人は何故自ら束縛を求めるのか

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20考える名無しさん:03/10/21 11:56
>>1
そりゃ現代病だよ。
もはや束縛無しでは生きていけない人ばかりですから。
21考える名無しさん:03/10/21 12:00
創価学会員が創価学会無しでは生きていけない様に
22クジラ ◆qOSv/CKab2 :03/10/21 14:43
自由とは「承諾」であり、束縛とは「拒絶」である。
231:03/10/22 10:12
>>22
で?
24考える名無しさん:03/10/22 10:13
>>23
間違った、俺このスレの1じゃねーや。
25あちょー:03/10/22 12:44
わたしを奪って、束縛して、というのは乙女心です。
261:03/10/22 15:41
>>25
全人類の真理を知りたい。
27考える名無しさん:03/10/22 15:53
自由というのは、「自らの命ずるところに従う」ということだろう。
それ自体が束縛だ。
28考える名無しさん:03/10/22 16:28
>>27
自由は従うことだけど束縛ではないよ
自らの命ずるところに従わないことが束縛なんだよ
29考える名無しさん:03/10/22 16:29
>>28
束縛の定義は?
30考える名無しさん:03/10/22 17:36
>>29
制限に納得できないことだよ
31あちょー:03/10/22 19:17
手が動かないと手が不自由というように、自由とは機能、能力を
発揮することと定義できる。
しかし束縛とは何だろうか。個人の自由を奪う束縛もあるが、社会が
個人を社会のために機能させるためにする束縛もある。
束縛とは何か決められた行動範囲に強制することであり、それが
自由を与えるのか奪うのかはケースバイケースなのだろう。
32あちょー:03/10/22 19:23
社会に束縛を求めることは、社会のために役に立ちたいということ
なのだろう。
33考える名無しさん:03/10/22 19:48
自由と自立はきちがえてるよ
34考える名無しさん:03/10/23 02:48
>社会が個人を社会のために機能させるためにする束縛もある。

今時こんな全体主義的な考えを臆面もなく言う奴がいるとは・・・。
お前は日本にいないで北朝鮮にでも逝け
35考える名無しさん:03/10/24 12:42
>>34
お前がフィリピンにでもいけ
36@@@:03/10/24 12:52
自由であると何をしていいかわからなくなるから。
また、個人が自由であるとしても、それと無関係に社会には(集団を維持するための)掟が存在する。
結局、自由というのは社会の掟を尊重した上で始めて発揮できるのである。
ミクロの自由はマクロの悪であるから、社会は掟を造る。そして個人もそれを求める。
それでも掟破りをする人間は存在するだろうが、彼は罰せられるし、それを社会は望んでいる。
不自由さを感じるとしたら社会の利害と個人の利害が必ずしも重ならないからでもあろう。
37@@@:03/10/24 12:55
だからホントは自由など無いのだ。重力から自由じゃないし、因果律から自由じゃないし、DNAから自由じゃないし、法律から自由ではない。
これらの掟(人為的な法律も含む)は、いわば神の見えざる手がつくりたもうたもので、人間はそれに逆らって生きていくことは出来ない。
38@@@:03/10/24 12:58
それらに逆らって生きていく「自由」もあるだろうが。ビルから飛び降りたら怪我をするだろうし、こちらが因果律を無視しても因果律はこちらを無視しない。
DNAを無視しても、DNAは無視してくれない。法律を無視しても法律は無視してくれない。

39ひとあいださん:03/10/24 16:19
形式(型)が無ければ、そこに自由が発生しないからです。
束縛するもの=限定するものがそこにあるから、開放するもの=解放するものが知覚され得る!

こうして肉体が生まれ、社会が生まれました。
文明とは、文化的自己表出によって「死」「動物性」の束縛から我々の意識=生を解放する試みです。
40考える名無しさん:03/10/24 17:07
まず発想の転換

束縛と自由は同じものである
>>1の言っている意味での「束縛」ならこう書いてもかまわないと思う
人は今に身を置いてそこから踏み出す時に「選択」を行う
その「選択」は、選択肢の中から一つを選び残りを捨てる作業である
選ぶことは自由にできる
しかし選んだことは同時に束縛となる

