1 :
考える名無しさん:
実物使わんでもええがな
3 :
考える名無しさん:03/07/01 20:23
哲学板のおまいらの意見が聞きたい。
4 :
考える名無しさん:03/07/01 20:28
読んでないけど、かまぼこやちくわを魚のすり身で作るのと
変わらない。金魚のかまぼこでも作ってるのか
5 :
考える名無しさん:03/07/01 20:35
撮影後は食っているんだろうな
6 :
考える名無しさん:03/07/01 20:41
わしは、めざし食う時、「あ、イワシのミイラや」と認識しとるが?
7 :
考える名無しさん:03/07/01 20:49
写真屋も道を踏み外すと、恋人に毒を盛って、悶死する様子を連続写真に
したのもおるし、そのうち、人間ミンチでも出ないか心配だな。
もっとも、ブッシュ作の人間ミンチを撮りに逝って、自分が砲弾にぶち抜
かれたのもカメラマンだが。
とにかく、創作表現として、こういう直截に過ぎる手法は好きではない。
お前らは寿司屋で目の前で魚をさばいてもらって
そのまま食う事ができるだろ?
なんで目の前で魚が殺されているのを見ても平気なんだ?
食われるためにそこにいる魚は殺しても平気なんだろ、お前らは。
その魚を「自分の食っていい生物」「殺してもいい生物」だと思っているから
殺しても平気なんだ。
これは殺しちゃ駄目。これは殺してもよし。
そんな基準はどこにある?お前らそれぞれの主観的判断じゃないのか?
それなら俺は「ペットショップの金魚は殺してもいい」と主張する。
少なくとも俺の価値観では金魚は殺してもいい。
文句があるのか?それならお前らの「生命の基準」を明確に示してみせろ。
殺してはいけない生命と殺してもいい生命との境目を提示して見せやがれ。
という主張のようです。生命の基準って何ですか?
人間は何だって喰えるから恐ろしい…
11 :
考える名無しさん:03/07/01 21:34
12 :
考える名無しさん:03/07/01 21:36
フグは食うし、ライオン食った香具師もいるし
13 :
考える名無しさん:03/07/01 21:40
>>8 多分できると思うよ。
お、そうだ、悪徳卸し業者のところで売れ残った子犬、どうなるか
知ってる?
>>13 わざわざ「悪徳」って付けてると
どこまでも「悪い事屋ってそうだなぁ」って妄想が膨らむよね。
ミンチにしてハンバーグにしてどこぞのバーガー屋に卸している、でFA
15 :
考える名無しさん:03/07/01 21:49
>>14 コンクリ用の小型ミキサーに生きたまま放り込んで、次に仕入れる犬の
餌に混ぜてたのさ。
ま、多少歴史にくわしい人なら別に驚きもしないだろうけど。
赤犬美味いよね
17 :
考える名無しさん:03/07/01 21:54
中国では、「赤ら顔の酔っ払いは旨い」って話あったね?
>>15 世の中には
「犬は犬の餌になるのだから殺してもいい」
と考える人がいる、という事だね。
そして自分は、貴方はそれを批判する事ができるのか?(←ここ重要)
昔、俺まだ中学生だった頃、
家にハツカネズミの一家が引越ししてきちゃった事があるんだ。
押し入れの中からガサガサ足音がするんだよ。
決して衛生的とは言えないわな?
で、薬局行って「ねずみ取りシート」(ゴキブリホイホイみたいなやつ)
買って来てさ。ネズミが通りそうな場所に仕掛けたわけよ。
ベタッって貼りつくんだ。ネズミが。粘着シートに。
朝起きてシートを確認するだろ?まだ生きてるんだよ。ぴくぴく動いてるんだよ。
それもね、まず一番最初に引っ掛かるのはまだ知恵の無い子ネズミなんだよ。
あぁ、可哀相になぁ。俺の家に引越ししてこなければ平和だったかもしれないのになぁ。
って思ったけど。まだ生きてるネズミを、粘着シート二つ折りにして見なかった事にして、
生ゴミと一緒にダストボックスに放りこむんだ。
20 :
考える名無しさん:03/07/01 22:02
もし、食うためと趣味のためなら何をいくら殺してもいいという、大幅な
基準にすると、困るだろ?
その時、俺は
「ネズミはやむを得ない場合殺して処分してもいい」
と判断したわけだな。
もしこれがネズミの一家ではなく他の生物だったら、
その対象によって対処が違ったのだろうか?
