つまり「観念が原因で体験が結果」ということです 因みに「”体験が原因で観念が結果”という観念」も含みます 「感情」も体験のうちです 思い通りの人生を歩めないからと言って他人のせいにしたり虚無主義に陥ったりする前に、まず自分の固定観念を見直しましょう 「観念を変えれば体験が変わる」それがこの世の仕組みです。人生をもっと遊んでください
3 :
@ ◆EY2wfgakAQ :03/11/15 16:55
1さん、哲板にもスレたてたんか。 一応本家にもレスしたんだけど。 つまり「意識とは記憶である」という主張だよね。
>>2 ああ、すみません
一々スレを覗いて答えるより自分で立てた方が楽かなと・・
>>3 本家?心理板ですか?
「意識は記憶」って・・・そんなこと言ったかな・・・
6 :
@ ◆EY2wfgakAQ :03/11/15 17:36
いや、人生相談板ですよ。 >「意識は記憶」って・・・そんなこと言ったかな・・・ え、違うの?
>>6 人生板では「ふにちん」ってHNで似たよーなスレは立ててます
ああ、@さんですか?どもども
8 :
アルプスの少女 ◆uF4XxPpQEU :03/11/15 18:04
あ、1は大丈夫みたい。
10 :
アルプスの少女 ◆uF4XxPpQEU :03/11/15 18:11
くだらない人への軽蔑で嫌になっちゃう人へ。 まず、「くだらない人」の人格は完成されておらず未熟なものです。 「くだらない人」の人格はいちいち軽蔑差し上げるほど完成していない人格なのです。
11 :
アルプスの少女 ◆uF4XxPpQEU :03/11/15 18:34
そんな、「くだらない人」を相手にしてる事は罪なことです。
13 :
考える名無しさん :03/11/15 18:37
観念・珍念・没年
>>1 の一生、というわけでもないが。
>>10 まず、「くだらない人」の人格は完成されておらず未熟なものです。
そうですね。人は鏡ですから、未熟に見える人というのは貴方の中にある未熟な部分を反映しているだけ
15 :
考える名無しさん :03/11/15 21:31
>>14 そうやって縮小ループに入り、もっともらしいペシミズムの中へと退縮始て逝く。
16 :
考える名無しさん :03/11/15 21:44
肉体と精神は相互補完。そうとしか考えられない俺の主観は間違いか? 病は気からて言うのも有りだけど、病から気弱てのも有る気がするもだが? 俺の主観は間違いなのか?>1
17 :
考える名無しさん :03/11/15 21:44
あ、またかわった、だれか、スレ値どうなったかおしえて!
>>15 ペシミズムの中へと退縮始て逝く
悲観主義?
>>1 は極めて楽観だと思いますけど
>>16 俺の主観は間違いなのか?
主観に正しいも間違いもないですよ。何が正しいかなんてどこにも普遍的基準はないですから
肉体の病から気が弱くなるのは「そう定義してるから」それが現実になるだけの話
気の持ち方を変えて病を克服した人もたくさんいます(奇跡と呼ばれるが、奇跡でもなんでもない)
観念は何処から生じたの?肉体が無くとも在るのであろうか? 霊界ならいざ知らず現界に於いては肉体による体験学習は必要だと思う。 生を受けた瞬間に天上天下唯我独尊て言える存在は人と呼べ無い。 更に釈尊と言えども仏陀とやらに成ったのは何十年も後じゃん。>18
>>19 観念は何処から生じたの?
最初は誰かに教わります。成長するにつれ次第に自分で取捨選択します
>>1 でも固定観念見直すのって・・・・ムズイ
このスレの目的は?目標といってもいい。
>>1 「固定観念見直すのはムズイ」という観念から見直しましょうか
観念を固定化させれば固定観念。させなければただの観念ですから
>>22 >>1 を述べることが目的で、目標は、異論や質問があればそれに答えること
24 :
考える名無しさん :03/12/05 23:51
わ〜い、ひきこもりの好きそうな言葉だ。
観念て何
観念の具現化があるからこそ人であると思う。 このスレでは観念の善悪を述べているわけじゃないんだよね?
観念とは・・・、概念、価値観、判断基準、観点、視点、思考パターン、思い込み、思想、哲学、ともいえるかも知れません 要は貴方が「これは正しい」と思っていること
>>26 勿論。善悪などの二元論も観念の代表ですよ
観念は観念。観念自体に善悪はありません
他人のせいにしたり虚無主義に陥ったりするのも観念? 悪いことではないわけでいいとなってしまうけど、これは悪いこと?
30 :
考える名無しさん :03/12/06 16:38
いやコンピュータは悪の機械だろう。
馬鹿の考え休むに似たりとはよく言ったものだなあははははははは
32 :
考える名無しさん :03/12/06 17:23
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>>29 他人のせいにしたり虚無主義に陥ったりするのも観念?
言葉になりうるものは全て観念です。虚無主義に陥るのも「全ては無意味」などという観念から来てる
自分の人生が思うようにならないとき、人は「観念を見直そうとして」虚無主義になるんですよ。大概一時的なものですが
>悪いことではないわけでいいとなってしまうけど、これは悪いこと?
悪くはないですが、幼稚です。何故なら「悪くない=いい」ではないから
「悪くない=いい」というような思考パターンは「二元論」といって揶揄される事が多いです
34 :
考える名無しさん :03/12/06 18:26
私の人生は下らないんですけど、どうやったら楽しくなるんでしょうか? いってしまえば自分の度胸のなさを悔やんでいます。 自分の思考をどう云うふうにかえれば、いいのやらです。
>>33 人は「観念を見直そうとして」虚無主義になるんですよ。大概一時的なものですが
なるほど。意味を持って観念を持つというのが理想にあるのだろうか。
あなたには観念を持つことの理想というのがあるなら聞きたい。
36 :
考える名無しさん :03/12/06 18:31
☆
w ||w
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>>1 ノw
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>>34 いってしまえば自分の度胸のなさを悔やんでいます。
「悔やむべき事」というのはどこにもありません。貴方の観念以外には
「失敗」というものも実際には存在しません。「貴方が何を失敗と見るか」がそこに見えているだけ
さて、34さんはどんな固定観念があって何を「これは悔やむべき事」と定義しているんでしょうか?
その観念は本当に「正しいものの見方」に基づいていますか?
>>35 意味を持って観念を持つというのが理想にあるのだろうか
人生とは貴方が意味づけした通り、定義付けした通りが現実化したものです
全ての事象は元より意味がありません。無意味です。意味は0(ゼロ)
事象を見た人が己の主観で意味づけします
私に理想があるとするなら、人類の一人一人が
>>1 に目覚めること
その時、自分の人生に不平不満がある人がいなくなるからです
でも今はまだ原因と結果を逆に考えている人が大勢いますよね。自分の観念を変えずに済む言い訳として使うために
38 :
考える名無しさん :03/12/06 21:46
>>37 悔やんでいるのは私自身なので、
私に悔やんでいる観念が存在していると云う事でいいのかな?。
悔やむべき事は、自分が何も言えない人だからです。
自分が嫌な事を、相手に伝えられないのです。
それでいつも、ああすればよかったとか、こう言えばよかったとか、
一人で悔やんだりします。
こう云う事をなくすには、どういう考えをして、どういった観念を
身に付ければいいのですか?
39 :
考える名無しさん :03/12/06 21:56
あまり無い頭で考えるより、心で感じる物を信じ、モラルに従い行動することだ・・そうしないと、心がインポテンツなものになるぞ・・・
>>38 悔やんでいるのは私自身なので、
>私に悔やんでいる観念が存在していると云う事でいいのかな?
その通り。貴方の心の中に、原因となる観念が存在しています
貴方はかつて誰かに教わった事をそのまま素直に信じているだけです
「ここは悔やむべきところだ」と
そうすることが正しい、人としてあるべき姿だと信じています
本当は正しいも間違いも単なる相対的主観に過ぎません。にも関わらず絶対視しています
>悔やむべき事は、自分が何も言えない人だからです。
>自分が嫌な事を、相手に伝えられないのです。
相手に嫌われるのが怖いからですね?
或いは「相手を傷付けないように自己主張する術」をまだ学習中なのでしょうか
>それでいつも、ああすればよかったとか、こう言えばよかったとか、一人で悔やんだりします。
そのように、固定観念を変えなければ、似たような体験を繰り返します
より理想的な自分の行動が分かっているなら、あとはそれを実行に移すだけです
でも貴方は自分でそうすることを留めています。何を恐れているんでしょう?
>こう云う事をなくすには、どういう考えをして、どういった観念を身に付ければいいのですか?
まず、どういった観念を持っているかを探ることです
私と対話していれば見付かりますよ
見付けたら、それが本当に「絶対視すべきものなのか」を検討しましょう
よく考えたら拘らなくても良い、別のものの見方がある、という事が分かれば後は簡単ですよね
41 :
考える名無しさん :03/12/07 10:04
とにかく働いて自立すること、それに尽きます。
43 :
考える名無しさん :03/12/07 15:14
>>40 私は、結局いい人になりたいと思っています。
いい人と云うのは、人に好かれるって事も含めてそうなりたいんです。
確かに、私はとても人に嫌われるのが嫌で、自分の意見を押し通す事が出来ません。
一度やったことがありますが、相手の方と言い合いになり、結局不快な思いをしました。
こんな事なら、自分が素直に人の話に相づちを打っていればいいのではないだろうかと。
でも、「そうだよね。」「私もそう思う。」
そんな会話の後、本当は反論したい自分がいます。
「でもさ、」って云う言葉がとても恐く感じ、口を噤んでしまいます。
そして私は、困っている人を助けたり、
悪いことをしている人をいけないと言える人になりたいと思っています。
それを素直に出来ないのはやはり人の目が恐からです。
困っている人を助けたつもりでも、相手にとっては不快な事だったらどうしよう。
そう思ってしまうと、何もできなくなります。
う〜ん結局私はどういった観念をもっているのでしょうか。
>>37 観念に気付くことで自分の意思で観念を変えることで、
人生楽しくなるという感じですかね。
>>43 そんな会話の後、本当は反論したい自分がいます。
本当の自分を押し殺せばストレスも溜まります
相手を傷付けないように、嫌われないように意見を述べることはできないんでしょうか。言葉の選び方とか表現の仕方とか
嫌われない人を観察すると、「でもさ」などとまず相手を否定したりはしませんよね
相手の意見を尊重していない気持ちがあるのではないでしょうか
>それを素直に出来ないのはやはり人の目が恐からです。
対外評価が気になるんですね。自分の価値は他の人が決める、と
誰かが貴方の一面を見て判断したとして、それがその人の主観的価値判断であることには変わりありません
何故、自分を一番よく知っている自分自身の価値基準よりも他者の価値基準を絶対視するんでしょう
>困っている人を助けたつもりでも、相手にとっては不快な事だったらどうしよう。そう思ってしまうと、何もできなくなります。
貴方は困っている人が何を望んでいるのか聞かずに勝手によかれと思う行動を取るんですか?
困っている人が何を欲しているのかきちんと聞いた上で助ければ、そんな心配はないですよね
>う〜ん結局私はどういった観念をもっているのでしょうか。
たくさんたくさん、持っている観念を話しているではありませんか
貴方は自分がもっとスムーズに物事をやるための考え方を学んでいるんだと思います
近いうち、もっと気楽にやりたい事をやれ、言いたいことを言えるようになりますよ
>>44 その通り。人はもっと意識的に生きるなら誰もが自分の思い通りの人生を歩むことができます
感情が湧いたときは、自分がどんな観念を持っているかを知るいいチャンスです
46 :
考える名無しさん :03/12/07 17:04
>>45 人に嫌われたくない割に、自我が強いんです。我侭です。
すごく矛盾してると思われるかもしれませんが。
なので、自分を押し殺す事がストレスなのは分かっています。
でも、私が人と会話をすると、人を思いやって話すと云う事から
かけ離れていくんです。自分の言いたい事を言ってしまう。
それで、人も不快になるし、自分も嫌になる。
「そうかな。」「だけどさ。」みたいな話し方になるんです。
小さい頃から私が見てきた「誰からも嫌われない人」って云うのは、
かなりの割合で、自我を出していないように思います。
目立たず、だけど存在感が無いわけでもなく、
誰と話していても本気で熱く会話する事もない。
同窓会などで、話にもあがらないような、
「嫌われないけど好かれもしない」こう云う人になりたいわけではないんです。
私は、自然に人を思いやって、それで自分も救われたいです。
計算などではなくて。
今はそれをどうやったら出来るのか、その術が分からないのです。
>>46 すごく矛盾してると思われるかもしれませんが。
自分は相手を否定はするけど、相手から否定されたくない。確かに矛盾ですね
貴方の経験が貴方に教えている様々な摩擦やストレスは「どこが矛盾しているか」を教えてくれているはずです
相手に否定されないためには貴方も相手を否定しないことです。貴方が相手になした行為は、貴方自身の身に降り掛かります
人を裁けば自らも裁かれる、とか、人は鏡、という言葉通りに
それでも誰かのとある意見に対しては、否定的になりますか?
貴方にとって、どんな意見が否定すべきものですか?
>今はそれをどうやったら出来るのか、その術が分からないのです。
今度、会話の中で「でもさ」「そうかな」と言いたい気分になったときがチャンスですね
「何故否定したいんだろう?」「相手のどこが気に入らないんだろう?」
そして「こんな気持ちになるためにはどんな観念が必要だからなんだろう?」と探究して内省していけば、自分の持つ観念(何を”こうあるべき”と思っているのか)が見えてきます
予め強調しておきますが、どんな観念であれ「普遍的絶対的に正しいもの」はありません。観念(概念)は全て人工物です。言うなればただの主観
自分の主観を客観と間違える人がたまにいますが、客観とは共有された主観に過ぎません
>>46 横レス
>自分の言いたい事を言ってしまう。
のは、べつに問題ないんじゃない?他の人と意見が異なるのは珍しいことじゃないし、
単に言い方(表現)の問題だと思うけど・・・
「〜したい」と思うことを、それが観念のせいだとしてもおし殺していたら、
あんまり幸せじゃなくなるんじゃないかな・・・(もちろん常識の範囲でだけど)
>>48 単に言い方(表現)の問題だと思うけど・・・
そうですね。結局自分の観念に囚われすぎるから表現がキツクなり軋轢が生じるのだから
>>46 んじゃ、おいらも便乗横レス。
あなたのように自分の価値観を出せない(出さない)友達がいましてね。そのとき言ってやりました。
「俺はお前の主観が知りたいんだよ!人に同意しているばっかりだから俺はお前をひとつも知れない。
お前ばっかり俺を知って卑怯だ!いつになったら俺はお前を知ることができるんだ!」と。
懐かしいねぇ〜w青春だねぇ〜w
下ネタとオヤジギャグが大好きなのであまり全開しすぎると 嫌がられるのですが・・
妙に盛り立てられて威厳が無いたらしっかりしろたらなんたら そのまま受け入れられないので困ってるのですが・・
今晩は。お腹が痛いです。 みなさん色々ありがとうございます。 私は何だか、矛盾ばかりの人生です。 人に心を開く事もなく、でも人を心から信じたいとも思い、 けれども、人を疑ってしまう。そしてまた心を閉ざします。 なぜ私は、人を卑下したり、疑ったり、矛盾した事を思ったりするのでしょうか。 何故こんな性格になったのでしょうか。 人と話している時に、相手をバカにするような事を思っている私を なんとかしたいのです。「うそばっかり」「ばかじゃないの」って思う その思考事態を無くしたいのです。 悲しくなってきました。
55 :
考える名無しさん :03/12/08 20:08
アホ 馬鹿 泥亀
>>46 さん
あなたの書き込みは自分の言いたいことをしっかり書けていると思うよ。
卑下したり、疑ったり、矛盾していることを思っているあなたもいるだろうけど、
こうやって思ったことをちゃんと書ける自分がいることを忘れちゃいけないよ。
57 :
考える名無しさん :03/12/09 17:16
57は叩く意図無し
>>54 なぜ私は、人を卑下したり、疑ったり、矛盾した事を思ったりするのでしょうか。
過去に囚われているからでは?
>その思考事態を無くしたいのです。
なくそうとしないでください。それがありのままの貴方なんですから
思考そのものはどんな考えであれ悪い事ではありません
寧ろ自分の素直な気持ちを否定することの方が悪いです
思考自体をなくすのではなくその思考の原因となっている観念を変えて下さい
観念を変えずに思考をなくそうとしても無理です。思考は「結果」に過ぎませんので
感情は固定観念の反応に過ぎません。感情をなくそうとしないで。感情は寧ろ「表現すべきもの」ですよ。観念を変えましょう
60 :
考える名無しさん :03/12/09 17:50
ぴかぁ〜はこのスレにこそ常駐すべきだ
61 :
考えるヒント・生きるヒント :03/12/09 23:26
>>1 さん
こんばんわ、昨日はありがとうございました。
早速立ち寄らせていただきました。
哲学に関しては、全く無知ですが
勉強させていただきます。
観念とは、自分の体験や知識で作った器と
考えたらいいのでしょうか?
62 :
考える名無しさん :03/12/09 23:28
>>61 機会のスレに寄って修行してから出直せよな。自分がバカであることがよくわかるだろうぜ。
63 :
考える名無しさん :03/12/09 23:29
1もバカの壁の中だったりしてね
>>62 あ、そうですか・・・・。分かりました。
負のイメージなど何も生み出しませんけどね。
65 :
考える名無しさん :03/12/09 23:42
1の説は間違い。 正直なところまったく逆である 体験によって観念が決まる 男なのか女なのか 背が低いのか高いのか 長男であるのか次男であるのか さまざまではあるが 生まれ持った体験と環境が自ら観念を作り出し 他者もまた拍車をかける
>>61 観念とは、自分の体験や知識で作った器と考えたらいいのでしょうか?
器・・何かを入れる器ですか
そんな風にイメージしたことはありませんでした
言い得ているような気もしますね
>>65 体験によって観念が決まる
100%そうと言えるのは、人生の初めのうちだけです
67 :
考える名無しさん :03/12/10 18:16
>61 ためしにこうしてみ できれば哲学書を読んで欲しいが 知りたい言葉を辞書で引く→その意味を自分なりに考えてみる 考える事が大事だ
69 :
考える名無しさん :03/12/10 18:20
7 名前:考える名無しさん :03/12/02 12:00
>>1 オマイのかーちゃんとやったけどもう最低!!
臭いし
今晩は。 思考はこのままでいいという話でしたので、これも自分なんだと諦めてと。 過去に捕われている…。と、言うよりも、人を疑うのは母の影響だと思っています。 母も私同様に、人を全く信じません。私以上かもしれませんが。 私自身は、過去に人にだまされたとかそういった記憶はないので、人を信じたいです。 他者から観念を植え付けられたと言う事になってしまうのでしょうか? 27には、自分が正しいと思った事が、観念になるとおっしゃっていますが、 私は、人を疑う事を、正しい事だなんて一度も思ったことがありません。 思考と観念は、また別物なんでしょうか?
>>70 私自身は、過去に人にだまされたとかそういった記憶はないので、人を信じたいです。
お母さんの経験を無駄にする必要はありませんよね。無駄にせずに活用しつつ、貴方の意思で人を信じることは可能です
但し、期待すれば裏切られます。これは必然です。裏切られるのが怖いなら、期待しないことが一番です
>他者から観念を植え付けられたと言う事になってしまうのでしょうか?
お母さんからまだ精神的に自立していないんでしょう
往々にして親の方が子離れできてないこともありますが
>私は、人を疑う事を、正しい事だなんて一度も思ったことがありません。
逆に人を信じることを、正しい事だと思っているんですか?
>思考と観念は、また別物なんでしょうか?
思考はいろんな観念が混ざり合ったようなものです
「こんな観念を持っているべきではない」という観念が強い場合、無意識的に自分自身に嘘を付くこともあります
十二国記を読め。
こんにちわ。 読ませていただきました。 自分の観念を見直し、変えて行くことは、人生を楽しめるようになるのかなと思いました。 誰かのせいにしてばかりいて、結果自分も苦しく、そんな自分もキライになってしまったら、 折角の人生がもったいないような気がしてきました。 私は我侭な自分がキライでしたけれど、そうしなきゃ気がすまない考え方が自分の中にあるのだという 新しい観念ができたと思います。
>>73 自分の観念を見直し、変えて行くことは、人生を楽しめるようになるのかなと思いました
その為の人生、その為の”体験”です。楽しい経験も苦しい経験も本人の選択次第です
でも苦しい体験をすると大抵の人は「この体験はあいつのせい」と言って責任転嫁します
>私は我侭な自分がキライでしたけれど、そうしなきゃ気がすまない考え方が自分の中にあるのだという
感情が湧いてきたときは内観する絶好のチャンスですよね
75 :
考える名無しさん :03/12/20 18:16
>74 辛い事を言い訳する人間,責任転嫁をとがめられた人間,の思想ではと.
>>74 > 感情が湧いてきたときは内観する絶好のチャンスですよね
はい。今までいかに、盲目的にせつな的に生きて、苦しい選択を自らしていたのかと思いました。
これからは責任転嫁したくなったら、自分を変えるチャンスだと思うようにします。
あの、素朴すぎる質問なんですが、感情の正体ってなんでしょうか? 単に思考や観念の結果なのでしょうか・・
>>75 辛い事を言い訳する人間,責任転嫁をとがめられた人間,の思想ではと
なるほど。本当に言い訳だけに終わるなら、何の解決にもならないですね
>>76 これからは責任転嫁したくなったら、自分を変えるチャンスだと思うようにします
その姿勢を忘れないで下さいね
>>77 あの、素朴すぎる質問なんですが、感情の正体ってなんでしょうか?
以前心理学板に「感情は固定観念の反応に過ぎない」というスレッドを立ち上げてました
感情の原因は、それを感じる人自身が持つ観念にあります
観念とは概念、価値観、判断基準、観点・視点、ものの見方・考え方、定義付け、意味付け、思想、哲学、思考パターン、思い込みなど、貴方が「これは正しい」と信じていることを指します
感情も、人生体験の一つです(あ、
>>1 で述べてますね)
人は自分が定義付けした通りの人生を歩みます
ですから人生は辛いものだ、と思う人は辛い人生を体験します。思考は現実化しますからね
そしてやっぱり辛かった、と辞世の句を残して去っていくのです
但し、一つだけ観念に因らない感情があります。喜怒哀楽を人為的(不自然な)感情とすれば、一つだけ自然な感情があります。何だと思います?
>78 感情そのものは・・エネルギー?なんですか? 感情が出るとき感じるとき胸がからこみ上げてくるような感覚?がありますよね・・? それはなんですか?どうしてそうなるのでしょう・・。 自然な感情・・・なんでしょう?愛情ですか?
>>79 エネルギーですよ。思考エネルギーです。そのエネルギーを物理エネルギーに変換するのが我々の肉体です
自然な感情は愛です。ご名答
でも愛とはいってもただの愛ではありません。「無条件の愛」です
条件付きの愛は喜怒哀楽と同じ人為的不自然な感情です
>>80 少し極論になるかもしれませんが、
何かを見たり聞いたりして感情が沸いたら、自分の観念を見て
感情(喜怒哀楽)の人為的不自然な感情に翻弄されるて、ワンパターンの反応を繰り返すのではなく、
その上?の自然な感情の「無条件の愛」という感情に変換できたら、幸せというか
苦痛に満ちた人生にならないということができるのでしょうか?
人為的なものが不自然というのがよくわからない。
>>81 その上?の自然な感情の「無条件の愛」という感情に変換できたら、幸せというか
無条件の愛は「如何なる観念にも執着しない境地」なので、変換というよりも観念からの離脱ではないでしょうか
ある意味悟りを開いたのと同じです
すると喜怒哀楽も、自分自身でコントロールできます。好きなときに思い通りの観念を選択できるからです
例えばこれまで特定のTV番組にしか興味が沸かなかったのが、どの番組もへぇ〜連発になったり、他者への感情移入が以前より簡単にできるようになります
逆にどんな体験をしても全く動じないようにもなります
>>83 人為的なものが不自然というのがよくわからない
人為的人工的なものも含めて「自然」と定義することもありますが、ここでは敢えて自然=人為的でない、不自然=人為的、としています
観念・概念というのは全て人工物なので、個人が如何様にも壊したり組み立てたりできる、という事を強調するために
相手を意図的にコントロールした結果、相手の中に植え付いた無条件の愛というものをどう定義したらいいのか。
>>86 ちょっと分かりにくいので、もう少し具体的にお願いします
>>84 もうひとつ質問いいですか?
無条件の愛と条件付の愛の違いを見分けるのはどうしたら良いのですか?
自分の中では、あらゆる観念に執着しない状態ということですが、
では相手の人のそれを見抜くのにはどうしたら良いのですか?
>>88 無条件の愛と条件付の愛の違いを見分けるのはどうしたら良いのですか?
制限があるかどうか。制限が無ければ無条件です
無条件の愛はまず怒りませんし不平不満を言いません。全てに寛容だから。条件が付いていると、不満の元になります
答えになってますか?
>では相手の人のそれを見抜くのにはどうしたら良いのですか?
相手の人が不平不満を言うなら、その対象に「条件付きの愛」を与えています
批判や非難、愚痴、悪口、もそうですね
貴方が何をしようと相手が貴方のあるがままを受け入れるなら、「無条件の愛」です
90 :
考える名無しさん :03/12/22 20:37
>>89 キリストや釈迦の心境ですな。
分かっていてもなかなかできるものではないし、無条件の愛を
与えることができたとしても不満が消えるわけでもない。
91 :
考える名無しさん :03/12/22 20:51
>>89 怒るのは愛情があるからだよ
大切な花瓶を割ったら怒るし、自分の子供が怪我させられたら怒鳴り込みに行くのは当然でしょ
無条件の愛に見えるのはいくつか見方があると思うよ
92 :
考える名無しさん :03/12/22 20:56
では、あなたは身の回りの人全てに条件を付けて愛してるのか それとも無条件に愛情をそそいでいるのか その前にあなたは愛情で人と付き合っているのか 愛情を注ぐ人もいれば、条件を付けている人もいれば、関心の無い人もいる たまたま電車で隣に乗り合わせた人に、この人を無条件で愛しているので一緒に 座っても良いと考えるのか それとも少しお鼻の先が愛らしいのでかわいい 少し愛しちゃうから隣に座っても いいとでも考えているのか 愛憎なんて考えてないのではないかな 大抵は他人についてそこまで考えていやしない
93 :
考える名無しさん :03/12/22 20:56
>>91 マジレスです。
その相手が無条件の愛だと気づかずに、かえって迷惑だと言われれば
愛情ははた迷惑な話に終わりそうだが?
94 :
考える名無しさん :03/12/22 20:59
相手は無条件の愛だと考えていないのでしょ?
あなたの目から見た感じでいいから話してみな
>>93
95 :
考える名無しさん :03/12/22 21:02
鏡の話でいいかい? それを他の人にやられたら、他の人に対しても無条件の愛情を持ってる人だと考えるのか? 何か別の考えで動いてるのをあなたが分からないし、直接口に出すと問題なので話す事も ないのじゃないか
96 :
考える名無しさん :03/12/22 21:03
>>93 身の回りの人が気づいてくれれば愛情は浄化すると思いますが
相対的な他者が相手では条件付にしないと傷口を深めるよ
あなたはゴットではないんだし
97 :
考える名無しさん :03/12/22 21:06
only one か some one その人の中で自分はどちらだと思うの? その無条件の愛情を持ってる人の中でさ あなた
98 :
考える名無しさん :03/12/22 21:09
only oneを信じてますよ
99 :
考える名無しさん :03/12/22 21:11
あなたがその人の中でsome one なら愛情を注がれているというより 普通の日常生活かあなたの愛情の投影かと思われます 相手はあなたの事をそこまで考えていないでしょう
>>90 無条件の愛を与えることができたとしても不満が消えるわけでもない
不満が消えてないのであれば、無条件の愛ではないということですよ
>>91 大切な花瓶を割ったら怒るし、自分の子供が怪我させられたら怒鳴り込みに行くのは当然でしょ
愛しているのは「割れてない」花瓶という条件が付いているからですね?
後者は、家内の安全安泰を愛している。その愛を蔑ろにされたから不安が募って怒りになる
>>92 大抵は他人についてそこまで考えていやしない
そうですね。大抵、自分の事、せいぜい家族の事までで精一杯ですから
>>93 その相手が無条件の愛だと気づかずに、かえって迷惑だと言われれば
迷惑だと相手が感じるなら、それは無条件の愛ではないですよ
人は何かを否定された時に、迷惑と感じますから
無条件の愛は何も否定しません。「否定すること」すら
101 :
考える名無しさん :03/12/22 21:17
102 :
考える名無しさん :03/12/22 21:21
例えばね あなたが公園のベンチでお昼ご飯を食べていたとしよう 今日は大好きなウィンナーがお弁当に入っている ケチャップを塗りたくりそのウィンナーにカブリ付こうとしたらズボンにタレが こぼれてしまった しまった! 大好きなズボンにシミが付いてしまった このままだとシミになる どうしよう困ったぞ・・・ そこにだね 水をかぶった女が現れてだ あなたにハンカチを貸してくれたと するね 何で俺みたいなどうでもいい野郎にハンカチを貸してくれたのだろう ああ〜、あの濡れた髪の毛や肌に張り付いた洋服 服の端から水がしたたるる いい女だったなあ きっと彼女は博愛主義者なのだ 変な男にあんな親切にしたら付け上がられて 大変な目に会う 彼女の博愛主義を治してあげよう こんな風に考えたらあんたが変な男の第一号だぜ
103 :
考える名無しさん :03/12/22 21:23
↑ごちゃごちゃと御託並べてんじゃねーボケ
104 :
考える名無しさん :03/12/22 21:24
ハンカチの一枚や二枚なんてどうでもいいんだぜ? よく考えろや
105 :
考える名無しさん :03/12/22 21:27
だから、博愛主義者だったらどうしたのだ?
