悟りたいとか自律したいとか( 2)

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798考える名無しさん
そろそろおにーさんが悟りについておしえてあげよう

世の辛酸をなめ尽くさず、真に悟るのは難しい。
あらゆる苦痛、感情を経験をせずとも、悟る人はいるかも知れないが、
それでもやはり、どこか足りないものがあり、真に悟ったとは言えないものである。た
ただ、悟りとはその人によって違うもので、皆、個々の経験によって独特の個性や真実を認識していくものであり、
それぞれの自分というものにとって必要とすべき悟りというものが存在するのである。
だが、真に自分が悟ったという確信を自己の内側に得たならば、ただ、自分のココロの内で静かに想っていれば良いものであり
他人に宣言したとしても、自分とは違う悟りを得たものがおのずと存在するため、自分に対しお前は悟ってはいないと
言われるものがいて、ややこしい事になるものである。しかし、根本的な事で言えば、どのように悟りを得たものでも、
共通する認識というものが必ず在るものであり、その共通した認識が天地、宇宙の創造主のことであり、神であり、そのエネルギーである。
799考える名無しさん:03/11/05 15:07
はい、次の人どうぞ
800考える名無しさん:03/11/05 15:07
「執着」とは?
801考える名無しさん:03/11/05 15:09
とらわれた心です。
802考える名無しさん:03/11/05 15:10
「無」とは?
803考える名無しさん:03/11/05 15:12
無とは有のことです。
804考える名無しさん:03/11/05 15:12
ないという事です。
805考える名無しさん:03/11/05 15:14
ある日、仏陀が旅をしている時、刀を手にした悪人に出会いました。
「仏陀よ!お前の愛は、本日ここで我が妬みに屈服してしまうのだ。
お前の命は今日限りだ!」と告げられた仏陀は、笑みを浮かべて悪人に
こう答えたのです。「私は、妬みにも憎しみにも屈服することはない。私
は、褒められても咎められても心を動かすことがない。私は私に対して、
そのような悪意を抱くそなたさえも愛している」と。
他の人々を憎む者たちは、ついには自らの憎しみによって燃え尽きてしまう
のです。妬みで一杯の人々は、ついにはその中で身を滅ぼしてしまいます。
806考える名無しさん:03/11/05 15:16
色即是空
空即是色
807考える名無しさん:03/11/05 15:18
ある日、仏陀が旅をしている時、刀を手にしたハルカに出会いました。
「仏陀よ!お前の愛は、本日ここで我が憎悪に屈服してしまうのだ。
お前の命は今日限りだ!」と告げられた仏陀は、笑みを浮かべてハルカに
こう答えたのです。「私は、妬みにも憎しみにも屈服することはない。私
は、褒められても咎められても心を動かすことがない。私は私に対して、
そのような悪意を抱くそなたさえも愛している」と。
他の人々を憎む者たちは、ついには自らの憎しみによって燃え尽きてしまう
のです。妬みで一杯の人々は、ついにはその中で身を滅ぼしてしまいます。
808S・ビカァー:03/11/05 15:18
ん?
809考える名無しさん:03/11/05 15:21
仏陀はある時「世界で最も富める人は誰ですか?」と尋ねられ
「自分の持っているものにおおいに満足している人が富める人である」
と答えました。「最も貧しい人は誰ですか?」という問いには、
「多くの欲望を持っている人である」と答えました。
810S・ビカァー:03/11/05 15:22
えっ!
811S・ビカァー:03/11/05 15:23
わしの事?
812考える名無しさん:03/11/05 15:23
かって、仏陀は、一つの死体を見ました。そして、一人の病人を見ました。
また彼は、一人の老いさらばえた男を見ました。このような光景を目の当たり
にして、彼の心に変革が起こりました。私たちは、たくさんの死体や、たくさん
の病人や、老人を見ていますが、私たちの心は変わりません。私たちの心は石の
ように固くなったのです。私たちは、自分自身を変革しなければなりません。
そうしてこそ、初めて私たちは人間なのです。
813考える名無しさん:03/11/05 15:26
よくわからんw
814考える名無しさん:03/11/05 15:27
この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを
置くのでなく、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しましてくださる神に
望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、
喜んで分け与えるように。真の命を得るために未来に備えて自分のために
堅固な基礎を築くようにと。
815考える名無しさん:03/11/05 15:28
人間にとって大切な二つのことがあります。ひとつは自分に自信をもつこと
であり、もうひとつは心を清めることです。人はひとりで生きることは
できません。全世界は、社会の組織と、個人が社会にかかわりあって生きる
生き方に依存しています。何者であれ、外界との係わり合いなしに変化する
ことはできないのです。赤子が歩いたり話したり、読み書きを学ぶのは、
母の愛と助けがあればこそです。このように神聖な生活は善い友との交わり
から始まります。
816考える名無しさん:03/11/05 15:29
富が確かだというのは幻影。
817考える名無しさん:03/11/05 15:31
人の姿でこの世に生を受けたならば、必ず持っている能力があります。
人間の証明ともいうべき「悟り」に到達するまでに、例えばあの
「赤ちゃんハイハイコンテスト」みたいに、ゴールまでのコース上には
色んな誘惑が待っています。

