>・数学などの命題はトートロジーなので、無内容。
>・自然科学などの命題は、検証によって真偽が確かめられるから意味がある。
>・形而上学などの命題は、検証することができないので無意味である。
>そして「論理哲学論考」の「語り得ぬもの」とは、3つめの無意味な命題のことを指しているわけです。
>無意味な命題は語ろうにも語りようがない、ということです。
違うと思う.さすがに最初はおかしい.数学の命題はトートロジーなんかではない.しかしまあ小さな
間違いかな.2番目と3番目はそれ自体が間違いだというより,『論考』を語るうえでは間違いだと思う.
まず検証主義と有意味性を結びつけるのは,もう何十年も前に捨て去られた『論考』を検証主義と理解
する読み.「語る」と「語りえない」の区別は,「世界の事実」について有意味に「語る」ことができ
るかどうかによって区別される.そして命題の有意味性の基準はその命題についての真/偽が問題とで
きるということ.だから検証がどうのということとは関係ないし,証明されていない数学の問題も十分
に有意味であると言える.(まあ無矛盾性とか不完全性という細かい話はおいておいて)
だから語りえない命題というのは真偽が問題とできないよう命題.たとえば
「世界が存在する」
とか
「無限の対象が存在する」
とかね.