106 :
考える名無しさん :03/12/22 21:28
水もしたたるいい男
107 :
考える名無しさん :03/12/22 21:30
103と105は感情論でした
108 :
考える名無しさん :03/12/22 21:37
では、あなたは割れている花瓶にしたら誰彼構わずに弁償を求めたり 相手が大事にしている花瓶に相当するものを破壊する事が当然だと あの人は犬を大事にしてるので薬殺してしまえと・・・ おかしいんじゃないの? まず、本人に抗議するって方法もあるんじゃない?
109 :
考える名無しさん :03/12/22 21:45
花瓶を割ったのが子供だとしよう だが、修学旅行に来ている子供で実家がここから遠い その子の家まで請求に行くのに、花瓶代、交通費、往復にかかった日にする予定だった 仕事の代用費まで請求して、更に慰謝料を請求するのはどうでしょう 子供の親は博愛主義ですかね 通常は電話一本で済むのではないですかね どうしても相手の番号が分からないなら別ですが
>>89 > 答えになってますか?
ハイ、ありがとうございます。
批判や非難、愚痴、悪口を言いたくなったら、自分が観念に縛られていて、条件付の愛になっていると気づくべきですね。
自分の家族の中に自分に対して、命令するといいますか、奴隷のように思っている人がいるとします。
その人に対し、その言動をやめさせたいと思うのですが、自分がいかなる時も無条件の愛で接していかないかぎり無理なのでしょうか?
>>110 批判や非難、愚痴、悪口を言いたくなったら、自分が観念に縛られていて、条件付の愛になっていると気づくべきですね。
そうですね。どんな条件を付加しているかを自分で認識するのは大切なことです
それができない人が他者を安易に批判する(できないからこそ非難する)のですが
>その人に対し、その言動をやめさせたいと思うのですが、自分がいかなる時も無条件の愛で接していかないかぎり無理なのでしょうか?
相手に無条件に服従することと無条件の愛は違います
服従すれば、相手は自分の言動が「効果があった」という成功体験を積み重ね、終いにはそれに依存するようになります
貴方は「それでもいい」というほど無条件に相手を愛してはいないですよね?「やめさせたい」のですから
やめさせる事が目的なら、「貴方の言動は私に何の影響も与えません」という姿勢を見せることが必要です
>>111 > 貴方は「それでもいい」というほど無条件に相手を愛してはいないですよね?「やめさせたい」のですから
> やめさせる事が目的なら、「貴方の言動は私に何の影響も与えません」という姿勢を見せることが必要です
なるほど!そうですよね・・奴隷になりたいわけではありませんし、そうするのが良いですよね。
「貴方の言動は私に何の影響も与えません」というのは、シカトとは違いますよね?
無執着ですか・・?
あなたのいってることを理解するために質問をいくつか。
>>84 >無条件の愛は「如何なる観念にも執着しない境地」なので、
>変換というよりも観念からの離脱ではないでしょうかある意味悟りを開いたのと同じです
>すると喜怒哀楽も、自分自身でコントロールできます。好きなときに思い通りの観念を選択できるからです
>逆にどんな体験をしても全く動じないようにもなります
喜んだり、怒ったり、何も感じなかったりすることをコントロールできることなわけですが、
コントロールできると言うところで話が終わっていたら、価値観も主観もない人のような感じが。
とある出来事については喜びという価値観?感情?を意識して選択することについてどうお考えか。
>>89 >無条件の愛はまず怒りませんし不平不満を言いません。全てに寛容だから。条件が付いていると、不満の元になります
>答えになってますか?
無条件の愛であると怒らないということは、喜びもしないということのような気が。
一人の人間の主観(感情や知性)を基準として喜びを伝えることも、怒りを伝えることも同じだと思いましたので。
コントロール後の選択として喜びや不満を伝えるということといったほうが良いかな。
世界征服美女丸取り
>>112 「貴方の言動は私に何の影響も与えません」というのは、シカトとは違いますよね?
違います。無執着と言えるかも知れません
>>113 コントロールできると言うところで話が終わっていたら、価値観も主観もない人のような感じが。
喜怒哀楽を表現することに「人間らしさ」を感じるからですか?
何の価値観も教えられていない赤ん坊は人間らしくないですか?
赤ん坊は存在自体が無条件の愛そのものですよね
>一人の人間の主観(感情や知性)を基準として喜びを伝えることも、怒りを伝えることも同じだと思いましたので。
喜怒哀楽はいずれも人為的人工物である概念がなければ生じません。その意味で仰るとおりですよ
感動なども「固定観念」が原因です。それがなければ感動する心は起こりません
116 :
考える名無しさん :03/12/25 13:17
エヴァソゲリオンの最終回のネタね
>>115 質問が悪かったようです。
感情のコントロール(選択)はどうあるべきか?ということを聞きたかったのです。
何のためにコントロールする必要があるのか。
>喜怒哀楽を表現することに「人間らしさ」を感じるからですか?
観念を持てるという意味で人間らしさのひとつとして考えています。
コントロールして持っているか、気付かずに持っているかは別で。
>何の価値観も教えられていない赤ん坊は人間らしくないですか?
>赤ん坊は存在自体が無条件の愛そのものですよね
赤ん坊に人間らしさを感じますね。無条件の愛ではなくただの快不快ではないかと考えています。
生まれてすぐに泣いたりすることが人為的人工物の概念とは思えないので。
無条件の愛がまだしっくりきてないようです。
>>117 感情のコントロール(選択)はどうあるべきか?ということを聞きたかったのです。何のためにコントロールする必要があるのか。
何のためかは各人各様だと思いますが、私自身は自分の健康の為です
怒りや憎しみ、イライラ、焦りなどは身体(時には他人のも)を傷付けますから
感情を自由に発散することでも同じ効果は得られますが・・
>無条件の愛ではなくただの快不快ではないかと考えています。
快不快は喜怒哀楽の感情よりも生理的に本能に近いですね
快不快も概念や観念でコントロールできないことはないですが
例えば催眠や自己暗示で子供のにんじん嫌いを直したりできます
>生まれてすぐに泣いたりすることが人為的人工物の概念とは思えないので。
生後すぐに泣くのは自力で呼吸するのを助ける為でしたっけ?
>無条件の愛がまだしっくりきてないようです。
私自身は赤ん坊の屈託のない笑顔にそれを感じます
本能的に周囲の大人を真似するのも無条件の愛の現れ
どんな人為的観念にも執着しない事も、ある意味悟りの境地(=無条件の愛)ですよね
好きな人がいます。 しかし、その人は私のことを友達としか思っていないようです。 (一度告ったけど、付き合えないので、今まで通り友達という付き合いでといわれた) しかたがないので、彼女にしてもらうのはあきらめようと思いました。 ところが、やはり職場が一緒で、毎日会ったりすると、キレイさっぱり忘れるというわけにも行かず、 どうしてもやさしくしてあげたくなります。 ありがとうって言われるともっとやさしくしてあげたいと思うんです。 しかし・・そんな自分がなんとなく惨めなような気もするんです。 このままでは、私は他の男性を見ることができず、次の恋に進むことができないんです。 キレイさっぱり諦めるのには、観念をどう変えたらいいのでしょう。 彼を見ても特別意識することを無くしたいんですけど・・・
>115 難しそうですが、やってみようと思います。 ありがと。
>>119 ありがとうって言われるともっとやさしくしてあげたいと思うんです。
愛ですね。その率直な気持ちは彼に態度などで伝わってますか?
>しかし・・そんな自分がなんとなく惨めなような気もするんです。
とんでもないですね。友達から付き合い始めて結婚に至る人々も大勢いるのに
>このままでは、私は他の男性を見ることができず、次の恋に進むことができないんです。
人は、一度に一人の人しか恋してはいけないんですか?
>キレイさっぱり諦めるのには、観念をどう変えたらいいのでしょう。
変える必要があるんでしょうか
>彼を見ても特別意識することを無くしたいんですけど・・・
苦しいから?
彼が貴方の方を未来永劫振り向かない、とは誰が決めたんですか?
>>120 難しそうですが、やってみようと思います。
あまり無理はしないでくださいね
>>121 彼はこれまで通りやさしく接してくれますので、伝わっているとは思います。
でも、誰にでも優しい言葉をかける人で、みんなからも人気のある人なんです。
要するに私だけに特別に優しいというわけではないのです。そこが彼の良いところでもあるのですが・・
彼には彼女がいるそうです。なので私とは付き合えないと・・・
一度に一人の人しか恋してはいけないとは思わないのですが、
どうしても今は彼が好きなので、彼のことで頭がいっぱいになってしまうんです。
苦しいですね・・・確かに。家に帰るとため息ばかりついています。
しかし、マイナス思考ばかりしていると、気が滅入るので、
会社に行ってるときは、友達としてでも、彼と仲良くしたいと思うので、今までのように話をしています。
彼女が居ると言っても、結婚しているわけでもないのだから、
私が好きになってはいけないということはないですよね。
すこし前向きになれそうです。
希望を持つことにします。ありがとうごさいます。
>>122 そういうときは自分が何を本当はしたいのか、よく心と相談してください。
そこから見えてくるものがあなたのすることです。
>>123 自分が何を本当はしたいのか・・・・?
私は彼と今よりももっと仲良くなりたいし、
もっと心が通い合いたいです。
そうですよね。そういうふうに考えていけば良いんですね。
本当に自分がしたいこと、望んでいることを殺してしまっては苦しくて当たり前ですね。
ありがとう。
>>122 彼には彼女がいるそうです。なので私とは付き合えないと・・・
もしかしたら、もっと親しくなってから付き合いたいという気持ちの現れかも知れませんね
>彼女が居ると言っても、結婚しているわけでもないのだから、私が好きになってはいけないということはないですよね。
その通り。恋愛は自由です。例え結婚していても(現行の法律は規制してますけど)
>>124 私は彼と今よりももっと仲良くなりたいし、もっと心が通い合いたいです。
彼にも率直にその気持ちを伝えてみてください。言葉でも態度でも機会ある毎に
>本当に自分がしたいこと、望んでいることを殺してしまっては苦しくて当たり前ですね。
実は、この世のあらゆる諸問題は、人々が「自分がやりたい事をやっていない」から起こっています
こういうと「皆がやりたい事をやったら世の中が滅茶苦茶になるやんけ」という人がいますが・・
どんな人が犯罪に手を染めるのかを考えると分かるはずです
そう。結局、「やりたい事をやれてない人」なのです
>>125 > 実は、この世のあらゆる諸問題は、人々が「自分がやりたい事をやっていない」から起こっています
いわゆる欲求不満ですね?
そうですよね。満足している人が誰かを傷つけたり、自分を傷つけたりしたいとは思わないですよね。
様々な固定的観念や社会的な概念などから、自分を不自由にしているともいえますよね。
私も一つの考えに縛られ、他の選択ができなくなっていました。
結婚していても恋愛は自由という考えさえ、罪悪感を感じてしまいますね。
すべてを良い、悪いと判断してしまうとしたら、本当に制限されてしまいますね。
何を選んでも良いのだという観念にまではまだまだなれませんが、
少しずつ自分を自由にしてあげたいと思います。
>>126 結婚していても恋愛は自由という考えさえ、罪悪感を感じてしまいますね。
罪悪感を与え互いの欲望を抑えることが結婚制度の目的ですからね
恋愛自由主義者は元よりその制度を利用しません
>>127 > 罪悪感を与え互いの欲望を抑えることが結婚制度の目的ですからね
> 恋愛自由主義者は元よりその制度を利用しません
結婚は私の中ではあこがれですし、単純に
好きな人とずっといれたらしあわせかなって思っていました。
でも、結婚って、罪悪感を与えお互いの欲望を抑えるというのがあるんですね・・・。(すみません、無知ですよね)
そういう意味では、結婚って、なんだか不自由になるようなものですね。
しかし、女性の場合子供が生まれたりしたら、経済的にも支えてもらわないと大変ですし
父親がいないと子供にはよくないようなイメージもあります。
どれを選んでも自由なのでしょうが、今の世の中の仕組みから言っても、自由恋愛だけでは不安も残りそうな気がします。
>>128 父親がいないと子供にはよくないようなイメージもあります
父親が父親として相応しくないような場合は、いたら却ってよくないですけどね
>今の世の中の仕組みから言っても、自由恋愛だけでは不安も残りそうな気がします。
結婚するカップルの半数が離婚する時代ですからね・・
フランスでは子供を持つカップルの半数が未婚だそうです
カントの純粋理性批判をご存知か?
>>129 > フランスでは子供を持つカップルの半数が未婚だそうです。
同棲していて子供がいる。もしくは付き合っていて子供がいるということですか?
そういうのも悪くはないでしょうね?
でも、私は普通の結婚している両親の元で育てられましたし、
父親も優しいですし、私や母にとって、父は家族を守ってくれる頼もしい存在です。
その環境は、よかったと自分でも思えるので、将来は結婚はしたいなと思っています。
>>131 そういうのも悪くはないでしょうね?
悪いことではないです。悪いのは環境や状況ではなく、それに対する個々人の価値観ですから
>>132 > 悪いことではないです。悪いのは環境や状況ではなく、それに対する個々人の価値観ですから
何でもそうなのですか?
例えば、これは極端な例かもしれないですけど、
街を歩いていて、突然通り魔みたいな人に刺されたとしますよね。
それも悪いことではないのかな?刺されたという事実だけがあるのかな?
それを悪いことだと思うのも、悔しいと思うのも、嬉しいと思うのも、自分の価値観の問題なのですか?
この世の中で悪いことというのは無いのですか?
>>133 街を歩いていて、突然通り魔みたいな人に刺されたとしますよね。
>それも悪いことではないのかな?刺されたという事実だけがあるのかな?
刺されたという事実があるだけです
通り魔やテロリストが無差別に人を殺すのは彼らなりの論理があります
独善的で幼稚な論理ですけどね
>それを悪いことだと思うのも、悔しいと思うのも、嬉しいと思うのも、自分の価値観の問題なのですか?
はい。正邪や善悪はつまるところ個人の価値観の問題です
悪は相対的なものです。見方によっては善ともなる
その証拠に通り魔やテロリストは行為の間「自分は正しいことをしている」と思っています
大概は、同時にその行為を社会は認めないだろうことも知っています
>この世の中で悪いことというのは無いのですか?
悪は貴方が「これが悪だ」と定義すればいつでもそこに存在しますよ
そして人は常に自分の定義付け通りを体験します
>>134 感情はなんのためにあるのでしょう?
自分の価値観念を知るためのみにあるのですか?
自演ウザイ
ごおめんなさい
>>135 私になんか恨みでもあるわけ?
嫌がらせするのはやめてね。
板違いです 人生板にいきなさい
>>136 感情はなんのためにあるのでしょう?自分の価値観念を知るためのみにあるのですか?
敢えて感情に目的を問うならその通り。従って、既に己の観念を全て把握した人は感情を殆ど表に出しません。何故ならその必要がないから
感情を表現すると周囲に自分がどんな観念を持っているかを伝えることができます
そうすることで周囲から自分がどんな感情を持っているかを教えて貰いやすくするために
あぼーん
>>142 > 敢えて感情に目的を問うならその通り。従って、既に己の観念を全て把握した人は感情を殆ど表に出しません。何故ならその必要がないから
> 感情を表現すると周囲に自分がどんな観念を持っているかを伝えることができます
> そうすることで周囲から自分がどんな感情を持っているかを教えて貰いやすくするために
そうなんですか。
感情を表に表さないのは私には難しいですが、勉強になりました。
ありがとうございます。
↑マルチポストしね
147 :
考える名無しさん :03/12/30 11:50
経験はそれほど重要ではない
>>145 感情を表に表さないのは私には難しいですが、勉強になりました。
難しいなら、寧ろ表現してください。積極的に
私は感情を抑えることを奨励しているのではありません
>>148 はい、わかりました。
無理せず、自分のやれる範囲でやっていきます。
150 :
考える名無しさん :04/01/17 20:19
考える葦さんまだいるかな?いたらアドバイスいただきたいです。 オレには彼女がいて、ともに27歳です。彼女は結婚して子供が欲しいとのこと。 彼女のことは好きだし結婚してもいいかなと思ってます。でも子供はいらん。 ここがネックなのです。 オレの正直な気持ちを伝え、それを現実のものとしても、それは彼女にとっての幸せ ではないわけで、そうなるとオレにとってもこの結婚は幸せではなくなってしまう。 好きな奥さんに、とても大きな感情(本能?)の抑圧を強いるわけだから・・。 やっぱり彼女とは結婚しないほうがいいんだろうか。
>>150 え〜と。考える葦さんではありませんが、彼がくる前にチョット。
なんで「子供はいらん」の??
その理由は書いておいた方が、考える葦さん答えやすいと思うよ。 では、さらばです。(^^)ノシ
>>147 経験はそれほど重要ではない
こういう観念↑を持っていると、それがそのまま具現化します
つまり「さほど重要でない経験ばかり」を繰り返す。経験から学ぶことも少なくなる
>>150 オレの正直な気持ちを伝え、それを現実のものとしても、それは彼女にとっての幸せではないわけで
幸せの基準は考え方次第で如何様にも変わるので、一概には言えませんよ
>好きな奥さんに、とても大きな感情(本能?)の抑圧を強いるわけだから・・。
彼女が拘っているのが本当に「貴方の遺伝子を残すこと」なら、そうですね
>やっぱり彼女とは結婚しないほうがいいんだろうか
結婚しなくても子供は産んで育てられますし結婚しても子供を産む産まないは夫婦の自由
ずっと彼女と居たいなら、ただ同棲するよりは制度を利用した方が何かとお得ですよ
おそくなってすいません。レスありがとうございます。 子供がスキではないというのが理由なんです。 たしかに税金面や、社会的信用等、結婚には特な面もありますよね。 うーむ。ちょっとここ最近忙しい日々がつづいていますので 落ちついたら、じっくりと考えてみようと思います。
子供好きでないということは彼女には伝えているんですか? ある程度条件を付けて結婚すればいいような気もしますが・・ いずれにせよ結婚=子育てではないです
156 :
考える名無しさん :04/01/21 20:53
故障したラジオの雑音はその故障のあらわれの一つであると同じように、「腹が痛い」という叫び声は腹痛の一つのあらわれ なのである。
157 :
考える名無しさん :04/01/21 21:35
158 :
考える名無しさん :04/01/21 22:25
オナニーしてもいい?
159 :
考える名無しさん :04/01/21 22:33
終わりました。
160 :
考える名無しさん :04/01/21 22:33
おかずは何だ? それによって決める。
161 :
考える名無しさん :04/01/21 22:36
8分間か... まあ、そんなもんか?
162 :
考える名無しさん :04/01/21 22:39
許可もなく・・・。
因果応報ってあんのかな?検索してみたら1番最初にこんなことが書かれてる
ページに出くわした。なんかむくわれないことが多い気がするのですが、
という因果応報に疑問を抱く言葉に対して、それは短いスパンで見るからです。
20年30年後に戻ってくるでしょうと答えていた。もしくは来世で、とか言い
出しそうな勢いだ。
>>1 さんは因果応報についてはどういう考え方?俺は因果応報に
は2種類あると思う。1つはいま例に出したような非科学的なものとでもいうかな。
神様でも大いなる意思でも宇宙パワーでもなんでもいいんだけど、そういう物(?)
が、いい事をしてればいい事を自分に返してくれる、与えてくれる、みたいなの。
もう1つは人に対して善い行ないをするような、俗にいう良い人間になれば、そう
いった人に対しては回りの人は善い感情を持ち、あなたが困った時には助けてくれ
ますよ、みたいな道徳教育的なもの。後者はなんとなく分かるんだけど、自分の
行なったことが必ず自分に戻ってくるってのとはちょっと違うよね。
前者はど うもわからん。例えばこれは極端かもしれないけど、誰かが死にかけてるところ を助けたとする。じゃあ自分が死にかけたときに必ず助けてもらえるのか?悪い行いの 例では、例えばA君が車の運転をしてて前の遅い車にイラついて煽ったとする。A君は 毎日車の運転をするので、そりゃいつかは逆に自分が煽られることもあるわな。それ は20年後30年後かもしれないけど(という最初の例にたいしてのあてつけは置い といてと^^)でもそれは自分が以前煽ったこととは因果関係は無いと思うんだがどだろ。 A君が煽られたのは、その時たまたまスピード遅めで走ってる時にたまたま煽ってく るような車に出会ってしまったってだけで。だって軽自動車でチンタラ走るおばあさ んなんかは自ら煽ることはなくとも煽られることあるんだろうし。この因果応報と 絡んで愛についても考えてるんだけど、愛は与えるものであって、見返りを求める と苦しむし、うまくいかなくなるみたいな考え。これって結局因果応報で自分に帰って くるんだから、見返りなんて求めずに愛を他人に与えなさい。そうすれば自分に ちゃんと帰ってくるんだから、みたいなことだと思うんだけど、因果応報が納得でき ないから、どうも理解しようとしてもそれが出来なくてさ。
あと人は自分を映し出す鏡ですって考え方。これもいまいち分からない。他人が 自分に接する態度はすなわち自分が他人にしてる態度ってこと?優しく親切に接し てれば相手もそういう態度であるはずだってことかな。でもそういう態度に付けこ んでつけあがってくる奴っているよね。騙そうとしてきたりとかもあるだろうし。 もしくは他人に抱く悪い感情はすなわち自分の中の悪い部分が作り出したものである よってことかな。でもそうすると「鏡」という例えがしっくりこないしなあ。自分と まるで同じものが他人に映し出されてるってことなんだと思うが、どういうことなん だろう。具体的な例があれば是非教えてほしいな。
>>163 因果応報に疑問を抱く言葉に対して、それは短いスパンで見るからです。
そうですね。目に見える「時間差」は確かにあります
ただし「来世」云々となると、「個人単位」では論理的に無理があると考えます
これまで人類が地上で何千回と核爆発した結果が、数世代後に渡って様々な生命に影響を及ぼすことはあるでしょう
それを将来の人類が「前世の報い」と受け取るのはありですが、個々人の前世と捉えるのは非科学的です
>自分の行なったことが必ず自分に戻ってくるってのとはちょっと違うよね。
戻ってくるのが必ずしも「同じもの」ではありませんからね
但し、他人に善を施したときに戻ってくる自己満足という快感は、「行為と同時に」受け取りますよね
その瞬間のあらゆる言動そのものが、観念の結果という因果応報の見方もできます
>>164 でもそれは自分が以前煽ったこととは因果関係は無いと思うんだがどだろ。
「煽る煽られる」がどんなものかは、A君が自分自身で定義付けしています。その定義を相手に与えるなら、いつか同じ定義で相手から与えられます
因果応報は、物理次元では時間差がありますが、精神次元では瞬間的に行われます。説明になってますか?
続き)>見返りなんて求めずに愛を他人に与えなさい。そうすれば自分にちゃんと帰ってくるんだから、みたいなことだと思うんだけど
愛とは本来見返りを求めないものです。無償の愛とは何も要求しませんから
見返りを求める愛を相手に与えるなら、自分自身も、相手から見返り付きの愛を与えられるでしょう
様々な人間関係をよく観察してみると、因果応報の本質が分かるはずです。目に見えるだけが物事の本質ではありません
>>165 他人が自分に接する態度はすなわち自分が他人にしてる態度ってこと?
そういうことです。大局的には
>騙そうとしてきたりとかもあるだろうし。
正直者はバカを見るという言葉がありますが、バカをみるのは常にバカだけです
本当の正直者は正直者しか見ません。これも人は鏡
>もしくは他人に抱く悪い感情はすなわち自分の中の悪い部分が作り出したものであるよってことかな。
その通り。そのような定義付け(観念)を持っていなければ、それが外に見えることは決してありません
>自分とまるで同じものが他人に映し出されてるってことなんだと思うが、どういうことなんだろう。
「まるで同じもの」ではなく、多少変化はありますよ。何故なら相手のフィルタ(主観・観念)を通じていますので
具体例としては・・・親子関係を観察すれば分かるのではないでしょうか。子は親の鏡といいます。子供は「鏡」の反射率が高いですし
なかなか難しい。まず
>>166 の内容の物理次元の因果応報についてなんだけど、
たとえば『困っている人を助けるのは善いことだ』というような観念を持って
いてそれを実行したB君がいます。このB君がいつか困った時に誰かに助けて
もらった時には、彼は先述の観念を持っているわけだから、その観念によって
善いことをしてもらったと思うことができる。これが物理次元の因果応報、と
いうことだろうか。でもこれだと観念を持つだけでもいいってことだよね。実
際に自分がその善い行ないをしなくとも、その善いことが与えられることはあ
るわけだよね。そうなってくると『因果応報』という言葉はしっくりこないよ
うな。むむむ、俺はどっか考え違いをしてるような気が。それともこの考え方
であってるんだろうか。
>>168 このB君がいつか困った時に誰かに助けてもらった時には、彼は先述の観念を持っているわけだから、その観念によって善いことをしてもらったと思うことができる。
その時に同じ観念を持っていれば、そうなります
人(観念)は変わりますので、常に同じ観念とは言えません
>実際に自分がその善い行ないをしなくとも、その善いことが与えられることはあるわけだよね。
その通り。物理的現実では因果は必ずしも「自己完結」しません
「自己」という定義がせいぜい肉体止まりですし
>そうなってくると『因果応報』という言葉はしっくりこないような。
物理的な次元での因果のサイクルを個人単位で考えるからではないでしょうか
瞬間的に自己完結する因果応報は、精神的な次元だけです
しかしその個人の「善」の定義次第では、観念(精神次元)は行動(物理次元)に影響しますよね
因みに、善い行いを為しても為されてもそれに執着しないことを仏教では教えているそうです
お坊さんは信者からお布施を貰っても感謝しないそうです。心の豊かさをも拒絶するのは如何なものかと思いますけどね
170 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/24 15:26
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!
物事に表面上の美しさを求めるな、
深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、
そんな☆キキ+キ゚Д゚♪の哲学HPはココ↓
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8862/ 僕の哲学は、学問ではない。
人間が生きていく中、背負うべき道徳なのだ。(HPより抜粋)
孤独を越え、闇から光を見出した☆キキ+キ゚Д゚♪だからこそ言える!
もう何も迷う事は無い、、、
☆キキ+キ゚Д゚♪に触れ、明日への一歩を踏み出すのだ!
171 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◇pqmo.OOpAo :04/01/24 15:49
〜2ちゃん自称天才〜 天才 天才 あなたのスレの 改訳 改訳 一役厨房 削除日数すぎてゆく 引きこもりが騒いでる 哲学板を荒らす奴らさー read through 2ちゃん自称天才 割り込みレーェス キッ!キッ!キッ! 2ちゃん自称天才 低脳コピペが 話をとぎる >1を逃がすぜ ぴかを煽るぜ スレを止めるぜ 左へ 右へ ほざく ほざく 2ちゃん自称天才
172 :
考える名無しさん :04/01/25 23:53
>>1 観念は経験から学び取って作られるものだ。観念を変えたからと言ってこの世の
法則が変わるわけではない。たとえ世界中の人が逆の事を信じても太陽は東から
上り、水は高きから低きへ流れる。もしそうでなければ、経験で学び取る事自体
無意味になってしまう。ただし、人間の経験や観念は偏ってる場合が大いに考え
られるので、観念を変える事で正しい方向に進む事はあるだろう。また、固定観念は
必要があるから存在している。
確かに観念(思考)が変われば行動が変わり、行動が変われば体験する事も変わってくる。
しかし、それは宇宙の確固たる法則の上でだ。
173 :
考える名無しさん :04/01/25 23:58
>>172 あれ?反論したつもりだったけど、うまく反論できていないような・・?
174 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/26 00:07
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!
物事に表面上の美しさを求めるな、
深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、
そんな☆キキ+キ゚Д゚♪の哲学HPはココ↓ (キキキの即興ピアノ演奏あり!)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8862/ 僕の哲学は、学問ではない。
人間が生きていく中、背負うべき道徳なのだ。(HPより抜粋)
孤独を越え、闇から光を見出した☆キキ+キ゚Д゚♪だからこそ言える!
もう何も迷う事は無い、、、
☆キキ+キ゚Д゚♪に触れ、明日への一歩を踏み出すのだ!
