88 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 01:56
>>86 その実、美術・音楽というパラダイムからお声がかかれば、まるで
売れない芸者のようにホイホイ呼ばれていくのが現代芸術である。
>>85 >まズ彼に芸術とはいえナい事を理解させル論理を構築すル必然性がアルノでは無いかと。
>思ウノだけれども。多分。
うん。
俺は、この作品が「芸術でない」とは思わない。
それに現代美術にとって、コンセプトが大切なのもわかっている。
ただ俺は、そのコンセプトとパフォーマンスが一致していないことを指摘したいだけ。
何故その違いが出てくるかを考えたら、
>>77を感じた。
実際、現場で聞くと、後付け理論が多いのがわかる。
(俺、建築設計やってるけど、施主の人や雑誌の論文にもっともらしい理屈をこねるのと同じ)
「あっ、こいつ屁理屈つけてんな」って感じ。
この人の場合、パフォーマンスがあまりにも強烈だから、
「そんなちゃちなコンセプトで自分を正当化するなよ」って言いたいわけ。ただそれだけ。
>>89追加
ここでいう「後付け」とは、
「そのままでは認められそうにもない自分のやりたいことに、
もっともらしい理屈をつけて自分を正当化すること」
おそらくこの人は、このアイデアを実行すれば、人から注目され、名を上げることができると
考えたと俺は勘ぐってる。(実際「素晴らしい」アイデアだと思う)
91 :
考える名無しさん:03/07/04 02:16
物議をかもせばいいのか?
後始末は他の誰かに依存しているのか?
個々人に委ねるか?
社会的制裁を逃れる措置だけは万全か?
微妙な境界に位置どって、ついでに自己弁護御託を並べ立てておくか?
確信犯を装って、自己都合の妄念を反吐のようにぶちまけて、慎重な予防線を張る潔くない犯罪者か?
なぜ、犯罪を犯さずに芸術を僭称する?
犯罪の方がメッセージ性は高いのに。
メッセージではなく、やっぱ食いつなぐことが優先なのか?
情けない犯罪者だ。
思い切りの悪いメッセージ発信者だ。
もしも本当に、心底伝えなければならないメッセージが己に降臨したというのなら、犯罪や制裁を恐れて何が伝えられると言うのか?
金魚という対象選びのそつのなさが、メッセージを弱めてしまう危険性についてはどう考えているのだ?
だから芸術家気取りは不完全燃焼なのだ。中途半端で、模倣が横行し、生煮えで、腹が据わっていないのだ。
>>89 ソれには私も同意出来ます。
…ん? あア、ナる程。
ソこかラ突き崩スのもアリかもシれませんね「正当化できてないよ」っテ。
前に出したアイデア
>>66>>68はドウも野蛮な気がしてまして他の方法は無イものかと思案しテた所でしテ。
ウん。いいかモしれナい。
>>91 イや、対象の差ノ問題じゃ無い様な。
犯罪=芸術ヨり凄い ってノはドーかと思うのデすガ。
一応いっておくと、俺はこの「芸術家」は嫌いです。
ただ、「芸術作品」としてみれば素晴らしいと思う。
95 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 02:22
この板の人ときたら、キリスト教だの人格神だのには敏感に反応するのに
芸術が問題となった途端に神学者になるのは、どうして?
芸術を自明のものとしてしまったら、そりゃ神学だろう。
哲学板としたらよ、「芸術とは何か」ではなく、
「過去に何が芸術とされてきたか」を問題にせにゃならんだろう?
デも現代芸術家(?)のオ話ですよ?
過去ウンヌンじゃナくて。
97 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 02:54
「ここ数十年、何が現代芸術とされてきたか」でもええよ。
うーん…
暫く考エてはみたもノノ統一性ガ無いなぁ。
というか、これが
「芸術であるか、芸術でないか」という議論と、
「芸術として優れているか、ダメか」という議論と、
「行為として許されるか、許されないか」又は「妥当か、不当か」という議論と、
何か関係あるのでしょうか。
>>99 ヤハははは 無いでスね。
論点明確にしてクれてあリがとう。
私とシては
>>99ノ内容に加えテ
「この表現方法ガ桑島秀樹サンにとって芸術タリえているカ」
ツマり当事者とシテ、また鑑賞者とシて。こノ表現を受け入れる事が出来ルのカ。
コメントに述ベてイる内容が正当か欺瞞か?についてモ考察シてみたイ。
101 :
考える名無しさん:03/07/04 22:55
犯罪は芸術よりすごい。
物議をかもすと言う見地からしてみれば・・。
でも、物議なんてものは芸術の根幹ではない。
いつから芸術が物議をかもす道具に成り果てたのだろう?
プレゼンテーション能力?商売のことかね?芸術稼業業のことなのか?
仮に、百歩譲って、だとしてもプレゼンでは能書きが優先?
