にある。すなわちそれは限りなく
「迷い込んだ手紙」である。さらに実社会では行為を起こさなくとも、存在を認識されるだけで、
すでに情報は伝達されているが、ネットコミュニケーションでは、レスしなければ、
存在しないというある種の極限状態にある。このような状態はコミュニケーション
上の不安感を生む。
しかしネットコミュニケーションでは、情報が少ないという不安感が故に、そこに伝えたい
情報を選別して込める、または心象をより適切に言語表現しようと、努力する面がある。
すなわちネットコミュニケーションは、心象差異が「純化」する効果がある。
12 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 19:25
このような不安と「純化」は二つの傾向を生む。
一つはコミュニケーション(議論)を激化させ、感情的にさせる面である。過剰に存在を示し、
直接的な表現をしなければ伝わらないという不安感。そしてさらに相手の心象を理解しようと、
相手の感情を揺さぶろうとする。ネット上の会話が感情的、欲望的、挑発的にになりやすいのは、
このような理由からである。これは2ちゃんねるに限らず、ネットコミュニケーションの
大きな特徴である。2ちゃんねるの煽りはこのように感情的、欲望的、挑発的になった姿である。
しかし煽りにはまだコミュニケートが成立している時点で、ここにはまだ相手の記号意味(心象)
を読みとろうとする姿勢があるともいえる。荒らしでは、さらに不安感がコミュニケーション放棄へ
向かい、ただ自己存在を誇示するのみとなる。
13 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 19:25
もう一つの面は、不安感があるから、「純化」されるから、心象が直接的に伝わりやすい面である。
これはネットコミュニケーションをやっているとだれでも一度は、実生活のコミュニケーション
よりも強く共感しあえた喜びを味わったことがあるのではないだろうか。これは古くは、
手紙であったり、現在ではメールであったりする。そして匿名性である故に、
悩みや個人的な告白が可能になるなどである。そして出会い系などでは、これが悪用される。
見せかけの共感を演出しやすいということである。
このような偶然的な満足というゲーム性が、人々を継続してネットコミュニケーションに
向かわせているのではないだろうか。そしてコミュニケーションにはもともとこのような
ゲーム性があるのであり、このために人はおしゃべりするのではないだろうか。
意味的差異の解消(記号消費)の中で、他者が実体化する。しかし現前せず心象構造が
隠されている他者を自己化するために、積極的に心象差異を解消(人格消費)しようとする。
ここの過程では偶然的に自己化する前に他者に逃げられる場合が多いが、
ある低い確率で自己化が可能になる。ここにゲーム性、ギャンブル性が産まれる。
なんで次から次へとスレ建てられるんだよ。
ルールくらい守れ!
15 :
考える名無しさん:04/03/02 19:31
お前スレ値くらい知ってんだろ?ボケ
ぴかぁー自体よりもぴかぁーの文体が嫌い
なぜか嫌悪感を感じる
17 :
考える名無しさん:04/03/02 21:56
いつまでたってもぴかぁ〜は哲学以前だな。
「あるべき」的な問題意識を、まず捨てなさい。
その場の思い付きや勝手な思い込みを疑いなさい。
18 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/02 21:57
なんで次から次へとスレ建てられるんだよ。
ルールくらい守れ!
伸び率が前ほどじゃなくなったな
ぴかぁ〜嫌いも増えた気がするし
>>16 自分の言葉で話してないから
覚えたての概念を使いたくて仕方がないのが見え見えだから
22 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/03 00:55
認識とはそもそも虚像的なものなのかもしれない。
認識とは自己内に世界の心象をつくることであるのだから。
ものそのものは知ることができない。
世界に向けてコミュニケートして、それを自己化する。
そこは世界=自己であるという妄想であり、虚像である。
自己化って同化作用の拡張だよね。
24 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/03 00:59
しかし現代においてコミュニケーションが人格消費から
記号消費へ向かったとき、認識の虚像化はさらに加速したのではないだろうか。
例えば、リースマンの「孤独な群集」を現代考を考えてみる。
伝統志向型:伝統的規範や慣習への同調
内部志向型:社会身分制の崩壊によって伝統的価値観が統制力を失う→
幼児期に内面化した目標をもち、立身出世や勤勉・努力をモットーとするようになる
他者志向型:さらに工業化が進むと、生産よりも消費に関心が移る→
生産性中心の努力型や立身出世型では適応ができなくなり、
周囲の人々との協調や他人の反応への敏感さが必要になってくる→
価値基準を他人の反応の中に求めるようになる
25 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/03 01:04
>>23 そうです。
同化を認識論的に考えると、自己化になります。
同化は1対1の関係ではわかりやすいですね。
友達のまねをするとか、タレントの誰々のようになりたいとか。
しかし現代の記号消費社会では、単に誰かという対象物が
明確ではない。多人数がお互いに同化しようとして、
記号が消費される。
この場合には、それぞれは自己化を目指すというように単位化して
考えると、
1対1も、記号消費のように多人数が混じり合う場合も
それぞれが自己化することによる現象として考えることができます。
リースマンの「他者志向型」がコミュニケーションが記号消費化する
ことを表していると考えられる。
すなわちもはや他者と向き合い、人格消費仕合、自己化しあうことは
できなくなる。このために消費する記号に自己化を求める。
記号と言う情報を通して、個体は世界を自己化しようと試みる。
情報の引用可能性、複写可能性というマスメディア的な力に
依存するのである。
ある記号を自己化することは、その記号で繋がる大衆を自己化することである。
そのように個体は自己化を試みることにより、
記号は差異を生み続け、消費され続けて、大衆を巻き込んで成長(記号組織化)する。
そこでは虚像化した記号は最初の記号意味がなんてあったかは
もはや問題ではない。シャネルというブランドの最初がなんであったかは
もはや問題ではない。シャネルという記号は、現在の大衆の中で成長し続けているのである。
このようにして個体の自己化欲は、虚像化した大衆価値を生み、
その大衆価値を自己化することにより、価値を見いだすという
繰り返しの中でさらに大衆価値は虚像化し、成長していく。
これを俯瞰すれば、リースマンのいう「価値基準を他人の反応の中に求める」姿に
なるのである。
他者指向は八方美人的になりやすく、過剰適応的でもある。外面で無理する分
人からは少し過剰に評価されるが、内面では自信がない。
>>27 だから、現代は、オタク化と他者回避がキーワードになります。
オタク化とは、基本的には大衆価値という自己化です。
しかし無数の他者の前で、自信がなく、自己化する大衆を選別する。
小さなコミュニティーで自分の分身を大量に作ろうとする。
オタクとは自分の分身の集まりなのです。
そして無数の他者に対しては、距離を置こうとする。
自己化を拒絶するようになるということです。
はぁ?
近代は、人格消費から記号消費へ向かった時代です。
かつての小さなコミュニティーという自己的世界から、
大衆が生まれ、絶対なる他者が生まれたと考えられます。
その中で、記号の虚像化が進みました。
そしてネットスペースは、再び記号消費から人格消費の時代に
向かっています。
2ちゃんねるは渇望した人格的差異が多量に発生して、
人格消費し放題に、人々が喜んでいる姿かもしれません。
ネットの場は多分コミュニケーションのローカルな場を消滅させる。
32 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/03 02:06
コミュニケーションのローカルな場とは?
いい加減にして欲しいです。
誰かこの人をつまみ出して下さい。このコテは病気です。
自分の力で回復する見込みも無いでしょう。
このコテに心辺りのある人は速やかに措置入院させてあげた方が
いいと思います。本人の為にもこのままでは良くありません。
うん……北朝鮮の貧しい方々にどれだけ手を差し伸べてやれるか
実際は遠くて遠い人たちで
何もしてやれないし、したら変わらないし
残酷にも、ほおって置くのが一番な訳で。
コミュニケーションのローカルな場:家庭や職場、飲食店での会話その他等
36 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/03 02:48
そうかもしれませんね。
最近特に目に付くのが、主婦がメールしてる姿ですね。
若者?がメールしているのは違和感がないが、
主婦が小さな子供を横において、メールを一生懸命打っている姿には
違和感を覚えてしまいます。
なぜかとても悲しげに見えますね。偏見でしょうが。
37 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 09:37
ここでいう自己とは自意識とはことなる
さらに根源的自己である
生命的、生理的、遺伝子的な自己化「機能」である
そしてここでは自意識とは他者である
たとえば人は生まれたときから自己化機能が働いている
世界を自己化しようとするのである
そして他者と出会うことにより自己との差異を消費し自己化しようとする
その過程で自己の中の他者である自意識が現れる
その自意識の形成がラカン的鏡像理論である
自己にとって自意識はたえず外部他者とつながる内部他者である
だからそこにはたえず差異が生まれ続ける
自己化への衝動と外部他者と協同したえず差異をうみつづける自意識という内部他者
ここに人のパラドクスが生まれる
ここではデカルト的コギトは他者である
根源的自己は認識することができない
それは衝動であり、生理であるからだ
近代、都市化し無数の絶対的他者の中で
デカルトが見つけた自己が他者であったところから
その後の認識論のどろ沼の混迷がはじまる
40 :
考える名無しさん:04/03/03 10:11
コギト エッグ スルリ
では人はなぜ内部他者を発見しえたのか
それは認識能力、記憶能力の向上ということになるが、
言語のよるものではないだろうか
言語はその表現の意味を表現て表すというパラドクス構造をもっている
たとえば「りんご」というシニフィアンのシニフィエは「赤く丸く甘い果物」であるが
では赤い、丸い、甘い、果物というシニフィアンのシニフィエは?
という循環する自己言及的なシステムである
この構造は「私とは」という論理的不可能性に陥る宿命を持っているのであり
これは自己が衝動から存在に変わる瞬間である
ここで発見された私という存在が自意識である
それは存在である以上、客観的対象であり他者である
そういう意味では「私」とは言語的には「無」と同じ構造である
「無」は「有」の言語的差異により生まれた存在(言語)である
ここに「無」はあるか?という言語的パラドクスが生まれる
同じように「私」は「他者」の言語的差異を表すのであり
「私」はあるのか?
そして「私」は言語的になければならないのである
そしてその私は言語で表現なければならないのである
なぜなら言語化できないものは「ない」からだ
そして私は内部に言語的、存在的私をつくりだすよう強制されるのであり
それは他者でしかないのである
「言語差異が生み出した私という他者」
言語を手に入れた自己は性を言語で自己化(征服)する衝動がおきる
それまでの存在認識は境界が曖昧であった故に漠然とした自己化であったが
言語は積木のことくである
そしては多くの認識の破れを見つけ塞がなければならない
それが無であったり、私であったり
さらには愛であったり
優しさであったり概念である
そしてそれは存在しなければならないのであり
言語意味を持たなければならないのである
46 :
考える名無しさん:04/03/03 11:35
むやみにカンナがかかってます。
で、一体どうしたっていうんだい>ぴかぁー
48 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 12:19
私の中の他者と他者の中の私
49 :
考える名無しさん:04/03/03 14:29
> 私の中の他者と他者の中の私
セックスの話?
50 :
考える名無しさん:04/03/03 14:43
何が言いたいのかさっぱりわからん。
>>1 人に物事を伝えたいならもっと分かり易さを求めろよ
伝える気がないなら公開オナニーするな
根源的自己がよくわかりません。
例えば、何かの騒音が聞こえたとき、「私は(無意識的に)聞いている、ゆえに(無意識的=生理的)な私はある。」というような形での根源的自己の認識もできないということですか?
52 :
考える名無しさん:04/03/03 15:30
むやみにカンナがかかってます。
ぴかぁ〜は、詩的に語るということを知らんな・・・。だから嫌われる。
54 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 17:03
>>51 無意識に認識する自己ですか
用語的にあっているのでしょうか
>>54 すいません、限りなく的外れな質問でした。
つまり、「認知される私」は「認知する私」ではないということですね(?)
で、意思疎通は他者と私を前提にしているために、他者の自己化であるが、結局、完遂には至らないと。
56 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 17:43
あえて根源的な自己といえば心象構造でしょうか
それを他者に複写することが自己化ですから
しかしは心象構造は他者との差異を消費することにより絶えず変化していますが
1 :見るに絶えなかった人 :04/02/13 18:09
この哲学板で行ける屍の様に常駐し乱立スレで衒学哲学を独り語る
無職中年引き篭りの単独では無いらしいコテハンは見るに絶えません。
58 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 18:00
私も混乱してきましたが…
コミュニケーション(心象複写)では、自己にとって世界には自己(同期された心象)とその差異しかないということです
電波猫さんは自己(ぴかぁー)+差異であり
今、その差異を消費しようとしている
これはデカルト的私(ぴかぁー)も同じように自己と差異がある
すなわち他者です
溢るる余剰
DQN!DQN!DQN!
60 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 18:16
自己は他者と完全に同期することは不可能であり
意識された自己も同じです
そして意識とは言語化であり
言語化とは世界をすべて言語のブロックで埋めることであり
他者の差異として「私」というブロック(シニフィアン)がつくられますが
そこに他者でない人というな意味(シニフィエ)しかありません
これは困ったことで私とはなにかを考えないといけないわけです
しかし心象構造としての自己は言語化できない
しかし言語とはその意味を必ず言語化しないていけない
そうしないと世界に意識の穴があく
だからデカルトはコトギで埋めた
しかしどうもしっくり来ないだから哲学者はなんとか埋めようとがんばってきた
しかしそもそも埋めることが不可能なのです
それは心象は言語化できないのであり
さらに言語は自己言及の論理的不可能性をもつシステムだからですね
62 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 18:58
@言語前
Aパロール時代
Bエクチュエール時代
Cパロリチュール時代
63 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/03 19:24
@言語前、心象構造化時代自意識なき時代
先天的共有社会
個体価値
個体闘争
Aパロール時代
自己の時代
人格消費
閉塞社会
全体価値
集団闘争
Bエクリチュエール時代
他者の時代
記号消費、記号組織化
虚像社会
大衆虚像価値
記号闘争
Cパロリチュール時代
自他の時代?
限りなき解体
個体価値
安易な共有
64 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 00:23
<私という他者>
「私とはなにか?」
それは人はどのように「私」を「発見」したかという事につながるだろう。
人の前の生物にも他者認識はあった。言語獲得前の存在認識は現前する他者という存在を
心象として内的に現れることにより認識するというものであり、心象による認識はその境界が曖昧であった。
そして言語獲得により、「自意識=意識された私」は「発見」されたのではないだろうか。
言語はその表現(シニフィアン)に対する意味(シニフィエ)を表現(シニフィアン)で表すという
パラドクス構造をもっている。
たとえば「りんご」という表現(シニフィアン)の意味(シニフィエ)は「赤く丸く甘い果物」という
表現(シニフィアン)で表される。そしてさらに「赤い、丸い、甘い、果物」という表現(シニフィアン)の
意味(シニフィエ)は?・・・・という無限循環システムであり、
これは存在(言語)認識を存在(言語)認識するという、内的な方向性をもつ。
すなわち言語は自己(心象構造)を開拓する、構造化する機能をもっているのである。
65 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 00:23
そして言語を手に入れた時、他者という言語が現れたときに、ソシュール的言語差異にとして
「他者でないもの」としての「私」の言語表現(シニフィアン)が現れる。
そういう意味では「私」とは言語的に「無」と同じ構造である。「無」は「有」の言語的差異により生まれた
存在(言語)である。ここに「無」はあるか?という言語的パラドクスが生まれる。
言語とは存在認識であり、世界を存在認識するということは、世界のすべては言語化されなければならない。そこにある「認識の破れ」は塞がれなければならないのである。それが「無」であり、「私」である。
そして「私」は「他者」の言語的差異として生まれたのであり、「私」という存在の言語意味(シニフィエ)は
必然的に問われる。すなわち「私」の意味は言語で表されなければならないのである。
このように「私」の言語的、存在的言語意味をつくりだすよう強制されるのである。
そしてそれは「他者でないもの」、すなわち他者との相対化された存在として現れるのである。
66 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 00:24
そしてさらにこのときに、「私」に関するパラドクスも生まれたのである。
私とは他者でないものという他者の差異としての存在であるということ。
さらには言語は無限循環システムであり、ヴィトゲンシュタインが示した自己言及のパラドクス、
論理的不可能性を持っているということである。
これは「私とはなにか?」には言語的な答えがないと言うことである。
この言語的存在認識の破れをふさぐために、デカルトは「我思う故に我あり」、すなわち
「私とは考える私である」という言葉が考え出されたのである。
「私とはなにか?」と問うとき、「私とはなにか?」と私にコミュニケートするとき、
そこには差異が存在する。「私とはなにか?」と問う私=コギト的私と、意識された私には
絶えず差異が存在する。もしそこに差異が存在しないならば、そもそも「私とはなにか?」と
問う意味がないのである。
私は主体(「私とはなにか?」と問う私=コギト的私=意識する私)と客体(意識された私)との差異を
消費しようとしている。すなわち意識された私とは、客体であり、他者である。
そして私が「私とはなにか?」とコミュニケートするときに私の中の他者は実体化するのである。
67 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 00:34
そしてコミュニケートと言う自己化行為は、主体としての自己と私の中の他者
との差異を消費続ける。しかしそれはどこまで行ったも同期しえない。
限りなく私である他者と言う差異を生み続ける。
68 :
考える名無しさん:04/03/04 00:47
☆キキ+キ゚Д゚♪=わだじは=@オームでずぅ。
わがあっていづでじょうぅ?
69 :
考える名無しさん:04/03/04 00:49
☆キキ+キ゚Д゚♪=わだじは=@オームでずぅ。
わがあっていづでじょうぅ?
70 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 00:50
そしてコミュニケートと言う自己化行為は、主体としての自己と私の中の他者
との差異を消費続ける。しかしそれはどこまで行ったも同期しえない。
限りなく私である他者と言う差異を生み続ける。
そして私内部の他者と私の外部の他者との差異を消費続ける、自己化しようとし続けることにより
私は作られていくのである。
ラカンはソシュールの言語差異へと回帰し鏡像理論を思考する。
「私」は「他者でないもの」、他者と相対化された存在でしかない、
すなわち「他者の欲望=対象a」として示す。
これは人の自意識の成長過程における自意識の獲得という現象により根拠付けされる。
これを比較した場合には、自己内に他者の他者の投影としての他者が存在するのに対して、
自己化では、私は外部にそして内部に開かれている。このような継続したコミュニケートの中で
自己は変化していくのである....
71 :
考える名無しさん:04/03/04 00:55
☆キキ+キ゚Д゚♪=わだじは=@オームでずぅ。
わがあっていづでじょうぅ?
誰か読んでる人いるの?まじで
ようするに独我論を説明したいのか?
そうですね。
1の最初の2行を読む限り単に独我論ですね。
他者の自己化とかはヘーゲル的絶対精神の弁証法と同じ原理なのでしょうね。
つまりドイツ観念論ですね。
自己化ってもっと厳密に定義できるの?
できないと全部無価値っぽいけど・・・
76 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 03:52
>>74 これを独我論と読んでしまうよ。現象学でさえ独我論ですね。
77 :
考える名無しさん:04/03/04 03:54
晒し
ぴかぁ〜の日記
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/ 間違いを指摘されれば放置らしい。
哲学様 『ぴかぁ〜の哲学用語ってさ、デタラメだよね。今日哲学入門って本読んだらわかったよ!もしかして、ぴかぁ〜って、2chでて哲学の勉強してるの?』
# 哲学様 『何か間違っちゃったよ、でも日本語は間違ったけどぴかぁ〜については間違ってないや。さいなら』
# pikarrr 『いらっしゃい、わざわざ遠いところまで。ぴかぁ〜と呼ぶ時点で誰だかわかりますよ。ここではpikarrrですよ。』
# 哲学様 『解体的されってなんですか?そんな日本語があるんですか?私の様な間違いをぴかぁ〜もするなんて嬉しいかも、だって私と同レベルなんだもん。うれし〜』
# pikarrr 『ここでもきみは放置ね。』
78 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 03:56
>他者の自己化とかはヘーゲル的絶対精神の弁証法と同じ原理なのでしょうね。
弁証法ですか。似たようなこと言っている人がいましたね。
ようは、差異の生まれ続けることの表現が足りないんでしょうね。
79 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 03:57
>>77 きみはてなはアクセスログ管理されてるの知ってるよね。
2ちゃんではないことわかってる?
通報します。
80 :
考える名無しさん:04/03/04 04:00
必死だなw
81 :
考える名無しさん:04/03/04 04:04
人の意見を無視するぴかぁ〜日記を晒す。
ぴかーつまんね
83 :
考える名無しさん:04/03/04 04:05
アクセスログ管理ってうそみたいね
84 :
考える名無しさん:04/03/04 04:06
見た限り荒らしではないので通報しても無意味かと。
85 :
考える名無しさん:04/03/04 04:06
>>79 ってかさ、ぴかぁ〜それくらいのことで通報なんてあまりに必死すぎて
見てて惨めなんですけど。ちなみに惨め(みじめ)だから。
86 :
考える名無しさん:04/03/04 04:09
ぴかぁ〜は法律をわかってないんだと思うw
87 :
考える名無しさん:04/03/04 04:11
日記くらい晒されたところで取り乱すな。
88 :
考える名無しさん:04/03/04 04:12
今ぴかぁ〜は必死で通報するにはどうすれば良いか考えてるw
89 :
考える名無しさん:04/03/04 04:14
自分でコメント求めてるんだから、いい意見ばっかりあるわけないでしょ。
どう考えても。通報とは、例え哲学をかじっているだけの人間であっても
言うことだとは思えないね。ぴかぁ〜さん反論お願いします。
警察の邪魔すんな
91 :
考える名無しさん:04/03/04 04:17
なぜコメントを消したのですか?
貴方に対する貴重なコメントですよ?
それを消すなんて・・・
ぴかぁ〜さん反論どうぞ
93 :
考える名無しさん:04/03/04 04:18
反論に答えないなら公開してる意味って何?
哲学したいだけなら自分の頭の中で完結しる
94 :
考える名無しさん:04/03/04 04:19
書きこみをこんなに安易に削除することは許されるのだろうか?
95 :
考える名無しさん:04/03/04 04:21
>>93 本当だ。93の意見は正論だよ。公開してる意味ってなんだよ?
96 :
考える名無しさん:04/03/04 04:23
ぴかぁ〜の発言が消えたぞニヤニヤ
97 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 04:26
ぴかぁ〜ヲタやりすぎ。どこまでぴかぁ〜好きやねん(w
>>77 あとさらさないでください。
>>1にありますから(爆
98 :
考える名無しさん:04/03/04 04:27
得意の遁走か?>ぴかぁ〜
反論しないならもう哲板来るなよ。
99 :
考える名無しさん:04/03/04 04:29
>>97 キモすぎるぅ〜〜〜。それに臭いぃ〜〜〜〜
100 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 04:30
かまってほしいなら、もう少し嘘でももう少しましなレスしない。
暇なときは相手してあげるから。子供じゃないんだから。
とりあえず、あとは放置。
101 :
考える名無しさん:04/03/04 04:31
自分の話だけをしたい人間が来るところじゃないぞ。
まともに話をしない(相手の質問に答えない)のはマナー違反だ。
102 :
考える名無しさん:04/03/04 04:31
マナーすらまもれない人間の哲学に説得力があるのですか?
ぴかぁ〜さん反論お願いします。
104 :
考える名無しさん:04/03/04 04:34
>かまってほしいなら、もう少し嘘でももう少しましなレスしない。
あんたサイコーだよ(爆藁
105 :
考える名無しさん:04/03/04 04:34
ぴかあの脳内:
自分以外のレス=すべて1人による自演
106 :
考える名無しさん:04/03/04 04:34
みんなでぴかぁ〜を放置するってのも必要かも。
そんなマナーが必要。
107 :
考える名無しさん:04/03/04 04:35
マナーではなくルールですね。
108 :
考える名無しさん:04/03/04 04:38
ぴかぁ〜に掲示板にいられなくするようにしむけた方が良さそうだな。
ルール違反は掲示板にいらない。
@「複写」の記憶説
ドイツ観念論的「歴史(ゲシヒテ)」に還元可能。
「私と他者の心象構造は限りなく近く、すなわち他者とは限りなく私である。」
というテーゼは甚だしく曖昧でレトリカル。
「他者とは何か?」という問いに明確に答えていないので、
ただの同語反復にしかなっていない。
A二種類の「差異」論
記号論と行為論の混合を犯しておきながら、
「私の実体化」という意味不明な結論に至っている。
結局のトコロ「私」については何も答えていない。
「私」について回答しないまま、
「認識=世界とのコミュニケーション行為」というトートロジーに陥っている。
最大限好意的に解釈しても、「私の世界内認識行為」というハイデガー通過型現象学。
B差異の「消費」論
やはりここでも記号論と行為論を混合してドゥルーズ的に語っただけ。
ドゥルーズ的に差異を語るとは、
「ヘーゲル的同一化」に対するアンチテーゼのようなものなので、
やはりドイツ観念論の問題圏内。
例えば行為論を中心にして、キルケゴール的な飛躍を見せるでもなく、
ただの指針無き折衷主義でオリジナリティがない。
C他者自己化の「循環」論
ガダマー解釈学以前の発想。
他者を他者として理解しようとするレヴィナス的視点もなく、
「精神の自己同一化」というヘーゲル的発想のコピー。
生命の「欲望」は「人間は知ることを欲する」というアリストテレスへの回帰ですか?
>>78 >ようは、差異の生まれ続けることの表現が足りないんでしょうね。
「差異」という言葉に留まる限り、「差異」という言葉に固執する限り、
アンチ=ヘーゲルであるという意味で、ヘーゲルから逃れていないのですよ。
「アンチ=巨人」のプロ野球ファンは本質的に巨人ファンと一緒ということです。
他者を差異として捉えるのではなく、自分以外のあらゆるもの、
として捉えないと、ポストモダン崩れの衒学主義は終わらないでしょう。
つまり、
>>64-65あたりの「私」を「他者でないもの」として説明するのは順番が逆では?
という批判に答える術がゼロということです。
「他者」すら規定されていないのですから。つまり。
>>64 >言語獲得前の存在認識は現前する他者という存在を
>心象として内的に現れることにより認識するというものであり
言語獲得以前以後も、あなたの理論だと「認識対象」は認識対象のままでよいはず。
「認識対象」が「他者」に変わる、そのドラスティックな変化について無説明なのです。
ということで、トータルで判断してドイツ観念論ですよ。
現象学以前です。
平凡社ライブラリーでヘーゲルの『精神現象学』でも読んでください。
樫山欽四郎の論文集も文庫で出ましたからそれもついでに買うことをオススメします。
112 :
考える名無しさん:04/03/04 04:40
もう良いから、ぴかぁ〜のスレには書き込むな。
113 :
考える名無しさん:04/03/04 04:41
自分のスレだけならまだしも、こいつは他のスレで名無し荒らしするんだから。
114 :
考える名無しさん:04/03/04 04:49
ぴかぁ〜哲板からバイバイ。
もうこなくていいからね。
俺が思うに、ぴかぁ〜がここまで反感を買うのは用語のインフレだと思う。
別にデリダやボードリヤールからヒントを得てもいいんだけど、
彼ら特有の用語を用いる必要はまったくない。
だって、自己流に解釈してるだけだから。
何で自分の言葉で話さない?
そんなに自分を大きく見せたいわけ?
単に自分の考えを述べたいだけって本人も言ってるし、
それだったら自分の言葉で話しなよ。
哲学に限らずどの分野だって、君みたいな知ったかは嫌われると思うよ。
普通の言葉で話しなよ。自分の論に自信があるなら。
116 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 05:05
>>115 反感?誰に?よくしゃべるおばちゃん的コテ粘着一人に?
117 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 05:09
>>74 詳しくありがとうございます。
自分だと思考が前スレから連続しているので、
どこが説明不足になっているかなかなか自分ではわからないですね。
このような感じで指摘して貰えると有り難い。
読んだ感じ、ここに到る前段階が欠落して、
いきなり
>>1であっさりまとめているのでこのような勘違いがされるのですね。
今晩でもじっくり説明させてもらいます。
118 :
考える名無しさん:04/03/04 05:26
ぴかぁ〜ってばかだね
119 :
考える名無しさん:04/03/04 05:28
>あっさりまとめているのでこのような勘違いがされるのですね。
お前にかかると全部勘違いだよな。オメデタすぎるよ。いくらなんでも。
>>117 私が受け取った最大の違和感は、
「欲求」で基礎付けをしておきながら、
あなた自身の欲求が見えてこなかったことです。
他者を自己として取り込んでいきたいのだとしたら、
「悪しきヘーゲル主義」との誹りを受けることを甘んじなければならないでしょう。
一方で、あらゆる知識を融合したいのだとしたら、
単なる衒学主義との非難に耐えなければならないでしょう。
哲学では、答えそのものよりも、問いそのものに本質があったりします。
あなたは認識論で入りながら、
言語論と行為論を通過して、人間論(生命論)で終わっている。
つまり、あなたが何について語りたいのか、
あなたにとって何が最も重要な問いなのか、
最も肝心なことが見えてこない記述スタイルor哲学的言動に難があるのではないでしょうか?
すべてを語りたいのだとしたら、やはりそれはヘーゲル主義ではないかと思います。
引用するなら典拠をまずは示しましょう。人文系の学問の基礎の基礎のですよ?
ぴかぁ〜さん。一体これら多数散りばめられた用語達は一体どこからの引用なのか
さっぱりわかりません。それをしないなら基礎の基礎すら欠けていますよ。
122 :
考える名無しさん:04/03/04 06:07
ぴかぁ〜はコピペ荒らしも多いしな。
とにかくぴかぁ〜がいなければ荒らしが減るのは確かな事。
123 :
考える名無しさん:04/03/04 06:11
荒らしとか証拠の無いことを叩いたらぴかぁ〜と同レベル
内容が叩けない厨は黙ってコピペ荒らしでもしてろ
コテ粘着もうざいが、それに粘着されるぴかぁもうざい。ソフィアと同じ。
学コテのように煽られても徹底放置できないのは同じ荒らし仲間。
>>123 それを内容についてまったく言及することなしに言うわけ?
それより74の今までの書き込み読んだのか?内容に対してかなり詳細な
反論をした後に、あのアホは「勘違い」で済ましてるんだぞ。それでも
内容に反論する意味ってなに?
126 :
考える名無しさん:04/03/04 11:13
ぴかぁ〜があえて関西キャラになるのは、
人に触発されてムキになる前に、
自分でキャラを変える事で平静さを保とうとしています。
理性的動物から欲望的動物へ
欲望は現代哲学のキーワードである
それは理性主義=旧哲学からの反動である
動物は本能的であるが人は理性的である
動物は欲求的であるが人は欲望的である
理性主義から欲望主義との人間中心主義内シフト
ここ3,4年ぴかぁ〜は自分自身に語りかけているんだろうきっと。
おおやけの場でそれを続けるのはあての無い釣りのようなものか。
ぴかぁーの一日
5:30に寝る 117 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 05:09
12:00に起きる 127 :ぴかぁー :04/03/04 12:21
過度に働いた防衛機制と妄想にとりつかれたナルシズムによって
必死で作った脆くはかない砂の城で恐怖に怯えて震えている。
「おやふか〜」とかいってた昔のぴかぁ〜は普通だった。
少し理屈っぽい引篭もりという感じ。でもまだ気持ちに余裕があった。
いつからこんなに必死になるようになったんだろう・・・
132 :
考える名無しさん:04/03/04 18:05
頭でなく心で社会復帰出来ないと見切ってしまった頃から
133 :
考える名無しさん:04/03/04 18:12
ぴかぁ〜オタってなんか変わってるな
134 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:05
>>74 おまたせ?しました。
>@「複写」の記憶説
>ドイツ観念論的「歴史(ゲシヒテ)」に還元可能。
>「私と他者の心象構造は限りなく近く、すなわち他者とは限りなく私である。」
>というテーゼは甚だしく曖昧でレトリカル。
>「他者とは何か?」という問いに明確に答えていないので、
>ただの同語反復にしかなっていない。
>>1 >心象構造とは記憶である。記憶とは@先天的記憶、A後天的文化記憶、B後天的個体記憶で
>できている。そしてその記憶形成の時間から考えても、B後天的個体記憶はわずかであり、
>私と他者の心象構造は限りなく近く、すなわち他者とは限りなく私である。
すなわち、心象構造という記憶においては、「その記憶構成された時間長さ」さから考えて、
@先天的記憶>>・・・・・>>>>A後天的文化記憶>B後天的個体記憶であるということです。
すなわち私と他者は、遺伝子構造のほとんどが同じであるということです。
このために限りなく他者とは限りなく私である。ということです。
135 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:06
>A二種類の「差異」論
>記号論と行為論の混合を犯しておきながら、
>「私の実体化」という意味不明な結論に至っている。
>結局のトコロ「私」については何も答えていない。
>「私」について回答しないまま、
>「認識=世界とのコミュニケーション行為」というトートロジーに陥っている。
>最大限好意的に解釈しても、「私の世界内認識行為」というハイデガー通過型現象学。
「記号論と行為論の混合」については、すでにしろうとさんから指摘されています。
すでにログが流れてるので、参照します。
言語そのものではなく、コミュニケーションという行為上の言語を意味している。
ということは、しろうとさんの指摘のように、「確述と遂行」ではなく、
パフォーマティブにはコノテーション的意味が見いだされる、という私の主張が
あります。
444 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/02/26 22:00
>記号「未理解」と心象「未理解」〜記号消費と人格消費〜
>コンスタティブな意味とパフォーマティブな意味に相当
確述と遂行の違い。心象ではなく意図や規約と関係する。
オースティンの顕在的遂行発話を見てみよう。典型的には命名や約束である。
「この船を太郎丸と命名する」「放課後教室に行くと約束する」といった発言は
真偽やさらには心象ではなく社会的な責任の体系に組み込まれるかどうかの問題。
450 :ぴかぁ〜 :04/02/26 22:10
>確述と遂行の違い。心象ではなく意図や規約と関係する。
言語行為論は本質的に記号論的コノテーションが排除されています。
パフォーマティブとは、遂行ではなく、言語化できない心象の余剰を
解消するところに本質があります。
たとえば、
「この船を太郎丸と命名する」「放課後教室に行くと約束する」の場合、
ここにそれを引用すること自体が、心象の余剰の排除でしかないのですね。
ここまででわかるように、テクスト外を問題にしているのです。
136 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:08
>「私の実体化」という意味不明な結論に至っている。
>結局のトコロ「私」については何も答えていない。
>「私」について回答しないまま、
>「認識=世界とのコミュニケーション行為」というトートロジーに陥っている。
>最大限好意的に解釈しても、「私の世界内認識行為」というハイデガー通過型現象学。
>>66 これは「私とはなにか?」には言語的な答えがないと言うことである。
まずここを読んで質問があればお願いします。
>>64-67
137 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:08
>B差異の「消費」論
>やはりここでも記号論と行為論を混合してドゥルーズ的に語っただけ。
>ドゥルーズ的に差異を語るとは、
>「ヘーゲル的同一化」に対するアンチテーゼのようなものなので、
>やはりドイツ観念論の問題圏内。
>例えば行為論を中心にして、キルケゴール的な飛躍を見せるでもなく、
>ただの指針無き折衷主義でオリジナリティがない。
ドゥルーズについてよく知らないので、これはよくわかりませんでした。
138 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:08
>C他者自己化の「循環」論
>ガダマー解釈学以前の発想。
>他者を他者として理解しようとするレヴィナス的視点もなく、
>「精神の自己同一化」というヘーゲル的発想のコピー。
>生命の「欲望」は「人間は知ることを欲する」というアリストテレスへの回帰ですか?
