【週刊わたしの】東浩紀スレッド25【兄チャマ】

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923考える名無しさん
ところで「不過視なものの世界」での東と斎藤の対談では、
東は
イマージュ(絵)=想像界 シンボル(記号)=象徴界 エクリチュール(文字)=イマージュとシンボルの中間
と言って、それを前提に話を進めて、斎藤もそれに対して大したツッコミを入れてないんだけど、
さっきのスレを見る限りでは、
シンボル(記号)は想像界として扱われているんだよね。で、エクリチュール(文字)が象徴界。
つまり「記号」には記号自身と対象との間に「ずれ」がない。
しかし「文字」は対象と文字の間に「ずれ」がある。
まあ、ここら辺はシニフィアンとシニフィエで説明した方が(いや、知ってる人には説明する必要ないね)
現代思想知ってる人には手っ取り早いんだろうけど。

で、後者の方(蝉寝るの説明)の方が正しいんだよね?
東は基本的なところで間違ってるの?

東って、一般向けに「去勢」の概念を説明する時もややこしいこと言うし・・・・・・