他スレで語っていましたが、スレ違いなので
新たにスレを立てました。
他スレで書いたスレをコピペします。
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私は人は数量化でしかこの世界を探求できないのではないかと考えています
ある単位で物事を解体していく。すなわちデジタレ化です。
どこまでいってもデジタルはアナログになりえませんが、その単位を極小にすることに
よりより近似値をえられます。
なぜ人は数量化でしか探求できないかといえば
人の認識とは存在認識だからです
これは人だけでなく生命の特性のようにおもいます
だから人が数量化に向かうのは高知能化した生命の必然ではないかということです。
仮にこの世界に数量化できない領域があれば、人が認識できないのだから、
有るとはいえないのではないかこんな感じです
3 :
考える名無しさん:03/12/04 21:15
無理2
4 :
考える名無しさん:03/12/04 21:15
無理3
心という観念がなぜ数量化できていないかといえば
人は存在として認識するから、あたかも心という実体があるように認識しているけど
心には実体がないんです
実体がないと得意の還元化ができない
そうすると実体のあるものから侵略を試みるわけです
数量化、デジタル化というのは未開の地を開拓し区画整理し利用可能にするようなものですから
人も物質であり電気、化学反応で動いている。
だから心も物質、反応に還元できるだろうというのがいまのアプローチなわけです
ただこのアプローチに限界がある気はします
それはこれがハードの解明なんですね
美しいものを見たとき人はどのような反応が行われ美しいと感じるのか
心といわれるものハード的なメカニズムはわかるかもしれない
しかしなぜそれを美しいと反応するのか、ソフトはそれではわかりません
このソフトは進化の過程を含めて経験から作られたものだからです
進化過程という過去は再現できないだけに厄介ですね
結局やはり心の数値化はむずかしいのかもしれませんね
しかしハードとソフトは明確に分離できないものでもあります
たとえば人の手の形といえばハードになるわけですが
それも遺伝子情報と考えればソフトなわけです
そういう意味でハード、ソフトは機械論的な考え方で
数量化することを考えるときの考え方といえますね
たとえば赤いチューリップを見て美しいと感じるというソフトも
先天的か後天的かあるにしても情報として人は保有している。
そして情報は物質形態であるとかんがえれば
数値に還元される可能性はあるかもしれませんね
ここまで
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8 :
考える名無しさん:03/12/04 21:22
脳の働きをすべて解明することが出来るなら、
すべての感情は数量化でける。
機械的唯物論ですね。
心は人の中にある。人は物質でできている。
ならば物理化学の法則で表される。
可能だと思います。
問題はいくつかあると思いますが、
・機械的唯物論で考えて、ほんとうに脳を中心として体の反応は物理化学で数量化できるのか。
・
>>5にも書きましたが、
たとえば、ひまわりを見て美しいと感じたとき、
その脳の中で起こる物理化学は数量化できたとしても
それは心を数量化したことになるのか
・心は人の中の反応だけをあらわすのか。
心理学ではアフォーダンスという考え方がありますが、
これは生物というものを考えるときに生命そのものだけでは
説明できない。その生息環境と一体として考えなければならない。
心の動きについての分類がほしいな。○○は30点。××は50点。
その他
機械的唯物論はまさに還元主義です。これは物理主義ともいわれて、
物理化学法則ですべてが表されるという考え方で、まさに数量化です。
しかし最近は科学の中でも構造主義的な非還元主義という考え方が
あります。
これの代表が遺伝子情報ですが、
これは遺伝子を原子に還元してもなにも見えてこないわけです。
遺伝子としてのシステムとして意味があるわけです。
たとえばこの非還元主義は生命行動や、経済学、社会活動などで
一般的ですが、科学でも生命を物理化学的に還元しようという
分子生物学などの試みの中で、物理化学還元論の限界として
注目されています。
心の問題もどちらかというと、これに近いような気がします。
すなわち心を唯物論的にとらえても、それがシステムとしてのみ
意味があるとすると、法則化できないということでしょうか。
そして心がシステムとしてとらえるとするなら、
おそらく非還元的システムととらえないといけないと思いますが、
単純な法則化できずに、なおかつ絶えず確率論的に変化するものであると
いえます。
また心の動きは環境との関係性で働くきますので、
環境というのはカオス理論、複雑系で考えると、
この宇宙全体の動きも考慮する必要もでてくるわけです。
15 :
%83j%81[%83`%83F%90M%8e%d2:03/12/04 22:17
脳をスキャンできれば…
>>15 ペンローズは古い。。。といってしまうのは
言い過ぎでしょうか。
物理化学還元論ですし、脳への量子論の展開は
現在あまりいい評価を受けていませんね。
数量と言うのは思考の形式であって、思考自体を
表現する事は出来ない。
しかし反対に言うと、思考を発生させている論理、つまり
思考内容を構築する論理は、思考内容自体の論理と同世界
のものであるはずだ。大工が家を建てる論理と、家が建って
いられる論理とが同じ世界の論理である様に。となれば、
数量が我々の思考内容の論理を構築する一つの表現である