ここはあまり言うことはありません。
どの哲学も根元的には、ギリシャ哲学にその根元を求めることができますので。
139 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:09
111 :74 :04/03/04 04:40
>>78 >ようは、差異の生まれ続けることの表現が足りないんでしょうね。
>「差異」という言葉に留まる限り、「差異」という言葉に固執する限り、
>アンチ=ヘーゲルであるという意味で、ヘーゲルから逃れていないのですよ。
>「アンチ=巨人」のプロ野球ファンは本質的に巨人ファンと一緒ということです。
>他者を差異として捉えるのではなく、自分以外のあらゆるもの、
>として捉えないと、ポストモダン崩れの衒学主義は終わらないでしょう。
ここは無理がありますね。
アンチ=ヘーゲルでくくると、現代思想のほとんどはそこへつなげられますから。
逆にヘーゲルへの帰結させようするところに、コノテーションが見え隠れしているように
見えますね。
140 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:10
>つまり、
>>64-65あたりの「私」を「他者でないもの」として説明するのは順番が逆では?
>という批判に答える術がゼロということです。
>「他者」すら規定されていないのですから。つまり。
>言語獲得以前以後も、あなたの理論だと「認識対象」は認識対象のままでよいはず。
>「認識対象」が「他者」に変わる、そのドラスティックな変化について無説明なのです。
>>64 >人の前の生物にも他者認識はあった。
と
これはさきほどの
>すなわち他者とは限りなく私である。
ということですね。
すなわち、言語獲得の前にも、限りなく私である「他者」は認識されていた。
そして言語獲得後に、この「他者」の差異として「私」が生まれたということです。
これだけではわかりにくと思うので、他者論については、あとでもう少し詳しく書く
つもりにしています。
141 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:10
>ということで、トータルで判断してドイツ観念論ですよ。
>現象学以前です。
>平凡社ライブラリーでヘーゲルの『精神現象学』でも読んでください。
>樫山欽四郎の論文集も文庫で出ましたからそれもついでに買うことをオススメします。
ドイツ観念論と違うと思いますが、ドイツ観念論も勉強してみます。
>私が受け取った最大の違和感は、
>「欲求」で基礎付けをしておきながら、
>あなた自身の欲求が見えてこなかったことです。
ここは意味がよくわかりませんでした。
142 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:11
>他者を自己として取り込んでいきたいのだとしたら、
>「悪しきヘーゲル主義」との誹りを受けることを甘んじなければならないでしょう。
>一方で、あらゆる知識を融合したいのだとしたら、
>単なる衒学主義との非難に耐えなければならないでしょう。
>哲学では、答えそのものよりも、問いそのものに本質があったりします。
>あなたは認識論で入りながら、
>言語論と行為論を通過して、人間論(生命論)で終わっている。
>つまり、あなたが何について語りたいのか、
>あなたにとって何が最も重要な問いなのか、
>最も肝心なことが見えてこない記述スタイルor哲学的言動に難があるのではないでしょうか?
>すべてを語りたいのだとしたら、やはりそれはヘーゲル主義ではないかと思います。
>>1だけ見るとそのように思うかもしれないですね。
全体像はここに書いています。
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040306 >>1はその過程のパーツです。さらに言えば、ラカンの「他者」への反論?を目指しています。
ちなみにこのスレはここから分スレしています。
ポストモダンを越えていく2ちゃんねる PART3
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1077983864/l50
143 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 20:14
とりあえずここまで。
144 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/04 21:46
>>74さんが、
>>1をヘーゲル的といったのはある意味当然ですね。
>>1が、ラカンの「人の欲望は他者の欲望である。」というテーゼから来ているとすれば、
ラカンはコジェーヴを通じてのヘ−ゲル研究から導き出したわけですから、
しかし本質はここにあるわけでなく、現代論のラカン反論の前提ですから。
今度はラカンかよ・・・
146 :
考える名無しさん:04/03/04 23:50
ぴかぁ〜のはてなダイアリーでは、
「解体的され」というおかしな日本語を使っていた、
それを指摘すると、「解体され」と直していたが、
指摘されたコメントを削除し、何事も無かったかのように、
お詫びの言葉を述べない。
そんな自分勝手な態度で哲学を語るなんて最低な行為。
警察が普通に犯罪を犯しているのと同じ。
ぴかぁ〜出て行け。
ぴかぁ〜のはてなダイアリーでは、
「解体的され」というおかしな日本語を使っていた、
それを指摘すると、「解体され」と直していたが、
指摘されたコメントを削除し、何事も無かったかのように、
お詫びの言葉を述べない。
そんな自分勝手な態度で哲学を語るなんて最低な行為。
警察が普通に犯罪を犯しているのと同じ。
ぴかぁ〜出て行け。
>147
結論には賛成
しかし内容が大人気ない
149 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 09:14
コミュニケーション同期性
150 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 09:24
私は他者とのコミュニケーションから人であることをしり
またどの他者とも違う存在であることをしる
そして他者と違うなんであるかを考えるが
自意識したわたしはまた
投影された他者の姿でしかない
だからまた他者にコミュニートする
私がなにかしるために
151 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 09:28
そもそも私とは言語の不完全性からくる認識の破れである
だから言語認識によっては埋められない
2ch本名とは違う自分の構築行為?
>ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 09:24
>だからまた他者にコミュニートする
>私がなにかしるために
コミュニート??
なにこれ? コミュニケートの事?
アンタのは意思の疎通とは言わないの。 なってないから。
>04/03/05 09:24
これ朝じゃないの? 仕事しなよ。
「働かざる者食うべからず」
だから断食でもしなさい。
154 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 10:36
さよならソフィア…
はい。
じゃ、手始めに一週間程、断食して下さい。
あと、その前にちゃんと親御さんに謝っといたほうがいいかもね。
ぴかぁ〜はじめのうちはソフィア擁護してたのに
>>153は何の因果もない理不尽な仕打ちだな
157 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 10:48
よくご存知で
変にまじめな子なんで偽コテとの区別が付かなくなったんでしょう
正直、つきまとわれて迷惑してますがこればかりはどうしようもなく相手してきましたが
しかしもう二度とソフィアにレスすることはないと思います
さよなら
ぶひゃひゃひゃひゃwww
ヒキコ中年に「さよなら」とか言われてやんのwww
おめーは愛人だったのかとw
スレタイみてここは雑談スレだと思って、気楽にカキコしただけ
です。
しかもレスの内容がコレ!!
>そもそも私とは言語の不完全性からくる認識の破れである
「自分の論理の欠陥からくる認識が妄想に変わりました」って事でしょ?
私はこのスレは雑談スレとして十分機能していると判断しました。
>157
キャハハハハハハ!!!!
最高のリアクションです。
161 :
考える名無しさん:04/03/05 10:53
はじめって、いつの話か・・・。漏れが最初にびかぁ〜に
気づいたのは、ソフィアを徹底的に荒らしてる奴がいるな・・・と
思ったときだが?
>>159 何弁解してんだよ。
相手にされなくなるとやっぱり辛いのか?
中年親父に捨てられたヒステリー女
>>161 ソフィア登場したての頃、1年と数ヶ月前。
女子高生タンに虐められてた時だね
これは自演?
なめんな!!
167 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 11:03
kuriharaさんにいじめられていたときですね
あの頃にくらべると見る影もない…
意味不明なことぬかしてるな豚 どんな被害妄想だ
あの頃叩かれすぎたんだ罠
女子高生タンとの対決は笑ったけどw
170 :
考える名無しさん:04/03/05 11:06
頭脳明晰女子高生に捨て台詞の越して遁走するだけだったからなぁw
ソフィアに比べればまだ鬱女のほうがカリスマ性を持っていた。
あなた達と大き〜く違って〜
私も個人的にいろいろ学んだのでそんな昔の事は
いちいち覚えていません。
173 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 11:10
>>1 はてなD更新しました
「コミュニケートという自己生産」
ご興味ある方どうぞ
コテ粘着くんがあっちまで追い掛けてきてうざいので
コメントできるのははてな会員のみとしました
ご意見ある方はこちらへどうぞ
>>172 それは覚えていない人間のするresponseではない。
>>174 そんなに詳しくは覚えてないから。
ところで、今度は「自己生産」になったみたいです!!!
>コテ粘着くんがあっちまで追い掛けてきてうざいので
追いかけてない!追いかけてない!! 誰も追いかけてないでしょう!!
誰にとってもからかうのに丁度いいキャラだからアンタはからかわれるのです。
じゃ、今度はそのはてな? に住み着いていけばいいでしょう。
でも時々は社会復帰も考えた方がいいですよ?
ばいばい。
キャハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!
>>175 しかしなんでぴかぁ〜を叩くんだ?
ねに持ってるわけでもないんだろ?
それとも、その粘着が貴様なのか?
ひとに迷惑かけておもしろいのか?
あたま悪いのさらけ出したいのか?
>ひとに迷惑かけておもしろいのか?
>あたま悪いのさらけ出したいのか?
この二つは正解〜!!
パチパチパチー!!!
純粋には「悪戯したい」「悪戯しても罪悪感を感じない」かな?
>>177 176は縦読みだと気付かなかった貴様はブッシュと共に降板しろ
179 :
考える名無しさん:04/03/05 11:32
ぴかぁ〜を叩いてるソフィアはいいね
がんがれ
>178
わっ!!
気が付かなかった。。。
非道い事いうね。
181 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 12:41
デカルトはわたしは「考える私」といった
これは今ある静的な存在である
ラカンは「私の欲望は他者の欲望であるといった」
欲望は継続される欲求であり、そこに動的な意味が込められている
私は「わたしは世界にコミュニケートすることにより作られつづける」といった
これはラカンの他者から世界への空間的拡張と進化論的時間の拡張したものと
考えることができる
ソヒアとSEXしたい
デリタにもどると
「私」の意味は、「私」という言語の引用可能性から考えることができるだろう
そして「私」という同じもの性を生み出すのは
「私」がコンテキストにゆる散種という多様性により
事後的に現れてくると考えられる
実はここにもコミュニケーション同一性を前提としていることがわかる
すなわち言語の多様性はコミュニケーション同一性をもつ「限りなく私である他者」がなければ成り立たない
「限りなく私」である他者との関係性のなかに私の同じものは現れる
私は他者との関係性により作られるということである
あー れっつごー ぴかぁー L・O・V・E LOVE LOVE ぴかぁー
DATTE やってらんないじゃん 年齢より オサンチックに
get you!loveloveモードじゃん 身も心もテツガクモノに なってみたいもん!
2chとか 哲学とか マジに夢中になれる年頃なの
今日も書き込みしたかったよ パパヤパヤ
議論のため 独り言のため それもいいけど忘れちゃいけないこと
あるんじゃない?!の!
胸がドキドキする 書き込み スレ見てる三十路前
ごく普通の それが日常 決してなくしたくない
DATTE 寝てらんないじゃん 早起きして 新着レスチェックでしょ
get you!loveloveモードじゃん それがなにより パワーの素でしょ?!
DATTE やってらんないじゃん 煽るよりなれ合いたい
get you!loveloveモードじゃん それが一番平和だ
なのにどうして 今日もこうして
スレ荒れまくる くる くる
そしてこれも私の「私とは」の中に含まれているのである
186 :
考える名無しさん:04/03/05 12:57
まだ独我論をやってるのか
私はソフィアとのSEXにより作られるということである
188 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 15:12
ここで再度
コミュニケーション同期性を考えると
これは言語を越えたところにあることがわかる
たとえば日本語圏の人と英語圏の人の間にもコミュニケーション同期性はある
なぜならこれがなければ
翻訳行為が行えないからである
すなわち言語はコミュニケーション同期性にもとにした
言語意味の同じもの性があってはじめて、異言語間の翻訳行為が可能になるのである
これは言語に先立つものであり
他者という限りなく私が言語以前に存在したことを表している
>他者という限りなく私が言語以前に存在したことを表している
言語語る前にとりあえず日本語だな
私が発見される前に他者は発見されていたのである
ここで再度ヘーゲルの人間と動物の欲望の違いにもどる必要があるだろう
すなわちへーゲルのいう動物とは他者を発見しか存在であり
人間とは他者に続き私を発見した存在と考えられる
しかし本当にそうだろうか
人以外の動物は他者の欲望を私の欲望とすることはないだろうか
これはフロイトの転移の可能性と考えることができるだろう
動物の間で転移は起こらないのか?
192 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 16:29
実際、最近の霊長類の生物学的研究ではボノボやオラウータンは自意識を持つと考えられている
これは言語に先立ち
コミュニケーション同期性と言語差異的な認識構造
及び知能や記憶力という物理的な性能の向上があれば
私を発見することは可能かもしれない
193 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 16:35
コジェーウ"はヘーゲルの解釈をポストモダン的に展開したことで知られる
その結果、ポストモダンにおいて人は「動物化」しているといった
これは東氏の「動物化するポストモダン」でも示されている
すなわち現代において物質的に満たされた生活の中で人はもはや
他者の欲望を欲望しなくなっているということである
194 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 16:45
このことを考えるためにはかつての「他者の欲望を欲望していた時代」を考えなければならない
「他者の欲望を欲望する」とはコミュニケーション同期性においては
フロイトの転移を想像すればよい
そしてラカンはまさにフロイト派である
ここでの他者の欲望とは
他者という記号のデノテーション的記号意味でなく、コノテーション的心象未理解を表し
それを人格消費する姿であることがわかる
すなわちこれは転移であるパロール的状況を表しているのである
195 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 16:48
わたしよりも幸せそうな他者の幸せな気持ち(コノテーション)に嫉妬する
他者より幸せな私の気持ち(コノテーション)を他者嫉妬されたい
ということである
196 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 16:52
このような転移は現前の他者により、すなわちパロール的世界において起こりやすいのである
それがなぜ現代において薄れて来て、動物化しているのか?
197 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 16:54
それはまさにエリクチュール時代への転換である
198 :
考える名無しさん:04/03/05 17:18
コミュニケートという自己生産 その2
「他者とはなにか?」
では「他者」とはなんだろうか。言語を獲得する以前
、進化上の人以前から、「私」は「他者」を認識することができた。こ
の場合の「他者」を認識するとは単なる認識ではなく、「私」と
「他者」は、密接なコミュニケートが可能であることを示しており、
これは遺伝子構造のほとんどが同じである同種であるというこ
とである。これをコミュニケーション同期性と呼ぶとことする。これ
は生命の種にとって根元的性質である。同種は生得的にコミュニケー
ション同期性を備えているのである。犬は、自分が犬であると認識してい
なくても、他の犬に対して、コミュニケーション同期性を持つのであり、
蜂は、自分が蜂であると認識していなくとも、他の蜂に対して、コミュニ
ケーション同期性を持つのである。
そしてこのコミュニケーション同期性において、他者とは「限
りなく私」であることがわかる。ラカンの「私の欲望は、
他者の欲望である。」がこのコミュニケーション同期性を前提に
していることは容易に想像できるだろう。すなわち「他者が限り
なく私であるから、私は他者の欲望を欲望できる。」ということであ
り、「もし他者が限りなく私でなければ、私は他者の欲望を欲望するこ
となどできない。」のである。
コミュニケートという自己生産
コミュニケーション同期性とは、
同種においては先天的に密接なコミュニケーショ
ンが可能であるということである。そして「コミュニケ
ーションとは、主体が主体の内部に起こった心象を客体の内
面(心象構造)に再現させよう(複写)しようとし、
客体が主体の内部に起こった心象を、客体の内面(心象構造)に
(複写)再現しようとする」こと、相互理解を深める行為、すな
わち心象構造の同期行為であると定義したい。
199 :
考える名無しさん:04/03/05 17:19
私の考えたこの
>>198の話はどうですか?
ぴかぁ〜さん、お答えください。
私も考えましたよ。
200 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/05 17:43
???
201 :
考える名無しさん:04/03/05 17:45
!!!
202 :
考える名無しさん:04/03/05 19:05
203 :
コック ◆K8EfEbyWG6 :04/03/05 19:21
217 :名無しのコレクター :04/02/12 12:11
>>203 ならばお前が新しい発想ってのをこの場で出してみな
最初にジャージカードが出たのはアッパーデックのNFLカード
真似するというのを否定するならばそれ以外のカードジャージカードは
たとえアッパーデックといえども真似は真似
今の世の中すべて真似で出来てるんだからカードの真似を否定する前に
この世の中を否定しな
藻前の頭の中を真っ先にしる
デザインの印象は人それぞれの感性
良い悪いを決め付けることではない
>>204 そんなステレオタイプな考え方BBMよりたち悪い
>>207 ひさのりと元木と誰か
さいとうかな
204 :
コック ◆K8EfEbyWG6 :04/03/05 19:22
104 :名無しは無慈悲な夜の女王 :03/12/28 22:18
面白いかどうかは別にして、機械たちの時間が一番映像化しやすいんじゃないか?
俺は実写でバグパックが大量投下されているシーンが見たいんだがあれは翻訳マシンの部分で難しいしな…
205 :
コック ◆K8EfEbyWG6 :04/03/05 19:24
社長、社長ってご機嫌とってんじゃねぇぞ
206 :
コック ◆K8EfEbyWG6 :04/03/05 19:34
昨日「沈黙の惑星」って本一気に読んでしまった。。。
その本では火星にはかつて水が存在し生物が存在したという。
そしてこの間のNASAによる発表。
207 :
コック ◆K8EfEbyWG6 :04/03/05 19:43
こんな歌がある
6月6日に雨ざんざん降ってきて〜(中略)〜あっというまに可愛いコックさん♪
つまりこの歌は、過去に火星に水があったことを予言していたんだよ!!
208 :
コック ◆NxEPbc3nWY :04/03/05 19:53
こんにちはこんちくしょー宮台先生。
いつもお世話になっております。
単刀直入にお尋ねしますが、この間の例の件はどうないましたか?
ご返事ください。後でじゃなくて今すぐください。
チッ、相変わらず人間やっているつもりか?
痴情に降りたばあちゃん
前衛ですね
211 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:40
コミュニケートという自己生産
「私とはなにか?」
「私とはなにか?」それは人はどのように「私」を「発見」したかという事につながるだろう。
言語獲得前の認識は、現前する「他者」という存在を心象として内的に現すことであった。
そして「他者」という記号に対する心象という意味は曖昧であった。そして言語獲得により、
「他者」という記号に対する意味は明確化される、そして「私」=自意識は「発見」された
のではないだろうか。
言語獲得による「発見」は以下の二つが考えられる。
一つ目。言語はその表現(シニフィアン)に対する意味(シニフィエ)を表現(シニフィアン)で
表すというパラドクス構造をもっている。たとえば「りんご」という表現(シニフィアン)の
意味(シニフィエ)は「赤く丸く甘い果物」という表現(シニフィアン)で表される。
そしてさらに「赤い、丸い、甘い、果物」という表現(シニフィアン)の意味(シニフィエ)は?・・・・
という無限循環システムであり、これは存在(言語)認識を存在(言語)認識するという、
内的な方向性をもつ。すなわち言語は自己(心象構造)を開拓する、
構造化する機能をもっているのである。
212 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:40
そして二つ目。言語を手に入れた時、「他者」という言語が現れたときに、
ソシュール的言語差異にとして「他者でないもの」としての「私」の言語表現(シニフィアン)が現れる。
そういう意味では「私」とは言語的に「無」と同じ構造である。「無」は「有」の言語的差異により生まれた。
存在(言語)である。ここに「無」はあるか?という言語的パラドクスが生まれる。
言語とは存在認識であり、世界を存在認識するということは、
世界のすべては言語化されなければならない。そこにある「認識の破れ」は
塞がれなければならないのである。それが「無」であり、「私」である。
すなわちこのようにして言語的、存在的「私」は「他者でないもの」、
すなわち他者との相対化された存在として現れるのである。
213 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:41
「私」という言語認識の破れ
「私」は「他者」の言語的差異として生まれたのであるが、事後的に「私」の
言語意味(シニフィエ)をつくりだすよう強制されるのである。
なぜなら言語化されないものは「存在しない」からである。これは「私」に関するパラドクスである。
「私」とは「他者でないもの」という「他者」の差異としての存在であるということ。
さらには言語は無限循環システムであり、ヴィトゲンシュタインが示した自己言及のパラドクス、
論理的不可能性を持っているのである。これは「私とはなにか?」には
言語的な答えがないと言うことである。
この言語的存在認識の破れをふさぐために、デカルトは「我思う故に我あり」、
すなわち「考える私」という言葉が考えたのであり、そしてつづく近代哲学の認識論の
一つの帰結が、独我論である。独我論とは、「私は世界である」ということであり、
言語化により埋められない「私」という「認識の破れ」を「世界」そのものでふさぐことを表す。
214 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:41
ラカンはこのような「私」のパラドクスから、ソシュールの言語差異へと回帰し、
「人の欲望は他者の欲望である。」という有名な精神分析に重要なテーゼを表した。
「私」は「他者でないもの」、他者と相対化された存在でしかない、
「私」は「他者でないもの」でしかないなら、他者が私であるという逆説的な帰結である。
すなわち「他者の欲望」という言葉により「私」という言語認識の破れを塞ごうとしたのである。
そしてこれは人の成長過程における自意識の獲得という現象により根拠付けされる。
215 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:42
しかしこれはなぜ「他者」でなく、「他者の欲望」なのだろうか。
ラカンのテーゼはコジェーヴを通じてのヘ−ゲル研究から導き出したと言われている。
ヘーゲルは、「自然の欲望(動物的欲望)が外的対象へと向かう。
例えば食欲は、その対象を食らい尽くす。それによって対象は消滅する。しかしそれと同時に、
欲望も消滅する。」のに対して、「人間的欲望は、持続する欲望である。
自分が相手から認められることを認める、という二重の構造を持つ。」とした。
すなわち、動物は、欲求し、満たす。一重構造であり、他者との関係性を持たないが、
人は、他者が欲求したことを、欲求する。あるいは私が欲求したことを、
他者も欲求することを望む。などの二重の構造を持つということである。
そこには、他者から見た私をみる私という構造がある。
「私」という認識の破れを塞ぐための「他者の欲望」とは、デカルトの「考える私」や、
独我論の「世界」という静的なものから、「他者から見続けられる」という能動性への
転換を表していると考えられる。
216 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:42
「他者とはなにか?」
では「他者」とはなんだろうか。言語を獲得する以前、進化上の人以前から、
「私」は「他者」を認識することができた。この場合の「他者」を認識するとは単なる認識ではなく、
「私」と「他者」は、密接なコミュニケートが可能であることを示しており、
これは遺伝子構造のほとんどが同じである同種であるということである。
これをコミュニケーション同期性と呼ぶとことする。これは生命の種にとって根元的性質である。
同種は生得的にコミュニケーション同期性を備えているのである。
犬は、自分が犬であると認識していなくても、他の犬に対して、コミュニケーション同期性を
持つのであり、蜂は、自分が蜂であると認識していなくとも、他の蜂に対して、
コミュニケーション同期性を持つのである。
そしてこのコミュニケーション同期性において、他者とは「限りなく私」であることがわかる。
ラカンの「私の欲望は、他者の欲望である。」がこのコミュニケーション同期性を
前提にしていることは容易に想像できるだろう。すなわち「他者が限りなく私であるから、
私は他者の欲望を欲望できる。」ということであり、「もし他者が限りなく私でなければ、
私は他者の欲望を欲望することなどできない。」のである。
217 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:43
コミュニケートという自己生産
コミュニケーション同期性とは、同種においては先天的に密接なコミュニケーションが
可能であるということである。そして「コミュニケーションとは、主体が主体の内部に起こった
心象を客体の内面(心象構造)に再現させよう(複写)しようとし、
客体が主体の内部に起こった心象を、客体の内面(心象構造)に
(複写)再現しようとする」こと、相互理解を深める行為、
すなわち心象構造の同期行為であると定義したい。
そしてここで「心象構造とは記憶である。記憶とは@先天的記憶、
A後天的文化記憶、B後天的個体記憶でできている。」
そしてコミュニケーション同期性は、記憶形成の時間長さから考えて
@先天的記憶(遺伝子情報)がほとんどを閉めている故に、同種において可能となる。
218 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:43
しかし私と他者の心象を完全に同期させることは不可能である。
「私と他者の間にはたえず未理解がある。そして心象構造の同期行為とは
このような私と他者の間の未理解を消費しつづける行為であり、
そして他者との未理解を消費することにより、私の心象構造は絶えず
書き換えつづけられるのである。すなわち私が絶えず生産されつづける行為である。」
ここで私と他者の間には差異を記号論的に二種類に分けて考える。
デノテーション的な記号(言語)意味の未理解とコノテーション的な心象的意味の未理解である。
そしてそれぞれを消費することを記号消費と人格消費と呼ぶ。
これらは独立したものでなく、コミュニケーションにより相補的に解消される。
コミュニケーションとは、私と他者が理解し合いたいという欲求を元にしているのであり、
私と他者との未理解を駆動力として、未理解を消費しようとして、反復されるのである。
219 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/05 20:44
そしてこれは他者だけではない。記号論、存在論的とコミュニケーションするとは、
世界を認識することであり、世界と心象同期化しようとすることである。
また「私とはなにか?」と問う時、「私とはなにか?」と問う私とそれにより
「意識された私」の間に絶えず未理解が生まれ、問う私はその未理解を消費しようと
しているのである。そして意識された私は問う私にとって差異を持つ「他者」なのである。
すなわちコミュニケートするとは、私自身を含めた世界と同期しようとしつづけることにより、
私が生産されていく行為である。これは、私とは世界へコミュニケートしつづけることに
よりつくられていると考えることができるのである。
220 :
考える名無しさん:04/03/05 20:49
私はソフィアとのSEXにより作られるということである
by ぴかぁ〜
気取る(けどる)という言葉がある。相手の動きや意図を察知することであるが
普段、だれでも相互に軽く気取りあっている(道ですれ違うとき相手の進行方向を察知するとか)が、
「気取る」とあえて表現するときは尋常でない鋭い察知力を意味することが多い。
やったー!! このスレどんどん沈んでく!!
225 :
考える名無しさん:04/03/06 13:23
184
わらた。やっぱり、びかぁ〜効果は、副作用がおもしろいね!!
あげるなー!!!
>>153-
>>226 中年禿げ親父に捨てられた豚女が
醜く付きまとい注意を引こうとする図
たくましい想像力ですね。。。
お大事に。。。
>>227 中年禿げ親父に捨てられた引きこもりが
醜く付きまとい注意を引こうとする図
コミュニケーションはラカンとデリダを乗り越え自己を生産しつづける・・・
「私とはなにか?」
「私とはなにか?」それは人はどのように「私」を「発見」したかという事につながる。
言語獲得前、認識とは現前する存在を内的に心象に現すことであり、曖昧であったのではないだろうか。
そして言語を手に入れた時、存在はより明確に認識されるようになった。
言語が私の認識を大きく変えたと思われる。言語はその表現(シニフィアン)に対する
意味(シニフィエ)を表現(シニフィアン)で表すというパラドクス構造をもっている。
たとえば「りんご」という表現(シニフィアン)の意味(シニフィエ)は「赤く丸く甘い果物」
という表現(シニフィアン)で表される。そしてさらに「赤い、丸い、甘い、果物」という
表現(シニフィアン)の意味(シニフィエ)は?・・・・という無限循環システムであり、
これは存在(言語)認識を存在(言語)認識するという、内的な方向性をもつ。
すなわち言語は自己の内部を開拓する、構造化する機能をもっているのである。
そして言語はソシュール的言語差異として体系されているのである。動物においても、
「他者」を認識することができ、人だけが「私」を自己認識できるのならば、
このような言語認識能力の発達の中で、「私」という言葉は、「他者」の言語差異であり、
「他者でないもの」、他者との相対化された存在として現れたのではないだろうか。
「私」という言語認識の破れ
それはたとえば「無」と同じ構造である。「無」は「有」の言語的差異により生まれた。
これは言語は存在認識であり、世界を存在認識するということは、世界のすべては
言語化されなければならないということである。ここで「無は有るか?」という
言語的パラドクスが生まれる。そこにある「認識の破れ」=「有」でない存在は
塞がれなければならないのである。そして「私」も同じような「認識の破れ」=「他者」でない
存在という構造をもっている。
「私」は「他者」の言語的差異として生まれ、事後的に「認識の破れ」の言語意味(シニフィエ)を
つくりだすよう強制されるのである。なぜなら言語化されないものは「存在しない」からである。
しかし言語は無限循環システムであり、ヴィトゲンシュタインが示した自己言及のパラドクス、
論理的不可能性を持っているのである。これは「私とはなにか?」には言語的な答えがないと
言うことである。
哲学はこのような「認識の破れ」を破れをふさぐために思考された。デカルトは「我思う故に我あり」、
すなわち「考える私」という言葉が考えたのであり、そしてつづく近代哲学の認識論の一つの帰結が、
独我論である。独我論とは、「私は世界である」ということであり、言語化により埋められない
「私」という「認識の破れ」を「世界」そのものでふさぐことを表す。
「他者とはなにか?」
では「私」に先立ち認識された「他者」とはなんだろうか。言語を獲得する以前、
進化上の人以前から、「私」は「他者」を認識することができた。
この場合の「他者」を認識するとは単なる認識ではなく、「私」と「他者」は、
密接なコミュニケートが可能であることを示しており、これは遺伝子構造のほとんどが
同じである同種であるということである。これをコミュニケーション同期性と呼ぶとことする。
これは生命の種にとって根元的性質である。同種は生得的にコミュニケーション同期性を
備えているのである。犬は、自分が犬であると認識していなくても、他の犬に対して、
コミュニケーション同期性を持つのであり、蜂は、自分が蜂であると認識していなくとも、
他の蜂に対して、コミュニケーション同期性を持つのである。
ラカンによる「対象a」という不可能性
ラカンはこのような「私」のパラドクスから、ソシュールの言語差異へと回帰し、
「人の欲望は他者の欲望である。」という有名なテーゼを表した。「私」は「他者でないもの」、
他者と相対化された存在でしかない、「私」は「他者でないもの」でしかないなら、
他者が私であるという逆説的な帰結である。すなわち「他者の欲望」という言葉により
「私」という言語認識の破れを塞ごうとしたのである。そしてこれは人の成長過程におけ
る自意識の獲得という現象により根拠付けされる。
しかしなぜラカンは「他者」でなく、「他者の欲望」といったのだろうか。ラカンのテーゼは
コジェーヴを通じてのヘ−ゲル研究から導き出されたと言われている。ヘーゲルは、
「自然の欲望(動物的欲望)が外的対象へと向かう。例えば食欲は、その対象を食らい尽くす。
それによって対象は消滅する。しかしそれと同時に、欲望も消滅する。」のに対して、
「人間的欲望は、持続する欲望である。自分が相手から認められることを認める、
という二重の構造を持つ。」とした。すなわち、動物は、欲求し、満たす。一重構造であり、
他者との関係性を持たないが、人は、他者が欲求したことを、欲求する。あるいは私が
欲求したことを、他者も欲求することを望む。などの二重の構造を持つということである。
そこには、他者から見た私をみる私という構造がある。
ラカンが示したのは、「私」は「他者から見られていること」により私たり得るということを示しており、
そして私を見ている他者の理想型(大文字の他者)=「対象a」を想定した。
ここには「私」は「対象a」から見られることが不可能であり、「私はだれか?」はわかり得ないという、
「私」という認識の破れを塞ぐことの不可能性を示している。
ラカンが「私の欲望は、他者の欲望である。」というときには、コミュニケーション同期性を前提に
している。このコミュニケーション同期性において、他者とは「限りなく私」であることがわかる。
すなわち「他者が限りなく私であるから、私は他者の欲望を欲望できる。」ということであり、
「もし他者が限りなく私でなければ、私は他者の欲望を欲望することなどできない。」のである。
そして他者の理想型(大文字の他者)=「対象a」の不可能性は他者は限りなく私であるが、
それは私そのものには成り得ないという不可能性である。
デリダの偽造可能性という不可能性
デリタは署名について言及し、署名の同一性は、署名が引用可能性により連署されることに
よって支えられる。しかしここには必ず偽造可能性がある。すなわち署名の同一性は、
引用可能性による偽造可能性で構成されている。としている。
実はこれもコミュニケーション同期性を前提としている。署名とは私と他者との契約である。
そして契約とは他者が、コミュニケーション同一性をもつ「限りなく私である他者」であることを
大前提としている。この署名を「私」に置き換えて考えてみると、「私」の同一性は、
様々なコンテクスト上で「他者たち」によって認識される多様な「私」によって支えられて
いるのであり、しかしここには偽造可能性、すなわち「他者たち」に「私」が見間違われる
可能性をあるということである。これは「他者たち」が見間違える可能性があるために、
「私」の同一性は保証されないのである。
ラカンとデリダの不可能性の違い
「私」という認識の破れを塞ぐことの不可能性について、ラカンとデリダを比較すると、
・ラカン・・・・・私は、私が「大文字の他者が見ていると思う私」である。そして大文字
の他者(単一の他者)は存在しないという不可能性。
・デリダ・・・・・私は、私が「他者たちが見ているとと思う私」である。そして複数の他者の
繰り返しの中の失敗可能性という不可能性。
これはラカンが他者の理想型(大文字の他者)=「対象a」に達し得ないという静的な
不可能性に対して、デリダの示した不可能性は、動的な、回数による失敗の可能性に
よる不可能性である。
コミュニケーションという自己生産
コミュニケーション同期性とは、同種においては先天的に密接なコミュニケーションが可能で
あるということである。そして「コミュニケーションとは、主体が主体の内部に起こった
心象を客体の内面(心象構造)に再現させよう(複写)しようとし、客体が主体の内部に
起こった心象を、客体の内面(心象構造)に(複写)再現しようとする」こと、
相互理解を深める行為、すなわち心象構造の同期行為である」と定義したい。
そしてここで「心象構造とは記憶である。記憶とは@先天的記憶、A後天的文化記憶、
B後天的個体記憶でできている。」そしてコミュニケーション同期性は、記憶形成の時間長さから
考えて@先天的記憶(遺伝子情報)がほとんどを閉めている故に、同種において可能となる。
しかし私と他者の心象を完全に同期させることは不可能である。「私と他者の間にはたえず
未理解がある。そして心象構造の同期行為とはこのような私と他者の間の未理解を
消費しつづける行為であり、そして他者との未理解を消費することにより、
私の心象構造は絶えず書き換えつづけられるのである。すなわち私が絶えず生産され
つづける行為である。」
ここで私と他者の間には差異を記号論的に二種類に分けて考える。「デノテーション的な
記号(言語)意味の未理解とコノテーション的な心象的意味の未理解である。
そしてそれぞれを消費することを記号消費と人格消費と呼ぶ。」これらは独立したものでなく、
コミュニケーションにより相補的に解消される。コミュニケーションとは、私と他者が理解し合いたいと
いう欲求を元にしているのであり、私と他者との未理解を駆動力として、未理解を消費しようとして、
反復されるのである。
そしてこれは他者だけではない。記号論、存在論的とコミュニケーションするとは、
世界を認識することであり、世界と心象同期化しようとすることである。また「私とはなにか?」と
問う時、「私とはなにか?」と問う私とそれにより「意識された私」の間に絶えず未理解が生まれ、
問う私はその未理解を消費しようとしているのである。そして意識された私は問う私にとって
差異を持つ「他者」なのである。
すなわちコミュニケートするとは、私自身を含めた世界と同期しようとしつづけることにより、
私が生産されていく行為である。これは、私とは世界へコミュニケートしつづけることにより
つくられていると考えることができるのである。
コミュニケーションはラカンとデリダを乗り越える
私とは世界へコミュニケートしつづけることによりつくられているということは、私は「世界との同期の
継続性による変化」である。ここではコミュニケーション同期性における時間的継続(拡張)は
進化論へ拡張される。そして記号論の世界は記号でできているという
空間的継続(拡張)を示している。
ラカンの絶対的単一他者による不可能性は、デリダと同じ他者の複数性によって乗り越えられる。
そしてデリダの不可能性において、失敗は無限の継続性(進化時間と地球空間を
継続性)とによって失敗可能性を確率の問題へ転換し、より確実なものとすることである。
これは生命力と言われる力であるとも取ることができる。
我々には、言葉に収まりきれない余剰が溢れているのである。
244 :
考える(-_-)さん:04/03/06 15:05
おーと・ぽいえーしす?
