クリシュナムルティ part2

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931考える名無しさん:04/05/28 00:52
俺も長いことk読んでるけど、ちょっとずつ理解してるとは思う。
でも肝心なことが分からない様。「見るものは見られるもの」ってどういう意味?

そりゃそうだとは思うよ。だって見てるものはそのもの自体ではなくて、
俺の視神経と脳とその他の作用だって事は。でもそんな事じゃないんでしょ?
後よく学校の先生にも言われた「出来ないと思うから出来ないんだ!」でも
そんな事でもないんでしょ?
932考える名無しさん:04/05/28 13:30
ん?と思ってググってみた。
その言葉の意味が分かった、って書いてる人がいるね。

ひさしぶりにKの言葉を眺めてみようか。
933考える名無しさん:04/05/28 13:35
そこで見つけた言葉だけれど
>宮沢賢治は「水や光りや風ぜんたいがわたしなのだ」といい、
これもいい。
934考える名無しさん:04/05/28 23:55
ここですか?なんか普通のところに書いてるのが凄いですね。
ttp://www.okinawa.med.or.jp/old/kaihou/k0007/inahuku.htm
過度の疲労でも黒小便が出るまで働いたら私も悟れるのかな。
935考える名無しさん:04/06/05 18:46

  千の視界を持つ、千のまなこ
  千の愛をもつ、千のこころ、
  それが私なのである。

  清らかな川も、濁った川も
  受け入れ、頓着しない、
  そのような海のように、
  私はある。

  また山に挟まれたところ湖は深いものである、
  泉の水は澄んでいた
  つまり、私の愛は事物が隠れてしまった源泉である。

  さあ、ここへ来て私の愛を味わえ、
  さすれば、たそがれ時の涼しさの中で
  蓮(ロータス)が誕生するときのような、
  君は、君自身の心の中にある秘密の願望を見つけることだろう。

  やがてジャスミンの香りが夜気に充満し、
  過ぎ行く日の叫びが
  森の奥深くから届いていた。

  私が愛する 生 は、重荷を下ろして軽やかである。
  そうやって達成されたことが自由を究めるということなのだ。


             (「生の詩」16頁) 
           ・・・勝手に文言を変更しましたが、、、
936考える名無しさん:04/06/08 06:40
勝手に変更するな、ヴォケ。
937考える名無しさん:04/06/12 04:26
w
938考える名無しさん:04/06/25 03:43
>931
あなたが何かを意識しているとき本質的にはあなた自身を意識しているのだ
 (ラマナ・マハリシ)
939新巻イエス:04/06/25 10:51
クリシュナムルティは元祖引き篭もりである
940考える名無しさん:04/06/25 10:55
>>935
変更前の文を書いて下さい
941考える名無しさん:04/06/25 11:05
>>939
クリシュナムルティ自身もひきこもりとは程遠いし、ひきこもりの勧め
もしてないと思うが。
942考える名無しさん:04/07/07 09:53
外部を見てない
943考える名無しさん:04/07/07 10:22
>>942
だれが?
944942:04/07/08 01:33
>>943
クリシュナムルティ
945考える名無しさん:04/07/08 03:30
外部も内部も見てるよ、あの大きい目を見たことないの?
946考える名無しさん:04/07/09 23:15
誰かオルダス・ハクスレーや、ジョセフ・キャンベルとの対話どんな
だったか知ってる人いる?
947考える名無しさん:04/07/22 03:37
そろそろ終わりだよ。
948クリシュナムルティ:04/07/22 12:46
一時期彼の思想に鶏頭してたときがあった。
そして彼の思想を受け継いだシュタイナー教育にも感化された。

