無神論者である者までが、正月のたった一日くらいは信者のような
行動をする、驚くべき民族。
神社の敷地内にメッカ巡礼のごとく鮨詰め状態で行進する民族。
あと、結婚式はキリスト教式で、葬式は仏教式でなんて平気でする民族。
それらについてもひっくるめて、何やら鋭い洞察キボン☆
まずは俺が思うこと。
神道の神が実際に存在するとしたら日本のこの「平和」と意外に関係がある?
神も人々の崇拝によって自己を維持できると仮定し、しかも
一年に一回だけの参拝的行動だけでは、神の方が破産してしまうと計算
出来ると仮定したとして、では何故神は破産しないのか?と問うてみる。
それは、一年に一回とはいえ、その一回の人数が驚異的に多いからだと
とりあえずは答えれるのではないか?
とはいえ、その「神道の神」が実在するなどの諸仮定の話だけど。
別の観点。
この「一年に一回だけ」というのが「文化」的に見事に功を奏しているのでわ?
それによって、無駄に信仰に時間を割かなくても済むから。
4 :
考える名無しさん:03/11/20 04:57
>1さんは頭が破産していませんよね
>神が破産って何を意味しているのですか
心理的には、「どうせ神はいないけど祭りは楽しいから参加する」みたいなもんだろうな。
あと、「万が一存在したとしても「何回も来い」とうるさくいわれないから
一回くらいなら行ってもいいか、存在したらしたで、いいことあるかもしれないし」
ってのがあるかもね。
>>4 神棚とかに食い物とか酒とか塩とか供えたりするだろ?大抵。
それは、神が食べるという意味があるわけだろうね。
そうすると、もし、神が実在するとしたら、誰も物を供えなかったら
神も腹空かしてしんでしまうってことなんじゃないの?
あっ、でも神だから自分で食い物くらい出現させられるとも考えられるか。。。
でも、何か人間から全く感謝されないと力を失ってしまうという様な
意味合いが含まれてそうでない?
まあ、そうでないとしても、ここでは、そういう「仮定」で考えた場合の話。
別の「仮定」も考えてもいい。
つまり、「破産」とは「力」が完全に無くなること。
または、「存在」する「力」が完全に無くなること。
=「存在しなくなる」こと。
別の仮定。
神道の多神教且熱狂的でない性質は、一神教且いかにも普遍的存在者を
歌ってそうな宗教の性質とは違って、それほど信じていない人をも
フェスティヴァル及びゲンを担ぐというような気さくさを通じて、参拝させ
やすい有利さを持っている。
そして、「神っているかな、いないかな」というちょっとした「不安」を
「案ずるより生むが安し」で極短い行為によって「すっきり」させることが出来る。
その結果、「宗教」とは逆の「神をほとんど考えない」という精神に多くの人々を戻させる。
神道はそういう「宗教」とは正反対の人々を送り出すのに一役買っている。
他の宗教には見られないこと。
そして、その性質こそが「神道の神」を生かし続ける。
つまり、「神道の神」は「存在」し続けるために人々の精神を「宗教への無関心」
の状態にして送り出さなければならない。
別の仮定。
だが、上で述べたことが仮に正しいとしても、それは「時代」によって
違うのではないのか?
これ程まで、科学が進歩している時代においては、そういう「アドバンテージ」が、
有ったところで、参拝者は激減するのではないだろうか?
ここで、俺が考えるのは「テレビ」の存在である。
毎年、「初詣」には巨大な数の参拝者が生じているという事実から、
テレビ局は毎年「参拝風景」を映す番組を流す。しかも全ての局で例外なく
であり、更に頻繁にである。
これを、見ている視聴者は、その一大行事、毎年の「流行」をまざまざと
見せ付けられ、それに参加しないことは、自分だけが、「流行」にあるいは「情報」に
置いてけぼりにされるのでは?という焦燥感が生じ得る。
これが、多くの人々に起き、その年も巨大な参拝者の数になる。
このことで、「テレビ局」の側も「来年」も同じようになるだろうと
想定し、それまでの傾向を特に変えるようなことはしない。
そこには「信用」が成立している。
この「双方」が「いっぺんに与えられている」からこそ、「社会」に
「言語」が「いっぺんに与えられている」からこそ成り立つのと同様な
ことが起きているのではないのか?