キャハハハ!!!!!
同じ所を懲りもせずぐるぐる回ってるだけの人発見〜!!!
目を回さないでください。
それではお大事に〜。。。
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V`Д´)/ ←
>>245 (_フ彡 /
247 :
考える名無しさん:04/03/06 17:43
>同じ所を懲りもせずぐるぐる回ってるだけの人
ぴか&ソヒ
結論恐怖症なのかな
輪廻転生
250 :
考える名無しさん:04/03/06 20:31
ぴかとソヒさぁ〜
別の板でさぁ〜
お互いの共通する議題でさぁ〜
完全決着すればぁ〜
どちらかの精神が破壊されるまでぇ〜
コミュニケーションは言語を乗り越える
私は世界へコミュニケートしつづけることによりつくられているといった。
これは私は「世界との同期の継続性による変化」である。そしてこれはコミュニーションの無限性を表す。
コミュニケーション同期性は時間を進化へ拡張し、そして記号論は世界は記号でできていると
空間を世界へと拡張するのである。このようなコミュニケーションの無限性は、
ラカンの「自己の起源という他者」の不在を進化論的起源により補完する。
そしてデリダの「繰り返しの失敗性」を確率論へ転換する。それは科学的なDNA判定による
限りなく100%に近い私の同一性といっても良いのかもしれない。
しかしこれらは科学知識による補完ではない。科学的知識は、今現在のコミュニケーションの能動性、
すなわち私が生きると言うことに対する事後的な「発見」でしかない。
私には言語を越え世界へコミュニケートしつづける力があるということであり、
「私」とう言語認識上の破れはコミュニケートしつづける力により埋められていると
いうことではないだろうか。
更新しました。
溢るる余剰@はてなD
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/
DNA
NO
WAVE
BLONDE
REDHEAD
PASOLINIs
120
DAYS
OF
SODOM
253 :
考える名無しさん:04/03/06 22:01
何が「更新しました」だ。このウスラトンカチ。
お前みたいなのは、交信してればいいんだよアフォフォフォが。
しかしDNAでさえ引用されているという事実はある。
「私」が生きにくい時代ですね。
255 :
考える名無しさん:04/03/06 22:03
257 :
考える名無しさん:04/03/06 22:06
交信中か
私は世界へコミュニケートしつづけることによりつくられているといった。
これはそもそも言語を考えればわかる。なぜ他者と言語によるコミュニケーションは可能なのか。
言語とは、コミュニケーション同期性を元にしている構築されているのである。
すなわち言語とはコミュニケーション同期性そのものと言える。
私たちは限りなく同じであるもの達である。
これは「私」という「認識の破れ」そのものが、コミュニケーション同期性によって支えられているのである。
限りなく同じであるもの達が「認識の破れ」を共有している。不完全性を共有するものたち。
これがコミュニケーションの駆動力である。互いに補完し合うことがコミュニケーションの根元である。
不完全性、それは「私という欠乏感」であり、「虐殺への倒錯の性」であり、「狂った本能」、「欲望」である。
言語により「不完全性を共有したものたち」。それが動物でない、人である。
コミュニケーションは言語を乗り越える
私は世界へコミュニケートしつづけることによりつくられているといった。
これは私は「世界との同期の継続性による変化」である。完全をめざして、
世界と同期し変化しつづける。ここには@先天的記憶=遺伝子と
A後天的文化記憶=言語の対立の構図がある。人はその狭間で苦悩するのである。
ラカンの「自己の起源という他者」の不在も、@先天的記憶=遺伝子という
進化論的起源により補完することはできる。そしてデリダの「繰り返しの失敗性」も
同様に@先天的記憶=遺伝子へ拡張することにより、それはたとえばDNAによる
100%に近い私の同一性として補完することができる。
これらは科学知識による補完ではない。科学的知識は、
@先天的記憶=遺伝子の事後的な「発見」でしかない。
しかしだからといって、いまさらA後天的文化記憶=言語を放棄し、
@先天的記憶=遺伝子へ回帰することなどできない。
私は世界へコミュニケートしつづけ、「私」という言語認識上の破れを
埋めつづけるしか道はないのであろう。
そしてそうしているのであり、それは我々が限りなく同じであり、
不完全性さえ共有しあえるからではないだろうか
「私とは何か」という「問い」は「究極の問い」ではない。「究極の問い」が
何であるかはまだ提出するには早すぎるのだが・・・
>260
あの、この人はもう自分の中で完結しちゃってるので、わかんないと思う。
この人はもう終わっちゃった人なのです。
お前の肉便器としての人生はこれからだ。
263 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:52
コミュニケーションは言語を乗り越える その1
「私とはなにか?」
「私とはなにか?」それは人はどのように「私」を「発見」したかという事につながる。
言語獲得前、認識とは現前する存在を内的に心象に現すことであり、
曖昧であったのではないだろうか。そして言語獲得することによって、
存在をより構造的に、明確に認識することが可能になった。
言語はその表現(シニフィアン)に対する意味(シニフィエ)を表現(シニフィアン)で表す
というパラドクス構造をもっている。たとえば「りんご」という表現(シニフィアン)の
意味(シニフィエ)は「赤く丸く甘い果物」という表現(シニフィアン)で表される。
そしてさらに「赤い、丸い、甘い、果物」という表現(シニフィアン)の意味(シニフィエ)は?・・・・
という無限循環システムであり、これは存在(言語)認識を存在(言語)認識するという、
内的な方向性をもつ。すなわち言語は自己の内部を開拓する、構造化する機能をもっているのである。
264 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:53
「他者」を認識することは動物でもできるが、「私」を自己認識できるのが人だけだとすれば、
このような言語認識能力の発達の中で、ソシュール的言語差異の体系として、
「私」という言葉は、「他者」の言語的差異、「他者でないもの」、「他者」との相対化された
存在として現れたのではないだろうか。
265 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:54
「私」という言語認識の破れ
言語的「私」は「無」と似たような構造である。言語は存在認識であり、世界を存在認識する
ということは、世界のすべては言語化されなければならないということである。
「無」は「有」の言語的差異により生まれた。しかし同時に「無は有るか?」という
言語的パラドクスを生む。「無」は「認識の破れ」である。「有」でない存在は塞がれな
ければならないが、「無」はなんであるか答えることはできない。そして「他者」でない存在=「私」も
同じような「認識の破れ」である。
266 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:55
「私」は「他者」の言語的差異として生まれ、事後的に言語意味(シニフィエ)をつくりだす
よう強制されるのである。なぜなら言語化されないものは「存在しない」からである。
しかし言語は無限循環システムであり、ヴィトゲンシュタインが示した自己言及のパラドクス、
論理的不可能性を持っているのである。これは「私とはなにか?」には言語的に
答えられないと言うことである。
哲学はこのような「認識の破れ」を破れをふさぐために思考された。デカルトは
「我思う故に我あり」、すなわち「私」=「考える私」という言葉が考えたが、
では考える「私」とはなにか?という「認識の破れ」を生む。そしてデカルトのコギト的
「認識の破れ」を思考し続けた近代哲学一つの帰結が、独我論である。独我論とは、
「私は世界である」ということである。「私」という塞ぐことができない「認識の破れ」が
「世界」そのものが飲み込んだのである。
267 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:56
「他者とはなにか?」
「私」に先立ち認識された「他者」とはなんだろうか。言語を獲得する以前、
進化上の人以前から、「私」は「他者」を認識することができた。しかしこの場合の
「他者」を認識するとは単なる認識ではない。世界の中での「他者」の特異性は、
密接なコミュニケートが可能ということである。これは遺伝子構造がほとんどが同じである
生物学的な同種同科であるということである。このような「他者」の存在を
コミュニケーション同期性のある存在とする。これは生命の種にとって根元的性質でないだろうか。
同種は生得的にコミュニケーション同期性を備えているのである。
犬は、自分が犬であると認識していなくても、他の犬に対して、
コミュニケーション同期性を持つのであり、蜂は、自分が蜂であると認識していなくとも、
他の蜂に対して、コミュニケーション同期性を持つのである。
268 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:57
コミュニケーションという自己生産
「他者」とは、コミュニケーション同期性という、同種においては先天的に密接な
コミュニケーションが可能である存在である。そして「コミュニケーションとは、
主体が主体の内部に起こった心象を客体の内面(心象構造)に再現させよう(複写)しようとし、
客体が主体の内部に起こった心象を、客体の内面(心象構造)に(複写)再現しようとする」こと、
相互理解を深める行為、すなわち心象構造の同期行為である」と定義したい。
そしてここで「心象構造とは記憶である。記憶とは@先天的記憶、A後天的文化記憶、
B後天的個体記憶でできている。」そしてコミュニケーション同期性は、
記憶形成の時間長さから考えて@先天的記憶(遺伝子情報)がほとんどを閉めている故に、
同種において可能となる。
269 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:58
しかし私と他者の心象を完全に同期させることは不可能である。
「私と他者の間にはたえず未理解がある。そして心象構造の同期行為とは
このような私と他者の間の未理解を消費しつづける行為であり、
そして他者との未理解を消費することにより、
私の心象構造は絶えず書き換えつづけられるのである。
すなわちコミュニケーションとは私を絶えず再生産されつづける行為である。」
ここで私と他者の間の差異を、記号論的に二種類に分けて考える。
「デノテーション的な記号(言語)意味の未理解とコノテーション的な
心象的意味の未理解である。そしてそれぞれを消費することを記号消費と人格消費と呼ぶ。」
これらは独立したものでなく、コミュニケーションにより相補的に解消される。
コミュニケーションは私と他者との未理解を駆動力として、未理解を消費しようとして、
反復されるのである。
270 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 19:58
しかし記号論的にいえば、コミュニケーションの対象は他者だけではない。
記号論、存在論的にコミュニケーションするとは、世界を認識することであり、
世界と心象同期化しようとすることである。さらに私が「私とはなにか?」と
私に問う時にも、「私とはなにか?」と問う私とそれにより「意識された私」の間に
絶えず未理解が生まれる。問う私はその未理解を消費しようとしているのである。
そして意識された私は問う私にとって差異を持つ「他者」なのである。
すなわち私は世界とコミュニケートションしつづけることによりつくられていると考えることができる。
>密接なコミュニケートが可能ということである
コミュニケートは動詞、名詞として使うならコミュニケーションじゃん。
>認識の破れ
お前の頭の中がビリビリに破れちゃってるだけなんだよ!!
はー、、、ついつい突っ込みを入れてしまいました。
272 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:01
不完全性を共有するものたち
私は世界へコミュニケートしつづけることによりつくられている。
しかしこれは生物学的帰結ではないのか?犬も、蜂も、世界へのコミュニケートしつづける
ことによりつくられているではないか。
273 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:01
これは記憶能力の問題になるかもしれない。コミュニケーションとは心象構造の同期行為である。
心象構造がこれら3つ、@先天的記憶、A後天的文化記憶、B後天的個体記憶に
分類できるとすれば、たとえば、犬、蜂、人は、@先天的記憶に対するA後天的文化記憶、
B後天的個体記憶の割合が異なる。当然、人>犬>蜂である。
人は物理的な脳の構造からより多くのB後天的個体記憶を持つことができる。
そして言語により人と記録媒体との間でA後天的文化記憶を
INPUT、OUTPUTを可能としたのである。
さらにはそもそも言語が、A後天的文化記憶である。
言語は@先天的記憶によるコミュニケーション同期性をもとにしたA後天的文化記憶である。
そして動物と人との大きな違いは、A後天的文化記憶にあると言えるだろう。
記録され、より正確に伝達されるという言語獲得により、重厚なA後天的文化記憶を獲得した。
そこに動物ではない「不完全性を共有するものたち」としての人の苦悩がある。
274 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:03
ラカンによる「対象a」という不可能性
ラカンは「私」という「認識の破れ」に対して、ソシュールの言語差異へと回帰し、
「人の欲望は他者の欲望である。」という有名なテーゼを表した。
「私」は「他者でないもの」、他者と相対化された存在でしかない、
「私」は「他者でないもの」でしかないなら、他者が私であるという逆説的な帰結である。
すなわち「他者の欲望」という言葉により「私」という言語認識の破れを塞ごうとしたのである。
そしてこれは人の成長過程における自意識の獲得という現象により根拠付けされる。
275 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:03
しかしなぜ「私は他者」でなく、「他者の欲望」なのだろう。
ラカンのテーゼはコジェーヴを通じてのヘ−ゲル研究から導き出されたと言われている。
ヘーゲルは、「自然の欲望(動物的欲望)が外的対象へと向かう。
例えば食欲は、その対象を食らい尽くす。それによって対象は消滅する。
しかしそれと同時に、欲望も消滅する。」のに対して、「人間的欲望は、持続する欲望である。
自分が相手から認められることを認める、という二重の構造を持つ。」とした。
すなわち、動物は、欲求し、満たす。一重構造であり、他者との関係性を持たないが、
人は、他者が欲求したことを、欲求する。あるいは私が欲求したことを、他者も欲求することを望む。
などの二重の構造を持つということである。
そこには、他者から見た私をみる私という構造がある。
276 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:04
ラカンが示したのは、「私」は他者から見られていることにより私たり得るということを示している。
しかし私が望む他者とは「大文字の他者Autre」=「対象a」なのであり、
それは自己の起源にありすでに失われたのである。
このためにもはや「私」という認識の破れを塞ぐことは不可能なのである。
ラカンが「私の欲望は、他者の欲望である。」と言うときにも、
コミュニケーション同期性は前提とされている。
コミュニケーション同期性において、他者とは「限りなく私」である。
すなわち「他者が限りなく私であるから、私は他者の欲望を欲望できる。」ということであり、
「もし他者が「限りなく私」でなければ、私は他者の欲望を欲望することなどできない。」のである。
しかし「大文字の他者Autre」=「対象a」とは、「限りなく私」ではなく、「私そのもの」である。
それは私は「私そのもの」に見られることはできないのである。
277 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:05
デリダの偽造可能性という不可能性
デリタは署名について言及し、署名の同一性は、署名が引用可能性により
連署されることによって支えられる。しかしここには必ず偽造可能性がある。
すなわち署名の同一性は、引用可能性による偽造可能性で構成されている。としている。
これもコミュニケーション同期性を前提としている。署名とは私と他者との契約である。
そして契約においてはコミュニケーション同一性をもつ「限りなく私」である他者を大前提としている。
この署名を「私」に置き換えて考えてみると、「私」の同一性は、様々なコンテクスト(状況)上で
複数の「他者」によって認識される多様な「私」によって支えられているのであるが、
ここには偽造可能性がある。
複数の「他者」に認識される中には偽造された「私」が含まれる、(間違われる)可能性が
あるということである。このために「私」の同一性は保証されないのである。
278 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:06
ラカンとデリダの不可能性の違い
「私」という「認識の破れ」を塞ぐことの不可能性について、ラカンとデリダを比較すると、
ラカンの不可能性・・・・・私は、「大文字の他者Autreに見られている私」である。
しかし(単一の他者)大文字の他者Autreはもはや存在しないのである。
デリダの不可能性・・・・・私は、「他者たちに見みられている私」である。
しかし複数の他者に見られる繰り返しの中で間違われる。
ラカンが単一の「絶対的」他者を前提とした静的な不可能性に対して、デリダの示した不可能性は、
繰り返しされる失敗という動的な不可能性である。
そしてデリダはこのような「絶対的な」他者をその引用可能性により否定するのである。
279 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:07
コミュニケーションは言語を乗り越える
私は世界へコミュニケートしつづけることによりつくられているといった。
これは私は「世界との同期の継続性による変化」である。完全をめざして、
世界と同期し変化しつづける。ここには@先天的記憶=遺伝子と
A後天的文化記憶=言語の対立の構図がある。人はその狭間で苦悩するのである。
280 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/07 20:08
ラカンの「自己の起源という他者」の不在も、@先天的記憶=遺伝子という
進化論的起源により補完することはできる。
そしてデリダの「繰り返しの失敗性」も同様に@先天的記憶=遺伝子へ拡張することにより、
それはたとえばDNAによる100%に近い私の同一性として補完することができる。
これらは科学知識による補完ではない。
科学的知識は、@先天的記憶=遺伝子の事後的な「発見」でしかない。
しかしだからといって、いまさらA後天的文化記憶=言語を放棄し、
@先天的記憶=遺伝子へ回帰することなどできない。
そしてA後天的文化記憶=言語は、@先天的記憶=遺伝子をもとにしているのである。
だから私は世界へコミュニケートしつづけ、「私」という言語認識上の破れを
埋めつづけるしか道はないのであろう。
そして現にそうしているのであり、それは我々が限りなく同じであり、
不完全性さえ共有しあえるからではないだろうか。
言ってる事からかけ離れたキャッチコピー多すぎ。
ひきつづき 夫婦哲学漫才を お楽しみください
そもそも、コミュニケーションの本来的な機能、何を何のために伝えるのか?
素朴なレベルから検討する必要があるだろう。
アニミズム、シャーマニズムにおいては、草木や石、山、川、人形、その他様々な自然物とコミュニケートできる
と考えられてきた。
コミュニケーションの相互性を考えて見る。片方のコミュニケートする力が弱くとも
もう片方が強い送受能力があれば十分に成立する。火星探査機の電波が微弱でも地上基地の
受信能力が高ければ良いのだ。
ことりはとってもうたがすきー
かーさんよぶのもうたでよぶー
ぴぴぴぴぴーぴぴぴぴぴーぴーちくぴー
うーん
288 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 00:36
<他者の欲望(人格消費)から記号消費へ>
>私は世界へコミュニケートしつづけ、「私」という言語認識上の破れを埋めつづける
>しか道はないのであろう。
>そして現にそうしているのであり、それは我々が限りなく同じであり、
>不完全性さえ共有しあえるからではないだろうか。
289 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 00:37
ここで人類史を、「私」という言語認識上の破れを埋めるために世界へコミュニケートし
つづけもの達の歴史として以下のように分類したい。
-言語獲得前
-パロール(会話)時代 前期近代以前
-エクリチュール(書かれたもの)時代 後期近代、ポストモダン
-パロ-リチュール(文字会話) 情報化社会、ネットスペース
ここでいうパロール/エクリチュールの対比はデリダの示した概念的な
パロール(音声言語)/エクリチュール(文字言語)の対比をもとにしている。
そしてパロ-リチュール(文字会話)とは私が作った造語であり、ネットスペースでの文字会話、
たとえばメールや2ちゃんねるのような掲示板などを示している。
290 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 00:37
@パロール(会話)的世界
パロール(会話)的世界をもっとも的確に指摘したのがラカンであろう。
ラカンの「人の欲望は他者の欲望である。」は、コジェーヴのヘーゲル解釈から
導き出されたものと言われている。コジェーヴ自体はむしろポストモダン的な現象として
人が動物化しているという指摘であった。
ラカンが示したのは、動物化する前の、動物が言語獲得後に人間になった姿を指摘している。
これは私の解釈では、ラカンの指摘した他者の欲望を欲望する「人間」とは、
パロール(会話)的世界を表し、コジェーヴの指摘した「動物化」とは、
エクリチュール(書かれたもの)的世界を表している。
291 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 00:38
ここにいうエクリチュール(書かれたもの)的世界とは、デリダのいうエクリチュールの
引用可能性を表し、エクリチュール(書かれたもの)的世界とは
この引用可能性が複写可能性への展開された時代であり、マスメディア時代と言うことができる。
パロールとは、会話=現前の他者とのコミュニケーションであり、
言語における記号未理解を消費(記号消費)とともに、
積極的に心象未理解を消費(人格消費)する状況を表す。
そしてラカンがパロール(会話)的世界をもっとも的確に指摘し得たのは、
ある種当然である。ラカンは精神分析家であり、精神病患者に対する現前する他者であったのであり、
転移される位置に立っていた。
これはパロールを仕事にし、さらには記号未理解よりも心象未理解を積極的に消費しようとしたのであり、
人格消費を仕事にしていたのである。
では、ラカンの示した世界観=パロール(会話)的世界を考えてみる。
つづく・・・
>>288-
>>291 完全にラリってますね。現代思想の本を買ってみたけど難しくて解らなかった、
ということがいいたいのですね。
293 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 01:27
続きをはじめようかと思います。
まってました 大統領
おおっと、間違えた。
現代思想が解ってしまうとは(w
それが分かってしまうほどの天才だからですね。
299 :
考える名無しさん:04/03/08 02:08
お気の毒
300ゲット
301ゲット
>完全にラリってますね。現代思想の本を買ってみたけど難しくて解らなかった、
>ということがいいたいのですね。
正論ですね。!!
「未理解において消費すること。」当のものを真に(人間的なものとして)理解することなく
征服・領有・支配・生産・消費・廃棄のうちに費やしていくこと。
例えば奴隷や開拓時代のインディアンなど。それらは道具、獲物、商品、野蛮人、低脳として
扱われた。
303 :
考える名無しさん:04/03/08 09:18
>>276 なんで「大文字の他者」=「対象a」なのよ? 違うでしょ?
ひとは「対象a」を欲望しているが、それを実現することが
できず、「大文字の他者」に従って「語ること」「行うこと」が
できるだけなのでしょ。「対象a」への不可能な欲望は、挫折せざるを
得ず、「大文字の他者」において昇華する以外にないということでしょう。
>>「私」は「他者」の言語的差異として生まれ、事後的に言語意味(シニフィエ)をつくりだす
>>よう強制されるのである。なぜなら言語化されないものは「存在しない」からである。
>>しかし言語は無限循環システムであり、ヴィトゲンシュタインが示した自己言及のパラドクス、
>>論理的不可能性を持っているのである。これは「私とはなにか?」には言語的に
>>答えられないと言うことである。
貴方の解釈では「私とはなにか?」は言語的に答えられる筈でしょう?
自己言及パラドックスに賛成して貴方は言語は論理不可能性を持ってるって書いてるじゃないですか。
どこかの参考書でも読んで、適当に貼ってるとしか思えん。探せばもっと矛盾してる
事を書いてるだろうな。ぴかぁ〜自身の言葉は少なく矛盾してる要素が多いに有り得るな
ぴかぁ〜自身を確かめる為にそんな面倒な事誰もしないだろうがw
305 :
考える名無しさん:04/03/08 19:22
_,. -‐ '' " ",. ̄'' ̄` ''‐、
,.-' ,r'' _,,.. - 、 ` 、
,.r'/// / ,.-' `' 、. \
/ / / ,r' ,r' ,rfn、 \ '、
/ ///// ,' ,' ,rffn. '" 、 ヽ,;',
∬i i i ,.ァ .i '" 、 ,ri●.ヽ. ',;;',,
Ui ,.r '" |. { ,ri●.ヽ ハ _. ;;;,
|i.,.r' | ! ,.. _,,.. -‐' _,..r' i;;.i
|,' ', ', " 、., __ ,..,,yyf;;'゙ミミ} | .|
| ',, ``、 ヾミミミミミミミミミミ;;! } .}
', ', '、 ヾミミミミミミミ;ツ ! .|
'、 `、、 \ `ヾミミミ彡 ,'; .!
`、 '、、 ' 、 / .,'
'、'-..,,_____ ___`、、 `''=-;.. ..,, ,.. r'' ./
\ ヾヾヾヾヾ \ """" /
` 、 、、、、、、、、 ``- ..,,,,,,_ ,,_,.r'゙
`' - .,,_ _,. - ''"
`"'' '' '' ""
306 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:30
「存在論的、郵便的」記号コミュニケーション史(草案)その1
本内容は「存在論的、郵便的」東浩紀に多くをよっている。
<「存在論的、郵便的」記号コミュニケーション史>
>だから私が私であるためには、世界とコミュニケーションしつづけ、
>「私」という「言語認識上の破れ」を埋めつづけるしか道はないのであろう。
>そして現にそうしているのであり、それは我々が限りなく同じであり、
>不完全性さえ共有しあえるからではないだろうか。
307 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:30
ここで人類史を、「私という言語認識上の破れを埋めるために世界へ
コミュニケートしつづけもの達」の歴史として以下のように分類したい。
-言語獲得前
-パロール(会話)時代 (言語獲得〜前期近代)
-エクリチュール(書かれたもの)時代 (前期近代〜ポストモダン)
-パロ-リチュール(文字会話) (ポストモダン〜現代、ネットスペース〜)
ここでいうパロール/エクリチュールの対比はデリダの示した
概念的なパロール(音声言語)/エクリチュール(文字言語)の対比をもとにしている。
そしてパロ-リチュール(文字会話)とは私が作った造語であり、ネットスペースでの文字会話、
たとえばメールや2ちゃんねるのような掲示板などを示している。
308 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:31
<なぜ人は集団化するのか。>
>私たちがジジェクに対して一貫して批判的であるのは、固有名の剰余、イデオロギーの逆説的魅力を
>すべて主体のアンチノミーに帰着させるその議論が、実践的には否定神学的共同体への批判を
>不可能にする装置そのものだと思われたからである。(存在論的、郵便的 東浩紀)
ここで東氏はそれを主体のアンチノミーに帰属することを批判している。
私が示した「私という言語認識上の破れを埋めるために世界へコミュニケートしつづけもの達」と
いうのは、まさにその主体のアンチノミーへ帰属することを示している。
これは否定しデリダ的不可能性へ帰結する可能だろうか。「確率的誤配可能性」が
イデオロギー装置の駆動力であるのか。
さらに「否定神学的共同体への批判を不可能にする」と言う考えが否定神学的ではないだろうか。
私は主体のアンチノミーを原動力としても批判は可能であると考えたい。
309 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:31
「存在論的、郵便的」記号コミュニケーション史(草案)その2
<パロール(会話)時代 (言語獲得〜前期近代)>
原始集団(村社会)
人格消費を中心に集団を形成する。ここで他者とは、パロール的な現前の他者であり、
「顔見知り」である。集団の中で人格消費しあうことにより、
言語のゲーテル的不可能性(言語認識の破れ)は解消されようとする。
310 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:32
封建国家(形而上学)の確立
人口増加により大量の現前の他者が生み出される。大量の現前の他者を人格消費することは、
物理的に困難である。このためにゲーテル的不可能性(言語認識の破れ)による
フラストレーションが発生する。
国家によるエクリチュール権力のねつ造
エクリチュールは限られた権力者に独占されている(聖書=宗教者、条文=権力者、形而上学=哲学家)。
特権的エクリチュールは「神」を生産する。「神」とは、ねつ造された「対象a」である。
そして「神」を頂点とし、「動物」を最下層にした「人間」の階級構造が構築される。
そして同じ「神」(対象a)を持った民衆は、他国家(他の神)との未理解を解消しようとして、
侵略戦争を繰り広げる。
311 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:32
<エクリチュール(書かれたもの)時代 (前期近代〜ポストモダン)>
資本主義社会、マスメディアの誕生、「神」の死
さらに都市化が進められた社会の中で科学革命により引用可能性は複写可能性へ向かう。
他者は大量に「生産」される。大量生産された他者の前では「神」という絶対的な「対象a」は
埋もれていく。
再びゲーテル的不可能性(言語認識の破れ)によるフラストレーションが発生する。
記号消費社会
マスメディアにより、記号は大量に複写され、氾濫する。記号は散種を大量に生み出し、転倒される。
ゲーテル的不可能性(言語認識の破れ)による大衆のフラストレーションは、
大衆に共有された虚像価値を生み出す。
312 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:32
記号組織化
転倒された記号の同一性を容器(コーラ)として、散種は培養され、
自己組織化され虚像価値(=怪獣)を生み出していく。
大衆にとって自己組織化された虚像価値(=怪獣)が「対象a」である。
記号組織化とは「対象a」への渇望により大衆が記号を消費しつづけることにより、
記号意味が自律的に成長しつづける姿である。。
大衆の動物化
大量に生産される他者の前で、人格消費は放棄される。大衆は記号消費へ向かい、
大衆虚像価値を「対象a」として、ゲーテル的不可能性を満たそうとする。
313 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:33
<パロ-リチュール(文字会話) (ポストモダン〜現代、ネットスペース〜)>
現前の他者の復活
ネットスペースという時間、空間を超越した空間の出現で、擬似的な現前の他者が実体化する。
擬似パロールのゲーム性
ネット上のコミュニケーション(特にテキストベースのコミュニケーション)の特徴は、
他者に対する情報はテキストのみという限られた状態にある、
またはエクリチュールを発信しない限り存在しないという不安と、
情報が少ない故に伝えたい情報を選別して込めるという純化の二面性がある。
これはこれはコミュニケーション(議論)を激化させ感情的にさせる面と、
直接的に伝わりやすすく共鳴しやすい面の確率論的ゲーム性を産む。
このようなゲーム性の中でゲーテル的不可能性(言語認識の破れ)に対する
フラストレーションは解消しようと欲望が顕在化する。
314 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:33
「名無しさん」の二重構造
「名無しさん」は非空間的、非時間的存在であり、散種による虚像的同じもの性=匿名性を生む。
その裏で主体は一時期「名無しさん」となり、エクリチュールを発信することによってのみ実在化する。
ここでは「名無しさん」という記号が「対象a」である。
記号消費社会の解体
エクリチュールによるパロールは、大量のエクリチュールのシミュラークル、ジャンクを発生させる。
この中でデリダ的不可能性は加速させる。エクリチュール時代と同じく、
記号は散種を大量に生み出し転倒され同一性が生み出すが、
エクリチュール時代のような記号組織化による虚像的価値を生み出すことができない。
エクリチュール時代のような記号組織化は、ゲーテル的不可能性(言語認識の破れ)に対する
フラストレーションを原動力にしていたが、すでに擬似人格消費により、
フラストレーションは消費されているからである。さらに大衆虚像価値(=怪獣)は解体する。
315 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/08 20:34
ネットユーザーの人間化と動物化の二元化
実社会ではエクリチュール時代と変わらず、大量に生産される他者の前で、
人格消費は放棄され、動物化する。しかしネットスペースの中で他者の欲望が顕在化する。
中心という解体とその周辺という自己構築
たとえば2ちゃんねるのような解体装置としての中心と、はてなのような自己生産の周辺構造が現れる。
周辺では解体された記号(他者)を拾い集めて、ゲーテル的不可能性(言語認識の破れ)を埋めるように
「名無しさん」とう「対象a」に見続けられることを期待して、
ホームヘージやはてなのような日記という自己を産出するのである。
316 :
考える名無しさん:04/03/08 20:38
ヽ
つ わ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ あ ぁ ぁ あ あ あ あ ぁ ぁ
/\___/ヽ _/ t_ /\___/ヽ _/ \_ /\___/ヽ
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317 :
考える名無しさん:04/03/09 09:09
なんかわざと障害者になってまで?
哲学しようと決心した結果がコレかよ、みたいな
318 :
考える名無しさん:04/03/09 09:11
>317
同感です。 なんか見ていて痛いですよね。
豚は死ね
321 :
考える名無しさん:04/03/09 09:26
哲板嫌われ者トップ10
1 Sophia ◆8ADoZCl6.k
2 ぴかぁ〜
3 該当者なし
4 該当者なし
5 キキキ
323 :
考える名無しさん:04/03/09 09:41
317 :大伴清麿 ◆ud/8wo42QY :04/03/08 14:23
Sophiaが若く美しい女性であることは知っているけれども、
しかしテストステロン値は高い気がする。
以下はテストステロン値の高い「女性」の特徴。
・筋肉量が大きく力士やレスラーやヘビー級の格闘家のような
骨太でゴッツイ体格(体重がかなりある)
・上記理由からも筋力や瞬発力に優れている
・体毛が濃い
・禿やすく、またはすでに禿ている
・攻撃的な性格で喧嘩や争いごとに強い
・声が大きく低い
・アグレッシブで何にたいしてもやる気がある
・脂ぎってて汗かき
・独特の体臭が強い
・性欲旺盛
324 :
考える名無しさん:04/03/09 09:48
Sophiaって、若く美しい女性だったのか。もうちょっと注意して書き込みを
読むことにしよう。
後の書き込みからして、どう見ても皮肉ってるとしか思えない
うるさい!
327 :
考える名無しさん:04/03/09 09:55
トミーノのキャラみたいで萌えるよそふぃあタン!!(*´Д`)ハァハァ
(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ
(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ
(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ(*´Д`)ハァハァ
>>323 俺のソヒアのイメージにピタリ。
大伴でかした!