彼の思想を受け継ぐ人間が必要なのでは。

949考える名無しさん:04/07/22 14:56
ん? シュタイナーはクリシュナムルティの思想を受け継いだわけじゃないぞ。
というかシュタイナーの方が先に死んでるでしょ。
神智学協会にシュタイナーとクリシュナムルティも最初は所属していたけど、
クリシュナムルティの扱いに疑問を持ったシュタイナーは神智学協会を脱会して、人智学協会を設立、
クリシュナムルティもその後に神智学協会の人たちによってつくられた星の教団の長になるが、
結局その教団を解散して、どの宗教組織にも属さずに活動したという流れの筈。
教えの内容も大きく違うよ。
950考える名無しさん:04/07/30 03:13
さあ
951考える名無しさん:04/07/31 17:23
そろそろ
952考える名無しさん:04/07/31 20:54
終わりでっせ。
953考える名無しさん:04/08/28 03:48
もうすぐ終わりまーす。
954考える名無しさん:04/08/28 03:52
うげ!?このスレまだあったんだ・・・
永遠に続くなこりゃあ・・
955考える名無しさん:04/08/28 04:36
この先何に縛られて生きているかもわからんまま女に馬鹿されていく日々は続く。何に近づこうと勝手とはならないのか否か
956考える名無しさん:04/08/28 07:27
健康な若い男に我慢を強いることは不可能。
957考える名無しさん:04/08/28 07:36
ま、フリーセックスもいいように思う。セックスにも種類があり獣のそれと人間のそれと暴力とがあり暴力には腹突き刺しても正当防衛が許されると思うが前者は肯定されうる。後者には人間的理解と時間が必要なのでフリーセックスは認められない
958考える名無しさん:04/08/28 09:18
Kは禁欲を求めているわけではない。
959考える名無しさん:04/08/30 00:40
栗酒ナムル茶
960考える名無しさん:04/09/05 10:50
「見るものは見られるもの」とは 『主客一体』 のこと

観る者=観察者である私
観られる物=世界

:自己とは?
私の体:私と体との間には分離が成り立つので 『私の・・・』 と言う
私の心:私と心との間には分離が成り立つので 『私の・・・』 と言う
私の魂:私と魂との間には分離が成り立つので 『私の・・・』 と言う
私の意識:私と意識との間には分離が成り立つので 『私の・・・』 と言う
私は体でもなく心でもなく魂でもなく意識ですらない・・・・
私の・・・私の・・・私の・・・と言っている『私』とは?
『私』はそれらの背後にある自己を自己自身が認識する超自己(真我)だ

:世界とは?
自我が現れた瞬間分離が起こり世界を顕現させてしまう。
自我は触感覚のある皮膚の表面を臨海面として『私』と『世界』の分離を認識する
世界とは私から分離し私が認識する私以外の一切全て

:主客一体とは?
瞑想の過程で体験する意識の拡大。観る者は対象物に溶け込み観られる物も観察者に
溶け込む。元々自己が顕現(五感覚が投影)させている世界なので観られる物は観る者
の意識が向けられれる事がなければそこに在ることができない。
961考える名無しさん:04/09/05 11:17
>>960
訂正
>自我は触感覚のある皮膚の表面を臨海面として・・・・

×臨海面
○臨界面
962考える名無しさん:04/09/05 15:04
>「見るものは見られるもの」とは 『主客一体』 のこと

こういう固定観念に囚われているうちは何も見いだせない。
963考える名無しさん:04/09/05 21:08

そうです、その通りです。何も見いだせないのです。

だから・・・・

世界を顕現させてしまいその中に 『私』 は埋没してまうのです・・・・
自己の結果を投影させてその中で 『私』 は・・・・

『あるがまま』が不本意なため 『私』 は修正しようとします。
その結果また 『私』 は新たに波を立ててしまうのです。
そしてその波が 『私』 に帰ってきます・・・・

実のところ 『私』 はこれの繰り返しで生きてきました。

『あるがまま』を受け入れ逆らわずに生きればいつしかカルマは終焉を迎えるのでしょうか?
『あるがまま』を受け入れ逆らわずに生きればいつしか世界は顕現しなくなるのでしょうか?
964考える名無しさん:04/09/05 22:06
誰が受け入れたり、逆らったりするのだろうか?

「あるがまま」というものを実はわたしたちは分かってない。
分かるのは「あるべきもの」とそれへの修正への衝動と結果だけなのではないだろうか?