嘘だな。能書きで通ったプレゼン採用案は「後悔」という一文字を味わうことになろう。
>>89 商売にまみれた現代芸術の話になるとは思わなんだ。
102 :
考える名無しさん:03/07/04 22:58
>>99 >「芸術であるか、芸術でないか」という議論と、
芸術ではないです。断じて。
>「芸術として優れているか、ダメか」という議論と、
したがって、芸術評価の埒外です。
>「行為として許されるか、許されないか」
許されます。どうそ。
>又は「妥当か、不当か」という議論と、
不当です。
>何か関係あるのでしょうか。
ありません。
>>102 理由も言ってくれないとツマラナイYO!
104 :
考える名無しさん:03/07/04 23:05
「芸術とは、言語障害者が発見する表現テクニックのうち、健常者をも言語障害に巻き込むようなインパクトをもったシンボル形式の体系である。」
芸術の定義としては上出来の部類ではないだろうか?
105 :
考える名無しさん:03/07/04 23:23
金魚はみんなほとんど何らかの形で殺しています。
金魚には気の毒ですが死んでもらいます。
でも、金魚は全部死にません。
金魚が全部死んだら、金魚はいないからです。
生殖を人間に委ねられてしまった他の種の生物の悲哀を語り合う・・・そんな趣味があるならどうぞ。
金魚ミキサーも金魚の悲哀に付き合ってはいません。
何を問題にしているつもりなのでしょうか?
緩慢な死や去勢を他生物に強制する人間像?
違います。
コメントから推測すれば、人間の尊厳をもっと昇格させもしないで、他生物への愛護で慰謝されるな、というメッセージでしょう。
愛護以前に人間を愛護しろ!!
その種の雄たけびです。愛されたい。守って欲しい。愛への飢えです。
愛されていないと不満を募らせる子供が、往々にしてもっと弱い生命をいじめる代償行為。これを大の大人がやって見せた。
子供なんです。そして、子供こそ芸術の担い手なのです。
106 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 23:31
だから「芸術であるか、芸術でないか」や、
「芸術として優れているか、ダメか」の中には、
暗に「芸術とは何か」という問いが含まれているだろう?
で、この問いは、結局、神学、神秘主義、オカルトにしか
いきつかないといっているわけだ、私は。
107 :
考える名無しさん:03/07/04 23:31
あーあ、人を殺してみたかった少年が、裁判で芸術を主張してみるとか。
この問題に限ったことじゃないけど「許されるか、許されないか」って
言い方、おかしくない? 何で受け身になるわけ?
「許すか、許さないか」というんなら、「許す」主体によって違うでしょ。
国や法律は「許す」としても、個人が「許す」かどうかは究極的には
個人の自由だよ。
109 :
考える名無しさん:03/07/04 23:38
芸術プレーの限界
公序良俗
110 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 23:43
では話を現代芸術に限定し、
「ここ数十年、何が現代芸術とされてきたか」に答えるとするなら、
ずばり「屁理屈」だろう。
ここ数十年、屁理屈について論じられ、屁理屈に金が支払われていた。
では「金魚大量殺戮」が現代芸術かどうかというば、
屁理屈があるので現代芸術としかいいようがない。
ただし「芸術」にしろ「現代芸術」にしろ、その呼び名でしかなく、
自明なものでもなんでもないわけだから、それが
芸術だとしても「エライ」ということには、全くならない。
111 :
考える名無しさん:03/07/04 23:45
エロは良い。いらんことをいう法律が間違ってる!
112 :
考える名無しさん:03/07/04 23:46
金魚は生きている姿を鑑賞することでその価値を発揮するものだということになっていた
から、殺してその様子を写真に撮るのは間違った使い方だ、ということで非難されている
のかな?鰯は潰して食べることでその価値が発揮されるので殺してミンチにしても非難は
されないんだ。この仮説はどうかな。
113 :
考える名無しさん:03/07/05 00:02
そうは思ってない人もいるようだが。
金子みすずとか。
114 :
考える名無しさん:03/07/05 00:08
単に粉々になって死んでいく金魚に美しさを発見して主張したかったとしたらどうだろう。
115 :
考える名無しさん:03/07/05 00:13
病院には逝ってみてもらうべき。
その手の美意識にはまると、どこまで暴走するか判らんからね、けけけけけ。
116 :
考える名無しさん:03/07/05 00:19
いいんだよ。いろいろな人がいることに耐えることが世の中なのだ。
みなおとなしい、自分の予測どおりで、安定した振る舞いをしてくれると想定して生きてもしょうがあるまいよ。
つまらないだろ?