Sophiaさんを叩くのやめなよ。
331 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 13:08
にちゃんの評判はすこぶるよくないことはもはや常識である
その理由の一番はなんといっても無責任さである
匿名性と鎧に身を包みいいたい放題
332 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 13:12
社会的コミュニケーションでは発言に責任をもつ
それは自己社会的な一部と関連づけられる
他者にひどいことをいえば他者から、または社会的制裁を受けることを覚悟しなければならない
君は能書き垂れる前に社会に出なさい
334 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 13:45
これは簡単にいえば社会的繋がりである
どこのだれであるか
主体とは様々な意味の散種が保障しているのである
にちゃんにおいてはこのような関係性が分断されている
レスは「名無しさん」の意味でしかない
すなわちにちゃんねるという主体の散種でしかない
「名無しさん」という器(コーラ)をかりて発言する
にちゃんで繰り広げられる議論は「名無しさん」の内部=自意識ないで行われている
それは社会的主体の自意識と同じである
心の中で想うこと
社会的に口にされないこと
こいつ馬鹿だな
社長がなんぼのもんだよ
335 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 13:53
こいつかわい、一発やらせろよ
アイドルとの脳内SEX
妄想…狂言…誹謗中傷…罵倒…
おれの内部で考えることは勝手だろう…
まさにかってであり、社会的私の脳内で日々想っている…無責任でもなんでもない
にちゃんねるの無責任さとは、そこに責任が発生しているからである
責任とはなにか?
336 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 13:56
にちゃんは閉じた脳内ではない
開かれた社会である
コミュニケーションであるということである
>>336 2ちゃん自体は開かれているかもしれんが、その中のコテ(例えばピカ)は閉じてるねw
338 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 14:00
「名無しさん」は社会を飛び越えて私の内部と直接リンクする
欲望へのアクセス
339 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 14:04
アクセスされた無数の欲望のコミュニケーションというにちゃんのねる…
340 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 14:10
違いか
これは主体と名無しさんの二人の世界だ
対象aと私…
341 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 14:18
名無しさんと差異を生み出さなければ私は存在しない
反論することをのぞむ
社会においては私がなんであるか語れなければ存在しないゲーテル的不可能性
だから他者に見られることを願う
基地外
343 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 14:52
バロール
私の欲望は他者の欲望
対象aから見られ私を絶対化してほしいという欲望
ポストモダン
隠された欲望
自分探しという他者探し
大衆という虚像他者への依存→記号組織化
欲望の細分化
ディテールへの欲望
ポロリチュール
にちゃんは欲望のゴミ捨て場、無数の他者の残像、足跡、または欲望の瞬間的顕在化
残像他者=残像としての他者の無数化→虚像他者の崩壊
足跡を検索しコミュニケートするパロールへ向かう
他者の欲望への回帰
344 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 15:29
にちゃんねるは欲望の分別くず置場である
あさり破片を広い
鏡像する
あ〜あ。自己弁護も極まって2ちゃん批判ですか?
そのクズ置き場に人生かけてる人を分析したらどうですか?
346 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 16:07
しかしエクリチュールジャンクは死んでいない
前後との差異の中に欲望を含み眠っているだけである
そして自己はジャンクに差異という欲望を吐き付けジャンクを現実界から象徴界へ引きずり出し
他者の欲望を叩き起こす
目覚めた他者の欲望を喰らいあう
そして自己は自己となろうとする
347 :
考える名無しさん:04/03/09 16:10
はい、
ミI チャリン
348 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 16:14
自己と他者と名無しさん
自己にとっての対象aは大文字の名無しさんか?
時間も空間も超越した
超越論的シニフィアン
自己はたえず大文字の名無しさんに見られることをのぞむ
象徴界へおりて語らうことを望む
しかし目の前に現れる名無しさんはいつも単なる他者である
自己は大文字の名無しさんに出会うことを求めて徘徊する
そして単なる他者とのパロールの反復の中で
自己を確立していく
349 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 16:21
この語らいはデリダ的不可能性に満ちている
だからこそ人格消費しょうとやっきになる
まさにこれはパロールの人格消費性である
しかしエクリチュールはかならずしも他者を現前化するとは限らない
書き捨てられたエクリチュールは決定的に主体を失う
前後のレスから人格も見えないエクリチュール
350 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 16:30
電話でない携帯メールは
ゆるいつながりであり
「最近どうよ?」である
電話が用件すなわち記号消費に対して
人格消費である
電話はバロールであるから人格消費のようであるが
会話の人格消費性と逆のところにある
ここにはパロールのコミュニケーション不全性がある簡単にいえば社会性故に気をつかうのである
空間的に断絶されているが故に現在の相手の心象がみえない
にちゃんは「〜どうよ?」であり
すべての対象を扱う
351 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 16:35
コミュニケーションツール
会話
手紙
マスメディア(出版物、テレビ、ラジオ)
電話
メール
掲示板
ネット上ホームページ、日記
そういう事はどうでもいいから、いい加減に仕事さがしなよ。
バイトでもいいから何かしなさい。
こんな所にいるよりはきっともっといい事あるでしょう。
353 :
考える名無しさん:04/03/09 16:43
Sophiaはよほどぴかぁ〜が好きなんだな。
こういう自演がうざい
355 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/09 18:40
道具や主義
356 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/09 23:44
電話とメール
(電話・・・対個、空間的に離れたパロール、即時応答、メール・・・対個(or多)、
空間的に離れた相手とのパロ-リチュール、時差応答)
携帯の爆発的な普及。国民総携帯保持化。これは日本だけの傾向ではない。
中国や東南アジアなどでも月給の多くを費やして携帯を持つという。
携帯を保持していることはステータスを越えて、集団帰属の必須条件化しているようである。
ではどのように携帯は使用されているのだろうか。電話?メール?HP探索?
その一番の要因はメールであろう。
357 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/09 23:45
電話は現前の他者との会話(パロール)が空間的に離れた形であると考えられがちだが、
実はかなり異なる。
電話は客体に即時応答性を要求する。このために主体が電話をかけるためには用件を必要とする。
空間的に離れているが故に今の他者の状況が見えない。
現前の他者との会話(パロール)では他者の現在の心象を確認することができる。
手が話せない、機嫌が悪い、暇している。このような他者の心象が隠されている。
そこために電話をする理由が必要になる。すなわち伝えたい内容という記号意味消費が中心をしめる。
パロールにおける、社会性を重視するために、相手のことを考えるという高い敷居がある。
358 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/09 23:45
それに対して、メールは客体に対して即時応答性を要求しないために、
今の相手が見えなくても、高い敷居に拘束されない。携帯メールは「今、どう?」であり、
用件から離れた「ゆるい繋がり」を可能にする。
「今、どう?」とは、用件という記号消費よりも人格消費である。
不思議かも知れないが、電話よりも雑談的で、おしゃべり的なのである。
特に良く知った相手とのメールは、文章(エクリチュール)は心情的であり、遊び的である。
それは絵文字の多様に現れている。記号意味を正確に伝えるよりも、
今の気分を伝え合うゲームである。
そして写メールは絵文字の延長にある。今の心象を伝える記号である。
メールにより携帯が用件を伝えることから、遊びへと移行した。
これが携帯が爆発的に普及した大きな理由ではないだろうか。
アンタまず携帯もってちゃんと使ってからレスしなよ。
>「今、どう?」とは、用件という記号消費よりも人格消費である
はぁ〜???
社会復帰してちゃんと仕事に就くには携帯電話もってないとダメです。
あと、上げるな!!!
361 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/10 16:15
会話と電話とメール
討論と掲示板
殊羅研と方向性がにているのはなぜですか?
>361
それわざと?
なにが、討論だって?? 誰もぴかぁー ◆wMDHqGPerU が討論してる
所なんて見てないじゃん。
キャハハハハ!!!
364 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/11 18:06
他者とは自己を写す鏡である
わたしがどのようかは他者の反応を見ればわかる
これは他者とは限りなく私な存在だから私が複写しえるということであるが
これは逆もいえる他者にとって私は鏡である
鏡と鏡のうつしあいがコミュニケーションということになるわけである
これは単に写すだけではない
私は他者の欲望を欲望するといった場合
他者が望むものがほしくなる
これは私に他者の気持ちが移ったわけである
また他者がいていてくれるということが私に違う反応を起こす場合もある
ひとりでははずかしいけとも他者がみていてくれることに
防衛機制は投影のみではありません。
仕事みつかったのかな?
クビになんないように馬鹿話は控えてたほうがいいですね。
あ、無職だったらクビにならないかも。。
367 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/11 23:34
他者とは自己を写す鏡である。背の低い人に対してののっぽである。
私が誰かは他者との差異によって現れる。かつて私は誰でもない私だった。
村一番ののっぽであり、村一番の力持ちであり、村一番の愚か者、村一番のお金持ちであった。
ここでの価値観は他者との相対化で作られている。彼のようにのっぽになりたい。
欲望 他者相対化価値観の解消行為
「私の欲望は他者の欲望である。」他者がいるから、他者に欲望されているから自分でありえる。
しかし差異があるということは、同一性があるということである。
差異と同一性を元にして集団が確立されていた。
これは逆もいえる他者にとって私は鏡である。
鏡と鏡のうつしあいがコミュニケーションということになるわけである。
そのような人の集まりがコミュニティーである。多数の差異と同一性を元にした関係性。
差異で個体性を確立し、同一性で集団性を確立する。
368 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/11 23:35
しかし現代、差異をもてなくなっている。
無数の他者の中で、ある時は、集団ののっぽであって、次の瞬間一番のチビである。
そして欲求は満たされていく。
欲求 自己完結的価値観の解消行為。
私は何であるのか?自分探しが始まる。それは相対化できる他者探しである。
しかしそんな私もかつては誰でもない私であった。
家族というコミュニティーという子供という誰でもない私であった。
それが社会へ出ていくうちに、差異は解消されていく。
誰でもない私へなっていく。私は誰?
369 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/11 23:35
大衆の豊かさは、大量生産、大量消費に支えられている。
同じものを大量に生産するから生産コストが下がる。
大衆は物質的豊かになるために必然的に同じであることを要求される。
複写されていく物質。それは複写されていく自己である。
街に溢れた無数の複写された自己。もはや私が誰であるか、いえない。
しかしなぜ私はだれでもない私でありたいのか。他者との差異をもとめるのか。
言語の差異の体系?言語ができないものは存在しない。
差異化されないものは存在しない。存在証明?
370 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/11 23:36
他者と交わるとは、人格消費である。私が消費される。
しかし私には消費される私がない。
そして私は部屋にこもる。
しかし他者なき世界でどのように自己を確立するのか。
記号越しの他者を消費するのである。
「私が欲望する記号は他者が欲望する記号である。」
他者がいるから、他者に欲望されている「記号を持っている」から自分でありえる。
しかし他者は現前しない。記号越しに現前しているだろうという推測。
虚像化した他者たち=虚像化した大衆
みなが、仮想的な他者と競争している世界。
371 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/11 23:40
基地外しんどけ
基地外しんどけ
基地外しんどけ
基地外しんどけ
基地外しんどけ
基地外しんどけ
基地外しんどけ
基地外しんどけ
基地外しんどけ
疎外の問題だろ
利便性、物質的なだけの豊かさ、グローバリゼイションによるローカリティの破壊、
信用経済の肥大、ブラックボックス的テクノロジーの進歩など、すべて人間を必要と
しないものになっていくのだ。
近代哲学の主要なテーマは「人間疎外」だったのだが、マルキシズムがこけたのと
ハイデガーの悪影響で方向を見失ったのだ。
375 :
モダンぴかぁ〜:04/03/12 03:02
>>367-370 このレスは背伸びした感じがなくて素直に読めました。あなたの言いたいことが少し
解った気がします。昔の私に似ているかも。「だれでもない私」という言葉は私がずっ
と自分の中でキーワードにしてきた言葉です。疎外とはちょっと違うと思う。形式論理
という膜に遮断され直接性、実存性を剥奪された生、というのが大雑把な意味での疎外
だとするならば、またそれとは違う「疎外感」ですね(独断かもしれないけど)。
こんなことを書くとまた古いと言われそうですが、ヘーゲル「小論理学」あたりを読ん
でみてはいかがでしょうか。
>差異化されないものは存在しない。というのはサイバネティックス的な発想で、また、
現代人にとってはある種常識とまでいえる考え方ですが、ヘーゲルを読んでみて、それ
はやはり一面的な考え方であったなあ、と私は気付かされました。
人間疎外を引き起こすのは形式論理などではなく、社会や仕事のありかたでしょう。
377 :
考える名無しさん:04/03/12 11:30
びかぁ〜、サボってんじゃねーぞ。お勤めせんかい!!
ぴかは野生化したらしい。
379 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/14 21:12
ポストモダンを越えていく2ちゃんねるスレ終わってますね
380 :
考える名無しさん:04/03/14 21:13
>>379 はい。有難くフィニッシュはいただきました。
381 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/14 21:16
382 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/14 21:17
>>380 ごくろうさまです。
またしばらくしたら新スレ立てますね。
383 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 11:33
同一性というものがデリダのいう反復可能性、偽造可能性の上になりたっているとしても
わたしたちがもつ同一性への信仰、それはブラトンのパロール的生やベンヤミンのアウラと読んでもよいが
現前性、同一性、すなわち唯一性に対する我々の羨望を無視することはできないはずである
なぜならそれが私が私たる所以であるし、現在性という生の緊張感、生の原動力であるからだ
384 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 11:41
さらにはこの唯一性は、ラカンの言う他者の欲望に関わる
わたしが唯一のものであるから自己同一性という尊厳が備わり
さらにはそれは他者の欲望とのコンタクトという唯一性により支えられているからである
385 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 11:47
すなわちプラトンのいうパロール/エクリチュールの対立は
デリダのいう原エクリチュールが言語記号全般を貫く特性であっても
生という唯一性において原暴力でなく原生命力として働くのである
386 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 11:57
だからわれわれが考えるべきは
原生命力における現前性、現前の他者の欲望、パロールと
非現前性、エクリチュールの差異である
それはデリダのいう形而上学や法という仮死記号の原暴力ではなく
今まさに生きている情報化、複製技術時代の生の記号の原暴力と
原生命力の対立である
387 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 12:03
虚像化する社会とは
原暴力が氾濫する時代である
我々の生の唯一性はこの原暴力に脅かされ、脱構築されようとしている
複写された私が大量に溢れる社会の中で、私の唯一性とはなんなのか?
わたしはなんのために生まれてきたのか
私が私であるためにはパロールへの回帰するしかないのである
388 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 12:07
すなわち我々は野蛮へ回帰するのである
誰もよんでない
あなたの生そのものが原暴力であり、脱構築のモーターなのである。
一なるエクリチュールとしての近代的世界が、無限のエクリチュールの
ポストモダン的な秩序=無秩序的な死闘へと移行していくのである。
391 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 12:35
ブラント化とは反復可能性という集団的生命力に自己わ埋没させ生きることである
女子高生、コギャル、ファッション系
自分探しとは反復可能性への抵抗である
ひきこもりとは集団的生命力から弾かれた姿であり
392 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 12:38
ロリコンとは唯一性信仰である
大衆=複写された私になる前の人への憧れである
393 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 12:51
オタクとは基本的にファッション系であるが
特長的に唯一性に向かう指向が強い
すなわち創造性=唯一性を働かせやすいアニメ、マンガ、パソコンへ向かう
だからロリ、アイドル=唯一性の象徴にむかう
アムロ、しんじなどは唯一性の象徴である
エバァでは全体を流れるエクリチュール的世界の中で見えかくれするキャラの弱さが加減が
唯一性欲を刺激する
レイのまさに反復可能性存在に宿る唯一性は
現代大衆そのものといえる
394 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/15 14:11
われわれはそれでもパロールとエクリチュールに差異を感じるのである
生において
395 :
考える名無しさん:04/03/15 14:32
警備員さん お勤めご苦労様です
396 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/15 23:43
<デリダはパロールにより欲望する>
○原エクリチュールの力
この世界には反復可能など存在しない。すべては絶えず変化し続けている。
すべては唯一性の連続である。しかしデリダはすべては反復可能性であるという。
それは認識という行為に置いてである。
我々は言語記号の反復可能性=原エクリチュールにより世界を認識しているのだ。
ここには二つの面が見いだせる。一つはデリダのいう原エクリチュール=原暴力である。
それは唯一性を失わせる。
397 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/15 23:43
>>
反復可能性により、言語記号は主体の意識や生の現前をつねにすでに越えている。
言葉と意識主体の間には、純粋な生の現前によって埋めることができない「本質的裂け目」が存在し、
言語は常に意識的思考による充実が不必要な仕方で意味作用を行っている。
主体の現前性の権威は、言語、記号、経験一般の意味作用に関して、
主体が(主観性や相互主観性)がヘゲモニー(主導権)を握ることはできない。
あらゆる主体はその「名」によって純粋な「自己の現前」を奪われる。
固有名の本質的な反復可能性は、名で呼ばれるすべての主体の純粋な固有性を
不可能にしてしまう原暴力である。
(現代思想の冒険者たち デリダ 高橋哲哉 id:pikarrr:20040316#p1)
<<
398 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/15 23:43
もう一つの面は、我々はこのようにしてしか世界を認識できないということである。
反復可能性が失われた世界では、私は絶えず変化し続け、
唯一性にさらされて、私の同一性は失われる。
我々の同一性はこのような力により支えられてはじめて可能になるということだ。
反復可能性とは、コミュニケーションである。世界へそして他者へ開かれることによって、
私の同一性は保たれるのである。
原エクリチュールは、私の「純粋な固有性」を不可能にし、私の同一性を保つ。
すなわち私が独我的そのものであることを不可能にし、私を世界との関係性による私とするのである。
399 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/15 23:44
デリダはパロールにより欲望する
>>
パロールのそのつどの経験的出来事としての種しゅの変化、音声の強さ、
抑揚、調子などの経験的・物理的特徴が厳密に同一性はないとしても、
それらが失われたあとでも機能するのでなければならない。
変化を貫いて同一の言語記号として再認される必要がある。
そして表現形式の同一性はどこかに実体として存在するわけではなく、
それ自身の反復可能性として構成されている。
これはパロール/エクリチュールを含む言語一般の可能性の条件である。
(現代思想の冒険者たち デリダ 高橋哲哉 id:pikarrr:20040316#p1)
<<
400 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/15 23:44
原エクリチュールがパロール/エクリチュールを含む言語一般の可能性であり、
プラトンの示したパロールの現前性=生の充実が失われたものだとしても、
プラトンの示すパロール/エクリチュールの差異が解消されたわけではない。
そこにあるのは、パロールとエクリチュールにより得られる主体に対する情報量の差である。
パロールによる主体の現前性が「純粋」でなくとも、主体を失ったエクリチュールに比べて、
主体の情報が豊富である可能性がある。
すなわちこれはパロール/エクリチュールという形而上学的二項対立ではなく、
コミュニケーションにおける情報量の問題である。
401 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/15 23:44
パロールとエクリチュールには他者に対する情報量の差が存在し、
それが私が私であるために必要とされる情報なのである。
それは「原エクリチュールが私が独我的そのものであることを不可能にし、
私を世界との関係性による私とする」ことによる。
すなわち原エクリチュールは、形而上学的なパロールとエクリチュールの二項対立を解体し、
コミュニケーション上のパロールとエクリチュールの差を露わにするのである。
これはラカンの言う他者の欲望に関わる。
私はこのような「限りなく純粋な」パロールで現れる「限りなく現前する」他者の欲望により、
「限りなく純粋な」私たり得ようとするのである。
そこには、「限りない純粋な」生の緊張感、「限りない純粋な」生の原動力があるのである。
だからデリダでさえパロールにより欲望するのである。
なんか、ぴかあの意見読んでると、下手なアマチュア・バンドの演奏を延々と聴かさ
れてるような感じがして、ある種マゾヒスティックな気分になんない?俺だけかwww
403 :
考える名無しさん:04/03/16 00:15
次スレタイトルは「ぴかぁ〜、遂にマネーの虎出演、その一部始終」に決定しました。
パロリチュール研究所設立、ぴかぁ〜ずハニカムハーツクラブバンドの興業、全集刊行、
市議選出馬、フランス駅前留学、2ちゃん買い取り、などの資金として100億の融資を
希望し、虎たちと大論争するも、最終的にデリダについての議論においてこともあろう
に加藤和也に論破されるという大失態を演じ、ノーマネーでフィニッシュとなった、とい
う、あの大感動巨編の密着ドキュメントです。
戯 言 は そ れ だ け で す か ?
405 :
考える名無しさん:04/03/16 00:45
ぴかぁ〜は
「限定じゃんけん」「橋渡り」「Eカード」「ちり紙くじ」「地下チンチロ」「沼」
の全てをくぐり抜けた猛者中の猛者です。みなさんの浅薄な人生経験などで太刀打ち
できるようなお方ではありません。誹謗中傷などしている暇があったら、ぴかぁ〜
と同じくらいの時間読書してみなさい。
いらねー
潮時だ!
407 :
考える名無しさん:04/03/16 01:15
_ _ __
|主 | 、ノ | --|- ヽ/// ,フ_ |ニ|ヽヽ.ノ ┌┼┐ノ十ノヶ┐斤_.斤 「!
. llll亅|/ヽ l, 丿 フヾ.ヽ c_,ノ ノ 亅|.メ | | ,人亅.ー|‐ノノ亅 |三| つ ・・・・・・・・・ o
 ̄ ’ ̄ ̄  ̄ ´ `
,. -─- 、
/./ ̄\ ヽ._ -‐ 、
ノ./ー- 、 \_,. -‐- 、 i
/./' 、 `ヽ:、\__,. -‐ u ! ! β-エンドルフィン
/ / | \ !} v v ,. -=キ十 ……!
チロシン……! ,. - .ヽ. ! ヽ、 |! u /'´_v| |
| ,.‐、| |uヾ:ヽ. o }|`ll ;∠-‐'' ̄,ラ | L_
| |‐、| | /|ヾミ三シ/ ハ o ./;; | /ヽ.}
. エンケファリン……! | !._,| | |∧ \_ノ } }u゙ミ三彡' |./V./
,ノ`ー|/ |∨ヽ、l / .ノ =' ノ| |l‐//
,∠.-┐〈 N\/`\| {__ノ__,/l/! /'ー ' |
__ ,r(ノ / | | U∨ /ヽ/ゝ-1__|_」/l/〈 ,イ\| バリン…!
. /r'⌒`ー-' ヽ. ,' | | U`ー、/ 7~゙|__.|_」/J'/ | | \
. / ) キキキ ) | ヽ、u _ ̄ ̄ v' / )、|
/ ( ……!( l | | `ヽ、  ̄ ̄ ,. ‐i´ ,ノ ` 〜〜〜 、
` ー-''⌒ ー- 'l. || ト、 \__,. ‐'´ | { ククク… )
リジン │ || |ヽ\ r‐;'ニ| `i ー-〜ー--‐'
ロイシン |. | |ノ' \ヽ._ ノ.ノ| | ト | |
イソロイシン……! |ゝ' `Y-‐'´フノ|ノ | |. | 勝ったっ……!
>>404 あ
た
り
前
田
の
ビ
ガ
ロ
だ
ろ
?
409 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 09:08
再度反復可能性について
我々の認識は反復可能性によりできている
私が私であるのも記号として反復されるからである
厳密にはわたしはたえず変化しているからである
しかしこの原エクリチュールたる記号認識以外になにがあるだろうか
すべては反復可能性に還元されえるだろうか
410 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 09:10
無意識も言語でできているだろうか
記号から溢れる余剰はないのだろうか
411 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 09:20
記号意味は記号と余剰でできている
┏━━━ / |━━━━━┓
┗┳┳━ |_| ━━━┳┳┛
┃┃ / ヽ ┃┃
┏┻┻ |======| ━━┻┻┓
┗┳┳ ヽ__ ¶_ ノ ━━┳┳┛
┃┃ (/) ┃┃
┃┃ (/) ┃┃
凸┃┃ (/) ┃┃凸
Ш┃┃ (/) ┃┃Ш
.|| ┃┃ (/) ┃┃.||
∧_∧ (/) ∧_∧
( ・∀・) (/)(´∀` ) ぴかぁー が社会に復帰できますように
(つ つミ (/)(⊃⊂ )
|_|_|_I(/)_|_|_|_
/////ノ,,,,,,ヽ ////|
//////////// |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 奉 納 |
413 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 09:33
認識世界は
記号表現と記号意味でできている
そして記号意味は、記号表現と余剰でできている
ディノテーションとコノテーション
コンスタティブとパフォーマティブ
414 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 11:07
ポストモダンにおける
反復可能性と唯一性
BOAか藻前は…
オートポイエーシス理論の精神分析のシステム論的応用で
内包の縮小と外延の拡大、中景の喪失=媒介的審級の喪失、遠景的連帯
心のモジュール化(←→インテグラル)
規律訓練型の権力と環境管理型の権力
で頼んだ!!!!!!
417 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:07
私は世界との関係性でつくられる
ここは集団内において他者との差異と自己を位置付けられることを示す
これはパロールという現前する他者たちの中で顕著である
しかしエクリチュール世界
すなわち複写技術時代では他者との差異体系から私ははみ出す
すなわち私を物理的他者に相対化して見出だす必要はない
自己の可能性は拡大し、肥大する
ここでは差異体系に規定しょうとする他者は自己確立の邪魔である
だから他者回避する
他者との関係をもつ煩わしさから回避する
パロール世界、物理的世界では他者と関係しないよう
418 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:11
ハニカムハーツの誕生である
419 :
考える名無しさん:04/03/16 12:15
さーじぇんとぴかぁーずろんりーはーつくらぶばーーーーんどーー!!!
420 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:19
パロール的世界では自己はソシュール的に他者との差異の体系による確立される
すなわち他者でないものが私である
しかしエクリチュール的世界では
デリダ的引用可能性により自己は差異の体系を飛び越え
非時間的、非空間的な超越論的シニフィアンとして浮揚し肥大する
しかし物理的、社会的には私は他者との差異の体系のままである
これがハニカムハーツである
421 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:23
ハニカムハーツは他者の欲望など欲望しない
ハニカムハーツが欲望するのは世界そのものである
422 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:27
ひきこもりは社会から、他者からの逃避であるがまた
非空間的、非時間的自己世界へのダイブである
423 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:31
ハニカムハーツにとって問題は現前の他者などにはない、だから回避すればいい
問題は世界そのものである
424 :
考える名無しさん:04/03/16 12:32
ぴかぁーはデリダの正義論には興味ないの?ハニカムハーツ的状況の分析、批評だけ
ならボードリヤールで十分なんじゃないかな。
425 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:38
デリダ思想は死んだエクリチュール、法や正義じゃなく、生きたエクリチュール、消費社会に適用するのに一番意味があるんです
426 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:54
ソシュール的差異の体系は本質的に陣取りであり
権力闘争である
デリダ的引用可能性では自己は無限に開かれる
しかしこれは超越論的世界においてであり
社会的には均質化、ハニカム化に向かう
大衆社会とは経済性を規格化により達成する
そこでは自己さえも規格化され生産されるからだ
427 :
考える名無しさん:04/03/16 12:58
わかるけれども、正義論について聞いたのは、ぴかぁー氏自身がそのハニカム
ハーツ的状況に対してどう実践的に対応していくのかが知りたかったのです。
パロール的世界、エクリチュール的世界、という用語はともかくとしても、
>デリダ的引用可能性により自己は差異の体系を飛び越え
非時間的、非空間的な超越論的シニフィアンとして浮揚し肥大する
しかし物理的、社会的には私は他者との差異の体系のままである
という、ずれ、決定不能性の感覚は現代人なら誰でも持っている。そこで
従来の正義と悪徳の二元論をフィクションとしてでも再興して、そこに退行
するのは論外ですし、デリダもそんなことは希望していない。デリダのいう
正義とは、むしろハニカムハーツ的状況の中に踏みとどまり、かつ懐疑的で
ありながら、そのつどの絶対的根拠なき決断に責任を持つ、ということだと
思います。従来の正義論についてでなく、あくまでそういうデリダの正義論
についてぴかぁーさんの意見を聞きたかったのです。
428 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 12:59
社会的に普通の人の中に潜む超越論的狂気…
429 :
考える名無しさん:04/03/16 14:02
ぴかぁーってひやかしには対応するけど、まともなレスは放置するんだね。
面白いな。
430 :
考える名無しさん:04/03/16 14:03
まともなレスに対応しようとすると、バカがばれるからかな。
431 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 15:32
>>427 私の考えはもう何回もいっていますか
デリダの正義論、責任については全面的に支持します
わたしはてなで「デリダは死臭を嗅ぎ付ける」と書きました
この意味はデリダの思想は決定不可能性であり、それは世界が変化しつづけるものだからです
だから変化が停まり死臭が漂い始めたエクリチュール、形而上学であり、法を脱構築し、息を吹きかえそうとしているのです
432 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 15:42
だからデリダが脱構築は正義であるというとき
正義は変化することを受け入れ決定不可能性を決定することに責任をもつことという意味です
これは私は支持する
しかし私はデリダがなぜ死臭ばかりを嗅ぐのかに疑問があるのです
脱構築は死に対する行動でなく
言語記号がもつ本質なのです
世界はたえず脱構築という生に溢れている
それは正義を乗り越えている
私はこのような生という脱構築現象について考えています
その結果、現在、自己の内外でズレが生じている
これは正義と離れたところにある
なぜならデリタが嗅ぎ付ける死臭はどこにもな
433 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 15:47
い。みなが生きようとしているだけだからです
ではどうすればよいか?
私は個人の問題は別にして、どうすべきかを社会レベルで考えることに疑問を感じています
いまはその状態を記述したいそれだけです
ただいえるのはにちゃんねるは脱構築を、ポストモダンを越えていくのか?
に興味があります
434 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 15:56
するどいレスありがとうございます
わたしは評論社会哲学者たちがにちゃんねるに懐疑的なことに疑問をもっています
それは恐れだと思います
やっと勝ち得た知的エリートの地位を解体されるからです
いやこれはみなさんが私を解体しようとするときに言う「知的コンプレックス」かもしれません
しかしそれを確かめるためににちゃんとはてなを行き来しています
そしてにちゃんでこのような議論ができるすばらしさははてなにはないと感じます
435 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 16:00
ハニカムハーツはパロリチュールを欲望するか?
436 :
考える名無しさん:04/03/16 16:36
なるほど、ぴかぁーさんはなにかしらの知的既得権益のもたらす固着
というか、停滞したものに対して敏感であることが必要だ、という主張
をしているようにお見受けしました。これはデリダの問題圏と一致する。
しかしさらにそこから、その「知的既得権益を脱構築する」ことがさら
に特権化、既得権益化してしまって、いわば「脱構築エリート」「ポスト
モダン貴族」(これらは私の造語ですw)にみんな満足してしまっている。
その意識が「・・・は読んだのか?」「・・・の定義は何か?」という言説
を再生産していくことだけが哲学と呼ばれてしまう閉塞を作り出している、
その閉塞をうち破るためには「この生が脱構築なのである」という突破こ
そが必要なのである、という主張をなさっているのだと思います(違ったら
ごめんなさい)。それが>にちゃんねるは脱構築を、ポストモダンを越えて
いくのか?という問いに直結するかどうかについては私はちょっと懐疑的
なのですが、渋谷とにちゃんねるの相似性についてのぴかぁーさんの指摘に
はちょっとはっとしました。渋谷というのはまさにそれまでの80年型都市
からすると「恐れ」の対象にほかならなかったからです。
437 :
考える名無しさん:04/03/16 16:58
なぜ、80年型都市は渋谷を恐れるか?それは渋谷という街の分析不可能性と
いうところにあるのだと思います。人口集積という偶然的要素を捨象してみて
も、地域性を捨象してみても渋谷は渋谷でなくなってしまう。それが新宿や池
袋との決定的差異ですね。もちろん新宿も池袋も要素を一つでも取ってしまった
らそれはそれでなくなるのですが、理論的には分析可能とされていた。私の言っ
ているのは共同主観としての都市の捉え方です。その共同主観が渋谷に対しては
極端にナーバスになる。まるで固有名論を扱う言語学者のように。「この渋谷は
渋谷ではない」「渋谷の渋谷性が欠如している」などの言説が乱舞しています。
これはにちゃんねるでもそうで、にちゃんねるにおいては「このレスはにちゃん
ねるという掲示板に書かれているというだけで、まったくにちゃんねる的コミュ
ニケーションではない」というような言説が乱舞しています。
438 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 17:00
脱構築エリート、ポストモダン貴族ですか、おもしれいですね
にちゃんねるについては
これだけのアクセス数がありメディアならば
普通なら渋谷ではないですが
いままでなら屋台がならび、大型店舗が乱立し、タレントがプロモーションにきてもおかしくない
しかし従来の資本権力、マスメディアは遠巻きにみるだくですし
評論家もモラルが低いとか若い人までもが、最近の若いやつは的な批評しかできず、怯えている風です
だからといってにちゃんに全体主義的権力があるわけでもなく実体がない
なんなんだと、このにちゃんねるなるものは?と
439 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/16 17:02
と考えているところにデリダにヒントがあるような気がした
みたいなことで考えています
440 :
考える名無しさん:04/03/16 17:18
つまらないことをぐたぐた書いてしまって失礼しました。結局ぴかぁーさん
にお聞きしたいのは、例えばニューヨークに旅行した人が「ニューヨークは
もっと東京的であったとしたら、もっとニューヨーク的だったろうに」という
感想を持ったり、「今、私は女子高生とセックスしているが、「女子高生とセッ
クスしている」そのものをしているわけではない」というような転倒の溢れる
この現代社会の中でどうやって生の直接性をキープしていくか、という実践的
なことなのです。状態の記述、はもうかなり出尽くした感もある気がしますので。
441 :
考える名無しさん:04/03/16 17:25
セックスは現象学の根本原理です。
442 :
考える名無しさん:04/03/16 17:39
またバカが現れたな。
>にちゃんねるについては
>これだけのアクセス数がありメディアならば
>普通なら渋谷ではないですが
>いままでなら屋台がならび、大型店舗が乱立し、タレントがプロモーションにきてもおかしくない
>しかし従来の資本権力、マスメディアは遠巻きにみるだくですし
>評論家もモラルが低いとか若い人までもが、最近の若いやつは的な批評しかできず、怯えている風です
これは典型的な病理です。
>442
まったくですね。。
豚は人を罵倒する能力だけは天下一品
特にぴかぁーやキキキといった2ちゃん中毒者への突っ込みは天才的
447 :
考える名無しさん:04/03/16 18:36
>>440 生の直接性ですか
わたしの今の興味もそこですね
私はラカンの「人の欲望は他者の欲望である」に対して
現代は「人の欲望は他者が欲望していると思われる記号への欲望である」
と考えました
記号消費は記号を通して他者をみる
他者が女子校生とセックスしているだろう状況(記号)に欲望する
しかしどこにもそんな記号はないわけで
実際に女子高生とセックスしても満たされない
まさに虚像ですがこれはパロールの欠如です
複写技術による原エクリチュールの氾濫ですね
自己確立のための現前の他者の欲望がなく、人格消費ができな
>427
キルケゴールぽくならない?