自分の住処を清潔に保つためならばネズミを殺してもよい、
という判断基準が許されるのであれば
写真を撮るために金魚を殺してもいい、
という判断基準を許さない理由は無いのではないか?
という事。
23 :
考える名無しさん:03/07/01 22:08
>>19 ネズミが伝染病を媒介することは事実であるし、話して分る相手でも
ないし、別にそれでよろしいのでは?
個人的趣味で、焼いて食ってもいいんじゃない?
だだし、それでなんか病気になっても感染しにくるなよーー。
24 :
考える名無しさん:03/07/01 22:13
>>22 個人的には、「よせば」とアドバイスするね。
つまり、その程度の強さの内的基準が存在する。
芥川龍之介の「河童」読んだことある?
25 :
考える名無しさん:03/07/01 23:11
どんな話なのですかね?22じゃないけど
26 :
考える名無しさん:03/07/01 23:25
解説屋ではないので必要な点だけ言うと、河童の国のリストラは極めて
明解で効率的、余った労働者はサンドウイッチの材料にしちゃうって事。
27 :
考える名無しさん:03/07/01 23:32
判断基準は「美味いかそうでないか」じゃダメなのか?
漏れらは「食ってマズいもん」を「食うために」殺したりはしないと思う。
だから、この写真家が金魚食って「ウマー」と言ってるんなら、まあ許せなくもない。
むしろ、本当にウマいなら一度食ってみたい。
正直、写真も含めてそれほど高尚なメッセージ性なんて無いと思う。
28 :
考える名無しさん:03/07/01 23:32
ニュース議論板でやってたな。金魚ミキサー。
二番煎じかな?どっちが先なんだろ?金魚は殺したって別にいいよ。
安上がりな芸術家気取りが鼻持ちならないだけで。
29 :
考える名無しさん:03/07/02 00:05
気取るか気取らないかは別にして、彼は表現として公開した訳ね。
好かんけど。
表現シたのだから結果はツきもノでしょう?
>文句があるのか?それならお前らの「生命の基準」を明確に示してみせろ。
殺してはいけない生命と殺してもいい生命との境目を提示して見せやがれ。
そんなコメント無視してバッシングスる連中ぐらい想像でキなかったのナねえ。
金魚に理不尽なメ会わせて自分の理不尽は受け入レる気ナッシンですか。
ま、ま、滑稽ダね。見てるブんには。
>>30 >バッシングスる連中ぐらい想像でキなかったのナねえ。
バッシングがクることなンか承知の上で、
その上デそいつらを挑発することが目的で写真とコメントを公開シている、
さうイフふうに俺には見えるガナぁ。
32 :
考える名無しさん:03/07/02 23:00
挑発じゃないだろ。
このおっさんはこんなコトばっか
考えてるわけだ。それで、おまいらも考えてみろよ。
てかおまいら、こんな事何にも考えずに日々生きてるだろ。
それでいいの?ってことじゃないの?
あー、それでいいの?じゃないかな。
わかんねーyo!って気持ちを作品にしてみたって感じかなぁ?
>挑発じゃないだろ
そうかなぁ。
少なくとも俺にはそう見えるし、実際「名も無き飼い主さん」たちは釣られちゃってるわけだ。
これは俺の言葉じゃないんだが
「当たり前のテーマを刺激的に表現する事によるアザトイ商業性を感じる」
激しく同意。
>安上がりな芸術家気取りが鼻持ちならないだけ
>>28 写真家としてはこういう評価をされても仕方が無い。
ただ、それでその「当たり前のテーマ」を無視してもいいかというと、
それはまた別問題。
34 :
考える名無しさん:03/07/02 23:26
当然、挑発はあるさ。
「価値」というのは「使用価値」と「交換価値」に尽きる。
「使用価値」は、「人間の欲求を満たすかどうか」に尽きる。
金魚を酷い目に遇わせるのは俺にとっては気持ち悪いし可哀相だし不快なだけ。
だから何の価値もない行為。むしろ反価値。禁止せい。
>>35 もっともな意見なのだが、そこに
「俺にとっては」を書き入れてしまったのは失敗ではないか?
それではこの芸術屋気取りの思う壺。
>>35 「気持ち悪い可愛そう不快」な思いをさせてくれるってのも、
芸術の価値のひとつなのではないかとおもう。
この人のやってること自体は、
「魚のすり身を作ったり、魚をゆでたりしただけ」と考えれば、
ごくありふれた魚の調理ということになる。
しかし、それを金魚でやったということで、ありふれたものではなくなる。
日常が非日常になる。
その辺が、芸術としての価値なんじゃないかな?