反発し、憤り、許せんと奮い立ち、告発や断罪、社会的制裁や刑罰のスタイルを云々する・・・。
生きるって素晴らしいな。
いろいろな奴が、もっといろいろ物騒なことをする。想像を超えた、あるいは想像の範囲内だけにおさまっているだろうとたかをくくっていた振る舞いが実際になされる。
アイデアが素晴らしいというやつもいれば、言語道断と息巻くやつもいる。
実際に自分や家族が被害にあって台無しになる人生もある。
いろいろあってみんなイイ!!
byみすず
事実は小説より奇であって欲しいものだ。
117 :
考える名無しさん:03/07/05 00:25
>>116 例えばキミ、街で突然ぶん殴られて、気がついたら、「君は私の新作の
材料に選ばれたのだ、光栄に思いたまえ」って、でっかいミキサー突っ
込まれたら、楽しいか?
118 :
考える名無しさん:03/07/05 00:27
動物虐待は、国外犯規定あった?
119 :
考える名無しさん:03/07/05 00:27
∧_∧ カタ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)__カタ___ _< 先生!
>>116は一般解すぎてあんまり納得できません
( つ_ || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \_____________
|\.|| VAIO |
'\,,|==========|
120 :
考える名無しさん:03/07/05 00:32
>>118 てめえ、海外で猫ミキサーとか考えてるんじゃないだろうな?
アメリカだったら、もっと重罰じゃないの。
それとも、鯨を殺すと怒られるけど犬猫はいいのかしら。
122 :
考える名無しさん:03/07/05 00:58
>>117 楽しいかどうかではない。
ありうることだ。いろいろなやつがいる。違うか?
123 :
考える名無しさん:03/07/05 01:29
先手必勝で逝くか
124 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/05 01:59
もう1つ言い添えておくなら、ゴシックが中世末期の様式であるように、
ロココが18世紀末の様式であるように、
現代芸術も前世紀末期の芸術様式にすぎない。
今となっては気の利いた絵でも眺めている方がマシというもんだ。
けっきょく現代芸術のクリエイターゆうたら、時代遅れの温泉宿の
マン糞わるい温泉芸者じゃい!
125 :
考える名無しさん:03/07/10 00:32
しばらくレス空いたが、玉虫の厨子ってどうよ?
金魚はいけないが、下等な昆虫なら大量虐殺して厨子(仏さんの入れ物、殺生
しまくりで作るってのもシュールだけんど)に貼っつけてGoか?
駐車場から放り投げるなよ!
死んだあとの玉虫でしょ?たぶん。。。
127 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/10 00:37
Goもなにも、現代芸術生んだのもmodernityだし、
玉虫厨子を「芸術」扱いしたのもmodernityだろが。
死んだあとの玉虫です。不殺生の宗教ですから。
ああ、昔はね。今はどうやって作ってるかよく知らない
129 :
考える名無しさん:03/07/10 00:46
昔は死んだ人をミイラにしたもんだが、最近は、ミイラが金になると、
そこいらのやつをぶっ殺して古代のミイラに仕立てる訳だ。
130 :
考える名無しさん:03/07/10 04:58
金魚写真家は台所道具の使い方が姑息。
本来想定されていない用途の道具で非効率な殺生を行えば不快に感じるのは当然。
あと致命的なのが経過の写真。
最初と最後の写真を2枚並べるだけならアート志向と言えなくもないんだけど、
説明的な写真が入ってる所為で完全な露悪趣味になっちゃってる。
関係ないけど、殺戮アートならカルト風集団が 豚解体→臓器摘出→人体に被せる ってパフォーマンスのビデオを東京都現代美術館で見たことがある。
131 :
考える名無しさん:03/07/10 05:07
熱湯ぶちまけるだけで億単位の細菌が死ぬのだ
それはともかく金魚は動物愛護法の対象ではないから問題ない
法的にはそうですか、ああそうですか。
芸術家としちゃどうなんだろうね
133 :
考える名無しさん:03/07/10 06:11
一時代前の前衛アートで自分の足をピストルで撃ったり、女性が性器に筆を挿して絵を書いたりってのもあったね。
ギリギリのタブーに挑戦するという点ではアダルトビデオ業界と同じなのかも。
うぇ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
136 :
考える名無しさん:03/07/25 21:05
もう1つ言い添えておくなら、ゴシックが中世末期の様式であるように、
ロココが18世紀末の様式であるように、
山口県東部人も前世紀末期の芸術様式にすぎない。
今となっては気の利いた絵でも眺めている方がマシというもんだ。
けっきょく現代芸術のクリエイターゆうたら、時代遅れの温泉宿の
マン糞わるい温泉芸者じゃい!
137 :
考える名無しさん:
「ある高名な男が死にかかっていて、
そこに男の妻と医者と新聞記者と画家が立ち会っている。
オルテガによれば、この順序で事象への感情的な介入度が弱まる。
つまり、『生きられた』現実から『眺められた』現実への移行がある。
悲しむべき出来事のなかに深く入りこみ、その一部となった妻から、
ただじっと舞台に目を据えて、光、影、色価にのみ注目する画家まで、
だんだんに『精神的距離』が増大するといってもいい。」
(谷川渥『芸術をめぐる言葉』より)