1 :
考える名無しさん:
2
3 :
考える名無しさん:03/07/06 11:33
ノアオタは哀れ、プロレスファンから見ても。
プロレスはヤラセだから面白いのに「ガチ」なんて言ってるのがあほらしい
4 :
考える名無しさん:03/07/06 12:23
>>3 プロレスはヤラセだと言わずに楽しむものだよ。
暗黙の了解事項。オマイも「ノアだけがガチ」
言ってみなよ。通からは「コイツツボを心得てる」
という反応が返ってくるから。
5 :
考える名無しさん:03/07/06 12:31
>>4 ツボなど全く得ていない。ガチで戦った場合それこそ総格のようになってしまう。
確かにヤラセと言わずに、そのぎりぎりのラインを保っている日本のプロレスは好きだが
プロレスはサーカス団と考えればいいじゃん。
>>6
まあ、ドサ回りしている様は確かにサーカス一座ではあるな。
8 :
考える名無しさん:03/07/06 13:20
俺はテレビドラマみたいなものだ、と思ってみている
9 :
考える名無しさん:03/07/06 14:24
10 :
昭和史からの検証:03/07/07 04:25
猪木が行った異種格闘技戦、これの最大の目玉がアメリカのつよさの象徴
であるモハメド・アリとの対戦だったことを忘れないでほしい。猪木は
意識的、無意識的にかはしらないが、プロレスの持つ敗戦国用格闘技の
一面を打破することを考えた最初の男であった。のちに日本武術の王座
に立ったルスカ、ウィリーたちと激戦を繰り広げたというのも興味ぶかい
ところである。前田や佐山がUWFを打ち立てたのも、同様のことかもしれない。
みずからが命がけでやる格闘技から、大衆慰撫政策の側面をとりはらい、勝負
の厳しさを見せようとしたものであったとも言えよう。二人が空手という異端
の日本武術と繋がりが深かったのも大きいかもしれない。(猪木も寛水流w
とくに佐山はシューティングに修斗などと漢字を当て、武道色を強めた競技を
作ろうとした。そして現在のこの二人の言動を見れば、あながちこの考えも間
違いではないと思われる。
11 :
昭和史からの検証:03/07/07 04:38
対してジャイアント馬場の全日はいかなるものであったか?
猪木プロレスが、反骨の日本精神の反映であることは既に述べた。
馬場プロレスとは何か?それは実はアメリカであった。
馬場がアメリカの国技ともいうべき野球選手であったことを思い出して欲しい。
ジャイアント馬場には既に野球を通じたアメリカ精神が流入されていたのである。
ゆえに馬場は巨人たちがレスリングでぶつかり合うプロレスしか認めなかった。
大きいことが価値であり、大きいことが理想であるアメリカ精神こそが全日の土台であったのだ。
馬場最大の後継者と目されていたジャンボ鶴田が、圧倒的巨大さで最強を誇ったこと、
引退後にアメリカで大学教授の教鞭をとったことでも察することができよう。
そして極めつけはノアである。
「ノア」とは無論箱舟によって大洪水を生き延びた人物だが、
アメリカを建国したピューリタンたちは自分たちをノアに見立てて、
迫害の欧州から、大西洋を渡っていったことだろう。
異教(母権制・元子夫人)を離れて、清教(父権制・三沢社長)へと
自由を求めて飛び出すという建前は、いかにも清教的と言える。
つまり「ノア」とは、やはりアメリカなのである。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
13 :
考える名無しさん:03/07/16 01:44
das