柄谷行人を解体するX〜マルクスその可能性の中心5

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56くろしろ@ ◆AcNr2wNPmQ
続き
それに価値を需要面、供給面で考えれば「存在」と言う事が非常に重要
になってきます。
たとえば私はB型肝炎なんですがそれに対する完璧な治療法と言うものは
存在しない。希少でもなくゼロなんです。私ははとりあえず炎症は治ま
って経過観察だけでいいんですが、酒は飲めない、セックスもやや不自由
です。
しかし私は完全に治りたいから需要として、供給では存在しない完璧な治療法
に「価値」を見いだすわけです。
それは、結局、健康でいたいと言う本能により感じられる事で、労働による
ものではありません。
もちろんこの先「労働」や、「偶然」によって完璧な治療法と言うものが
生まれ供給されるかもしれない。
だがそれは「労働」によって表されるだけではなく
「存在」でも表されなければ駄目だと思うんです。それでもって初めて、
希少性が語られる。「存在しないもの」には希少性も何も無い「無」なんです。
正確に言うと状況無。ゼロです。
だから労働すれば此の世に何でも生まれ、それが社会の根底価値であるという
考えは、一寸受け入れられないのです。労働の前にまず「存在」だろうとおも
うのですが(もちろん労働が存在を生み出す事も考慮のうえで)