柄谷行人を解体するX〜マルクスその可能性の中心5

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54くろしろ@ ◆AcNr2wNPmQ
(OFWさん)
>マルクスが第三次産業を生産としないこと
これこそ、マルクスの資本論がせいぜい第2次産業の分析しか出来ず、
今の資本主義の分析が出来ない事の証明ではないかと思うのです。
だからこそ科学性もなく、労働者の明日へも賭けることも出来ない。
また第二次産業でもマイナーチェンジによる資本の有機的構成を抑えて
います。次々と発表される新モデル。このことについて議論がなければ
マルクスは現在の資本主義モデルについて何もいえなくなる。

また価値と言うものは需要面と供給面でみなければならないと思うのです。
つまり基本的な価値とは人間が連続するための需要と供給にある。空気
水、食料、生殖、健康、エトセトラ、資本主義発生以前から発生以後も人間は
この価値からは逃れられないのです。マルクスの言う価値は、ただ価値の
供給面について言っただけであり、しかもその一部についていえただけであり、
また需要面で見れば労働価値説は明らかに誤りなのです。
たとえば食料は狩猟したり農業したり、市場で買うための貨幣を稼いだり、
何らかの労働をしなければなりませんが、需要面で言えばそこにはただ腹
が減ったと言う連続的存在である人間の本能が発する信号があり、それは労働
によらずとも発生するものなのです。
だから価格などが現象であり、価値はその本質であると言うことはいいのですが、
その価値が結局、労働によって行われる。または割り振られた労働であると
言う価値観は人間の連続的実存について部分的にしか語ることが出来ないのです。
人間はまず動物である、このことについて知らなければわれわれは理想について
語ることをやめなければならない。