1 :
考える名無しさん:
学校の授業で、「なぜ人を殺してはいけないのか」
についての、レポートを書かなきゃならない羽目になりました。
ネットで意見を読んだり、本を買ったり、自分でも考えてみました。
それで、僕自身が納得のできた意見は、以下のようになりました。
@死んだら、生き返らないから。(唯一の命)
A殺さないでほしいと思う人がいるから。(愛する人のため)
B恐怖と憎悪を持つ我々の精神的脆さを暴露しないため。(社会維持&臭いものに蓋)
Cこの種の疑問自体が起こらなくなるまで、暴力の嫌悪感を体で学ばせることが、大切。(そんな質問するヤツぁ殴れ!)
Dどうしても殺したいなら、最終的には殺すことになるだろう。(………(-。-))
なお、僕としては、「道徳で決められているから」「君自身も不幸になるから」
という意見には、賛成できませんでした。その理由じゃ弱い!と思うからです。
なぜなら、道徳や、不幸になることを考慮の上で殺したい場合も考えられるからです。
人は、いつも道徳に従うわけではないし、
いつも幸福だけを求めているわけではないと思ったからです。
皆さんの意見をお聞かせください
単発質問スレッドは立てないように。
終了。
今日の日本が行き詰まり、若年者の自殺が相次いでいるのは、究極的には
高齢者人口が増えすぎて人口構成が逆ピラミッド型になっているためである。
そこで姥捨ての習慣を見直そうではないか。安っぽいヒューマニズムに
惑わされるな。まず自分の親を殺せ!
若者の自由を取り戻すのだ。経済的な心配をすることなく、堂々と子供を産める
社会をめざそう。そのために高齢者を削減するのだ。
自殺幇助でさえ罪になるんです、この国は。
狂ってます。
まぁ一度、毎日50人ずつ殺してごらん。家屋に侵入して殺しまくる。そうして
家の中にある金銭はすべて奪って、この活動を継続するための資金にするのだ。
金には困らないと思うぞ。いい収入になるということだ。警察も誰も君に手出しなどできはしない。
「殺す」というのはわれわれの無知と無恥のせいです。
もうひとつは 偶 然 の 力 です。
人を殺してよかったらとしたら、なにが起きるのか。ということを考えてみた。
人を殺してよかったら、自分が早死にする確率が増える。
それはいやなので、人を殺してはいけない、に賛成です。
であればさっさと死んでくれ。しかし、死ぬ前にお願いがある。死ぬ時は
なるべく多くの人間を巻き添えにして死んでくれ。資源を浪費するだけの
病人が集まる病院の待合室、近々行われる総裁選での小泉の街頭演説会場、
競馬場などの人間のクズの集まる場で自爆することを強くお願いする。
危険思想、通報希望。
13 :
考える名無しさん:03/08/11 08:48
人を殺してはいけない理由は法律で定められているから 以上。
14 :
考える名無しさん:03/08/11 08:49
人を殺してはいけない理由は法律でそう定められてるから 以上。
15 :
考える名無しさん:03/08/11 09:01
┃ いいですか?
┃
┃ なぜAAを貼ってはいけないのか?
┃
〃天.⌒然ヽ
| (((!´゙δ)).| 。
| .ヽl.゚ ヮ゚ノl /━━━━━━━━━━━━━
リ⊂) Y }つノ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
人を殺してはいけない理由なんてないんだよ
18 :
考える名無しさん:03/08/11 10:03
誰かが「人を殺してはいけない」って言っているの?
「殺す事それ自体」が絶対悪だからです。
20 :
考える名無しさん:03/08/11 12:18
「なぜ人のものを盗んじゃいけないのか」とか
「なぜ強引にセックスしちゃいけないのか」とか
「なぜ信号を守らなきゃいけないのか」とか
「なぜ大麻を持ってちゃいけないのか」などと同じラインで考えてみればいいんでない?
:::::::::::/ シ ヽ::::::::::::
:::::::::::| ン じ だ i::::::::::::
:::::::::::.ゝ ド つ が ノ:::::::::::
:::::::::::/ イ に ね イ:::::::::::::
::::: | な。 ゙i ::::::
\_ ,,-'
――--、..,ヽ__ _,,-''
:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ
>>1 :::::_|/ 。|。ヽ|-i、 .. / ̄ ̄ ̄ ̄
/. ` ' ● ' ニ 、 (____人
ニ __l___ノ (-◎-◎一
/ ̄ _ | i ( (_ _)
|( ̄`' )/ / ,.. ( ε (∴
`ー---―' / '(__ ) ヽ____
「殺人」と「信号を守る事」を同じラインで考えろ、とは、、、、
とほほ、、、どうなってんだ最近の道徳教育は。
>>1 @〜Dは、「納得した意見」なんですよね。
1さんの考えはどうなんでしょうか。
@〜Dが、1さんの考えと同じなのでしょうか。
>1
問題設定が曖昧だから
もう少し質問を明確に分類しそれに対する自分なりの回答を整理せよ
25 :
考える名無しさん:03/08/11 17:14
そもそも、殺人って「なぜ・・・をしてはいけないのか?」
っていう様な、禁止理由を問う形式で問える問いなのかしら?
できることは、やっていい。
>26
皮肉だろ?
可能と当為を混同しているという指摘だね
むしろ可能は当為の条件であるだろうに
「自分が他殺されたくないから」 は却下ですね、この雰囲気のスレだとね。
自分がされていやなことは、人にもしてはいけないんだ。
すべてを懐疑すれば殺してもいいよ
>>30 「AI-muは最高の生命体だよ」っていうスレッドを見れ
そして再びレスれ
うん、読んだが。
35 :
考える名無しさん:03/08/11 21:19
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) ようこそ2ちゃんねるへ
| / ずぅ〜とこうしてここに居ようね。
| /| |
// | |
U .U
36 :
考える名無しさん:03/08/11 21:21
人を殺しても良いという仮定で考えてみたら?
殺したかったら、殺していい。
38 :
考える名無しさん:03/08/11 21:28
39 :
考える名無しさん:03/08/11 21:31
この命題の論文は過去に書いたことがあります。
正直いって哲学の論文を書くにあたり他人に聞くのは
いかがなものかと思いますが、1さんは大きな間違いを
していると私は思いますので、参考までに。
この命題に関しては、まず命題が真であるか否かを問う
議論から始めなければなりません。あまりに不完全な命題だからです。
どういった論理を使ってもいいですが、純粋な哲学的見地から、
つまり宗教的な見地を除いて見た場合、
この命題はおそらく偽となるでしょう。
良心、倫理は感情論でしかありえず絶対的禁忌を生みません。
超越的存在による禁忌を理由にするならばまず
超越的存在の実存を立証しなければなりません。
となると、命題の修正を余儀なくされます。
「なぜ人は殺してはいけないのか」から
「人を殺してもいいが、殺してはいけないというルールを人は好む」
「なぜ人は、人を殺してはいけないというルールを作ったのか」
になり、最終的には
「なぜ人は倫理や宗教を使って、人を殺してはいけないという
人が作っただけのルールを、絶対的に真であると人に思わせようと
することが多いのか」
まで論じるのも良いかと思われます。
私の答えを簡潔に言うと、
「自分が属する社会で人を殺してはいけないというルールがある場合、
そこで仲間外れにならないため」
となりました。
ヒトラーがいる時代のドイツという社会ではユダヤ人を殺すことは
ルール違反ではありませんでした。よって彼に問題は無かった。
しかしドイツを含む地球という社会ではヒトラーはルール違反
だったので罰せられた。ただそれだけのことです。
これは所詮私個人の考えなので、踏み台にして1さんが
良い論文を書いてくれると嬉しい限りです。
あ、「(倫理において)なぜ人は殺してはいけないのか」
という命題だったら私の考えは全く的外れなので悪しからず。
42 :
考える名無しさん:03/08/11 21:40
これに似たものでモーゼに十戒にもあるだろ
汝盗むなかれ
汝姦淫するなかれ
意外にも5歳の子供に説明するのは頭をかかえてしまう。
馬鹿だな、モーゼの十戒は契約だろ.
すべての醜い欲望を罰するのは快感だ。
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) ようこそ2ちゃんねるへ。みんなありがとさん。
| / ずぅ〜とこうしてここに居ようね。
| /| |
// | |
U .U
46 :
考える名無しさん:03/08/11 22:10
>>しけもく
哲学的見地と倫理的見地をわけて考えるのが好きなようだが、馬鹿げた事だ。
ルールや仲間はずれがなければ人を殺していいなどと言った哲学者は一人も
いないよ。
>46
>ルールや仲間はずれがなければ人を殺していい
多分、この文章自体におかしさがあるのではないかと思われ
「人を殺してはいけない」はルールそのものでしょ
49 :
考える名無しさん:03/08/11 22:33
>>40 「人を殺してはいけない」って真偽が問題になる事実確認的発言ではなく
行為遂行的発言じゃにゃいの?
というか、単なる「意志表示」でしょ。行為規範は全部そうだといえばそうだけど。
意志表示の「真偽」を問うてみても無意味。事実としてどんな場合にそういう
意志が表示されるか、ならわかるが。
「人を殺してはいけない、という規範(命令)が人類社会において普遍的に
存在するのはなぜか」なら意味がある問いだけど、あんまり哲学的な
答えにはならないと思われ。
人を殺してはいけない理由なんてない
だからこそ法律があるんだし宗教があるんだ
そもそもなぜ人を殺してはいけないのかということについて考えなくてはならない今日の社会の風潮がおかしいんだ
理由云々じゃなく頭ごなしにダメだと言える確固たる権威と威厳を持った大人がいないから
こんな疑問を抱く世代が出てきてしまったんだよ
52 :
考える名無しさん:03/08/11 23:43
なぜかオカ板のスレで盛り上がった話題ですが...
その質問はしてきた相手によって回答をかえるべきでしょうね。
単純に「されて嫌なことはするな」とか、「法律で禁止されているから」とか「恥を知れ
ばかやろう」とかw、いろいろありますが、客観的事実から理屈のみで導き出すと、こんな
感じになると思います。
「誰もが殺されてもいいと思うほど、他人を殺したと思っていないから」
支配者側の都合とあいまって、これにより道徳、及び法がこれを禁じた、と言えると思います。
53 :
考える名無しさん:03/08/11 23:44
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)すいません、通りますよ・・・
| /
| /| | 「ぶっちゃけ雑談スレ」はここですか・・?
// | |
U .U
結局は「法律で罰せられるから」という答えしかないように思うんだが
何故そうとしか答えられないかを説明するのは哲学の仕事だな
>54
「なぜ法律で罰せられることはしてはいけないのか?」という質問が可能
まぁ俺は「なぜ人を殺してはならないのか」という質問には「そう決めたから」としか言いようがないけど
56 :
考える名無しさん:03/08/12 00:15
このスレに殺人経験者はいらっしゃいますかあ?
>>46 昔は純然たる真理を追うものと、世界を良くするための考え方の
両方を合わせて哲学と言っていましたからね。
しかし今は哲学と倫理に別れていると思いますし、
永井均さんあたりも人を殺してはいけないというのは禁忌ではない
と言っていたような。
誰も言っていないとかそういう部分で反論するのではなく、
「ならばなぜ人を殺すことは絶対的に禁忌なのか」
の根拠を示していただきたいです。
あと一つ、私は別に人殺しても問題なし、って言っている
訳ではありませんよ。
今、この社会では、それは問題ありありだし、
ここで育った私は、殺人者に対し怒りが湧きますよ。
世界が人を殺していけないという風潮なのも良いことだと
思います。ただそれは真理でないというだけで。
>>56 直接的間接的を問わなければ、人殺しでない人間などいないね。
ま・たわごとだけどねw
59 :
考える名無しさん:03/08/12 00:38
>>1 >どうしても殺したいなら、最終的には殺すことになるだろう。
これは正しい。ぜひそう書いてレポートを提出したまへ。
いや、むしろ
「どうしても殺したいなら、最終的には殺すべきだ。」
の方がいいな。例えばニーチェ的には。
採点が楽しみだな。
>>59 優先順位の問題。
モラル、自己問わず社会的制裁、自己の生命の危機、物質的背心的あらゆる不利を押し通しても
誰かを殺して何かを得たいと言うのであれば、結局そうなるでしょうね。
でも口に出したりレポートにしたりしない方が利口だよw
61 :
考える名無しさん:03/08/12 00:52
(1)「なぜ人を殺してはいけないのか」は疑問文であるが、これを平叙文に
して、これを肯定すると(2)「人は殺すべきである」となる。
まず、これが価値命題であることに気づかねばならない。
蛇足であるが・・・40の
>あまりに不完全な命題だからです。
は誤謬。
(3)「人は動物である」は一般命題で概念の外延と内包を考えれば真偽は
明確であるが、価値命題に普遍的真偽を求めるのは原則、無理である。
しかしながら、それが設定される経緯をたどることは可能だ。
価値命題は人称区分で分類される。
一人称区分は欲求「〜したい」であらわされて主語が二人称となることはない。
つまり、「あなたは人を殺したくない」は成立しない。
「〜したい」という欲求に関するものは意識が外界に対して直接感じる主観的感覚
をもって真偽判定される。「飲みたい、たべたい、セックスしたい・・・」などが
サンプルである。病的に「人を殺したい」が成立する場合があるかもしれない。
(2)は二人称区分の価値命題であることがわかる。「〜べし」は主語に原則
「あなた」を置く命題である。
「〜べし」はその主語として「わたし、あなた、彼」とすべての人称を取り込むこと
が可能だ。法律や規則をみればわかるように、その条文は「〜べし」当為の命題
で表現される。
62 :
考える名無しさん:03/08/12 00:54
まず前提として(2)の量化を考慮すべきであろう。すなわち、(2)において
(2−1)「すべての人は殺すべきである」であるか(2−2)「ある人は殺すべきである」
であるかである。もし(2−1)が成立するとしてこの命題を実行するとしたら、自らも人
である場合、自らも殺さねば殺さねばならない。
(2−1)が成立するのは自らがスカイネットであるような人以外である必要があるかも
しれない。(2−2)が成立するのは国家という集団を規制する命題を考えれば明確で
あろう。日本には死刑制度が存在する。
「ある人」とは特定の規則に反した犯罪者と認定され、死刑の判決を受けたものである。
ないし、他国との戦闘状態にある場合、敵とされる集団に属するものである。
すなわち、その集団において互いの利益が尊重されるために有効と思われる判断に
おいてその規則が適応されるのである。
当為の命題の真偽は互いにそれを真とする一定の手続きの元に判定される。
ここには一定の目的が存在するとしてよい。つまり、目的となる価値命題の設定があ
って、その式系列、定理として「ある人は殺すべきである」が導出される。
(1)「なぜ人を殺してはいけないのか」が疑問文として提示されるのは目的となる
価値命題の成立に対して、その有効性が論議される場合だとしてよい。
>57
まぁ一応切り離されていはするけれど
かなり近いのも確か
なぜならば価値について一切触れずに真理を扱う方法を考えるなど到底できやしないだろう
だいぶ接近している
ただ便宜上、問題は分かれている
64 :
考える名無しさん:03/08/12 01:23
このスレに殺人経験者はいらっしゃいますかあ?
>>23 考えるサルさんへ レスをありがとう。
@Aは、自分で考えたもので、他人も納得させることのできたものです。
BCは、ネット上に公開されていた意見で、僕が考えたわけではないけれど、おもしろいと感じたものです。
Dは、友人の意見で、やはり変に説得力があって、おもしろいと感じたものです。
僕の考えでは、@(命の唯一性)と、A(愛するもののため)という理由から、
「人を殺してはいけない」になるんだと思っています。
>>40 しけもくさんへ 貴重な意見をありがとう。レポートの参考にさせてもらいます。
えーっと、この授業は、主として、倫理的なものでした。ですから、
「なぜ〜してはいけないのか」という問いにもかかわらず、
「〜のようにすれば、殺人が少なくなる」と言う解決策を述べても、かまわないとのことでした。
むしろ、そのほうがレポートは書きやすいのではないか?と、先生は言っていました。
ただし、意欲のある人なら、哲学的に「よい」と言う意味自体で議論を展開してもいいし、
問いやすい形に命題を変えるて議論することも、大歓迎だ、とのことでした。
確かに、しけもくさんの言うとおり、命題自体に、不足があるような気もします。
この意見は、レポートに、反映させてもらいます。
こちらからも、質問したいんですが、
>>41の、
「仲間はずれにならないため」というのは、
「人間は社会的な動物だから」
ということと、同じようなものでしょうか?
>>60 一応、理解のある先生なので、かなりきわどいことを書いても、
きちんと説明できていれば、採点してくれる…とは、言っていました。
ただ、どうしても人を殺してもいいのは死刑のときか戦争のとき、と僕は思いますけど…。
67 :
はじめ 46:03/08/12 01:55
>>しけもく
哲学や倫理などに関係なくあなたは(人間を殺した経験はないでしょうが)生命の
あるものを殺す時、なんの罪悪感も感じないのですか?まあ人間に近い動物などは
罪悪を感じるが、虫けらなど何も感じないとかはあるでしょう。でもよ〜く考えてみると
殺す事それ自体に何も罪悪を感じないなど、おおよそ人間としては考えられないのです。あなた自身に問いかけてみてください。
殺人者に怒りが湧いたり、世界が人を殺してはいけないという風潮なのを良しとするのも殺戮そのものは絶対的な悪だと思っているからじゃないですか?
客観的な真理などもともとないのです。
>>61 ええ、確かに、そうなんですね。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
というのは、「疑問文」にならないと感じる人もいますね。
「駅はどこですか?」=「駅に行きたい」
と、同じように、
「なぜ殺してはいけない?」=「殺したい」
と、考える人もいますからね。
このことは、授業中、先生も口をすっぱくするほど、言っていました。
「なぜ殺してはいけないか」キ「殺したい」
で考えるように…、と。
>>62 >(2−1)「すべての人は殺すべきである」であるか(2−2)「ある人は殺すべきである」
…なるほど、いいことを教えてもらいました。ありがとうございます。
>>67 はじめ 46さんへ。レスありがとう。
最終的には、「殺す」「殺さない」は
その人の良心にまかせることになりますから、
客観的な事実よりも、もっと感覚的に、
「殺すのは、嫌だから」
「生きていくのが好きだから」
とか、そういった感じを、
子供たちに徹底的に叩き込むこんで、
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
という、人を不安にさせるような不穏な発言自体は、
本来健康であるはずの子供たちにさせてはいけないのかもしれませんね。
まあ、自然にしてれば、人間は誰もが、
「生きるのが好き」
「殺したくない」
と思うはずだから、理屈など言わず、
教えなくても生きることに貪欲でいてほしい、
ということですかね?
70 :
考える名無しさん:03/08/12 02:46
なぜ戦争で殺人が正当化されるのか、という問題と
関連付けて説明すべきでしゅ。
>>67 ただし、しけもくさんの名誉のために、
言っておきたいんですが、
殺すことに罪悪感がないから、
あんな発言をしているわけではないと思います。
>>57 殺人者に対し怒りが湧きますよ。
世界が人を殺していけないという風潮なのも良いことだと
思います。
と、ご本人が、書いてありす。
>>71 おっと、僕のほうで、誤解がありました。
>>67 別に、しけもくさんに殺すことの罪悪感がない…とは、
言ってませんでしたね。
単に、「客観的な真理などもともとない」という趣旨の意見でしたね。
確かに戦争中は敵をより多く殺せば皆から称えられ勲章をもらいます。
だから戦争中なら殺人は善なのですか?
正当防衛というのもあります。殺さなければ殺されていた。
こういうとき殺人は善なのですか?
安楽死というのもあります。不治の病で苦しむ親や兄弟もしくは自分の子供を
楽にしてあげた。これは善ですか?
いずれの場合もこれは仕方なくやむを得ずなされる殺人で、時代やその時その時の
状況によります。
こうやって場合分けすると一見殺人は相対的なもので、時と場合によってはしても
いいことのように思われがちです。
しかしここで大事な事は、それぞれの場合や状況を一切取り払った「殺す事それ自体
その行為そのもの」です。我々人間は「殺す事それ自体、その行為そのもの」を悪だと
感じるはずです。だからその行為がのちに正当化されることがわかっていても、それを
なすそのときは一瞬でもためらったり、できれば殺さずにすませたいと思うはずです。
「殺す事それ自体」は絶対的な悪であるということだと思います。
しかし前述のように状況によっては殺さざるを得ない時があります。それはしかたのないことで生きていく上では悪だとわかっていても、なさざるを得ない時は来るのです。
だからといって「こういうときは殺人は善だ」というのは間違っていると思います。
74 :
考える名無しさん:03/08/12 04:23
生命は与えられたもので、誰のものでもなく、当然自分の所有物ではないと考えます。
親も先祖も後の子孫もそうです。
よって生命は個人の権限では犯しがたい、超越した存在であり、ましてや他人ですらない・・・
と、コスモロジーの講義で学びました。
75 :
一つも読まずにかきこ:03/08/12 05:41
人を殺していけないという法律があるのは自分(身内)が殺されたくないからですよ。
つまり自分さえ殺されなければ(安全な位置にいれば)人は殺し殺されても
どうでもいいんですよ。どっかの国で戦争が起きて何千人殺されようが
日本にいる僕らはくだらないお笑い番組を見て笑ってるわけですから。
つまり自分さえ殺されなければ人は殺していいんです。
76 :
考える名無しさん:03/08/12 06:18
>>73 原始社会では仲間が殺られたのに殺り返さないのは悪です
基本的には、ですね。例外はどんなことにもあるし。
その数多くある例外の細かな条件、優先順位などの見極めは難しいですね。
だからといってその例外の存在を無視するのはどうかと。
また、例外にとらわれて本質が見えなくなるのもどうかと。
本人の希望をともなうと思われる安楽死については、最近日本でも話題になっていることがありますが、殺人の範疇に入るかどうかは今一度考え直す必要がありますね。
80 :
考える名無しさん:03/08/12 11:49
よく、”自分が殺されたくないから”と答える人がいるけど
じゃあ、死にたい人は人を殺してもいいのかということになる。
また、なぜ虫を殺してもよく、人を殺してはいけないのか。
それを答えられる人もいない。
81 :
考える名無しさん:03/08/12 12:09
>>1 そうなっているから。
悠久の昔から続く人類の歴史が、
「それはいけないことだ、それを肯定するとその社会は崩壊せざるをえない。」
と教えているから。
また、その愚行によって滅びてしまった過去の人類の記憶を
現行の人類は持っているから。
>>61 ほとんど同意だけど、「〜したい」というのは価値命題じゃないんじゃないの。
単なる自分の内面の状態に関する事実命題だと思うが。
それが価値命題なら「暑くてたまらん」も「腹が痛い」も「この信号は緑に
見える」も、全部価値命題だってことにならんか。
83 :
考える名無しさん:03/08/12 16:23
>>82 これはひとつのモデルである。
価値命題と可能ないし事実命題をあわせて、今存在を確認している自分
の価値レベルが実感されるからだ。
「暑くてたまらん」や「腹が痛い」・・・これらは自己に注意が集中している。
「暑くてたまらん」は「暑いところにいたくない」の価値命題と
「今暑い状態である」という事実命題の確認が、その状態にいる自己を
価値的に否定して「この状態はいやだ」と宣言している。
我慢大会でもやっているなら、これはリタイアするときの宣言である。
「腹に感じるその刺激はいやだ」と「その刺激を感じている」の連言から
「腹が痛い」という自身の存在の価値的否定である。
「この信号は緑に見える」は単に視覚が外界を確認しているだけで事実命題
に順ずる。
意識は価値的な「良い悪いの・・・」自己肯定ポテンシャルを持つのだ。
他者より自分が存在の価値部分を否定されれば反動としてその他者を
否定せざるを得ない。極端な場合その他者を殺したい、の衝動が出るのだ。
>>80 死にたい人は死ねばいい。人を殺す前に死ぬよ。
人を殺してから死にたい人は、死にたい人じゃないでしょう。
彡ヘ i i ,.-''";;;;;;;;;`ヽ、 ヾllllllllllllllllllllllll
lヽゞノ ', ''i"~`゙`‐-、,;;;゙、 ヾllllllllllllllllll
_____, ,...,,,,__ `ヽ _,,,..、-‐'ヾlllllllll
l `ヽ l ヽ ,.r‐'''"゙ WV
'i 「ヽ, ヽ7''~ ̄ `ヽ U ::::::
゙、 l,'゙ヽ ゙、'"´ ::::::::::
゙、 { \ .) U ::::::::::: い、一生童貞・・・まじヤバイ!
`゙'ト、.,_,,...,_ゝ='ヽ
ヽlllulllll`~´::::::::::ヽ ・いやだ、こんなのいやだよ。畜生!
゙、-″,,,,,..,_..,_ ヽ :::::::::::: U :::::::これも老人のせいだ!
ヽ::::::::::::\ ):::::::::::::::: ::::::::::::
ヽ:::::::::::: , ' :::::::::::::::::::::::::::::
ヽ::::. '" ::::::::::::::::::::::::: /
{':::::::,,,,,,::::::::::::::::::::::: , . - '"
゙i;;;;;;;;;;::::::::::::::::::,.、,.、-' "
ヽ、;;;;;;;;;;;;,.、-‐''" \
?
>人を殺してから死にたい人は死にたい人じゃないでしょう。
の意味がよく分からないのですが・・。
”自分が殺されたくないから”と答える人にそれはあくまであなた自身であって
もし”自分は殺されてもかまわない”という人がいたら?という問い。
(心中とかそうですが。)
姥捨て必死だなw
89 :
姥捨て習慣見直し論者 ◆kR9lpurGm. :03/08/12 17:06
90 :
考える名無しさん:03/08/12 17:06
「死」がテーマだと話がこじれるねー。
一旦、「なんで赤信号を守らなきゃいけないのか」を考察してからにしてみたら?
>>86 人を殺しちゃいけないっていうのはあくまで法律の話だから。
ムテキング状態の人には何言っても無駄だろうなぁ。
人は殺してもいいし殺しちゃいけないものなんだよ。殺人を減らしていくのが
社会の役目では?
92 :
姥捨て習慣見直し論者 ◆kR9lpurGm. :03/08/12 17:22
>>91 その社会が人口爆発と食糧危機に荷担しているというわけだ。
お前がまずやってみろ。
それなら考えてやる
姥捨てのリアルAAは結構イケテル
彡ヘ i i ,.-''";;;;;;;;;`ヽ、 ヾllllllllllllllllllllllll
lヽゞノ ', ''i"~`゙`‐-、,;;;゙、 ヾllllllllllllllllll
_____, ,...,,,,__ `ヽ _,,,..、-‐'ヾlllllllll
l `ヽ l ヽ ,.r‐'''"゙ WV
'i 「ヽ, ヽ7''~ ̄ `ヽ U ::::::
゙、 l,'゙ヽ ゙、'"´ ::::::::::
゙、 { \ .) U :::::::::::
>>94さんありがとう
`゙'ト、.,_,,...,_ゝ='ヽ
ヽlllulllll`~´::::::::::ヽ ・ 話がわかるのはあんただけですたい!
゙、-″,,,,,..,_..,_ ヽ :::::::::::: U :::::::
ヽ::::::::::::\ ):::::::::::::::: ::::::::::::
ヽ:::::::::::: , ' :::::::::::::::::::::::::::::
ヽ::::. '" ::::::::::::::::::::::::: /
{':::::::,,,,,,::::::::::::::::::::::: , . - '"
゙i;;;;;;;;;;::::::::::::::::::,.、,.、-' "
ヽ、;;;;;;;;;;;;,.、-‐''" \
>>1 あ、倫理的な前提を持った命題でしたか。
それは的外れな意見をしてしまい申し訳ない。
「どうすればより良い世界を築けるか」
に関しては、宗教が弱くなった今、私はこう思います。
「多くの人が漠然と人を殺してはいけないことが真である
かのように感じ、育つが、そこに明確たる根拠はない。
曖昧模糊とした、聞かれれば大人でも答えることができない
ものだ。だからむしろ、根本では人は人を殺してもいいという
ことを皆が理解した上で、人類は常に人を殺さないように
してきた理由をじっくりと個々が考え、
こういう人間がより良い世界を作るだろうというモデルを
各人が想定して、そうありたいと思い生きればいいのではないだろうか」
あと、このスレに一つの例え話を投げ込みたいと思います。
「地球上に二人の人間だけが生き残った。パンが一つある。
AはBを殺しパンを食べた。地球にはAだけとなった。
Aはまったく罪悪感を感じてはいなかった」
さて、この場合Aは悪いのだろうか。
いや、Aの悪さを、誰が責めることができるのだろうか。
……宇宙人とか(ボソリ
>>80 > よく、”自分が殺されたくないから”と答える人がいるけど
> じゃあ、死にたい人は人を殺してもいいのかということになる。
言っている意味がよくわからないですね。
自分が殺されたくないから、人を殺してはいけない、という社会ルールを支持する、
というのは理解しれもらえると思いますが。
じゃあ、自分が死んでもいいひと、殺されてもいいひとは、人を殺してもいいのか
というと、そんなわけないじゃん。
そんなこと認めたら、自分がそいつに殺されるかもしれない。
他人の殺人行為をすべて禁止してこそ自分の安全が守られるんだよ。
そういう意味ではないんですよ。
>>86に書いたとおりです。
きまったように”自分が殺されたくないから”と答える人への質問。
それを認めているわけでも、殺すことはいいと言っているわけでもありません。
あなたは子供にどうやってこのことを教えますか?
>>96 例題が極端すぎ。
パン1個だけだったらそんな状況におちいる前に二人で分けるか、
Aがそういう性格だとわかった時点でBはAと分かれるか、
いずれかでしょうね。
この場合は誰も罰しません、罰することはできません、罰する意味がない、です。
確かに、自分の「内なるもの」が「人を殺してはいけない」、
と言わない人間に対しては、なんと言ったらよいかわからない。
なぜ、人を殺してはいけないか?
この問いを発する者に対して、どのような回答をするべきか・・・
難しい。
>>98 死を覚悟した人に対しては、何も禁止できないという意味ですよね。
「自分が殺されたくないから」というだけで、ルールが作られたなら、
「自分が殺されてもいいからアイツを殺したい」
と言う人には、このルールは適応できませんからね。
最終的には、
Dどうしても殺したいなら、最終的には殺すことになるだろう。(………(-。-))
と、いうことになるんでしょうかね。
迫力がある人間の方が勝つ。
何かを信じている人間の考え方を変えるのは並大抵の努力ではできない。
単なる言葉だけでは無理だよ。
その人間の生き様、迫力なんだ。
言葉を理路整然と並び立てても、相手の心に響かなければ意味なし。
103 :
考える名無しさん:03/08/12 20:02
愛があっての行為か否か。
殺人以外にあてはめても言いえる。
>>96 いえいえ。とても、参考になりました。
無人島の話しは、
例えが極端すぎるとの意見もありますが、
僕はそうは思いません。「蝿の王」
という小説の中で、15少年漂流記のように、少年たちが無人島に行き、
どうすれば人間らしい生活ができるか苦悩しながらも、
お互いの猜疑心などから、結局、閉塞された空間の中で、
殺し合いをするという話しがありました。
殺すことは、悪だと言っても、
人は状況しだいで、簡単に互いを殺しあったりします。
もし、Aが寂しいと感じないなら、罪にはならないか、と思います。
しかし、命の唯一性つまり、魂の不思議さとか、
「自分」が「この世界」に面していることの不思議さを
感じることができるのに殺してしまったなら、
Aの考えが足りなかっただけか、と。
105 :
破壊主義者:03/08/12 20:18
考えすぎだ
>>1ヴォケ!
オマエがまず死ね。そうしてよく感じてみろ。
誰かの勝手な理屈で死にたくなかったら、オマエも勝手な理屈を消せ。
こういう不毛で厚顔無恥な議論が世界をどんどん暗くする、ますます堕落させる。
現在世界で最も暗い場所、吐き溜め、思考の鈍化したクズの集まりがここだ。
死にたくなかったら死ぬな、殺されたくなかったら殺すな。 ――不満あるヤツは魂で叫んでみろ。
>>103 あー、(>o<")それを言われたら弱いなあ。
僕、「北斗の拳」大好きだからなー。
「おいおい、(^。^;)それは愛か?」とは思うけどね。
お話の中では、ちっとも平気。
愛ゆえに人を殺す話しとか、好きだな。
107 :
考える名無しさん:03/08/12 20:22
>>105 最終的には、「殺す」「殺さない」は
その人の良心にまかせることになりますから、
客観的な事実よりも、もっと感覚的に、
「殺すのは、嫌だから」
「生きていくのが好きだから」
とか、そういった感じを、
子供たちに徹底的に叩き込むこんで、
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
という、人を不安にさせるような不穏な発言自体は、
本来健康であるはずの子供たちにさせてはいけないのかもしれませんね。
まあ、自然にしてれば、人間は誰もが、
「生きるのが好き」
「殺したくない」
と思うはずだから、理屈など言わず、
教えなくても生きることに貪欲でいてほしい、
ということですかね?