なら、その思考自体も数量で表現出来るのではないだろうか。
数量が思考の形式というのはなんとなくわかります。
私は数は究極の存在認識だと思っています。
ただ数は人の存在認識からでたのですが、
人の認識を越えていますね。
その拡張された認識ゆえに、人は数に夢を見るのではないでしょうか。
すべてが数に還元されると。
21 :
考える名無しさん:03/12/05 00:37
意識の機能には思考、感覚、感情、直観、創造などがある。
思考だけではない。
ではひとつ。
単語のごとく数字が一列にならんだ情報があるとします。
いくつもあるその線が交差する場所。その座標の位置に思考が表れるというのはどうでしょう。
Aの一部分を9・2・6・1としBの一部分を8・6・3・5とします。
交差と運動による回転でそれぞれが通過していった時、主軸をAとするなら
1・マイナス4・3・マイナス4
という数字が弾き出されるわけです。
数字に意味が含まれていた場合、これは単語になるかなって。
もっとデータ量が増え、複雑になれば言葉にも成りえるのでは。と思うのですがどうでしょう。
>>22 そこにパターンがあるのですね。
記号のパターンか。
それこそ言語そのものではないでしょうか。
たとえば、CDが一枚あるとしてそこには情報が入っている。
これがら意味を読みとるには、CD上の情報、この場合01ですが
決まったパターンで変換していきます。
たとえば脳にも情報が詰まっているとして、
これを解体してそこから意味を読みとりすることは可能なのでしょうか。
脳内の情報はパターンで書かれているのでしょうか。
同じく主軸Aが停止の状態で、その上をBが通過していく仮定もあります。
Aの3の上を情報線Bが通過していくというわけです。
26 :
考える名無しさん:03/12/05 01:17
>>24 スレ違いだし、話の腰を折って申し訳ないのだが、
なんであんたあんなに嫌われてるんだ?説明キボン。
>>24 出てくる形式が数値、パターンであるなら、
入ってる形式も数値、パターンではない
だろうか?
>>24 どうなんでしょう。デリケートな部分ですし脳内という環境から離れてしまった時
果たして同じ活動が出来るのでしょうか?もし出来ないのであれば
ただの細胞にしか見えないのではないのでしょうか?
脳内の場合、数を数字としてみるより〈数値〉の方がいいような。。
数字は物事(世界や人体)を人が認識するために使用する道具である。
今までの認識を超えているように見えるわけで、数字にする前からそうなっていたのである。
どっちが主でどっちが従かは明白ではないか?
活動にかかわる数を表す不確定要素。
速度、単位、密度、角度。。色々ありますね。
重力が観測不能であるのと同じように、思考には心という観測不能の現象がかかわりあっています。
ここにも数量化の方向性の違いがあるのではないのかなって。
思います。おやすみなさい♪
>>29 >>31 絶対者の立場で物を見ているよ。思考を思考によって導こうとする
不可能性を考慮に入れて欲しい。思考とは別に観察者が存在する訳
ではないんだ。我々は思考そのものなんだ。
×導こう
○知ろう
>>35 もう少し噛み砕いてお願いしますw
数値にするなら単位がいるなぁ・・・
ファジーな人の感情を「確率」をつかって
あらわす、なんていうことも考えられている
みたいだけど、「あの人は70パーセントやさしい」とか
「あの犬は30パーセント怖い」といっても実感わかないなあ・・・。
39 :
考える名無しさん:03/12/05 11:51
確率使えるとしたら「中間に位置する心は必ず存在する」
でないと駄目なんだよ。
40 :
考える名無しさん:03/12/05 12:34
69
たとえば心の中心が脳として
まず物理的に還元する
どのような分子で構成されているかどのような構造になっているのか
この構造物の脳が解明されたとしても心は見えてこない
それぞれの機能を、いままでいわれている心の機能、思考、感情と対応させていく
このような感じですか
と簡単に書いても難しい
心の機能は、単純に脳の機能、物理科学反応と相関させることができるのか
たとえば心の機能はどのように客観化するのか
アナログ式計算機になら、ひょっとして
私主義〜私を信じるものだけが救われる。
では観念的な心の機能との相関させない
脳のどの機能がどのような反応をするか
主観でなく他者が反応として判断する
動物実験のようですが…
私主義とは何か?
それは第一に私自身を信頼すること。
私を信じることによって貴方は救われる。
まあ分かりやすく言えば
わしの主張していることを
そっくりそのまま信じろっちゅうことやな。
問題はどう云う情報がインプットされたかを数量化する事じゃないのかな
脳は本来、全知覚的に外界を認識してるそうだから、
どの情報を取捨選択したかを把握しなければ、心(意識レベル?)の構成要素を絞れないんじゃないの
情報インプット→選択→判断→命令
選択は判断、意思により行われから
やはり一番は判断機構が複雑では?
ここのぴかぁ〜は一人なのでしょうか??w
話し合いする気があるのかないのか・・・
ほんとに一人なのか一人でないのか・・・
>>37 俺たちは数量化する思考を通して脳を見てるんだから、それの
働きが数量化されて見える。つまり、この問題に取り組んでいる
思考者、観察者ももちろん思考の束縛からは逃れられない。それ
を無視しても、論議は推測の域を出ないんだ。
そしてこれは脳科学が心に対する研究に迷走している根本的
な原因でもあると思うよ。
>>53 すまん。昨日夜遅くて眠かったからか文章が変だ。
心は蓄積されたエネルギー。そんな気がする。