もしくは人の死という概念が遠いものになってるともいえますね。現代人。
954 :
考える名無しさん:04/03/15 00:46
あれで答えがでてると考える香具師は、62,63の投稿者ぐらいだろ。(藁
んなこたあない。俺は別人。信用してくれなくてもいいけど。
>>62-63の答えじゃ満足できないってわけね。俺は十分満足。俺がそういうことをしない大きな理由はこれ。
他のしょうもない書込みのせいで、一つの重要な視点である
>>62-63が埋もれていく
のはもったいないと思う。
>>953 そういうことは分かってる人も多いと思うんだけど、
もちろん共同体(国)の都合としてルールが作られるのは当然。
かといって世界規模で動いてる現代で、そんな事後的な理由付けは
もはや戦争を助長するだけじゃないのかな。
そこを乗り越えてステップアップした見解がほしいわけだけど。
62-63がただの歴史的な背景説明だとしたら問題ないけど。
> もちろん共同体(国)の都合としてルールが作られるのは当然。
今となっては共同体としては人類全体、ってのもありうると思ってる。人類全体の効率的維持。
> そこを乗り越えてステップアップした見解がほしいわけだけど。
そういう話だったの?より良い、戦争をも防ぐような、人を殺しちゃいけない理由?
それは難しいな。それが分ったらノーベル平和賞もの。
そんなものあるとは思えないけどな。たとえばさ、伝染病になった家畜とか
大量に殺してるよね。もしも、人類にそういう致死率100%の伝染病が発生して、
感染範囲がまだある狭い地域にとどまっているとすると、そこを空爆する
気がするよ。仕方がないことだよ、きっと。
だから、絶対に人を殺してはいけない、なんて倫理観は、すべての伝染病が根絶された
あとじゃないとありえない。少なくとも医学のより一層の発達が必要で、哲学だけじゃ
どうしようもない。
伝染病のとこはちょっと言ってることがよくわかりません。
伝染病患者だったら隔離して治療方法を解明するか、もしくは
放置するかじゃないかな。いくらなんでも空爆はないでしょう。
かなり安易で危険な思考ですよ。
世の大半の殺しはあくまで手段なわけで、別の方法で
目的が達成されるような方法を見つけ出せば殺しは減ると思うんだけど。
それはただ、殺されたくない人は殺されずに済むというだけですが。
例えば、イスラム教とキリスト教をお互い前提として話をするから
お話にならないわけで、もっと根源的な生命倫理観を
世界規模で作る必要があるんじゃないかと言ってみました。
でも平和志向は人類発展の足枷になることはやむ終えないのかも。
>もっと根源的な生命倫理観を世界規模で作る
まあこんな大それたことを言う私は叩かれること必須なんですが。
960 :
考える名無しさん:04/03/15 02:23
「人を殺してはいけない」なんて結論を前提に議論を進めた哲学者で
歴史に名を残したような人物は存在しません。
理由は簡単なので各自考えてください。
法律があるから人を殺してはいけないんですか?
法律がなければ殺してもいいんですか?
法律があろうがなかろうが殺人はいけないんじゃないですか?
いかなる理由があろうが殺人とはゆるがぬ悪=絶対悪ではないですか?
殺人を絶対悪と定めなければあらゆる悪の基準は曖昧になり相対化してしまいます。相対化されるのは悪という範疇にとどまりません。あらゆる価値が相対化されてしまいます。もちろん絶対的な価値などこの世に存在しないという意見が多い
のは心得ていますが、果たして本当にそうですか?
この世にある価値の全てが本当に真の意味で相対的なら我々は日常生活を普通に送ることさえままならないはずです。絶対的価値の実在を信じるのはある意味
宗教的な面もありますが、皆さんはどう思われますか?
