63 :
色男no、1:03/12/21 05:05
ユーミンについては宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とし、その全楽曲はつまるところ三島へのレクイエムである、という見解を私は持っています。
三島はエロティシズムと単なるフリーセックスを区別し、価値相対主義の社会にはエロティシズムはない、と極限しているんですね。
ですから反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、という認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのは
あり得ない、と三島は説明している訳です。
ユーミンの場合、バブリーな時代背景の投影としての表層的な恋愛模様のディテールを通して、相対主義的なフリーセックスを賛美しているように
誤解されているのですが、三島の不在を絶対者の喪失と捕らえることで逆説的に価値相対主義社会における恋愛を描写するんですが、
生まれ変わる事で絶対者との再会を果たし、現世的なものを超越していかねばならないというメッセージを30年間変る事なく唄い続けている、
というのがユーミンの本質なんです。したがって、ユーミンに単なる風俗現象を見ようとするところに、
三島を隠蔽しようとする時代の気分が現われているという事ですね。
http://www.laspara.net/
そうか今日は日曜だ
三島以外超キライ。
66 :
色男no、1:03/12/21 06:48
そして、さらに恐るべき事に、三島は自らの死後に残された全てのナルシストに、慎太郎同様の二番煎じの意味付けを与えようとしたのであり,
それこそが三島によって仕掛けられた罠=呪縛なのです。三島以後、もう我々は凡庸さを生きる事しか許されない。
http://www.laspara.net/
>>66 そんなことはないよ。世界は君が思ってるよりもっと多様だよ。
うんこを好きと言ってもいいし、ギャルゲー好きと言ってもいいのさ。
君はどんなのが好きかい?語れ。存在者よ。三島の呪縛を振り切れ。
世界は君のためにある。
なんてね。
68 :
色男no、1:03/12/29 15:48
みなさん、こんばんは、私が色男です。
三島は45年という短い生涯の中で個人全集として42巻もの膨大な著作を残したという点において、日本近代の他の大作家と比べての差異が顕著であるように思われます。
といいますのも日本においては純文学を私小説と呼ばれる身辺雑記風の心境小説が代表したという特殊な事情があって、その結果、資質的に短篇作家の最も技術的に洗練された一群が文豪とされているようなところがあります。
つまり、ストーリーテリングは大衆文学でこそ問題にされますが、芥川のいわゆる話のない小説というものに、東洋的詩精神のようなものが読解されて、それが文壇的にも半ば制度化されてしまったところに、
日本文学のお家事情があったという事です。ですから長編小説が純文学のメインジャンルのような待遇を得られるのは、戦後派の全体小説の理念によるのであり、三島といえども、昭和20年代には「近代文学」の同人として、
文壇に自らの地位を得たのであって、資質以前の問題として長編小説に手を染める事で、時代潮流におもねるところがあったように思います。日本において、もっと戯曲書きの待遇がよければ、自分は小説家という職業を
選ばなかったであろう、というような事もどこかで言っていました。現在のところ、研究者の間でも「鏡子の家」は失敗作であったとされていますし、好みの問題もあるとは思いますが、三島の短篇のいくつかは、
その文体や技術的洗練において、文豪の列に加えてもいいような完成度を持つものであったのは間違いないことだと、私なども考えています。
http://www.laspara.net/ 67さん、ありがとう。ともにがんばりましょう。
尾崎豊、長渕剛、太宰治、三島由紀夫、ニーチェ
↑こんな妄想人について必死で語るな( ̄ー ̄)
70 :