38 :
考える名無しさん:03/07/02 23:37
>>35 俺にとってもと賛同しよう。
金魚ミキサー、精神がキモい。タクマに通じるものがある。
言っとくけど、俺も、「金魚可愛そう!」って思うぞ!
芸術の名の元に「動物虐待用語」ってわけじゃないぞ。
(訂正)用語→擁護
41 :
考える名無しさん:03/07/02 23:42
もし、CGを組み合わせて相当の画像を作り、1匹の金魚も傷つけずに表現
したなら、たいしたものだったかも知れない。
>たいしたもの
それはCGの見事さに対して?
43 :
考える名無しさん:03/07/02 23:45
金魚ジュースの色は、金魚の色か血の色か
>>41 普通は、そう考えるわなぁ。<CG
でもそれじゃ話題をつくる事ができない。
(それから付け加えておくと自分の暴力衝動を満足させる事ができない)
と、いうわけで、あの写真ができあがったわけかな。
と、
こういう感想はただ彼の商売ッ気を満足させるだけなのだろう。
それが仮に彼の利用した「盾」に過ぎないとしても、
無視せずそのテーマに向かい合う事が、あの作品に対する、
哲板らしいアプローチだと思うが。
45 :
考える名無しさん:03/07/02 23:47
>>42 微妙だが、殺戮によって殺戮を表現するというのは、芸術として屁垂れ
ではないかと
芸術というのは、天才か努力だけが創出できる奇跡としての「非日常」だろう。
誰にでもできるようなことを芸術と呼べるのか。
金魚をミキサーで殺すことなんぞ、キモいのを我慢すれば誰でもできる。
そんなのを芸術と呼ぶなら、宅間も麻原も芸術家だ。
20世紀最大の芸術家はヒトラーだ。
この写真家がそこまで言う覚悟があるなら、聞いてやらんこともない。
>芸術というのは、天才か努力だけが創出できる奇跡としての「非日常」だろう。
>誰にでもできるようなことを芸術と呼べるのか。
「芸術家」についてはそうだろうけど、
芸術的効果については結果おうらいでしょ。
49 :
考える名無しさん:03/07/02 23:56
何で女を脱がしてまで写真撮るのか?
合意なら別にヨイではないか。
金魚にも同意とれよな。
これってもしCGじゃないとして、例の猫殺した奴が捕まった
ナントカ法にひっかからないのか?
魚は殺してもいいんだとすると、法律の規準は確かによくわかんないな。
芸術がどうとかじゃなくて。
つまらんカキコスマソ。
>芸術的効果については結果おうらいでしょ。
いいこと言うなぁ。
>>50 本人も「コメント」でそんなこと書いてたね
>>50 つまらんカキコなんかじゃないぞ。
>魚は殺してもいいんだとすると、法律の規準は確かによくわかんないな。
>芸術がどうとかじゃなくて。
ここ重要
芸術作品なのだ、っていう先入観を捨ててただあの写真を眺めてみよう。
湧き上がってくるこの嫌悪感はなんだろう?
この嫌悪感の根源を突き詰める事が哲板住人のアプローチではないか?
55 :
考える名無しさん:03/07/03 00:09
殺戮で殺戮を表現する稚拙さも気に入らんのだ俺は!
>>55 芸がない、ヒネリが足りないと?
たしかにそうだね。
でも、絵画とかCGでやるよりは話題性はあるよね。
「そんな残虐なことやる奴はケシカラン!」
「芸術を傘にした単なる異常者じゃないか?」
って物議をかもす。
みごとに、釣られたことになる。
だけど、釣られる人怒る人がいるという事実が、
この作品が無価値じゃないことを示してるとも言えるのかもね。
57 :
考える名無しさん:03/07/03 00:22
タクマ芸術家認定
>>56 我が意を得たり!
あの写真から我々が感じる違和感、添えられたコメント、
それらを全て粉微塵に論破した上で、
「お前の写真には世の動物愛護屋たちを挑発して話題を作る、それぐらいの価値はあったんだろうな」
と、言ってやりたい。言い放ってやりたい。
ミキサーというのがポイントだな。
なんの生き物にしろ、生きたままミキサーはキツイだろ。
60 :
考える名無しさん:03/07/03 00:27
普段意図的に殺さない習慣の対象を殺すからキモい。
習慣と、
その習慣をひっくり返す狙いと、
その狙いを表現する方法と、三つあって、
あたしゃ習慣にも意味を認めるし、
習慣をひっくり返す意図も、時として買うのだが、
手法としてはダメを出す。
どうして?