私たちが意味する「あるがまま」が「あるべきもの」の否定でしかないなら、
「あるべきもの」への希求が止めば、「あるがまま」とそれに纏わるすべても止むことになる。

「あるがまま」は実体ではなく概念である。だからそれが「在る」かのごとく扱うのはおかしい。
それは道路標識であるだけなのだ。それを私たちは「あるべきものの」の思考の終焉から
出発し、「あるががまま」行きの標識を確認はできるが、それが指す先のリアルな物事については
何も言われないのである。

どうかな?
965考える名無しさん:04/09/06 03:46
概念は、たしか実体だったような気がします。
観念という方が適当かと。

自分の意見を言うと >>963
『あるがまま』の世界を、自分好みに換えていく(変えるのではなく)、
そこに喜びを見出せればいいのだと思いますよ。

変えるではなく、換えるとしたのは、
やり直せるということを知るためであります。
966考える名無しさん:04/09/18 21:52:57
「あるがまま」は固定観念でとらえること、またとらえていることを気づくことはは定義上できない
クリのいう「気づき」はそれでは彼のいう「あるがまま」が存在することすらできなくなるという批判を
避けるため「あるがまま」の状態とは?との答えを指し示すもの(イコールではない)として
示唆したものでありましょう

「気づき」は「気づき」を気づいていることとは違う

クリの「気づき」はさまざまに拡張解釈、発展できると思う。それが哲学版でのクリの可能性でもある。

多くの書き込みでみられる五感中心の気づき論は確かに誰に対しても適用できるけれど
とても限定的解釈に思えるのが残念。

現代はブッダの時代ではないので、幅広い知識とそれを基にした洞察が現代世界を「気づく」ため
にとても有用であり、現代の「気づき」は哲学がギリシャ時代以降、不本意にも分離していった
さまざまな領域をふたたび違うやり方でとりもどすための鍵ともなる可能性をもつ

世界と自我とは密接な関係にあるというのは上のカキコのように前提になってます。


967考える名無しさん:04/09/18 21:54:24
http://c-au.2ch.net/test/-/saku/1029939409/i
削除人が適当に仕事をするのをいいことにスレを依頼だしまくる哲学板荒らしを退治してください
968考える名無しさん:04/09/19 00:01:26
>クリの「気づき」はさまざまに拡張解釈、発展できると思う。それが哲学版でのクリの可能性でもある。
哲学的にこれは同意。

だが、宗教的には、クリの気づきは発展ではなく1なるものに収斂することになる。
大海の味はどこで味わっても同じというところに宗教的には行き着くわけだ。

クリはどちらかというと、気づきを哲学的に講じているわけではなく、
クリの目を通してリアルにこの世界を見ていたのである。
まずこの事実があるから、彼の言葉は只の観念以上の迫力を持っている。
クリの言っている内容を吟味すれば、そこにはアドヴァイタや仏教の教えに通じるところが
あり、教えそのものの独自性というものが、本当にあるわけではない。
しかし彼の言葉に迫力があるのは、それが只の観念ではなくて、クリの中で体現できており、
それを何とか伝えることができたということだ。(彼にとってはおそらく不十分だろう)

>多くの書き込みでみられる五感中心の気づき論は確かに誰に対しても適用できるけれど
>とても限定的解釈に思えるのが残念。
「気づき」は本質的に解釈され得ない。なぜなら気づく主体がないからである。
五感中心の気づき論は出発点として間違っていない。我々に一番理解しやすいから。
そしてそれは自分というものが存在しないという「気づき」をもたらす。
しかもそれすらゴールではない。ゴールはないのだ。

969考える名無しさん:04/09/19 00:04:03
>現代はブッダの時代ではないので、幅広い知識とそれを基にした洞察が現代世界を「気づく」ため
>にとても有用であり、現代の「気づき」は哲学がギリシャ時代以降、不本意にも分離していった
>さまざまな領域をふたたび違うやり方でとりもどすための鍵ともなる可能性をもつ

いや、その考え方こそギリシャ以降の考え方だし、クリは同意しないだろう。
まず知識とそれを基にした洞察は頭脳の働きの一部であって、クリの意味するところの全てではない。
クリの意味するところはそれ以上だ。まずこの点が理解できているかどうか。

気づきは、分離を認識するのではなく、「実は分離はなかった」という認識を与える。
「気づき」は洞察を必ずしも意味しない。それは生きられるものであって行き着く
ゴールではないのだ。だから「気づき」を得るといった考え方やアプローチはすべて失敗する。
ただ現代の我々(それを古代のと言っても同じことだが)にできることは
「気づき」を生きることだけなのだ。それは生きられるものである。統合は「いかにして」という
方法論では達成され得ない。世界平和にしろなんにしろ、それは我々が「気づき」を生きることに
のみおいて達成されるだろう。