考える名無しさん:03/12/30 05:18
「私(三島)が考える革新とは徹底的な論理性を政治に対して
厳しく要求すると共に、一方、民族的心性の非論理性非合理性は
文化の母体であるから、この非論理性非合理性の源泉を、天皇概念
に集中することであった。かくて、国家におけるロゴスとエトスは
はっきり両分され、後者すなはち文化的概念としての天皇が、革新
の原理になるのであるが、さらに一つ告白をすると、このパネル
ディスカッションを通じて私は私の戦闘原理としての天皇を彼らの
前に提示したかったのであった」―美と共同体(一部略)
いまいち、まだ天皇の存在について僕自身は理解しがたいところがある。
色男さんはそうとう三島の存在と日本の現在性に対して入れ込んでいる
ようなので、あなたにはもっと語ってもらいた。中上健二もそうだが
確かに天皇という存在について我々日本人はもっと掘り返していくべき
なのかもしれない。現在の日本は完全に中心を見失っているのはたしか
だし。人間とはその存在において中心というものを持たずに生きぬくこと
ができるのかという疑問と三島の価値観とは対峙している。川端康成も
芥川龍之介も人生において「その漠然とした不安」のもとに最後には自らを
断つ決断をしている。実存主義というものだってそこに中心をもっている
からこそ成り立つわけで、しかし僕自身中心に信仰心を抱かないところに
価値を置いている。だから三島とは根本で相反しているわけだがしかし、
中心のない存在などありえないというところは僕もそれを否ということは
できない。中心は必要であり、僕の場合この中心は持ちながらも壊す作業を
生きる段階において実現させていくところを想像しているわけです。
つまり、実存において中心の発見は不可欠でありそれを抱えたままで
それを理性的に捉えるための知識、歴史性、価値を探り当て、そして
それを打ち壊すことがこれからの世界では必要になっていくのだと思います。
そのために三島の本質を知ることはこれから必要だと思う。
色男さんの意見求む
72 :
考える名無しさん:03/12/30 09:33
ここで長渕罵倒してるやつ
おまいの好きなアーティスト、2、3人挙げてみ
73 :
考える名無しさん:03/12/30 10:10
涅槃
地味変怒痢苦巣
74 :
考える名無しさん:03/12/30 14:00
長渕先生だけは、まだ「非業の死」を免れてますね
今後のご活躍に期待しております
75 :
考える名無しさん:03/12/30 14:03
てゆうかこん中で長渕だけ異様に異質だろ。
彼に悲劇性は何もない。
というか、凡人について語って何かあんの?( ̄ー ̄)
77 :
考える名無しさん:03/12/30 14:22
スレタイにある人は別に嫌いじゃないけど
こいつらのファンは大嫌い
>>77 こいつらのファンって、ファンである事を
誇りに思ってる奴がいるよね( ̄ー ̄)
他人を誇る奴が哲学するのもおかしな話( ̄ー ̄)
コンプレックスか?( ̄ー ̄) 二ヤリ
なんでキキがこのスレに来るか分からん
カマってほしいのか?
80 :
色男no、1:03/12/31 01:15
占領時代が終ると、文壇も消費社会の大きな渦に飲み込まれるように週刊誌ジャーナリズムが成熟し、その当時、既に時代の旗手と目され流行作家となっていた三島は当然ながら、
多くの雑多な書き飛ばしの仕事を引き受け、それが今日では全集にも収められて、一見したところ古色蒼然とした風俗資料に落ちたと思われるようなものも少なくはありません。
しかしながら三島の文章は凡百の雑文書きとは異なり、不易流行とでも言うのでしょうか、皮相な風俗ウォッチングの中にさえ、三島的「批評」が見え隠れしているようなものが、
いくつもあります。三島的「批評」というのは、アンチというのに最大の特徴があり、天皇でさえ、三島の手にかかると近代化=西欧化に対するアンチエゴイズム最後の砦というように規定して、
三島自身の行動原理に再構築してしまう有様です。三島は驚くほど多岐に渡って、様々な現象について言及した作家でしたが、「三島」それ自体の批評的本質については、
