カント『純粋理性批判』を読みませんか?

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925哲学は単なる頭の体操。
>>1〜924誰某はこういった、何某はこうあったと、
借りて来られた知識は、何の役にも立たない。
窮地に陥ると、簡単に手放し、容易に逃げられる。

たとえ拙くとも、自らの実感を突き詰め、
一から積み重ねたものが、窮地に役に立つ。
思索に遊ぶ分には、実感だけが問題となるが、
実感の由来は、全て自分の体験に求める。

“この言語体系に従い、考えるならば、
より大きな世界観が、矛盾なく理解できる”
これを中心思想に、少なくとも私は哲学をする。
それゆえ、文献引用を排除し、一から言葉を定義する。

そんな私に、文献的な根拠を提示されても困る。
あなたはそれを信じるのですか、としか答えらない。
あるいは、より狭い世界観に閉じ込まれられても困る。
確かにそう見えるはずです、としか私には答えられない。