法律の中の哲学

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112考える名無しさん:03/07/17 22:56
>>111
そうですか。俺はそう思うけどな。
113考える名無しさん:03/07/17 22:57
どことどこが同じなのかぐらい書けよ。
114考える名無しさん:03/07/17 22:58
>>113
>>109に書いた。
115考える名無しさん:03/07/17 23:02
それではわからんから言ってるのがわからんかね?主流学説と公理のどこが同じなのかね?
116考える名無しさん:03/07/17 23:03
>>115
それを前提とし同意するところから議論が始まるという点において。
117考える名無しさん:03/07/17 23:04
主流学説というのはそれに反対する学説があるということだが?同意がないから学説の対立があるわけだが。
118考える名無しさん:03/07/17 23:06
>>117
それはそうだが通説というものがある。
119考える名無しさん:03/07/17 23:11
で?通説以外の有力説もあって絶えず議論がなされることはしょっちゅうだが?
120考える名無しさん:03/07/17 23:13
>>119
だからスパンの違いはあると書いた。
短期的には数学の公理と同じような状況になる。

まあなんとなく思っただけだよ。
121考える名無しさん:03/07/17 23:18
なんで同じなのかさっぱりわからん。全学説を支配するドグマがあれば、それは公理に似ているかもしれないが。
しかし公理が前提とされているのは、とりあえずそうしてみただけではあるが、ドグマが
前提とされるのはそれが正しいと信じているから。
122考える名無しさん:03/07/17 23:47
利益衡量(考量)論だとドグマはなくなるね。
時代によって必要なくなった理論はポイ捨て!
加藤一郎とか星野英一がそれで批判されたね。
123考える名無しさん:03/07/17 23:55
何の利益衡量論?不法行為か?何のドグマ?
124考える名無しさん:03/07/18 01:34
>>111>>123なのかな?何か議論の為の議論のような気もしますが・・・
民法学者ではないのでよく知りませんが、
「法規によってではなく、利益こう量による実質的妥当性に基づいて結論を求め、
 それを法規等によって理論構成する」と言ったのは某元灯台学長でした。
つまり、先に結論ありきで、それを正当化するために法解釈の理論構成をする。
という立場の場合、問題になるのは利益こう量のみであり、理論構成自体は
結論を導くのに適切なら何でもよい。ということになります。
そうすると、少なくとも理論構成はドグマーティックにはならない。
あと☆野さんも利益考量(字が簡単)論も違った風に言ってたけど
文献が手元にないので引用できない。
まぁ星野先生の場合は結局価値判断とか出てくるから、そこにいくと
やっぱりドグマが溢れてたりするのかも知れない。
う〜民法も難しい。川島先生の著作集がフォスイ
125124:03/07/18 01:42
なんか自信がないな〜
やっぱり司法板から人呼んだほういいかも・・・
126考える名無しさん:03/07/18 03:08
先に結論ありき、というのはちょっと違う気がする。その結論を決めるのは法に内在する価値観のはず。
127124:03/07/18 23:06
まぁそうですね。
先に価値判断で結論を出して、その結論を導く法的理論構成が任意的である点で
ドグマが法的理論構成(法学方法論?)から消えるという話ですから。
だから価値判断の段階では非常にドグマーティックになると思います(特にマルクス主義とかの場合)
128考える名無しさん:03/07/18 23:06
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129考える名無しさん:03/07/19 01:14
法とは基本的に人の行為を規則である条文に当てはめてから
善とか悪とか判断していくもので、そこには完全に人間の思惟が
先行している。それ故に法律学は学問としては無意味であると
説いたキルヒマンの論は正しいのでしょうか?
130考える名無しさん:03/07/19 09:00
論理の飛躍があります。
131一生県名:03/07/19 09:01
う〜ん。。。
132考える名無しさん:03/07/19 09:08
裁判官は層化だらけ
133考える名無しさん:03/07/19 10:58
>>129
キルヒマンとやらの論文を読んでないから解らんが
善や悪の概念があり、それを基に法も生まれたはずだからなぁ・・・
何とも言えんわい。
134考える名無しさん:03/07/21 03:20
>>129
あくまで、私の理解ですが、キルヒマンは法律学が「基本的に人の行為を規則である条文に当てはめてから善とか悪とか判断」
するものであり、「そこには完全に人間の思惟が先行している」から「学問としては無意味であると説いた」わけではなく、彼はその
ような人為的性格によって「法ないし法解釈が時代とともに変遷するので」厳密な学問性(キルヒマンは19世紀の人なので「学問
性」という語より「科学性」という語をあてるべきかもしれませんが)を有しないと考えたのではないかと思います。ですから、このス
レの109以下で議論されている「数学の公理」のように、ある意味「普遍的な真理」を想定する議論のみが学問であるとすれば法
律学は科学性がないのかもしれませんが、そもそも「普遍的な真理」なんぞ存在するのかという問題があるわけでして・・・。
この点に興味があるのでしたら、CLSの議論あたりを参照するとよいかもしれませんね。
135考える名無しさん:03/07/21 15:41
まあ、法解釈学の目的はよりよい解釈の追求であって、真理の探究ではないからね。
136考える名無しさん:03/07/21 16:14
基本的人権とやらはどこから来るのよ?
やっぱ社会契約?
137考える名無しさん:03/07/21 16:29
>>134レスありがとうございます。
あと、CLSとはなんでしょうか?無知でゴメンナサイ。

138考える名無しさん:03/07/21 16:35
>>134
この人、いい加減に改行ってものを覚えてくれないかなァ。頭悪そう
139考える名無しさん:03/07/21 16:45
>>137
単なる、法解釈学だよ。
140寺嶋眞一:03/07/21 21:12
美辞麗句の標本