言いたいことを伝える方法は最善の選択でなくとも、
よりベターな方法を選択するべきだし、
他に方法がある場合はある方法は下策と評して差し支えないからだ。
せめてこの写真家や金魚ミキサー芸術家が、宅間ほどの覚悟、居直り、どうしようもなさを匂わせていればよかった。
正体不明の嫌悪感をかきたてるというなら、蓮父の方が上だと思うが。
テクニック的にも上w。
…というか桑島秀樹はこのスレッドを読むべき。
>>61 同意!蓮父はスゴイ!!
だって、乳首と蓮だけであんなに人にショックを与えるんだよ!
すげーアイデア。
あ、でもあれは蓮の穴なんだと知ったとたんに効力薄まるけど・・・。
ここには桑島秀樹が考えていた以上のことは書かれてないと思うよ。
65 :
考える名無しさん:03/07/03 01:18
ひっくり返すべき習慣か否かだな。
殺していいものとだめなものを社会規範や個々人はどうやって区別するか?
その区別は曖昧ではないか?
どうして曖昧なのだ?曖昧であっては承知しないぞ!!なのか、みなさん、曖昧なんだよ!!なのか?
そんなことは問うまでもないことである。
曖昧に決まっているものであるからだ。
>>58寂サン
つまりナんナりの感情を刺激すル要素ガある以上ハ芸術としテの価値が
あり彼はソの確信の上で表現していルと思われるのデそレを覆す方法ヲ考えよ。
とのコとですね。
うーン…私ナら
「彼の両親、家族、友人その他諸々でミキサー写真。」カな。
もちロん実際にやルと同レベルナんでリアルなCGとかデ。
で、その嫌悪感を自分で味わって頂キ、その上で、
「これは芸術でスカ?」
と改めて聞いてミタい。ドーかな?
67 :
考える名無しさん:03/07/03 01:26
これをあげずに何をあげる。
というわけでage
理由はそウ…
こうイった人物の思想ヲ理解すル為には自分の知人以外に限りなく似た(同一である事ハ否定)
仮想人物を用いて表現を模倣シ、そレに対する反応を確認すルのも哲学ヲ行う上で…
とカナんとか。
69 :
考える名無しさん:03/07/03 04:36
例えば「喰うために魚を殺す。」
こういった過程が公表される事は料理番組はもちろん、日常的に多々あることだけど
それはやはり喰う事が前提であり目的であってそれを公表する際に
意図される演出は精々『いかに旨そうか』と言う点にあるわけね。
「喰うために殺すなら何を殺してもよいか?」と言った問いについては解答など無い。
鯨を食うなという人もいれば犬や猫を喰うなという方々もいらっしゃるし豚を喰わない、牛を喰わないって国もある。
人を食う種族だっているわけだから。
だから問題はそれをわざわざ描写して公表した一点にある。
しかも戦場写真家とは全く逆の事をやってるわけでただ「写真を撮って公表したい」が為に金魚をミキサーにかけてるわけでね。
これが極めて性根の腐った商業的打算なら吐き気はするが理解は出来ないわけじゃない。
でも本気で芸術なんて思ってるとすると単に露出狂でしかないわな。子猫バラしたやつとなんもかわらん。
70 :
考える名無しさん:03/07/03 05:46
たんに殺し方が悪いんじゃないか?