>>172 観念は経験から学び取って作られるものだ。
最初のうちは(生まれて間もなくは)、万人がその通りです
しかし自意識が芽生えるに従って、逆に「経験が観念から作られている」ということに気付くはずです
従ってあくまでも「観念が経験から作られる」と思い続ければ、それがそのまま現実化します
>たとえ世界中の人が逆の事を信じても太陽は東から上り、水は高きから低きへ流れる
全人類が西から昇ると信じればそれが新しい共通概念となるだけです
「それでも人智の及ばぬ現象は存在する」と思うなら、正にその観念がその通りに具現化するのを体験することでしょう
>しかし、それは宇宙の確固たる法則の上でだ。
スレタイが、その法則です
貴方の人生体験は貴方自身が決定しています
世の中はこういうものだ、と思えばそれがその通りに・・・
>>175 >世の中はこういうものだ、と思えばそれがその通りに・・・
なるわけではないと思う。例えば戦争で人が幸せになると思えば、そうなるのですか?
観念が全てこの世を決めていると考えるなら、戦争を善と考える人間を肯定する事に
なり、おかしい。
確認の為に聞きたいのだけれども、考える葦さんがいっているのは
「観念」を変える事で「この世」(法則等)が変わると言ってるのかな?だから
体験がかわると。
また人間は自分の観念に無い体験をすることだってありうる。自分が考えもしない 体験の可能性についてはどうですか?
178 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/26 21:05
179 :
考える名無しさん :04/01/26 21:12
コピベは偉大な能力ですよね? >キキキさん
181 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/26 21:14
わかったからチャットにこい
182 :
考える名無しさん :04/01/26 21:53
きてください、だろ?
>>176 例えば戦争で人が幸せになると思えば、そうなるのですか?
事実テロリストはその目的の為に戦争してます
しかも彼らは争うことによって、「戦争しないでいる」よりずっと幸せを感じています
自爆テロする人は自分の行為(正義)が家族や子孫や故郷の人々の幸せに繋がると信じています
「死の商人」と呼ばれる戦争屋(武器職人・軍事産業)も、戦争があればあるほど儲かって幸せです
戦争によって科学が発展し快適便利で幸せな生活に寄与しているという面もあります
今の日本の平和も犠牲になった人々のお陰であるという見方があるように・・
>観念が全てこの世を決めていると考えるなら、戦争を善と考える人間を肯定する事になり、おかしい。
地上に未だに戦争があるのは、人類に「観念が経験を決定している」ことの自覚が少ないからです
スレタイを悟った人間は例えば怒りの原因を自分以外に見ません。従って暇潰し以外に争う必要がありません
>「観念」を変える事で「この世」(法則等)が変わると言ってるのかな?だから体験がかわると。
はい。葉っぱ隊が歌った「キミが変われば世界も変わる」と同じです
「戦争で人は幸せにならない」は原因と結果を逆に見ています
本当は「人が幸せなら戦争はなくなる」「不幸なので戦争がある」のです
>>177 また人間は自分の観念に無い体験をすることだってありうる。
赤ん坊の時期は万人がその状態ですね
その時は他者の観念の具現化を手伝うことになります
>自分が考えもしない体験の可能性についてはどうですか?
それも可能性があると思ううちは可能性があります
知恵知識が付いてくれば当然その可能性は減ります。全知はあり得ないので0にはならないでしょうけど
いやいや、残念な回答だ。どうもあなたはその発言ぶりから何か自分が知恵者であると 錯覚しているように見える。すまない正直な意見です。 戦争は人に大きな悲しみと苦しみを与えるものという事が共感できない事に残念だ。自分の 論を正当化する為にそのような理屈を並べ立てるのも残念でならない。勘違いかもしらないが 正直な印象だ。 人間は経験から、戦争は残酷で大きな悲しみを生むものと学んできたはずだ。 >彼らは争うことによって、「戦争しないでいる」よりずっと幸せを感じています あなたに彼らの気持ちがわかるのか?何故そう断言できるのだ? >自爆テロする人は自分の行為(正義)が家族や子孫や故郷の人々の幸せに繋がると信じています 信じているかどうかが問題ではない。 ここで言う「人」はおおよそ全ての人間の事を指して言っている事を補足する。 >今の日本の平和も犠牲になった人々のお陰であるという見方があるように・・ 稚拙な事を言うが、今平和なのは過去の教訓から「戦争は大きな悲しみを生む」ということを 学んだからだ。人間の「過去の経験から学び同じ過ちを繰り返さないという事」が今の平和があるのだろう。 わかりますか?決して「戦争が人々を幸せにするもの」ではない。 あなたは知識に拘りすぎている様に見える。何故ならこのような理屈抜きでわかることさえ わからなくなっているからだ。 >「観念」を変える事で「この世」(法則等)が変わると言ってるのかな?だから体験がかわると。 >はい。・・・ もしそうなら、この世は完全な無秩序になるだろうよ。いわば夢の世界のような。 そのような世界では経験から学ぶという事は無意味になるな。何故なら秩序が無いから。 そうなれば知恵や知識などもいらなくなるぞ。 重ねて言うが確かに観念を変える事で世界が変わるという事はありうる。あなたの 意見を全否定しているわけではない。ただ、観念が世の中全てを形作っているというのには おかしいといっているわけだ。伝わってるかなー >それも可能性があると思ううちは可能性があります 自分の観念が全てではないという事だ。つまり、自分の観念以外の事も起こる という事から、全ての出来事は自分の観念から成り立っているわけではないとなる。
>>184 大きな悲しみ=悪いことダメなこと存在してはならにこと、とでも思っているのか?
固定観念は世の中における価値判断の基準となる物
自分がそのツールから逃れたとしても
周りとの溝が深まる事になる
>>183-184 のようにね
本人がそれでいいなら構わないが
他人から見たら猪木の『馬鹿になれ!』を
地で行く痛い奴にしか見えないよ
今までの書き込みを見てきたけど
1さんは精神的、肉体的苦痛を都合よく処理する為に
体よく理論武装してるだけのような気がするな
観念が体験を具現化し
また一番初めの観念は
体験や人から教えられるものだとしたら
>>65 が結局正しい事にならないかな?
三つ子の魂百までってね
test
アク禁あけたから、ちょっとおっせかいをします。 考える葦さんが言っているのは、仏教的だし、成功哲学的でもあるのでいいと思います。 しかし、172さんが感じている違和感も正しい。 私が思うに、自分と自分以外の(無生物も含む)ものの、関係が不明確だからだと思うよ。 宗教っぽくなるから意図的に避けてるのかもしれないけどね。 成功哲学なら曖昧でいいけど、仏教なら避けては通れないよね。無理やりよけると相対主義になっちゃうし。 要するに、初詣に行ってないなら、すぐに行ってこい。必ずいいことがありますよ。
>>185 >大きな悲しみ=悪いことダメなこと存在してはならにこと、とでも思っているのか?
今はそういう事を問題にしているのではなくて、
人々が残酷に殺し合う「戦争」という行為に対する
「戦争は大きな悲しみを生む」という観念を「戦争は人々を幸せにする」と(極端な変化だが)
いう風に自分の観念を変えたからといって、事実は「戦争は大きな悲しみを生む」ということ
には変わりないという事を問題にしている。つまり、葦さんのいう自己の観念が世の中を形作るという思想は
極端な話、「戦争は正しい。」「レイプは悪くない」「人を殺してもいい」などという
事実と違う自己本位な考えをも肯定できる事になるからそれはおかしいと言っているわけ。
自分の観念が世の中全てを形作っているという思想は、事実からの経験によって学ぶ事を放棄して
自分よがりの考えを持つ事を肯定してしまう、とても危険な思想であると思うのです。
観念(思考)が変わる事によって世の中が変わるという事は一部においてありうることではあると思う。
しかし、それは観念が世の中全てを形作っているからという意味においてではなく、
観念(思考)が変わることによって、行動が変わり、行動が変わる事によって、世の中の反応(体験)が
変わるという風に。例えて言えば、性格が明るくなって、周りの人の反応が変わったという感じです。
うまく説明できてなくてすみません。
190 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/27 16:52
まじかよ
>>184 戦争は人に大きな悲しみと苦しみを与えるものという事が共感できない事に残念だ。
「戦争=悪」とステレオタイプに考えておられるようだったので、悪い面ばかりではないという例を示したまでです
共感はできています(あまりに"常識論"過ぎるので敢えて言及しないだけで)
>あなたに彼らの気持ちがわかるのか?何故そう断言できるのだ?
貴方はテロリストの気持ちが分からないんですか?
ご自分が理解できないものを悪と称しているだけでは?
>信じているかどうかが問題ではない。
信じているかどうかが問題です
貴方も結局「何が幸せか」をご自分の価値基準に基づいて信じています
その基準に拘るから異なる価値基準の幸せを信じられないのでしょう
>今平和なのは過去の教訓から「戦争は大きな悲しみを生む」ということを学んだからだ。人間の「過去の経験から学び同じ過ちを繰り返さないという事」が今の平和があるのだろう。
>わかりますか?決して「戦争が人々を幸せにするもの」ではない。
主旨はわかりますが、上記前半「戦争体験が平和をもたらした」は結局「戦争が人々を幸せにした」と同じ事を言っています
いずれにせよ私の主張は「不幸な人が戦争を起こす」です(原因と結果が逆)
>あなたは知識に拘りすぎている様に見える。何故ならこのような理屈抜きでわかることさえわからなくなっているからだ。
人は鏡といいますからね・・
烏滸がましいようですが、その程度の理解は数十年前にマスターしています
(続き)>そのような世界では経験から学ぶという事は無意味になるな。何故なら秩序が無いから。
無秩序であろうと何かに意味を付けることは可能ですよ
実際、経験から何を学ぶか(又は何も学ばないか)は個々人が選択しています
>ただ、観念が世の中全てを形作っているというのにはおかしいといっているわけだ。伝わってるかなー
仰りたいことは非常によく分かりますよ。分かりすぎるくらいです
>つまり、自分の観念以外の事も起こるという事から、全ての出来事は自分の観念から成り立っているわけではないとなる。
はい、そう思えばその通りの現実を体験します。結果、その観念はますます強まります(こうして次第に観念は固定化される)
思考は常に100%現実化します。「60%しか現実化しない」と思えば、それがそのまま100%現実化します(つまり60%だけ現実化する経験をする)
>>186 1さんは精神的、肉体的苦痛を都合よく処理する為に体よく理論武装してるだけのような気がするな
論破してみてください^^ご遠慮なく
>三つ子の魂百まで
その諺は「観念はなかなか変わらないもの」という事を示していますね
生まれ持ったDNAレベルの個体特有の傾向は確かにありますからね
>>188 私が思うに、自分と自分以外の(無生物も含む)ものの、関係が不明確だからだと思うよ。
全ては一つ、同じものです。あらゆる存在は形態が違うので異なって見えますが
光、音、熱、電気、情報、経済、生命、物質、精神、時空間・・全て同じエネルギーです
因みに物質レベルでいう万有引力の法則・共鳴共振・拡散が、生物レベルでいう類友の法則に相当します(似たものは引き寄せ合い同一化しようとする)
>無理やりよけると相対主義になっちゃうし。
私自身は、地球は相対性を体験する場と認識しています
上下、寒暖、強弱、有無、大小、明暗、優劣、善悪・・全ては相対的です
唯物論者は物質を絶対視しますが、物質も相対性の一つに過ぎません
>>189 極端な話、「戦争は正しい。」「レイプは悪くない」「人を殺してもいい」などという事実と違う自己本位な考えをも肯定できる事になるからそれはおかしいと言っているわけ。
事実と違う?事実は人の数だけ存在しますよ
真実も人の数だけ存在します。地上から戦争が止まないのは「真実は一つ」などという傲慢な考えがあるからに他なりません
>自分の観念が世の中全てを形作っているという思想は、事実からの経験によって学ぶ事を放棄して自分よがりの考えを持つ事を肯定してしまう、とても危険な思想であると思うのです。
まだ私の思想を十分理解していないようですね・・
194 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/27 18:03
まじかよあああああああ
>193 いろいろ反論したいことはあるけど、疲れるから要点だけを。 「戦争は正しい」「レイプは悪くない」「人を殺してもいい」 これらの観念を持つ事で世の中がそうなると言うのか? あなたはこれらの観念が正しくなる事を肯定するのか?
>はい、そう思えばその通りの現実を体験します。結果、その観念はますます強まります(こうして次第に観念は固定化される) >思考は常に100%現実化します。「60%しか現実化しない」と思えば、それがそのまま100%現実化します(つまり60%だけ現実化する経験をする) 他の話しはおおむね納得できるところなのだが、ここには少し疑問の余地があるのだが。 人は空を飛べるか?水中で生きられるか?そういうところはどうなるのだろうか?
>>195 別に正しい悪いってのはどうでもいいと思うがね。
>>193 >事実と違う?事実は人の数だけ存在しますよ
>真実も人の数だけ存在します。
そう思うなら、何故>1でいう(あんたにとっては真実だろうが)一つの真実を
みんなに広めようとするんだい?
>思い通りの人生を歩めないからと言って他人のせいにしたり虚無主義に陥ったりする前に、まず自分の固定観念を見直しましょう
「観念を変えれば体験が変わる」それがこの世の仕組みです。人生をもっと遊んでください
もうここで辛いの嫌、苦しいの嫌、楽しいのが良い、そのためにマインドセットしましょう
って言ってるよ。後のレスはこれと同じ内容を繰り返し違う文章で書いてあるだけ
>相手に否定されないためには貴方も相手を否定しないことです。貴方が相手になした行為は、貴方自身の身に降り掛かります
人を裁けば自らも裁かれる、とか、人は鏡、という言葉通り
>但し、期待すれば裏切られます。これは必然です。裏切られるのが怖いなら、期待しないことが一番です
>正直者はバカを見るという言葉がありますが、バカをみるのは常にバカだけです
本当の正直者は正直者しか見ません。これも人は鏡
否定すれば否定される、期待をすれば裏切られる、そしてここでいう馬鹿とは
社会評価的に不利益を被るという事であって貴方が何を感じていようが馬鹿は馬鹿なのです
この事実から目をそらす為に
>>1 の発想を用いて危機回避しているだけなのです
本当に観念の持ちようで世界が変わるのなら上記3つのようなことはおこりませんよ
無理やりこの観念を押し通そうとしてできるのは他者との乖離です
人が何を言おうが目を瞑り、耳を塞ぎ、ア〜はア〜だ!ベ〜はベ〜だ!と
自己完結した一人ぼっちの世界の中で叫んでいるだけです
>>186 でも書きましたがこの他者との乖離を考える葦さんはどのように考えていますか?
>その諺は「観念はなかなか変わらないもの」という事を示していますね
生まれ持ったDNAレベルの個体特有の傾向は確かにありますからね
私が言いたかったのは観念の設定をやり直すのも転換の必要性を悟った観念を
持った自分であって最初に持った大枠からはみだす事はできないということです
http://tekipaki.jp/%7Egon/park/A020928B.kiuti1.htm 世界唯一の「臨死体験者」の先「死亡体験者」 天文学者・彗星探索家 木内鶴彦さん
(中略) ・・で、ナ−スコ−ルのボタンをこう探したら、うちのお袋親切にも入れてくれたんです。
入れてくれたんだけど、押す力ないんです。
押す力なくって、その時に心臓と、心臓が最初止まったんですね。で、ドッキン、ドッキン、ドッキンと脈
打ってるんですが、それがドッキンで終わっちゃったんですよ。アレッと思った次の瞬間息ができないんで
すよ。呼吸ができないってどうなるか皆さん教えておきますけども、吐いたきり、吸えないんです。吸えな
いんです。で、苦しくないんです、それで。最初、それで苦しくないってことがどういうことなのかわから
ない。だけど、その状態でありながら意識はさっきからズ−ッと継続してるんです。わかります?その状態
になった時、こうなって、上を見てる状態で、アレ、息もしてないと思った時にうちのお袋がハッとここ近
付いたんですよ、ここに。
で、身体揺すぶるんですよ。そして、何て言ったかというと、あっ、死んじゃったと言うんですよね。僕は
一瞬びっくりしましてね、何を言ってるんだろう、お袋はと思って。 (中略) ・・親父が固まって
るんですよね。何か深刻な顔しちゃって。俺は何かといったら、身体が何か楽になったような気がしたんで
すよ。さっき言った床擦れとかああいうような痛みがないことに気が付いていくんですね。段段薄れてくっ
て思ってたけど良く考えたら、その時点ではもうないんですね。だけど意識は繋がっているから僕は死んだ
って思ってない ・・・・(続く)
http://tekipaki.jp/%7Egon/park/A020928B.kiuti1.htm 世界唯一の「臨死体験者」の先「死亡体験者」 天文学者・彗星探索家 木内鶴彦さん
(中略) ・・で、ナ−スコ−ルのボタンをこう探したら、うちのお袋親切にも入れてくれたんです。
入れてくれたんだけど、押す力ないんです。
押す力なくって、その時に心臓と、心臓が最初止まったんですね。で、ドッキン、ドッキン、ドッキンと脈
打ってるんですが、それがドッキンで終わっちゃったんですよ。アレッと思った次の瞬間息ができないんで
すよ。呼吸ができないってどうなるか皆さん教えておきますけども、吐いたきり、吸えないんです。吸えな
いんです。で、苦しくないんです、それで。最初、それで苦しくないってことがどういうことなのかわから
ない。だけど、その状態でありながら意識はさっきからズ−ッと継続してるんです。わかります?その状態
になった時、こうなって、上を見てる状態で、アレ、息もしてないと思った時にうちのお袋がハッとここ近
付いたんですよ、ここに。
で、身体揺すぶるんですよ。そして、何て言ったかというと、あっ、死んじゃったと言うんですよね。僕は
一瞬びっくりしましてね、何を言ってるんだろう、お袋はと思って。 (中略) ・・親父が固まって
るんですよね。何か深刻な顔しちゃって。俺は何かといったら、身体が何か楽になったような気がしたんで
すよ。さっき言った床擦れとかああいうような痛みがないことに気が付いていくんですね。段段薄れてくっ
て思ってたけど良く考えたら、その時点ではもうないんですね。だけど意識は繋がっているから僕は死んだ
って思ってない ・・・・(続く)
>>193 あなたは、無理やりよけてますよ。あなたに反論している人たちは、相対主義にひそむ虚無について言っているんです。
仏教における因果応報は、「善因には善の果報、悪因には悪の果報がある。」です。根本的に人によって善悪は変わりません。
受け取り方が違うだけです。
あなたの思想は根本的な善悪も相対主義、もしくはそれ自体ない、としているようなので、仏教ではありません。
前向きな虚無主義です。
>>195 「戦争は正しい」「レイプは悪くない」「人を殺してもいい」
>これらの観念を持つ事で世の中がそうなると言うのか?
>あなたはこれらの観念が正しくなる事を肯定するのか?
既にそれらを正しいと思っている人がいるからこそ、現実にそれらが起こっているん
ですよ
悪を否定すれば悪はますます栄えます。ですからそれらを無くしたいなら、まず「戦
争は悪だ」という単純明快で短絡的な世界観から脱却してください。人々が犯罪者の
心理心情を理解できないうちは、その社会から犯罪は無くなりません。それが私の主
張です
>>196 人は空を飛べるか?水中で生きられるか?そういうところはどうなるのだろ
うか?
道具を使ってそれらは既に現実になっていますよね
人に翼が生えエラ呼吸はできるか?は、遺伝子操作技術が発達すれば、不可能ではな
くなるでしょう
>>198 そう思うなら、何故>1でいう(あんたにとっては真実だろうが)一つの真実をみ
んなに広めようとするんだい?
数ある真実の一つを述べているだけですよ。貴方もやっているように
>>199 もうここで辛いの嫌、苦しいの嫌、楽しいのが良い、そのためにマインド
セットしましょうって言ってるよ。
その解釈も可ですが、私は単なる快楽主義を主張しているのではありません
快楽主義者は快楽を得ることを「目的」としますが、快楽は様々な同化の過程で生じ
る「結果」に過ぎません
>本当に観念の持ちようで世界が変わるのなら上記3つのようなことはおこりませんよ
ならば、その↑観念が貴方にとって現実のものとなるだけです
>
>>186 でも書きましたがこの他者との乖離を考える葦さんはどのように考えていま
すか?
情報を如何に解釈し如何に活用するかは100%読者の自由と考えています
乖離を埋めようとする人が現れれば、こうして情報を提供するにやぶさかでありませ
ん
>私が言いたかったのは観念の設定をやり直すのも転換の必要性を悟った観念を持っ
た自分であって最初に持った大枠からはみだす事はできないということです
「最初に持った大枠」とは?「未来永劫変わり得ない観念がある」とでも?
私の主張は「観念(概念)は全て人為的人工物であり、多様に変化する。如何なる観
念を持つかは本人次第」です
>>200 だけど、その状態でありながら意識はさっきからズ−ッと継続してるんで
す。
臨死体験は科学的に証明することは不可能でしょうね。「観測不可能」ですから
従って科学至上主義者は終ぞ認めないでしょう。「目に見えるだけが真実でない」と
いう科学的立場を貫く人を除いては
>>202 >>193 あなたに反論している人たちは、相対主義にひそむ虚無について言っ
ているんです。
ああ、「相対主義の虚無」ですね。「自らの意志で意味付けること」を止めた人がい
るというだけです
人類の哲学はニヒリズムをとうに卒業してますよ
>仏教における因果応報は、「善因には善の果報、悪因には悪の果報がある。」で
す。
当時はそれで大衆が納得したんでしょう。今は「因果は善悪の判断をしない」が常識
です
善悪はただの観念。単なる二元論的概念、主観に過ぎません
>根本的に人によって善悪は変わりません。
「根本的な善悪」とは何のことでしょうか。「絶対的普遍的万人共有の客観的価値基
準がある」とでも?
>あなたの思想は根本的な善悪も相対主義、もしくはそれ自体ない、としているよう
なので、仏教ではありません。
仏教とは言ってません。しかし仏教で言う「空」の概念に近いものはありますよね
物事はとらえる人によって確かに違う。 だが最も重要なのは、とらえるだけではなく、実行しなければならないということだ。
207 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/28 17:36
249 名前:ノルマンディー着陸作戦 :04/01/28 17:19 人類と自然のバランスについてのスレ立てたほうがいいな。ここじゃみんなの邪魔だ。 しかし僕もこの人も今はスレが立てれません、 どうか親切なかた、「人類と自然のバランスについて」のスレを 立ててください。
>>203 >道具を使ってそれらは既に現実になっていますよね
道具を使っている。まさしく主体が人にあるからそういえる。
ほんとは逆で、環境(宇宙を作っている仕組み)を利用しているにすぎないと思うが。
>人に翼が生えエラ呼吸はできるか?は、遺伝子操作技術が発達すれば、
>不可能ではなくなるでしょう。
いいたいことはわかるが、人からは詭弁といわれそうな表現だなぁw
観念が変わっただけでは実現するのは難しいのではないか?
固定観念をただの観念の一つに変えてやれば、やり方は見えてくるかもしれんが。
やり方が見えてもそれが実現するというのは、別だと思う。
>>206 ほどしなければならないとは思わないが、理論と実践はセットにしておきたいね。
このスレッドの趣旨が、実践ではなく理論であるのならば問題なしかw
>>205 >>「目に見えるだけが真実でない」という科学的立場を貫く人を除いては
この文章の意味が不明なんですが
これは、「耳で聞こえることが真実ということもある」というのが科学的立場を貫く人ってことですか?
>>204 >>本当に観念の持ちようで世界が変わるのなら上記3つのようなことはおこりませんよ
ならば、その↑観念が貴方にとって現実のものとなるだけです
貴方は自分で言った事を忘れているのではありませんか?
>相手に否定されないためには貴方も相手を否定しないことです。貴方が相手になした行為は、貴方自身の身に降り掛かります
人を裁けば自らも裁かれる、とか、人は鏡、という言葉通り
>但し、期待すれば裏切られます。これは必然です。裏切られるのが怖いなら、期待しないことが一番です
>正直者はバカを見るという言葉がありますが、バカをみるのは常にバカだけです
本当の正直者は正直者しか見ません。これも人は鏡
人生は楽しむ為のものであると言っている貴方が上のようなことを言っているのです
これらのことは起こる、しかもそれは必然であるとまで
もし貴方の主張が正しくて、主義の通りに事を望めばこれ等のことは
起こりえないはずだと私は言っているのです
でも貴方は起こると言っている
>>204 >情報を如何に解釈し如何に活用するかは100%読者の自由と考えています
乖離を埋めようとする人が現れれば、こうして情報を提供するにやぶさかでありませ
ん
人がαという内容の発現をしても貴方はβという意味として捉えても良いという事ですね
これが人との乖離と言ってるのですよ、貴方は逃げている、そして一人ぼっちだ
人との共感性を失ったら言葉は無意味になるということが解りませんか?
>「最初に持った大枠」とは?「未来永劫変わり得ない観念がある」とでも?
私の主張は「観念(概念)は全て人為的人工物であり、多様に変化する。如何なる観
念を持つかは本人次第」です
大枠とは最初に人から教えられ体験して獲得した観念の事です
体験が観念の具現化なら観念の変革さえも体験の一部であり
その体験を促しているのはそれ以前の観念、突き詰めていくと最初の観念
つまり体験から勝ち得たものであり
>>65 さんが正しい事になるのでは?
と言っているのです
後、最後に私から質問させてください貴方は無条件の愛を持った人間ですか?
>>203 >既にそれらを正しいと思っている人がいるからこそ、現実にそれらが起こっているん
>ですよ
正しく思ってる人がいるかどうか、現実にそれらが起こっているかどうかを聞いてるわけ
では無い。的を得ない回答だな。
これらの観念が「正しくなる事」を肯定するのか?→「yes」でいいかな?
だとすれば非常に残念だ。
悪い考えを持つ事を肯定し、そしてその考えを持てば世の中もそうなります、なんていう
非常に苦しい思いをする被害者を生み出す「戦争や犯罪」を肯定する、そんな
基地ガイな考えは決して許す事は出来ない。
>悪を否定すれば悪はますます栄えます。
その理由は?
>ですからそれらを無くしたいなら、まず「戦争は悪だ」という
>単純明快で短絡的な世界観から脱却してください。
全くもっておかしい。まるで筋が通ってない様に見える。
「戦争は悪だ」と思うから、無くしたい、無くすべきものだと思うのだろう?
「戦争は悪ではない」(肯定)するなら、あってもいいということになり、当初の
「無くしたいと思うなら」という事と矛盾なんだが・・。
「戦争を無くしたい(否定する)なら、「戦争は悪だ(否定)」という考えから脱却せよ」
↓
「戦争を否定するなら、戦争を否定する考えから抜け出せ」
こんなに誰にでもわかるような矛盾は普通言わないだろう。僕の受け取り方が悪い部分が
あるかもしれない。もう少し説明を願う。
>人々が犯罪者の心理心情を理解できないうちは、その社会から犯罪は無くなりません。
この考えにはおおむね同意できる。
あのさ、戦争が悪なんじゃないよ。戦争は外交政策の一つの選択肢。 戦争という選択肢を使うのは主権者であって、またその良い悪いを判断するのも主権者。 戦争はただの選択肢。戦争を悪だと思う固定観念が「戦争=悪」にさせる。
考える葦のいう「鏡」ってのがいまいちげせないので186がんばれw
インターミッション 『鏡』をわかりやすく図解 〇 ------→ ◎ l × 〇:考える葦 ◎:考える葦の虚像 ×:他者 l :乖離の壁 相対すべき他者の前に壁を置き自分の望む虚像を置く事で 実像の他者を消し去る そうすれば他者がどのような反応をしめしても考える葦には届かず 自分が望む虚像の姿だけを見ることが出来る
>>205 >私自身は、地球は相対性を体験する場と認識しています
上下、寒暖、強弱、有無、大小、明暗、優劣、善悪・・全ては相対的です
唯物論者は物質を絶対視しますが、物質も相対性の一つに過ぎません
>ああ、「相対主義の虚無」ですね。「自らの意志で意味付けること」を止めた人がい
るというだけです
人類の哲学はニヒリズムをとうに卒業してますよ
>仏教とは言ってません。しかし仏教で言う「空」の概念に近いものはありますよね
ニヒリズム 3 [nihilism]
真理・価値・超越的なものの実在やその既成の様態をことごとく否定する思想的立場。
(1)一般に無や空を主張する思想態度。仏教・老荘思想をはじめとして古来から多くの形態がみられる。
(2)特にヨーロッパ近代社会やキリスト教文明の根底に対する否認の思想。一九世紀後半のロシアの文学思潮・革命思想、ニーチェの哲学などに顕著。虚無主義。
>>213 >あのさ、戦争が悪なんじゃないよ。戦争は外交政策の一つの選択肢。
>戦争という選択肢を使うのは主権者であって、またその良い悪いを判断するのも主権者。
何故良い悪いを判断するのが主権者に限られるのかな?
戦争の悲惨さをまるでわかってない平和ボケした日本人を代表しているようだ。
>戦争はただの選択肢。戦争を悪だと思う固定観念が「戦争=悪」にさせる。
第2次世界大戦のとき、広島、長崎、沖縄でどれだけの人達が悲惨な死に方をしたと思う?
正しいと思って始められた戦争の結果はどうだ?