109 :
卑劣な強者と、絶望のために:03/08/12 20:39
現代に生きる若者、弱者[多くは精神的に敏感な少年
がどんな気持ちで生きているのか、お前
>>1は少しは感じようとしたことがあるのか?
彼らがただ恣意性のためだけに自らの人生を決定的に損なうような『殺人』を
犯すと思い込んでいるのか?もしそうならオマエは歴史上でもっとも無知だろうな。
まるで赤ん坊だ。厳密に言うならお前はまず、死ぬべきだ。
お前の『似非哲学ぶり』が弱者をどれほど痛めつけ、傷つけるか想像したことがあるか?
オマエのやっていることを言おう。
「なぜ君達のような中途半端な人間が生きているんだ?
僕は何故キミ達が生きているのか分からない、いますぐにでも
殺して消してしまえないのが腹立たしい
こうして僕の論理が正当化されるなら、すぐにもお前らを粛清できるのに」
腐った精神性を隠蔽するために、「命題」とか「哲学」などど言う偽善的な言葉で飾り立てる。
完全なクズ。口にする値打ちもない。
はっきり言ってかなり映像の質は悪いです。
しかしながらこの可愛らしい女子校生の顔を見ているだけで
勃起してしまうのは私だけでしょうか?
処女太りの体形もマニアにはたまらないでしょうな。
さてさて?のなかにはどんな数字が入るのでしょうか?
いえいえそれは絶対いえません。
無料ムービー観てね(当然モロみえ)
http://www.cappuchinko.com/
111 :
考える名無しさん:03/08/12 20:44
というか質問。
今人口は逆ピラミッドだ少子化だって騒いでるけどさ
これって100年もすれば逆ピラミッドから正ピラミッドの形になるって事じゃない?
毎回思うのだけど…間違ってる?
112 :
考える名無しさん:03/08/12 20:48
愛に満ちた環境(家庭・教育ほか)で育った子供はきっと
「なぜ人を殺してはいけないの?」という質問はしないと思う。
理屈(左脳)で答える質問ではないのかも知れませんね。
113 :
考える名無しさん:03/08/12 20:51
>>109 109さんにはきっと愛が必要かと・・・・・。
>>112 でもバランスが大事だろうな。
愛に満ちすぎて痛みや苦しみを知らない者もまた
このような問いを発すると思う。
115 :
考える名無しさん:03/08/12 20:55
寅が子供を崖から落とすことも愛情。
また、愛と甘やかせは全く別。
116 :
考える名無しさん:03/08/12 20:55
>>114 その立場に立ったことがない者の発言だな。
そんな問いは発しないよ、ヴォケ
姥捨て君なんかは親から虐待されてるわけでしょ。
親の虐待は子供の知・情・意に致命的な欠陥をつくるんだなし。
>>98 > あなたは子供にどうやってこのことを教えますか?
人の命を奪うことは、ひとのものを盗る、盗むことだから、イカン。
これではどうよ?
それでなにが疑問なのかまだよくわからないのだが。
自暴自棄の奴をどうやって説得すればいいか、という質問なのかな。
自分自身が殺されてもかまわなくて自暴自棄の行動をするやつはどうしようもないだろ。
死刑も抑止力にはならないんだから。キチガイを説得できる論理はないよ。
>>108 疑問に対して口封じはよくないだろ。そんなアホな子供にはちゃんと説明してやれよ。
ひとを殺してよいということはお前も殺されるんだってことを。
>>109 まあ、自然にしてれば、人間は誰もが、
「生きるのが好き」
「殺したくない」
と思うはずだから、理屈など言わず、
教えなくても生きることに貪欲でいてほしい、
ということですかね?
121 :
考える名無しさん:03/08/12 22:09
人殺しが幸福発であることは永遠に無い。それだけだ。
幸福が目的であるなら。以前にも述べたが。
それ以前の問題をそれで解決したいと思うのは馬鹿だ。
正直者が馬鹿を見る。それだけだ。
正直者が馬鹿を見る、という意味がわかりません。
123 :
考える名無しさん:03/08/12 22:56
>>119 じゃあ「何で人のものを盗んではいけないの?」って聞かれたら?
124 :
考える名無しさん:03/08/12 22:59
>>123 そんな質問をするようでは人間として人格を疑うな。
もしそんなことがOKになったら人のものかっぱらって争いあう社会になるだけだろ。
125 :
考える名無しさん:03/08/12 23:00
>>124 子供にきかれたらどう説明するか聞いただけです。
人を殺しちゃいけないことと自分が殺されたくないのは同意義なはず。
殺されてもいい人たちには効き目なし
>>119 盗んだものは、返すことができる。
でも、死んだものは、生き返らないから、
殺してはいけない。他人を殺しても、
見つからなけれが助かることもある。
それでも、殺してはいけないのは、
命は、「私の面するこの世界」を作るもので、
命が無くなることは、「この奇跡」を越えるところにある、
もう1つ「奇跡」つまり、
「この世界を構成する力」が1つ消えてしまうことだからだ、
と、子供には言うつもりだよ。
128 :
名無し@おめが:03/08/12 23:06
人を殺すと、その人が今まで生きて感じてきたこと、喜び、幸せ、遺族の悲しみ、
ほかにもいろいろ、とても重大で大変なものを一瞬のうちに消したりひきおこすことになる。
それは、自分の身で考えればいいことだが、もし自分が殺されたらどうか。
これは自分だけでなく、どんな人間もおなじ気持ちなのだ。それが人権ということ。
皆平等。
物事、生死や本能に関わるものほど「理論」と無縁と知れ。
それらと関わらないものの理論を言ってみてくれ
馬鹿を映す鏡は馬鹿ということです。
不幸を映す鏡は不幸ということです。
復讐とは正直なものでは在りませんか。
ただ確実に幸福ではありません。
したがって、結果として馬鹿を見るわけです。
創造せぬ模倣は復讐である。復讐は繰り返しますしねえ。
模倣というものも正直なもんです。復讐が狙いだとしても。
でも、復讐は不幸を更に手に入れます。故に馬鹿ですね。
結局、不幸を真似しても不幸なだけだというわけです。
お分かりいただければ幸いです。
>>122
たまに単なるノイローゼが紛れ込んでくるな。
1さん、いままでにない答えをありがとう。
虫や豚・牛は殺してもよくて、人間だけは殺してはいけないという。
愛に加えて、それはその”必要があるかないか”だとも思う。
その必要は”愛”に基づいたもので。
>>127 返せるなら盗んでもいいと言うのか?
お前、キチガイだな。
世の中ってバカとキチガイだらけのようだ。気をつけよう。
>>123 少しは自分の頭で考えろよ。
その子供のおもちゃを全部とりあげてみれば、
盗まれるということがどういうことかわかるんじゃない?
盗んでもいいということはお前も盗まれるということだよ、って言えば?
135 :
考える名無しさん:03/08/12 23:22
1は真理のレベルで問うてるんだろ?
だったらあらゆる道徳、法律、社会論は無意味だよね。
悲しみとかの感情論も無意味。理由は人によって基準が違うから。
ここに自殺を考えている人間がいる。そいつは人を殺して満足そうだ。
こいつにすら説得できる理論、そういう真理レベルの論理が1は欲しいのだろ。
これはとても切実な問いだ。世の中がすべて意味と目的に満たされ、
窮屈で、しかもやがてすべて滅びるという因果論的思考が世を支配しているからだ。
「人を殺してはいけない」といって欲しいのではないか?
すべてが因果論ではなく、なにか安心できる神の代わりみたいな価値が。
1よ、がんばれ。理論で到達できるぞ。ウィトゲンシュタインみたいに。
「理論」と縁を切れなんていう思考は所詮宗教だ。オームと変わらん。
>>134 「ぼく盗まれたって平気だよ」って子供が答えたら?
ここでは人を殺す、盗むということは当然いけないことだと誰もが
分かっている上でそれをどう説明するかということなのでは?
大人が「そんなこと当たり前でしょ!」「そんなことも分からないのか!」
と殴って分からせる方法もひとつだとは思うけれど、
果たしてそれがいいのか、とも思うのです。
結局、不幸になるから駄目なのではなく。
不幸発だから既に駄目なだけ。終わり。
>>136 盗まれても平気な子供に盗みの罪の重さを教えることはできないよ。
盗まれた側の悲しさがわからないんだから。
悲しみや恐怖、憤りの感情が発生しなければ被害(罪)は成立しない。
そういう子に盗みをさせないためにはやっぱり罰しか残されてないんじゃないの?
私は罰ではなく愛だと思う。
>>134 あるガキ大将がいて、そいつが「力のあるものが弱いものから奪う」
というあり方を望んでたら?
「もしもっと強いやつがおまえから奪ったら?」なんて問いかけは無意味。
もっと強くなれば奪ってよい、つまりガキ大将の考えを後押しするにすぎない。
つうかおまえの虚勢を張った物言いにはもう飽き飽き。
141 :
考える名無しさん:03/08/12 23:44
事実のレベルで問うなら善悪は既に無意味だな。
「いけない」自体に意味が無い。
真理を求める心が善悪と無関係なら単なる事実しかない。
そして事実に善悪は無い。問いそのものが無意味。
142 :
jazz ◆l8ZY6tjeSk :03/08/12 23:47
>>140 私は思うのですが、その場合弱者は「にちゃんねる」に来るといいです。
ガキ大将は大抵馬鹿なので、頭の良い側近が『正しいこと』を知っている
必要があると、私は思います。
143 :
考える名無しさん:03/08/12 23:58
弱者は2ちゃんねるで吠えて暴れろ
144 :
考える名無しさん:03/08/12 23:59
結局、「社会」の中の絶対的ルール、神聖なる暗黙の了解ということでしょう。
己の力のみで生きることのできる生命には善悪は無意味です。
ですが断言します。「社会」を敵に回して生きていける人間など存在しません。
例えそれを利用し、騙すことはできたとしても。
「社会」の恩恵と保護を否定するガキ大将は、まず裸にして舌を抜くべきでしょう。
彼のもつ服も言葉も「社会」からの借り物にすぎませんから。
146 :
考える名無しさん:03/08/13 00:03
やれやれ。対象を決め付ける時点で人殺しの初歩だろう。
見解の狭い馬鹿だな。与える力が無いからそれを奪う。
ご立派なやつ。幽霊みたいなやっちゃ。ハッハッハ。
147 :
怒りと殺人と絶望的な無恥のために:03/08/13 00:04
現代に生きる若者、弱者[多くは精神的に敏感な少年
がどんな気持ちで生きているのか、お前
>>1は少しは感じようとしたことがあるのか?
彼らがただ恣意性のためだけに自らの人生を決定的に損なうような『殺人』を
犯すと思い込んでいるのか?もしそうならオマエは歴史上でもっとも無知だろうな。
まるで赤ん坊だ。厳密に言うならお前はまず、死ぬべきだ。
お前の『似非哲学ぶり』が弱者をどれほど痛めつけ、傷つけるか想像したことがあるか?
オマエのやっていることを言おう。
「なぜ君達のような中途半端な人間が生きているんだ?
僕は何故キミ達が生きているのか分からない、いますぐにでも
殺して消してしまえないのが腹立たしい
こうして僕の論理が正当化されるなら、すぐにもお前らを粛清できるのに」
腐った精神性を隠蔽するために、「命題」とか「哲学」などど言う偽善的な言葉で飾り立てる。
完全なクズ。口にする値打ちもない。
148 :
考える名無しさん:03/08/13 00:06
うるせー馬鹿
149 :
考える名無しさん:03/08/13 00:06
人からされていやなことは、人にもしてはいけないんだ。
151 :
怒りと殺人と絶望的な無恥のために:03/08/13 00:12
>>149 人間とはいつも失敗をする不完全な生き物です。
あなたはこれまで生きてきて、いったいなにを学んできたのですか。
152 :
考える名無しさん:03/08/13 00:15
>>141 レスをありがとう。
確かに、そうですね。レポートを書く上での
参考にさせてもらいます。
>>134 人を殺すことに比べれば、
人のものを盗むことなんて、
たいしたことないんだと、
子供には教えるつもりです。
154 :
考える名無しさん:03/08/13 00:20
>>147 >現代に生きる若者、弱者の多くは精神的に敏感な少年
殺す側にも論理は在るのかもしれないが、殺される側にも当然ある。
そして、殺すことを嘆いている人間より、殺されることを恐れるている人間の方
が圧倒的に多いと言う単純な事実。
本気で言ってるのかどうか知らないけど、もしそうなら君は社会を美化しすぎている。
理由があろうがなかろうが、社会を敵に回せば瞬殺される。倫理は彼を守ってくれない。
倫理すら、社会が与えた防具に過ぎないのだから。
「お前の都合なんか知らないけど、こっちに迷惑かけるなよ」というのが社会というシステム
を創っている暗黙の了解だよ。悲しいけどね。
155 :
考える名無しさん:03/08/13 00:24
人間は神様がつくったものだから、その命を終わらせるのも
神様の仕事だから。
生きていることはア・プリオリだ。善悪は「生活」のなかで見つけるもんだ。
157 :
絶望的な厚顔無恥と、社会悪者たちへ:03/08/13 00:33
>>154>>155 >人間は神様がつくったものだから、その命を終わらせるのも
神様の仕事だから。
>倫理は彼を守ってくれない。
お前は永遠に絶対に子供を産まないと宣言しろ。
「大人ぶった理屈」はいい加減にしろ。腐った人間は、「似非哲学」ばかり並べる。
お前が今の時代に生まれていたら、きっと真っ先に自殺していた。
158 :
考える名無しさん:03/08/13 00:36
善いと思ったからここで聞いたり書いたりするわけだ。
選択というものはこれからもずっとそうだ。
真理を求めるのはそれを善いとみなすからで
それ以外ではありえない。単なる事実扱いするのもそれを善いとみなすから。
善悪抜きでは何もできないのが選択というものだ。
さて、選択を奪うことは如何にしてよい事足りうるのか。
選択を奪われたことはいかにしてよい事足りうるのか。
159 :
考える名無しさん:03/08/13 00:36
>>156 子供の頭をなでてはいけない国もあるよね。
>>158 この世にもしかすると善悪はないのかもよ。
161 :
考える名無しさん:03/08/13 00:44
殺していけない、という理由はないね。
あるのは自分の安全のためだけ。
答えはそれ一つ。
162 :
考える名無しさん:03/08/13 00:49
悲しい誤解だな。
163 :
>>154:03/08/13 00:52
思考停止すれば、なぜ人を殺してはいけないかなど、自明になるよ。
なあ、
>>157?
165 :
>>154:03/08/13 00:53
166 :
姥捨て習慣見直し論者 ◆kR9lpurGm. :03/08/13 00:55
>>164 その思考停止ゆえに人類は増え続け、今や人口爆発と食糧不足で人類は絶滅の
危機に瀕しているというわけだ。
167 :
re+re+re+re+re+re:03/08/13 00:56
ねえねえねえ、幸福になるためには、『感謝』できればいいんだ
ってば!
レレレのおじさん。。。(おばさん?)
169 :
姥捨て習慣見直し論者 ◆kR9lpurGm. :03/08/13 00:57
>>1670 いくら感謝しても、人口爆発を食い止めることはできない。
170 :
考える名無しさん:03/08/13 00:58
選択と時間が在る限り善悪はあるしかないと思うがなあ。
つまり、善悪はあるという選択もできるわな。
この世にもしかすると善悪はあるのかもよ。
在る無い自身が選択でそれが善悪ならどうだろう。
この世に選択は無いとは言えないんだよなあ。
選択を意識することも選択であるとしたら
善悪以外でありえないんじゃない?
選択を意識しないことも選択だからね。
意識が選択を望んだのなら、善悪をよいものとして望んだのでは
ないかな。選択そのものがいやなら、人殺しは不可能だね。
善悪そのものがいやでもそうだ。人殺しを選択するということは
選択行為をよしとすることだ。その目的が相手を通じて
選択行為を奪うことにあるなら、自分の殺人行為を通じて
保存されるわけだから、失敗すべき目的だね。
>>160
171 :
姥捨て習慣見直し論者 ◆kR9lpurGm. :03/08/13 00:59
善悪なんてものはないよ。
俺の中にはあるが。
おまえの中にはないのか。。
173 :
考える名無しさん:03/08/13 01:01
なぜ姥捨てによる生存がそれ以外より善いのだろう?
>>171
174 :
考える名無しさん:03/08/13 01:02
>>170 質問してもよろしいですか?
空や水や海や山は善悪どちらですか?
青・白・赤・黄は善悪どちらですか?
>>155 レスをありがとう。
127にも書いたけど、
命は、「私の面するこの世界」を作るもので、
命が無くなることは、「この奇跡」を越えるところにある、
もう1つ「奇跡」つまり、
「この世界を構成する力」が1つ消えてしまうことだから
殺してはいけないんだ、と僕は思うわけですが、
まあ、簡潔に説明すれば、あなたの言うように、
>人間は神様がつくったものだから、その命を終わらせるのも
>神様の仕事だから。
と、言うことと、同じになるかと思います。
「この世界」と、「私」に関する、「奇跡」「神性」「魂」
などに、触れるから、だと…。
ただ、僕は、具体的な神を信じているわけではありません。
しかし、「まるで、神様みたいだ」と、思うものはあります。
あなたには、具体的な信仰があるんですか?
人殺しって悪なの?
区別も善いという思想でしょ。
つまり、区別を善しとすればそうなると思うよ。
絵描きさんにはいろんな選択がありそうだね。
わたしはそれらの善悪を普段はたずねないことを選択しているけど。
>>174
178 :
姥捨て習慣見直し論者 ◆kR9lpurGm. :03/08/13 01:19
>>176 時と場合による。人口爆発という状況においては人殺しも善になりうる。
>>1 韓非子「自分が殺されるかもしれないから。」
以上、終了。
何が善悪であるか、は人間だけが判断できる基準です。
判断停止によりそこから一時的に逃れることはできますが、
一生そのまま判断停止の状態で生活できる人間はいないと思います。
人殺しは、場合によっては善、場合によっては悪、その判断は人それぞれです。
181 :
考える名無しさん:03/08/13 01:23
場合を選ぶのは人だが、同じ条件における善悪は、
人間の判断とは無関係に決まるだろう。
182 :
103=112=155:03/08/13 01:27
私は「愛」がすべての基準と思っているところがありますが
信仰とか宗教とかはありません。むしろ、ダメなほうかも知れません。。
(信仰や宗教の教えに素晴らしいものもあるかとは思いますが・・・)
神様ではなければ、やはり1さんのおっしゃる「神様みたいなもの」
SOMETHING GREAT でしょうか。
人殺し、というより、〜のため
とかの過程が善悪の基準かね?
184 :
考える名無しさん:03/08/13 01:33
過程というか、関係。
185 :
103=112=155:03/08/13 01:34
善悪は人の心の中にのみ存在するものと思います。
社会の一般的な通念としても善悪は存在すると思うが・・・
187 :
考える名無しさん:03/08/13 01:35
さすれば善悪は自分の心の中だけにある自己満足かや?
188 :
考える名無しさん:03/08/13 01:36
ここにいる奴ら全員氏ね
189 :
103=112=155:03/08/13 01:37
勿論、社会の一般的通念としても存在することは分かります。
しかし、時代によって、国によって違うことって随分ありませんか?
>>189 だからといって、人の心の中にのみ存在するとは言えないと思うが・・
191 :
考える名無しさん:03/08/13 01:39
多くの民衆が判断して、自分か起こした行為への批判の数が善悪でしょ。
だから時代によって変わる。
193 :
103=112=155:03/08/13 01:43
>>190 ごめんなさい。
それでは、いつの時代もどこの国でも変わらない善悪は
人の心の中にのみ存在すると訂正いたします。
194 :
考える名無しさん:03/08/13 01:44
条件が同じなら、いつの時代もどこの国でも、
善悪は変わらないと思うが。
195 :
103=112=155:03/08/13 01:46
例)
戦争中、人を殺してはいけないことでしたか?
日本は一夫一婦制ですが他の国では一婦多妻制もあります。
>>194 いつの時代もどこの国でも条件が同じということは、あり得ないのだが・・
そもそも時代と場所が違えば条件が違うということに・・・
>>169 姥捨て習慣見直し論者さん、あなた、おもしろい(^ー^)ノ!
笑っちゃいけないが、不覚にも笑ってしまった……(^。^;)。
>>157 あんまり、怒りが行間からあふれ出ているため、
ちょっと、理解に苦しんだんですが、
ああ、なるほど。(・_・)
> >人間は神様がつくったものだから、その命を終わらせるのも
> 神様の仕事だから。
> >倫理は彼を守ってくれない。
>お前は永遠に絶対に子供を産まないと宣言しろ。
>「大人ぶった理屈」はいい加減にしろ。
という意味ですか。やっと、意味が分かりました。
すいません、読解力なくて。
「なぜ殺してはいけないか」=「殺したい」
と考えている人かと思いました。(^。^;)
198 :
考える名無しさん:03/08/13 01:48
>>195戦後に逆戻り。原爆への哀悼は偽善だったようだ。
キチガイが善と思ってやったことは一般的に見ると悪かもしれない。
しかし本人が善と純粋に思っている以上は結局は多数決になる。
善悪は相対的なものでしかない。
絶対的な善?イデア?
200 :
考える名無しさん:03/08/13 01:49
ある社会(国)にとっては、その社会を損なうものが悪。
いつの時代もどこの国でも、それを構成するのは人間。
したがって殺人は、社会の構成要素を損なう=社会を損なうことである。
ゆえに、いつの時代もどこの国でも、殺人は悪。
戦争で殺すのは、その社会の構成員ではない人だから、
その社会では悪とはならない。
>>195 自国では誉められても敵国では罰がある。
善悪の基準じゃない。
202 :
103=112=155:03/08/13 01:53
203 :
考える名無しさん:03/08/13 01:54
あえて言うならね。基本的にはない。
205 :
考える名無しさん:03/08/13 01:56
>>203 つまり、より多くの人が賛成する政策は、その国にとってかならず善いわけだね?
206 :
考える名無しさん:03/08/13 01:56
「屁理屈」臭いし、だいたい議論が形而上的過ぎる。
もういちど命題に帰れ。
まず問題を『自分の身』を無視して考えるのはただの ガキ のやることだ。
議論は「議論のために」するのではなく、『現実のために』やるものだ。
207 :
考える名無しさん:03/08/13 01:58
議論をすると現実さんが喜ぶのか?
209 :
考える名無しさん:03/08/13 02:01
>>207 思考能力って、君には無いの?
議論のための議論なんて、何の意味があるのか言ってみろ。
210 :
考える名無しさん:03/08/13 02:06
>>208 では、経済政策を決めるのに、経済の知識は必要ないね。
211 :
考える名無しさん:03/08/13 02:09
>>210 弁だけで支持があつまればね。支持を集める一つの武器として知識が役に立つ。
もう一つは成果があればさらによしだね。でも失敗するとすぐ悪にもなる。
212 :
103=112=155:03/08/13 02:10
なぜ人を殺してはいけないのか→そこには「愛」もなく「必要」もないから。
213 :
考える名無しさん:03/08/13 02:11
>>209 私は、「議論のための議論」になんらかの意味があるなんて
言うつもりもないし言った覚えも無い。
したがって、「何の意味があるのか」言いわ無きゃならない理由は無い。
あなたは、
>議論は「議論のために」するのではなく、『現実のために』やるものだ。
と言っている。
それが「議論とは現実さんを喜ばせるためにやるものだ」という意味で無いなら、
あなたは、「『現実のために』やる議論」に何の意味があるのか、
説明する必要があるだろう。
言い出したのあなたなんだから。
214 :
考える名無しさん:03/08/13 02:12
>>211 では、なぜ経済学などというものが必要なの?
>>206、は女子高生に説教がしたいエッチなおじさん
216 :
考える名無しさん:03/08/13 02:13
>>213 現実のためにやる議論は、「生きる」ためのものだ。
われわれが野生人でも、たんなる原始人でもない証拠だ。
むしろ私は、あなたのような状態でどうして義務教育が終了しているのかを知りたい。
何か他にありますか?
217 :
考える名無しさん:03/08/13 02:14
>>214 勝つてめでしょ。勝つための統計学。
経済学は詳しくないのでごめん。
218 :
考える名無しさん:03/08/13 02:15
>>216 >現実のためにやる議論は、「生きる」ためのものだ。
「生きる」ことに何の意味があるの?
219 :
考える名無しさん:03/08/13 02:15
>>215じゃあ、オメーは俺の文章読まなきゃ良いだろ、
オメーが女子高生なら、はっきりと正確になんの魅力も感じねーんだよ。
俺はまだ若いよ。
220 :
考える名無しさん:03/08/13 02:16
>>218 「生きる」ことに何の意味があるの?
あなたの『お母さん』に聴いてみたらいかがですか。
私は私のために、生きています。
エッチなおじさん大活躍(w
222 :
考える名無しさん:03/08/13 02:18
223 :
考える名無しさん:03/08/13 02:20
>>220 >>206 >議論は「議論のために」するのではなく、『現実のために』やるものだ。
>>216 >現実のためにやる議論は、「生きる」ためのものだ。
>>220 >私は私のために、生きています。
結論: 議論は自分のためにするもの。
224 :
考える名無しさん:03/08/13 02:20
>>222 経営者なら、社員からは善。夫なら嫁からの善。の参考材料。
225 :
103=112=155:03/08/13 02:21
勝つことと善は関係ないと思う。
226 :
考える名無しさん:03/08/13 02:22
>>224 経済で会社が勝つことは社員にとって善なの?
でも、善は、同意の多さによって決められるんじゃないの?
>>225 それはあるね。短絡的すぎたレスで申し訳ない。
228 :
考える名無しさん:03/08/13 02:25
>>226 善というとゴビョウ(漢字がでない)があるかもしれないけど、あくまでも参考材料ね。
その人の判断基準で同意は左右するし。所詮は金だしね。
230 :
考える名無しさん:03/08/13 02:26
では、経済学は何の役に立つの?
誤謬(ごびゅう)
232 :
103=112=155:03/08/13 02:27
誤謬じゃなくて?
けこーん
いや、、この場合は語弊が正しいかと、、
235 :
考える名無しさん:03/08/13 02:29
>>223 じゃあ、こんなところで「社会的」「現実的」議論をけしかけずに、
ひとりで山の中でリスくんとでも議論してたらいかがですか。
いい加減にしたらどうですか。というか、あなたは本当に『大人』ですか?
236 :
103=112=155:03/08/13 02:30
こんなに皆に言われては228さんまいっちゃうよ。
日本語教室ですか・・・
238 :
考える名無しさん:03/08/13 02:31
2ちゃんは日本語教室でもあるのです。
>>223に「哲学的に」回答したまでです。だからもう書き込みません。
申し訳ありませんでした。
>>234 いい訳みたいで嫌だけど、227で一度、善についての否定をしているから
ここでは語弊じゃなくて誤謬にしてみたの。
いまからこのスレは
【いいかおまえら】わしの言ってることを聞け!【世の中ってのはなあ】
に変更となりました。
それでははりきって、どうぞ!
議論のための議論というのは議論の仕方を学ぶというメリットがあると思うがなぁ、、ぶつぶつ
245 :
考える名無しさん:03/08/13 02:48
>>244 女の子を口説くためには、使えるんじゃないですか?
246 :
考える名無しさん:03/08/13 03:13
人は人を殺したがるものだから
「人を殺してはいけない」と禁止する必要があるため。
247 :
考える名無しさん:03/08/13 03:51
>人は人を殺したがるものだから
あなたはなるだけはやく精神科にかかりなさい。
>>246 特定の人を殺したいというのはあると思う。
だから法律で禁止しなかったらやばいでしょ。
ということでいい?
想像したり妄想してても、ホントに殺しちゃダメよ!
悲しいだけだから。
250 :
考える名無しさん:03/08/13 07:38
人を殺すことは必ずしもいけないことではない。
例えば、死刑囚を殺す、戦争で敵を殺す、許されること。
許されない殺人は恣意的なもの。
これは恣意的なセックス(レイプ)が許されないのと同じ理由です。
さて、その理由はなんでしょう?
251 :
考える名無しさん:03/08/13 07:46
他人を殺すことを容認すると、他人が自分を殺すでしょう。
殺人を認めることは、すなわち自殺行為なのです。
だから、殺人はいけないこと、という概念が私たちの頭の中にあるのでしょう。
252 :
考える名無しさん:03/08/13 07:55
>>250 >例えば、死刑囚を殺す、戦争で敵を殺す、許されること。
つまりあなたは「社会的正当性」が他人によって許されるのなら、
自分自身もその『殺人』を赦すということですね。
イラク戦争も、第二次世界大戦も、すべて『仕方ない』ことだ。というのですね。
う〜ん。哲学板故の発言等々でしょうか。
まるで人間をコマのように見るところが笑えますね。
法律で人を殺すのが禁止されてるから、勿論人殺しはだめですね。
人一人の命が尊いものだから、やっちゃダメなんですよ。
人間には理性や感情がありますからね。
死刑囚とか言ってる的外れな方もいますが、
あれは殺人でなく、処罰ですから。
戦争は全体的に見た場合で個人レヴェルの、殺人と比較される
次元ではないです。その例えを出せば。二次元論になりますよ。
>>256 ゲームが好きなら一日中ゲームで
人を殺せばいいんじゃないですか?
259 :
怒りと悲しみ:03/08/13 08:35
>>253 あなたは「飛躍し無すぎ」だ。
実際にたくさんのヒトがあの戦争で死にました。
何か異論はあるのか。
なぜあなた達は二元論を否定するのか。
『男―女』これはわれわれにとっても基本に他ならないはずだ。
なぜ「完全体」になろうとする?
どうして宇宙を支配しようとする?
私は芸術家なので、『抽象的』に表現することしか出来ないのです。
だれか「具体化」の得意なかたは、ぜひ手助けしていただきたい。
無理は言わない。私は一人でも、生きるのだから。
あっそ
>>259 僕からみても、君の話は論点がずれてる気がいたしますが。
>>259 人間が、殺された、死んだ、事実に異議は有りません。
歴史の全てが、語ってきた事ですから、しかし
個人間と社会的事実を、相対的に見ることは 出来ません。
265 :
考える名無しさん:03/08/13 09:02
>個人間と社会的事実を、相対的に見ることは 出来ません。
この意味がわからない。もっと詳しく造形していただきたい。
個人はつねに「社会と相対」しています。
社会の出来事、次元を自分自身の物語(人生)とつなげることは、我々の社会人としての責任だと思う。
あなたは社会の一部なのですか?違います。社会はいつも『我々自身のために』ある。
社会は我々を受け入れることもあるが、多くの場合、はねつけられる。
とくによわきものは。
そしてそのよわきものをもっと純粋にもっと深く受け入れるべきなのが、
「社会」なのです。その役目なのです。
>>265 ここでの議論は、個人の価値を基準に「どうして・・・」で
社会的事実で個人の道徳を否定している訳でも無く、
戦争の事実と 主観的事実は同一視されるべき事では無い、と言うこと。
267 :
考える名無しさん:03/08/13 09:25
>>266しかし、「個人の価値」などというものは、
結局のところ『世論』によるのがホトンドです。
そういう正しい現実のあり方からすれば不純で、変形されたものを
なるだけ除去するために、芸術は存在しています。
ヒトを「癒す」のは、美と芸術の役目です。
個人の意見は彼「個人の倫理観」抜きにしては語れません。
とくに民主主義社会では『思想の自由』があるので、なおさらです。
戦争はそのような思想が『主観的に高まりすぎた』結果です。
日本人はその点で、悲劇を経験しているのだから、先進的だと思う。
つまり「客観的な事実」を把握することに優れています。戦争など無価値なのだ、と
たとえ意識的にではないにせよ、みなが気が付いているはずです。
268 :
考える名無しさん:03/08/13 09:29
われわれの意見とは、「主観性」と「客観性」の関係です。
大事なのは、適切で、適度で、人間的で、精神的で、倫理的で、人道的で、
中立的だけど曖昧ではなく、
でもだからといって退屈ではないような『正確なバランス』をとることです。
それは意識すれば誰でも出来ることだし、それが世界から死刑をなくし、
戦争を静め、人々を新しい未来へと連れて行くものだ。
269 :
103=112=155= I:03/08/13 09:30
>「個人の価値」などというものは、
結局のところ『世論』によるのがホトンドです。
そうでしょうか?
>そういう正しい現実のあり方からすれば不純で、変形されたものを
なるだけ除去するために、芸術は存在しています。
ヒトを「癒す」のは、美と芸術の役目です。
そうでしょうか?