今していることではなく今捨てたものの方に目を向ければはっきり分かるはず
自由に選んだものが即ち束縛となっていることを

つまり結論としては、
「人は望む望まないにかかわらず束縛を受け入れざるを得ない」
人間の社会的な自由は、物質的な安楽さに結びついるので
極端に例えてしまうと 貧乏人は 自ら望んで
ルンペンにならない限り自身が自由である感情を持つ事はない訳で  
理性の内 又は あ〜したいこ〜したい意志の中に
自由は潜在的な行為の能力として在り、けっして思考の能力では無いわけで
したがって 「無意味な束縛だ」ではなくて
「無意識な束縛」で、 もしろ「自由」と言うよりも「自律」。
42考える名無しさん:03/10/27 08:26
なんでだろうね
43考える名無しさん:03/10/27 15:24
自分で自由に考えて自由に行動するのはめんどくせーもん
束縛されてるほうが安気でよいのだ。
44お茶の水博士:03/10/27 21:48
自然じゃよ……
自然からの疎外に
人間は心の底から
怯えとるんじゃ
45お茶の水博士:03/10/27 21:50
政治家は核ミサイルでしか
お互いを関係付ける事しか
出来んのじゃからな

束縛の無い自由なんか
人間の幻想じゃろうて……
46てんま:03/10/27 21:54
>>45
>政治家は核ミサイルでしか
>お互いを関係付ける事しか
>出来んのじゃからな

 >>44はいいとして、なんでこんな極端な話になるのかね?
47助手:03/10/27 22:13
お茶の水氏は、疲れておられます
アトムが哲板で暴れているものですから……
原子力に絶望をしているのです
そっとしておいてあげてください。
48てんま:03/10/27 22:15
>>47
なるほど。そういうことですか。
これは失礼いたしました。
そうですか。
49考える名無しさん:03/11/07 05:10
あげ
50考える名無しさん:03/11/07 07:58
自我を形成するための手段だから。
51S・ピカァー:03/11/07 08:28
個体は上位の集団の一部であり、下位の個体の集団である
ここに存在する関係性を束縛と呼ぶなら、
人は束縛で構成されているということだろう
束縛を否定する自由など存在しない
1のいう自由とはなんであるか
考えるとよいだろう
52考える名無しさん:03/11/07 10:37
>>1
人は苦しみから解放されることを恐れる。
53Γ ◆m0yPyqc5MQ :03/11/07 10:39
しかしそれは初期におけるただの魔法である。
54考える名無しさん:03/11/10 15:53
age
55考える名無しさん:03/11/10 20:53
束縛を楽しむ自由。SM。
56考える名無しさん:03/11/14 20:56
age
57考える葦:03/11/14 21:23
>>1

何ら無意味ではありません
自由を感じるためには不自由を体験的に知らないといけないだけ
この世は相対性ですから
58考える名無しさん:03/11/22 11:04
age
59考える名無しさん:03/11/22 11:22
解放された肉体
解放された社会
解放された思考
解放された感情
解放された政治
解放的な団体
解放的な集団……


つまりはそういうことです。
60考える名無しさん:03/11/22 12:43
自由とは幸福であり、束縛とは安全である。

幸福と安全は反比例するため、両立し得ない。
それでも、人はこの2つを求めてしまうのです。
61論理体:03/11/22 12:48
Mの人は縄で拘束されることを喜んでいるみたいですが何か?
62考える名無しさん:03/11/22 22:02
>>61
それを束縛といっちゃあだめよ
あくまで時間制限ありのプレイですから
63考える名無しさん:03/11/25 06:37
>>59
それは社会的な理由だろう
64考える名無しさん:03/11/25 08:38
ぺらぺらとらんぼうにしゃべるね、みんな。
65考える名無しさん:03/11/25 09:03
そうだね。
66嗚呼ビガロ様:03/11/25 09:05


勝利宣言ビガロ閣下の名言その5:

ぶひゃひゃひゃひゃw


今日も完勝!俺に敵なし!よかったぁ、哲学修めといて。煽りにも強くなれるしねw



67考える名無しさん:03/11/25 10:03
人は個体性と集団性でできている
個体性は気分で孤独と呼ばれたり、自由と呼ばれたりする
集団性も気分で束縛と呼ばれたり、協力と呼ばれたりする
68M:03/11/25 22:43
時間制限があるからたのしい。>>62
69考える名無しさん
束縛を有意義に使うことで自由が発生するから。
これ以上の答えはありません。



       終      了