ついに最後まで沈黙を守ったように思います。その自決は謎とされ、多様な読解を包摂する巨大な存在として現代に屹立するのを見る時、三島は批評的存在であり続ける事によって、
歴史の永遠の呪い手足らんとしたのでしょう。
http://www.laspara.net/ 71さん、三島の言う天皇とは必ずしも日本史の中の天皇と同じものではないのかもしれません。
それは絶対者なる観念に名付けられたものであり、71さんがおっしゃるところの中心、人間の存在論的本質に意味を与えるものです。
ただ生きているだけで本当に生きていると言えるのか。魂の問題ですね。
81 :
色男no、1:03/12/31 01:37
佐伯彰一は「新潮」の三島没後三十年臨時増刊に寄せて、「「批評家」三島を批評する」という一文を書いています。
そこで、三島がさるパーティーの席上、俺は第一に劇作家、第二に批評家、第三に小説家だと開高健に言ってのけて、
唖々大笑したというエピソードが紹介されているのですが、
以下、佐伯は三島の資質の問題として、「座談会などでの三島の発言が、いかに冴えて颯爽たるものであったかは、
改めて諸家の証言を徴するまでもない話であるばかりか、文学賞の選者としての三島は、大方の場合、結果が決まるや否や、その場で忽ち、
「選評」原稿をさっさと書き上げてしまうのが通例だったと語り伝えられている。(略)わが身の体験に徴しても、これは相当な離れ業である。
選考プロセスの疲労もあり、やれやれという解放気分が先行して、到底その場で一気呵成になどとゆくものではあるまい。
やはり三島一流の集中力と、速筆そして批評能力の天分と舌をまく他はない。」と、書いています。
http://www.laspara.net/
84 :
考える名無しさん:03/12/31 12:44
85 :
考える名無しさん:04/01/14 01:07
age
86 :
考える名無しさん:04/01/22 01:25
age
87 :
考える名無しさん:04/01/22 08:03
このスレは
>>14までがいちばんおもしろかった
15からはイマイチだな、まあ他に比べて悪くはないんだけど・・・
88 :
考える名無しさん:04/01/22 13:09
あれ?
飯島愛 内田春菊〜のスレはどこいった?
89 :
考える名無しさん:04/02/02 11:39
90 :
考える名無しさん:04/02/02 19:25
批判ばかりする傲慢な人にはなりたくないものだ。
91 :
考える名無しさん:04/02/02 20:32
あからさまに厨房の寝言以上のもんじゃねえだろ。 >尾崎豊、長渕剛
93 :
色男no、1:04/03/20 07:36
こんばんは、みなさん、私が色男です。
三島文学とは全く異なるところで三島そのものの伝説があります。この事が三島問題を他の作家論から逸脱させる要素なのですが、
あくまで例外を認めずにテクスト論による文学研究に一貫させようという立場もあります。しかし、言うまでもなく三島の
存在それ自体が一つの作品ですから、これを言及する事なく三島作品だけに当たる事が可能であるかと言えば、やはり不完全に思われます。
三島を解読するために三島文学を読むのか、三島文学を読むために三島を解読するのかは、そのアプローチする個人の内的問題によるものです。
ところで三島には確かに他者を吸収合併して凡庸化=非個性化するところがあります。三島がフォルムこそが永遠である、という時、
個性は時間の持続に耐え得るものではないという認識があります。100年も経てば、個々人の差異はふるいにかけられ、
様式化したもののみが固有名として定着します。アンフォルメルの思想を否定し、人間の形それ自体を志向するのは彼が代表的人間、
ある性格の雛型となり、類似する他者を全て代表しようとする意思があるからです。
http://www.laspara.net/
94 :
考える名無しさん:04/03/28 11:21
なんで長渕がいんの?