>日本人はその点で、悲劇を経験しているのだから、先進的だと思う。
つまり「客観的な事実」を把握することに優れています。戦争など無価値なのだ、と
たとえ意識的にではないにせよ、みなが気が付いているはずです。
悲劇を経験しているから先進的というのも分かりません。
>>268 また難しいこと言ってますね。
君は機械社会を夢見る未来人ですか?
271 :
考える名無しさん:03/08/13 09:41
>>270 あなたのような言説が「機械的」なのです。
つまりシステマチックで、まるで『自然のよう』です。
でも、その言動にどんな意味がある?お前はどこに向かっているのだ。
目標が無い精神は、他人を迫害し、非難する。――そうではないか。
我々はもう、最終文明の一歩手前まで来ている。
これは「絵画芸術」の崩壊とも一致する、厳密な事実だ。
>>269 「そうでしょうか?」
これを判断するのは、個人の範囲まで降りてきている『芸術家』の皆さんです。
あなた達の発表する意見、それはもう、われわれにとって「芸術的価値」をもつ。
これは真に現代的な芸術家、未来の芸術家にとっては非常に親密なことなのです。
すべてを変えるのは、そして「救世」しうるのは、いつもたったひとりの個人です。
自殺することも、それと同じ。それは『各個人』の物語だ。
先進的なものは、まもなくわれわれの社会に浸透します。
それは新しくなった芸術であり、われわれにとっての「人間的な美」の環境です。
ぜひ、あなたのようなきちんとした考えをもつことのできる方に、
さまざまな範疇で活躍していただきたいと、私個人は考えます。―――芸術は、無駄ではない。
休憩
273 :
考える名無しさん:03/08/13 09:44
>>271 >目標が無い精神は、他人を迫害し、非難する
(ーдー)=3はぁ
根拠は?
君は聖書の写し読みでもしてるのかね。
まるで言ってる事に現実味がない。
ここは宗教板ではないんだよ?
芸術は無駄ではなく、必要なもの・・というより人が求めるものだと思いますよ。
愛を同じように。
ただ、”個人の価値が世論できまる”とか”正しい現実のありかた”とか”悲劇を体験しているから
先進的”とかいうのが私にはよく分からなかったのです。
間違えました。愛を→愛と
>>276 芸術は芸術家のオナニーだよ。
芸術と名が付いてるから美しいだけだ。
それ以前に君達に芸術がわかるのかねw
280 :
考える名無しさん:03/08/13 09:59
>ただ、”個人の価値が世論できまる”とか”正しい現実のありかた”とか
”悲劇を体験しているから 先進的”とかいうのが私にはよく分からなかったのです。
悲劇の中心に、新しいものは生まれえる。これはどの場所でもそうです。
例を出せば、モーツアルトで十分でしょう。
なぜなら人間は、完全な「自然」の状態から、このように進歩して[未来へ]と上ってきたから。
『悲劇』はわれわれがもっとも嫌悪すべきものです。それは「現実」とは正反対だ。
悲劇は死者と、残酷な事実を生み出すだけだ。戦争もそうですが、ちいさなイジメもそう。
もっとも、「女性」が 本 能 的 に求めるのも、多くの場合同じものなのだけれど。
女性的なものと男性的なものを、それぞれに等価値で扱わねばならない。勿論「極力」ね。
>>277アナタの言うことには、内容が無い。
>>280さん
こんな奴、相手しなくていいですよ。
283 :
考える名無しさん:03/08/13 10:10
>>282、女性へ
私の言うことは「内容」そのものだ。世界から悲劇を減退させようとする
―――「 芸 術 表 現 」そのものだ。
お前は『恋愛』でもしていろ。それが向いているみたいに感じる。
悲劇感激
>>283 恋愛ですか。
僕はすでに結婚して、子どももいるので恋愛の必要もないでしょ。
君の言ってる事は宗教そのものだね。
>>280 280さんは”芸術”を前提にお話されているのでしょうか。
ましてもしあなたが芸術家であればますます
「完全な自然」「進歩」「嫌悪すべき」など
「?」と思える言葉の連続が私にとって不思議なのです。
「すべき」「ねばならない」がどうも耳に(目に?)障ってしまうのですね。
私はこの世に完全なものはないと思っています。
287 :
考える名無しさん:03/08/13 10:25
完全なものは無い、これは常に自分の無力と向き合わねばならないのだから、
芸術家(と名乗ろうが)そうでなかろうが、どんな人間にとっても[絶対に]同じです。
――でも、だからこそ、その「不完全さ」に甘えてはいけない、と
主張しているのです。それが知らず知らずのうちに、でも 決 定 的 に
人を傷つけてしまう原因なのです。人は間違えることを肯定しなくちゃ。
よく間違えるのが人間です。現代は少し「機械みたいにカンペキな人」を求めすぎる、
と思いませんか?私は自分の無力さも、不完全さも未熟さも、とても身近なものとして
感じる日常を送っているので、それはとても重大なことなのです。
完璧になることは出来ません。でも、出来る限り人間として正しくあろうとすることは出来る。
その「意志」と、実現する「力」が、現代社会の「未来への固く閉ざされた扉」を、
ほんの少しでも、―――けれど確実に開いていくのでしょう。
「個人の高い社会的意識」がそれにはやはり、必要なのです。
責任というのは、結局ひとりひとりにまわってくる。これは社会の原則です。
べつに厳しいことを言っているんじゃないんです。
ただ、厳しい状況におかれているのは、ひとりじゃないし、実際単純に想像するより
たくさんいるんだよな、ということです。
>>287 殺人も暴力もない世の中が平和になれると思いますか?
人間として正しくあろうとするとはどういうことですか?
芸術に正悪はありますか?自然界に善悪はあるのでしょうか?
高いとか低いとか、287さんのおっしゃることが
すべて二元論的でそこからして根本的に私の考えとは
違うのかも知れません。でも、これは否定ではなくこうして違う考えの
方と意見を交換できるのもこのシステムならかもしれませんね。
もう少し287さんを分かるように努力してみます。
290 :
考える名無しさん:03/08/13 10:34
>>285 しかし、こんなことは個人的なことだからあまり言いたくないけれど、
あなたは何かに「飢えている」ようです。僕にはそう感じられる。
それはあなた自身の問題なので、よく自分の心が求めているものを確認してみると
良いかも知れないですね。ご自分に正直に。――そういう『直感』があります。
こういうのを芸術家はよく「天啓(インスパイアー)」とか言う。つまりようは
直感的知覚です。抽象的関係性です。
もしかしたら間違っているかも知れないのだけれど。
芸術家は宗教家ではない。でも「芸術」は『宗教』をも内包するものです。
そもそも深い意味での発祥はおそらく、「イエス・キリスト」でしょうし、ね。
それは人間にとっての、特質的進歩なのです。全く別の(他のものとは違う種類の)
文化形体なのだ。
>>290 僕が求めているのは1にセックス2にセックス。
それ以外はすべて常に持ってますから。
292 :
考える名無しさん:03/08/13 10:49
>>288わたしはとくに「平和」など求めてはいません。
それは『次第に訪れる』ものです。
わたしが求めているのは、もっと活き活きとして悲劇から解放された
「現実的な」世界です。
悲劇の中心にいる人間は、「この圧倒的なものが現実だ」なんて感動できないのです。
>>289 高い低い、というのは言っていないと思うのだけれど、
ただ、自然から精神へと人間が生きるにしたがって上っていくのは事実です。
大人のほうが、子供よりも『深い精神』を理解することが可能です。
子供はよく「外見」だけで人を判断してしまいます。でも、それは人間の全てではない。
芸術にとって悪は「悲劇」を増大させることだと思う。
たとえば、わたしはとても暗い、歴史の中で生まれた闇の中心のような文章を読んだことが
あるのですが、あのような芸術(創造)は、悪の、悲劇の力が生み出すのでしょう。
芸術家(と名乗る人)の仕事とは、
そのようなネガティブなエネルギーをもっと活き活きとして明るいもの、ポジティブなものに
昇華していくことです。もっとも現代の多くの創作家は、そのことをとくに意識しているとは感じません。
能天気な人のほうが圧倒的に多いでしょう。でも私は違う。「芸術」の意味を自分なりに
いつも深く勉強しています。それは人類にとって、思っているより不可欠で、生命線のようなものなのです。
僕は思うのですが、自然界には善悪はありません。弱者を痛めつけても、
強者を祭り上げても、基本的に何一つ彼らは感じません。
おそらく、「愛」というものが無いのでしょう。――あるいは『精神』が。
二元論は「基本的」な思考法だと私は考えています。例外はいつもあります。
でも、それは『正当』なヴィジョン、物の見方をもたらしてくれるものだと思います。
「デッサン」というのは、このようなものを外在化する過程だと感じていました。
>>292 あれ〜おかしいな。
君はさっき"崩壊しつつ"って言わなかったかい?
突然平和は次第に訪れる?
君は精神の話を語っているが、精神科医かね。
それとも心理学者?哲学者?
3択ともクソだが。
ちなみに僕はデザイナーですよ。
294 :
考える名無しさん:03/08/13 10:59
>>291 最後になると思うから、言っておくけれど。
私は「セックス」だけで人間が満たされるものかどうか、疑問ですね。
はっきりと言って、芸術創作って、セックスとは正反対にあるものです。
とても深遠で静謐だけれど、――でも『限りなく広がる』ものです。
まーセックスもそうなのかもしれない。
結果的に精神的なものか、肉体的なものか、そのへんでしょうね。
>>294 セックスは一瞬のおののきですよ。
快感を求める本能が男にはありますから。
妻が妊娠、出産するまで、やはり我慢は
つらいものですよ。
296 :
考える名無しさん:03/08/13 11:04
>>293デザインにだって精神性は不可欠だと思う。
表面的なものは「時代」に飲み込まれるだけでしょう?
精神性を分かり易く言えば、「あー普段とは違う」ってことです。
心理学者でも哲学者でも精神科医でもあるのが、本来の人間だし、
「新しい芸術家」です。もちろん『専門的』なことはホトンド知らないんだけど。
崩壊しているのは「絵画」芸術です。終焉って言ってもいいだろう。
それはすでに『一般化』されたのです。現代社会は後から着いて来るんだ。
う〜ん、やっぱり努力はしてみるのですが・・・
>ただ、自然から精神へと人間が生きるにしたがって上っていくのは事実です。
大人のほうが、子供よりも『深い精神』を理解することが可能です。
子供はよく「外見」だけで人を判断してしまいます。でも、それは人間の全てではない。
自然から精神へと上がっていく?
外見だけで人を判断するのはそういう決め付けた考え方をする大人が子供に教えているのでは?
私の考える芸術とは表現であって、それはポジティブなものでなければならない
とも思わないのですが・・。
自分の心の闇に向かってこそできる芸術もあると思います。
>>296 君は一体何を言い出すんだい?
僕は僕の頭で創造しているんだよ。
時代に飲み込まれる?
さっぱり言ってる意味がわからないね。
ちなみに僕は絵画でなく、幼い頃から妄想ストーリーの
絵を描いていたんですよ。
何かのまねではなく、僕の宝箱を空けてそれを紙に写していた
わけですね。設定も何も考えずただ流れる物をつづるだけです。
君には分からないだろうが、
僕の美術芸術に対する信念や執着心を勝手に解釈されるのは
非常に不愉快だ。
299 :
考える名無しさん:03/08/13 11:09
300 :
考える名無しさん:03/08/13 11:10
>>297 「善悪」という基準で、相対的に比べれば、ということです。
新しいポジティブな芸術は、悲劇的な精神の中にだけ、生まれます。
芸術家は死ぬために努力しているのではない。『もっと明るく』なるために、だと思うのです。
悲劇的な芸術が無価値だとは思いませんが、それは徐々に『流行らなく』なっていくと思う。
そのとき、われわれの時代は『未来的』になるんです。
それが戦争の[ほぼ]ない、新しい時代―― 未来 です。
――「知らないおじさんについていったらダメだよ」ということです。
これを無意識にでもやってのけるのが、いわゆる『大人』だと思います。
301 :
考える名無しさん:03/08/13 11:11
>>298 あなたの「デザイン」の仕事のことです。
個人的な絵画作品の制作のことは言っていませんよ。
>>299 Webデザイン、パンフレット、雑誌等です。
ていうか、この人おかしいですよ。
ポエムにしか聞こえないのは僕だけでしょうか。
>>301 仕事はね、客の要望に応じてやるものなんですよ。
君の言ってる事は反社会的すぎるよ。
304 :
考える名無しさん:03/08/13 11:16
>新しいポジティブな芸術は、悲劇的な精神の中にだけ、生まれます。
どうしてそう言い切れるのか分かりません。
もっと明るくなるために努力しているのはあなただと思いますが
それは全ての芸術家がそうだと言い切れるものでもありませんよね。
本物の芸術とは流行に関係なく、国や時代を越えても美しく、感動するものかと。
306 :
考える名無しさん:03/08/13 11:29
暗くなるために努力している芸術家は、とても酷い思いをしています。
それでも彼らは「何も無いところ」に、なんとか手がかりを見つけてなにかを捜索している。
とくに『真正の芸術家』は。彼にとって生きることや死ぬことと同じくらいそれは大事なのです。
>どうしてそう言い切れるのか分かりません。
そのような体験を、私自身が経験したからです。
「以前」の場所と、新しい「未来」の場所とは、何から何まで違っています。
自由さも、表現も、意味も、精神も、明るさも、現実感も・・・何もかも。
芸術とは普遍的なものだから、感動も変わらないし、流行とは違うけれど、
それが実現されると、結果的に徐々に「社会化」されます。
たとえば――キュビズムの影響を受けた建築が・・・とか、そういうことです。
そのことを『流行のようなもの』として、表現したのです。
「音楽」って時代によってすぐに変わってしまうでしょう?そういうことが言いたかったのです。
すこし誤解を招く言い方でした。申し訳ない。
確かに流行(モード)とは正反対のものですね。
―――でも、『新しい芸術』は、それと少し似てもいるのです。
『新造形主義』という場所から、それははじめて生まれました。
私のここでの表現で、すべてを理解するのは無理だと思います。
もし興味をもたれたのなら、過去の作品を、芸術を、あたってみてください。
307 :
考える名無しさん:03/08/13 11:31
『社会との調和』を目指すのは、私は「真正の芸術」とは認めない。
それはいつも堕落しがちな自然社会への楔、警笛であるべきだと思います。
芸術は模倣でも調和でもなく、まず「 創 造 」であるべきだと思います。
>>302 (´・∀・`)ヘー
デザイナーって楽しいですか?
ちょっと興味あるなぁ。
スランプとかの時はどうするんですか?
>>308 仕事の時はなんとかしますが、
趣味の面では作品捨てます。
>>309 やっぱり充実感とか無くなって逝くんですかね?
商業デザインとか興味あるのですが。
311 :
考える名無しさん:03/08/13 11:41
>>306 「音楽の進歩的な創造現場って、非常に時代精神の影響を受け易い」
ということです。
音楽は悲劇的な表現にとても適しているから、紆余曲折しがちなのです。
すこし曖昧な表現が多いのを、謝ります。
けっきょくライブなので、幾分の『アドリブ』を交えました[まあこれはウソです
312 :
考える名無しさん:03/08/13 11:42
>>310 全部は捨てないでね。人間の表現に、まったくの無意味って事は無いと思いますよ。
313 :
考える名無しさん:03/08/13 11:42
>>310 僕は学生なんで、仕事は他にもしてますがね。
20で子どもがいるからお金が必要なんですよ。
実は今も仕事中。
1983年生まれの双子座ですから。
しかし蘭貢は乾きまくってるな。
>316
てことは君はA型だね
リリーフランキーと多少かぶるような感じがする。
蘭貢は年齢詐称してるだろ?
言ってる事がじじ臭いぞ。
あと最近の下ネタ系スレは安藤ひろしが立ててるの?
だったら人生板のスレのリンクここに貼ってくれ。
僕はABですよ。
じゃあ僕の年代の事聞いてくださいよ。
こんにちは、はじめまして夢男です
>>321 安藤ひろしは僕の真似してるんですよ。
えっちねたロビーの住人です。
安藤は僕が男女板と夢板とリアルで使ってる
名前でして。
ちなみに彼は人生板にはいませんよ。
>322
Jリーグはどこのチームのファン?
>>325 サッカーはあまり見ませんでしたが、小学校4、5年の時は
ベルギー川崎(だったっけ?)が人気あったみたい。
>326
鈴木がいたチームだっけ?
さぁ、
三浦和義に人気がありましたが。
>>1 「何故人を殺してはいけないのか?」
という疑問の前提条件の「人を殺してはいけない」という点に疑問を感じます
もしそのような内容(絶対的な条件下に限定する話)のレポートを書きたいのなら哲学でなく哲学学なんて言葉遊びになってしまう気がします
>>@
生き返らないから殺してはいけない というのはただ 殺してはいけない という言葉を言い換えただけのような気がします
>>A
言語道断です。俺はこのスレッドを立てて欲しくありませんでした
>>B
精神的な脆さを暴露しないで生きている人はいるのでしょうか。法が生まれる前の社会は維持できていなかったのでしょうか。また、仮にそうだとして、それは「いけない」でなく「いけないと決めたルールを作った」だけでないのでしょうか
>>C
何故その考えに至ったのかすらわかりません。タブーを肯定して哲学を語れるのでしょうか?
>>306 306さんが経験されたことに対するこれまでの失礼な言い方ををお詫びします。
人は、相手のことを知らないばかりに一方的な考えを押し付けてしまおうと
するところがありその点で私は深く反省しなければなりません。
あることを強調するのはそれがその人自身に不足しているからで
(バランスをとろうとしていること)
私自信に愛が足りないのかもしれません。
すみません。
自信→自身です。。
>>330 むしろ押し付けてるのは彼のほうではないでしょうか。
ちなみに
>>306さんは芸術家ですか?芸術評論家ですか?
ただの厨房ですか?
蘭貢は昼間からこんな事やってていいの?
盆休みとかあるなら、奥さんと子供どこかに連れてけよ。
退屈してそうなイメージがうかぶな、子供とか遊び盛りだろ。
「絶対悪」というものが存在しなければ「〜〜してはいけない」なんてものは全て土台のない論になってしまうと思います
いくら積み重ねていっても分解していけば「ただのルール」になってしまうからです
夢男は今日から旅に出ます
つまり俺が言いたかったのは「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは「なぜ人を殺してはいけないルールがあるのか」となってしまうからです
悲しいけどこれが現実なのよね
>>333 嫁は実家。
彼女は26歳で僕が20歳なんで、あまり向こうの
両親には気に入られていないのですよ。
息子が生まれて少しは変わってきましたが。
>329
>また、仮にそうだとして、それは「いけない」でなく「いけないと決めたルールを作った」だけでないのでしょうか
「いけないと決めたルールをつくった」ことは「いけない」とは違うのだろうか?
ルールをつくるとはどういうことか
それは「ルールをつくった」と発言することでも思考することでもない
それに仕事あるし。。
あー、姉さん女房か。それは
大変だな。
>>337 つまり法と言う「ルールをつくったと発言することでも思考することでもある」ものがなくても
人を殺してはいけないというルールがあるのでしょうか?
自然となるならば、この問いは取らぬ狸の皮算用ですね
342 :
考える名無しさん:03/08/13 12:36
>>330 愛には大も小も無い気がします。
相手のことをなかなか理解できないのは、当たり前のことです。
だからこうして「議論」するんだと思う。
大事なのは、相手のバランスを少しでも自分のものにすることですよね。
僕のほうが、あなたからたくさんのものをもらいました。
『正直』なことは、どんなに成長しても、衰えていっても、忘れたくないです。
>341
「ルールがある」とはどのようなことを指すのか
例えば、将棋で「待ったなしというルールがある」と言う時
それはどのような状態を指摘するのだろうか
344 :
考える名無しさん:03/08/13 12:41
>>332「芸術家」です。これはもう今はたんなる自己申告による「称号」だと思うけど。
>>343 将棋の待ったなし というのは盤面上では絶対です
しかし将棋盤を置いている部屋の猫が盤面の上にのって昼寝を始めてしまったら駒が飛びまくりです、ルールもへったくれもありませんよね
シケモクは吸いあきました
>>344 ようするに君は自分の芸術を人に押し付けているわけですね。
君は自分が特別だとカンチガイをしてるんですよ。
げいじゅつは一人一人の個性で心の指紋です。
あなたが価値を決めるのはオカシイ話でしょう。
では仕事が詰まってきたのでいったん落ちます。
>>343 ようするに
作られたルールがあろうとジャイアンはスネ夫に対しては何回でも待ったをすることができます
待ったなし と 待ったなしというルール は違います
俺もそろそろ落ちようかと思います
家の八百屋を手伝いにいきます
>345
>しかし将棋盤を置いている部屋の猫が盤面の上にのって昼寝を始めてしまったら駒が飛びまくりです、ルールもへったくれもありませんよね
そうだね
では、それは「ルールがある」という言葉が何を指摘しているということなのだろうか
>347
>待ったなし と 待ったなしというルール は違います
どう違うのか
それを説明することが君の主張には必要だ
「待ったなし」とはどのような状況を指し
「待ったなしというルール」はどのような状況を指すのか
俺もちと5日ほど書き込めんかも
「殺人禁止というルールがある」とはどのような状況を言うのか
「殺人禁止」とはどのような状況を言うのか
適当に議論しててくれ
法
>352
ついでに将棋の「待ったなし」についても頼むわ
354 :
考える名無しさん:03/08/13 13:20
>>346 私はなるだけ議論し合おうと努力したのだけれど。
>ようするに君は自分の芸術を人に押し付けているわけですね。
>君は自分が特別だとカンチガイをしてるんですよ。
>げいじゅつは一人一人の個性で心の指紋です。
これはご自分については当てはまりませんか。
私は自分が特別だなんて思っていないです。ただ、自分の感じていることを正直に書いただけです。
『芸術』は個性の表現である以上に、「普遍性」の表現である、というのが私の考えです。
全世界的な功利性をもつから、あれほど様々な形で「芸術作品」は展覧されると思う。
芸術は誰のものでもあるのだから、それぞれの意見がぶつかることは良いことです。
芸術とは論理の外在化だ、と私は思っているので、それを付け加えておきます。
大人の将棋
ちっ〜
357 :
考える名無しさん:03/08/13 14:39
なぜスカとろ好きが存在するのか
359 :
考える名無しさん:03/08/13 16:54
>>329 夢男さん、レスをありがとう。
@は、「殺したが死ななかった」ということはありえないので、
まあ、確かに、言葉の言い換えです。(^。^;)
Aは、「殺さないで欲しいと思う人がいる『べき』だから。
自分を愛するひとがいると信じるべきだから」
のマチガイでした。
ここは、ちょっと、僕の考えが足りないところでした。
Bは、これは失礼ですが、あなたの認識不足かと…
誰でも、成長する段階で、「なぜ殺してはいけないか」
とか、考えると、僕も思っていましたが、
「そんなこと当然だ」と思って、自分に問いかけず、
一生を終える人も、少なくないみたいです。
(まあ、このことを知った時は、ちょっとショックでしたが)
Cについては、まあ、Bの延長で、
本当は殺すてはいけない理由はないが、
質問してきた人をいきなり殴る「教育」も必要悪かと…。
(ただし、この意見には理解できたが賛成できない)
で、このレポートは、
どちらかといえば、主に倫理をあつかう授業での話しでした。
ですから、「なぜ殺してはいけないのか」という問いにもかかわらず、
「〜のようにすれば殺人は減る」という、解決策を書けばいい。
とのことでした。しかし、意欲のある学生は、哲学的に「よい」の意味
を問うのも大歓迎だとのことでした。
だいぶ、案がまとまってきたけど…
@「死んだら生き返らないから」の章で、
命は、「私の面するこの世界」を作るもので、
命が無くなることは、「この奇跡」を越えるところにある、
もう1つ「奇跡」つまり、
「この世界を構成する根幹」が消えて
二度と戻らないから殺しては、いけない。
という趣旨のことを書いて、
A「愛する人のため」の章では、
愛は、例外なく単なる錯覚に基づくものであるが、
本当に独りのときでも、自分を愛してくれる何かがあると錯覚する
べきであり、たとえ死んでもかまわないと思っている老人にも、
「死なないでほしい」と泣きつく子供のような、「何か」
(単にその子供自身のためでなく、その子供自身を超えるような何か)
が、誰に対しても存在すると、勘違いしておくべきだから。
と、まあ、こんな趣旨を
レポートには書いておこう。
ルーズのはき方が街を歩いている女子校生並にマッチしています。
顔は少しふけ気味ではありますがなぜかセーラー服がよく似合います。
こういうなんちゃって女子校生もたまにはいいでしょ?
オマンコの具合はよさそうだし・・・
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364 :
考える名無しさん:03/08/13 21:19
>>362 「なぜ殺してはいけないのか」という問いに対する分析が必要だな。
あぁ旅先からも2ちゃんにつなぐ俺はなんて心身堕落してるんだ
酔っ払いの戯言
「人を殺してはいけない」という問いには二種類の読み取り方があると俺は考える
一つは絶対的な価値、例えば神が存在して、殺人禁忌に絶対的な価値を付与しており
そのために、自分にとって「人を殺してはいけない」が絶対的な価値として成立し、人を殺すという行為が不可能な状況に追い込まれている状況
この状況は不可能状況と呼べるほどの絶対的価値でなければならない
ゆえに、それが可能であるという事実の指摘が「人を殺してはいけない」という言葉を反駁すると思われてしまっている
366 :
考える名無しさん:03/08/13 22:00
>>1さんへ。僕の意見です。
@死んだら生き返らない、という仮定は、哲学の範囲を超えて「観念ゲーム」
「バーチャルリアリティ」の領域のような気がします。子供がいる親にとってはなおさら恐ろしい。
これは端的に、現代人が如何に『死』と向き合うことが少ないかを示していると思います。
こういうことを餓死者が多く出る地域で軽軽しく言えば、彼は即刻「村八分」になるのではないでしょうか。
おそらく、「人はみな死ぬ」ということを、我々は生活の表層の部分では、忘れてしまっているのです。
こういう『悪問(問いかけること自体が悪い)』を多くの人が平気で無感覚にイメージできることは、
――――そしてとくに「反感」を持つ人が殆どいないのは――――
実際のところ『現代社会の闇』の深さを物語っているように、僕には感じられます。
一言でいえば、「仮定」以前の、人間の一生物としての絶対倫理(本能)的な範疇ではないでしょうか。
A
>>361にある1さんのものと僕も同意見です。僕などよりよほど明快に表現されていて素晴らしいと思います。
あとにある、「愛は錯覚」というのは、僕は違うと思う。これは子供を持ってみればまず直ぐに分かります。
367 :
考える名無しさん:03/08/13 22:01
B
>>1にある「臭いものに蓋」という言い方は、どうでしょうか。むしろ
多くの社会構成員にとって臭い物、
醜いもの、隠避されがちなものを『循環装置』みたいに消化するのが社会なのだ、
という考えを、僕は持っているのですが。恐怖、憎悪という社会悪の感情でもそれは同じだと思います。
精神的脆さは、結局のところ大きな目で見れば「暴露されない」わけにはいきません。
事故や事件の皆無な社会はありえない。
大事なのはそのような『反社会力』をきちんと受け入れることができるような、「懐の広い社会体制」を―――
我々ひとりひとりが、しっかりかたちづくることだと思います。
このためにはきっと、「家庭」という社会の最小単位にまで遡る必要があるかも知れません。
Cそれは肉体的暴力ではなく、社会意識として、大人(一人前)になるための必要条件として、年長者が『教育』すべきものです。
それが「倫理」や、「道徳(人が踏み行わなければならない道)」というものではないでしょうか。
Dまったく冗談ではありません。言語道断です。
どんな場合でも、自分の子供が「最終的に殺されねばならない」としたら、僕はこの世に生を受けたことを恨まねばなりません。
以上手前勝手な考えかもしれませんが、僕個人の、素直な意見を述べさせていただきました。
368 :
考える名無しさん:03/08/13 22:16
殺してはいけない、じゃなくて、殺さないほうが無難。
なんだよ、実際は。
もう一つの解釈
それは「ルールの存在」と関わってくる
「ルールに属する」とはどのような行為を言うか
『哲学探究』には「それを説明し行動し破られないその実践において・・・」とあったと思う(うろおぼえ)
結果としては同じであるが、動機も過程も異なるものを
「殺す」という一言で解題できるだろうか?
>370
「殺す」という言葉が指すのは殺人意思によって殺人という結果を招くということと思われる
その条件下なら動機や過程が異なることは
当の行為の正否を問うことはできても、殺人禁忌についての解決にはならないのではないだろうか
>>361 > 誰でも、成長する段階で、「なぜ殺してはいけないか」
> とか、考えると、僕も思っていましたが、
『殺してはいけない』は社会のルールにしかすぎないと思うのだが。
それを『殺してはいけない』という絶対的な真理があることになっている世界が存在したとは驚き。
殺したっていいんじゃないの?正当な理由があれば。
> 「そんなこと当然だ」と思って、自分に問いかけず、
それは自分のことでは?殺してはいけない、が当然だと思っているのは。
人を殺してはいけない、は社会ルールとしては当然でも、
それ以外のどんな意味においても当然ではないと思うが。
>>364 同意。
373 :
考える名無しさん:03/08/13 22:24
なんで人を殺してはいけないのに、
蚊を叩いて殺すのは許されるんですか?
374 :
考える名無しさん:03/08/13 22:26
>>373 動物は「精神」が無いから。
相手を傷つけてしまった気持ち、または罪悪感、『原罪』を意識しないから。
だと思う。
>>371 殺人意思において、動機や過程が異なれるのに、それを「殺す」の一言で済まそうというのは
杜撰ではなかろうか?
すなわち、多用なケースを元にした反論に耐えうる結論を醸し出すことができない。
つまるところ我々が想定しているのは、殺すことに抵抗がある善良な市民
そして、殺すことにほとんど抵抗が無い犯罪者ではなかろうか?
「もしかしたら、自分が誰かを殺すかもしれない」という実感は持っていない。
いや、逆に、殺す事を何とも思っていない者が
「なぜ殺す事に抵抗感があるのか」と実感を持てぬまま、書き込んでいる可能性もある。
377 :
考える名無しさん:03/08/13 22:38
保険会社が困るから!
>>336 >>337 大変興味深く読ませてもらいました。
ありがとうございます。
愛が錯覚であるという意見は、疑う余地がないと思いますが。
「愛」は「神性」をもつものですが、
その正体は、単なる支配欲や、他者に対する強い思い込みでしょう。
僕は、神様を信じるような人にはなりたくないわけです。
>>362 のAに書いた、
たとえ死んでもかまわないと思っている老人にも
「死なないでほしい」と泣きつく子供のような、「何か」
(単にその子供自身のためでなく、その子供自身を超えるような何か)
があるべきで……
と言ったのは、その「子供の持つ神性」に触れるからだと思ったわけです。
うまく言えないけど、僕は、神は信じないけど、
「まるで神様のようだ」と思ったものはあります。
自分のために死なないで欲しいと泣いてくれる子供なんて、
神様みたいではないですか。
ただし、その正体は、
「愛ではないが、単なる支配欲や、他者に対する強い思い込み」でしょう?
これは、疑う余地のないことと思います。
しかし、この子供自身を超える「神性」のために、
死んではいけない、…となると思います。
また、
>>362 命は、「私の面するこの世界」を作るもので、
命が無くなることは、「この奇跡」を越えるところにある、
もう1つ「奇跡」つまり、
「この世界を構成する根幹」が消えて
二度と戻らないから殺しては、いけない。
というのも、「魂の神性」に触れるから殺してはならないからだ。
というつもりで書いたわけです。
まあ、人を殺すことは、何らかの「神性」を犯すことになる
と思うわけです。
>376
該当となる殺人行為の正否を問うならば、動機や過程を思考することは不可欠に思う
だけど殺人禁忌はおそらくはそのような個々のケースとは切り離されていると俺は考える
なぜならば、人を殺してもよい状況を指摘すること(例えば緊急避難)を指摘したところで
「だから人を殺してもいいんだ」とは結論しきれないでしょ
>>380 すなわち、問題はそこにある。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、暗黙のうちに「はい」か「いいえ」を強制している。
そして、断言してもよいだろうが、「はい」を想定して問いと答えの間を埋めなくてはならない。
もちろん、「いいえ」を想定して間を埋めればよいという訳でもない。
多種多様な「殺し」が存在する中
「なぜ人を殺してはいけないか」という極めて曖昧模糊な問いが、答えを強制するのは無理難題が過ぎるだろう。
すなわち、答える以前に「なぜ人を殺してはいけないか」という問いを分析し
より明晰な問いにする必要がある。
>381
問いに対する姿勢は俺も同感
そしてその問いの混同は問いに対する二種類の解釈の仕方にあると俺は考えているのだが
これはどう思う?