それとも、参拝者が激減しても「テレビ局」は映そうとするだけの「理由」が
有るのだろうか?
それとも、「時代」によらず、上に上げたようなアドバンテージがあれば、
ずっと大量に参拝者を生じさせるくらいのものなのか?
13 :
S・ピカァー:03/11/20 11:35
もともと多神教である日本人にとってなにも不思議なことではなろう
マツリゴトとは本来神への祈りであると同時に
まさにお祭りであり娯楽性の高い行事である
14 :
S・ピカァー:03/11/20 11:46
そしてマツリゴトは集団への帰属の確認行為である
目的そのものでなく、初詣という同じ目的を共有する
密集行動に安ド感、幸福感が存在するのだよ
わしは長い間初詣にはいってないが…
15 :
J.ビカァー:03/11/20 13:35
そうね・・・不特定多数のひとが無意味なゲームのため、ただそれだけの
為に大集合して盛り上がる・・・これが日本教=シントーイズムの真髄だ!
16 :
考える名無しさん:03/11/20 13:48
2ちゃんもそゆとこあるね。少々・・。
17 :
J.ビカァー:03/11/20 13:58
ある無意味なことのために、たくさんひとが集まる。
それを定期的に繰り返す・・・お祭りだ。意味はないが、
大きなエネルギーがそこにある。それが要点と思われる。。。
日本最大の広域暴力団 桜田組
19 :
考える名無しさん:03/11/20 14:00
??
20 :
考える名無しさん:03/11/20 15:01
おなか減った。
21 :
考える名無しさん:03/11/20 15:13
おなか減った。
>ぴかぁ〜
そういうのでもいいんじゃない?
でも、これから俺が言うようなものくらい「ぶっとんでる」方が面白い。
俺は「分析哲学」を最近読みはじめた人間で、超ど素人だが、
「神道の神々」が実在すると仮定して、
>>2が成立する場合、
@「神道の神」は「人間の意識状態に影響を受ける」
>>9が成立する場合、
A「神道の神」は「その名前やエピソードを分かりづらいものにして、カモフラージュしている」
新しい仮説
B全ての「神道の神々」は「分かりづらくさせられて分散させられている」ことによって、
奇跡を起こす力が極度に弱められている。
Cその「神道の神々」あるいはその「名前」は「a1,a2,a3……an」で表すことが出来る。
Dこの「名前」は
>>8と同様に「人を一年に一度程度は人を運ばせる」という
薄い、適度なものとして、その程度の有利なものとしてある。
(飽くまでも狂信を産み出すだけの刺激は少ない)
その意味では極めて計算された名前であるかもしれない。
この「薄い」という表現は、何かもっと濃い「対象」が薄められたということである。
E俺が思うにこれは「神に対する「認識」の願望の強さ」ではないかと思われる。
ここでは、一つの「言語論的転回」が起きているのではないのか?
この「神道の神々」とは、「フレーゲ」や「ラッセル」の「記述法」を先取ったもの
ではないのか?
F日本人が大抵一年に一回だけ参拝するという「行為」は、一つの「論理操作」であり、
それが、極めて「簡潔」に出来ているということをこれは示しているのではないのか?
この全てが「論理空間」である。
Gそうすると、古来から日本人は元々、「分析哲学的空間」に存在していたことになるのではないのか?
25 :
考える名無しさん:03/12/17 17:56
>「フレーゲ」や「ラッセル」の「記述法」を先取ったもの
論理学系スレッド荒らしているのはこの
>>1だな。
おい糞!まだ居て荒してんだろ!!
おい糞!