449 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/17 01:05
他者記号を欲望するハニカムハーツ(蜂の巣状化する心たち)
デリダは言語記号の反復可能性によって、パロール/エクリチュールの
形而上学的二項対立を脱構築した。
反復可能性は、パロール/エクリチュールを含む言語一般の可能性の条件であり、
パロールでさえも純粋な現前性を保証しない。
しかしそれでもパロールとエクリチュールには、差があるだろうと私は行った。
その差は反復可能性自身により要請される。
反復可能性は私の純粋な固有性を失わせるために、私の同一性を保つには「他者」との
関係性=他者の情報量が必要とされるためである。
そして他者の情報量は一般的にパロールが多いということである。
450 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/17 01:06
パロールによる現前する他者の情報が溢れる集団内では、
自己は現前する他者とのソシュール的差異の体系として位置付けられる。
すなわち他者でないものが私である。そしてソシュール的差異の体系は
本質的に陣取りであり、権力闘争的である。
現代の複写技術時代、規格化という複写技術により同じものを大量に
生産され豊かさが享受されている。
ここでは自己さえも規格化され、社会には私が大量に溢れ、社会的に自己は均質化していく。
それが大衆である。そうした均質化する他者の中で、パロールによる差異体系としての
自己を確立することは困難になる。
私の唯一性とはなにか、を模索しなければならない。
すなわちそれは欲望すべき、されるべき唯一な他者が必要とされる。
451 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/17 01:06
そして唯一な他者は作られる。
他者はデリダ的引用可能性を複写可能性に拡張し、
エクリチュール的言語記号=他者記号として大量に複写される。
自己はパロール的均質化した現前の他者との差異の体系からはみ出し、
複写されたエクリチュールの中の虚像的な他者記号、
非時間的、非空間的な超越論的シニフィアンとしの他者記号を唯一なものとして欲望する。
ここでは現前する他者との権力闘争的関係は、回避される。
社会的に均質化し他者回避する外面的自己と、他者記号を欲望する内面的自己という
二重構造がうまれる。自己が外層的に均質な殻をもち内部にこもる。
このような状態をハニカムハーツ(蜂の巣状化する心たち)と呼ぶこととする。
452 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/17 01:07
>>
動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要とする。
…したがってここで「動物になる」とは、そのような間主体的な構造が消え、
各人がそれぞれ欠乏ー満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味する。
コジェーブが「動物的」だと称したのは戦後のアメリカ型消費社会だった…。
アメリカ型消費社会の論理は、五〇年代以降も着実に拡大し、いまでは世界中を覆い尽くしている。
マニュアル化され、メディア化され、流通管理が行き届いた現在の消費社会においては、
消費者のニーズは、できるだけ他者の介在なしに、瞬時に機械的に満たすように
日々改良が積み重ねられている。(東浩紀『動物化するポストモダン』)
<<
アメリカ消費社会は、大量生産の既製品による豊かさの社会である。
ここでは人は均質化する。そして現前の他者を回避する。これが「動物化」であるが、
ハニカムハーツはその内面で深く欲望している。自己の構築を模索している。
ラカンの「人の欲望は他者の欲望である。」に対して、
ハニカムハーツは「人の欲望は他者が欲望していると思われる記号(他者記号)の欲望である。」
たとえば、他者が女子校生とセックスしているだろう状況(他者記号)に欲望する。
しかしそこでは、他者はどこにもいない他者であり、どこにもいない女子高生であり、
どこにもない状況である。だから実際に女子高生とセックスしても満たされない。
453 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/17 01:07
ブランド品などの消費を欲望することは、そこには他者がブランド品を欲望しているだろう、
ブランド品は他者が欲望するだろう他者記号を欲望する姿である。
コギャル、援助交際も同様な傾向が見ることができる。
そこにあるのは他者に欲望されているという他者記号から欲望であり、自己証明行為という面がある。
ひきこもりは他者回避により、他者との闘争を回避し、他者記号に埋没する。
またこのような他者記号の唯一性への欲望は、シミュラークルという疑似唯一性の作成へ向かう。
それは疑似唯一性作成が容易なアニメ、マンガ、パソコンへ向かう。これがオタクだろう。
これらのシミュラークルにロリコン性が見られるのは、ロリータが大衆化(複写された私)となる前の
他者記号の唯一性の象徴であるからだ。
これはペットを溺愛する人たちにも言える。ペットとは野生の記号であり、
複写された大衆でない唯一性の象徴である。
>アメリカ消費社会は、大量生産の既製品による豊かさの社会である。
>ここでは人は均質化する。そして現前の他者を回避する。これが「動物化」であるが、
何アメリカ社会を判ってるような事いっるの?
>453
この人は何か女子高生で痛い目にあった人ですか?
Sophiaは何の論理にもなってない単なる暴言なところが笑える。
必死なっても頭悪いんだから無理すんなや。
安易な模倣って見方もある。
ちなみに僕はファイナルファンタジーです。
459 :
考える名無しさん:04/03/17 08:48
453の後半の言い方は面白いな。びかぁは確実に進歩してるよ。
ソフィアは大学の犬だからな。びかぁに頭から反感を覚えるのだろう・・・。
ぴかぁは無学歴者の希望の星だじょ!!
461 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/17 09:40
ナルシズムとは自己自身が他者記号である
462 :
考える名無しさん:04/03/17 09:51
ロリコンって正常な欲望だよね?
463 :
考える名無しさん:04/03/17 10:05
>>459 よくぴかぁ〜ってび(ビ)かぁ〜って打ち間違うんだよなァ。
>460
無ー理ー!! 絶対無ー理ー!!
だって、論に自分のコンプレックスへの劣等感が滲み出てますから。
そして、何を喋るにしても断定的で殆ど盲目的に一義的です。
マイ哲学の領域からは確実に抜けられません。
あと、論理的な思考の作法が根本的に狂っています。
自論の正当化に出典とその元の言葉だけで済ませられるのは
中学生までです。
ソフィア、君が言っても仕方のないことなんだよ
466に補足します。
無職の妄想中年引き篭もりだから。 です。
469 :
考える名無しさん:04/03/17 11:35
ソフィアのアク禁申請したのぴかぁ〜か?
おれ、キキキは好きだけどソフィアは嫌いだな。
ソ豚はぴかあをなじる時だけ輝く
は? アク禁?
少なくとも、周りの人が質問した事について的確に答えられないうちは
そうする資格は心情的には無いとおもいます。
あと、別にアク禁したって平気です。
この掲示板で私は自己主張してるような人種じゃないので
気になりません。
ソフィア、わしのケツの穴舐めろ!わかったか!
あ、ここにも 年老いて何にも使い道が無い
無職中年のロリコン自称天才妄想家の虫がいました。
一応思いつきで聞きかじりの言葉をつなげて遊ぶ習性があるよう
ですが、言葉をつなげているだけなので意味的にボロボロのジャンク
を築きあげてるだけなので安全管理上危険です。
ですから、誰か害虫駆除してください。
訂正。やっぱりソフィアがすき。
477 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/17 18:59
アムロレイ、イカリシンジの悩めるヒーロー像
彼等は明らかにヒーローである
並み居る敵を倒す
世界が彼等にかかっている
これは社会的な自己において高い唯一性を示す
すなわち彼等はいままでのヒーロー同様に多くの他者に欲望される存在であり
確かな自己を持てるはずである
かりに悩んだとしてもそれは大きな期待からくる、責任に対するものであるはずだ
478 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/17 19:10
しかし彼等の悩みはそこにはない
社会的な位置に自己を見出だせず、他者記号=超越論的シニフィアンとしての他者を欲望する
それは失われた父であり母である
それはどこにも存在しない他者である
そして彼らは自己確立できず浮遊する
彼等がガンダムやエバァに乗ること、ヒーローになることは社会的強制でしかない
しかし彼等は他者と戦う、社会的自己になることによりヒーローになり、活躍する
我々は他者記号を欲望し悩める彼等に共感し
強制であっても、社会的自己として、社会的他者を振り払うように戦う彼らに熱くなるのだ
479 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/17 19:20
ソフィアはネットで必死になる人種。
480 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/17 19:21
宮崎アニメのヒーローは悩まない
ナウシカでありコナンであり
彼等は社会的な他者との差異により自己を見出だしている
彼等が悩むのは社会的な責任からである
彼等は近代的ヒーローである
481 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/17 19:25
コナンは宮崎?
未来少年?
482 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/17 19:27
自己を見出しているのではなくて、
素直なだけなのでは?
見出す = 勉強する。
勉強すればするほど素直は消えるはずだが。
483 :
ちくびぎゅーん:04/03/17 20:55
デリダの話予想以上に面白いようですね。(420あたりから440あたりまでですが)
しかし、私はここで当初問題となっていたコミュニケーションの話に少し
興味があります。
コミュニケーションが自己を一般化していく行為だというのは現在の状況では
あてはまることもあるでしょうが、そのような行為が生命にとって本質的であると
私には思えません。
自己を一般化していくようなコミュニケーションは自己閉塞、自己完結という
目的を達成するための手段として行われているのではないでしょうか。
484 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/17 21:24
アウラとはなにか?
芸術は人工的創造物である
この記号は、記号意味より心象意味が含まれた、含まれたと感じられるもの
すなわち自他同期可能性が高いものであり
そこに心があるようなものである
このために作り手は作品に自己の心象をあらわそうとする
記録された心象
それを前にすると感傷者はある心象が起こされる
485 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/17 21:35
これはデリダ的原エクリチュールへの反乱だろう
現前性を失わせた反復可能性的認識世界に反抗し、現前性を作品に込めようとする試み
しかし一度作られると作品はその心象を内在した記号となる
ヘーゲルはそれが美術館に飾られることによって芸術は死ぬといった
これはまさにデリダ的反復可能性であり
唯一性の消失である
ベンヤミンはさらにそれが複写されることによりアウラがうしなわれるといった
これらは反復される回数の問題だろう
486 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/17 21:48
芸術作品の物質的唯一性はなにわあらわすのだろう
複写されたゴッホの絵に数億円払う馬鹿はいない
オリジナル…唯一性信仰
やはりオリジナルとは礼拝的価値なのだろう
そしてそれは転写された他者の心であり
まさにそこにゴッホそのものを見る
テレビでみていた憧れの人が現前することと同じである
そこにオーラを感じるのである
487 :
ちくびぎゅーん:04/03/17 22:08
よくわからないのはデリダの批判をしたいのか、解説をしたいのか、
ということです。
488 :
ちくびぎゅーん:04/03/17 22:33
どうも相手にしてもらえないですね。
私はぴかぁさんと違って2ちゃんねるというものを懐疑的に見ているのは2ちゃんねるとは一見世界と
つながるための道具に見えるけれども実は自己内に閉塞していくための道具として
用いられているのではないか、と思うからです。
489 :
ちくびぎゅーん:04/03/17 22:53
相手にしてもらえない以上帰るしかないですね。
ただ私は上記のような一回性の話をするのであれば、人生の構造(あるいは
構造化された人生と読んでもいいかもしれませんが)を考えるほうがより刺激的なのでは
ないかと思います。
たとえばある年齢になれば、就職をして結婚をしてマイホームを買って
子供を作って、というような人生の構造はあきらかに個々人の一回性を
奪う傾向を含んでいるように思います。
しかし人々はどうもこれを憎みながら捨てられないでいる。
大人になるということは少し前なら結婚をして家庭を築いているということと
仕事をしているということが重要なハードルだったわけですが、今となっては
就職難ですし、適齢期の男性人口の増加によってほとんどの人が結婚できるような
環境ではない。
私たちの否応無く直面していく「今ここ」にある現実とデリダの言っていること
(私はデリダを読んでいませんが)はうまい具合に重なっていることもあるように思います。
まあ私は帰りますが。
490 :
考える名無しさん:04/03/18 01:04
びかぁの使用する他者記号というタームですが、453ではペットやロリータが
他者記号の唯一性の象徴である、と言っていますよね。つぎに478では、他者
記号とは、失われた父と母である、と断言しています。なぜ、失われた父や母の
唯一性の象徴がペットやロリータということになるのか、説明をお願いします。
491 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 01:43
失われた父や母の唯一性の象徴がペットやロリータではなく、
均質化する大衆の中で、私は唯一でありたいために、
唯一性の他者記号を欲望する。
また唯一性の他者記号に欲望されたいと思うということです。
ロリータを欲望する、欲望されたいのは、大衆とは、社会性により均質化します。
ロリータが大衆化する前の唯一性の他者記号だからです。
ペットは野生という記号であり、大衆化しない唯一性の他者記号です。
失われた父と母は、いかりしんじというアニメの場合ですが、
彼は、そこに大衆化しない唯一性の他者記号を見たのではないかということです。
たとえば、他に他者記号として、ブランド品や、アニメ、パソコンを
上げました。これらの共通点は変化が早いということです。
そこに私が到達できる情報の先端という唯一性の他者記号を見いだすのでは
ないでしょうか。
これとは逆に他者記号になりにくいのは、変化が少ない記号です。
それはたとえば、政治であるとか、行政関連であるとかです。
現代の大衆がこれらに興味が少ないのは、欲望すべき唯一性の他者が見えない。
政治自体が、固定化してしまっているからではないでしょうか。
なにに他者記号を求めるかは、人それぞれです。
あなたは、どの他者記号を欲望していますか?
たとえば、私はいまは「ポストモダン的哲学、思想」であり、それを欲望しているだろう他者です。
ぴかーさまが挑戦的なんだもん!!
493 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 01:51
均質化する大衆の中で、今、あなたが唯一であるために、
欲望する唯一性の他者記号は、
また欲望されたい唯一性の他者記号はなんですか?
494 :
考える名無しさん:04/03/18 02:05
なるほど・・・「唯一性の他者記号」というのは、ポストモダン哲学で言われる
ところの「差異」のことですね。大文字の他者のなかには、「私」という場所が
ない。あるいは「私」はつねにすでに盗まれ、搾取されている。そこにあるのは
「一般性の他者記号」としての「私」でしかなく、すくなくとも、びかぁという
「この私」はそこに偽りの欲望、他者の欲望をしかみることができない。「私」
の「ほんとうの欲望」は、差異としての「唯一性の他者記号」のなかにしかあり
得ない・・・こういう事でしょうか。
495 :
考える名無しさん:04/03/18 02:09
先生、差異は決して融合しないものなのですか?
Brainwashedの対訳はたぶん間違っているよ。
これは強く生に対して肯定されているもので決して
ネガティブなものじゃない。洗脳じゃない。洗脳という
マイナス要素は比喩だ。ブレインフォッシュドということは
現在過去経験関係時間空間欲望でさえもつまりブレインフォッシュド
であってそれら全部取り去ってしまったときに何があるか?
ということへのポジティブな答えのことだよ。
「An eternity of darkness
Got Got Got someone turned out the spiritual light」
あなたもまたあなたの意思で私をブレインフォッシュするように願います
またはあなたもまたあなたの意思と私との融合がはたされますように
躍動的なパロールはいいもんだ
497 :
考える名無しさん:04/03/18 02:21
これは、誤爆ですか? 意味不明。
498 :
考える名無しさん:04/03/18 02:25
>>496 なんのこと?コピペ?
「An eternity of darkness
Got Got Got someone turned out the spiritual light」
を見るかぎりはネガティブなものではなさそうだね。
なんか東洋的神秘主義の匂いがするけど。気のせい?
499 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 10:30
ポストモダン哲学の差異?
よくわかりません
500 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 10:40
唯一性の他者はラカンの言う大文字の他者、あるいは対象aとは違います
それらは否定神学的でありある種の絶対性がある
生まれたときに失われている
それは東氏的表現でいえば言語の不完全性=ゲーテル的不可能性です
しかし唯一性の他者記号はどちらかというとデリダ的不可能性=郵便的不完全性です
現前の他者が欲望を隠し、その差異で自己を規定でくなくなった
そして記号をとおしてしか他者が見えなくなった
501 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 10:45
たとえばアニメオタクは
アニメの向こうに他者を見ているのです
だからアニメが他者記号となります
ここで考えないといけないのが
エバァならエバァでいいですが
その記号表現シニフィアンに多数の人たちが他者を見るわけです
そのときなにがおこるのか?
502 :
考える名無しさん:04/03/18 10:51
唯一性の他者が、大文字の他者と同じだなどとは言ってないでしょう?
文章をよく読んでくださいね。しかし、対象aとは近い、あるいは同じ
だとは言えないでしょうか? ぴかぁーは、大文字の他者と対象aを
同じもののようにカンチガイしてはいませんか? 私の記憶が確かなら
それらはまったく違う概念ですよ? 対象aの事をわざわざ小文字の他者
という言葉を使って区別していたと思います。私もラカンにくわしい者
ではないが、そのふたつを混同してはならない事くらいは知っていますよ。
それから差異という言葉を使いたくないなら、1行目は無視してもらって
もかまいません。なにしろ多義性のある言葉ですからね。
503 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 10:56
そこに唯一性をみるためには
他者と少しでも違う位置に立たないといけない
他者より深くエバァをしらなければならないし
シミューラークルという自分だけのエバァをつくらないといけない
しかしその他者はみえない
すなわち方向性としては内的に向かう
そしてエバァという記号意味は多くのひとの欲望を内在し、自立的に成長していきます
それが記号組織化であり
世界はこのような組織化=虚像化した記号で溢れていきます
504 :
考える名無しさん:04/03/18 11:07
びかぁが前に使った言葉は、他者記号の唯一性でしたね。それはラカン的用語法
では、対象aに近いとおもう。
505 :
考える名無しさん:04/03/18 11:14
唯一性の他者記号・・・か。
506 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 11:38
対象aとは社会=差異の体系の中で明確に自己の位置を規定する関係性です
現代は自己が差異の体系の網から離れ、浮遊します
そしてみなが他者記号(例えばエバァ)の元に引き寄せられ新たに関係性をつくろうとしますが
しかし物質的、社会的規定がないために変化しつづけます
しかし自己を規定したい欲望の象徴として対象aをとらえるならば
他者記号は対象aといえるかもしれません
対象eぐらいでどうでしょうか
507 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 11:46
たとえば私の対象aは彼女の欲望であり
私の対象eは恋愛という他者記号=大衆が彼女と私の恋愛をみて羨ましく思われたい、他者がしているだろうドラマのような恋愛をしているだろうか
508 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 11:50
対象eはからなず大衆=虚像他者群との関係性であらわれます
509 :
考える名無しさん:04/03/18 11:52
対象aのその定義は私にはよくわかりませんね。対象aとは、かっては
あったが、いまはない、あるいはかっては到達していたが、いまは到達
不可能な距離にまで遠ざかってしまった他者、というような含意があった
と思います。したがって、喪の概念と関係がある。まあもう一度、ラカン
を勉強しなおしてみますが、びかぁの定義はよくわからないね。
510 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 11:53
名無しさんは対象eです
511 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 12:03
ラカン自体はあんな感じなので後世の解釈によっています
たとえば対象aは黄金数といいます
喪、他者の死と自己の関係に対象aは見出だされるようなことですね
私も勉強しなおしてみますがパロール的、社会的他者が前提とされます
そこが対象eとの違いだと思います
512 :
考える名無しさん:04/03/18 12:05
新語を乱発すればいいというものではない。あまり、やりすぎるのでは
ないか?
513 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 12:21
新語というか過去の哲学との相対化位置を明確にするためですね
実写をマンガにするようなものですね
自己を自己の力で見つめる力がなくなった、億劫な人たちには友好です
それが原エクリチュールにより様々に解釈されるリスクをおってもです
われわれは記号にしか欲望できなくなっているのでしょうかね
514 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 12:33
デリダの言語記号解釈は現代大衆社会において有効であるというのが私の視点です
デリダは反復可能性を形而上学の転倒に使ったわけですが
これを言語記号認識の本質と考えれば
現代は反復可能性社会といえる
そして原エクリチュールの断絶力が加速されている世界です
そこに現代人の認識構造がある
なぜ人は形而上学を信仰するにいたるのかというデリダからの逆転の発想ですね
515 :
考える名無しさん:04/03/18 12:33
新語を作ったなら、そのことばの意味付けと解説をまずしなけけばならない。
でないと、「他者」にはわからないぞ。まちがって解釈されることだってあるしね。
難しい言葉には特に必要だな。
「記号化」しても、「他者」にとっては意味をもたなくなる。
516 :
考える名無しさん:04/03/18 12:36
なにか、コロコロ変わられると議論もできない。きのう言っていた他者記号
というのを、今日は対象eと呼ぶわけ? そこのところをはっきりしてよ。
漏れはこれで、しばらく落ちるが。
517 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 12:42
現代社会は情報過多です
その中で重要視されてるのが
いかにキャッチに記号を切り出し大衆に届けるか
それがうまくいけば記号意味は大衆の中でかってに自己増殖しますから
コマーシャル技術ですが
これはまさにデリダのいう「原エクリチュールの暴力」をいかにうまく活用するかです
これにより私たちは仕掛けられた記号により世界を認識するようになっています
現前を現前として認識することができなくなっている現前の欲望を現前として欲望できない体になってしまった
518 :
考える名無しさん:04/03/18 12:49
>>517 世界を認識していたとしても、その実質を確実に捉えて理解している
とは限らない。
519 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 12:50
記号として切り取られたもの
少し前に骨抜き魚の切り身が売り出されましたが
意図を含み、苦労をしない記号が提供されることになれてしまった
そして自己を見失う
だから唯一性を求める
しかしそれさえ記号としてしか認識出来ない
現前を苦労して欲望する力がなくなっている
ロリコン、アイドル、二次元、ブランド品、恋愛、メール、絵文字、ペット、あゆ…
なんでこの人は自分の言葉で話さないのか?
521 :
考える名無しさん:04/03/18 12:54
勉強中だからです。
言葉を使うことによって覚えるのです。
522 :
考える名無しさん:04/03/18 12:56
ぴかぁの場合は、全然うまく言ってないね。びかぁの概念なんか全然
流行ってないもの。ただ、びかぁという変わったコテハン自体は流行
ってて、それがびかぁ言うところの人格消費なのだろうな。つまり、
びかぁの売り出す最大の目玉商品は、びかぁというおのれ自身なんだね。
びかぁにとっては、びかぁが流行りさえすればそれで成功で、何を考え
ているかなどは、別に問題ではないんだ。「びかぁ〜という商品」
523 :
考える名無しさん:04/03/18 12:58
ぴかぁ〜の興味が、ぴかぁ〜本人の向上であることは
間違いないだろうな。
524 :
考える名無しさん:04/03/18 13:03
「他者」の「記号」の真意は確実にはわからないのでは?
もし「暗号」だったらどうするのかな?
525 :
考える名無しさん:04/03/18 13:09
524の言うことも意味が伝わらないね・・・
526 :
考える名無しさん:04/03/18 13:20
>>525 意味が伝わらないということは、「自己」と「他者」で「記号」の解釈が
異なっているからに他ならない。
自己解釈→「記号」は「言葉」
527 :
考える名無しさん:04/03/18 13:30
やれやれ・・・
意味が伝わらなければ「コミュニケーション」は成り立たない。
平易な言葉でわかりやすくすることが望ましい。
言葉だけじゃなく、物体であっても「認識」という「コミュニケーション」は
成立しない。
「物体」が何であるか「解析」(解釈)されることが大切だ。
531 :
考える名無しさん:04/03/18 13:59
釣れまつか?
>>528 >意味が伝わらなければ「コミュニケーション」は成り立たない。
意味が全部伝わってもコミュニケーションは成り立たない
本人が意図した意味が伝わらなくてもコミュニケーションは成立する。
パクリ、概念のすり替え、骨抜き、自己流解釈上等の人が自己正当化してるように聞こえてしかたがない。
535 :
考える名無しさん:04/03/18 14:27
さむい。よな?
さげで行こうぜ。ぴかぁーの思うつぼだよ・・・
ここらで、ソフィアさんのコメントがほしいな・・・↓
馬鹿者!
きゃははははははははははははは!
ハニカムハーツ!!
馬鹿! 馬鹿者! 低脳! おととい出て来い!!
>>534 基本的にぴかぁーの戯言はすべて自己正当化を原動力としています。
引篭もりの自分を正当化するハニカムハーツなどその典型です。
異常に2ちゃんやヒキコや女子高生やアニメやロリータにこだわるのもそのせいです。
悪いのは己の性癖でなく、記号組織化なのです。
544 :
考える名無しさん:04/03/18 15:29
__
`ヽ, `ヽ /゚ヽ
,.' -─-ヽ. / ヽ
<i iノリノ))))>/ )
ノl i_゚ ヮ゚ノli / (Sophia
( (i/wkつつ7 )
∠,ノ,イつつ (キキキ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.| )
| (ぴかぁ
|〜〜〜〜〜〜〜〜
ぴかぁーは、絶対ひとと同じ土俵には立たない。立ちそうになると、
すぐに変わり身して逃げる。つねにひとと違った存在でないと気が
すまない。
>>534 それは昔、兄というコテハンが親切に問いかけていた事と同じです。
しかし、この中年、ヒキコ、中年、無職、昔女子高生で痛い目にあったっぽい、
2ちゃんねるで自分の妄想をあたかも真面目に説明してる事が自分のステータス
だと思ってるっぽい、「ぴかぁ〜」というコテハンはその事も理解できないでしょう。
自己懐疑的になる事はこの人の防衛機制にとって支えきれない
抑圧になるのでしょう。
「誰からみてもこの人はもう終わっちゃった人」だという事実に耐えられない事から
自分で自分を天才とか百年後の哲学者とか思わないとやっていけない
のでしょう。。。。たとえそれが本人をさらに「終わっちゃった人」に
しているとしても。。。。。。。。
もはやこの人には目に映った単語ならなんでも自分の妄想通りに意味を変え
つなぎ合わせて改行を繰り返している単なるプログラムと同じです。
機械的にその単純な習性に従って動くじめじめした害虫と同じです。
548 :
考える名無しさん:04/03/18 15:34
いまいち今回のはパンチがねーな
Sophiaとぴかぁ〜の相互参滲。
さすがに・・・・・ほんものSophiaは、偽者とは格が違いますな!!
罵倒王の称号をささげたい。今後は、聖罵倒王Sophiaをお名乗りください・・・
551 :
考える名無しさん:04/03/18 15:37
ぴかぁーの手口
哲学者の概念を自己流に乱用しておいて、その間違いを指摘されると
「わしのやっているのは読書会じゃないから」
という。
>>548 何を言うか! 失礼な。同じくらいの事が出来てから言って欲しい。
すみません
確かに私には真似できないレベルでした。。。
554 :
考える名無しさん:04/03/18 15:41
ぴかぁ〜鼠
>>551 それは当然でしょう、、だって本人が本を読めてないじゃん。
租豚、今日は調子悪ーぞ。
罵倒王の称号をもらったからといって最近たるんでねーか?
見事なダメ出し。とどめは指されたか・・・
558 :
考える名無しさん:04/03/18 15:46
最近ソフィアを持ち上げすぎたかな。
賞味期限は後3日で急下降か。
豚は社会の寄生虫だが、ヒキコに対する罵倒に関しては天下一品。この事実は曲げられない。
560 :
考える名無しさん:04/03/18 15:49
うるっせーよおめーら
>>556 そう言われれば反発して逆にぴかぁ〜の言い分を支えるレスを
したくなりますが、残念ながらこのコテを養護する言葉が
全然見当たりません。
>>561 つまんねーよ
もっと罵倒しろや、禿げ女
>>548 あの、、なにかコンプレックスとか持ってる人ですか???
豚って言われて、すぐ自分の事だと認識するソヒアたん・・・哀
ソフィアは素直なんだよ。
そういや、初めの頃、友人達とみんなでそのコテ使って書き込んでるとか
いってたな。前言撤回する。
今日も禿げ
明日も禿げて
ああ禿げて
つまんねーんだよ。禿げ女!!!
その人はもういません。
>>568 とすると、初期の激しかった人は、そのもういない人ですか?
違うて。SはSだよ。誰だって変わるだろ?
一番初めに一緒に講座をとってて冗談でスレをたてただけです。
「あのさ、哲学のペーパー書くんだけど」これ覚えてますか?
っていうか1 名前:ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU 04/03/02 14:32
についてその狂った妄想からこの本人の人格を観察するスレですよね?
ここは?
そのスレ覚えてる。
始めは知的な留学生というキャラだったのが
煽られてだんだん狂ってくる様が笑えたw
573 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 16:14
にちゃんねるがおもしろいのが現前化しないはずの
他者記号の向こう側の他者がしゃべり出した点ですね
引篭もり来たー!!
わからない文章だすなよな。
ほら、豚の出番だぞ
577 :
考える名無しさん:04/03/18 16:20
ソフィアに振ると、人に指図されたくないのか
投稿遅らす。実は繊細なソフィア。
579 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 16:23
それは未知との遭遇ではありませんが複雑な心境です妄想的他者がしゃべりだした
自己内への他者の進入
他者内への自己の進入
あなたは何がいいたいのか
あなたは誰であるか
580 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 16:24
それは未知との遭遇ではありませんが複雑な心境です妄想的他者がしゃべりだした
自己内への他者の進入
他者内への自己の進入
あなたは何がいいたいのか
あなたは誰であるか
581 :
考える名無しさん:04/03/18 16:25
>>579 進入は実際には起こらず、互いの想像の展覧会
じゃだめですか?
582 :
考える名無しさん:04/03/18 16:31
さあ、自己弁護、自己正当化が始まりましたよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
とりあえず改行が多い人、ウザいです。
584 :
考える名無しさん:04/03/18 16:44
うるせー、ボケ
585 :
考える名無しさん:04/03/18 16:45
名無しで書き込むんじゃね-よ、ボケ
改行もリロード数(レスの早さ)も多いですね。
587 :
考える名無しさん:04/03/18 16:51
藁w
588 :
考える名無しさん:04/03/18 17:16
はてさて581に反論すべきか、いつも通りシカトするべきか。
でも581へうまくレスすれば、より持論に箔がつくかもしれないし・・
うーん。 ハニカムハニカム・・・
>580 :ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/18 16:24
>それは未知との遭遇ではありませんが複雑な心境です妄想的他者がしゃべりだした
>自己内への他者の進入
>他者内への自己の進入
>あなたは何がいいたいのか
>あなたは誰であるか
いかに自分について現実感が感じられない病気に陥っているかを
実感を込めて如実に語っていますね。
この手の精神錯乱者は、そのうち誰でもどんなモノでも自分に見えてきたり
するのでしょう。その結果、物事の道理を自分に都合の良いように解釈して
自分の修復不可能な惨めな抑圧から気に入らない事は全て道徳的にも間違って
いると解釈して、自分そのものが道徳だと妄想する理由から、人道的に取り返し
のつかない残酷な犯罪をお花畑を歩くような気分で犯すのでしょう。。。
サイコパスの原型ですね。。。
現に既に2ちゃんねる掲示板に書き込む内容そのものが
「自己内」として分類されていますから。。。
まさに「このスレが自分の全て」なんでしょうね。。。
みなさ〜ん、世の中にこんなに可哀相な生き物がいるなんて
驚きですね〜!!!!
傍から見てるとどうしても道化にみえてしょうがないですね。
ぴかぁーの子守りも大変なんですね・・。
ソフィアはなににそんなに熱くなっているの?
自己実現の一環です
596 :
考える名無しさん:04/03/18 19:29
ソフィアは子ぴかぁーみたいなものだな
597 :
考える名無しさん:04/03/18 22:07
アホアホ コンビ ッテコト?
ソフィアあってのぴかぁ〜、ぴかぁ〜あってのソフィア。
メルポン的にいうと、そこにはじめて存在が生まれるわけですね。
599 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:41
<加速するデリダ的対象a>
ラカン的対象a
人は言語を獲得した。そして言語により、世界を認識する。
しかし言語には、私とはなにか?という問いに論理的に答えられない
根元的な自己言及の不完全性構造がある。
これは東浩紀氏的表現でいえば「ゲーテル的不可能性」である。
私の言語認識では、私とはなにか?がぽっかり空いてしまっているのだ。
この穴を埋めるために、人は他者の存在に頼らなければならない。
「他者の中にある私」を見ることにより、その穴を埋めようとするのである。
その「他者の中の私」がラカンのいうところの「対象a」である。
600 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:42
他者が「他者の中の私」=「対象a」を欲望することにより、私の存在の有意味性が保たれるのである。
他者が他者の中の私を欲望することにより、私は肯定される。
これは「私が真に欲していることが実現されるときには、私の欲望は他者の欲望として
実現されるのである。」だから私は他者の欲望を欲望するのである。
しかしその穴は、私が「他者の中の私」を見るだけではを完全に埋められない。
それは「大文字の他者」の視点=神の視点によって、私が見られように、
私が「他者の中の私」を見たときにのみ可能となる。そして「大文字の他者」に私が欲望されたときに、
私の存在の完全な有意味性が得られる。これがラカンの思想である。
601 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:42
デリダ的不可能性が加速された現代
このラカン思想に対して、デリダは反論した。
それは、ラカンが「郵便物は必ず届く」言うのに対して、
デリダは「郵便物はかならず届くとは限らない」という反論を行った。
これの意味するところは、デリダの主張、「反復可能性は、パロール的現前の他者の
純粋性は保証されない」ことから来ている。
コミュニケーションにおいては、私と他者の間には、コミュニケーションの不完全性
=郵便がとどかない不可能性があるということである。
私とはなにか?と考えるときには、ゲーテル的不可能性とともに、
デリダ的不可能性を考えなければいけない。
それを考慮せず、大文字の他者による対象aという考えは、
否定神学でしかないというのがデリダの反論である。
602 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:42
デリダは反復可能性を形而上学の転倒に使ったわけであるが、
これを言語記号認識の本質と考えれば、現代は反復可能性社会といえる。
デリダの言語記号解釈は現代大衆社会において有効なのである。
それは原エクリチュールの断絶力が加速されている世界ということである。
そこに現代人の認識構造がある。なぜ人は形而上学を信仰するにいたるのか、
というデリダからの逆転の発想であり、現代の対象aとしての「唯一性の他者記号の私」には、
このようなデリダ的不可能性が加速された状態を考えなければならないのである。
現代において現前の他者の欲望は隠されている。
均質化する大衆の中で、私たちは「対象a」を「現前の他者の中の私」に変わり、
「唯一性の他者記号の中の私」に見いださなければならない。
そしてラカンの「人の欲望は(現前の)他者の欲望である。」に対して、
私たちは「人の欲望は他者が欲望していると思われる記号(他者記号)の欲望である。」
603 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:43
現代社会は情報過多である。
その中で重要視されてるのが、いかにキャッチに記号を切り出し大衆に届けるか。
それがうまくいけば記号意味は大衆の中でかってに自己増殖する。
コマーシャル技術であるが、これはまさにデリダのいう「原エクリチュールの暴力」をいかに
うまく活用するかである。これにより私たちは仕掛けられた記号により世界を認識するようになっている。
現前を現前として認識することができなくなっている現前の欲望を現前として欲望できない体に
なってしまっている。
意図を含み、苦労をしない記号が提供されることになれてしまった。そして自己を見失う。
だから唯一性を求める。
しかしそれさえ記号としてしか認識出来ない。現前を苦労して欲望する力がなくなっている。
われわれは記号にしか欲望できなくなっているのかもしれない。
ロリコン、アイドル、二次元、ブランド品、恋愛、メール、絵文字、ペット、あゆ…などの
「唯一性の他者記号」を欲望する。
604 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:43
加速するデリダ的対象a
この「唯一性の他者記号の私」が、ゲーテル的な不可能性を根元にしている点は、
ラカンの「対象a」と同じであるが、デリダ的な不完全性がより顕在化しているという意味で
デリダ的対象aと言うべきものである。
「唯一性の他者記号」において、記号の向こうの他者とは、他者の情報が大きく欠落しおり、
私と他者とのコミュニケーションの不完全性=郵便がとどく不可能性が増加しているのである。
ロリータを欲望する、欲望されたいのは、ロリータが大衆化する前の「唯一性の他者記号」だからである。
ペットは野生という記号であり、大衆化しない「唯一性の他者記号」である。また他に他者記号として、
ブランド品や、アニメ、パソコンを上げた。これらの共通点は変化が早いということである。
そこに私が到達できる情報の先端という唯一性の他者記号を見いだすのではないではないだろうか。
605 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:44
アニメオタクはアニメの向こうに他者を見ている。だからアニメが他者記号となる。
ここで考えないといけないのが、たとえばエヴァというデリダ的対象aに多数の人たちが
他者を見るわけであるが、それが他者に繋がっているか、
それはデリダ的不可能性によりわからないのある。
このような関係性の中でなにがおこるのか?