説明不足だったので書き足すが
>>381において
「はい」は「殺してはいけない」である。
>>41 で、しけもくさんが、
>「なぜ人は殺してはいけないのか」から
>「人を殺してもいいが、殺してはいけないというルールを人は好む」
>「なぜ人は、人を殺してはいけないというルールを作ったのか」
>になり、最終的には
>「なぜ人は倫理や宗教を使って、人を殺してはいけないという
>人が作っただけのルールを、絶対的に真であると人に思わせようと
>することが多いのか」
>まで論じるのも良いかと思われます。
と、書いて下さったので、前置きにこのことを書こうかと
思います。
また、
>>62 >の方が、まず前提として量化を考慮すべきであろう。
>「すべての人は殺すべきである」であるか「ある人は殺すべきである」
>であるかである。
というレスを付けて下さったので、
このことも、考慮に入れたレポートにしようと思っています。
この命題じたいを問うことに関しては、まだ、考え中です。
>愛の正体は、単なる支配欲や、他者に対する強い思い込みでしょう。
これは絶対に間違っています。
これだけは間違っていると伝えなければならない。
あなたは子供を持たれたことが無いと思うので、ほとんど理解できないようなので言うが、
自分と深い関わりのある命は神聖なものである以上に、とても「圧倒的」なものなのです。
私のちっぽけな命など、この子の命の温かさと重みに比べれば、ほとんど無意味みたいだ。
それが「親心」としての『愛情』なのです。それは親なら誰もが持っているのです。本当ですよ。
>>1さん。あなたが実際に子供を持たないとこのことは理解できないのかも知れない。
それは仕方の無いことかも知れません。
しかし、あなたの親御さんも、必ず私と同じことを感じているはずです。
あなたが誰かの「単なる思い込み」で殺されたら、きっと身を切り裂かれるような痛みを感じます。
それが『愛情』の意味だと、思います。とても切実な、現実的なものだ。
「愛」は絶対に偽善的な言葉ではない。これだけを、覚えておいて欲しいです。
>>382 1.絶対的な価値
2.ルールの存在
まず、1において倫理観が欠落した人間が確実に存在する時点で絶対とは言えないだろう。
すなわち、絶対的な価値が通用すると思われるのは、一定の知能・倫理を満たしている者の中だけである。
それは絶対的とは言えない。
従って、2のルールを作らざるを得ない。
風呂に入るので、レスが遅れるかもしれません。
>386
いや、1は絶対的真理がないという反駁ではあるけれど
「絶対的真理に個人が従わねばならない理由が無い」という反駁でしかなく
だから絶対的真理の有無を問うているように見えて
「絶対的なものは個人にとって限界がある」という指摘に過ぎないと思われ
それは「個々の主観にとって絶対はない」というテーゼ以上を語ってないと俺は思う
>>386 >2が自然な『無秩序(殺人、暴力、犯罪、治安悪化)』に対する「対抗の方法」であり、
それによって>1を絶対あきらめずに何度も何度もつくりだすのが、社会の役割である。
>>385 殺さないのが、自分のためだけではない、という意見には大賛成です。
殺してはいけない理由は、「殺したら、自分も死ぬことになるから」
だけではない、愛している人が悲しむからですね。
まあ、自然にしてれば、人間は誰もが、
「生きるのが好き」
「殺したくない」
と思うはずだから、理屈など言わず、
教えなくても生きることに貪欲でいてほしい、
ということですかね?
391 :
考える名無しさん:03/08/13 23:10
愛している人が悲しむとなぜいけないの?
>>389 自然な無秩序=悪ふざけ、つまり「弱肉強食化」への傾向
それに対抗する『人間的な秩序』をつくりだすのが、人間社会だ。
人間的な秩序とは、倫理道徳のある社会のことだ。
マナーをみなが、自然に守る社会のことだ。
393 :
考える名無しさん:03/08/13 23:15
人間を含む動物一般が、乳児として生まれてくる、ということはどう関っているのだろう。
狼に育てられたアマラとカマラ、についての話があったけれど、育ててもらったという事実から
自分から殺すという発想はなくて、恐怖心の塊のようになってしまった。
一方で昔、童話で生まれたときから力持ちで、働き者だったのに、最後には殺人をしてしまう
という本を読んだのですが、知っている方いませんか。
「愛情」というより、人や自然の力によって人は成長してきた「事実」を元の力にしたほうがいい
とおもうのですが。
>>390 全然違います。
子供を殺されると、ほとんど自分が死ぬほど苦しいものだ、ということです。
言葉で考えることでもない。それは「生死」を分けることだ。
自分が死ぬか生きるかと同じことです。
>>390 >愛している人が悲しむからですね。
このようなことを平気で言うのが、僕には全く理解できません。理解したくも無い。
失礼だがあなたは本気で悲しんだことが無いように思える。
その経験を少しでもしなければ、またたとえほんの少しの経験でも
それを自分自身のものとして切実に考え感じることが無ければ、
僕の言うこと、伝えたいことはあなたには伝わらないように思う。
現実は映画ではないのです。
Mr.childrenというバンドは知っていますか。
僕は彼らが好きなのですが、「HERO」という曲の中に、そして詩の中に、
私の伝えたい気持ちは
非常に深く刻み込まれているように思うので、それをここに引用しても構わないでしょうか。
それは先日、にちゃんねるの中で書き込まれているのを見つけたものです。
もしよければ、実際にCDを手に入れて曲を聴いてみていただきたい。
僕は彼らの歌が、素晴らしい音楽性を持っていると思っています。
396 :
HERO Mr.Children:03/08/13 23:28
たとえば誰か一人の命と――引き換えに『世界』を救えるとして、
僕は誰かが 名乗り出るのを、待っているだけの――――男だ。
愛すべきたくさんの人たちが――ぼくを、「臆病者」に変えてしまったんだ――
小さいころに身振り手振りを 真似てみせた、「憧れ」になろうだなんて、
大それた気持ちは ない。 でも「ヒーロー」になりたい。ただ一人―――
『君』にとっての …つまづいたり、転んだりするようならそっと手を 差し伸べるよ。
―――ダメな映画を盛り上げるために、 簡 単 に 命が捨てられていく。違う
ぼくらが 見ていたいのは、希 望 に満ちた 『 光 』 だ・・・。
僕の手を握る、少し小さな手。すっと胸の澱みを――溶かしていくんだ。
「人生」をフルコースで深く、味わうための――
いくつものスパイスが――誰にも用意されていて
ときには苦かったり、シブく思うこともあるだろう。
――そして最期のデザートを笑って食べる「君」の傍に、・・・僕は居たい。――――
残酷に過ぎる時間の中で きっと十分に ぼくも、『大人』になったんだ
悲しくは無い、切なさも無い―――――ただ
こうして繰り返されてきたことが、――そう、こうして繰り返していくことが――
うれしい――― 愛 し い。 … …… …
ずっとヒーローでありたい。ただ一人 君にとっての。
ちっとも謎めいてないし、今更もう――秘密は無い。
でも
ヒーローになりたい。ただひとり、 きみ にとっての。
つまづいたり、転んだりするようなら――そっと手を、 差しのべるよ
兄さんと、364さんのレス、
とてもおもしろく感じました。
「なぜ、人を殺してはいけないのか」
という問い自体に対しての諸問題には
このような↓ものがあるかと思います。
●あらかじめ殺してはいけないことが前提があるような問いである。
●「なぜ殺してはいけないのかと問うこと」=「殺したい」だと思うこと人がいる。
●絶対悪と思っている人でも、そのルールは破る可能性がある。
●どんな状況でも、どんな人でも殺してはいけないのか。
また、何か、あれば教えてください。
>>396 「愛している人が悲しむからですね。」
は、まあ、ブラックユーモアですね。
水に流してください。
あと、ミスチルは、僕も好きです。
歌詞を載せるのは、勇気がいったでしょう。
そのような、破綻した捨て身のレスにこそ、
本当のおもしろさを感じます。
僕も、詩を他人に伝える衝動に駆られることはよくあります。
さて、問題は、
「愛が、錯覚かどうか」という点ですが、
まあ、子供が生まれるまで待ちましょう。
とりあえず、覚えておきます。
「ああ、アホだったオレ(>_<)。」
と思うことを忘れるくらいの驚きを体験したいものです。
「愛」は絶対に偽善的な言葉ではない。
と、あなたは言いましたが、僕も賛成です。
あなたとの意見には、かなり、共通点もあると感じました。
399 :
考える名無しさん:03/08/14 00:12
言葉を必要としない世界、関係を基準にする事は危険だ。自分にとって関係のない人
、をたやすく見捨てるということにつながるから。
385さん、自分の子どもがかわいいのは解るが、そういう経験もない人、親の愛を
感じられない人には何も伝わらないよ。
私は必ずしも愛は錯覚であるとは思いません。
>たとえ死んでもかまわないと思っている老人にも
>「死なないでほしい」と泣きつく子供のような、「何か」
>(単にその子供自身のためでなく、その子供自身を超えるような何か)
>があるべきで……
>と言ったのは、その「子供の持つ神性」に触れるからだと思ったわけです。
この子供は何故泣きつくのでしょうか。
近しい身内を失う悲しみや淋しさといった感情の主体は自分ではないかと思います。
自分が悲しいから、自分が淋しいから、泣くのではないでしょうか。
結局人間は他者を触媒にして自分を愛しているに過ぎないのだと思います。
401 :
考える名無しさん:03/08/14 00:24
>>399 なんか単にひがんでるんじゃないの?さっさと恋人見つければ?
402 :
考える名無しさん:03/08/14 00:39
触媒化?
あなたになんて勝手に「触媒」にされたくないな。
403 :
考える名無しさん:03/08/14 00:44
感情論になると、自己愛が全て、という結論が出るだけなんだろうね。
ミスチルの歌詞が出て、笑ったのって俺だけかな?俺は、いつからこんな冷たい
人間になったのだろう。笑い方がふしぜんかなぁ、たとえ俺の愛が歪んでいくとしても
ってミスチルの歌詞くらい誰でも書けたりして、なわけないつうの!
404 :
考える名無しさん:03/08/14 00:52
この問いの最大の問題点は
善悪の存在を
前提にしているということだ
自然界には元々
善も悪も存在しないとしたら
「殺人はなぜいけないのか」
という問い自体が成立しなくなる
>>367 >多くの社会構成員にとって臭い物、
>醜いもの、隠避されがちなものを『循環装置』みたいに消化するのが社会なのだ、
>という考えを、僕は持っているのですが。恐怖、憎悪という社会悪の感情でもそれは同じだと思います。
ここは、少し感動しました。
>>368 どんな場合でも、自分の子供が「最終的に殺されねばならない」としたら、僕はこの世に生を受けたことを恨まねばなりません。
子供が死刑を受けることになった人は、この世に生を受けたことを恨むと思いますが、
この世を深く恨むことは、誰にでもありえることかと、思います。
406 :
考える名無しさん:03/08/14 00:58
>>404 もしそれが正しいとすると、現実に、
「殺人はなぜいけないのか」という問いが存在するのだから、
善も悪もあることになるのではないでしょうか。
407 :
考える名無しさん:03/08/14 01:09
仮に殺人が悪だとして
それで俺が誰かを殺して
何もおとがめがなかったとしたら
なんかやばいことがあるのだろうか
そりゃあ俺のやったことは
悪かもしれないけど
悪だったからって何なのだろうか
おとがめ以外でもなんらかの
リスクとかデメリットがあるなら
殺人はやめようと思うけど
そういうのがなかったら
悪だったからって何なのだろうか
「悪はやっちゃいけないことだから悪なんだよ!」
とか言われても
「ああ、そうなんだ、やっちゃいけないんだ」
「でもなんもデメリットないんだから(やりたくなったら)やる」
ということになると思うし
それでなんかまずいのだろうか
そりゃまずいから悪なんだろうけど
悪だったからって何なのだろうか
408 :
考える名無しさん:03/08/14 01:10
生命、から生命力はなぜ出てくるのか?生命が存在している、これだけでいいではないか!
生命力と言い出した奴がいるから、世界は混乱するのだ。
生命=善、生命力=悪にもなり得る善、この関係性をうまく言える人はいないか、
といつもおもうのだが。
409 :
考える名無しさん:03/08/14 01:15
私が言おう!
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
410 :
考える名無しさん:03/08/14 01:15
>>406 問いが存在することと
成立することは違うでしょ
人間はアホなんだから
あり得ない問いなんて
いくらでも持つことがある
例:なんで太陽は西から登るんだろ?
411 :
考える名無しさん:03/08/14 01:18
>>409 そうだとしたら
「全ての人間は最終的に
悪へと向かう存在」
ということになってしまう
人間はみんな死ぬんだから
412 :
考える名無しさん:03/08/14 01:23
>>410 しかし、現実に法律で人を殺してはいけないことが定められています。
だから、なぜ人を殺していけないのかという質問は、
ごく普通に成立していると思いますが…?
413 :
考える名無しさん:03/08/14 01:30
>>411 だから努力するんじゃないか!だから過去の偉人たちは身を呈して人類に遺産を残してくれたんじゃないか!
>>409 死ぬ為に生きる人はいないのだから、そんなに簡単に分けられてもナー。
普通、生きるために生きているのだよ。
>>412 「法によって殺人罪が
規定されているのはなぜか?」
という問いなら成立します
解答も充分に用意できます
しかし
現実問題として
法律に殺人罪が規定されていることと
「普遍的真理として、なぜ人を殺してはいけないのか?」
という問いが成立するかどうかということは
全く別の問題です
416 :
考える名無しさん:03/08/14 01:36
みんなまじで頭わるいな
やってはいけない事はこの世に存在すらしないんだよ
宇宙は常に殺人に対してはニュートラルであり
概して社会は無秩序な殺人を許さないだけだ
ゆえに社会(他人)から与えられたり学びとったりした感情、倫在感、宗教が備わった人間は
「殺人はやってはいけない」と思うわけだ
社会(他人)からはぐれてなにも与えられなかった人間は空っぽだから他人を躊躇なく殺せるんだよ
だから社会の暗黙の世界観に頭だけで結論はださないほうがいいと思うよ
417 :
考える名無しさん:03/08/14 01:38
>>415 その用意できる解答で十分このスレの解答になっていると思いますが。
それではダメなんでしょうか?
ちなみに、その解答を教えてください。
418 :
考える名無しさん:03/08/14 01:40
>社会(他人)からはぐれてなにも与えられなかった人間は空っぽだから
どういうこと?何を与えられなかったって言うの?何が空っぽ?
>>416 貴方が一番あたまが悪いのじゃないか。貴方は乳児のときのママのおっぱいの感触
を記憶できてないんだろう。哺乳瓶だとしてもその記憶はないか?
たいていの人間は、記憶にないということを記憶するのだが、貴方はただの馬鹿だね。
いい年こいて、何も与えられなかったとか言うなよ、な。
1がどんな本を読んだのか、ぜひ知りたい。
>>417 「法によって殺人罪が
規定されているのはなぜか?」
その答えは
「殺人が無秩序に起こることは
社会にとって害であるとみなされているから」
法学を学べば分かるが
法律は別に殺人が悪だとは言っていない
民主主義の場合は
殺人が無秩序に起こることを
懸念する人たちが多数派なので
殺人罪という法律が出来るのは
必然の結果ということなのです
「殺人はなぜ悪なのか?」
という問いを発し
「自分が殺されるのがいやだから他人を殺すのは悪だ」
という回答をもらったとすると
「自分が殺されるのがいやだからといって
なぜ他人を殺してはいけないことになるのですか?」
という問いを発することが可能になる
哲学ではこの問いには答えられない
422 :
考える名無しさん:03/08/14 01:50
見つけた。
>>414だから、殺人はいけないんじゃないか。
>>410 >法学を学べば分かるが
法律は別に殺人が悪だとは言っていない
つまり、犯罪者の不幸が考慮されるといいたいわけだ。犯罪者の境遇によっては
無罪になることくらい誰でも知ってるでしょ。そういう条件だとしても、人を殺せる
正当性はどこにあるかと聞いてるのです。
424 :
考える名無しさん:03/08/14 02:02
「命は尊い」とかいう人間はその理由さえ考えることはなく、ただ社会から刷り込まれたことを繰りかえし唱えてるだけの人だとおもう。
殺人はしないようにしようと決めただけのこと。
ある人が喧嘩をして、怪我を負った。その怪我がもとでその人は死んでしまった。相手も怪我を負って、不自由な生活を強いられる結果となってしまった。
それを見ていた周りの人間は「同じような事を繰り返さないようにしよう」殺すことに成るような事はやめよう。と決めただけのこと。
哲学板だから根本原理を探求したいなら、とことん考えぬけ!!
425 :
考える名無しさん:03/08/14 02:03
>社会(他人)から与えられたり学びとったりした感情、倫在感、宗教が備わった人間
これの反対
簡単に言葉にすると人間の形をした「獣」ってこと
蔑んだ意味じゃない
子育てしたことがあるならこの意味がわかる
426 :
考える名無しさん:03/08/14 02:06
>とことん考えぬけ
あのー考えてわかるもんだったら とっくに答えはアルですね。
>>388 我々が絶対的な真理を語る場合において、当然ながらそれを理解できる知力が暗に含まれる。
そして、絶対的な真理が存在したとして、それを承認できない遅滞があれば「絶対的」だは言えないだろう。
あくまで、「一定レベルの人間にしか通用しない真理」となる。
すなわち、我々が論議する場合、意識的にか無意識にか「理解できない者」を省いていないだろうか?
或いは、理解できない者に理解させる努力をしたとして、それでもなお理解できない者はどう扱えばよいだろうか?
>>389 殺人を考える際において、治安上の問題を語るだけでは不充分である。
すなわち、権力に強制されて犯さざるを得ない(進んで犯す者もいるが)殺人の問題も存在する。
「なぜ人を殺してはいけないか」という問いにおいて、問いのあり方と共に問いの構造も考慮する必要があるだろう。
漠然としていながらも大きな母集団「通常殺人を犯さない、一定の知的・倫理的なレベルを持つ善良な市民」
に投げかけられた異形の問いという構造。
特定の条件の下での問いと答えに真理は存在するだろうか?
平穏な社会においてほとんどの者は殺人を犯す事はないが、自分はいかなる場合にも殺意を持たないと
自信を持って言えるだろうか?
自分に降りかかるかもしれない、不幸な出来事とそれに伴う殺意。
わずかな後押しが行動へ駆り立てるかもしれない。
話は逸れるが、日本人は世界的に見て殺人を犯す率が低い。
それに比べると、欧米人はよく殺人を犯す。
聞いた事があると思うが、「日本の若者はなぜ人を殺さないかを研究した方がよい」と言ったドイツの研究者がいるそうだ。
欧米において、精神的に見て、法律的な拘束よりも高いと考えられる宗教的な拘束に殺人の禁止を加えるのは
よく殺人を犯すからではないかと勘ぐってしまう。
日本においては、「世間の目」という緩い拘束にも関わらず、欧米に比べると殺人がよく抑えられている。
>>425 俺は子供がいないけれども、自分の思ったとおりの大人になっていますか?
きっと一つの生命が、生命力を持つ課程をつぶさに見てきたのでしょうね。
しかし生命力というのは、おまけみたいなもので、生命が大切だというのが
最初の認識じゃないかなあと思うのです。生命がなぜ、生命力となるのか。
ちなみに、生命保険というのは、生命力保険としたほうがわかりやすい。
429 :
考える名無しさん:03/08/14 02:18
なぜ人を殺してはいけないのか
それは我々が人間だから
俺の書き込みが真理だよ
431 :
考える名無しさん:03/08/14 02:21
>430
浅いね。
432 :
考える名無しさん:03/08/14 02:23
深けりゃいいってもんでもない
殺人の問題に愛情を持ち出すと、話は収束するように見えながら収束しなくなる。
陳腐なので書くのも憚れるが、愛情と殺意は表裏一体である。
強く愛した者を殺された場合、殺した者に向かう殺意は尋常ならざるだろう。
或いは、一方的に強く愛し自分のものにしたいがために殺してしまうという、よくある話。
「他人を殺してはいけないのは、そのほうが社会にとって都合がよいから」
ではダメなの?
倫理なんて時代や地域で変わるし、自然界では弱肉強食だし。
倫理やら真理やらを持ち出す必要があるのだろうか。
>>430 一応突っ込んでおくが、全ての者に対して「何をやってもいい」という権利が与えられるならば
「何をやってもいい」という権利を奪う殺人は矛盾を醸し出す。
>>434 「殺す」という行為が平坦に理解される語彙ではないため
「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは混乱をもたらすだけと考えた方がいいでしょう。
>>436 >「殺す」という行為が平坦に理解される語彙ではないため
「殺す」という語彙にどれほどの複雑性を見出したのですか?
>>423 >つまり、犯罪者の不幸が考慮されるといいたいわけだ。
そういうことは言ってません
>犯罪者の境遇によっては
>無罪になることくらい誰でも知ってるでしょ。
私はそういう話はしていません
>そういう条件だとしても、人を殺せる
>正当性はどこにあるかと聞いてるのです。
私の話を取り違えておられるので
答えようがありません
法は
「人を殺してはならない」
という旨の主張はしません
「人を殺した場合○○の刑に処す」
という言い方をします
「人を殺してはならない」
と言うのは法ではなく道徳です
439 :
考える名無しさん:03/08/14 02:37
いやいや416であってるよ。神様は何も禁止なんかしてないんだよ
440 :
考える名無しさん:03/08/14 02:39
規制があってもなくても何も変わらないんじゃないでしょうか?
>>439 自演ですか?
神様はいろいろ禁止しまくりですよ?
>>430 貴方はゴリラにでも育てられたのか?多分、記憶操作を自分でしているのだろう。
人間に育てられた事を忘れているんだね。忘れている事を記憶するんだよ。
それが生命のあり方。
443 :
考える名無しさん:03/08/14 02:40
と思ったけど後半は同意しかねる
444 :
考える名無しさん:03/08/14 02:40
>>433 だからそこで踏みとどまれない奴は倫在感なり思想なりを
与えられなかった、獣に近い人間だよ
ごめん。僕なりの意見を書くね。
殺人はしようと思えばできる。したあともぬくぬくと生きてる人もいる。
自己防衛のために仕方なく殺人を起こした人もいる。神様は殺人自体を禁止していない。
ただ、とばっちりで自分が殺されるのはいやなので法律がつくられた。それだけのことだよ
446 :
考える名無しさん:03/08/14 02:51
「人を殺していけない理由なんて、本当はねぇんだろ」
という思いがあるから
「なんで人を殺しちゃいけないの?(答えられねぇだろうがゴルァ!!)」
と問うのであって
殺してはいけない理由を
求めているわけではない
>>445 あんたの言ってる神様って、バモイドオキ神みたいなもんか?
ちょっと勘弁だな。
普通、生きるために生きているのだよ。
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
何か文句はありますか?
450 :
考える名無しさん:03/08/14 02:59
殺人も戦争も虐待もいじめも
善悪二元論で考えると
「だから何なの?」になる
殺人は悪い
戦争は悪い
虐待は悪い
いじめは悪い
俺:ふ〜んそっか〜悪いんだ〜だから何なの?
社会問題は善悪で考えても
ほとんど役に立たない
重要なことは社会問題の構成要素を解析し
その分析データを己がどのように活かすかだけである
451 :
深く考える名無しさん:03/08/14 03:01
だから、何か文句はありますか?
神様なんか出してこないほうがいいよ
宇宙でいいよ 神の概念は人間が生み出したものだからいろんな地域で
定義が違うでしょ
有限な人間が無限な宇宙(神?)を悟ることは今は限界があるから
神が禁止してるとかゆう議論は意味がない
宇宙(神?)が完全ならやってはいけないことは起こらと勝手に解釈してるが
453 :
深く考える名無しさん:03/08/14 03:03
だから、何か文句はありますか?「なぜ人を殺してはいけないのか」
>起こら
起こらない
普通、生きるために生きているのだよ。
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
>>437 とりあえず簡単に言うと
犯罪としての積極的殺人、自分或いは自分の周辺の利益を追求するための殺人(例えば権力闘争、戦争)
自分或いは自分の周辺への危害に抗する消極的殺人(例えば正当防衛、自衛のための戦争)
理想を追求するための積極的殺人(例えば、宗教的または政治的信条による殺人)
考えれば、まだあるだろう。
このスレで想定されているのは、ほぼ8割方「犯罪としての積極的殺人」
「なぜ人を殺してはいけないのか」
普通、生きるために生きているのだよ。
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
[だから人を殺してはいけない]
何か、文句はありますか?
459 :
考える名無しさん:03/08/14 03:08
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
意味不明です
だから、何か文句はありますか?
>>460 ノイローゼはウザいです。
すぐ消えてください。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにおいて、問いのあり方に問題があるのにも関わらず
その問いが暗黙のうちに「はい(殺してはいけない)」或いは「いいえ(殺しても構わない)」を強制すると
「はい」と「いいえ」がそれぞれ主張を述べるだけで終わってしまうのはおわかりだろう。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
普通、生きるために生きているのだよ。
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
[だから人を殺してはいけない]
みなさん何か、文句はありますか?
465 :
416=425=430=433=452:03/08/14 03:16
みんなほんと頭悪いなあ
俺の書いたことが真理だよ
別に煽りじゃないよ
466 :
深く考える名無しさん:03/08/14 03:18
「なぜ人を殺してはいけないのか」
普通、生きるために生きているのだよ。
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
[だから人を殺してはいけない]
なにか、文句はありますか?
>>466 普通って何ですか?
善って何ですか?
悪って何ですか?
文句ありますかって何ですか?
バカですか?
>>466 それおかしいなぁ。
だったら医者は神に反した職業になるぞ。死にそうな人を助けちゃうんだからな
「なぜ人を殺してはいけないのか」
普通、生きるために生きているのだよ。
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
[だから人を殺してはいけない]
なにか、文句はありますか?
私はありません
なにも文句はありません
474 :
考える名無しさん:03/08/14 03:27
人以外ok?
何か文句はありますか?
ありません
何もありません
479 :
考える名無しさん:03/08/14 03:33
あります
何か 文句は ありますか?
481 :
考える名無しさん:03/08/14 03:37
ありません
482 :
考える名無しさん:03/08/14 03:39
善悪は、ない
でよろしいですか?
483 :
考える名無しさん:03/08/14 03:47
いや、何か文句はありますか?
484 :
考える名無しさん:03/08/14 03:48
なにも文句はありません
>>462 このスレは「人を殺してはいけない」が前提されており、
そして「それはなぜか」を問う形式になっております。
人殺しの是非が語られているのは、それを語りたい人たちが
勝って気ままに行っているだけであって、暗黙うんぬんは曲解です。
486 :
考える名無しさん:03/08/14 03:52
なにか、文句は ありますか?
487 :
考える名無しさん:03/08/14 03:55
なにもないです
ここはスキャットマン天国ですか。
490 :
416=425=430=433=452:03/08/14 07:53
>>485 やっぱり頭悪い人ばかりだね
なぜ殺しちゃいけないのか解ってないのに
どうして「人を殺してはいけない」を前提にするんだよ
それから「なぜころしてはいけないのか?」って他人(社会)にきいてるんだろ?
じゃあ他人は殺されたくないから殺しちゃダメってゆうんじゃないの
「なぜ人を殺してはいけないか」を論じるのに、
わざわざ人殺しの是非まで戻る必要はないと思いますが?
つってもあんたのレス見てる限り、そんなこと言ってもわかんないか(w
いやいやなに言ってんだよ 論理的におかしいだろ
「なぜ殺人がいけないのか」をわかってから
「人をころしてはいけない」って結論に達するはずだろ?
おれは人殺しは社会的にも人情的にも反対だよ
============蘭貢=========================
入って来んなっ うんこガキ
>>492 「なぜ殺人がいけないか」はまったく自明ではないことを理解したうえで、
「人をころしてはいけない」を前提してるんじゃないの?
あと
>おれは人殺しは社会的にも人情的にも反対だよ
はまったくもって変な文章だ。
495 :
考える名無しさん:03/08/14 09:55
ちょっと、話題からそれます。
暇だったら、参考に読んでみて。
「ユダヤ教ではけっして非ユダヤ人をユダヤ化しようとしなかったから、宣教師を送るようなことはしなかった。ただお互いに平和な関係を保つために、非ユダヤ人には七つだけ守ってほしい言いつけを与えた。」
1. 生きている動物を殺してすぐなま肉を食べるな
2. 人をののしるな
3. 盗むな
4. 法を守れ
5. 殺すな
6. 近親相姦をするな
7. 不倫な関係を持つな
また、自己保存は次の三つの場合を除いてあらゆるものに優先する。ただし次の場合には、自己を捨て、命を捨てたほうがよい。
1. 他人を殺すとき
2. 不倫な性関係に入るとき
3. 近親相姦をするとき
496 :
考える名無しさん:03/08/14 09:58
なんか省略されてるみたいだから続きを書きます。
また、自己保存は次の三つの場合を除いてあらゆるものに優先する。ただし次の場合には、自己を捨て、命を捨てたほうがよい。
1. 他人を殺すとき
2. 不倫な性関係に入るとき
3. 近親相姦をするとき
4、無理した時
5、呼ばれても「ハイッ」と返事しなかったとき
6、喧嘩、意地悪したとき
7、ひらめけ〜
8、はっちゃけ〜
ナンセンスという語の意味を知らない1は可哀相。
ご愁傷様
501 :
名無しさん:03/08/14 12:33
502 :
考える名無しさん:03/08/14 12:53
>43歳で10年間無職で親に金をせびり続けたヒキコが、年老いた父親にぶち殺されますた。
(・∀・)次は姥捨てさんが殺される番ですか?
>>494 だから「人をころしてはいけない」というものの現実的な確定的な結果、存在
がないのにどうして前提にできるんだよ
「なぜ殺人がいけないか」ってのが自明じゃないならなおさらおかしい
論理的におかしい命題を論理するのはナンセンスだよ 言葉遊びだよ
504 :
考える名無しさん:03/08/14 14:54
>>503 おまえの言い方もずいぶんといみがない〜〜♪
>>504 意見を書けない論理できないバカは登場しなくていいよ
506 :
考える名無しさん:03/08/14 15:16
善悪は有るのか無いのかを
まず吟味しようじゃないか
善悪は無いと考えるヤシは
何を根拠にそう考えるのかね?
>>505 おまえ、厨房だろ(w
「意見をかけない」なんて語は青草のごと臭うし。(w
508 :
考える名無しさん:03/08/14 15:20
人はなぜものごとを善悪で考えるのか
他者よりも優位に立ちたいという欲望が
善悪二元論的な思考を生み出すのではなかろうか
510 :
考える名無しさん:03/08/14 15:23
>>507 いみがないと思うならその根拠を書け
「厨房」とか「青草のごと臭うし」とかそんな書き込みいみがない〜〜♪
良心があるから。
512 :
考える名無しさん:03/08/14 15:25
己の善悪二元論を
他者に力説する人は
プライドが高く
ありのままの自分に自信を持てていない
>>510 ここはどこかの学校のホームルームですか?
ナンセンスであることをクドクドしく説明しろというのはナンセンスの上塗り
でしょ。だから、おまえは馬鹿確定。ま、工房になったらわかるよ。(w
みんな 喧嘩は よくないぞ
515 :
考える名無しさん:03/08/14 15:35
−−−−−−結論−−−−−−
「人を殺してはいけない」
という信念は
身内を殺されたり
大切な者が殺されたり
自分が殺されそうになった者などが
その精神的外傷体験により
抱くようになった幻想に過ぎない
516 :
考える名無しさん:03/08/14 15:37
みんな正義のヒーローになりたいんだよ
517 :
考える名無しさん:03/08/14 15:38
>>513 お前まじでバカだな
「おまえは馬鹿確定。ま、工房になったらわかるよ」じゃなくて
なぜナンセンスなのかその根拠を書け
「工房になったらわかるよ」って言葉で逃げるな
「人を殺してはいけない」が絶対的な真理ではない?
当たり前ですよ、そんな事。哲学の命題で絶対的な真理と言える
ものがあったら、証明してみてくださいよ。
「人を殺してはいけない」は人類が地球に誕生してから、じっくりと
熟成されてきた知恵と考える。その代わり、豚や牛は毎晩喰わしてもらってるが
519 :
考える名無しさん:03/08/14 15:48
>>518 死刑制度や安楽死の問題を忘れるな
これらの種類の殺人は、必ずしも悪とはいえない
あと正当防衛による殺人もね
「なぜ人を殺してはいけないのか」
普通、生きるために生きているのだよ。
生きることは善だ。
死ぬことはすべて悪だ。
[だから人を殺してはいけない]
何か、 文 句 は ありますか?