「戦争を悪だと思う固定観念が戦争を悪にさせる」のでは全くない。過去の事実から
戦争は悲惨で残酷で大きな悲しみと苦しみを経験したから「戦争=悪」という観念が
作られたんだ。
218 :
天才的電波 :04/01/29 14:50
僕がコックさんになりたかったとする。いっぱい努力した。でも、なれなかった。 辛い。悲しい。どんなに駄目でもコックさんになりたい。 そうだ・・・意識を変えてみよう。コックさんになれなくたって良いじゃないか。 僕はいま生きている。充分幸せだ。そうだよ、僕は幸せなんだ。 僕はこのままで幸せだ。なにもしなくても幸せなんだ。 そうさ、あったかい布団で眠れなくても。おいしいご飯を食べることが出来なくても。息を吸えなくても・・・え?死んでしまっても? 人生が楽しいんじゃなかったっけ?死んだら人生じゃないジャン。やっぱり、ぼくは何かがしたいんだ。 僕は何かをすることで幸せになるんだ。受け止めているだけじゃあ・・・受け止めるものがなくなって、ううん、そんなものは初めからなくて、終わりなんだ。
>>206 だが最も重要なのは、とらえるだけではなく、実行しなければならないという
ことだ。
「何々しなければならない」というものはこの世にはありませんよ
「責任」も「義務」も人為的概念に過ぎません
>>208 ほんとは逆で、環境(宇宙を作っている仕組み)を利用しているにすぎない
と思うが。
そうも言えます。環境を利用することが即ち道具を使うことですから
因みに概念も道具の一つ。使い方次第で益にも害にもなりますね
>固定観念をただの観念の一つに変えてやれば、やり方は見えてくるかもしれんが。
そうですね。固定を外すことはとても大切です
頭が固い人はなかなか外せない。で同じような体験を繰り返す。するとますます固定
化される
やがて「この観念に執着することが自分のアイデンティティである」と錯覚します
>やり方が見えてもそれが実現するというのは、別だと思う。
しつこいようですが、そう思えばそうなります
物理次元では物性や時間の制約を受けますので瞬間的には実現しません。それが「思
考が現実化する」仕組みを分かりにくくしている面はあると思います
>このスレッドの趣旨が、実践ではなく理論であるのならば問題なしかw
正に実践を促してますよ。環境を変えるならまず観念を変えることだ、と
勿論、変える為には具体的にどんな観念を持っているかを知る必要がありますが
>>209 >>「目に見えるだけが真実でない」という科学的立場を貫く人を除いては
>これは、「耳で聞こえることが真実ということもある」というのが科学的立場を貫
く人ってことですか?
というか「目に見えない所に真実がある可能性を否定しない」という立場の人のこと
です。疑わしいものをすぐに否定する人は似非科学者です
私は脳は「魂(精神次元)と肉体(物理次元)を繋ぐ中継器官」と見てます
>>210 もし貴方の主張が正しくて、主義の通りに事を望めばこれ等のことは起こりえ
ないはずだと私は言っているのです
私の主義主張の主旨を勘違いされているのでは?
何故「起こりえない」かもう少し論理的に説明してください。引用だけではどの部分
に矛盾を見出しているのか今一つ分かりませんので
>>211 人との共感性を失ったら言葉は無意味になるということが解りませんか?
そのくらい解ってますよ。日本語を知らない人にとって、この文章は無意味な記号の
羅列でしょう
>体験が観念の具現化なら観念の変革さえも体験の一部であり
体験であるなら、結局それも観念の具現化ですよ
>その体験を促しているのはそれ以前の観念、突き詰めていくと最初の観念
>つまり体験から勝ち得たものであり
>>65 さんが正しい事になるのでは?
その最初に教わった観念を選択しているのは常に「今」ですよね?
過去の解釈は常に「今」行っています。貴方が“過去"と定義しているのは全て、今
の貴方の価値観・観念に基づいた観点から見た解釈に過ぎません。観念が変われば過
去(に教わった観念)も変わります
最初の観念は「自意識を目覚めさせるためのきっかけ」に過ぎません
>後、最後に私から質問させてください貴方は無条件の愛を持った人間ですか?
はい。無条件の愛が何かを知らない人には、その人自身の鏡として「制限付き愛しか
持ってない」ように見えるでしょうけど
>>212 これらの観念が「正しくなる事」を肯定するのか?→「yes」でいいかな?
いいえ。「否定しない=肯定する」ではありません
二元論的発想から卒業してください
>悪い考えを持つ事を肯定し、そしてその考えを持てば世の中もそうなります、なん
ていう
>非常に苦しい思いをする被害者を生み出す「戦争や犯罪」を肯定する、そんな
>基地ガイな考えは決して許す事は出来ない。
早合点なさらぬように
>>悪を否定すれば悪はますます栄えます。
>その理由は?
悪を否定する人は、犯罪者の心理を理解していません(理解する必要すらないと考え
る人もいます)
つまりそれだけ「思いやりがない」という事です。思いやりがない人が多ければそれ
だけ犯罪も増えますよね
答えになってますか?もう少し具体的に説明しましょうか?
>「戦争は悪だ」と思うから、無くしたい、無くすべきものだと思うのだろう?
いえ、逆です。無くしたいと思うものを、人は「悪だ」と思う(定義する)んですよ
それに「無くしたい」と思っても、まず無くなりません。無くしたいと思えば思うほ
ど、無くなりません。「悪を否定すれば栄える」仕組みと同じです
(続き)
>「戦争は悪ではない」(肯定)するなら、あってもいいということになり
いいえ、そうはなりません。そのような解釈をするのは二元論主義者だけです
>「戦争を否定するなら、戦争を否定する考えから抜け出せ」
>こんなに誰にでもわかるような矛盾は普通言わないだろう。僕の受け取り方が悪い
部分が
あるかもしれない。もう少し説明を願う。
「否定する」という行為は、「対象を理解することを否定する」と同等だからです。
理解しなければ、問題の根本的解決策も見付かりません。説明になってますか?
もっと言えば「無くしたい」と思うことは、「対象が存在すること」を前提にしてい
るので、「無くしたい」思考を裏で支える思考「悪が存在する」を強めることになり
ます。思考は現実化するので、結局悪は存在し続けることになります
「お金が欲しい」が必ずしも実現しないのも、「お金が不足している」現状を強める
からです
>>214 考える葦のいう「鏡」ってのがいまいちげせないので186がんばれw
人は自分自身の内面を外界に見る、ということですよ
貴方が見る全ては貴方の心の中を反映しています
内にないものを外に見ることはできません
224 :
考える名無しさん :04/01/29 17:33
「国会議員続けることが恩返し」 除名の古賀議員、語る 今まで以上に国会議員としての務めを粛々と、これからも有権者のために 果たしていくのが私の一番の恩返しと今現在も考えている。もう一度私自身、 初心に立ち返り地元福岡、国民のために政治活動をこれからも一生懸命 務めさせていただくことを改めて今日自覚した。
>>222 >これらの観念が「正しくなる事」を肯定するのか?→いいえ。
ではあなたが言う観念が100%現実化するという考えは間違ってる事になるな。安心した。
>早合点なさらぬように
申し訳無い。ただ、あなたの論や回答の仕方は理解しづらい。
>悪を否定する人は、犯罪者の心理を理解していません
何故そのような固定観念を持つのかな?悪を否定する人の中には
犯罪者の心理を理解しようとつとめているひともたくさんいると思うが。
>>「戦争は悪ではない」(肯定)するなら、あってもいいということになり
>いいえ、そうはなりません。
これは確かに短絡的だったようだ。言い換えよう。
「戦争は悪ではない」(否定しない)なら、無くさなくてもいいということになり
当初言った「無くしたいと思うなら」という事と矛盾している。
>「否定する」という行為は、「対象を理解することを否定する」と同等だからです。
何故、悪だと思う行為が対象を理解する事を否定する事になるのかな?
悪だと思う行為と対象を理解することを否定する事はまた違う事だろう?
何故、一緒にして考える?この辺の説明を願う。
>理解しなければ、問題の根本的解決策も見付かりません。
それは同意。
>もっと言えば「無くしたい」と思うことは、「対象が存在すること」を前提にしてい
>るので、「無くしたい」思考を裏で支える思考「悪が存在する」を強めることになり
>ます。思考は現実化するので、結局悪は存在し続けることになります
>「お金が欲しい」が必ずしも実現しないのも、「お金が不足している」現状を強める
>からです
「BASHAR」からの引用だな。あなたはこの思想の影響を色濃く受けているようだね。
>>後、最後に私から質問させてください貴方は無条件の愛を持った人間ですか?
>はい。・・・
あなたのような人間に会えて非常に嬉しく思う。ありがとう。
226 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/29 19:21
>220 主義:人生は楽しむ為の物であり、またそのように望むべき物である 主張:観念を変えれば体験が変わる、世界すら変えてしまうのである このような主義主張を持った人間からなぜ >相手に否定されないためには貴方も相手を否定しないことです。貴方が相手になした行為は、貴方自身の身に降り掛かります 人を裁けば自らも裁かれる、とか、人は鏡、という言葉通り >但し、期待すれば裏切られます。これは必然です。裏切られるのが怖いなら、期待しないことが一番です >正直者はバカを見るという言葉がありますが、バカをみるのは常にバカだけです 本当の正直者は正直者しか見ません。これも人は鏡 このような事実が吐き出されるのだ?これ等のことを貴方は望んでいるの? 期待して裏切られる事を望んでいる?主張が間違っているのではないの? もしこれ等のことを楽しい事だと観念で認識すれば起こるでしょう しかし、これ等の事柄を楽しくないと認識する人間にさえ >期待すれば裏切られます。これは必然です 貴方はこう言い放っているんですよ 期待は必ず報われるものだと認識すればそうなるはずでしょ? では何故そう言わない? 自分の主張が偽であることを知っているからでしょう だから >裏切られるのが怖いなら期待しないのが一番です つまり貴方の主張の偽を暴く存在から離れなさいと言っているのです そう、貴方は自分の主張を守る為に偽を暴く全ての物から逃げているのに過ぎないのですよ どうでしょう、主義主張の主旨を勘違いしていますか?
>>221 >そのくらい解ってますよ。日本語を知らない人にとって、この文章は無意味な記号の
羅列でしょう
解っているなら聞きますが
言葉は無意味な物のままでいいのでしょうか?
>その最初に教わった観念を選択しているのは常に「今」ですよね?
過去の解釈は常に「今」行っています。貴方が“過去"と定義しているのは全て、今
の貴方の価値観・観念に基づいた観点から見た解釈に過ぎません。観念が変われば過
去(に教わった観念)も変わります
最初の観念は「自意識を目覚めさせるためのきっかけ」に過ぎません
現在の観念を望み作り出したのは過去の観念だよ
現在は過去の事実からなりたっているんです
現在の観念が過去の観念の認識を変えようとしても
それを望む観念を作ったのは過去の観念であり(つまり過去の観念が望んでいる)
現在が過去を否定したとしても事実として残った過去は消えないよ
つまり現在は過去に支配されているのであり、貴方の言う『最初の自意識』に
辿り付くことになるんです、『最初の自意識』は体験によってもたらされるなら
原体験に全てが支配されている事になるんです
(あの、言っておきますけど否定された過去とは貴方の中にはありませんからね
だから無いと言い張れるけどこの世に残った事実としてそれは確実にあった物なんです
まぁ、他者との乖離をしている貴方はそれすらも否定するのだろうけど結局は
>>15 なのよね)
>はい。無条件の愛が何かを知らない人には、その人自身の鏡として「制限付き愛しか
持ってない」ように見えるでしょうけど
有難う、その答えが聞きたかった、無条件の愛については鏡の話が一段落してからに
しましょう
>人は自分自身の内面を外界に見る、ということですよ
と言うのなら私に対して言った
>ならば、その↑観念が貴方にとって現実のものとなるだけです
これも貴方の内面を外界に見ている自分に対していっていることになるんですよ
だから考える葦さんの立場でいうと
『↑の観念が貴方にとって現実の物となるだけですという事が私の現実になるだけです』
という事になるんです
つまり
>>15 です
>>205 違うんならいいんです。前のほうで因果応報についてあったんで、もしかしたら?とおもったんです。
空だけで仏教を解釈する人が、2chではたまにいるので。
私の言っていることが古臭いとのことですが、ほめ言葉として受け取っておきますね。
では、また会う暇で。
>>216 コピペするときは、ネタ元を書きましょう。
それ鵜呑みにしないほうがいいよ。
>>225 >これらの観念が「正しくなる事」を肯定するのか?→いいえ。
>ではあなたが言う観念が100%現実化するという考えは間違ってる事になるな。安心した。
私がそれを肯定しようとしまいと「現実化」は常に100%行われますよ
ですから「間違い」と思えば、その通り「間違い」になります
>申し訳無い。ただ、あなたの論や回答の仕方は理解しづらい。
情報を小出しにしているからでしょうか
宜しければ、少年犯罪板の「怒りをコントロールする方法」スレもご参照下さい
あれの1には、本スレの1の具体的な論理を掲載しています
感情も立派な人生経験の一つですから
>>悪を否定する人は、犯罪者の心理を理解していません
>何故そのような固定観念を持つのかな?悪を否定する人の中には
>犯罪者の心理を理解しようとつとめているひともたくさんいると思うが。
努める必要があるなら、理解していない証拠です
既に理解している人は理解しようと努める必要がありません
>「戦争は悪ではない」(否定しない)なら、無くさなくてもいいということになり
>当初言った「無くしたいと思うなら」という事と矛盾している。
「無くしたいと思うなら」は仮定の話です。貴方が無くしたそうだったので
ところで貴方は地球上から戦争や飢餓は無くなると思っていますか?私は無くなると確信していますが
(続き)>悪だと思う行為と対象を理解することを否定する事はまた違う事だろう?
いえ、大いに関係があります。何故なら人は自分が理解することを否定した時、それを悪と定義するからです
テロリストを本当に理解している人は彼らが彼らの価値基準で確かに「善」であることを知っています
善悪は主観。ただの相対的概念です。人の数だけ真実はあります
>「BASHAR」からの引用だな。あなたはこの思想の影響を色濃く受けているようだね。
ニューエイジ思想及び近代哲学・宗教学・論理学・物理学・生物化学・心理学全般からの引用です。BASHARはニューエイジの草分け的存在ですね。マーフィーやカーネギーとも酷似しています
>あなたのような人間に会えて非常に嬉しく思う。ありがとう。
私は貴方自身の鏡に過ぎません
こちらこそ、私の鏡となってくださり有り難うございます
貴方の本質を突いた質問は回答していてとても「ワクワク」^^します
>>227 期待して裏切られる事を望んでいる?主張が間違っているのではないの?
「思考が現実化する」という事実(具体例)を述べているだけですよ
>>期待すれば裏切られます。これは必然です
>期待は必ず報われるものだと認識すればそうなるはずでしょ?
それは
>>70 への助言の一環として述べたものです(文脈や相手によって異なる視点を選びますので)
必ず報われると認識すれば、仰るとおり裏切られることはありません
>>228 解っているなら聞きますが 言葉は無意味な物のままでいいのでしょうか?
無意味なままでは少なくとも意思疎通の道具としては役に立ちませんね
>現在の観念を望み作り出したのは過去の観念だよ
今の自分があるのは過去が原因である、と仰る訳ですね?
私はその原因と結果が「真逆」であると主張します
>現在は過去の事実からなりたっているんです
そう思い続ける限り、貴方は「過去の事実」を変えることはできません
よって、変わらない過去に縛られた今の自分も変わらず、ひいては将来も変わらないと宣言していることと同じです
しかし実際には、貴方は貴方の意思次第で自身が如何様にも変わり得る存在であることを知っている筈です(変化しないことを選択するかも知れませんが)
(続き)>現在の観念が過去の観念の認識を変えようとしても
>それを望む観念を作ったのは過去の観念であり(つまり過去の観念が望んでいる)
>現在が過去を否定したとしても事実として残った過去は消えないよ
と、貴方は現在の観念・今持っている価値基準で思っているんですよね?
別の人が貴方の過去を別の角度から見たら、違う過去を事実として認識することでしょう(別の視点で見るから)
因みに蛇足ですが「過去を否定すればするほど過去は変わりません」
>つまり現在は過去に支配されているのであり、貴方の言う『最初の自意識』に辿り付くことになるんです、『最初の自意識』は体験によってもたらされるなら原体験に全てが支配されている事になるんです
原体験が影響するのは、貴方が他者の観念の具現化を手伝う期間だけですよ
自意識が芽生えて以降も他力本願を貫けば、別ですが
>有難う、その答えが聞きたかった、無条件の愛については鏡の話が一段落してからにしましょう
そうですね。楽しみにしてます^^
>>229 これも貴方の内面を外界に見ている自分に対していっていることになるんですよ
はい。知ってます
>だから考える葦さんの立場でいうと
>『↑の観念が貴方にとって現実の物となるだけですという事が私の現実になるだけです』
>という事になるんです
ですね。貴方にとっても、上記がそのまま「という事になる」ように
>>230 ニヒリズム 3 [nihilism]
真理・価値・超越的なものの実在やその既成の様態をことごとく否定する思想的立場。
(1)一般に無や空を主張する思想態度。仏教・老荘思想をはじめとして古来から多くの形態がみられる。
(2)特にヨーロッパ近代社会やキリスト教文明の根底に対する否認の思想。一九世紀後半のロシアの文学思潮・革命思想、ニーチェの哲学などに顕著。虚無主義。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
そうですね、ここまでコピペするべきでした、辞書からの引用です
辞書に書かれている言葉の定義ならその内容の信憑性も高いかなと思ったので
>>232 >「思考が現実化する」という事実(具体例)を述べているだけですよ
そうです、貴方の思考が現実の物になるのです、ですから
>期待して裏切られる事を望んでいる?
と疑問系で聞いているんですよ、望み、そう思考しているんですか?
「はい」か「いいえ」で答えてください
>それは
>>70 への助言の一環として述べたものです(文脈や相手によって異なる視点を選びますので)
必ず報われると認識すれば、仰るとおり裏切られることはありません
その助言の内容から疑いを掛けられているんですよ
なぜわざわざ裏切られたくないと望む人間に期待は裏切られる物だと思考させるのか?と
主張の正当性を崩させないような思考をさせているのではないか?と
本当に貴方の主張が正しいか実験をして真偽を確かめませんか?
これも「はい」か「いいえ」で答えてください、私も実験をします
私は貴方は私が持ちかけた実験を受けると思考します、もし貴方の主張が正しければ
思考が現実の物となり貴方はこの実験を受けてくれるでしょう
>>233 >無意味なままでは少なくとも意思疎通の道具としては役に立ちませんね
質問に答えていませんよ、良いか悪いかを聞いているんです
>私はその原因と結果が「真逆」であると主張します
↑の文章に続く部分にもいえるんだけど
観念の変革が体験の一部であり、体験は観念によって具現化するのなら
貴方の主張そのものが過去の観念の存在の証明になります
貴方は固定観念を見直(体験)してそうなったんじゃないのですか?
もしこれを否定するなら貴方の「体験は観念によって具現化する」を否定する事に
なるんですよ
解りやすく言うと「今の観念(過去)によって体験(未来)する」です
>「過去を否定すればするほど過去は変わりません」
なぜですか?
>ですね。貴方にとっても、上記がそのまま「という事になる」ように
↑の観念が貴方にとって現実の物となるだけです
ループが始まります
これが自分と他者とを隔てるものだと解りませんか?
それで貴方はいいのですか?
「はい」か「いいえ」で答えてください
>>217 >何故良い悪いを判断するのが主権者に限られるのかな?
特に限ったつもりはないんだけど、国じゃなくても自分のやる事の善悪ぐらいは
自分で判断で来ていないってのはすげぇ無責任だなぁと思ったので。
自分のことぐらい自分でわかってやる方がいいっていう観念を持ってるんですよ。
アメリカなんて「戦争=善=正しい」と判断したくて、自分がそう思い込みたくて必死でしょw
>戦争の悲惨さをまるでわかってない平和ボケした日本人を代表しているようだ。
出来れば平和ボケしたいんだけどね。つまり、いいたいことは・・・
戦争をするという選択肢を持つことは、逆に戦争をしないっていう選択肢を選べるってこと。
生まれたときから「戦争=悪」と教えられたら、それは自分で選んだわけではないよね?
ちなみに俺は戦争を選択肢にしないという観念はとてもいいことだと思っている。
>第2次世界大戦のとき、広島、長崎、沖縄でどれだけの人達が悲惨な死に方をしたと思う?
>正しいと思って始められた戦争の結果はどうだ?
広島、長崎、沖縄なんて分けなくても、人が一人死ねば俺は悲しい。そういう観念を持っているんだよ。
だからこそ、戦争はすべきではないと思っているしね。そこに善も悪もないよ。
>「戦争を悪だと思う固定観念が戦争を悪にさせる」のでは全くない。過去の事実から
>戦争は悲惨で残酷で大きな悲しみと苦しみを経験したから「戦争=悪」という観念が作られたんだ。
予測するに、このスレはそういう観念を鵜呑みにしてしまう恐ろしさについて問題にしていると思う。
人類全体として観念の積み重ね(つまり過去)はあるけど、それをきちんと理解して積み重ねたいね。
>>223 >人は自分自身の内面を外界に見る、ということですよ
>貴方が見る全ては貴方の心の中を反映しています
>内にないものを外に見ることはできません
たしかに観念はそうですねー。
観念を変えたところで、彼女のオッパイは大きくなりませんなぁ・・・
いつになったらチ○コをはさめるようになるのだろうか。
まぁ、上のは冗談ですがそういうことです。
観念だけで変えられるものと変えられないものがあるような。
>>219 だいぶあんたのいいたいことがわかってきたよ
>しつこいようですが、そう思えばそうなります
>物理次元では物性や時間の制約を受けますので瞬間的には実現しません。それが「思
>考が現実化する」仕組みを分かりにくくしている面はあると思います
なるほどね。植物が地球の大気の構成を変えたように時間をかければ何とかなると。
ん・・・でも俺は長くても120歳ぐらいまでしか生きれそうにないなぁ・・・
200歳まで生きようと思ったら生きれるかな?w
>>232 「はい」か「いいえ」で答えてください
「いいえ」です。私は相手の立場や理解度に応じて助言内容を変えますので
>なぜわざわざ裏切られたくないと望む人間に期待は裏切られる物だと思考させるのか?と
相手の観念を変える手助けをするために、異なる見方を提示したまでですよ
>主張の正当性を崩させないような思考をさせているのではないか?と
私は私の主張が正しいと思わない人に対してまで強要しません。情報を如何に解するかは読者自身の自由ですから
ですから「正当性を崩させないように・・」等とわざわざ考えません
>私は貴方は私が持ちかけた実験を受けると思考します、もし貴方の主張が正しければ思考が現実の物となり貴方はこの実験を受けてくれるでしょう
面白い思考実験ですが、「思考の現実化の仕組み」はそんな単純なものではありませんよ
「世界チャンピオンになりたい」と思考するボクサーが皆チャンピオンにならない理由はご存じですか?
>>236 >>無意味なままでは少なくとも意思疎通の道具としては役に立ちませんね
>質問に答えていませんよ、良いか悪いかを聞いているんです
貴方が「役に立たないものは悪い」と定義するなら、答えは「悪い」です
因みに私は「役に立たないものはこの世に存在しない」と見ています。存在は全て何かの役に立っている。でなければ存在し得ません
>貴方の主張そのものが過去の観念の存在の証明になります
私は過去の観念の存在を否定してませんよ
>貴方は固定観念を見直(体験)してそうなったんじゃないのですか?
そうですよ。誰でも観念を変化させますよね
(続き)>>「過去を否定すればするほど過去は変わりません」
>なぜですか?
何かを否定するという行為は「私はそれを変えられない」と信じているのと同じだからです
>ループが始まります
>これが自分と他者とを隔てるものだと解りませんか?
ループは「隔て」ではなく寧ろ「隔てが無くなった状態」ですよ
貴方も私も同じである、ということですから
>それで貴方はいいのですか?
>「はい」か「いいえ」で答えてください
私は「いい悪い」を判断しませんが、満足かどうかと問われれば、「はい」です。貴方とは価値観が違いますので
>>238 観念を変えたところで、彼女のオッパイは大きくなりませんなぁ・・・
観念を変え、大きくしてる人はいますよ。そういう効果のある運動や豊胸手術等で
>観念だけで変えられるものと変えられないものがあるような。
そう思ってるから、そうなってるんですよ
>>239 200歳まで生きようと思ったら生きれるかな?w
肉体を大切に扱えば、不可能ではありません
或いは「肉体=自我」「肉体を持つ=生」という狭苦しい従来の死生観・生命観に囚われなければ
長生きするコツはできるだけ心臓の動きを生涯遅くすることです。興奮・不安・運動は禁物。かつ何かに集中して「時間があっという間に過ぎる感覚」を多く体験することです。実際に個体の時間はそれだけ短く流れているので
実際、何かに夢中になっている人は若々しく見える人が多いでしょう?
242 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ :04/01/31 17:35
>>241 >>肉体を大切に扱えば、不可能ではありません
現実に200歳まで生きれる人が皆無なのは
誰一人、肉体を大切に扱っている人がいないからですか?
永遠の命、不老不死が観念だけで出来てしまうのかー。 やっとこのスレッドの底がみえましたw
>>231 まず自分の態度が傲慢であった事をお詫びします。(自分のレスを読み反省)
あなたは
「思考は100%現実化する」「そう思えばそうなります」
ということを主張していますが、
「戦争は正しい」「レイプは悪くない」「人を殺してもいい」という観念も
そうなる(正しくなる)のですか?と聞かれたのに対し
>>222 ではそれを否定しています。この矛盾についてはどう解釈すればいいでしょうか?
揚げ足とりのようで悪いのですが、僕にとってはここが肝心なところなんです。
>「無くしたいと思うなら」は仮定の話です。貴方が無くしたそうだったので
僕がここで言いたかったのは、
戦争は悪だから、無くしたいと思う、もしくはあなたが言った無くしたいから
悪であるので、否定しない(悪としない)ということは無くしたいとはならない事になりますよと。
これでは戦争を無くしたいと仮定してるのに戦争を無くしたいとは思わない事になります
ということをいいたかったわけです。
>ところで貴方は地球上から戦争や飢餓は無くなると思っていますか?私は無くなると確信していますが
これについてはよくわかりません。ただ少しづつでも無くす事は出来ると信じています。
またなにより大事なのは無くす為に実際に行動する事だと思っています。
>>232 >いえ、大いに関係があります。何故なら人は自分が理解することを否定した時、それを悪と定義するからです
これはあなたの固定観念では?僕は悪と思っているものの「理解すること」を否定はしません。
何故なら前にあなたが述べた
>理解しなければ、問題の根本的解決策も見付かりません。
という考えを僕も同じように考えているからです。また同じように考えている人は他にも
大勢いると思うのですが、いかがでしょうか?
>テロリストを本当に理解している人は彼らが彼らの価値基準で確かに「善」であることを知っています
>善悪は主観。ただの相対的概念です。人の数だけ真実はあります
しかし、彼らの心情を理解したからといって、彼らがやってる事は悪(無くしたいもの)
には変わりは無いと思うのですが。いかがでしょう?
しかし、それはあなたにとってと言われそうですね。
僕はこう考えます。主観は人の数だけあります。主観的事実。しかし、それは
一つの世界(客観的事実)を人それぞれが見た世界であって、やはり、客観的事実
一つの世界(真実)はあると思うのです。つまり絶対的な基準の善悪もあると。
僕はそれを無いと考えるのではなく、まだわからない、だからそれを
探っていかなければならないと考えています。そしてその絶対の基準こそ愛であり
それを学ぶためにこの世での体験を通している。つまり、創造主は自己探求の為に
自分で無いもの「闇」(悪)を創った。。話がそれてしましました。
わかりにくい文で申し訳無ありません。ただあなたとはこの事に関して話が出来そうだと
思ったので。また僕より知っているだろうと。
前に>あなたの論や回答の仕方は理解しづらい。と言ったのは
あなたの論の難しさ(僕の理解力不足でもあるか)もありますが、質問に対する回答が
質問の本質からそれてしまっているからなんです。だから同じ事に関して
しつこく質問してしまいます。
後、あなたとは他にも話したい事があります。後ほど質問させてください。
傲慢な態度で発言した事お詫びします。 >だからこそ、戦争はすべきではないと思っているしね。そこに善も悪もないよ。 (人が殺される事などが)悪だと思うから、すべきではないと思うのではないのかな? 「そこに善も悪も無い」というのがよくわからない。 >予測するに、このスレはそういう観念を鵜呑みにしてしまう恐ろしさについて問題にしていると思う。 >人類全体として観念の積み重ね(つまり過去)はあるけど、それをきちんと理解して積み重ねたいね。 なるほど。葦さんはどう考えているのだろう。
>>240 >「いいえ」です。私は相手の立場や理解度に応じて助言内容を変えますので
では貴方は自分では楽しくないという事を人に勧めてる事になりますね
思考が現実になるのに自分が望まぬ物を同様に望まぬ人に勧める人間性を持つのだと
貴方は暴露しました、私の貴方の助言に対する疑念はますます深まりました
>相手の観念を変える手助けをするために、異なる見方を提示したまでですよ
だから何故、観念を変える手助けの手段としてそのような見方を提示する必要があるのか
が疑われているのです
>私は私の主張が正しいと思わない人に対してまで強要しません。情報を如何に解するかは読者自身の自由ですから
ですから「正当性を崩させないように・・」等とわざわざ考えません
そうですね、でもこれは単なる私の推理ですから
>面白い思考実験ですが、「思考の現実化の仕組み」はそんな単純なものではありませんよ
「世界チャンピオンになりたい」と思考するボクサーが皆チャンピオンにならない理由はご存じですか?