そこに唯一性をみるためには、他者と少しでも違う位置に立たないといけない。
他者より深くエヴァをしらなければならない。
それが他者記号を通した他者の記号であるだろうから。
そしてシミューラークルにより、自分だけのエヴァという唯一性をつくる。
ラカン的対象aを欲望することは、社会=差異の体系の中で自己の位置を規定する。
それに対して、デリダ的対象aを欲望することは、自己が差異の体系の網から離れ、
浮遊し、そしてみながデリダ的対象a=他者記号(この場合はエヴァ)の元に引き寄せられる。
606 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/18 23:44
この欲望は物質的、社会的規定がない、
現前する他者という規定がないためにある種のランダム性をもつ。
そしてエヴァの記号意味は多くのひとの欲望を内在し、自律的に、ダイナミックに変化しつづける。
自律的にエヴァの世界が広がっていくのである。それが記号組織化の加速された姿がある。
そして現代はこのような組織化=虚像化した記号で溢れているのである。
>>599-606 うーん、東による中期デリダの読み、をなんとなーく理解してる感じですかね。
もうちょっと厳密な論理展開が出来るといいと思いますよ。これは別にひやかし
レスではないです。ぴかぁ〜さんは自分の文章で書いているだけ、他のやつより
いいと思っています。柄谷、ハイデガー、ジジェク、ガタリ、キットラーあたり
を絡めて書くともっと説得力を増すと思いますよ。がんばってください。
608 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/19 02:12
609 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/19 02:15
>>607 東による中期デリダの読みの使い方と違いまでわかって貰えると
嬉しいのですが。
>>609 まず、東の「存在論的、郵便的」という本は非常に戦略的に書かれていて、
「批評空間」的言説空間の存在、「フーコー、ドゥルーズ、デリダ」とい
う三位一体に固定的に集約されていた80年代日本のポストモダン思想、さ
らにはヒューマニズム的ハイデガー像、などが避けていた部分にメスを入
れるというコンセプトがあると思います。なので、それらの前提を離れる
とたちまち東の言う「隠喩備給の枯渇」が起こってしまう、という事態に
なる。これは「存在論的、郵便的」の欠点でもあり、また逆にアクチュア
リティでもあります。なので直接「存在論的、郵便的」を応用した理論は
少し厳密性を欠くのではないかと思われます。ならばいっそ、一度それら
の前提に立ち戻り(迂回し)、論を組み立ててみてはどうでしょうか。
それとぴかぁ〜さんがいう中期デリダとは東の言う中期デリダとほぼ同じ
時期のテクストですか?「郵便葉書」あたりは英訳で読まれたのでしょうか。
もしよろしければ内容の要約をしていただけると嬉しいのですが(私も英訳
を買ったのですが英語はやっぱ苦手ですw)。
611 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 02:59
同一性信仰とはなにか?
情報過多の中で記号「枠」にイメージに消費する
これは人の知能のハード的限界からくる制約かもしない
612 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 03:06
>>610 まずどの程度真剣に読んでいただいたかですね
なかなかしろうとの文など集中して読む方はいないですから
その一からですが
これから郵便的との相似のみを抜き取られると辛いです
なくても内容はかわりません
付け足し程度ですから
内容的にはどちらかというと東氏と対峙するのは動ポスです
613 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 03:12
もしご興味あればはてな版のその一、そのニをどうぞ
その三も近日公開よていです…
>>612 なるほど。「存在論的、郵便的」にこだわり過ぎたようですね。失礼。
デリダのほうはどうでしょうか。
>東による中期デリダの読みの使い方と違い
というのをここで端的に書いていただくと嬉しいです。
PS はてなのほうは一応全て読ませてもらいました。理解が難しいところが
少しあって、そのヒントになればと思い、質問しています。
615 :
考える名無しさん:04/03/19 03:56
真夜中に良スレハケーンの予感。
それは良かったですね。
>>598 何勘違いしてんの?
ぴかぁ〜なんて単なる単純なプログラムみたいなもんでしょ?
偽者は本物にはなれません。
そりゃそうです。
621 :
考える名無しさん:04/03/19 04:18
いいですよねw
メール欄ageゲラップププwって
622 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 09:18
>>614 ご苦労さんです
違いですか、書いていたかもしれませんが
デリダ読みに関しては根本に全然違って私の場合は、人が形而上学に向かってしまう必然性はなにか?
からの読みになります
だから東氏の用語があってもそれは付けたし、程度でしかないです
623 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 13:24
同一性への欲求は、自己においては
有機構成的生命の本質といえる
そして世界を認識においても同じようなことが言える
すべてが唯一性の世界ではそもそも世界を認識することなどできない
そして物理的には同一性はデータ圧縮機能と考えることができる
限られた記憶容量でいかに世界を「経済的に」認識するかである
624 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 13:32
たとえば目の前にりんごが百個あったとして
どれ一つとしてまったく同一なものはない
色、形、大きさが違う
これを仮にすべて唯一なものと認識すると
われわれの記憶容量はあっという間にパンクするだろう
だからすべてりんごという同一なものとして認識し
百個と記憶する
このような言語はソシュール的差異の構造として体系化され、世界すべてを認識することを可能にしている
625 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 13:40
デリダはこのような差異体系が擬装可能性の上に成り立っていることを発見したわけであるが
すなわちこれは認識上の癖をしたようなことである
それでもわれわれは形而上学的に世界を認識せざる終えない
たとえばそれはデリダの「脱構築」が記号として独り歩きし
形而上学的記号になってしまっている面からもわかる
デリダはそこに「責任」という言葉を持ち込むわけであるが
ある意味スローガン的でしかない
626 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 13:46
さらには現代はポートリアールの指摘するように
大量消費、複写技術、物質的豊かさの中で
記号消費社会を迎えている
これを記憶容量で考えると我々を取り巻くあまりに膨大な情報の中で原エクリチュールの力に大きく依存しなければ
世界を認識できなきなっているのかもしれない
627 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 13:55
われわれはもはや現前のものの中に限りない唯一性を見出だすための
記憶容量の余裕がない
他者から与えられる原エクリチュール力により加工された簡略化された記号をそのまま受け入れる
それは子供の絵本のようなものだ
絵本は知能が未熟な子供を教育するために
世界について加工し、簡略化した記号である。
まさにわれわれの世界は絵本化、マンガ化している
628 :
考える名無しさん:04/03/19 13:57
ピカピカの一年生
629 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 14:11
現前する他者の唯一性と関わることをさけ
カテゴライズされた記号として受け入れる
コンビニ、ファーストフードの店員は
唯一な他者ではない。
同じ制服を来た記号である
われわれはそれを望むし
われわれがそれを望んでいることをメーカーは知っている
巨乳、ロリコン、制服、かわいい
彼女たちの唯一に興味がない
他者が欲望していると言われる他者記号を欲望しておくのだ
ただ記号を消費するだけである
テレビ、雑誌が与えてくれる絵本に萌えていればいい
なぜなら限りある認識力、記憶容量は大切に使わなければならないから…
630 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 14:17
わが子、この手間のかかる記号化されず、現前性、唯一性を迫ってくる他者
私はこのために私の限りある認識能力をそそいでもいいのか
世界にはもっと楽しい絵本に溢れている
そうテレビから流れる他者記号は呟く…
恐れべき幼児虐待の心理はこのような心理かもしれない
631 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 14:25
それでも現代人は疲れている
溢れる情報洪水の中で認識し選別し記憶しなければ
生きていけない
似たものはなるべく同じものへ
興味のないものは簡略化され与えられたままで
絵本の世界を泳いでゆく…
632 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 14:47
近代化、それは数量化革命であり、科学化である
それは還元主義。同一性の世界
この時に絵本化は始まったといえるだろう
世界を単位に還元し、現前性、唯一性を解体することにより、記号は情報として加速し始めた
産業革命は、還元化された単位を実体化し、組み立てる作業であり
創造の加速化である
そしてわれわれは物理的豊かさの世界を迎える
それは現前性を解体し構築した記号の世界であった
そこではわれわれも記号と化していた
他者の現前性も解体され、欲望は仮面の下に隠される
もはや私は他者の欲望を欲望できない
633 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/19 14:50
3月20日は、キキキの誕生日であるヽ(゚∀゚)ノ
634 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/19 14:52
>>629 そんなことない。びかぁ〜は真のロリータについて何も知らず、
ただ、本で読んだ知識だけで観念的な空論を述べている。お前はロリータを知らん。
636 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/19 17:56
たとえば?
たとえば、じゃねえだろう? このウスラバカが!
「ぴかぁ〜の日記」
昨日のバイトの面接の結果の電話が帰ってきた。どうやらぼ、僕はあまりにも
エリート「サラリーマン」だからそういう単純な作業は「簡単すぎて使い物
にならない」らしい。ぼ、僕の才能は「知能的に高度に発達した人でないと
使い切れない」のだろう。 今僕が心配しているのは「今の時代の人間に僕
の能力を見抜ける人間がいてくれるのか」が気になる。
現実に僕はこの「ネットというサイバースペースに直結している唯一の人類」
だから「ネットという不確定に無尽蔵に人の意思が交差する領域と一体化」している
僕は最早「全人類の思考のマスター」なのであろう。
今この世の中に必要とされる人は唯、唯一僕であり、それが必要とされないのは
紛れも無く「世の中が正しく機能して無い」事が純粋な理由である。それ故に僕は
「正義の名の下にこれを矯正しなくてはならない」。最早これは「人類の意思であり
地球の意思でもある」のだから。
もっとも火急に「それが絶対に行われなければならない理由」は「全国の女子高生
の流行の中で私はカリスマではない」からである。これは明白に「社会のシステムが
何らかの理由によって後退している」からである。私は「理由を考える事は無駄」で
ある事を「先天的に熟知している唯一の存在」であるから私のとるべき道は唯一つ、
この「多くの人がアクセスする2ちゃんねるというサイバースペースに私の意志を
移植してこのサイバースペースの力で社会を変える」しかない。
実を言うとラカンやフーコー、デリダなどは「よくわからないが、私の下僕で
あるから」彼等の言葉は民衆を導く道具として有効なのである。彼等が一体何を
考えているのかはこの最全く「問題ではない」のである。何故なら、「私は天才で
あり、私の思う事はそれらの思想を凌駕しているから」である。アメリカ社会について
もよく判らないが、「とにかくアメリカ社会は何々というと、人は関心するようなのでこれもつかえる道具なのである。
問題は「今の」可愛い女子高生とロリータが私の言葉を理解できるかどうかで
ある。なにしろ、私は天才であるが「彼女らは頭が悪いから理解できないかもしれない」。
この事が今の私には「一番気がかり」である。
本で読んだ知識だけで観念的な空論を述べている・・・図星だろうが?
おまえには、何の経験もないんだよ。口先三寸で、2ちゃんの有名人に
なろうとしてるだくだろが。
>>639 素晴らしい・・・・罵倒王として完全復活された名無し様の
天才的な罵倒を称えよう!!
聖罵倒王名無しさま、万歳!!
>>639 先生、あの、、この患者さんはその事に気が付いていない病気にかかって
いると思うのですが、、、。
ソフィアはこういう場では天賦の才を見せつける
644 :
考える名無しさん:04/03/19 21:57
>1
つかヘーゲル哲学そのまんまですよね。最終的には絶対知に至るんでしょ?
これだから、低脳は仕方がないですね。
そんなことより目を覚ませ、ぴかぁ〜!!
かあちゃんが泣いてるぞ!!
オメーラ、全員デリダ、ソシュール、ボードリヤールくらいについては自論が展開
できるようになってからぴかぁ〜様に挑めよな!無礼千万だぞ。特にソフィア、お
前は最低だ。突然、本当のことを言うんじゃないよ。もっとゆっくりゆっくり母の
愛で赤子を包むようにしゃべれ、この野郎。
これからもがんばってください、ぴかぁ〜様。
649 :
考える名無しさん:04/03/19 23:51
>>645 ↑低脳といえば、自分が利口者になると勘違いするヤツw
私も
「これからもがんばってください、ぴかぁ〜様。」
一刻も早く女子高生とロリータにとって名実ともに「カリスマ」の座に
君臨できるように、「デリダ、フーコーの言葉を巧みに操って」、真実の
声にしてこの「2ちゃんねる」で「神様の声」として残してください。
あと、「病院の看護婦さん達」にはあんまり迷惑をかけないようにして
ください。 お金もらって「仕事であなたの話を聞く」だけですから。。。
651 :
考える名無しさん:04/03/20 00:04
>>650 だからあ〜。お前ももっと愛を持ってしゃべれっつってるじゃねえか。イメ
クラのような優しさをもってルーズソックスのように甘美な抱擁をぴかぁ〜
様に与えてやってくれよ!!!頼むよ。無限の愛だよ。無限の愛だけがハニカム
ハーツたちを救うんだよ。「友愛のポリティクス」だよ。
アハハ!!
そうだね〜。
これも「コミュニケーション」ですから、
「差異」として「私でない世界は実体化され、私でない他者は実体化され、
私でない私が実体化される」システムに組み込まれてしまうのでしょうね〜。
「ぴかぁ〜教祖」には「他者を自己とし、世界を自己とし、そして自己を
自己とする自己化行為である」循環のループにまた戻って欲しいものですね〜。
「ぴかぁ〜教祖頑張ってー!!」
優しくなったかな?
>1
あなたと同じ種類のお友達の虫くんの言葉から抜粋
>「自分に見合った理想」を知るべきである。
>人間、理想というものを想像するが、
>自分を越えた理想は蜃気楼と同じである。
>犬は犬、花は花、人間は人間、そして自分は自分である。
>自分にできる事の限界を知らないと、最大限の力を発揮した
>末に手に入る心の底からの満足は得られない。
>自分の理想とは自分の限界に面するものであり、
>ラクな方へ自然と逃げようとする人間には理解しづらいものである。
>理想を知る難しさは、環境により身に付いた価値観と、
>自分の能力が活きる分野の違いにより生まれる。
>その二つの衝突を迎えては理想への到着は不可能である。
>まず発想力を駆使し、自分というものを知らねばならない、、、
ピカもだいぶ内容が変わったからね
昔のような、石を投げれば何でもかんでも批判になる状況からは脱したというわけか
もっとも言葉使いにばかりこだわって中身はうすっぺらいてことは変わらんがね
とりあえず、内容は読む気もせんが、1に書いてあることを翻訳してみる
>認識とは世界とのコミュニケーション行為である。
枕詞、どうやらピカはこれからコミュニケーションについて論じたいようだ
>そしてコミュニケーションとは、他者を自己とし、 世界を自己とし、そして自己を自己とする自己化行為である。
コミュニケーションとは、主体(自分)とそして主体(自分)とは異なる外界との間で織り成される関係であり
主体は自分でないものを自分のものとして理解するがためにコミュニケーションを行おうとする
>@複写
>コミュニケーションとは、主体が主体の内部に起こった心象を客体の内面(心象構造)に
>再現させようとし、客体が主体の内部に起こった心象を、客体の内面(心象構造)に再現しようと
>すること、すなわち心象構造の同期行為である。
コミュニケーションとは具体的にどのようなものか
例えば二人の異なる人物「ピカ」と「ソフィア」がいたとする
(何らかのテーマに関するコミュニケーションにおいて ※-これはわたし自身の補足-)、
ピカはソフィアにピカ自身の理解を伝えようとする、また、ソフィアはピカにソフィア自身の理解を伝えようとする
(ここで双方が伝え合いたいのは、言語そのものではなく言語が示す意味内容である
我々は言語を通じて、その言語が意図するものを伝達しようとする)
つまりピカもソフィアもお互いに自分の理解を相手に複写しようとする
このように、コミュニケーションとは相互理解を最終目的とし
言語を通じて、他者に自らの考えを複写し、他者の考えを自らのものとする行為である
ぴかぁ〜は哲学をコピーと勘違いしてる。
コピーライターにでもなった方がいい。そっちの方が才能がある。
哲学は向いてない。論理的思考ができないのが致命的。
続き
>心象構造とは記憶である。
人間の思考とは記憶である(いきなりドグマ)
>記憶とは@先天的記憶、A後天的文化記憶、B後天的個体記憶でできている。
人間の考えは、先天的なもの、後天的に文化によって刷り込まれたもの、後天的に個人の体験によって培われたものの3種類に分類できる
>そしてその記憶形成の時間から考えても、B後天的個体記憶はわずかであり、
>私と他者の心象構造は限りなく近く、すなわち他者とは限りなく私である。
(2と3の比較)
しかし、後天的に個人の体験によって培われてきた考えなどほとんど微々たるものである
なぜならば、個人の歴史など、文化の歴史の前では圧倒的に時間が短く、考えに影響を与える量も少ない
我々は言語を通じて思考を形成する、しかし我々が使用する言語もまた文化の影響を受ける
すべからく、我々の思考形式は文化にそのほとんどの影響を受ける
そのため、異なる文化間においては異なる思考形式になりがちである
これと比較すれば個人差などとるに足らない程度のものだ
(注-「@先天的なもの」とは異なる人種であろうとも皆同じ人間である限り思考の基本は変わらない、というピカの考えが輸入されている-)
したがって、わたしと他者との間に大きな考えの相違はなく
あるのは言語の使用方法や周辺の文化や地域性の違いでしかない
自己も他者も限りなく等しいに近い
>すなわち他者とは限りなく私である。
詩
657 :
考える名無しさん:04/03/20 00:52
絵本化する世界 その3
なぜ人は記号を信仰するのか?
デリダは<b>「あらゆる主体はその「名」によって純粋な「自己の現前」を奪われる。
固有名の本質的な反復可能性は、名で呼ばれるすべての主体の純粋な固有性を
不可能にしてしまう原暴力である。」
そして「反復可能性は絶えず一定程度の「イデア的同一性」を生み出す。」と指摘した。
これは言語の差異の体系の中で、「「決定不可能」なせめぎ合いを一定の仕方で「決定」し、
この「決定」を固定化する」形而上学、あるいは反形而上学に繋がる暴力と指摘した。
ここからデリダは脱構築を提唱し、「「決定不可能なものの決定」を思考し、かつ実践する。
そうした「責任」」を求めたのである。
658 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:55
しかしこのような「原エクリチュール暴力」であり、「形而上学、あるいは反形而上学的暴力」は、
人の言語記号認識の根元的なものとも考えられるのである。
そしてそこには、「なぜ人は記号を信仰し、形而上学を信仰するのか?」という問いが生まれる。
これはデリダ思想の逆転の発想である。
そして現代の記号消費社会は原エクリチュール暴力が加速された社会といえる。
そのような意味でデリダの言語記号についての解釈は現代大衆文化を考える上でも有効なのである。
659 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:55
認識能力の限界説
このような「イデア的同一性」への欲求は、自己においては
有機構成的生命の本質といえるかもしれない。
そして世界を認識することにおいても同じようなことが言える。
すべてが「純粋な現前性」の世界では、そもそも世界を認識することなどできない。
差異の体系が完全に消失した世界はまさに混沌である。
さらに「イデア的同一性」は身体の物質的なデータ圧縮機能と考えることもできる。
限られた記憶容量でいかに世界を「経済的に」認識するかということである。
660 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:56
たとえば目の前にりんごが百個あったとして、どれ一つとしてまったく同一なものはない。
色、形、大きさが違う。
仮にこれらすべてを純粋な固有性のものとして認識すると、
われわれの記憶容量はあっという間にパンクするだろう。
だからすべてりんごという「イデア的同一性」なものとして認識し、
それが百個あると記憶する。
このようにして、言語はソシュール的差異の体系により、
世界のすべてを「経済的に」認識可能にしているのである。
デリダはこのような「イデア的同一性」が偽装可能性の上に
成り立っていることを「発見」したわけであるが、
これは人の認識上の癖を指摘したと言えるかも知れない。
それでもわれわれは「イデア的同一性」として、さらには形而上学的に世界を認識せざる終えない。
それはたとえば「脱構築」でさえも、デリダの意図を離れて、独り歩きし、
形而上学的記号になってしまっている面からもわかる。
661 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:56
絵本化する世界
さらには現代は大量消費、複写技術、物質的豊かさの中で記号消費社会を迎えている。
これを記憶容量で考えると我々を取り巻くあまりに膨大な情報の中で原エクリチュールの力に
大きく依存しなければ、世界を認識できなきなっているのかもしれない。
われわれはもはや「純粋な現前性」のものの中に限りない固有性を見出だすための
記憶容量の余裕がない。
他者から与えられる原エクリチュール力により加工された簡略化された記号をそのまま受け入れる。
それは子供の絵本のようなものだ。
絵本は子供のために世界についてわかりやすく、簡略化した、加工した記号である。
まさにわれわれの世界は絵本化している。
662 :
考える名無しさん:04/03/20 00:57
うぜーよ、死ね!
663 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:58
近代化により現代に繋がる世界の絵本化は始まったといえるだろう。
それは数量化革命であり、科学革命である。それは還元主義であり、
「還元された同一性」の世界である。
産業革命は、「限りない固有性」世界を単位に解体して、
「イデア的同一性」=記号として世界を再生産する作業である。
均質的に作られた記号はマスメディアの複写技術により世界にばらまかれたのである。
そしてわれわれは物理的豊かさの世界を迎える。それは記号の世界である。
664 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:58
欲望をコントロールするハニカムハーツ
そこで立ち現れるのが他者である。この限りなく私である存在の「限りない固有性」を解体して、
「イデア的同一性」へと再生産する行為は、苦痛を強いるだろう。
なぜなら他者を限りなく私とは違う存在として規定できるような独裁者でもない限り、
他者の「限りない固有性」を解体することは、自己の「限りない固有性」を失うことと同じだからである。
しかし世界には他者が溢れすぎている。
彼ら一人一人の「限りない固有性」を認識するほど我々の認識能力にはもはや余裕はない。
だから他者を記号化する。そしてそれは自己を記号化することでもある。
他者を回避し、他者の欲望も欲望しなければ、自己の欲望も欲望されないようにするのである。
665 :
考える名無しさん:04/03/20 00:58
ぴかぁ〜のはてなを読めるやつはある意味天才だろうね。タームの使い方が
曖昧で、かつ「これはどういう意味ですか?」と聞いても答えてもらえない。
もっと真剣に読んでくれ、と言われてしまう。また、解説書を読んだだけで
原書を読んだ気分になっているからそれが事を一層不明瞭にしている。もしも
「基本的には自説の開陳であって、デリダやソシュール、東などはあくまで
参考資料」というスタンスでいくのならそれはそれでいいのだが、せめてもう
ちょっとコモンセンスというか共通理解の可能な言葉で書いてほしいな。
666 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:58
しかしそれだけでは済まない。自己が自己であるためには、
他者の欲望を欲望しなければならないのである。
そして記号の向こうに、あるであろう他者の欲望するのである。
ここでは他者は私の許しなく「限りない固有性」として現前することはない。
私は私の認識能力の状況になわせて、記号を選別し、
その向こうにいるであろう他者の欲望を欲望することができるのである。
社会的に他者回避し欲望を隠す外面的自己と、
他者記号を欲望する内面的自己という二重構造がうまれる。
自己が外層的に均質な殻をもち内部にこもる。
ハニカムハーツ(蜂の巣状化する心たち)の誕生である。
667 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:59
絵本の住人
現代人は疲れている。溢れる情報洪水の中で、認識し、選別し、
記憶しなければ、生きていけない。
似たものはなるべく同じものへ、情報は簡略化され与えられたままで、
なぜなら限りある認識力、記憶容量は大切に使わなければならない。
そして絵本の世界を泳いでゆく…
現代、私の許しなく「限りない固有性」として現前する他者は、拒絶される。
そして社会はさらに記号化している。コンビニや、ファーストフードなどを筆頭にして、
店員は、「限りない固有性」を隠した同じ制服を来た記号である。
われわれはそれを望むし、われわれがそれを望んでいることをメーカーは知っている。
668 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:59
テレビや雑誌は大量の情報を放出する。
しかしそれは絵本的でなければ、わかりやすい記号でなければ、受け入れることはできない。
巨乳、ロリコン、コスプレ、かわいい、彼女たち自身がもつ「限りない固有性」は必要とされない。
それは記号として絵本的記号として、わかりやすく提示されればよい。
わが子、この手間のかかる記号化されず、現前性、唯一性を迫ってくる他者。
私はこのために私の限りある認識能力をそそいでもいいのか。
世界にはもっと楽しい絵本に溢れている。
そうテレビから流れる他者記号は呟く…恐れべき幼児虐待の心理はこのような心理かもしれない。
仏教に近づきつつある。
670 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 00:59
それでも私は、絵本化された世界の中で、自己という限りない固有性を見いださなければいけない。
それは、絵本の中から私が他者記号を選別するのである。
記号の向こうにいるだろう他者を選定するのである。
それは私の興味のある記号であり、そこに唯一性の他者記号でなければならない。
記号の向こうにいるだろう他者の欲望を欲望し、記号の向こうにいるだろう他者に欲望されるほどに、
他者記号については、深く知らなければならない。
唯一性を見いださなければならないのである。だからなおさら、
その他の記号は絵本的記号であってほしいのである。
>A差異
>コミュニケ−ションは主体と客体の間にたえず以下の二種類の差異を生み出す。それをコンスタティブ
>あるいはデノテーション的な記号(言語)意味差異と、パフォーマティブあるいはコノテーション的な
>心象的意味差異と呼ぶ。
コミュニケーションが成立するには必要な条件がある
それはコミュニケーションをとろうとする者同士、例えばピカとソフィアに差異があるという条件である
(それぞれの意見に違いがなければ対話は発生しない)
したがって、コミュニケーションがある限り、必ずそこには意見の違いが存在することになる
(→対話が存在する限り、2つの異なる意見が存在する)
この違いは2種類に分類できる
言語の違いと、内面的理解の違いである
>差異により、私でない世界は実体化され、私でない他者は実体化され、
>私でない私が実体化される。
「実体化」の意図するところがちと不明
それ以降使用されてないし・・・・・
>>671 修正
言語の違いではなく、言語上の違い
「使用する言葉の違い」ということです
>C消費
>コミュニケーションは差異を駆動力として、差異を解体し、解消しようとして、反復される。
対話は、意見の違いがなければ生じない、また、対話は相互理解を最終目的とする(
>>654)
そのため、意見の違いを中心に、その相違を解消しようとして対話は進む
そして、(必ず)新たなる意見の違いを生み出す
(このように、コミュニケーションは違いを解消しようとして違いを生み出すものであり
常に回転しつづける振り子や、揺れ続けるやじろべえのようなものだ)
>記号意味差異を解消する行為を記号消費と呼び、心象的意味差異を解消する行為を人格消費と呼ぶ。
呼び方について
>これらは独立したものでなく、コミュニケーションにより相補的に解消される。
われわれは、対話において、言語を通じて内面的理解の違いを、内面的理解を通じて言語上の違いを解消しようとする
>昼行灯
君、偉いよ。
675 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:17
676 :
考える名無しさん:04/03/20 01:18
おいおい、昼行灯ちゃん、そういうことするからつけあがるんだよ。
つーか、あんたの文章もツマンネー。つーかぴかぁ〜の自演か?
>D循環
>コミュニケーションとは、他者を自己とし、世界を自己とし、そして自己を自己とする自己化行為である。
>すべてを自己化しようとする行為は、生命が生命である本質的な「欲望」(自己複写、自己維持)である。
コミュニケーションの動機は生命の本質的欲求である(ドグマ)
>このために循環において始まりと、終わりを問うのは意味がない
そのため、このコミュニケーションの循環(新たな意見の違いが生じるため終わりがないのだから
>>673)において
終わりを問う意味はない
はじまりに関しては、上でピカが「生物の本質的欲求」と結論を出したので
答えが出ているから問う意味がない
本人自身も昼行灯のレスを読んで初めて自分のレスを理解したんじゃね?
とまぁ、俺なりに翻訳してみた
これでピカに対して具体的につっこめるはず
説明不足のドグマや、自らはじまりを問うている点とかあるからね
680 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:34
681 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:37
682 :
考える名無しさん:04/03/20 01:46
ぴかぁ〜って小林よしのりに似てると思う。彼の漫画を読んでるときと似た
印象を持ったよ、はてなを読んでて。彼らの解りづらさは「転移してくる読
者しか受け付けない」ある意味精神分析的排他性というようなものを持って
いる。これは現代の「活字離れ」(隠喩備給するロゴスの枯渇)の結果である
と思う。誤解しないでほしいが、これはひやかしや煽りではない。ただ、ちょ
っと論文としては欠陥があまりに多すぎると思う。
683 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:51
>>682 論文論はちらほらでますね。
私も自分の専門では論文はいくつも書いていますし、
その大変さはわかっていますが、そこまで労力は使えないです。
これで飯を食っているわけではないので。
もしこれを論文並に仕上げると思うと、その労力にぞっとします。
残念ですが・・・・
>>683 その前にお前は論文の書き方を知らんだろ
でなけりゃ俺がこんな苦労する必要もないんだよ
685 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:54
しかしいつかそれなりにまとめるかもしれません。
いまは発想の断片みたいな感じですか。
まあ、10年先?50年先?
686 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:55
>>684 その前にあなたは思考のし方を知らないんでしょうね。
>>686 お前よか知ってるよ
>>654で俺が書いただろ
コミュニケーションにはテーマが必要だって
論文にも題が必要だろ
最初に持ってくるのは問題提起なんだよ
思考もそう、最初にあるのは問題意識
688 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 02:00
>>687 ではご披露ください。
いや、このスレでは困りますが。
689 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 02:01
できたらURLをここにはっておいてください。
>>689 俺に何かの意見を書けと?
ならここでピカのコミュニケーション論を否定して
新しいのを提出するよ
691 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 02:07
>>690 まあ、その当たりからはじめてみますか。
できれば、1000になるまでに。
次スレはスレテーマかわりますので。
692 :
考える名無しさん:04/03/20 02:10
>>683 レスどうもです。昼行灯さんのいうように「生物の本質的欲求」という言葉
はぴかぁ〜さんの論にはNGワードにしてもよいと思うのです。すべてがそ
こに収斂してしまうので。ただ、僕が見たところ、ぴかぁ〜さんは「根源的
な何か」を無理に名指ししようとして「生物の本質的欲求」とつい書いてし
まったような観もあると思いますが。
それと、2chがポストモダンを越えていく、というのもいまだに意味がちょ
っと不明です。
693 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 02:18
>>691 んじゃ、俺はピカの循環を批判する
対話は循環ではない
もちろん対話に決定的終焉があるなどとは俺も考えないが
それが循環であると考える理由もどこにもない
・循環とは
A→B→C→A、と常に同じ回転をし続ける、さながら永劫回帰といったところか
コミュニケーションは循環ではない、
なぜならば対話にはルールがあるからである
1矛盾の禁止
われわれは矛盾した主張を行うことはできない
したがって対話の反復を通じて我々は矛盾を除去できる
一度矛盾であることが分かったならばその矛盾は避けることができ、また、避けるべきであるということだ
したがって矛盾を避けつづけながら対話を続けるならば、
それは同じところの循環ではなく新しい問題へと開拓されていくことになる
2普遍化可能性
対話において発言したものは説明責任を負う
これは問題に対して論理的にコミットする責任を負うということであるが
ピカが過去に言ったように、すべてのことがらにおいて我々が何らかを同一視する必然性はない
しかし、それを説明に用いることは説明責任を果たしていないということである
具体例を出そう
目の前にまったく外見が変わらない2つのリンゴ、リンゴA、リンゴBがあったとしよう
もしここで誰かが「このリンゴAは〜い(何らかの形容詞)が、リンゴBは〜くない(先ほどと同様の形容詞)」という発言をしたならば
その者は形容詞の語句の説明として2つのリンゴの違いを説明しなければならない
ここで「これはこれであれはあれだから」という説明は通用しない
つまり、AがもちBがもってない特徴を挙げる責任がある
この「コレはコレ、アレはアレ」の禁止
これが2つ目のルールだ
このような禁止事項により
我々のコミュニケーションは循環でなく
むしろコミュニケーションを通じて考えが拡大発展していくと解釈した方がずっと理にかなった解釈である
おかえり >昼行灯
>>693 うーん、哲学的にはどうでしょうかね。ブルーバックス的なものの寄せ集め
を読んでいるような感じしか受けなかったかな、正直。ぴかぁ〜さんはヘー
ゲル、マルクスあたりの歴史哲学はどのように考えてるのかな?あんまり興
味なさそうですけど。「科学者は最低の哲学を選択しがちだ」アルチュセール、
という言葉を思い出しました。
>>696 ただいま
どうも夜に書くと文章が荒くなっちまう
>>695 概ね賛成ですね。分析→総合、のルールは守るべきだと思う。ヘーゲルの言う
ように、一挙に具体的普遍を把握することは出来ない。思考過程の尊守こそが
哲学とも言える。
700 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/20 02:53
昨日の中期デリダの人ですか?
