死に往く私達へ〜カンガルーノート〜

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1考える名無しさん
私は今いる生活の中で、死について誰かと語ったことは
全く無いと言っていいほど、ありません。
あなた方は死をどう考え、感じていますか?
2考える名無しさん:03/06/18 05:44
古代ギリシャの哲学者エピクロスは
「われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときにはもはやわれわれがいない。
したがって死は生きているものにもすでに死んだものにもかかわりがない」
と言っています。
「臆病者はほんとうに死ぬまでにいくたびも死ぬが勇者は一度しか死を経験しない」
とシェイクスピアは語っています。
禅僧良寛は「死ぬ時節には死ぬがよく候」と説いています。
3考える名無しさん:03/06/18 05:48
>1さんはどう考え、どう感じているの?
4考える名無しさん:03/06/18 05:53
人の死生観など興味ないし
お互い理解できるもんでもない
5考える名無しさん:03/06/18 05:59
>>2の人たちの言葉には、死にたいする共通の認識も読み取ることができますが、
 それぞれの語っている位置が違うことも感じられます。】
他人のことを自分のことと同じ様には感じられない私は、いつまでも死に悩ませられるだろうと、私は思っています。
のみならず、もしかしたら死という言葉を被った別のものに私は悩んでいるのかもしれません。
ですが、一人で思い悩むよりも他の人の考えを聞く方が自分にとって、なんらかのものになると
【】のようなことを考えた後に思ったんです。考えや思いを聞かせてください。
6考える名無しさん:03/06/18 06:06
>>3-4さんたち、私は>>5のように考えています。
>>3さん、いつかは死ぬのだなあ、としか思えませんが
病気などをしたり少しでも死に近づくと、恐怖と寂しさを感じます。
73:03/06/18 06:10
>>6
>病気などをしたり少しでも死に近づくと、恐怖と寂しさを感じます。

それは誰でも同じだと思います。


8考える名無しさん:03/06/18 06:18
個性的な死の解釈を私自身は持っていません。
一応仏教徒なので、もしかしたら死んで骨になって、意識が無いようになっても
心はなんらかの形で何処かにあるのではないかと思うようになりました。
ただ、もう今しているような認識はできなくなるのだなあ、と思います。
93:03/06/18 06:30
>>8
仏教には生即死という考え方がありますね。
仏教ではよく生命を海にたとえます。
そして一人一人の人間は、一つ一つの波。
死は、海面から飛び出した波が、海の中へ帰るだけのこと。
そう考えると、死を受け入れやすくなる。〔私の個人的な考えでは〕。
土に還るというイメージも好きですね。

でも、自分が実際に死ぬときは、今考えているように冷静ではいられないでしょう。
少なくとも、まもなく自分が死ぬことが分かってしばらくの間は。
10考える名無しさん:03/06/18 21:31
>>9私もそういった命のイメージを聞くとほっとします。
遠藤周作の「死について考える」とう本のなかには、セスブロンという作家の
「死というのは、たぶん、海みたいなものだろうな
 入っていくときはつめたいが、いったん中に入ってしまうと……」
という言葉が引用されていて、最後に本人が続けています。
「入っていくときははなはだ冷たい。冷たいから叫んだって、もがいたっていいんです。
 それが通過儀礼としての死の苦しみでしょう。しかしいったん入ってしまった海は
永遠の命の海で、その海には陽光がきらめくように、愛がきらめいている」
私達が死の後に何らかのかたちで、命の海のようなものにとけこみ、死んだ人と再会できるなら
それが、たとえ今の意識を肯定しないものであっても、私にとっても救いになります。
ただ、そうだとしたら、より一層今生きているうちに何をすればいいのか、贅沢な悩みですが考えさせられます。
11考える名無しさん:03/06/19 17:27
上げます、すみません。死とはなんですか?
12とも:03/06/19 17:37
13考える名無しさん:03/06/21 21:59
今は無き二階堂奥歯さんのサイトです。サイトは存続するようです。書き手は
もう居ません。

http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=ICF13700&n=5

神は出てきますが、仏は出ないようです。重いテーマだし、病的な
部分に解釈が難しいので、皆にとは勧めません。ちっらとでも見れば。
その方面では、有名だったそうですが、私は、アスキー7月号で
知りました。
14鈍乱 ◆onTqQ6wa/Y :03/06/21 23:32
>>13さん、1ページ目と雪さんのメールを少し読みました。
何て言っていいか分かりません。ごめんなさい。
15鈍乱 ◆onTqQ6wa/Y :03/06/21 23:53
私は死ぬのが凄く怖くて、他にどんな嫌なことがあったときでも死のうとはしませんでした。
身近な人にも自殺した人はいなかったので、自殺についてはあまり考えませんでした。
二階堂さんは、死ぬ直前まで身近な人たちのことを心配していて、なんか辛いです。
また読みます。
16鈍乱 ◆onTqQ6wa/Y :03/06/26 03:58
>>12只のエロ画像だったね。