おや、これは「いいえ」という回答と受け取ってよろしいのですか?思考が現実になりませんでしたね、とりあえずこの段階では貴方の主張は偽であると言えるでしょう
「世界チャンピオンになりたい」という思考は「世界チャンピオンでない」という現状を認識させるから、でいいですか?でもこれは間違いですよ
「なりたい」という願望(思考)は「なる、なれる」という思考とは別です
「なりたい」を思考すれば「なりたい」が現実になるだけです
また、もし現状でチャンピオンでも「なる、なれる」と思考することは可能です
私は望み=思考として書いている部分が多いですが
思考が現実となるなら望みを叶えたかったらそう思考するべきと
考えているからそうしているに過ぎません
もう一度チャンスを上げましょう、私は貴方は私の実験を受けると思考します
思考が現実になるのなら貴方は私の実験を受けてくれるでしょう
>貴方が「役に立たないものは悪い」と定義するなら、答えは「悪い」です 因みに私は「役に立たないものはこの世に存在しない」と見ています。存在は全て何かの役に立っている。でなければ存在し得ません 貴方・・・ >情報を如何に解釈し如何に活用するかは100%読者の自由と考えています 此処で貴方は共感性の欠如を「います」と現在進行形で肯定し >そのくらい解ってますよ 共感性を失えば言葉は無意味になると理解しているのに 役に立たない物は存在しないとしている、あなたは今言葉を使って(存在して)いますよ >私は過去の観念の存在を否定してませんよ 過去の観念の存在の肯定は過去の事実の存在の肯定に繋がりますよ? 思考が現実になるのなら、観念の変革も過去の観念の思考に左右され 今の観念の有様は過去の観念の思考に支配されている事になります また、過去の観念を辿っていくと原体験に行き着くのは解りませんか? >何かを否定するという行為は「私はそれを変えられない」と信じているのと同じだからです だから、それは何故ですか?
>ループは「隔て」ではなく寧ろ「隔てが無くなった状態」ですよ 貴方も私も同じである、ということですから いいえ、隔てです、同じではなく自分の現実があるというのを言い合ってるだけなのです 「言葉」は共通の意思伝達手段ですが各人が共感性を失いその解釈を独自に始めたら言葉は共通の意思伝達手段として用を足さなくなります。 「共通認識できる部分での現実」にこれを当てはめると 例、ある同じ花を見た場合 考える葦「お〜、青い向日葵なんて始めて見るよ、何て綺麗なんだ」 186「何言ってんだよ、花びらがグルグル回るアサガオだろ、うわ、火ぃ吹いちゃうのかよ」 考える葦「それが君の現実なだけだろ、私の現実は青い向日葵なんだ」@ 186「アホか、それが君の現実なだけだろ、私の現実は回るアサガオだ」A そして共通認識できる現実の中で生きる人たちはそこにピンクのチューリップを見、 狂人が2人いるところを見るでしょう・・・(@Aの言い合い、これがループです) と、こうなります、まぁ、貴方がこれでいいのなら文句はいいませんが・・・
抜け落ちていたので補足 >努める必要があるなら、理解していない証拠です >既に理解している人は理解しようと努める必要がありません これは確かにそうですね。ただ発言の要旨が伝わってないようなので言い方を訂正します。 犯罪者の心理を理解していても悪を否定する人もいるとは思いますよと、 つまり、「悪を否定する=理解していない」と短絡的に決め付けるのは 間違っているのではと。 あなたはテロリストの気持ちが分かるようなので一つ聞きたい。 彼らがやっている事はあなたから見て「悪」ですか?「悪ではない」ですか? 彼らが善と信じているかどうかではなく、「あなたの意見」を是非聞きたい。 あなたにとってどうかが重要です。
252 :
Religion :04/02/01 04:09
言葉使うのも手だよねー
>>243 現実に200歳まで生きれる人が皆無なのは 誰一人、肉体を大切に扱っている人がいないからですか?
有害物質で長いこと空気や土壌や水を汚してますからね
ところで、「本当に」皆無なんですか?
>>245 「戦争は正しい」「レイプは悪くない」「人を殺してもいい」という観念もそうなる(正しくなる)のですか?と聞かれたのに対し
>>222 ではそれを否定しています。
>>222 で否定しているのはそこで引用している二元論的発想に対して、です
殺人犯は、殺人する時は自分(の行為)は正しいと思ってます。それに従って彼の観念は具現化しています
>これでは戦争を無くしたいと仮定してるのに戦争を無くしたいとは思わない事になります
私は「無くしたい」とは思いません。時期が来たら「無くなる」と思ってます。全ては必然であり必要な体験です(個人であれ国家であれ)
>またなにより大事なのは無くす為に実際に行動する事だと思っています。
異論ありません。「無くしたい」ではなく「無くす」と思考することが大切ですね
但し、正義と独善は紙一重ですが
>>246 これはあなたの固定観念では?僕は悪と思っているものの「理解すること」を否定はしません。
でも犯罪者を理解することをどこかで否定しているから、未だに理解できてない部分があるんでしょう
若しくは、理解できないことを正当化するために悪と定義している。違うと言えますか?
>しかし、彼らの心情を理解したからといって、彼らがやってる事は悪(無くしたいもの)には変わりは無いと思うのですが。
彼らは自分たちの行為を悪(無くしたいもの)などとは微塵も思っていません。でなければ飛行機を乗っ取ってビルに突っ込むこともしないでしょう
本当に心情を理解しているなら、悪とは断定できない筈です
>そしてその絶対の基準こそ愛でありそれを学ぶためにこの世での体験を通している
概ね賛同です。私自身は、絶対基準はどこにも無く、かつそのことが(無条件の)愛であると考えています
>>248 では貴方は自分では楽しくないという事を人に勧めてる事になりますね
期待しないことが楽しくないことだとは思っていませんよ
>だから何故、観念を変える手助けの手段としてそのような見方を提示する必要があるのかが疑われているのです
異なる観点を与えることが、変えるきっかけになることがあるからです
>そうですね、でもこれは単なる私の推理ですから
因みに私が述べていることも、全て単なる個人的主観です
>おや、これは「いいえ」という回答と受け取ってよろしいのですか?
いいえ。しかしそう解釈するのは貴方の自由です
>思考が現実になりませんでしたね、とりあえずこの段階では貴方の主張は偽であると言えるでしょう
「観念は時には具現化しない」という観念が具現化しているだけでしょう
>「なりたい」を思考すれば「なりたい」が現実になるだけです
全くその通り。「なりたい」と「なる」、「無くしたい」と「無くす」とは違いますからね
>もう一度チャンスを上げましょう、私は貴方は私の実験を受けると思考します
その思考が単なる望みでない証拠はあるんですか?
>>249 共感性を失えば言葉は無意味になると理解しているのに役に立たない物は存在しないとしている、あなたは今言葉を使って(存在して)いますよ
はい。私は貴方と意志疎通する道具として言葉を使っています
(続き)>今の観念の有様は過去の観念の思考に支配されている事になります
貴方にとっては、未来も既に決定されているということですね?
>また、過去の観念を辿っていくと原体験に行き着くのは解りませんか?
誰しも最初は観念を周囲から教わります。それは否定してませんよ
>>何かを否定するという行為は「私はそれを変えられない」と信じているのと同じだからです
>だから、それは何故ですか?
自分の無力・無能を認めたくないからでしょう。人が自分の可能性を否定された時に怒りを覚えるのも同じこと
>>250 そして共通認識できる現実の中で生きる人たちはそこにピンクのチューリップを見、狂人が2人いるところを見るでしょう・・・(@Aの言い合い、これがループです)
仰りたいことは分かりますが、今回はどちらも「貴方の現実は貴方の観念が原因だ」で同じでは?第三者も「二人は同じ事を互いに主張している」と認識していると思いますが
>>251 犯罪者の心理を理解していても悪を否定する人もいるとは思いますよと、
そういう人は「理解しているつもり」なのでしょう
中途半端に知識がある人ほど、そういう錯覚に陥りやすい
>つまり、「悪を否定する=理解していない」と短絡的に決め付けるのは間違っているのではと。
物事の本質は善悪にはありません。それが見えてないことが、理解していない何よりの証拠です
>彼らがやっている事はあなたから見て「悪」ですか?「悪ではない」ですか?
善でも悪でもありません。これは同時に「善でも悪でもある」ことを意味します
見方・観点・視点を変えれば物事は如何様にも捉え方を変えることができます
但し、彼らの考えや行為は幼稚だとは思います(幼稚=悪ではありません)
詭弁の特徴 例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合、あなたが 「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が… 1:事実に対して仮定を持ち出す 「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」 2:ごくまれな反例をとりあげる 「だが、時として尻尾が2本ある犬が生まれることもある」 3:自分に有利な将来像を予想する 「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」 4:主観で決め付ける 「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」 5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる 「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」 6:一見関係ありそうで関係ない話を始める 「ところで、カモノハシが卵を産むのは知っているか?」
7:陰謀であると力説する 「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」 8:知能障害を起こす 「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」 9:自分の見解を述べずに人格批判をする 「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」 10:ありえない解決策を図る 「結局、犬が卵を産めるようになれば良いって事だよね」 11:レッテル貼りをする 「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」 12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す 「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」 13:勝利宣言をする 「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」 14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる 「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」 15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする 「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」
1さんの哲学は良くできていますが、既存のもののいいとこ取りです。 つまり幼稚です。もちろん悪いことではありません。理解が足りないだけです。
>>253 >>有害物質で長いこと空気や土壌や水を汚してますからね
ところで、「本当に」皆無なんですか?
はい。
信頼できるソースからは、人間が200歳まで生きられたと言うような報告はありません。
それを否定なさるのなら、200歳まで生きられた人間がいたという事例を持ってきてください。
それから、有害物質で長いこと空気や土壌や水を汚してるから、人間は長生きできないということですが
では、空気や土壌の綺麗な場所では、人間は200歳まで生きれるのですか?
また、そもそもこの問題は200歳まで生きたいという観念を持てば、それが現実化するという話であったのに
あなたは200歳まで生きれないのは、空気や土壌や水を汚してるからだといいました
すると人間の寿命は観念だけでなく、環境にも左右されるということになり
「固定観念を変えれば、現実も変わる」というあなたの主張と矛盾しているように感じるのですが。
>>253 >>222 で否定しているのはそこで引用している二元論的発想に対して、です
二元論的発想に対して??要点は
「悪い観念を持てばそうなる」という考えを肯定するのか、否定するのかということです。
>殺人犯は、殺人する時は自分(の行為)は正しいと思ってます。それに従って彼の観念は具現化しています
これでは前に言った
>悪い考えを持つ事を肯定し、そしてその考えを持てば世の中もそうなります、なんていう
>非常に苦しい思いをする被害者を生み出す「戦争や犯罪」を肯定する、そんな
>基地ガイな考えは決して許す事は出来ない。
と言う結論に戻ってしまいますよ。
>私は「無くしたい」とは思いません。時期が来たら「無くなる」と思ってます。
戦争を無くしたいと仮定したとき、否定しない(悪としない)ということは成り立たない、という
論理的矛盾について話していたのですが、それについての見解が得られず残念です。
戦争を無くしたいとは思わないのですか。残念です。愛があるなら、人々の幸せを願い、
人々の幸せを願うなら、戦争を無くしたい、無くなって欲しいと願うはずです。
これは前にあなたが言った思いやりが無いということにはあてはまりませんか。
しかし、そんな事は無いはずです。あなたは愛をもっているのだから、思いやりが無い
という事には当てはまらないはずです。ただ、ある特定の知識(観念)にとらわれている
あまり、そのような判断をしてしまうのではないのですか?
続き >でも犯罪者を理解することをどこかで否定しているから、未だに理解できてない部分があるんでしょう >若しくは、理解できないことを正当化するために悪と定義している。違うと言えますか? 違います。決め付けないでください。理解できてない部分があるのは、 理解する事を否定しているからではなく、理解するのに必要な犯罪者の心理に対する知識、 情報、経験などを持っていないからでしょう。 また、理解できない事を正当化する為に悪と定義しているのではなく、 あなたが言ったように無くしたい事だから悪と思うわけです。 たとえ理解したとしても、殺し合いをする戦争はどう考えても無くしたい、 無くなって欲しい事です。 この論点で主張したいのは「理解する事を否定する」のを「悪」の定義と考えるのは 間違いではないかということです。 >彼らは自分たちの行為を悪(無くしたいもの)などとは微塵も思っていません。 >でなければ飛行機を乗っ取ってビルに突っ込むこともしないでしょう >本当に心情を理解しているなら、悪とは断定できない筈です 彼らは正しい事を信じてやっているとは思いますが、はたして彼らは間違った 考えは持っていないと断定できますか? 人間ですから、間違った考えに基づいて行動することはよくあることです。つまり、 完璧に理解したとしても、やはり彼らのやっている事は間違った事だとなるのは 有り得るという事です。何故なら、人によって主観が違う事は明白な事で、理解したとしても その主観の違いによって彼らの主観が間違いであると判断するのはあり得ることだからです。よって 理解したとしても悪(無くしたいもの)には変わり無いという判断をする事が有り得る、この事から、 ここの論点である「理解する事を否定する」のを「悪」の定義と考えるのは 間違いではないかということです。 「悪だと思う行為と対象を理解することを否定する事はまた違う事」 だと思うのです。
>>255 >物事の本質は善悪にはありません。それが見えてないことが、理解していない何よりの証拠です
難しいですね。
>善でも悪でもありません。・・・
そうですか、僕にはまだ理解が及ばないようです。
前に言った質問ですが、葦さんは今問題が多いこの世の中、
人間はどう生きていくべきだと考えますか?
>>254 >期待しないことが楽しくないことだとは思っていませんよ
期待しない?そんな事問題としていませんよ
「期待は裏切られる物」という思考を貴方は勧め、それが嫌なら
「期待はするな」と思考を二つ勧めています、ここで「期待はするな」云々を
問題に取り上げてません、「期待は裏切られる物」についてです
自分が望まぬ物を人に勧め、その事を他人に指摘されるとしらばっくれるのが
貴方なのですね?良くわかりました
>異なる観点を与えることが、変えるきっかけになることがあるからです
その手段の異なる観点の内容(期待は裏切られる物)に疑いを掛けられているんですよ
>「観念は時には具現化しない」という観念が具現化しているだけでしょう
誰がそんな観念を持っていると言いました?「観念は具現化する」を肯定してても
自分のもつ観念の内容に対し疑問を抱く事はできますよ
「観念は具現化する、しかし、本当に具現化するのだろうか?」と
人が持つ観念を勝手に決め付けないでください
>その思考が単なる望みでない証拠はあるんですか?
面白い事を言いますね、では貴方のこれまでにこのスレッドに書いた全ての言葉、
貴方が本気で主張し、信じ、本音でいったという証拠はあるんですか?
私は貴方の主張の真偽を確かめたい、だから実験を受けて欲しい
だから私の実験を貴方が受けてくれるように思考する、これが状況証拠になりませんか?
希望と確信は一緒に持つ事は可能な物ですよ
また私の思考は現実になりませんでしたね、これで二度目です
私は思考を続けます、貴方は私の持ちかけた実験を受けてくれるでしょう
世界チャンピオンの例えを私もして良いですか? 「世界チャンピオン」になれる」そして「世界チャンピオンではない」と思考する人がいます 思考が現実となるのが真ならばここに「矛盾」の説話を当てはめることができます 100%現実化する「世界チャンピオンになれる」と「世界チャンピオンではない」という思考、 二つがぶつかり合った時どうなるでしょう? ちなみに「矛盾」の説話では最強の盾と矛、両方粉々に砕け散りそんな物は存在しない という結論になりました >はい。私は貴方と意志疎通する道具として言葉を使っています なぜ自分で意思疎通の手段として役に立たない物と定義した言葉を 使う事が出来るのですか?役に立たない物は存在しないのでは? >貴方にとっては、未来も既に決定されているということですね? ??? 貴方の「体験は観念によって具現化される」と「思考は現実化する」という主張を 肯定すればこうなりますよと言ってるだけですよ だから肯定している貴方にとってということになりますよ >自分の無力・無能を認めたくないからでしょう。人が自分の可能性を否定された時に怒りを覚えるのも同じこと それは関係ないでしょう、対象を否定しても「私はそれを変えられる」と信じ、 そうなる様に思考して実際に変えてしまえることは出来るのですから
>仰りたいことは分かりますが、今回はどちらも「貴方の現実は貴方の観念が原因だ」で同じでは?第三者も「二人は同じ事を互いに主張している」と認識していると思いますが この場合問題としているのは青い向日葵、回るアサガオ、ピンクのチューリップであり 現実に見える物がそれぞれ違ってしまいますよ(隔たり)という事 「貴方の現実は貴方の観念が原因だ」というのはその隔たりを確認していると言う事 確認できるから隔たりがあると言う事をいったんですよ 第三者は「それぞれ違う現実を主張している二人」を認識しています そして同じ現実を共有している多数派の人達からは 狂人として見られてしまいますよ、という事です 他の人たちと現実を共有できなくても本当に満足なんですか?
>>253 ひとつ例をとりあげてみます。
ある犯罪者が、かつて正しいと信じて犯罪を犯しました。その後、
自分のやった事を後悔し、とても悪い事をしたと悔い改めました。
彼は自分自身がやった事なので、心情を理解している事は自明です。
その自分の心情を知っている彼が自分は悪い事をした、というわけです。
あなたは、
「悪だと思うのは対象を理解する事を否定する事」
そして「悪だと思うのは理解していない証拠」
だから「理解すれば悪とは思わなくなる」といっていますが、
前述した例えからでもわかるように理解していても悪と思う事はあるので、
理解する事を否定してるから悪と思う、ではないので、
あなたの言っている事が間違っている事がわかるはずです。
>>259 信頼できるソースからは、人間が200歳まで生きられたと言うような報告はありません。
私も聞いたことはありません。でも自分が知らないだけで有り得ないとは思いません
>では、空気や土壌の綺麗な場所では、人間は200歳まで生きれるのですか?
可能性はあります。これまでなかったからといって今後もないとは誰も言い切れません
かつて夢物語であったことが今現実になっているのは幾らでもありますよね
>すると人間の寿命は観念だけでなく、環境にも左右されるということになり「固定観念を変えれば、現実も変わる」というあなたの主張と矛盾しているように感じるのですが。
その環境(空気・水質・土壌の汚染)は人の観念が創り出していますよ
>>260 要点は「悪い観念を持てばそうなる」という考えを肯定するのか、否定するのかということです。
思考の現実化はよい悪いを判断しません。「これが世の中というものだ」と多くの人が思えば、それが現実化します
答えになってますか?
>>非常に苦しい思いをする被害者を生み出す「戦争や犯罪」を肯定する、そんな
>>基地ガイな考えは決して許す事は出来ない。
上記引用がテロリストとよく似た思考パターンであることを指摘しておきます
多くの市民が怒りをそうやって正当化し続ける限り、この世からテロリズムは無くなりません。彼らは地球人の意識の反映ですから
>戦争を無くしたいと仮定したとき、否定しない(悪としない)ということは成り立たない、という論理的矛盾について話していたのですが、それについての見解が得られず残念です。
私自身の見解を尋ねられたと思ったのでそれを答えたのですが
そうでなくとも仮定の話を現実の話と比較するのは論理的に如何なものかと
>戦争を無くしたいとは思わないのですか。残念です。
無くしたいと思ったところで戦争は無くなりませんので、無くなるように自分なりに行動しています
このスレや少年犯罪板の「怒りをコントロールする方法」もその一環です
>>261 理解する事を否定しているからではなく、理解するのに必要な犯罪者の心理に対する知識、情報、経験などを持っていないからでしょう。
何故持ってないんですか?どこかで理解することを否定したからでは?
>彼らは正しい事を信じてやっているとは思いますが、はたして彼らは間違った考えは持っていないと断定できますか?
見方次第で正しいとも間違いとも断定できます
>「悪だと思う行為と対象を理解することを否定する事はまた違う事」だと思うのです。
悪と思っているうちは、貴方は対象を理解できません。何故なら理解することを否定するから。理解しようとしても「異質なもの」という観念をますます強めるだけでしょう
>>262 前に言った質問ですが、葦さんは今問題が多いこの世の中、人間はどう生きていくべきだと考えますか?
何にせよ「べき」ものはどこにもないと思っていますが、敢えて答えるなら、まず現実体験(怒りなど)の原因を自分以外に見ないこと。そうすれば問題は問題でなくなります
>>263 自分が望まぬ物を人に勧め、その事を他人に指摘されるとしらばっくれるのが貴方なのですね?良くわかりました
人それぞれの立場・理解度に応じた助言をしているだけで、別にしらばっくれてませんよ
>その手段の異なる観点の内容(期待は裏切られる物)に疑いを掛けられているんですよ
貴方は「期待は裏切られる」とは思わないのですね?それはそれで良いことです。私は否定しませんよ
>「観念は具現化する、しかし、本当に具現化するのだろうか?」と
それは即ち「観念は時には具現化しない」という観念を持っていることになりますよね
>では貴方のこれまでにこのスレッドに書いた全ての言葉、貴方が本気で主張し、信じ、本音でいったという証拠はあるんですか?
いいえ。全て私の「口から出任せ」の可能性すらあります
>希望と確信は一緒に持つ事は可能な物ですよ
それが本当なら貴方にとって何故こうも↓現実化しないんでしょう。二度目だそうですが
>また私の思考は現実になりませんでしたね、これで二度目です
貴方の思考は常に100%現実化しています。それをそうと知らないので貴方には見えてないだけで
>>264 100%現実化する「世界チャンピオンになれる」と「世界チャンピオンではない」という思考、二つがぶつかり合った時どうなるでしょう?
どちらかが現実化します
>ちなみに「矛盾」の説話では最強の盾と矛、両方粉々に砕け散りそんな物は存在しないという結論になりました
砕けるだけでなく「どちらも互いを破壊できず存在し続ける」という結論もアリですよね
>なぜ自分で意思疎通の手段として役に立たない物と定義した言葉を使う事が出来るのですか?
意思疎通の手段として役立てようと自分で決めたからです
>だから肯定している貴方にとってということになりますよ
それが、貴方から見た「思考は現実化」の解釈なのでしょう
>それは関係ないでしょう、対象を否定しても「私はそれを変えられる」と信じ、そうなる様に思考して実際に変えてしまえることは出来るのですから
それが本当なら、何も言うことはありません
>>265 「貴方の現実は貴方の観念が原因だ」というのはその隔たりを確認していると言う事
人それぞれ感じ方捉え方は異なる、という当たり前の事にお互い気付いた訳ですよね。「隔たり」の代わりに「互いの尊厳」は確認できないんですか?
>確認できるから隔たりがあると言う事をいったんですよ
隔たりを見たいから、それが見えてるんでしょう。共通部分に目をやらずにいるから
>第三者は「それぞれ違う現実を主張している二人」を認識しています
現実が各人によって異なるのは当たり前。貴方はそれを隔たりと呼んでいるだけです
>そして同じ現実を共有している多数派の人達からは狂人として見られてしまいますよ、という事です
私は自分が多数派なら二人を「狂人」とは見ません。「個性」と見ます
貴方の世界観では狂人かも知れませんが、私は違います
>>266 だから「理解すれば悪とは思わなくなる」といっていますが
言葉足らずで申し訳ありませんが、私は「理解してない人は全て理解してない対象を悪と思う」とは言っていません
主旨は「人は理解できないものを悪と定義しがちだ」です
>>268 >>269 >>272 回答有難うございました。
すぐに悪と決め付ける事はせず、まずは理解してみようという事を頭にいれておきたいと思います。
>まず現実体験(怒りなど)の原因を自分以外に見ないこと。そうすれば問題は問題でなくなります
なるほど。参考にしてみようと思います。
>>271 >ちなみに「矛盾」の説話では最強の盾と矛、両方粉々に砕け散りそんな物は存在しないという結論になりました
砕けるだけでなく「どちらも互いを破壊できず存在し続ける」という結論もアリですよね
それは盾の勝ちだと思う・・・
>>272 >そして同じ現実を共有している多数派の人達からは狂人として見られてしまいますよ、という事です
私は自分が多数派なら二人を「狂人」とは見ません。「個性」と見ます
貴方の世界観では狂人かも知れませんが、私は違います
個性といったって、地球は丸いんですよ。そう考えた方が辻褄が合う。
四角だ三角だというのが個性というのか。
>>270 >人それぞれの立場・理解度に応じた助言をしているだけで、別にしらばっくれてませんよ
それで助言を受けた人が不幸だと感じる結果になるであろう事が
目に見えて解っていても?助言を受けた人は信じたい、期待したい、報われたいと
思っていたんですよ?貴方がした助言はその可能性を摘み取るだけの事でしたよ
「期待は裏切られる、嫌ならば、期待するな」と
>それは即ち「観念は時には具現化しない」という観念を持っていることになりますよね
「観念は具現化する、しかし、本当に具現化するのだろうか?」
これのどこがですか?「するのだろうか」が現実になっても「したのだろうか」ですよ
「観念は具現化した、しかし、本当に具現化したのだろうか?」
しないなんて言葉どこにありますか?
>いいえ。全て私の「口から出任せ」の可能性すらあります
そうですか〜、では
「私は貴方の主張の真偽を確かめたい、だから実験を受けて欲しい
だから私の実験を貴方が受けてくれるように思考する」
これは状況証拠として不十分ですか?また不十分であるならその理由と証拠は?
>貴方の思考は常に100%現実化しています。それをそうと知らないので貴方には見えてないだけで
現実化してるのなら貴方は実験を受けてくれてるはずなんだけどなぁ
まだまだ私は思考を続けます、貴方は私の実験を受ける
>どちらかが現実化します それではどちらかの100%具現化する思考は現実の物とならず 貴方の「思考は現実化する」は偽であるという証明になりますね >砕けるだけでなく「どちらも互いを破壊できず存在し続ける」という結論もアリですよね いいえ、この場合、破壊されず矛を跳ね返した最強の盾が存在する事になります 矛は貫く事も出来ず、破壊もされない根性無しのヘッポコ矛です >意思疎通の手段として役立てようと自分で決めたからです >情報を如何に解釈し如何に活用するかは100%読者の自由と考えています ↑の時点でも言葉は存在してますよね、なぜですか? >それが、貴方から見た「思考は現実化」の解釈なのでしょう どうなんでしょうね?さて 「思考が現実になるのなら、観念の変革も過去の観念の思考に左右され 今の観念の有様は過去の観念の思考に支配されている事になります」 これを否定すれば「思考は現実化する」を否定する事になるのは解りますか?
>人それぞれ感じ方捉え方は異なる、という当たり前の事にお互い気付いた訳ですよね。「隔たり」の代わりに「互いの尊厳」は確認できないんですか? ゴメンナサイ、砕けた書き方の方が例文としても特徴立てられるかなと思ったのでつい >隔たりを見たいから、それが見えてるんでしょう。共通部分に目をやらずにいるから 貴方の言ってる事はボールの色の違いについての問題に取り組んでいるのに 「大きさは同じです」というような発言ですよ >現実が各人によって異なるのは当たり前。貴方はそれを隔たりと呼んでいるだけです そうですよね、でも皆が歩み寄って作り上げた共有できる現実もあるんですよ そして、そこから外れた自分だけの現実の中で生きている人には 隔たりを感じてしまいます >私は自分が多数派なら二人を「狂人」とは見ません。「個性」と見ます 貴方の世界観では狂人かも知れませんが、私は違います そうですか、でも一般的にそういう方は病人として扱われますよね、哀しい事に 貴方にとって人と共有できない自分だけの世界の中で生きるのは当たり前なんですね 何度貴方は「それが貴方にとっての現実です、現実になるだけです」と言いました? 結構な数を言ってるような気がします その分だけ私達と共有できる現実が無いと言ういう事ですよね、何だか寂しいです でも貴方はそれで満足だって言ってましたね、強い方は羨ましいです、とっても
>>267 >>可能性はあります。これまでなかったからといって今後もないとは誰も言い切れません
かつて夢物語であったことが今現実になっているのは幾らでもありますよね
「これまでは」200歳まで生きられた人はいないんですね?
では、今までに200歳まで生きたいという観念を持った人がいたとしても
それが叶わず死んでしまった、ということですよね?
つまり、200歳まで生きたいという観念を持ったにも関わらず、それが具現化しないで
死んでしまった人間がいるなら、観念は必ずしも現実化しないということになりますが
どうでしょうか?
>>274 それは盾の勝ちだと思う・・・
あそうか。では両方砕ける場合は矛の勝ちですよね。盾は壊されたんですから
>>275 個性といったって、地球は丸いんですよ。そう考えた方が辻褄が合う。四角だ三角だというのが個性というのか。
個性です。世界観は人それぞれ
争いを起こすのは常に個性を認めない者同士です
>>276 それで助言を受けた人が不幸だと感じる結果になるであろう事が目に見えて解っていても?
何故それが分かるんですか?裏切られて苦しんでいる人が少なくとも裏切られることがなくなるかも知れないのに
>「観念は具現化した、しかし、本当に具現化したのだろうか?」 しないなんて言葉どこにありますか?