はやりの馬鹿の壁的思考ではありませんか
昨日もそうですが
自分の知識外か「アポケー」してしまう
レスをするのが微妙につらいですね
中身と心がない
煽りでなく自分にあったスレをさがしてみればどうでしょ
701 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/20 03:02
欲望とは本質的に人格消費である
ぴかぁーの欲望を欲望しようとする****たち
煽り返すぴかぁ〜より、ひとりでこつこつやってたぴかぁ〜のほうが良いよ。
>昨日の中期デリダの人ですか?
ん?違いますよ。
「ブルーバックス的なものの寄せ集め」というのは煽りでなく正直な感想
です。多分「中身と心がない」とは、あれだけ書いたのだからもっと親身
になって読んでくれということでしょうが、それはちょっと違うと思いま
すよ。理解もしてないのに理解者づらするほうが、論文の読者としては倫
理を欠く行為だと思っています。それに自分の知識外のことをアポケーし
たりしてはいませんけど。????
704 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/20 03:20
そうですか
雰囲気がにていたので
記号房が多いですね
話の本質との関連は関係なく、中身は興味ないが、レスの中の記号をみつけそこだけで絡んでくる
デリダ?東?ニーチェ?
絵本の中の住人ですね
限りない現前性に向き合い関わることができない
めんどくさい
あなたがそうとかではなく
>>704 だからさー。
>>699でも書いたけど、学というのは直接「限りない現前性」を
目指すものじゃないでしょ?まずは記号によるルールある間接性を通過してか
ら「直接性」を目指すから客観的なわけですよ。あなたのいう「絵本の中の住人」
に留まること(衒学に満足すること)を批判するのはもちろん大切です。しかし、
通過点としての「絵本の中」に飛び込んでいくことから逃げてはいけない。めん
どくささはありますよ、もちろん。でもそれが書き手の倫理なのです。
既に、ぴかーは罵倒を快感へ変換させる術を編み出しているようだ。
これは、まずい心理状態へ突入してるんでないかい?
昼行灯という強力なサポーターが現われてよかったね。
・・・なかなか意外な展開ではあるが、けっこう波長は合っているようだな。
(この二人は)
682は、どうかな・・・?
709 :
考える名無しさん:04/03/20 04:58
あんたは少しー、イカれてるけど、気にしちゃいけないーよー、
動物園のー、動物たちはー、なーにがなんだか、死ぬまでわからない
つまり、愛の不可能性について、といった所かな? 絵本化した社会とは。
ちょっと、マックス・ピカートとか思いだしたね・・・カトリックの人だが。
711 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/20 10:49
682はやはり絵本ちゃんやったか…あぶないあぶない
712 :
考える名無しさん:04/03/20 12:14
ぴかぁを読んで手っ取り早く現代哲学を勉強するとするか
やめとけ
>685 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:54
>しかしいつかそれなりにまとめるかもしれません。
>いまは発想の断片みたいな感じですか。
>まあ、10年先?50年先?
>683 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 01:51
>論文論はちらほらでますね。
>私も自分の専門では論文はいくつも書いていますし、
>その大変さはわかっていますが、そこまで労力は使えないです。
>これで飯を食っているわけではないので。
>もしこれを論文並に仕上げると思うと、その労力にぞっとします。
>残念ですが・・・・
感心しました。 ぴかぁ〜さん、、、、頑張ってくださいね。。。
>>711 どうやら僕にはぴかぁ〜さんと対話するほどの器量はなかったようですね。
僕は、まず絵本ちゃんになることを目指し、その後で「限りない現前性」
に対したいと思います。失礼しました。がんばってください。
>私も自分の専門では論文はいくつも書いていますし、
こういうすぐばれる嘘をつくからみんなから馬鹿にされる
717 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/20 13:04
哲学オタクと思考好きはある意味対極の存在なのかもしれませんね
1 の文章を判り易く噛み砕いて言い直してみたら
どうなるの? と聞いているテスト。
しかし、この手の哲学者の論文って、実生活では
ほとんど役に立たないんでしょ?
ぴかぁ〜さんへ。
いつもあなたの高説に感動して読ませていただいております。
あなたの今の現代人にはない、過去の哲学者達から正当にハイブリッド
され、独自の論理によってインテグラルされた、アドバンスドで芸術的
な論理には誰も感激を隠せないと思います。
あなたはまさにこの板にとってかけがいの無い宝です。
そこで、この板にいる「ぴかぁ〜の二番煎じ」のようなコテハンが
います。名前をキキキといいます。 その彼にあなたの素晴しい理論を
もってオリジナルの優位性を示して欲しいと思います。
あなたは自分の専門でいくつもの論文を書いていて大変お忙しいと
思いますが、どうかよろしくお願いします。
>>719 まさに、それこそが、この板の存在意義と言うべきものですな!
この板最高の知性の激突を、固唾を呑んで遠くから見守りたいと思います(感涙
722 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/03/20 16:02
いろいろ他の人が待っているようです。
さあ、ぴかぁ〜さん、貴方の出番ですよ〜!!
ソフィア、わしのちんぽをしゃぶれ!!
724 :
考える名無しさん:04/03/20 16:39
イミフメイ ヲ キソウ スレ ッテココデスカ?
ぴかぁ〜さん、貴方の出番ですよ〜!!
ぴかぁ〜さんはお忙しいようですが、この板の皆さんはとても
固唾を呑んで「ぴかぁ〜さんのキキキにたいするコメント」を
待っています。
ぴかぁ〜哲学だけがケネディ暗殺の真犯人を導き出すことができます。
ぴかぁ〜哲学は鉄鎖の他に失うものを持ちません。
ぴかぁ〜哲学は定説です。
727 :
考える名無しさん:04/03/20 20:33
オダイモク トナエレバ ソレダケデイイ トイウスレ ハ ココデスカ?
728 :
考える名無しさん:04/03/20 20:41
ここは過激に行きたいところですか。
729 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/20 20:41
730 :
考える名無しさん:04/03/20 20:47
お、うまそう。
ぴかぁ〜哲学はあなたのオナニーライフを豊かにします。
ぴかぁ〜哲学はあなたの脳を活性化、もしくは衰退化させます。
ぴかぁ〜哲学はア○ウェイ哲学と双璧をなす、現代思想の宝です。
732 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 22:04
>うーん、哲学的にはどうでしょうかね。ブルーバックス的なものの寄せ集め
>を読んでいるような感じしか受けなかったかな、正直。
これらがブルーバックスにのっていたら、やばいでしょうね(w
たぶんテクニカルタームだけしか見えたいなかったということでしょう。
>ぴかぁ〜さんはヘーゲル、マルクスあたりの歴史哲学はどのように考えてるのかな?あんまり興
>味なさそうですけど。「科学者は最低の哲学を選択しがちだ」アルチュセール、
>という言葉を思い出しました。
いまは大局的な認識、大衆文化に興味があります。
734 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 22:14
>1矛盾の禁止
>われわれは矛盾した主張を行うことはできない
>したがって対話の反復を通じて我々は矛盾を除去できる
>一度矛盾であることが分かったならばその矛盾は避けることができ、また、避けるべきであるということだ
>したがって矛盾を避けつづけながら対話を続けるならば、
>それは同じところの循環ではなく新しい問題へと開拓されていくことになる
これはコミュニケーションのマニュアル?
お作法教室で教えてくれそうですね。
コミュニケーションは矛盾だらけですね。
それと循環の意味が全く違いますね。
735 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 22:15
>2普遍化可能性
>対話において発言したものは説明責任を負う
>これは問題に対して論理的にコミットする責任を負うということであるが
>ピカが過去に言ったように、すべてのことがらにおいて我々が何らかを同一視する必然性はない
>しかし、それを説明に用いることは説明責任を果たしていないということである
責任!?こりゃ、おしゃべり好きのおばちゃんは大変だ。
>具体例を出そう
>目の前にまったく外見が変わらない2つのリンゴ、リンゴA、リンゴBがあったとしよう
>もしここで誰かが「このリンゴAは〜い(何らかの形容詞)が、リンゴBは〜くない(先ほどと同様の形容詞)」という発言をしたならば
>その者は形容詞の語句の説明として2つのリンゴの違いを説明しなければならない
>ここで「これはこれであれはあれだから」という説明は通用しない
>つまり、AがもちBがもってない特徴を挙げる責任がある
>この「コレはコレ、アレはアレ」の禁止
>これが2つ目のルールだ
>このような禁止事項により
>我々のコミュニケーションは循環でなく
>むしろコミュニケーションを通じて考えが拡大発展していくと解釈した方がずっと理にかなった解釈である
一昔前の分析哲学のようですね。言語学ほとんど知らないんですね。
それでわたしに意見していたのか・・・
まあ、実際に書いてみればこんなものですよ。
あなたは一言コメント屋として生きていくことを推奨します。
ぴかぁいつも通り遁走
737 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 22:26
>ピカ
脱力してしまうのは俺の方だよ
こんなものは分析哲学とは呼べない
お前は論文を書いたことがあるのか?
お前は理詰めでものを考えたことが一度でもあるのか?
俺がお前の文章を翻訳して欠点を指摘できるのに対して、なんでお前は見当はずれの反論しかできないんだ?
少しは進歩したのかと思ったが、お前の返答を見て確信したよ
お前、自分の脳で考えずに他人の本から文章をもってきただろ
みなさん、ニュースです!!!
「ぴかぁ〜全集」全51巻 刊行決定
ポストモダンの終焉を高らかに告げ、新たな思想的地平を切り開いた、天才の華麗かつ
厳密なる思索の軌跡。21世紀の世界に屹立する悲しくも激しい思考の極北。
第一回配本 別巻1「書簡集等」(上下) 予約受付中 予価 各¥6,800(税別)
・幼稚園年長のときに初めて書いたラブレターから、晩年の隔離病棟治療日記までを
全網羅。付録、学歴・職歴年表。
寄稿論文「ぴかぁ〜さんの思い出」キキキ(哲学者) 解説 ソフィア(細君)。
>>738 あまいですよ。そんな脅しに引っ掛かる人間だとでも思いましたか?
>>739 君も、勘違いな粘着は早めにやめるべきだな。
741 :
考える名無しさん:04/03/20 23:47
確かに一年前から比べると、ぴかぁ〜の文体も何も残っていない。
しゃべり場の影響受けてスレ立てて馬鹿やってた頃のピカは
馬鹿なりに自分の頭で話していた。
最近見てみれば、東がどうだとか、デリダがなんだとか、
言わば、自分で判断できない正否の部分を引用することで
補ってる。補えているのか?補おうとしている。
結局発展している部分は、煽りの手がぴかぁ〜城本丸を焼き尽くすまでに
篭城して稼げる時間を増やしたということくらいじゃないの?
評価してねーよwww
744 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/20 23:56
>>738 >こんなものは分析哲学とは呼べない
当たり前でしょう。
コミュニケーションとはそういうものです。
とりあえず、以後放置させてもらいます。
>>743 やれやれ、あなたも少しはこんなとこでほっつき歩いてないで
勉強でもするんですなw
106 :考える名無しさん :04/03/19 04:44
ス ピ ノ ザ は
ス ペ ル マ に
似 て る ん だ ろ w
107 :勝利宣言しちゃうよ? :04/03/19 07:55
ス ピ ノ ザ は
ス ペ ル マ を
煮 た も ん だ ろ w
>>744 俺の書いた文章は分析哲学とは呼べないのだが
お前はどのような解釈をしたのだ?
まぁピカが俺を相手にしたくない気持ちも分かるがね
749 :
(゚ε゚)きにしない!!!:04/03/21 00:19
|゚ε゚)きにしない!!!
以後放置と言ったはずです。お引取りください
751 :
考える名無しさん:04/03/21 00:23
次いってみよう
また遁走。(プゲラ
以後放置と言ったはずです。お引取りください
逃げたっていいじゃないか。ぴかぁ〜様にだってわからないことくらいあるよ。
以後放置と言ったはずです。お引取りください
みんなもわからないことあるだろ?そこを突っ込まれたら嫌だろ?
ぴかぁ〜様はほとんど何もわかってないんだから、ほとんど全てにおいて優しくして
あげなきゃいけないんだよ。みんなもオナニーを途中で止めさせられたらどんな気分
になる?とっても嫌な気分になるだろ?それとおんなじことなんだ。もっと大きな心
を持とうよ。ねっ、お母さん。
以後放置と言ったはずです。お引取りください
758 :
考える名無しさん:04/03/21 02:48
>>756
なるほど
759 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 04:02
760 :
考える名無しさん:04/03/21 04:04
761 :
考える名無しさん:04/03/21 04:17
解説って、きみぃ・・・
762 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 04:21
きみぃって、きみぃ・・・
763 :
考える名無しさん:04/03/21 04:33
初期のあずまんと違って、君は誰も思想的に尊敬していないから、
とても大物にはなれないね。しつれい、君は今のままで満足なんだったね。
絡みにくい原因はぴかぁ〜の態度のほうにあると思うんだが・・・。
絵本ちゃん、記号坊、とかレッテル貼りする前に、人から何か学ぼうとは思わない?
せっかく読んでくれる人がいるんだから、もう少し謙虚になってもいいと思うよ。
なんかもったいない気がするんだよね。
765 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 04:56
>>763 私を誰だと思っているんだ!チミは!
ただのチンピラだぞ、東氏と比べてどうすんの?
絡みにくい原因というか、絡むから問題なわけで。
良コテになるためには、有意義なレス以外徹底的に放置すべきなんでしょうが、
別に良コテになるつもりもないので、こんな感じですね。
766 :
考える名無しさん:04/03/21 04:57
誰がみても、ぴかぁ〜は「自分主義」なんだ。それでもいいけど
あまりに無自覚、無防備なんだよ。。。わかれよ。
767 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 04:59
人から何も学ぼなくて、素人の私がまがりなりにも
デリダを語ることができますか。
学ぶべき人には学んでいる。ただ学ぶべき人はわずかそれだけのことです。
こんなのにレスしてるからダメなんだな・・・
768 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 05:00
769 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 05:04
それにしても、最近、論文にならないとか、東氏になれないとか、
微妙〜な勘違いレスが増えていますね。
私はどこにも行きません!哲学板のぴかぁ〜ですか。
770 :
考える名無しさん:04/03/21 05:06
行きません・・・じゃなくて、行けません が正しい日本語
771 :
考える名無しさん:04/03/21 05:07
哲学オタクを先に定義して語れば虫除けになるのでは?
772 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 05:11
哲学オタク・・・哲学採取することのみに目的をおく方々。
773 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 05:15
傘がある
自殺する若者が増えている。
でも僕の問題は傘がある・・・けど、興味がない。
774 :
考える名無しさん:04/03/21 05:16
われわれ、みんな2ちゃん中毒患者(トホホ
ぴかぁ〜ひとりを笑えない・・・
775 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 05:18
ってかさ、だれでもいいからはてな読んでよ。
一人ぐらい読んでくれないと、寂しいじゃん。
最新は、わかりやすく書いたつもりなんだけどなあ。
読んでもらうって難しいね。これで金が入ればもっとがんばるけど・・・
[コメント]デリダってだりだ?・・・いやぜんぜん寒くないっすよ。
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/
776 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 05:19
キキキっぽくなってきたので、寝ます・・・
777 :
考える名無しさん:04/03/21 05:19
2ちゃんごときは便所の落書き。読書するか、寝てたほうがどれほど
ましか・・・なのに、ひろゆきの奴が、こんな余計なもの作りやがった!
ひろゆきの馬鹿者! 早く死んじまえ。
778 :
考える名無しさん:04/03/21 05:47
2ちゃんなど、早く閉鎖せよ!
779 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 05:57
ってか、はてなは人が来てるのか、来ていないのか知りようがない・・・
素人ですけど今回のは読んでわかりましたけど、
名前で呼ぶのが暴力っていうのは、わざとらしい不自然な誤認としか思えません。
あと、〜の魔力って言っちゃった時点でもう古臭くてついていけないのです。
そんな魔力のはびこる世界には何の魅力も感じないというか・・・(文学ならまだしもね
781 :
考える名無しさん:04/03/21 06:06
>>779 喜べ。いちおう、お気に入りには入れてあるぞ。
782 :
考える名無しさん:04/03/21 06:11
あなたは、いったい何時間2ちゃんに居ましたか?そして何を得たというの
ですか?
ピカがもう少しデリダを理解してれば議論したいとこだけど
このレベルじゃ真摯な対話を望んでも無駄なことだろうね
とりあえずはてなダイアリーの結論から
>ネットスペースという、大量のシミュラークル(まがい物、狂言)を含んだジャンクの海へダイブし、検索し、コミュニケーションし、自ら価値を組み立てていけばいい。
>太古の海からそのように生きてきたのであるから。pikarrr
上は「〜すればよい」と価値について語っている
下はその理由付けとして「〜してきたのだから」と事実を理由付けにしている
有名な自然主義的誤謬だね
事実をもって当為の理由付けとする誤謬てやつだ
使っている単語をどう変えたところで、論旨が理論的に組み立てられていないんだよ
だから読んだ人に意味が伝わらないんだよ
価値判断と事実判断の区別は大事ですね。
1、根本的な知識量の欠落
2、根本的なセンスの欠落
結局はぬるま湯で育ったヘタレの限界丸出し
だれも認めやしないしウザイだけ
文学と科学は相容れないものなのか・・・・・・
788 :
考える名無しさん:04/03/21 09:36
ぴかぁとその批判者に和解は成立しないものか‥かく成れば双方に利益が生まれる事必定。
789 :
考える名無しさん:04/03/21 09:47
ぴかぁ自演うゼーよ
790 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/03/21 11:02
>ぴかぁ〜
ねえねえ、キキキがなにかぴかぁ〜に挑戦的な事いって
たけど、一度締めといたほうがいいんじゃないの???
彼、調子に乗ってるしぴかぁ〜の事をめちゃくちゃにいってるよー??
100年、50年前の知恵遅れの自称天才にそこまでなめられたら
普通は黙っておけないよねー!!
ちゃんと本当の天才と偽者の天才の違いを見せつけないとこの板の他の
私達凡人には「ぴかぁ〜さんもたいした事ない」と思ってしまうかも
しれません。
ぴかぁ〜さんの信者として早急にこのキキキに「真実」を教えてあげて
ください。 お願い致します。
791 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/21 11:03
放置しようと思ったがここまでの電波久しぶりだ!
目が点になった…ひさしぶりの天然天才登場か!?
おそれべし昼行灯!
792 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/21 11:05
ソフィアはぴかぁ〜の信者か、
って事は自分の思想を持たない凡人か、
ぴかぁ遁走
794 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/03/21 11:24
>ぴかぁ〜
>792
のようにキキキは逃げ回ってるようです。
795 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/03/21 11:38
あれ〜〜〜????
結局どっちも「あたふたして逃げ回るだけなの〜」???
私以外にもおそらく落胆してる人がいるみたいです。
>>795 これは意外な展開ですね。
どうも、大勢の方が過大評価していたようです。
今後、評価を改めなければならないように感じました。(落胆
798 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/21 11:51
ゴミ虫
800 :
考える名無しさん:04/03/21 13:14
てか、Sophiaが書きこんだとたんに反応しやがって・・・
おまいはパブロフの犬かってーの。
801 :
考える名無しさん:04/03/21 15:22
>ピカ
批判の内容に対する反批判は何もできないのね
まぁそんなものだと思ったよ
理論の客観的内容に興味が湧かない君はどうやら客観世界の住人ではなさそうだね
803 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/21 18:46
放置するの止めました
さてなにについて議論しましょ!
とりあえずあの循環からでいいのかな
他にましなのがあればそれでもいいけど?
>>803 何でもいいよ
それなりのテーマがあれば
805 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 19:48
それなりのテーマか。
っていうか、こっちはたくさんのテキストを出してるわけで、
根本的に納得いかないとかそういうのが良いのでは?
たして考えていること違わずにただ口げんかしているだけって
いうのが多いからね。
>>805 俺が納得いかないのは一点
コミュニケーションを循環と称するところ
循環は同じところをグルグル回るから無意味だからね
だから俺は「コミュニケーションの反復を通じて我々は真理に接近できる」という主張をしたい
前に俺が「デリダは(真理の存在する)未来と(コミュニーションを行う)現在との間の関係に無頓着だ」と書き込んで
ピカが「デリダが未来に無頓着だって?」と見当違いのレスをしたとこだな
地平は真理に向かって拡大していくってことだ
808 :
考える名無しさん:04/03/21 20:02
age
ぴかぁ〜に質問です。
「キキキについてどう思いますか?」
これだけは答えてください。
810 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 20:28
なるほどね。これは確かに面白い問題ですね。とりあえず、この当たりから。
この場合の循環とは構造的なものを指しているわけで、
差異の解消に向かうか、さらなる差異に向かうかは、問題にしていないわけだ。
問題はそこではなく、ここだね。
>循環は同じところをグルグル回るから無意味だからね
>だから俺は「コミュニケーションの反復を通じて我々は真理に接近できる」という主張をしたい
私の主張は
コミュニケーションは差異を駆動力として、差異を解体し、解消しようとして、反復される。
そしてなぜ解消しようとするのかは、そこにコミュニケーション欲求があるからだ。
それは「生物的な根元の欲求」であるということです。
他者とコミュニケーショしたい。ということですね。
そして「真理ってなに?」ということですね。
811 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 20:28
だから、
>コミュニケーションは循環ではない、
>なぜならば対話にはルールがあるからである
ルールは欲求に先立たない。だから必要ならば無視してでも行われる。
>1矛盾の禁止
>われわれは矛盾した主張を行うことはできない
>したがって対話の反復を通じて我々は矛盾を除去できる
矛盾した主張を日常普通に行われている。
やや強引にデリダを持ち出せば、言語にはコンスタティブ、パフォーマティブにも読解される
ときに起こる矛盾を指摘しているわけです。
例えば「なんの違いがある?」には、「なにか間違いがありますか?」とコンスタティブにも
取れるし、「なにか間違いがあるのかよ!ぼけ!」というパフォーマティブな意味も取れる。
812 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 20:29
>2普遍化可能性
>対話において発言したものは説明責任を負う
>これは問題に対して論理的にコミットする責任を負うということであるが
責任は、倫理的問題でしかない。
たとえば、消費者がりんご会社の試食して、
「このリンゴAはうまいなあ、でもこのリンゴBはまずいよ。だからりんごA買うよ」というときに、
2つのリンゴの違いを説明する責任などどこにもない。
813 :
考える名無しさん:04/03/21 20:37
ある意味、面白い。ギャグとして。
814 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/21 20:43
だしょ(w
>責任は、倫理的問題でしかない。
小学生でもわかんじゃん、そんなの。
あーあー
結局は誰とも比べられないで自分の飾りだけの
能書きを毎日ただ書き流してるだけだったんだね。。。。
もうちょっと骨のある狂いっぷりがみれると思ったのに。。。
すこしは危害のある人かと思ってたけど「口でいうほどでもなかった」
ですね。
>ぴかぁ〜
おっさんつまんないよ
>>816 たまにはいいこというねえ。ぴかぁ〜が嫌われるのは、博識派になることからも
エンタメ派になることからも、両方から逃げてるから、というか、理論の創造よ
りも逃げ場所の創造にやっきになってるとこだね。骨がないんだよ。多分「自分
では高学歴だと思ってたけど社会ではそうでもなかった」的なつまらないトラウマ
かなにかがあったせいであんな性格になったと分析してるけど、そういう男って結
構多いよ。悲しいけど。
>>817 やれやれ、これだから低脳は仕方ありませんな。
骨がないなんてのは、こんなところで粘着している君にもあてはまることですよ。
ぴかぁ〜さんて本当に引きこもりなんですか?正直おいくつ?
>>820 たとえば、ぴかぁ〜さんの理論や発言はここでは明らかにバカにされてますよね?
なのに何故いつまでたっても自分の理論や発言を社会的に通用するものにしようと
する意志が働かないのですか?
>たとえば、ぴかぁ〜さんの理論や発言はここでは明らかにバカにされてますよね?
ここではという全称命題ではなくて、あなたしか馬鹿にしてないんですよ粘着君。
>なのに何故いつまでたっても自分の理論や発言を社会的に通用するものにしようと
>する意志が働かないのですか?
それはあなたが馬鹿だからです。
823 :
考える名無しさん:04/03/22 00:02
ぶっちゃけさあ、ぴかぁ〜って言ってる内容じゃなくてさぁ、人間的な部分で馬鹿にされてんじゃない?
825 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 00:05
まあまあけんかやめなよ
こういう馬鹿は一度のしといたほうがいいんだよ。
>>822 まあまあ、そう怒らないで。気分を害したのなら謝ります。
ぴかぁ〜さんは、ぴかぁ〜理論を読んでも理解できない人は馬鹿だ、という考えでよろしいのですか?
まあ、そういうこった >823
>>827 ふっ、まあそのように考えられるなら、そう考えてもよかでしょう。
よかですか〜
よかですか?
よかですか?
現れたな、前田。
ぴかぁ〜さんの実像について僕なりに考えてみたんです。合ってるとこ間違ってるとこを指摘してね。
・親がまあまあ金持ち(歯医者、不動産屋など)
・引きこもりやいじめられっ子ではない
・自意識はともかく、友人の間では山崎邦正の位置付け
・高校までの学歴は中の上、大学は日大あたり
・いちおう作家もしくはなにかしらの文筆業を目指している
・学級委員長やバイトの責任者などのプチリーダー的役職が好き
・ちびでぶ
どうでしょうか?当たってるかな?怒っちゃやーよ。
・親がまあまあ金持ち(歯医者、不動産屋など) ×
・引きこもりやいじめられっ子ではない ×
・自意識はともかく、友人の間では山崎邦正の位置付け ×
・高校までの学歴は中の上、大学は日大あたり ×
・いちおう作家もしくはなにかしらの文筆業を目指している ○
・学級委員長やバイトの責任者などのプチリーダー的役職が好き ○
・ちびでぶ ×
835 :
考える名無しさん:04/03/22 00:47
びか〜は宮廷だろ。高額檪だよ
836 :
考える名無しさん:04/03/22 00:48
ありがとうございます。作家は誰が好きですか?
実際のぴかぁ〜さんて阿部和重の小説に出てきそうなキャラのような気がするな。
度を越した自意識過剰がある点でパチンとはじけてやたらアクティブになっちゃう、みたいな。
もう少し詳しく言うと、まず一番目は歯医者じゃなくて、ち
>ピカ
>この場合の循環とは構造的なものを指しているわけで、
言い訳、「循環」という言葉の意味はそういうもの
>差異の解消に向かうか、さらなる差異に向かうかは、問題にしていないわけだ。
差異の解消に向かうかどうかはこの問題とは関係ない
>私の主張は
>コミュニケーションは差異を駆動力として、差異を解体し、解消しようとして、反復される。
この文章自体はほとんど意味がない文章
>そしてなぜ解消しようとするのかは、そこにコミュニケーション欲求があるからだ。
>それは「生物的な根元の欲求」であるということです。
>他者とコミュニケーショしたい。ということですね。
この説明をするにはコミュニケーション欲求のない事例を提出せねばならない
もし、コミュニケーションをとっている事実がコミュニケーション欲求がある事例であり
コミュニケーションをとってない事実がコミュニケーション欲求がない事例であるなら
それは経験に関して論理的な説明となり、トートロジーとなる
つまり何も語ってないに等しいということだ
(例「ネプチューンが怒ると海が荒れる、なぜならば海が荒れる時はいつもネプチューンが怒ってるからだ)
>そして「真理ってなに?」ということですね。
「真理」とは英語では[truth]
そして、「真理」という概念が存在しなければ、「虚偽」という概念は成立しようがない
つまり「真理はない」という意見はそれ自体「虚偽はない」という意見となる
この意見の判例を提示するのは簡単だ
なぜならば「矛盾は虚偽ではない」という意見を言う人間は至極稀だからだ
(もっともピカはそのような主張をしているね)
続き
>ルールは欲求に先立たない。だから必要ならば無視してでも行われる。
なるほど、そうかもしれない
となると、ここで問題となるのは、俺が挙げたルールを無視する必要性をピカが指摘できるかどうかということになるね
>矛盾した主張を日常普通に行われている。
いや、行わないだろ
ウィトゲンシュタインは「(個人にとっての)世界は論理的である」と言っているぞ
どんなに不条理な夢を見ても、それを説明するのに「丸い四角」とか「白い黒」とか言わないだろ
>やや強引にデリダを持ち出せば、言語にはコンスタティブ、パフォーマティブにも読解される
>ときに起こる矛盾を指摘しているわけです。
>例えば「なんの違いがある?」には、「なにか間違いがありますか?」とコンスタティブにも
>取れるし、「なにか間違いがあるのかよ!ぼけ!」というパフォーマティブな意味も取れる。
コンスタンティブ、パフォーマティブは相互矛盾する関係になるのか?
これら2つを差異として説明する限り、むしろ矛盾しようがない関係になると思われる
「矛盾する差異」という表現は、差異について理解してないとしか思えない
(A、A’において、A’=notAを成立させるにはこの差異を解消せねばならないからである)
841 :
考える名無しさん:04/03/22 02:52
>>839 「矛盾は虚偽ではない、それは存在の言葉(形式論理学)においては虚偽だというだけ
のことである。生成においては矛盾なき論理こそ虚偽である」とまあヘーゲルあたり
ならこんな言い方をするかも知れないが、ぴかぁ〜はそのレベルまでいってないからね。
>責任は、倫理的問題でしかない。
この文章自体には意味がない
意味があるように読むならば、「倫理的問題であり(問題とされるのは別の問題である)」と補わざるをえない
ならば、ピカは倫理的問題でない問題を提出せねばならない
ここでは事実問題であると思われる
ならばピカは、倫理的問題と完全に切り離すことのできる事実問題の例を提出する必要がある
例、「君の意見は論理的に証明できない」と言って却下するには、論理的に証明できる例を挙げる必要がある
>たとえば、消費者がりんご会社の試食して、
>「このリンゴAはうまいなあ、でもこのリンゴBはまずいよ。だからりんごA買うよ」というときに、
>2つのリンゴの違いを説明する責任などどこにもない。
これはワロタ
「リンゴAはうまい、しかし、リンゴBはまずい」
この文章に着目しよう
ここで問題なるのは「うまい」「まずい」という形容詞が普遍的に使用されねばならないということである
ここで、例えば「うまい」「まずい」という単語をまるで知らない企業があったとしよう
「うまい?まずい?、それはどういうことですか?」と質問されたなら
その者はリンゴAにはあるがリンゴBにはない性質を説明せねばならない
ここで「リンゴAはリンゴAだからうまいんだよ、リンゴBはリンゴBだからまずいんだよ」という説明は禁止される
そのような説明をする者は「うまい」「まずい」という形容詞に関して、誤った使用をしていると理解される
果たしてあなたの文章に意味があるのでしょうか?
反論いたします。
私はヘーゲルの事を言っていました、即ち弁証法です。
そこでは差異は、別の可能性に吸収されるのです、従って、
「この場合の循環とは構造的なものを指している」訳です。
>この説明をするにはコミュニケーション欲求のない事例を提出せねばならない
>もし、コミュニケーションをとっている事実がコミュニケーション欲求がある事例であり
>コミュニケーションをとってない事実がコミュニケーション欲求がない事例であるなら
>それは経験に関して論理的な説明となり、トートロジーとなる
ある定立に対しての、反対の定立はイコールではありません。
そこではズレがあるのです、即ち
>だから俺は「コミュニケーションの反復を通じて我々は真理に接近できる」という主張をしたい
というのが正しいのならば、反定立は定立とイコールでないのではじめて
構造全体としての前進が可能になっていることにお気づきですか。
845 :
考える名無しさん:04/03/22 03:11
>>844 >私はヘーゲルの事を言っていました、即ち弁証法です。
お前には恥ってもんがないのか、恥ってもんが。
>いや、行わないだろ
いいえ、行います。もし仮にあなたの言うとおりのウィトゲンシュタイン解釈の場合、
私が日常普通での矛盾した論理を主張できた時点で、その解釈は崩れる訳です。
>それを説明するのに「丸い四角」とか「白い黒」とか言わないだろ
言えます、というのも人間は不条理な夢を見ることもありうるのですから、
当然、そこでの先に予想しておく論理というのは、ズレのない完成品だということになります。
となると、当然そこには何ら働きが起こらない死んだ手紙となるのです。
848 :
考える名無しさん:04/03/22 03:19
相手の書き込みが終了するのを待つのが礼儀だけど
あまりにもひどいのを目にしたんで
>>846 >いいえ、行います。もし仮にあなたの言うとおりのウィトゲンシュタイン解釈の場合、
>私が日常普通での矛盾した論理を主張できた時点で、その解釈は崩れる訳です。
これに関しては解釈云々以前に、ピカがウィトゲンシュタインを理解していない
矛盾した表現は夢の内容について一切の制限をつけていない
矛盾表現は夢の内容について何も触れることができない
付け加えると、俺はアンチウィトゲンシュタイン
>ならば、ピカは倫理的問題でない問題を提出せねばならない
その必要性はない、なぜなら私の主張した倫理的問題とはそれ以外という外部を持たないからだ。
これは全称命題であり、倫理的問題でない対称となる命題は認められないのだ。
もう少し言えば、私の勢力をそのくらいでとめることはできない。
昼間に警告した筈だ。
>>851 >これは全称命題であり、倫理的問題でない対称となる命題は認められないのだ。
全称命題→命題
倫理的問題→問題
ハァ?!
もし、君の理論が倫理的問題を含む包括的なものだという意味ならば君の言葉は俺への批判とすらなりえないね
ところで「全称命題」って用語の意味知ってる?
全称命題「すべての〜において・・・である」
単称命題「ある〜において・・・である」
>矛盾した表現は夢の内容について一切の制限をつけていない
>矛盾表現は夢の内容について何も触れることができない
夢で現れた矛盾した表現と、不条理な表現は非論理という形であらわれる。
これだけで、論理が世界であるとの定理は崩れる。即ち、論理自体が仮に有効とするなら、
君の言い方が正しいなら、論理の外部も必ずあろうからだ。何か間違いがあるかね?
>もし、君の理論が倫理的問題を含む包括的なものだという意味ならば君の言葉は俺への批判とすらなりえないね
私の主張が全称命題「すべての〜において・・・である」 だとするなら、君の〜すべきや〜ならないといった設問にも
倫理的問題が含まれている。それをわざわざ単称命題「ある〜において・・・である」を対称として対立することはできない。
つまり、君も私も倫理的問題において議論していたということが明らかになった訳だ!