人間の死刑囚でも、苦痛のない様な電気イスなら容認されるけど、
ミキサーでぐちゃぐちゃは、たとえ死刑賛成論者でも嫌悪感を抱くだろう。
この芸術家は、結果(殺す)が同じだからといって、
より大切な過程(殺し方)の違いを考慮せず、
「生命の基準とは何か?」と論点をずらすのはおかしい。
みんなが嫌悪感を抱く(許せない)のは、「殺す行為それ自体」でなく、「殺し方」(または動機)なのだから。
「どうせ金魚は殺されるんだから、ミキサーでも同じだよ」といいたいのなら、
是非人間の死刑囚もミキサーで殺して欲しい。
72 :
考える名無しさん:03/07/03 09:10
>>71 宅間の死刑は普通の大きさのミキサーを強化して、足の先からちびっと
ずつやってほしいものである。
73 :
考える名無しさん:03/07/03 09:18
>>72 どっかの教導少将に、サディスト、野蛮人て言われるな。
金魚にミキサーを使うという組み合わせへの直感的な嫌悪
アメリカの猫レンジの訴訟で、うげーと思うのは電子レンジだからでしょう
>>70-71サン
イやいや、そこに芸術なンテもんが絡んデクるカら厄介な訳デして。
この芸術家は、もともと殺されるために生まれてきた生き物を、
残酷に、無意味に殺すことで
「生命の基準は誰が決めるのか?」
の問いを浮かび上がらせたいようだ。
しかし、このパフォーマンスとコンセプトは一致しない。
このパフォーマンスによって現れる問いは、
「(結果的に殺されるからといって)残酷に殺してもよいのか?」
である。
この人のコンセプトは、「後付け」だと思う。
俺には、衝撃的なパフォーマンスを思いついて(やりたくて)
後からその行為に意味を持たせるきれい事(コンセプト)を考えたとしか思えない。
「生命の基準は誰が決めるのか」というもっともな問いを隠れ蓑に、
自分がやりたいこと(自分が有名になること)を正当化するその根性が
見え隠れする。
ただ、この人のプレゼン能力(インパクトのある殺し方・見せ方)は凄いと思う。
78 :
考える名無しさん:03/07/04 00:50
能書きが必要な芸術は却下。
能書きで足らないから付け足すのではなく、
能書きがないと成立しないから、能書きの方を付け足すのであればなおさらだ。
表現者は能書きを必要としない表現に邁進して欲しい。
そうでなければ能書きをたれた時点で敗北なのだ。
表現より能書きを重視する表現屋のなんと多いことか!!
>>78 >能書きが必要な芸術は却下。
確かに一理あるが、現代美術にとって「能書き」は重要だよ。
80 :
考える名無しさん:03/07/04 01:00
では現代芸術は、おそらく自身で成立し得ない臆病者で、
言い訳をカサに、かろうじて承認や共感を得ようとする、
甘えん坊さんなのです。
本当は存在しえないのに、無理してぶら下がっているだけの異物ということです。
でも、饒舌なアーティストって、いやらしい。
82 :
考える名無しさん:03/07/04 01:02
異物じゃない。遺物だった。
君、現代美術全く知らないでしょ?
84 :
考える名無しさん:03/07/04 01:18
現代美術ってなーに?
何に応えているの?
もしくはなにゆえ成立できるの?
どこかの時点で芸術の定義が変わったの?
それが依然として芸術である根拠は?
何かの免罪符?表現の自由?個人の脳内イメージのぶちまけ?
現代美術、現代芸術・・・どうも、なじみが薄いな。
何なんだろう?83さん、教えてよ。
デは、逆に現代美術の何が解っテイるというノデしょう?
なーんチャって。結局は各人の芸術観の違いになっちャうんデすケどね。
以上ヲ踏まエて。
我等がナンだカんだ言った所で当の桑島秀樹サンが「芸術だ」ッて言っチゃえば
ドうしよウも無い訳ですし。我等が「芸術とはいえない」と主張スるのでアれば
まズ彼に芸術とはいえナい事を理解させル論理を構築すル必然性がアルノでは無いかと。
思ウノだけれども。多分。
86 :
考える名無しさん:03/07/04 01:49
現代芸術におけるパラダイムの破壊とは具体的にいうと、「美術を否定する美術」・「音楽を否定する音楽」を生み出すことである。
既存の芸術の概念は、「自己表現、美の追求、コンポジション、情念の発露」であったが、現代芸術とは、まさしくパラダイム自体を問い直そうという試みである。
だからぶらさがり健康器具みたいなんだろう。問い直しても新たなパラダイムが発現しないという戯言に堕す。
87 :
考える名無しさん:03/07/04 01:52
破壊するほどの何ものも人間社会には構築されてはいないのに・・・。
88 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 01:56
>>86 その実、美術・音楽というパラダイムからお声がかかれば、まるで
売れない芸者のようにホイホイ呼ばれていくのが現代芸術である。
>>85 >まズ彼に芸術とはいえナい事を理解させル論理を構築すル必然性がアルノでは無いかと。
>思ウノだけれども。多分。
うん。
俺は、この作品が「芸術でない」とは思わない。
それに現代美術にとって、コンセプトが大切なのもわかっている。
ただ俺は、そのコンセプトとパフォーマンスが一致していないことを指摘したいだけ。
何故その違いが出てくるかを考えたら、
>>77を感じた。
実際、現場で聞くと、後付け理論が多いのがわかる。
(俺、建築設計やってるけど、施主の人や雑誌の論文にもっともらしい理屈をこねるのと同じ)
「あっ、こいつ屁理屈つけてんな」って感じ。
この人の場合、パフォーマンスがあまりにも強烈だから、
「そんなちゃちなコンセプトで自分を正当化するなよ」って言いたいわけ。ただそれだけ。
>>89追加
ここでいう「後付け」とは、
「そのままでは認められそうにもない自分のやりたいことに、
もっともらしい理屈をつけて自分を正当化すること」
おそらくこの人は、このアイデアを実行すれば、人から注目され、名を上げることができると
考えたと俺は勘ぐってる。(実際「素晴らしい」アイデアだと思う)
91 :
考える名無しさん:03/07/04 02:16
物議をかもせばいいのか?