ゴールにお母さんが待っていることも忘れ、お気に入りのオモチャにすっかり
気をとられてしまっている香具師の、なんと多いことか!
どれも偽者だと気づき、真実を求める赤ちゃんだけが、大いなる母の懐に抱かれ
父の待つ家に帰ることができるのでつ。
スバラシイ!!
818考える名無しさん:03/11/05 15:33
ヨガ、瞑想って悟りに効果あるんですか。
819考える名無しさん:03/11/05 15:34
八正道を実践して煩悩を消滅させていかないと悟りはないよ。
ヨガ、瞑想ってただの思考停止だからね。
820考える名無しさん:03/11/05 15:39
とりあえず、一人でも、また今からでもできる修行。
仏教風に言えばいわゆる坐禅・坐忘のようなものだけど、各種宗教の基本的な行にもなっています。

1 その場で静かに眼を閉じ、ごく弱く深呼吸を繰り返す。
2 そのまま、自分の中に浮かんでくる「想い」を見つめ続ける。
3 しばらくたったら、眼を開けて日常に戻る。ただし、その後も機会があるたびに2の状態を維持すると良い。

大切なのは、「雑念」を払ったり入り込むのではなく、ただ「見つめる」こと。
やがて「自分の想い」を見ている自分が目覚めてくるでしょう。
それは、夢の中で見ている夢が一つ覚めた瞬間です。
821考える名無しさん:03/11/05 15:41
お釈迦様ってどんな修行やってたんですか?
822考える名無しさん:03/11/05 15:42
断食をしていた。
823考える名無しさん:03/11/05 15:43
しかし、一直線に母親のもとに駆け込む赤ちゃんには何らの
面白みもないのだ。むしろ、数々の誘惑に引寄せられ、魅了
され、さんざん迷い、横道にそれ、正道を見失い、母親の顔
さえ忘れる・・そうした長い彷徨と踏み迷いの末に、やっと
帰郷への道を見出す赤子こそ、むしろ最短距離のコースを
たどったと言いうるのだ。塩がなければ、旨味もでないものだ。

824考える名無しさん:03/11/05 15:43
断食の他に何かありますか?
825考える名無しさん:03/11/05 15:44
呼吸の制御や瞑想
止息したり、激しい呼吸をしたり、
お経に出てる。
826考える名無しさん:03/11/05 15:45
断食をしていたお釈迦さまに娘が牛乳を差し出す。これを飲んだお釈迦さま
の頭がものすごく回転して、一気に悟ってしまう。
そして、お釈迦さまは難行苦行を否定。これを見た他の修行者はお釈迦さま
を蔑む。
827考える名無しさん:03/11/05 15:50
目の前に現れた道を登ればよい。
あっちの道のほうが楽そうだとか、こっちの道は危険だとか、
登る前から噂話で時間を空しく費やしすぎる。
頂上は一緒。
どの道にも、路傍にはそれぞれの花があり、険しい上り坂があり、難所がある。
828考える名無しさん:03/11/05 15:55
目の前に現れた道を登ればよい。Sはもう登り始めたようだね。
あっちの道は駄目だとか、こっちの道は呆れただとか、
ハルカは登る前から教祖気取りで時間を空しく費やしすぎる。
頂上は一緒。
どの道にも、路傍にはそれぞれの花があり、険しい上り坂があり、難所がある。
829考える名無しさん:03/11/05 16:00
悟りを開くときは、一気。でもその前に修行が必要。
830考える名無しさん:03/11/05 16:01
827に同意。そのことをドンファンは「心ある道を歩め」と
端的に表現しました。(もちろん、カスタネダの師のほうです)


831考える名無しさん:03/11/05 16:08
なるほど〜ハルカのヨタ話よか遥かにいいです。
つかハルカって悟りと関係ないのでは?と
832考える名無しさん:03/11/05 16:14
憎悪は囚われにすぎない。
833考える名無しさん:03/11/05 16:17
807 :考える名無しさん :03/11/05 15:18
ある日、仏陀が旅をしている時、刀を手にしたハルカに出会いました。
「仏陀よ!お前の愛は、本日ここで我が憎悪に屈服してしまうのだ。
お前の命は今日限りだ!」と告げられた仏陀は、笑みを浮かべてハルカに
こう答えたのです。「私は、妬みにも憎しみにも屈服することはない。私
は、褒められても咎められても心を動かすことがない。私は私に対して、
そのような悪意を抱くそなたさえも愛している」と。
他の人々を憎む者たちは、ついには自らの憎しみによって燃え尽きてしまう
のです。妬みで一杯の人々は、ついにはその中で身を滅ぼしてしまいます。