くろしろは資本論を読めるか?

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スレ立てられるのかな? わくわく
2考える名無しさん:04/01/31 03:25
2
3考える名無しさん:04/01/31 03:25
哲板ってルール無用?
4无名 ◆DpJ6ZIKOUU :04/01/31 03:26
立ったみたいね
5考える名無しさん:04/01/31 03:28
>>1
君には失望したよ。
6考える名無しさん:04/01/31 03:28
読書スレなら「資本論スレ」でええやん?
目立ちたいからて、コテ名をくっ付けんといて!
7☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/31 03:30
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8考える名無しさん:04/01/31 03:31
スレタイにコテ名、削除やがな
このスレではすでに読み終えた第一巻の商品論を私なりに要約、批判
して、より深い理解とこれからを探るスレにします。商品論に絞るのは
分量面からですが、いずれ資本論全巻において、この「要約読み」
「書き読み」を行いたいと思っています。ちなみにまだ資本論は通読
できてませんが、それと同時進行で行いたいと思います。
私が、このスレを思い立ったのは、資本論を読み進むにつれて、当初
持っていた批判力を失っている。難しい事を理解する事が現実を知る
事に置き換わっていると言う危機意識から起きた事です。
仕事上、時間も無くどこまで出来るかわかりませんが、とりあえず
やってみたいと思います。
10考える名無しさん:04/01/31 03:40
>>9
本気なら削除依頼して立て直せよ。君は必ず放棄するだろう。
まじめならコテ名は決して入れなかっただろうからな。
11考える名無しさん:04/01/31 03:40
固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法
を目的としている・等は、自己紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・
なんでもあり板以外では、原則として全て削除または移動対象にします。
ここでコテ名をあえてつけた点をお話ししますと、
「誰が」読んだかと言うのは非常に重要な事だと思うからです。
私は資本論の研究家では有りませんし、カール・マルクスでも
エンゲルスでもありませんし「資本論一般」について語れる立場
ではありません。だからこのスレは「資本論」と言う物体が反射
した光がくろしろと言う人間の脳髄に視神経を通じて届き、それ
が神経の結合を促し、筋肉に命令が下り、キーボドを叩き込む
等々という物理的な現象を記録しているに過ぎないのです。
その描写のためには「誰が」と言うのは非常に重要なのです。
13考える名無しさん:04/01/31 03:49
スレを私有財産にするんか
14考える名無しさん:04/01/31 03:54
私有化反対
15考える名無しさん:04/01/31 03:56
>>12
言い訳は見苦しいね。
誰もついてかないだろうよ。
16考える名無しさん:04/01/31 03:57
普通に資本論を読むだけなら、OFWのスレがあるのだから、別にコテ名つけなくても自分中心でやれた
のでは。「存在と時間」の二つのスレとか、そんな感じだし。
固定ハンドルが入ったスレはこの板にもたくさん有りますし、
削除されたらそのときはそのときと言うことにしたいと思います。
では前口上はそのくらいにして始めたいと思います。

資本論第1篇第1章第1節

資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は一つの
「厖大な商品集成」として現象し、個々の用品はこうした
富の原基形態として減少する。だからわれわれの研究は
商品の分析を持って始める。


18考える名無しさん:04/01/31 04:02
>>16
どれの事?>OFWのスレ
19考える名無しさん:04/01/31 04:04
>>17
もう放棄の逃げ道作りか。一週間ともたないだろうな。
20考える名無しさん:04/01/31 04:13
ぼこぼこに言われてますね…
さて今日はここからです。いきなり「商品」>「用品」、
「現象」>「減少」、「もって」>「持って」、
「始まる」>「始める」とタイプミスがあるのが痛々しい所です。

ここで注目したいのは資本制であれ諸社会の富が、商品
を原基形態とし、それ以外を捨ててしまっていると言う点です。
例えば公園などはどうなるのでしょうか?
こういった疑問が重要です。ただ通読しているとなんとなしに
その概念を覚えてしまうといった感じになってしまいます。
こういうところにこだわれる事が「書き読み」の良さです。
第一節では終わりに価値でなく使用価値である空気などについて
語っていますが公園は違うようです。
では公園は商品ではないのか?
良く考えてみると公園は公共財であり、政府が業者に金を払って
買ったものです。つまり商品であったものです。そしてその使用は
単なる使用価値を表す事になります。
公園は商品だったわけです。しかしここでねちっこく考えると、
日曜大工で作った棚などは、商品ではありえませんが使用価値ではあり、
商品でない富と言う事になります。
さてここで今日の結論です。資本論における富とは商品の集大成
を書いたものであり、それ以外の日曜大工だの、アマチュアバンド
が誰かに創った曲等々の使用価値は語りえないのではないか?
と言う疑問がでてくるわけです。今日はこれまで。
やけおこしたか。
資本論第1篇第1章第1節その2

商品はなんであれ、その属性によって人間の欲望を満たす外的対象すなわ
ち物である。欲望を満たす事は、胃袋に対しても、幻想に対しても変わりはな
い。いかにして欲望をみたすか、生活手段や享楽であるかそれとも生産手段で
あるかはここでは問題でない。

>>23
俺の旧トリップ盗みましたね。「深海と海」なかなかいいでしょう?