962 :
考える名無しさん:04/03/15 04:10
「人を殺してはいけない」ってのは、単なる強制力であって
普遍的な真理でも何でもないから、無駄な議論はやめた方が賢明。
>>961 そう思えるならあなたはそれでいいでしょう。
あなたが何を思おうとあなたはルールに反さない人間なので
社会的に何ら問題のない信念といえます。
でももし、殺す時が来れば誰しも人を殺し得るんですよ。
私にとってはある一つの世界観を真の世界だと固定化してしまうことが恐ろしい。
例えば二人の人間がいたとして、お互い異なる真の世界を持っていたら
お互い否定しあうんじゃないですか?
絶対的価値を据えるのはパラノイアを生むだけです。
私達の価値観はすでに社会に規定されていて、その価値観がまた
次の私達の社会を形作る。生命観だろうと絶対的、普遍的な
価値を固定してしまっては、後に歪みを生むだけです。
かといって普遍的なものすべてを否定しているわけではありません。
>>961 仕方ないこととは言え、食べる為に動物を大量に殺している以上、そんなきれいごとは
言ってられないと思う。
人間を殺してはいけないのにどうして動物は殺していいのか、という話にもなる。
結局は共同体、ひいては人類全体、の効率的維持に役立つかどうかでしかないと思う。
何がしかの価値を判断する時には必ず基準となるものが必要だと思うのですが
どうでしょうか。このことは時代がどうであれ環境がどうであれやはり悪だと言える
ような絶対的な基準。
もちろん殺人にもいろいろあって正当防衛や、食べるための動物の殺戮はいちがいに悪とは言えないと思います。しかしそういった様々な理由を全て取っ払った
殺戮の本質、もしくは殺戮のイデアを絶対悪とみるのはどうでしょうか?
>>964 すでに社会に規定された価値観があるのなら、それこそ絶対的なのではないです
か?価値観が相対的なら社会に規定されることはないはずです。
968 :
考える名無しさん:04/03/15 11:52
士農工商の身分制度だって、社会に規定されていたよ。
>>968 社会に規定されたことの全てを絶対的価値の範疇に入れるのは無理があると思いますが、
士農工商の観念→イデアは今でも根強くあります。見た目は形を変えたり、ソフトになったりはしてますが、、、
970 :
考える名無しさん:04/03/15 12:25
> すでに社会に規定された価値観があるのなら、それこそ絶対的なのではないですか?
> 社会に規定されたことの全てを絶対的価値の範疇に入れるのは無理があると思いますが
自分の考えに無理があると言っているの?
971 :
考える名無しさん:04/03/15 12:55
死刑がある。
大昔、コロシアムで殺し合いが行われていた。
戦争を悪 としない時代もある。
この事実はドウ説明するのかね?
>>962 >>965のいうとおり、人を殺してはいけない は真理ではなく、
そのように社会が取り決めることで社会的優位を作ろうとしてるだけだと思う。
972 :
考える名無しさん:04/03/15 13:18
「人を殺してはいけない」と考えなかった人たちがいたことは、「人を
殺してはいけない」が真理でないことの証明にはならない。逆に、仮に
「人を殺してはいけない」と考えない人が誰もいないとしても、それが
「人を殺してはいけない」が真理であることの証明になるわけでもない。
973 :
考える名無しさん:04/03/15 13:20
「社会が取り決めることで社会的優位を作ろうとしてる」ってどういう
ことかね?
974 :
考える名無しさん:04/03/15 13:33
生ぬるい民主主義社会の幼稚な議論は、通時性も共時性も無い空虚なものだよ。
「社会的優位を作る」というのがようわからん。
誰の誰に対する優位?
976 :
考える名無しさん:04/03/15 16:23
人が人を殺すことによる損失はだれでもわかること。(例外有り)
社会的優位とは、人が人を殺して罪にならないという世界と比較しての優位。
生まれてきたときにすでにある社会というのは
ある意味絶対的な価値観の基礎であるともいえます。
例えるなら、私達は数学において1+1=2のルールを暗黙のうちに
受け入れることで、数学世界での経験を可能にさせる視点を与えます。
それと同じように社会規範が”私”の経験を可能にさせ、世界を意味付けます。
社会そのものはそういう意味で絶対的ですが、不変ではないのは
私達自身もまた社会の構成員であることで確かだと言えます。
>何がしかの価値を判断する時には必ず基準となるものが必要
これはそうですが、絶対的なものがあるのではなくて
私達は絶対的なものを”想定”することしかできないのでは?
