●○● Aquirax: 浅田彰 part11●○●
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考える名無しさん:
ジュネは反ユダヤ主義者か 2003*04-06
イラク戦争に先立つ時期、フランスはアメリカのイラク攻撃に反対する急先鋒として
世界に名を馳せることになった。
だが、フランス国内には複雑な事情がある。
反アメリカ・反イスラエルを標榜し、あえて新パレスチナの立場に立ってみせる態度
は、根強い反ユダヤ主義の表れに他ならないという批判に、その一端を見てとることができよう。
むろん、フランスを初めとする諸国に今も反ユダヤ主義が存在することは否定できない。
だが、何かあるごとにそれを「反ユダヤ主義の陰謀」と見る態度は、いたるところに
「ユダヤ人の陰謀」を見たナチスの態度と、危険なまでに似ていないだろうか。
このような論調は一般的な論壇に限った話ではない。
たとえば、エリック・マルティがベニー・レヴィ(サルトル晩年の秘書で、イスラエ
ルに移住した)に招かれて書いた『イェルサレム短期滞在』(ガリマール)は、主に
ジュネに的を絞り、サブラ&シャティラの虐殺(1982年のイスラエルによるレバノン
に侵攻の際、キリスト教民兵がサブラ&シャティラの難民キャンプのパレスチナ人を
虐殺した事件)を告発したことでも知られるこの作家は実は『葬儀』(フランスを占
領していたドイツ軍の兵士と対独協力義勇兵との同性愛を描く)の頃から一貫した反
ユダヤ主義者である、そこには同性愛的な裏切りの美学を見るべきなので、ジュネを
反体制のヒーローとして持ち上げるのはやめなければならない、と主張する。
ジッドやバルトの校訂や研究で知られるこのゲイの知識人は、翻訳のある『ルイ・ア
ルチュセール 訴訟なき主体』(現代思潮社)に見られるように、「主体なき過程=
訴訟」の概念を提起した哲学者さえ精神分析的――というより心理学的に解釈しよう
とするくらいなので、今回のジュネ解釈も例外ではない。
もとより、同性愛的な裏切りの美学がジュネの文学の重要な出発点のひとつであるこ
とは誰もが認めるところだが、後期の政治的テクストまで含めた仕事のすべてをそこ
に還元するというのはいかにも乱暴だ。
少なくとも、ジュネに反ユダヤ主義的な契機があったにせよ、それはフランスへの(
そして支配体制一般への)抵抗からの派生物であって原因ではないということは、確
認しておくべきだろう。