さてここでは物・外的対象が問題ですね。いかにして欲望を満たすかは、
ここでは問題ではない。つまり別の所では問題になるかもしれないと含
みを持たせているわけですね。ここで物とは何か? それは人間の外的
対象である「何か」と言うことになります。例えば目の前にあるパソコ
ン、これは商品ですね。そしてその範囲はと言うと、物それ自体としては、
面積としては人間の触覚、またはそれを延長させた機械で測るものになる
と思います。もちろん視覚でもこの範囲は図れます。ある尺度を通して、
何センチ等々計る事も出来ます。さて、その使用価値になると視覚・聴覚
・触覚をそれぞれ満たすものでなければなりません。画面、サウンド、キー
ボード等々の使い勝手がその使用価値を決めるわけですね。もちろん、人間
に対してでなく対機械どおしでの対応が問題になるときもあります。
ここで、「物とはある構成素子を人間およびその延長の機械がその感覚を通し
て任意に範囲を決めたもの、および機械がその存在によって、ある構成素子
の範囲を決めたものと定義付けできる」と思います。

ここでもう一つ、サービスは商品ではないか? というOFWさんと昔やり
あった議論で、一つの結論が出ます。サービス自体それは構成素子をもち
任意に範囲を決めることが出来ることが出来るのだから、それは物であり、
しかも「欲望を満たす事は、胃袋に対しても、幻想に対しても変わりはな
い。」わけですから、サービスが人間の欲望を満たす以上、それは商品足
りうる、と言うことになりうると思います。また人間の思考と言うものも
脳と言う事を考えると物質的にその範囲を決めることが出来そうです。
もちろん思考は本に書かれたりして物としての範囲を脳内より広くする場
合が有りますが、それも任意に範囲が決められそうです。だから思考も
物であり、人間の欲望を満たす限り、商品足りえます。私が読んでいる
マルクスの資本論と言うような「思考」もこのような意味で商品でありま
し、事実それには対価が払われたのです。
ここに来て私は物の定義について不備があるのに気付きましたので、
>>25の定義を変更します。
「物とは構成素子のある範囲である」
「物の範囲は、人間の感覚およびその延長の機械で任意に測ることが出来る」
としたいと思います。
ここで定義が変わり>>24を読み返すと、>>26の議論に影響します。
サービスは物であり、思考も物足りえます。これはいいでしょう。
しかし>>24の商品論を読むと人間の欲望を満たす事は商品の条件
でありますが、それだけで商品であるとはいえません。
だから、サービス、思考が商品であるかはおって資本論を読まな
ければならないと思います。
いかんいかん、こういう何でも資本論に書いてあるといった思考がいかん。
物で人間の欲望を満たすものが商品はいえないのは、日曜大工の棚が
物で人間の欲望を満たすもので有りながら、商品ではないからです。
また、私が数時間前、デートで女にトークを繰り広げましたが、
それもある意味では物であり欲望を満たすはずのものですが、商品では
無いのと同じ理由です、女はつまらなそうな顔してました。チクショー。
29考える名無しさん:04/01/31 23:13
コイツよりぴかぁ〜のほうが頭いいな。
>>29のようなレスもまた一つの物であり欲望を満たすものであるわけです。
しかしなぜそれが商品、足り得ないか? さて続きが待たれる所です。
さて続き

 鉄・紙などの有用物の二重の観点、質(使用価値)、量(交換価値)が
ある。
 鉄・紙などが様々に有用であるのは、その歴史的過程があるからだ。
 だから、商品尺度の価値はその素材そのものと、慣習(歴史的過程)から
成り立つ。


ここの部分については私的には、特に話されることは無い
続き

あるものの有用性はそのものを使用価値ならしめる。
それは商品の属性に条件付けられ、商品体なしには実存しない。
こうした事は商品体にかかわる人間労働とはかかわりが無い。
使用価値に関しては何トンの鉄などと言うような量的規定性が前提
となる。使用価値に関してはその消費・使用によってのみ、それが
実存される。
使用価値は社会的形態にかかわらず、富の質量的内容であり、
我々が考察する社会形態(資本主義社会)においては、交換価値の
質量的担い手をなす。


ここに関してはもう少しわかりやすく書くことは十分可能なのに、
なぜ、そうしないのかと、使用価値は効用と同じものなのではないのか?
ということと、使用価値は果たして常に量的に規定されるのか?
と言うことが疑問。
>>31がその3、>>32がその4
34考える名無しさん:04/02/19 11:32
>くろしろは資本論を読めるか?


読めない
35くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/21 22:39
その5

交換価値は、ある種の使用価値の他に対する比率として現れる。
これは相対的なものにも思える、次で考察したい。


これに対しても、特に問題は無い。
36考える名無しさん:04/02/21 23:57
労働力が商品であるならサービスも商品たりうる。
37考える名無しさん:04/02/21 23:58
がんがって読んでちょうだい

で、柄谷さんの「マルクス その可能性の中心」を読んでみそ
おれは今更ながら衝撃を受けました。
哲板、ありがとう、というかんじ
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