教育基本法の前文に「われらは、さきに、日本国憲法 を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。
この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と書いてある。
そして、さらに、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」と続く。
民主的な国家を建設することになっているが、個人主義がないので、衆愚的で個人責任の追及が疎かである。
世界の平和と人類の福祉とを謳うが、世界観がないので盆栽・箱庭・一坪庭園の規模になる。一坪世界のことか。
個人主義のないところで個人の尊厳を謳うのも場違いで、現実構文しか考えられない人間に普遍的な内容は考えづらく、未来構文のない言語で個性的な内容は認めがたい。
現実肯定主義者のわが国民が創造をめざす教育とは、矛盾したことではあるまいか。
要するに、何を言っているのか分からない。
美辞麗句とは、このような文章をいうのであろう。
458文字
You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/




141neanias ◆Ewqh27zTlE :03/07/21 23:46
>>140
例え意味の分からない文章でも、そこに何らかの理念を、時代に左右されながらも
読み取り、現実に対応していくのが法解釈学なのさ。
まぁ、教育基本法なんてほとんど使われて無いようだけど。
142考える名無しさん:03/07/22 00:34
美空ひばりに感動した茶パツDQNの首を絞めたら隣のヤンキーが屁を
放いてそれをおかずに白米3杯いけると豪語したら肛門で呼吸すること
を学んで生存競争を勝ち抜くことができました。
143考える名無しさん:03/07/23 03:57
>>140
なんだその頭の悪い文章は?
144考える名無しさん:03/07/23 03:59
痛い痛い遺体
145_:03/07/23 04:05
146考える名無しさん:03/07/24 18:47
キルヒマンって概念法学を批判して、「立法者が三語書き換えれば、全文庫が反古となる」
って言った人じゃなかった?あんま自信ないけど・・・
147考える名無しさん:03/07/27 23:15
利益考量論やらキルヒマンじゃ専門的杉。

刑法に戻ろう。誰か違法性キボーン。
148考える名無しさん:03/07/28 01:58
法学の中に、新カント主義と言う物があります。
法の存在考察と価値考察とは厳密に分離すべきだとする「方法二元論」および、
首尾一貫性のある価値体系はいずれも等価値な物であり、価値体系相互間に
優劣を付けることは出来ないとする「価値相対主義」とからなる。
これは、カント認識論と同じく経験を超えた事象、つまり形而上学的世界は
認識の対象たりえないとする、実証主義である。
価値は、事実から導き出せない、当為は存在から導き出せないと言う
方法二元論は実に面白いですね。
149考える名無しさん:03/07/28 04:04
>>146
そうだよ。

>>147
板違い。

>>148
それでは、現前の形而上学批判についてはどうかんがえるのかと小一時間。

150148:03/07/28 04:37
>>149
ケルゼンの純粋法学の事ですか?
151149:03/07/28 04:40
>>150
ハイデガーとそれを批判的に継受したデリダ
およびその影響をうけた批判法学のことです。
アメリカの新カント主義との関係で。
152148:03/07/28 04:52
>>151
事実命題の客観性と価値命題の主観性との対立のジレンマの事ですか?
153149:03/07/28 05:05
>>152
議論がかみ合わないですな(w
まあ、午前5時にするような議論でもないですが・・・。

> 事実命題の客観性と価値命題の主観性との対立のジレンマの事ですか?
ここまでくると、新カント主義と批判法学というよりは、
カントとニーチェに近いと思うのですが・・・。
折角ですから、ここから議論をはじめさせていただくと、
いわゆる「物それ自体」をそれを認識する主体の解釈から
切り離すことは可能なのでしょうか?

154考える名無しさん:03/07/28 23:16
法学ってカント認識論もやんのかよ。
大変だな・・・
155考える名無しさん:03/07/29 02:09
まあ、法学部レベルではカントは扱わないけど、日本の刑法学の先祖をたどればカントにいきつくわな。
156考える名無しさん:03/07/29 02:09
「法と倫理の峻別」とか。
157考える名無しさん:03/07/29 02:51
法律詳しくないんだけどさ、実定法?ってのは、〜しろって言う
当為命題だよね?でそこに犯罪行為を構成要件?に当てはめて
処罰すんだよね?でも、人為的である規範には、罪刑法定主義
みたいに、常に一定の構成要件と処罰が無きゃいけない。
で、上の方にある学説とか批判法学とかって、
法の存在自体を否定してる事になんないの?
てか頭悪い文章でスンマセンです。
158考える名無しさん:03/07/29 03:04
>>157
確かに頭悪い文章だな・・・
159考える名無しさん:03/07/29 04:41
まぁ、まぁ、煽ったるなよ。
法哲系のスレは、煽る→切れる→荒れる→終了ってパターンが多いんだから(w

>>157
このスレにはなぜか刑法厨が沢山いるから、まず「刑法って行為規範なんすか?」
って聞いてみな。実は刑法って「〜しろ」とは書いてなくて「〜したら罰する」っ
て書いてあるだけなんだよね(人によって見方違うだろうけど)。まっ、屁理屈に
聞こえるかもしれんけど(w
ちなみに、利益衡量論と批判法学ってのは主に民法の領域の話だから、ちょっと事
情が違うかも。まぁ、批判法学は「法=政治」って言ってるから(存在自体を否定
しているわけではないだろうけれど)「法って何?」って疑問はちょっとわかる気
がするけど。
160考える名無しさん:03/07/29 06:21
法哲の人間でいまだに方法二元論を支持する人間多いのなんでだろ
そういう人間がハートとかロールズ支持してるの見ると、
こいつらちゃんと読んでんのかよ、って思うの漏れだけ?
161考える名無しさん
>>160
面白そうだからもう少し説明を敷衍して