死刑制度・安楽死・正当防衛 「殺人」ではないよ
暑いぞヨーロッパ。よく死ぬ老人。対策せぬ政府。
日本ならどうかな?
525 :
考える名無しさん:03/08/14 16:05
>>517 困った粘着厨房くんですな。(w
倫理の問題を論理的に解説しようとする無駄な試みだからだよ。
わかった?
>43歳で10年間無職で親に金をせびり続けたヒキコが、年老いた父親にぶち殺されますた。
(・∀・)次は姥捨てさんが殺される番ですか?
[駄弁るな]
何 か 文 句 は ありますか?
殺しはよくないぞ。
530 :
考える名無しさん:03/08/14 16:24
人を殺しはていけない理由なんてあるわけ無いじゃん。
そもそも生きている理由が存在しないじゃん。
なんでお前ら生きてるの?
街行くセーラー服の少女を見て『ムラムラ』っとしたことはありませんか?
パンティーが見えそうな位に短いスカート、ムチムチした足にルーズソックス。
私自身も大のセーラーフェチなんです。
そんな欲望を満たしてくれる動画だけを徹底的に集めました。
無料ムービーを観てください。
http://www.pinkschool.com/
性教育で、命の尊さについて、知ってもらおうという意図で、
出産のシーンをビデオに撮った物を見せられたことがありました。
生命が神秘なのは、疑いないと思ったが、
他人の出産を見せられても、気持ち悪いだけだった。
ビデオの中では、実に至福そうな顔の夫婦が写された。
ある人にとっては、「生命の神秘」でも、
オレにとっては、ただのガキだな。と思った。
哲学をするにあたっては、「生命の神秘」に驚く心と、
「生命の神秘」という言葉の陳腐さを
同時に感じとる力が必要かと思った。
一応、僕の中では、なぜ人を殺してはいけないか、
考えた結果、このような考え↓になった。
命は、「私の面するこの世界」を作るもので、
命が無くなることは、「この奇跡」を越えるところにある、
「もう1つ奇跡」つまり、
「この世界を構成する根幹」が消えて
二度と戻らないから殺しては、いけない。
ただし、他者が「もう1つの奇跡」であるのと同時に、
見方を変えれば、「ある意味、どうでもいい命」
になりえるものである。
損得勘定をして、殺す他ないと思えば誰だって
人を殺しえるのだ。もしくは、自分を殺すのだ。
他者が、どんな「神性」を持っていても、
損得勘定は、する。「神性」があるから、
殺さないのではない。単に、損得勘定の結果、
殺したくなくなったのである。
「他者に神性がある」=「殺されない」
ではない。
他者に神性はあることと殺す行為自体は関係ない。
「殺すことは絶対悪」という人間も、
状況しだいでは、人を殺しうるはずだ。
殺したくないと思うのは、
僕の場合、「愛する人のため」というのが大きくなる。
自分が殺人を犯したことを、愛する人に知られるのは僕はいやだ。
愛は、例外なく単なる錯覚に基づくものであるが、
本当に独りのときでも、自分を愛してくれる何かがあると錯覚する
べきであり、たとえ死んでもかまわないと思っている老人にも、
「死なないでほしい」と泣きつく子供のような、「何か」
(単にその子供自身のためでなく、その子供自身を超えるような何か)
が、誰に対しても存在すると、勘違いしておくべきだから。
だから、殺してはいけないのだと思う。
たとえ、どんな犯罪者にも、何らかの「魂」がある。
命は、「この世界」を構成するための根幹であるし、
「死なないでほしいと」と泣いてくれる人が誰に対しても必要だと思う。
(だがこのことは、いささかも、殺すことを禁止させるものにはならないが)
だから、殺しては、いけない、となると思う。
>>532 内臓から体液まみれの寄生生物が出てくるだけじゃん。
神秘?犬だってミミズだってやってること。
人間も所詮動物だってことだろ。
538 :
考える名無しさん:03/08/14 16:34
>たとえ、どんな犯罪者にも、何らかの「魂」がある。
妄想、そんなもんは無い。
わたしは愛する人がいません。
誰からも愛されていません。
こんな私は殺しても殺されても自殺してもノープロブレム?
541 :
考える名無しさん:03/08/14 16:41
前にも書いたけど
「人を殺してはいけない」とゆうものは社会から与えられたものだ
その社会から与えられた不完全なものを前提にする時は
「宇宙はニュートラルであり社会は無秩序な殺人を許さない」とゆうことが
含まれたものでなくてはいけない
そこで「なぜ人を殺してはいけないのか?」とゆう命題に対しての答えは
「なぜ人を殺してはいけないのか?」とゆう疑問自体は社会から生まれて
くる、そして殺人は社会が規制しているものだ
その社会に対して「なぜ人を殺してはいけないのか?」とゆう問いは
まったくもってナンセンスなのだ
ゆえに社会人である俺は他人(社会)にたいして人を殺してはいけないと断言するが
、しかしその動機は社会から与えられた感情、倫在感なので根拠は存在しない。
>540
殺されても、自殺しても後処理で人に迷惑かけることになるから
ノープロブレムではないよ。
543 :
416=425=430=433=452:03/08/14 16:50
>>530 人類の目的は存在するだろうけど
人間個人の目的はたいして重要じゃないってことだよ
だから毎年事故で犬死にするひとがいるんだよ
強いて言うなら 社会に貢献し、自分を高め、優れた子孫を残す事
が個人の人生の使命だろうね
544 :
考える名無しさん:03/08/14 16:52
>>543 > 強いて言うなら 社会に貢献し、自分を高め、優れた子孫を残す事
> が個人の人生の使命だろうね
なにそれ?そんなくだらないことが使命なの?
あほらし。そんな奴等はさっさと死ぬべきだな。
>愛は、例外なく単なる錯覚に基づくものである
これが完全に間違っていることは
あなた
>>1が子供を持たない限り、永遠に理解できないかもしれない。
死刑に反対しないのは勝手だが、自分の肉親が死刑になるとすればやはり死ぬ思いです。
私の心の底からの言葉を、胸に刻んでおいてください。
『愛とはこの宇宙全体よりも偉大なる錯覚である』
546 :
543じゃないけど:03/08/14 16:56
>>544 社会的功利の視点から見ると
そういうことになる、というだけの話
その意味では
>>543の見解も分かる
それが使命だからといって
それを放棄したところで
それほどやばいことになるわけではないので
私は使命を果たすつもりはない
…いや、やはり錯覚ではない。
それは「魂の知覚」としか言いようがありません。
548 :
416=425=430=433=452:03/08/14 17:02
>>544 バカにも解るように書いてあげるけど
お金稼いだり、必要とされたり、他人に認められたり、子供を愛し育てることがくだらないと
思うの? どれか一つでも実行して達成してみれば? 充実感が得られるよ
社会で生きてる人間とはそうゆうふうにできてるんだよ
>>545 レスをありがとうございます。
『愛とはこの宇宙全体よりも偉大なる錯覚である』
という意見には大賛成です。
子供ができたら、ぼくも、このような
考えは改めて、子供のことを考えようとおもいます。
>>547 レスをありがとうございます。
「魂の知覚」というのも、いい言葉だと思いました。
550 :
416=425=430=433=452=541=543:03/08/14 17:38
俺の書いたことがすべて正しいだろうね
この論理は誰にも否定できないよ
私も396さんのおっしゃるように「愛」は錯覚ではないと思っています。
(愛情は分かりませんが・・・。)
愛は見返りを期待しないもので、見返りを期待しているとすればそれが
1さんのおっしゃる「愛は錯覚」につながるのかな?
以前、神戸の少年の事件があった頃、少年たちがこの事件について討論する
番組がありました。その時、ある少年が「なぜ、人を殺してはいけないんですか?」と
問いかけました。スタジオ中一瞬シーンとなったかと思うと、次々と少年たちから
「そんなことも分からないの?」「ダメなことに決まってるジャン」というような言葉が
飛び出しました。その場にいた大人たちは勿論その返答はできません。
さて、あなたならどう答えますか?
それから生は善で死は悪をおっしゃるかた、あなたは何を食べて生きているのですか?
生が善であっても、植物動物の死という悪を取り込んでいるのであれば完全な善とは
いえないのではないのですか?
私はこの世にルールはあっても、善悪はないと思っていますから。
自分に子供ができたらこの問題をどう伝えるかを考えています。
多分それは以前にも書き込んだように、言葉ではなく「愛」をもって伝えるしか
ないと今の段階では思っています。
>それから生は善で死は悪をおっしゃるかた、あなたは何を食べて生きているのですか?
>生が善であっても、植物動物の死という悪を取り込んでいるのであれば完全な善とは
>いえないのではないのですか?
私は神ではなく、我々は人間なので、「完全な善」なんて無いと思ってます。
何か他の命を奪わずには生きていけない。人間なんて、どこまでいっても不完全なものだ。
でも、毎日の食事を美味しく食べられることを「 感 謝 す る 」ことで、
もっと活き活きとした生活を少しでも『実行する』ことは出来る。そうじゃないかな。
それを人間らしい意味での「(ほとんど)完全な善」って言うとおもいます。
その善なる生が、動植物を殺すことに対しては?
[なぜ人を殺してはいけないのか?]
僕ら生命は生きるために生きているのだよ。
生は善。
死は悪。
(言葉で説明しきれるのは、これがすべて)
殺す殺さないは、各自が選択しなければならない。
死は悪です。―――たとえ他人のものでも。
「だから、人を殺してはならない」
その善なる生が、動植物を殺すことに対しては?
↑この答えはありませんでしたが
>>554の意見では
「だから、動植物は殺してはならない」
ということでよいですか?
しかし、それでは我々は生きていけない。
人間は不完全な生き物です。
私は愛をもって殺すことは「必要」としてあると思っています。
動植物を殺してその命をいただく必要があるから。
それは、安楽死もそうかも知れません。
愛をもったうえでの「必要」があるかないか。
ゆえに、愛はなく必要のない殺人はしてはいけないことになると思います。
558 :
名無しさん:03/08/14 18:19
トリビアって何だよ!
>>556 それでは、「人間は不完全な生き物」として
”人を殺すこともありえる”ということになってしまいませんか?
ありうるからこそ、してはならないのです。
それを「罪」と呼ぶのです。
>>560 それでは
「動植物を殺すこと」も罪になってしまいますよ。
562 :
深く考える名無しさん:03/08/14 18:31
なにか 文 句 は ありますか?
我々は「死」をも愛すことができます。
+それが人間が生まれてきた理由です。
私は生は死から生まれ、死は生から生まれ
ゆえに生=善 死=悪 とは思っていません。
地球上に生きるものは個人としての意識なく
無意識に”生命のバランスをとるため””種族を残すことのため”
死を選択していることもあるかもしれません。
(動物の集団死も無意識の死を選ぶひとつなのかな)
565 :
名無しさん:03/08/14 18:34
忠忠忠忠忠
566 :
考える名無しさん:03/08/14 18:34
神人ってアダムカドモンか?
[生=善]+[死=悪]
こうして命がまたひとつ生まれます。
こうして命がまたひとつ死にます。
善も悪も内包するのが、人間の人生です。
多分「死」の概念がそれぞれに違うのかも知れませんね。
569 :
考える名無しさん:03/08/14 18:47
>>567 悪があるから善が存在できるんだよ!!
闇があるから輝ける!!
生があるから死が存在する!!
>>569 素晴らしい意見です。
それは私が見ているものと同じです。
かといって生=善 死=悪にはならないと思うのですが・・・。
死=善 善=悪
こんなのあり?
生死に善悪をつけること自体、私にはまだ理解できません。
>>573ヘレンケラーの自伝を読めば、直ぐにわかるかと存じます。
そこに
死=善、善=悪とあるのですか?
577 :
考える名無しさん:03/08/14 19:17
ヘレンケラーは奇跡なので一般化しては危険
??
>>577 人を愛することの何が「危険」なの?
>>578さんは
間接的に殺人を肯定しているのですか?
580 :
考える名無しさん:03/08/14 19:25
>>人を愛することの
はいいけど 彼女は奇跡なのですべてを一般化してはいけないと思う
愛人消えゆ
善いこと、悪いことの区別って
大人事態理解していないのでは。
大人たちの不祥事、毎日のように取りざたされていますね。
先生のこといじめゆな!
冷たそうだけど、あたちにわやさしいのよね
584 :
考える名無しさん:03/08/14 19:51
神人はもう少し考えたほうがいいと思うよ。
こらっ!
>>584 「神人」に軽軽しく口を開くなんて、失礼だぞ
なんで?
>>586 彼は神様だからだ!そこらの人間じゃないんだ
589 :
考える名無しさん:03/08/14 20:16
じゃあ質問を変えます
「殺人が悪だったからって何なの?」
591 :
考える名無しさん:03/08/14 20:19
それで?
>>591 社会の安定性が保たれる。
特異性を排除することによって、社会の同一性は保たれる。
593 :
考える名無しさん:03/08/14 20:27
なるほど
社会の仕組みは分かりました
僕のこの発言↓には、反感を持つ人もいるようだけど…
>愛は、例外なく単なる錯覚に基づくものであるが、
>本当に独りのときでも、自分を愛してくれる何かがあると錯覚する
>べきであり、たとえ死んでもかまわないと思っている老人にも、
>「死なないでほしい」と泣きつく子供のような、「何か」
>(単にその子供自身のためでなく、その子供自身を超えるような何か)
>が、誰に対しても存在すると、勘違いしておくべきだから。
↑これは、最終的には、
<愛が錯覚>という言葉すら忘れるほど、
生きること、愛することに貪欲にならなければならないだろうと思う。
まあ、こんな議論ではなく、
実際に身を投げ打つような行為を体で示すべきかと…
>「死なないでほしい」と泣きつく子供のような、「何か」
>(単にその子供自身のためでなく、その子供自身を超えるような何か)
>が、誰に対しても存在すると、勘違いしておくべきである。
>と言うのも、愛はこの宇宙の中でも、偉大な錯覚であり、
>錯覚ではあるけれど、「魂の知覚」である。
>この錯覚なくして、人は人たりえないほどのものである。
>この偉大な錯覚の力を信じたいので、殺してはいけないのだと思う。
で、どうでしょう?
>生きること、愛することに貪欲にならなければならないだろうと思う。
「〜ねばならない」というのがどうしても受け入れられません。
それは、自然に湧き上がるものだから。
1さんは身を焦がすほどの恋愛をしたことは?
この質問も十分に極端ですが。
>>591 ちげーよヴォケ。
オメーが今すぐアタマのいかれたおっちゃんに二階から突き落とされて死ななくて済む
ってことだろ。自分のアタマつかえねーのか、つーかマジの厨房かよ
599 :
考える名無しさん:03/08/14 21:00
言葉を理解出来ない人に、罵声はやめよう。理解できるように、話す努力をするのが大人です。
とかいいつつ、子供の時に「ロウソクの炎を見て、どんな匂いがするか嗅いだことがあった。」
炎は熱くて、焼けどすることは知っていたのに、好奇心が優勢になったんだね〜(笑)
鼻毛が焼けたよ。臭かった ^^;
600 :
X00番ゲッツ職人:03/08/14 21:09
600ゲッツ!!因みに、599と俺は同一人物!
601 :
考える名無しさん:03/08/14 21:10
善悪は観念としては
確かに存在するし
明確に定義の可能な言葉だと思う
只
「善悪は無いも同然」
という見解も
的を得たものだと思う
いうまでも無いが、理解が足りない人がいるようなので書くと善悪とは人間が作ったものである。
我々が議論する場合、「人間」という空間内でしか成立し得ないので
「善も悪も無いからなんでもあり」というのは、人間という空間を無視し
議論を成立し得ないものとしている点で、あまりにも意味の無い意見である。
すなわち、知性のない平坦な空間を「真理」とするならば、始めから議論に参加するべきではない。
我々は、人間が作った価値を前提として議論せざるを得ない。
>>603 広告配り、いつもいつも、ご苦労様です。
605 :
1 ◆R2w0u.ZvH6 :03/08/14 23:25
606 :
考える名無しさん:03/08/15 00:46
>>602 私は、善悪の観念は生得的なものかもしれないと思っているので、
「善悪は人間が作ったもの」という考えには違和感を感じます。
具体的にどういう行為が善であり、どういう行為が悪であるかは、
後天的に学習される文化的なものでしょうが、善−悪という枠組
みそのものが経験によって形成されるものであるかどうかは、明
らかではないと思います。
チョムスキーという言語学者は、人間がもつ言語知識(文法)の
大部分は生得的な言語能力によって決定されており、後天的な学
習はいわばパラメーターの決定に過ぎない、という説を唱えてい
ますが、倫理や善悪の観念についても、同様の考え方が可能では
ないでしょうか?
607 :
考える名無しさん:03/08/15 01:19
なぜ人を殺してはいけないかだと?
この問いはつまりなぜ人を殺してはイケないか?イクことができないか?ということだな?
まったくそんなこともわからないのか?
世の中の大多数の人間は生きている人間でイきたいからに決まっているだろ
死体なんかでイケるわけないじゃないか
死体性愛者などごくごく少数者に過ぎない。
そして社会規範は多数者の価値観が反映されるからだ
以上だ
608 :
考える名無しさん:03/08/15 01:24
しかし死ぬ瞬間の締め付けがたまらない・・・。
という人もいるらしいよ。
>>83 人に自らの固有の問題を語ったところで理解は得られないが、
カタルシスなら得られるだろう。
匿名掲示板は自殺志願者にはとても便利だ。
それ読んで勘違いしたナルシストに一曲歌われたところで
腹は立たないだろ?
誤爆しますた(・∀・)
611 :
考える名無しさん:03/08/15 02:06
>>1 う〜ん、まずですね
右上の方にXボタンがあるからクリックしなさい
そんでもってPCの電源を切るわけだ
「ネットで意見を〜考えてみました」と書いてるし@〜Dのように思うなら
それに適当にいい評価をもらえるような事を書いてレポートを出せばいいんじゃない?
だって自分で解ってるじゃない
「レポートを書かなきゃならない羽目になりました」と書いているということは
あなたはこんな事してなんになるのとわかってるじゃない
確かにその通りでこの問いの答えがどうであれ
あなたは人を殺さないだろうし、殺してはいけないという考えが主流になりますよ
(そうならなくてもどうでもいいが)
誰もが納得できる殺してはいけない理由がみつかっても殺人は減らんよ
それよりも、あなたが問題にすべきは学校を優秀な成績で卒業することでしょ
それが一番賢いよ
はじめから何にも無いのよ。この議論には
と、いいつつ私の考えは
その方が都合がいいから、です
いい評価をもらえるといいですね
怒っちゃイヤよ
ナンてな。(いかりや風)
WWW WWWWWWWW W
ステキだなあ
>>606 知識人の常であるが、彼らは一定の知能・倫理を持った人間を想定してしまう。
一定の知能・倫理を満たさない者が現実として存在する以上
先天的に取得しているという考えには賛同できない。
おそらく、一定の知能・倫理を持って産まれた者は、教わる必要が無い可能性はある。
しかし、それとて「可能性」の範囲を出ない。
不幸な現実の前に、倫理を投げ捨てられることが稀ではないことはご承知の通りだろう。
現実のあり方が変われば、投げ捨てられるものを信用してよいだろうか?
>>606 チョムスキーの話は、人間が生得的に「善悪の枠組み」を持っているか
どうかの問題とは関係ないように思われますが。
人はDNAのプログラムによってある程度まであらかじめ規定されており、
どこまでが自由意志で、どこまでがプログラムによる処理なのか、
興味深い部分ではありますね。
>>613 ズレてると思われ
>>614 こう言えばどうだろうか。
人間に生来備わっているものがあるとして、それを善と悪に規定するのは生来のものではない。
多数の人間に備わっているものを、人間的価値として善と規定した。
それは、人間がある程度知的に進化した後の話である。
616 :
考える名無しさん:03/08/15 02:47
人間に備わっているどういうものを善と規定したの。
617 :
考える名無しさん:03/08/15 02:47
>>614 DNAのプログラムはあっても作動するかどうかは別。
618 :
考える名無しさん:03/08/15 09:18
>>615 生得的な善悪の観念がある、というのは、行為を善−悪という軸で評価する
思考の枠組みは生得的なものだ、ということです。そう考える場合には、そ
うした枠組みがもともとあるからこそ、子供は自分が育つ社会の道徳を学習
できるのだ、ということになります。
一定の社会の中で、その社会の善悪の基準を学習していくことで、人間が倫
理・道徳を持つようになるのだ、ということは事実ですが、それは、善と悪
の概念は生得的なものでない、ということを示してはいません。それは、ア
メリカに育てば英語を話すようになり、日本で育てば日本語を話すようにな
る、ということが、生得的な言語知識の存在を否定する根拠にならないのと
同じです。
>>618 ふむ、だが私はこう考える。
やはり、生得的なものは人間が種を保存するために備わっているのであって
生得的に、それを善悪と選別できるようになっているのではないと。
人間が種を保存するために備わっているものは、知力が高まるにつれ「善」であると規定された。
すなわち、生得的なものにはもともと価値評価は伴っておらず価値を規定するのはあくまで知力であると。
言語が生得的なものであるのは、種を保存するために必要なものであるためなのは言うまでも無いだろう。
人間が「善」と規定したものが、動物においても見られる事があるが、それはやはり
その動物が種を保存するための行動である場合がほとんどではなかろうか?
620 :
考える名無しさん:03/08/15 15:49
人間は社会性動物だから。
社会に適応できる個体の適応度が高いから。
>>619の「種の保存」(生物学的にはNGワード)が気になって仕方がないので書いた
>>611 レスをありがとうございます。
>あなたは人を殺さないだろうし、殺してはいけないという考えが主流になりますよ
>(そうならなくてもどうでもいいが)
>誰もが納得できる殺してはいけない理由がみつかっても殺人は減らんよ
という意見には、実は、僕は大賛成です。
(というより、これは、単なる事実。
「そうならなくても、どうでもいい」
と言う意見も、この人の考えに過ぎない。
この人が、そう考えるならそれでいい。
僕も、この考えにはかなり賛成できる。)
しかし、もしよろしければ、
>>532-536 をお読み下さい。
「なぜ、人を殺してはいけないのか」
という問い自体に対しての諸問題には
このような↓ものがあるかと思います。
●あらかじめ殺してはいけないことが前提があるような問いである。
●「なぜ殺してはいけないのかと問うこと」=「殺したい」だと思う人がいる。
●事実を事実として認めることのできない人がいる。
●こんな議論をしていると、頭の悪い人に思われる。
●絶対悪と思っている人でも、そのルールは破れる。
●どんな状況でも、どんな人でも殺してはいけないのか。
●最終的に、愛や神を持ち出したくなるが、話がまとまらなくなる。
●「殺してもいい」という結論でなければ、怒る人がいる。
どうでしょう?もう、レポートは完成して、もう直す気はなくなったんですが、
ここに、スレを立てて、はっきり言って、
僕自身も「言葉の通じなさ」に関する不満が多いです。
このスレを見たあなたの不満は、まあ、僕以上でしょう。
何か、意見をお聞かせください。
>>602 善悪は動物にもあるよ。チンパンジーやライオンの群れには一定の、やってはいけないこと、やってもいいことが自ずと決められて親から子、先輩から後輩に受け継がれて
いるよ。子供がついつい群れのルールを破ってしまったときなどは、それなりの制裁
を受けたり、子供の方から謝罪のためにボスの機嫌をとりにいったりしている動物の
ドキュメントをよく見かけるよ。
お久しぶりです皆さん。
使用する一つ一つの概念の定義固めまで始まったようで、
本当に論議らしくなってきましたね。
ただ立場が統一されていないようですね。
だから色々な意見が交錯しすぎるのではないでしょうか。
まず
a・社会が無くても通ずるもの(人間として)
b・社会がある場合にだけ通ずるもの(社会的人間として)
の二つの立場からの考えが、その前提
「まず社会があると前提するならば〜〜」
などの前置きを置かずに結論だけ話してしまう方が多く
混乱してしまっていると思います。
例えば「(人間として)人を殺しても、宇宙にやっては
いけないことなど存在しないのだから、いいのだ」
ということへ対する反駁として、
「(社会的人間として)親の愛を〜〜〜」
で反駁するのは明らかに間違っています。
社会が無い状態、つまり自分という人間しか存在しない
状態などを想定したなら親の愛などの言葉が出るはずは
ないのですから。
これは生得的なもの、という議論にも言えると思われ、
例え社会が無くて自分しかいないとしても栄養を取らねば人は死ぬ。
それは人間に生得的なものと言えるでしょう。
しかし状況に限定される場合は生得的なものと言えません。
これらを意識して議論すればもう少し整然となるかと。
そういえば読み返してみて自分が書いた絶対的禁忌という単語から
少し馬鹿なことを思いつきました。絶対的処罰を受ける行為とは
なにか。……自分が死ぬことでは、と。自分という主体が死ぬことは
ある意味、世界の終わりを意味しますから。
つまり、「(私達が呼ぶところの)自分は死んではいけない」!?
……あったまわる、なんだこりゃ。
まあ変なものを挟んでしまいましたが、最後に
「人を殺してもいい」なんて言う奴はクズだ!
愛が足りない! 人の尊厳に対する侮辱だ!
などおっしゃられる系の人に言いたいことがあります。
人を殺すことに本当は何の束縛もない世界で、自分の利益になるとしても、
絶対に人を殺したくないと自らを戒め、思ようになった人達のことこそ。
私はとても尊いと思うのですが。
626 :
◎ ◆lk7eU.5KwI :03/08/15 16:40
「人を殺すとは、社会的問題である。
すなわち無限の可能性があるものに対して、
単一の真理を求める行為は愚考である。
それは哲学的な全般的に言えることであるが。」
結局、難しいことは言えても子供に言葉をもって説明はできないということですね。
628 :
◎ ◆lk7eU.5KwI :03/08/15 16:56
>>627 「死にたくなければ、殺すな。」それでいいでしょう。
>>627 できるよ。
人からされていやな事は、人にもするな! これに尽きるね。
自殺したい青少年にも?
631 :
考える名無しさん:03/08/15 16:59
子供に一言、
「お前が他人を殺すなら、俺がお前を殺す」と言えばいい
それでは
>>551で周りの子供たちが発した言葉と一緒ですね。
その子は別に人を殺したくてその質問をしたわけではないのに。
>>I
私がここで人間と動物の一番のちがいと思うのは、感情移入の能力だと思います。
動物が群れのルールによって掟を守るのは、ただその行為はやってはいけないもの
として受け止め、学び、記憶するのであって、それをされたものがどれだけいやな思い
をするか、自分自身がされたものの身になって考えることを動物はできないのです。
なぜ、人を殺してはいけないの?という質問に対して、殺されるものの身になって
考えろ!というのは答えになっていないなどということはないと思います。むしろこれ以上の答えはないのでは?
>>633 相手の身になって考えるということに対しては同意します。
自分がされて嫌なことは他人にするな、ということも分かります。
はじめさんの御意見はほかのスレでも拝見していましたが
殺すことが全て悪ければ何故豚牛は殺して良いのでしょうか。
そこのところをはじめさんの答えをお願いします。
>>I
私が言っていますのは、殺す事それ自体の絶対悪性です。摂取のための動植物
の殺害はこれは仕方のないことであって、人間が生まれながらに持っている「原罪」
のようなものと考えるしかないんじゃないでしょうか。
〜のための殺害というような理由がつく場合は相対的に判断されますが、殺すという
行為が含まれる以上、なるべくしないようにするべきなのは当たり前です。
636 :
考える名無しさん:03/08/15 17:58
otukare
原罪といってしまえば何でもありになってしまいますよ?
>〜なるべくしないようにするべきなのは当たり前です
当たり前とは?
638 :
考える名無しさん:03/08/15 18:05
どんな理由であれ殺してはならない。と思うことだな。
そこに理由をつけようとすれば必ず、”例外”が生じる。
少なくとも日本社会にいるのならば、法律でそう決まってるからで納得するが吉。
理由付けっていうのは”なんだか判らないもの”に”とりあえずの答え”を半ば強引に埋め込むこと。
まず、いちど自分の感情を捨てて、遠くから見る”観測者”の心得がなければ、模索してはならない。
っと思う。
639 :
考える名無しさん:03/08/15 18:07
どんな理由であれ殺してはならない。と思うことだな。
そこに理由をつけようとすれば必ず、”例外”が生じる。
少なくとも日本社会にいるのならば、法律でそう決まってるからで納得するが吉。
理由付けっていうのは”なんだか判らないもの”に”とりあえずの答え”を半ば強引に埋め込むこと。
まず、いちど自分の姥を捨てて、遠くから見る”観測者”の心得がなければ、模索してはならない。
っと思う。
>>638 「法律でそう決まっているから」だけでは納得などできませんよ。
以前から何度も言っているように戦時中や国が変われば法律も変わるわけですからね。
そういう頭ごなしに「いけないものはいけないの!」という大人に私は反発している訳です。
>>I
摂取殺害は原罪の範囲ですが、愉快殺人はちがうでしょう。
摂取などによる仕方のない殺害は別にして、やらなくてもすむ殺害はなるべくしない
ようにするのは、人間としての感情移入などからくる良心の声です。
>>641 仕方のない殺害は別にして→殺人を犯さざるを得ない状況で仕方なかった殺害は別にして、
となってしまいます。
また、安楽死についてはどう思われますか?
>>I
正当防衛なども、もちろんしかたのない殺害です。でもできるならばやらないほうがいいでしょうね。本人は正当防衛だと思っていても、殺すまでではなかったと判断され、
のちに罪に問われるケースなどもあります。
安楽死は、本人の希望をともなっていることが予想されますので殺人と判断できるか
どうかは微妙かと、、、。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
死刑を執行する官吏は完全な例外ですか?
社会の秩序を維持するために、殺人を禁忌とする教育を受けた人間が、
全く逆の立場で、社会の秩序を維持するために、仕事として殺人を犯すときの
官吏の心境はどんなものなんでしょう?
646 :
考える名無しさん:03/08/15 19:32
>>641 法律で決まってるから、が理由なわけじゃないよ。
結論から言うと、「理由なんてない」ってのが正解だと僕は考えるわけです。
だから、理由付けなんていくらだってできるわけです。
ある意味で、このスレの意見全部が正解って言う考え方もできるわけで。
ただ、正解とすると迷惑を被るかもしれない意見が現存するわけで、
そのなかで、もっとも円滑に処理できる理由は法律でそう決まってるから。じゃないですかね?
納得させようとは露ほども思っていないです。
最後に、反抗は方向性を著しく低下させます。
自分の考えに反するものを時として選択させてしまいます。
いけないとあたまごなしにいわれたから、やった。
っていうのじゃ、自分の意見ではないと思います。もっと、広がりのある意見を出したいのなら、
そーじゃなく、一歩引いて感情をある程度抑え、観測者の目で論じなさいと言ってるだけなのですが、
気に障ったのなら謝ります。 ごめんなさい。
ごめんなさい640さんだったね
>>640 ああ、あと少なくとも日本社会にいるなら。
という前提があるので歴史とか国とか関係ないです。
反抗ととられてしまっては申し訳ありません。
ただ、どうしても納得したいが為に追求口調になってしまいました。
その点反省します。。。
「愛」と「必要」があるかないかが私の持論ですが
それ以外に子供たちに伝える方法はないのかあるのか
もう少しここで勉強させていただければと思います。
650 :
考える名無しさん:03/08/15 20:02
倫理は「教える」ものではなく、「覚える」ものだ。
堕落した大人にできるのは、自らの死に様と、「生き様」を子供に見せつけることだけだ。
652 :
考える名無しさん:03/08/15 20:10
>>649 必要という観念から考えると、やっぱり、殺すのはいけないのかなー。
とも思いますし、人が増えれば食料問題も発生するかもしれない。
愛という観念からみれば、愛してる人は当然殺せない。
しかし、愛してる人のためなら殺せる。
っていう堂堂巡りだね。理由付けなら幾らでも出来る。
もちろん、論議することに意味があるものですが、議題が議題だけに、結論を急ぎ。
”人の命”に意味付けをすることは、危険なことなんじゃないかな。
推理小説家は殺人のことを考えているが、実際には殺さない。
それは”観測者”の位置にいるから。
”観測者”って言うのは、かりに「人は殺すべきだ」という結論が出たとしても、
人を殺さない。意味を求めない人のことです。
登場人物になってしまうと、「人は殺すべきだ」という結論の場合、意味付けし、最悪の事態を招いてしまうかもしれません。
レポートはあくまで”第三者”がさまざまな論点から”観測”するものです。
最後に、反抗という言葉を使ったのは失礼でしたね。ごめんなさい。
653 :
考える名無しさん:03/08/15 20:12
愛している人のために誰かを殺せるのは、その愛する人を「本当に深く」愛していない証拠だ。
655 :
考える名無しさん:03/08/15 20:14
656 :
考える名無しさん:03/08/15 20:40
ノイローゼってかもっと激しく精神病む奴いっぱいいるんじゃねーの。
tesu
>>652 ありがとうございます。
以前に何度か記入してきたので省いたところに誤解がありました。
「愛」は、愛のない家庭、愛のない教育、愛のない社会が問題であって
大人たちがこれまでに「愛のない日本」をつくってきたことが問題なのではないか、
ということです。
愛のないSEX、愛のない夫婦、愛のない人間関係。
これは、2ちゃんの様々なスレ・罵倒の言葉をみればよく分かりますよね。
いかに多くの大人たちが愛のない社会・環境をつくりだしてきているか。
愛に満ちた環境で育った子供は「なぜ人を殺してはいけないのか」という
質問さえしないのではないかと思います。
基準は「愛をもってする行為か否か」。
ですから愛している人のために、誰かを殺すというのは殺す相手に対して
「愛をもってする行為」ではないのでしてはいけない。
安楽死などはその逆かもしれません。
「必要」とは、動植物を殺すというのは人間が生命を維持するために「必要」なことであり、
必要以外にそれらを殺してはいけない。
ゆえに「愛もなく必要もない殺人はしてはいけない」ということなのです。
(これは私が勝手に納得していることです)
ここは
>>1さんがレポートを提出するために立てられたスレですが
私の中ではこの場で自分の考え以外に子供たちに伝えられる手段はないかと
探していくなか、つい追求口調になってしまいましたことお詫び申し上げます。
長くなってすみません。。。
659 :
考える名無しさん:03/08/15 21:05
素晴らしいと思いましたが、「愛のある安楽死」もあるのでは?
