数学やってる人は、ほんとの基礎付けなんてことは感覚的にどうでもいいと思ってる人が多いんじゃないかな。
公理系を宣言した上で成立する構築物の関係性の美に惹かれているわけだから。
公理系の書き換えが必要になったとしても、これまで人類が手にしてきた数学(ひいては物理、科学全般)
の成果を全て手放さなければいけないような形にはならないだろうし、そんなことが現実にできるわけもない。
絶対的な確実性は、あくまである地点から上に積み上げられたものの演繹関係にしか期待しないという
ある意味常識的で健全な精神の持ち主が多数派だからね。
完全無欠な基礎を求めるなんてのは、空論に近い。
あ、
>>552にペーストされてる人は「数オタ」について言ってるんでしたね。
確かに数学に落ちこぼれて諦めきれない香具師には、メタレベルで数学を考察する
なんてセリフに吸い寄せられて、理解もできずに
「基礎論紛いの事を言って、「偉くなった」気になっている」ようなのも少なくないようだ。
「数オタ」なんて人種のメンタリティはどうでもいいけど・・
一般的な数学者の感覚では、基礎論は辺境の地だからなあ。
そんなので偉くなった気分になれるのは素人さんだけだろう。
>>551 そんなので飯食ってる人はほんとに少数だよ、割合からすると。
基礎論全体の進展が相対的に非常に小さくなっているからね。
その中のまた一部分だから。