>>561 度外視ってわけじゃないけど。
本当に根源的なものは何か、基礎は何かなんて、
考え出したらきりがないし、人間の認識力ではっきりしたことが言い切れないような問題
については、自分達のやることじゃない、と思ってるんだろう。
だいたい基礎論の中でも数理哲学に近いことをやってるのは一部だと聞いたけど。
公理系について考えるのだって、
その公理系から矛盾のない範囲でいかに豊かな内容が導かれるか
という一種の回り道をして評価する、というのが現在の公理主義の立場じゃなかろうか。
そういう観点からの、公理系の微小変更による実験的考察は、
それこそ数学基礎論で1950年代くらいから十分に行われてきた。
現在大多数の数学者が採用している公理系は、その試練に耐えて信頼を得ているものだから、
それ自体には主流派の関心が集まらなくなっているんだろう。
(つづき)
現在でも、例えば非可換幾何学の周辺などに端を発して、集合論よりもファンクターを基礎にした数学が
しきりに考察されているけど、これまでの膨大な成果が包含される形で基礎付けられるように、
と言う点に心血を注いでる。
わかりやすく卑近な例で言えば、集合論を基礎におかない新定義による「空間」だって、
これまでと全く同じ位相構造を乗っけることができて、微積分、解析学がそっくりそのまま展開できなくては、
新しく基礎付けても意味がない。
だって、いまさら解析学が信用に足りませんと言ってみたところで、
その上で展開される力学で飛行機も人工衛星も飛んでるんだし・・・・
結局、置き換えるなら、これまでのものを完全に包含するより良いものが要求される。
そんなわけで、現場の数学者は安心して今の土台の上で研究しているんじゃないかな。
長い歴史を振り返ってみても、コーシー以前の解析学や、フーリエ本人がおこなった級数展開など、
今から見ると基礎が相当怪しかったが、その時代の成果(定理)は、本質的でない付帯条件を除いて
本質的な部分は後から理論的に正当化されていたりする。
どうでもいいが演説がたいくつ
できるかどうか分からんが
一応数学博士だ。
ブルバキ全盛期と違い今は原理的な問題はあまりもてはやされてないと思うよ。
576 :
考える名無しさん:03/07/22 00:38
非ユークリッド幾何ってそんなにエロいんですか?
>一応数学博士だ
だれもそんなこと聞いてないんですが?
できるかどうか分からんって何のこと?
579 :
考える名無しさん:03/07/22 00:42
>>576
エロい!!!!
凡庸な非ユークリッド幾何とエロい非ユークリッド幾何があるのだよ
>>578 その部分は
>>1 に答えたの(;´Д`)
>>576 エロいかどうかは分からんな。
というかこの世界が非ユークリッド幾何の世界でしょ。
>>575 >>561の問いかけに対して、基礎論やそれを含む広い意味での数学の基礎、というか信用する根拠
について、全く無頓着ではないが、普段はそれほど気にせずに
とりあえず今の土台の上で研究しているのが、平均的な数学サイドの感覚じゃないかな
ということ。
それでいいんじゃないかと考える理由もつけて書いてみた。
長くてスイマセン。
つまり、有用な理論なりは先にあって、その基礎付けはどちらかと
言えば後になるって事か。そういう事ならば科学的という感じはする
けど、それだと原理的問題はタブー視するという事でもあるね。
それが悪いと言ってんじゃないけど。
>>581 そう思うよ。
一々気にしてない、というか基礎論はほとんど無知(;´Д`)
ほんの一部分しか知らないけど、なんとかなってる。
専門分野によるけど、ぼくが興味あるのはやっぱり世界の仕組みとか
組成とかで、物理のひとと関心の持ち方は大差ないと思う。
スイマセン、
>>572で誤解を招きやすいところがあったので直します。
本質的でない付帯条件を除いて
本質的な部分は後から理論的に正当化されていたりする。
→ 付帯条件を前提に加えるなどの変更を除いて、
本質的な内容は当時の主張(または使用された形)のままで、後から理論的に正当化されている。
分かってると思うけど、ここの板の人は基本的にその土台の方に
興味があるんだと思うよ。
>>572 集合論を基礎におかない新定義による「空間」とは何ですか?
一般の(非可換)環に対するスキームと思えばいいのですか?
>>583 >ぼくが興味あるのはやっぱり世界の仕組みとか
>組成とかで、物理のひとと関心の持ち方は大差ないと思う。
そのままでいけば、哲学に関わらずに過ごせる。
「究極的な解答」を求めるなら哲学にどぞ。
>>582 現在の数学は、前世紀の哲学との交流期の基礎に対する反省を踏まえているから、
以前のような「ちょっと怪しい研究」というのは、絶対に認められていない。
土台となる公理系を宣言(通常はわざわざひとつひとつの論文には書かないが)した上で、
純粋な演繹によって導かれたものしか、結果とはみなされない。
公理系の原理的な正当性についてはとりあえず疑念を挟まない、というより、
むしろ正当であろうがなかろうが、それを基点として演繹される関係性の集積こそが、
数学的真実というふうな捉え方だと思う。
その意味で、数学の定理は、有史以来くつがえったことがなかったし、これからもないだろう、
という感じかな。
公理系が修正されるとしても、その上に築かれた成果が否定されるような形にはならないだろう
と確信しているし。(
>>572に書いたように)