現在形を過去形に変えても同じです。具現化したことに疑問があるうちは「時には具現化しない」と思っている証拠です
>「私は貴方の主張の真偽を確かめたい、だから実験を受けて欲しいだから私の実験を貴方が受けてくれるように思考する」
>これは状況証拠として不十分ですか?また不十分であるならその理由と証拠は?
不十分でないですが混乱の元です。私の思考が影響しますので
私の主張の真偽は貴方自身が実験台となって確かめるのが一番ですよ。ネタは貴方が体験する全てです
>現実化してるのなら貴方は実験を受けてくれてるはずなんだけどなぁ
それが只の希望的観測であるうちは無理だと思います
>>277 それではどちらかの100%具現化する思考は現実の物とならず貴方の「思考は現実化する」は偽であるという証明になりますね
世界チャンプでないうちは「世界チャンプでない」が現実化していますよ
>↑の時点でも言葉は存在してますよね、なぜですか?
貴方が画面に見える白黒模様を見て「言葉が存在している」と認識しているからではないでしょうか
>これを否定すれば「思考は現実化する」を否定する事になるのは解りますか?
よく分かりませんが、否定されたところで否定した人が「思考は現実化しない現実」を体験するだけであることは分かっています
>>278 貴方の言ってる事はボールの色の違いについての問題に取り組んでいるのに「大きさは同じです」というような発言ですよ
ええ、そういう発言をしているんですよ
>でも皆が歩み寄って作り上げた共有できる現実もあるんですよ
「言葉」などがそれでしょうね。でも共有していると各人が主観で思っているだけですけどね
>そして、そこから外れた自分だけの現実の中で生きている人には隔たりを感じてしまいます
疎外感や孤独感は幻想です。貴方は常に全体と一つ
一つである事を確認できない人が、一体化や連帯感を求めるのでしょう
(続き)>でも一般的にそういう方は病人として扱われますよね、哀しい事に
それは貴方の個人的主観です。疎外感への不安が主観を客観化させているのでしょう
>貴方にとって人と共有できない自分だけの世界の中で生きるのは当たり前なんですね
客観は「共有された主観」に過ぎません。それが、当たり前です
>その分だけ私達と共有できる現実が無いと言ういう事ですよね、何だか寂しいです
今はまだ貴方が私の価値観を私と共有できていないので、そう見えるのでしょう
>>279 「これまでは」200歳まで生きられた人はいないんですね?
それを断定できる人はいるんでしょうか。かつて生滅した全ての人を観察した人がいるなら別ですが
>200歳まで生きたいという観念を持ったにも関わらず、それが具現化しないで死んでしまった人間がいるなら、観念は必ずしも現実化しないということになりますが
「〜したい」という観念は必ずしも実現しません。何故なら「〜したい」という観念が存在するためには「現状は〜でない」という観念がなければならないからです
金が欲しい、有名になりたい、なども同様。この辺はマーフィーの法則が上手く説明してますよね
>>282 >>「〜したい」という観念は必ずしも実現しません。
なんだ、やっぱり実現しないんですか
これまでの書き込みを見てたら、いかにもできそうな口調でしゃべるもんですから
ついできるのかと思ってしまいました。
では
>>192 の
>>思考は常に100%現実化します。「60%しか現実化しない」と思えば
それがそのまま100%現実化します(つまり60%だけ現実化する経験をする)
というのは嘘ですか
がっかりだなあ・・・。
あぁ、もったいない。 スレ主が物事の限界を理解するようになったらいいスレになると思う。 普通に生きる分には観念の具現化にすぎないと言い切ることで、 苦しみからの解放や人のためになるスレにもなれると思うのだが。
>>284 それに気づくときは自分の傲慢さに気づくときだから、とうぶん今のままでしょう。
>>280 >何故それが分かるんですか?裏切られて苦しんでいる人が少なくとも裏切られることがなくなるかも知れないのに
何故それがわかるかって?本人によってそういう書き込みがあったからです
「期待は裏切られる」という思考は貴方が助言した物ですよ、
本人がそれを受け入れれば必ず裏切られる事になります
裏切られるから期待するなと言ってるんでしょ?それ裏切られるって言ってますよ
>現在形を過去形に変えても同じです。具現化したことに疑問があるうちは「時には具現化しない」と思っている証拠です
「時には具現化しない」は確信であって疑問とは違いますよ
「するのだろうか」で持っている証拠となるのは
「時として具現化しないかもしれない」という疑問です
先ほどの例は具現化してもしなくても疑問は確信とは別に疑問として残るという事です
「なりたい」で具現化するのは「なりたい」であるというのは納得できてもこれは無理ですか?
>不十分でないですが混乱の元です。私の思考が影響しますので
私の主張の真偽は貴方自身が実験台となって確かめるのが一番ですよ。ネタは貴方が体験する全てです
証拠として不十分でないなら信じてくれても良いでしょう、私は単純に「確信」を思考してます
混乱とはどういうことですか?思考が影響するとはどのようにですか?
>世界チャンプでないうちは「世界チャンプでない」が現実化していますよ そのときは「世界チャンプになれる」が確認できませんから無効ですよね また、世界チャンプになったとき「世界チャンプでない」は現実にはなりませんから これは「思考は具現化する」の偽の証明になります >あそうか。では両方砕ける場合は矛の勝ちですよね。盾は壊されたんですから いいえ、矛の勝ちでもありません、貫き通す事によって勝ちは証明されるから 相手を破壊しても、自分が破壊されては結果は互角という事になります >貴方が画面に見える白黒模様を見て「言葉が存在している」と認識しているからではないでしょうか 文字の事を言ってるんですね、文字は言葉を記号化したものであるから 貴方にとって言葉が存在しないものならそれを文字にする事も出来ません >よく分かりませんが、否定されたところで否定した人が「思考は現実化しない現実」を体験するだけであることは分かっています 分ってもらわないと議論が出来ないので何度でも書きます 過去の観念によって現在の観念への変革が行われます その変革の内容は過去の観念の思考がそのまま具現化されたものであるから 現在の観念は過去の観念によって作られる物である これはどうですか?分りますでしょうか?
「言葉」などがそれでしょうね。でも共有していると各人が主観で思っているだけですけどね >客観は「共有された主観」に過ぎません。それが、当たり前です 確かにその通りです、でもだからこそ同じ物をみて分かり合えるように努力しているんです 貴方はどんなに努力しても主観は主観である事に変わりは無いから 自分が望む物を見れていれば良いというのが貴方の主張ですよ、今の所 >疎外感や孤独感は幻想です。貴方は常に全体と一つ 一つである事を確認できない人が、一体化や連帯感を求めるのでしょう つまり貴方は「我こそが全て」と言ってるのですね 貴方が死ねば貴方の思考も無くなりこの世も無くなりますか? >それは貴方の個人的主観です。疎外感への不安が主観を客観化させているのでしょう 社会と共有された主観でもあります、そして社会がそういう方を 病人と認識すると言ってるんです
>>280 もう一個言いたい事がありました
>何故それが分かるんですか?
貴方は自分で助言をした相手が何を望んでいたかも分らなかったんですか?
はっきりと自分の望む事を書いていましたよ
それでいてよく助言が出来ましたね
相手の立場や理解度に応じて助言の内容を選択しているなんてよく言えましたね
相手のことを理解していなかったのは貴方のほうじゃ無いんですか?
>>283 >>思考は常に100%現実化します。「60%しか現実化しない」と思えばそれがそのまま100%現実化します(つまり60%だけ現実化する経験をする)
>というのは嘘ですか
いえ、嘘ではないですよ
「実現しない」という現実が実現しているのですから
>>284 苦しみからの解放や人のためになるスレにもなれると思うのだが。
その為のスレですよ。勿論、そういうスレにするかどうかは読者の解釈次第ですが
>>286 何故それがわかるかって?本人によってそういう書き込みがあったからです
具体的に何番のレスのことですか?
>本人がそれを受け入れれば必ず裏切られる事になります
そうですね。本人が受け入れれば、ですね
>先ほどの例は具現化してもしなくても疑問は確信とは別に疑問として残るという事です
>「なりたい」で具現化するのは「なりたい」であるというのは納得できてもこれは無理ですか?
その理屈でいうなら疑問がそのまま疑問として具現化しているということですね
それが何か問題あるんですか?
>証拠として不十分でないなら信じてくれても良いでしょう、私は単純に「確信」を思考してます
信じる、とは何を?
(続き)>混乱とはどういうことですか?思考が影響するとはどのようにですか?
貴方は私を通してご自分の思考の現実化を確認しようとしていますので、貴方が純粋に自分の体験から学ぶよりも複雑になります(この理由、説明する必要ありますか?)
貴方の思考は私には只の願望に見えます。こうした私の思考が、貴方の体験に影響を与えています
>>287 そのときは「世界チャンプになれる」が確認できませんから無効ですよね
>また、世界チャンプになったとき「世界チャンプでない」は現実にはなりませんから
>これは「思考は具現化する」の偽の証明になります
幾らなんでも、互いに矛盾した命題が同時に具現化されることはないと思いますが(←という思考が具現化していることは一応言及しておきます)
>いいえ、矛の勝ちでもありません、貫き通す事によって勝ちは証明されるから
>相手を破壊しても、自分が破壊されては結果は互角という事になります
説話では「対戦後に自らが存在するか否か」を勝敗の基準にしていないと思いますよ
盾を売る名目は「どんな矛にも壊れない盾」ですから、壊れた時点で、盾の負けです
それに「貫き通す」即ち「破壊する」が矛にとっての勝ちの基準ですし
>貴方にとって言葉が存在しないものならそれを文字にする事も出来ません
そうですね
>過去の観念によって現在の観念への変革が行われます
現在の観念への変革を行うのは過去の観念だけなんですか?
>>288 貴方はどんなに努力しても主観は主観である事に変わりは無いから
>自分が望む物を見れていれば良いというのが貴方の主張ですよ、今の所
「自分の望むものを見てれば良い」とは主張してませんよ
「人は自分の望むものを見がちな生き物だ」という主張ならしてもいいですが
>つまり貴方は「我こそが全て」と言ってるのですね
いいえ
>貴方が死ねば貴方の思考も無くなりこの世も無くなりますか?
死んだことがないので分かりません
>社会と共有された主観でもあります、そして社会がそういう方を病人と認識すると言ってるんです
と、貴方の主観で思っているだけです
客観という概念すら、貴方の主観で解釈しています。「これが客観というものだ」と
>>289 はっきりと自分の望む事を書いていましたよ
何番でですか?
>相手のことを理解していなかったのは貴方のほうじゃ無いんですか?
私は私の主観で、相手を理解しているつもりです。貴方と同じように
助言が適切でなければ、相手からそれ相応の返答がありますし
>>290 >>いえ、嘘ではないですよ
「実現しない」という現実が実現しているのですから
× 現実が実現しているのですから
○ 思考が実現しているのですから
だと思いますが。
それはともかくとして、「〜したい」という観念は
「現状は〜でない」という観念がなければ存在できないために
必ずしも実現しないんですよ
だから、「思考は常に100%現実化する」という命題は偽でしょう
つまり、嘘と言う事になるんじゃないですか。
>>290 >具体的に何番のレスのことですか?
>何番でですか?
これ等のレスです
>>43 困っている人を助けたつもりでも、相手にとっては不快な事だったらどうしよう
>>46 私は、自然に人を思いやって、それで自分も救われたいです。計算などではなくて。
>>54 人に心を開く事もなく、でも人を心から信じたいとも思い
>>70 私自身は、過去に人にだまされたとかそういった記憶はないので、人を信じたいです
>>70 私は、人を疑う事を、正しい事だなんて一度も思ったことがありません
43=46=54=70です、43のはちょっと分り難いかもしれませんが
自分の行為が相手にとって不快な事でないことを期待していますね
これ等のレスに信じたい、期待したい、報われたい(救われたい)と書かれてませんか?
>私は私の主観で、相手を理解しているつもりです。貴方と同じように
助言が適切でなければ、相手からそれ相応の返答がありますし
上に書かれているレスを読んで貴方は相手を理解し、
助言が相手にとって適切であったと言えますか?
>そうですね。本人が受け入れれば、ですね
その結果、本人が不幸だと感じる結果になっても良いのですか?
貴方の助言を受け入れたからそうなったんですよ
>その理屈でいうなら疑問がそのまま疑問として具現化しているということですね それが何か問題あるんですか? 「思考は具現化するのだろうか」という疑問によって持っていることが証明されるのは 「思考は時として具現化するのだろうか」という疑問であって 「思考は時として具現化しない」という確信とは無関係であり そして、無関係であるが故に確信と疑問を一緒に持つ事は可能であると言う事です 後、これで貴方の 「思考は具現化するのだろうかと言う疑問は時として具現化しないという確信から生じている」という思考は現実のものとならず 「思考は現実化する」と言う主張は偽である事の証明になりました >信じる、とは何を? 貴方が私の実験を受けると思考するのが願望でなく只の思考であることです そのための状況証拠も不十分ではないのでしょ? >貴方は私を通してご自分の思考の現実化を確認しようとしていますので、貴方が純粋に自分の体験から学ぶよりも複雑になります(この理由、説明する必要ありますか?) 貴方の思考は私には只の願望に見えます。こうした私の思考が、貴方の体験に影響を与えています 複数人の間での思考は互いに打ち消しあう事もあり実現しない事もあるという事ですか? それは下の所でも取り上げている「矛盾」の話が当てはまるのでは?
>幾らなんでも、互いに矛盾した命題が同時に具現化されることはないと思いますが(←という思考が具現化していることは一応言及しておきます) では矛盾した命題が同時に具現化すると思考したらどうでしょう? 思考が現実化するのなら両方同時に具現化するはずです でもそうすると世界チャンプであるのに世界チャンプでないという事態が起こるのですが・・・ どうでしょう?矛盾した命題が同時に具現化すると思考したとき それは現実になるんですか?ならないのですか? (一応言及して置きますが、貴方の思考についてではなく そう思考した場合どうなるか聞いているんですからね) >説話では「対戦後に自らが存在するか否か」を勝敗の基準にしていないと思いますよ 盾を売る名目は「どんな矛にも壊れない盾」ですから、壊れた時点で、盾の負けです それに「貫き通す」即ち「破壊する」が矛にとっての勝ちの基準ですし 矛の「貫き通す」は「破壊する」とは違います、盾を破壊しても矛自体が盾の向こう側に 突き抜けなければ貫き通したとは言えません 矛が破壊された時点でそれは不可能なのでその時点で矛も負け 盾は壊れた時点で負けです 結果、両者最強の証明を立てることができずそんな物は存在しないと言う結論です >そうですね なら、なぜ言葉、そして言葉を記号化した文字が存在するのでしょう? 貴方にとって存在しなければここに書き込む事さえ不可能な筈です >現在の観念への変革を行うのは過去の観念だけなんですか? 「体験は観念によって具現化する」が真であるならばそう言わざるを得ません だって体験する全ての事が観念によって具現化された物なんですから 私はそんなの真平ごめんですけど肯定する貴方にとって現実なんでしょう
>「自分の望むものを見てれば良い」とは主張してませんよ 「人は自分の望むものを見がちな生き物だ」という主張ならしてもいいですが あなた自身がそれで満足だって言ってましたよ、それは 「人は自分の望むものを見がちな生き物でいて良い」と言う事なのでは? >と、貴方の主観で思っているだけです 客観という概念すら、貴方の主観で解釈しています。「これが客観というものだ」と いえ、客観とは言ってませんよ、主観は主観です ですが大勢の人間の主観の相互認識の中で そういう方は病人として取り扱われますよと言ったんです
>>293 × 現実が実現しているのですから ○ 思考が実現しているのですから
あ、そうですね。ご指摘有り難うございます
>「〜したい」という観念は「現状は〜でない」という観念がなければ存在できない
ために必ずしも実現しないんですよ
その通りですよ
>だから、「思考は常に100%現実化する」という命題は偽でしょう
「だから」の使い方がよく分かりませんが、いずれにせよ「現状は〜でない」という
観念が現実化してますよね
>>294 これ等のレスに信じたい、期待したい、報われたい(救われたい)と書かれて
ませんか?
書いてますね
>上に書かれているレスを読んで貴方は相手を理解し、助言が相手にとって適切で
あったと言えますか?
適切だと思わなければ助言しませんが、本当に適切かどうかは相手が判断することだ
と思います
>その結果、本人が不幸だと感じる結果になっても良いのですか?
>貴方の助言を受け入れたからそうなったんですよ
助言を受け入れて不幸になったんですか?それは何番で分かるんですか?
>>295 「思考は具現化するのだろうか」という疑問によって持っていることが証明さ
れるのは「思考は時として具現化するのだろうか」という疑問であって「思考は時と
して具現化しない」という確信とは無関係であり
無関係なんですか?疑問に思う原因は「時として具現化しない」可能性を捨てていな
いからに他ならないのに(そうでなければ何故疑問に思うんでしょう)
>そして、無関係であるが故に確信と疑問を一緒に持つ事は可能であると言う事です
そういう観念を持っていればそれが現実化するでしょう
>「思考は現実化する」と言う主張は偽である事の証明になりました
証明されたのは寧ろ「人は自分が見たい現実を見る」ということではないでしょうか
>>信じる、とは何を?
>貴方が私の実験を受けると思考するのが願望でなく只の思考であることです
私は今のところ「貴方の思考が現実化していないのは貴方が本気で思考しなかった結
果だ」と思っています。何故ならこれを覆すような論証が見えないから。自分に嘘は
付けません
>複数人の間での思考は互いに打ち消しあう事もあり実現しない事もあるという事で
すか?
>それは下の所でも取り上げている「矛盾」の話が当てはまるのでは?
矛盾の話のどの部分が当て嵌まるんですか?
>>296 では矛盾した命題が同時に具現化すると思考したらどうでしょう?
>思考が現実化するのなら両方同時に具現化するはずです
>でもそうすると世界チャンプであるのに世界チャンプでないという事態が起こるのですが・・・
起こると思考すれば起こりますよ
起こってないのなら、本気で思考していない証拠です
「思考」と「観念」がごっちゃになっているようですので、今後はスレタイにある「観念」に統一したいなーと思うのですが如何でしょう。思考は観念の働き(結果であり体験のうち)ですので厳密に言うと大元は「観念」なのです
>矛の「貫き通す」は「破壊する」とは違います、盾を破壊しても矛自体が盾の向こう側に突き抜けなければ貫き通したとは言えません
説話では「どんな盾も貫き通す矛」が売りの名目だったんですか?
ならば盾は「どんな矛も貫き通さない盾」が売りの名目になりますね(そういう説話ですから)
すると貴方が最初に仰ったように「両方砕けた」のなら、盾の勝ちになります
>盾は壊れた時点で負けです
いえ、少なくとも「貫き通さなかった」のですから、名目通りになった盾の勝ちです
「破壊する」と「貫き通す」を別々に考えるなら売りの名目から統一しなければ、それこそ説話そのものが矛盾します
>なら、なぜ言葉、そして言葉を記号化した文字が存在するのでしょう?
>貴方にとって存在しなければここに書き込む事さえ不可能な筈です
画面の白黒模様を言葉と認識しているからではないでしょうか
>だって体験する全ての事が観念によって具現化された物なんですから
>私はそんなの真平ごめんですけど肯定する貴方にとって現実なんでしょう
そうですね。「過去を顧みるという体験」すら常に現在の観念が具現化していますから
貴方も、過去を振り返る時は「現在の観点・価値基準」で見ているでしょう?
>>297 あなた自身がそれで満足だって言ってましたよ、それは
>「人は自分の望むものを見がちな生き物でいて良い」と言う事なのでは?
その事で満足だと言った覚えがないのですが・・
いずれにせよ私は物事の良し悪しを判断しません。良いも悪いも限られた観点に立脚していますので
>ですが大勢の人間の主観の相互認識の中でそういう方は病人として取り扱われますよと言ったんです
個性を認めない人が多い集団の中では、そうなるでしょうね
>>298 >適切だと思わなければ助言しませんが、本当に適切かどうかは相手が判断することだ
と思います
相手の望みを叶える可能性を潰す助言が適切だと?
>助言を受け入れて不幸になったんですか?それは何番で分かるんですか?
もし受け入れたらの話です
受け入れたら貴方の助言のせいで望みを叶えられなくなるんですよ
それは不幸な状態とは言えませんか?
>無関係なんですか?疑問に思う原因は「時として具現化しない」可能性を捨てていな
いからに他ならないのに(そうでなければ何故疑問に思うんでしょう)
可能性の有無を疑っている段階ですから持つ、捨てる以前の問題です、つまり無関係です
>証明されたのは寧ろ「人は自分が見たい現実を見る」ということではないでしょうか
いいえ、貴方は確かに「思考は具現化するのだろうか?という疑問は
時として具現化しないという思考を持っている証拠」だといいました
しかしその疑問とその確信は無関係であり、貴方の思考は現実の物とならず、よって
「思考は100%現実化する」という主張は外れ、主張は偽である証明になりました
>私は今のところ「貴方の思考が現実化していないのは貴方が本気で思考しなかった結 果だ」と思っています。何故ならこれを覆すような論証が見えないから。自分に嘘は 付けません >矛盾の話のどの部分が当て嵌まるんですか? 互いに矛盾した命題「実験を受けてくれるという思考」と「それは単なる願望に過ぎない」です しかもこれは同時ですよね、 貴方は互いに矛盾する思考は同時に現実にならない、それも思考による物だと言いましたが 現実にならない思考が存在する時点で「思考は100%現実の物となる」という 主張は偽であります >起こると思考すれば起こりますよ 起こってないのなら、本気で思考していない証拠です 「思考」と「観念」がごっちゃになっているようですので、今後はスレタイにある「観念」に統一したいなーと思うのですが如何でしょう。思考は観念の働き(結果であり体験のうち)ですので厳密に言うと大元は「観念」なのです 起こったときに出来る 世界チャンプであり、世界チャンプでない状態とは本当にありえるものなんでしょうか? またその状態とはどんなものなんですか? えっと、それは思考は100%現実化するものでなくて 観念によって思考は100%影響を受けて作られるってだけの事? でも思考は100%現実の物となるとも言ったしなぁ・・・ 変に逃げを打とうと思ってらっしゃるのなら 言い訳をせず主張の限界を認めたほうが格好いいですよ あと、観念によって思考は100%影響を受けて作られるってだけの話だったら 全然文句はありません
304 :
考える名無しさん :04/02/05 20:36
>説話では「どんな盾も貫き通す矛」が売りの名目だったんですか? ならば盾は「どんな矛も貫き通さない盾」が売りの名目になりますね(そういう説話ですから) すると貴方が最初に仰ったように「両方砕けた」のなら、盾の勝ちになります ごめんなさい、調べてみたら破壊云々の事は全然無くて 問い詰められた商人が答えに窮したってだけでした・・・あわわ、どうしよう ・・・その場合でも破壊されない事が盾の最強の証明だったらやはり互角ですよ >画面の白黒模様を言葉と認識しているからではないでしょうか では白黒模様を打ったのは貴方ですか? 言葉が使えず勿論文字も使えない貴方が、なにかしらキーボードを叩いて この掲示板に書き込み、そしてそれを私が読み 文字として認識し、意味を解していると? 自分の非を認めるより酷い醜態を晒していますよ ・・・他の人も貴方の書き込みを見ている事をお忘れなく >そうですね。「過去を顧みるという体験」すら常に現在の観念が具現化していますから 貴方も、過去を振り返る時は「現在の観点・価値基準」で見ているでしょう? そうですね、でもその観念すらも過去の観念の思考の産物ですよ(何度繰り返すんだ?) 現在の自分の思考は自由だと思っても それは過去の観念の思考の結果作られた物による思考です
ごめんなさい、上のレスは私のです >その事で満足だと言った覚えがないのですが・・ いずれにせよ私は物事の良し悪しを判断しません。良いも悪いも限られた観点に立脚していますので 私の質問 >ループが始まります これが自分と他者とを隔てるものだと解りませんか? それで貴方はいいのですか? 「はい」か「いいえ」で答えてください 貴方はこれに満足だと答えました、他者とを隔てる物、即ち、他者と自分とが認識できる 現実が違うと言う事、それに満足だと答えたなら貴方にとって 「自分の望む物を見ていても良い」という事になりますよ >個性を認めない人が多い集団の中では、そうなるでしょうね そうですね
日本人の考え方 update
日本人は、現実を見極めようとして、現実の観察が益々細分化される。
英米が哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph. D.) 一本で学問を行うところを、我が国では、理学博士、工学博士、文学博士などいろいろと博士を拵える。
こうした、現実記録の延長線上には、哲学が無い。
つまり、日本人の励みは、英米人の学問とは対応がつかない。
考え方の根本が違っているからである。
医学部改革でも、医学の標準的な教科書には無い長い名前の講座名に変更する学校が多い。
こうした励みによっては、我々の仕事は英米の学問との対応がつかない。
日本人は、哲学博士の牙城にふさわしい大学を建設しない。
改革という言葉を合言葉にして、日本人は再び気分・雰囲気に酔い始めているのである。
「過ちは、繰り返しません」など吹く風か。日本独特などと、独自性を吹かせてはならない。
無哲学に正しい道はない。
376文字
You can read more at
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
>>298 >>「だから」の使い方がよく分かりませんが、いずれにせよ「現状は〜でない」という
観念が現実化してますよね
要するに、例え100%の思考をもっていたとしても
「〜したい」という観念は「現状は〜でない」という観念がなければ存在できない
ために必ずしも実現しない、という条件があるので
「思考は常に100%現実化する」という命題は偽ということです。
>>302 相手の望みを叶える可能性を潰す助言が適切だと?
可能性を潰すか潰さないかは本人次第です
>受け入れたら貴方の助言のせいで望みを叶えられなくなるんですよ
受け入れることを選択するのは本人なので、助言を与えた人のせいではないですよ
情報を如何に解釈し如何に活用するかは情報の受取手に全責任があります
この事は本スレのテーマにも則しますし非常に重要な事ですのでとことん議論しましょう
>可能性の有無を疑っている段階ですから持つ、捨てる以前の問題です、つまり無関係です
可能性を疑うのは少なくとも捨てていないことの何よりの証拠では?
>しかしその疑問とその確信は無関係であり、
それを結論づけるのはまだ早過ぎますよ
>>303 互いに矛盾した命題「実験を受けてくれるという思考」と「それは単なる願望に過ぎない」です
>しかもこれは同時ですよね
思考の主体が違うので互いに矛盾するのはあり得るのでは?
>貴方は互いに矛盾する思考は同時に現実にならない、それも思考による物だと言いましたが
同時に現実になると思考すれば、そうなりますよ
>現実にならない思考が存在する時点で「思考は100%現実の物となる」という主張は偽であります
貴方が「主張は偽だ」と思考しているからそれが現実化しているだけでしょう
>起こったときに出来る 世界チャンプであり、世界チャンプでない状態とは本当にありえるものなんでしょうか?
>またその状態とはどんなものなんですか?
さぁ〜・・。私は生まれてこの方世界ちゃんぴょんというものになったことがないので何とも言えません。経験不足ですみません
>でも思考は100%現実の物となるとも言ったしなぁ・・・
ごっちゃになってましたので今後は観念に統一したいと思います。スレタイ通り
>変に逃げを打とうと思ってらっしゃるのなら
全然思ってませんよ
>あと、観念によって思考は100%影響を受けて作られるってだけの話だったら全然文句はありません
ではそれはそれでOKですね
>>304 ・・・その場合でも破壊されない事が盾の最強の証明だったらやはり互角ですよ
盾の売り名目が「どんな矛にも破壊されない盾」なら、矛の方は「どんな盾も破壊する矛」になります。すると・・・どうなることが「互角」なんでしょうか
>言葉が使えず勿論文字も使えない貴方が、
言葉も文字も使えない私が、こうして貴方と意思疎通が取れるのでしょうか?
>自分の非を認めるより酷い醜態を晒していますよ
貴方が何かを勘違いされているだけだと思いますよ
>そうですね、でもその観念すらも過去の観念の思考の産物ですよ(何度繰り返すんだ?)
この↑観念は、現在の思考の産物ではないんですか?今考えているんですから
>>305 貴方はこれに満足だと答えました、他者とを隔てる物、即ち、他者と自分とが認識できる現実が違うと言う事、それに満足だと答えたなら貴方にとって「自分の望む物を見ていても良い」という事になりますよ
やはり積極的に良いとは思いませんが、悪いとも思いません。貴方は悪いと思っているのですか?
>>307 要するに、例え100%の思考をもっていたとしても
>「〜したい」という観念は「現状は〜でない」という観念がなければ存在できない
>ために必ずしも実現しない、という条件があるので
>「思考は常に100%現実化する」という命題は偽ということです。
その命題は偽であるという観念が、具現化されているようですね
>>308 >可能性を潰すか潰さないかは本人次第です
>受け入れることを選択するのは本人なので、助言を与えた人のせいではないですよ
情報を如何に解釈し如何に活用するかは情報の受取手に全責任があります
この事は本スレのテーマにも則しますし非常に重要な事ですのでとことん議論しましょう
責任については貴方の言うとおりでしょう、ですが
貴方の助言を受け入れた時、本人が不幸だと感じる事態に陥った時
貴方は責任を感じるか感じないかということです
人間性の問題について話しているんですよ
>可能性を疑うのは少なくとも捨てていないことの何よりの証拠では?