855 :
考える名無しさん:04/03/22 03:34
たぶん昼行灯さんはウィトの「語りえぬものについては沈黙しなければならない」
をまずは忠実に守らなければならない、と主張しているのだと思います。
もし「しかし、人間には言語の限界に向かおうとする衝動がある」(ウィトがハイデガー
を評して言った言葉)と言って、大陸哲学に一定の理解、シンパシーを示したウィトを
考えるならば、形式論理学の限界設定を超えても、そこには語るべきものがあると思います。
ただし、その場合には、形式論理学よりもさらに厳密性を目指さなければならない。
ヘーゲル、ハイデガー、デリダのキ○ガイすれすれの論述も厳密さゆえの難解さだと思う。
ぴかぁ〜はそれを逆手に取ったわけですね。厳密さを目指すとアクロバティックな書き方に
なる、というのを、アクロバティックに書けば形式論理を超えることになる、と逆転した。
不完全性定理があるから数学なんてやらなくていい、とか言う奴いるでしょ?www
>>853 論理の外部があるというのは私自身も認めるところだ
私自身は「世界は非論理的である」と考える
だがウィトゲンシュタインにとっての「世界」とわたしにとっての「世界」とは使用方法が異なる
仮に世界が非論理的であろうとも、個人にとって成立する世界(君の言葉を借りれば心象構造というのが適切か)は
論理を無視するわけにはいかない
>夢で現れた矛盾した表現と、不条理な表現は非論理という形であらわれる。
不条理な表現は矛盾という形では表現できない
矛盾は不条理すら語れない
不条理を語るには、理を否定する必要がある(不条理の外部)
しかし、矛盾表現は何一つ否定することができない
矛盾は世界について何一つ制限をかけることができないからである
>不完全性定理があるから数学なんてやらなくていい、とか言う奴いるでしょ?www
ということはあなたは数学シンパな訳ですね。
>>855 いや、それは誤解
俺は「語りえぬものは沈黙せねばならない」とはこれっぽちも思ってない
その最たるものがこの矛盾に関する解釈
ウィトは矛盾を世界に何1つ制限をかけることができないから無意味であるとした
対して俺は、矛盾は世界に何1つ制限をかけることができないから、我々はそれを虚偽として扱うというもの
(虚偽として扱うには意味がある必要がある、無意味な文章に関しては我々は虚偽として扱うこともできない)
859 :
考える名無しさん:04/03/22 03:43
>>857 >数学シンパ
違うよ。不完全性定理で数学基礎論が動揺したというのは柄谷のいうように、
それに(数学が論理学に吸収されることに)無意識に依存していた俗流形而上学
が破産したことを表す。数学のほうが形而上学から解放されたということでしょ
う。ちなみに僕は数学が苦手だし、嫌いです。数学から逃げてるところもある。w
「世界は非論理的である」と仮に考えるならば、心象構造の論理に従う必要性は皆無です。
>不条理な表現は矛盾という形では表現できない矛盾は不条理すら語れない
実際に不条理と矛盾が存在するとあなたもいつでも確認できる。
>不条理を語るには、理を否定する必要がある(不条理の外部)しかし、矛盾表現は何一つ否定することができない
逆も言える。即ち、論理を語るには不条理を否定する必要があるが、論理表現は何1つ否定できない。
>>859 >ちなみに僕は数学が苦手だし、嫌いです。数学から逃げてるところもある。w
そりゃ、安心しました。
>私の主張が全称命題「すべての〜において・・・である」 だとするなら、君の〜すべきや〜ならないといった設問にも
>倫理的問題が含まれている。それをわざわざ単称命題「ある〜において・・・である」を対称として対立することはできない。
倫理に関して全称⇔単称の対立は不可能、というのがピカの意見だね
これも俺とは違う考えだね
俺は倫理に関しても批判可能だと考える
「当為は可能を含意する」という古典の言葉が正しいならば、当為は不可能性を含意しないからである
>矛盾は世界に何1つ制限をかけることができないから、我々はそれを虚偽として扱うというもの
うーむ、何かがおかしいと思いませんか。
自己言及には自分自身を基準にしてしまういかがわしさがついて回る。
一歩間違えば○○○○。
人間は万物の尺度といいながら結局人間を省みなかったソフィスト達は
人間とは何かという問いに答えることはできなかった。
自分を語るときは無知の知を自覚しないと詭弁になっちゃう。
>>860 >実際に不条理と矛盾が存在するとあなたもいつでも確認できる。
しかし、君はそれを提出できない
ただただ「あるんだったらあるんだ」と叫ぶだけだ
まるで「神はいるってらいるんだ」と叫ぶ狂信者のようにね
>逆も言える。即ち、論理を語るには不条理を否定する必要があるが、論理表現は何1つ否定できない。
これは意味不明
論理を語るには、不条理を否定する必要がなぜあるのだ?
「不条理」ってのは「理路整然としていない」ということだから
「理路整然としている不条理」はそれ自体矛盾表現となるよな
>>862 あなたがどの時期のぴかぁ〜のことを言ってるかは不明ですが、
私としましては、「倫理に関して全称⇔単称の対立は不可能」というのは当然ですな。
>「当為は可能を含意する」という古典の言葉が正しいならば、当為は不可能性を含意しないからである
分かりませんね、どうも私は昼行灯のスタイルそのものに批判的にならざるえませんね。
867 :
考える名無しさん:04/03/22 03:54
>>858 ちょっと噛み合わなかったかな。「語りえぬものについては沈黙しなければ
ならない」というのはまさに
>>858で言われたことだと思います。ただ、
>虚偽として扱うには意味がある必要がある
の「意味」という語の意味wが形式論理の内と外で変化するからちょっと
混乱しますね。大陸哲学が一見ナンセンスな文章を使うのはその辺の事情
だと思います。「無はどうなっているのか?」という問いは「4++=5」
と同じ構文ですから。
>>863 >うーむ、何かがおかしいと思いませんか。
なぜだい?
もし、君が倫理問題と完全に切りはなされた事実問題を提出すれば俺の意見は否定できるよ
>>865 >しかし、君はそれを提出できない
>ただただ「あるんだったらあるんだ」と叫ぶだけだ
>まるで「神はいるってらいるんだ」と叫ぶ狂信者のようにね
よろしい、では提出するとしようではないか!
仮に論理体系が理知整然としたものであるとしよう。
しかし、そのことを信条とする人間には未知のものに開かれた態度をとることが不可能だ。
仮に不条理としての矛盾がそこに登場した場合、その人は跡付けでしかそこに論理体系をあたえることができない。
>>867 あー、なるほどね
そうなるかもしれない
ただね、俺とウィトでは語りうるものに対する解釈が多分異なるんだ
ウィトは倫理を語りえないとしているけど、俺は倫理は語りうると考えている
>>虚偽として扱うには意味がある必要がある
論理式における矛盾律はトートロジーとはならない
トートロジーは無意味だけど、矛盾それ自体は無意味ではない
世界がどこまでも混沌としている(我々の悟性がそもそも誤り)という可能性は否定できない
>>867 >大陸哲学が一見ナンセンスな文章を使うのはその辺の事情だと思います。
骨まで形式論理学に染まってますね。
>>868 >論理を語るには、不条理を否定する必要がなぜあるのだ?
なぜなら、「不条理」ってのは「理路整然としていない」ということなら、
「理路整然としている不条理」はそれ自体矛盾表現となるには、その外部が必要ですからね。
>>869 文章が意味不明
もう少し分かりやすく書き直せ
内輪話になりそうなら、これで失礼します。
874 :
考える名無しさん:04/03/22 04:03
>>869 論理体系で全てを説明できるなんて主張する哲学はないよ。ぴかぁ〜は
自分で思い込んだ「論理体系」なるものを勝手に仮想敵に仕立て上げて、
それを攻撃してるように見える。言葉は悪いけどね。
>>872 昼行灯は理知整然としたもの以外読まないのか?
単純に言えば、弁証法の話だよ。
876 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 04:08
>>871 >骨まで形式論理学に染まってますね。
違う違う。大陸哲学は一見(形式論理学から見れば)ナンセンスだが、実は
厳密だ、ということを言いたい。
>>874 >仮想敵に仕立て上げて、それを攻撃してるように見える。言葉は悪いけどね。
そうかもね。
ただ、君等の言いぶりだとそう受け取られるということは自覚しといたほうかいいと思うよ。
>>875 弁証法は読まないね
ハーバーマスやマルクスは読んだが、弁証法のせいで読むのに苦労したよ
ヘーゲルの文章は「熱は〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・熱である」という文章を読んで本を閉じたよ
>>878 そんな難しいやつのこと言ってるんじゃないよ。
単に、日常会話レベルで言ったつもりだったの。
880 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 04:13
でもぴかぁ〜は今までヘーゲルとか弁証法とか名前を出しただけで議論を拒否
してたからなあ。あの辺はちょっと卑怯だったと思うよ。弁証法なら弁証法と
スパッと言えばよかったと思うな。
>>879 日常会話レベルの弁証法?
それって対話じゃないの?
定律:ピカの意見
反定律:俺の意見
>>880 それは誤解じゃないですかね。
私は単純に概念だけで話をしているだけで、ヘーゲルやらも一般知識でしか言ってない。
簡単に言って、私はヘーゲルなんて知りませんし弁証法も知りませんね。
単純にたとえか、言い換えでしょうね。
語源もおんなじだしね。
>>883 で?
それがどういう関係が?
矛盾した表現を許容することがジンテーゼになるとは思わん
むしろ、矛盾を拒否することが新しい問題に発展していくのでは?
>>885 いや、それだと私の哲学が終わっちゃうやんか。
矛盾したものを取り込んでいかんと、弁証法にもならんことやし。
888 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 04:30
このさいだから聞いておきたいのだけど、ぴかぁ〜は端的に何を目指してる
んだろう。「ぴかぁ〜の自己表現」とか「おしゃべり」ではなくてあくまで
哲学なんでしょ?ぴかぁ〜はよくデリダの細かい話などはどうでもいい、み
たいなことを書くけど(もちろん哲学オタク批判は賛成)、うーん、例えば、
今までの音楽理論にない凄いメロディを作ったぜ!と言ったとしても、それに
対して「そんなメロディはもうとっくにあるよ(・・・という哲学者はとっく
の昔に同じこと言ってるよ)」という意見を聞くのは大切だと思うのだが。
そのへんがおろそかだから、いまいち「おしゃべり」から「対話」に進歩し
ないんじゃないだろうか。
>>888 さあ?何だろ・・・ところで君がどのぴかぁ〜を指しているのか不明だが、
私のこととして話しておく。
>「そんなメロディはもうとっくにあるよ(・・・という哲学者はとっく
>の昔に同じこと言ってるよ)」という意見を聞くのは大切だと思うのだが。
分かってるけど、今回の会話の中で何か不満な点でもあった?
ついでに、私の存在意義を示しておくね〜
@私がいないと、哲板のラウンジ的役割がいなくなるじゃないか〜
A専門分化された領域で唯一広くカバーできてるのは私だけだ!
Bエンターテイメントとしても、マニア向けでない一般的なものを提供しているのは私のみだっしょ?
こんなところだ。
私に敵う香具師が居たら、いつでもかかってくるがいいわ!
1つ忠告しておくけど、私の活動に不満がある場合でも、
こんな板よりは、君等の人生のほうが大切だから、
私みたいに人生捨てる覚悟がない人は関わらないことですな。
893 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 04:50
>>889 >今回の会話の中で何か不満な点でもあった?
今回の(今日の)話は割にまともだったけど、それは一応話が出来てるという
意味でね。理論に対しての不満はもちろんまだまだありますよ。
いちばん大きいのはやっぱりさっきも言ったように「形式論理」というもの
を(ぴかぁ〜の勝手に想像した)仮想敵に仕立てて勝手に攻撃してるとこですね。
弁証法的論理(理性)の思考は形式論理(悟性)を相手にしないことではない。
形式論理(悟性)を徹底させることによって初めて生まれると言ってもよい。
それによって「後付け」でない思考が出来る。ぴかぁ〜理論にはその「形式論理
(悟性)を徹底させること」がすっぽり抜け落ちているのです。
894 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 04:55
>>890 そうか・・・AとBは自己分析が全く間違っていると思うけれど、
>>892の
ような覚悟を持ってるならまあいいか。2chも「はてな」もまあ過渡期と
いうことかな・・・。
>形式論理(悟性)を徹底させることによって初めて生まれると言ってもよい。
>それによって「後付け」でない思考が出来る。ぴかぁ〜理論にはその「形式論理
>(悟性)を徹底させること」がすっぽり抜け落ちているのです。
親切で忠告しているのでしょうけど、私が攻撃しているのはまさにそれ、なんです。
まあ、たしかに私が誤解した仮想的としているところはあるのかもしれませんが、
正直言って、それの徹底をやらなければならないのなら、私にとっての哲学の動機というものを
すっぽり抜け落ちさせなければならなくなりますので。
私がやれることは日常会話でいけるところまでいくことですから、そういうのはできませんね。
第一、こういうことをけしかけたのは、実は私ですからね、そのへんの責任もとらなくちゃいけません。
>AとBは自己分析が全く間違っていると思うけれど
おじちゃん、そういう時はたとえ嘘であっても否定しないものだよ。
897 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 05:06
>>895 ん???ちょっと二箇所ほど不明。質問。
・「私にとっての哲学の動機」=「日常会話でいけるところまでいくこと」
ということかな?
・「こういうことをけしかけた」の「こういうこと」って何を指してるの?
>・「私にとっての哲学の動機」=「日常会話でいけるところまでいくこと」
>ということかな?
そだよ、正確にいうと、知識を持った人間が無い人間に対してとる横暴さを崩壊させるのが好きな訳だよ。
>・「こういうことをけしかけた」の「こういうこと」って何を指してるの?
あ〜、それは哲板の色んな問題ってのは全部私が指示を出してるのよね。
まあ、みなさん知ってることだろうし。
900 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 05:21
>>898 >知識を持った人間が無い人間に対してとる横暴さを崩壊させる
というのはおせじにも成功しているとは言えないけれど(ジョークだよ、ジョーク)、
それが動機だとすると、この板に来る人の「無知の知」を認識させてあげる、
というソクラテス的な動機なのかな。そんな利他的な人には見えないが(これもジョークねw)。
>というのはおせじにも成功しているとは言えないけれど(ジョークだよ、ジョーク)、
まあねぇ、そうなんだろうな・・・でもいいのさ。
>そんな利他的な人には見えないが(これもジョークねw)。
まったく、ジョークははずしてくれ。自覚してるから
ソクラテスね・・・無知の知はあながち間違ってない
・・・でも見た感じでは君等は私のことを誤解してるね。
902 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 05:40
どう誤解してるのかな。俺の意見だけど、今ぴかぁ〜に対しての哲学板住人
の態度は問題外な煽りを除けば以下のようなものがあると思う。
・問題意識、状況認識はわかるが、アカデミックな裏づけがないから、支離滅裂な
意見ばかりだ(この人たちは理論の裏づけをしてあげようとする、余計なお世話かな)。
・問題意識、状況認識も的外れ。まったくナンセンス(転じてからかいレスになる)
・ぴかぁ〜はもともとネタとして、確信犯的に書いている(こう思っている人は、
煽りではなく、初めからネタとして煽りのようなものを書いている)。
・問題意識、状況認識はわからないが、方法論は正しい(残念ながらほとんどいない)
このうちのどれが正しいんだろ。もしくはどれも間違いなのかな。
>>902 いずれも当てはまりはするでしょうけど、これで何か見えるとは思えない。
>・問題意識、状況認識はわかるが、アカデミックな裏づけがないから、支離滅裂な意見ばかりだ
>・問題意識、状況認識も的外れ。まったくナンセンス
>・問題意識、状況認識はわからないが、方法論は正しい
ん〜、何と言おうかな。
感性主義みたいな部分はあるんだね、文章をよく読んでみれば分かるけど。
904 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 06:02
そろそろ眠くなってきたので、暫定的でもいいから端的な答えが欲しいな。
構造主義、ポスト構造主義はもうリアリティは持てない、という感じは今の
社会にはあると思うけど、そういう人たちは感性主義に行ってる。精神分析
から行動療法へ、哲学から社会学へ、みたいな。でもぴかぁ〜理論はそれと
も違うじゃん。彼らは精神分析的、哲学的なものをある意味全否定してしま
うけれど、ぴかぁ〜理論はそうでもないでしょ?その辺の位置付けに興味あ
るな。「そういう位置付けには興味ない」と言われればそれまでだがw
>>904 分からないのが、何で君がこんなところに来てるのかってことだね。
君のことだから、まさか私になにか期待しているという訳でもあるまい。
>彼らは精神分析的、哲学的なものをある意味全否定してしまうけれど、
>ぴかぁ〜理論はそうでもないでしょ?その辺の位置付けに興味あるな。
ようは、歴史的な哲学の中で位置付けがどうなるかってことなのね。
まあ、でも、そこまで理解不能だと連発されると、これはもしかしたら深いところで溝があるのかもしれないな。
たとえば、私のポストモダンを超えていく2ちゃんねるのスレッドはある人から見れば、すぐにすんなり理解できるのに、
君等にとってはむしろ理解するのに難解になってる訳だが、ここには感性の違いがあるからなので、そこに溝ができる。
それで、位置づけなんだけど、
興味あるない以前に多分位置づけそのものがないと思うよ。
907 :
(仮コテ)大陸哲学支持派:04/03/22 06:35
>ようは、歴史的な哲学の中で位置付けがどうなるかってことなのね。
んー、ちょっと違うけど。まあ、さっき分類した中の「アカデミックな裏づけ」
がぴかぁ〜さんの理論を強力にすると思うからですね。
そろそろ寝ます。付き合ってくれてありがとう。面白かった。
それで最後に聞きたいんだけど、「感性に左右されないものを探求していく」
というのが哲学(広くは学問)だと思うのだが、その辺もちょっと違うのかな?
ぴかぁ〜さんの意見は感性と悟性のメビウスの輪のようになっているのが
わかりずらいんだと思うよ。
>>907 >さっき分類した中の「アカデミックな裏づけ」が
>ぴかぁ〜さんの理論を強力にすると思うからですね。
そうですか、やらないけどありがとう。
>「感性に左右されないものを探求していく」というのが哲学(広くは学問)だと思うのだが、その辺もちょっと違うのかな?
>感性と悟性のメビウスの輪のようになっているのがわかりずらいんだと思うよ。
前者が後者の理解を妨げてるのだと思うけど、やっぱりこの点に関しては
哲学やってない人のほうが理解が早いねとつくづく思う。
感性を主義に掲げるにあたっては、悟性をもっと突き詰めろみたいなことを言ってたから、
つまり、悟性を脱構築しろってことね。やるよ、そのうちに。あと思ったのが、
哲学以前の動機が世代の差か知らないが、私達と君等では大きく差がある。ここらはたぶん、
何を問題意識としているかが、大きく異なることに原因があって、それは私の動機はさっきお話したが、
その問題意識と動機の差が方法論の矛盾に見えるものを生んでるのだな。
909 :
考える名無しさん:04/03/22 07:43
昼行灯は、ぴかぁ〜と同じくらい、もしかしたらそれ以上、うさんくさい。
910 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 08:23
な、わしの目に狂いはなかっただろ
昼はひさびさの爆笑王だよ
911 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 08:59
過去レス読んだ
オレオレぴかぁ〜なりきりすぎだろう
うそばっかいうなー(w
912 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 09:01
ってか自演?
913 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 10:01
「人は語りえぬものほど語りたがる」
914 :
考える名無しさん:04/03/22 10:19
これは、昼行灯なりの、
同種を認め、仲間に入れてくれという前の
最終確認の詰問の儀式なんじゃないかな。
数年後、昼行灯がぴかぁ〜を名乗り、持論を展開していくのが目に浮ぶ。
915 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 10:39
分析やはみな違和感をかかえているからね
語りえぬこと語りたくなる衝動
だから語りえぬことほど雄弁なわしに反発しながら
引かれるんじゃないのかな
わしは会話に生まれる差異は問題でなく謎だといったわけだ
語りえぬ謎について語ることがコミュニケーションの原動力ですね
語りえることなどかたってなにが楽しい、という普通のことですね
916 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 10:44
昼はほんとおもしろいね
時代錯誤的天然が最高
哲学ずきはこうでなくては
最近学習と割り切った覚めたやつかただの馬鹿かしかいないから
917 :
考える名無しさん:04/03/22 12:30
ぴかぁ〜は自作自演に必死だね。
昼行灯以外誰も君のレスなんか読んでないよ。
ぴかぁ〜がDQNであることは、
>>869で明らか。
869 :ぴかぁ〜 :04/03/22 03:57
〜中略〜
仮に論理体系が理知整然としたものであるとしよう。
しかし、そのことを信条とする人間には未知のものに開かれた態度をとるこ とが不可能だ。
・・・論理は前提と結論という形を必ずとる。未知のものへの開かれた態度は、
論理体系に関する信条によって決まるのではなくて、前提に疑いを
向けるかによって決まる。ここは完全な誤解。
仮に不条理としての矛盾がそこに登場した場合、その人は跡付けでしかそこに論理体系をあたえることができない。
論理体系内部での正当性は、発生した矛盾(不完全性)に対して論理体系の正当性を
主張することではなくて、論理体系内部の命題について正当性を主張することである(完全性)。
ぴかぁ〜は二つの次元の違う問題を混同している。
919 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 13:13
オレオレぴかぁ〜とその会話はなかなかおもしろいね
偽物とわかっていながら対話が成立する
まさにシミュラークルの世界
オレオレ詐欺の本質もこの辺りにあるのかもしれない
だまされたい潜在的心理
920 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 13:31
シミュラークルはこのような未理解を解消したい欲求からうまれます
オレオレぴかぁ〜自体もぴかぁーに対する謎の解消から生まれる
自分がぴかぁーになることであたかもぴかぁーに対する謎が解消されたように振る舞う
ここまではわかりやすいが
それに対する対話者も同じように偽物とわかっていながら楽しむように振る舞う
まさにぴかぁーゲームである
しかし単にこれがゲームと非ゲームの境があいまいになる
なにがリアルで何がバーチャルかの境が消失し、転倒が起こるのである
これは謎を解消したあ欲求が優先されるからである
921 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 13:34
オタクがアニメのシミュラークルをつくるのも同じことである
そこにあるのはぴかぁーになれた、ぴかぁーと対話できたという不安の解消であろう
絵本の世界はこのような虚像で溢れている
922 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/03/22 13:47
だれかこのぴか虫の発言を最初から読んでて
「納得して信じるようになった」人はいますか?
>>918 これが理由で「専門分野でいくつもの論文を発表してて、無職で
エリートサラリーマンでロリコンで社会復帰が夢で女子高生にちやほや
されたい」ぴかぁーという虫が、
「言葉の意味を無視してカッコいいと自分で思ってる横文字の言葉を
意味も知らずに赤裸々に並べて論として主張している」事の理由ですね。
虫はキキキでぴかぁーはネズミだろ?
う〜んねずみでも可愛い種類のがいるから、当てはまらないと思います。
ハムスターとか可愛いじゃん。
ぴかぁ〜は白アリみたいな物だと思います。
もし、このシロアリの発言で哲学を鵜呑みにした人は
その人の哲学に対する考えがシロアリに侵された建築物みたいに
「スカスカ」になっちゃうでしょ?
このぴか虫はどうせ「自動的」に次のスレを立てる
と思うのですが、
リクエストとしては
「哲学論文の書き方」をトピックとして取り上げてみて欲しいです。
専門分野でいくつもの論文を発表している「らしい」から
「とっても為になる発言」が期待できますね。
927 :
考える名無しさん:04/03/22 14:41
865の昼行灯さんの「・・しかし、君はそれを提出できない」
という話ですが、たとえば、サルトルは小説「嘔吐」においてマロニエの
根が「意味を欠いた奇怪な塊」として現前して主人公を脅かすシーンを
描写することのよって、不条理な体験を表現したとは言えないでしょうか。
過去ログおもしろかったけど偽ぴかぁ〜も相当痛いな
929 :
考える名無しさん:04/03/22 14:53
>>925 ソフィアさん、白アリって馬鹿にできないですよ・・・。すごく面白い
対象だそうです。コロニーがひとつの個性を持っていてなにやら人間には
理解できない思考を行っている形跡すらあるそうです。また、腸のなかに
ものすごい数の共生体を持っていて、超複雑な生態系を構成しているみたい
です。びかぁ〜とくらべては、白アリが気の毒です・・・。
それも気持ち悪いですね。
でも白アリさんが気の毒ですね。
私は基本的に生き物は大切にしなきゃいけないと思っています。
ゴキブリとかは除いて。 でもぴかぁ〜は明らかにゴキブリ以下だし。。。
そう考えると難しいですね。
931 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 14:57
ふぅ〜なんでもいいが
わしの文読まずにいいがかりってなんなんでしょ
あんなの読む気にならん!のはいいんだけど
なぜわしに絡むか、まあにちゃんはひまつぶしするとこではあるが
けっっこう、ええこと書いてるよ
心広げて読んでみ
932 :
考える名無しさん:04/03/22 14:58
ぴかぁ〜のほうがソフィアさんよりは中身がありますが・・・。
そうですね、難しいですね・・・。
933 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:00
騙されたとおもってさ
934 :
考える名無しさん:04/03/22 15:01
ゴキブリは、3億年前からほとんどモデルチェンジしないで
現在まで生き残って来た種族です。この調子だと、人類滅亡後
もたくましく地上を闊歩しているであろうと思われます。
まあ、私もゴキブリは見つけしだい、毒ガス攻撃しますがね・・・。
935 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:04
一人でもええからよめや!ごらぁ〜!しばくぞ!
ぴかぁ〜がDQNであることは、
>>869で明らか。
869 :ぴかぁ〜 :04/03/22 03:57
〜中略〜
仮に論理体系が理知整然としたものであるとしよう。
しかし、そのことを信条とする人間には未知のものに開かれた態度をとるこ とが不可能だ。
・・・論理は前提と結論という形を必ずとる。未知のものへの開かれた態度は、
論理体系に関する信条によって決まるのではなくて、前提に疑いを
向けるかによって決まる。ここは完全な誤解。
仮に不条理としての矛盾がそこに登場した場合、その人は跡付けでしかそこに論理体系をあたえることができない。
論理体系内部での正当性は、発生した矛盾(不完全性)に対して論理体系の正当性を
主張することではなくて、論理体系内部の命題について正当性を主張することである(完全性)。
ぴかぁ〜は二つの次元の違う問題を混同している。
却下。
「はてな」のみでしてください。
この掲示板はそのような目的である訳じゃないみたいですよ?
本当に中身があると自負しているのなら「はてな」か「知ちゃんねる」
で十分でしょう。
ちなみに「何々階層論??」とかあの辺で論の組み立てに致命的に
欠陥があるのを確認しました。 あと、マトモに読んでも
「何かの略説のみから引用したのがみえみえ」です。
938 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:06
絵本ちゃんうざい!
939 :
考える名無しさん:04/03/22 15:06
>>933 間違っているのが分かっているのに、わざわざ騙される人なんかいないだろ。
940 :
考える名無しさん:04/03/22 15:08
918で完全にアウトっぽいね(苦笑>ぴかぁ〜
941 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:08
ならここくんな
じゃま
942 :
考える名無しさん:04/03/22 15:08
>>935 何か、量が多すぎるしね。特にここを読めというおすすめ箇所を
あげてみてくれ。みんな、読めは傲慢でしょう。ひとの文章読む
って労力がいるんだからね。よほど、面白いものでない限り・・・。
943 :
考える名無しさん:04/03/22 15:08
今ソフィアは、憧れのぴかぁ〜とじかに話せて
心ときめいているのです。
お願いですから、もう少しだけ、あとほんの少しだけ夢を見させてあげてください。
じゃ、ぴかぁ〜も「だまされたと思って」
正直な矛盾が起きないプロフィールをはなしましょう。
50年後の哲学者、とか天才哲学者とかは当然無しで。
947 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:10
最新日記でいいよ
初心者向けに解説したから
948 :
考える名無しさん:04/03/22 15:11
949 :
考える名無しさん:04/03/22 15:11
>>947 お前自分の立場分かってるのか?>「初心者」向けに「解説」
まず常識から勉強したほうがいいと思われ
ぴかぁ〜がDQNであることは、
>>869で明らか。
869 :ぴかぁ〜 :04/03/22 03:57
〜中略〜
仮に論理体系が理知整然としたものであるとしよう。
しかし、そのことを信条とする人間には未知のものに開かれた態度をとるこ とが不可能だ。
・・・論理は前提と結論という形を必ずとる。未知のものへの開かれた態度は、
論理体系に関する信条によって決まるのではなくて、前提に疑いを
向けるかによって決まる。ここは完全な誤解。
仮に不条理としての矛盾がそこに登場した場合、その人は跡付けでしかそこに論理体系をあたえることができない。
論理体系内部での正当性は、発生した矛盾(不完全性)に対して論理体系の正当性を
主張することではなくて、論理体系内部の命題について正当性を主張することである(完全性)。
ぴかぁ〜は二つの次元の違う問題を混同している。
951 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:12
1000
953 :
考える名無しさん:04/03/22 15:13
>>947 そうですか・・・では、後で読んでおきます
955 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:14
つべこべいうまえによめやごらぁ〜
おまんごぉおお〜
959 :
ぴかぁー ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:16
ん〜なんどよんでもすばらしいなあ
962 :
考える名無しさん:04/03/22 15:17
今日は人気者ですね、ぴかぁ〜。
966 :
考える名無しさん:04/03/22 15:19
は?自演ではありませんよ。
970 :
考える名無しさん:04/03/22 15:20
ぴかぁ〜には、人を熱狂させる才能があるみたいですね。
869 :ぴかぁ〜 :04/03/22 03:57
>>865 >しかし、君はそれを提出できない
>ただただ「あるんだったらあるんだ」と叫ぶだけだ
>まるで「神はいるってらいるんだ」と叫ぶ狂信者のようにね
よろしい、では提出するとしようではないか!
仮に論理体系が理知整然としたものであるとしよう。
しかし、そのことを信条とする人間には未知のものに開かれた態度をとることが不可能だ。
仮に不条理としての矛盾がそこに登場した場合、その人は跡付けでしかそこに論理体系をあたえることができない。
950 :ぴかぁ〜はただのDQN :04/03/22 15:12
ぴかぁ〜がDQNであることは、
>>869で明らか。
869 :ぴかぁ〜 :04/03/22 03:57
〜中略〜
仮に論理体系が理知整然としたものであるとしよう。
しかし、そのことを信条とする人間には未知のものに開かれた態度をとるこ とが不可能だ。
・・・論理は前提と結論という形を必ずとる。未知のものへの開かれた態度は、
論理体系に関する信条によって決まるのではなくて、前提に疑いを
向けるかによって決まる。ここは完全な誤解。
仮に不条理としての矛盾がそこに登場した場合、その人は跡付けでしかそこに論理体系をあたえることができない。
論理体系内部での正当性は、発生した矛盾(不完全性)に対して論理体系の正当性を
主張することではなくて、論理体系内部の命題について正当性を主張することである(完全性)。
ぴかぁ〜は二つの次元の違う問題を混同している。
972 :
考える名無しさん:04/03/22 15:21
引篭もりのおっさんを虐めるのはストレス解消に丁度いい
by Sophia
973 :
考える名無しさん:04/03/22 15:21
974 :
考える名無しさん:04/03/22 15:23
ぴかぁ〜は人を笑わせる天才ですね。
芸能界デビューも可能かも。
975 :
考える名無しさん:04/03/22 15:24
さあ皆さん、物語も佳境に入って参りましたよ。
976 :
考える名無しさん:04/03/22 15:24
引篭もりのおっさんを虐めるのはストレス解消に丁度いい
by Sophia
977 :
考える名無しさん:04/03/22 15:33
a?
tomata?
978 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:33
おまえ等サブイねん!
979 :
考える名無しさん:04/03/22 15:34
ぴかぁ〜だけが真実を知っているというのは、
かなりの事実である。
いつまでもこんなことしてないで働けよ・・・
長いトンネルを抜けると・・・
・・・そこは、ぴかぁ〜だった。
982 :
考える名無しさん:04/03/22 15:38
あとしばらくは続かねばならぬ理由が、ある。
983 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:38
984 :
考える名無しさん:04/03/22 15:39
それは・・・・・?
985 :
考える名無しさん:04/03/22 15:40
それは、まもなく明らかになるに違いない。
>>927 ここで問題となっているのは不条理さを表現できるかどうか、ではなく
不条理さを表現するのに矛盾した表現でそれを表現可能かどうか、ということと思われる
例えば『嘔吐』のマロニエの樹の根はグチャグチャに歪んでいた
逆にいえば、マロニエの樹の根は真っ直ぐでも対称的でも不条理さを表現できない
グチャグチャなゆがみ⇔きれいで統制がとれた形
不条理さを表現するにはきれいで統制された形を否定すればよいし
逆を表現するにはグチャグチャなゆがみを否定すればいい
しかし矛盾した表現(例えば「グチャグチャに歪んだ統制されたまっすぐな根)というのはその語が指示する世界について何一つ禁止を与えていない
それゆえに、矛盾表現では不条理さですら表現することができない
世界について何かを語るには世界について何かを否定する必要がある
「雪は白い」は「雪は黒い(雪は白くない)」を否定しているし(これは理解できる表現)
「白い甘さ」は(その語が何を意味するかはまるで理解できないが)、「黒い甘さ(白くない甘さ)」を否定すると思われる
しかし「白い黒」は何も否定できない(その発言者が「白い」や「黒」などの用語についてさらなる説明をしない限り)
矛盾した表現は世界についていかなる禁止もしていないので世界について何も語ってないに等しい
我々は矛盾を誤りと見なすし、また誤りと見なすべきである
昼行灯=兄?
988 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:45
昼行灯=ボケ?
ぴかぁ〜遁走体勢
990 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/03/22 15:48
「白い黒」何も語ってないに等しい?
きみのさじ加減やん
マカロニの穴を通して見えた、世界。
――その向こうで、僕はかつてマカロニだった。
992 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/22 15:48
1000狙っていい?
994 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/22 15:49
995 :
考える名無しさん:04/03/22 15:50
31 名前:【new!】 :04/02/13 18:08
@ルサンチマンから逃亡する為に虚構をでっち上げる。
↓
A段々、自分が本当は頭良いんじゃないかと思い始める
↓
B簡単に突っ込みを入れられて遁走
↓
C自作自演と荒らしを駆使し、論点をずらし、それにうんざりして相手が
退場した後で勝手に総括 【new!】
↓
D啓蒙しているような振舞いに自己陶酔
↓
E自分のお城(自我)を更に拡大させる為、更なる虚構へ
↓
Aへ
996 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/22 15:50
絶対に勝つヽ(゚∀゚)ノ
千と千尋の・・
998 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/22 15:50
999 :
考える名無しさん:04/03/22 15:50
だめか
1000 :
考える名無しさん:04/03/22 15:50
ぴかぁ〜 = 昼行灯
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。