二階堂さんの死は非常に重いことだけど、貴方の文章を読みながらも
俺は知らないながらも知っている範囲で、死について語り
誰かに教えてほしいと思います。おやすみなさい。
17鈍乱 ◆onTqQ6wa/Y :03/06/26 17:25
>>1で言ってることの発展で聞くことも哲学だと思うから、
これから、ここでの書き込みにはレスしません。
私がここの1です。少なくとも二つ死について語るスレがありました。
重複スレです。ごめんなさい。
ただ私に読まれて嫌という方もおられると思いますが、
ここでは議論を気にせず、各々死についてつぶやいて言ってください。
18考える名無しさん:03/06/26 17:45
ウンコのニオイがする
19鈍乱 ◆onTqQ6wa/Y :03/06/27 04:05
色々余計なことをしました。
ID議論スレを見た方には特に私がここの1だったことは不快だ、と思います。
私がそれ以上に悪いと思うのは、マジレスしてくれた18さんと13さんと4さんと3さんです。
謝ってすむことではありませんし、許してもらえるとは思いませんがすみませんでした。
これからも、時々ここを見ますし、こんなことを言うのも変ですが、
誰かが書き込んで活用して貰えれば、嬉しいです。
>>17で言ったことは守ろうと思います。
20鈍乱 ◆onTqQ6wa/Y :03/06/27 04:14
全く自分の考えを変えるつもりがないのも哲学的ではない気がするので
無理に変えるのは無理ですが、変わった点を言っておきます。
死について、僧侶である私には、不勉強ながら仏教的な考えが一番しっくりきます。
そこで、浄土のイメージに助けられることとは少し変わって、
仏教では生と死を分けようとはしないのだから、死が怖いものか
あらゆる生のしがらみが終わるかもしれないものとしてしか捉えられない私は、
生の意味と怖さを追って体験することで、死に近づこうと思います。
生きていることへの軽薄さが、私の死への考えをどこか軽いものにしていると思いましたから。
21考える名無しさん:03/06/27 12:53
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 ゛ ! |l ';  !'、 ラ'lャr`< ‐       ,::゛ィ:::/ ゛    /! :::::`/ わたしが死んでもかわりがいるもの。
   ';!|!; '、`、'i `'゛   `      ´ /::/  / / i .:::::::l  
    ヽ!`;、ー`=-     ,:: ''"     /:/ ,.、''ッ‐',イ   l ::::::/
      li:::`ヾー          /‐'゛,、': '" / /ノ:::/:l/ 
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      '、;::i:: `i‐-ミ=‐          /:'゛ |!'!:/´
        ',:|ヽ 、ヽ 、 \              ´ ヽ
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22考える名無しさん:03/06/27 22:11
鈍乱さんへ
13です。
二階堂奥歯さんのサイト。私はマジに読みきりました。
コメントは控えます。というか。コメントは、何とでも言えるし。
マジに読みきるほうが、強くなれる。二階堂奥歯さんの,身近に
あれば、どうした、でしょうか。?。私なら救えたきもするし、
いいや、わたしもろとも、死への道へ、かも、
 一つの解法、武士道とは死ぬことと見つけたり。
23鈍乱 ◆onTqQ6wa/Y :03/06/27 22:18
>>22私はまだ読みきっていません。これから全部読みます。
24地獄:03/06/27 22:41
書類審査
泰広王(不動明王)の審査
三途の川
奪衣婆 賽の河原 初江王(釈迦如来)の裁判
十王の裁判
生前の所業(善行、悪行)の審査(七回)
地獄や餓鬼道に落ちた者の、再審査制度(六回)
六道
地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 人間 天

 三途の川のほとりには衣領樹(えりょうじゅ)という大樹があり、その下
に奪衣婆(だつえば)、懸衣翁(けんえおう)という鬼形の姥と翁がいて、
姥は三途の川の渡し賃(六文銭)を持たない亡者が来れば、その衣服を奪い
取り、それを翁が受け取って衣領樹の枝に引っ掛ける。そして、亡者の生前
の罪の軽重によって枝の垂れ方が異なるのだ。
 わたしらが閻羅王宮にて亡者の裁判を行う。亡者の生前の悪事を映し出す
浄玻璃鏡や業秤(ごうのはかり)などを使って行うのだ。十王に姿を変えた
十人の仏様の裁判で決まる。死後七日目から四十九日目まで、七回の生前の
所業(善行、悪行)のを審査があり、五七日(ごしちにち)35日目には、
地獄を支配している閻魔大王による、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の
六道の何れに進むかの裁きが下り、49日目に判決が確定する。その後、
百日から三十三回忌までは、それぞれの王による再審査が行われる。
この世界は六つの世界からなっている。
死後六つの世界のいずれかに行くのだ。
地獄 純粋な苦の世界
餓鬼 飢えと渇きの苦の世界
畜生 弱肉強食の苦の世界
阿修羅 闘争の世界
人道 いわゆる現世。人間界。
天道 天人の住む天上の世界
25一沙門:03/06/28 16:30
地獄, 六道輪廻のどの道が、私に待っているのでしょうか、
六道輪廻を信じてるわけでもないが、私が知らなくて、あるのかも、
でも、判決が地獄なら、受け入れます、再審無用。そのように
生きてます。未だ生を知らず、や、武士道とは死ぬことと見つけたりに
共感する、死生観で なおかつ仏教の涅槃を 生きる、沙門です。
26山崎 渉

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