◆知の機関誌「知ちゃんねる」Part5◆

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151ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU
「現実感」とはなんであるか(改訂版)

「現実とはなんであるのか」と考えた場合に、ヒューム的懐疑論を避けては通れないわけですが、
では、現実が懐疑論的にあやふやであるなかで、私たちは現実感をどのように認識するのでしょうか。

私が考える現実感は、「開拓された現実感」と考えます。「開拓された現実感」とはなにかといえば、
まず人の現実感の根底には、「肉感的現実感」があると思います。
これは進化論上で生命が環境との間で関係性を持ちながら生存してきたことにより、勝ち取ってきたものです。
この「肉感的現実感」には、階層が存在し、生存に近いものほど深層にあります。
そして「開拓された現実感」は、このような「肉感的現実感」を根元として、環境との関係性で開拓していきます。
これは「現実と環境との差を埋める」というとても生理的なシステムです。
すなわち、環境への順応性というものです。
たとえば言語が人の認識を開拓した、都市の高い構造物からの眺めが、人の世界観を変えた、
TVが人の認識を変えたなどの体験による認識能力の開拓性を考えないといけないのではないでしょうか。
それは発信側と受け手側が影響しあい新たな関係性が生まれるということです。
人は文明の中で、新たな体験をして、現実感を変化させてきているのだと思います。
そして生命というのはこのような関係性に対してとても柔軟で、敏感な構造物であると考えられる
と思います。
152ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/01/01 00:17
これのような環境への順応性システムは生物においても見られますが、
人の場合、心という自己言及システムをもちえているために、その内部で想像を産むことが
できます。そしてこの想像も「肉感的現実感」を開拓します。
一般的に進化論では、環境への順応性とは、突然変異という偶然性を環境が選択するということで、
示されます。結局これでは環境順応性というのは、積極的な力をもっていないわけです。
しかし最近のシステム論を取り入れた進化論では、生命と環境を含めた形で秩序性が作られる
わけです。これはアフォーダンスにもつながりますが。
ここでは、環境順応性には、ある種の積極的な力というものが存在します。

で、人が現実感を開拓するという環境順応を考えた場合にもこれに似たシステムが考えられます。
発信側と受信側の関係性で、現実感は開拓されていくと言うことです。
そしてこの場合には、受信側の想像による補完というような、自己言及的なシステムも
考慮しないといけません。
これが心といわれるシステムですが、たとえば生物の環境順応性においてもこのような心の
自己言及システムが発生するのかということです。
たとえば蟻が環境に順応使用とするときに、このようにしたいというような想像を働かせるか
ということです。
一般的には蟻はこのような想像を働かせないと考えるわけです。
それは人というシステム(主に脳ですが)と、ありというシステムの複雑性の違いということだと
思います。
153ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/01/01 00:18
まとめると、人以外の生物では、
 環境−生命(開拓された現実感(根元には肉感的現実感))
という関係性で現実感を開拓するのに対して、
人では、
 環境−人(開拓された現実感(根元的には肉感的現実感))−想像
という関係の中で現実感を開拓します。
これはそれぞれが受信、発信の関係になるわけですが、想像側が強い発信者になるのが、妄想癖です。
また環境が強い発信者になるのが、仮想現実です。
どちらにしても現実感というのは主観的な要素が大きいと言えます。そして通常は、「肉感的現実感」の
さらに深層と環境との強い結びつきが、人を「現実的」に保っていると考えられます。
妄想であて、仮想現実であれ、その深層と環境の関係性を崩すことはむずかしいということです。
ただ夢や睡眠術、薬物などの場合は、根元的な「肉感的現実感」までの欠落させる効果があります。
より強く仮想的な現実を作り出す可能性があります。
ただこの場合には、継続性という問題があります。生命には肉感的現実感からの離脱に対する
反動というものがあるのではないでしょうか。それは長期的な「肉感的現実感」からの離脱は
生存に大きくかかわるからです。
154ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/01/01 00:19
しかしマトリクス的世界はあくまでSFであり、現実にはあり得ないでしょう。
マトリックスでは良くバーチャル世界の私の視点で語られることが多いのですが、
実際の肉体としての私を中心に考えるといろいろ矛盾が多いように思います。
実際の私は、カプセルに入れられて、眠りつづけ、そこへ栄養や情報がケーブルに
より送り込まれているわけですが、はたしてこのような場合に生命としての私には
なにがおこるのでしょうか。情報と栄養だけで人は生きられるのか。
運動を行わない体は筋肉や各機能が衰弱していくのではないでしょうか。
このような身体的な衰弱は、神経器官にも及ぶでしょう。
いくら情報を送られても、受けての体が正常でなくなり、
それはバーチャルな世界での生活にも異常をきたすでしょう。
この意味では、マトリクス的完全な仮想現実は非現実的ということになります。
155ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/01/01 00:19
現実を再現できなくても、もっと簡易的に人の「肉感的現実感」に高い添容性を持たす方法と
しては、「トゥルーマンショー」が考えられます。
しかし現実の社会生活で嘘を付くというと同じことと考えられます。
このように考えると、人の現実感を「狂わす」ことは、容易であるように思います。
そして人はそのような虚像をも取り込んで、「開拓された現実感」を作り上げて、順応しようと
するということでしょう。しかしこの場合にも、「トゥルーマンショー」的に主人公が空腹であることを
満腹なような仮想現実を作り出すことが困難なのは、根元的な「肉感的現実感」を騙すのは
難しいというこでしょう。
156ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/01/01 00:28
>>153と154の間が抜けました。

たとえば、マトリックスにおけるリアリティを考えてみましょう。
これは、環境が強い発信者になる仮想現実ということになるわけですが、
環境からの発信が、そこまで「肉感的現実感」に添容性を持ち得るかということになります。
これは過激すぎても、「肉感的現実感」に違和感が生まれます。
「肉感的現実感」に高い添容性を持たせた場合には、現実感をもたせることは
可能だと思います。