■注釈と論文、どっちが業績が上?■

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1考える名無しさん
哲学の古典を研究する。
そのばあい、古典の注釈と論文の二種類があると思うが、
注釈は論文より業績的には低いという意見もあるがおれはそうで
はないと思う。
注釈もしっかりした業績だと思うが、どうですか?
2考える名無しさん:04/01/24 18:40
具体的に誰の事
3考える名無しさん:04/01/24 18:59
特に誰、ということはないが、注釈という基礎をおろそかにしてただ
空論を述べる人も多い。注釈することで、基礎がしっかりするし、
論文のネタが発見されることが多い。
哲学とか広く人文科学にとって、注釈こそは基礎研究といえるのでは
ないか? 
ただ、注釈をやっているなかでいずれ自説を唱える時期が訪れる。
例えばニーチェももとは古典学者だったというが、あるときから自説を
唱えることになる。それはどういう契機なのかということに、興味がある。
4☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/24 20:26
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!

物事に表面上の美しさを求めるな、
深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、

そんな☆キキ+キ゚Д゚♪の哲学HPはココ↓

http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8862/

僕の哲学は、学問ではない。
人間が生きていく中、背負うべき道徳なのだ。(HPより抜粋)

孤独を越え、闇から光を見出した☆キキ+キ゚Д゚♪だからこそ言える!
もう何も迷う事は無い、、、

☆キキ+キ゚Д゚♪に触れ、明日への一歩を踏み出すのだ!
5考える名無しさん:04/01/24 23:34
>>3 実際、書いてると悩むよなぁ、注釈と論文。
注釈に徹してると、だんだん
「待てよ、これなら『原典読め』の一言でいーんじゃねーか」
って思ってくる

しかし注釈抜きに自説を垂れ流してると
「待てよ、これって俺の単なる一人よがりじゃねーか」
って思ってくる
6考える名無しさん:04/01/24 23:42
本当に本かいてる奴とは誰も思ってないのに、何故こんなつまらん空虚な文章を書くのだろう?
.....馬鹿だから。
7考える名無しさん:04/01/25 00:09
所詮哲学にはひとりよがりとそうでないものの境目などないのさ(w
8☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/25 01:22
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!

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深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、

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9考える名無しさん:04/01/25 15:53
「業績する」って言葉、ありますか?
10考える名無しさん:04/01/25 22:09
「業績る」ならある。
11考える名無しさん:04/01/26 20:27
いいスレだと思ったんだけど伸びないなあ。。
125:04/01/26 20:36
漏れも良スレの予感がしたんだが…

ちょいと付け足すと、注釈の対象となる本が、
どの言語で書かれてるかにもよるだろうな。
ギリシャ語への注釈と、現代日本語への注釈では
根本的に話が違う。
13考える名無しさん:04/01/26 21:18
基本的に注釈というのは古典に付すものでしょ。今の人が容易に読めるもの
なら特に注釈を付すまでもない。だから現代日本語への注釈というのは
あまり必要ない。
145:04/01/26 21:23
>>13
12は喩えだ、喩え
15考える名無しさん
age