それが社会であり、時代性というものではないでしょうか。
>>976 仮に、「不利になること」=「いけないこと」に普遍性があるのなら、
>人が人を殺して罪にならないという世界と比較しての優位。
が存在する以上、「人を殺してはいけない」にも、
その範囲での普遍性はあるんでは。
979 :
考える名無しさん:04/03/15 17:23
>>仮に、「不利になること」=「いけないこと」に普遍性があるのなら
ないですね。仮にあるとすればいろいろと普遍性が出てくるのでしょうが・・・。
数学でいうところの公理を仮定すればいろいろと導きだせるのでしょうが、
哲学の場合、○○を仮定したら という部分すらたたかれます
1000!!
>>979 だから、「その範囲での普遍性」といってるわけですが。
つまり、「完全な普遍性が存在しない」ことは、
「価値観の共有がいっさい存在しない」ことを意味しません。
つまり、私がいいたいのは、例えば、現在の国家元首の大多数について、
政治理念国家体制に関係なく「不利になること=いけないこと」という考えは、
普遍性をもって存在しているのであって
(もちろん、このことは、「不利になること=いけないこと」に「完全な」
普遍性があることを意味しませんが)
外交などの実用上は、それが普遍的なものであると考えて差し支えないわけです。
殺人についても、同様なことがいえるのではないか。
つまり、「殺人はいけない」に「完全な普遍性」はないけれど、
実際の社会生活を送るという実用上は、充分な普遍性があると
考えるほうが妥当なのであって、完全な普遍性がないがゆえに、
それを「殺人はいけないわけではない」と考えるのは、
論理的には正しくても、実用上は何の価値もないことではないか、
ということです。
こういう子供むけのテーマを専門用語をつかっておおまじめに議論するのは哲学っぽい。
普通の大人なら自分なりの回答をすでに見つけているか、あるいはそんなこと考える
までもないと思っているかのどちらか。後者は子供からこの質問をされてあたふたする
可能性はあるけど。筑紫哲也は後者だったな。
983 :
考える名無しさん:04/03/15 20:35
1+1=2を暗黙のうちに受け入れるなんてあり得んだろ。
1+1=2は教え込まれて身に付くものだ。
「殺してはいけない」ってもの同じだろ。
1+1=2 は要請です。
でも人を殺すなと直接教え込まれるわけではないと思います。
悪い言い方になりますが、「殺しは良くない」というのは
ある種の強迫観念のようなものではないでしょうか。
大抵の人はこれをしっかり教育されたわけではなく
直感的に「ダメだ」と思っているはずです。
”殺人”に限定するから、感情的になりがちですが
「立派な大人になって社会貢献する」と同じようなものでは?
フーコー流に言うと、法律(国の権力)があるから
それに従うのではなく、社会的関係から生じる権力に従い
暗黙のうちに「殺しは良くない」というルールに従事していると。
そういう意味で”暗黙のうちに受け入れる”と表現しました。
まあ、別に教えられた人が殺しても、教えられていない人が殺しても、
あるいは、殺人について、殺す当人がどのように考えていようが、
殺人の効果は同じだが。
舟に乗って二人がかりでこがないとわたれない川を、
二人でわたっているときに、もう片方を殺せば、
橋はわたれなくなる。
別に、殺すやつや「殺人は良いことだ」と考えていたとしても、
この結果が変わるわけではない。
×橋はわたれなくなる。
○川はわたれなくなる。
1人でもこげる舟だったとして、そこに3人居合わせたとすると
はじめのうちは3人で渡ろうということになったものの
渡る途中で舟が沈みかけた場合、誰か一人を川に落とすか
それとも皆で一緒に沈むか。
当人次第になりますが、これは選択によって結果が異なりますよ。
>>988 そう、結果は行為によって異なるのであって、
その行為を当人たちがどう定義づけているかによって異なるわけではない。
殺人を悪であると考えていても、善であると考えていても、
三人乗ったままなら沈む舟は、当人達の考えに関係なく沈む。
直接関係無いが、その場合は、日本の現行では、以下の条項が適用されると思われる。
刑法
(緊急避難)
第三十七条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、
やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。
ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。
990 :
考える名無しさん:04/03/16 00:09
共通の価値観。これを人類すべてに求めるのは大変なことです。
殺しはダメ。これも共通ではありません。
実際テロや戦争が起こりますし、それを支援する人たちも少なくありません。
フリになること≒いけないこと これも共通の認識といえるかなぞです。
人類にとって殺人はフリでしょうが、ある人(例えば強盗)にとっては有利になります。
ではある人にとって殺人はいけないことなのでしょうか?
