1 :
考える名無しさん:
なぜだ?
未知のもの対して抱くのは、
好奇心、恐怖、無関心のいずれかではなかろうか?
おそれなければ、どうなるか。
考えてみればわかります。南無ぅ〜
いやいやおやおやおやおやおやおいやいやいやいや
死死死死死死にたたたたったたたたくくくくないいいいいいい〜ん
という訳なんだな。
本能としかいいようがない。
それは人間だけに限らず他の生物全体に言えることだ。
ルール1 知識(科学や哲学含む)、意識で理解できることは、ほんの一部だとしろう。
ルール2 知識はあくまで便利に使う道具であることをしろう。
ルール3 この世界を理解する唯一の方法は、私自身を信じることだとしろう。
やることをやってないから。
8 :
考える名無しさん:03/06/23 21:57
「生れたから」
9 :
考える名無しさん:03/06/23 22:03
もう楽しめなくなっちゃうから(笑
10 :
考える名無しさん:03/06/24 03:55
神様を信じている連中は恐くないそうだぜ。
さっき笑ってた人間が、いまはもう居ない。
やっぱりこわいよね。
まだ居るよって信じさせてくれる、誰かが欲しいよね。
なんかうちらが恐れる死ってのは
本能ってとこからはみだした、むしろ学習したこわさって感じがするね。
他の誰かが先に死ぬから。
14 :
考える名無しさん:03/06/24 08:02
>>10 神様を信じてたって怖いよ。嘘かほんとか分からない復活への希望が
あるというだけの話だね。
15 :
考える名無しさん:03/06/24 19:42
安楽死が約束されてて、未練も何も無ければ恐いものでもないだろう。
やはり未知だからかな。
死を恐れるというよりは、息停滞ということでは
17 :
考える名無しさん:03/06/26 22:42
プッ
18 :
考える名無しさん:03/06/27 00:40
ふわぁ〜、安定剤たーぷりのめば、平気らも〜ん
19 :
考える名無しさん:03/06/27 00:52
シラナーイ
20 :
考える名無しさん:03/06/27 15:13
それなりに満足できる部分がある生活を送っていて
体がまともに機能しているなら(これも1行目にはいるか)、
それが失われるのが嫌である。死が、失われる場合の
最たるものとして受け取られた場合、人はそれを恐れる。
21 :
神聖我無帝国皇帝:03/06/27 15:16
ってか生物学的な本能だろ、単純にさ。
22 :
考える名無しさん:03/06/27 15:43
23 :
考える名無しさん:03/06/27 15:44
死という概念が「本能」とは、恐れ入ったよ君
さすがに馬鹿なコテハンをつけるだけのことはあるね
24 :
神聖我無帝国皇帝:03/06/27 15:45
本能だよ。死にたくない理由がないのに、死にたくないもの。
物質的に死は解るけど精神的な死は理解し難い
阿呆と思うかい?
26 :
地獄さん訂正:03/06/27 15:50
×物質的に ○物質的な
27 :
神聖我無帝国皇帝:03/06/27 15:52
しかし、客観的に見た場合、死とは最も強い力だと今ふと思った。
なぜなら、死の力は生の力を上回るからね。
死とは全ての生物の全ての個体にとって永遠のテーマだな。
29 :
神聖我無帝国皇帝:03/06/27 15:54
>>25 どうだろうね、わかりようがないからな。
俺は魂があると信じているが、実際はわからない。
30 :
考える名無しさん:03/06/27 15:59
あと50年以内に人類は不老不死になるので恐れなくていいよ
>>30 癌因子が全てなくなると?200以上の因子がだよ?
嘘言っちゃいけんよ。不老不死は無理だな
新しい哲学を語る
梅原 猛 (著), 稲盛 和夫 (著)
第1章 哲学なき現代の不幸
第2章 道徳の復興こそ急務
第3章 働く意義と「利他」の精神
第4章 宗教を見つめ直すとき
第5章 宗教と人類の未来
第6章 哲学をベースとする社会を
現在の哲学の多くはデカルトやニーチェなどの近代思想についてその解説を
行っているものに過ぎないと梅原氏は述べています。そして戦後豊かになっ
た日本の状況を背景に新しい哲学を考えることが必要であると。その根にあ
るのは「利他」の思いである。資本主義は「自利」を追求することにあり、
自らを増殖しない限り、その追及は満足できない。そのおかげで弱肉強食や
貧富の差の拡大、さらには地球環境の撲滅まで到達しつつあります。このま
まではいずれ自ら破滅を迎えることは自明であり、その危険に最近多くの人
が気がつき行動を起こしてきているように思えます。
後退した牛の肛門に偶然頭を突っ込んでしまい窒息死した人の気持ち
になって考えましょう。
生まれてくるのも恐れていたんじゃないのか?