後始末は他の誰かに依存しているのか?
個々人に委ねるか?
社会的制裁を逃れる措置だけは万全か?
微妙な境界に位置どって、ついでに自己弁護御託を並べ立てておくか?
確信犯を装って、自己都合の妄念を反吐のようにぶちまけて、慎重な予防線を張る潔くない犯罪者か?
なぜ、犯罪を犯さずに芸術を僭称する?
犯罪の方がメッセージ性は高いのに。
メッセージではなく、やっぱ食いつなぐことが優先なのか?
情けない犯罪者だ。
思い切りの悪いメッセージ発信者だ。
もしも本当に、心底伝えなければならないメッセージが己に降臨したというのなら、犯罪や制裁を恐れて何が伝えられると言うのか?
金魚という対象選びのそつのなさが、メッセージを弱めてしまう危険性についてはどう考えているのだ?
だから芸術家気取りは不完全燃焼なのだ。中途半端で、模倣が横行し、生煮えで、腹が据わっていないのだ。
>>89 ソれには私も同意出来ます。
…ん? あア、ナる程。
ソこかラ突き崩スのもアリかもシれませんね「正当化できてないよ」っテ。
前に出したアイデア
>>66>>68はドウも野蛮な気がしてまして他の方法は無イものかと思案しテた所でしテ。
ウん。いいかモしれナい。
>>91 イや、対象の差ノ問題じゃ無い様な。
犯罪=芸術ヨり凄い ってノはドーかと思うのデすガ。
一応いっておくと、俺はこの「芸術家」は嫌いです。
ただ、「芸術作品」としてみれば素晴らしいと思う。
95 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 02:22
この板の人ときたら、キリスト教だの人格神だのには敏感に反応するのに
芸術が問題となった途端に神学者になるのは、どうして?
芸術を自明のものとしてしまったら、そりゃ神学だろう。
哲学板としたらよ、「芸術とは何か」ではなく、
「過去に何が芸術とされてきたか」を問題にせにゃならんだろう?
デも現代芸術家(?)のオ話ですよ?
過去ウンヌンじゃナくて。
97 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 02:54
「ここ数十年、何が現代芸術とされてきたか」でもええよ。
うーん…
暫く考エてはみたもノノ統一性ガ無いなぁ。
というか、これが
「芸術であるか、芸術でないか」という議論と、
「芸術として優れているか、ダメか」という議論と、
「行為として許されるか、許されないか」又は「妥当か、不当か」という議論と、
何か関係あるのでしょうか。
>>99 ヤハははは 無いでスね。
論点明確にしてクれてあリがとう。
私とシては
>>99ノ内容に加えテ
「この表現方法ガ桑島秀樹サンにとって芸術タリえているカ」
ツマり当事者とシテ、また鑑賞者とシて。こノ表現を受け入れる事が出来ルのカ。
コメントに述ベてイる内容が正当か欺瞞か?についてモ考察シてみたイ。
101 :
考える名無しさん:03/07/04 22:55
犯罪は芸術よりすごい。
物議をかもすと言う見地からしてみれば・・。
でも、物議なんてものは芸術の根幹ではない。
いつから芸術が物議をかもす道具に成り果てたのだろう?
プレゼンテーション能力?商売のことかね?芸術稼業業のことなのか?
仮に、百歩譲って、だとしてもプレゼンでは能書きが優先?
嘘だな。能書きで通ったプレゼン採用案は「後悔」という一文字を味わうことになろう。
>>89 商売にまみれた現代芸術の話になるとは思わなんだ。
102 :
考える名無しさん:03/07/04 22:58
>>99 >「芸術であるか、芸術でないか」という議論と、
芸術ではないです。断じて。
>「芸術として優れているか、ダメか」という議論と、
したがって、芸術評価の埒外です。
>「行為として許されるか、許されないか」
許されます。どうそ。
>又は「妥当か、不当か」という議論と、
不当です。
>何か関係あるのでしょうか。
ありません。
>>102 理由も言ってくれないとツマラナイYO!
