>>375 そもそも、
>>359で問われているのは、
>なんでいきなり「狂気」という言葉が出るのか?
ということでした。
>>365の眼目は、たとえいくらか時間がかかるとしても、
365の情報から、誰もが「いきなり」ではないことを確認できることです。
もちろん、
>「プラトン読んでから書け」
などとは個人的にも全く考えておりません。
では、375さんの要請に応えます。
いとしき子よ、ひとがどんなことを論議するにしても、
そこからよき成果をあげようとするなら、
はじめにしておかなければならないことが一つある。
それは、論議にとりあげている当の事柄の本質が何であるかを、
知っておかなければいけないということだ。
プラトン著 藤沢令夫訳『パイドロス』岩波文庫 34頁(34C)
「自分を恋してくれる人がそばにいても、
むしろ自分を恋していない者のほうに身をまかせるべきである、
それは一方の人が狂気であるのに対して、他方は正気だからだ」
と主張する物語りは、これは真実の物語りではない。その理由はこうだ。
――もし、狂気が悪いものだということが、無条件に言えることだとしたら、
この物語りはりっぱな根拠をもっていたかもしれない。
しかしながら、実際には、われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、
その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。
むろんその狂気とは、神から授かって与えられる狂気でなければならないけれども。
上掲書 52頁(244A)