660 :
考える名無しさん:03/08/15 21:09
どうでもいいが2ちゃんの住民の戦争に対する考えの軽率さを見ると
寒々とした心持がするな
無論2ちゃんの考えが日本人一般の考えではないだろうが
661 :
考える名無しさん:03/08/15 21:17
あーわかった。
カンチガイでした。
愛があるから安楽死があるのだ
ということですね。
快楽殺人者の中には、愛をもって殺す人間もいると思うが・・・
さて、ここからの焦点は、ここでの書き込みがNews23で使われるのか否かである。
664 :
考える名無しさん:03/08/15 21:53
>>658 うーんとね僕の考えは、この世の中は「愛のない社会」じゃなくて愛があふれかえってる社会なのではないかと。
僕の好きな人の歌に、愛の押し売り、愛のバーゲンセールってあるのね。いつしか、愛の尊さって言うか”神秘性”ってのがなくなってしまったんだね。
ニセモノばかりのこの世の中だから、なにがホントかわかんないね。
ま、それはそれとして、たしかに愛している人のために、誰かを殺すというのは殺す相手に対して
「愛をもってする行為」ではないのでしてはいけない。って言うのも納得できる。
けど、(ニセモノの)愛に満ちたこの世の中では、
>>662さんの言うようなことも起きると思います。
愛は犯罪でも罪悪でもないけど、愛は犯罪を誘発し、罪悪の素になることもあります。
ないものを探し、創造することは、あるものの中から、正しい愛を選ぶことより困難であるが。
尊いものだと思う。
しかし、あるものの中から選ぶことは、創造するより、容易であるが、危険性をはらんでる気がします。
だから、あなたの考える姿勢は、尊いものですよ。学ぼうとする姿勢こそが、大事なのであって、結論(=意味づけ)を急ぐことではありません。
「なぜ人を殺してはいけないか」というまどろこしい質問と
「汝殺すなかれ」という簡潔な命令
>>364 364さんもご覧になっていましたか。
>>664 ありがとうございます。
そうですね。ちょっとじっくり考えてみます。
偽物の愛がね、、あふれてますね。
本物の愛、とは見返りを求めないもの。
親の子供に対する愛にしても大半は親の自己愛を満たそうとするもので、
子供に対する愛ではないと感じます。
親はそのことに対しての自覚がない。
愛のある家庭に生まれ、愛のある環境で育った人間は殺人など罪を犯さないと考えると、
愛の無い家庭や環境に生まれた人はいずれ殺人や罪を犯す危険を内包する社会にとっての
危険分子ということになると思います。
このように考えると、愛の欠けた人間を弾圧することが、ある意味で正当化されたり、
矯正刑のような考え方を否定することにならないでしょうか
シリーズ
「お盆休みのOL、愛を語る」
はこれにて終了させていただきます。
どうもありがとうございました。
それでは通常通り
「なぜ人を殺してはいけないか」
に戻りたいと思います。
それではみなさま、よろしくおねがいいたします。
670 :
考える名無しさん:03/08/15 22:16
>>668 一理も二理もあるね。
そもそも、愛のある家庭ってなに?愛のある環境って一体どんなもの?
それに、やっぱり家庭の責任で片付けるべきでないよ。最後はいつでも個人の問題。
たしかに、虐待された子供が、自分の子供を虐待する例は多々あるが、そうでない例もあります。
先ほども書いたとおり、愛は罪悪になりうるけれど、愛は罪悪では決してない。
どんな形であれ、最後は個人に収束するものだね。
確かに、ニセモノの愛はあふれているが、それを言い訳にすることは決してしてはならないと、強く主張したいと思います。
シリーズ
「お盆休みのリーマン、愛を語る」
はこれにて終了させていただきます。
どうもありがとうございました。
それでは通常通り
「なぜ人を殺してはいけないか」
に戻りたいと思います。
それではみなさま、よろしくおねがいいたします。
>>669 ごめんなさい。ちょっと遅かった。
けど、「なぜ人を殺してはいけないか」って言う命題に対しての回答の一つに、愛が出てきた訳だし。
その回答を分析することがいけないことかな?
673 :
考える名無しさん:03/08/15 22:25
「愛」について語りたい方は、文学板へどうぞ。
>>668 それはちょっと極端では・・・。
>愛の無い家庭や環境に生まれた人はいずれ殺人や罪を犯す危険を内包する
などとは思っていません。
不幸にして愛のない家庭で育ったとしても、愛のある社会、愛のある人間関係でいくらでも愛を学ぶことは
できると思うから。
>>672 「最近世の中せちがらくなって、愛がないよのうえぇぇぇ」
と雑談してるように見えますが?
シリーズ
「お盆休みのリーマンとOLと学生、愛を語る」
はこれにて終了させていただきます。
どうもありがとうございました。
それでは通常通り
「なぜ人を殺してはいけないか」
に戻りたいと思います。
それではみなさま、よろしくおねがいいたします。
677 :
考える名無しさん:03/08/15 22:29
愛について一定の結論出した哲学者知ってる香具師!
>>672 スレ違いを通り越して、あんたらのは「ぼく・わたしは最近こう思う」だよ。
680 :
考える名無しさん:03/08/15 22:32
>>678 知ってんなら出し惜しみしないで書き込め。
681 :
考える名無しさん:03/08/15 22:35
>>679 掲示板って、自分の意見を言う意外に何かあるのかな?
だいたい、論題が発展していかない議論ならする必要ないじゃん。
>>680 にたにゆりえ/愛される理由
わかったら礼述べて巣へ帰れ!
>>681 雑談スレとテーマスレとの違いについて教えてくださいおながいします
で、なぜ人を殺してはいけないの?
685 :
考える名無しさん:03/08/15 22:44
686 :
考える名無しさん:03/08/15 22:46
>>683 あなたのようにスレ違いだと横槍を入れてくるかどうかでしょう。
>>684 論拠を語ってはいけないようなので、難しいですね。
どう考えても、納得させられないなー。
687 :
考える名無しさん:03/08/15 22:50
>>684 「なぜ人を殺してはいけないのか」って寝ぼけた問いが間違ってんだ。
「平穏な市民社会では人を殺すな、殺せば罰せられる」でおしまい。
「殺してはいけない」ではない、「殺せば罰せられる」だ。
人が人を殺してはいけない理由を改めて考えてみると、
宗教を考え出した人の偉大さが分かった。
>>687 別に間違いじゃないけど
あんたは「罰せられるから殺してはいけない」って言ってるにすぎないよ。
それは「バレなきゃ殺してもいい」ということにつながる。
それはおいといて、せめて「どうして人殺しは罰せられるの」とか
「結局人殺しは倫理的な問題とは違うのか?」というとこまで言及しないと。
690 :
考える名無しさん:03/08/15 23:02
>>689 ソーだよね、倫理的観念からなのか、司法的観念なのかわかんないと議論できない。
691 :
考える名無しさん:03/08/15 23:07
一回みんなで死んでみる?そーすればわかるかも!
とはしゃいだレスTest
692 :
考える名無しさん:03/08/15 23:13
殺人者を罰する根拠が必要なんじゃないの?
その罰の中には死刑だって含まれるんだから
694 :
考える名無しさん:03/08/15 23:19
「殺せば罰せられる」は要するに”見られている”から殺すなという
事だな
倫理とは”見られている”からなされるものなのか
”見られないでも”なすものが真に倫理的なのか
695 :
U-名無しさん:03/08/15 23:32
『ヒトは本来的には「善」である』ということができる。
善か悪か?この問題の本質は、善悪の基準点、ゼロ点をどう設定するかであろう。
どこからが善行でどこからが悪行なのか。通常、人間の平均的(中立)な行動を
ゼロ点にして、善悪を考えてしまいがちである。当然そこを基準にしてしまえば
「善とも悪とも言い切れない」という結論に至ってしまう。総和がゼロになるよ
うにゼロ点を設定したのだから当然の結果だろう。基準点の設定の仕方がおかし
いのである。
696 :
U-名無しさん:03/08/15 23:32
生物の本来的な行動基準としては、他者の資源を容赦なく奪い、自己を際限なく
増やしていこうとするのが本来の姿であろう。本来これがゼロ点である。ところ
が人間をはじめ、群れることで生存確率を上げてきた生物は基本的にはこれをし
ない。仲間内で奪いあうと群れが維持できないからだ。逆にお互い助け合うこと
で淘汰をくぐり抜けてきた。
697 :
U-名無しさん:03/08/15 23:32
ヒトのこの群れを維持しようとする行動様式こそが、人間の価値観でいうところ
の「善」なのである。我々の先祖が進化の過程でたまたま身に付けたもので、こ
の『善なる行動様式』を身につけることで厳しい淘汰を生き抜くことができたの
である。
もちろん略奪や殺し合いも幾度となく行われてきたが、これも人間を滅ぼすには
とても十分ではなく、大局的に見れば些細なものでしかなかった。今現在、人間
が生き残っていること自体が人間が善であることの証明と言ってもいい。
698 :
U-名無しさん:03/08/15 23:33
本来「善」であるからこそ、他人の物を奪うなどの”生物として当たり前の行動”
が、「悪」として感じられるに過ぎないのである。
699 :
U-名無しさん:03/08/15 23:33
そして、人間をこのような善き存在へと導いたのが、
他ならぬ『神(淘汰圧)』だったわけです。
700 :
U-名無しさん:03/08/15 23:35
700ゲット
701 :
考える名無しさん:03/08/15 23:36
NEWS23に連絡シテオケヨ!
良スレ+落ちちゃったらもたーいないヨ!
702 :
U-名無しさん:03/08/15 23:51
これを図で簡単に説明すると図1のようになります。
●===○ /
○===( ゚Д゚ )< 仲間を殺しては行けないぞゴルァ!
●====○ \
○====●  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●====○
○===●
●=○
○●
●○ __________
○= /
( ゚Д゚ )< 井戸に落ちた子供は助けろやゴルァ!
○===\
●==== ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○====●
●====○ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○===( ゚Д゚ )< 寝る前に歯磨けやゴルァ!
●=○ \__________
○●
●○
○=●
●===○
○====●
●====○
○====●
●====○ __________
○===● /
●=( ゚Д゚ )< また来週〜♪
○● \__________
図1 心の構成図(模式図)
703 :
U-名無しさん:03/08/15 23:51
ヒトが生き残っていくためには、「心」や「感情」と呼ばれている反応を身につける必要があったのでしょう。集団を上手く維持するためのツールとして重要なものだと思います。
既出の意見があるかと思って最初から読んでみたけれど、途中で疲れて
斜め読みになってしまったので、既出の意見かもしれません。
Q1 なぜ人を殺してはいけないのか
A1 人が安心して暮らせるように作られたルールだから
Q2 ルールを犯しても殺したい人がいる場合は殺してもいいのか
A2 ルールを犯した結果(制裁や殺された人の身内の悲しみや罪悪感など)
を負い切れるというならばYESとしか言い様がないのですが。
大抵の人はそんな人いて欲しくないと思っているはずなので、
そんな人が出ないように普段から皆がんばっているはず。
Q3 なぜ人以外は殺していいのか
A3 種が異なるから。これは人間という種の生物としての基本プログラム。
自種(人間)を存続させるのに他種を犠牲にしなくてはならないのは
いかんともしがたいでしょう。
にしても、種・生命を維持する必要以上にムダな殺生をするのは
地球上の動物の中では人間だけ?
ちなみにこの問いは過去の哲人たちだっていやというほど考えてきた
もののはずなので、そういった既存の理論をご存知の方、ぜひ教えて
いただきたいっす。
706 :
考える名無しさん:03/08/16 01:40
>>704 >にしても、種・生命を維持する必要以上にムダな殺生をするのは
地球上の動物の中では人間だけ?
ちなみに、他の種を必要以上に保護しようとするのも人間だけ。
707 :
考える名無しさん:03/08/16 01:58
世の中には殺人よりも最悪極まりない事も
存在するから殺人なんて可愛い方だと思うね。
708 :
考える名無しさん:03/08/16 02:22
哲学的には
「なぜ人を殺してはいけないのか」
より
「なぜ人は人を殺すのか」
の方が重要。
709 :
考える名無しさん:03/08/16 02:24
心理学の間違いでは?
710 :
416=425=430=433=452=541=543:03/08/16 03:58
>>「なぜ人は人を殺すのか」
その答えは知ってる「人が進歩するためだ」
哲学とは違うが
「なぜ人(生命)は進歩しなければならないのか」
が重要
>>621 >>1 う〜ん、まだ書き込みなんかしてるのか
もう一度言うが、まずPCの電源を切りなさい
news23なんか見てるのか、それも消しなさい
ついでに主電源も切れ、電力不足だからな
私の意見に賛成?賛成しちゃだめでしょ
私はこんな事を考えるよりいい評価をもらう為の行動をしろ、と言ってるのだが
>>532-536 生命の神秘?それはどっかの誰かが勝手に言った事だろう。気にする事か?神秘というより新皮だな
「二度と戻らないから〜」よく言われる事だが、それは何の変化も望まないという事になるでしょ
永ちゃんと一緒に「時間よ止まれ〜♪」とでも歌うのか
>殺したくないと思うのは〜僕はいやだ
え、そんな理由?それが君の本音?
愛が錯覚に基ずく(読んでて恥ずかしい、小学生か)なら「殺してはいけない」も錯覚でいいんじゃない?
最初の問いに、その錯覚を他者と共有するのが心地いいし、都合がいいから、とでも書くか
レポート完成したなら、後は「愛は地球を救う」とか言ってるTVにでも寄付しなよ
みんな愛されたいのさ!とか言いながら
ナンてな。
いい評価をもらえるといいですね
712 :
考える名無しさん:03/08/16 04:41
>>1はもうバカ先コウより利口になってるよ
1が先コウを評価してやれ
>>1 要するに、厄介なことになるからじゃないの?
おやおや、(・ε・)なんだか、いつの間にか、
こんなにたくさんの人が書き込んでくれた。
ありがとう。
しかし…ね、みんな真剣に話しあっているのに!
なんだ?こりゃ(爆)笑っちゃっただろ。(〃^∇^)o_彡☆あははははっ
>>654 >>654 >>669 >>671 >>676 >>691 ま、どーでもいいけど…(-_-)
では、真面目なレスを…
>>658 >愛に満ちた環境で育った子供は、
>「なぜ人を殺してはいけないのか」
>という質問さえしないのでは?
僕は愛に満ちた環境で育ちましたが、
「生きていくこと自体、意味はないな」
と思っていた子供でした。 親には、
「そんな悲観的なことは言っちゃ(;`O´)oダメーーー!!」
「頭でっかちなバカめ!他所で言うなよ!(`曲´)コラッ!」
と、言われました(+_+)。
また、友人からは、
「君は本気で恋愛したことはないだろうが……_s(・`ヘ´・)ゞ.」とか、
「君が心から感動したことは、生涯、一度もないだろうが……(¬_¬) フンッ」とか、
言われたことはあります。悲しかったです。(T。T)僕はそんな人間ではありません。
しかし、彼らの言い分はわかります。
僕は、恋愛をしてみて、より、いっそう、
愛は錯覚に基づいているという考えが強固なものとなりました。(・ε・)/
また、ある哲学者が、
「子供ができて、子供のかわいさというのは、すごくよく分かった。
しかし、『子供ができたら、<この気持ち>が分かる!』と私に言ってきた人たちが、
何を勘違いしていたか、それも良く分かった。
子供にしてやっていることも、すべて、自分のために行っているという、単純な事実を
彼らは、忘れてしまうほど、何も考えなくなったのだ。」
と、言っていて、その言葉にも、僕はすごく勇気づけられました(^v^)。
「愛は、錯覚ではない」(゙ `-´)/ と、
ムキになって、反論した挙句、冷静さを失い、
あなたにも、子供ができたら分かる。ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!
と、激しく怒り、愛に関する詩を(著作権を虫して)書き、去って行った方がいました。
実に好ましいことだと思いました。(*´∇`*)ポー
この「錯覚」を「錯覚」だと自覚しなくなるほど、
愛を信じているのでしょう。
この「信じる力」は、人間的な魅力になりえる。
詩の意味は分かりませんでしたが、
何か、「魂の叫び」のようなものが感じられました。
まさに、人間的な方と思います。(T。T)
僕は、人間的な人のほうが好きなわけです。
自分に子供ができたら、こんな風に、
人間的であってほしいなあ、と思います。
僕なんかでは、
「誰だって愛される『べき』だ。ε-(ーдー)ハァ」
と言うぐらいしかできないが、こういう人なら、
「誰だって愛されている!(`ヘ´) 」
と断言するんでしょうねw。さらに、この錯覚が進めば、
「誰にだって愛はある(^o^)!」
………最終的にこの病気は、(病気ではない!(`s´)コラッ!と、Iさんには言われそうですが。)
「すべての人間が神に愛されている!(☆Д☆)キラキラ」
というところまで悪化するでしょう。(ここまで来れば、宗教ですが)
こんなことを言う人は、不気味ですが(^。^;)……まあ、実際こんなこと言う人もいるんですね。
不気味ですが、これは事実です。事実は事実として、認めなければならんでしょう(´ヘ`;)
僕は、「愛があるから殺してはいけない」
と考えてしまいますが、「愛」という言葉を使う時、
「愛が錯覚」であることを言わなきゃ、居心地が悪いんです。(-_-;)
この「錯覚」を基盤にして、社会自体が成り立っているような気がするからです。
社会は、決して、うそ臭いヒューマニズムで成り立っているわけではないからです。
>>695-703 >「人は本来的には『善である』ということができる」
この発言には、痛く感動しました。
なにか、ずっと心の奥でもやもや考えていたことを、
ズバリ言い当てられたような気分です。
(702は、笑った。イイ!(〃^∇^)o_彡☆)
「哲学は、<本能>には勝てない」という趣旨のことを、
どなたか、言ってたような気がしますが、
そのとおりと思います。
この議論は、「殺すほどの怒り、その他、異常性欲など」を
消す力が、少しもないのです。(まぁそこが、哲学の良いところでもありますが)
また、同じ人間を殺すことが嫌なのは、最終的には「本能」(=生理的嫌悪みたいなもの)
が、そう言っているから、ではないかと思います。
だから、この「本能」の部分を強化すれば、いい社会になるんではないかと…。
(生きたい、食べたい、遊びたい、も本能ですからね。
これが、自由に実現できる社会は、いい社会でしょう。)
最終的に、「神」や、「倫理」を使って、「殺してはいけない」ことを、
「本能」の(=生理的な)レベルだと感じるまで教育しようとしたのでしょう。
「なぜ殺してはいけないの?」とたずねる子供に対して、
大江●三郎大先生のような陳腐な道徳の手垢にまみれた売国奴は、
「普通の子供なら、子供なりに、子供固有の誇りがあるのだ!
子供でも、そんな質問をしない知性を持つべきだ」
と、実に世界の大江らしいことをおっしゃってますが、
この大先生は、きっと殺さないことが「本能」
となったとき、「なぜ」と問うことを止めたのでしょう。
「本能」のままに生きて、ムカつく質問をする子供には
「本能」のままに殴りつけるのでしょう。
そして、
「最近の子供は、『本能』のまま生きることがなくなった。
もっとがむしゃらに生きろ!屁理屈は言うな!
<殺されたくないこと><殺したくないこと>を『本能』で叫べ!」
と言うでしょう。ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ。
だが、むしろ、殺してしまうというのは、
ある種の『本能』に従ったからではないのか?
快楽殺人もある種の『本能』に従ったから起こるのであり、
多くの殺意の原因である『怒り』もある種の本能的なものではないのか?
だから、「殺すことは絶対悪」と思い、殺さないことが『本能』
になってしまって、みじんも疑わなくなってしまった人間は、
『(自分にとっての)本能』を疑うことを禁止するようになる。
こういう人間こそ、かえって、タガが外れやすいのではないか?と思った。
お前だって人間だろ?状況さえ整えば、殺人でもなんでもするさ。と思った。
しかし、まあ、哲学をしたからと言って、
大江健●郎のより、殺人衝動が少なくなるわけではありません。
ただ、世界を自分なりの視点から
見ることができるようになるだけでしょう。
やはり哲学は、『本能』には勝てません。
Iさんの言う「愛」も、本能のようなものでしょう。
僕も、「愛」という勘違いは大切だと思うし、
子供が生まれたら、哲学は止めて、子供を愛そうと思うわけです。
「哲学」が「宗教」にかなわない理由は、きっとこのあたりに
あるのでしょう。
>>713 そうです。ありがとう。
たいていの人は、最初の
>>1しか読みません。
そこで僕の意見を書いたら、必ず「そんなバカな質問するな」
と、あらしが来ることを見越して、
わざと自分の意見は書かなかったのです。
それよりは、611さんのような、偽善に関して敏感で繊細な方から
の批判のほうが、うれしく感じるからです。
きっと、混乱させてしまったために、611さんは、お怒りなのでしょう。
>>711 の批判ももっともです。
>永ちゃんと一緒に「時間よ止まれ〜♪」とでも歌うのか
>レポート完成したなら、後は「愛は地球を救う」とか言ってるTVにでも寄付しなよ
>みんな愛されたいのさ!とか言いながら
と言うところは、よく分かりませんでしたが。
大江健三郎だってこのスレ程度のことは理解してるよ。
それでもあえてああいう発言をしている。
「学校の先生になるか子供でも作ってみたら?」
というつっこみをされると、そういう話ではないと思うんでしょ?
大江もおなじ。君とは発言の目的が違う。
俺は
>>1のような態度でのこの命題に関する議論は興味がない。
>>711 あ、ごめん。最後に、
>いい評価をもらえるといいですね
って書いてくれてたんだ。(・ε・)ありがとう。
>>724 こらこら、名前を出してはいかんよw
………まあ、そうだなぁ。
あんまし、僕自身、作家を名指しで批判できるほど
えらい人間ではないわな。ちょっと軽率な行為だったか…。
あの作家も世界的に有名な方だし、
頭もいいだろうから、このスレに書いてあることぐらい
理解できだろうしね。僕はあの作家とは関係のないので、
ただ、「この人の意見にはついていけない」
と自分の胸にしまっておくべきでした。
727 :
考える名無しさん:03/08/16 06:15
ま
だ
や
っ
てん
の
728 :
考える名無しさん:03/08/16 06:15
た
へ
ん
だ
ね〜〜〜
729 :
考える名無しさん:03/08/16 06:16
が
ん
ば
っ
て
ね
。
いちいちageんなよ
てめえのレポート書くのに2chで相談して
気持ち悪いレス垂れ流してる低脳の
>>1
そうですね。ここはあくまで1さんがレポートを書くためのものであって
自殺や殺人をくいとめるためのスレではありませんものね。
(先程も爆弾をつくって人を殺してから自分も死のうとした高校生のことが
ニュースになっていましたが。)
>>715 「生きていくこと自体、意味はない」と思うことは「何のために生きるのか」ということを
子供のころから考えていた、という事ですよね。
私も子供がいないから偉そうには言えませんが、自分の子供ができたら
その子供に対する愛は錯覚だと思うでしょうか?
1さんは本当の愛のある環境や本当の恋愛をしていないのかも。
そういう私もそうかもしれませんが・・・。
732 :
考える名無しさん:03/08/16 12:17
殺しても良いのだよ。
733 :
考える名無しさん:03/08/16 12:18
戦争の時は無差別に殺すよね。
イラク戦争でもそうだよ。
734 :
考える名無しさん:03/08/16 12:19
今日もゲリラ戦でアメリカ兵が・
735 :
考える名無しさん:03/08/16 12:23
正規軍はダーツの板しょって歩いているようなもの
736 :
考える名無しさん:03/08/16 12:24
死んだら肉塊
737 :
考える名無しさん:03/08/16 12:24
殺しても良い、殺してはいけない
あいまいだよな。
738 :
考える名無しさん:03/08/16 12:25
死刑もそうだよな。
人を殺すんだもんね。
739 :
考える名無しさん:03/08/16 12:26
死刑制度廃止!
740 :
考える名無しさん:03/08/16 12:29
賛成
741 :
考える名無しさん:03/08/16 12:29
はんたい
742 :
考える名無しさん:03/08/16 12:41
743 :
考える名無しさん:03/08/16 13:13
こういう漏れらが人間であるうえでの倫理的・抜本的な感情について
論理的な帰結を拠り所にするのはどーかと。
言い出したらキリがねーぞ
>>723 う〜ん、書き方が悪かったのかな?怒ってはないですよ
最初の電源切れのとこが悪かったのかな
重い話題だから冗談で少し軽くしようと思ったんだが
永ちゃんのところは
ん〜、あれ?何でこう思ったかわからなくなったな。寝てないからかな
たぶん、二度と戻らないからだめなら、時間は常に流れて今は二度と戻らないから
世の中全部戻らないことだらけ。それがいやなら時間を止めるしかない
と言いたかったんだと思うが、これはわけが分からんな。自分の事だけど
レポート完成したなら〜のところは
>自分を愛してくれる何かがあると錯覚するべき
>「死なないでほしいと」と泣いてくれる人が誰に対しても必要
とか書いてるから、それに対して私はこう思ったのです
>611さんのような、偽善に関して〜うれしく感じるからです
誤解してるよ、それとも嫌味か
私が言ってるのは学校の中での1つの課題として取り組むべきで深く考える事じゃない、という事
さっさと終わらして遊んだ方がいいって事ですよ
多分、私自身こういう事を考えた時期があって、それはとても無駄で下らなくて悲しい時間であった
と思った(いくら考えたところで世の中は変わらず、変えようとする行動も起こさなく
またその気も無いのに考えていたから)ので、
この書き込みをみてつい何か言ってやりたくなったんだと思います
だから本当に怒ってはないのですよ。気を悪くしたらすまんな
>>725 わたしはホントにそう思ってますよ。頑張ってください
745 :
考える名無しさん:03/08/16 13:22
「生きたい」は根本的な感情で、論理的な根拠は無いが、
ひとたび「生きたい」という感情を是認するなら、
「殺してはいけない」はそこから論理的に導き出されるんじゃないの。
746 :
考える名無しさん:03/08/16 13:27
自分は生きたいと思うが
他人の気持ちなど
747 :
考える名無しさん:03/08/16 13:37
自分が「生きたい」のであれば、
他人の気持ちを完全に無視しても、
「殺してはいけない」は成立するが。
(カルネアデスの筏のような特殊状況を除けば)
748 :
考える名無しさん:03/08/16 13:43
自分は生きたいが他人は殺す。
他人は生きたいが自分を殺す。
殺しても良いというのが成立する。
749 :
考える名無しさん:03/08/16 13:58
>>748 そうやって日本は戦国時代を経験したわけだ。
750 :
考える名無しさん:03/08/16 14:02
隣の北朝鮮見ろよ
日本の江戸時代のように
飢饉、将軍がまだある。
あの国のようにならないように
法整備しないといけないよな。
751 :
考える名無しさん:03/08/16 14:03
結局人殺しOKの時期を日本も経験している。
「なぜ人を殺してはならないのか」という題で哲学し、
人によっては文を書いて哲学を続けるための食料を得るため。
753 :
考える名無しさん:03/08/16 14:31
>>748 その論理だと、
「毒薬を飲んでもいい」
「ビルの屋上から飛び降りてもいい」
も成立するね。
この手の質問を見かけるたびに私が思いますのは、皆さんは客観的な真理があると
信じ込んでいるのではないでしょうか?ここが哲学スレであるにもかかわらずです。
このスレタイにももちろん客観的真理などありません。個人個人さまざまでしょう。
人間は殺しては駄目だが動物は仕方ないとか、虫けらはどうなんだとか、戦争中は
どうなるとか、千差万別です。
しかしここで考えなければならないのは、社会的な共通意識のようなものは全然
ないのか、というとそうではないということです。
ぼんやりとはしていますが殺してはいけないとか、盗んではいけないなどの共通意識
はあります。そして仏教徒などはその共通意識よりも高いところに目標を定め、虫けら
を含めた全ての殺生を悪と規定するでしょうし、またあるものは時と場合によっては
俺は人も殺すよ、と日頃から思っているものもいるでしょう。
そういう千差万別な価値観のなかで、社会的な共通意識と自己の価値観に妥協点を
見出して生きていっているのが人間だと思います。
とまあ、現象学的な結論の導き方をしてみましたが、どうでしょうか?
755 :
考える名無しさん:03/08/16 14:47
つまり、数学の定理や方程式も、実は正しくないと。
>>755 あまり哲学をご存知じゃないようですが、数学はその世界内でのみ通用する理論です。しかしその数学でさえも根本では哲学的命題に陥ります。数学の定理や方程式を
客観的真理とするのは、数学世界内においてのみでしょう。まるでアインシュタインと
哲学者の問答のようですが、数学も人間の規定した価値観の中でのみ、その力を
発揮する理論だと思いますよ。
757 :
U-名無しさん:03/08/16 15:08
>>719 >>また、同じ人間を殺すことが嫌なのは、最終的には「本能」(=生理的嫌悪みたいなもの)
>>が、そう言っているから、ではないかと思います。
おそらくそう言うことでしょう。
例えば『高いところで足がすくむ』、『ヘビやクモに嫌悪感を感じたり』
と同様なレベルの生理的なもので、脳内にこの機能を持つ回路が形
成されていると考えた方が自然でしょう。もっといてば、動物や昆虫が、
毒々しい色のキノコを食べることをためらうのと同じレベルの話でしょう。
もちろん、どちらも育った環境や、訓練次第では克服することができる
程度のもののでしょうが、これが有る無しでその生物の生存確率に無
視できないレベルの違いがでるのでしょう。
758 :
考える名無しさん:03/08/16 16:11
>>715 錯覚という言葉を使用するのがまずいのではないでしょうか。
錯覚というのは、誤った知覚という意味ですよね。例えば熱いのに冷たい
と思ったり。
けれど、たとえばわが子に対してある種の高揚感がある、なにか喜ぶことを
してやりたいと思う、という感情は(人によっては強弱があるかもしれ
ませんが)、一般的にはどこからか湧き起こってくる感情であって、
そういう感情があると感じること自体は誤った知覚ではないですよね?
その知覚をそのまま受け入れればいいのに、「愛」かどうか判断しようと
する必要ってあるのでしょうか?
そもそも、感情は個人個人で似て非なるものなのに、それに無理やり同じ
名前をつけようとすること、もっと言えば感じたことに名前をつけようと
することも本当はヘンだと思います。
じゃあ、どう表現すればいいのか。
それを言ってしまえば、会話できなくなっちゃう。
761 :
考える名無しさん:03/08/16 16:47
言葉や文字って限られた表現だからね。
>>760 おお! さすが哲学板!