26 :
考える名無しさん:03/12/17 18:20
>>24 なーにが「言語論的転回」だw
「論理空間」だってさwww
「分析哲学的空間」?こりゃまいった藁
28 :
考える名無しさん:03/12/17 18:47
氏ねよ
正月のたった一日でも一年のお願い事をするのなら
初詣する人は無心論者じゃない。
お。Sophiaがかなり良いこと言ってる。珍しい。
現世利益だから良いじゃない
日本人の曖昧な宗教観を巧く執り込んでいるんだから
32 :
考える名無しさん:03/12/22 02:29
行列ができてると、自分も並びたくなる
33 :
考える名無しさん:03/12/22 02:34
日本人が多民族起源であることを意味している。
34 :
考える名無しさん:03/12/22 02:52
>>33 その70%が、皆さんがお嫌いな中国・朝鮮系のDNA配列を持っています
35 :
考える名無しさん:03/12/22 14:14
age
36 :
考える名無しさん:03/12/22 15:09
クリスマスみたいなただのイベントだよ。
37 :
考える名無しさん:03/12/22 15:09
イベント大好き
でもクリスマスは欠かしても初詣だけは欠かすつもりない。
みなと同じように我慢して合わさん奴
群れから抜きん出ようとする奴 に対して
一種のうらやましさからくる妬みの感情 が生じる
「ねたみは人間の最も卑しい品性である」
http://osaka.yomiuri.co.jp/new_feature/kokoro/jyuku06.htm 社会福祉法人「いのちの電話」の斎藤友紀雄事務局長は、「『いじめ』は
世界中で起きていますが、日本の場合、その一番大きな原因は、異質なも
のを認めないという精神文化に根ざしていると思います。偏差値教育や核
家族化によって孤独を強いられた子どもたちは、必死に自分の居場所を求
めるのですが、性格や能力が集団と調和しない子は、集団から排除されて
しまう。つまり、村意識が働いて、村八分にされてしまうのです」と語る。
<差別いじめをなくそう>
日本国憲法(国のあり方を定めた法)は、個人主義を定めています。
それは、戦前、全体主義だったわが国が、悲惨な戦争に突入し敗戦したと
いう苦い経験の反省に基づきます。
別にみなが一緒じゃなくてもいいでしょ?
みなが一緒じゃないと安心できない集団がいて、その集団が
異質分子を排斥しようとする。
要するに、とくに戦前はA型中心の集団主義が徹底してたわけ(全体主義)。
それが、悲惨な戦争の惨禍をもたらしたというわけだ。
そこで、戦後、新憲法は個人主義を定めた。
つまり、ダンゴ状態は良くない。できるだけ、個人がバラバラのほうが好ましいというわけ。
ノーベル賞級、青色発光ダイオードを発明した中村氏も、「エネルギーは分散しているほうが、
物質的には安定する」という物理のエントロピーの法則を引き合いに出して、本を書いてるよね。
フランスでカルト苛めが盛んなのは人権を錦の御旗に掲げているからだが。
41 :
雲子 unko:03/12/27 23:41
初詣威光是
42 :
考える名無しさん:03/12/27 23:43
ナチスは滅びたんだが
>>39 ふぅ〜ん。
欲望の権化の一面を持つ私には欲望を捨てる事は難しい事なのです。
批判は「国際比較」が軟弱な事。
徹底した全体主義なのか、日本の様に全体主義を経験した後の状況なのか
、また、「差別が当たり前で麻痺して特に目に付かない」のか?
「差別が多岐にわたり珍しい状況が発生する状況」なのか?
44 :
考える名無しさん:04/01/05 06:52
お正月はいつまでですか?
45 :
考える名無しさん:04/01/05 13:37
ヒンズーの古神曰く、
人は自らの神を通して真の神に至る。
とな。
>44
カドがとれるまでです。
初詣行きたい。
集団で初詣にいく理由は「楽しいから」でしょう。
みんなでおみくじとか絵馬とか書いたりして、なんか楽しいじゃん。
家族で初詣して、その後で友達と初詣したいです。
>44 一月14日までじゃないの?15日に飾りとか燃やすから。
わかりました。ソフィアさん、ありがとう。まだ、当分お正月ですね。
50 :
考える名無しさん:
お彼岸でした