捨ててない証拠となるのは可能性の存在に対するものです
可能性の存在を確認する事によって疑問は確信に変わります
私は可能性があるかどうかを疑い、それが疑問のまま具現化しただけですから
可能性の存在を確認していません、よって私の中で確信は成立しておらず
確信と疑問は無関係だということが言えます
>それを結論づけるのはまだ早過ぎますよ
確信と疑問が無関係である事は理解できましたか?
これによって「疑問は捨てきれぬ確信によってもたらされる物」という思考は具現化せず
「思考は100%現実の物となる」は偽である証明になりましたね
>思考の主体が違うので互いに矛盾するのはあり得るのでは?
主体は同じ「私の思考」です私は「貴方は私の実験を受ける」と思考しているとし
貴方は「貴方のその思考(私の思考)は只の願望に過ぎない」と思考しています
>貴方が「主張は偽だ」と思考しているからそれが現実化しているだけでしょう 成立した事実が命題が偽である証明の為の条件を満たしているだけです 私の思考とは関係ありませんよ もし、貴方の主張は全ての人にとって等しく偽であると思考したらどうなりますか? >さぁ〜・・。私は生まれてこの方世界ちゃんぴょんというものになったことがないので何とも言えません。経験不足ですみません 世界ちゃんぴょんになった事があるかどうかは関係ありません つまりあなたは「思考は100%現実化する」という主張を理解できていないんですね >ごっちゃになってましたので今後は観念に統一したいと思います。スレタイ通り 思考は100%現実化すると言ったのはあなた自身ですよ ごっちゃというのはこれは間違いということですか? 観念とは物事に抱く考えや意識のことです、観念によって思考がなされるのですから 観念に統一しても「観念によって100%体験が具現化される」とするのなら 今とそう変わりはありません >ではそれはそれでOKですね いいえ、かってにOKにしないでください 「観念によって影響を受けるのは自分の思考のみ」 これがないとOKにはできませんよ >盾の売り名目が「どんな矛にも破壊されない盾」なら、矛の方は「どんな盾も破壊する矛」になります。すると・・・どうなることが「互角」なんでしょうか なぜ名目を統一しなくてはいけないのです? 貫く事と傷一つつかない事を名目にした描写がありましたが・・・ 矛盾の説話では実際にぶつけてはいないのでこの辺にしておきましょう 言い出しっぺがこんなんですいませんけど
>言葉も文字も使えない私が、こうして貴方と意思疎通が取れるのでしょうか? 話を摩り替えないでください、今貴方は言葉を意味ある物としているでしょう? しかし問題にしているのはそれ以前の話です なぜ言葉も文字も使えない以前の貴方が私と意思疎通が出来たのですか? >貴方が何かを勘違いされているだけだと思いますよ そうですか〜^^勘違いだといいですね >この↑観念は、現在の思考の産物ではないんですか?今考えているんですから 思考(体験)によって観念が作られると言っていますよ?今貴方は >やはり積極的に良いとは思いませんが、悪いとも思いません。貴方は悪いと思っているのですか それでいい時(積極的にすべき時)と悪い時がありますからね、TPOによります ただ人間社会の中で生活していく上では不都合が生じますね
両方壊れたとき盾の勝ちとした1が間違いって話だったような。 盾が壊れたら名目も壊れるから俺も1が間違ってると思った。
>>311 貴方は責任を感じるか感じないかということです
責任は全く感じません
>よって私の中で確信は成立しておらず
>確信と疑問は無関係だということが言えます
貴方の中ではそうかも知れませんが、普通は97%の確信があるなら残り3%は疑問ですよね(勿論100%に近いほど実現しやすいと言えます)
>確信と疑問が無関係である事は理解できましたか?
いいえ。私の考えは上記の通りです
>「思考は100%現実の物となる」は偽である証明になりましたね
貴方が個人的主観でそう思い込んでいるだけです
ところでそろそろ具現(現実)化する方を「観念」、行為する方を「思考」に統一したいのですが・・
>主体は同じ「私の思考」です
私の思考の主体は私で貴方ではありませんよ
>>312 私の思考とは関係ありませんよ
それでも貴方の主張は全て貴方の観念の結果ですよ
>つまりあなたは「思考は100%現実化する」という主張を理解できていないんですね
貴方が私の「観念は100%具現化する」を理解していないだけでしょう
>観念とは物事に抱く考えや意識のことです
考えや意識は「観念(情報)」ではなく「思考(行為)」です
>なぜ名目を統一しなくてはいけないのです?
そうしないと説話にならないから
>>313 なぜ言葉も文字も使えない以前の貴方が私と意思疎通が出来たのですか?
私がいつ言葉が使えなかったんですか?
>思考(体験)によって観念が作られると言っていますよ?今貴方は
ああ、すみません。思考と観念をまたごっちゃにしたかも知れません
「思考(意識)」も体験のうちですから、今後は具現化することを主張するときは「観念」を用いることにします
観念が、体験を創る。常に観念が体験の原因である、これが私の変わらぬ主張です
>>315 >責任は全く感じません
貴方は凄い人ですね
助言を求める人に望まぬ結果になる可能性しか持たない助言をし、
選択したのは当人だから自分は責任無いとは・・・
私にはそんな事は無理です
>貴方の中ではそうかも知れませんが、普通は97%の確信があるなら残り3%は疑問ですよね(勿論100%に近いほど実現しやすいと言えます)
日本語分ってますか?100%だから確信と言うのですよ
違うというのなら自分で辞書で調べて見なさいな
それと私の中ではそうだといいましたね、
それは思考の主体である私にとって確信と疑問は無関係であると認めた証拠ですよ
>貴方が個人的主観でそう思い込んでいるだけです
ところでそろそろ具現(現実)化する方を「観念」、行為する方を「思考」に統一したいのですが・・
もう認めてくれましたね
「疑問は捨てきれぬ確信によって生じる物」という思考は現実になりませんでした
この場合観念といってもいいでしょう、が現実の物とならず貴方の主張は偽であるといえます
「思考は100%現実化する」と観念で認識すれば同じ事ですよ
>私の思考の主体は私で貴方ではありませんよ
ああ、貴方の言いたい事が解りました、でもいまさら何いってるんです?
実際互いに矛盾する思考によって私の思考が現実化していません、しかし
「思考は100%現実化する」ならこの事実が主張の偽の証明になりませんか?
>それでも貴方の主張は全て貴方の観念の結果ですよ 私の観念が「主張は偽」である証拠は何処にありますか >貴方が私の「観念は100%具現化する」を理解していないだけでしょう 理解しているなら説明できる筈ですよ、思考が現実化したらどのような状態になるか、 どのような状態が思考が現実化した姿であるか解らないのに なぜ思考は現実化するといえるんですか? なった事が無い物であるから解らないのなら小学生ならどうですか? 「小学生であって小学生でない状態」とはどういう状態なのですか? >考えや意識は「観念(情報)」ではなく「思考(行為)」です あのさ >観念とは・・・、概念、価値観、判断基準、観点、視点、思考パターン、思い込み、思想、哲学、ともいえるかも知れません 要は貴方が「これは正しい」と思っていること じゃあ、これはなに? それに「物事に抱く考え」ですよ 自分の都合のいいように文章を切り刻むのいい加減にやめませんか?
>そうしないと説話にならないから 最強の名目を立てるのに どんな盾も貫く矛(相手に攻撃を与える為) どんな攻撃にも耐える盾(身を守る装備としての用を満たす為) これでも説話として成り立ちますよ >私がいつ言葉が使えなかったんですか? ずっと使えてましたよね、不思議ですね、 貴方の主張が正しければ言葉も文字も使えなかった筈なのに・・・ どうしてですか? >ああ、すみません。思考と観念をまたごっちゃにしたかも知れません 「思考(意識)」も体験のうちですから、今後は具現化することを主張するときは「観念」を用いることにします 観念が、体験を創る。常に観念が体験の原因である、これが私の変わらぬ主張です でしたら、過去の観念によって現在の観念が作られると言うのは納得できますね では観念の改変の歴史を辿ってみましょうか、するとどうでしょう? 最初の観念の改変を行った観念を作り出したのは原体験であることが分りました つまり「観念によって体験は具現化される」を肯定しても否定しても結局は 「体験によって観念が作られる」という事になってしまいますね
>>317 貴方は凄い人ですね
いいえ。貴方が過大評価しているだけです
>助言を求める人に望まぬ結果になる可能性しか持たない助言をし、
望まぬ結果にするかしないかは本人の選択如何です
貴方は貴方の主観で「しか〜ない」と決め付けているだけ
>100%だから確信と言うのですよ
100%確信しているなら、疑問は持たない筈ですよ
確信が僅かに揺らいで97%になった瞬間に、3%の疑問が頭によぎるのです
>それは思考の主体である私にとって確信と疑問は無関係であると認めた証拠ですよ
まさにそれが、貴方の観念が具現化し貴方の現実を創造している証拠です
>「疑問は捨てきれぬ確信によって生じる物」という思考は現実になりませんでした
貴方にとってそれが正しいなら、まさにスレタイ通りです
>実際互いに矛盾する思考によって私の思考が現実化していません、しかし「思考は100%現実化する」ならこの事実が主張の偽の証明になりませんか?
「現実化していない」と前半で貴方が述べている通りのことが、完璧に現実化しています
ところで今後は「具現化する」ものは思考でなく観念に統一したいのですが・・
>>318 私の観念が「主張は偽」である証拠は何処にありますか
貴方が何度も「主張は偽」と主張しているのが、その証拠です
>理解しているなら説明できる筈ですよ
この↑「理解している」の主語は誰を指しているんですか?
>「小学生であって小学生でない状態」とはどういう状態なのですか?
小学生が演劇で中学生を演じている状態がそれに当たるかも知れません
>自分の都合のいいように文章を切り刻むのいい加減にやめませんか?
より正確な定義を示しているだけですよ
>>319 どんな盾も貫く矛(相手に攻撃を与える為)
>どんな攻撃にも耐える盾(身を守る装備としての用を満たす為)
>これでも説話として成り立ちますよ
「攻撃に耐える」が「どんな矛にも貫かれない」を意味するなら、成り立ちますね
>貴方の主張が正しければ言葉も文字も使えなかった筈なのに・・・
私のどの主張(文言)から「私は言葉が使えない」と解釈したんですか?
>最初の観念の改変を行った観念を作り出したのは原体験であることが分りました
最初の観念を作るのが原体験なら、その観念の改変を行うのはその後受け取った「新しい観念」では?
どうやら貴方の主張が間違いであるのが証明できたみたいですね 勿論、貴方は自分自身に対して韜晦していますけど では最後の質問です 貴方の主張が全ての人に等しく偽であると観念で捉えた時どうなりますか?
>>322 どうやら貴方の主張が間違いであるのが証明できたみたいですね
間違いと見る人にとっては、間違いになります
まさにスレタイ通りに
>勿論、貴方は自分自身に対して韜晦していますけど
人は鏡ですね
>貴方の主張が全ての人に等しく偽であると観念で捉えた時どうなりますか?
捉えた人にとって、それが現実になります
324 :
考える名無しさん :04/02/09 17:55
なんだこやつらは(w
>>323 >捉えた人にとって、それが現実になります
現実になったら主張は真という事になり
偽であるという観念は現実にならず結果的に偽という事になりますよ
証明もできたし、そろそろ私も恥ずかしさに絶えられなくなってきたので
ここら辺で止めて置きます
今までの痛いレスの応酬を見て貴方の言葉を聞く人がいればいいですね^^
>>325 偽であるという観念は現実にならず結果的に偽という事になりますよ
「結果的に偽」なら「偽であるという観念」がまさに現実化しているではないですか
>そろそろ私も恥ずかしさに絶えられなくなってきたのでここら辺で止めて置きます
それが賢明な選択です
何で賢明なの?
何で1はそう思うの?その原因は?
↑イタすぎるからもーやめれ、186
186じゃないけど「鏡です」って言わせたかった。
331 :
考える名無しさん :04/02/23 21:58
ageとこう
332 :
考える名無しさん :04/02/23 22:00
ボクの楽しい妄想を具現化する方法を教えてください。
妄想自体が既に具現化です。それだと不満ですか?
やっと分かった。 個人の観念は、周囲と異なる場合、他者と干渉することによって修正されるから、個人は全てを無視する方法以外で自己の観念を具現化することはできないんだ。 つまり、人生は、ほぼ個人の観念の具現化のみではない。
335 :
考える名無しさん :04/02/27 16:13
考える葦さん、この場合の「人生体験」とは精神的な体験のことですか、 それともそれを含めた実体験のことですか?
336 :
考える名無しさん :04/02/27 16:17
麻薬もオッケー?
334は無視してください。元から僕を無視している方も。
338 :
考える名無しさん :04/02/27 16:47
おきたのか
>>335 この場合の「人生体験」とは精神的な体験のことですか、それともそれを含めた実体験のことですか?
精神的でない(精神に何ら影響を及ぼさない)体験ってあるんでしょうか
>>336 麻薬も使い方によっては良薬です
大半の人が使い方をコントロールできるようになれば徐々に緩和されるでしょうけど(その点オランダなんか進んでるなぁ)
340 :
考える名無しさん :04/02/27 17:47
現実とは心が作り出したもの。これは何千年も前から仏教でいわれてること。特に新味はない。
341 :
考える名無しさん :04/02/27 18:59
そっか。精神的でない体験っていうのはないですね。 ってことは、全て「人生体験」と言われるモノは、心が場だということですかね? あえて質問。 紅茶を飲もうと喫茶店に行ったら、 「切らしてるからコーヒーしかない」と言われたら、 この体験はどんな観念の具現化だと思いますか? あと、あんまり詳しくないながらの質問ですが、 オランダは、そのために犯罪が多いってききますが、 それでも良薬と?
342 :
考える名無しさん :04/02/28 00:15
宇宙の誕生も観念から?したらば其の観念は何処より生じたのであるか?
横レスですみません。
>>341 常識や、法律を犯してまで紅茶を飲もうとは思っても見ない貴方の観念の具現化
なのかもしれませんね。
>>342 宇宙の誕生は、まだ学説や神話乃至は宗教的な矜持であって、現実にじかに体験
したわけではありません。ここでは、「人生体験」を具体的に問題にしているの
でありましょう。それとも、貴方は誕生を「体験」されたのでしょうか?もし、
それが、夢や幻想や何らかの宗教的ビジョンであるなら、また宇宙物理学のモデル
であるなら、それは貴方の観念そのものであるということは言うまでもないことで
ありましょう。いかがでしょうか?
344 :
考える名無しさん :04/02/28 12:40
>>343 常識や、法律を犯してまで紅茶を飲もうとは思っても見ない貴方の観念の具現化
なのかもしれませんね。
紅茶が飲めなかった(諦めてコーヒーにしたとして)っていう体験についてはそうなるのかな?
その前段階の、行った店で欲しいものがなかったっていう体験についてはどう思われます?
ってここまで言ってわかった気がする。
紅茶が飲めなかったんでなくて、コーヒーが飲めたってことかな?
関係ないけど葦さん、なんでHNかえたの?もういっこのとこと違うよね?
>>341 紅茶を飲もうと喫茶店に行ったら、「切らしてるからコーヒーしかない」と言われたら、この体験はどんな観念の具現化だと思いますか?
その体験を通して本人が何を感じたか(どう反応したか)によります
体験は体験。ただの現象。意味づけを行うのは個々人ですよね
>オランダは、そのために犯罪が多いってききますが、それでも良薬と?
犯罪が多いのは麻薬が原因ではないですよ
滅多刺しの殺人事件が起こっても包丁が原因でないのと同じ
>>342 宇宙の誕生も観念から?したらば其の観念は何処より生じたのであるか?
宇宙が「如何に誕生したか」は観念からです。その観念は過去の経験から。その経験は更に過去の観念からですけど
でも宇宙そのものは、人が観念を持とうと持つまいと存在していますよね・・
>>344 関係ないけど葦さん、なんでHNかえたの
特別理由はないですよ。昔から哲学板では葦でしたけど
346 :
考える名無しさん :04/02/28 21:09
>>345 その体験を通して本人が何を感じたか(どう反応したか)によります
体験は体験。ただの現象。意味づけを行うのは個々人ですよね
そうですね。体験と現象、混同させてました。
では、観念が現象に及ぼす影響についてはどう考えますか?
犯罪が多いのは麻薬が原因ではないですよ
滅多刺しの殺人事件が起こっても包丁が原因でないのと同じ
それはそうなんだけど、アメリカの銃のこととかあるでしょう。
そう考えると、影響あるとも思うんだな。
とりあげてしまう事が根本的な解決法でないとは思うけどね。
根本的な解決法に心当たりありますか?
あ、挑戦的に聞こえてる?そういうつもりはないんですよ。
「鏡」だし大丈夫かな。(←コレも嫌味じゃないよ!念のためっ)
>346 では、観念が現象に及ぼす影響についてはどう考えますか? 例えば? >根本的な解決法に心当たりありますか? 原因は全て観念、従って心の中にあります 道具や他人など自分以外に原因を見出しているうちは根本的解決にはならないでしょう
348 :
考える名無しさん :04/02/29 16:12
2ちゃんで言われても困るよな
349 :
考える名無しさん :04/02/29 16:37
>347 例えば? 思ったことが本当になるってよくいうでしょ。 ほんとに起こるんだって強く信じたらそうなるって。 私はそのことと、葦さんの「人生体験は〜」っていうのをいっしょくたにしてたんですよ。 だからこっちについてはどう考えるのかなと思って。 >原因は全て観念、従って心の中にあります 道具や他人など自分以外に原因を見出しているうちは根本的解決にはならないでしょう そうですね。そう思う。 でも、じゃあ、どういうやり方が根本的解決法だと思いますか? ほんとのほんとはあらゆる規制が不必要なんだろうけど。実際はそうなってないし。 でも、こういう場では極論を言うのがやっぱ解決への近道なのかもしれないですね。 極論て言うと違うかな・・・分かりますか?言いたい事。
350 :
考える名無しさん :04/02/29 17:00
ロクな人生歩んでねーな
351 :
考える名無しさん :04/02/29 17:22
考える葦さんって、何者なの?
ヒトラーの千年王国も、麻原も途中で挫折しちゃったね。 具現化失敗しているようだ。観念が足りなかった?w
353 :
考える名無しさん :04/02/29 20:04
ヒトラーも麻原も「挫折する」という観念を持っていてそれが具現化しただけ または ヒトラーも麻原もあなたの観念の具現化 または ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マネーの錬金術ですよ皆さん
>>349 私はそのことと、葦さんの「人生体験は〜」っていうのをいっしょくたにしてたんですよ。
大体一緒くたでいいですよ。ある観念を強く信じれば(信念)、それは現実化します
ただ本来なら、現実化すると知っているならわざわざ「信じる」必要もないのですが
>ほんとのほんとはあらゆる規制が不必要なんだろうけど。実際はそうなってないし。
確かにあらゆる規制は元来不必要(元々無い)ですね。大衆が自立するに伴って少しずつ必要なくなるでしょう
>極論て言うと違うかな・・・分かりますか?言いたい事。
理想論に見えるってことですか?
>>352 具現化失敗しているようだ。観念が足りなかった?w
足りないですねー。やり方が幼稚ですし
隠れたりせずに堂々と「全て私の責任。弟子に罪はない」と豪語してくれたらもちっと面白かったのに
確信しているからといって、其れが現実化するとは限らないと思います。 人の確信は外的要因によって崩れ去りうる物ですから。 ただ確信している場合、其れが意識的、無意識的に関わらず、 外的障害が許容値内であれば、観念の現実化が確信していない場合より、 容易なことは確かだと思います。 ただ外的障害が許容値を超えた場合、確信している場合の方がより 心的・肉体的打撃を受けることは確かでしょう。 観念と体験は相補的です。 どちらが原因で、どちらが結果、と切り分けれる物ではないと思います。 ただ上記意見を一種の「観念」とし、 その観念があるが故にそうなっているのだ、となるともはや言う事はありません。 なぜなら証明も否定もできませんから。 外世界認識手段の一つとしてはアリなのかもしれませんね。
「観念が原因で体験が結果」は認めます。 しかし、無意識が観念を左右するのが人生であると僕は思います。 僕は無意識的に痛みを感じ、夢を見る。また、そのために、息を吸わなければ苦しいと思うし、寝ようとも思う。 僕の意思を左右する無意識は、僕自身だといえます。 無意識そのものが観念による結果でも、その結果である自分の一部としての無意識を失う事を死として恐れてしまう為に、純粋に「観念が原因で体験が結果」である状況に至れないのではないでしょうか?
>>355 俺は352じゃないけど、
冗談でもよくそんなことがいえるね。
彼らは足りなかったわけではない。
お前は自分と比べて彼らが足りないと感じただけ。
堂々と「全て私の責任。弟子に罪はない」と豪語したところで、何が面白くなるというんだ。
面白いのはお前だけ。足りないと思うのもお前だけ。幼稚なのはお前も同じ。
359 :
考える名無しさん :04/03/01 20:35
>>355 確かにあらゆる規制は元来不必要(元々無い)ですね。
大衆が自立するに伴って少しずつ必要なくなるでしょう
では、「大衆の自立」に必要なことは何だと思いますか?
>理想論に見えるってことですか?
そういうことかも。でもそれを否定したら始まらんですからね。
>大体一緒くたでいいですよ。
大体ということは、違う部分もあるということですよね。
それはどういうところだと考えてますか?
要するに合理化だね。 結果に対して、考え方を無理矢理変えて納得しておこうというやつですね。 それはそれでいいでしょうが、進歩はしませんね。 世の中を変えているのは、行動ですからね。
361 :
考える名無しさん :04/03/01 23:28
散歩してたら頭の上に看板が落ちてきて死んだ奴がいるが、こういうのも観念の 具現化なのかね?
>>356 確信しているからといって、其れが現実化するとは限らないと思います。
それ↑もまた、そういう観念を持っている人にはその通りに現実化します
>人の確信は外的要因によって崩れ去りうる物ですから。
外的要因によって崩れないほどの確信を持ちそれを現実にした人の例はありますよね
>観念と体験は相補的です。
>どちらが原因で、どちらが結果、と切り分けれる物ではないと思います。
因果は同時です。究極的には
ただここでは「過去の体験が今の自分の原因だ」と言い訳しがちな人に向けて、敢えて逆を主張しています
固定観念を刺激するきっかけになればいいかなと
>ただ上記意見を一種の「観念」とし、
>その観念があるが故にそうなっているのだ、となるともはや言う事はありません。
おっと、言及されてたんですね^^;
意見というものは必ず観念から生じますよね
>>357 僕は無意識的に痛みを感じ、夢を見る。また、そのために、息を吸わなければ苦しいと思うし、寝ようとも思う。
生理現象は確かに観念ではなかなか左右できないですね
ただし体を動かさずに念じるだけで心拍数を下げたり上げたりくらいは訓練でできるようになりますし、眠気もある程度コントロールは可能です。極端な話投薬や手術で身体を操るのも観念次第
>僕の意思を左右する無意識は、僕自身だといえます。
無意識は意思を左右できるが、意思は無意識を左右できない、と?
>無意識そのものが観念による結果でも、その結果である自分の一部としての無意識を失う事を死として恐れてしまう為に、純粋に「観念が原因で体験が結果」である状況に至れないのではないでしょうか?
無意識をコントロールできないとすれば、コントロールできないものを自分自身(の一部)と言えるんでしょうか
>>358 お前は自分と比べて彼らが足りないと感じただけ。
はい。足りないと感じたからそう述べました
>面白いのはお前だけ。足りないと思うのもお前だけ。幼稚なのはお前も同じ。
確かに面白いも足りないも幼稚だも私の個人的主観に過ぎません
私に幼稚な面が無ければ彼らを幼稚だとは思わないでしょうしね
>>359 では、「大衆の自立」に必要なことは何だと思いますか?
時間ではないでしょうか。取り敢えず
>大体ということは、違う部分もあるということですよね。
>それはどういうところだと考えてますか?
ん〜どこでしょう。人によって定義は違いますから何とも言えません
誰かが
>>1 を読んでどこか違和感や矛盾を感じるとしたらそこがその人にとっての「違う部分」かも知れません
>>360 結果に対して、考え方を無理矢理変えて納得しておこうというやつですね。
無理矢理変えて自分を騙しても、潜在意識は騙せませんけどね
>世の中を変えているのは、行動ですからね。
その行動を決めているのは個々人の観念ですよね
大概は無意識に選んでいるから分かりにくいですが
>>361 散歩してたら頭の上に看板が落ちてきて死んだ奴がいるが、こういうのも観念の具現化なのかね?
「私は看板に当たって死んだりしたくない」という観念を持って散歩している人なら、その観念が強いほど危険を避けられる可能性が高まります
そんな観念を持たない人の場合(「人間死ぬ時は死ぬ」と覚悟のある人や「いつ死んでもいい」と思っている人)は、油断している分、突発的な現象に対して予防も対応もそれなりになるでしょう
大概の人は「偶然や運が存在する」という観念を漠然と持っていますので、その通りの体験をしている筈です
>>364 看板が頭の上から落ちてくる、というのは通常偶然と考えられます。
「偶然や運を信じない人には、そのようなことは絶対に起きない」
と言っておられるのだとすると、かなりオカルト的な主張をしてい
るということになりますが、そうなのですか?
「自分の周りに起こる出来事が私にとって持つ意味は、私が持って
いる観念によって決まる」ということであれば、さほど特異な主張
ではないですが・・・。
ひきこもり最強ってことだな
367 :
考える名無しさん :04/03/02 19:36
>>364 時間ではないでしょうか。取り敢えず
では、では、その時間を短縮する為にはどうすればいいと思いますか?
葦さんの考える具体的(←言葉が適切でないかも。察して下さい)な方法を伺いたいです。
>ん〜どこでしょう。人によって定義は違いますから何とも言えません
じゃあ、葦さんの定義を教えてください。
あと、人によって違ってくるのは何故ですか?
ごめんなさい、ひつこく突っ込んで。
固定観念を見直すきっかけにしたいものですから。
368 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/02 20:09
頑張ろうヽ(゚∀゚)ノ
Yeah!! めっちゃヒッキー
>>363 お前の個人的主観に悪意を感じたといっているの。
>>363 すいません、考え直しました。
まず、コギトから、主体の存在は明白なわけです。そのため、主体しか確実でないのだから、主体が持った観念が体験の原因となると言えそうです。
ここで重要なことですが、観念の上でなら、対立しそうに見えること(りんごがあるorない等)も持ちうると言うことです。なぜなら、対立さえも観念なので、その観念を持たなければいいからです。
話がそれましたが、では主体が存在する原因の観念はどこから来たのか?また、不注意などによる事故はなぜおこるのか?
この答えは、無意識の観念があったから、としかいえません。ですが、それでは、その無意識もまた無意識の無意識によって・・・と、永続的連鎖が出来てしまいます。コレはあとで説明します。
ここで、無意識と主体の関係が少々分かりにくいので、通常の主体の意識を表層意識と言うことにして、説明したいと思います。
まず、「観念が原因で体験が結果」なので、表層意識の観念が体験になるはずです。しかし、普通ならなら、いままで感じていた「世界」もまた存在します。
ということは、「世界」とは無意識の観念なのです。3行目で言ったとおり、対立の観念を持たなければ、観念は全て肯定されます。
だから、俺は金持ちだという観念を持ったけど、金持ちじゃないじゃないか!と言う人は、無意識の観念(俺は貧乏)が肯定されている→俺の観念と対立するジャン!→金持ちであるという観念の否定、という過程をたどっていると言えます。
つまり、無意識の観念+表層意識の観念の真理化が通常行われていて、そのどちらかを無視する観念は、否定(無視)によって真理化すると言うことです。
表層意識の無視は、「想像は事実ではない」ということで、無意識の無視は・・・当然、この世界の無視ですから「死」によってなされます。
あとで説明すると言った、無意識は何が原因であるのか、ということですが、そもそも無意識とは観念の集合体であり、観念とは「AはBである」ということです。 つまり、無意識は「確実なこと」と言えます。コレは時間感覚からいうと、不変である過去です。だからこの状況を「過去的世界」と呼ぼうと思います。 で、無意識がある前は「確実なこと」もなかった。なので、全てあやふやであった世界だったのでしょう。 「(何か)は何なのかな?」という、断定も対象もあやふやな状態です。ところで、「現在」とは何が一体どうなるか分からない時間です。どんな観念ももちうる状況といえると思います。 だから、このあやふやな状況を「現在的世界」と呼ぼうと思います。 で、なぜこの「現在的世界」から確実である無意識が発生したのか。すいませんがその前に、「現在的世界」は何が原因で発生したのかについて話したいと思います。 あやふやと言うことは、何か判別不能な主語があるということです。ということは、その否定、つまり、全てがどんな対象にもならない世界(認知される以前の世界)が、あやふやの前にあったと言えます。 この、認知される以前とは、時間感覚に例えれば未来です。なので、この状況を「未来的世界」と呼ぼうと思います。ちなみに、認知される以前は、つまり無ですので、これの原因は考慮しなくてよいでしょう。 未来的世界はどんな対象でもない世界ですが、それは「変容せず、決して対象にならない(確実にならない)という確実性」か「変容して、対象になるかもしれない(確実になりうる)不確実性」を持っている世界ともいえます。 前者は矛盾しているので、後者ですね。ということで、「未来的世界」は「現在的世界」の要素を既に持っていたわけです。 そして、「現在的世界」は何か判別不能な主語があるという「過去的世界」の要素(確実性)を含みます。 この時、「未来的世界」と「過去的世界」の間で、「現在的世界」が、その区分のある領域の役を演じます。 これによって、「現在的世界」に確実なこと・・・つまり無意識が発生するのです。
ところで、僕たちが日ごろ「真理」と言っているのは無意識のもつ観念のことですね。 そもそも、表層意識さえ無意識の観念なのですから、表層意識が何かの観念を持つというのも全て無意識の観念なわけです。 だから、僕たちは、自分に関しては遂に完全な答えを得られないのかもしれません。 追記 上記までの僕の意見は、もしかしたらかなり電波かもしれません。っていうかHNに電波って書いてる時点でやばいのですが。 それで、もしコイツ馬鹿だな、とか思ったらその点を指摘してほしいんです。電波には関わらないのが一番とか言わず、一言ください。
374 :
考える名無しさん :04/03/03 17:40
>>371 372 373
まずは、お疲れ様です。
で、質問。
>僕たちが日ごろ「真理」と言っているのは無意識のもつ観念のことですね。
コレについてもうちょっと説明して。
>>365 「偶然や運を信じない人には、そのようなことは絶対に起きない」
と言っておられるのだとすると、かなりオカルト的な
私は偶然も運も人の無知が創り出しているもので、「全ては必然」と認識しています(不確定性原理すら必然のうち)。寧ろ運命や奇跡を信じる方がオカルト的では
>「自分の周りに起こる出来事が私にとって持つ意味は、私が持っている観念によって決まる」ということであれば、
そゆことです
>>367 では、では、その時間を短縮する為にはどうすればいいと思いますか?