その人にとっては有利になるのです。その人にとっていけないことなのですか????
という議論になってしまいます。
>>990 それは、不利がいけないことかどうか、という問題ではなくて、
誰にとっても有利なこと、誰にとっても不利なことが存在しない、
というだけのことでしょ。
他人と交渉するときに、
「自分が有利になるから、相手がそれをいいことだと考える」
なんて推測はしないだろう。ジャイアンじゃないんだから。
「この条件なら相手が有利になるから、相手がそれをいいことだと考えるだろう」
と推測するのが妥当だ。
992 :
考える名無しさん:04/03/16 00:49
>>991 誰にとっても有利になること、誰にとっても不利になること
それが存在しなければその範囲での真理 が存在しないことになる。
そういう議論だったはずですが・・・
ですから991の前半部分こそ私のいいたかったことの要約です
相手にとってこの条件なら有利だから相手はそれをいいと考える。
この場合その議論は関係ないですよね?
相手がいいと考えようが考えまいがどうでもいいことです。
今は全人類の話をしているのですから。
そして、最終目標は殺人をダメなこととできるかどうかです。
個人の不利ではなく、共同体としての不利ですよ。
さっきの舟の3人の例のように、1:2の状況で2をとるように
1人突き落とすのは共同体としての利(多数の利)でしょう。
3人で沈むことを、人類誰しもが当然として選択できるのなら
きっと世の中ずーっと平和です。すぐ絶滅しそうですが。
そう考えると、人類存続のため、発展してゆくためには
殺人は不可避というよりむしろ”必要”であるのかもしれないですね。
「人類は殺人によって生き延びた」というのが私の今の考えです。
パラドキシカルで不道徳ですが、的を得ているんじゃないでしょうか?
995 :
考える名無しさん:04/03/16 00:56
内部での殺人を禁止するルールを持つ集団は、そうしたルールを持たな
い集団よりも、生存競争において有利であり……みたいな説明は、なぜ
多くの社会に殺人を禁止する規範が存在しているかの説明にはなるが、
私が「人を殺してはならない」というルールを守るべきかどうかについ
て考えるときには、ほとんど意味がない。
996 :
考える名無しさん:04/03/16 01:03
自分がしたウンコの総量を概算せよ
殺しちゃいけねーとは言ってねーよ
でも、釣ったら食えや!
食えねーら釣るな!
998 :
考える名無しさん:04/03/16 01:05
ウンコ食えねーら釣るな!
>>992 >誰にとっても有利になること、誰にとっても不利になること
>それが存在しなければその範囲での真理 が存在しないことになる。
>そういう議論だったはずですが・・・
そんな議論をした覚えはないけど。
>相手にとってこの条件なら有利だから相手はそれをいいと考える。
>この場合その議論は関係ないですよね?
いや、逆に、私は、最初から「その範囲」のことしかいっていないよ。
君が勝手に議論の範囲を拡張しようとしてるだけ。
>今は全人類の話をしているのですから。
>そして、最終目標は殺人をダメなこととできるかどうかです。
俺はそれ、興味ないから。
1000 :
考える名無しさん:04/03/16 01:06
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。