人間は死の恐怖を認識できても、
死そのものは認識できないわけで…。
認識できないものだからこそ恐怖を抱くのかしら?
自分が死ぬことを認識したとき恐怖するのでは。
普通、死の恐怖は認識できないのでは。あるいはそれを認識したときはすでに死。
自分が死ぬことを認識できなければ恐怖はないのでは。
死ぬのが怖いのは、やはり生きていたいからかな。
もう一度考えたら、死を恐れるというのではなく、死に至るような、あるいは
死ぬ寸前で味わう苦痛を受けている人の様子ということなら、目にすることが
できますよね。例えば、原爆の被害の様子なんかが描かれた絵がありますけど
も、あれを見たら、やっぱり原爆はこわいですよね。恐怖です。
死に至るまでのプロセスも含めてを、「死」とするならばその死に至るまでの
苦痛というものがやはり相当ある場合には、人が死を恐れるのはある意味当然
ではないかとも考えました。どうですかね。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>1
必要だから。
40 :
考える名無しさん:03/07/29 21:09
ジャンケレヴィッチでも読めや
41 :
考える名無しさん:03/07/29 21:17
>>1 「死ぬのは怖くない。死ぬ瞬間の苦痛や痛みが怖い」って言ってるだろうが
かってに、「人は」とか一般化すんなよ
死は人間の終わり。まだ終わりたくない人間がそれを恐れるのでは。
人間つーか全ての生物に言えることだな。
一番恐れているのは人間だろうけど。
パスカルは言ってるよ。人は何だか分からない物や事柄を恐れる。たとえ誤謬だとしても決め付けさえすれば恐れはなくなると。
45 :
考える名無しさん:03/07/29 21:32
それくらい我慢できないの?
人が予測し得る結果に対して覚える期待や恐怖の中の一つ。死を多大な損失と考え、また分かっているから恐いんでしょ。
自らの死によって利益が有る場合は(有る程度損失が恐くても)死ねます。
47 :
考える名無しさん:03/07/29 21:56
万人は生まれ変わる。
死を畏れる必要など無い。
死を畏れることは満足な豚以下である。
恥ずかしい限りだ。生き恥をさらすな。
48 :
考える名無しさん:03/07/29 22:50
誰が書いたか忘れたが、「死に至る病」という本を昔読んだ。この「病」というのは
「努力」と換言できると思う。人間は努力する事によって、他の動物と峻別したりする。
努力を夢中でしてれば、死なんかちっとも怖くないと思うがね。もっとも努力をしたくない
人もいる。そんな方は、過去の子供時代に感謝して生きればいい。8さいの誕生日にお母さん
にもらったプレゼントを大切にするのだ。そうすればまた違ったものが見えてくる。
49 :
考える名無しさん:03/07/29 22:58
恐れなければ、種が絶滅してしまうから
50 :
考える名無しさん:03/07/29 23:06
安定剤たくさんのむと、怖くなくなるってこともあるが
51 :
空白の氏名欄:03/07/29 23:08
一人の人間の死は只の一事象でしかなく、それ以上の物でもない。何故ならば、それは“死んだ”でしかなくそれ以外の言葉を当てはめる必要も無い。
しかし、ヒトはその事象に過去や経緯を余計な事象として付加する。
それは、事象が伴いはじめて成り立つ。事象が伴わない死はやはり一事象でしかなく
過去や経緯を付加する事が出来ない。
死を目の前にして過去や経緯を付加してはならない。
果てに待つのは一事象でしかなく、それ以外の何物でもない。
例え事象を望まなくとも。
俺の死は一大事。
俺の関係者の死も一大事。
他人の死は一事象。
それでいいのだ。
53 :
考える名無しさん:03/07/29 23:39
とにかく、努力するから人間は、死が怖くなるのである。
努力を止め、おとなしくヒキコモッテなさい。
私は、37年ヒキコモッテるから、もう死なんて怖くないよ。
死が怖くなくなったらそれは一種の病気
55 :
考える名無しさん:03/07/29 23:46
生きている限り死は来ない。
死んだら私はもう存在しない。
だから死を恐れる必要はない。
56 :