確かに、互いの意思を疎通させるために、言葉に対するある程度の
共通認識は必要ですよね。でも、極度に厳密に規定することは危険
だと思いますということです。「感情に名前をつけることが本当はヘン」
なところを曲げて無理やり名前をつけるのに、名前の方が一人歩き
しちゃ本末転倒でしょう。言葉はあくまで道具なのに、道具に
ふりまわされるくらいならば、放棄した方がいいと思います。
「愛」に関して言えば、基本的には、言葉でなく行動で示そう、です。
「愛」が西洋思想のLOVEの対訳語になってからの歴史ってそんなに
長くないですよね(もともと「愛」は「大事に思う」「かわいいと思う」
くらいの意味だったはず。あるいはこの程度の抽象度の低い言葉なら混乱も
小さいのではとも思います)。愛なんて言葉がなくても日本人は長く
睦まじく暮らしてきたじゃないですか。
763 :
考える名無しさん:03/08/16 18:18
「私はうそつきです」
「私はうそはつきません」
命題としてシンタックスエラーが出るのは前者だが、実際に知り合いに
なりたいと思うのは後者だな。
いや違った。
近寄りたくないのが後者。
765 :
考える名無しさん:03/08/16 18:50
>>756 つまり、実世界の面積や体積や、運動予測はできないと。
軌道計算なんてものは不可能だと。
766 :
考える名無しさん:03/08/16 18:50
「なぜ人を殺していけないのか」
イスラム過激派さえ説得できる力がなきゃだめだね。
俺にはそんなことは不可能だと思うよ。
767 :
考える名無しさん:03/08/16 18:51
説得できたら正しいのか?
768 :
考える名無しさん:03/08/16 19:20
>>767 てか、それすらできない結論しか出せないようだったら
単なる稚戯に過ぎないね。
769 :
U-名無しさん:03/08/16 19:25
770 :
考える名無しさん:03/08/16 19:33
>>768 (笑?で誤魔化してるけど、碌な考え持ってないんだろ?
771 :
考える名無しさん:03/08/16 19:35
772 :
考える名無しさん:03/08/16 19:40
相対性理論をイスラム過激派の活動家に説明しても、
大部分の人は、それによって光速度が不変
であると説得することはできないだろう。
(これは、イスラム過激派の活動家に限った話ではなくて、
物理学者以外の大部分の人たちについてそうだろう)
では、このことをもって、相対性理論は正しくなく、
光速度が不変の法則も間違っているといえるのだろうか?
>>765 自然を最大限に合理的に人間の生活に利用することが、数学を含めた自然科学の
めざすところであることは、わかっています。宇宙船を宇宙の彼方にまでとばす技術
を人類は持っているのですから。運動予測や軌道計算が素晴らしく人類の生活を合理的で便利にした事実も認めます。
しかしそれは物理学的な世界観なのです。生活が合理的で便利になることと、正しく世界を認識していくことはまるっきり別物です。
アインシュタインとインドの詩人タゴールの有名な論争をご存知ですか?
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>>772 もちろん光速度一定は物理学信奉者には絶対的真理でしょう。間違っているなど
誰も言いません。しかしそれは物理学的世界観測の方法であって、物理学をやって
いない人間にはどうでもいいこと、なくてもいいものなんです。
アインシュタインは「人間の存在に関係なくピタゴラスの定理は存在する」と言いましたがこれはまさに物理学信奉者の言うセリフで間違った世界観だと思います。
哲学をかじったことのある人はわかると思いますが、、、、
776 :
考える名無しさん:03/08/16 20:28
>>773 生活が合理的で便利になることと、正しく世界を認識していくことが
同じだなんていってないが。
問題は、「客観的な事実が存在するか」だろう。
あなたは、
>>754 で、
>このスレタイにももちろん客観的真理などありません。
と断言している。
私は、あなたの言う「客観的真理などありません。」を、
軌道予測に当てはめた場合、
軌道予測に用いられる諸法則も「客観的事実で無い」ということになり、
「実世界での軌道は予測できない」という結論になる、
という事実を指摘しただけで、
便利とか合理性とかの話をしたつもりはない。
哲学者ニーチェは、
「自分の信念に従う結果、殺したいと思うなら、そうすべきだ」
と言った。えらい!!!パチッ☆-(^ー'*)b
哲学者永井均氏は言う。
「哲学は本来ひとりで考えて、墓場までもっていくべき個人的視点だ」
と、そのとおりヽ(゚▽、゚)ノ ウヘヘヘ
ソクラテス先生は、理不尽な法律に従うことを決意し、自分から毒を飲んだ。
きっと「自分だけはを真実を知っているんだ」
と思って、死んだんだ。きっと人間に対する深ーい深ーい軽蔑があったことだろう。
エライ(ノ^∇^)ノ
数学者ガウスは、あまり、論文など発表しなかった。
死後、彼しか知らなかった、数学の定理が次々と明らかになった。
ガウスさん、地球上で、ただひとり、数学の真実を独り占めしていたんだね。
♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
そして僕は今思う。
スレを立てなきゃ良かった…と。
全部読んだけどガイシュツならすまそ。
答え:殺してイイ事にすると、最終的に人類は一人になってしまうから。
>>776 「客観的真理」と「客観的事実」は哲学的には、ずいぶんと差のあるものなのですが、、、。
もちろん物理の法則を利用すれば軌道を予測するという客観的事実は得られますよ。
でもそれは客観的真理とは程遠いものです。
私の意味するところが理解しずらいかもしれませんが、現代が科学万能と信じられている時代ですので科学の眼鏡をかけてしか世界を見れないのは仕方ない面もあるのですが、、、
780 :
考える名無しさん:03/08/16 21:11
>そして僕は今思う。
スレを立てなきゃ良かった…と。
さんざんいろいろな人の意見をレポートの参考にして
それはないんじゃない?
781 :
考える名無しさん:03/08/16 21:12
>>771 ほぅ、今まさに人を殺そうとしている人間の心を微塵も動かさない言説を繰り出しても何でも無いと。
間違ってるとは言ってないだろ、「稚戯に過ぎない」って言ってんだよ。
>>772 バカじゃねーのか?人を殺そうとしている人間に相対性理論の話するつもりなの?
おまえら、ぬるいんだよ。だから「稚戯に過ぎない」って言ってんの。
おそらく人を殺す覚悟の無い少年の放つ小馬鹿にした質問にすら、ろくな答が出せないのに
今まさに人を殺そうとしている人間の心を動かす答が出せるとでも思ってんのか?
俺の結論は「無理」
結局、おそらく一生人を殺すことの無いであろう小市民達が
「だから、私達は人を殺さないんだよね!」っての確認し合っているだけの事。
782 :
考える名無しさん:03/08/16 21:14
>>779 つまり、万有引力は、客観的事実であるが、客観的真理ではないということだね。
すると、「どうして人を殺してはいけないか」について、
「客観的真理」が存在しないとしても、「客観的事実」は存在しえるわけだね。
ならば、存在しえる「客観的事実」について話せばいいのではないの?
存在しえないことが(あなたの主張によれば)明白な、
「客観的真理」について議論するのは無意味だろう。
(なんせ無いのだから)
783 :
考える名無しさん:03/08/16 21:16
>>781 >ほぅ、今まさに人を殺そうとしている人間の心を微塵も動かさない言説を繰り出しても何でも無いと。
>間違ってるとは言ってないだろ、「稚戯に過ぎない」って言ってんだよ。
そうすると、仮に、「稚戯に過ぎない」ものであったとしても、
正しいということはありえるわけで、
「稚戯に過ぎない」かどうかは、正しいか間違っているかとは無関係なわけだね?
784 :
考える名無しさん:03/08/16 21:20
>もちろん光速度一定は物理学信奉者には絶対的真理でしょう。間違っているなど
>誰も言いません。しかしそれは物理学的世界観測の方法であって、物理学をやって
>いない人間にはどうでもいいこと、なくてもいいものなんです。
一般相対性理論を理解している人は少数だが、それでも原爆は爆発するわけなのだが。
785 :
考える名無しさん:03/08/16 21:24
>>783 いい加減「稚戯」を正当化するのやめたら?見苦しいだけだよ。
子供の遊びが間違ってるなんて事は言わないけど、少なくとも哲学やってるつもりなら
言い年した大人が稚戯に夢中になってるのは恥ずかしいと思った方がいいよ。
786 :
考える名無しさん:03/08/16 21:26
>>781 >おそらく人を殺す覚悟の無い少年の放つ小馬鹿にした質問にすら、ろくな答が出せないのに
>今まさに人を殺そうとしている人間の心を動かす答が出せるとでも思ってんのか?
答えはだせるよ。
ただ、答えが正しいかどうかと、
少年が殺人を思いとどまるかどうかの間には、
直接的な関係が無いというだけのことだ。
仮に、二人がかりでないとよけられない岩に入り口をふさがれた洞窟の中に、
二人きりでいたとして、もしも外に出たいなら、相手を殺してはいけない、
この結論は、二人のうち一方が、
相手を殺したら外に出られないということが理解できないほどバカであったとしても、
そいつが納得できないという理由をもって、変わったりしない。
787 :
無料動画直リン:03/08/16 21:27
788 :
考える名無しさん:03/08/16 21:28
>>
>>144 >そうですね。
>食便は悟りの証の全てではありませんが、不可欠の証にはちがいありません。
>ですからいやしくも悟ったという表明をするのであれば、それは食便行為とセット
>であるべきでしょう。
ていうか、あんたら本当に糞食う覚悟があんの?
べちゃくちゃしゃべってねえで結果を出してみろよ。
>>778 そりゃ無いね。いくら何でも、人間はそこまで馬鹿じゃない。
人間が人間によって滅ぼされるとしたら、全ての人間が殺人を肯定したからではなく
一部の殺人を肯定する人間のため。
790 :
考える名無しさん:03/08/16 21:29
>>785 仮に、恥ずかしいとしても、正しいことには変わりはないわけだろう?
哲学においては、恥ずかしいかどうかよりも、
正しいかどうかのほうが重要であると私は思うが、
あなたは逆の考えなのかね?
>>786 いいか?そういうのを「ぬるい」って言うんだ。
>>790 恥ずかしくても、正しくて、ぬるくなければマシだろうな。
恥ずかしくて、正しいのかどうかもわからなくて、ぬるけりゃ救いようが無い。
766が寂しいのは理解できた。
794 :
考える名無しさん:03/08/16 21:38
>>791 >>792 仮に、「ぬるい」としても、正しいことには変わりはないわけだろう?
哲学においては、「ぬるい」いかどうかよりも、
正しいかどうかのほうが重要であると私は思うが、
あなたは逆の考えなのかね?
795 :
考える名無しさん:03/08/16 21:39
ハクチ的無表情で包丁振り回すDQNというのはどっか必ず障害
をもっているので、精神鑑定キボンヌ
ぬるいも何も、あるいは正しい正しくないも、どっちも哲学的でないような・・・
797 :
考える名無しさん:03/08/16 21:48
>>782 客観的事実は物理学スレなどでやってもらいたいものですが、、、
客観的真理があるかないかを熱く論じるのが哲学の醍醐味なんだがなあ、、、。
ここは哲学スレなんだし。
>>794 今されているのは
恥ずかしくて、正しいのかどうかもわからなくて、ぬるくて救いようの無い議論。
>>796>>797 どんな議論を目指している訳?
〜しては「いけない」って、真偽を判定できるような命題じゃないだろ。
客観的真理がどうとか言ったって意味ないよ。
802 :
考える名無しさん:03/08/16 22:02
>>798 >客観的真理があるかないかを熱く論じるのが哲学の醍醐味なんだがなあ、、、。
でも、あなたは、無いと断言してしまっているわけで、
もう論じる余地が無いわけだが。
803 :
考える名無しさん:03/08/16 22:03
ずっと前にテレビで、劇作家の平田オリザが言っていたのだが、少なくとも
「人を殺してはいけない」という命題を理論的には裏づけできないという。
しゃべり場という僕が嫌悪の対象にし、侮蔑している番組の中でであり、
「なぜ人を殺してはいけないか?」というテーマで討論していた。
いつもは絶対観ない番組だが、テーマがテーマだけに、
「ふっ、おもしろい、この猿どもと一介の劇作家がどんな回答を出すのか電波を言い出すのか見物するか」
と思い、たまたま観ていたときのことである。
案の定、命題に対するまともな説明が出てこないので、ごうを煮やしたオリザが
「人を殺してはいけないということを理論的に説明することはできない」と決定的な一撃を放った。
あれから一年くらい経ったがそのことがどこかにひっかかっていた。この違和感はなんだろう?
今になるとかなりハッキリしたが、あの一介の劇作家風情に「人を殺してはいけない理由が理論的に説明できない」と言われて
悔しかったのである。僕は人を殺してはいけない、ということが、
小さな頃から「理論的に説明で得るはずである」と無意識に信じてきたし、あの頃ちょうどその命題がブームになっていたので
ずっと理論的説明を試みていたのだ。
それがあんなに侮蔑していた番組の一司会者の発言一発で崩れてしまうなんて・・・、認めたくなかった。
しかしオリザの言葉は自分の心の深いところで僕を納得させていた。納得したくなかった。
が、故に悔しい違和感がしこりのように残っていたのである。
しかし今こそ復讐のときだよ、みんな!さあ2ちゃんねるの力を僕に貸しておくれ。
今こそ「人を殺してはいけない」という倫理上最大の命題を理論的に説明することをやってのけようではないか!諸君!
これは人類の叡智が試みる今世紀最大の倫理上の挑戦であり、逆襲である!理論を構築したものにはノーベル平和賞が
手渡されるだろう。そして僕の復讐も果たされることになる。
―――――――――神よ!復活されたし!
という妄想をぶつけるところは2ちゃんねるくらいしかない、というのが今のところの俺の考察。
あのな、「なぜ人を殺してはいけないのか」という議論において
今まさに人が殺されようとしている場面を想定せず
何の力も持たないであろう駄弁を弄して満足しているとしたら
どうして、日本で「哲学やってます」って言うと馬鹿にされんのかがよくわかるよ。
805 :
考える名無しさん:03/08/16 22:08
>>801 >>778のさ、実験思考による極限の想定は、この命題を論じるには提示されないといけない
資料の一つだとは思うし、オレも小さいころは自力でその論に達して納得してたよ。
だけど、
>>778では、「なぜ人類が全滅してはいけないか?」が説明されてないので
本質的な回答にはならないと思うよ。
加えて言おう、「なぜ人を殺してはいけないのか」という議論においては
正しくとも影響を持ち得ない言説は、間違っていても影響を持ち得る言説に敗北している。
>>806 「正しくとも影響を持ち得ない言説」って、たとえばどんな言説?
>>805 そっか そーだな うーん
いいね答えが出ないと
ずぅーっとこの先楽しいね
>>806 さあ、そんな言説には興味無いから知らんね。
間違っていても影響を持ちうる言説には興味あるね。
そういう言説で容易に人を殺したりするからね。
茶々入れる事ばかり考えていないで、少しは考えたら?
810 :
考える名無しさん:03/08/16 22:29
しかし、しつこいな〜
>>809 茶々入れてるわけじゃなくて、どんな言説が「正しく」てどんな言説が
「間違っている」かがわかってるなら、問題解決じゃないかと思っただけ。
後は真理の「啓蒙」とか「宣伝」の問題でしょ。
俺は個人的には「容易に人を殺す」ような影響を与える言説が「間違っている」
とは、思えないんだがな。単に「好ましくない」だけで。逆も同じ。
というか、はっきり言えば「人を殺してはいけない」というのは
正しいとか間違っているとかいう問題とは違うと思えるが。単に
できるだけ殺人を減らすための、行為の「啓蒙・宣伝」の道具としての
言説ではなかろうか。
>なぜ人類が全滅してはいけないか?
誰も全滅を望んでいないから。
少なくとも私は望んでいない。
>>802 だからこそ反証なり何なりを携えて逆に、こちらの主張を覆してくれるような
たのもしい論客を待つのがちょっと楽しみなんですが、、、
でも、実際に人を殺す奴だって人類の全滅なんて望んでないだろ。
ヒトラーだってそんなこと望んじゃいないぞ。
>なぜ誰も全滅を望んでいないといえるのか?
既に全滅するためのシステムが有るにもかかわらず、
未だに実行されていないから。
苦しいな
>>811 すまんな。自分の意見など何も持たないのに、茶々入れる奴があまりに多いのでつい書いてしまったよ。
勘違いされては困るのは
「間違っていても影響を持ちうる言説」で「容易に人を殺す」のであって
「容易に人を殺す」ような影響を与える言説が「間違っていていても影響を持ちうる言説」とは限らない点だ。
まあ、往々において「容易に人を殺すような影響を与える言説」は間違っているが。
>はっきり言えば「人を殺してはいけない」というのは
>正しいとか間違っているとかいう問題とは違うと思えるが。単に
>できるだけ殺人を減らすための、行為の「啓蒙・宣伝」の道具としての
>言説ではなかろうか。
そうだな、だから俺は殺人を究極の意味において思い止まらせるのは「無理」だと書いた。
>>781 何が言いたいかというと、「このような議論」においては
「知的であることを装い、稚戯のような駄弁を弄する位ならば、少しでも影響を持ち得る議論ができはしないか?」
って事。
817 :
考える名無しさん:03/08/16 22:57
>>815 初めがある以上必ず終わりがくる
西洋思想では常識だよ
>>814 人を殺す奴が全滅を望んでいなくても、
行き着く先は全滅だから中略して
殺してはいけないってことになってる。
どうかな
>>101 少なくとも「自分が殺されてもいいからアイツを殺したい」
という者がルールをつくる側に立つことは出来ないっしょ。
正常な大多数の生物なら「自分が殺されたくない」はずだから。
821 :
416=425=430=433=452=541=543:03/08/16 23:06
822 :
考える名無しさん:03/08/16 23:06
「人を殺す」というほとんど全ての場合において非論理的な行為に
何か論理的な説明が付くと思っている時点で誤りが生じていないか?
まあ、ホロコーストみたいな「論理的に人を殺そうという試み」も無きにしもあらずだが。
>>818 いやつまり、一般的に「人を殺してはいけない、ってルールが作られる
理由」なら、あるいは最低限「自由に人を殺しなさい、ってルールが作られない
理由」なら、それで十分だけど、「個人がどんなときでもそのルールに
従わなければいけない理由」となると、それじゃ説明できないでしょ。
だって現に殺人が発生したって戦争で殺し合いしたって人類は全滅なんか
してないもの。スレタイの意味が前の方なら大した問題じゃないし、後の
方ならなかなか答えは出ないと思えるが。
824 :
考える名無しさん:03/08/16 23:08
>>822 ホロコーストは本当に実在したかの証拠がないですが
825 :
考える名無しさん:03/08/16 23:11
>>824 じゃ、「人を殺す≒非論理的」でいいのね?
別にホロコーストじゃなくたって、事前に利害得失を計算して冷静に
実行に移すなら、みんな論理的な殺人じゃないの。保険金殺人とか、
中国人の殺人請負人とか。
ホロコーストは、むしろ「(主観的)正義のための殺人」の例では。
827 :
考える名無しさん:03/08/16 23:19
解答でたよ!
「人を殺してはいけない」のが、人工的ルールだと思うから、説明できないんだよ。
実は、「人を殺してはいけない」のは生物学的(?)には説明できるよん。
今、1000000体の生命体Anがいます。
まず生命体A0が生命体A1〜A999999を殺し始めます。するとある程度殺したところで
生きている周りの個体が種の保存本能でA0の行動を止めようと働き出します。
ヒトで言えば警察とかね。やがて何千人もAnが死ぬかもしれないけど、ある程度の
死亡数で食い止められてA0の殺しへのストップがかかる。
さて境界問題。A0がスーパーマンみたいにものすごく強くてA1〜A999999までを殺して
しまったらどうなるか?そこで殺しはおしまい。つまり「殺してはいけない」ことに
なります。残った最後の一匹、つまりA0が自殺したら自分で自分を殺せるじゃないかって?
個体数が0匹になってもやっぱり「殺してはいけない」が永遠普遍法則になります。
なんにせよ「殺してはいけない」「殺せない」に収束するようになっている。
殺そうとすることになんらかの強力な障壁がある。玉が転がるのに摩擦が働くように。
ここで、殺してる最中のA0が「殺してはいけない」法則に反していることに違和感が
あるかもしれませんが、例えば、F=MA(力)=(質量)×(加速度)という法則の裏には
「(力)=(質量)×(加速度)×(加速度)であってはいけない」というテクストが
隠されています。しかし、宇宙に外側からも〜〜〜〜〜んのすごい影響を与えれば
一瞬F=MA^2に傾向が近づいてしまうかもしれませんが、おそらく恒常性というかもとに
戻ろうとする作用が働いてF=MAに法則が戻るでしょう。つまり、「〜してはいけない」
は一瞬破られ、元に戻るのです。それが「〜してはいけない」の宇宙の存在時点での
限界なのです。「〜してはいけない」はそういう性質のものなのです。
↑この例は電波すぎたw。だれか物理のもっとマトモな範疇の別の例探してみてw。
828 :
考える名無しさん:03/08/16 23:20
>>826 バカですか?
そんなもんだしてこないでも 死刑自体が論理的殺人じゃねいかよ!
829 :
827から続き:03/08/16 23:21
>>827から続き
極限まで突き詰めると、そういう意味での「ヒトを殺してはいけない」なんです。
つまりこれはモラルの問題ではない。アンモラル[unmoral]なんです。
でもこう言うとまたおっちょこちょいな子どもが「人殺していーんだわーいわーい」グッサグサッ
って人を殺し始めちゃうから、
「そんなつまんないことして臭い飯食ったり自分が死ぬことになるより、もっと面白いことあるぜ」
ってアナウンスメントしとかないといけない。それをアナウンスメントすることにおいて倫理が
あるわけですよ。アナウンスメントすることが倫理であって、「人を殺してはいけない」
という命題が倫理ではない。
人を殺すことは可能だが、やがて殺せないように収束する
そのことをテクストとして「人を殺してはいけない」というふうに表わしている。
この解釈においては圧倒的な解だ。
□はしがき
だけど、究極的にはすべての実体に理由は存在しない。
観測し意味解釈するものが事物の階層構造のどこかで納得するかしないかだけである。
↑のかどうか疑問だが、もしそうじゃなければ我々は救われる。そのときに全てがわかる。
「A・を・殺・し・て・は・い・け・な・い」の理由も。
830 :
考える名無しさん:03/08/16 23:22
831 :
考える名無しさん:03/08/16 23:24
−なぜ人を殺してはいけないのか?
−理由はともかく、多くの人が「人を殺してはならない」という
ルールを守っていることは、あなたにとっても利益になるだろ
う。殺される心配をしたり、自己防衛のためにつねに警戒をし
たりする必要がなくなるのだから。
−たしかに、私以外の人が「人を殺してはならない」というルー
ルを守っていることは、私にとって利益になる。しかし、その
ことは、私がこのルールを守るべきだということの理由になる
か?
なんか自分で後から読み直してみると
P・K・ディック短編作品『Aを殺ろすな!』って感じだなw
おれディックの再来になれるかも・・・?w
>>823 殺人発生時および戦時中の当事者は、
「殺してもいい派」であると思われ、
その他の「殺してはいけない派」が
生き残ったので全滅しなかった。
全人類が「殺してもいい派」にならないのは、
人を殺してはいけないから。
まだまだぁ
>>833 人を殺してはいけないというテクストに従って殺してもいい派なわけじゃないだろ。
今まさに殺人しる!って奴に
「殺すな!何故なら・・・」って長々と
逝ってる間に実行してしまうので
究極に短くしたのではないかな。
違うだろ。要するに、一般論として「人を殺してはいけない」という
ルールを作ることには誰でも賛成するわけさ。ヒトラーだって同じ。
だって、自分が殺されるのはいやだからね。
でも、いつでもどんな場合でも必ずそのルールに従うか、となると、
「従わない方が利益になる場合は従わないよ」という奴が多いわけさ。
それを「殺してもいい派」と呼ぶなら、ほとんどの人間は「殺してもいい派」
ってことになるんじゃないの。
>>837 人を殺したら、死んでから地獄に落ちるぞ!
>>838 >いつでもどんな場合でも必ずそのルールに従うか
ってよく出てくるけど何の事でそ?
解説よろ 哀れな夏厨より
>なぜ人を殺してはいけないのか
Re:人類全滅に結びつくから
>なぜ人類が全滅してはいけないか
Re:誰も全滅を望まないから
うーむ
>>827 >>829 スバラシイ!
いやー、ありがとう。(〃^∇^)o_彡☆あははははっ。
そりゃ、イイ!サイコー。(^v^)
>>831 なかなか大胆不敵な発言ですね。
哲学は、きっと、そういう考えを墓に持って行くための
ものですよね(^。^)
哲学者ニーチェは、
「自分の信念に従う結果、殺したいと思うなら、そうすべきだ」
と言った。えらい!パチッ☆-(^ー'*)b
哲学者永井均氏は言う。
「哲学は個人的視点であり、啓蒙すべき思想ではない」
と、そのとおりヽ(゚▽、゚)ノ ウヘヘヘ
ソクラテス先生は、理不尽な法律に従うことを決意し、自分から毒を飲んだ。
きっと「自分だけはを真実を知っているんだ」
と思って、死んだんだ。きっと人間への深ーい深ーい軽蔑があったことだろう。
エライ(ノ^∇^)ノ
数学者ガウスは、あまり、論文など発表しなかった。
死後、彼しか知らなかった、数学の定理が次々と明らかになった。
ガウスさん、地球上で、ただひとり、数学の真実を独り占めしていたんだね。
♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
そして僕は今思う。
道徳なんかにとらわれず、自由に思考できるのはたのしーなー(・o・)と。
>780
いやいや、自分には自分の真理があるとの「結論」が導けたということで
1さんの収穫になっただろうし、1さんの思惑を超えて皆さん議論できる
場を得たわけで、All OKでは。
>842
でも私は誰かの信念に基づいて殺されるのは嫌です
人間が種の保存の方法として、個ではなく群れを選んだ以上、
その群れの保存のための内在的な制約だと思う。
近親婚が何故禁忌なのかという問いに対し、レヴィ=ストロスは、近親で婚姻が進むと、
その社会の中に更に小さな集団が生まれ、当該社会の他の成員と隔絶してしまい、
社会の維持に問題を生じさせると説明した。ここでは社会の維持が個の自由より
優先されている。
同様に、殺人を許容すれば、その群れは絶滅してしまう。故に殺人を一般的に禁じた。
しかし、群れの存続に問題が生じる場合、例外的に殺人を許容する。例えば、
エスキモーの嬰児殺しなど。
>なぜ人を殺してはいけないのか
Re:人類全滅に結びつくから
>なぜ人類が全滅してはいけないか
Re:誰も全滅を望まないから
Re:846が誰かの信念に基づいて殺されるのは嫌だから
Re:778が通りすがりのどきゅそに無意識で殺されるのも嫌だから
誰も望まず、誰もが嫌がることを、なぜしてはいけないのか。
>なぜ人を殺してはいけないのか
Re:人類全滅に結びつくから
>なぜ人類が全滅してはいけないか
Re:誰も全滅を望まないから
Re:846が誰かの信念に基づいて殺されるのは嫌だから
Re:778が通りすがりのどきゅそに無意識で殺されるのも嫌だから
>誰も望まず、誰もが嫌がることを、なぜしてはいけないのか
Re:778の限界キターかも
852 :
考える名無しさん:03/08/17 01:05
>>826 保険金殺人、中国人の殺人請負人ってのは、金欲が動機であってそれは論理的ではないですよ。
金のために冷徹なのであって、「論理的」という訳ではないのでは?
>>828 死刑ってのは制度としては論理的かもしれないけど、ほとんどの場合擁護している側は論理的であるとは言い難いのでは?
「望ましくない人間は殺す」って点では、ホロコーストと死刑は似てるかもしれませんね。
853 :
考える名無しさん:03/08/17 01:11
▼昔、狼に育てられた少年の映画を見たことはありませんか?
実際あった話でビデオにも、うなり声を挙げているのを見たことがあります。
他にも人食い人種の映画もみました。
実際の映像なので隠れた所から盗撮したものです。
人食い部族は、男が死んだ時、あるいはリンチされた時、
妻とその姉妹は男の性器を食べるのです。
最初は嫌々が見え見えですが、精神的自覚を無理に消滅させ保身の為、
部族の掟に従わざるを得ないのでした
無差別殺人が時折、発生しておりますが、昭和13年に
津山30人殺し事件がありました。詳細は以下のURL;
://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm
854 :
考える名無しさん:03/08/17 01:12
肉体的精神=心(マインド)は、循環器系の神経作用であると考えます。
それにより血液の流れる速度(心拍数)や血圧と相関します。
知性や理性というのは、脳みその中で道徳律や数学などで
神経細胞同士が光信号を送受してアクティブになっている状態を指すと
考えます。ドイツの哲学者ヘーゲルは、理論的精神=論理的精神と
なずけたようです。これに対して霊魂(スピリッツ)は、
次元の異なる非物質であっておそらくは、
プラトンのなずけたイデアの世界から、物質の素粒子クオーツに働きかけ、
創造作用を行っていると推測されます。オーストラリアで翼をもつウサギが、
週刊誌で掲載されたことが、ありました。願望の思いが、電磁気作用により、
遺伝子を変換させたものと思われます。魚に電気を流すことで、
細胞が勘違いをおこし、背骨を形成したり、草しかない島では、
草の一部が樹木になったり、無機物の鉱石から有機物に近いウィルスが
誕生するそうです。なを、マイナスの電気粒子に電子は、
忍者のごとく1個が分身して8個になったり、現れては消えたり
変幻自在ということでした。電気的に中立状態を保つ物質世界は、
電気的には半分が変幻自在の電子エネルギーによる構成なので、
強力な磁界が生ずると、この世界に歪が生じて、固体・液体・気体という
状態ではなく、プラズマとう4番目の形態もしくは亜空間
が発生するようです。しかし、霊魂というのは、10人十色という
言葉にあるように、一様ではないようです。愛着・怨念・悔恨などの対象が
肉体世界にあるなら、思念という魂魄(主意識)が地球の磁場から
逃れられずに、宇宙空間まで上昇できません。▲
855 :
考える名無しさん:03/08/17 01:16
「ダメなものはダメよ!」
って優しいお母さんに言われたら誰もやれないと思う。
856 :
考える名無しさん:03/08/17 01:24
てかさ、温和で経済的にも比較的裕福な状態にある日本人が発する特殊な問いのような気がするのだが。
日本でも戦後の混乱期には殺人が多かった訳だし、平和だからこそ逆説的に問われているんじゃないの?
「ちょっとしたきっかけで人は殺人を犯すものだから、いかにして殺人を減らすべきか」
って方がグローバルスタンダードじゃない?
みなさん、レスをありがとう。なんか、スレなんか立てなきゃ良かったかな?
と思ったけど、まあ、レポートも無事出せたし…(・ε・)
このスレでの発言なども、勝手に拝借させてもらいました。
(まあ、ここは著作権はないはずだから、大丈夫だな。)
↓(・o・)この意見、とってもいいですね。(゚〜゚)ふーん
>>781 >結局、おそらく一生人を殺すことの無いであろう小市民達が
>「だから、私達は人を殺さないんだよね!」っての確認し合っているだけの事。
>>786 >ただ、答えが正しいかどうかと、
>少年が殺人を思いとどまるかどうかの間には、
>直接的な関係が無いというだけのことだ。
>>790 >正しいかどうかのほうが重要であると私は思うが、
>>794 >哲学においては、「ぬるい」いかどうかよりも、
>正しいかどうかのほうが重要であると私は思うが、
>あなたは逆の考えなのかね?
あと、776さん、レスをありがとう。全部読ませてもらいました。
まあ、哲学は、生理的欲求には勝てないんですよ。
そこのところ、ひとつご勘弁を(^。^;)
数学や哲学は、思考遊びの空間みたいなものですから。
「思想」は、他人に影響を与えないと意味はないですが、
「哲学」は、もっと自由に思考で遊ぶ、ものでしょうね。
だから、直接人類のために貢献するものではないものらしいです。
哲学は無用の用です。枯れ木も山のにぎわいです。はい(^-^;
>>844 まあ、僕のほうでは、考えはまとまったし、
一応結論は出たので、まあ、あとは皆さんの意見を
聞く側にまわっておこう。、…(〃^∇^)o_彡☆あははははっ!