では気づきとは何か。非常にシンプルなことだよ。
970考える名無しさん:04/09/19 01:16:35
1なるものではなく0。
971考える名無しさん:04/09/19 11:13:48
K爺が死ぬ前になんて言ったか知ってるよな?
972考える名無しさん:04/09/19 11:46:46
>>968
>「気づき」は本質的に解釈され得ない。なぜなら気づく主体がないからである。

ほんじゃ何が気づくの? 言語矛盾じゃん。
哲学板なんだから、言語を恣意的にシフトさせて使っては駄目よン。
ヒトリヨガリもね。それらはクリシュナムルティから最も遠いこったよ。
973考える名無しさん:04/09/19 16:00:11
早い話がK爺は悟りの境地を述べてる。
974考える名無しさん:04/09/19 20:30:40

Kの本の多くは英文で執筆(かか)れていると思うのだが
Kは 『気づき』や『あるがまま』 をどういう単語で記(しる)したのかな?
その単語からアプローチして試たいのだが

自分は日本語訳しか読んでいないので・・・・
975考える名無しさん:04/09/19 22:00:43
<<974
えー私もそのように思っているひとりです。
とりあえず
「気づき」はよくある表現としては
awareness
です。
クリを意識してかどうかアルクの英辞郎on the Webでは
利用例として
Awareness is a key element of intelligence
などと高尚なことをいっております
「あるがまま」よりも
Extraordinaryの方がクリの強調していることかと個人的に思います。
世界のあるがままを「気づき」そのextraordinaryを感じることで
クリのいう純粋なloveの感覚が起こるevolutionがある。

またextraordinaryを感じるためにはあらゆることにrevoltして
世界を過去・経験・知識から切り離して観ることも重要かと思います。
辞書はまさに過去・経験・知識からの解釈であり必要最低限
使うほかは、クリの英語表現そのまま英語で頭に入れる方が
望ましい。
重要ワードについては辞書の日本語訳がかえって間違った解釈
につながるケースもあるのでは?revoltはその例です。

付け加えると
<<969
の通りたとえば地球外から地球を見守っている宇宙人がいて
人間の活動をみたとき、それがどれほどすばらしく調和的運動に
なっているかについてextraordinaryと感じるかどうかはやはり
経済・政治等の知識があるのとないのとでは程度が全然違ってくる
という意味で現代社会をみつめるためには知識が昔よりはるかに
必要だと思います。
976969:04/09/19 23:38:09
>ほんじゃ何が気づくの? 言語矛盾じゃん。
>哲学板なんだから、言語を恣意的にシフトさせて使っては駄目よン。

Kの言ってる気づきに対する哲学的アプローチは限界があるってこと。
哲学は哲学を超えられるなら話は別。あなたが瞑想とか実体験として何がしかが
あるなら話は別。Kの教えは哲学の教えじゃないんだよ。Kの教えは只の教え。
仮想の理論を展開させてるんじゃなく、世界というものを実際に見ているのだ。

>ヒトリヨガリもね。それらはクリシュナムルティから最も遠いこったよ。
何故貴公が判断できる? ひとこと言ってやろう。「オマエモナー」
977969:04/09/19 23:44:54
>Awareness is a key element of intelligence
>などと高尚なことをいっております
>「あるがまま」よりも
>Extraordinaryの方がクリの強調していることかと個人的に思います。

そこは重要なポイントだ。Kを読む多くの人間はawarenessがあればあればいいなんて
考えがちだが、大きな間違いだね。それこそ哲学的な解釈というヤツだよ。
言葉の上でしか分かってないのさ。
awareness、それは意図的に得られるものじゃない。
もっとシンプルなものさ。
978969:04/09/19 23:46:32
などと餌を撒いてるわけだが。
979考える名無しさん:04/09/20 00:01:42
>>975
あ〜974です・・・・
情報ありがとうざいました。
今度、東京に行ったら大きな本屋で英語版を探してみます。
980考える名無しさん
<<979
amazon.com
使うでしょ普通