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考える名無しさん:
いつも思うんだけどさ、五山文学とか夢窓さんとか石庭とかその頃の禅と、
今日の臨済宗とはほとんど別物だとおもう。(この際伝来少数派の曹洞宗は除外)
臨済宗は24流くらい伝来したけど、多くは支持者が滅びるに従って断絶したりで、
明治にはすでに白隠さんの門流以外は全て絶えたらしい。
それで、白隠下の禅はいわゆる小叢林体制で、妙心寺なんかの大きな本山でも
本山の七堂伽藍の坐禅堂を使わずに塔中に禅堂をもうけて坐禅と独参の修行をする。
法堂を使った正式の説法である「上堂」なんかはほとんどしない。
この修行方法が現在の臨済宗では一般的で当たり前なわけだけど、
だからといって室町時代あたりもそうだったと考えると、当時の禅を正確に理解できないと思う。
現在に伝わっている臨済宗、白隠禅というのは日本の臨済宗の系統ではかなり特殊な宗風なのであって、
教義の解釈なども鎌倉室町の禅僧の語録と比べてみると違いが結構ある。
禅はとりわけ伝統を重視するわけだけれども、現代の禅宗が切り捨てている部分も考慮しなければならない。