104 :
考える名無しさん:03/07/04 23:05
「芸術とは、言語障害者が発見する表現テクニックのうち、健常者をも言語障害に巻き込むようなインパクトをもったシンボル形式の体系である。」
芸術の定義としては上出来の部類ではないだろうか?
105 :
考える名無しさん:03/07/04 23:23
金魚はみんなほとんど何らかの形で殺しています。
金魚には気の毒ですが死んでもらいます。
でも、金魚は全部死にません。
金魚が全部死んだら、金魚はいないからです。
生殖を人間に委ねられてしまった他の種の生物の悲哀を語り合う・・・そんな趣味があるならどうぞ。
金魚ミキサーも金魚の悲哀に付き合ってはいません。
何を問題にしているつもりなのでしょうか?
緩慢な死や去勢を他生物に強制する人間像?
違います。
コメントから推測すれば、人間の尊厳をもっと昇格させもしないで、他生物への愛護で慰謝されるな、というメッセージでしょう。
愛護以前に人間を愛護しろ!!
その種の雄たけびです。愛されたい。守って欲しい。愛への飢えです。
愛されていないと不満を募らせる子供が、往々にしてもっと弱い生命をいじめる代償行為。これを大の大人がやって見せた。
子供なんです。そして、子供こそ芸術の担い手なのです。
106 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 23:31
だから「芸術であるか、芸術でないか」や、
「芸術として優れているか、ダメか」の中には、
暗に「芸術とは何か」という問いが含まれているだろう?
で、この問いは、結局、神学、神秘主義、オカルトにしか
いきつかないといっているわけだ、私は。
107 :
考える名無しさん:03/07/04 23:31
あーあ、人を殺してみたかった少年が、裁判で芸術を主張してみるとか。
この問題に限ったことじゃないけど「許されるか、許されないか」って
言い方、おかしくない? 何で受け身になるわけ?
「許すか、許さないか」というんなら、「許す」主体によって違うでしょ。
国や法律は「許す」としても、個人が「許す」かどうかは究極的には
個人の自由だよ。
109 :
考える名無しさん:03/07/04 23:38
芸術プレーの限界
公序良俗
110 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/04 23:43
では話を現代芸術に限定し、
「ここ数十年、何が現代芸術とされてきたか」に答えるとするなら、
ずばり「屁理屈」だろう。
ここ数十年、屁理屈について論じられ、屁理屈に金が支払われていた。
では「金魚大量殺戮」が現代芸術かどうかというば、
屁理屈があるので現代芸術としかいいようがない。
ただし「芸術」にしろ「現代芸術」にしろ、その呼び名でしかなく、
自明なものでもなんでもないわけだから、それが
芸術だとしても「エライ」ということには、全くならない。
111 :
考える名無しさん:03/07/04 23:45
エロは良い。いらんことをいう法律が間違ってる!
112 :
考える名無しさん:03/07/04 23:46
金魚は生きている姿を鑑賞することでその価値を発揮するものだということになっていた
から、殺してその様子を写真に撮るのは間違った使い方だ、ということで非難されている
のかな?鰯は潰して食べることでその価値が発揮されるので殺してミンチにしても非難は
されないんだ。この仮説はどうかな。
113 :
考える名無しさん:03/07/05 00:02
そうは思ってない人もいるようだが。
金子みすずとか。
114 :
考える名無しさん:03/07/05 00:08
単に粉々になって死んでいく金魚に美しさを発見して主張したかったとしたらどうだろう。
115 :
考える名無しさん:03/07/05 00:13
病院には逝ってみてもらうべき。
その手の美意識にはまると、どこまで暴走するか判らんからね、けけけけけ。
116 :
考える名無しさん:03/07/05 00:19
いいんだよ。いろいろな人がいることに耐えることが世の中なのだ。
みなおとなしい、自分の予測どおりで、安定した振る舞いをしてくれると想定して生きてもしょうがあるまいよ。
つまらないだろ?
反発し、憤り、許せんと奮い立ち、告発や断罪、社会的制裁や刑罰のスタイルを云々する・・・。
生きるって素晴らしいな。
いろいろな奴が、もっといろいろ物騒なことをする。想像を超えた、あるいは想像の範囲内だけにおさまっているだろうとたかをくくっていた振る舞いが実際になされる。
アイデアが素晴らしいというやつもいれば、言語道断と息巻くやつもいる。
実際に自分や家族が被害にあって台無しになる人生もある。
いろいろあってみんなイイ!!
byみすず
事実は小説より奇であって欲しいものだ。
117 :
考える名無しさん:03/07/05 00:25
>>116 例えばキミ、街で突然ぶん殴られて、気がついたら、「君は私の新作の
材料に選ばれたのだ、光栄に思いたまえ」って、でっかいミキサー突っ
込まれたら、楽しいか?
