【賛成】強制ID要望議論【反対】 2

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263じゆん ◆DxrYYrrJjQ
 強制IDについての考察ので載せてみる。


    <強制ID化によってどのような変化が起きるか?>

     1,レスの個別化が可能となる。
     2,レス、発言に責任と言う意識が生まれる。
     3,レスの同一性が認められる。

まあおそらく、以上のことではないかと思われる。
さて、差し当たりID化によって明確な効果があると思われるのは、
どのようなことか? 


     1,自作自演の防止
     2,実存における犯罪の抑止


この2つのことが挙げられるだろう。まあしかし、2の実存における犯罪の抑止には
今のところログをとっていないと言う運営側の見解により有名無実化しているのは
確かだ。それでもしかし、ID化によって追跡可能性が生まれるのだから、やはり
犯罪の抑止には貢献できるだろう。
264じゆん ◆DxrYYrrJjQ :04/03/30 10:11
では次に、おそらくもっとも必要とされるID化への理由はなんだろうか?
おそらくそれは自作自演ではないだろうか? 自作自演とは不思議なもので、これには
いろいろなパターンがあることに気づいた。


1,他人の名前を騙(かた)ること。
2,同一スレで名前を使い分けること(名無しとコテハン、名無しと名無し、コテハンとコテハン)
3,自演疑惑を払拭するために新たな嘘、自作自演を実行すること
4,自作自演によって議論を上手く誘導すること。
5,自演疑惑を払拭するために、他人に罪をなすりつけること。
6,自演疑惑を他の自演疑惑を捏造することによって混乱させること


まあこれくらいだろうか? 
まあ想像する限りにおいて自作自演は高度化されていると言えるだろう。
まあ妄想の域であるかもしれないが、なぜこんなにも自作自演が複雑化したのか
考えてみたい。率直に言って、ばれないからである。いや、もしばれても罪に問わ
れないから、平気で自作自演をするのである。
265じゆん ◆DxrYYrrJjQ :04/03/30 10:12
      <自作自演と複数コテの違い>

しかし、名前を使い分ける自作自演についてはもう一度再考しておきたい。
これでは単に複数のハンドルネームを持つだけで自作自演だと罵られてしまう人が
出てくるからだ。さて、自作自演と複数コテの違いとは何か?

  1,自作自演は同一スレ内の自己の秘匿性のために自作自演を実行するが、
    複数コテ所有者はそんなことをしない。むしろキャラを使い分けるよりも
    スレを使い分けるために、他人の迷惑を考えて複数のコテを持つことが多い。
  2,自作自演はどの立場も立脚した大事な立場であることが多く、ハンドルネームで
    思考が分裂ぎみなのだが、複数コテハン者は多くの場合自己同一性が認められる。
    複数コテはむしろキャラの使い分けをしない。
  3,自作自演はばれると窮地に立たされるが、複数コテはむしろいつかばれることを前提に
    して複数ハンドルを使い分けている。

まあこのような違いではないだろうか? まあ、勝手に精神分析してみたけれど当たらずとも
遠からずだろう?
そして、よく見えれば、わかることだがID化反対派のイメージというのはまさに
いま、私が申し上げた自作自演をする人の心理と一致するのである。秘匿性による安心が
おそらく前提にあるのだろう。無論、安易なカリカライズに過ぎないし、いろいろなケースが
考えられるのは確かでもある。私も自作自演者の特有の心理というものがはっきりわかる
わけでもない。むしろ、私の経験から言うと、故意に倫理観をはずす悪意そのものではなく
むしろ、小さな嘘がどんどんと大きくなって手が付けられなくなった。そんなイメージも確か
にあるのである。少なくとも自作自演には選択不可能性の事態が必ず現れる。そんなとき
新たな嘘をつくことはむしろ必然的なことなのだ。ちなみに私の登場時期では自演疑惑には
沈黙していたけれど、それは単に説明できなかったから沈黙していた。自作自演がどういう
ものなのか、さっぱりわからなかったのだ。
266じゆん ◆DxrYYrrJjQ :04/03/30 10:12
    <必要最低限の倫理観>

 しかし、これだけ自作自演が高度化してくると、自作自演者を単に見過ごす訳にはいかなくなる。
なぜそう思うのかというと、これでは嘘つきが得をする。そんなシステムを許容するからだ。
私はそんな世界は嫌いである。おそらくSophiaさんの考えているところはそういうところなのだろう。
悪を許容する状態は自然状態と言えるだろう。かなりの殺伐とした世界ではないだろうか。
私は悪が排除された社会というシステムをID化によって提唱してみたい。そもそも私にはどうして
自作自演が許容されるのかわからないのである。


   <倒錯者の実体について懐疑する>

 まず、とくに被害の大きかった自作自演を挙げてみたいと思う。ビガロ、格反、夫馬、
これらは今でも、なお続いている自作自演の実体である。あなたはビガロを見たことがあ
るだろうか? 格反を目撃したことは、夫馬はどこにいるのだろうか。そもそも彼らは本当に実在する
のだろうか?
 倒錯した人物像を前提としてその者たちがいると言うことになっている。私はこの点に懐疑の視線を
送っている。人知を越えるほどの倒錯した人物が本当に存在するのだろうかということだ。また私が
個人的に許せない現象もある。いわゆるぴか〜の共有コテ化である。これによって自作自演が有名
無実化した権力として、むしろ権利として機能してしまったのではないだろうか? 
そのように考えるのである。