抜いとけ
訴えられたくなぁい〜♪
96 :
考える名無しさん:04/04/17 18:26
>>1 尾崎はカッコイイから良い。
そんだけ。
ニーチェはヒゲがよいけど、
個人的にはソシュールのヒゲのほうが好き。
だからちょっとアウト。
>>97 >そんだけ
と言っておいてニーチェについて書いたしまった俺はアンポン。
99 :
考える名無しさん:04/04/20 00:55
ナルシーだからかな
101 :
考える名無しさん:04/04/25 01:34
尾崎豊は、鬼嫁尾崎繁美に頼まれた田崎(繁美の男友達)に殺された。
田崎は山口組と関係が深く、覚せい剤を山口組から手に入れた。
田崎が通常使用量の50倍の覚せい剤を、酒一升飲んで酔っ払った尾崎に、
薬だといってコーヒーといっしょに飲ませた。
102 :
考える名無しさん:04/05/07 23:14
103 :
考える名無しさん:04/05/08 12:32
ニーチェは凄いな。
哲学版の方々には、三島って評判悪いようね。
105 :
1ぶち長くおじ:04/05/15 12:54
考える名無しさん :03/12/09 00:28
長渕のきもさの秘密
(1)歌声がきもい。つうか歌下手すぎ。
(2)歌詞がDQN。もっとまともな歌詞かけよ。
(3)長渕の暴力。自分に手出しできない人間を病院送りとは・・・。
(4)格闘技の真似事がきもい、話題作りに必死すぎる。
(5)相田みつをの詩集を盗作、遺族の指摘に土下座。
(6)乾杯はロッド・スチュアートの「セイリング」のパクリ。
(7)ファンがきもい、長渕をむりやり勧めてくる。
(8)ヲタがカラオケで長渕だけ歌いまくる。
(9)石野真子をむりやり結婚して、彼女の人生を破壊。
(10)吉田拓郎パクリまくって、拓郎ファンから石を投げられる。
(11)桑田の歌をドラマで侮辱。
(12)雑誌で桑田を挑発したくせに、結局桑田を襲う事が出来なかったヘタレ。
(13)紅白で3曲も歌い、紅白に大迷惑を
長渕、おまえほんとにくずだな。ごみか?
汚い歌、いつまで歌う気かな。
長渕、おまえ、ケンカ弱いくせに拳法初段とかうそついて
必死で強そうに装っているだろう。がははは、は。見てて
透けて見えてるよ。見え見えだぜ。うわはっはっは、っは!
ほんとに強いってのはなあ、黒アメ、舐めなめの兄貴くらいか、哀川のだんな
のような人たちだ。
弱いものイジメの自閉症男、長淵をぶちのめせ、1回10円。
106 :
考える名無しさん:04/05/17 04:41
もう何年も長渕が売れてるのは知ってるけど、どの曲も同じに聞こえて仕方がない。
パクリ曲で、ガラガラ声が唯一の印象という程度。
とにかく自分は聴かないし、自分のまわりにも長渕を聴いている人がいない。
まわりに聴いている人が全然いないのに、何故オリコン上位になるのか不思議で仕方なかった。
自分だけが世間のみんなに騙されているのかとさえ思ってしまう。
ここの板をはじめて読んでみて、自分が普通だったんだってわかってホッとした。
長渕の熱狂的なファンが発売日に気合が入ってたんだってこと。
でも、本当に自分のまわりに長渕を聴いている人がいない。
いったい、長渕のファン達は街のどこにいるんだろう…
107 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :04/05/17 04:48
109 :
考える名無しさん:04/05/18 20:01
フォーク時代の長渕はリアルタイムに結構聴いてたなぁ。
ヘビーゲージは自分の大失恋時代とシンクロしてて結構聴いた。
尾崎や浜省とかにかなり刺激されて、なんかハンパな時代もあったね。
時は流れて現在の長渕はかなり嫌いなミュージシャンの一人になった。
長渕が自分のアイデンティティで作り上げた長渕剛像ってのも受け付けなくなったし
彼が何を歌おうと聞こうと思わなくなった。
自分にとってなんかリアリティがなくなってしまったのかも。
昨日たまたまbye-byeというアルバムを引っ張り出して聴いたが懐かしかった。
歌なんてそんなもんだよ。
110 :
名無しさん@社会人:04/05/18 21:04
吉田拓郎とは未だに天と地ほどの差があるということですな、長淵は。
歌もまずいが、何を勘違いしたのかへたくそな絵と字を書いて
悦にひたってるのもどうかと思う。
111 :
考える名無しさん:04/05/18 21:29
長渕って演歌だろ?
112 :
久蔵 ◆nHHFfUj/w6 :
>ほんとに強いってのはなあ、黒アメ、舐めなめの兄貴くらいか、哀川のだんな
>のような人たちだ。
大木凡人さん、オール巨人さんなんかは、かなり強いらしいよ
(怖いから、さん付け)。