118 :
考える名無しさん:03/07/05 00:27
動物虐待は、国外犯規定あった?
119 :
考える名無しさん:03/07/05 00:27
∧_∧ カタ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)__カタ___ _< 先生!
>>116は一般解すぎてあんまり納得できません
( つ_ || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \_____________
|\.|| VAIO |
'\,,|==========|
120 :
考える名無しさん:03/07/05 00:32
>>118 てめえ、海外で猫ミキサーとか考えてるんじゃないだろうな?
アメリカだったら、もっと重罰じゃないの。
それとも、鯨を殺すと怒られるけど犬猫はいいのかしら。
122 :
考える名無しさん:03/07/05 00:58
>>117 楽しいかどうかではない。
ありうることだ。いろいろなやつがいる。違うか?
123 :
考える名無しさん:03/07/05 01:29
先手必勝で逝くか
124 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/05 01:59
もう1つ言い添えておくなら、ゴシックが中世末期の様式であるように、
ロココが18世紀末の様式であるように、
現代芸術も前世紀末期の芸術様式にすぎない。
今となっては気の利いた絵でも眺めている方がマシというもんだ。
けっきょく現代芸術のクリエイターゆうたら、時代遅れの温泉宿の
マン糞わるい温泉芸者じゃい!
125 :
考える名無しさん:03/07/10 00:32
しばらくレス空いたが、玉虫の厨子ってどうよ?
金魚はいけないが、下等な昆虫なら大量虐殺して厨子(仏さんの入れ物、殺生
しまくりで作るってのもシュールだけんど)に貼っつけてGoか?
駐車場から放り投げるなよ!
死んだあとの玉虫でしょ?たぶん。。。
127 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/10 00:37
Goもなにも、現代芸術生んだのもmodernityだし、
玉虫厨子を「芸術」扱いしたのもmodernityだろが。
死んだあとの玉虫です。不殺生の宗教ですから。
ああ、昔はね。今はどうやって作ってるかよく知らない
129 :
考える名無しさん:03/07/10 00:46
昔は死んだ人をミイラにしたもんだが、最近は、ミイラが金になると、
そこいらのやつをぶっ殺して古代のミイラに仕立てる訳だ。
130 :
考える名無しさん:03/07/10 04:58
金魚写真家は台所道具の使い方が姑息。
本来想定されていない用途の道具で非効率な殺生を行えば不快に感じるのは当然。
あと致命的なのが経過の写真。
最初と最後の写真を2枚並べるだけならアート志向と言えなくもないんだけど、
説明的な写真が入ってる所為で完全な露悪趣味になっちゃってる。
関係ないけど、殺戮アートならカルト風集団が 豚解体→臓器摘出→人体に被せる ってパフォーマンスのビデオを東京都現代美術館で見たことがある。
131 :
考える名無しさん:03/07/10 05:07
熱湯ぶちまけるだけで億単位の細菌が死ぬのだ
それはともかく金魚は動物愛護法の対象ではないから問題ない
法的にはそうですか、ああそうですか。
芸術家としちゃどうなんだろうね
133 :
考える名無しさん:03/07/10 06:11
一時代前の前衛アートで自分の足をピストルで撃ったり、女性が性器に筆を挿して絵を書いたりってのもあったね。
ギリギリのタブーに挑戦するという点ではアダルトビデオ業界と同じなのかも。
うぇ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
136 :
考える名無しさん:03/07/25 21:05
もう1つ言い添えておくなら、ゴシックが中世末期の様式であるように、
ロココが18世紀末の様式であるように、
山口県東部人も前世紀末期の芸術様式にすぎない。
今となっては気の利いた絵でも眺めている方がマシというもんだ。
けっきょく現代芸術のクリエイターゆうたら、時代遅れの温泉宿の
マン糞わるい温泉芸者じゃい!
137 :
考える名無しさん:
「ある高名な男が死にかかっていて、
そこに男の妻と医者と新聞記者と画家が立ち会っている。
オルテガによれば、この順序で事象への感情的な介入度が弱まる。
つまり、『生きられた』現実から『眺められた』現実への移行がある。
悲しむべき出来事のなかに深く入りこみ、その一部となった妻から、
ただじっと舞台に目を据えて、光、影、色価にのみ注目する画家まで、
だんだんに『精神的距離』が増大するといってもいい。」
(谷川渥『芸術をめぐる言葉』より)