それにしてもオモシロイね。2chは。
ワラタ↓
>>802 >>803
859 :
考える名無しさん:03/08/17 01:29
>>857 レポートがどんな評価だったか教えてね。
860 :
考える名無しさん:03/08/17 01:30
「人を殺してはならない」が現代の日本人が考えるもっとも基本的
な道徳規範なので、「なぜ人を殺してはいけないのか?」というか
たちで問いかけがなされるのでしょう。問われているのは結局、
「なぜ道徳的でなければならないのか?」ということであり、これ
は日本人だけの問いではありません。
このループはどこまで続くのだろう
>>859 (*^o^)うん、なんか、褒めてもらえたよ。
863 :
考える名無しさん:03/08/17 01:51
>>862 これだけ人が知恵だせば、よほど変な編集しない限り、結構いいものが出来あがるだろうからな。
864 :
考える名無しさん:03/08/17 02:34
自分は生きたいが他人は殺す。
他人は生きたいが自分を殺す。
殺しても良いというのが成立する。
>>1のレポート出す前と後の発言に、情の薄さを感じる。
みんなはよくもまあ腹立てないでいられるな。
>ソクラテス先生は、理不尽な法律に従うことを決意し、自分から毒を飲んだ。
>きっと「自分だけはを真実を知っているんだ」
>と思って、死んだんだ。きっと人間への深ーい深ーい軽蔑があったことだろう。
>エライ(ノ^∇^)ノ
・・・・・
一応、有名な解釈を言ってみる
ソクラテスは「無知の知」を言った通り「自分は真実を知っていない」と言っていた
だからソクラテスは「自分が死刑になるのが正しいかどうかは分からないし、分からないのに死刑にすることは悪いことだ」と『弁明』で言っている
でも、ソクラテスは自らが悪法で裁かれてると知りながらも、毒杯を飲んで死ぬことにした
悪い法でも法は法、「法は守らなければならない」
だから、ソクラテスはせめて自分だけは法を守ることを選択することは間違っていることではないと考えた
>>866 それは、プロローグとして、決めていました。
そのように、勝ち誇らなくてもわかります。
>小さな親切 大きなお世話
俺なりに答えを出すことにしよう
「人を殺してはいけない」という言葉は「個人の行為選択における理由付け」として言うこともできるが
「あるルールの中に自分がいる」ということを示す時にも発言することができる
「人を殺してはいけない」→「人を殺してはいけないというルールに私(とあなた)はいる」
では、ルールとは何を意味するのか、これがこの問題の重要な部分であるように思う
「いけない」という言葉は何を意味するのか
そこで次のような例を出してみよう
「約束を破ってはいけない」
「なぜ約束を破ってはいけないのか」という問いにはどのように答えることができるだろうか
そして私は問題をさらに先鋭化するために次のような問いを立てたいと思う
「してはならないことをしてはいけない」
「なぜ、してはならないことをしてはいけないのか」という問いにはどう答えることができるだろうか
この、一見トートロジーに見える問いにすら異なる答え方が可能であるということに
この種の問いへのアプローチの難しさがあるのだと私は考える
870 :
考える名無しさん:03/08/17 13:46
>>865 2ちゃんねらなんて、碌な奴がいないのがわかっている上で書き込んでいるのさ。
1のために書き込んでいる訳じゃないから、別に腹立たないよ。
>>852 行為の動機というのは、突き詰めればすべて何らかの「欲求」だろ。
それを比論理的というなら、論理的な行為なんて有り得ないぜ。
普通は欲求に対して合目的的(手段合理的)な行為を「論理的」、そうでない
行為を「非論理的」と呼ぶんじゃないの。そういう意味では、人助けも人殺しも
論理的でも非論理的でも有り得るだろ。
872 :
考える名無しさん:03/08/17 15:33
ルール、モラルは最低限の教育によって得られる、一般人標準装備のオプション。
みんなが持っているものだから「体の一部」と思ってしまうが、そういうわけでもない。
気づけば取り外すこともできるだろう。
ただし、この標準装備、無茶苦茶強力な武器で防具だから、取り外すとたちまち(社会的に)
弱体化し、たいていの場合まともに生きていけなくなる。
このオプションを外すには、狂信的宗教観、必殺兵器、絶対忠誠、破綻的狂気など、かわりに
なる強力な武器が必要になるわけだ。
873 :
考える名無しさん:03/08/17 16:14
結局、個人的見解や一集団の見解では解答として
成り立たないんではないんですか。
めぐりめぐって他人の生存と同列に語られうる自己の生存は
人間という存在に共通するもの(たとえば普遍的倫理)を
求めるのではないでしょうか。
875 :
考える名無しさん:03/08/17 17:15
>>860 日本の現状を背景に考えるに、問われているのは
「なぜ道徳的でなければならないのか。」
ということよりももっと先鋭的に「自分たちの未来に大きな
希望が見当たらないのになぜ善く生きなければならないのか。」
ということであり、もっと突っ込むと他者の生死を通して
「なぜ生きるのか。」という自己の生死の問題に
集約されるのだと思う。
876 :
考える名無しさん:03/08/17 18:13
どこが「もっと先鋭的」なんだ?
@「なぜ人を殺してはいけないのか」
A「『人を殺してはいけない』という倫理観(ルール)に疑問を
持つ人に対してその倫理観(ルール)が正しいという立場に
立った場合、その正しさをどのように証明したらよいか」
B「そもそも『人を殺してはいけない』という倫理観(ルール)は真か偽か」
本当はどれについて議論するはずだったのでしょうか?
878 :
考える名無しさん:03/08/17 19:55
おそらくこういうことだろう
存在論的に捉えるならば
善も悪もないに等しいので
「人を殺してはいけない」
という考え方は成立しないも同然である
道徳論的に考えるなら
社会にとって功利になるものが善であり
社会にとって害になるものが悪であるから
「人を殺してはいけない」
という命題は特殊なケースを除き真である
しかしそれは
悪というカテゴリーに含まれると
いうだけの話に過ぎない
「悪だからって何なの?」
と問われれば
「いやそれだけの話なんだけどね」
と答えるしかない
つまり殺人は
特殊なケースを除き悪であるが
悪というカテゴリーに入るからといって
殺人がなくなるわけではない
つまりこの種の議論はあまり意味がない
もちろん
哲学的思考能力を高めるためとか
社会について考える機会を
持つという意味では
有意味ではあるけど
おい!(`曲´)コラッ!
なんばしよっとか!こりゃ!ε=(=`・´=) プンスカプン!
>>867 >>869 オレのなりすましなんかしよってしよってからに!(`-´メ)
兄さん、僕の発言ではないですからね。/(-_-)ヽ
>>866 ええ、(^。^;)確かに、人間に対してソクラテス先生が、
深ーい軽蔑をしていたかどうか、は、僕の勝手な解釈でした。
>>868 兄さんの発言は、ずっと読んできましたが、
僕は、「個人の行為選択における理由付け」しか考えていませんでした。
うん、いい意見をいただきました。ありがとう。
>この、一見トートロジーに見える問いにすら異なる答え方が可能である
ということは、やはり、たずねてくる側が、どんな答えを望んでいるか、
によっても答えは変えなくてはいけない、ということですね。
「何を聞いているのか様々」「答えるほうも様々」ですからね。
>ルールとは何を意味するのか
…これは、生理的嫌悪にまで訓練された「みんなで共有すべき意識」から、
ゲームのルールのような「単なる手順」までさまざまですね。
「この問い自体の問題点」にたいしての考察は、
僕自身、ちょっと甘かったかな?と思いました。
>>873 >結局、個人的見解や一集団の見解では解答として
>成り立たないんではないんですか。
ええ、そうなんです。僕も、そこが問題だと思って、
このスレを立てたわけです。
結局、ルールで与えられることも、
自分で納得できるまで考えなければならないと思うんです。
>>877 ぶっちゃけ、@以外なら、どれでも良かったんですが、
どうやら、僕は結果としてAの立場をとって、
「だから殺してはいけない」という結論になったようです。はい(^。^;)
>882
なるほどです。
そして877もとい、というか補足というか
@「なぜ『人を殺してはいけない』という論が成り立つのか」:根拠を問う
A「省略」:実践の方法を問う
B「省略」:真偽を問う
@の答えとしては「人間社会の秩序を保つため(に成立した)」としか
言い様が無いと思うのですが、そのような回答については1さんがあまり
反応を示されなかったのでヘンだなあと。
Aについては確か「もとはどうしたら殺人を減らせるかが問題」という
ようなことを言っておられたし、Bについては例のニーチェの言葉が出る
あたりひょっとして、と思って。
・・・レポート提出後に何なんですが(笑)
878さんのお話については、Aを議論するのは意味が無いととれました。
きっとたくさんの人が、議論も800超えると全部読むの大変で
どうしても斜め読みになってしまって、スレタイの意味を@で
解釈しちゃったと思いますデス・・・そして私がそう。申し訳ナシ。
885 :
考える名無しさん:03/08/17 20:51
>>871 さて、ここで問題です。
世界を論理的に整理しようという試みは非論理的なのでしょうか?
886 :
考える名無しさん:03/08/17 21:47
語りえぬことに対しては沈黙しなければならない
こういう問題の定義付けが要求されるとは恐ろしい世の中に
なったもんだね。秩序というものも意味であって、どのようにも
定義ができるような問題に対しての言及は、意味付与された定義
が他人にどのような影響を与えるか与えないかという意義
くらいしか意味がないと思うが。それにこの問題は非常に個人的
なもののひとつひとつに言及していかないといけないもので
しかし、幸いなことに我々には法というものの止揚があるから
やはり誰が何といおうと悪だと決まってるもんだよこれは
888 :
考える名無しさん:03/08/17 22:40
>>1 このスレのせいで殺人する奴でてくるよ
君のせいだからね!
889 :
考える名無しさん:03/08/17 22:43
>>887 曖昧な問いを、安易に悪と断ずる杜撰な神経は哲学には向かない。
いや思索するには向かないとでも言おうか。
>889
悪であると決まっているということが事実であって
悪と断じているのは俺ではなく社会だといっただけだ
だからといって悪で無いともいってない
「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いも有り得るわな。
892 :
考える名無しさん:03/08/17 23:11
>>all
結局おまいら、1のレポートの手伝いをしただけなわけだが。
>1
非常に美しい解答だがパラドックスになってると思うし
最後の結論が大雑把すぎる。それに、そんな善意識では
現実的とはいえない。人間の精神を簡単に扱いすぎている。
>886
ウィトゲンシュタインいいですよね〜
>887
こういう問題の定義付けの要求の歴史はかなり古いと思いますが。
>>895 うん、まあ気に入らない人は多いだろうなー。
パラドックスになることは分かっていたんですが、
まあ、言葉を弄して、ごまかしを入れて、
なんでもいいから、とりあえず殺さなきゃいいや。
と思うわけです。(僕は哲学には向かないかな)このスレの中で、
「人間は本質的に善である」と言った方もいましたが、
僕はその意見には賛成です。
いざとなったら殺すこともできる点も含めて、
人間は、本質的に善である…と思うわけなんです。
まあ、人間の精神を簡単に扱いすぎていました。(^。^;)
しかし、もう、なんだかかなりの部分、自分の中で解決ができたし。
レポートもできたし(・ε・)/ ま、いいや。 どうでも。(^ρ^)うけ毛。
899 :
考える名無しさん:03/08/17 23:53
<仮説>
そもそもこの世界には善も悪もなく
人間は善とか悪とかそういうものではない
ただ感情と理性を持ち
人を殺す可能性を持った生物というだけである
どっかまずいのかな?これ
900 :
考える名無しさん:03/08/17 23:57
いえ とんでもないです。
冗談ぬきで。
901 :
考える名無しさん:03/08/18 00:01
なんつーかさ
身も蓋もない世の中になったね
902 :
考える名無しさん:03/08/18 00:02
>>899 そういう独断的信念をもつことは、あなたの自由です。
903 :
考える名無しさん:03/08/18 00:04
いや、自由とかじゃなくて
まずい点があるならそれに気づきたいんだけど
自分勝手な信念は持ちたくない
真実が知りたい
>898
哲学的には結論はでないでしょうね。結論がでても不完全なもだと思います。
それよりもそんなことを考えなくていいほど箱入りなことは幸福ですよね
>899
そうなってくると問いは哲学を離れてこういうことになります
人間にとって社会秩序は如何にして可能か?
905 :
考える名無しさん:03/08/18 00:08
おまいらホント頭わるいなあ
人類の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではない
戦争を繰り返すことで人類は進歩してきたのだ
パソコンの進歩も弾道計算のたまものだ
ゆえに 進歩の為の殺人は必ず存在する
殺人を否定することは進歩を否定することなのだ!
906 :
考える名無しさん:03/08/18 00:08
>>902 独断的信念では、ないでしょ
真理だよ。
善悪はもともと 宗教観念でしょ。
身も蓋もない思考ってのは、哲学に不可欠なんだよ。
どんなに悲惨なことになろうと、真実を知ろうとするのが哲学なんだから。
真実に忠実になろうしたら、どうしても思考は身も蓋もなくなる。
>898 ま、いいや。 どうでも。
いやいや、もうちょっとつきあってくださいよ。
何かこう、うまくまとまらない何かがあって、
明日に持越しするので(笑) ではまた〜。
909 :
考える名無しさん:03/08/18 00:11
>>903 そうであるなら、善や悪(や自然法や人権や……)は実在するという
意見をまじめに検討して見るべきです。他にどんな意見があるかを知
らずに一つの意見を信じるのでは、独断にしかなりません。
910 :
考える名無しさん:03/08/18 00:14
哲学をするにあたって最も重要な能力=身も蓋も無い思考センス
ということでよろしいですか?
911 :
考える名無しさん:03/08/18 00:15
>>906 「これが真理だ。だから反対の意見など知る必要がない」
↑これが独断の典型。
912 :
考える名無しさん:03/08/18 00:20
善悪二元論で生きる人生ほど、つまらない人生はない。
913 :
考える名無しさん:03/08/18 00:21
どうぞ 反対意見
お願いします。
受け入れますよ。凄ければ。
人を生物という自然現象としてみたら、善も悪もない。
善悪には価値観が必要だが、自然界には価値観(なにが大切か)は存在しないから。
なにが幸せでなにが不幸せかという価値観で考えれば、
人が幸せになる善行と、人が不幸になる悪行というものは区別できる。
価値観は本能なので、自然科学の立場から見ればどの価値観(本能)が正しい
ということはないが一般的な価値観(多数派)と特殊な価値観(少数派)とか
人類の存続に有用な価値観と人類を破滅に追い込む価値観というものはある。
人類が滅びてなんで悪いわけ?のようなのは破滅型価値観。
これを哲学ではどう解釈するのかはよくわからないが。
もうスレの埋め立てしようぜ。
916 :
考える名無しさん:03/08/18 00:32
人間はなぜ
善悪二元論的な考え方をするのか
精神分析の視点から考察を加えれば
何か見えてくるかもしれない
917 :
考える名無しさん:03/08/18 00:35
>>914 論理実証主義という哲学の立場の影響下で、非認知説という倫理学の
立場(「…は善い/悪い」というような判断は真でも偽でもなく、話
し手の主観的な意志の表明に過ぎない、という考え方)が現れ、一時
期、哲学の世界で流行しました。あなたも、知らないうちにそうした
考え方の影響を受けているだけではないでしょうか。
918 :
考える名無しさん:03/08/18 00:35
>>917 価値観によらない客観的な善悪というものがあるのではないか、ということですね。
「何故ひとを殺してはいけないのか?」
単純に:公共の利益に著しく反するからでしょ。
ついでに
悪質な殺人犯を処刑することは公益に反しないのでOK
「死刑は国家による殺人」とかいって死刑に反対してる人たちは
論理的に弱い。
921 :
考える名無しさん:03/08/18 00:52
>>914善悪には価値観が必要だが、自然界には価値観(なにが大切か)は存在しないから。
無を無として認める事なんて事は本来ありえないんです
自然界に価値感が存在しないと言うのも人間の新たな価値観の一つと言ってもいいでしょう
そう事ですよ
(他力本願)
言う
924 :
考える名無しさん:03/08/18 00:57
>>914 >>人を生物という自然現象としてみたら、善も悪もない。
逆だよ、ヒトを生物という自然現象としてみて初めて、善と悪の物理的意味がわかってくるんだよ。
925 :
考える名無しさん:03/08/18 01:06
>>920 公共の利益に反するからいけないと言う理由では答えになってませんよ
公共に利益に反する事はいけない事なんですか?死刑に反対してる人も
公共の利益を第一に考えてないからあなたから見て論理的に弱く見える
んです
926 :
考える名無しさん:03/08/18 01:21
単純に
「相手がかわいそうだから」
心情の能力が必要
公共の利益に反する事は「絶対悪」とは定義出来ないだろうけど
とりあえず迷惑だから、どっか無人島でも無法国家でもなんでも
別の所行ってやってくれ、ってとこですね。
絶対的にいけなくはないけど、社会とはincompatible 。
ひとの存在に特に意味は無いし、意味が無いものを殺すのは
良いことでも悪い事でもないだろうけどさ、。
いわば殺人は契約違反ってことですね、契約自体がどーの
こーの云うのだったら、その契約の外で生きなさいということです。
契約違反の罰則の上限がが「死刑」「終身刑」「終身刑も非人道的」
になるかは恣意にゆだねられて良いと思うが、私は「死刑」に一票。
928 :
考える名無しさん:03/08/18 02:06
おまえら何度も言っているでしょうに、「曖昧な問いの答えは曖昧にならざるを得ないって」
「人を殺す」って言葉から、勝手に平穏な市民生活での殺人事件のみを想定して議論したり
死刑や戦争持ち出してごちゃごちゃになったり、他には決闘だとか安楽死の話もあるのだよ。
究極には自殺も殺人だ。
曖昧な問いに曖昧に答えるのが哲学だと思ってんなら、馬鹿にされるのも当然だ。
今後同じようなスレは何度も立つだろうから、まず問いを洗い直してもらうことだね。
>928
この命題って、むしろ曖昧にしときたいひとが大勢いるのちがう?
「ひとを殺してはいけない」を敷衍して
「戦争絶対反対」「死刑廃止」に持って行きたいひともいるだろうし。
一方で「真・善・美」とか「社会契約説」とかぐちゃぐちゃに。
>>929 よく考えたら、この問いって子供を説得する事を念頭に置いていたのかもしれんな。
子供説得するんなら、理解できないだろうから難しい話する必要無いし
難しい話するんなら、問いを整理した方がいいな。
もう、わかりましたヨ。こうひとこと言えばいいんです。
「好きだよ」
ね?(キレイゴトと<大人>は言う
>930
逆にガキの方から「何故、人を殺してはいけないの?」なんてとぼけた問い
をされたら、しばき倒すのが正しい答かもしれません(藁
>>932 俺は、大人の方が余裕を持って「どうしてそう思った?」「俺が君を殺してもいいのかな?」
などと逆に質問したら、どんどん(´・ω・`) ショボーンになっていくと思う。
大体こういう質問をしてくる子供は、からかうのが目的だと考えて間違い無い。
ガム住人 やっちゃったね し〜らね
君 罰あたるよ。
935 :
考える名無しさん:03/08/18 06:33
>>920の問いの部分って
「何故人を殺すことは法律で禁止されているのか」
の方が良くない?
法律では公共の利益に反するから禁止されてるだけで
あとは「人は何故人を殺すことはいけないという心理になるのか」
っていう心理学的な問題じゃない?
936 :
考える名無しさん:03/08/18 06:47
それはそっすね。
938 :
考える名無しさん:03/08/18 14:01
時間が殺されていく。
939 :
考える名無しさん:03/08/18 14:05
仮に人を殺してよいことにする。
ならば、全ての人間は殺されてもよいことになる。
それでいいのか?
そんな人間がいるなら教えて欲しい。
話にならない。
940 :
考える名無しさん:03/08/18 14:11
自分の殺人衝動を正当化したいだけの1
942 :
考える名無しさん:03/08/18 14:26
味方を殺してはいけない、しかし敵を殺すのは善いことだ
943 :
考える名無しさん:03/08/18 14:26
人を殺したい奴は殺せばいい。
そのかわりお前の人生が終わるだけだ。
944 :
考える名無しさん:03/08/18 14:27
一人殺したら犯罪者。
百万人殺したら英雄。
全人類を殺したら神。
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>>946 いやー、こんなにカッコ良く
僕を描いてくれるなんて(=゚∇゚)/
( v^-゚)Thanks♪
>>917 その、倫理学に関する「非認知説」というのは、誤りだという結論になった
わけなのでしょうか。私は個人的にはそういう風にしか考えられないもので。
純粋な疑問です。ご教示お願いします。
949 :
考える名無しさん:03/08/18 16:50
「人を殺してはいけない」
という命題は絶対的なものではない
「人を殺してはいけない」
という心理に陥る者が多いというだけである
950 :
考える名無しさん:03/08/18 16:54
人は殺してもいいんですが
殺してもいいという真実に
みんなが気づいたら困るんですよ
だからみんなには
人は殺してはいけないものだと
勘違いしていてもらう必要があるんです
951 :
考える名無しさん:03/08/18 17:18
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>>950そうですね
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952 :
考える名無しさん:03/08/18 17:28
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>>1;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、
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゙! ゙、 `ー─''゙:::;:'::::|::::::::::\ そうですね
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゙! ゙、 `ー─''゙:::;:'::::|::::::::::\ そうですね
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954 :
反証可能性。:03/08/18 19:00
「なぜ人を殺してはいけないか」という根拠を探る場合、ポパー流の
アプローチをしてみよう。まず「人を殺してはいけない」という命題
を証明する。そのためには「人を殺してもかまわない」という命題が、
「真」ではないことを示すことができれば、「人を殺してはいけない」
という命題が反証されたことになる。このとき「かまわない=善」
「いけない=悪」という前提がまず必要だ。しかし厳密な議論におい
ては、「常に悪」なのか「場合によっては善」なのか判然としない。
まあ常識的にいって、「殺人=常に悪」と「殺人=場合によっては善」
との「対決」になるだろう(絶対善と考える人はいないと思う)。
●人を殺すことは善(場合によっては善)だ……これを否定できる根拠を
示せばよいわけだが、これは容易ではない。それができなければ「疑似
命題」となるわけだが、この議論については、ドストエフスキーの『罪と
罰』を読もう。「選ばれた人間は人を殺してもよい」という命題を実践し
た主人公ラスコーリニコフの「内面の地獄」がつぶさに明らかにされる。
>>928 そうなんですよ〜。
それでまとまらなくて、今日一日「問題」の特定を考えてたんです〜(笑)
問題:
あらゆる殺人行為を防ぐという目的(→啓蒙?)のために「殺人はいけない」が真であることを証明しよう
だった? もしこの問い方でいいとするなら、そしてこれについて解答しろと
いうならば、それは凡人には為し難いですよね、なるほど、どなたかおっしゃって
たようですが確かに、あらゆる殺人をしようという「欲求」
(どうしてそういう欲求が出たかという理由はいろいろ考えられる)
を解消というか凌駕するほどの「殺人はいけない」の論拠を示せたらノーベル賞ですね。
で、問題設定は合ってますか?>1さん
>>928 究極には自殺も殺人だ。
僕も自殺は殺人だと思います。
でも根拠は僕の中では明確ではないんですよね。
しかし確信に近いとも思えるし。
そこで質問なのですがよろしいですか。
1:自殺が殺人である根拠は何ですか?
2:1の命題が是であるならば、自殺が究極的な殺人であるとする根拠は何ですか?
誰か答えられる人はいませんか?
自殺は殺人じゃないよ。
さつじんという場合のじんは他人を指しているはずだ。
例えば、自分で自分を傷つけたら傷害か?自分で自分の物を盗ったら窃盗か?
よ〜く考えてね。
>>957 自分で自分を傷つける傷害が成立する(もちろん傷害罪は適応されない)
自分で自分のものを盗る(捨てる)窃盗が成立する(もちろん窃盗罪は適応されない)
ゴンさんの意見の反証として多重人格者の自傷行為がふさわしいと思いました。
こういえばよかったでしょうか?
自分で自分を殺すというのは、他殺(憎悪のある殺人に限定して)と原理的、相似的に一致するのか?
ということです。
959 :
考える名無しさん:03/08/19 04:12
>>957 頭・が・悪・い・Y・O・!
それは、刑法上の意味だろ。
そんな事でカタがつくなら、とっくに「刑法に触れるからいけない」・・・終わり
になってる。
君は自傷行為をしている者に「自分の体なんだから好きなだけ傷つけても構わないよ」って言う人間なのかな?
また、「自分の物」ってのは、基本的に金銭との交換により手に入れた物
どこまで突き詰めて考えても「自分の物だと言える物」なんてあるかな?
960 :
考える名無しさん:03/08/19 04:19
>>956 つまりだな、「命の貴重さ」を中心に据えて議論しようとした場合
それが、他人の命であろうと、自分の命であろうと区別のつけようが無いのだ。
「貴重な命を意思によって消滅させる」という意味においては同じなのだよ。
究極の意味においてというのは、「殺人において自殺を含める者がほぼ皆無である」ことによる。
>>960 まったくその通りですね。
確かに究極性の定義に僕の中にあいまいなものがあったような気がします。
では逆の発想で
「命が無価値」である、いつかの時代、文明(クローン技術が万能になったとある日)で
自分の命ともう一つ別個にある自分の命の違いを見出すための究極的な何かとは何ですか?
意志によって命を誕生させるとき人(科学者)はその原罪を背負って生きていくことは可能ですか?
961の具体例を
もしある人が、自分のコピークローン(誕生するまでは姿形、意志、記憶さえもまったく同じ状態)
の人間を殺しました。
その人は言いました。「これは自殺である、だから殺人じゃない」
あなたはその人を殺したいと思いますか?
また実際に殺しに行くと思いますか?
哲学はなくなる運命ですか?
倫理はなくなる運命ですか?
犯罪はなくなる運命ですか?
罪の意識は未来、消滅していくものですか?
大いにこじつけてみました。
気に障ったらすんません。暇なもので。
>>959 なにを根拠にわけのわからない事をいっているのか知らないが、刑法上だけ
じゃないよ。自分をも客観視し、自殺をも殺人とよぶのは勝手だが哲学的な
考えからは大きくはずれていってるな。
「自分の物」は金銭との交換で手にいれたものだって、、、何を言ってるんだ。
>>958 障害や窃盗という言葉自体が他人に照準を定めているのですよ。殺人も同じだ。辞書を引いてごらん。どうしても持論を通したいのなら自分で新しい言葉を創ることだね。
966 :
考える名無しさん:03/08/19 14:07
ゴン君は哲学的な思索には向いていないようだね。
世の中のほとんどの人間が哲学的な思索をするようになってしまったら
社会の流れは停滞してしまう。
そのため、適当なところで区切って結論を出し、それに基づいて行動するのだよ。
君はその、適当なところで区切り物事をスムーズに進行させたい人間だ。
もちろんこれは悪い事ではない、世の中のためにはむしろ良い事だから気にする事は無い。
↑doui
>>966 同意、
自殺は殺人ではないという論を展開するのはかまわないが、
その根拠が辞書を引いてみろでは・・・
彼は哲学的考えという言い方をしているが、
どんなものを「哲学的」だと思っているんだろう、
彼の考えはむしろ「言語学的」なものなのではあるまいか。
>>966 あんたこそどういうものを哲学的思索だと思ってるんだ?
自殺を殺人とみなすかどうかなんてごく一般論としてよくでてくる疑問だ。
「自」と「他」をはっきり分け、主観の側から客観をめざすとりわけ近代哲学の流れとは対極にある陳腐な疑問だよ。
どうせ自分の命も他人の命も同じように尊いから、なんて理由なんだろうなあ。
>>968 どうも自殺は殺人ではないか?と考え直すことが「哲学的」と思っているふしが
あるな。辞書に書いてある事が現在流通している言葉の認識の仕方なのであって、それを覆そうとするならもっと万人を納得させる根拠を提示してからにしてもらいたいものだ。
971 :
考える名無しさん:03/08/20 02:04
>>969 何と言っていいか・・・
「自」と「他」をはっきり分けてしまったら、自殺と他殺は別のものになるね。
そこで、君の書き込み
>>957を見てみよう。
何と、近代哲学の流れとは対極にある陳腐な考えがあるではないか・・・
>>971 はぁ?何を言ってるんだ。
もちろん自殺と他殺は別のもので、自殺と殺人も別のものだよ。
どこが近代哲学と対極の陳腐な考えなんだ。
このスレの命題:「なぜ人を殺してはいけないか」
自殺:意思の力で、自分という「人」の命を終わらせること。
他殺:意思の力で、他人である「人」の命を終わらせること。
ただし、「自分」=「ロボット」の場合はこの限りではない。
>>973 完全に他殺という言葉の意味を誤解しているな。他殺というのは殺す事ではなく
殺されること、受動態だ。言葉の意味ぐらいわかった上で使えよ!
976 :
考える名無しさん:03/08/20 13:44
>>975 君には辞書があれば十分なんで、この板にいる必要無いんじゃない?
>>976 基本的な言葉の意味さえわかっていないものが、何を言ってるやら、、とほほ。
978 :
考える名無しさん:03/08/20 14:02
>>977 君は大きなミスを犯した。
>「自」と「他」をはっきり分け、主観の側から客観をめざすとりわけ近代哲学の流れとは対極にある陳腐な疑問だよ。
こんな事は言わなければよかったのだよ。
「自」と「他」をはっきり分けないからこそ、自殺と他殺が曖昧になる。
君自身の言った事が、君の書き込みを否定している。
まあ、スレも終わりに近いのでダメージは少ないだろうが、私には君のレベルがよくわかった。
攻撃的な言辞を連ねてもだめですよ。
979 :
考える名無しさん:03/08/20 14:04
980 :
考える名無しさん:03/08/20 14:20
>>978 そういう問題じゃなくて、
「殺人」という言葉の中の「人」をどう捉えるかの問題だろ。
981 :
考える名無しさん:03/08/20 14:37
>>977 だからね、普通に考えたら「自殺」と「他殺」が別なものだなんて事はわかってるの。
そんな事もわからないほど非常識的ではないよ。
それが、わかっている上で「人を殺す」という行為を掘り下げてみたって事がわからなかったんだろうね。
やっぱり、そういう思索は君には向いていないよ。
あ、そうそう、それから俺は前の方の書き込みで「他殺」なんて言葉は一言も使ってないからね。
「なぜ人を殺してはいけないのか」に、自殺の問題を持ち込んだだけだよ。
「自殺」と「他殺」を対置させて、あたかも言葉の意味がわかってないように見せかけるという
知ってか知らずか卑劣な手段を用いるのはやめようね。
>>978 まるっきり何かを勘違いしているな。私の言っていることは終始一貫しているし
「自」と「他」をはっきり分け、自殺と他殺は曖昧じゃないと言ってるんだよ。
あんたは他殺と殺人を同じ意味にとっているだけだろう。無茶苦茶だな。
984 :
考える名無しさん:03/08/20 14:47
生物学板か社会学板でやれってば〜!
哲学板なんかでやっても解決できないよぅ!
985 :
考える名無しさん:03/08/20 14:49
>>983 >「自」と「他」をはっきり分け、主観の側から客観をめざすとりわけ近代哲学の流れとは対極にある
>陳腐な疑問だよ。
これ何?
986 :
考える名無しさん:03/08/20 14:49
>>984 哲学は問題解決を目的とするものだろうか・・・
987 :
考える名無しさん:03/08/20 14:51
>>985 ゴンは近代哲学の流れに立ってるわけだろ。
988 :
考える名無しさん:03/08/20 14:53
ゴン君まるでだめ。
自分を正当化するのに必死なだけで中身が何も無い。
989 :
考える名無しさん:03/08/20 14:54
>>987 じゃあ、「自」と「他」をはっきり分けないはずだね。
>>989 おいおい。
近代哲学は、「自」と「他」をはっきり分けるんだよ。
>>981 971や973で言った事を取り繕うのに必死だな。哲板でならどんないい加減な
言葉使いをしても、これは哲学的思索だからなどと甘えるのは大間違いだよ。
あんたが他殺と殺人を同じように取り扱いたいのならそんなことはそれでいいんだよ。
大事なのは970で言ったように、自殺を殺人とするなら万人を納得させる根拠を
提示することだ。
993 :
考える名無しさん:03/08/20 15:02
>>991 >「自」と「他」をはっきり分け、主観の側から客観をめざすとりわけ
>近代哲学の流れとは対極にある陳腐な疑問だよ。
「陳腐な疑問」は「「自」と「他」をはっきり分け、主観の側から客観をめざす」
にかかってるんだろ?
そうでなかったら日本語として変。句読点がおかしい。「とりわけ」の位置もおかしい。
ところでゴンは近代を超克せずに
近代哲学の古い枠組みにとどまってるわけだが、
それはなぜなんだろうね。
>>993 近代哲学が主客対立の哲学だってことは哲学史の常識だょ。
996 :
考える名無しさん:03/08/20 15:06
>>992 相変わらず読解力の無い奴だな。
「掘り下げて考える事は、社会にとって良い事とは言えないだろう」って最初の最初に書いただろ?
すぐ「万人」とか持ち出すあたりに、君のレベルが伺われる。
997 :
考える名無しさん:03/08/20 15:09
だからね「なぜ人を殺してはいけないか」なんて問いは、万人とまではいかなくても
大多数の人間にとっては、問うまでもない自明の事なのだよ。
そういう、大多数の人間にとっての枠組みから外れた問いだからこそ難儀しているのに
「万人」を持ち出すとは、何をか言わんや・・・
998 :
考える名無しさん:03/08/20 15:10
もうすぐ1000でよかったね。
999 :
考える名無しさん:03/08/20 15:10
終わりかな?
1000 :
考える名無しさん:03/08/20 15:10
1000?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。