考える名無しさん:03/07/30 00:01
人間は、努力するこころと感謝するこころのあいだではかなげに、生きている。
感謝ばかりしていると、死が怖くなくなる。私は、37年くらいヒキコモッテいるのだが、
確かに他人から見れば、病気かもしれない。また、感謝という観念は、倫理や宗教で扱うべきといわれれば
それまでですね。
8割方学生さんだな
58 :
考える名無しさん:03/07/30 01:10
生まれる前は、生まれたくないいいって思っていたよ
きっと君も同じだと思う
人は自我を崩壊させるものを恐れる。
死はその最たるものである。って高校の教科書に書いてあった。
60 :
考える名無しさん:03/07/30 22:08
死を恐れない、なんて人によっては当たり前の事じゃないのかな。理由は千差万別だとしても。
ただやっぱり、両親を悲しませたくない。それが私の生きている理由だと思う。
両親に暴力なんてふるったことないし、ただ感謝してるんだよね。だから、感謝のしるしとして
自分の自死を両親に捧げたい、ような気分もある。死は怖いものじゃないんだということ
を人に伝えてみたい気がするというか。
61 :
考える名無しさん:03/07/30 22:11
死を毛嫌いし、生を正当化する人間はそれだけ苦労、苦痛も多い。
62 :
考える名無しさん:03/07/30 22:14
死は自我と密接に結びついてるぜ。
63 :
考える名無しさん:03/07/30 22:15
安らかな死をどう考えるか、ではないのかな。
64 :
考える名無しさん:03/07/30 22:17
別に自我なんてどうでもいいじゃんと俺は思う。
だから、そんな恐怖は俺には全く無い。
多分死が怖いのは生物の本能だな。
あるいは、ぴかぁ〜言うのsuper soulかもしれんが。
65 :
考える名無しさん:03/07/30 22:26
【死体】念佛宗無量壽寺の実態【いじり】
社会的地位を利用して断り難い立場の人に狙いを絞り
決して教団名を名乗らずに済度(勧誘)する。
「とにかく良い話があるから京都まで来て欲しい。」と言うだけ。
京都へ2日間行くと意味不明の説法、儀式を受ける。30数万円払う。
(詳しい事は過去ログ第一章にほぼ全て書いてあります)
京都での儀式入信した事は例え親家族であろうと口外禁止。
念佛宗の名バラしたら無間地獄へ落ちると脅される。
同行になってからも出費(護持費、会費、廻向費、御布施など)は重む。
同行になると3人は済度しないといけないとノルマを命じられる。
同行が亡くなったら「涅槃が出たぞ」と近くの同行が集まって
その遺体を触ったり、持ち上げたり、口の中に手を突っ込んで匂いを嗅いだり。
御開祖様(教祖)は元サイコロ占い師で詐欺で告発寸前まで行った分際で
秋篠宮真子様の名付け親だと平気で豪語する始末。
主な著名人同行、皇族全員、聖徳太子、空海、徳川家康、宮沢賢治、手塚治虫など
【過去ログ倉庫】
http://dempa.2ch.net/prj/page/nenbutusyu/index.html
66 :
考える名無しさん:03/07/30 22:27
死を介して話した事あるかい。
自分を殺すヤツの顔を直視してみることだ。
厳しいが。
67 :
考える名無しさん:03/07/30 22:35
余計に生に対する執着があるからこそ、人間は死を恐れるのである。
生に対する執着、ひいては欲望という本来性を滅殺する事が
可能であるならば、死への恐れは軽減するものと思われる。
そして生に対する執着は、即ち自己保存のことであるから、
自己に対する執着をなくせば良い。
自己の執着が全く失われた状態を、無我という。
この境地に至れば、死を克服する事が可能だ。
68 :
考える名無しさん:
死が怖いのは、人間が努力を意識的にしてしまうからだと思う。
こんなに努力してるのに、何で私は、不幸なんだー!てな具合で、生にしがみついてしまう。
私は、37年間金をほとんど稼いでないので、感謝をまわりの人間にしていると死が怖くない感じ
に襲われる事が多い感じです。
生きるために、努力、死ぬ為に、感謝、これ以外に自分の悪い頭が適応できないと
薬が多くなるだけですわ。