具体的には、「自分の感情の原因を自分以外のせいにする」のを止めること。感情の原因は100%それを感じる本人にあります
でも「他者にある」と見る人が多いですね。そんな人が多い社会ではその反映としてテロも多くなります
>じゃあ、葦さんの定義を教えてください。
んー私の定義はこのスレを一通り読んだら凡そ把握して頂けるのではと
>あと、人によって違ってくるのは何故ですか?
一人一人育った環境が違うからだと思います
>ごめんなさい、ひつこく突っ込んで。
謝る必要ないですよ。遠慮なくツッコんでください
>>371 だから、俺は金持ちだという観念を持ったけど、金持ちじゃないじゃないか!と言う人は、
そんな人は何を以て「金持ち」という定義かに乏しいのかも知れませんね。本当に欲しているのは「豊かさ、自由」(即ち「愛」)の場合が多いです
>>372 つまり、無意識は「確実なこと」と言えます。コレは時間感覚からいうと、不変である過去です。
過去は不変ですか?過去を観察するときは常に「今の価値基準」で判断しますよね。現在の観念が変われば過去(の解釈)も変わります
>これによって、「現在的世界」に確実なこと・・・つまり無意識が発生するのです。
うーんムズい。私は過去も未来も観念に過ぎずあるのは常に「現在」のみと認識しています
>>373 だから、僕たちは、自分に関しては遂に完全な答えを得られないのかもしれません。
人は無意識を完全に把握(支配)できないって事?
>っていうかHNに電波って書いてる時点でやばいのですが。
本当にヤバイのは電波を名乗りません
無意識が持つ矛盾に関する観念は、矛盾してもそれは許容される(全ては無条件に整合)と言う観念、矛盾は無視される(矛盾したものは無意識の中に無い)と言う観念のどちらかだと思われます。 または、矛盾に関する観念が無い(矛盾自体が存在しない)のかもしれません。 どちらにしろ、無意識は真理的なわけです。真理とはこの世のあり方で、前提に「観念が体験の原因である」としているので当然のことなんですが。 循環論法(AはBである、ゆえにAはBである)は無意味とされています。 AはBである、ゆえにAはCであるという方法で真理を見出そうとするなら、AがCであるという真理は前提的なわけです。 つまり、意識的に「AはCである」という前から「AはCだ」が成立しているるだろう、として真理を求めているわけです。 「観念が体験の原因である」なら、既に「AはCだ」が観念としてなければならない。 ということは、無意識の観念が、現行の哲学で求めているものだろう、ということです。
>>376 未来、現在、過去の定義は、説明を分かりやすくするためにこねくり回してつけたものです。
どうやら、逆効果だったようですが。
>>363 足りないと感じたお前が足りないといっているんだよ。鏡なんじゃなかったの?
言い忘れました。人生では無意識の観念も肯定されるので、主体が意識して持っている観念の具現化だけで人生があるのではない。 だから、自分の観念で、思うように世界を左右したい人は死ねばいい(悪い意味じゃないですよ)といえます。
381 :
考える名無しさん :04/03/03 23:03
>>375 あなたが認識と称しているものは、たんなる思い込み、ドグマに過ぎないの
では? どのようにして、「すべては必然」と「認識」したのですか?
382 :
考える名無しさん :04/03/04 00:36
>>375 具体的には、「自分の感情の原因を自分以外のせいにする」のを止めること。感情の原因は100%それを感じる本人にあります
でも「他者にある」と見る人が多いですね。そんな人が多い社会ではその反映としてテロも多くなります
言ってることは大体理解できます。そうだと思います。
でも、現実の生活レベルでの例をあげてもらえるとありがたいです。
イマイチぴんと来ないところもあるので。
この件に関してでなく、主題についてでも結構です。
あとコレも聞きたい。
葦さんは、どうやってこのことを飲み込んだんですか?
本1冊2冊読んで「なるほど」と思っても、実感を持って確信に至るには
程遠いというか。至る人は至るのでしょうけれども。
383 :
考える名無しさん :04/03/04 00:38
☆キキ+キ゚Д゚♪=わだじは=@オームでずぅ。 わがあっていづでじょうぅ?
384 :
考える名無しさん :04/03/04 00:41
☆キキ+キ゚Д゚♪=わだじは=@オームでずぅ。 わがあっていづでじょうぅ?
385 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/04 00:53
なんだなんだ、、、
386 :
考える名無しさん :04/03/04 00:54
☆キキ+キ゚Д゚♪=わだじは=@オームでずぅ。 わがあっていづでじょうぅ?
荒らずと地獄に落ぢまずよぉ〜(pu
>>375 × 寧ろ運命や奇跡を信じる方がオカルト的では
○ 寧ろ運や偶然を信じる方がオカルト的では
>>377 または、矛盾に関する観念が無い(矛盾自体が存在しない)のかもしれません。
「矛盾」自体、概念ですからね。元々そんなもの無いです
>ということは、無意識の観念が、現行の哲学で求めているものだろう、ということです。
仰る「無意識の観念」とは、例えばどんな観念ですか
「愛しい人と一体化したい」とか?
>>379 足りないと感じたお前が足りないといっているんだよ。鏡なんじゃなかったの?
どの文章を読んで、私がそれを知らないと判断したんですか?
>>380 主体が意識して持っている観念の具現化だけで人生があるのではない。
だけでないとすると、他に何があるんでしょう
潜在意識や他の主体の意識?
>だから、自分の観念で、思うように世界を左右したい人は死ねばいい(悪い意味じゃないですよ)といえます。
事実、死後は観念が即具現化するそうです。聞いた話ですが
>>381 どのようにして、「すべては必然」と「認識」したのですか?
自分の無知の知を悟ることによって
すると「物事は全て起こるべくして起こっている」という風に見えます
>>382 でも、現実の生活レベルでの例をあげてもらえるとありがたいです。
うーん、身近な例で「怒り」という感情が分かり易いかなと思ったのですが
インターネットを使っていてイライラしたりすることはありますか?
駅に着いたら電車が発車したばかりで「がっかり」したりとか
>本1冊2冊読んで「なるほど」と思っても、実感を持って確信に至るには程遠いというか。至る人は至るのでしょうけれども。
私がこれまで読んだ本は数え切れません
実生活の中で観察・応用するうちに確信に至りました
>>388 >>375 × 寧ろ運命や奇跡を信じる方がオカルト的では ○ 寧ろ運や偶然を信じる方がオカルト的では
ああ、まあ、正確にはそうですが^^;
>>389 377の3行目までで言いたかったのは、矛盾に関するいかなる観念があっても、主体が受け取る全ての観念は整合していると言うことです。
380で言いたかったのは、無意識(意識して持っていない観念の集合。例えば、自分は存在する等)が意識的に持っている観念と共に人生を構成していると言うことです。
だから、人生上の体験とは無意識と意識の総合であるはずです。それなのに、意識を変え、無意識を無視することで人生上の体験を快楽にしようというなら、それは人生の否定であって、死ねばいい。
そうじゃなく、自分が無意識に持っている観念を肯定し、
意識的にはどのような観念を持てばいいか(観念=体験ですので、実際にはどのように行動すればよいか)、無意識に干渉することでそれを探し出し、発見することで(実際には行動すること)人生は楽しくなるんじゃないの?
・・・と言いたかったのです。じゃあ無意識はなんだよって聞かれたら困るので371付近で長々と書いたわけですが、破綻しているかもしれません。そのときはご指摘願います。
>>389 浅原がもっとやれば面白かったという感情を批判しているんだが。
不感症になって悟ったと勘違いしてるだけだといいたいだけ。
393 :
考える名無しさん :04/03/04 23:30
>考える葦さん 自分の無意識を自覚するために、何らかの訓練を行っていますか? また、ご自身の無意識をコントロールすることによって、 具体的に人生がどのように変化してきていますか? よろしければお教えください。
394 :
考える名無しさん :04/03/04 23:33
>>390 あなたは「すべては必然的に起こる」と信じ込んでいるので、そのあなたには
「物事は起こるべくして起こっている」と見える、というだけではないんです
か?
395 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/05 00:13
ヽ(゚∀゚)ノ
396 :
考える名無しさん :04/03/05 00:23
しっかし今日テレビで占いのやつやってたけど非道いのな。 禿でデブでオタクっぽい不細工が「僕に恋人できなすか」って聞くんよ。 でさ、占い師でさえ無理だとかいっちゃうんだぜ。まあ嘘はいえないんだろうが 世の中間違ってるよな。 人権だなんだ言ってるけどさ、結局生得的な部分でどうしても マイノリティとか言っちゃいたい人たちが出てくるわけさ。 本人たちの努力とか報われないレベルでさ。
>>390 >>ああ、まあ、正確にはそうですが^^;
何故正確に書かなかったのですか?
398 :
考える名無しさん :04/03/05 00:52
>>390 インターネットを使っていてイライラしたりすることはありますか?
駅に着いたら電車が発車したばかりで「がっかり」したりとか
気が長いのでそういう系にはあまり気が疲れることはないかも。もともとが。
>私がこれまで読んだ本は数え切れません
ごめんごめん、1冊2冊って言う例えはあなたの事言ったつもりではなかったです。
多くの人はきっとその程度では理解できないと思って。
だから、「どうやってこのことを飲み込んだんですか?」
という次の質問をしたのです。で、
>実生活の中で観察・応用するうちに確信に至りました
という答えをもらったのだけど、もっと具体的な答えがききたいです。
が、そうすると先の「ネット」や「電車」の話が実例になるのかな。
あえて分りやすい例をあげてくれているのだと思いますが
その種の例えには容易に納得できるぶん、もう少し複雑な現実に出会うと
「当てはまらないじゃないか」と疑ってしまうのです。
葦さんは、そういう経験も乗り越えているだろうと思ったので具体例をお願いしました。
いろんな書き込みに対しての答えが、前にも言いましたが極論的で、
途中なしに、いきなりゴールを見せられているようで、それでは分かりにくいです。
そして、要はゴール=スタート地点=主題で、ドウドウメグリ。
が、意図的にそうされているようなので、それがイイやり方なのかもと思ってもみたり。。。
私にはわからんですが。
>>391 それなのに、意識を変え、無意識を無視することで人生上の体験を快楽にしようというなら、それは人生の否定であって、死ねばいい。
「人生の否定」になるんですか?ニヒリズムでもないのに
私は1で「無意識を無視すること」を奨励しているのではありません。寧ろ逆です
>意識的にはどのような観念を持てばいいか(観念=体験ですので、実際にはどのように行動すればよいか)、無意識に干渉することでそれを探し出し、発見することで(実際には行動すること)人生は楽しくなるんじゃないの?
>・・・と言いたかったのです。
全く同感です
>>392 浅原がもっとやれば面白かったという感情を批判しているんだが。
裁判での言動は面白くなかったですね。オウムの教義を日本中に知らしめる良い機会だったのにそれを活用できなかったから(恐らく彼は裁判の途中で議論になれば負けると悟ったのでしょう)
>>393 自分の無意識を自覚するために、何らかの訓練を行っていますか?
いいえ。何も
私は努力無用論者です
>また、ご自身の無意識をコントロールすることによって、具体的に人生がどのように変化してきていますか?
いろんな人のいろんな感情に共鳴することができます。毎日TV見てはへぇ連発して大笑いしてますよ(前にも書いたか)
感動も観念の賜物ですから、純粋な気持ちを持つことによってどんなにつまらない映画でも楽しめます
>>394 あなたは「すべては必然的に起こる」と信じ込んでいるので、そのあなたには「物事は起こるべくして起こっている」と見える、というだけではないんですか?
その通りです
>>396 人権だなんだ言ってるけどさ、結局生得的な部分でどうしてもマイノリティとか言っちゃいたい人たちが出てくるわけさ。
生得的に不平等だから、人権という概念が出てくるんでしょうね
>本人たちの努力とか報われないレベルでさ。
ちびデブ禿でも恋人がいる人はいます。そんな人は生得的な部分を「報われない原因」にしないですね
目に見える部分を原因にすれば本人(の心)は変えなくて済むからでしょう
>>397 何故正確に書かなかったのですか?
似たようなものだからです
>>398 その種の例えには容易に納得できるぶん、もう少し複雑な現実に出会うと「当てはまらないじゃないか」と疑ってしまうのです。
例えばどんな例でしょう?
>途中なしに、いきなりゴールを見せられているようで、それでは分かりにくいです。
なるほど・・
でも、いきなりゴールを見たくない人は実際にはここは覗いてないんですよ
401 :
考える名無しさん :04/03/05 13:36
>>400 自分の固定観念の中に閉じこもって、循環論法で遊んでいるのでは、
真実は見えないのではありませんか?
>>400 >>似たようなものだからです
何故同じ言葉を使わなかったんですか?
すいません、昔僕が書いたことは忘れてください・・・。
404 :
考える名無しさん :04/03/05 17:50
>>400 >>398 その種の例えには容易に納得できるぶん、もう少し複雑な現実に出会うと「当てはまらないじゃないか」と疑ってしまうのです。
>例えばどんな例でしょう?
人に例を求めるのにイザとなるとぴったりのものが思い浮かばない・・・
他の書き込みにもあるような、その時の気の持ちようで
>いきなりゴールを見たくない人は実際にはここは覗いてないんですよ
そうかもしれませんね。でも、私は途中も知りたいので、できれば途中的なこともお願いします。
ダメな場合その理由を教えてもらえるとありがたいです。
この手の考え方(主題にあるような)を激しく拒絶する人が多いように感じるのですが
(疑問をおぼえるという程度ではなく)何故だと思いますか?
持ち続けてきた観念を否定されているように感じ、不安をおぼえるのでしょうか?
だとしたら、それはどういう心理からなんだろう?
405 :
考える名無しさん :04/03/05 17:53
>>404 あ、失敗した。上の
「他の書き込みにもあるような、その時の気の持ちようで」
っていうの無視して下さい。
406 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/05 18:00
なるほど。
407 :
考える名無しさん :04/03/05 18:04
ところで、観念ってどうやって持ったらいいんですか?
ピンときて、スッと入ってきてすぐ自分のものになる場合と、
「とはいってもそんなにうまくいくかな」というような疑念を
振りはらい切れない場合とがあるように思います。
あ、今の状態もそうか。まあこんな風に。
(ついでに今わかった。
>>404 の「例」ってこういうことかもしれんです)
408 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/05 18:52
ぅむ
価値観は自分次第というのはわかるんだけども、 世間から評価されない自分を、評価されていると自分を勘違いさせるのか。 それぞれが自分勝手な方向に向かうというのは、人間という生物としてはありえないんじゃないの?
410 :
考える名無しさん :04/03/05 21:41
>>409 オウムを見ていると、人間にはそういうこともありえると思う。
>>401 自分の固定観念の中に閉じこもって、循環論法で遊んでいるのでは、真実は見えないのではありませんか?
「真実」とは、何ですか?
>>402 何故同じ言葉を使わなかったんですか?
同じ言葉を使わなくても意味は通じると思ったからです
>>404 人に例を求めるのにイザとなるとぴったりのものが思い浮かばない・・・
何か日頃の体験で「あれ?」と思ったことがあったら知らせて下さい
>この手の考え方(主題にあるような)を激しく拒絶する人が多いように感じるのですが(疑問をおぼえるという程度ではなく)何故だと思いますか?
人それぞれ背景が異なるからじゃないでしょうか
>持ち続けてきた観念を否定されているように感じ、不安をおぼえるのでしょうか?
でしょうね。自己の存在価値が失われる気がするんでしょう
>>407 ところで、観念ってどうやって持ったらいいんですか?
いろんな体験を通してより多くの情報に触れることで様々な観念に出会いますよね
但し観念を持つと(それは具現化しますから)その個人は「ほらやっぱり思った通り」という出来事を繰り返すようになります。そうして次第に観念は固定化される
>>409 世間から評価されない自分を、評価されていると自分を勘違いさせるのか。
”世間の評価”も結局個々人の主観の集合に過ぎませんけどね
>それぞれが自分勝手な方向に向かうというのは、人間という生物としてはありえないんじゃないの?
全個体が同じ方向を向いてたら滅亡する可能性が高まりますよね。生物は多様化によって環境に順応しますし
自由という概念が未発達な時代では、個性は歓迎されないですね
>>412 >>”世間の評価”も結局個々人の主観の集合に過ぎませんけどね
そんなことはわかってます。
実際問題、そんな生き方があるのか、ということです。
人間の価値観というものは、集団で共有するものです。
シャネルの服がいいとみんなが言えば、自分だってシャネルの服がいいわけです。
それは人間の生まれ持っての心理として当然あるものです。
人間というものは、極端に価値観の違う人間がそばにいれば、居心地が悪いのです。
異端者は処罰されるものです。うっとうしいからです。
差別されながらも、拷問を受けながらも、殺されながらも、幸せと考える、
というなら何も言えませんが、僕の価値観ではそれは無理です。
どうすればよいのかは僕も模索中です。
>>411 >>同じ言葉を使わなくても意味は通じると思ったからです
あえて違う言葉を選んだのは、何らかの意味があるからだろうと思います
それをあなたの理論で説明することはできませんか?
>>413 シャネルの服がいいとみんなが言えば、自分だってシャネルの服がいいわけです。
そんな風に考える人は一部ですよ
確かにシャネルは”質”はいいですけど
>それは人間の生まれ持っての心理として当然あるものです。
疎外感への恐怖からくるもの。生得でなく後天的心理でしょう
他人と同じ事に不安を感じ異なることに安心を覚える人もいますから
>人間というものは、極端に価値観の違う人間がそばにいれば、居心地が悪いのです。
無知が恐怖を生むからでしょうね
差別も根源は同じ
>異端者は処罰されるものです。うっとうしいからです。
うっとうしいと感じるのは、その人自身に原因があります。でも貴方はうっとうしいと感じている対象(異端者)に原因があると仰ってますね
>>414 それをあなたの理論で説明することはできませんか?
理論て程ではありませんが、より「オカルト的」という単語を強調したかったので、と言えば分かりやすいですか?
>>415 >>理論て程ではありませんが、より「オカルト的」という単語を強調したかったので、と言えば分かりやすいですか?
あなたの理論と言えば『すべては固定観念によって生じる』
としたものだと思いましたが、違うんですか?
それとも、あなたには「よりオカルト的な単語を強調したい」
という固定観念があるのでしょうか?
ということは、考える葦さんはオカルト好きなのですか?
>>415 別に反論を聞きたい訳じゃないです。
>>1 には共感するところがあったのに残念です。
ばいばい。
418 :
考える名無しさん :04/03/08 02:12
>>217 考えるの葦さん
>変える為には具体的にどんな観念を持っているかを知る必要がありますが
「どんな観念を自分が持っているのか」を明確にするためには、
どのような方法が効果的でしょうか。
また良い方向にそれを変えていく具体的な方法について、
教えてください。
>>416 あなたの理論と言えば『すべては固定観念によって生じる』としたものだと思いましたが、違うんですか?
「体験する全て」は、その人の観念が原因ですよ
>>418 「どんな観念を自分が持っているのか」を明確にするためには、どのような方法が効果的でしょうか。
一番分かり易いのは、自分の感情に素直に耳を傾けることです。嫌な感情が湧いても押し殺したり否定したりせずに「こんな感情を感じる為にはどんな固定観念を持っているからなのだろう?」と
精神的に未成熟な社会には「これこれこんな感情は表現すべきでない」などという通念がありますが、寧ろ感情はありのまま表現すべきです。思ったことを率直に口にすれば、どんな観念を持っているかを周囲が知ることもできます
>また良い方向にそれを変えていく具体的な方法について、教えてください。
何が「良い」方向は人それぞれなので何とも言えませんが、煩悩・執着しない平穏な心的状態を「良い」とするなら「観念は全て相対で絶対的普遍的価値観・判断基準は存在しない」と悟ることでしょうか
いずれにせよ観念を変える前に観念を知る事が先決です。知れば変えたも同然
420 :
考える名無しさん :04/03/08 21:16
>>419 考える葦さん
>一番分かり易いのは、自分の感情に素直に耳を傾けることです。嫌な感情が湧いても押し殺したり否定したりせずに
>「こんな感情を感じる為にはどんな固定観念を持っているからなのだろう?」と
ここがちょっと分りづらいのですが、感情と観念は必ずつながっているということでしょうか。
観念がなければ感情は発生しないということですか。
例えば、私がある人に話しかけて無視されたとします、そのことでいやな感情を抱いたとします。
この時いやな感情を持ったのは、私になんらかの固定観念があるからなのでしょうか。
私には現状、それがどのような観念なのかがわかりません。
それがどのような観念なのかを知るためには、どのようにすればよいのでしょうか。
>>420 ここがちょっと分りづらいのですが、感情と観念は必ずつながっているということでしょうか。
>観念がなければ感情は発生しないということですか。
観念が原因の感情は発生しません。観念を持たない赤ん坊がむずがったり笑ったりするのは単に体が本能的に感じる快不快を表現しているだけですので、ここでいう感情(喜怒哀楽)とは異なります
感情も立派な人生体験の一つ。スレタイでは「感情の自己責任」についても言及しているつもりです
>例えば、私がある人に話しかけて無視されたとします、そのことでいやな感情を抱いたとします。
>この時いやな感情を持ったのは、私になんらかの固定観念があるからなのでしょうか。
「相手から無視されると不快だ」ということは、「話しかけてきた相手を無視すべきでない。これは人間としてのマナーだ」などという観念があるからではないでしょうか
或いは無視されると自分自身が大切に思われていないと感じるから。人は自己存在価値が下がったと感じた時、怒りを覚えますから
この事はつまり貴方自身が「相手を嫌いな時私は相手を無視する」ということを示しています(これが"人を裁けば自らが裁かれる""人は鏡"の意)
嫌いな人がいない人なら「今は話し掛けないで欲しいのかな」「耳が聞こえないのかな」など様々な可能性を考慮してさらっと受け流すでしょう
>それがどのような観念なのかを知るためには、どのようにすればよいのでしょうか。
不快感の原因を相手に見ているうちは難しいかも知れません
相手を自分自身の鏡として努めて客観的に状況を観察してみてください。「彼は一体私のどんな固定観念を映し出してくれているんだろう」と
>>421 >>この事はつまり貴方自身が「相手を嫌いな時私は相手を無視する」ということを示しています
(これが"人を裁けば自らが裁かれる""人は鏡"の意)
要するに、人は他人の行動を判断する際に
自分自身の経験や知識を活用して行っている。と言うことですよね?
いえーす
簡単だよ ある学説が人類全体に真であると受け入れられない体験をしているのなら 貴方は初めから人類全体に受け入れられないような学説しか考えつかなかったってことだ。 つまり 言葉をすこし いじっただけで予定運命論と全く同じことしかいってない。 つまり スレを立てた馬鹿は 自分が捏ねている理屈も理解できない程度の頭しかなかったゆえに 糞スレを立てているのであり、 これはあらかじめ決まっていたことなんだよ。
私の持論では未来は不確定 なので運命論とは異なると思いますけど
426 :
考える名無しさん :04/03/09 17:57
スピノザ?
427 :
じゃこうねこ ◆78ZtasxKRk :04/03/09 18:11
考える葦さんがここでしようとしていることは何なのだろう? 一つの 哲学的理論を提案しているのか? あるいは、ここでの議論を通じ、一 つの哲学的理論を組み立てようとしているのか? どうも私には、その どちらでもないように見えます。そのあたり、どうなんだろう?
>>421 >この事はつまり貴方自身が「相手を嫌いな時私は相手を無視する」ということを示しています
>(これが"人を裁けば自らが裁かれる""人は鏡"の意)
無視をしないという観念を持っていた場合はどうなるのでしょうか。
つまり、鏡になりえない状態とはどういう状態なのか疑問に思いました。
429 :
考える名無しさん :04/03/09 20:30
>>419 考える葦さん
>寧ろ感情はありのまま表現すべきです。
表現「すべき」なのですか?それはどうしてですか。
表現しないほうがいいケースはないのですか?
また、
>>419 では、
>嫌な感情が湧いても押し殺したり否定したりせずに
>「こんな感情を感じる為にはどんな固定観念を持っているからなのだろう?」と
と、ある固定観念を持っているがために、ある感情が発生すると書かれているように見えますが、
>>421 では、
>観念が原因の感情は発生しません。
と逆のことを書かれているに見えます。
どちらが正しいのでしょうか。説明をお願いいたします。
430 :
考える名無しさん :04/03/11 20:45
age
>>427 考える葦さんがここでしようとしていることは何なのだろう
暇つぶし
>>428 無視をしないという観念を持っていた場合はどうなるのでしょうか。
「無視する」以外の別の行動を取りますよね。或いは何も行動しないか
>つまり、鏡になりえない状態とはどういう状態なのか疑問に思いました。
本人が周囲を鏡と気付いてない状態、無知な状態です
「人は鏡」を知らない状態は常にそれ
>>429 表現「すべき」なのですか?それはどうしてですか。
本来は、この世には「すべきこと・してはならないこと」というのは概念以上には存在しませんが、「表現すべきでない」と考えている人に刺激を与えるため敢えて「すべき」と強調しました
>表現しないほうがいいケースはないのですか?
一般には「表現することによって誰かが傷付く場合」ではないでしょうか
但し傷付くことを選んでいるのも本人なので「他者に原因・責任はない」のですが
>と、ある固定観念を持っているがために、ある感情が発生すると書かれているように見えますが、
>>421 では、
>観念が原因の感情は発生しません。
ここで言っている感情は赤ん坊がムズがったり泣いたりする感情のことです。赤ん坊は観念を持っていませんから、それらは観念が原因の感情ではありません
犬や猿も不安や怒りや喜びを表現しますが、あれも「観念」に拠らない感情。1でいう人生体験としての感情とは別扱いしています
・・・とここまで打ちながら再考したのですが、犬にだって言葉にすれば「仲間がいなくて寂しいよう」「僕の縄張りを荒らすな!」など立派な観念はあるのかも知れませんね。てゆーかあるやんパーペキに
432 :
考える名無しさん :04/03/12 11:36
へええ、暇つぶしですか。(藁)
433 :
考える名無しさん :04/03/12 21:22
>>431 ここで言っている感情は赤ん坊がムズがったり泣いたりする感情のことです。
突然赤ん坊の感情の例を出されたのはどうしてですか?
>>419 「体験する全て」は、その人の観念が原因ですよ
では大人になってから発生する感情は、全てが固定観念を持っているがために発生するのですか?
つまり感情と観念は必ずつながっているということでしょうか。
固定観念がなければ(なくなれば)感情は発生しないということですか。
434 :
考える名無しさん :04/03/12 22:15
こいつの暇つぶしに付き合う奴も、そうとうの暇人だな。
435 :
考える名無しさん :04/03/12 22:17
なるほどね。ようは、虚しいのも楽しいのも自分の発想なんだよね。 っていうか、虚しいって感じるのは自分がしたくないことしてるから につきるわけで・・。
436 :
考える名無しさん :04/03/14 19:39
age
437 :
考える名無しさん :04/03/17 19:38
>>1 を述べることが目的で、目標は、異論や質問があればそれに答えること
438 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/17 20:10
うん
439 :
考える名無しさん :04/03/19 21:12
長谷本みたいな内容だな。
441 :
考える名無しさん :04/03/20 17:07
神との対話丸写しだろw
442 :
考える名無しさん :04/03/20 18:25
ああ、何かのものまねだろうという気がしていたのですが、『神との対話』ですか。
443 :
考える名無しさん :
04/03/26 23:34